社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

ベトナム農業大臣の農業教育の考え紹介

ベトナムの農業大臣の書簡・(ベトナム農業新聞より要約)
 農業教育は人を「育てる」ことに重点を置き、人の魂を育てる
 農業・農村開発大臣のレ・ミン・ホアン

 今こそ、私たち一人ひとりが自分自身を率直に見つめ、ビジョンを開き、積極的に方向性を模索し、新しい価値を創造する時です。親愛なる教師や農業・農村開発省傘下の訓練機関の教師への公開書簡を持っています。
  正直に、公開書簡では、持続可能な開発の道筋をたどる農業人材育成機関のシステムのビジョンと夢を説明します。教師たちが、探究心、開放性、誠実さを持って、多くの現実的かつ多面的なフィードバックと貢献を受け取ることを楽しみにしています. 教育・訓練産業の発展過程に沿って、農業・農村開発省の訓練機関は、何世代にもわたって農業部門の人材を教育訓練してきた。主要な専門家、リーダー、マネージャー、役人、農業技術者のメンバーは、ほとんどがこれらの伝統的な学校から育っています。かれらは、人々の成長と持続可能な農業の発展への貢献と献身に誇りに思っています。私たちは共に未来を創造することを決意しています。
 

輝かしい過去からダイナミックな現在を経て、多くの決意、信念、期待を伴う有望な未来を展望して、私が訪問する機会を与えてくれた学校に感銘を受けています。 多くの困難に直面しているにもかかわらず、遅れを取ることを受け入れないリーダー、マネージャーがいるなかでも、善良なる教師は、徳感情、素晴らしい物語、懸念に耳を傾けます。正しいこと、必要であるが公式に認められていないこと、もはや適切ではないことを天秤にかけて、一歩一歩を正しい道に進んでいます。

 

 わたしは、まだ多くの欠点があるメカニズムで日常生活の混乱を理解しています。ルールと原則、意図と行動にはまだギャップがありますが、障害を克服し、リソースを多様化し、責任と義務を果たす能力は十分にあると感じています。今こそ、私たち一人ひとりが自分自身を率直に見つめ、ビジョンを開き、積極的に方向性を模索し、新しい価値を創造する時です。
 

 変化する世界で一定のものはありません。今こそ、私たち一人ひとりが自分自身を率直に見つめ、ビジョンを開き、積極的に方向性を模索し、新しい価値を創造する時です。変化の波に乗って、一人一人が多くの選択肢を持っています。しかし、変革を拒否する人もいます。また、しぶしぶ受け入れる人もいます。

 変革を受け入れには、積極的に適応し、統合し、推進力を借り、迅速に前進することが必要です。今日の選択が明日の結果を生み出します。時間は正当化を待たず、受動的な面があります。
新しいものが生まれたばかりで、まだ全体的に形成されていないことがあります。「新しいものが現れ、それに置き換える準備ができているほどの急速な変化が起こる」ことを楽しみにしています.
 

すべての教師は、古いものと新しいものを見つけて比較し、講義の内容をより深く掘り下げ、「もっと良い方法はないか」と自問する必要があります。 「昨日の教育と同じ方法で、今日の学生を指導し続けると、学生の未来を奪うことになるのです」。
 科学と技術、成長思考、経営理論、作業方法などの絶え間ない流れの中で、私たちが学んだ知識、私たちが取り組んできたスキルは、結局のところ、昨日からのものです. 昨日のことは、どんなに良くても完璧でも、更新と調整が間に合わなければ、社会の動きのスピードについていくことは困難です。
 

 科学者ガリレオは、「教えるということは、もう一度学ぶことである」と思い出させました。各クラスの前に、各教師は新旧を検索して比較し、講義の内容を深め、「より良い方法はありますか」と自問し、学習者に新しい、オープンで実践的な考えを伝え、引き出す必要があります。型にはめないで、あなたの講義を「モデル化」してください。それどころか、多くの感情を生み出し、学習者を鼓舞し、隠れているものを喚起し、学習者の願望を照らします。型にはめないで、あなたの講義を「モデル化」してください。それどころか、多くの感情を生み出し、学習者を刺激します。

 レ・ミン・ホアン大臣 は、さらに、続けて教育について語ります。「平均的な教師はただ話すだけです。いい先生が説明してくれます。先生は証明よりも優れています。優秀でインスピレーションを与える教師がすばらしいのです」。

 インスピレーションを与えるために、インスピレーションを与える人は、まず、第一に、インスピレーションを必要とし、ポジティブなエネルギーを生み出し、毎日、毎時間、常に私たち一人一人にしがみついているネガティブな感情を克服する方法を知っています。多くの証拠は、知性、十分な知識、熟達のスキルよりも、感情的知性、愛、思いやりが各人の成功の決定的な要因であることを示しています.

 リーダーシップとマネジメントは、専門的な知識とマネジメント スキルを中心に展開するだけでなく、友好的で健康的な環境を作り出す方法を知る必要もあります。教育の動機は、すべてのメンバーがケアされ、尊重され、共有される環境が必要です。そこでは、調和を促進する必要があります。その環境には、狭い偏見や偏った扱いの余地はありません。その環境は笑いにあふれ、仕事に喜びをもたらし、仕事を楽しくします。

 あらゆる組織の環境は、職場が「第二の家」のようなものになるように、日々育む必要があります。教育環境はそれ以上のものを必要としているため、学校は常に知識、礼儀、個性の「寺院、聖域」と見なされています。

 農業は、「生産的な考え方」から「経済的な考え方」へ、単一価値のエンジニアリング産業から統合されたマルチタスク、多機能、多価値の経済セクターへと徐々に変化しています。農産物の生産高と輸出の回転率の目標に加えて、農業界は、「透明性、責任、持続可能性」の目標を目指して、有機的、生態学的、インテリジェント、循環モデルの研究と適用にさらに注意を払い始めています。 . これらの新しいアプローチと視点は、各科目と講義期間を通じて、トレーニングプログラムとコンテンツで導かれ、導入される必要があります。

 各教師は、入学初日から時間をかけて観察し、学び、生徒と話し、学校を卒業して人生に入る方法を想像し、想像しようとする必要があります。
リーダーシップ、優れた管理、または優れた科学者に責任がありますか? 成功したビジネスマンまたは業界の専門家ですか? 所有者は潜在的なプロジェクトでビジネスを始めましたか、それとも献身的な教師になり続けましたか? 農業普及員は、ベトナムの農産物のブランドを紹介し、市場をつなぐために尽力した遠く離れた国の農民や農業カウンセラーに愛されている畑や池のほとりに配置されていますか?

 農業の人材を育成する学校で学ぶことを信頼してきた若者のために、知識、スキル、態度を準備するための基準、アウトプットの目標を設定します。「入力の質が低い」という言い訳をしない人を育てる夢の邪魔にしない。「インプットの質の低さ」を、人を育てるという夢の妨げにしないでください。
 

農業教育の使命は、農業技術や畜産だけにとどまりません。「学生中心」の考え方に則り、農業教育は人を「育てる」こと、人間の魂を育てることに重点を置いています。すべてのものには命と活力があります。多くの青々とした木々は、生命力に満ちた深い緑の森を作り出しています。

 親愛なる農業学校の多くの学生は、知識とスキルを備え、前向きな姿勢を持ち、感情と愛情に富み、自信を持って公的機関、仕事、社会に多くの貢献をすることができます。その時、何と生きる価値のある人生をもつことでしょう。!

橫井小楠と仁政の公共思想

 

  横井小楠は、幕末・明治維新に、西洋との交通貿易を重視しながら、東洋の心の精神を大切にした思想家です。大義を世界に求め、身分の軽重を問わず、お互いい批判しあい、政治や人情を公論の視野から大切にして、仁政による公共の道を求めた。

 橫井小楠は、世界に戦争をなくすことが、日本の政治に可能とする。それは、日本の政治を一新して、西洋へ普及すれば、世界の人情を通じて戦争をなくすこともできる。この古くて新しい政治は日本でこそ可能であるというのである。まさに、日本の古くからあった仁の政治の重要性を世界に広めていく重要性をのべている。

 橫井小楠からは、現代の混迷する時代の為政者、政治家のあり方として、学ぶことがたくさんあるのではないか。かれは、現代の公共思想を考えていくうえで、心術による教育の重要性、衆議による講学、公明正大、民を豊かにしていく富国論、天地仁義、天地自然の道理、自己の利害を忘れ他への利、公平無私の天理、万国一体・四海兄弟の理、人情による仁政など、いくつかの重要な問題提起をしている。横井小楠は熊本が生んだ偉大な思想家でもある。

  横井小楠は、肥後藩では、改革派であった。ゆえに、冷遇された。生まれた家は15 0石である。家督を継ぐが、一時は時習館の寮長として抜擢される。しかし、藩校を改革しようと、仁政の実践を大切にした衆議の学問を提唱した。しかし、改革を求めなかった藩により失脚する。その後、藩からの待遇はよくなかった。

 1855年に沼山津に45歳のとき転居する。幕末に、欧米との関係に対して、改革を求めた福井藩に、50歳のときに招かれる。1860年から1863年の3年間に重臣として藩主の相談役として大いに活躍する。ところが、攘夷派による暗殺事件に遭遇し、友を助けなかったということでの士道忘却事件として、閑居となる。やもなく、再び、熊本の沼山津に帰る。

 ところが、かれの才能を大きく評価していた明治維新の新政府は、横井小楠を新政府の参与として迎えるのである。かれは、1868年4月に60歳で任命される。このときには、病状であった。大政奉還後の政局については、議事院を建てる建白書を出している。議事院は、上院に公卿と大名が一同に会し、下院は、広く天下の人材を挙用すればよいという案である。

 この案は、五箇条のご誓文「広く会議を興し万機公論に決すべし」として盛り込まれた。新政府によって、採用されたが、新政府の議事員は、政府の執行権力の合意形成のなかで大きな意味をもたなかった。この議事員は、新政府の政治のなかで十分に機能せずに西郷隆盛等など明治6年政変によって完全に挫折するのである。

 橫井小楠は、新政府の提案に、財政を重視した。そして、刑法局を建て、海軍局を兵庫に建て、公明正大に百年の計として開港せよという内容をもったのである。

 また、外国貿易にあたっての商法の整備を提案している。公平なる貿易により、四海兄弟として、国際平和を幕末の開港時期に考えたのである。横井小楠は東洋文明の正道を明らかにした。東洋の儒教思想から公共、公平、公正の大義を世界に求めたことは特記すべきである。ここには、東洋の思想から、私欲を排して、一国という狭い自国主義ではなく、国の狭い枠内での諸勢力の利害得失を度外視して、世界兄弟という平和思想を構築したのである。

 横井小楠の思想にみられる公共と公平という側面から、新しい共生・共栄の世界的秩序は、世界的な諸価値を融合しての新しい民主主義を考えていくことで、現代に意味がある。東洋文化西洋文化の融合、そして、世界にある様々な価値観から人類普遍的な公共の道を探る大切な時代である。

 世界の為政者にとっての大切なことは、新自由主義の弱肉強食による格差が拡大を是正して、平和を求めて共存・共栄と地球気候問題などの持続可能な循環経済を実現していく時代をつくることである。様々な立場から衆議を尽くして、利他主義的に格差をなくし、文化手に人間らしい民衆の豊かな暮らしと文化を充実していく政治が求められるのが現代である。

 アジア諸国では、異なる価値観を平和の枠組みで包み込み、非同盟中立が圧倒的である。同じ価値観で連合していくという欧米諸国とは平和に対する見方が大きく異なる。東洋の思想から世界平和ということに正面から向き合って、公共・公平・公明の思想を人類的な平和の課題から万国一体・四海兄弟の天地自然の理として、融合していくことが現代的に必要になっている。この意味で、横井小楠の思想を現代的課題から明らかにする意味は大きい。

 仁政による公共の道を橫井小楠は、世界万国の事情に従って、天下の政治を行えば、いまの心配事を解決して、いっさいの障害は消えるとしている。

 

 富国論

 

 横井小楠は、1860年に国是3論(富国論、強兵論、人・士道)を書いている。 富国論では天地の機運に乗じて、世界万国の事情に従って、公共の道における政治の提起である。幕末の時代では商品経済が国内経済として著しく発展して、悪徳商人や悪徳政治家も幅をきかした。このような状況で、橫井小楠は、痛切に悪逆政治家を批判するのである。

 悪逆な政治家は、民衆をしいたげ収奪して自分たちの費用にする。四民が困窮するといっても、農・工・商の三民であって、勤労によって、生活している人々である。大名をはじめ下級武士まで収入が一定しているのであるから、支出がその収入を上回れば手のほどこしようがない。そのために、民の迷惑を顧みず重税を課すのである。収奪を受けた民も、物価をつりあげて、赤字を補う。武士もまた響いていく。窮地から逃れるのは、無用の経費を廃しての徹底した節約である。

 善良な政治家として、自らの提案を橫井小楠はする。政府の費用を切りつめて必要なところに回す。民間の生産物もそれを売りさばく市場に制限があるので、生産しすぎると値打ちが下がり、さらに、悪徳商人の詐欺で一段と下落する。藩が買い上げて藩の倉庫に集めることで、買い上げ値段は民に利益があり、藩政府としても損をしない。政府が利益を望まなければ、自然と民に利益がまわるはずである。

 また、一般の民家に生産を向上させるために政府資金を貸し付ける。資力がないが生産にたずさわりたいと意欲をもっている民家への積極的な藩政府の無償の貸し付けである。資金を貸し付ければ民家は希望通りに仕事ができる。その生産物を藩に納めさせ、その買付代金から貸し付け分を返上させれば、利息を取らないので民は非常に助かる。

 種子や原料・道具の仕入れ、人夫賃・肥料代などすべて藩より貸し付けて利息をとらなければ、民は自分で交渉して高利の金を借りる無駄がなくなる。藩政府からの貸し付けは元金を失わなければよい。利を取ろうと思ってはならない。藩の利益は外国から取るのである。海外にうりさばければ生産過剰で値段が下がることも滞貨に悩むことはない。外国との通商は、交易のなかで大きな比重を占めていくが、交易とはもともと天地間の根源なものである。

 これらの提案は、藩政府が積極的に市場経済に介入して、市場をコントロールして、財政政策として、一般民衆の起業家をこころざそうとするものに貸し付けて、藩の経済を活性化していこうとすることである。ここには、日本の地域のすぐれた特産物を国際的に売りさばくという貿易の振興ということを想定している。江戸時代に、日本は、各地にすぐれた特産物が生まれ、商品経済が著しく発展して、国内市場が大いに発展したのである。為政者や特権商人の贅沢も肥大化して、貧富の格差と藩財政を枯渇するところも各地に生まれた。

 橫井小楠の天下の治世は、藩政府の仁政を特徴として、民の暮らしをいかに豊かにしていくかということである。そこでは、富を一般大衆に分かち、困窮孤独のものを救い、刑罰を緩くし、税のとりたてを減らすことを経済的政策として積極的に打ち出している。

 さらに、民衆一般の教育として、経済政策を前提にしての道徳教育の重視による公正、公平、天地自然の理による倫理確立をあげている。

 経済と一般民衆の倫理・道徳教育の結合である。この教育の力によって、民衆も生活を楽しむことを知り、愛育につとめている政府への感謝の念をもつようになるというのである。これは、藩政府を父母に対するごとくと感謝の気持ちとなるというのである。

 また、養蚕をはじめ各種の産業や農具などにそれぞれ労力の節約となる便利な方法があるので、藩政府で十分に試験し、みんなが信用したところで、採用させるとよい。どんなに便利な方法でも新しいことを強制すると民心は反発するとしている。

 

外国との正道

 

 外国との正道は、信義を守って貿易を行い、利益をあげて収入を確保すれば主君は仁政を施すことができるとしている。民間の産物を商人に売り渡す方法を改めて、産物を藩が買いあげて民に利益がまわるようにし、増産の意欲あるものに資金を貸し付けて、その産物を藩が買い上げ、代金のなかから返済するようにすれば民は非常にたすかる。また、新しい産物については、藩政府で実験し、実効あるものは、民に採用される、指導は親切にしなければならないとしている。

 藩政府は純益を公表して民に示し、その全部を民の困窮を救うためと、その他の社会福祉的な事業に支出するということである。近年、通商交易が外国から要求があったために世間一般でははじめて交易というものがはじまったという誤解があると橫井小楠は語る。交易とはもともと天地間のもっとも根元的な法則である。人を治めるものは、人にやしなわれ、人をやしなうものは人を治めるというのも交易である。橫井小楠は交通貿易を天地自然の人間の営みの原理にしている。為政者は、民から養われているという自覚が重要であるとしている。民からの税の収入がなければ、為政者の暮らしはないのである。ここには、交通貿易という相互依存の共通の論理があるというのである。

 

本来の学問とは

 

 橫井小楠のみるところで、今の文武は、本来の姿が心法にあるのだということを理解していないという。文武が技術に堕して、学ぶ方法が根本から間違っている。士道は、慈愛、恭倹、公明、正大の心をもち、武道によってその心を鍛錬し、人の道を教え、至誠の心をもって部下を率い、あわれみの心をもって民を治めることにある。まさに、文武の本質である慈愛・恭倹・公明正大の武士道をのべているのである。

 政治と学校は、橫井小楠にとって重要な課題であった。横井小楠は、1852年に学校問答書を書いている。そこでは、政治を行うものに学問を重視する必要があると強調する。政治にたずさわるための人材育成がうまくいかないのは、有用な人材を得るために、競いあうあまり、着実に自己の修養につとめることを忘れ、末梢的な政治技術に心を奪われて、政治を自分の利益のために使うことに集中して、、悪口を言い合い、学校が喧嘩の場になっていくという。

 才能あるものが政治をする人が自分の利益のために学問を利用しようとして、本来の学問をする本質が見失われている。学問は、人材を育てること、篤実の風俗をつくることにある。

 しかし、ときには、学校の役割が喧嘩の場になって、政治的才能のある人物をいやがり、風俗を破壊してしまうことがある。そして、学者は政治経済のことがわからず、政治家は我が身の修養をやめてしまうと橫井小楠はのべる。

 学校がないと倫理道徳が確立せず、人材才気を養えず、風俗の教化もできない。学校では講学のすすめが大切であると橫井小楠はのべる。学校は人倫の大綱を明らかにし、己を修め、人を治める政治の原則を究め、自然の天理に従って、学術を一定にすることにある。

 学ぶものは、身分の軽重を問わず、年の老若を問題にせず、各級の子弟や政治上の職務にかかわらず、武人とか文人とかで逃げ口上にならず、学を講じて、お互いを批判しあい、あるいはいまの政治や人情を論じ、また異端邪説の誤りを見極め、徳義を養い知識を明らかにすることであると講学の方法を力説している。橫井小楠の考える講学は一方的に教え込むのではなく、お互いに議論しあいながら真理を求めていくという方法である。

 学校は身分の軽重を問わず、誰でも参加して、学び、衆議を尽くして公論をつくっていくことであるとみているのである。まさに、現代的にみるならば、異なる考え、異なる身分のもの、軽重を問わずに様々な人が参加しての天地自然のり、天下の仁政の道を究めていく場である。現代的な意味からの真の民主主義の教育の場でもあるのである。

 ところで、衆議を尽くしてまなぶということは、すでに元禄時代以前の伊藤仁斎の町人による学塾・同志会によって、存在していたのである。この意味で、橫井小楠によって、突然にあらわれたのではない。 

 日本では、中世での惣村での長老による村の神社を司る平等に結合した衆議による合意がった。近世になっても各家からによる村の寄り合いで、村の決定がなされていた。さらに、村々では、相互扶助の頼母子講・無尽講、ユイ講、隠れ念仏講などで衆議による合意がされていたのである。日本の伝統的な村の民衆文化は、参加者みんなで衆議してきめる慣行もあったのである。

 伊藤仁斎は、仁愛の精神道徳を強調した人である。かれは、為政者が自己の私欲を克服すれば、それは広く民衆を愛する仁愛の政治につながると力説したのである。このためには、教育の可能性を重視した。

 1662年に、同志会を伊藤仁斎は創設した。この会は研究会のようなもので、会を開くときは、会員から会長を1名選び、講師の話が終わると、集まった会員がそれぞれ質問して、議論が行われる。そのときの会長は、策門あるいは論題を出して、それぞれ論策を提出させ、一冊にしたのである。会のなかでの問答にして経要を発明するもの、学問肯綮(ものごとの急所)皆謹録して、衆人共に校定して別に一冊をつくるとしたのである。

 仁斎にとって、門人小人の説といえども、取るべき論策は皆これに従うということである。衆議定まるものは、書にするという態度をとっていた。このようにして、極力論塾して、その異なる論を一にしたのである。道は私に享受すべきものではなく、天にかかる日月のように、天下に共有のものである。

 自己の私欲を克服すれば、それはひろく民衆を愛することにつながる。公の仕事をまるでわがことのやるのであれば、それは誠実そのもといってよい。仁愛の心があらゆるものにまじりあってゆきわたり、自身の内から学部にひろがり、あらゆるところにゆきわたり、こちらに心をかけるがあちらにはかけないという、一人だけに心を通じるのは仁ではない。仁斎の公の心は私欲を排しての仁愛である。

 さらに、学問をすることについて、仁斎は語る。学問は仁愛に到達できて、はじめて実体のある徳となる。仁の徳は、人を包容することができる。

 同志会は各人の道徳と学問を磨く場であった。伊藤仁斎の同志会には、親方は存在しない。門人に入門するには試験はない。毎回、検定を記録するのは、門人たちである。そこでは、学問的身分を保障するものではない。

 同志会は師と門弟は身分の差がなく平等である。ここには、学びの自治が保障されているのである。学問をしたことがなくても、いったことを守り、人にへりくだり、無欲で自制心があり、意気さかんで、正義のために身命をささげるものがある。これこそ学問の基本である。学問はこれを充実させるだけのことである。非常に貴く、高尚で、世間一般のならわしを超越し、人間にそなわる感情から遠く離れた、高遠で実行しにくいものは、道ではない。すでに、日本では、伊藤仁斎の学塾のような同志会方式の学びの自治が江戸時代の元禄以前の時代に町人文化として存在していたのである。

 伊藤仁斎は、仁愛の精神道徳を強調した人である。かれは、為政者が自己の私欲を克服すれば、それは広く民衆を愛する仁愛の政治につながると力説したのである。

 すでに、日本では、伊藤仁斎の学塾のような同志会方式の学びの自治が江戸時代の元禄以前の時代に町人文化として存在していたのである。

  橫井小楠は、学校の風習がよくなるか悪くなるかは、教官次第であるとみる。識見不十分で心術も正しいかどうかわからないという状態で、どうやって人の才能を開発し、徳義を磨き風俗を正しくする任務を果たるか。学校とは人倫の大綱を明らかにして、政治と学問を一体にすることである。文芸が十分でなくても識見・心術の方を選ぶのが正しい。教養の道は、識見がたしかで心術が正しく教養の道を会得していればよいのである。

 東洋の精神文明の道を明らかにし、西洋の科学知識、技術を身につけることが、横井小楠の見方であった。かれは、国民が豊かになり、国が強兵になるだけではなく、大義を世界に示し、平和を築いていくことが最も大切な天地自然の大道であるとのべた。

 沼山に隠居しながらの横井小楠の塾生との対談で、大義を世界にと語っている。「思」一字は、学問全体を包括している。自己の全体をあげて思うことをしなければならない。幾千の書物を読んでも帳面調べにすぎず何の効果もない。思って行き詰まったときに書物を開けてみる。理を求める心が切実であれば、知見は日ごとに広まり、学問する熱意も盛んになる。まず、自分が思わなければ学問は成立しない。知ると合点するとは違うというのである。

 

公平無私と平和の論理 

 

 世界の理は幾千万の物事について、それぞれ異なっている。しかも一つ一つが変化する。物事を知っていても形をみているにすぎず、活用することができない。合点するのではなく、理を会得しなければならない。人の思いは、世界全体に及び、それをみな心の中に取りこみ、世界のことはみな心の中にひびくうえ、空理とならずに、万物の変化はみな心の動きとなる。人の思いは、世界全体に及び、それをみな心の中にとりこむのである。

 そして、公平無私の天理に従うことを強調するのでる。西洋諸国の長い戦乱の結果、不仁不義の行為は最後に最悪を招くということを覚ったとして、仁政の重要性を指摘する。これは原則で、実際は、自国と他国、あるいわ自分たちと西洋人、他民族と親疎の差別をしているのもやむをえない。しかし、華夷東西の区別なく、みな人類は同じということの公正の天理から盛大に交通貿易を行うことが自然の理にかなっているという。

 君主が民を愛するとは民に気をつけ、民の便利を計って世話をすることで、天日の恩は、太陽が万物を暖めて生育することである。みな己を捨てて他を利している。利の一字は、自分のために使えば不義となり、他人のために使えば仁となる。

 道は天地自然の道で、これはすなわち我が胸中にある仁の一字である。横行は、公共の天理に反する。世界に乗り出すことは、公共の天理をもって現在の国際紛争を解決してみせるという意気込みをもたなくてはならない。単に勢力を張るだけのものであれば、必ず後日の災害を招く。国際紛争の解決は、公共の天理という原則からみることが必要という橫井小楠の見方である。

 そして、自国と他国との関係も公平かつ盛大に交通貿易をすることが自然の理になる。万国一体・四海兄弟の利は、互いに交通貿易をすれば必ず現れてくる。蒸気船ができてから地球の端から端まで自由自在に交通できるわけで、孤立鎖国は天理に反する。

 全世界は我が心の中にあるということと、明徳を天下に明らかにするという治定のこころがけも大切とする。明徳は真実本心の誠に戻ることである。人には気風というものがある。横井小楠は気風の弊害についてものべる。一郷には一郷の気風があり、一藩には一藩の気風があり、坊主には坊主の気風があり、医者には医者の気風がある。

 人はみなこの気風にとらわれて物事を行うので、心を正大にして気風を除かねばならない。学者はとくに一個の見解にとどまることを警戒しなければならない。党派にとらわれずに人物才能だけによって人材を登用すれば、党派は自然に消滅する。公平の心を措置することが誠の発露にとって重要であるということである。本当の小人、姦人というのは、百人に一人もいません。その他は、みな人間として足りないところであり、良いところを見てやることである。人を責めるのは小人である。道理を守り通すことに、ものには塩時がある。親には塩時に笑顔をみせ、塩ときをみて意見を言う、みな自然の誠である。人は塩らしくしないと万事がうまくいかない。

 さらに、心を大切にすることは、人の内面ばかりでなく、物質世界や国家社会の現実を考えていくことが大切であることを横井小楠はのべる。天人一体の考察は、もっぱら「性・命・道理」というように人の内面に関する規範のことばかりである。現実は西洋の航海術が開けて交通貿易が自由になっている。現実の天と人、すなわち物質世界や国家社会についての思考が大切である。

 西洋諸国がやってきて交渉がはじまるが、かれらには、この国の人情がわからない。人情がわからないために神戸開港問題など通じ合わない。この根本的な理由は、両者の学問の性格が違っている。西洋の学問は、事業の学であって、心德の学ではないと。西洋の学問は事業をどんどんひらけるけど、心德の学がないので人情に関することがわからない。だから、交易の談判も事実をつめていくだけだから戦争となる。戦争になってもやはり事実をつめていって償金講和というようになる。人情を知っていれば戦争を防ぐことになる。

 いま世界の中に処していくには、正道を立て直すことである。世の中の形勢に左右されずに正道を立てて、後生に子孫が伝えてくれるのである。誠は本然の真実の源から湧き出るので工夫を必要としない。信は努力に努力を重ねて己を尽くしてのちに誠に至ることである。

 

ナムディン農業高校のカリキュラム農業の基本理念

学校全体の共有のために

 

ナムディン農業高校の「農業と環境授業」概要

 

ナムディン農業高校は、「農業と環境」科目を重視しています。それは、安全な食ばかりではなく、農業は、エネルギーや工業の循環の原料にもなるからです。また、水田は、水害の予防にもなります。農業や林業は自然環境の保全になります。農業は教育にも大きな役割を果たします。そして、人間の心をいやします。また、農業は観光にもなります。これらの課題は、農村住民だけでできるものではありません。都市住民の協力が必要です。

 「農業と環境」は、農業を総合的に捉えるための科目です。この科目は、1年から3年まで学びます。

 週4回の授業で、連続して90分授業をします。授業の方法は、体験や実験を重視します。体を動かして、生徒たちが議論をして楽しく学びます。それは、ひとりひとりが興味をもって、考えさせる授業です。

 生徒の今までの体験や地域の調査を取り入れて、座学中心ではありません。座学も映像などを入れて、視聴覚の教育方法を使います。

 授業では、地域との交流をします。また、日本の高校生とオンライン交流をします。日本の大学、で環境農業に取り組んでいる大学とも交流します。

 

1年生の授業

 

(1)堆肥づくりと炭づくり

 

 農業にとって土づくりは極めて大切なことです。1年生のときから堆肥づくりをします。堆肥づくりは、生徒たちが作業体験をします。体を動かして、堆肥になることの変化を観察します。温度測定、堆肥の色、臭みの変化を、それを記録します。

 堆肥づくりのなかで、熱がでることやガスがでることを観察します。将来的にバイオマスエネルギーの可能性を考えさせていくのです。微生物のすごい力を考えさせる授業にもなります。

 日本で利用されている家畜糞用からのバイオマスエネルギーや焼酎かす利用したバイオマスエネルギーなどを映像で紹介していきます。農村がエネルギーの基地になっていく可能性を生徒たちに考えさせていくのです。

 また稲わらが利用されずに燃やされている現状がベトナムにはあります。稲わらを有効利用するため、クン炭づくりを1年のときに体験します。堆肥づくりとクン炭づくりは、汗をかきながら目にみえる形で生徒たちが成果を実感できる授業にします。堆肥づくりとクン炭によって、農業高校内の畑や庭の花壇を整備をして、学校全体を野菜や草花、果樹に覆われた農業高校にします。それらを授業のなかで位置づけします。

 

(2)地域の環境や農業・農村の矛盾の課題を調べる学習・プロジェクト学習

 

 この単元では、地域にある環境問題を自由に調べていきます。ゴミはちらばっていないか。どんなことでもいいので、生徒たちに書いてもらって、みんなで地域の環境問題を考えていくのです。

 ナムディン地方は、戦争と経済封鎖という昔の厳しい生活がありました。そのなかで、自給自足をせざるをえない状況でした。栄養も十分に取れないなかで、どうやって健康を守り、エネルギーも自分たちでまかなったのか。

 考えられたのが、VAC運動でした。ベトナムの人々にとって、苦しい思い出でもありました。その経験を現代に新しい持続な可能な循環社会の未来に向かって、新しく経済発展のなかで創造する可能性が必要です。

 家の庭に薬草を植え、池をつくり、豚や鶏を飼い、その家畜の糞用を集めて、台所のバイオマスエネルギーに利用したのです。ナムディンでは、その跡が残っています。現代的にどう考えるのか。薬草はどんな種類を植えたのか。みんなで考えてみましょう。

 これらのことが、現代に役にたつものはないか。その考えを現代に発展させて応用できることはないか。ベトナムナムディンの果樹や農作物、家畜、農産物加工品なども調べてみましょう。

 ベトナムでは、はすの実の芯が睡眠効果によいといわれて、眠れないときに、お茶などに利用されています。ベトナムの農村は、バイオマス発電、水路発電、風力発電太陽光発電など自然エネルギー利用可能性が大いにあります。

 地域の農業の発展を考えるには、ベトナムの先進地の事例を調べてみましょう。また、世界のすぐれた事例を調べてみましょう。

 ひとつの日本の事例を紹介しましょう。日本の霧島酒造は、さつまいもから焼酎をつくり、その残った焼酎粕(しょうちゅうかす)を集めて、バイオマス発電をしています。2000世帯に電力を供給できる能力を創出しています。

 そして、出来た堆肥を農家に戻しています。この会社は、日本一の焼酎工場に発展しているのです。近くの高千穂牧場は、観光農園として、発展していますが、年間150万人が訪れるほどになっていますが、エネルギーは、そこでの牛の糞用からの発電でまかなっています。霧島山麓では集落の単位で傾斜を利用しての小さな水路発電所をつくっています。

 ベトナムの農村の大いなる発展の可能性をベトナムの現実のなかからの問題発見する必要があります。生徒たちの関心からプロジェクト学習を進めていくのです。

 

農業と環境の2年生

科学的思考と農業

 

(3)空気と科学的思考

 

 農業と環境の授業では、楽しく学ぶことを継続します。2年生では、科学的な思考を重視します。

 簡単な科学の遊び体験をします。科学的な思考を出発点にします。教師は、それぞれ工夫してみましょう。次の授業の方法は、ひとつの重要な事例です。

 空気は目にみえません。ものづくりを通しての科学的思考の実験です。見えない空気は、なにもないのではありません。なにかがあります。紙飛行機をつくってみて、実際に空気の存在を考えさせてみましょう。紙飛行機をつくって飛ばす。よく飛ぶのと飛ばないことを体験させるのです。空気の動きのことを考えて精巧につくる意義を考えさせます。厚紙で筒をつくり投げてみよう。回転をもって飛んでいくとまっすぐに飛んでいくのは、なぜか。

 厚紙から竹とんぼをつくってみよう。竹とんぼが上に舞い上がってよく飛ぶのと、竹とんぼが飛ばないのとを、比較して考えてみよう。ひねりをいれないと、なぜ飛ばないのか。ひねっても竹とんぼがとばなかったのは、なぜか。よく飛んだのと飛ばなかったのを考えてみよう。さらに、竹トンボをストローにさして、ビーズを入れて回転させてみよう。ここでは、生徒たちに空気とエネルギー関係を考えさせるのです。

 人々が生きて行くには、エネルギーは大切な要素です。自然にあるエネルギーを人間は上手に使ってきました。水車や風車が、その例です。火を使ってきたのも熱エネルギーとして欠かせないものでした。

 現代は、自然から多くのエネルギーを人間はもらっています。農産物も太陽のエネルギーの吸収からです。空気の回転から電気を生み出すこともできます。それは、風力発電です。

 風の力によって、プロペラを回転させて、そのエネルギーを発動機に伝えて電気をつくるのです。発電のしくみを考えてみよう。回転させてエネルギーをつくり、電気をつくることをいろいろと実験してみよう。手でまわすこと、自転車、水の力で、それぞれ身近な方法で実験してみよう。

 人間は息をすって生きています。その息で重要なのは、酸素です。そして、必要でない炭酸ガスをはき出すのです。人間は酸素をすってブドウ糖を燃やしてエネルギーをつくるのです。ブドウ糖は食べ物からつくられます。人間の体が動くには、いろいろの栄養素が必要になります。毎日の活動のエネルギーにとって大切なのは、ブドウ糖です。

 

(4)農業と気象

 

 気象などの自然条件は、農業にとって重要な要素です。熱帯と温帯なでは、農産物も異なります。ベトナムではマンゴーやバナナは自然状態でできます。日本では自然状態では難しい。沖縄などの暖かい一部の地域を除き、寒くてつくれません。太陽のエネルギーはすばらしいものがあります。ベトナムは気候的に恵まれています。

 雨の多い地域、雨の少ない地域、水が流れている地域と、水と農業は密接な関係で、大切です。雨はどうして降るのでしょうか。雨の降らない地域はどうしてなのでしょうか。晴れた日、曇った日、雨の日と、天気は、変わっていきます。なぜ天気は変わっていくのでしょうか。

 ところで、雲はなんでしょうか。雲はどうしてできるのでしょうか。雨も激しく降るときと、少ししかふらないときがあります。なぜでしょうか。台風のときは、どうして雨が強くふるのでしょうか。天気予報で、気圧のことがでてきますが、それは、どういうことなのでしょうか。大雨がふれば水害も危険になります。

 自然状態ではなく、人工的に農業をするのをどう考えますか。日本でマンゴーを育てるには、ビニールハウスで囲み、灯油などで暖房を利用します。このようなことをどう思いますか。世界が地球温暖化で悩んでいるときに、自然条件に反して、灯油を使って熱帯農業をやっているのです。

 日本人がマンゴーを食べたければ、日本で作らなくて、ベトナムで日本人の口にあったマンゴーをつくればよいと思いますが、みなさんはどう考えますか。

 地球にやさしい農業を世界中でするためには、それぞれの自然状態に適した農業の振興をすれば世界の気候温暖化防止に貢献します。

 熱帯の森林も大規模な伐採がされて、地球環境を破壊しているのです。それぞれの国の地域で木材を調達すればよいのですが、熱帯の木材は安く購入できるということです。日本では、昔から植林してきた杉やヒノキが管理されずに、荒れている状況です。ベトナムの木材や建築材はどうなっているのでしょうか。

 日本では植林をして、それを大切にして、自然を守って、水害などの災害を防止することが弱くなっています。

 今の世界的規模で起きている地球温暖化、異常気象に真剣に目をむけながら、農業や林業のことを考える時期です。ベトナムは、竹の国です。さまざま熱帯果樹もあります。それを工業的な原料に利用することも可能と思います。林業や果樹が発展して、農業が栄え、また、沿岸のプランクトンが繁殖して、漁業も発展していくという自然循環の地域循環経済が可能な国です。

 工業も地域の農産物の発展からの工業の原料という発想が必要なのです。現在の科学技術の発展は、それが可能な時代です。石油ではなく、鉱物資源に依存するのではなく、農産物や林業から工業原料をつくりだす、セルロースナノテク技術や自然エネルギーが確立されていく時代です。

 生徒たちに考えさせるには、難しい課題だと思いますので、映像などを使ってわかりやすく問題提起することが求められています。また、日常的な天気との関係、水害や台風との関係などと結びつけて、気象と農業を考えさせる工夫が必要です。

 

(5)水と農業 

 

 農業は水がなければできません。水やりは重要な農業の仕事です。作物の生育の状態から水のやり方が違います。温度と湿度によっても農産物の成長も違います。水を多くやりすぎると根が枯れます。水やりの時間も大切です。日中ではなく、午前中と夕方です。なぜか。水と農業について、生徒たちに考えさせましょう。

 また、水をかけるやりかたも、頭上かん水、枕元かん水、うねかん水があります。植物の生長と水のやり方との関係は大切なことです。自然の状態から人間が植物を育てるには、いろいろと気をつかう必要があるのです。水は植物や動物の命の源なのです。人間にとって、水を大切にすることは極めて大切なのです。

 地球上では、水が豊富な地域は限定されています。水を貯めておくには、森林、湖、ため池などがあります。森林を伐採すれば水を貯める機能もなくなり、気候も変わって行きます。また、人々は水をめぐる権利や争いがありました。水は気候の問題や地形と深く関わっているのです。

 ベトナムではどうでしょうか。水はいいことばかりでなく、大雨が降れば水害が起きるのです。ベトナムの歴史は水との戦いです。紅川デルタは、現在は、堤防や用水路が整備されています。このための管理は大変なことです。水の管理が地域でどのようにされているのか。そして、水をめぐっての人々のつながりはどうであるのかを調べてみましょう。

 

(6)農業と種子について

 

 農業にとって、種子は出発点です。この問題を深く実感をもって考えていくうえで、種子の遊びをとおして、様々な種子の多様な性質について考えさせることは大切です。それには、生徒たちが楽しみ、不思議に思いながら理解していくことが必要です。

 種子は単純に地上に落ちて、発芽するということではありません。風に乗って遠くに飛んでいくものと、動物の体にくっついて移動していくものと、果実が鳥の餌になって、食べられてフンからでていくものと様々です。

 発芽(芽を出す)には、水、温度、酸素が必要です。水をやりすぎると酸素が不足して、発芽が悪くなります。光があたると発芽しやすい種子(好光性・こうこうせい種子)と反対に、光があたると発芽しにくい種子(嫌光性・けんこうせい)があります。

  好光性種子は、ニンジン、レタスなど。反対に嫌光性種子は、ダイコン、トマト、スイカなどです。明発芽種子は、土をかける(覆土・ふくど)のときに多すぎると発芽が悪くなります。薄く土をかける必要があります。種まきは、一カ所に数粒まく方法のてんまき(ダイコン)、うねに一列にまくすじまき方法(ニンジン)、うね全体にばらまく方法(たまねぎ)などがあります。種子によって種のまき方を異なってくるのです。

 直接に畑に種子をまいた直(じか)栽培では、間引きをします。生育不良、徒長、葉の奇形、虫食いなどの苗をぬいて、間隔を適切にします。

 畑とは別のところに種をまいて、苗(なえ)を育てる方法を育苗(いくびょう)といいます。苗を育てる場所を苗床(なえとこ)といいます。育苗には、トマト、キュウリの果菜類、キャベツ、レタスなどの葉菜類などで行われます。

 畑に苗を植えることを定植(ていしょく)といいます。植え付けの間隔、受付の時期が大切になってきます。直接に畑に種子をまかずに、育苗の利点はどこにあるのでしょうか。考えてみましょう。

 種子は、寿命があります。種類によって短いもの、長いものがあります。種子の保存は低温と乾燥条件です。保存状態が悪いと種子の寿命は短くなります。

 最近は加工した種子がたくさんあります。また、遺伝子組み換えの種子もあります。加工処理した種子がわかることは大切なことです。

 

(7)農業と土壌環境

 

 日本の水田のあぜにはヒガンバナという球根を植えて、花を咲かせます。なぜか。ベトナムの水田には畦に花を植えない。ここには、水田の秘密があるのです。生徒たちは、ベトナムの水田が粘土質であることを理解させることが求められます。土の構造の理解です。土も地域によって性質が異なるのです。粘土の割合で、土の性質を5つに区分しています。

 土がどれほど肥料分を維持できる能力があるのか。(保肥力)と水はけの関係を5段階に分けています。水はけと保肥力は逆の関係です。ベトナムのナムディンでは粘土質で肥料持ちはよいが水はけが悪いという関係です。

 これには、水田稲作に適した土地ということです。畑作にはむかない土地で、畑作をする場合には土を改良しなければなりません。

 土の性質という土性判定は、土を手で握って判定できます。握っても固まらない土は、砂土(さど)か砂壌土(さじょうど)です。すこし固まるがひびが入る土は、壌土(じょうど)か埴壌土(しょくじょうど)です。握って固まっている土は、埴土(しょくど)です。肥料のもちがよいこと(肥力・ひりょく)と水はけと両方よいのが壌土(じょうど)です。

 それぞれの地域の地形によって、土壌は異なります。日本の畑の多くは、黒ボク土といって、火山灰と腐植(ふしょく)を含んだ土です。日本の水田は、灰色低地土という排水のよい土層です。ベトナムとは大きく異なるのです。

 作物の生育に適した土壌は、土が団粒(だんりゅう)構造になっていることです。土づくりということで、堆肥や有機物を土の中にいれて、土壌にすきまをつくり、保水力、通気性、肥料養分を土に吸着させるようにするのです。

 単粒(たんりゅう)構造のかたい土は、通気性、透水性が悪く、作物がよく育ちません。土を掘り返すのは、土に空気を入れて、土をやわらかい状態にするためです。

 土には酸性からアルカリ性という性質をもっています。植物によって、酸性の度合いによって、異なってきます。土の酸度を表すPHを測定することによって、土の酸度を変えて、それぞれの作物の生育に適した土壌改良を行うのです。

 また、作物は同じ畑に同じ種類のものを続けて植えると連作障害が起こります。これは、同じ作物を植えると病害虫が発生しやすいのです。いわゆる連作障害(れんさくしょうがい)です。このため、輪作(りんさく)ということで、違う種類の作物を周期的に栽培するのです。

 作物の生長に、肥料は必ず必要です。基本的な肥料は、窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)です。また、その他にたくさんの少ない量ですが、肥料が必要なのです。自然界には、これらの肥料要素をもっています。化学肥料は人工的に肥料をあたえることです。

 作物は茎、葉、根、花・生殖器官、頂芽(ちょうが)・側芽(そくが)があります。作物は光合成(こうごうせい)によって成長していきます。光がつよいほど光合成はさかんです。光合成によって炭水化物を合成します。葉は光合成の働きを活発にします。そこでは、酸素を出し、二酸化炭素を吸収します。

 そして、水分を蒸散(じょうさん)します。また、夜は呼吸が活発に、昼間つくった二酸化炭素を消費させます。養分や水分は、根から吸収するのです。この吸収の良さは、土の構造や土のなかのミミズなどの小動物、微生物の働きによっても異なってくるのです。

 生徒たちとナムディンの水田や畑地を歩いて、どのような土の性質なのかを確認して、花農家など畑作をしている農家の水はけの苦労や土壌改良の話を聞いてみよう。

 

(8)竹の生命力。

 

 食糧としてのタケノコ。竹製品づくり。竹のもっている自然循環の力を生徒たちに理解させるには、どのような方法がいいのか。ナムディンには、有名な竹製品加工の村があります。その村を紹介しながら竹の製品のもっている多様性について生徒たちに理解させていく。未来産業としてのプラスチックにかわる竹製品の可能性があります。タケノコ料理は多様です。たけのこのつけものなどもあります。

 

 

(9)昆虫・ミミズなどの小動物と有機農業

 

 日本の有機農業ではミミズは大活躍します。ミミズの活動で土のなかに空気を入れて、フンによって、微生物が繁殖して、土の有機質を増やしていくのです。微生物のなかには、農産物の成長にとって有益な根粒菌などがいます。空気中の窒素を作物が利用しやすいように根のまわりにたくさんつくのです。

 もぐらは田んぼの土手をくずすので、もぐらのきらいな彼岸花(ひがんばな)を植えるのです。小さな野ねずみもいたずらをします。ベトナムではどうですか。ミミズの繁殖を大切にする農業のやり方はあるのですか。また、どんなミミズがいるのですか。

 1年生のときに堆肥づくりをしましたが、食堂の残飯を有効に利用する堆肥づくりもあらたな挑戦です。微生物を有効に活躍できるためにミミズを使うのもひとつの方法です。

 小動物・昆虫・クモとダニには農業にとって有害な昆虫と有益なものがいます。有害というのは人間がかってに考えたものです。農業という人間の営みから、害虫という言葉を使います。自然界では有益に循環しているのです。植物を食べて生きているチョウやガの幼虫、バッタ、アブラムシ、カメムシは害虫になりますが、ハチやトンボ、カマキリ、テントウムシ、クモなどは肉食で害虫を食べます。まさに、害虫の天敵で、益虫になるのです。殺虫剤は、害虫も益虫も殺します。益虫を有効に使う生物農薬の工夫もされる時代です。

 作物には病気が発生します。菌類や細菌の微生物のいたずらです。さらに、小さな病原体であるウイルスが病気の原因になることがあります。病気の発生を防ぐには、作物が丈夫に育つようにする条件が必要です。病気に対して抵抗力をもたせるために、弱々しくそだっているのを処分したり、風通しをよくしたり、適正な養分をあたえたり、することなど。

 

農業と環境3 科学と応用

 

 (10)微生物と農業

 

 農業の環境ということから、未来への日本の社会のあり方を模索していくうえで、微生物とセルロースナノテクという視野から持続可能な地域循環経済を展望して、農業の積極的な科学の応用を展開していくことが求められています。農業からの人間生活と微生物について、基本的なことを理解して、微生物の種類と特徴を明らかにしていくのです。

 微生物の代謝酵素ということで、酵素の特性を明らかにして、好気的代謝ということでの発酵などを問題にしていく。

 ここで、微生物の観察を取り扱い、かびの分離と培養、酵母の分離と培養、細菌の分離と培養などを観察していきます。そして、微生物利用の発展を考えます。微生物の利用としての検査の実践もしてみます。

 

(11)農業からの工業化と持続可能地域循環経済

 

 セルロースナノテクという科学技術の発展によって、植物の繊維質をナノテク技術によって、新たな工業素材として注目される時代です。また、重金属や水質汚濁、粉塵、空調設備など人間の暮らしの環境としてのフイルター技術は大きな社会的課題となっています。

 このフイルターに天然繊維が積極的に利用されるような研究も進んでいます。今まで大量に捨てられていたバナナの葉やヤシがフイルターとして利用される時代がくるというのです。

 さらに、木材や竹、サトウキビなどの植物のもつ自然循環性を工業素材として利用できる時代です。石油や鉱物資源の有限性から植物の循環性から無限に循環していく素材形成が可能になっているのです。この現実を生徒たちに理解できるようにしていくには、どうしたら可能であるのか。やさしく楽しく教える科学教育の課題です。

 

さいごに

 本概要は、外国人労働者の農業の特定技能試験内容も加味して、農業と環境という科目から未来への持続可能な地域循環の経済発展をめざす科学的な基礎教育のために、考えられたものです。

 また、学年ごとのテーマ課題も授業の実践で変えられていくものです。さらに、生徒の問題関心、地域の課題に即して、授業内容変えられていくものです。決して、固定的に考えるものではありません。

 

 農産物加工と食品科学の授業概要

 

 この授業はナムディンの農産物や資源を利用して、食品製造や食品科学を学びます。授業は、「農業と環境」と結びついています。基本的な理念は、持続可能性の循環経済を目標にして、安心と安全の食生活です。食品の機能としての栄養、安全性、嗜好、健康維持・病気の予防、食品の腐敗と発酵などの微生物、衛生管理などを学びます。

 そして、農産物加工では、食品の機能を活かして、地域の特産物形成です。このためには、食品科学の基礎を学び、生徒の創造性を発揮させる教育をすることです。 

 ナムディンは、紅河デルタとして、昔から稲作が盛んな地域でした。水田稲作に適した地域です。昔から、米を利用した農産物加工がありました。フォーなど、米粉から作られた農産物加工品があります。

 植物は、花が咲き、果樹のようにおいしい実ができて、種子ができます。植物の構造は、花が咲き、種ができる部分と、葉の部分と茎の部分、根の部分と大きく分かれます。葉は、太陽の光によるエネルギーをつくるところです。この働きを光合成(こうごうせい)と言います。

 そこでは、デンプンなどの養分をつくります。このデンプンはどこにたくわえられるのでしょうか。茎は、養分と水をとおして、根は土壌の栄養分や水を吸収するのです。この植物の働きの基本を生徒に理解してもらいながら農産物加工を考えて行きます。

 人間は植物のどの部分を加工して食べるのでしょうか。それぞれ農産物によって、違いがあります。また、人間は、暮らしに植物をどのように利用するのでしょうか。絹のように、桑を育て、葉を幼虫に食べさせて繭(まゆ)をとり、衣類の材料に使います。昔から、絹は高級品でした。非常に高く売れたのです。

 お米は植物のどの部分でしょうか。はすはどの部分を食べるのでしょうか。さつまいもはどの部分を食べるのでしょうか。

 米粉を利用したパンづくりがナムディン農業高校では1年生からはじめます。また、お菓子やケーキづくりもします。食品加工の楽しさをまずは自らの体験を通して感じてもらいます。

 ナムディン地方では大豆とピーナツをつくっていますが、それを利用してのピーナツ豆腐づくりもひとつの挑戦です。学校として、地域の特産物づくりという考えから、高く売れる加工品をどうつくりあげていくのかを工夫します。ナムディンには、たくさんの農産物や自然の植物の宝があります。

 ところで、ナムディン地方は、昔から農村の手工業がありました。農家は、農産物をつくることと手工業を兼ねていたのです。そのひとつの例として、絹の生産がありました。養蚕業から生糸生産、絹織物です。

 さらに、竹細工、鋳造加工、木工品などがありました。そして、食品加工は、ピーナツのお菓子、つけもの、ヌクマムの調味料がありました。海岸近くでは、栄養分のある塩をつくりの塩田がありました。

 現代に、これらの伝統的な農村工業をどう発展させていくかは大きな課題です。食品・農産物の加工は、農村の工業で大きな役割を果たします。

 農村の工業は、経済の発展にいかに貢献するのでしょうか。現代は、自給自足の生活ではなく、貨幣経済のなかで、現金収入を得て、所得向上が求められるのです。食品加工の授業展開には、ビジネスの考えが大切です。どのようにしたら売れるのか、何が売れるのかなどの調査も大切です。消費者の意識を知ることも必要です。また、デザインや美的なセンスも、求められます。

 

1年生の課題 

(1)地域の実情を知り、課題を考えて、農産物加工に挑戦してみよう。

 

 1年生の授業は、まずナムディン地方の農産物加工の現実をみることです。このために、まずは、調査をすることです。そして、農家の収入向上を考えることです。また、健康や安心と安全な生活のために、どのようにしたらよいのかを考えることです。

 この考えから農産物の加工に挑戦してみることです。自分自身でおいしい米粉パンやケーキ、ピーナツバター、ピーナツ豆腐などの農産物加工をつくって、その楽しさを体験することからはじめることです。農産物加工の仕事をすることは楽しみややりがいがあります。

 農産物加工の地域調査と自分たち自身で地域を豊かにするために未来への問題探求の意識を深める学習をしていきます。ナムディン地方における農産物加工の問題はどこにあるのか。どうやったらよいのかということから生徒が調査して、生徒自身が問題を発見することです。

 

(2)米粉パンづくりの挑戦

 ナムディンでは、多くの農家が稲作生産をしている現実から、農産物加工にとって、米粉を利用する加工品は大きな意味をもっています。フォーなどがすでにありますが、米粉パンは、新たな地域の挑戦です。まずは、小麦粉からのパンづくりを学びます。

 

(3)お菓子づくりとケーキづくりの挑戦

 生徒たちは街でお菓子やケーキを食べるのを楽しみにしていると思います。そのおいしいお菓子やケーキを自分たちでつくるということは、楽しみがより大きくなっていくのです。

 そして、どうしたらおいしくなるのか。みんなに喜ばれるお菓子やケーキをつくることができるのか。さらに、お店で売るには、大きな挑戦が必要です。

 

2年生の授業 

農産物加工品を売ってみて、新しく科学的知識をもっての農産物加工品の挑戦

 

(3)ピーナツ豆腐づくりの挑戦と自分たちで売ってみることの実践 

ナムディンではピーナツのお菓子作りが特産品として、つくられています。さらに、豆腐づくりにピーナツを入れての特産づくりはどうなのか。生徒たちが地域の農産物からの加工を積極的に行って、高く売れる農産物にするには、工夫や加工が必要なのです。これには、農業ビジネスの感覚を身につけていくことも大きな目標です。

 

(4)スーパーに行って、食品加工のどんなものが売っているのか調べてみよう。

 ナムディンの農産物加工食品とベトナムでの食品加工品、外国からの食品加工食品などを書き出して、ナムディン地方やベトナムでの自給的な食品加工を調べてみよう。

 どうしたら、自給の食品加工が高めていくことができるのか。みんなで考えてみよう。ベトナムにない農産物がスーパーなどで売っているのはどうしてなのか。

 有機農業の野菜が高くても売れるのはどうしてか。日本のリンゴやお米などがスーパーにおいてあるのはどうしてなのか。

 

(5)地域の果樹などを利用してのジャムの製造                                   

 ベトナムには豊富な果物がたくさんあります。ジュースにしたり、ジャムにしたりする食品加工の役割が大いに期待されるのです。果物を食品加工することによって、付加価値をつけて、生もの果物を長持ちし、販路も拡大することができるのです。ここでもどうしたら消費者に喜ばれるジュースやジャムをつくることができるのかということです。

 

(6)発酵食品の挑戦

 ベトナムでは、どんな発酵食品があるのか。代表的には、ヌクマムがあります。ヌクマムは魚醤です。このつくる過程もベトナムの伝統的な調味料ですので、じっくりと見学をして発酵のことをヌクマムから学んでほしいと思います。

 米焼酎の製造過程も発酵が大切な役割をしています。ベトナムでの焼酎の銘柄づくりもこれから大きな課題になっていくのです。現在は、それぞれのコミュニティティの範囲で焼酎がつくられています。

 しかし、まだ銘柄としての全国的な確立がされていません。ベトナムの酒造として、世界に売り込んでいくことは嗜好品として大切なことです。それぞれの集落段階の地域ごとにつけものがあると思います。これも発酵食品です。

 世界の各地に発酵食品があります。それぞれの国ごとに独自の文化をもった発酵食品を生み出しているのです。

 

(7)発酵食品の原理を知って、発酵食品づくりの挑戦

 

 発酵食品は、人類が考え出した微生物によるうま味の秘密です。発酵食品は、それぞれの地域風土の文化です。発酵食品は、食料の保存から生まれた食品の技術なのです。それぞれの地域の気候や土地条件に大きく左右された食の文化です。それは、微生物をたくみに利用して、発酵と腐敗を区別したのです。

 発酵食品は、人々の栄養素を高めたのです。また、発酵によって、うま味を高めたのです。人々の食生活にとって、発酵食品はなくてはならないものです。食糧の保存方法として、最初にこころみたのは乾燥です。干して乾燥させる方法と、いぶして燻製状態で保存する方法とが原始古代から行ってきたのです。そして、発酵の食品加工が生まれて行きます。腐敗過程のなかで人々は、体験的に発酵の方法を得ていったのです。

 塩分によって食品を保存する方法があります。塩づけにする方法です。微生物の繁殖をおさえるために塩分を利用するのです。魚介類の塩づけ、ハムやソーセージなどの加工方法もあります。

 壺に糠入れて野菜を保存して、通気性を制限して、乳酸菌を繁殖させて、pHを低下させ、酸性の力で雑菌を死滅させる方法です。発酵食品では乳酸菌が大きな役割を果たすのです。ヨーグルトがその典型です。

 炭水化物の糖分は、微生物に分解されると、乳酸や酢酸などの有機酸を生成して、pHが低下するのです。タンパク質の成分は、微生物の分解によって、pHが上昇して、腐敗菌や病原菌が繁殖します。猛烈にくさくなるのは、pHの上昇からです。乳酸菌を繁殖させて、pHを4程度の酸性にすることが長期保存のコツになるのです。

 また、発酵によって、タンパク質を分解させてアミノ酸を遊離することによって、うま味がでるのも重要なことです。味の素になっているグルタミン酸もそのひとつであります。

 肉を食べなくても豆を食べれば貴重なタンパク質を得ることができて、栄養失調にならないことを人類は知ったのです。大豆は貴重なタンパク質を食糧ですが、生で食べると消化不良になります。豆腐や納豆などの工夫をして食べるようになったのです。最近は、大豆をハンバークのようにして、肉とかわらいようにする食品加工が生まれています。

 

(8)食品の機能としての栄養、嗜好、健康維持、病気との関係、

 

 食べることは人間の生命維持機能にとって基本的に必要なことです。栄養は健康にとって大切です。生活習慣予防も食生活からです。健康維持から食品のもつ栄養要素が重要なのです。病気になれば、食生活に大いに気を使うようになります。

 さらに、食べることは、嗜好と関係もち、楽しみのひとつです。そこでは、人間の絆が生まれて、文化的充実がうまれていくものです。

 

3年生 

(9)農産物加工と食品科学

 

 3年生は食品・農産物加工の科学から、それを応用することを学んで行きます。ここでは、発酵食品である酢やヌクマムなどの微生物の力による発酵商品を考えて、実際に応用してみることです。また、食品は腐敗しますし、そのために保存方法は大切な課題になります。

 

(10)微生物と発酵食品の科学

 

 微生物は好気性菌と嫌気性菌とに分かれます。食酢、味噌、醤油などの微生物は好気性菌です。酸素を用いての反応は、エネルギー効率が高く、生育が旺盛で反応熱によって温度が上昇します。有機物が完全に分解されて、二酸化炭素と水に無機物に交換されるのです。

 一方で、 酸素がなくても生育できる微生物は嫌気性菌とよばれます。乳酸菌やアルコール発酵は嫌気性菌です。この発酵する微生物は通性嫌気性菌です。嫌気性菌の反応は、エネルギー効率が悪いため、さまざまな有機物が残留して、蓄積するのです。自然界の水底や土壌中は酸素が使い果たされて、嫌気的環境となるのです。そして、嫌気的な発酵に切り替えるのです。

 堆肥は微生物を繁殖させてつくられる肥料です。多様な微生物が働き、変化しながら堆肥となるのです。堆肥は主として好気性菌を働かせるために、通気が大切です。60度近くなる発酵の熱によって、ウイルス、害虫の卵、雑草の種などの有害な生物は死滅するのです。

 堆肥には、カリウムやリン酸などのミネラルが含み、難分解性の腐植質によって土壌改良になるのです。不適切な材料を混入すると、通気性が悪くなり、悪臭を放つようになるのです。

 

(11)食品の腐敗と保存

 

 果物、野菜、鮮魚、精肉などの生鮮食品は、腐敗しやすく、品質の劣化が早いのが特徴です。このために、貯蔵が難しい状況で、様々な工夫がされてきたのです。食品にとっての衛生管理が重要なのです。食中毒の発生を防止していくことが常に求められて、その保存の方法も大切なのです。これらの問題を科学的に学ぶことが求められるのです。

 人類は古代から燻製や干して乾燥させる方法で生鮮食品の保存がとられてきました。近代になって、缶詰の発達によって、生鮮を活かした保存方法が可能になったのです。そして、近年では冷凍野菜の技術で収穫したものを瞬時にカット加工保存して、新鮮のまま輸送することが可能になりました。これらの科学的基礎を学ぶことも大切な課題です。

 

(12)食品化学       

    

 食品の化学的反応を対象にする学問で、肉、レタス、牛乳、ビール、野菜などの食物における炭水化物、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラル、酵素などの成分に、食品添加物、香料、着色料を加えて、食品加工技術を用いて製品を変化させるための学問です。食品添加物や着色料は、人工的に食品を変化させることで、人体の影響でも大きな関係をもつものです。

 

(13) 食品・農産物加工だけではなく、農業と環境も含め、それぞれでグループをつくって卒業のための課題研究をしてみよう

 

 

 

 

農業教育の歴史から現代的に学ぶことは何か

  農業教育の歴史から現代的に学ぶことは何か

           神田嘉延

はじめに

 日本の近代化の農業教育はどうであったのか。地域の振興にどのような役割を果たしたのか。

 日本の近代化は、生糸、絹織物が輸出産業として大きな位置を占めました。それらは、農家の優れたすぐれた養蚕があってこそ可能であった。生糸も農家から供給あれた女子労働者が、高級な生糸を作り上げたのである。絹織物業も同様であった。日本の急速な経済発展は、輸出産業としての生糸や絹織物が大きく貢献したのである。地方の様々な地場産業の発展も農産物を基盤に展開した。ここでは、日本の地域での実業教育において、農業教育が大きな役割を果たしてきたことを見落としてならない。
 ところが、日本の重化学工業の発展は、農村からの労働力提供という意味をもったが、農業教育とは直接に関係をもっていなかった。

 しかし、農村における小学校などの国民教育の勤勉的な人格形成や集団性という側面から意味をもっていた。戦後は、農村からの労働力流出が急速に進み、地域での農業教育は大きく後退していく。
 農業後継者教育としての農業教育も大きく限界になってきた。今日、狭い農業後継者教育という視点のみではなく、持続可能性の社会、地域循環経済、脱炭素、脱プラスチックということから考える時期になっている。

 つまり、新しい経済社会の形成という視点から農業教育が注目をもつ必要がある。資源を略奪していく工業原料、有限の鉱物資源から無限に再生産される農業林業があらためて未来産業として注目されるのである。
 これは、セルロースナノテクにみられるように、科学技術の著しい発展の結果である。このような、新しい時代状況を踏まえて、近代化における農業教育は一体、どうであったのか。この評価を現代的な課題の視点からみつめることに本稿の試みるである。

 

 1,明治の近代化における農業教育

  明治初期の政府が進めた農業教育施策は,近代的な欧米農法の導入を積極的に行うために農学校を設立した。当初は、国家的な農業施策のリーダーを養成することが目的であった。

 つまり,上から欧米農法を農民に浸透させようとしたことである。そして,それは士族授産としての開墾政策であった。欧米の大農具による耕作奨励,輸入の農作物・種苗の奨励など農業技術の開発施策である。

 国家の農業施策のリーダー養成の駒場農学校,札幌農学校は士族の子弟が数多く入学しており,ここでは外国人を雇用しての学校運営であった。
 勧農政策の積極的な府県は,農業試験研究機関や農学校をもっていた。実業教育に関する最初の法令として、明治16年に「農学校通則」の交付であった。この農学校は、文部行政の権限の中でつくられたのである。ここでは、実際の農業をめざすたための農学校として、第一種の2年制と農業指導者をめざす第2種農学校に分かれた。このときの農業学校で最も創立が早かったのは新潟県である。
 農学校は、明治16年の頃に石川,岐阜,広島,福島,福岡,鳥取,山梨にもあった。それらは2年間から3年間の修業年限であり、旧制の中等学校卒を対象したものである。

 その目的は、府県の農業指導者を養成するものであった。在籍数も多いところで、石川の43名である。山梨は15名にすぎなかった。実際には、農事講習所などの農学校通則に準拠しない機関が主流を占めて、農学校通則は明治19年に廃止されるのである。文部行政の農学校は挫折するのである。
 農務省は、明治18年に「農事巡回教師」の制度をつくり、駒場農学校の卒業生や老農を巡回教師として採用した。

 この農事巡回教師の教育事業は直接的に農民に対して農商務省の行政が体系的に農事指導を行った最初のものである。この制度は科学的農業知識を担当する甲部巡回教師と経験的農法をもった老農による乙部巡回教師に役割を分担させての農業改良教育であった。

 この制度も明治26年の国立農業試験所の設立によって廃止されている。農事巡回教師の制度も8年間で挫折するのである。
 欧米農法では日本の農業生産構造に通用しないということを悟ったのである。農学校の卒業生達は,在来の農法を出発にして農業改良を進めていこうとする。この動きが活発になっていった。この中で「老農」といわれた在村の農業指導者の人々が評価されたのである。明治10年頃から明治23年頃まで老農による農業改良が勧農施策として進められていくのである。

 農談会,農事会と呼ばれて各地で農業講習・農民の研修会がもたれていくのであった。老農の活躍は農学校で学んだ欧米農学と現実の日本の条件にあった農業改良が大きく遊離していることを明らかにしていった。

 ここには、日本の自然的条件と家族的農業経営という地主制のもとでの小農ということでの西洋式の大農経営や生産力主義の科学的農法との関係の矛盾があった。

 そして、陰陽説等の自然循環的な見方や、在来の合理主義的な経験農法を取り入れていった老農と農学校で学んだ自然科学的な科学的農法との関係が大きな課題となったのである。
  明治27年に文部省管轄の簡易農学校が発足している。これは農商務省系統で行われてきた農事講習所をより組織的に実施するために、文部省の学校組織系統に編成したものである。簡易農学校は開設時期を地域の状況によって自由にでき,巡回教師の方法の継承にもなるのである。入学資格は年齢14才以上ということで学歴の制限は全くなかった。ところで明治32年の実業学校令の発布によって簡易農学校は廃止され,新たに制度化した農業学校に編成されていく。
 実業学校令による農業学校は14才以上の高等小学校卒を対象にしての3年制から4年制の甲種農学校, 2年以内の予科・補習科と12才以上尋常小学校対象とする年齢制限3年以内の乙種農学校になり、簡易な形態をとる別科という形態で出発した。
 実業学校令によって中等教育としての農学校が急速に整備されていく。農村の指導者養成としての要求から簡易農学校のときより,一般教養や農民文化の精神領域が充実していくのである。ここに農業の技術の専門知識・実習の面と一般教養としての普通教育の統一が問題になっていくのであった。
   ところで、 府県の農業試験所は明治32年の農業試験所の国庫補助法により全国に作られていった。その補助法が出来る前は農業試験所があったのはわずか13府県にすぎなかった。農業試験所の設立は農業巡回教師の活動を継承する役割があり,研究的試験よりも応用的なものが重点なのであった。
  高等小学校での農業科の付設は明治33年の小学校令改正のなかにも規定されているが,そこでの農業科目の位置は農学の知識を修得させることばかりでなく,勤勉の心を養うことが出来ることを強調している。
 小学校令施行規則13条にはそのことが次のように述べられている。「農業ハ農業二関スル普通ノ知識ヲ得シメ農業ノ趣味ヲ長シ勤勉利用ノ心ヲ養フヲ以テ要旨トス」。明治40年の小学校令改正により尋常小学校が2年延期され6年制になることによって,高等小学校の農業,商業,工業の付設が重要視された。高等小学校に職業の付設かより一層に職業教育への国民教育としての位置づけが促進されていく。
 高等小学校の農業科は毎週授業数2時間と規定されていく。そして,小学校においての農業実習地を借入地でも可とするようになる。

 さらに,明治44年の小学校改正令により高等小学校の実業科は必修となるのである。まさに、国民教育としての職業教育があたりまえのように行われていくのである。
  ところで、小学校に付設された夜間や季節的に学ぶ実業補習学校の役割も極めて重要である。実業補習学校規定の公布された翌年の明治27年井上文相は実業教育政策の一環として実業教育国庫補助法を作っている。

 この国庫補助法によって全国的規模で実業教育へ国家財政が投資されていく。公立の工業学校,農業学校,商業学校,徒弟学校および実業補習学校に対して全国で15万が国家財政より投資されるのである。各学校の負担額は設立者の2分の1以下として文部大臣の必要と認めた学校に交付されたものであった。
 農業学校,工業学校,商業学校等の実業学校が増大していくのは実業教育費国庫補助法と並んで明治32年の実業学校令であった。とくに,農業学校の増大は著しく,明治27年9校であったのが明治33年に56校,明治41年尋常小学校6年制の実施のときは実に180校に膨れ上がっている。明治27年から明治41年までの農業学校以下の実業学校の増大をみれば,工業学校は7校から31校,商業学校は9校から71校となっている。このことからわかるとおり他の実業学校に比較して農業学校の増大が明らかである。
 ところで,実業補習学校においては農業補習学校の増大は他の実業補習学校に比して極端な伸びをみせている。農業補習学校は明治27年26校であったが明治41年には4,185校と急激に増大していくのである。これに対して工業補習学校は9校から252校,商業補習学校は20校から215校である。明治41年では農業補習学校が実業補習学校全体の中で学校数で88%,生徒数で83%の高率を占めるようになったのである。
 農業補習学校の普及を考えていくうえで従前にあった青年の自主的な夜学校の存在を無視することはできない。つまり,青年の夜学校から実業補習学校の転換がみられたところが少なくないのである。
   明治初期の欧米式農法による農業改良政策は,日本農業には適応せず,在来農法の再評価により農談会の講師として,農村巡回教師をして老農が活躍していく中で進められていく。

 老農の活躍時代は,明治10年頃から明治20年頃であった。そこでの農業改良は,品種改良,施肥中心の多肥多労働型農法の延長による農業生産力の増大策であった。例えば,馬耕式の産米改良運動もその一つであり,地主的要求に基づくものである。
 駒場農学校で欧米の近代農学を学んだが、それは日本の稲作や養蚕に、ほとんど役に立たなかった。「農学興って農業亡ぶ」という有名な文句をのべた横井時敬は、科学的な農法ということで、塩水選種法をあみだした。

 明治15年に福岡農業試験所に赴任したが、そこで、科学的農法と地域での老農による農法を結合させたのである。福岡県には、「明治三老農」の一人林遠里がいた。明治10年から20年代における在来農法の見直しの農事改良活動家がそれぞれの地域で活躍した。

 かれらが老農と言われらが、その思想は、地域の条件に即して経験的な合理性の基での在来農法と陰陽説の自然循環の見方からの農事改良であった。
 横井が林遠里の名声に対抗するための武器は、近代農学であった。地域の老農たちなどとの交流の中から、横井が生みだした技術が自然科学を応用した塩水選種法である。

 塩水選種法は、近代農学最初の成果である。それは、画期的な農民的技術であった。まさに、老農の農法と近代農学が結合しての新しい農民の技術になったのである。
  横井時敬の塩水選手法は、優良な生育できる種子を選別する選種法として、種子を一定の濃度の食塩水に入れ、浮いたものを取り除き、沈んだものを種子として採用する方法である。横井時敬は福岡県の農業試験所で7年間勤務して辞職している。横井時敬は、明治36年の実業教育に就いての講演で次のようにのべている。
 福岡県の7年間の農学校の勤務で、農学校は効能がない、無用のものであるという議論が盛んにあった。県会では、実業教育を道路工事と同じように、結果がすぐにあらわれるように速効の結果がでるとみている。

 農業は速効がすぐにでるものではなく、それを求めるべきものではない。速効を求めることは干渉主義である。廃止論が盛んにあったが、しかし、福岡県の農業試験所は、農業生産の改良発達における日本の模範になったのである。横井事件は、塩水選種法などの科学的農法の創造や農業教育の福岡での実績をもって、自信をもって、農業試験や農業教育において、速効的なことでみてはいけないことを後に講演している。
 さらに、横井時敬は、青年教育において、普通教育ばかりではなく、職業教育をしなければ国民は満足な生活が出来ず、詐欺などの悪事を働き、国民は決して満足な生活ができないことを次のように強調している。
 人間は生活していかねばならず、職業教育は子弟が身を立つ基となるので、普通教育だけでは世の中で役にたたない。普通教育だけでは食べる道をえないから常に不満足を感じ、悪いことをする。

 士族にしても普通教育を受け、徳育も高く、こころざしを大きくするが、詐欺を働くようになる。とくに、多くの無産士族に多い。高い教育を望むのは大いなる間違いである。最後の教育として必ず職業的なことがしなければ満足を得る国民になることができない。横井時敬は、農業地方は、農業教育、都会は商工業教育、貧民の如きは実業補習教育を推進をあげているのである。
 日本民族と農業ということで、横井時敬は、工業発展、工業立国ということで、いたずらに工業を盛んにして、他国に出て売らんとすることは危険な事であるという。

 経済のもとは農業である。農業が発達して、工業も商業も自然に発達していく。日本は農業に適した自然条件をもっている。気候の悪いところでは疎放なる農業をしなければならない。工業は都会で行われて発達し、農業者がやってきた小工業は段々と取り上げられていった。

 農業者の手にある工業を発見することも必要である。織物業である絣は農民の婦女の手によっている。絹織物についても同様である。農民兼工業者で、農民の収入が維持している。
 日本が近代化の道を歩みはじめたときに、普通教育ばかりではなく、青年教育にとって最も大切なこととして、職業教育の重要性を指摘している。その職業教育は、速効的なものではなく、人間として生きていくための基本的な糧をえるための人間的な技のもった知恵である。        
 地域での農業改良を積極的に展開するうえで、農会の果たした役割は大きかった。その農会を全国的に組織したのは、明治14年に結成された大日本農会である。農会は、販売農産物としての品質向上の地主的要求の農業改良運動の組織化であった。地主はこの段階において豪農的な手作地主の性格が強く,農業経営に足を踏みこんでいたのが少なくない。
 農会法は,明治24年に政府案として国会に提出されたが,この法案は流産した。明治20年代は地主層を絶対主義的天皇制の基盤へと確立していく時期でもあり,明治24年の政府案の農会法は,農会を系統化して絶対主義的天皇制に農事指導の側面からも統制しようとするものであった。それが組織化しつつある地主的要求を強くもっての農事指導の国家統制策でもある。
 明治24年の政府の農会法案は,農事試験所,信用組合とともに農事三法案として国会に提出されたものであった。農会の系統化は農商務大臣井上の第1回農学会総会(明治21年12月)での農業振興方策について諮問されている。農商務大臣井上は,大農法での農業振興論者であった。
   地主が農業改良に大きな関心を示したのは,粗悪の農産物に対することであった。それは,地主的な農産物市場での品質の向上策であり,地主の農業活動の側面からの要求である。したがって,地主の直接的な農業生産への要求が生産力発展の側面以上に商業的活動からの要求が前面に出ているのである。
 明治23年(1890年)小学校令で徒弟学校と実業補習学校が小学校の種類として規定される。1899年(明治32年)、 実業学校令が公布され、「工業・農業・商業等の実業に従事する者に対して必要な教育を施す機関」が生まれる。中学校に準じる実業学校が生まれたのである。国民教育に必要な教育と職業教育の二本柱のカリキュラムができる。この考え方は、その後の日本の職業教育の基本として継承されていく。
 大正期に入り、日本の教育を抜本的改正していこうとする。臨時教育会議が設置された。臨時教育会議は、1917年(大正6年)に基づき内閣に設置された教育に関する重要事項を調査審議する諮問機関である。

 1919年3月の第30回総会をもって終了した。1.小学校 2. 男子高等普通教育 3.大学教育及び専門教育 4.師範教育 5.視学制度 6.女子教育 7.実業教育 8.通俗教育 9.学位制度 の諮問を受けた九つの課題について答申した。
 実業教育の現制度は概ね現状のままでよいこととしたが、国庫補助の増額になった。徳育などを重視して人格の陶冶に務めるということで、公民教育が重視されていくのである。実業学校と実業界との連絡協力を密にする方策だだされた。

 実業補習教育は、すべての青年に義務教育とするよう努力して、実業補習学校の特に程度の高いものは制度上別に認め、その職員の待遇についても小学校教員の兼務ではなく、独自な教員として配慮することとなった。

 この答申により、実業補習の義務教育の速やかな実施を求めたことは,各府県の教育会,農会等で大きな要求事項になっていく。専門的な職業学校として各地に充実させていくということばありではなく、青年における公民教育の重視も加えながら、地域で実業補習教育を充実させていく方向になったのである。この実業補習学校の多くは、農業補習学校として、高等小学校に付属した補習学校として各地で充実していくのである。

 

2,明治の農村振興と教育

 

 ところで、明治の用水事業においてもヨーロッパの近代的効率の工法と日本の伝統的な工法とのぶつかりがあり、事業推進に地域住民の協力が十分に行われなかったことが南九州の霧島山麓の都城における前田用水事業にみることができる。そこでは、考え方の見直しと地域の農村振興のための教育活動との結びつきによって、立て直しが行われたのである。
  明治に日本の聖農と言われた石川理紀之助は、秋田県を中心として農村の開発のための社会教育活動を熱心にした人物である。

 南九州でも、前田正名に依頼されたかれの活動は、地域の振興に大きな影響を与えた。困難をかかえた都城の山田の前田用水路開発達成に、かれの私欲を棄て、貧しい農民をいかに豊かにしていく教育は光るものがあった。

 石川理紀之助の経済14ヶ条は現代でも通じる大切な教えである。自分は動かないで他人にやらせてはいけない。自分が先頭に立って手本を示し、人を動かすこと。お金のみ頼りにする事業は破産しやすい。農家の経済は単に金持ちになることではない。

 借金で苦しんでいる貧農を地域全体の借金として考えて救済する。地域の経済力を高めることを地域みんなの協力のなかで、一人ひとりが努力する。このための地域の社会教育の大切とするのである。
 石川理紀之助は、1867年23歳のときに、耕作会をつくり、毎月の休日を定め、農事の研究をして、わらじをつくって貯蓄した。この会合は、1877年(明治10)に勧農会になり、県内の農談会に発展した。そして、郡農会の基礎となった。1872(明治5)年秋田県庁勧業課に奉職する。しかし、1883(明治16)年に県庁を辞している。それは、貧困の農家経済を救済し、発展させるために、専念するためである。
  石川理紀之助は各地の講演で、強調したことは、まずは、リーダーのあり方である。「寝て居て人を起こす事勿(なか)れ。」自分は動かないで他人にやらせてはいけない。理念を実行するには、よく調べ、工夫して、勤勉のみが安心になること。山林、原野、道路等の村居、耕地、水利、民という村徳の原簿を調べることであるとする。
 ところで、農産品評会は、勤勉の方法を保護するのが目的である。優劣を検査査定して実際に益をなすことで、賞を貪るためではない。品質のよいものをつくることが目的である。
 山林養成は、一部落の用をなすのみならず、すべての土地はその所有地に一般の用に供する義務がある。山林の養成は公私にかかわらず、適応の樹木を取り立てて公有の用にすべきとする。山を荒すものは子孫絶え、田を荒らすものは家滅ぶことになる。山林は、水源にも最も関係あるものであり、山林がくずれれば、洪水の害となるという言うのである。。
 地域の歴史の文化財は、よく調べて子孫に伝えるために部落ごとに保存することを実践した。寺社の古書散失せり、古書たとえ一片ものにてもよく保存したのである。旧蹟土地・村内古書・風景・古碑・石器、何れも後世の参考となるべきものにして保存すべきが重要であるとした。
 霧島山都城・山田における前田正名の開田のための用水事業がゆきずまったが、石川理紀之助に農民指導の援助依頼をして、その活路を開いた。石川理紀之助は7名の同志を連れて山田の谷頭に入り、そこで夜学を開き、若者たちに字を教え、農家副業の藁加工の作り方を指導するのである。

 農民たちの生産する意欲を学びによって高め、具体的に生活の糧を教えていった。そして、前田の用水事業の大切うを理解していった谷頭の人々は地域ぐるみで難しい用水の作業に協力していくのである。

 夜学会を中心とした村づくり運動によって、谷頭は急速に生活改善がされ、貯蓄も可能になった。他の村に、この運動は広がった。志和地村、野乃美谷、十万寺、庄内への出張を設けて、夜学会を開いた。これらの地域の展覧会をかつて地頭のあった市街地をもつ庄内の願心寺で行い、竹細工、木工品、わら細工を陳列したのである。また、別部屋で、夜学会員の成績としての作品の展示したのである。

 そして、適産調べの書籍、地図等、各部落の貯金表などの展示をした。各部落では、お母さんむけの料理、裁縫、身だしなみ、子育てなどの勉強会も熱心に行われたのである。
 前田用水は、坂元源兵衛の開田事業計画がなければできなかった。坂元は、西南戦争で庄内から兵をひきいて薩軍に参加し、謹慎の身であった。源兵衛は薩摩藩から開田掛かりを命じられていた。薩摩藩独特の水流し工法は、坂元家に代々伝わる土木技術であったのである。

 前田用水事業の測量班は、明治31年10月に入り、近代的な手法での測量をする。鉄道トンネル技術でシラスの土地の多い地域で多くのトンネルを取り入れての経済ルートを決めていった。土質をよく知らない技師たちは距離が長くなるから、工事費も高くなる。

 坂元は、あまりにも地形や地層を無視した計画に、工法の変更を求めた。技師たちは聞き入れなかった。ダイナマイトによって岩盤を爆破させていく。毎日数百人規模の作業員動員で行われていたのである。
 水路建設工法でも小田川を横断するところも180メートルの掛樋(かけひ)という板で水路の形をつくり、谷間に支柱を立てて水路を渡す工法であった。坂元は、そのやり方を批判する。ここは氾濫しやすい所で、掛樋は流されるから、土を盛り上げてつくるべきであると提案する。技師たちは掛布は10年もつかえるから大丈夫ということで、ここでも聞き入れなかった。
 前田正名の当初の考えは、工事は一流の技師にまかせるべきということであった。病人医者、工事は技師ということで、素人は工事に口をだすなということであった。明治33年4月にトンネル区間の貫通式が行われたが、トンネル内部が崩壊し、台風で掛樋が流され、工法の誤りが膨大な事業費になったのである。
 開田用水路建設が進み、他の村の水田のあった地域住民は、水不足の懸念があるということで、代替え用水をつくることも開田事業を進める約束になっていた。この代替え用水事業もトンネル方式ということで大きな問題となる。
 代替え方式の地域の村民は、掘割工法を望んでいた。技師たちは「近代的トンネル方式は安全」ということで説明する。ここでも住民側からは、湧水の多いところで、トンネルは崩れたら、死活問題になるというこであった。住民の要望は坂元の工法であった。坂本は、伝統的な水流し工法で詳細に計算して横割り断面を決めて、短期間で費用も安価で完成させるのである。
 これらのことから、用水の開発事業における伝統的な工法と、ヨーロッパからの近代的な工法の応用のあり方が大きく問われてたのである。

 つまり、伝統的な工法は、効率が悪いが、自然とつきあってきた蓄積の関係視点が強く、継承されてきた技術のなかに、経験的に蓄積されてきた安全性の知恵が含まれいたのである。ヨーロッパからの近代的な工法は、効率的な側面からは、科学的であるが、それぞれの地域の実情にあった自然との関係が弱かったのである。

 

 3,戦後の新制高校と農業教育

 戦後の教育改革は、戦前のエリート養成の5年制の中学校と一般大衆の高等小学校から実業教育という複線系を単一系の3年制の中学校と高校というように大きく変化させた。

 つまり、高等学校は、5年制の中学校、高等女学校、実業学校の三つを単一の三年制高等学校にしたのである。そして、高等学校設置については小学区制、男女共学制、同一の学校に普通課程と職業課程という総合制学校という原則を立てた。

 三つの原則によってどのように旧制の中学校や戦前の公民学校や実業学校を移行させるかは、非常にむずかしい問題であった。戦後の高校は、入学を希望するものを入学させる方針であった。このため、高校は、さまざまな要求をもった生徒を入学させるために、学区制をつくり、普通課程、職業課程を設けた。

 また、高校に定時制通信制なども設置して、幅広く高校教育の機会を与える措置をとったのである。このようにして、高校の生徒数の増大をはかり、後期中等教育の教育機会の均等になったのである。

 しかし、1949年に1850校になった新制高校で、普通科と職業科をもつ学校は600校、2つ以上の職業過程をもつ学校は200校であった。男女共学も63%であったことから、高校三原則は、新制高校の出発当初から難航したのである。

 1951年に産業振興法の成立で、職業高校の単独設置が奨励されて、地域総合性の新制高校原則から反対の方向になった。1962年4月からは、科学技術教育振興ということで、新制の中学校卒業生を対象に5年制の高等専門学校がつくられたのである。

 また、1961年に、技能連携制度を高校教育に取り入れて、企業内の技能養成教育を高等学校定時制の単位として認めるようになった。
 職業教育と普通教育の分離が起きていく。そして、職業教育も、職業観教育や職業の基礎的な知識、基礎的な技能というよりも、当面に労働過程のなかで必要な技能取得という実利的的な側面の職業訓練が重視されるようになっていく。
 農業科の教育目標で、1949年の学習指導要領では、農業教育の一般教育目標が定められている。将来、自ら農業を営もうとする者、あるいは、農業に関する初級技術者になるとするために、農業に関する科学的・実際的な能力養成に教育の目標を定めている。

 これらの能力形成の方法は、なすことによって学ぶ指導体系をつくることが大切として、実験・実習を重視したのである。また、学習の効果からホームプロジェクトの家庭実習を多く取り入れることが望ましいとしているのである。
 さらに、1952年では、1949年の学習指導要領に加えて、「わが国農業の改良・発展の指導力となるため」が入った。さらに、昭和31年度では、農業に関する技術的な能力を養成、環境と農業との関係、ならびに農業技術の科学的根拠を理解し、進んでこれをよりよくする能力、農業を合理的に営み、有利に経営する能力、農業の意義を自覚し、進んでこれを改良しようとする態度の養成ということになった。
 このように、農業経営をしていくうえでの技術的な能力や主体的な自ら進んで農業改良をしていく農業分野のスペシャリスト能力の養成ということで、実際的な農業の経営や技術のことに重きが置かれていくようになったのである。
 農業教育として、それぞれの科目ごとの各学年の到達すべき具体的な到達目標を持って、評価をしていくことである。4つの観点から到達目標と評価基準を策定していく。(1)関心・意欲・態度、(2)思考・判断」、(3)「技能・表現」、(4)「知識・理解」。
 
 4,現代の高校教育の矛盾と農業教育の新しい動き

 

 ところで、1994年になると高校教育の課題として、画一的教育、受験競争激化に伴う教育、不本意入学の増大など矛盾が深刻化し、その矛盾のひとつの解消施策として、総合学科の設置が行われた。

 このなかから、多様なコースや学び方が模索されるようになり、普通科と職業科の統合しての総合化、職業科の細分化・専門化ではなく、総合学科という発想が生まれていく。従前の職業高校普通高校から総合学科に変更する学校が数多く生まれた。

 農業高校でも総合学科に編成したところもみられる。農業高校を基盤にしての総合学科の新しい実践がされるようになった。ここには農業教育を狭い農業従事の進路ということではなく、幅広く、進路の選択を考えて、農業教育を実施していこうとするものである。
 2018年の高等学校学習指導要領では、職業に関する各教科においては,専門的な知識・技術の定着を図るとともに,多様な課題に対応できる課題解決能力を育成することが重要であるとしたのである。

 また、地域や産業界との連携の下,産業現場等における長期間の実習等の実践的な学習活動をより一層充実させていくことが求められるとした。
 職業学科に学んだ生徒の進路が多様であることから,大学等との接続についても重要な課題となっている。職業に関する各教科の「見方・考え方」を働かせた実践的・体験的な学習活動を通して,社会を支え産業の発展を担う職業人として必要な資質・能力を目指すという実践的・体験的学習活動から職業に関する倫理観や持続可能性などの見方や考え方ということになった。
 農業科改訂では、安定的な食料生産の必要性や農業のグローバル化への対応など農業を取り巻く社会的環境の変化を踏まえ,農業や農業関連産業を通して,地域や社会の健全で持続的な発展を担う職業人を育成するためとした。
 そして、現在の「農業経営,食品産業分野」と「バイオテクノロジー分野」を再構造化し,バイオテクノロジーを含む「農業生産や農業経営の分野」と「食品製造や食品流通の分野」を整理した。

 農業の各分野において,持続可能で多様な環境に対応した学習の充実、農業経営のグローバル化や法人化,六次産業化や企業参入等に対応した経営感覚の醸成を図るための学習の充実をあげている。
 そこでは、安全・安心な食料の持続的な生産と供給に対応した学習の一層の充実、農業の技術革新と高度化等に対応した学習の充実、農業の持つ多面的な特質を学習内容とした地域資源に関する学習の充実、解決すべき職業に関する課題を把握するということである。
「課題の発見」,関係する情報を収集して予想し仮説を立てる「課題解決の方向性の検討」,「計画の立案」,計画に基づき解決策を実践する「計画の実施」,結果を基に計画を検証する「振り返り」といった過程を整理することができるとした。
 地域や産業界等と連携した実験・実習などの実践的,体験的な学習活動は,アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた学びを実現する上でも重要なものであることから,地域や産業界等との連携がより一層求められる。

 このような連携を促進するためには,各地域の産業教育振興会等と協力して,定期的に学校と産業界等が情報交換を行うとともに,教育委員会地方公共団体の関係部局,経済団体等が協力し,インターンシップの受入れや外部講師の派遣の調整を行うなどといった取組も期待される。
 持続可能で多様な環境に対応した学習を充実させるために、「農業と環境」で学習していた農業と環境の関係性について,持続可能で多様な環境に対応するよう新たに「栽培と環境」,「飼育と環境」と分類した。

 経営感覚の醸成を図る学習を充実として、経営感覚の醸成と商品開発へつなげるために,「農業経営」,「食品流通」でマーケティングに関する学習内容を充実するとともに,生産系の科目である「作物」,「野菜」,「果樹」,「草花」,「畜産」などにおいて,起業や六次産業化に関わる内容を扱うことにしたのである。
 安全・安心な食料の持続的な生産と供給に対応した学習を一層充実するために、「農業と環境」について、農業生物の育成と環境保全に関するプロジェクト学習の意義と役割を明確に位置付け,農業の各科目における系統的なプロジェクト学習を展開できるようにした。

 「農業と情報」については,進展する産業社会の情報化を見通し,農業の各分野における先進技術や革新技術を題材とした探究的な学習活動を通し,収集した情報と情報手段を適切かつ効果的に活用できるような学習内容の一層の充実を図るようにした。
 総合的な科目の「課題研究」については,各科目でプロジェクト学習の意義や実践について明確に位置付けたことから,この科目では農業学習の集大成として,専門的な知識と技術を関連付け,その深化・総合化を図るための科目とした。
 また、「総合実習」については,各農業科目の知識と技術の確実な定着を図る科目であることから,農業の各分野におけるプロジェクト学習などを補完しながら展開できるようにしたのである。
 農業高校の教育目標は、従前、将来農業をやるということで、農業自営者養成教育として位置づけてきた。教育実践の面でも狭い狭い枠組みで教育内容を考えてきた。

 この見方は、職業選択の自由ということからの農業教育の視点が弱かった。自営者養成という教育内容でも最も重要な経営能力や幅広い教養ということを重視してこなかった。
 農業教育は、青年の人格教育として、農業のもっている自然と人間との調和、人類と社会における農業の重要性、幅広く農業教育をとおしての職業選択が自由にできることが大切ということで抜本的に、2018年の高校の学習指導要領から教育目標の考え方を改めたのである。
   2019年の文部科学省の学校基本統計によると普通学科73.1%、工業学科7.6%、商業学科5.9%、農業学科2.5%、総合学科5.4%などとなっている。ちなみに、1970年の普通学科58.5%、専門学科41.5%、1985年の普通学科72.1%、専門学科27.9%、 2005年の普通学科72.6%、専門学科23.6%、総合学科3.8%という数字になっている。
  農業高校の教育実践の特徴は、地域の農産物を利用しての商品開発を行っていることである。農業高校の特産品カタログには、伝統野菜でのアイスクリーム、桜クッキー、醤油せんべい、プレスハム、乳酸飲料、みそ、柿とゆずのジャム、こめからのめんなどの特産づくり開発をしている日本学校農業クラブは300を超える農業高校が加盟している。

 この農業クラブは、戦後の新制の農業高校の発足以来、生徒の自主的な組織として展開してきたものである。この農業クラブは、ブロックごと、全国大会とプロジェクト学習の発表、意見発表会などをしている。
 また、大学と共同して、環境保全や食の6次産業化に関する研修、農業経営セミナーへの参加もしている。さらには、農業実習を先進農家等での長期インターンシップの実施で、カリキュラムでの単位の認定として、受け入れ先と学校の双方向の関係での協同の人材養成の事例もあるのである。(いわゆる日本版デユアル システム)
 
  まとめ

 150年間の日本の農業教育の歴史を振り返って、現代における地方の地域循環経済発展を農業ということを基盤に考えていくうえで、新しい発想での人材育成ということからの農業教育のあり方が求められる時代である。
 明治期には、欧米の生産力主義的科学技術農法の導入が模索された。しかし、日本の現実の農業振興には役に立たなかったのである。在来的な合理的経験主義の積み重ねによる農法と欧米からの近代農法がぶつかったのである。

 結果的に欧米の自然科学的方法と日本の在来的農法が結合して、明治の近代的な農業技術の発展が遂行されたのである。
 この教訓は、地域の自然的条件や歴史的な社会的条件を加味しての農法の発展が重要であることを示しているのである。

 これは、日本の国内においても地域差が大きくあるのである。画一的な細分化された科学的農法ではなく、それぞれの地域の自然的、社会的条件に総合的な視野からの農業の発展が求められていることを教えている。
 歴史的に農産物は地域の工業発展の原材料として大きく貢献してきた。日本では養蚕から生糸、絹織物などは、その典型である。食品加工などの醤油、みそ、つけもの、お酒などは地方での特産物として発展してきたのである。
 農業は、地域の産業発展の基盤になってきたのである。現代は農業というと食糧生産物ということに集約されがちであるが、広く、地域の工業の発展にとっての原材料の側面をもっていることを決して忘れてはならないのである。
 とくに、現代のように、持続可能な循環経済という環境保全の問題、地球温暖化あらの脱炭素の時代にあっては農業の見直しが極めて重要になっているのである。

 この意味からも農業教育の役割は益々重要になっているのである。農業高校の教育の特徴として、プロジェクト学習・課題学習、総合実習、農業クラブ活動の方法は、主体的学習や創造的な学習としても極めて大切な活動である。また、人間の自然とのかかわりということから、農業をとおしての環境学を実践的に総合学習をとおして学ぶ意義は大きくある。
 

自由の精神と社会教育

        自由の精神と社会教育

       神田 嘉延

はじめに

 本論では、自由という課題に、精神的な理性をもった主体形成側面からアプローチしていく。社会的、政治的な意味での自由を論じることは、すでに本ブログで書いているので、それらに譲る。理性的、文化的、社会的絆という人間の総合的な精神形成は、生涯にわたり、幸福な生活を送るために必要である。それには、自由な精神の発展を、それぞれの年齢段階に応じて、豊かにしていくことが不可欠である。

 自由の精神は、社会教育によって、一定の方向性が導かれていく。また、社会教育は文化・芸術・スポーツなどの人間的精神を豊かにしていく場にもなる。人間のもつ煩悩、とらわれからの解放は、精神的な自由を得ることで大切である。

 現代社会は、無制限の欲望拡大が煽られている。このことによって、利己の世界が絶対化され、葛藤と孤立が蔓延している。自由の精神を考えることは、その克服のために、心を清浄化し、感性を豊かに、理性を持って、正しく生きることが重要になる。
 ところで、ここでいう社会教育とは、公的な公民館などの学びの場だけを言っているのではない。行政機関の社会教育的営みはもちろんのこと、社会的、地域的、職場内など、あらゆる機関や組織、あらゆる社会的機能の活動が行う様々な学びの場をさしている。

 このことを視野におきながら本稿では、社会教育と自由の関係を深めていく。この立場から、日本仏教の精神的自由、j,s,ミルの自由論、ヘーゲルの法の哲学にみる自由論などから考察していくことにする。自由の課題については、いままで、社会教育評論のブログで書いている。本論の最後に、その一覧をあげているので参考にしてもらえれば幸いである。
 
 1,日本仏教の精神的自由論

 

 仏教は本質的に他から拘束されることなく、自立して、利他に向かう自由自在の精神を求めている。仏教的に自由を見ていくことは、自己欲のまま、わがままで、自分かっての気まま、自己利益の思いのままに生きるということではない。人間が悟りをのぼっていくことは、自由自在になっていく道程である。

 自由とは他人に依存せずに、自我、意識的な自己欲を止揚していくことだ。仏教的自由は、動物的な欲を意識的に醸成していくことから解放され、清浄化した心の魂を持った人間的な自尊自立の精神である。それは、何事からも束縛されない境地になることである。

 悟りは、昇りつめて仏の心になる。心の清浄は、悟りの道である。この境地になるのには、だれでも可能性をもっているが、仏の心は、人間は欲望の塊を側面をもっており、非常に難しい。それほどに人間のもつ煩悩は強い力がある。

 煩悩を自由自在にあやつることができる力は、仏の修行を登りつめていくことである。それは、いっきょではなく、段々と身についていく。仏教的に、自由自在の境地になるのは、簡単な世界ではない。しかし、それを目標にして生きることは、自由をめざすことで、誰でも大いに可能なことである。
 仏教の般若心経では、「心無罣礙」(しんむけいげ)ということばがある。それは、心にさえぎるものがない、心にこだわりがない精神的に、自由である心境を指している。現実の世界に生きることは、人間関係、仕事、出世、名誉など心にこだわりが湧いてくる。それがときには、縛られて大きな悩みをつくる。
 また、ときには、罪を犯し、人を傷つけ、人を蹴落としていこうと悪徳の自己欲に走ることがある。まさに、人間のもつ自己欲からの煩悩である。自己欲望から、こだわりや執着心をもつ。このことは、心の網が取り巻いて、心を不自由にしていく。

 人間は、本来的に、一人で生きていくのではなく、利他で、絆の心をもつことで、人との関係をもつことによって、自由自在になる。自己欲の執着は、心の葛藤をもつ煩悩をつくり、人との関係を難しいものにすることがある。それであるから、自己欲の執着は、心の不自由を作り出していく。

 しかし、執着という未練の心は簡単になくなるものではない。ときには、大きな力になることがある。出世欲や悪徳の執着ということばかりでない。とくに、自己の希望に、強い情熱をもって、日々努力してきた人にとっては、執着は強い。絶え間ない努力は、強い志があってできるものである。未来に向かって、前向きのこだわりは大切である。前向きの未来をつくっていくことのこだわりは、自己の反省と共に、他との関係で、意見を聞き、困難なことを打開していこうとする姿勢が不可欠である。悩みという心の不安定さをつくっていことは、強い自己欲、閉鎖性のなかでのこだわりである。

 現実的に、多くは目標どおり簡単に達成できない。挫折はつきものである。非常にきつい心の痛みを伴う。それは、心の病に発展して、深刻な悩みになっていく。ときには、自ら命を絶つことさえある。しかし、七転び八起きといういうように、挫折をしても、大きな成果を達成することもめずらしくない。そこには、挫折を前向きな個性で反省し、開かれた心で創造的な世界へと挑戦していく精神を作り出すことである。個性や能力の発達も人によって異なる。

 とくに、内向きな個性をもった人のこだわりは、固定された煩悩に支配されて、執着心に縛られ、心の病になりやすい。自由になることは、「人はみな違う」ということを認識することが大切である。自分の個性を広い世界をもって、ときには、自分の生き甲斐を見直していくことも必要である。見栄をはって生きることこそつらいことはない。自分の心を開き、狭い世界からの解放が重要である。
 般若心経の無智亦無得(むちやくむとく)以無所得故(いむしょとくこ)という言葉がある。これは、知恵や損得にこだわらず、無所得の心をもっているがゆえに、自由自在に生きることができるということだ。人間は知恵を豊かにして、それぞれぞれの違いがあるが、努力することを常にする。そのことが、より広い世界が開かれる。そして、人間社会は、古来から学ぶことを大切にしてきた。
 しかし、ここで、知恵にこだわらずに生きていこうする見方を変えることは、知恵のことで苦しんでいる人にとって大切なことなのだ。生きていくうえで、生活物資がなければ、お金がなければ、苦労をするのはいうまでもない。だれでも豊かな暮らしをしたいということを考えることは当然である。この欲望を誰でも持っていることはいうまでもない。
 豊かな暮らしとは、物資的な面は最小限必要であるが、すべてではない。仏教的な小欲知足の心になるのは誰でも難しい。とくに、消費欲が煽れ、弱肉強食の競争社会では、自己欲が肥大化する傾向をもつ。ここでは、意識的な努力が絶えざず求められる。それは、肥大化する欲望に溺れて不幸になっていくからである。肥大化する物質欲にこだわっても、必ずしも幸福になるとは言えない。

 損得にこだわる人に、以外と十分に余裕がある人を多くみる。一方で、肥大な欲望を遠ざけて自由になることも一つの知恵である。生きていくことに必要な所得で、満足という人々もめずらしくない。人の幸福感、自由自在に生きるということで、損得にこだわることを捨てよという考え方は仏教的な見方である。
 「無罣礙故」(むけいげこ)ということで、心にさまたげがないことで、「無有恐怖」(むうくふ)という恐れる心がなにもなく、不安になることもないということは、自由に精神になることである。人間は数限りなく、恐怖の心を生み出して生きているのだ。
 つまり、生活の不安の恐怖、他人が自分を責めていることの恐怖、大勢の人が自分を責めているのではないかという恐怖、死に対する恐怖、死後に地獄におちないかという恐怖など誰の心にもある。遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)ということで、一切のまちがった夢想を遠ざけていくことが大切と仏教はみる。

 この遠ざけていく心には、物事は常に変化していて、いつまでも錯覚にとらわれないことを指摘している。また、不落を楽として真実の楽しみを知ることでも大切である。それには、我に執着しないことである。

 人は、志を達成していこうと心で、正しい道理を四顛倒を正すということで、妄想を無常、苦を楽、無我を我、不浄を浄としてとらわれていることを重視している。これは、とらわれていることのあやまりを解するという教えである。これらのことを転倒して、現実をみていくことは、なかなか難しいことであるが、それをひとつひとつ心にとどめていることが幸福につながっていくことになるという。
 親鸞教行信証では、自由自在ということばの内容は4つあると言う。仏の特質である不共法は、1つには自由自在に空中を飛行できること、二つには自由自在に姿がかえられること 3つには自由自在に、さまたげられることがなく、なんでもひらけること、4つには、自由自在に量り知れない知恵の力によって、すべての人の心が知れることである。 
 自由自在に鳥のように空を飛ぶことができるようになったら、どんなに心が豊かになっていくだろう。生きることが運命的に閉ざされそうになったとき、命の制限が宣告されたときに、翼をもって空を高く飛んで行きたいという自由な気持ちをもつ心境はどうであろうか。

 自由自在に姿がかえられることは、人間のすべての可能性をもつことを示すことになる。実際に生きていくうえでは、ある方向へと縛られることが少なくなることも自由自在ということか。
 ひとは誰でもこんなことをしたい、あんなことをしたという空想をもつ。自由自在に姿がかえられたらと思うのである。妨げられることがなくひらけていることは、どうしたら可能か。

 社会的に自由な境遇でない多くの人々にとっては、社会の差別や偏見、貧困問題など現実をみていくことも必要である。そのなかでも、自由自在に姿が変えられるという心境をもつことで、大きな心の安らかさを持っていくというのだ。

 計り知れない知恵をもつことは、自由自在の境遇をつくりあげていくうえで、大きな条件なのである。ここでの知恵とは、人間が生きていくうえでの能力形成で、創造力形成でもある。人の能力で大切なことで、人々を喜ばせ、幸福にさせる人間力がある。それは、人々を幸福にさせるうえで重要な能力である。
 自由自在の境遇をつくりあげていくことは、広大な慈悲の心にもなる。そして、そのことが、やがて自らの仏の教えを完成するというのである。慈悲の心は、つねに世の人の利益になることを求めて、人々の心身のやすらぎを与える。

 利他とは、人の立場にたつと、おのずと利他になる。他力の意は、仏の最上の力である。この世界では、煩悩を破って真実をさとる。このときは、自分の力で運命を切り開く。悟りをうるには、他力を頼む必要があるだ。    
 各自が自由に人々を導くためには、広大な誓いを鎧としてまとい、功徳を積み重ね、すべてのものを救って、多くの仏の国で遊ぶことも大切である。そして、各自が自由に人々を導くことは、菩提の修行を修めて、すべての仏を供養することである。このことが、仏の真理であり、清浄な道になるというのだ。海という意味は、仏の差別と平等の一切を知る知恵が深く広く果たすことになる。

 真実の知恵は、とらわれを去った無知の知恵になる。真実の知恵として、はからいを超えた法身であり、それは、清浄となる。つまり、とらわれを去った無知の世界ということで、姿、形を超えた無相の世界でもある。
 慈悲には、三つの世界がある。ひとつには、世の人を対象とするもので小の慈悲だ。二つには、心の対象となるすべてのもので、中の慈悲である。三つは、一切の対象を超えた大の慈悲である。この広大な慈悲は迷いの世を超えた善であり、安楽浄土の広大な慈悲から生まれたという見方だ。まさに、安楽浄土の仏が、阿弥陀仏の特別の意図をもった広大な弘願(くがん)の誓いになる。
 道元正法眼蔵明治23年に宗門から、簡単にわかりやすくまとめたのが修証義である。そのなかで、すべては無常で、常に移り変わるという見方である。自分の身体でも自由にならないと言うのだ。衆苦を解脱するとということで、束縛から離れて自由になること、無礙(むげ)の浄心ということで、さまたげられることのない浄化した清い心の自由の言葉が使われていく。
 修証義では、因果道理としての公平無私の善悪、過去現在未来の三世、行為に対する報いの大切を説いている。善悪の報いは、現世でなした報い、次の世で受ける報い、次の次の世以後の報いということで、この三時から道理をあきらかにして、誤った道に堕ちいらないように諭している。

 無礙浄心を生長しむるということで、何事にもとらわれない精神を強くしていくことで、それは、自分だけではなく、他人も変わるという。迷信邪教によっては、衆苦という多くの苦しみや多くのひとを解脱することはできないということだ。
  修証義では、衆生(しゅじょう)ということで、自分が救われる前に、周囲の人々を救うことを強調している。ここには、利他主義の考えが徹底している。指導者は、利他の悟りを求める菩提心を起こせばなれるということになる。どんなにみすぼらしくとも、男女に関係なく、菩提心を導くことができるのだと言う。衆生ということは、人間が生きていくに、単なる個人として考えるのではなく、多くの人に接して、人々と共にある世界で、そのおとで、思考していく人間の境界である。
   衆生の利益には、布施、愛護、利行、同事という四つの知恵がある。 布施とは、施すものが軽少であっても、よいが心が大切だ。布施をしても返礼を期待せず、自分の力で施すことが重要になる。船を運航したり、橋を架ける交通の便をよくすることも布施である。生計を立てるための産業も布施である。布施を多様な面からみている。
 愛語というのは、衆生に対して慈愛の心を発し、思いやりの言葉を施すことである。母親の深い愛情のこもった言葉は愛語のよい例である。徳あるひとをほめ、徳なき人をあわれむのも愛語になる。恨みをもっている敵を降伏させたり、君子の争いを和睦させるのも愛語だ。愛語は天子のような権力者の心も動かす大きな力があることを学ぶべきだと言う。愛語は人間の社会で大きな力を発揮していくことを教えている。
 利行は、貧富にかかわらず、衆生の利益ために、こころを砕き努力することである。修証義は、苦しめられている亀を助けてやったり、弱っている雀を助けてやったりすることに、そのいい例とする。

 恩返しを求めないで、だだひとえに利行することが、衆生の利益の知恵になる。愚かな人は他の利益を優先すれば、自分が損をすると思う。利行は、自分にも、他人にも利益になるのだ。他人の利益と自分の利益が一体になっているのが利行になるのだと言う。
 同事とは自分にたいしても、他人にたいしても不違ということで、そむかない、たがわないことである。人間界を救う仏は、人間の姿をしていることと同じである。自分と他人との関係は一体である。他人を自分に同じくして、自分を他人に同じくしていく。海が川の水を受け入れるのは同事行である。 川の水は集まりて海となるのだ。現代的に、共生社会ということが言われるが、修証義の世界には共生の世界がある。

 以上にように、何事にもとらわれることなく、衆生の利益ということが修証義での大きな教えになっている。ここに、仏教的自由と 衆生の利益が合一している。まさに、仏教的な自由自在の生き方は、利他主義的に生きる知恵を教えているのである。

 仏教的に自由になるということは、自立自尊をもって、利他の精神をもつことであり、利他の精神は自分の生き甲斐という自分自身の幸福につながっていくという見方である。

 ところで、仏教学者であった中村元は、鈴木正三僧についての自由の概念について、述べている。彼は、江戸初期で幕府の有力な幕臣関ヶ原大阪冬の陣、夏の陣で武功をたてたが、武士を離れて、僧侶になった人物である。

 鈴木正三僧にとっては、自己を知ること、自己が害われないように、自己を譲るということであった。自己を譲れば、正念を持ち、安楽して、自己を守ることになるという。人々が苦しめられているのは、煩悩であり、自己を忘れ去ることであるとしている。

 己を顧みて己をしるべしということで、自己反省の大切さを強調している。自己は否定されるべきことと、実現されるべき自己と2種類あるという。そして、真実の自己にたって生きることは、自由を考えるうえで、重要なことであると、鈴木正三僧はみるのである。

 自由は、仏教的な解脱というこになる。自己の主人、六根を自由に知るのが修行の目的である。煩悩のきずなにつながれていることと、自由な身とは正反対の概念とみるのである。究極の理想の境地は、自由という解脱になるのである。これは、自己欲望のわがまま勝手、恣意的、ほしままという意味につかわれているのでは決してない。身を捨てるということで、執着を離れることが自由になることを意味しているのである。

 真実の自由は、死における自由を体得することであるからこそ、それに裏付けられた生における自由が実現される。鈴木正三僧の仏心は、万徳円満と心に自由を使い、世界の用にたつのが正法というのである。

 さらに、国、王国の正道の正しき御代となることが、仁義五常になると言う。このことで、諸民の心が正路になるのだ。仏の心は、学ぶことで道が近くなり、渡世の営みを自由になると正三僧は強調している。

 このように、政治的レベルについても自由の精神の大切さを指摘しているのである。そして、さらに、商人の自由は、国中の自由、世界の自由を実現していく天職としての位置づけである。ここでの自由は、精神的な自由から、行動に関する完全な自律性の確保をのべていくことになる。

 そして、職業倫理との関係で、自由の概念が充実していくのである。鈴木正三僧は、著「万民徳用」で、仏教の修行に世俗的な生活での職業的な労働を強調している。職人なくしては、世間の用ができない。世を治めるのは武士なくてできない。

 農民なくしては、食物があることはできない。世界の自由を実現していくには、交易をする商人がいなくてはできない。商人、職人、武士、農民の労働が不可欠であるという見方です。それぞれの職業的倫理について、具体的にのべ、国家のあり方を論じているのである。(中村元「近世日本の批判的精神」ー鈴木正三の宗教改革の精神を参考に)

 

  2,J,S,ミルの自由論から

 ミルは、個々における意志の自由ではなく、社会的自由を論じたのである。近代社会において、支配者の権力行使から国民の自由を守るために憲法の制定を重視した。 自由と民主主義を規定した憲法は、統治者の独裁抑制のために不可欠なものである。

 その憲法によって、政府の権力は決して人々に不利益にになるように濫用されない保障をもつことができるようになった。このようにミルは考えるのである。ミルの統治者からの国民の自由を考えていくうえで、憲法の果たす役割を極めて重視した。
 しかし、一方で、近代の民主政治は、選挙によって権力を行使する人が選ばれるようになったことが、人民の意志と為政者の意志が同一体になり、国民は統治者に権力を委託するようにみえた。選挙の実際は、人々から自己を多数者として認めさせることに成功した人が権力を行使できるようになったのだ。選挙による多数者の暴挙は、圧政を予防するために社会の警戒心をもつことが必要となる。
 ミルは、選挙によって、多数の暴挙が起きることを次のようにのべる。多数者の暴挙は、「政治的圧政よりもさらに恐るべき社会的暴挙を遂行する」「社会的暴挙は生活の細部にまで浸透し、霊魂そのものを奴隷化する」「法律上の刑罰以外の方法によって、自己の思想と慣習とを、その思想と慣習とに反対する市民に対しても、行為の準則として強制しようとした。

 また、自己の慣行と調和しないあらゆる個性の発展を妨害し、個性の形成そのものを抑止し、あらゆる人々の性格が社会の性格を範として形成されるべき」ことを強制しようとする。
 多数者として選挙によって認めさせた権力者の暴挙は、人民の意志と権力を行使する人とは同じではないことを決して見落としてはならないのである。多数者の暴挙は、議会制民主主義の弊害としての多数決原理で、少数意見を尊重しての議論を尽くし、原案に対する修正も重要である。このように、少数者の意見を尊重する自由な精神が民主主義にとって重要な精神なのである。
 また、少数意見も尊重しての共同の提案も求められていく。多数決ということは、現代において政党所属の多数決で、個々の議員の意志からよりも政党の議員数によって決まっていくのである。ミルが、強調した多数決の暴挙は、現代における政党政治に多数決のなかでの一層に考えなければならいことである。

 ミルは、政治的専制に対する保護を指摘するが、かれからみれば、個人の独立と社会による統制との適切な調整は重要であるが、実際は未解決というのである。
 議会制民主主義では、個々の政治的な課題にたいしての選挙ではなく、代議員制として国民が個々の議員に精神的に委託するということで、この委託ということも多数決原理ということで、選ばれていく。

 国民が議員を選ぶ基準はなにか。個々の選挙を受ける政治家の政策課題によって、選ぶとは限らないのである。政治理念やマニフエスよりも、地縁・血縁や業界・団体の有力者からの利害関係、人気投票的な側面が強くあり、マスコミなどでよく知られている著名人、芸能人、スポーツ選手が選ばれていく。
 現代社会は、ミルの生きていた160年前の時代に比べれば、著しく都市化に伴って無縁社会が拡がり、弱肉強食の競争社会も激化して、不安と孤独も拍車がかけられている。また、科学技術の進歩で世論お形成方法も異なり、人々の権利に対する運動の蓄積によって、社会的な自由、民主主義、人権や福祉の制度も充実してきてる。
 孤独の判断について、ミルは、「ひとは自分の孤独の判断に対して自信がなければないほど、盲目的な信頼をもって、世間一般の無謬性に依頼することが常になる。各個人の世間は、かれが接触する一部分の世間である。世間という集団的権威に対する各人の信仰は、彼の属する世間である」という。自己の判断力ではなく、自分の意見、良心に基づいて行動するのは躊躇するのである。この世間の盲目的な信頼性ということ以上に、現代社会は、無関心性とマスコミなどの世論誘導性がつよまっている。
 ミルは、人間は議論と経験によって自分の誤りを正すことができるとして、真理を探究して、正しい政策の判断に、議論することの重要性を次のように指摘するのである。「経験をいかに解釈すべきかを明らかにするためには、議論がなくてはならない。謝った意見と実行とは、徐々に事実と論証との前に屈服していく。・・・主題に対して、異なった意見に耳を傾け、この主題に研究することによって、正しい判断力が身についていくのである。自己自身と他人の意見を照合することによって、自分の意見を訂正することが人間的知性の本性である」。
 ところで、個性の自由な発展が幸福の主要な要素になることをみていくことが必要である。ミルは自己の意見を実行する自由とは、自分自身の責任と危険にさせるものである。それは、同朋たちによって肉体的または精神的な妨害を受けることなく、自己の意見を自己の生活に実現していくという自由であるとのべる。個々の自由の権利には、自己責任があり、自己の生活の実現にあるという。人間は誤りのないものではない。
 人間の真理は大部分半真理にすぎない。相反する意見を最も自由に比較できなければならない。真理のすべての側面を認識しうるようになるまでは意見の相違は害悪ではなく、むしろ為になるのである。

 このように、ミルは、自由に、思考し、議論して真理探究になるというのである。自由に実行することは、個々の生活の実現ということで、それは、幸福論に結びついていくと考える。
 慣習に縛られて、個人の自発性が固有の価値をもつことを認めないことがあるとミルは次のように指摘する。道徳と社会の改革者の大多数は自発性を理想の構成要素とみなすこともしない。むしろ自発性は、手に負えない障害物となるとみる。伝統と慣習は、能力の成熟期に到達した人間の経験が、ある程度まで青年に何かを教えた証拠であるということになる。
 しかし、経験が狭隘かもしれない。経験を正しく解釈されていなかったかもしれない。経験がかれら以外の人には適合しないかもしれない。慣習は、そのつくられる環境がある。慣習が今日の慣習の適合として妥当であるのか。道徳的選択に至る人間的諸機能は、自ら選択を行うことによってのみ錬磨されるのである。慣習は何ら選択することではないとミルは、自由に選択することに、人間的な能力の発達をみるのである。
 また、人間的的能力の発達は、独創力が極めて大切である。そのためには、自由と状況の多様性が必要性をミルは次のように強調する。
 「自分の計画と自らの選択するものこそ、彼のすべての能力を活用できる。見るために観察力を、予知するために推理力と判断力を、決断を下すために、必要な材料を蒐集するために活動力を、決断するために識別力を使用し、決断するために考え抜いた判断を固守するために毅然たる性格と自制心を用いなくてはならない」。
 個性は、発達と同一のものであるという見方もミルの特徴である。個性の重要性、自由を欲求せず、自由を利用しようとしない人々に向かって、どう考えを見直してもらえるのかということで、ミルは、自由を利用することによって何らかの形で報酬をうるであろうこという体験が必要とするのである。

 独創力が人間に関する大切な要素であることは、何人も否定しない。独創性こそ、独創的なない人々にその効用を感知するこてゃできない。独創性が彼らのために何をなし得るのか。これらの課題について、明確にわかってもらうことが求められるのである。
 ところで、他人の幸福に配慮、他人の幸福を増進して、私心のない善意の努力の徳を築いていくのは、教育の任務である。この教育は強制ではなく、確信と説得によるものであって、教育の時期が去った後でも自己配慮の徳を確信と説得によって、心に植え付けていくことが不可欠である。
 まさに、生涯にわたっての他人の幸福増進、私心のない善意の行動の徳の形成をミルは求めている。この際に、人間は相互の助力によってこそ生きていくことができるということを実践的に行っていくことを示している。より善きものと悪しきものと区別できるというのがミルの見方である。
 相互の激励こそは、善きものを選び、悪しきものを避けることができるのである。人間は相互の助力によって、彼らの高い能力を行使することができるようになり、感情と志向とを愚かな目的や企画ではなく、賢明に向けて高尚な方にますます向けていくようになる。

 社会が一個人にもっている関心は、教育の役割、生涯における徳の形成であるとミルでみるのであるが、自由の判断、自由による独創性、自由による幸福の実現を重視することから、親の子どもに対する絶対的な排他的支配権による教育を否定する。国家に対しても、国民に鋳型にはめた教育を否定する。教育に費やされる時間と努力がさまざまな宗派や党派の闘争の戦場になっているとミルは教育界の状況をみていたのである。

 政府は親たちの欲する場所と方法で教育を与えるべきで、政府自身がやるべきことは、貧困な児童の授業料の納付を補助し、学費の支弁をもたない児童に学費全額を支弁すべきであるという提案である。
 ミルは国家教育について批判するのである。一律的な国家教育は国民を鋳型に入れて完全に相等しいものにしようとする。それは、国民の生活の充実の実現、国民の幸福をもたらすものではなく、支配勢力が喜ぶ教育になる。効率よく教育が成功すれば、精神に対する専制政治を確立し、肉体に対する専制政治も生み出す。

 個人は多くの場合、標準的に特定の政府官吏のように巧みに処理する能力を必要としない。鋳型にはめた標準化された国家教育は、政府の官吏的な人間像をモデルにしている。
 実際の国民の仕事は、個人自らが精神教育の手段として、個人によってなされるが、それは、政府によってなされるよりも望ましい。個人の責任による教育は、彼の能動的諸能力を強化し、彼の判断力を錬磨し、彼の処理に委ねられるからである。自由な民衆的な地方および都市の諸制度や、自発的な協同団体による生産および慈善事業の経営などで長所である。
 個人の責任の教育は、 国民教育の一部として、これらの制度を公民的な特殊訓練を与えるものとして、自由な国民の政治教育の実際的な部分をなすものであって、個人的および狭い家族的利己心の世界から抜けだし、共同の利益を理解し、共同の事務を処理することに慣れさせることになる。共同のために、互いに結合させる公共的な訓練がなければ、自由な憲法は運用させ、維持されることもできない。
 ミルは、自由と民主主義の維持のための憲法の適用を教育の分野においても重視しする。とくに、教育の公共性ということから、公共的な訓練の場として、共同の利益の理解、共同の事務、互いに結合させる公共的訓練の場としての教育的な営みとする。それを創造していくことを提案しているのである。
 ミルは著書「効率主義」では、効用や幸福の達成に、利己心と知的陶冶をのべる。外形的な面でほとんど恵まれている人でありながら、自分にとって価値がある思える楽しみを生活のなかに見いだせないときがあると言う。
 その原因は、気にかけているのは自分だけで他に誰もいない。社会に対する情感も身近な誰かに対する情感を持たない人の場合、人生にもたらす気分の高揚は大幅に失われる。利己的な利害が死によって終止符を打つ。他方で、個人的な情愛の対象を自分がいなくなった後まで残していく。人は、とりわけ、人類全般の利益に対する同朋意識の感情を育んできた。人は、死の直前まで、若く健康で溌剌として、生き生きとした関心を人生にもつ。
 さらに、人生に満たされたものを感じさせるのは、知的陶冶がある。それは、哲学者の知性ではなく、開かれたものに対する知性であり、知的能力を働かせるための教育をほどほど受けた人の知性である。

 この知性は、身の回りのすべてのことに、尽きることのない興味の源泉を見いだす。自然界の物事、芸術作品、詩の生み出す想像的なもの、歴史上の出来事、過去と現在の人々の生き方、人類の将来の見通しという具合である。

 以上のようにミルは、狭い自己快楽のみで生きるのではなく、社会的な同朋意識と役割を発揮することの公共善、知的陶冶を生涯にわたってもつ幸福感をのべる。
 自己中心的な利己主義や知的陶冶を持ち得ない境遇は、悪法や他人の意向に従属されて幸福の入手先が近くにあるのに自由が認められていないということで、幸福ある人生を損ねてしまうことがある。幸福を損ねている境遇、貧窮、病気、愛情を向ける相手が冷淡などの災厄との戦いが必要とミルは強調する。
 貧困はどういう意味で理解しても苦痛であるが、個々の人々の良識や配慮と結びついた社会の知恵によって克服していくのである。最強の敵である病気ですら、心身双方のすっかりした教育をおこなうことによって、有害な影響を適切にコントロールすれば軽くすることができる。将来の科学の進歩によって、さらにもっと直接的な形で制御することも期待できるとミルはのべるのである。
 現代は、巨大都市の人口集中によって、そこに住む人々の無縁社会化が一層に厳しく進んでいる。多くの人々が住んでいるが、隣近所との付き合いがなく孤独の現象がすすんでいるのである。農村部は、過疎化・高齢化ということで、従前にあった地縁組織が機能しなくなり、孤立化がみられる。
 災厄の対策においては、無縁社会に対する仲間づくり、助け合いの組織づくりが大きな課題になっている。社会保障を個々の生活の問題状況に対応してのきめの細かい施策が求められているが、一方では社会福祉行政の画一化と官僚化もすすんでいる。このようななかで、幸福に暮らすための社会教育の充実は極めて大切になっていることを見落としてならない。

 

 3,ヘーゲルの法の哲学よりの自由論

 ヘーゲルにとって、法の地盤は総じて精神的なものとする。法の開始点は、意志であるということから自由の意志とみる。つまり、法の体系は自由の王国とみる。意志と自由との関係から法をみると、法の精神は知性であるという。人間の意志は、感情から表象を経て、思惟へとすすんでいく。

 その過程は、精神がおのれの意志として現れる。意志は自由なしには空語であり、自由もまた、意志として、主観、主体をもって、はじめて現実的となる。
 人間は思惟によって動物と区別され、意欲することに特徴をもつ。思惟は理論的態度で、意志は実践的な態度である。思惟することで感性的なものを取り去って行く。実践的態度は思惟と自我そのものにはじまる。実践的、活動的であることによって自分を規定していく。ヘーゲルはこのように人間にとっての恣意することの重要性をみる。
 動物は、本能のままに行動し、欲するものを表象しない。このために動物は意志をもっていない。自由が現実的な形態として情熱にまで高められ、それがどこまでも感傷的でしかないときに空虚の自由となる。
 否定的な自由は、特殊化と客観的規定を絶滅させる。ここには、自由の自己意識を生じさせる。つまり、自由の自己意識は、それ自身抽象的な表象でしかありえない。人間のみがおのれの生命をも放棄することができる。

 動物は、それをできない。動物は、おのれの規定に、ただ慣れるだけである衝動や欲求など、即自的に自由であるだけである。その意志は、直接的に自然的意志である。まさに、自殺というのは、人間の意識的な欲望拡大や権力・権威志向からの見栄からの葛藤という自己意識の破滅から起きるのである。ヘーゲルがのべるように人間のもっている恣意することで、動物と異なる自己意識をもつことによって自殺が起きるのである。
 意志の自由は、反省と内的ないし外的に与えられた内容と素材への依存である。自由という場合に、心にある普通の表象は、恣意の表象である。それは、自然的な表象と反省とのもとである。

 世間では、自由とはなんでもやりたいことをやることができると言われる。そのような表象は、まったく思想の形成ないし教養を欠いたものである。そこには、自由の意志というものに、権利、法、倫理ということの観念がない。

 意志の自由は、ヘーゲルにとって、自然的なそのものではないとして、表象、反省という人間の目的性があることを強調している。自由は何でもやりたいことをやるという自然のままに感覚的に動物的な行動を指していうのではない。
 自由ということで、ヘーゲルは、恣意と選択の自由を問題にする。恣意と選択の自由ということで、あれやこれやと自分の自分の選択しうる普遍的な可能性があるならば自由になっていく。このことは真理であるのか。

 普通の人間は、恣意的に行うことがゆるされているときに、自由であると信じる。ヘーゲルは、人間があれやこれやと欲しうる意志にとどまっているかぎり、人間は自由であると。

 しかし、ひとつ内容が与えられたものに固持するならば、この内容に規定されて自由ではなくなる。ヘーゲルがひとつの内容に固辞すれば自由がきえていくという指摘である。まさに、固定された内容に固辞していく自由がひとの心をしばっていくのである。この指摘は、考えさせられる内容である。選択の自由をもっていることが、精神的に固辞していけば自分の心が不自由になっていくという指摘にもなる。
 ヘーゲルは、奴隷には自由を知らないという述べる。奴隷は、自分の本質、自分の無限性などを知らず、自己を知らないので、自由を知らない。自由な意志は、単なる可能性、素質、能力ではなく、現実的に無限なものである。概念の対称性の外在態が、内的なものになるから、自由の意志そのものが、現実性と現存在をもつようになる。
 普遍性という概念は、自己意志に内在なものがあり、思弁によって把握されたことで理性的になるとよばれる。主観的なものといわれるのは、意志の即自的にある概念と区別された個別性の面である。自分の置かれた状態を自己認識できなければ自由の意志をもたない。
 ヘーゲルの見方で、奴隷は自由を意識しないという。奴隷が奴隷のままであまんじているならば、自由の意識をもたないことになる。奴隷が奴隷ではないと思う開かれた境遇になることによって、人間的な自由の意識を持ち始めるのである。
 ヘーゲルは、自分の自由が自分自身の理性的体系という意味において、直接の現実であるということになる。そして、自分の自由が客観的なものになると指摘する。それは、自分の目的を主観的規定から客観的規定のなかへ移し込むことになると言う。そして、客観性のなかで同時に自分のものにありつづけることになる。

 ヘーゲルは、自由な意志の現存在であることが法ないし権利とする。また、それは、自由の理念になるという言うのだ。法や権利は、神聖なるものにみえるのは、絶対的概念の現存在、自己意識的な自由の現存在であるからと考える。
 ヘーゲルは、自由の概念の発展段階は、それぞれ独自の法と権利の概念をもっているとみる。道徳や倫理と、法や権利との対立ということから論ぜられるのが最初の形式的な、抽象的人格性の法や権利とする。
 ヘーゲルは、自由な意志の三つの発展段階についてのべる。第一は、直接的である。それは、抽象的であり、人格性であって意志の存在は直接的な外面的なことである。第二は、外的な現存在から自分のなかへ折れ変わった自己反省の意志である。それは、普遍的なものに対して主体的な個別性として規定される。

 普遍的なものとは、内的なものとして善であり、外的なものとして、現在世界である。この二つは、相互に媒介されて理念の両面になる。主体的意志として道徳圏になり、世界として、法や権利となる。
 第三は、思惟された善の理念が、自分のなかえ折れ変わって、反省した意志と、外的な世界とにおいて実現されることになる。自由は主体的意志として実在しているのと同じように、現実および必然として実在している。
 ところで、ヘーゲルは、倫理的実体も第一に自然的な精神としての家族をとらえる。第二に、分裂と現象において、市民社会を考える。第三に、特殊的意志の自由な自立性として、普遍的かつ客観的自由としての国家をみるのである。国家の倫理は、個人の自立性と普遍的な実体性との関係で、とてつもなく大きな合一が起きている精神をみる。これが、国家の倫理である。
 倫理とは生きている善としての自由の概念であるとヘーゲルはみる。生きている善は、おのれの知と意志の働きからなる自己意識であり、自己意識は、行動を通じておのれの現実性の意識となる。他方、自己意識もまた、倫理的存在をおのれの存在している基礎として捉え、おのれを動かす目的とする。

 倫理とは、現在世界とともに自己意識の本性となった自由の概念になる。倫理的実体とそれのもろもろの掟と権力は、主体にとっておのれのものではない。それどころか、主体は自身の本質である精神の証になる。それは、おのれの自己感情をもつほどの本質である。
 個のことは、ヘーゲルの見方にとって、個人にとって意志を拘束するところの様々な義務になる。拘束する義務が制限として現れるのは、ただ無規定の主観性、抽象的な自由にに対してだけと考える。

 また、拘束義務は、自然的意志の衝動、あるいはおのれの無規定の善を、おのれの恣意で規定する道徳的意志の衝動に対してだけとなる。個人は義務からの解放として、自然衝動の従属からの道徳的反省とする。

 そして、おのれのうちにとじこもっている非現実性の無規定からの主観性の克服をみる。義務からの解放によって個人は実体的自由を得ることができる。ヘーゲルは意志を拘束することと義務との関係で、自然意志の衝動を考えるのである。
 ヘーゲルは、権利と義務との関係は一体性とであると強調する。奴隷は、義務をもつわけがない。ただ自由な人間だけが権利と義務をもつ。一方の側にすべての権利があり、他方の側にすべての義務があるとすれば全体は解体する。義務については、人間の自然衝動からの道徳的反省をもつことで、それに伴って権利をもっているということになる。
 ヘーゲルは、子どもの扶養、教育について、義務と権利の関係で述べる。子どもは共同の家族資産で扶養され、教育される権利をもっている。両親が子どもに奉仕として要求する権利は、家族のために配慮する共同的なものである。

 人間はあるべき姿を本能的にそなえているのではなく、努力によってそれを勝ち取るものである。教育されるという子どもの権利は、家族の共同体的配慮にに基づいているというのである。子どもに奉仕が許されるのは、奉仕が教育だけを目的とし、教育に関係しうる場合だけである。子どもは即自的に自由な者であり、その生命はひとえに、この自由の直接的現存在にほかならない。

 子どもには、家族関係から愛と信頼と従順の心情的倫理の形成がある。また、生来の自然直接性から抜け出して、独立性と自由な人格を高めていく能力形成の側面がある。ヘーゲルは子どもの奉仕と教育されることを一体的に捉え、奉仕のみの関係は親との関係で全くないとしている。まさに、子どもは愛情と信頼の基で、独立性と自由なる人格形成が最も子どものあるべき姿なのである。
 ヘーゲルは労働と教養について次のように述べる。陶冶としての教養は、より高い解放のための労働である。感情の主観的な自惚れや個人的意向の気まぐれを克服するのは、厳しい労働である。

 厳しい労働は、主観的意志そのものがおのれのうちに客観性を獲得していくのである。労働によって得られる実践的教養は、欲求の産出と仕事一般の習慣、おのれの行動を材料の本性に従って、他人の恣意に従って制御する習慣である。労働の役割について、ヘーゲルは、実践的教養を身につけるとしている。それは、他人の意志に従って、制御していく習慣が身についていくとするのである。
 また、労働は、訓練によって身につけた客観的活動と運用する技能の習慣にもなると述べる。ところで、労働における普遍的な客観的側面は、抽象化される。抽象化は、手段と欲求の種別化をして労働の分割を生み出していく。労働の分割によって、いっそうに単純化し、労働の技能も、生産量もいっそうに増大する。

 生産活動の抽象化は、労働活動をますます機械的にし、機械をして人間の代わりにすることを可能にしていく。労働の分業の社会的役割の変化についてもヘーゲルは人間の機械への従属の可能性をもっていくと指摘する。
 ヘーゲルは、市民社会と労働の関係についても述べる。労働には、第一に個々人の労働によって、欲求を媒介として、すべての人々の労働を欲求充足との関係で満足させる必要があると考える。

 そして、第二には、自由という普遍的なものの現実性をみるうえで、所有を司法活動によって保護することが不可欠とする。第三には、偶然性についてあらかじめ配慮して、福祉行政と職業集団によって、特殊利益を一つの共同体なものとして配慮することを求める。 
   ヘーゲルの近代国家の見方は、具体的自由の現実性と考える。具体的自由とは、人格的個別性とそれの特殊的利益があますことなく発展して、それらの権利が承認されている状態を言う。また、おのれを通して普遍的なものの利益に変わり、他面では、自ら同意して、この普遍的なものを承認し、おのれ自身の実体的精神として承認していくことが不可欠となる。
 ヘーゲルの近代国家の本質的考えは、普遍的なものが、特殊性になるところの十分な自由と、諸個人の幸福とが結びつけられる必要があると言う。それゆえ家族と市民社会との利益が国家へ総括されなければならないことになる。私的権利と私的福祉、家族と市民社会に対して、国家は一面では外面的必然性になっていく。

 国家は、それらの上に立つよりも高い威力であって、それらの法律も利益もこの威力に従属していく。他面に、国家は、それらの内在的目的であって、国家はおのれの強さを、おのれの普遍的な究極目的と諸個人の特殊的利益との一体性のうちにもっている。
 ヘーゲルの考える諸個人は、権利をもち、国家は義務を果たすという関係になる。憲法は理性的本性をなすものであり、国家の諸制度の諸個人の信頼と心術の土台になるとみるのである。ヘーゲルは、公共の自由の土台に憲法があり、諸制度の自由が実現されるとともに理性的になっていいくと考える。これらは、即自的に、自由と必然性の合一である。
 主体的自由の権利は、提供すべき国家の勤めが普遍的価値の形式において要求されることによってのみ実現可能となる。国家体制ないし憲法の二つの面は諸個人の権利と勤めにかかわる。

 形式的自由は、個々人が普遍的要件たる公事に関して自分自身の判断と意見と提言をもち、それを発表することにある。この形成的主体的自由を世論と呼ばれるとヘーゲルは主張する。普遍的なもの、実体的に真なるものと、反対に多くの私見ということで個人独自の特殊的なものと結びついているものがある。

 言論の自由は、国家体制が理性的であり、政府が堅固であり、さらにまた、議会が公開され、そのなかでの統治で、無害となる。言論出版の自由は、自分の欲することを語り、かつ書く自由である。それは、自分の欲することとするに等しい。無限に多種多様な形でのべられる私見のきわめて特殊な偶然の面の内容にもなる。
 ヘーゲルの考える勇気は、特殊な目的、占有、享受、生活から自由ということである。勇気の価値は国家主権という真の絶対的な究極目的のうちにある。勇気は自由の放棄と自由の顕現の矛盾のなかにある。愛国心等の民族精神の有限性から国家連合によるあらゆる仲裁の永久平和の特殊的主権になる。
 ヘーゲルは、国家間の争いを解決していく方法の条約について次のように考える。それは、特殊的意志の合意を見いだすしていくものである。条約は、特定の利害関係からの特殊な知恵になる。これは、普遍的思想ではない。民族精神の有限性からの普遍的精神、すなわち世界精神が生まれていくという弁証法である。

 それは、世界史の見方からでてくる。世界史は精神の自由の概念からの理性の諸契機の必然的発展であり、したがって、精神の自己意識と精神の自由との必然的発展である。これは、普遍的精神の展開であり、現実化である。
 ヘーゲルにとって、国際紛争の宥和や解決は、感情において、信仰、愛、希望として顕現することになる。この原理の内面性はおのれの内容を展開して、それを現実世界と自覚的な理性的状態へ高める。これは自由人の心情、誠実、協同にに基づく世俗の国である。これに対して粗野な恣意、未開の国が知性的な国と対立しているのである。

 この二つの対立は、激しい闘争をしながら対立は骨抜きになって、思想、理性的な存在と知の原理、法の理性的状態へと高める作用をもって、同時にひとつの統一体と理念に根ざしていくのである。
 ヘーゲルの自由の精神は、動物と異なって、人間のみが恣意をもって自己意志をもつということから出発して、人間のもつ欲望や衝動、感情を人間的理性によって、主体的に自由になっていくことを指摘しているのであった。そして、主体的自由をもって、人間の欲望や感情を道徳をとおして現実化していくというのである。そして、家族、市民社会、国家のその発展次元に即して、権利や義務、労働と教養、労働と自由、国家間の紛争と理性などの問題を深めているのである。自由ということを精神的な人間主体の観念の世界から深めているのがヘーゲルの特徴である。

 マルクスは、ヘーゲル法哲学を批判する。私的権利、私的福祉という家族と市民との掟と利益は、国家の掟と利益に衝突する場合に、後者の利益に従属しながら席をを譲っていく。このことから、自立的なあり方を狭め、外的な間柄になっていくとマルクスはみる。本来的に、市民社会の個人の境遇、個人的自由、自己の職業の選択は、国家が前提とされていくのであると。そして、国家利益の目的は、普遍的なものであり、民主制や共和制は、普遍と特殊が一体性になる。

 つまり、ヘーゲルは政治的国家を社会的存在の最高の真実として描くことができなかった。国家は政治的国家として存在するのみであり、政治国家の全体性は立法権である。立法権に参与することは、政治国家に参与し、市民社会の政治的存在になる。市民社会の政治的社会の現実化の努力は、立法権への一般的参与の努力のみになる。個々人ははじめて、現実的にかつ意識的に社会的機能として政治機能に入り込むとマルクスはみている。

 

 神田 嘉延の社会教育評論のプログで書いた自由論の一覧

マルクスから学ぶ社会的自由論 - 社会教育評論 (hateblo.jp)

ラスキの「近代国家における自由」から教育を争点に - 社会教育評論 (hateblo.jp)

ラスキの「近代国家における自由」から生活苦と無知の解放 - 社会教育評論 (hateblo.jp)

自由への社会教育:カール・ポランニーの社会的自由論から - 社会教育評論 (hateblo.jp)

アレントの公的自由論と市民による統治参加 - 社会教育評論 (hateblo.jp)

共生・協同の社会形成と社会教育ーマンハイムの「自由・権力・民主的計画」から学ぶ - 社会教育評論 (hateblo.jp)

ハイエクの「自由の条件・自由の価値」から人間らしい自由な労働過程の創造 - 社会教育評論 (hateblo.jp)

ハイエクの著書「法と立法と自由」から考えるルールと秩序ある社会の形成 - 社会教育評論 (hateblo.jp)

自由の秩序なくして真の自由はない-社会教育の役割 - 社会教育評論 (hateblo.jp)

プロパガンダ・世論操作とメディア民主主義

   

プロパガンダ・世論操作とメディア民主主義

 

 

はじめにー

 

 ウクライナ戦争は、テレビばかりではなく、SNSも含めて情報戦が行われています。世界の世論形成にメディアは、大きな役割を果たしています。ウクライナ・欧米とロシアとのプロパガンダが大々的にやられ、ウクライナの悲惨な映像、ロシア軍の動きが日々報道されています。ロシアのプロパガンダも世界中にながされています。双方の立場から、国際的な世論形成の情報操作が軍事作戦と平行して行われているのです。
 戦争当事者だけではなく、世界の世論がウクライナ・欧米諸国とロシアのどちらが握るのかという情報戦争が行われているのです。このような状況で、あらためて、エドワード・バーネイズ著「プロパガンダ」とW・リップマン「 世論」を読んでみて戦争下におけるメディア民主主義の問題を深くみつめてみたいと思います。
 このたびのウクライナ戦争は、国連憲章国際法を無視したロシアの侵略です。主権をもつウクライナに武力侵攻したことだけでわかります。この事実は、それぞれの国の立場や人々の価値観を超えて、ウクライナに平和をもたらすうえで重要なことです。

 しかし、なぜ、ロシアが侵略行動に走ったのか。悪と正義の戦いということで、武力に解決を頼ることでは、犠牲を大きくして、和平の話し合いを遠くにしていきます。

 現実は、マスコミ、SNSに動かされての二者択一的な悪魔、残酷という双方からの感情発信が支配しているのです。この状況では、憎しみを煽って戦争の激化、長期戦になるばかりです。戦争には、情報の戦いがつきものです。ウクライナ・欧米とロシアの立場によって、情報の流し方が全く異なるのです。
 侵略戦争はいかなる理由があっても許されることではありません。国連憲章国際法による外交の努力で、仲介も含めての国際的な話し合いによって、解決することができなかったのか。隣国に武力侵略ということで、やってはならないことをロシアは、なぜ実行したのであろうか。

 この問題は、単によい国と悪い国、悪魔の指導者と正義の戦いということで単純に決めつけでは本質がみえないのです。もともと民族的にも近く、文化的にも同じ側面を強くもっていたロシアとウクライナの双方です。

 90年以前のソ連の時代は、同じ国であり、ソ連の多くの国家指導者を輩出してきたウクライナです。ロシアの芸術・文化の名高いリーダーは、ウクライナ出身も多くいたのです。このような間柄で、なぜウクライナとロシアの大きな紛争の種は何にか。なぜ、話し合いによって、問題の解決ができなかったのか。
 ロシアとウクライナは、歴史的にも多くの矛盾も存在していました。帝政ロシア時代からウクライナとの矛盾があったのです。ロシア革命後のウクライナでの赤軍と白軍との戦い、スターリン統治によるウクライナの悲劇、ソ連におけるナチスドイツとの戦いでのウクライナ民族主義の役割がありました。

 さらに、冷戦の時代の計画経済・集団農場体制でのウクライナとロシアとの矛盾、そして、冷戦が終わりソ連崩壊関係まで様々な矛盾があったのです。民族的な重視の東方正教会との国家と結合していく宗教的な意味からの文化的な摩擦との関係もあります。ソ連崩壊後のウクライナの国家としての独立から、憲法事項の体制的な政治的な対立がありました。ウクライナ独立後は度重なる政変があったのです。
 東方正教会でのロシア正教会ウクライナ支部と独立正教会カソリックという宗教的な文明衝突もあるのです。愛国主義東方正教会は、宗教的な側面と民族主義が密接に結びついていたのです。ソ連崩壊後は、ロシア正教会と国家との関係は強くあり、プーチン大統領の思考のなかには、歴史的な関係も含めて強く存在しているのです。
 今回のロシアのウクライナへ侵略には、2014年のウクライナ革命とロシアのクルミヤ併合、2015年のミンスク合意、その後のウクライナ東部での内戦、ウクライナNATO加盟問題がありました。また、ウクライナ民族主義運動のナチスドイツに協力し、反ソ連ウクライナ蜂起軍と連携したバンデーラの国家としての英雄への再評価もあります。ここには、首都の中心街にバンデーラの通りの名が生まれるのです。平和友好のための協調ではなく、ロシアを敵視し、結果的に侵略戦争を誘発した様々な原因を探ることも大切です。
 今後、極めて難しくなった和平をどのようにして達成するのか。どちらかが降伏するか、どちらかの政権が倒れるか、それまで待つというのか。これらには、多くの人々が犠牲になっていくのです。これでは、悲しむべき事態です。
 感情的に善悪のみで、テレビやSNSなどで悲惨な映像だけでは、ロシアのウクライナ侵略の問題をみつめたことにはならないのです。ウクライナの戦争に反対して、平和を達成することは難しい課題が山積しています。マスコミ報道のしかたも憎悪を煽るような報道の仕方では、結果的に戦争の世論を増幅させる働きをもつだけです。
 戦争当事者の情報戦のプロパガンダの情報を横流しするだけではなく、どのようにしたら和平、平和が達成できるのかということをマスコミの倫理として求められているのです。この意味で、政治的な対立ばかりではなく、宗教的な側面と国家との関係など多様な立場からの国際的な情報の提供がメディアに必要です。
 とくに、国連憲章国際法バンドン会議などの帝国主義国の植民地から独立した国々の非同盟中立の平和原則、日本国憲法の平和主義などを思考の基礎にして、問題に向き合う必要があります。ウクライナや欧米からの情報ばかりではなく、多様な立場からの情報が必要になっているのです。その多様な立場からの国際法にてらして、平和達成のための思考が求められているのです。
 ウクライナ戦争の問題からストレートに台湾問題に結びつけて考える報道も数多くみられます。また、日本でも仮想敵国論として、中国や北朝鮮、ロシアとの関係が取り沙汰されて、もし侵略されたら日本を守ることができないとして、敵地攻撃・敵地中枢の殲滅、核享有、軍備増大が叫ばれ、武力対武力という軍事競争発想の報道も目につくのです。

 日本と中国は平和友好条約が結ばれていますが、北朝鮮との関係は、国交さえもありません。ロシアとの関係は国交回復をして、貿易関係、経済的な開発協力もありますが、平和条約はありません。それぞれ、外交的な課題は、大きく異なっているのです。日本国憲法の平和主義精神からの外交交渉が最も大きな課題です。
 日本は1945年の軍国主義の敗戦を冷静にみる必要があるのです。日本の戦前は、軍国主義体制をとって、アジアの侵略を行った過去があります。明治維新の日本の近代化も国際協調の精神を基に、その努力を人々とともに、軍国主義体制の対抗のなかで見直す必要もあります。

 アジアの諸国は、軍事侵略を受け、植民地・半植民地されたことを決して忘れてはいないのです。戦後に、日本が憲法の国際協調主義と平和的生存権を人類普遍の理想として宣言し、憲法九条を定めたのです。


 1955年にインドネシアのバンドンで開かれたインドネシア、インド、エジプト、中華人民共和国などアジア・アフリカの首脳29ヶ国で平和10原則が決議されました。後に、1961年に設立された非同盟諸国会議につながっていきます。2016年の時点で参加国120、オブザーバー17国になっています。常設の非同盟諸国常任委員会もあります。世界には、非同盟の平和運動があることを見落としてはならないのです。
 非同盟の運動は、国連憲章の尊重、全ての国の主権と領土保全を尊重、他国の内政に干渉しない、集団的防衛を大国の特定利益のために利用しない、国際紛争は平和的手段によって解決、核兵器禁止条約などに貢献しているのです。
 日本は、戦後に基本的人権や民主主義の憲法を定めて、日本人が持っている優れた素養を活かして世界的に誇る優れた技術を生みだし、経済を大きく発展させたのです。ウクライナ戦争から学ぶことは、仮想敵国をつくって核共有論や適地攻撃論の力の対決ではなく、近隣諸国と平和友好を発展させる絶え間ない努力をすることです。戦争を挑発、誘発する恐ろしいことは決してやってはならないことです。

 


 (1)エドワード・バーネイズ著「プロパガンダ」からの戦争とプロパガンダ

 


   エドワード・ルイス・バーネイズ(1891年~1995年)は、政治、経済、教育、芸術など様々な分野において、大衆の世論操作の大切さを説いた人です。そして、その活動を積極的に展開し、広報の父ともいわれました。

 かれは、オーストラリア系のアメリカ人で、アメリカで活躍したのです。代表的な著書として、「プロパガンダ」があります。エドワード・バーネイズの時代は、大規模なマスメディアの発達がされたときです。著書の「プロパガンダ」は、この時代のなかで、大衆の世論操作がいかにして可能になるのかということを理論化したものです。

 プロパガンダは、権力者の政治宣伝による世論形成でもあります。戦争には、大衆を積極的に動員するために大きな武器となっていく歴史があったのです。かれの理論は、ナチスドイツをはじめ積極的に利用されました。
 戦争でのプロパガンダには、大衆の洗脳が重視されます。また、20世紀の民主主義の発展、とくに議会制民主主義の選挙制度によって、プロパガンダは重要な意味をもってくるのです。これらの戦争や政治の世界では、感情的なプロパガンダによって、具体的な問題状況や社会の抱えている矛盾の真実から離れ、外交交渉や政策の論議よりも大衆を洗脳して、偏りや誤解を招いていくことが多々あるのです。

 現代ではイラク戦争ウクライナ戦争において、メディアの総監視のもとに、攻撃の模様、戦争被害の悲惨な状況が、メディアの大衆心理的洗脳技法を用いてコントロールされているのです。この手法は、SNSと言う新しい情報媒体を含めて、すべてのメディアによって、AIなど技法も高度化して、大々的に世界の人々をメディアにひきつけているのです。まさに、人々の洗脳をメディアによって行われているのです。
  大衆宣伝ということでのプロパガンダは、相手を攻撃し、相手が劣等で、非道的な存在であるという中傷がまず重要とエドワード・バーネイズは述べるのです。相手を人格攻撃するということでは、4つの信用失墜、中傷、悪魔化、非人間性を積極的に利用するというのです。また、魅力的に、曖昧な言葉で対象に自分たちを好印象づけるのです。
 そこでは、社会的に高い信用性のある人物や集団を宣伝に積極的に利用することも重視していくのです。それは、大衆の意識にある権威主義があるためです。その権威意識を積極的に利用するのです。

 このために、自分たちの戦争協力者や政治体制協力者の学者・文化人や有名人が積極的に利用されるのです。大衆をコントロールするのは、民主主義を前提にする社会で、極めて重要になるとエドワード・バーネイズは考えるのです。まさに、目に見えない統治機構としての大衆の世論のコントロールとして、プロパガンダは必要なのです。
  一般大衆にとって、理屈のうえでは、政治的、経済的、道徳的な雑多で小難しい情報の是非を自分自身で判断することは実際には難しいのです。一般大衆は、指導者から直接に、メディアをとおして間接的に、事実と認められる内容の情報を得ることで判断していくのが一般的です。

 


企業の広告宣伝による消費行動を生みだす世論操作


 プロパガンダは、企業の広告宣伝による消費行動を生みだす世論操作のPRということもあります。市場に出回っている商品も実際に時間をかけて調査をすることはできないのです。一般大衆は、宣伝行為を通して自分の選択の幅を狭めているのです。プロパガンダを推進する人たちは、自分たちの政策や政治思想、商品に大衆の目が向くように、大変な労力を常にはらっているのです。
 この実際の動向とは逆に、プロパガンダやそれに類似した大衆に対する働きかけの手法ではなく、賢人会議のように知識人たちのつくる委員会が大切とする見方もありました。

 それは、公私にわたり、一般大衆への行動判断になる情報提供をするという考えです。実際の近代化によるメディア発達の社会は、自由競争で、プロパガンダに委ねたのです。自由競争の社会を適切に機能させるために、指導者のリーダーシップと宣伝行為を利用することによって、自由競争をコントロールすることができるということでした。

 エドワード・バーネイズはプロパガンダの事例を商品販売の拡大で、説明していきます。例えば、商品の流行は、プロパガンダ・PRによってつくられたのです。パリはファッションの本場です。その供給源になるメーカーがどのようにして、大衆に影響をあたえていくかということが重要という指摘です。

 著名人である伯爵夫人や公爵夫人にドレスや帽子を身につけてもらうように、それを雑誌や新聞が追いかけて、記事にしていくことです。百貨店はパリの情報源をもとん、最新の流行として、宣伝していくのです。こうして、継続的に計画的にプロパガンダを行う少数の知的エリートたちによって、流行がつくられていくのです。

 影響力のある実力者は、人々の社会生活をコントロールしていくプロパガンダで大切な役割を果たすのです。PRコンサルタントは現代のコミュニュケーション手段と社会集団の仕組みを利用して、それを操作することで、特定の考えを大衆に植え付ける代理人になるのです。

 また、顧客の方針、教養、体制、意見にも気を配り、大衆の支持を得ようとするのです。最初の仕事は、提供しようとしている製品が、大衆に受けいれられているのか、どんなやり方をすれば受けいれられてもらえるのか。
 第2に、ターゲットとなる様々な属性をもつ集団ごとにPRコンサルタントが窓口になってクライアントに代わって大衆に声を伝えていくのです。第3に、大衆との接点を持つ局面を想定して、活動、手続き、習慣を管理する計画をたてます。第4に、本格的な宣伝に入っていくという過程をふむのです。
 広報宣伝活動は、専門職として、それにふさわしい理念と倫理をもつことが求められるのです。企業の財政状況に関する秘密主義、ニセ情報など会社と大衆との関係を築くうえで、疑念を生むことはしてはいけないのです。PRコンサルタントの役割は、噂や疑惑に対処できることが欠かせないのです。大衆が望まない製品をつくったり、大衆との不要な摩擦を起こしたり、大衆を騙したり、たぶらかしないという公正も職務が必要なのです。

 企業は世論に左右され、商品の販路の拡大にプロパガンダは大きな役割を果たすということが、エドワード・バーネイズの指摘です。彼は、企業のPR担当者に次のようなことを求めます。具体的には、一般大衆が持っている特徴、ステレオタイプ、関心の移り変わりの熟知によって、その商品販売の課題へのアプローチです。
 一般大衆には独自の価値基準やニーズ、習慣がありますが、しかし、大企業は、一般大衆からの意見を快く受け入れないことが一般的にみられるというのです。大量生産と科学的なマーケティングに、大衆の求めるものを理解して、それを満たすことの努力が本来的に求められているのです。
 大企業は世論の支持をえることによって、ビジネスを前向きに拡大することができるのです。世論そのものが巨大企業を次々に誕生させるのを容認していくのです。つまり、世論が独占禁止法を緩和、撤廃されるのです。そこでの大企業は社会を見守る巨人となっているというのです。

 経済における好ましい結果の多くは、広い意味でのプロパガンの計画的な活用がもたらしたものです。大企業が大衆の支持を受けたとしても、大衆に密接な電力、ガス、水道などの公共サービスを常に大衆不満の格好の標的になります。
 PRコンサルタントは、世論の動向を予測して、不満を未然に防ぐために、世論調査をして、企業に対する大衆の不満や偏見を説得するのです。 企業にとって、新しい真実を大衆に伝える宣伝手法は、非常に有益な結果をもつというのです。

 誇大広告ではなく、反倫理的な宣伝ではなく、不当な競争を嫌っている人々が、本当に問題になっているのかのプロパガンダという武器を使うべきとエドワード・バーネイズの論語はなっていくのです。
 エドワード・バーネイズは、薄利多売を脱する付加価値層創造の宣伝法が大企業に求められるといいます。大量生産による低価格という競争力ではなく、大衆の視点からの魅力であるのかという品質による差別化の製品が必要になっているのです。
 それには、PRの原則になる集団行動の原理、大衆の権威者に対する盲目的に従うという原理、大衆は他者にならうという原理によって、製品の差別化を宣伝していくことであると。企業は、常に大衆が何をかんがえているかを把握して、大衆のこころをつかんで、変わりゆく世論に対して、公正に、豊かな感性をもって、自らを売り込んでいくための準備をととのえていなければならない。このようにエドワード・バーネイズはのべるのです。
 ここには、ニュースの情報操作や不遜、様々ざま誇大広告が生まれるのです。大衆が投票すべき政治家や買うべき商品が一方的に大衆の意識に植え付けられるということになるのです。

 世論を形成する際には、プロパガンダの手法が積極的に利用されるということになるのです。印刷機と新聞、電話、ラジオ、飛行機など大衆をコントロールするメカニズム、技術が開発され、コミュニュケーション技術の発達が世界中に広がったのです。このことによって、社会集団は、地域ごとのあるいはジャンルによる制約を受けることがなくなったとエドワード・バーネイズはいうのです。
 現代の情報社会は、SNSの発達によって、日常的な会話によるマスコミなどの情報についての議論を直接的に話し合って思考していくよりもテレビやスマートホーンの映像によって、感覚的な印象で判断していくのです。

 感覚的な印象は、文字による言語よりもショッキングな映像や極端なフレーズによる決めつけの意見は、わかりやすいということです。思考するよりも印象イメージが大きな役割を果たす情報社会になっているのです。

 



政治・戦争と世論形成におけるプロパガンダ


 エドワード・バーネイズは、数多くの集団のメンバーにとって、目に見えない、互いに絡み合ったグループ相互のネットワークのメカニズムが大きな意味をもつというのです。このネットワークによって、集団思想がつくられたのです。

 そして、大衆心理の手法を活用して、特定の考え方や商品を買わせるように、専門家の手による宣伝行為で人々は動かされ行くのです。大衆心理の手法は、エドワード・バーネイズのプロパガンダ理論による世論形成で重要であるということになるのです。
   プロパガンダは、大規模に特定の考え、信条や教養、商品を大衆に、大企業や政治家、社会グループが自分たちの考えや商品を広めるためのまとまった首尾一貫した、継続的な活動になるというのです。

 それは、社会のあらゆる場面に、戦争宣伝から平時に利用されます。世界大戦のプロパガンダの驚くべき国威発揚の戦争遂行宣伝の成功によって、知的エリートたちは、大衆はコントロールすることができると。このように、エドワード・バーネイズは指摘するのです。
 プロパガンダは、国家の権力者が戦争を遂行することに、その遂行目的を達成するために大きな意味をもってきたのです。日本の満州事変や太平洋戦争遂行のなかで、マスコミが大きな役割がもつのは、大本営発表を新聞社がそもまま大々的に書いていったのです。このことによって、新聞の発行部数は飛躍的に伸びていくのです。第二次世界戦争の遂行には、新聞の協力が大きかったのです。
 イラク戦争のときも、プロパガンダが大きな役割をもったのです。大量破壊兵器イラクはもって世界を恐怖にさせている、9.11事件の首謀者と関連があると大々的に宣伝した。このことによって、アメリカ国民の熱狂的な支持のもとにイラクの侵略をしたのです。戦争によって、イラクフセイン大統領をはじめ指導者を殺し、支配政党のバース党を壊滅させたのです。

 後でわかったことは、イラクに、実際は、大量破壊兵器もなかった、9.11事件の実行犯とも関係ないということの判明でした。リビアでも同様なことが行われたのです。このようなことは、マスコミの発達した、議会制民主主義が発達したときでも、たびたびくりかえされているのです。民主主義の名のもとに、世界の平和や人権に脅威を与えるということで、マスコミを総動員して行われてきたのです。

 ノーム・チョムスキーは、「メディア・コントロール」の著書で、9.11事件後に、イラク戦争など公正なジャーナリズとはなにかということで、正義なき民主主義としての恐ろしい敵として、メディアのウソと偏向、憎しみを扇動することで、戦争のための世論をつくりあげていくことをのべています。ベトナム戦争では偽りの現実を提示して、戦争を遂行したというのです。

 ウソにウソを重ねて堂々と戦争をしていくことが、アメリカという民主主義の社会で、自由な環境のもとで行われ行くのは、メディアの大衆操作の役割があるからだというのです。

 1986年5月にキューバ政治犯パヤダレスが獄中から解放されたときに、メディアがとびつき、盛んにカストロは政敵を処罰し、抹殺すつための巨大な拷問・投獄システムをしていると書き立てたのです。

 今世紀最大の大量殺人者カストロの国家暴力の記録として出版されて、マスコミは極悪非道な独裁者カストロが報道されたのです。非人間的極悪非道のカストロを書いたパヤダレスは、国連人権委員会アメリカ代表に任じられたのです。エルサルバドル、ガテマラ、インドネシア、ダマスカルなどアメリカの数々の他国への侵攻による武力介入による深刻な人権違反が隠蔽されていくのです。

 エドワード・バーネイズのプロパガンダ論は、調査研究と大衆心理学を応用したものです。大衆はリーダーに従うという大衆心理の手法はプロパガンダにとって大切ということです。選挙戦では、大衆が嫌う言葉と結びつけて、大衆を誘導することができるのです。利権ということで、何百万に投票行動に影響を与えるとエドワード・バーネイズはいうのです。
 政治の世界で、最近は、共産党という言葉をもちだすことで大衆を脅かす効果ができるというのです。大衆のもっているイメージを上手に言葉に表して利用することが大きな意味をもつのです。
 このエドワード・バーネイズの指摘は、日本をはじめ欧米諸国で、近代の歴史のなかで今まで使われる手法です。共産主義の恐ろしさを常日頃、ありとあらゆる場所、機会で情報を収集して、それを誇大に宣伝して、一般大衆への恐怖心をもたせていることは、大きな情報戦略なのです。

 社会主義の思想がいかに危険なものであるのかということを普段から印象操作で国民に植え付けていくことことが、アメリカの支配する政治体制の維持にとって、不可欠なことなのです。異なる多様な意見の尊重や社会的な立場の異なることによって、利害は複雑になっているのが現実です。

 現代の実際の政治のなかで、現実は、複雑な社会構造にあるのです。新自由主義のもとで、格差もひらいていく状況です。それぞれの利害関係や社会的階層の支持基盤をもって、選挙によって選ばれてくるのです。マスコミなどの大衆操作によって、国民を同一の意識に固定させるのは無理があり、最初から同じ意見であることが本来的におかしいのです。

 それぞれの多様性を認め合いながら、社会的な矛盾を未来に向かって解決し、経済が発展して人々の暮らしが豊かになっていく政策の討議と施策の実行が民主主義の役割です。社会主義とか、共産党ということが最初から悪魔の集団として、印象操作として排除していくことが社会的な心理状態としてつくられている状況があるのです。そこでは、政策の論争とは別の社会心理の手法による印象操作があるのです。
 エドワード・バーネイズの考える人間のもつ真の行動動機は、しっかり吟味した結果ではないというのです。多くの人は、本質的な価値や有効性ではなく、無意識に別の象徴で判断していくというのです。

 例えば、車を買うのは、交通手段として必要というよりもステータスシンボルなどの社会的評価からなのです。また、車ぐらいは買わないという社会的な習慣となっているから買うのです。人間は著名なリーダーを手本とする衝動、自己顕示欲という集団のなかで生まれる動機によって行動するというのです。
  エドワード・バーネイズは人々の声は人々の考えの表明で、その考えは、グループが信頼するリーダーと世論の操作で作り上げられとみます。リーダーの影響によって、大衆は、固定概念やシンボルの文句で成り立ってきましたが、現代は、有能で誠実な政治家は、プロパガンの技法を用いて人々の意思を思い通りに作り上げることができるというのです。

 アメリカは政治のプロパガンダが大規模利用ができる国になっているというのです。有権者の間に政治的な無関心が蔓延していることは、民衆の心理状況に合わせる方法を政治家がしたがらない。政治的指導者が大衆に盲目的に従わねばならないと謝っていると考えから本当に重大な話題やテーマを選挙運動から省いている状況であると。
 大衆のニーズを調査して、目標を決定して、幅広い基本計画をたてて、大衆をリードするプロパガンダを使っていないからだと思うのです。大衆の感情に直接的に訴えるうえで、幅広い基本計画、対象となる大衆グループにふさわしいこと、考えを広めるメディアの性質にふさわしいかの条件が必要であるとエドワード・バーネイズは考えるのです。
 さらに、エドワード・バーネイズは、現代政治は個人的な魅力を売り込むことに重点がおかれていますが、政党全体の政策、マニフェストが重要とするのです。候補者が魅力的であればつまらない公約でも有権者の得票を勝ち取ることができるという言うのです。これは、選挙の錬金術になるのです。
 しかし、もっと重要なことは、候補者自身がその政党の掲げる計画を十分に理解して、実行できるかどうか、あるいはマニフェストそのものに力点を置きながらのプロパガンダを求められていると言うのです。エドワード・バーネイズがのべる通り、議会制民主主義にとって、選挙民が候補者を選択するのにマニフェストが大切なのです。
 選挙民は、マニフェスト以上に、印象像で選ぶことが現実に多いのです。マニフェストによって、選挙民が候補者を選ぶようにするためには、政策を知らせていくための期間や、その討論の場を保障していくメディアの役割も大切です。誹謗中傷合戦のみで選挙が行われていけば、印象像のみで判断せざるをえない。

 それは、選挙の関心が薄れて棄権する人が増大していくのです。とくに、棄権が増大していくことは、議会制民主主義における代表者の選出ということからも危機的な状況になっていくのです。
 選挙のプロパガンダは大衆心理学に基づいていくことも求められるというのです。プロパガンダは、リーダーが権威をもち、それに特別の忠誠心をもつ集団であってこそ強力に発揮されるのです。プロパガンダは、指導者のもっている大衆を誘導する技術よいうことがエドワード・バーネイズは考えるのです。

 


  W・リップマン「 世論」からの戦争と世論操作

 

 リップマン は、(1889年~1974年)アメリカのジャーナリズムで活躍し、哲学的に世論ということを体系化した人です。 かれは、ドイツ・ユダヤ系の三世として生まれ、ハーバーと大学で学びました。彼が、学んでいたハーバード大学は、各自が自由に考えることができ、またコースを自由に選択できる大学改革のときでした。このようななかでリップマンの自由な精神が育っていったのです。
 卒業して、ジャーナリズムの世界に入り、そして、デモクラシーの本質な前提になる自己統治能力の課題に、ニュースの重要性を理解したのです。人間は、環境のイメージ、現実の環境、客観的事実、真実などによって、行動すると考えたのです。ニュースはひとつの事実で、隠された真実、偶発的な体験や偏見などがあります。このようななかで、ジャーナリストのあり方を見つめたのです。

 


民主主義と世論形成における新聞


 リップマンは、著書「世論」では、外界と頭のなかで描く世界を考察していくうえで、外界への接近、ステレオタイプ、様々な関心、共通意志形成、民主主義のイメージを考えたのです。そのうえで、新聞、情報の組織化を深めたのです。
 戦争と平時のとき、人々の頭のなかで描く世界は異なるとリップマンはみるのです。戦争のときは、集団全体が情動に統合され、恐怖と好戦心と憎悪が支配するというのです。平時は、世論を象徴するものの点検、比較、論議の対象になるものです。

 そこでは融合したり、忘れ去れたりすることがあっても、けっして集団全体の情動を統合するものではないのです。人はどのようにして自分の良心というもつのでしょうか。安全、権威、支配、あるいは漠然と自己実現よ呼ばれるものに対する願望が社会生活に意味することを深くみつめるのです。
 自分の安全とはどのようなものでしょうか。人々の行為は目指すものは、快楽、苦痛、良心、取得、保護、高揚、習熟ということで、目標に向かって働いていく本能的な性質をみていくのです。そして、頭のなかで描いた疑似環境が思想、感情をもって、行動を決めていくのです。
 国家意思、集団精神、社会的目的など個々の内部で感じたり、考えたりしているうちに彼自身の関心がどのようにして同一化され、ステレオタイプ化になるのでしょうか。そして、ひとつの型にはまった考えになっていくのでしょうか。
 外部から送り込まれたメーセージがどのように機能しるのでしょうか。人々に見えない事実をはっきり認識させる独立専門機関がなければ、代議員制に基づく統治形態がうまく機能しなというのがリップマンの考えです。
 民主主義者は、新聞こそ自分たちの傷を治療する万能薬だと考えていますが、ニュースの性格やジャーナリズムの経済基盤を分析すると新聞は世論を組織する手段として不完全だとリップマンはみるのです。世論が健全に機能するためには、公衆に奉仕する世論によって、新聞は作らねばならないということになるのです。
 リップマンは、第1世界大戦まで、戦争は死傷者によって決せられるという戦争観が主流ということで、主義主張のために戦争ということを信じるものはいなかったのです。戦略あるいは外交はものの数ではないということです。

 公報は、公正を装って、ドイツ軍に大量の死傷者を報じ、血に染まった犠牲者、死体の山、大虐殺について日々かたるのです 。われわれは、これを宣伝と呼ぶことをすでにしっているというのです。
 一般の人たちが自由にアクセスするのを阻止できるように一握りの人々がニュースを自分たちの目的に適するように案配するのです。戦争においては、取材、報道を管理する仕組みができるのです。戦場にいる軍隊の幕僚たちは、一般国民が認識する事柄に広く統制を加える場所にいるというのです。
 かれらは前線に赴く通信員を選ぶ段階で手を回し、前線における彼らの行動を統制し、前線から送られる通信文を読んで検閲して、電信を操作するのです。軍の背後にある政府も同じです。公的に集会に対して、法的権力によって統制するのです。それらは、秘密情報機関によって行われと言うのです。

 


マスコミの道徳規範

 


  リップマンにとって、道徳規範は諸事実に対する一定の見方の前提になると考えています。広く受け入れられる愛国心の規範が想定している人間性と商業の規範が想定している人間性とは、別種の見方になるというのです。一人の人間でも、それぞれの場面、立場によって、道徳性も異なってくるのです。

 例えば、子どもに甘い父親も上司としてき難しく、市民としては熱心な改革者であり、外国問題では強欲な愛国主義なのかもしれないのです。このようなことは一般的にあることです。
 現在の教育状況にあっては、一つの世論は何よりもまず道徳規範を通して見た事実の一つの見方です。われわれがどのような種類の事実群をみるか、どのような光をあててそれを見るか、その大方を決定するのは、われわれの規範の中心にあるステレオタイプのパターンなのですとリップマンはみるのです。
 つまり、私の道徳的判断のもとで、私の事実の見方を否定する人は、私にとって誤った人であり、異端の人であり、危険な人になるというのです。対立者についての説明が必ず必要になるいう見方の習慣が求められるのです。

 このことによって、対立者に対する見方が寛容になれるのです。この寛容の習慣がなければ、自分の描くものが絶対的になり、批判や反論は裏切りものになるのです。われわれは、よく自分の反対者を悪者、陰謀家に仕立てがちです。
  第1次世界大戦の1917年の末、帝政ロシアの崩壊がレーニンの指導するロシア革命アメリカのウイルソンの14ケ条講和提案によって、これまでのプロパガンダを受けてきた既成の戦争観が大きく人々の気持ちが揺らいでいったということです。

 人々の関心は、もはや公表によってつなぎとめることがむずかしくなったのです。かれらの注意は、ときには自分自身の苦悩、自分の党や階級の目的に、ときには政府に対する幅広い恨みに向かうのです。公式の宣伝によって、生まれていた認識、希望、恐怖、憎悪という刺激の組織されたものが崩壊しようとしていたのです。
 何のなための戦争か。敵と命がけで戦わなくとも交渉によって解決できるのか。戦争の目的ではなく、講和条件を実現することで平和が実現するのではないかという一般民衆の意見は変わっていくのです。
 ウイルソンが提案した14ヶ条は、最初の5項目に戦争当事国の誰でも容認できる公開外交、海洋の自由、貿易の機会均等、植民地の帝国主義併合の禁止、国際連の公言、そして個別的な国の条項など、対立する観念はそれぞれ共通にもっていますが、解釈の争いを表面化することではなく、誰もが14ケ条の中に自分の気に入るのをみつけて、希望のすべてを合流しての幸福な未来へ論じるようになったのです。

 以上のように、リップマンは個別の希望を抱えているあらゆる集団をふるいたたせる希望のもてる調和をとりつける言辞の重要性をみたのです。
    世論がどのように源を発し、どのような過程を踏んで導きだされたかについては、リップマンの最大の関心なのです。偏見と直感だでは充分でないという信念が、そのコミュニティティティ全体に成長しない限り民主主義ではないとリップマンはのべるのです。
 偏見や直感ではないという事実の認識は、時間、金、意識的な努力、忍耐、平静心を用いた意見の練り上げてことが求められているのです。そこには、常に信念としての自己批判の精神の成長が伴うのです。自分たちが読んだり、語ったり、決定したりするにあたって意見を分析する習慣が身についていくならば、操作されたりすることはないのです。民主的な議会制政治は世論を神秘的な存在に仕立て、世論の組織化をして、投票日まで過半数を得てきたのです。

 

世論形成と議会制民主主義

  世論を操作することは、議会制民主政治にとって有効な方法とされてきたのです。人はみないかなるときも理性的であり、教育を受けており、知識があると考えて、議会制民主主義を政治学の分析家はみていますが、世論の操作ということが現実に機能して、それは間違っているとリップマンはみるのです。

 さらに、かれは、自分の外部世界については、把握することができないと。人々が自分が住み、働いている土地の習慣なら知ることができるのです。また、その土地の性格などはもっとはっきり把握することができるのです。

  しかし、外の世界については想像しなければならないのです。その想像を可能にするのは、統治者が直接的に確実に知ることの範囲に限られ、人間の能力が自然に及ぶ範囲に基づいて政治を行えば、この限界論から逃げられないのです。近代的な新聞、世界規模の通信サービス、写真や映画が普及するなかで、世論の形成になるのです。
 さらに、リップマン世論形成について、次のようにのべます。それは、測定とか記録、量的・比較的分析、証拠基準、証人の偏見を修正したり、差し引いたりする心理学的分析です。このような世論形成のなかでの議会制民主政治の選挙が行われているというのです。一般大衆の自発的な世論形成は限定で、日常経験から得られることがあります。それは、事実は孤立した地方タウンシップの事情に近いもので、範囲は人間の直接的な確実の知識の範囲です。
 リップマンのみる自治、自決、独立ということでの自治集団は、日常生活の境界を越えた同意とか共同を意味しているのです。自給自足的共同体からの民主主義という観念は、開拓者の理論です。

 人々は自分たちの良心から政治的な知恵を引き出すときに、一つの共同社会がもっている外界世論になる。それは、ステレオタイプ化されたイメージからなりたっているのです。そうしたイメージ群は、かれらの法的道徳規範から引き出された一定のパターンに配列され、地域内での経験によって呼びさまされた感情によって活動するのです。
 このことから、目の届かない環境を小さくして、外国との貿易も恐れ、大都市を作り出すことも嫌うのです。外交政策栄光ある孤立外交政策をもたないという見方もあるのです。過去のアメリカのモンロー主義、スイス、デンマークなどの民主政治などがその事例です。

 われわれのステレオタイプの性格は、世界の小さな一部分にすぎないこと、その知性はせいぜいさまざまな観念の粗い網の中で、世界の一面要素しかとらえられないとみるならば、自分のステレオタイプのときに、それを重く考えずに、修正することができるのです。民主義の形成期における生活範囲のコミュニティの自治について、リップマンは以上のように指摘するのです。
 日本の現代から自治、自決、独立という概念は日常的なコミュニティティの範囲からの概念からではなく、その外界ということから個々の意識をみることは必要であることは大切ですが、自給自足はほとんど消えて、国際的な市場をとおして生活物質を得る社会です。税の仕組みや社会保障なども国家によって決められていくのです。日常的な生活のひとつひとつ外界なくして実態的に成り立たないのです。

 つまり、それは、日常の暮らしのなかから、市町村、県、国、世界という思考が重要になっていくるのです。このように、操作されている世論ではなく、一人一人が自立的・自発的に判断していくには、その能力形成の仕組みや自ら情報を自発的に得ていく手法の技術が重要になっています。インターネット・SNSの情報社会のなかで、操作されていく要素は一層に大きくなる一方で、自ら情報を得、または発信していく技術と手法をもつことによって、自発的になれる可能性も同時にもっているのです。
 リップマンは新聞について、ひとつの事業といえるほど単純なものではないと考えます。新聞は、通常その生産品が原価を割って売られるのです。社会が新聞を評価する場合と商業や工業の場合との倫理的尺度が異なるのです。ジューナリズムを法律、医学、工学などの仕事と比較することもできないのです。

 購読者の立場から判断するなら、自由な新聞は事実上無料で配布されることになるのです。広告されている日用品を買うたびに、大衆はそれと同じかそれ以上の費用を支払うことになっています。
 新聞の発行部数は目的のための手段です。発行部数は広告主に売ることができる資産の一部です。広告主は将来顧客となる人たちに届く確率が高い出版物を選んで、そのスペースを買うのです。新聞が発行されるのは、消費者のものの考え方を尊重して、広告主を媒介して、消費者のためにあるとリップマンはみるのです。
 新聞の発行部数を維持する主力は、政治社会のニュースではないのです。その方面への関心は盛り上がらないのです。新聞社はそれに頼っては事業を存続できないのです。新聞社は多種多様の特別記事を備えていなければなりません。それは、読者を逃がさないためです。大ニュースについて、その善し悪しは批判の目をもちあわせないため、大ニュースは、各紙は主要事件に標準的に取り扱うのです。 
 ニュースは社会状況の全面を映す鏡ではないとリップはのべるのです。各紙が熱い視線を持って読者をつなぎとめておくのは、ニュース以外の上流社会のスキャンダル、スポーツ、映画、女優、失恋アドバイス、消費者欄、料理法など、あらゆるものごとを書くのです。広告主が新聞を後援するのは、消費者集団をつなぎとめておくことなのです。

 編集者は、その手腕が問われているのジャーナリズムを支える経済事情は、ニュース報道の価値を下げる状態にあります。しかし、ニュースを伝える有能な記者が仕事をしている場合もみるのです。ニュースは、目につくはっきりした行為の形でなければならないのです。残酷なほどはっきりした行為で世間の目につくのです。
 労働問題、労働条件が悪いという事実だけではニュースにはならないのです。ニュースにできるのは、素材がはっきりしている場合、保険局がある産業地域における異常な死亡率を報告した場合です。この種のものが介在して、労働者が団結して雇い主に要求を出したときにニュースになるのです。
 ニュースは、ひとりで突出しているある一面についての報告です。ニュースは地中で種子がどのように出芽するかを語らないのです。ある出来事が、目をつけられ、客観化され、測定され、名づけられるような要素を多くもっているほどニュースになるのです。

 


新聞は社会的公正なのか

 


 リップマンは新聞のニュースの社会的公正さに大いに疑問をもっています。どんな事実をどんな印象を新聞に載せるかの選択は、新聞担当者の自由です。戦争の少し前にニューヨークの新聞担当者は1200人雇われていたのですが、世界戦争が終わった段階で大幅に減らされていくのが実態です。組織集団の誘惑からの新聞の戦略がみえるのです。おおきなニュースの場合には、そのほとんどの事実は単純ではないのです。どれを選択するか、どんな意見をつけられるかは新聞担当者の判断だからです。
 事実のなかから自分自身が選択したものを新聞の印刷にまわすのは広報担当者です。記者にイメージを提供し、記者の手間を省くのも広報担当者です。広報係は検閲官であり、宣伝家ですが、その責任は自分の雇い主に対して負うのみです。事実全体に責任を負うのは雇い主が自分自身の利益と考えている事実と一致すると判断するかであるのです。

 ニュースと真実は同一物ではなく、はっきりと区別しなければならないのです。真実の働きは、そこに隠されている事実に光をあて、相互に関連づけ、人々がそれを拠りどころとして行動できるような現実の姿を描き出すことであるとリップは強調するのです。
 さらに、ジャーナリストは、客観的な検査方法が存在しない限り、自分自身の意見、自分自身のステレオタイプ、自分自身の規範、自分自身の関心の強弱によって成り立っていることを抵抗なく認める必要があるのです。ジャーナリストは自分自身が主権的なレンズを通して世の中を見ていることをしっているのです。
 リップマンは、社会的真実は組織化され、新聞からの世論形成は、民主主義理論が要求するだけの情報量を供給することができなくなっているというのです。真実の全貌を新聞が提供してくれることを期待したら、誤った基準で判断したことになると強調します。ニュースの有限的性格と社会の無限の複雑性を正しくと理解して、自分自身の忍耐力、公共の精神、そして万事に対応できる能力が求められているというのです。
 新聞はせいぜいが制度の召使兼番人であり、悪くすれば少数の人間が自分の目的のために社会解体を宣言する際の道具になるのです。制度がうまく機能しなければ、それにつれて無節操なジャーナリストが混乱につけ込んで利益をえたり、良心的なジャーナリストが確実に見込みのないまま冒険しなければならないのです。
 新聞は制度の代役をはたすことではないのです。人々が自分自身の安定した不動の光に頼って働くときはじめて、機会があれば国民の意志決定に充分に役立つことがあるのです。民主主義のあきらかな弱点は、はげしい偏見、無気力、重要だがつまらないことへの反発心からき些末なことがらの好奇心をあおること、枝葉の不完全なものへの欲求に対して、あまりにも主導性が乏しいことになります。

 

社会学者の世論形成の役割


  リップマンは社会科学者の民主主義に果たす役割を指摘するのです。特殊な訓練を受けた法律家は、広範な真里の体系によって、政治や産業の管理運営に寄与すると考えられました。

 しかし、実際は伝統的な法律家の能力だけでは充分な助けにならないことが経験的にわかったのです。技術知識の応用によって、巨大な広がりをもった社会を正確な計画と大量分析の駆使ができるようになったのです。人間社会の支配下にいれることが可能になったのです。

 統計学者、会計士、検査士、産業カウンセラーなどの専門家という社会を管理する技術知識者が存在したのです。これらのことによって、社会科学者実証性の可能性が多いに可能になったのです。社会科学者は、自分の理論を一般の人たちにそれを証明する手立てをもつようになったのです。今まで、実験室で行われる科学よりも社会科学者は、はるかに責任は重いのですが、確実性が低いのです。
 社会科学者が議会の報告、討論、調査、訴訟事件摘要書、国勢調査、関税、税明細書などを巧みに利用して、研究するようになったのです。また、法律の一部を運用し、あるいは正当化し、説得し、主張して、自分のできるかぎりのものを生みだしているのです。
 実際問題を扱う学者は、新しい社会科学の開拓者です。学問と行動との実際的な協同から、行動はその信念を明白にすることによって、信念は行動のなかで確かめられるのです。くさびはうちこまれるのです。

 手助けを必要とするのは、一部の産業界の指導者や政治家たちだけではなく、市政調査局、議会参考図書、会社・労働組合、さまざまな有志団体によって、同業組合、市民連合、出版物、一般教育委員会などによってくさびは打ちこまれたのです。
  くさびがうちこまれることによって、主権を有する一有権者として、専門的な情報を消化することもできるようになるのです。議論に望む一党派として、立法府の委員として、政府、実業界、労働組合の一員として、争点となっている特定の問題の報告書は歓迎すべきです。一市民も何らかの関心をもって任意団体に所属して、そこでスタッフを雇って書類を研究し、役所の仕事にチェック機能を果たす報告書をつくることができるのです。
 まさに、くさびが打ち込まれたことによって、社会的に世論形成の公平性を出発させていくのです。民主主義を発展させるために、社会科学者の役割が極めて重要なのです。日本の大学において、新自由主義のもとで、経済的な価値だけを求めての科学の役割が議論されることが多い。民主主義の発展が個々の国民の創造性や努力をいかに引き出していくのかということです。

 社会科学は、実際の社会との関係で実践的に考えていく力になります。すべての科学分野においても社会科学や人文科学などが民主主義形成と科学ということから社会的に求められているのです。大学における教養教育は、この意味でも大切なのですが、実利的な経済的価値ということに狭められているのです。

 

世論の形成と市民教育・社会教育の役割

 

 リップマンからみれば、多くのひとびとは局外者というのです。特定の問題に判断を下す時間の注意力ももたない。一般的には、勝負事で困ったときの切り札として、世論をもちこもうとするときがあるというのです。そこでのあらゆる複雑な問題を一般公衆に訴えるのは、知る機会を持ったことのない人たちをまきこむことによって、知っているひとたちからの批判をかわしたという気持ちから出てくるのです。
 世論は、大きな声を出している人、巧妙な宣伝家、新聞広告の最大スペースをもてる立場から決まるのです。市民教育を受けて自分をとりまく環境の複雑さに気が回るようになるにつれて、公正さと健全性に気がつくようになるのです。

 そこでは、自分の選んだ代表者自分の代わりにそれを見守ってくれることを期待するようになるのです。リップマンは、知る機会の重要性と社会的に公正に判断できる能力形成について、考えていくのです。
 リップマンは、教育を最高の良薬でとしてみるのです。教育の価値は知識情報の伸びにかかっているというのです。多くの人々にとって、人間の制度について知っている内容は法外に貧困です。社会的知識の収集は全体的にいまだ組織化されていないのです。それは、行動の決定に伴っていなければならないのです。現実はそうではないのです。  リップマンは、以上のように、社会科学の発展、市民教育の重要性を民主主義にとって極めて重要な要件としますが、今後の課題とするのです。
 リップマンの主張から真実に向かい合い、多様性と個々が自発性をもって、理性的な判断ができるような民主主義を発展させていくしくみには、社会科学者の役割が一層に重要になっているのです。それぞれの分野において、社会科学の発展の期待と共に、それと対応した国民一人一人の住民自治能力形成、真実に向き合う社会的判断能力、自らの暮らしを豊かにしていく能力形成など社会教育の役割が大切になっているのです。多様性をもっての真実に向き合う国民の世論形成も、そのなかで充実していくのです。

 

 

大分国東半島の世界農業遺産と地域循環経済構築

大分国東半島の世界農業遺産と地域循環経済構築

 

 国際連合食糧農業機関(FAO)は、2002年から世界農業遺産認定の活動をはじめました。その内容は、重要な伝統的農業・林業水産業生物多様性、伝統知識、農村文化、農業景観を保全し、持続的な活用を図るための認定をすることです。
 その認定基準は、 1.食料及び生計の保障。地域コミュニティの食料及び生計の保障に貢献することです。

 2.農業生物多様性として、食料及び農林水産業にとって、重要な生物多様性及び遺伝資源が豊富であることです。

 3.地域の伝統的な知識システム。これには、「地域の貴重で伝統的な知識及び慣習」「独創的な適応技術」及び「生物相、土地、水等の農林水産業を支える自然資源の管理システム」の維持です。

  4.文化、価値観及び社会組織 。地域の特徴になる文化的アイデンティティや土地のユニークさを認め、資源管理や食料生産に関連した社会組織、価値観及び文化的慣習が存在することです。

 5.ランドスケープ及びシースケープの長年にわたる人間と自然との相互作用の発達と共に、安定化し、緩やかに進化してきたランドスケープやシースケープを有することです。
 これらの システムの持続性のためには、保全計画が求められています。

 世界では22カ国62地域で、アジア地域37地域(日本11地域)、アフリカ10地域、欧州7地域、中東2地域、中南米4地域です。(2022年1月現在)日本は国東半島、トキとの共生、能登里山、静岡の茶草場農法阿蘇の草原、長良川の鮎、みのべ・田辺の梅、宮城県の大崎耕土法による水管理の水田、静岡の水わさび、阿波の傾斜地農法。

 大分国東半島の世界農業遺産の特徴は、クヌギとため池がつなぐ循環システムが15世紀からそのままの続く農村風景。自然循環型の伝統的農業を現代まで生きていることと同事に、地域の伝統文化との関連が深くあることです。それは、神仏混合の修験道文化です。その歴史文化について、ブログに神田はすでに記載しているので、参照をしてもらえれば幸いです。

国東半島の六郷満山と修験道: 神田 嘉延ー歴史文化の旅から学ぶシニア人生ー (webry.info)

国東半島の六郷満山(2)ー文殊仙寺と岩戸寺: 神田 嘉延ー歴史文化の旅から学ぶシニア人生ー (webry.info)

 さらに、この地域では、伝統的な農村文化のなかで、自然思想、科学思想の優れた人類史的な日本の思想として価値をもつ三浦梅園や帆足万里などの傑出した思想家があらわれていることです。

 

豊後高田市の田染荘の取り組み

 

 高田市の田染荘は神仏混合や修験道の優れた文化遺跡があります。それらを地域の人々が長年にわたって守り続けてきたのです。この地域は宇佐神宮との関係が深く、富貴寺大堂は、九州最古の木造建築物です。大堂壁画には、極楽浄土の世界が描かれています。

 真木大堂は、かつては六郷満山の大寺院として栄えたところです。木造大威容特明王像、木造阿弥陀如来像、木造不動明王と、四天王立像、二童子象の九体の貴重な文化財が大切に管理保管されています。大威徳王象は、六つの顔(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界)。天井気塊の六つの腕(矛、長剣など守護)、六つの足をもっています。木造としての日本一大きな大威徳王象です。密教彫刻の大作です。神の使いの水牛にまたがっている象です。水牛という南方からの使いということなのです。

 熊野磨崖仏は、大日如来像と不動明王像があります。大日如来は、密教の本尊とされるものです。これらの像は、鎌倉初期の文献に確認されています。それ以前の平安期につくられたのではないかと推定されます。

 

地域文化の磨崖仏

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富貴寺

 

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真木大堂の大威徳王像のポスターから

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真木大堂から修験道の山登りで金比羅宮に。

 

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田染の世界農業遺産の取り組みは、鎌倉時代から変わらない台薗(だいそん)集落で、中世からの屋敷名や地名が古文書から現在と同じであることが確認されています。荘園の風景も変わらず維持されているというのです。

 古文書では「末が末でも、一味同心の思いをなしえ(皆々で思いを一つにして)の古文書に書かれていることを大切にしてきた地域です。田染荘は、宇佐八幡宮の本御荘18ヶ所とよばれる根本荘でした。

 千年近い歴史をもって伝統的な農村風景を維持してきたことは、宇佐八幡宮と関連が深かったのです。土地の自然の形状を有効に活かした水田の形成をみることができます。ため池を集落の里山の各地につくり、田越しの水田から水田へと水を流す灌漑方法をしているのも特徴です。

 訪問客のセンターとして、ほたるの館と郷土の味レストランもつくっています。また、民泊に九軒の地域の人たちが協力してくれていますので、宿泊の教育の活動にも利用できるしくみになってます。田染地区のおいしいものとして、しいたけの甘辛煮付け、マコモのきんぴら、フキの佃煮、安心安全な田染荘園米を売り出しています。

 

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夕日朝日観音

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夕日観音からの田染荘の田園風景

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国東市の旭日地区のため池めぐり

 ため池の連携システムを行っているのが、旭日地区の特徴です。国東半島では、山の傾斜地も多く、大きな河川がなく、川はすぐにかれてしまうということから、昔からため池が積極的につくられてきたのですが、旭日地区は大きなため池も無理なことから、ため池との連携をしているのです。

 6つのため池を用水路でつないで、再上流にあるため池は、水稲の生育期と後期用として蓄えているのです。ため池と用水供給システムを継続的に運用するようになっています。さらに、クヌギ林を活用しての地域産業づくりを行っているのです。クヌギは、根元から切らずに、伐採すれば再び再生するという性質をもっています。森の恵みのしいたけのふるさととして、クヌギの保水性を利用しているのです。

 田染荘も旭日地区の取り組みも次の世代に広く継承してもらいたいということで、教育活動に積極的に取り組んでいるのです。地元の小学校、中学校、高校はもちろんのこと、修学旅行などの教育旅行に積極的に利用してもらっていることです。さらに、交流人口の拡大として、青年や大人達の視察や研修野受け入れをしていることです。そのなかで、移住者の斡旋もしていることが特徴です。地域の後継者ということを地元のみに限定していない取り組みをしているのです。

 このためには、地域の人々が、自分たちの住んでいる地域について、深く学ぶということで、世界農業遺産のとりくみとしての社会教育活動をしていることです。また、学校教育として、農業遺産の内容についいて、独自にテキストをつくって学習していることです。

 

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山のなかにも降った雨をため池に流すように水路をうくうています。

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 集落には、山の裾野に土手のダムの堤防をつくってため池にしています。国東半島はいつも流れている川がなく、雨が降ったときに川ができますが、すぐに川はかれてしまうため、降った雨は大切にして、ため池にためる慣行が昔からあったということです。

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