社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

社会教育推進全国協議会 2025年全国集会イン北海道・総括集会

社会教育推進全国協議会 

 2025年全国集会イン北海道・総括集会

 9月21日に北海道集会の総括会議がオンラインと現地実行委員会の参加のもとで、開かれました。北海道集会は、社会教育に直接に関わる職員と地域住民の学びということよりも,地域の暮らしのなかから学びの実践を考えるということです。ここでは、社会教育のとらえ直しを関連の分野から考えていくということでした。

  とくに、地域福祉と社会教育ということに大きな争点がありました。それは、福祉の市場化に対する地域住民の学びという視点ということです。総括会議では、そのことを全体のものにしていくというねらいがあったと思います。社会教育の関連部局ということで、地域福祉ということからの学び、地域づくりからの学び、農副連携事業などの学びなどがあります。

 特定非営利活動法人あいの報告は、福祉の中にある社会教育を考えるということでした。それは、障がい児支援の実践からでした。児童発達障害者が住み慣れた地域で安心して暮らせるようにするためには、今までのような対応でよいのかという問題提起です。

  福祉の限界を強く思って居場所づくりとして、愛ちゃんの家をつくったのです。児童発達支援管理者、保育士、児童指導員、臨床心理、看護師、介護福祉の配置で、積極的に社会教育との融合を考えたのです。それぞれの専門化の配置は重要なことです。

  しかし、個々の専門化が自分の特化した仕事にのみに専念していれば、人間の発達を部分的側面からしかみない問題が生まれていくのです。それぞれの専門が融合して、人間の発達を全面的な側面から、さらに年齢ごとの発達課題からみていくことが求められるのです。高齢者にも発達課題があることを決して忘れてはならないのです。

 報告者の問題提起の感想から、高齢者として、次の世代に継承していく役割あるということを積極的に考えたのです。高齢者と子どもとの接触は、高齢者自身の生きがいと共に、子どもに生きてきたことの生の歴史や伝統文化を伝えていく大きな意味をもっているのです。昔は、地域や家族というなかで、高齢者と子どもの交わりがあたりまえのようにありました。そこでは、おじんちゃんやおぼあちゃんから昔の話を聞きながら子どもは育っていきました。子どもたちの遊びは異年齢集団で、祭りなどでの地域行事は、異世代との交流もありました。

  現代社会は、昔の地域でのあたりまえの暮らしや地域での働く場が極めて少なくなっているのです。これは、社会の分業化や専門化が進み、伝統的な地縁組織の崩壊現象がもたらしたものです。これは弱肉強食の競争と組織の効率化を求めれます。非人間化した命令と実務による官僚主義の弊害があらわれます。組織が巨大になれば、その傾向は一層に強くなります。

 これらは、資本主義の高度化による社会構造がもたらしたものです。これに、抗する人々の新たな地域での主体性をもった自立的な暮らしと文化を豊かにしていく組織づくりが求められているのです。暮らしの権利や公害問題克服などの地域住民の民主的な運動や労働組合の地区での協議会もなくなり、組織それ自体が弱体しているのが実態です。人々の孤立化や無縁化が進み、インターネット社会の蔓延のなかでSNSに人々の意識が支配されてる時代になっているのです。直接的な対面の人間的ふれあいの関係がより大切になっているのです。

 現代は、弱肉強食の利益のみの強欲の資本主義資本主義に抗する新しい経営の在り方の教育も展開されています。中小企業家同友会により、社長も社員も共に育つ人間経営の模索。稲盛和夫が提唱した社員も参加していくアメーバー経営の学び、労働者協同組合法の成立により働く人々が出資して、労働者が直接に経営に参加する方式による学びの展開がされているのです。

 さらに、農福連携事業として、新たに、安心・安全の食生活ということで、地域福祉と農家の結びつきによる地域おこしがおこなわれているのです。地域福祉は、様々な地域づくり施策と運動と結びついての未来への地域づくりへの学びが展開されているのです。このなかで、社会教育の役割が一層に重要性を帯びてきているのです。つまり、未来社会への学びとしての夢のある社会教育の展開です。

 市民運動として、貧困化する子どもの実態のなかで子ども食堂の運動もみられます。環境問題が深刻化するなかで世界的規模でSDG.sの運動が展開されています。地球温暖化現象は緊急性を要することで、全世界での市民運動にもなっています。

 報告者は、福祉現場では、専門職を多数配置していますが、学習支援、芸術的活動、ゲームプログラミングなどに特化していると違和感をもっているというのです。たぶん、報告者の違和感は、すべてが、地域での自然的な関係からではなく、上からの専門家による市場との関係でつくられたものであるということではないかと思うのです。

 報告者は、社会教育士との出会いによって自分の考えが変わったと言う。子どもを真ん中にして、地域の人びとと、制度や専門性にしばられずに、みんなで考えるという協働を理念に地域での共生社会推進の構築の必要性を思ったというのです。

 感想として、見逃してはならないことは、次のことがあります。社会教育実践の理念は地域の暮らしや仕事をベースに展開してきた歴史をもっているのです。民主的な社会教育の実践者は、このことを守りながら社会教育推進の運動をしてきたのです。

 社会教育行政の公民館講座の多くは、地域に根ざしての実践ということよりも趣味やおけいこごとに特化している現実もあることを見落としてはならないのです。個々が趣味やおけいこごとで、集まりをもつことは孤立化した地域社会のなかで大切なことです。それがいかにして、地域の結びの輪に成長していくのかということです。まさに、意識的に結び合いの学びをどのようにして展開していくのかということです。

 新たな時代のなかで、地域に根ざした民主的な社会教育実践者は、地域の暮らしや仕事との行政との結びつきや、地域の非営利団体・法人、民営化した地域福祉、職業斡旋・訓練などとの関係で、公民館をはじめ社会教育行政の在り方も模索しているのが現実と思うのです。

 

 京都北部のリフレかやの里での農副連携事業の実践は、福祉と地域と行政の協働の報告です。この実践は1970年に重い障害をもつ子どもたちの学校を開校し、その後に卒業生の就職が大きな問題になって、1975年に障がい者の働く場所の共同作業所からはじまったいう長い歴史をもっている社会福祉法人です。

  1980年に社会福祉法人を設立して、45年経った今日、21ケ所、事業所で300人の職員をかかえる障がい者の働く場所が生まれているということです。この実践は長い京都の教職員組合の運動や地域住民の運動によって、支えられて、それに対応した地方自治体の民主的な施策があったのです。この歴史的事実は極めて重要なことです。地域の民主的な運動に支えられて、ここでの社会福祉法人の展開があったということです。

  現在は、過疎化する農山村で農業後継者の問題が深刻になっている現状で、障がい者の働く事業が積極的に農福連携によって、農産物を加工して、販売までもかねての6次産業の地域興しを展開しているというのです。

  障がい者が働くことで自立していくということだけではなく、地域から感謝されて、大きな誇りをもつようになったということです。農産物加工の工場をつくっていくうえで、役場行政の役割が大きくあった。役場職員の熱心な中小企業支援の制度の工夫の援助。議員一人一人の理解による議会の全員一致の資金援助の決定。地域の農家を支え、120戸と委託加工契約ということで、小規模のジュース製造を行ったのです。

 まさに、障がい者の共同作業所の仕事が過疎化する農村での新たな産業起こしの実践ということで、地域の再生に大きな役割を果たしているのです。ここでは、農福連携ということからら、さらに、発展して、地域の産業づくりという大きな役割を障がい者の共同作業所が果たしているのです。農福連携から地域の産業の再生ということで、地域の学びという社会教育実践が大きく絡んでいることは、きわめて、教訓的な実践事例です。

 子ども・若者の居場所つくりとしての社会教育施設の活用として、大阪のNPO法人北摂こども文化協会の実践報告がありました。池田市児童文化センターの指定管理を受けての実践でした。公立での児童文化センターは、全国で27館しかない貴重な施設ということです。教育委員会管轄の児童文化センターでの子ども・若者居場所づくりの特徴があります。さらに、小学校の校区にない地域に出張居場所づくりを展開しているということです。

  この児童文化センターは、池田市の子ども・若者居場所運営事業として、令和6年、令和7年と単年度事業として、行っているのです。社会的自立を支える公的な居場所づくりの創出が大きなねらいでした。不登校の子どもや社会的繋がりの薄い若者たちの居場所づくりです。

  大人や社会による一方的な過度の期待に押しつぶされ、人間関係で傷ついた子どもたちや・若者たちを自分のペースで心のエネルギーを満たす場をつくりになるのです。ここでは、あるがままのあなたでいいよということで、自立を強要されず、人生を急がせることのないような場づくりをめざすものをねらいとしているのです。

  傷ついた子どもや若者にとって、市内の児童文化センターは、幼少期の遊びの場であったため、親しみや懐かしい場所ということで、社会に居場所のない若者にとって来ることに精神的ハードルが低いのです。同じ立場の子ども同士の交流を楽しむ子どもたちの姿がみられ、自由来館者と交流し、自由に遊びをするのであった。自分のペースで居場所があり、心身が回復できる場であるというのです。ここでは、弱音や辛さを話しても否定されずに聞いてもらえる楽しさがあるというのです。

 この報告を聞いての感想は、どうして、このような居場所のなかった子どもや青年が自分のペースで、弱音や辛さを話す自由な場になっているのか。ここでの職員の具体的な取り組みの姿勢や職員の資質・能力なども含めて知りたいところです。全国的に仕事に就けない若者の相談活動や居場所づくりの展開が行政の支援で行われていますが、池田市の特徴を浮き彫りにするためにも知りたいところです。

 不登校や居場所のない子ども・若者が安心して居場所に赴くには、当事者家族や子どもを取り巻く大人の「子どもの権利」についての啓発が不可欠ということです。新しい状況をつくりだそうとする学びの協働が、生涯学習推進室・地域教育課や福祉部局の行政との新たな連携のもとに地域のなかでつくられはじめているということです。 

 この事業に学校教育の関係者は、どのように関わっているのか。学校に行けない子どもたちということで、全くかかわっていないのか。学校教育の在り方を考えていくうえで、不登校の子どもたちや仕事につけない青年の実情を教師たちが知ることも大切ではないかと思うのです。

  この児童文化センターの居場所づくりの実践は単年度事業の継続ということで、長期的に展望をもって居場所づくりから、不登校の子どもたちや居場所のない若者をかれら自身の自由な自分のペースからの世界から未来へ羽ばたいていけることが必要だと思うのです。それは、居場所づくりから自分のペースから自分の個性をみがいて生きがいをみいだしていくことが求められているのです。

 保育の市場化に抗する社会教育としての報告がありました。福祉や教育の生きていくうえで大切な分野が、新自由主義の競争社会のもとで、人気や流行で、本来の人間尊厳、発達保障ということにならず、競争効率や利益主義の現実ということは十分に警戒すべきことです。

 西東京市は、公民館6ケ所のうち、5館が、1975年から保育室を設けているのです。これは、乳幼児を育てている市民が保育付き講座や、学習支援保育を利用するサークル活動に参加できるようにという配慮からです。ここでは、保育員が生後6ケ月以上から学齢期前まで保育を行っているのです。

 しかし、昨今は、保育を利用する子どもの数、学習支援保育を利用するサークルも減少して、令和7年度前期の5館のうち4館が定員割れをして、公民館保育室を見直す状況になっています。

 とくに、西東京市のひばりが丘公民館の保育付き講座は、厳しい状況にたたされています。この公民館には、図書室がなく、親子ずれの来館が少なく、市のはずれで、半径1.5キロ範囲内の半分が市外となっているのです。また、地域内での新築や転入が減少して、体育講座などは休業状態です。

 また、学習支援保育は、難しくなっているのです。乳幼児の子育て中の親のサークル活動や講座の参加者のニーズは高いが、保育を利用する子ども少なくなっています。0歳から5歳まで預け入れ可能な民間の保育所に、乳幼児を育てている親は預けているというのです。民間企業が保育事業に参入する勢いは止まらないのが現状。

 そこでは、入園要件に就労用件がないのです。80人まで受け入れ可能な民間の保育所が当館から自転車で7分以内に3ケ所できます。東京都は、0歳から2歳まで保育料無償化の施策を打ち出しています。就労を条件としない保育所の増加によって、何時間利用できるのかという預かり保育ということでの幼稚園の事情も大きく変わっていくというのです。

 保育事業は投資の対象として、将来性のあるビジネスとして認識されているのです。保育の市場化は一層に高まっていくのです。健全な子どもの発達保障をどのようにしていくかという保育の質を高めていくという議論と逆行するのです。長時間保育ということでのビジネスということが進んでいるのです。10時間以上30%、9時間19%、8時間16%というのが西東京市の現状という。

 報告を聞いて、次のことを思いました。ここには、子育てをしている親の労働の問題もあるのではないか。子育てが十分にできる労働との両立が求められているのではないか。また、乳幼児の育ち、教育が保育所や幼稚園で、どのようにされているのか。そこでの保育士さんたちの学びはどうなっているのか。

 また、労働条件はどうなっているのか。契約職員なのか、正規の職員なのか。保育士さんたちがやりがいをもって、子どもたちの受け入れをして、保育の福祉と教育活動をどのようにしているのか。

 幼児期の発達は、子どもの母国語である言語形成にとっても大切です。母国が豊富にみにつけられて、表現力も豊かになっていくことは大切なことです。思考力や創造力の基礎を作っていくうえで母国語は大きな役割を果たすのです。

 情操発達という側面からの人格形成にとっても大切な時期です。保育所は単に子どもを預ける場所ではないのです。子ども集団の仲間のなかで、遊びをとおしての人間関係形成や、幼児期における独自の愛情をもって育てられる場でもあるのです。

  報告では、公民館保育運営会議では月1回の話し合い学習で、自己尊重・自己変容と社会変容の学びになっているのです。子ども理解、自己理解、異なる価値観にふれることなどの学びをしています。

 女性の働き方の変化はフルタイムが増大して、共働き状況が増えているというのです。保育付き講座のほとんどが育児休業で職場を復帰するという。継続学習の希望やサークルでの学びも土日であれば可能ということになっている現実。

 保育の市場化によって、たくさんの保育事業所はあるが、横のつながりがなく、情報はクローズされて、流行りのことばのみで独り歩きの宣伝戦になっていると西東京市の保育付き講座の担当者はのべるのです。保護者からは、実際の様子がわからないのが現状という。子どもが発達障などの症状が重い子どもの行き場がない。連携と叫ばれているのであるが、保育や教育の市場化によって、難しくなっている側面もあるのです。実際は事業者が中心で子どもや家族は市場に翻弄されているのです。

 保育の市場化という問題は、現代の新自由主義の経済のもとで、効率化が重視されて、採算性や利益主義が幅をきかしている実態をさらに、詳しく知りたいところでした。まさに、社会教育と保育、福祉と社会教育という課題にとって重要な学びでもあるのです。

 全体の感想として、地域に根を張り、学びと協働で築く新時代という大きなテーマをかかげている集会でしたが、子どもや青年の学びのなかで学校の果たす役割は大きな位置にあると思いますが、教科の学力向上競争に追い立てられて学校教育の実態のなかで、地域に目を向けていく教育実践の在り方を社会教育から問いかけるという意味があると思います。実際の地域に根を張った学びと協働ということで、教師たちは大きな実践部隊であると思います。民主的な教育運動を展開している教師たちの連携の実際はどうなっているのか知りたいところです。

社会教育全国集会・北海道恵庭に参加の学び

社会教育全国集会・北海道恵庭に参加の学び

      鹿児島・神田嘉延

 

 地域に根を張り、学びと協働で築く新時代と称して、社会教育の本質を今一度と問う研究集会でした。北海道を中心に全国から地域の暮らしや文化に根ざした社会教育実践の率直な語らいから、課題を深めていく全国的な研究会でした。600名の参加でした。一日目は、全体集会と交流会で、2日目は、18の分科会に分かれて、それぞれの分野別の報告と討議でした。わたしは、農をめぐる学びと協同の分科会に参加しました。全体会と分科会の報告と、その感想と意見について、のべたいと思います。

 

 一日目の全体会

  一日目の全体会は、北海道の地域の社会教育実践として、ワーカーズコープの報告、恵庭の子ども会育成連合会の報告、地域福祉の非営利法人・あいの報告、NPO法人EZOROKKUの環境活動の報告から社会教育の本質に迫るというものでした。

 北海道のワーカーズコープは、組合員400名で、指定管理団体として、5つの事業を展開しています。子ども食堂や高齢者のための食事配達事業も行っています。報告では、新しい挑戦として、長沼町の廃業になったゴルフ場跡を農と暮らしという視点から、羊を飼って、完全に廃棄物をつくらないで、地域の環境にやさしい循環経済になっていく構想ででした。

 その構想による長沼町との契約団体に指定への挑戦話であった。残念ながら契約法人にはならなかった。羊を飼って、羊のすべてを利用して、環境にやさしい循環経済という地域の夢を語るということでは、大きな成果があったということです。

 長沼町ゴルフリゾート跡地利用について、長沼町産業振興課企業誘致推進室は、住民説明会で、民間事業者と対話し意見や提案を伺うことで事業成立の可否を調査する手法をとったとしています。

 そして、跡地利用事業の公募審査の結果を令和7年2月に公表しています。契約候補になったのは、JFEエンジニア株式会社です。植林事業及びバイオマス燃料化事業・発電用チップ生産。近隣山林から原木を受け入れバイオマス燃料チップ製造して、近隣バイオマス発電所へのチップ販売の事業です。

 バイオマス発電は、カーボンニュートラルに積極的に貢献する一方で、原料の収集や運搬にコストがあがり、効率的に安定供給のために乱伐や海外からバームヤシ殻などを輸入するなどの環境への問題点も指摘されることです。近隣市町村から安定的に乱伐しないで自然循環管理方式と自然にやさしい発電方式で行われていくことが環境に配慮した原則ですが、それがどのように保障されていくのかということが極めて大切なのです。

 長沼町は、ひとと自然が共生する美しいまちをめざすために荒廃化しつつあるゴルフ場内の環境を改善し、開放的な地形や景観を生かした人が集まる施設の建設やアリアの整備を行って地域経済の活性化の事業を基本とする趣旨をあげています。 

 恵庭の子ども会の事例は、役員をなかなか引きうけない実情のなかで、最初は会長を引き受けたが、子ども会それ自身に、意味はないと思っていたということです。コロナで活動がなくなっていた。

 どこの地域でも役員の担い手がいない。まずは、役員全員で、そして、みんなで考えようということからはじまったということです。とくに、子ども会としての課題とはなにか。その課題解決に心がけることを。

 学校や町内実施で学べないことをやるということを設定したのです。町内会に未完入でも学校をとおして、イベント行事を流した。大切なことは、イベントをしていくうえで、保護者に理解してもらうことに力を入れたのです。火起こし体験や昔の原始時代の体験などを子どもたちに経験させて、子どもたちの喜びを実感させたのです。

 遊びを中心として異年齢の集団活動をとおしての子どもの自立や協調性を育むことを重視しているのです。このような実践をとおして、子ども会の子どもの成長にとっての大切な役割があることを認識していったのです。

 恵庭の子ども会の実践として、それを指導していく大人の担い手をどのように育成していくかという大きな課題があったのです。運営は話し合いによって、我が子だけではなく、地域の子ども全体を育てるということを活動のなかで、みんなが高まっていくということで、次世代へ継承していくということです。

 そして、とくに父親の主体形成として、仕事と子育て、地域と文化なども子育て活動を通して継承していくということで、自治体や学校などに積極的に要求していくことも大切ということです。今までの仕事は父親で、子育ては母親まかせの時代からの大きな脱皮です。子育て手のおやじの会は重要な役割を果たすというのです。

 介護福祉のあい(特定非営利活動法人)の実践は、地域の福祉協議会との関係を強くもっての実践報告でした。障がい者、高齢者、児童の発達支援事業、放課後デイサービス事業、福祉の人材育成事業・研修事業などを実施している法人の報告でした。

地域の住民は魚を当初、福祉の世話になりたくないという意識をもっていたということです。現代は福祉を進めていくうえで、地域では町内会や自治会に頼らざるをいない時代です。

 福祉制度のはざまで、落ちこぼれていく人々がいる現実をみなければならいなということを意識的に行った。一人でも多くの人が住み慣れた場所で暮らしたいという願いをもつ人が多い。行き場のない家庭がたくさんあるのです。一人で孤独で暮らす人も少なくないのです。街づくりという視野から福祉を考えていくことが必要ということです。地域の福祉活動と社会教育の出会いがあった。

 いろいろな人が集まり、語るという社会教育の実践の出会いです。社会教育の学びは、「決めつけない」ことから。語らいのなかで、一人一人が「なるほどな」ということの言葉がでてくるように。地域福祉という実践活動をしていくうえで、地域でのさまざまな組織は大切な役割を果たす時代です。

 かつては、町内会や自治会などの地域網羅的な相互扶助のコミュンティティとして、大きな役割を占めていました。しかし、現代は、地域組織が従前のように機能していないのです。目的意識的に相互扶助の地域組織を、それぞれの目的別、機能別につくっていかねばならない時代です。

 その統括的役割は、市町村の行政の暮らしを支える、福祉を充実させていく機能です。その行政の暮らしや福祉の充実の機能を住民主体となって結びつけていくのが本来の社会教育の学びの役割なのです。この意味で、市町村福祉行政と密接につながっている社会福祉協議会の役割は大きな意味があるのです。

  「野外で気持ちよく音楽を楽しみたい」ということから、ごみ分別を13にわけて環境活動を実施しているNPO法人EZOROKKUの活動報告でした。会員は400名でみんなで話し合って、チームで常に環境対策活動を行うということです。

 そして、集めたごみのなかでの生ごみを集めて、豚の糞と混ぜて、たい肥をつくり、そのたい肥を畑にまいて、ジャガイモを育てるオーガニックファームづくりの体験の実践をしているのです。さまざまな音楽のイベント事業を実施しています。アフリカ民族音楽祭も実施しています。

 音楽祭には多いときは、7万人が集まります。そこでは、参加者は、ごみの分別を徹底させるということです。また、ボランティア活動として、地域からごみを無くしていく活動をしています。

 環境再生型農業で生計がたてられるように地域農業の継承という視点から大豆や白花豆などの基本技術の習得の機会を提供しています。2020年4月に設立して、18名のスタッフで運営しているということです。

 浦幌町子ども会議の活動報告は、子ども会議が、教育委員会・公民館、まちづくり政策課と協働の活動からNPO法人、企業と地域の団体などが一体となって、「自らの住む地域は自らが創る」「想いをつないで未来をつくる」多世代協働による支え合いのまちづくり事業の実践報告でした。高校がなくなり、地域の人口が減っていったが、最近は、転入者が3年間で、198人ということです。

 地域の食文化を守りたいということで、跡継ぎのいない蕎麦屋を20歳の青年が店主にはじめたということも生まれています。そして、小中一貫教育を行って、体験学習を大切にしています。

 民泊体験学習を小学校5年生に、中学3年生には、地域活性化参画として、大人たちへの提案を子どもの想いとして行っているということです。大人と共に協働によるワークショップで通算117回になるという。

 高校の廃校から町には未来を描くことがないないほど沈んでいたのを中学生の町の活性化提案によって、大きく変化したということです。社会教育の活動によって、まちづくり政策課も子どもたちと共に活気がでてきたのです。まちづくりの活動に参加したら社会教育と地域政策課の協働が進み、福祉や農業、まちの産業づくりとどんどん広がって、みんなが楽しくなっていく状況になっていったということです。

 若者と高齢者などが協働できるように町内各地に買い物場をつくり、スマートホンのよろず相談などもやっています。大自然のなかで生きる「うらほろ大学」と称して、学生や企業、アスリートと協働する人材育成プログラムも実施しています。

 この実践で教訓的なことは、高校の廃校という地域衰退の象徴的な出来事から、中学生からの地域活性化の提案の活動や省が小学生の民泊体験学習によって、地域の自然の良さを発見してもらう活動など、学校教育と社会教育、そして、市町村のまちづくり政策課が密接に結びついて活動を充実していったことです。

 

農業分科会に参加して

いらすとや 無料イラスト に対する画像結果

  パンツ埋めてみたというたい肥づくりの訓子府町4Hクラブの実践報告は、ちょっとわたしにとって衝撃的な報告でした。インパクトを与えるということで、パンツにこだわったという農業青年後継者の実践でした。実際は、市販の綿のパンツを大量に買ってきて、それを埋めて、たい肥化させる取り組みでした。

 粘土質で悩まされている農地を改善したということです。ねらいは大きなインパクトを与えるためにパンツを埋めてみたという大きなスローガンでのたい肥づくりの実践報告でした。これに農業改良普及所の指導にある4Hクラブと町の社会教育課が積極的にバックアップしたということです。

 子どもたちの未来につながる「エシカルンテ札幌」のNPO法人「めぐりる」の実践報告でした。「めぐりる」は、お母さんたちの集まりです。オーガニック食材を活用しての地元食材を学校給食に提供していくという札幌市郊外の安平町での実践でした。人口7333人で、給食は800食ということです。

 「食べることが生きること」の上映運動をして、みんなで学校給食を考えていくことから出発したのです。学校給食は食育活動としてとらえていくことが現実には不足している。

 有機農業というとイデオロギー的側面でとらえる親や教育関係者もいるので、エシカルンテということばをわざわざ使ったというのです。子どもの体験学習の拡大も教育の場に積極的にとりいれてもらうために、学校と教師と父母との連携の重視、保護者どうしの協働関係の充実など今後の課題として大きくあるということでした。

 長沼町の大地とはぐくむ「まおい羊化計画」の報告は、全体報告の長沼町のワーカーズコープの報告とも重なるところが多くありました。自然の一部として生きるための学びとして、かつて羊の文化があったものを現代的に再評価して、羊による地域の自然循環的な経済、羊から生まれる衣食住を考えたということです。

 とくに、農業の役割は、食糧だけではなく、さまざまな業種を含んでいる地域の総合的産業で地域循環的な産業ということで、大地や社会の在り方を考え、生命活動を現在の科学・技術の成果で考え直し、持続可能性、多様性ということで、自然と共生する美しい地域づくりということの強調でした。

「日本経済の死角-収奪的システムを解き明かす」河野龍太郎著を読んで

「日本経済の死角-収奪的システムを解き明かす」河野龍太郎著・ちくま新書を読んで

 

 はじめに・問題意識

 

 

 30年間の経済停滞、格差の拡大、国民の暮らしの貧困化など、厳しい状況が日本の状況だと思います。未来に対する希望をもつ人が極めて少なく、無縁社会のなかで生きる人々も多く、国民の不満や不安が広範に噴出しています。そして、社会的混乱や退廃が生まれているのが今日の日本です。

  これに対して、日本政府は、経済のしくみを変えていく再事業投資や人材養成などの有効な政策遂行することができず、赤字財政で借金で国債を拡大して、日銀が大量の国債を買入れ金融緩和している状況です。また、労働者に対して、厳しい非正規拡大とリストラなどの競争主義をおしつけている状況です。さらに、裏金問題などの政治と金の退廃問題も現実的に放置のしたままになっています。

 一方で、企業の内部留保600兆円と巨額という諸外国からみると特殊のことになっています。そして、従前どおりの経営で、利益剰余金を新たに発展が見込まれる分野にリスクをにわがり、内部留保存在から安定志向によって、投資していない状況です。そして、大富裕層と一般国民の格差は一層に広がっている状況です。真正面から日本の30年間の経済の停滞と格差矛盾の問題に向き合う政治的施策の棚上げです。

 この意味から社会的な経済の民主的コントロールが、政治の力で、社会的市民運動労働組合運動などによって、豊かな文化的な未来への暮らしのために社会保障の充実と、日本の停滞した経済を打ち破るための政策遂行の政治が必要になっているのです。このことは大局的に、大企業のもっている社会経済的影響力から、その民主的なルールの確立で大企業の国民の暮らしを豊かにする社会的貢献が可能になっているのです。

 しかし、国民の暮らしに対する不満や不安がいわゆるリベラルの政治勢力ではなく、右翼的な排外主義、外国人労働者排斥、細かな小手先の施策で、手取りを増やしすというアピールで大幅な議席増によっての政治的な影響力を強めているのが現実です。

 また、デマが飛び交って、まともな国民の暮らしを豊かにしていくために、構造的な本格的政策論議もできないように思います。国民の政治的な教養は、選挙をとおしての政策論争で、高まっていくことが本来の姿ですが、それには、大きな乖離があっるのが現実だと思います。

 現実の国民の暮らしの抜本的解決である日本経済の社会的な民主的ルールによって、大企業の大量の内部留保の積極的な活用施策や大企業と大富豪の増税策によって、中小企業への支援策、日本全体の勤労者の給料の大幅値上げ、社会保障の充実によって、国民経済を発展させて、国民の暮らしを豊かにすることができるのです。

 多くの国民が給与生活者になっている状況で、給料を抜本的に値上げしていくことが、国民の暮らしを豊かにしてことです。そして、これを基盤にして、日本の国民の消費意欲の増大が日本の経済を大きく立て直すことが出来るのです。これには、まずは、最低賃金を緊急に全国一律に1500円にアップしていく施策をとるべきです。日本政府も最低賃金の1500円値上げの必要性は認めているのですが、それは、すぐにはできないというのです。生産性を上げながら段階に引き挙げていくという立場で、大企業の大幅な内部留保の根本問題にふれないのです。

 国として独自にできることは、公務員の賃金を大幅にアップです。そして、国家や地方自治体が発注する事業に、大幅な賃金のアップをすることです。これを競争入札の条件にすべきです。これらは、政府や自治体主導で賃上げをすることができるのです。この施策の推進によって、政府や国会の役割があります。

 また、経済の面からの大企業の民主的なコントロールによって、大企業の社会化してしていることによる本来の社会的責任役割を発揮することができるのです。このことによって、文化的に明るい豊かな日本の未来への展望が開けていくのです。

 「日本経済の死角ー収奪的システムを解き明かす」河野龍太郎氏の著作は、日本の長期停滞の原因、アベノミックスの3本の矢の戦略誤りをわかりやすく解説するもので、大変に勉強になりました。

 

なぜ収奪的な経済システムに転落したのか

 

 アベノミックスの実験は、株価が上がっても経済成長なし、実質賃金は低迷、大胆な金融緩和施策・機動的な財政施策・民間投資の喚起による経済成長の挫折であったのです。また、岸田首相の新しい資本主義も未完に終わったというのです。これらの施策は、潜在成長率の引き上げにならなかったのです。

 日本は生産性が上がっても実質賃金は横ばいということです。1998年から2023年までの生産性は累計で30%上がっているが、実質賃金は横ばいのまま。米国は、50%の労働生産性ですが、実質賃金は30%の上昇。欧州は、日本よりも労働生産性は低いが、ドイツは、25%の労働生産性の上昇で、15%、フランスは、労働生産性20%程度であるが実質賃金は20%です。

 ノーベル経済学賞を2024年に受賞したアセモグロとロビンソンの二人は「国家はなぜ衰退するのか」という著作で、衰退する国家は収奪的であり、一部の社会エリートが富を独占しているということで、その国は衰退するとしています。繁栄する国家は、包摂的であり、幅広い人々が政治的プロセスに参加して、権力が分散されて、自由競争と技術革新が奨励されて豊かさを分かち合うと、経済は発展するというのです。その本の内容を河野氏は紹介しています。

 日本は儲かっても溜め込むという大企業を支える社会政治構造があるというのです。大企業の経営者は、コロナの危機で売り上げが急減しても倒産やリストラを避けられたのは、溜め込みのおかげで、危機を乗り越えられる成功体験として、溜め込みを合理化しているのです。溜め込みという大企業の守りの経営が日本経済を停滞していることを本来の循環的な累進的な経済発展の積極性をとらないのです。

 さらに、企業の溜め込みということは、不良債権問題を経験したことで、利益剰余金の増加は、賃上げや投資に向かずに、貯蓄ということでの安全性の経営ということになっていくというのです。不良債権問題の解消はコストカット、リストラに邁進したのです。過剰雇用や過剰設備ということで、支出を抑制していくということであったと河野氏はのべます。

   利益剰余金を溜め込むための支出の抑制は、企業の前向きの設備投資や採用行動、人材育成を困難にしていったというのです。不良債権の解消後も、守り経営の定着は、賃上げや人材育成などの人的投資抑制や設備投資抑制ということで支出抑制を続けたのです。

 本来の企業の社会的な役割である利益剰余金がでれば、それを賃金の上昇や設備投資、人材育成ということに振り向けていくのです。しかし、バブル崩壊後の様々な金融危機東日本大震災、コロナ危機ということでの危機のときに、経営が継続できたのは、利益剰余の溜め込みができているからだと守りの経営を続けてきたのです。

 日本の大企業の風土に守りの経営は、危機の到来によってより一層に深められていくのです。大企業は、守りの経営姿勢のなかで、どのようにして、利益剰余金を溜め込んでいくのかということで、非正規職員の増大、賃金の抑制、競争主義や成果主義を積極的に導入したのです。

 そして、強制ではなく、自発性をあたかも尊重しているかのように長時間労働という収奪的なシステムが強化されていくのです。日本の伝統的な経営手法であった、職場での集団の力を生かしての創造性、改善の提案などの職場で積極的な意見交換ということで、生産性を上げていく文化が、競争主義と成果主義に置き換えられて、目先の生産効率性によっての管理主義が横行していくのです。

 このことが、日本国民の消費停滞によって、日本経済の停滞、さらには、落ち込みを加速していくようになっていくのです。ここには、人材養成のしくみや職場や同一職種、または、同一分野での研修や研究会によっての創造的な工夫の改善などが停滞していくのでした。

 この研修や研究会は、労働組合によってもみずからの労働の誇りとその改善などの取り組みが行われたのです。とくに、国民と直接にかかわる分野での地方自治体の労働組合、教育者の労働組合、協同組合の労働組合などは積極的に自分の仕事専門性を高めるていくことを国民の暮らしサービス労働との関係で研修が行われていったのです。

 労働者の仕事に対する個々の誇りの教育、人材養成、自主的な労働者の研修など、それらがないがしろにされて、溜め込みの守りの経営ということが、日本経済の長期の停滞の大きな原因であれば、どうやって、大企業に対する民主的コントロールをするのか。本来の利益余剰金を、賃金にまわすことができるのか。そして、新たな設備投資をにするか、人材育成にまわすという好循環の経済のための経営に是正していくのか、この具体的方向性が大切なのです。

 マスコミや労働運動・市民的な運動なども含めて、大企業の経営姿勢や社会的、政治的に民主的なコントロールが必要になっているのです。大企業の存在は、資本主義の発展の結果の巨大な経済の社会化です。

 決して、自由競争時代の小自営業者がひしめく状況ではないのです。中小企業も経済的に支配する状況になっているのです。経済の社会化の進展と、現実的に、私的な巨大資本との大きな矛盾が現れているのです。利益のみの追求では、矛盾の解決はできないのです。まさに、大企業の社会的責任、社会的貢献ということが重要なテーマになって、大企業モラルが追求されるのです。

 社会全体の大きな位置として、役割をもっている大企業の民主的なコントロールが求められているのです。それをしていかねば、暮らしを豊かにしていく経済の発展が正常に発展していかない時代的状況です。その民主的な方法を具体的にどのようにしていくのかかが、大きく問われているのです。

 この意味で、自由で、民主主義的な社会的コントロールということでの新たな市場に対応しての民の暮らしを第一とする社会権の保障、社会保障の充実、労働の社会的役割からの人材育成や研修を保障して、労働者の仕事に対しての誇りをもって生きがいを充実して楽しく暮らせる社会主義像が模索されていくのです。

 河野氏は、定期昇給2%弱でもインフレによって、実質ゼロベアとしています。コロナ後のインフレによっての物価高によって、賃金の目減り解消にベースアップが行われているというのです。定着したのは、実質ゼロベアであるとしているのです。

 

メインバンク制の崩壊と大企業の溜め込み経営姿勢

 

 コーポレートガバナンス改革として、メインバンク制の崩壊が長期雇用制の崩壊をつくりだして、賃金抑制、人材教育を疎かにする構造が生まれたとするのです。メインバンク制は、企業に対して、融資や経営上の助言や監視を行い、経営が悪化した場合は、再建支援や追加融資などを行ってきたのです。メインバンク制は不況が訪れても法範囲に雇用リストラを避けるために機能していたのです。

  1990年代の金融危機をきっかけにメインバンク制は崩壊したのです。メンバンク制の代わりに企業の利益剰余金の溜め込みがはじまったと河野氏はのべます。長引く日本の経済の低迷は、ゼロ金利政策によって、円での預金よりも外国投資に動いていきます。家計でも貯蓄には、金利の高い海外投資に動いていく傾向が生まれていきます。これは、将来への生活設計で、精神的な不安要素を増していくのです。

 家計の分野に従来の安定的に金利がついて、定期貯金などに貯蓄していくことがなくなっていきます。そして、株式などの投資へと庶民も動員されていくのです。いままで、企業ガバナンスなどもしらなかった一般国民がそれぞれの上場企業の経営理念や状態に関心を示すようになっていくのです。

 政府は、1990年代に金融ビッグバンの一環として、企業統治改革(コーポガバナンス)改革を加速させるのでした。企業経営者が株主の利益最大化と整合的な行動をとるような環境を目指したのです。

 ここで企業統治にとって、大切なことは、株主のメリットだけではないということを忘れてはならないと河野氏は強調するのです。株主からの利益追求が強まると時間をかけて人材を育成することが難しくなり、企業買収買収市場がひろがっていくというのです。

 そして、長期的に企業統治を考えていく経営者ではなく、短期に利益をあげて、株主に利益を与えていくことに中心になっていくのです。株主は、長期的に、その企業を支えていくのではなく、短期的に利益をあげていく志向が強くあるのです。企業買収も株の多数の買収からはじまり、大株主、過半数への獲得という攻防が起きるのです。株主は、有限責任で株式を売却すれば企業との関係は切れるのです。

 

企業のステークホルダーと社会的貢献

 

  企業は、ステークホルダー全体の経済厚生の増進をはかることで、株主はそのひとつで、利益の分配に株主の絶対的優先権があるわけではないのです。従業員、顧客、取引先、地域社会、行政機関などの企業を取り巻く直接的、間接的に影響を受ける利害関係者のなかで、考えていくことが必要です。

  とくに、直接的には、従業員の給料の値上げが生産の現場で価値を生み出して人たち労働の役割を重視するという意味で、極めて重要なことです。また、顧客の利害関係ということでも実際の作り上げたものの消費やサービスを受ける人々で、経営を継続していることに、顧客の満足も経済行為にとって、基本的なことなのです。作ったものが消費されなければ生産は止まってしまうのです。

 過剰生産は、消費量とその満足度の継続性から離れていくことによって起こるのです。企業は、広告などをとおして、売れるために、積極的な努力をするのです。消費者の多くを占めるのは、資本主義の発展によって、労働者の比率が高くなっていきます。

 国内消費における給料生活者の比率が高まっていくことは、給料の値上げが社会全体に進むことです。このことは個々の企業の継続性にとっても大切な要因であるのです。グローバル経済のなかで、国内の消費だけではない側面もありますが、日本のような高度に発達した資本主義では、国内消費の割合が6割以上と、高い構造になっています。賃金という給料の値上げが経済の継続と発展性に大きな位置にあるのです。

 筆者の現在、別荘の開発に住んでいます。別荘住宅800戸、200世帯が定住しています。この開発は大手の住宅産業によって、環境保全型の別荘開発でした。別荘の中心には、ホテルが建ち、そのなかで、レストランやお土産品の店もあり、コーヒーを飲める喫茶店もありました。

 当初は、国際音楽祭の会場になって、世界的なクラシックの音楽家と、その人たちに学ぶ演奏者の合奏を定額料金で楽しむことが出来ました。音楽祭を作り上げていくうえで、大きな役割を果たしました。現在は、県の音楽ホールが地域に建てられて、その役割はなくなりました。また、様々な研修会・研究会、地域の行事にホテルが積極的に利用されていました。

 別荘や地域の人々が気軽に集う場と楽しみ、学ぶホテルでもあったのです。それぞれの別荘に、外からお客さんがきたときもホテルがあってこそ、便利に食事などに利用することもできたのです。

 また、ときどき朝市ということで、ホテル前の広場で近辺の農家販売にきていました。地域の人々は、このなかで自治会をつくって、懇親と別荘以外の小学校の校区の人々とも交流をすることができるようになりました。別荘に隣接する他の観光牧場業者などと協力して、別荘開発したホテルなどは、協同で夏に、花火大会なども行いました。

 別荘に住む人々の特技を生かして、様々な趣味やおけいごごと、コンサートなどをホテル近くの集会場で行われるようになりました。他の小学校校区の集落に比べると、小学校の地域の催しに別荘の人々が最も多く参加するようになりました。

 国内の様々な分野や方法の観光の発展によって、地域経済も大きくのびていくのでした。年間にホテルの近くにある神宮は、年間200万人も訪れる、観光牧場もにぎわっていくのです。

 ホテルは、その拠点の宿泊施設、観光客の温泉入浴施設として、機能していたのです。それが、大きな転換点は、2010年代からの日本経済施策の三本の矢を背景としてからのインバウンドと日本人観光客の減少でした。日本人が観光客がホテルを利用するを敬遠していく傾向が生まれたのです。多くの地域発展に貢献してきた実績をもっていた別荘のホテルですが、なんら説明もなく、突然にホテルの一方的な閉鎖と売却されたのです。

 別荘やホテルを開発した住宅企業は、国際的なな資本として、海外で工業団事業や住宅販売を展開して、大きく発展した企業になっています。このなかで、不採算部門は切り捨てるという経営を展開するようになり、総合生活産業としして、社会貢献をしながら営業の転換であったのですあが。

 ホテルの撤退は、地域活動の様相が大きく変化したのです。テニスなどのスポーツができなくなりました。ホテルの売却以前から廃止されてレストランの営業の廃止などが行われていました。別荘管理とホテルが一体となって快適な別荘生活が大きく変化したのです。

 生活総合産業として、別荘を開発した企業ですが、会社の組織が分業化して、ホテルと別荘管理が分離して、さらに、社員の家族住宅もなくなり、社員も地域の一員としてかかわっていたことも消えていったのです。企業の地域との関係も切り離されていったのです。

 中心は、住宅産業ですが、総合生活産業として、様々な側面をもって、ステークホルダーも多様性をもちながら、顧客と地域と結びついていた事例だと思っていました。市町村合併以前は、5千名ほどの小さな地域の自治体には、固定資産税、所得税と大きな税金納入者になっていたのです。

 企業理念を大切にして、企業の利益を社会的責任を果たすことによって、多くの人々から信頼されて、企業に対する同調心をもってフアンも増えていくものであると思うのです。直接的に顧客と結びながら営業を展開していく企業であれば、なおさらです。

 国民全体の暮らしが厳しくなり、消費意欲も減退しているなかで、企業として、どのように利益を確保いていくのかという大きな課題が突きつけられているのだと思います。とくに、地方経済は、少子高齢化ということで、過疎化が進行して、地域住民自身の暮らしの余裕もなくなっている状況です。

 地域経済に根差しての経営は大企業にとって極めて難しいのですが、創造性をいかしての新たな産業の掘り起こしを地域の資源と人材からつくりだしていくという基本が必要です。この前提にたって海外投資もありうるのです。海外投資が地域の経済と好循環になり、海外投資した国との共生にもなっていくのです。

 経済的に余裕をもっているのは、大都市の富裕層です。また、インバウンド対象の海外の富裕層です。日本の円の価値が下がることによって、より海外の観光客は、サービスと設備が、すばらしい文化をもっている日本への観光人気は高まって、多くの外国人が訪れることは当然だと思います。

 従前の価値観では、対応できないことがたくさん生まれているのが現実です。しかし、地域社会の持続可能性をもって、地域に暮らす人々を大切にして、地域の素晴らしい歴史文化を継承していくという経営の社会的責任の理念は大切であると思います。

 企業の社会的責任(CSR)は、国際的な合意事項でもあります。ステークホルダーと共に、環境に配慮することなど、利益追求だけではなく、社会全体の持続可能性が重視されるようになったのです。ISOでは2010年に、7つの原則を定めています。それは、1,説明責任。2,透明性。3,倫理的行動。4,ステークホルダーの利害の尊重。 5,法の支配の尊重。 6,国際行動規範の尊重。 7,人権の尊重です。

 

企業の人材養成放棄の構造と経済の停滞性

 

 ところで、長期雇用で大切なことは、賃金の上昇と人材の育成ということであったのです。人的資本に投資することが抑制されて、実質的それが機能しなくなったとするのです。とくに、非正規雇用という収奪システムは、賃金の抑制に大きく機能して、正規の長期雇用制を維持するための収奪的二重労働市場制と河野氏は、この問題を強調するのです。

 非正規雇用制は、日本の雇用の4割を占めるようになって、景気調整弁になっているのです。そこでは、教育訓練の機会が乏しいのが実情です。日本は、少子高齢化ということで、深刻な労働力不足という状況に、おかれています。とくに、地方は、深刻な状況です。

 この労働力不足によって、賃金の上昇にならなかったのが、日本の非正規雇用の増大によって、穴埋めしていったことです。それは、高齢者の嘱託契約という労働参加率の高まりであり、未経験で、短時間でも働ける女性の労働力率の上昇であった。

 ここでは、長期に安定的に高い労働能力の向上を持って働ける雇用ではなく、景気循環的な調整弁的労働力ということでの労働力確保であった。これは、外国人労働者の雇用でもいえることです。終身雇用制によって、企業の労働者に対しての教育、職業訓練は当たり前のように行われてきたのが日本の企業経営の特色でした。 

 若年労働力を雇用して、企業内で一人前の技能労働者、一人の社会人として教養人として企業は育てることを社会的責任としてもっていたのです。中学校卒業生を金の卵として雇用する場合に、企業として高校教育の保障したところも珍しくなく、企業として、定時制の高校をつくっているところさえあったのです。

 このように、不安定労働力の増大ということで、深刻な労働力不足が補っていくという決定的に労働力の質の向上によって、企業の継続的な経営ではなかったのです。このことは、質の高い労働力確保を長期に確保していく戦略ではないことから、企業の積極的な創造的な労働ということにはならなかったのです。

 いわれることはやるが創意工夫して、仕事に立ち向かうということではなく、義務的に機械的に仕事をこなしていくという粗悪な労働の再生産による管理労働と成果主義の導入であったのです。上司を常に気にかける官僚制の労働も進行していくのです。

 人件費を抑えることが、著しく変動する景気に対応できるという2010年代以降の深刻な労働力不足は、長期な視野をもっての雇用と人材養成、創意・創造をもつ質の高い労働、集団的な絆をもっての支え合って質の高い生産をめざす労働ということが疎かになっているのです。世界的に複雑な社会 経済情勢と未来への筋道がみえにくくなって、くまなく変わる経済状況では、企業自身が長期的な視野を持ち得なくなっているのも現状です。

 このような状況では企業理念を常に堅持して、利益至上主義ではなく、社会責任の自覚のなかで利益を維持して、拡大再生産をしていく視点が極めて大切な時代なのです。日本が経済成長していた時代は、良好な雇用環境で働く正社員が増えていました。

 しかし、日本の経済の停滞に入っていく時代は、非正規の雇用が増えて、賃金は低く抑えられる。そして、教育訓練のチャンスもない環境の雇用労働者が増えていったと、労働者を収奪していく雇用システムが増大していったと河野氏は指摘するのです。この収奪システムに政府が大きく関与していることも見逃せないのです。

 小泉純一郎首相時代の社会保障制度改革も大きく影響していると河野氏はのべるのです。高齢化で膨らんだ社会保障費を現役世代の雇用者の社会保険料値上げというサラリーマンの負担増で対応したのです。

 この方法の方が、社会的反発を受けないということで、実施したのです。社会保険料の増大は、企業の人件費拡大にもなり、人件費抑制の引き金になったということです。人件費抑制としての非正規労働者の増員要因にもなったと河野氏はみているのです。河野氏社会保険料の値上げという方策ではなく、消費税で負かっていれば非正規労働者を増やさなくても解決できたとするのです。

 

中小企業援助施策の重要性

 

 大企業と中小企業との経営基盤の格差も大きく、剰余利益も大きな違いをもっています。中小企業での労働者の給料の値上げは、独自の経営努力では難しい側面が現実にあるのです。日本で、中小企業で働く労働者の最低賃金の値上げは、大きく経営に影響を与えていくのです。

 中小企業の生産性をあげることが、給料値上げの雄一の施策ということで、企業の自助努力、自己責任ということにはならまいのです。ここには、中小企業支援策の国の税制の役割が大きくあるのです。

 また、公務員の給料の値上げは、政府や地方公共団体でできることです。公務員においても、非正規の低賃金の不安定な労働者群を積極的に作り上げているのです。地方公共団体での首長選挙でも公務員の削減が大きな政策話題になっているのです。むしろ、公務員削減は選挙民から歓迎される傾向になるのが現実です。

 さらに、公共事業の発注に際して、条件に、給料問題を条件に課していくことも大切なことです。大企業の経営論理だけでは低賃金の給与問題は解決しないのです。むしろ、大企業に対しては、非正規労働ではなく、教育訓練を保障し、雇用の安定を保障していく経営を率先して、遂行し、給料の値上げをはじめ内部留保金の積極的活用が大切です。そして、大企業に対しての政府の課税が大きくあるのです。

 日本の非生産部門で、時間当たりの収入が低いという生産性が低いということがいわれますが、それは、消費者のお買い物徳感ということで、2万円の価格と考えても、それが一万円で販売されるという消費者余剰が発生していることが大きな原因と、河野氏はみるのです。

 非生産部門で、時間当たりの収入が低いのは、消費者余剰ということで、多くのサービスや販売次元で実際よりの消費の値段感よりも極めて低く抑えられていることだとしているのです。

 ここには、一生懸命働いても企業利益にカウントされない側面があるのです。消費者余剰の消滅はどのようにしたら可能であるのか。日本は特別に消費者余剰が強いと河野氏は指摘するのです。

 ここにも賃金が上昇していかないことで価格の上昇を受け入れるよりも安売りのお得感が大きくあるのです。安売り合戦、特売という安売りに消費者がとびついて買い物をしていく構造についても、詳しくみていくことも必要であると思うのです。

 また、国が直接的に負担するように社会保障制度のアップグレイドを図るべき時期であったとするのです。政府は抜本的な社会保険制度のアップグレイドを怠ったことにあるとするのです。

 少子高齢化という時代で、社会保障の財源をどのようにしていくのか、これは極めて大切な課題になっているのです。国の直接な税負担制度も含めて、社会保険制度のアップグレイドを税の仕組みも含めて、改める時期になっているのです。

 

大企業の海外投資と日本経済停滞

 

 大企業は、利益剰余金の運用に、海外投資を活発化させていくことも大きな特徴です。そして、海外の利益は大きく膨らんでいるのも日本経済の停滞のなかでの特徴です。対外投資ということは大きな落とし穴があることを決して忘れてはならないのです。

  河野氏は海外投資は、国内経済に恩恵はあるのかと問題提起するのです。大企業は国内では個人消費が低迷しているので、国内の売り上げが増えず、採算がとれないということで、国内の設備投資を控え、海外投資に積極的になっていく。これは大きな誤りであると河野氏は指摘するのです。

  多くの大企業が、日本でなく、海外投資をすれば、日本経済に深刻な影響をもたらしていくということです。日本の経済に反映していかないからだと。日本の経済の低迷は、大企業自身の賃金抑制からの国内の個人消費が盛り上がらない根本があることを見落としていると河野氏は強調するのです。

 大企業は儲かっても溜め込んで働く人々の給料を低く抑え、国内の投資を行わないということで、日本の長期経済の低迷の根本を作り上げているのです。大企業自身の社会的役割として、国内の経済を支えていることの根本を忘れているのです。

  日本の貿易収支赤字という現象でも海外の投資により利益の日本への還元ということで、高水準の経常収支黒字があるのです。これらは、日本の働く多くの人々の生活向上につながっていないからです。むしろ、日本の地域経済の悪化に拍車をかけているのが現実なのです。

 さらに、河野氏は、海外投資は本当にもうかっているのかと問題提起をするのです。投資は常にリスクをかかえ、海外投資は、損失を伴う場合が大きくあるというのです。海外で企業買収を行う場合に、過大な上乗せ割増金を支払うことが起きるのです。為替の変動による特別損失も起きます。

 また、政治の大きな変化や法律の大改正なども起きます。東日本大震災によって、原発関連の産業も大きく変化し、今までとは全く異なる大きな安全設備費がかることになったのです。国内でもリスクは常に伴いますが、海外ほど劇的な変化はありません。

 また、その変化も国内であれば敏感に即座に対応できるのです。海外投資はリスクが大きくあるので、日本での設備投資をやめるばかりではなく、生産基盤を縮小したり、廃止すしたりして、撤退すべきではないのです。そのことによって、地域経済に対して、甚大な被害を受けるだけではなく、自らの企業存続にとっても大きなマイナスになることがあるのです。

 海外投資は、リスクも考えて、日本の地域経済を維持していくという企業のもつ社会的責任を十分に理解して行うことが原則だと思うのです。企業の当面の利益至上主義によって会議投資を行うことは、日本国民に対しても背信行為でもあるのです。

 大企業は国境はないとして、世界に利益至上主義を求めて活動していくのが、グローバル時代の経営の動きです。この場合に、日本での企業縮小や撤退は、日本の労働者と地域社会に大きな影響を及ぼすのです。企業規模が大きければはかりしれない影響をおよぼすのです。この社会的責任を倫理的な問題としてどのように考えるのかということは大きな課題です。

 とくに、そこで働いてきた労働者の従前の生活破壊が起きるのです。円安は海外からの輸入品が多ければ、それ相応に苦しめられていくのは国民です。国民の暮らしに直結する生活に必要なものや農産物は、すぐに物価高の影響を受けるのです。

 

まとめ

 

 日本経済の停滞の原因に、給料を抑え込んできた大企業の責任が大きくあるのです。給料を大幅に値上げして、国内の消費を拡大していくことが極めて大切なのです。大企業が膨大な内部留保金ということで、守りの経営姿勢から積極的な働く人々の給料を値上げして、暮らしを豊かにすることです。このことによって、仕事のやりがいをもって労働意欲が喚起される基盤ができるのです。

 そして、長期的な視野で人材養成をし、企業内教育・研修を活発化させていくことです。さらに、国内での設備投資を基本に、切り捨て論理ではなく、積極的な経営姿勢が求められているのです。

 大企業の守りの経営姿勢から 積極的な経営姿勢に転換させていくためには、国や地方自治体の役割があることが極めて大切なのです。まさに、民主的な経済のルールづくりが求められているのです。

 同時に、社会権を確立していくために、社会保障社会福祉の充実やが求められているのです。同時に長期的に積極的な経営姿勢をつくりあげていくためには、働く人々が仕事に主体的になり、広い意味での経営にも参加していける人材養成、労働者教育が必要なのです。

 さらに、見落としてはならないことは、大幅な給料の値上げをすべての企業に実施していくうえで、中小企業対策が不可欠です。大企業と中小企業との対等な関係は、経営の基盤の大きな格差が現実にあるのです。従属的な関係ではなく、対等平等にしていくためには、中小企業に対する民主的ルールづくりと援助の体制が必要なのです。

 日本の経済の停滞を打ち破るためには、国家や地方自治体の経済の民主的なルールづくりと社会保障社会福祉の体制づくりが必要ということなのです。新自由主義的な市場原理による競争と自己責任では決して日本の国民の暮らしを豊かにしていく経済発展にならないのです。

 

リーダー・幹部を育てること

リーダー・幹部を育てること

 

 本記事は、10年前以上の稲盛アカデミーで、社会人向けの経営哲学の一環として、講義をしたときのレジュメの内容です。今後の企業ばかりではなく、地域、組織などのリーダー養成で参考になればと思い、再録します。

 講義は、中小企業経営者向けの講義でしたが、地域や組織のリーダー養成ということも射程に入れて、書き換えているところもあります。

 鹿児島大学は、社会人が学べるように積極的に大学の授業を直接受けられるように教養科目を中心として、公開してきました。また、社会人や地域に公開できる講座を提供してきました。

  鹿児島大学稲盛アカデミーは、教養科目を提供し、特別に社会人専用の講座を開講してきました。このリーダーを育てることの講座は、社会人を対象にしての公開講座です。

 

 会社の成長と経営幹部(地域や組織も含めて)

  • 会社(協同組合、地域組織)が成長していくと、規模が大きくなり、組織も複雑になり、一人でみていくことができない。これはどんな組織にも言えることです。
  • 経営責任を担ってくれる幹部は不可欠です。どの会社(組織)でも優れた人材ははじめからいるわけではない。幹部は、会社(組織)の成長と共に育てていかねばならない。
  • 会社(企業)は、市場関係での営利組織で、協同組合のように市場に対応するけれども非営利組織と本質的に異なる組織です。また、会社は、営利組織として、社会的貢献をしていくが、公的な国家や市町村自治体のように、税金によっての経済的基盤をもって、公的な役割を果たす組織ではないのです。
  • むしろ、国家や地方自治体に税を納めて、社会的貢献をしていくのです。市場にもかかわらず、国家や地方自治体のように権力機関の公的役割とは、全く異なる市民が主体的につくり、参加していく非営利のNPO法人法人や公益財団や社団法人などがあります。社会には、それぞれ、役割の異なる組織があることを認識しておくことが必要です。

 

場・機会を与えて鍛える

  • 活躍の場を与えることで経営者意識を持つ幹部を育てる必要があります。
  • アメーバー経営の小集団は、リーダーとしての育てる大きな役割を果たした。リーダーとしての能力が磨かれ、成長していく。任せっぱなしにしないこと。会社以上に、公的な組織の場合は、分業化によって、仕事がこまかく細分化して、業務遂行的に任せるだけの一面が強くでるのです。組織の経営としての意識が大きく薄れていくのです。
  • どんな組織でもリーダーを育てていくには、深い愛情をもって厳しく指導することが求められます。

会社や地域・組織を大きく伸ばすカギ

  • リーダー・幹部となる人材を育成できるかどうか。これは、組織が発展していくうえでの不可欠の要素です。それが、できない会社は、発展が阻害され、公的な組織は、官僚化が進み、公的な目的から大きく離れていくのです。
  • 業務遂行的な能力や管理能力だけではなく、リーダーの人間的成長を促していくことも大切です。

経営問答・質問

  • 会社が拡大するとき、古参社員の処遇をどうするか。地域であれば古くから活躍してきたが、今の時代とのずれの意識があります。組織の目的からも、現実からも離れがちになっている場合があります。人間はどんな経験をもっていても常に学び、成長が要求されるのです。
  • 熱心であるが、古参社員にリーダーシップがない場合があります。

会社成長期の悩み

  • 個々の能力には差があるのが現実です。創業時のときの社員の意識と社長の理想・理念との意識の差。
  • それぞれの器や個性があるのです。これを決して否定して一律的に価値判断して、それぞれの持っている能力差や個性、性格の多様性をみていくことです。

経営を管理するしくみをつくる

  • 管理項目を全部洗い出し、文書化で確認していく。それぞれぞれの組織の目的・目標の管理項目を全部洗い直す。これらも文書化する。
  • 損益計算書の管理項目を全部書き出し、売り上げがこのぐらいであれば、仕入れ、原料の代金、人件費はこれだけ、光熱費はこれだけ、その範囲でやれば利益がでる計算を。組織であれば、目的・目標の達成を数値して、どうすれば達成できるのかのかを、目的・目標の合理的な達成方法の過程を具体的に計画化できるように。
  • 採算をだすためには、どうすればいいかの管理するしくみをつくり。地域組織の場合は、目的・目標の達成の管理のしくみを過程を常に示して、点検して、状況に適応しなければ、組み変えていく柔軟性をもつことも大切です。

 

副官は人間性をみて選ぶ

  • 優秀な人を採用したいと思い、それには大学を卒業した人がいいだろうと、そういう人を雇う。そういう人に限ってだいたい1年たたずにやめてしまう場合もあります。
  • いままでの社員は学もなかったけれども、真面目で経営者のいうことをよく聞いてくれたので雰囲気をよかった。大卒の新人は不平不満を鳴らして会社の雰囲気まで壊して辞めていくこともあるのです。

どんなに賢い人を雇うにしても人間性ある人を

  • 絶対に能力だけで採用してはならない。優秀な専門家が喉から手がでるほどほしいと思っても、人間性が伴っていない人は雇ってはならないというのが稲盛人間経営の特徴です。
  • 稲盛さんは、鹿児島で生まれ育ち、西郷隆盛敬天愛人隠れ念仏の精神や郷中教育の影響を強く受けてきた人です。仏教的な利他の精神と郷中教育の倫理を強くもった人です。郷中教育では、偽りを言わず、弱いものをいじめず、身に私を構えずという利己主義に打ち勝つ心、利他や公共の精神を常に醸成したのです。
  • 利他の心をもって、礼儀正しく上にへつらわず、下のものを侮らず、悪口をたしなみ、人の艱難という困難にあって苦しんでいる人を、見捨てないということです。そして、温和慈愛にして、物の哀れを知り、人に情けあるをという利他の精神、公共の精神を大切にしてきたのです。
  • 経済活動そのもは、利他精神と公共的な活動です。利益も公共的な市場活動をとおしておこなわれるものです。そこに、嘘や偽り、人を騙したり、弱いものいじめがあってはならないのです。公正なる市場活動をとおして、人々が幸福に、楽しく豊かに生きられることが大切なのです。

器に応じて仕事を任せる

  • 稲盛和夫さんはのべます。京セラを作る前の会社で研究していたとき、高卒で助手をしてくれた人は、わたしと同じように努力して伸びて、京セラの会長を務められるようになりました。みんながかれのようになったわけではない。それぞれの器があるのです。
  • 能力はそれほどでもなく、人間性がよくて長年一生懸命やっておられる人は、情けを持って仕事をお願いしなければならない。あくまでもその人にあった仕事をさせように心がける必要があります。

新入りが上役になることがある

  • 古くからいた人は中途入社した人が自分より上の地位にいきなりつくと、社内でもめ事の種になります。
  • 新しい事業をしていかねばならないということでは、十分に理解してもらうように説得しておくことが必要です。

質問・能力に一長一短ある
幹部の育成

  • 発電所の改装工事やメンテナンスの24名社員の提案型エンジニアリングセールス
  • 社員にはすべての工程に精通してほしい
  • (改善提案、提案資料、営業、受注、設計、外注業者手配、施工、工事管理など)

事業部の人柄

  • 非常な努力家で提案能力に長け、事業部に確実な利益をもたらす人であるが、無愛想でお客様に人望がない。
  • どちらかと職人タイプでクリエテイブなことに消極的でリーダーシップをとれない人。
  • 対外的に評判がよいが技術屋として能力が低いため仕事を任せられない人
  • 若手は優秀であるが経験が浅いため、エンジニアリング的発想が不十分

答え・会社を機能的に分け、それぞれに向いた幹部に任せよ

  • 三つの機能に分け、その機能に適した人にまかせよ。
  • 改善提案
  • 営業センスはないが設計と外注業者の手配と施工管理
  • 営業担当

スペシャリストを育て

  • それぞれの人をその道の専門家に育てる
  • 守備範囲をひろげていく

全体を見通させ推進のリーダーになれる事業部長を育てる

 

質問・社員の経営マインドを高めるには

  • 労働集約型産業場合。各種研修・勉強会に社員を参加させ、情報の共有。休日に実施せざるをえない。指名研修
  • 積極的に研修のものと傍観者になりがちのタイプに分かれる。

 答え・トップが幹部を大事にすることから始めよ

  • 自己犠牲は要求できない。家庭を犠牲にしてまでも働けということはいえない。タイプを二つにわける質問者は少し方向がまちがっておられると思うと稲盛和夫さん。
  • 会社は何のためにあるのか
  • 経営者の財産を守るために、家庭を犠牲にしてまでも働けと、一方的な都合を言って社員が働くわけがありません。
  • むこうに犠牲を求めるのではなく、社長自身が社員を大事にしてあげる。待遇をよくして誇りをもてるようにしてあげる。
  • 社員のプロ意識に訴える
  • お客様に愛される会社として、責任感ある行動を幹部の人たちがしてくれるような教育を社内で。家庭を若干犠牲にしてでも働いてくれる忠誠心をもった人間がほしいと思われるのも無理もない。
  •  
  • 質問・責任ある幹部を育成するにはどうしたら。
  • 質問者・(父が創業した会社でわたしが副社長、兄が社長、弟が経理担当)
  • ワンマン経営で組織力は弱く、優秀な人材が定着しなかった。ヒット商品の連発で業界をリードしてきたが、営業力や組織力が不備で後発メーカーに逆転。
  • 二年前に全社員にフィロソフィ手帳を配布。業績が伸び悩むことが続く。部長以下の社員に主体性がなく、指示待ちで任せることを心がけるが、ほっておけず口をだしてしまう。組織を刷新する課題がある。
  • 稲盛さんの答え・フィロソフィを説くと同時に、現場で厳しく鍛える。
  • フィロソフィは共同経営者をつくるためのもの
  • 会社が大きくなるにつれて一人で経営をすることができなくなる。信頼できる部下を育てて共同経営者にしていく。
  • フィロソフィを頭ではなく、自分の行動に生かせるための人材育成。採算に責任をもってもらう独立採算での役割分担。

部門長には責任をもって採算をつくれる人を任命する

  • 部門長は社長と同じ・責任感をもってもらう。
  • 責任者はただ部門の社員をまとめていけばいいというのでない。材料の仕入れから完成品までの経費、売り上げ、利益まで全部みられる責任者である。
  •  
  • それぞれの社員がもっている特性を理解する。
  • パート・アルバイトに至るまでわかるような利益を生む仕組みづくり。
  • パートの主婦は経済感覚が鋭い。経営の原点であるフィロソフィを教えてあげる。
  • 会社は、城にたとえると石垣。大きな石もあれば小さな石もある。スマートできれいな石だけを並べてみても風雪に耐えれない。
  • 小さな石が間につまっているから石垣がガッチリくまれていく。パートの方がどんどん提案してくれるような職場づくりが大切です。
  •  
  • 任せるのではなく、責任をもたせる
  • 任せっぱなしではなく、結果を厳しく愛情をもって、点検する必要があります。それが、社長の仕事です。まかせた以上は信頼しなければいけませんということで点検をしないことを合理化するコンサルタントの意見は、実際に仕事をしたことのない人のいうことだと稲盛さんは言うのです。
  • 厳しき点検するといことは、点検される人にとっても自己の責任を完全に果たすために、大切なことです。点検あってこそ、見落としや、自分の足りないことを発見することなので、点検されることによって、責任の完全な保障と自己の人間的な成長にとっての飛躍にもなっていくのです。
  • そこには、お互いの点検に対する了解、人間的な信頼が大切なのです。点検されることに対しての感謝の気持ちを湧いてくるような関係が大切なのです。決して、上からの目線で、管理主義的な非人間的な相手をせめる点検であってはならないのです。

自らを高める

尊敬されるリーダーとなる

  • 従業員を惚れさせることができるか
  • 従業員がついてこなければ事業は成功しない。
  • 中小企業にとっては、いかに従業員の力を結集させるかが事業成功の鍵となる。持てる資源は人しかいない。従業員の力を最大限に引き出し、事業を成功。そのためには、リーダーがなによりも仕事の面でも、人間性の面でも信頼され、尊敬させること。
  •  
  • 先人の教えに学ぶ
  • 稲盛和夫さんは格言の引用での話ではなく、哲学や宗教などを一生懸命学び、人間のあるべき姿を探求し、心を高めていく。寝る前にどんなに忙しくとも、哲学書、古典などを一ページでも2ページでも読んできた。

「無私」の心のリーダーシップ

  • 会社がうまくいきだすと傲慢になってしまう経営者や、役職が上がるにつれ、威張るようなリーダーでは、社員の心は離れていく。
  • 地位や名誉、金といった利己の欲望を抑え、集団のために謙虚な姿勢で尽くす。

質問・トップとしての価値判断の基準をどう確立するか

  • 創業50年の菓子メーカーで社員数500名、年商90億三代目の社長で父が会長
  • 4つの方針
  • 1,大量生産から多様化したニーズに対応
  • 2,仕事をつうじて心を高められるような職場
  • で、社員の幸せをどのように実現するか
  • 3,部門別管理の細分化とスピード化。
  • 4,米菓をいかに世界に広げられるか。

稲盛さんの答え・先人の教えを学びトップとしての人格を磨け

  • お父さんの時代から会社にはあなたよりも年をとった人がたくさんいると思いますが、問題なく息子のあなたが社長になれたのは、お父さんを尊敬し、信頼しておられるから、世襲で跡を継ぐことに抵抗がなかったのだ。

判断の座標軸は人間性

  • 判断基準というのは人格の投影である。
  • 見栄っ張りの人は見栄の方向へ、恐がりだと、恐がりの方向へ、石橋を叩いても渡らぬ慎重な人は、石橋を叩かず。価値判断は、その人の人柄。

人格を高める二つの方法

  • 先人の教えに学ぶ。
  • 利他の行為。

社長が会社に命を吹き込む

  • 雇われ根性の人ばかりが集まっていると組織の精気が低下していく。企業としての生命力を注入することがトップのつとめ。

  • 質問・トップは第一線にでるべきか
  • (医療機器、材料の販売。先代社長急死で29で才社長に。地域のナンバーツーの会社。二年前営業部長が病気をしてから、社長であるわたしが営業の最前線にでるようになった。)
  •  社長がほとんど会社にいない。営業の前線にでていては人が育ちませんよといわれる。
  • 稲盛さんの答え・率先垂範(自から率先して、行動し、他の模範となる)のトップのもとでこそ人は育つ
  • あなたがなんでやるから、人が育たないという声に気にする必要なし。
  • 社長がバリバリ仕事をして、われに続けと号令をかける。
  • 率先は「史記」、垂範は宋書」に出てくる言葉。共に、紀元前の古代中国
  • の歴史書を語源とする。「率先」は”先んじる、人の先頭に立つ”という意味。「垂範」は”模範を示す”という意味がある。
  • 値決めは経営なり
  • 医者を相手に販売するわけですから、話題といい、礼儀作法といい高いレベルが要求される。
  • 社長自身が営業を先頭切ってやる、社長自身が直接に教えなくてはならない。
  •  
  • 質問・トップの意志を社員に浸透させるには
  • (明治19年創業の印刷会社。社員はパートを含めて70名。)
  • 社員から信頼されていると思っていたが、最近社外から社員にあなたは不信感をもたれていると言われる。よく考えてみれば、部下への意志伝達がうまくいっていない。
  • 稲盛さんの答え先頭に立って働き酒を酌み交わしながら語り合え
  • 自分たちのためにトップが苦労しているのは、社員に共感を得る。率先垂範で、トップ一番苦労しなければならない。
  •  コンパは心を通わせる。最高の方法。こちらの気配りが足りないことや
  • 逆恨みしている本音がわかる
  • セミナーでぶつけられた不信感
  • あなたは冷たい人間といわれたこと
  • われわれは金のために働いているのに、心を高めるは嫌いだという米国の幹部連中。赤字だった会社を黒字にした経営者をあなたはしかったではないか。
  • 愛とか思いやりと言っているが、冷たい人間ではないか。
  • 正々堂々と反論する
  • なぜ冷たくしたのか。少しの黒字でほめられるのか。いままで累積の赤字は相当なものだ。
  • ほめたら喜ぶかもしれないが、それで満足してしまう。翌年、がんばってさらに利益をだしてきた。今では正常な利益がでるようになったので、彼を褒めた。大膳は非情に似たり
  • 信頼できる信用してもらえる人々ををつくれば儲かる
  • 思いを伝えていくには、うちの社長は立派であると社員から思われる人間性が必要。商売は信用が第1、商売はお客様から尊敬されることが大切。儲けるということは、人間性といろいろなことを備えていることになる。
  • 大きな視野をもって、本当に安定的に会社が継続して、大きくなっていくことが、社員の幸福、豊かさを保障していくという稲盛さんの見方です。一時的な小さな成果も大切ですが、もっと心を大きくしてみることが大切ということで、累積の赤字に目を向けさせることに厳しいを注いでいるというのです。
  • もちろん、累積した大きな赤字は簡単に消えていくものではなく、長期に段階的に解消していくことや飛躍の仕事も必要です。ときどきに、累積した赤字は、重い荷物になっているので、常に励ましながら元気づけて、やる気をおこしていくための激励、誉め言葉も必要なときもあります。
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  • 質問・社内最年少の社長がいかにしてリーダーの役目を果たすか
  • 父の他界により、25才で社長に。300年前創業。乾物商の8代目
  • 6億の売り上げ、社員12名でパート17名。できる範囲で少しでも自分の思いを社員に知ってもらおうと「社長通信」を給料のときに。
  • 謙虚に学びつつ毅然としてルールを貫きビジョンを掲げて率いていく
  • 仕事や社会経験がないので、社員を師として仕事を学び、短期間にマスターしていくことがポイント。
  • 部長2名を取締役の経営陣にしたことは賢明の決断で、社員の人たちの信頼にとって大切なこと。
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稲盛和夫の「社員のやる気を引き出す」考え

稲盛和夫の「社員のやる気を引き出す」考え

 

 本記事は、神田が稲盛アカデミーに勤務していたときの履修証明の授業のレジュメ一部を再録したものです。10年以上前のことで、あらたに付け加えたこともあります。

 

稲盛さんが考える

社員のやる気を引き出すこととの基本的見方


企業文化や組織の硬直制・官僚制は、マンネリ化と組織が大きくなって、役割分担の固定化という関係で、おちいりがちです。いつも、新鮮な気持ちで、そのときどきの状況にあわせて問題をみつめていく姿勢が大切です。

 

 活力ある社風をつくることとをもう一度考えながら社員のやる気を引き出すこととの課題に進もう。

夢の実現に至る方法
   たゆみなく歩む

夢は成長の推進力 ⇒ あらゆる場で語る(●'◡'●)

 

´大きな夢を描けるかどうかで、未来は変わると稲盛さんは強調します。

´ 夢を描くことは人生に希望を与え、明日への活力を生み出す。´あらゆる機会をとらえて夢を語りつづけることによって、夢が社員の共有になり、どんな障害にも乗り越えるという強い意志力が集団のなかに生まれる。人間にとって、常に夢を持ちながら生きることが、明日への活力のもとであるというのが稲盛さんの信条です。

 

仕事の意義を説く

´夢の実現には現在の能力以上のことに挑戦すること。´注文は他社が断った技術的に難しいものばかり。稲盛は、零細企業であった当時注文をできますといって引き受ける。

´技術や製造設備がなくても製品開発の意義を語る。製品にかける夢を一生懸命に説く。従業員は「よしやろう」とすぐにはならない。従業員の気持ちを「どうしてもやりとげるのだ」という気持ちまでたかめなければ開発は成功しない。

 稲盛さんは、社員はすぐに能力以上のことに挑戦することはしないことが一般的とするのです。零細企業にとっては、それでは生きていくことが厳しい現実があるということで、「どうしてもやりとげなければ」という気持ちをもつことは簡単ではないことをトップの社長自らが一生懸命情熱をもって語ることが大切だとしているのです。

´従業員が自ら燃えて、その高い目標にチャレンジするように意義や目的を説く。

 

地道な努力を積み重ねる

´大きな目標を掲げて、夢を描くことは大切であるが、現実は、地味で単純と思われることを毎日続けなければならない。夢と現実の隔たりの大きさで焦りがでてくる。大きな夢の志を持って仕事をやりはじめてもすぐに成果があがるものではないのです。地道な努力の積み重ねという、もうひとつの大切なことがあると稲盛さんは語るのです。

 

´       

´´どんな偉大なことも地味な努力の積み重ね

 

人間は報酬では動かない、心で動く

 ´従業員のやる気を引き出すために、成功すれば給料やボーナスをはずむといった方法は簡単ですが、事業がいつも成功するとはかぎらない。不況になったり、事業がうまくいかなくなったとき、給与やボーナスを減額すれば従業員の士気はすぐに低下する。

´金銭で釣るのではなく、心の内から燃えるような動機づけが大切になってくると稲盛さんいうのです。とかく、お金をだせば人は動くものであるというのは、きわめて狭い実利的な見方です。長い目で、ずっと継続して行動していくことで、人は決してお金ではない。大きな志をもっての希望や夢をもっての生きがいであると。

        ↓😊

大きな夢をもって、´困難を乗り越える中でこそ喜びや、やりがいを感じる

 

質問・3kと言われる厳しい仕事の業種での仕事でも、

     社員に夢と誇りをもたせるには

 ´大手造船の下請けの加工。´下請けの賃加工で、きつい、汚い、危険といわれる3k職場で人がなかなか来てくれない。来ても長続きはしない。設計図がかわり、機械を使いこなすには5年から7年はかかる仕事

        ↓

´社員に夢を持たせるための企業環境をどのようにしたらよいか

´どういう考えをもって人を育てたらよいか

 

3k業種だけの問題ではない
社員の動機づけは、すべての経営者の課題

´ 惰性で仕事をやっているだけではなく、仕事の存在理由を明らかにして、モチベーションをたかめよ。自分の仕事が社会で必要とされている理由を明確に。社会的に仕事のうえで、大きく貢献しているという自覚をもつことが大切としているのです。社会的に´存在理由をもてない企業は社会から消えていくのです。

´3k業種が問題ではない。社員ひとりひとりに社会的に、その仕事の意義が明確にされていないことが問題である。さらに、もっとも大切なことは、社会の側、それ自身が現実にきついしごとに対して、処遇や必ずしもよくなっていないことです。

 この意味で3kとよばれる仕事にたいして特別に待遇改善を抜本的に向上させていく努力が社会的に必要になっているのです。国家や地方自治体等の公権力のもとでの公共事業の発注の条件の役割として、まずは3k業種の改善からとりくむことではないかと思うのです。

 ↑

´稲盛和夫自身もモチベーションは初めはマイナスだった

稲盛和夫も最初の仕事は3kであった🥺

´焼物の仕事は粘土を練ってモノをつくる。有機化学を専攻していた者にとって焼物の世界は面白くない。就職先がないので、焼物の世界しかいけなかった。就職先との関係で急きょ有機化学から無機化学に変更。

´セラミックスの粉をプレスにかけることを一日やらねばならない。

 固めた粉末を今度は釜に入れ温度を設定しながら、形状がかわっていくのを研究する。一日中やっていると作業着も体も粉末でドロドロ。

 道具を洗うのが一苦労。次の原料をつくるとき、前の原料が少しでも残って正しいデーターがとれないので、きれいに洗わなければならない。粉末がなかなかとれない。体はベタベタ、粉末で頭は真っ白になる。3kの最たる職場。´研究は面白いと感じていなかった。有機の方に行きたかったため

 

 これは世界的研究やと自分の気持ちを変えて、助手の人たちに意義を話す

 ´頭のいい学者は汚い仕事、汚い実験はしない。

´均質に混ぜるかは粉末はきわめて難しい。気体や液体は簡単にできるが、粉末工学の難しさがあると助手たちに話す。粉末の挙動がわからなくてセラミックはできない。

       ↓🎶

´ふるさとに帰りたいと不満をもっていた助手たちがこれは、社会的に意義のある仕事に違いないと、一生懸命がんばるようになる。

 

社員の不満をどう解決していくか。

´金型の金属販売商社 社員37名

´自動車業界の設備の削減や部品の共通化で金型の発注は極端に減少し、3年前から2期連続して赤字。2期連続の赤字は社員が一生懸命働いていたにもかかわらず、青年会議所などでうつつをぬかし会社に何も貢献してこなかったことに気づく

  ↓😒

´´社員に謝罪し、ゼロから出発。資金調達にもうまくいかず苦しい状態になるが、社員の給料、ボーナスに手をつけずに今期売り上げが15%のび、営業所の統廃合で経費節減で2000万円の営業利益

黒字になってから社員の不満

´営業所の統廃合により営業から一人あたりの担当が多くなり、帰宅時間が遅くなった。自由な時間がとれなくなった。

´人事制度の導入で役職から外れたやる気を失った幹部・社員同士の人間関係にも歪み

 

京セラが会社をはじめた当初で、赤字脱却を果たした。そのとたん若い社員が労働組合をつくって、不満の噴き出しをぶつけられたという稲盛さんの体験です。

 必死に会社の経営状況、会計上の現状などを理解してもらえるように話し合って、社員とともに会社の未来、給料の大幅アップの条件などを社員と共に考えるようになったということです。ここに社員が参加していく経営の在り方を模索していくのです。後の京セラのアメバー経営の出発的にもなっているのです。

 

赤字を黒字にするのが経営の目的ではない

´夢を語り、もっと大きな目標を示し、

´率先垂範せよ

´会社は従業員の幸せの基盤

´社員の迎合ではなく、夢と目標をつくり社員に訴える

 

 経営理念についてこない 社員のベクトルをそろえるには

´青果問屋で従業員は100名で売り上げ200億円

´入社10年後に専務に 父の努力によって各社赤字をかかえていた会社を合併させて、黒字の会社に。専務に就任したとき社員の不正が次々に表にでて、会社はガタガタ。半年で社内はおちつく。

´ コンパによる社員とのコミュニケーション、中堅社員に経営者感覚を持たせるということを1年間実施

´        社長は宗教的になってきた。社長は教祖ではなく、

´         社長でいてほしい。

´        社長は物心両面の幸福をめざすといっているがわれわれは

´        どんどん不幸になっている

 

 きれいごとに終わらせず、

  社員の幸福を増すように労働環境を改善せよ

´誰にも負けない努力は経営のプロに求めるもの

´社員は労働基準法で定められた一日8時間 朝の4時半から夜7時までは異常。

´従業員の物心両面の幸福にあわない

´生産性向上で物心両面の幸福の実現を

´めざす。朝の4時半から7時までの

´労働時間ではなく、2交替に

営業力の強化には戦闘集団か個性か

´ゼネコン会社に勤務していたが課長と合わずに設計技術を生かして創業

´社員16名 売り上げ関連もあわせ1億2千万円

´技術力に頼ることなく、全員参加による営業を

´人格と営業成績の関連

 

 

営業の才ある人にフイロソフイ堅実な社員を教育せよ

´情熱だけでは発展しない

´情熱のほかに人一倍創意工夫して、誰にも負けない努力をしている

´技術や資産に安住するな 楽をしてもうけようという考えが発展の阻害要因

´とにかく売り歩けではダメである

´同業社よりもウチはこういう特長、こういう技術があるということで営業

´断られたときが営業の始まり

´有能な営業担当者は特殊な才能の持ち主。しかし、優秀な営業マンこそフィロソフィを徹底して教えることが大切。

´有能な営業担当者から学べ。まじめな人はあまり注文がとれない。

 

稲盛和夫の経営問答 
従業員をやる気にさせる7つのカギ』より抜粋

  1. 従業員をパートナーとして迎え入れる

自分と一心同体になって仕事をしてくれる「パートナー」-ともに

経営の責任を負う共同経営者として従業員を迎え入れることが必要です。

  1. 従業員に心底惚れてもらう

経営者は、社長であるあなたに惚れ込み、

どこまでもついてきてくれる従業員をつくり、

彼らを幸せにしていかなければならないのです。

  1. 仕事の意義を説く

従業員は、自分のやっている仕事に意義を見出せば、

気持ちが高ぶり、持てる力を最大限に発揮してくれるはずです。

  1. ビジョンを高く掲げる

すばらしいビジョンを共有し、こうありたいと従業員が強く思えば、

夢の実現に向かって、どんな障害をも乗り越えようという

強大なパワーが生まれてくるのです。

  1. ミッションを確立する

従業員のモチベーションを揺るぎないものにする。

それが、「ミッション」です。会社の使命や目的を明らかにして、それを従業員と共有します。

  1. フィロソフィを語り続ける

高邁な企業の目的を追求していくためには、「私はこういう考え方で経営をしていくつもりだ」ということを皆に話して、

それを共有していかなければなりません。

  1. 自らの心を高める

経営者は、しっかりとした哲学を学び、自分の器を大きくするように努めるべきです。

 

まとめ

´社員のやる気の問題を阻害している要因を現代社会組織の構造的な問題から探って、稲盛和夫の積極的な問題提起を学んでいこう。

´この際に、それぞれの日常で起きている組織のメンバーのやる気の問題を出し合ってみよう。

´青年もニートの問題やフリーター志向、また、会社を3年以内にやめる若手社員の問題も含めて考えてみよう。

´組織の硬直性・官僚制の起きる問題の原因をそれぞれの立場から話し合ってみよう。

´自発性のエネルギーを生かしての活性化した事例がありましたら積極的に出し合ってみよう

´

´組織でやる気を失う原因について話しあってみよう

´やる気を失うリーダーの問題性とやる気を引き出すリーダーの違いはどこにあるのか話しあってみよう。

 

「地域における居場所づくり再考・久留米市の事例  ―地域福祉や社会教育へと拡がっていく市民活動」

「地域における居場所づくり再考・久留米市の事例 

―地域福祉や社会教育へと拡がっていく市民活動」


はじめに

 

 九州地区の社会教育学会では、6月集会として、テーマにかかげた趣旨で、地域における居場所づくりについて深めた。その事例分析を福岡県久留米市の市民活動サポートセンターの活動の報告に求め、議論がなされました。報告は、市民活動サポートセンター「みんくる」の組織と活動、それを支える久留米市の行政支援、具体的な地域福祉活動としてのひとり親世帯の一般社団法人UMAUの活動報告でした。

 はじめに、久留米とはどういうところか。なぜ現代の久留米で居場所づくりを地域につくらねばならないのか。町村合併で横長の市町村で、人口は約30万人。地域の人びとの繋がり減って、貧困化する状況で、孤立と助け合いがなく、暮らしのコミュニティの危機があるということです。

 また、自治体としてのまとまりは合併したことによって、容易ではない。しかし、新たな注目する動きがあることも注目するところです。貧困化も進んでいるということで、市民が自主的に社団法人をつくってひとり親世帯を自分たち自身の血縁のない大家族づくりの協働する力で、自主的に市民自身で支えていこうとする動きがあることです。

 それが、なぜ生まれのかという問題意識が、未来への地域の暮らしの支えにとって大切ということからです。この困難な生活のなかでの新たな地域の暮らしを支え合う居場所づくりに学びが大きくあるということです。どうして、その学びが新たな動きのなかで生まれたのか。深めて行く課題があるのです。

 つまり、貧困者自身の市民活動の居場所づくりと、それがひろがっていく学びということが大きなテーマにもなっていくのです。ひとり親世帯などの貧困者自身が、自らが市民活動を積極的に行って、思いや考えを伝えあい、裏の暮らしも表にだせる踏み込みの学びをしているのです。そのことによって、貧困状況での大変さを少しでも仲間の絆をもっての力で改善していこうとするとりくみの報告から社会教育研究として何を学んでいくのかということです。

  久留米市の中心部は、伝統的にまとまりがよく、深い歴史文化があったところです。古墳が600もあるということで、古墳の街と言われるように、古くからの継続して栄えた地域です。吉野ヶ里の環濠集落遺跡とも近く、卑弥呼の墓の説もあるのです。高良山は、信仰の地として、高良大社卑弥呼墓説の祇園古墳・神籠石などがあります゜また、古墳時代磐井の乱の激戦地であったところです。ここに、久留米市民のアイデンティアがあり、神輿かつぎも盛大な祭りになるのです。

  また、久留米絣やくるめつつじなどの特産物をつくりだしていく地域性もあります。久留米絣創始者・井上伝と「東芝」の創業者・田中久重の意外な繋がりがあります。田中久重久留米市出身の発明家で、からくり人形や和時計などを開発した人物です。

  1813年、当時26歳だった井上伝は、織り手として名を馳せ、多くの弟子を指導した。新技術の開発にも意欲的に取り組んでいましたが、動植物や風景などを布に織り込む“絵絣”に挑戦していました。試行錯誤を繰り返すもうまくいかなかった。その状況を打開するために白羽の矢が立ったのが、田中久重だったのです。久留米はタイヤの街としても栄えたのです。世界のブリジストンタイヤも生んだのも久留米です。

 このような歴史と文化をもってきた久留米ですが、新自由主義とグローバル経済のもとで、格差社会も進み、貧困化問題も顕在化し、人びとの伝統的な地域のまとまりも崩れていくのです。新たに、意識的に地域での絆づくりをしていかねば暮らしを支えていくことが困難な状況が生まれてきているのです。地域福祉という視野からの地域の居場所づくりが新たな課題となっていくのです。市民が主体となっての活動センターとしての「みんくる」という組織が行政の指定管理という方式でたちあがっていくのです。

 本稿を書くにあたって、久留米の地域福祉マガジン【グッチョ】の記事に報告者の活動がのっていますので、それをも参考にしていきます。

 

みんくる」のI・WE・PUBLICの実践

    センター長 おきなまさと

 

  センター長をしているおきなまさとさんは、中華料理屋をしていた人です。地域福祉や社会教育に関心をもっていたわけではないということでした。もともと、久留米の商店街は、売ることだけではなく、地域の暮らしに深くかかわり、祭りなども積極的に盛り上げていたということでした。

  おきなさん自身、その地域活動の弱まりが意識されたのです。自分の商売には熱心にやってきましたが、地域のまとまっていく活力がなければ、地域の商店街や地元の古くからの産業も廃れていくということの危機意志をもったということです。このことから、NOPや地域の中小企業をまとめていくことが必要ということでした。これが、くるめ協働CASE PJの組織で、「みんくる」の基盤です。それは、個人事業者の集まりで、行政からの補助金をあてにする目的での結成ではないということです。

 現在ある「みんくる」の施設は、市の行政機関がつくったものです。それは、市民活動・NPO・地域コミュニティ・ソーシャルビジネスによる「協働のまちづくり」のために、2005年に誕生した施設です。現在は、公設民営のサポートセンターです。この施設は、多様な協働のカタチを活かしながら、社会的な課題解決に取り組む「非営利公益活動」の拠点になってきました。

 2019年度より久留米市市民活動サポートセンター「みんくる」の管理・運営は、指定管理者になったのです。久留米ガス株式会社とくるめ協働CASE PJ 共同体( 任意団体くるめ協働CASE PJ の 共同事業体での指定管理です。くるめ協働CASE PJからおきなまさとが「みんくる」のセンター長として出ているのです。

 くるめ協働CASE PJは、市民活動の「交流の場」創り、新たな市民活動の形成及びネットワーク促進として、平成28年6月に発足した団体ですが、久留米市全体の市民活動支援センターの担い手になっていくのです。

みんくる」は、各種講座の開催、会議室・セミナー室や作業室などの貸し出し、市民活動の相談活動の相談、展示コーナーの設置による団体活動の紹介、久留米市の市民活動の情報誌の作成などを行っています。

 各種の講座は、「NPOやボランティア団体などの市民活動団体対象の講座」や「これからボランティアを始めたい人向けの講座」です。

みんくる」は、市民参加の久留米市の次期環境基本計画を策定するにあたり、環境政策課の実施の「子どもから大人まで広く市民の意見を聴き、その意見を計画に反映させるために、ワークショップ開催」を積極的に広報しています。ワークショップでは、体験型アクティビティを通して環境について学んだり、身近な環境について意見交換を行ったりします。「久留米の自然や生き物が大好き」「地球温暖化が気になる」などです。

 久留米のNPOなどの市民活動のセンターの基盤となっている指定管理を久留米市から受けた「くるめ協働CASE PJ」は、商店街や小企業者の集まりということら、地域の人びとの暮らしの経済に密着した団体です。その団体に、久留米ガスが積極的に協力していくことによって、市民活動センターの基盤ができているのです。このセンターの活動は、市民活動を推進していくための学び役割を果たして、様々な市民活動団体のつなぎの役割を果たして、行政とのパイプをもって、市民活動の相談にのっているものです。そして、地域福祉行政や環境基本計画などの市民参加による行政施策にも大いに意味をもっているのです。

 久留米の市民活動支援センターの施設の管理運営に地域の暮らしの経済を支える団体と久留米ガスという民間が、地域の暮らしのエネルギー供給会社と共同で指定管理団体になっていることです。つまり、地域の暮らしの経済を支えている組織が支えているということで、いわゆる地域ボランティア団体などのNPOの市民活動を支えている団体が、指定管理団体になっていないことです。

  おきなまさとさんが提供する暮らしを支え会う地域の居場所づくりにおいて、IとWEとPABLICの発展関係をあらためて考えさせられた。知らないという次元から意識をもって知ることが、市民活動に参加していること、活動の関わりの日常化、自分自身で、小さくてもいいからはじめていくという、私たちという地域の居場所によって助け合いを主体的に自分自身で、はじめていくという。

  さらに、次の段階へと公共性の道に入っていくというのです。大切なことは、自ら自立しながらの地域の無縁社会や貧困の暮らしを支え合いによって克服していくことと独自の公共性の道にかかわり合っていぅことだと思いました。

  公共性の道には、国家や市町村行政の独自の役割があることを見落としてならない。市民活動の支え合いだけでは、決して深刻する貧困問題、全国的に多発する子どもの虐待やひとり親世帯のかかえる経済的貧困などの問題を克服することができないのです。

 

叶え合う支援に何を期待しているのか

 久留米市役所子ども未来部総務  秋山フトシ

 

  秋山さんは子ども未来部の行政に属する人です。役場職員として、社会福祉法改正の厚生労働省が進める地域福祉施策の重層的支援体制整備事業を担っている人です。(社会福祉改正による重層的支援体制整備事業については、本論の最後に資料としてのせています)。

  報告は、1. 重層事業とまちづくり、2. 転換点となった「重なり方デザイン事業」、3. 叶え合う支援は何を変るか、という三つの柱のはなしでした。

 「久留米市の支援事業は、地域包括支援センター・子育てサポートセンター・生活自立センターなど、相談して適切な支援機関につなぐ包括的相談支援事業と、従来の地域福祉課、青少年育成課など支援機関、社会福祉協議会などの多機関協同事業、インフォーマルな地域の居場所としての参加支援があります。ここには、資金活動団体や地域の企業、社会福祉協議会に属する地域の生活支援コーディネーターの活動があります」。

 ここで注目することは縦割りで、それも専門化・細分している行政の活動を、いかにつなぎ、そして、市民との包括的な相談にのっていくかということです。市民の様々な相談は、具体的に細分化した行政のセクションに対応するわけではありません。

  それは、複数にまたがっているのです。細分化すれば、するほど多くのセクションとの関係をもっていくのです。いわゆる行政相談のたらいまわしが、市民側の相談の気持ちからよく起きるのです。

  ここで、報告者の秋山氏は、「暮らしのなかで、どうやって地域につながっていくのか。行政がやっていく系統的な事業のフォーマルなことだけではなく、地域のなかでのインフォーマルの活動が大切です」とのべるのです。市民活動のインフーマルの組織が大きく期待されていくというのです。

  この秋山さんの指摘は、行政職員、市町村行政、国家が、本質に市民の暮らしを守り、充実させて、楽しく地域で生きていけるために本質的に見方を変えていくことできわめて大切だと思います。また、市民自身の絆をつくって、孤立化している貧困層の人びとを支えあっていくことでインフォーマルの活動も大きな役割を果たしていくのです。

「それぞれの役割や対応できる部分、⽀援の違いなどを理解・認め合い、それぞれの強みを活かしていくことということです」と。さらに、市民側にも制度のとらえ直しが必要ということを行政職員の立場から次のようにのべるのです。

  「ここでは地域の人びとの暮らしや制度のとらえ直しが必要だということです。従来の行政の人たちの制度に縛られたなかでの概念では硬く、福祉や支援の概念を拡げていくことが求められているというのです」。

  そして、市民として、行政職員として、行政に対する考えの見直し、自分自身の置かれた状況に対する「知識よりも意識の変革、解決よりも願いの根本を考え、深めて行く」というとらえ方が重要になってくのです。

  それは、地域の支え合いや住民同士の関わり合いの体制をつくっていくということだというのです。これが、叶え合う支援ということで、課題解決だけではなく、願いを叶え合える意識を尊重し、支援する、されるという関係ではないのです。

  本人の意思を中心に、支援は困った人のアプローチではなく、人の手が必要な時に協力する、協力し合うことであるとするのです。そして、それは、本人と支援者の間ではなく、より多くの人間に起こるものとしてとらえていくということが大切ということでした。

 秋山氏は、支援での事業設計の視点で、既存制度やサービスが、本人の力を奪っていないかと問い直ししていくことが、関係者にとって不可欠ということです。

  つまり、本人の自立を第一に考えていくことを基盤にしていくことであるとのべ、専門職も地域も行政も、サービス利用者も、共に久留米を創る存在だという意識改革を伴っていなければならないとするのです。

   久留米という地域の豊かな生きがいの場にしていくための支え会う居場所づくりなのです。久留米の未来を積極的に個々が自立して豊かに生きられるような支え合いの居場所で、久留米を創造するということをみつめていくことでもあるのです。久留米の資源は、なにか。久留米のもっている人間力は、なにか。地域のなかでみつめていく支え会う居場所づくりということになるのです。

   また、非常に大切だが、難しいになるのであるが、普段はあまりに人に出せない・出したくない暮らしの裏側を出せるような環境・関係ができるように努力していくことなど、人と人の関係性をあと一歩ふみ込むという感覚の共有をひろげていくということだというのです。

  久留米市で「叶え合う支援」という理念は、困りごとを抱えた人もそうでない人も、暮らしの中で人と人とが関わり合うという街を目指すためです。それは、制度だけに頼らないことです。病気を抱える、障害がある、生活が苦しい、

  人間関係が保てない、仕事が続かない。暮らしの中で困り事を抱えることは誰にもあります。その時に相談に乗ったり解決に向けたサポートを行ったりする機関や窓口はいくつもあります。

  しかし、その対象に当てはまらなかったら。制度には必ず支援の狭間が生じます。この制度の支援の狭間に、秋山氏は人と人の関わり合いの街から暮らしのなかで困っている人に言えない問題に、制度だけに頼れないという「叶え合う支援」の理念があるというのです。

  つまり、秋山氏は、「制度・サービス」と「住民の関わり合い」が2車線道路のように整備されれば、対応できることの幅が広がり、いろんな人の主体性が生まれるのではないかと考えているのです。

  さまざまな分野で地域の居場所づくりや支え合いの仕組みがありますが、その力を誰かの暮らしや困りごとに生かすためには、「接着役」が欠かせません。その接着剤の事業を受託しているのは久留米AU-formal(アウフォーマル)実行委員会です。

  ある活動団体が「私たちの活動は福祉活動ではないのですが、関わることができますか」と。どのような活動であれか、誰かの「居場所」だったり「活躍の場」になったりする大切な力なのです。あらゆる人、あらゆる団体、あらゆる企業。それぞれの特徴を重ね合わせて、「暮らしと暮らしが重なり、関わり合う」街になれば、久留米らしい地域共生社会に近づけるのではないか。

  秋山氏は、以上のように、地域の居場所づくりという叶え合う場、暮らしの困りごとを解決していく接着剤になっていく街づくりを期待しているのです。

  国が進めている社会福祉法改正による地域福祉施策、重層的支援体制事業施策のなかで、久留米らしい特徴のある事業や活動が何であるのか。知りたいところです。

   また、地域福祉施策の市民参加の地域支え合い活動で、学びが大きくありますが、市行政の生涯学習や社会教育と、どのように関わっていく可能性があるのか。その関わりの困難性は、どこにあるのか、知りたいところです。

 

血縁なき大家族が暮らし合う居場所

     一般社団法人UMAU 代表 中村路子

 

  中村路子さんは、血縁のない大家族ということで、様々なひとり親世帯の貧困親子を救うために、支え合う居場所づくりの活動をしている報告でした。

 ひとり親世帯のからなる市民団体の一般社団法人UMAU(うまう)を責任者として、運営しています。UMAUは、貧困の根本原因を追究して、解消することをかかげ、地域で支え合う子育てを実現するために、ひとり親ということから7人の親へということで、それぞれの役割を発揮して支え合いの活動をしています。

  これは、ひとり親世帯は、孤立しがちで、貧困世帯も多く、それらを克服するための7人の血縁なき大家族という活動の基本的な考え方です。現在(2025年6月)ひとり親380世帯が加入して、「じじっか」族の共同体として、支え合いの活動をしています。

  特別の運営スタッフは、30名です。活動の範囲は、久留米と大牟田の地域です。そして、ひとり親世帯の支え合いのなかで、子どもたちが健全に育つように、遊びの空間や発達の保障の気配りをしながらの条件整備や学びの場をつくってやっているのです。そして、子どもたちが夢や希望を大きくふくらませようと、自分流計画を中学3年からつくれるように積極的な将来への進路の援助もしているのです。

  貧困のなかで、孤立しがちなことを日常生活からなくしていくために、暮らしを少しでも自助努力でゆとりをもたせるために、血縁なき大家族を機能させているのです。家ごとに行っている食事の用意や塾や習いごと送り迎えなどを大家族の「じじっか」ごとに同士で行うしくみをつくっています。

  さらに、使わなくなった衣類や食材をシェアしています。シェアするときも箱のなかに衣類を入れて、そこからとっていくということではなく、きちんと棚にかざって、買い物するように置き場を設けて、メートル交換ということで、それぞれの品物の価値を共有し、楽しみながらの工夫をしています。

  これは、いらなくなったものをあげるということではなく、大切なものを交換するという物を粗末にしない意識改革にとっても大切なことということからだというのです。

  貧困とは、どうしようもない困りごと、学校に行けない子どもたち、家で暴れる手が付けられない母親など深刻な状況があるのです。中村さんはのべるのです。「めちゃくちゃ深刻な場面に出くわしますよ。『今から手首を切る!』って電話があって駆け付けたこともあるし、『子どもが暴れて手が付けられない』というので急いで家に行き、ドアを開けたら血まみれの母親と鉢合わせたこともあります。暮らしの裏側に踏み込んでいるから、たった一食のご飯で、助かっている命がたくさんあることを実感できました」。

  このような家族内ではどうにもならない現状が、現代の日本では数多くあるのです。子どもの虐待は児童相談所の統計によると全国で、20万以上を越えるのです。その相談の経過は、数多いのが警察を通じてです。血縁者や地域から、学校からも少ないのです。

「貧困の根本には孤立があります。周りから見ても何が原因なのか、何が事実なのか分からないくらい悪循環に陥っている。解決策なんか簡単に見つかりません。そこから抜け出すには『暮らしを細かく分けて、一つ一つを誰かと認識を共にする』ことからかな。だから一緒に生きていく存在が必要です」。

 本来的には、地域の支え合いのなかから民政委員・児童委員や学校からの相談が、契機になっていくべきだと思います。さまざまな貧困のなかで、孤立化しているのが現状なのです。貧困の危機的な状況は、本来的に人間がもっている絆や社会性、生きる意欲が失われて、精神的な非人間な状況に追い込まれていくのです。

「じじっか」族の一人から、今晩子どもに食べさせるものが何も無いと連絡があって、すぐに届けました。その時はお金が無くて本当に苦しいと想像できるが、数日前には高級パンを食べたりしているのです。貧困の背景にはもちろん手放しで同情できないこともあります。でも、誰だっておいしい物は食べたい。生活に困っているのに、ということで、遠慮しなければならないことはないはず」。

 

  血縁ない大家族の一員になるために、きちんとした自覚をもたせていくために、模擬的なひとつの儀式としての婚姻届けをしていることは注目するところです。つまり、血縁の無い大家族「じじっか」族になるには、家族としての婚姻届け「ファミ婚届け」を提出します。そして、「じじっか」族は全員が何らかの役割を担えるようにするのです。

  その役割任務とは、遊びに来て、子どもたちの遊び相手や世話をするのも役割ということです。月1回配達や片付けなどを手伝う人もいれば、運営スポンサーとして寄付金を出す人など、それぞれに運営を支えていきます。

  会員それぞれの「得意」を生かし、服や装飾品の制作・販売や講座の開講をしていますまた、事務作業を請け負って、「月に数万円」の追加収入を得ることもあります。「暮らしの中に数多くある『作業』を細かく分けてシェアすることで、暮らしが好転する契機をつくっていくというのです。

  家族としての一員であることを日常的に自覚させていくために、あいさつも重視しているのです。あいさつには独自のルールが生まれます。来た時には「おかえり」と迎え、自宅に帰る時は「いってらっしゃい」と送り出すというのです。当たり前の日常生活での心の通い合いを習慣づけていくのです。

 貧困になることによって、自分の思いや考えを伝えようとしなくことです。精神的にも孤立していくことは、人間関係をもたない無縁社会状況をつくっていくおとです。貧困を克服していくには、貧しさを人にはなせる自覚だというのです。

  裏の暮らしを表にだせるように、一歩、二歩と踏み込んでいくことが大切と、中村路子さんはいうのです。貧困という現実に向き合い、悪循環を断ち切るのは当事者である私たちというのです。そして、「ネガティブに捉えられがちなことだからこそ前向きに捉えたい。だから『貧困脱出』ではなく「ラッキーループを巻き起こせ!」が合言葉」と中村さん強調するのです。

 令和2年11月下旬、「じじっか」に併設されている倉庫を改装して、屋内広場「じじっか」パークをオープンしました。約380平方メートルです。子どもが走り回れる市内広場です。一面の壁が鏡張りになって、自分たちの行動が鏡に映るのです。

  ここで、毎週金・土・日曜のお昼に、いろんなタイプの居場所をつくっています。金曜は思う存分自由に過ごす「ゆったり居場所」、土曜は四つの習い事を体験できる「みんなの習い事」、日曜は地域住民の皆さんと一緒に過ごす「まちの休日」。人とのつながりや学び・体験の機会から「希望」や「可能性」を生み出す場ということです。

 「じじっか」パークの一角にはお店のような部屋「ギフトルーム」があります。正面から右にかけて壁には洋服ラックがあって、左側には食品や日用品を陳列します。そこに、寄付として集まった洋服や食材が並びます。このことによって、必要な物をもらえればお金は節約できる。段ボールの中に雑然と入れられた状態から持ち帰るのとは違うのです。ここには、会員の家族たちがみんな「ありがたい」と感謝の気持ちと、「喜び」が加わるのです。「みんなの心をデザインする」ということが、このギフトルームに表れます。

  久留米の地域福祉マガジン【グッチョ】誌において、「AUーformaI」実行委員会の 代表 として、中村路子は叶う合う支援について次のようにのべています。

「人口減少社会の中、いろんな人たちが関わりあう地域共生社会になることは日本全体の課題です。私たちも、年齢や性別関係なくつながるには、どんなプラットホームが必要かをみんなで考えて、さまざまな場をつくりました。

  その一つに、心の内にあるロマン(理想や大切にしていること)を語り合うことで、人との関わりを広げ深める企画がありました。ロマンを自然体で語れる街って素敵じゃないですか。その場を運営する中で「福祉って、かわいそうな人を支援するというイメージがある」「役割やメリットがないと何もできない」という人の多さに気づきました。

  けれど、本来は「あの人の情熱を聞いて感動したから仲良くなりたい」というような、人としての感覚を大事にしながら関わることが必要だと思いました。

  行政と市民活動団体では、支援の優先順位や価値観が違います。制度やサービスで暮らしを守ることはこれからも必要。それに加えて、人としての感覚に基づいた「叶え合う支援」を皆さんの暮らしの中に当たり前にある状態にしていきたいです。そのためにも、市役所や社会福祉協議会、そしていろんな支援機関と一緒に取り組んでいきたいと思っています」。

 ひとり親たちの血縁なき大家族の市民活動のとりくみには、貧困の自覚、貧困の裏の暮らしを表に出して、それを仲間になった血縁なき大家族の支え合いで改善していく過程で、大きな学びがあったのです。市民の居場所づくりの活動が、貧困者自身の地域福祉活動として積極的にやられているのです。

  ここで、大事なことに地域福祉の考えに、行政としての福祉制度やサービス、鵜櫛施設の充実などもあるが、貧困者自身の市民の動としての福祉活動であることから、それぞれが叶え合うという居場所づくりから、貧困者自身が支え合いながら仲間になった大家族のなかで、感動することによって、生きがいを感じて、仲間になっていく深さという孤立からの脱出という精神的な側面からの学びの面があったのです。

  単なる学びということでの知識の獲得ということではなく、貧困者自身が生きる喜びを学びながら孤立した意識を変えていくことなのだということです。ここでは、貧困者自身の願いを叶え合うということなのです。

 久留米の市の行政として、市民の学びの場は教育委員会での社会教育課があり、市の様々な地域政策の学びとの関係では、生涯学習課があります。

  貧困者の市民活動の居場所づくりの学びには、社会教育課、生涯学習課はかかわっていないのか。地域福祉の視点からの子ども未来部総務の担当者がひとり親世帯の市民活動の居場所づくりや、「みんくる」の市民活動にかかわっているのです。

  社会教育職員の専門性こそは、市民の文化的要求やスポーツ要求を個別に組織化していくために、趣味お稽古ごとの講座をたてて、その宣伝をして、人を集めていくこと自身は大切なことですが、最も大切なことは、居場所づくりを地域の支え合い活動にいかに発展させていくのかということで、つなぎの役割が社会教育職員の大切な仕事なのです。

  また、生涯学習としての地域施策も住民に啓蒙していく仕事も市民の暮らしの要求を市民参加によって、行政の施策に反映させていくことも重要な生涯学習の専門性でもあるのです。

 

まとめ

 

  支え合う居場所づくりは、学びが、市民活動をとおして、自らの意識改革、行政への市民参加としても行われていることでした。そして、久留米市の叶え合う支援事業は社会福祉法での重層的支援体制の整備ということで、相談支援、参加支援、地域づくりの支援の一体的実施の施策ということなのです。

  重層的支援体制整備は、法的に義務ではなく、市町村の任意になっているのです。重層的支援整備という地域福祉は、高齢者分野、障がい者分野、子育て分野、生活困窮者分野となっているのです。重層的支援体制整備によって、地域福祉施策が、積極的に行われていくことは大切だと思いますが、ここに、厚生労働省の競争的補助金によっての行政支援になっているのです。採択の対象市町村は、ごく一部になっています。

  厚生労働省のホームページの重層的支援体制についての補助金事業によれば「社会福祉法改正による新たな事業の創設の背景により、重層的支援体制整備事業が創設されました。この事業の創設は、これまでの福祉制度・政策と、人びとの生活そのものや生活を送る中で直面する困難・生きづらさの多様性・複雑性から表れる支援ニーズとの間にギャップが生じてきたことを背景としています」補助事業で、すべての市町村の義務としてではなく、手をあげた市町村自治体から競争的補助事業として全国の市町村の108自治体(令和4年)が補助事業を実施しているものです。

  競争的補助金政策は、どうしても政策誘導になっていく傾向になりやすいことに注意をむけていくことが必要なのです。ここに、市町村の自立性と地域の暮らしの現実の状況を直視しながら、市民活動をとおしての住民の暮らしからの積極的な要求、その声を反映していくことが大切なのです。

 

重層的支援体制整備事業の久留米と厚生労働省の行政資料

 

厚生労働省

「重層的支援体制整備事業の財政支援は、既存制度からの財源を含めて一括で交付して、関係機関によるチーム支援を推進するものです。重層的支援体制整備事業が円滑かつ効果的に実施されるよう、実施計画に基づく事業の実施状況を一定期間ごとに確認し必要な見直しを行います」。

厚生労働省としては、重層的支援体制整備事業の実施を通じて、これまでの個別制度の下では難しかった、創意工夫のある取組がたくさん生まれることを期待しています」。

 市町村が取組を進めるに当たっては、以下のような点に留意いただきたいと思います。

「既にある地域のつながりや支え合う関係性を十分理解し、地域住民の主体性を最も尊重し、関わる住民の意見を聴いた上で、行政から必要な範囲で活動を応援するというボトムアップの視点を重視していただきたいと考えています。

・地域住民や関係機関等と振り返りや議論を繰り返し行うことで、事業の実施状況等を定期的に分析・評価し、必要な見直しを行うだけでなく、事業を実施してみてはじめて生まれた価値にも着目していただくことが重要と考えています。

  多様な関係者が参画できる場を設け、それぞれの市町村においてどのような形で包括的支援を展開していきたいか、事業実施の過程で包括的な支援がどのように展開されているか、実施の過程で一部の相談機関等に負担が偏っていないか、地域住民等による既存の取組等の主体性を妨げていないか、財政支援が適切に配分されているか、事業実施を通じて想定外のものも含めてどのような成果が生まれているかなど、幅広い観点での議論を行うことで、重層的支援体制整備事業のより一層効果的な活用につなげていただくことを期待します」。

  さらに、厚生労働省の地域での共生社会の施策については、「地域共生社会が目指すものです。平成27年9月に「新たな福祉サービスのシステム等のあり方検討PT」報告として、「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」が示され、翌年6月に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」に地域共生社会の実現が盛り込まれました。

  新たな時代に対応した福祉の提供ビジョンでは、高齢化の中で人口減少が進行し、福祉ニーズが多様化・複雑化しており、福祉の提供において、「包括的な相談から見立て、支援調整の組み立てに加えて、資源開発し、総合的な支援が提供され、誰もがそのニーズに合った支援を受けられる地域づくり」を行う新しい地域包括支援体制を構築するとともに、新しい支援体制を支える環境の整備(人材の育成・確保等)を行い、地域住民の参画と協働により、誰もが支え合う共生社会の実現を目指す必要があるとの旨が示されました。

  ニッポン一億総活躍プラン(平成28年6月2日閣議決定)では、「子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことのできる仕組みを構築する。また、寄附文化を醸成し、NPO との連携や民間資金の活用を図る。」とされました。

  これらのことから、地域共生社会は、福祉施策が担う「支え・支えられる関係が循環し、誰もが役割と生きがいを持つ地域社会の醸成」だけでなく、社会・経済活動の基盤としての地域での「人と資源が循環し、地域社会の持続的発展の実現」の視点も重要であり、地域での暮らしを構成する幅広い関係者による“参加と協働”が求められる取組といえます」。

 

久留米の地域の福祉計画

  「久留米市は、平成23年度に「第2期久留米市地域福祉計画」を策定。「『こころ』あふれる支え合いのまち くるめ」を基本理念として、地域住民の皆さまや関係団体の皆さまと協働し、地域福祉を進めてきました。

  しかし近年、少子高齢・人口減少社会や地域のつながりの希薄化などが急速に進展しています。分野を超えた支援が必要な「複合的な課題」を抱えた人や、これまでの制度では対応が難しい「制度の狭間」にいる人などへの対応が欠かせない時代になっています。

 そこで国は、「ニッポン一億総活躍プラン」で、すべての人々が暮らしや生きがいを共に創り、高め合える「地域共生社会」の実現を掲げ、新たな地域福祉施策を進めています。

  これに合わせて久留米市も、地域社会を取り巻く環境の変化、見えてきた新たな課題などを踏まえ、これらに対応する取組みをより一層充実させていくため、地域住民の皆さまや関係団体の皆さま、久留米市社会福祉協議会と共に、令和2年3月に新たな地域福祉計画「くるめ支え合うプラン」を策定しました。

 また、令和3年4月には、社会福祉法の改正で「重層的支援体制整備事業」が創設されました。久留米市は初年度から事業を開始し、地域共生社会の実現を目指しています」。

 ロマンを通して人と人との関係が深まる実験の場「はじロマ会」

 また、これからの社会にどんな場(プラットフォーム)が必要なのかも模索しました。そして、生まれてきた一つの場が、ロマンを通して地域福祉を感じるお話会「はじロマ会」です。令和2年度、月1回の頻度で開催してきた会では、参加者が暮らしの中で感じた自分のロマンを話し、残りの人は心を開きロマンに浸る。ただそれだけの目的もない会です。

 この場で、とても面白い変化が見られました。会の終了後、初めて会った人同士が、あたかも前から知っている人かのような距離感で話すようになります。また、やりたいことを深く知った人同士、その後の関係が簡単に形作られ、連携した事業なども生まれました。

 久留米市長の考え方「今後は、まちづくりの鍵を握る「人」を育て、支えることを大切にしながら、「街を伸ばし、暮らしを守る」取組を進めていくことが何より重要であると考えております。また、久留米市が多様な都市機能を維持・強化していくことで、県南の中核都市として持続的に発展していかねばなりません。

 専業職種で安定して暮らせる『安心・安全で活力にあふれた、誰もが活き活き生活・活躍できる共生のまち』を目指し、久留米市を成長発展させる取り組みを進めてまいります」。

霧島・上野原縄文遺跡から学ぶ現代への知恵

  • 霧島上野原縄文遺跡から学ぶ現代への知恵



 はじめ

 

 いま、なぜ 現代の社会から未来へと考えるときに、縄文遺跡から学ぶことが必要なのか。

   豊かな自然の恵みから生きていくことは、持続可能な循環社会をつくりだすことがよくいわれています。セルノースナノテクや再生可能なエネルギーなど、自然資源を積極的に活用する科学・技術の発展は、今日、世界各地における環境問題が深刻になるなかで、人類的課題となっています。

   現代は、様々な面で便利な社会になっています。ものがあふれています。人びとは自己の欲望を実現するために、金さえあれば願いがかなえられると思う人が増えています。個々の金銭欲、拝金主義は現代の人々の心を支配しているように思うのです。そして、金銭欲から、弱肉強食の競争に勝つことが強要され、個々の人びとが、自然循環、持続可能性を考える人間的理性を失い、動物的な欲望に走っているようです。

   さらに、弱肉強食の競争主義によって、生産性第一の効率至上主義になっています。この状況によって、多くの人々は、余裕のない日々で、身体の病と心の病も発生しやすくなっています。その結果、負け組と勝ち組ということで、格差社会になっているのです。ものがあふれる一方で、大量廃棄物が生まれ、環境問題が深刻になっているのです。

 人間は、動物とどこが違うのか。生物的なヒトが人間になっていく過程は、長い進化の歴史のなかで、ヒトが、食べ物を分け与え、共同で食物を獲得し、共同の居住区をつくったのです。また、自然の資源から衣服をつくり、それらのために、知恵を発達させて、道具を工夫して、自然のなかで支え合いながら社会を形成してきたのです。

  人間は、それぞれが、意思をもって社会的存在として支え合って、相互扶助で生きることが、動物と本質的に違うのです。ヒトという類人猿から人間的氏族共同体社会の集落形成から長い歴史をかけて、農耕社会、古代の地域のクニ、民族的共同的中央集権国家、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会と、現在のような社会的分業や機構が、複雑になっていく社会になってきたのです。現代の塾肉強食の競争社会や官僚化社会は、個々の意思が埋没して、孤立した無縁状況の意識と生活になっています。個々の意思と現実の乖離が大きくあるのです。実際の個々の機能はそれぞれが社会的存在の役割を果たしているのです。

   人間は、旧石器時代から石を加工して、新石器時代へとなった。そして、土器を創造して定住したのです。日本列島では、自然の恵みを工夫し、生活の糧として森や川、自然の土地を大切にする縄文時代が生まれました。10500年前に、52棟の竪穴住居の集落の存在が、日本の国土に存在した遺跡が発見されたことは、大きな注目を集めたのです。それが、鹿児島県霧島市にある上野原遺跡です。

 ここでは、連結の土坑を利用しての燻製づくり、土器による煮炊きがされていました。また、集石遺構から石を火で焼いて、その上で蒸し焼きをして食べる料理をしていたことがわかったのです。これらからみるとおり、食生活の多彩な工夫がされていたという高い文化をもっていたのです。

 この地域社会では、家族を大切にしての女性が中心の母系制社会であったのです。乳房や肋骨を表現した女性像の土偶、ゴウボラ貝など大型貝類の加工による装飾の遺跡も豊富に出ています。首飾り、耳飾り、腕輪なども。

 縄文の集落では、自然の恵みによって生きていたことから、人々は、自然を畏敬し、家族を中心としての氏族共同の社会であったのです。土偶は、安産祈願・子孫繁栄、豊穣、病気平癒などを願う儀式などに使われていたのです。

 ここでは、道具としての磨製石器も出ています。その後の縄文社会の発展は、黒曜石によるやじり、木の伐採の石斧、石包丁、石クワ、石かまなど。土器には貝殻などで文様をつくての表現がされています。

  そして、貝の装飾品や黒曜石などからは、広いネットワークをもっていたことがわかります。黒曜石は地元またはその周辺にないからです。このことから、広い範囲の交易がおこなわれていたのです。

  この交易には、海をとおしての交流で、一本の大木を掘りぬいて、カヌーのような小型船による帆をはったのではないか。荷物の多いときは小舟をつなぎ合わせ、また、安定性を確保して、風の動きを巧みに操作させたのです。

  そして、海流の動きを丹念に観察し、北極星などの星の位置から方角を定めての航海ではなかったかと思うのです。

 現代の日本人が、縄文から学ぶことは、人間と自然との共生関係です。縄文時代は、自然のくりやどんぐりを主食にしながら、植林して、畑作農耕をはじめ、小水田稲作をつくりだし、弥生時代へとつないでいったのです。このことによって、食糧の安定確保人口との増大がはかれました。霧島山麓の都城市・横市で紀元前10世紀の小水田稲作の畔遺跡が発見されました。湧き水、傾斜地、シラス台地の霧島山麓の自然条件を巧みに利用した小水田稲作遺跡です。縄文の自然恵み・条件を利用していく考えの文化継承です。

 ところで、縄文時代の家族は、大家族で、それぞれの家族ごとの支え合いが身近に形成されて、それぞれ個々の役割分担もあったのです。家族を中心とした集落は、母系社会での集落での共同の支え合いであったのです。地域で、家族間で支え合う、共同で仕事をしていくことであったのです。

 縄文時代から弥生時代に移行していく過程で、海をとおしての広いネットワークと交易のなかから異なる文化や異なる民族の人々が入ってきて、地域の社会も発展してきたのです。そのひとつとして、水田稲作があったのです。そこでは、自然を徹底して観察して、知恵をだして、すべての自然物を有効に利用していたのです。

   現代は、自然を畏敬して、徹底して今使っているもの、食糧残渣などを再利用していくなど、持続可能な社会のために自然循環社会、自然との共生社会を積極的に考え、その知恵や工夫を大いに発展させていく時代です。

 

 上野原遺跡、子どもや地域の大人、そして、高齢者たちも学べ、考えさせる企画展

 

 地域の社会教育実践に、すべての年齢層が楽しく、未来をみつめて学ぶ、考えさせる企画として、「現代と古代のもったいないサイクル」が、博物館類似施設の霧島市縄文の森展示館でありました。

 現代における大量消費のあふれる廃棄物の環境問題から、未来への持続可能な社会形成にとって、縄文時代での自然との共生した社会から学び、考えるというものでした。素晴らしい環境教育の実践のための展示会でした。

 学校の子どもたち、地域の高齢者団体、家族づれの親子、青年たちのグループなど、多くの人たちが参加して、ボランティアの熱心な説明者も加わっての環境教育実践がみれたような気がしました。

 社会教育として、このような地域の暮らしの課題から未来への地域社会をつくっていく姿勢は、考えさせながら未来への地域づくりの場の提供だと思いました。今後は、社会教育行政として、未来への地域づくりのための学びが求められていると思うのです。

 

  • 上記の図式は、鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森の企画展のリーフレットからです。

 

  現代と古代のもったいないサイクル・古代人に学ぶMOTTINAI2025年4月26日から7月6日の企画展がありました。子供たちからお年寄りまで楽しく、わかりやすい、非常にためになる未來への勇気がわいてくるものでした。

  もったいないについては、ものがあふれる現代人にとって聞きなれないことばではないかと語っています。「かぎりある自然のなかに資源を使う」「再利用」「転用」する知恵や工夫が求められる現代で、縄文時代から学ぶことが多いという展示でした。

 

   自然素材をうまく生かした古代人は、豊かな心をもって生活していたということです。貝や骨、木材、粘土、石などの自然素材をたくみに活かしての暮らしであったということです。

 古代人の知恵と工夫はすばらしいものでした。素材を無駄にしないで、工夫した道具を大切に扱い、修理しながら使い続けることなどエコな持続可能性を追求したものであることが強調されていました。

  普通は石斧だけども、ヤコイ貝の蓋(ふた)を利用しての貝斧など。土器に小さな穴をあけて、ひびが入ったときにひろがらないように、両側をひもでとめられるようなあなを工夫されているという。

  どうやってつくったのかという問いかけ。穴をあけることのヒントなど。使えなくなった土器はすべて、捨ててしまったのかという問題設定です。

  こわれても再利用する工夫があったのだよと解答。いろいろと問を投げかけて考えさせる展示になっていました 。

  このような問いかけをする展示の企画です。子どもたちや地域の大人たちにも未來への持続可能な社会をつくりだすために、積極的に再利用する、リサイクルを縄文時代から学ぶというものでした。

  そして、大量生産・大量消費、大量廃棄物による深刻な環境問題から縄文人の知恵と工夫から解決していこうということです。未來社会に向けての展示会で、縄文遺跡の展示資料館として、すばらしい企画と思いました。

 

 現代社会の人々が、縄文の自然を大切にした文化を見直す意味とは!

 

 

 現代の日本社会では、大都市への人口集中によって、農山村の過疎化が著しく進み、日本人の食糧自給率もカロリーベースで38%と極めて低い数字です。野菜のたねの90%は海外依存、飼料の自給率は25%という低さです。

  エネルギーの自給は15%という危機的な状況です。木材自給率は43%ということです。現代日本は、日常生活に必要な消費財は輸入に大きく依存しているのです。

  石油に依存してのエネルギーや化学加工製品の消費財の占める率が高くなっているのです。地域の自然資源を有効に生活資材に利用していくという発想が、著しく劣っているのです。

  現代の日本は、 石油化学の発展によっての経済発展ということで、資源を持たない加工貿易国と称されたのです。これが、日本の未来を考えていくうえで、正しい認識であるのか。日本人が、培ってきた自然と共生してきた文化を忘れているのではないか。

  資源を持たない加工貿易国という考え方は、石油を中心に考える資源論でつくられたものです。このことで果たしていいのであろうか。もう一度、日本の人々が生きていくうえでの自然の資源とは何であるのか考える必要があるのです。日本は資源のない国としてきめつけていいのかと。

 国内、地域にある自然資源を有効に使ってきた歴史文化、そして、未来への持続可能性をもつ地域社会ということから、現実にある地域や国内にある資源の見直しをする必要があるのです。新しい地域や国内の持続可能な資源開発という科学・技術の発展という発想が大切なのです。

  この意味からも縄文時代の人びとは、どのように日本列島の資源を自然との共生で、有効に利用していたのであろうか。

 縄文時代から、そして弥生、古墳と続き、ヤマト国家、平安時代と続き、鎌倉、室町、江戸時代と、日本は、山の文化を大切にして、ある程度の自然を大切に、地域循環の発想を持ちながら、暮らしてきたのです。

   日本の自然条件に対応させて、そこから得られる資源を巧みに利用して、衣食住の生活資材を得たのです。自然の恵みを積極的につくりかえたのが農耕文化です。寒冷化や台風、大雨、地震、火山噴火などの自然の恵みが厳しいときに、飢餓がおとずれた。ところが、農耕は、食糧の蓄えもできるようになり、飢餓を救ったのです。そして、人口も増大させ、文化も発展させてきたのです。

   豊かな森林と豊富な水と肥沃な土地に恵まれていた日本の国土で、農耕を発展させて、水田稲作を充実させて、土地生産性を重視してきたのです。日本で暮らしてきた人々は、その恩恵によって、歴史的に豊かさを得て文化を発展させてきたのです。

  日本の水田稲作は、平野だけではなく、中山間の地域に普及していったことも特徴です。この結果、狭い平地の国土で、森林におおわれたなかでも、米の生産数量を増大させてきたのです。

   ここには、山に降り注いだ雨が、森林によって貯水池の役割を果たし、そして、川に常に水がながれるようになって、水田は、さらに大雨が降った時の災害防止の役割をもっていたのです。

 つまり、水田は、稲作のためだけではなく、自然保全の役割を歴史的に果たしてきたのです。水田を開墾すれ際に、常に河川による洪水が起きないように配慮がされきたという歴史的事実をみることが大切なのです。

  徳川時代に、大きな河川の平野部に水田がつくられていくときに、この問題が常に大きな課題となったのです。

  水田稲作や畑づくりにおいても山は、農地の土壌改良や肥料を得るために、大きな役割を果たしていたのです。また、日常生活の燃料も、山からの焚き木が不可欠であったのです。

  中世の時代まで、ためいけをつくる条件のない平場の河川周辺には、水田開発の開発をすることが一般的になかったのです。

 ためいけなどをつくって水田の水の供給も行われいたことを見落としてならないのです。日本の文化のなかには、自然そのもを神として、その豊かな恩恵を受けてきたことに感謝の精神が深くあったのです。

 実は、縄文時代に生きてきた人々の知恵や工夫が、現代でも文化として生きているのです。この意味で、縄文時代の遺跡や文化を大切にしていくことは、自然と共に生きていくこと、循環的な持続可能な社会をつくっていくという、日本の未来を考えていくうえで大切なことです。

 上田篤「縄文人に学ぶ」新潮新書によれば、和して楽しむとして、大自然の変化のなかで、大霊、マナの気配を知ることが大切で、それを知ろうとする縄文人は日々努め、人間どうしの争いなどにかかずらっておれなかったのだろうとのべるのです。

 縄文人はすぐれて自然観測民族だったのだ。そう考えると、縄文社会に戦争や殺人がなかったことも、縄文社会が一万年もつづいたわけも理解できるとみるのです。

 縄文社会の生産性が低いことからこそ弥生農業を受け入れたことは歪めない。しかし、日本列島では、長い年月を経て、普及していくのです。このことをを考えると、縄文人は、自分たちの自然との共生、自然に対する畏敬を大切にしながら、豊かさを求めていたのです。決して、現代に比して物資的に豊かではなかったことはいうまでもない。

 だが豊かさというのは、かならずしも生産力の高さや物量の豊富さをいうもではないだろう。精神的な、文化的な豊かさをも含めて考えていくことが必要なのです。コップ一杯の水も、心のもちようによっては貧しくとも豊かにもなるものだとしたら、問題は心にあるのではないかと。

 

  縄文社会が、男の猛々しさよりも女のしなやかさを、益荒男ぶりよりも手弱女ぶりを、力よりも知恵を尊んだとすれば、モノよりココロということも理解されるのです。

 日本の未来として、上田篤は、「縄文人に学ぶ」で、母性原理を重視するのです。

  父性社会では、競争が激しいい。競争によって、社会は進歩しますが、反面、弱者は切り捨てられていく。また競争にともなって抗争、戦争が激化し、また資源破壊や環境汚染などをも引きおこすのです。

 これに反して、母性原理が優先する社会は、平等を旨(むね)とするから、人びとの競争は起きず、社会の急激な進歩はしないが、弱者の切り捨て、抗争、戦争、環境問題の激化などを引き起こさないのです。

  父性原理と母性原理がバランスを保ち、従来の「進歩史観」から新たな「持続史観」への道筋が描かれ、明るい日本の未来が拓かれていくのではないか。父性と母性の両面のバランスの大切さを持続史観として、上田氏は、強調するのです。

 上田氏の問題提起によって、縄文時代から学び、持続可能性や自然循環ということが無視されてきた開発論、狭い分野での生産力第一主義ではなく、社会進歩とはなにかということを今一度、考え直す時期ではないかと考えるのです。

  持続史観として、進歩を考えるときに、平等を旨として、持続可能性や環境や社会との関係で循環が前提に考えることが基本になるのです。持続性と社会進歩を対立的にみるのではなく、社会進歩は持続可能性を前提に、弱者の切り捨て、抗争、戦争、環境問題を引き起こさないことなのです。

 確かに、縄文時代に生きていた人々が3000年前の寒冷化によって、人びとが自然からの恵みのみでは生きていくことができなくなって、水田稲作への弥生時代へと、日本人の生活は移行していく側面がありました。

  しかし、一挙に移行していくのではないのです。渡来人が 以前から住んでいた縄文人を駆逐し、縄文の文化を消滅していくものでもなかったのです。

 水田稲作の普及は、長い年月をかけて、縄文的狩猟採集経済や森の文化を継続しながら成し遂げられていくのです。従って、水田稲作が農耕の中心となった時代においても縄文の森に依存した生活文化があったのです。自然の森から、食材を得ること、衣服の材料を得ること、道具の材料を得ること、住居の木材など様々な生活資材を森から得ていたのです。

  そして、自然との共生をしながら、自然からの生活の糧を得ることをしながらも、自然からクリの木を植えたり、自然の植物を農耕へと利用していて側面が強くあったのです。

関連する画像の詳細をご覧ください。国ができるまで

  水田稲作の普及は、自然的な気候に大きく左右されていた縄文の生活から、食糧確保に大きな前進であった。いうまでもなく、生きていく物資的な条件がなければ人間は生きていけない。水田稲作の普及によって、生きていくための食材の生産力の発展があった。食糧の確保は、飛躍的に充実した。人間が豊かに文化的に生きていくためには、食糧確保は、前提になるのです。

  ところで、上田篤氏がのべるような母性原理という争いのない、平等で包み込んでいく和して楽しむ世界はきわめて大切です。「縄文文化が日本人の未来を拓く」徳間書店を書いた小林達雄氏は、日本列島で、縄文文化が生まれたことを人類的視点から大きな画期としているのです。縄文時代の出現によって、人間が定住した。自然のままに生きていたことからムラという空間を大切にする社会が、生まれたというのです。

  ここでは、自然のままの人間の個人情報だけではなく、蓄積された集団全員に共有される生活の場である人間的空間になったと考えているのです。

   人間はもはや動物ではないということで、定住によって、人間としての新しいムラ社会が形成されていくというのです。

  ムラの外側には、自然空間として、食糧庫、エネルギーの供給源、必要とする道具の資材倉の原っぱのハラという関係になっていくのです。自然との共生ということで、ムラ社会と自然そのものであるハラとの関係になっていくと。

  縄文人は自然の秩序を保ちながら、自然の恵みを利用していくという文化が生まれて、継承していくのです。自然との共生体験は、日本列島で暮らす縄文人が強くもっていたというのです。大陸の農耕の歴史文化には、それはなかったと、春に小林達雄はのべるのです。

  つまり、縄文の文化は旧石器時代の狩猟採集時代の自然のままに生きる人間社会ではないと強調するのです。ムラ社会が存在しての自然との共生をしていく知恵と工夫をもって、それを継承していく社会の文化があったとするのです。

  この新しい時代の画期は、決して、人類史の普遍的な旧石器時代の狩猟採集時代ではなく、多種多様な食糧事情をもっているというのです。食糧を得るためや味の工夫の文化的な側面を強くもっているのです。

  さらに、土器や様々な縄文遺跡からみられるように、芸術的な心の表現がされていた豊かな文化が存在していたとするのです。そして、縄文記念物の心は、現代にまでつながっていると強調します。縄文人の空間認識は、中心に人工的世界として、定住基地としてのムラがあるというのです。

 

   その中にそれぞれのイエがあり、その外にハラとしての自然と人工の世界があり、さらに、その外に、自然のヤマがあり、さらに、他界としてのソラがあるという世界を描いているのです。

   縄文人にとって、ハラの風景は、中景となり、ヤマも遠景ではなく、景観を区切りながらの異界とするのです。縄文人は太陽の動向を正確に認識して、日の出、日の入りの位置を山並みに沿って追跡していたのです。ムラの存在の位置も山の認識にそって作られたというのです。

 日常生活に使われる土器や石器とは別に、土偶、石棒、石剣は祈りや祭りの使われる日常生活とは別の場の聖なる空間のハレの世界があったのです。ここには、自然との共存共生の文化、自然に対する畏敬の魂が縄文の文化のなかにあったとするのです。

 安田喜憲「稲作漁労文明ー長江文明から弥生文化へ」雄山閣の著書で、世界史的な視点から、稲作漁労文明をのべています。長江文明から稲作漁労文明の東洋の文明は、西洋の畑作牧畜文明とは自然観が根本的に異なるとしています。

 稲作漁労文明には、森の文化の循環性と永続性をもっていると。日本文明の循環性と永続性として、日本の稲作漁労を大切に考えているのです。そして、その起源を長江文明に求めたのです。4200年前の気候変動によって、長江文明は、衰退し、その主流の稲作文明はベトナムなどの東南アジアへと南下していくというのです。

 日本では、3200年前の気候の寒冷化という変動が、日本列島の水田稲作の伝搬の契機であったとするのです。縄文時代に、なぜ長江文明の稲作は広まなかったのかという解答に、安田氏はのべます。それは、縄文時代は、日本列島は温暖気候で、自然の恵みが豊かであったことが原因としているのです。

 日本の九州は、長江の下流から直接距離で、800キロしか離れていない。すでに5000年前には長江の下流水田稲作が行われていた。稲作が日本列島に普及していくのは、日本列島の寒冷化という気候変動によって、豊かな自然の恵みという狩猟採集文化の状況が崩れていった以降です。

 水田稲作の普及は、長い時間をかけて日本のそれぞれの地域の自然状況に合わせて、陸稲も含めて、どんぐり、くりとか魚介類、野草など様々な食べ物をつくる工夫のなかで、稲作水田も普及していくのであったのです。

 安田氏は弥生時代の稲作の開始は、森の文化に典型的にみられるように、縄文の文化継承によってもたらしたとするのです。そして、21世紀の世界で、限られた地球資源のなかで、人類が鋭く問われていることは、自然からの収奪の度合が小さく、小面積の耕地でも多くの人口を養うことのできる生業をしていたのです。

 つまり、あらためて確認したいことは、安田氏の提起から学ぶことは、いわゆる規模拡大による労働効率による生産力増強ではないのです。日本のように限られた平地で、国土の7割が森林でおおわれているところは、その限られた土地から自然条件を上手に工夫して、その土地からの生産力の増大なのです。つまり、反収ということでの土地生産性を求めてきた歴史なので、今後も、その方向性しかないというのです。

 安田氏は、稲作漁労文明のように、資源の再利用、リサイクルを基本に、人と自然が永続的に生きる文明原理をもたなければ人類は生き残ることができないとしています。日本の稲作水田、森の文化・鎮守の森、神仏習合多神教、縄文からの自然の畏敬文化など安田氏は強調します。

 安田氏がのべるように、日本の自然条件に適応させて、自然循環させてきた日本の農耕様式、漁労、自然の木や植物を積極的に利用して、植林して、自然循環させていく工夫は、日本の生きていくための文化であったのです。この文化は、稲作漁労文明として、地球と人類を救うという人類史的意味があるのです。

 21世紀は、この縄文時代以来の文明原理に立脚した日本が、世界をリードする時代になるかもしれないし、長江文明の「美と慈悲」文明共有ということから日中友好の鍵にと安田氏は強調します。

 現代的には、セルノースナノテク、様々に自然を活用しての再生可能エネルギーなどの科学技術の積極的な発展が求められます。それは、持続可能な循環社会形成の開発になるのです。

  自然の森に立脚した暮らしに豊かさと幸福の原点を求めて、森の神、山の神、川の神、水の神という自然を畏敬の再認識です。鹿児島では、それから生まれた田の神という自然の恵みの信仰があります。田の神は、秋深くなると森の豊かな山にのぼり、春になると山からおりてくるのです。

  ところで、 自然を畏敬して、自然の恵みに依存していた縄文時代は、争いのない社会であったことも極めて大切なことです。水田稲作の文化が灌漑用水事業の発展による開墾事業によって、水をめぐる争いをつくりだすことがあります。灌漑用水は、広域範囲の水の流れの秩序と管理を求めるのです。狭い地域間ごとの争いも打ち消されていくのです。水をめぐる秩序は地域社会の和の秩序を要求していくのです。

 定住した集落が大きくなれば、当然ながら、家族集団という枠から、広く、異なる家族集団の存在が生まれてきます。人々の日常生活の慣習や秩序も氏族家族集団という範囲ではなく、その集落の掟や統治が求められていくのです。そこにはリーダーが必要になってきます。

 縄文時代の中期になると、中心地に広場と墓、そのまわりに祈りの場が設けられ、住宅は、祈りの場を囲むように環状になって大きな集落が形成されていくのです。

  ここでは、話し合いと先祖を大切にする心と、祈りからのアイデンティティ形成の心が育っていったのです。縄文的な話し合いの場とアイデンティティの形成です。

  縄文時代の環状集落は、弥生時代に形成されていく他のクニ・部族から攻撃されることに対して、防衛のための環濠集落とは本質的にことなるのです。

 日本は、自然信仰を基礎にしての神仏混合の文化がありました。明治の近代化のなかでは廃仏毀釈という一神教的の体制がありました。今、大切なことは、自然を畏敬し、神仏混合を多様性を包含する理念として、学ぶことが必要です。

 さらに、その理念を人類史的な平和を構築していく視点から世界にひろげていくことだと思います。多様性を尊重し、相互に共存して、立場の異なるそれぞれの価値観や信仰をお互いに存在を認め合っていくことです。それは、広く、平和に生きていくことが切実に求められる時代であるからこそ重要な課題になっているのです。

 核による脅し、ドローンなどの人間の手から離れた兵器による戦争、軍備の拡張による膨大な国防費など。平和になれば人びとは豊かに暮らすことが大いに可能となるのです。

  信仰では、仏教的な慈悲の心、キリスト教的な愛の心、イスラム教の平等心など、お互いが信じる神を尊重する時代がくれば、さらに、世界の平和にとっては、極めて有意義になってくると思います。

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 霧島市の上野原縄文遺跡の人類史的な意味

 

 

 

 1986年の霧島の上野原の工業団地建設工事のときに、偶然にも1万年前の縄文遺跡が発見されたのです。1986年から10年間かえて鹿児島県教育委員会の発掘調査で、縄文時代の早期前葉から中世までの複合遺跡であることがわかったのです。

 まさに、10年間かけての綿密な調査分析によって、1万年前の縄文遺跡遺跡であることがわかったのです。縄文遺跡は、東日本で栄え、西日本では低調であるという今までの説を考え直す遺跡になったのです。

 また、縄文文化から弥生の水田稲作への移行は、長い年月を経て、森を大切にしてきた文化なのです。この文化は、存続性を持ちながら、年中行事や自然信仰、神社や仏教にも影響をあたえながら、現代の日本人の精神生活に大きな影響を与えてきたのです。

 

 10500年前の日本列島における最古の定住集落が上野原に形成されていたのです。集落には、二つの道、52軒の住居群、39基の集石遺構、16基の連穴土坑があったのです。この竪穴建物は、家族単位の住居であったとみられるのです。

 

 ここでは、どんぐりなどの照樹林を積極的に粉に加工して、料理をしていたのです。石器には、木のみをすりつぶす磨石や石皿が多数発掘されて、木の伐採や加工を行ううえでの石斧、狩りのための石鏃もみつかっています。

 石鏃は、黒曜石からつくられいることから、その資源をえるために、遠くの佐賀などの地との交易が行われていたのです。原材げんざい石族また、イノシシやシカなどの動物の肉を燻製にして、保存していたこともわかったのです。

 縄文人は土器の創造によって、食材を加工して、煮炊きのできる料理ができるようになったのです。その当時の土器は貝殻で文様をつけて、円形、方形、レモン形という三様の姿であったのです。

 

 縄文時代の食事は、身近な天然の新鮮な食材を工夫して、豊かなメニューをもっていたことがことがわかります。

 生のままと調味料、焼いたり、煮たり、蒸したり、そして、燻製にしたり、太陽にあてて干したり、さまざまな方法で調理していたのです。

 季節によって、自然の動植物の捕獲・採集も異なり、調理の仕方も違って、当然ながら料理のメニューはことなっていました。料理は季節感を強くもっていたのです。

  春はイノシシの燻製、イワシ・トチの実、うずらのたまごなどの縄文ハンバーグ、ぜんまいやわらびのあえもの、はまぐりの蒸し焼き、木イチゴのデザート、夏のメニューはどんぐり・トチの木の実・やまぶどうの干したものからの縄文クッキー、果実酒、タイのキノコの焼き。

 秋は海幸や山幸の旬のごった焼き、カキの蒸し焼き、ガマズミのクズよせ、冬のメニューは、干し魚の焼き物、イノシシのバーベキュー、イノシシ肉や山芋のシチュー、どんぐりだんごなどと、季節によって、身近な自然の食材を使っての豊かな旬の味を楽しんでいたのではないかと思われます。

 和食の文化というなかに、縄文的文化の食事が今でも形を変えて生きている思われるのです旬によって、食材を考えていた縄文時代ですが、現代でも旬の味を楽しむ文化がすばらしい料理にもなっているのです。

 土器ができることによって、煮炊きができるようになったのです。土器は旧石器時代から新石器時代への画期的な変化なのです。粘土を焼いて器にしていくものです。石器は、磨製石器として、様々な用途に利用されていくのです。青銅器や鉄器ができる以前の人間の知恵と工夫がされている道具なのです。

 さらに、道具ばかりではなく、装飾用や異形石器としての儀式用などの精神的表現としても加工しているのです。そして、石の素材は、定住している周辺からばかりではなく、黒曜石のように遠方からの交易によって、得ているのです。

  縄文土器は、手作りで植物繊維を混ぜて、器を強くし、文様や突起をつけて、器と食事を楽しむことも忘れない。料理に器にこだわることは、今でも和食にあるのです。

 

 8600年前になると、気候が温暖になって、その環境の変化のなかで、シイやカシの木も広がり、動植物の自然の恵みはより豊かになっていくのです。このことによって、より多様な土器や石器を利用するようになっていくのです。

 丸と四角の口をもつ土器として、保護された形で、一対の完全な形をしたつぼ型土器が発見されたのです。これは、儀式のために埋められたものではないかということです。

 また、石斧も8個がまとまって発見されて、埋納ということで、儀式のためではないかと思われるのです。さらに、土製や石製の耳飾りや装飾用の形のものがみつかっています。人々の豊かな感覚をもった文化的な表現があらわれるようになっているのです。

 そして、宗教的な自然信仰のための儀式もおこなわれていたのではないかということが、一対のつぼ型土器や、まとめた石斧の埋納にみられます。これらは、人々の精神的な絆の充実の表現ではないかということが想像できるのです。

 

 

 

 縄文時代は、植物や動物の利用は、食用だけではなく、動物の骨や植物の素材をるようしての道具や装飾品として利用していたのです。

  木工品、編みかごや、敷物として、編んで加工して利用していたのです。すでに、様々な植物を巧みに利用しての高度な植物の利用がされていることがわかるのです。

 

 さらに、1000キロを超える交易・交流を鹿児島の縄文人はしていたのです。それは、黒曜石などの原材料、装飾品のヒスイや貝製品、土器の様式などからみることができます。

 

 南は沖縄、奄美などの南西諸島、北は東日本、四国、九州各地遺跡からよみとれます。ここでは。丸ノミ石斧で丸木船をつくり、帆をつけて、船を2つ、3つとつなぎ、海を航海していたとみられます。

  遠くまで海を航海してくには、体力的な訓練と技術、星に対する知識をもって方向を見定めて、季節感をもって気象感覚と海流など幅広い知見をもっていたとみられれます。

 日本人のもっている縄文的な航海術、幅広い外との文化との交流やネットワークがあったのです。これは、海洋民族的要素を一方ではもっていたのです。縄文の人びとの暮らしは狭い地域の空間のなかで生きていたのでは決してないのです。

 狩りをするための鋭いやじりをつくるために黒曜石は極めて大切なものですが、その産地は限定されていたが、各地に暮らす縄文人は、それを道具として使用していたのです。貝やヒスイの装飾品も、産地は限定されていたが、その交易があちことで行われていたのです。

  ここで、おさえておかねばならないことは、縄文人は交易を積極的にしていたことと、定住した住居生活の両面をきちんとみなければならないのです。

  豊かな自然に依存しての住居の定住性と、知恵と工夫という新たな創造性からの交易・交流・ネットワークという移動・交通の発達という二つの面があったことを確認することが必要なのです。日本人が農閑期、仕事の合間に、旅の好きなことも古くからの伝統でもあるかもしれません。

 

 ところで、7300年前のアカホヤ大災害・鬼世カルデラ大噴火によって、南九州の縄文時代は壊滅して、東日本に移動したといわれますが、それは一時的なもので、噴火後の厳しい環境のなかでも復興していったことが上野原の遺跡からみることができます。

 それは、新しく、土器の形式に丸い底型へと変化していくのです。新しい土器の遺跡や磨石、石皿の数、さらに耳飾り品などが噴火後の地層から多数みつかっています。

 さらに、縄文中期の5400年前から4400年前には全国的に出土している春日式土器や船元式土器も多数みつかっていますので、九州の各地、瀬戸内海沿岸地域との交流が活発に行われていたとみられます。

  この時期は、東日本や東北も温暖化の影響で、縄文文化が栄えていたことが遺跡から明らかになっています。大きな環状集落ができていくのこの時期でもあります。

 霧島の上野原遺跡の参考文献は「上野原縄文の森」常設展示図録より

 

 そこでは、三内丸山遺跡でもわかるような大きな集落と、集落を統治していく集会場や櫓あとなどがあったのです。

  ここから当時の社会のしくみも、それぞれが役割分担していくことができていくとみられれます。関東地方でも大きな環状集落跡やみつかり、集落の中央に広場と墓、何か所もの儀式小屋跡がみつかって、すでに話し合いの文化が花開いていたとされます。

青森の三内丸山遺跡を訪ねて: 歴史文化の旅 (seesaa.net)(以前訪れたことのある写真と簡単な感想を書いたブログです)

 

 これは、広いネットワークをもって森と共に生きる縄文の社会は、吉野ケ里遺跡にみられるように、環濠集落という敵対勢力から集落を守るということではなく、誰でも入ってこれる開かれたネットワークで、自由な話し合いの集落ごとの対外関係をもっていたとされるのです。縄文時代の話し合いの文化を現代でも積極的に見出していくことが求められるのです。

 

 「入門縄文時代の考古学」谷口康浩治によれば、土器の出現という技術革新が時代区分として重視され、終末は、大陸からの稲作農耕伝来が弥生時代の移行としての教科書的解釈であったが、それは違うというのです。水田遺跡の形成跡が佐賀県の菜畑遺跡などから縄文晩期であることがでてきているからです。

 東日本では、いわゆる2500年前の弥生時代まで狩猟採集時代であったということから数百年さかのぼることになります。日本列島に同時代に、一挙に稲作水田農耕文化になったということではないのです。

  縄文時代晩期は、農耕稲作文化と縄文文化の狩猟採集社会の変容が長い期間をとおして日本列島に拡がっていったと谷口氏は理解しなければならないとしています。

  そこでは併存しているのが、自然条件の地域ごとの違いということだけではなく、縄文の森のドングリ・クリ、狩猟や漁労のなかで生きてきた人びとが同時に稲作もしていていたということです。

   縄文時代に生きていた人びとに稲作もひとつの生活の糧の手段であったのです。南日本などの温暖な気候と豊かな自然の恵みにおおわれた地域では、稲作と狩猟・採集の併存的傾向が強くあったのです。

 

 霧島山麓の都城横市からも縄文晩期3000年前の水田稲作跡の遺跡がでています。ここには、湧水がでるところで、排水のよいシラス台地という自然条件から佐賀県の菜畑遺跡のように灌漑用水の施設はつくっていなくて、自然条件を巧みに利用した畔をつくっての水田稲作といういうことです。

  霧島山麓での水田稲作は、森と共生して生きてきた縄文文化を基礎としての水田稲作ではないのです。そこでは、水田稲作ばかりではなく、ドングリやクリを大切にしての狩猟採集経済を継続しての水田稲作の導入なのです。

 佐賀の灌漑用水施設をもっていた菜畑遺跡と霧島山麓の横市にみられる自然条件を巧みに利用しての水田稲作の発生という大きな違いがあるのです。この二つの遺跡を比較検討していくのも大切と考えています。中山間地域では、平野部での水田稲作ではないのです。水田稲作が、支配的になるには、長い年月がかかったのです。菜畑遺跡の平地の水田稲作の灌漑用水施設をもった様式が、急速に普及したこととは言えないことが、考古学者も指摘するところです。

  霧島山麓の森と水の自然条件を巧みに利用しての稲作水田の栽培方法は、佐賀の菜畑遺跡などの福岡県北部沿岸地域から水田稲作の伝搬ではないのです。それぞれの地域の自然条件によっての工夫があるのです。稲作の伝わっていくルートも一本でみるのではなく、縄文時代の人びとは、日本列島ばかりではなく、海をとおして、広域的に交流や交易をしていたのです。

 むしろ、長江下流から直接的にか、南方ルートからの検討も必要なことです。ここには、南方からの海流の状況、黒潮やそれから分かれる対馬海流が日本列島の地形の突き出たところからの反流からの海岸線に漂着していくルートからみれば、鹿児島の志布志湾や宮崎の巨大古墳地帯と、北九州の巨大古墳地帯などは、海流からの文化伝搬ルートでは、共通のものがあるのです。ただ、自然条件は、大きな河川をもっているということで、共通性はありますが、平地を広くもっているところと、すぐに山並みなっていくということで、異なるのです。

 

 「弥生時代の歴史」講談社現代新書・藤尾慎一郎は、水田稲作は、250年間あまり玄海灘円沿岸地域にとどまり、そして、ゆっくりと西日本各地にひろがったと。在来民と水田稲作民の永い併存機関。前400年ごろに北陸から青森までひろがった大阪平野における水田稲作は前8世紀に開始され、前6世紀になると在来の縄文の文化と稲作水田のすみわけはなくなっていく。縄文と弥生のすみわけがなくなったのが、2500年前ということになるのです。

 この2500年前の長江流域や東南アジアの状況も含めての検討も必要ではないかということです。その後の歴史的交流も含めての日本文化形成に大きな影響をもっているのです。長江の下流紹興などはお酒で、有名なところですが、日本酒の発酵技術も含めて、共通点があります。米の文化も含めて長江の食文化、加工食品も含めての長い歴史的交流からも考えることがあるのです。

   この時期には渡来人の日本への定住もふえていくとみられるのです。日本に積極的に渡航せねばならない東アジアの状況もあったのではないか。

 前4世紀前葉にまで青森まで達した水田稲作津軽海峡を渡ることはなかった。同様に九州南部まで達した水田稲作種子島屋久島に渡ることはなかった。水田稲作を採用しなかった続縄文文化貝塚後期文化の地域があったとするのです。

 さらに、考古学では一般的に言われている日本の稲作の定着を朝鮮半島から、大陸から、南方ルートからと単純にみてはならないと藤尾氏は強調するのです。ここで重視しなければならないことは、対応していく縄文人の多様な稲作の形態があるということです。温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの導入が一律ではないはずです。

 とくに、熱帯ジャポニカは、陸稲にも利用され、南種子島では、今でも赤米として神事としてつくられているのです。南島から伝わってきた米として、大切に祀られているのです。

 さらに、稲作水田の栽培方法は、独自に日本の自然条件によって、変えられていく側面があります。日本は中山間地域を広範にかかえ、水田稲作栽培にとって、歴史的に中山間地域の果たした役割は大きなものがあるのです。

 「イネの歴史」佐藤洋一郎京都大学学術出版において、田植えと直播があり、田植えを採用する稲作地域は世界でも驚くほど少ない。日本のような田植えは、日本列島を別にすれば厳密に朝鮮半島と中国の一部と、田植えの起源についてもサトイモの株分けなどの諸説あるのです。

 さらに日本列島にイネが来たのは縄文時代の中期から後期ではと、稲作=水田という図式は存在しないもので、畔や灌漑用水を伴わない稲作は歴史的にも地誌的にもいくらでもあるのです。縄文時代の稲作は水田を伴わない、焼き畑のような稲作であったと考えるのが適当と、弥生時代に入ってさえ、人びとの最大の食糧はどんぐりであったとも書いているのです。

 

 縄文時代から弥生時代に移行していくうえで、日本列島の寒冷化の現象がっあったのです。自然の恵みのみだけでは生きていくことは不可能になっていく時期での水田稲作の普及、定着になるのです。ここでは水田稲作の生産力の工夫がされていくとみられるのです。

  寒冷化によって、東北地方の縄文文化は壊滅状況になっていきます。縄文人は西へ、南へと移動していくのです。そのときに、食糧源をどのようにして求めていくのかということは大きな課題でした。

 自然条件に制約されながら、いかに工夫して、食糧源を求めていくのかということで、稲作水田の出現ということが日本列島の自然条件のなかで工夫されたのです。単に、大陸から稲作が導入されたという単純な問題ではなく、日本列島に住んでいた縄文人の生きていくための工夫があったのです。

 それは、渡来の弥生人の征服で、縄文人が、消えていったというのではないのです。むしろ、渡来人は、自分たちの定住していた地域で暮らせない状況が生まれてきていることもみていかねばならないのです。渡来人も縄文人も、それぞれ新しい時代に対応して生きていかねばならないということです。それぞれの地域における自然条件によって、縄文人が渡来してきた人々と共に工夫していったのです。また、渡来してきた人びと縄文人の混血もあったのです。

  以前に定住していた地域で、なんらかの理由で住むことができなくなった渡来してきた人びとは、豊かな自然資源、自然条件があっての水田稲作縄文人との工夫であったのです。

 最初の水田稲作が日本で前10世紀まえに栽培されたという佐賀県唐津市の菜畑縄文遺跡は、日本でも特殊な平地での水田稲作で、中山間地域でも水田稲作と異なるのです。ここには、日本独自の自然的条件に適応した独自の稲作水田ということなのです。また、縄文人が自然と共に生きてきた文化が融合しての日本独自の稲作水田の工夫があるのです。2500年前ごろに日本の水田稲作が青森から鹿児島まで定着していくのは、多くの渡来人が日本に移住していくという条件も考えていかねばならないのです。そのことによって、人口も増大していくのです。

 

  すでに縄文時代に広い範囲でネットワークや交易がされいたので、それぞれの遺跡に住んでいた人々の交流によって、それぞれの影響がどうであったのかと興味ある課題です。

 

 宮崎県都城市坂元A遺跡における水田跡の調査・桑畑 光博, 原田 亜紀子, 外山 隆之「宮崎県都城市南横市町に所在する坂元A遺跡は,大淀川の支流である横市川右岸の沖積段丘の端部から後背低地(標高147~146m)にかけて立地する。

  県営の農業基盤整備事業に伴って,平成12年度に都城市教育委員会が発掘調査を実施し(調査面積は約2800m2),調査の結果,縄文時代晩期後半・弥生時代・中世の各時代の水田跡を検出することができた。

 最下層の水田層である9c層は他の層との層位関係や出土土器から,縄文時代晩期後半に位置付けられるもので,国内最古級の水田跡である。その水田域は,西区を中心にかなり限定された範囲で検出され,水田区画はいずれも狭く不整形である。

 また,調査区域内において用排水路や堰などの確実な水利施設は認められなかった。地形条件や土壌環境に適応した水田であると考えられ,水利施設を完備し,整然と区画されている北部九州の同時期の水田跡とはかなり異なる構造や特徴をもっていることが指摘できる。日本列島における水田稲作のはじまりに関する研究を進めていく上で重要な資料である」。考古学・2002 年 9 巻 13 号 p. 93-103

(「霧島山麓の都城横市の日本最古の水田稲作跡地を神田のブログで書いたページを次に掲載しました。都城市横市の日本最古級水田跡地: 歴史文化の旅 (seesaa.net)」)

 

 南九州では、縄文晩期の遺跡から水田稲作が紀元前10世紀からあったことが考古学の遺跡調査から確認されたのです。また、志布志市中山間地域の小迫遺跡の刻目突帯土器の包埋炭化イネの年代測定からも紀元前10世紀の検出がされたのです。熊本大学教授・小畑弘包他、日本考古学誌54号より。この志布志の小迫遺跡は、都城から志布志に至る中間の中山間地です。南九州には、縄文晩期の10世紀ごろに、稲作栽培が行われていたことが、近年の遺跡発掘調査で明らかになっているのです。

 北九州の地域から水田稲作が伝搬したととらえる見方よりも南方からの海上ルートとして、とらえていくことも大切な視点ではないかと思うのです。熱帯ジャポニカの日本への持ち込みのルートをも含めての検討が必要ではないか。もともと日本では、他の雑穀の農耕とともに、東南アジア・中国南部の南方から伝搬してきた熱帯ジャポニカ陸稲として行っていたのではないかということも想定されます。また、南種子島の宝満神社では、今でも赤米を祀っているのです。

 南種子島の宝満神社の近くの広田遺跡では弥生時代後期から古墳時代の集団墳墓がみつかっています。その人骨は、168体、副葬品4万5千点です。人骨には装飾模様の加工された貝製品を身に着けていることが特徴です。その貝の素材は、種子島近海でとれないもので、奄美や沖縄などの遠方の海で産出されるものです。

 装飾模様は、貝府の文様で、古代中国系のものです。そして、山という文字が刻まれていることが発見され、いままでの発見で、日本最古の文字とされています。この複雑な文様を彫刻するには、鉄製品の工具が使われたのではないかと古代貝の道を研究する元熊本大学教授の木下尚子氏はのべるのです。

 出土したのは、貝製品4万点、土器53点、石器9点、夜光貝製容器35点、ガラス製品18点、鉄製品6点です。現在のところ住んでいた集落跡はみつかっていません。今後の発見に期待するところです。下記のブログは神田が種子島の弥生・古墳時代の遺跡に旅をしたときのブルグです。

 隣の島の屋久島では、3500年前の縄文後期3500年まえの竪穴住居群100軒がみつかっています。約300年継続して存在したとみられるということです。集落の住宅跡の周辺には土壙群がみつかっています。

 朝鮮半島という経由という視点だけではなく、様々な新たに発見されていく古代遺跡の分析のもとで、中国大陸からの長江文明の日本への伝搬も南方ルートや直接的に大陸の長江下流ルートからも考えてみることが必要と思うのです。

  日本の中世時代には、博多を拠点としてのルートばkりではなく、南九州・九州東海岸・四国まとは四国の高知の南方海路としての交易が盛んに行われていたのです。

 

 大陸の長江下流からの直接ルートでは、巧みな航海術をもっていたオーストラネシア系の民族の影響をもった人々が、長江文明の稲作をもってきた可能性も否定できないのです。縄文人も貝や黒曜石などの海をとおしての交易ということからみられるように航海術もすぐれていたのです。このことは南九州の縄文遺跡の紡錘車や突帯文土器をはじめ、様々な出土した遺跡からの検討も必要ではないかと思うのです。

 谷口氏は、縄文人の生態として、資源利用のバランスをもっていたとするのです。地域の環境特性によく適応し、自然の生態系を損なうことなく、持続可能な方式であったとするのです。

  縄文里山として、定住がはじまると、自然のままの植生と人工的につくられた里山ゾーンとして、燃料となる薪、山の糧を得る山芋、山菜・木の実、貝・魚介類、狩猟の動物などの人間生活に密着した人為的な森林や海岸ゾーンの自然が必要となります。

 

 縄文人は定住性が強くあったのです。そこでは、深い堀りこみと炉を備え、丈夫な主柱配置の竪穴住居の普及、大規模な集落の造営、長期間にわたる集団墓がつくられたのです。そして、定置網式の漁場獲得、貝塚や盛り土にみる多量の堆積物、持続可能性の秩序をもった廃棄物の処理をみることができます。

 木と繊維の利用技術は、木や植物の性質を熟知しての生活素材として幅広く利用されていたのです。また、そこでは、新たな技術も積極的に開発されていたのです。縄、紐、綿布、かご、漆技術、工芸品、石材加工、貝加工、ヒスイ加工、動物の骨加工など自然素材を巧みに加工したのです。自然素材をたくみに扱っていたのです。

  そして、土器の工夫、土器の芸術性、建築技術、発酵など、現代からみればバイオテクノロジーの利用、自然をよく観察しての交通・運搬としての帆をたてての丸木船の積極的な活用があったのです。

 

 縄文時代の社会として、環状集落と部族社会を谷口氏は、積極的にみます。環状に集落が形成されて、中央部には住居がないという居住地配置の構造です。その環状集落の中心には広場と集団の墓があります。亡くなった人々を大切にしていく集落の慣習があるのです。祖先たちのつながりを深くしていくということで、先祖の感謝の念と持続性を重視した人々の意識です。

 谷口氏は、縄文中期には、群馬県原田遺跡では、300棟以上の竪穴住居跡や1000基以上の土坑やピットが蓄積し、遺構の重複が激しいとしています。延べ数で、1000棟近い住居跡の可能性をもつ巨大な集落が形成されていくというのです。石神井川沿いの下野谷遺跡では、縄文時代の中期の遺跡が数多く発見されています。

 二つの縄文集落があり、西側は直径150mほどの範囲に、竪穴建物107棟、土坑墓群166基、倉庫と推定される掘立柱建物群が見つかっています。東集落は、東西300m、南北180mもあり、西集落とほぼ同時期に生活が営まれていた。「双環状集落」です。遺跡保護のため西集落の一部を公有地化し、下野谷遺跡公園を開園しています。

 中期になると、東日本では集落での人口密度が高くなっていくというのです。環状集落も巨大化することによって、縄文社会での新たな統治方法と、集落全体をまとめあげていく精神的なアイデンティティの形成も重要になっていくと思われます。

 自然の恵みによって集落の人びとが生きてきたことを、暮らしのなかで精神的に実感していく自然信仰も大切になってくるのです。そこでは大きなセロモニーとして、自然そのものを神として崇める文化が大事になっていくとみられるのです。

 中央広場にて、集落のひとびとが集まり、自然への祈りの強固な世界が生まれてくるのです。ここには、それを仕切る権威者が必要になってくると思われます。集落内の人びとが平等に仕事をするのではなく、それぞれの与えられた異なる特殊の仕事が生まれてくると思われます。これは、集落内においての異なる役割による階層が生まれていくのです。

 環状集落が形成されていく時期になると、縄文時代の狩猟採取経済ということだけではなく、畑作の農耕文化の形成がみれるのではないかと思われます。縄文時代というのは、狩猟採集経済ということだけではなく、クリやどんぐりをとっていくうえで、定住集落の近くに植林や食糧になっていく自然からの植物の栽培などが行われたとみられるのです。

 縄文から水田稲作への弥生時代の移行は、長い年月をかけて、日本列島の南の鹿児島から北の青森までの全体へと普及していくのです。それは、採集経済と農耕経済の併存のなかで普及していくのです。水田稲作が支配的になることによって、弥生時代へと移行していくのです。

 今後の全国各地の縄文遺跡が発掘されいくことでしょう。そこで、新たな遺跡が出土されて、新たな見解も生まれていくと思われます。既存の見解に固辞するのではなく、縄文時代に生きた人々の知恵と工夫の豊かさ、自然と共生し、自然への畏敬をしてきた人々の精神構造をもみていくことが大切です。

 そこでは、自然の恵みを知恵と工夫で豊かに創造してきたことを現代的にも学ぶ必要があるのです。そのことを、現代の環境問題の直面することや、現代社会の暮らしの矛盾から未来への持続可能性の循環社会形成へと大いに議論していくことが必要と思うのです。そして、ネットワークを広くして、それぞれのつなぎ合い、絆を大切にして、新たに地域の自然循環の考えを基盤とした持続可能性の社会が形成されていくのではないかと思うのです。