社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

福祉国家と生涯学習-アンデルセンから学ぶ

 福祉国家生涯学習アンデルセンから学ぶー

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   アンデルセンは知識集約の経済における21世紀の福祉国家の可能性として、ライフサイクルに対応してのチャンスの保証の重要性を指摘するのです。そこでは、固定的な公平感や平等観ではなく、家族構造の変化、高齢者福祉、早期退職・公正な退職問題、非正規の増大、知識集約への教育や職業訓練、認知能力への変化など動態的にとらえる必要があるとしています。

 知識集約的な労働市場では、教育や訓練、認知能力の乏しいものは、周辺部に追いやられ、貧困者になっていくというのです。専門的な知識を有する者が、高い賃金を得ることができるということで、教育や訓練、認知能力の高い者と、それを十分に持ち得ないものとの格差が拡大していくとするのです。

 

 高齢者の年金問題生涯学習

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 アンデルセンは、現代のヨーロッパをみると、学歴の低い、技能も低い過剰労働者の滞留がきわめて大きいとみるのです。伝統的な低技能の産業では、失業率が高くみられるのです。労働者の教育水準の違いが大きな格差をみるというのです。

 滞留する現在の高齢化した低技能労働者の問題をどうするか。急速な技術革新が進むもとで、早期退職は、企業側からの要求として、最も有力な政策であった。低学歴、低技能の高齢者の場合は、それが顕著でした。

 高齢者の早期退職は、年金の実質的早期受給になっていく。高齢者の健康状態が劣悪な場合や、彼らの雇用の見通しや失業のリスクがある場合には、福祉対象の拡大にもなっていく。高齢になることによって、退職年齢を撤廃することは、福祉施策を最適化することになるとアンデルセンは考えるのです。

 アンデルセンは、退職を伸ばすことによって、年金保障と福祉国家の財政を維持していくのに貢献するとみるのです。早期退職の福祉効果は弱まっていること。早期退職の効率性は弱まっていること。以上の点から、高齢者の雇用を高い水準にもっていくことの必要を強調するのです。

 彼は、高齢者の生産性の問題をみていくうえで、50歳前後での再訓練や技能強化にかかっているとしています。労働者が教育および認知のしっかりした基礎をもっている場合にのみ訓練の投資的効果をもつというのです。

 高齢の低技能労働者に生涯学習を施すことは、費用がかかりすぎて、非効率的であるとのべます。また、アメリカで一般的に行われている雇用保護や年功賃金制を緩和することも大切な施策であるとアンデルセンはみるのです。高齢者の福祉施策に、重要なことは将来の世代に十分な技能と認知能力の基礎を獲得できるとするのです。

 ところで、現代社会は、サービス経済の多様化が進み、有償的なボランティア分野も広がり、高齢化した人びとの能力に応じて、多様な働き方が提供できるようになっていることを見逃してはならないのです。

 アンデルセンが指摘する知識集約的な生産現場での作業効率論からみるのみで、これだけでは、高齢者の雇用の可能性を多様にみていくことにはならない。低技能、低学歴の高齢者とは言っても、生きてきた人生の中から、様々な学びが子どもや若者にあるのです。その社会的役割もあるのです。生産効率の側面からだけでは、人間的な豊かな暮らしにつながっていく福祉になっていかない。個々の生きてきた姿から、世代的連帯による個性的な能力開発をしていくことが求められているのです。ここには、専門的に指導していく社会教育関係者が大切になっていくのです。

 低学歴でも、低技能でも、その人が人一倍にやさしさをもっていれば、貴重な人間的能力の財産です。単純な仕事でも熱心に夢中に繰り返しできる能力はすばらしいものです。自然をじっくりみつめ、感覚的におかしなことに気づく能力もすごい力です。山を歩ける力も、畑を耕す力をも人間にとって大切な能力です。それらは、大いに自然循環の地域社会を考えていくうえでの力になるのです。

 高齢者が竹馬づくりや竹とんぼなど手先を器用にして、工芸への可能性を子ども達に教えることはすばらしいことです。昔話や自分の人生体験を子ども達に伝え、未来への橋渡しをしていくことは大切な仕事です。創造的な社会的価値の営みは、継承の面を大切にしてこそ、持続性と生活に根付いていくのです。

 それぞれの個性をもって、どんな人びとも社会的な役割を果たせるのです。そのしくみづくりが重要なのです。それは、個人だけでできるものではないのです。子どもたちに高齢者がかかわっていけるようにするためには、学校の教師の役割と、高齢者に、子どもとの橋渡しをうる社会教育の専門家が必要なのです。

 高齢者も学びによって、自分の生きてきた職場や地域を見直すことができるのです。その学びによって、子どもとの関係を深くもっていくのです。ここには、低学歴、低技能と全く関係のないように演出する社会教育関係者や学校教師の役割があるのです。

 現代社会の産業構造で、科学技術の進歩、デジタル化などによって、労働の内容が大幅に変わり、従前の労働能力では対応できない分野が数多く生まれていることは確かです。この意味から知識集約の経済の側面は否定できないことは理解できることです。

 また、家族が担っていた高齢者の介護、子育て、家事分野などが社会化し、その仕事が新たに生まれてきているのです。さらに、肉体やこころの健康への国民的な関心からのスポーツジムや癒やし施設の普及などもみられます。さらに、相談活動や高齢者の生きてきた知恵を教育的に生かすという教室など新たな分野も生まれているのです。サービス分野の仕事拡大が拡大し、その内容も多様化しているのです。

 これは、単に知識集約型の産業ということだけではなく、人格的な側面や人生経験の豊富な人びとの社会的な働きの場が増大しているのです。これらは、労働の対価を得るという賃金という側面ばかりではなく、有償的なボランティアとしての社会的な貢献の仕事も増えているのです。

 現代社会は、元気であれば活躍できる高齢者の仕事が数多く生まれているのも事実です。この高齢者の社会的活躍の場を充実することによって、高齢者自身の生きがいを増してことを見落としてはならないのです。

 高齢者への生涯学習の限界として、アンデルセンは指摘していますが、高齢者の体験を有効に生かして、社会のなかで活躍できる能力開発が求められているのです。また、高齢者が元気に社会的な活動をしていくことによって、健康を維持できるということも重要なことです。健康への社会的投資も医療費全体を削減していくうえで大きな効果があるのです。

 社会保障にとって、生活費のための年金の支出ばかりではなく、医療費も大きな位置を占めているのです。高齢者の生涯学習としての健康を維持していくための様々な社会教育講座は、高齢者の生きがいを増大していくことと同時に、高齢者医療費の社会的な負担を減少していく役割をもつのです。

 アンデルセンは、高齢者の退職年齢を遅くして、現役労働者の年金負担をかけずにすむという提案をしています。これが、公正なる退職につながっていくというのです。健康であれば、75歳まで退職年齢を助成金を通じて伸ばしていく施策が大切とみるのです。退職年齢の定年制を廃止して、段階的な退職という弾力的な仕組みの開発というのです。

 民間優位の年金ミックスの問題点はライフコースの不平等を追認することになるということをアンデルセンはのべます。民間プランが増えればふえるほど、低所得世帯を受給対象とした公的な年金の給付の引き下げに圧力になるというのです。民間年金の増大は、弱者が経済的により苦しくなっていくことです。

 

 家族と福祉

 

 家族の福祉は稼ぎ手である男性の賃金や雇用保障に依存してきたが、この家族モデルは急速に消滅しているとアンデルセンは指摘します。現代は、一人親世帯のように、子どもの貧困化に高いリスクをもっているのです。母親が安定的な男性と同じような賃金で働いていれば、そのリスクも減るということになるのです。共働き家庭は貧困児童を最小限に抑える最善の策であるというのもアンデルセンの見方です。

 知識社会では、家族政策と結びつけて、教育投資が必要とするのです。ここでは、母親の離職期間を最小限にするために、児童給金の重要性を指摘するのです。さらに、子どもを持ちたいという母親の願いを最大限に奨励するために、出産休暇と育児休暇を整備することとしているのです。

 家族ケアの外部化は、標準的な質と適正な価格で保証されるかぎり、それが、市場をとおしておこなわれるか、公的な機関によって直接に保証されるかは、重要ではないとみるのです。最も大切なことは、高い水準の家庭的ケアを弱い立場にある家庭に対して優先に行われるべきというアンデルセンの考えです。最高水準の家庭ケアを弱い立場の人に優先的にすることは、社会資本によって、不平等を埋め合わせることになるからですと。

 すべての人に対する平等は、いまここでの平等よりもライフチャンスの保証ということが需要であるという指摘は、アンデルセンが強調する論理です。底辺の低賃金雇用層にとってのライフチャンスに否定的な影響を与える施策をとるべきではないとするのです。貧困状態に陥ったままか、それから脱出できるかという、移動のチャンスを保証すべきという見方です。貧困状態に陥る可能性が一番高いのは、低技能労働者で、教育の保証が移動の最善策と考えるのです。従って、生涯学習の保証の戦略が最も大切な社会投資ということになるのです。

 労働者の潜在的能力を最大限に生かしていくことで、余暇と労働の配分は大切な課題です。そこでは、週の労働時間を減らすのか、年間労働時間を減らすのか、生涯通算労働時間を減らすのかというという問題があります。パートタイム労働、休暇・有給休暇 制度、失業、労働市場からの排除、勤続年数、早期退職、出産・育児休暇、有休の教育訓練などをどうみていくのか。これらのことをアンデルセンは提起するのです。

 アンデルセンは、ライフサイクルに対応して、教育訓練休暇、家庭での休暇を自由に選択できる制度をつくった1970年代の北欧諸国の余暇講座を積極的に評価するのです。ここでは、退職が高齢期に集中するということがないという。個人のライフサイクルによって、個人が自由に退職がされるというのです。

 家族と福祉の問題を考えていくことで、家族崩壊していく現代の貧困化現象を直視していくことが必要です。母親が一人親で子どもを育てていくことは、厳しい生活苦の現実があります。その予防策として、女性が正規な労働者として、男性と同じように働ける条件を作り上げていくことは重要な課題です。

 しかし、現実に、子どもが育てることができない家庭も生まれてきていることも現実です。子どもの貧困問題の現象です。十分に食べることができない子どもに対して、子ども食堂の運動が各地におきているのです。また、社会的養護としての児童の福祉施設も充実も重要な課題になっています。社会的養護ということでも児童福祉施設の充実ということから、大規模な一斉の入居する児童施設ではなく、家庭と同じように、児童養護施設をユニット制にしていく取り組みも生まれはじめています。さらに、里親制度も奨励していく施策も行われています。

 里親制度の取り組みと社会的養護ということからの児童福祉施設の軽減とは全く別の問題です。社会的養護ということからの児童福祉施設の充実は、一人親の家族崩壊が進む中で、その役割は一層に増しているのです。

 

 女性の雇用の重視

 

 女性の学歴の上昇と現代的に新たに登場したサービス経済の最大の労働力予備軍は女性になっているとアンデルセンは提起してます。若い女性は、どの国でも経済的要求をはっきりと要求するような時代というのです。結婚や出産を遅らせていることでもあります。母親の就職が子どもの貧困を防ぐ最も有効な防御策になっているのです。

 女性の雇用の増大によって、誰にとってもキャリアの中断を経験する可能性が高まり、労働市場規制緩和によって、また、生涯学習や再訓練の必要性が高まることによって、共稼ぎが一般的になり、個人の雇用と福祉の不安定を防御することになっているのです。

 家庭は、外食からクリーニングや娯楽に至るまでサービス消費に雇用を創出していくのです。出生率は、女性の雇用の増大と負の関係にあったが、福祉国家が保育ケアの助成金や無料の保育ケアに、育児休暇制度、高水準の所得を維持すれば出生率は上がっていくとアンデルセンはみるのです。

 子どもの貧困問題と母親の雇用の安定との関係についてはアンデルセンは次のようにのべるのです。子ども時代の貧困は、ライフ・チャンスにとって極めてマイナスの影響を受けるのです。子どもの貧困は、中等教育の機会を引き下げ、学力の低下につながっていくというのです。この状況では、将来における福祉依存のリスクを高ていくのです。また、失業のリスクも高くなり、キャリア移動の機会が狭められ、低技能と低賃金の職に滞留するというのです。

 知識集約的な経済にとっても子どもの貧困化の進行は、人的資源の側面から経済の効率性にとっても大きなマイナスの要因になるのです。労働能力として、十分な人的資本を所有していれば、誰でも市場を最大限に利用することができるのです。

 

 ライフ・チャンスの重視の福祉政策と社会的公正・団結

 

 ライフ・チャンスを重視する政策にとって、社会的団結、福祉、公正という側面と、知識集約という産業構造からの経済効率性をあげていくという側面があるというのです。アンデルセンは、平等概念の再検討を提起しています。知識社会に、知的能力や認知能力から派生する不平等が強化されるとしています。

 そして、サービス業中心の雇用構造では、雇用を最大限にしようとすれば、賃金や職種に新たに不平等が生まれるとしています。平等性を優先しようとすれば、労働市場から排除されたアウトサイダーが増大し、低技能のサービス職の賃金が相対的に下落するというのです。

 新たな労働市場は、これまで以上の柔軟性を必要とするようになるというのです。サービス業中心の雇用では、安定したキャリア形成が減退し、技能のグレードアップした転職が頻繁に迫れるようになり、どの市民も、どの時点においても平等が簡単に保証されない経済になっていくというのです。

 平等は、動態的な問題として、ライフ・チャンスの問題としてとらえるべきとするのです。平等と正義ということは、劣悪な職業や低賃金が存在するから問題というのではないというのです。低技能の労働者は、生涯にわたって劣悪な状況に陥る可能性が高いのです。福祉とか平等を動態的にとらえるならば、ライフ・チャンスが重要であるとアンデルセンは考えるのです。

 生涯学習の提唱と、それと連携しての低技能労働者をその脱出可能性をもつ職業を保証していく必要があるとするのです。劣悪なライフ・チャンスからの十分な脱出可能性をもつ生涯学の重点投資が、公平なる正義の福祉国家の施策であり、強力な平等主義の取り込みであるとするのです。

 このことから、総合的福祉政策の再編成が不可欠であるとアンデルセンはのべるのです。そして、学習社会を一面的に人的資本、知識集約的な人材養成ということから追い求めることはできないというのです。教育がすべての人の効率による機能的な能力の水準を引き上げることにならない側面があるのです。人によっては、生まれつき効率による機能的な能力主義的な才能に恵まれないことがあるのです。

 これらの人びとは取り残されていくのです。この層に対する特別の福祉政策が求められ、人間らしく生きる社会的連帯から側面があるのです。特別の福祉的政策と労働を結びつけた働き方の模索が必要というのです。

 健常者と障がい者が共に個性を生かした能力を大切にしていくことによって、新たな創造的な労働が生まれていくことも見逃してならないのです。有機農業の生産などに、知的障がい者の個性を生かしての能力開発をすることで、健常者ではできない労働成果が発揮できるのです。ここでは、健常者と障がい者との協働労働によって、それぞれの役割と助け合いによって素晴らしい商品化が実現していくのです。

 また、知的障がい者の感覚的な能力を十分に発揮した工芸の商品が、高い価値を生まれてくることがあるのです。それぞれの個性に応じた職業能力開発は、すべての人にいうことができるのです。

 ここでは、画一的な価値観による生産効率、大量生産方式の労働ではなく、それぞれの個性に応じた労働からの生産が高い価値をもち、画一的な労働効率からではない、労働の質と労働の喜び、労働の協働と連帯からの相互の学びと刺激からの生産意欲、労働の質の向上があるのです。

 これらのことを達成していくうえでのリーダーの役割が極めて大切です。ここには、画一的な大量生産の能率性や労働の質をみるのではなく、それぞれの個性を尊重から、それぞれの役割分担が生きる喜びをもてるように組織として、集団として、その協働の営みとしてみることが不可欠なことなのです。

  さらに、協働の営みの認識で、それぞれの役割から、経営に参画していくという民主主義の意味も大きいのです。 経営と労働の結合という課題が労働意欲にあることを決して忘れてはならないのです。

 個々の労働者としてみることは、社会的労働に対応しての役割を位置づけての学習課題を探っていくうえで大切なことですが、本質的には個別の個人的な効率主義的な生産性ではなく、組織として、集団としての社会的連帯の視点から考えていくことが重要なのです。

 低学歴、低技能というこからではなく、どんな人でも社会的役割があり、社会的に貢献できることがあるのです。個々の個性を引き出し社会的連帯によって、その役割を明きからにして、役割分担をしていくことです。知的障がい者でも充分に健常者を励まして、社会的連帯と協働活動のなかで、素晴らしい役割を担えるのです。問題は生きる意欲、姿勢で多くの人々を励ましていくのです。これは重度障がい者でも同じことです。

 貧困化による社会的退廃問題も大きな課題です。不安定な雇用や半失業状態に陥ることによって、犯罪に走っていく場合もあります。オレオレ詐欺などにみられるように高齢者などの社会的な認知を落ちた層がターゲットにされていくのです。犯罪集団に巻き込まれて、社会的秩序を大きく乱していくことは社会を不安に落とし入れていくのです。

 社会的連帯や社会的貢献の能力開発にとって、人権や社会的正義の問題は避けて通れないのです。社会的退廃問題は貧困化ということばかりではなく、拝金主義の絶対化などの社会全体の問題状況があるのです。この意味からも法を守っていく社会的ルールの形成は大切なのです。福祉国家の形成としての民主的なルールの課題は大きくなっているのです。

 

 アンデルセンの考える福祉資本主義の三つの世界

 

 アンデルセンは福祉資本主義は三つの異なった世界があると考えています。それは、コーポラティズム的保守主義自由主義社会民主主義という三つの異なったレジューム類型とみるのです。

 自由主義者は、福祉国家へ依存することは危険である。その危険性は、自由と効率を侵食するからと。自由主義者たちは民主主義の拡大に熱心ではなかったのです。なぜならば、民主主義は、社会主義を生み出すかもしれないという懸念をもっているからです。

 社会民主主義が議会をとおして、労働者が社会的参加を果たし、平等、公正、自由、連帯という社会的市民権をもった福祉国家が有力な論拠となります。このためには、社会的資源、健康、教育が必要です。民主主義的な権利が発展すれば福祉国家も発展するのです。

 福祉国家の追求は、社会権、所得保障、平等化、貧困の根絶です。これは集団的な権力の動員が必要なのです。アンデルセンは、現代的に社会権が導入されていくと労働力は純粋な商品化という性格を薄めていくと考えます。社会的サービスが人びとの権利とみなされるようになると、労働力の市場に依存することなく生活を維持できるという脱商品化が起きるというのです。それは、単に社会的扶助や社会保険が導入されただけではなく、諸個人が実施的に市場依存から解放されることです。

 脱商品化の権利がどの程度に発展したかは、福祉国家の発展にとっての重要な指標となるとアンデルセンはみるのです。社会的扶助制度、強制加入の社会保険制度も脱商品化ということでみていくべきであるとするのです。それらの制度が導入されたからといって自動的に福祉国家の発展ということではないのです。

 社会民主主義福祉国家の特質として、福祉と労働の結合です。完全雇用を保障することが最も大切なこととして考えているのです。働くことの権利は所得の維持の権利ということになります。普遍主義と連帯主義によって、労働力の脱商品化をめざすとしているのです。アンデルセンは市場原理が貫徹するようになれば財産もなく、必要を満たすうえで頼る身分もない労働者にとって、牢獄になる考えるのです。欲望に関しても人間にとって商品化がすすむと、資本蓄積のエンジンは強化されます。その結果、個々の労働者は弱い存在となります。このために、積極的社会政策の強力な手段が必要になってくるのです。

 コーポラティズム的福祉の社会保険制度としてビスマルク保守主義者のモデルがあります。公務員に対して、特権的な福祉供給を確立して、国家への忠誠心を強いる制度をもったのです。古いギルド的な伝統に由来するものです。ドイツ、イタリア、フランスなどは、国家主義的遺制が存在して、自由主義的を信奉して市場の効率や商品化に執着することはみられず、社会権を保障していくことに抵抗はないのです。国家は地位上の格差を維持に重点を置き、再配分の効果はあまりないのです。コーポラティズム的世界は、教会の強い影響のもとでつくら、伝統的な家族制度の維持のために大きな努力をはらってきたのです。

 自由主義的な福祉国家は、最低限の普遍主義的な所得移転、最低限の社会保険のプランです。社会改良は、伝統的な自由主義的な労働倫理によって、厳しく制約されます。国家は最低限水準の保障をするということで、積極的に私的な福祉制度に国家が補助を出す場合もあります。一連の社会権は実質的に抑制されるのです。これらは、アメリカ、カナダにみることができます。

 以上のように福祉を資本主義社会では三つの世界があるとアンデルセンは考えるのです。この三つのレジュームによって福祉政策が国家として実施されているのです。

 

参考文献

アンデルセン福祉国家の可能性」桜井書店

アンデルセン「福祉資本主義の三つの世界」ミネルヴァ書房