社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

若者の夢と高校教育の課題

若者の夢と高校教育の課題
   

1,ベトナム初の農業高校創設のとりくみ  
 f:id:yoshinobu44:20210312220224j:plain

 2021年からベトナム・ナムディン農業高校が開設されます。ベトナムの経済には農業は輸出産業として、大きな位置を占めています。人口の多くも農村に住んでいます。

 ベトナムの近代的産業の発展、科学技術の発展を身につけた高度の人材養成、持続可能な循環的経済発展に農村の自立的発展は重要です。農村には多様な経済発展の可能性もっています。それは20世紀的生産性と効率、大量生産の発展から21世紀型の持続可能な自然との共生による社会経済が求められている時代です。

 ベトナム・ナムディンの農業高校は、この時代的要請のもとに、日本の農業高校をモデルに、農業の多面的機能を生かした人材育成の基礎的教育機関を目標にしています。

 この構想を大きく実現していくうえでの課題は、日本人の退職した先生をボランティアとして派遣することです。JICAも支援してくれるようです。日本の職業高校の人材派遣は発展途上国で、期待されているのです。 

 現在は日本に留学・研修していくうえで、きちんとした日本語・日本文化の習得がなされていないことが大きな問題になっています。とくに、外国人技能実習制や日本国内での日本語学校の留学は、大きな問題をかかえています。

 ベトナムから学ぶもの

 ベトナムは20年前は世界の最貧国でした。長い植民地支配、フランス、そして、アメリカとの戦争。1975年にベトナムは独立を完全に達成して解放されますが、その後は1994年までアメリカをはじめ先進国からの経済封鎖、中国との軍事的紛争などで、まともな経済活動ができなったのです。ベトナム国民にとって、近代の歴史をみれば、独立と平和は極めて大切な課題であったのです。

 

 ベトナムの人々はアメリカとの激しい戦いをしましたが、アメリカ人の捕虜にたいしては、手厚く待遇をしたのです。アメリカ軍の戦略爆撃機を打ち落としたときに、落下してくるパラシュートの兵士を保護する対策を徹底したのです。

 

 アメリカの兵士も一人の人間であり、帝国主義ということと区別すべきという見方からです。ベトナムは小国で歴史的に中国の侵略を絶えず受けてきた国で、侵略に動員された人々を味方にする方策をとってきたのです。敵を打ち破ったら、彼らを味方にしていくということで、捕虜に生活費のお金をあげて手厚く送り返したということです。

 

 現在は、東南アジア諸国連合で平和共同体をつくっています。非同盟運動と多様性を認め合い、共存・共栄の平和連合体をつくっているのです。

 

 ベトナム市場経済を通して社会主義をめざす国家です。地域の共同体、話し合いを地域で大切にして、それぞれの価値観、信仰も尊重している国で、キリスト教、仏教、儒教、地域の習俗的信仰など、それぞれ尊重して、村のなかでも異なる信仰が共存しているのです。

 ベトナムでは政府の政策が必ずしも国会で承認されるわけではありません。政府は新幹線を推進しようとという施策でしたが、国会は新幹線の段階ではなく、地域の交通機関を発達せよということで、政府提案は否決されています。原子力発電所建設も同様で政府提案は否決されているのです。多様な意見を尊重しての国民合意を大切にする国づくりをしている現状です。

 

 ところで、拝金主義の問題も経済発展のなかで大きな問題として起きています。新たに汚職問題も起きていますが、汚職の分配を部署の人々に行うという共同体主義もあります。公務員が貧しいなかでのワイロは大きな悩みです。これは東南アジアに共通して起きています。

 ここには、先進国のモラル問題も絡んで発生している場合も多くみるのです。政府は汚職問題には大変な悩みで、その対策に徹底しているところです。


 ベトナムは国家として、平和秩序と勤勉な民族性、強い絆をもっている国民性です。若者たちは大きな夢をもって学んでいます。最貧国から脱出した親の世代を引き継ぎ、新たな人類的な課題の経済発展にとりくむことに挑戦しているのです。世界から経済封鎖されても、最貧国のなかでもベトナムは、教育に力をいれてきたことが特徴です。


 高い識字率で、だれでも読み書きができる国をつくりあげています。ベトナムは、地域で自給自足の経済を確立していました。VAC運動といわれるように、自分の庭に、薬草を植え、池をつくって魚を養殖して、豚や鶏を飼って、エネルギーは家畜の糞尿によるバイオマスガスを利用していたのです。


 現在は、先進国の科学・技術を積極的に学んで、新たな挑戦を考えています。ベトナムの経済は、民族資本が十分に育っておらず、先進国からの工場進出によって、経済が成長しています。地域の資源を有効に利用して、民族資本を大きくして、地域経済を豊かにしていく課題があるのです。


 ベトナムは、農業が中心です。広大な農村社会をかかえています。この現実のなかで、人類的な夢の経済発展を考えているのです。それは、持続可能な自然循環を大切にした経済発展です。

 農業高校の創設は、ベトナムの新しい農村社会建設の人材養成として、未来社会を積極的に求めていく学校です。

 

 この未来社会実現に文化的に近似している先進国である日本の実践的な科学・技術から学ぶための準備教育の学校にするためのものです。経済の発展とはなにか。豊かさとはなにか。幸福に暮らすことはどのようにしたらよいのか。
 
 2015年に国連でSDGs(持続可能な開発目標)として、17項目として、貧困、飢餓、健康福祉、質の高い教育、ジエンダー、安全な水とトイレという6つのベーシックヒョウマン目標、6つの持続可能な経済の項目、3つの環境保護の項目、達成のための2つの平和とグローバルパートナーシップの項目をあげています。
 SDGsということから、働きがいは経済成長の視点から大切です。脱炭素社会の対処という姿勢ではなく、依存型ではなく、主体性をもってのライフスタイルの自立型による脱炭素社会の信の実現です。

 

 2,高校における職業教育・進路指導と生涯学習の基礎としての教育 

 f:id:yoshinobu44:20210312220339j:plain

 中央教育審議会は令和の日本型学校教育を1月26日に答申しました。この答申は個別最適な学びと協働的な学びの二元論的な見方です。個別的学びとして、ICTの活用が積極的な提言です。

 後期中等教育という青年の人間形成課題は、現代社会の環境問題や格差問題の状況から未来社会への創造ということで考えることが最も大切です。

 

 今後、どんな社会を現実的につくりあげていくか。どのようにしたら、子ども達、青年達が幸福に豊かに暮らしていけるのか。ICT教育はあくまでも手段で、教育の目的、目標ではないのです。

 

 後期中等教育としての高校にとって、進路指導は極めて大切です。進路指導は、若者の夢を大きく膨らせていくものです。若者自身の自己をみつめる力、やりたいことを引き出して、それを大きくのぼしていくのも高校教育の大きな課題です。自分がやりたいことをみつけることも複雑化している社会の現実では簡単でないのです。
 

 若者自身も進路を自由に選択できることは、個性を発揮していくうえで、大切なことです。しかし、なかなか自分の進路をみつけられない場合が多いのです。本来、青年教育にとって、進路の選択が大きいのです。

 

 しかし、現実は、学力の達成が主眼になり、学ぶことと、自己の進路や生き方との関連が十分にならないことが多いのです。学力を広く、生きる力と関連させるために、職業技術教育が求められるのです。この職業技術教育は適応主義ではなく、未来志向的な創造的なものが不可欠です。
 
 中等教育学校の歴史は、戦前は複線体系のなかで、エリートコースと職業技術教育コースとにわかれていました。戦後の高校の出発は、地域総合性ということで、エリートコースを廃止して、普通教育と職業技術教育を統一したのです。私立高校は、地域の独自性を発揮して、発展していったのです。
 
 戦後は、戦前にあった地域の実業補習学校等を町村立高校として出発させたのです。定時制の高校が就学困難な若者の学習を支えたのです。ここで学ぶ若者たちは、教養を高め、職業技術教育によって、自分の生き方や将来の夢を大きくしていったのです。


 戦後の経済成長と高学歴化は、歴史的にみれば大きな文明作用でしたが、しかし、進路や職業・技術教育に大きなゆがみをもったのです。国民全体をエリート志向の教育体制に巻き込んでいったのです。 

 

 現代社会で高校教育の目的を考えていくうえで、学校を閉鎖的社会としてみるのではなく、未来社会への創造のなかでみていくことが大切なのです。知識社会ということで生涯にわたって学ぶことが求められていく時代になっていくものです。

 

 学びは楽しいものであるということで、持続的にいつでも学べる能力を身につける基礎が高校教育では大切になってくると思います。この意味で、職業教育、進路指導を生徒自身の個性を発揮して、その能力を引き出して、将来への展望をもたせていくことは大切なことです。

 

3,高校教師の役割 

 f:id:yoshinobu44:20210312220449j:plain

 令和の日本型学校教育の中央教育教育審議会答申でGIGAスクールによるICT教育が行われていくと思います。ICTは、あくまでも教育の手段の一つの方法で、教育方法はそれだけではなく、ICT活用を一面に取り入れて行くと多くの問題を起こすこともきちんと認識しておくことが必要です。

 

 現代の教育では、生徒の学習歴や生徒指導のデーター、PDCAという経営学成果主義の方法のICTを手段に導入しています。それは、機械的に数値を利用しての評価によって、生徒や教員を評価していくという問題が生まれてくると思います。

 

 教育は単純に数値になっていくものではありません。様々な側面から刻々に変化して人間の発達の側面があります。時には、予想もされない飛躍の発展があるのです。

 

 ICT教育依存になると自分でじっくりと考える能力が低下して、バーチャルの世界で感覚的に、白黒ということで単純化して、複雑な問題について答えを出していくことを安易に結論を急ぐ思考になっていく問題点があるのです。

 また、書く能力や読書をする能力も衰えていくのです。人間の心の深い心理も単純化してしまうことになるのです。
 ICT教育にとって、さらに大きな問題点は、それぞれぞれの学校や生徒の状況を無視しての導入は、教員や生徒の負担が大きくなるのです。視聴覚を大切にした教育は重要な場合はありますが、決して、それだけで教育が有効性を発揮できるというのは大きな間違いだと思います。

 

 高校の教師は、それぞれ教科の専門性を強くもっています。それぞれの専門性は、生徒にとっての生き方や進路の選択にどうのように結びついていくのかを考えていくことが大切です。

 この意味で、生徒自身がみんなと自らの考えを披露して、議論し、多様性を認め合い、体験していく授業の工夫が大切になってきます。どうしても受験学力や就職試験対策になってしまう指導になりがちです。


 生徒にとって、当面に突破しなければならい課題は大切ですが、大きな志や生き方を学ぶことを忘れてはならないのです。大学に進学しても遊びやアルバイトにふける学生や就職してもすぐにやまてしまう青年が少なくないのです。これでは、当面の突破をクリアしても大きな問題が残るのです。
 

 教師の評価が数値化される時代です。どうしても当面の突破の課題に対応して、数値をあげたいということになりがちです。地域で生きている大人たちから、様々な職業から学ぶことの工夫をどうするか。教師の仕掛けが大切です。

 

 とくに、あまり若者が就業しない農林漁業など地域の文化を守り、自然循環社会形成に貢献し、人々の暮らしのなかで必死にひたむきに生きている姿を若者が学ぶ機会が少ないと思われます。修学旅行でグリーンツーリズムなどで農村体験している学校などもみられます。そのなかで、若者が生き方を学ぶこともあるのです。
 

 学校とは未来社会を担う人材を養成する機関です。教師は、常に未来志向的に生きている職業です。それぞれの教科を教える意味で、未来志向的に生徒に接することが教師の責務です。

 

 未来は空想的に生まれるものではなく、現実の矛盾を直視して、その矛盾の克服のなかで形成されていくものです。若者の夢を受けとめ、共に未来を語りあっていくことも教師の仕事です。