社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

暮らしの学習権と地域主権への公務労働

   

    暮らしの学習権と地域主権への公務労働

                   

はじめにー人間らしく暮らしていける学習権ー 

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 本論では、暮らしの学習権と地域主権への公務労働の課題を人間らしく生きる権利として取り扱うものである。暮らしの学習とは、現実の社会的な矛盾のなかで、差別と貧困を直視し、多様性を尊重して、どんな立場の人々も人間らしく豊かに暮らしていくための学びである。
 その学びは、幸せをもてる豊かな消費と、生きがいを発揮する働き方を実現していくものである。また、家族や仲間、職場・地域での友愛精神による支え合い社会を造っていくためである。それは、為政者の支配や統治の動員主義的な教化・啓蒙でないことはいうまでもない。
 暮らしの学習権は、地域の民主主義を基盤に、国家としての暮らしを保障する主権在民の学びである。暮らしを基礎とした社会教育の充実は、民主主義発展の度合いを測る大きな指標でもある。この対局に、社会的退廃や金権支配、愚民政治やポピリズム、政治的無関心の充満がある。この傾向は、ファッシズムの社会的基盤をつくっていく。
 持続可能な物資的な豊かな暮らしの発展は、絶えざる知識の吸収と創造性、科学・技術革新、イノベション能力によるところが大きい。それは、弱肉強食の競争主義ではない。
 近代化による大量生産は、人々の物質的欲望を刺激し、大量消費になった。また、効率主義的利潤優先によって、自然循環を破壊し、大量廃棄物をつくった。まさに、地球的規模で環境問題を起こしたのである。暮らしの学習権では、これらの環境問題を学び、持続可能な社会をつくっていうことも大きな課題となる。
 弱肉強食の競争主義は、格差と差別を蔓延させた。貧困化は、様々な社会病理現象を起こした。母子世帯の貧困化に現れているように、ジェンダー問題も深刻である。また、高齢者の一人暮らしの増大もある。障がい者外国人労働者に対する差別もあり、ヘイトスピーチなど人権の問題も跡を絶たない。まさに、人間のもつ多様性、国際的な連帯と友情を否定する社会的な風潮である。助け合う地域社会の崩壊現象のなかで、無縁社会が生まれ、様々な社会的病理現象も起きている。
 コロナ禍のなかで、その矛盾は深刻になっている。現在は、これらの社会的な問題を克服していく地域での学びが切実に求められている。ここには、暮らしの学習権の保障が必要なことを示している。
 公民館などの公的社会教育は、趣味などの文化的側面に重きをおいている。それは大切なことであるが、暮らしの学習権の視点が極めて弱い。住民の暮らしから公務労働のあり方も問われる。公務労働を地域主権という視点からみるならば、それぞれの業務の専門的なことと社会教育・生涯学習との関係が強く求められている。

 本論では、さまざま地域社会の矛盾を直視しながら、それらを克服していく、地域における暮らしの学習権の視点から社会教育の課題を明らかにしていく。
 
    1,暮らしの学習権

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 暮らしの学習の権利構造
 人間らしく豊かに生きていくために、文化やスポーツの充実、健康で笑顔をもって生きたいということは誰でももっている。多くの国民は、現実の労働や生活、環境、政治などの諸問題を学び、それらを解決していくための生涯学習から遠ざかっている現実がある。このことが日本の民主主義に大きなマイナス要因になっている。
 生涯にわたって学ぶ権利は、民主主義社会では、当然のことである。日本国憲法は、すべての国民に教育を受ける権利(26条)を保障している。教育基本法3条は、国民一人一人が豊かな人生をおこくることができるように、あらゆる機会、あらゆる場所において学ぶことを保障している。
 1985年にユネスコは、国際成人会議で学習権宣言をした。その宣言では、人間の生存にとって学習権を不可欠な手段とした。学習権なしに人間的発展はありえないとたかだかく示した。そして、学習権の内容を次のようにかかげた。

 それは、読み書きの権利、問い続け、深く考える、想像・創造する権利とした。また、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利とした。さらに、なりゆきまかせの客体ではなく、自らの歴史をつくる主体にかえていくことを強調した。つまり、学習権なくしては、人間らしく生きる人間的発達はありえないと宣言したのである。
 
無縁・消費の社会と社会教育・生涯学習の課題
 現代の大量消費社会は、新たな欲望を拡充し、文化的消費の快楽もマスコミや情報革命も進んだ。さらに、嘘・デマや詐欺、横領も横行した。法令違反や社会的倫理に反する金権支配をめぐる癒着問題も大きな問題となった。政治的退廃、企業の不祥事は、日本社会の社会的なリーダー層の道徳的劣化である。この状況は、社会的道徳と友愛や連帯性が希薄になっている証である。
 現代は、ものづくりや農林漁業業のような目にみえる直接的生産よりも、ITなどの著しい技術革新で、ロボット化や仮想空間も増大した。現代は、日本の社会経済を支配する特権的利益集団の既得権が強力に維持されている。このなかで、多くの国民は、弱肉強食の新自由主義がおしつけられている。景気変動による調整弁として、非正規雇用者が大幅に拡大した。個々に自己責任が強制され、著しい格差社会をつくりあげたのである。
 さらに、価格競争と、賃金抑制など「経費」削減を多くの働く人々におしつけ、働くことの生きがい、やる気を引き出すことが極めて不十分になった。そして、人間の心の飢餓状況、精神的貧困化も進行した。
 これらの結果は、経営自身の停滞を招き、イノベーションの動きから日本が、後退した大きな要因になった。日本の長引く経済の低迷は、これらが原因である。特権的な利益集団の社会的リーダー層は、目先の自己権力維持の固執と、貪欲性が著しくみられる。そこでは、人間としてのあたりまえの責任問題が鋭く問われている。
 企業の国際化は、腐敗問題の克服を提起した。国連グローバル・コンパクトは、原則的な腐敗の防止に関する国際連合条約をつくった。その内容は、2003年10月に国際連合総会で採択した。腐敗防止に関する国際連合条約の前文では、腐敗が国際的な現象になっており、民主主義と社会的正義、並びに持続可能な社会を危うくするとしている。
 国連は、SDGsの持続可能な開発のために2030年までに17の目標として、貧困・飢餓、健康・福祉、教育、ジェンダー平等、安全な水、クリーンエネルギー、働きがいと成長、イノベーション、不平等是正、住みよいまちづくり、生産と消費の責任、気候変動、海と陸の豊かさ、平和、パートナーシップをあげている。それぞれの国、地域の特有の課題は、自治体や企業がローカル課題の解決としてSDGsに取り組むことを積極的に示したのである。
 現代社会の精神的荒廃の大きなひとつとして、無縁社会としての孤立問題がある。限界集落といいわれるように農山村では、高齢者だけで暮らし、それも一人暮らしが増えている。都市でも、核家族化のなかで、配偶者にさきだたれるなど、様々な理由で、高齢者の一人暮らしという社会的孤立が増えている。
  2021年度の高齢社会白書によると、高齢化率28,8%であり、一人暮らしのが1980年に男性19万人(4,3%)、女性69万人(11,2%)が、2015年には男性192万(13,3%)、女性400万人(21,1%)である。
 内閣府平成28年度調査では、よくつきあっている人がいるというのは、男性73.8%、女性80.7%である。地域社会の崩壊現象のなかで、この比率も減少していくとみられる。一人暮らしの高齢者でも積極的に趣味や社会的活動で、楽しく豊かに生きている人々がいることは大切なことである。しかし、高齢者の孤立と無縁社会は大きな社会問題である。地域で、どのようにしたら、この無縁社会を克服していけるのか。
 さらに、8050問題がある。中年層の引きこもりとその親の高齢者が生活を支えるという問題がある。中年のひきこもりとして、内閣府が2018年調査で、61,3万人という数字が報告された。その理由に退職36,2%、人間関係21,3%、病気21,3%の数字がでている。これらは、日本の精神的な貧困化のなかでの現象であり、社会的孤立からの支え合いの構築が地域福祉と結びついた社会教育を求めている。
 子どもや青年も、家族遺棄社会現象といわれるように、孤独で暮らす人々も増えている。家族を棄てた父親の孤独死、ゴミ屋敷と餓死寸前という捨てられたという家族の問題、孤独死の実情ということで、著書「家族遺棄社会」が書いている。その著書において、菅野久美子は、孤立、無縁、放置の社会を告発した。
 地域の自治会などの地縁組織には、様々な地域行事や寄付など自分の意志に反する拘束力があるという。町内会に入らない現実がある。わずらわしいと思う人々が増え、加入者が減少している。

 現代の日本社会は、生活が個人化し、自己責任ということが強調され、社会的孤立の人々が増大している。ここでは、共助の意識が極めて弱くなっている。お互いに干渉しない、個々の生活を侵害しないということで、地域の絆を築くことも特別の努力が必要な時代である。

 従前の地縁組織のあり方も問われていることを重視しなければならない。従前の地縁組織には入らないが、スポーツや趣味のグループ、生協などの宅配や医療サービスに加入する人も少なくない。自己の要求を満足してくれる機能的な地域組織が大切になっている。
 地域の絆を築くためには、本人自身が、働きかけをしない限り難しくなっている。日常生活における個々人の自由な選択権の拡大と同時に、それぞれが関わり合いをもっていく新たなコミュニティの形成という友愛社会の構築が切実に求められている。それぞれの興味や趣味、地域の子育て、自己の特技や役割などが発揮できるボランティアをはじめ、小さなことでも仕事につながることや、未来へとつながる地域づくりなど様々な関わり合いができる場をつくっていくことは住民の学習権として大切な課題である。
 これらは、社会的関係資本の整備のうえに、社会的な信頼性、社会的信用を築いていくことが必要になっているのである。安心社会の形成は、社会的信頼性と社会的信用であり、詐欺のない、だましのない社会で、それを見破っていく社会支援と社会教育の徹底が不可欠なのである。
 無縁社会現象のなかで、支え合いの友愛社会の新たな構築は、公的な地域福祉と公的な社会教育が不可欠である。地域では、日常の生活活動、文化的・スポーツの活動、仕事にとっても友愛精神によって、支え合うことを目的意識化することが必要である。これには、独自に地域福祉の公助を基盤にしての新たな共助の支え合いの公的な社会教育活動が求められている。

 

 貧困問題からの暮らしの学習権と地域福祉
 新自由主義のもとで、格差と貧困が進み、この状況では、競争主義の能力主義や利益優先主義と出世教育が支配的になる。この傾向に対して、地域の民主主義には、人間尊重の多様性を尊重し、どんな人でも生きていくうえで、素晴らしい価値をもっている認識が地域社会で不可欠である。

 その実現には、地域での多様性を尊重する学びである。つまり、男女格差、発展途上国から労働者の差別、障がい者の差別などが存在しているなかで、それらの偏見と差別を克服していく学びである。
 アルコール依存症は、精神的な社会的孤立現象のひとつである。実数は、100万以上といわれる。依存症で治療を受けている外来は95579で、入院は25606人である(平成28年厚生労働省)。

 2020年度の児童虐待相談件数は20万5千人である(全国の児童相談所集計)。内閣府平成25年度の子ども・若者白書では、15歳から34歳の無業者63万人、フリーター180万人である。家でひきもり23,6万人、自分の趣味だけ外出46万人、広義のひきこもりの合計69万6千になっている。
  日本の貧困問題を考えていくうえで、母子世帯にその典型をみることができる。女性は、低賃金が多い。母子世帯の子どもの貧困問題はジェンダー問題でもある。貧困のなかで育つ子どもたちは、環境的に人間的に成長の基盤も弱い。
 ここでは、生活不安の増大ということだけではなく、人間的な成長の基盤が奪われている。家庭への成長の場の援助が切実なのである。このためには、地域、社会によっての教育援助体制が必要である。日本での子どもの貧困を論じる際に、親への非難、家族の責任問題に転化されやすい。この問題は社会教育として見逃せない。
  貧困の子どもに対して、具体的な発達の保障と人間的成長の手だてが、学校教師をはじめとして、公的な福祉と社会教育の役割がある。また、貧困のなかで未熟な面をもつ親自身の人間的な教育、自立していけるような教育や訓練も求められている。貧困などによる家族関係の破綻、子どもの生存が脅かされる虐待からの保護は、一時的な母子分離が原則になる。
 多くの母子世帯の現実は、子どもを育てるために朝晩、長時間で働かざるをえない。貧困の母子家庭は、子どもとゆっくりと接触する時間的なゆとりもない。子どもを育てるために必死に生きている現実である。それは、人間らしい生活からほど遠く、将来の希望を自由に選択できる幅が限定されている。家庭の経済的格差は、子どもにとってと大きな進路の制約があることを見落としてはならない。
 2019年の国民生活基礎調査によれば、552万円の平均所得以下が61%を占め、母子世帯は、社会的保障費も含めて270万円である。児童のいる世帯平均745万円の半分以下の所得の実態である。高齢者世帯は312万円である。母子世帯では、大変に苦しい41,9%、やや苦しい33,3%と多くが、生活の困窮の意識である。全体的には、大変に苦しい24,4%、やや苦しい33,3%と国民の半数以上が生活の困窮の意識をもっている。この現実からの解放も社会教育の課題として捉えていくことが求められている。
 

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    気候危機などの環境問題からの暮らしの学習権
 地球規模の環境問題は、気候危機、大気汚染、水の枯渇問題、開発による大規模な災害を起こした。そして、水俣問題など命を脅かす公害被害、人間と自然の無秩序のなかで感染症問題などを起こした。現代は、人間らしいくらしの復権ということで、環境破壊から復権していく自然循環的な人間的生活を取り戻すイノベションの学びも求められている。まさに、脱物資的な成長主義からの脱皮でもある。
 健康で安心して、豊かに暮らしていくために、自然災害や公衆衛生の問題は大きな課題である。人間が生きていくうえで、自然との関係は、心の癒やしや文化的な充実にも欠かせない。そして、自然は、台風、地震、火山、水害などで人々を襲う。
 コロナ禍では、感染症の恐ろしさを人々に教えた。公衆衛生が大きな課題として認識されたのである。地震や異常気象は、地域での防災対策を求めた。森林の伐採など大規模な開発による自然破壊も地域の人々にとって、大きな関心をもつようになった。
 2021年11月に実施した国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)のグラスゴー気候会議は、脱炭素が世界的課題になった。イギリスのグラスゴー会議の目的は、持続可能な開発と貧困撲滅に向けたなかで、気候危機の対処の国際協力である。そこでの基本合意は、人権、健康の権利、先住民の権利、地域社会、移民、子供、障がい者などの権利が気候危機との関連で議論を求めた。さらに、男女間の平等、女性の自律的な力の育成及び世代間の衡平を尊重を重視したのである。
 グラスゴー会議では、世界の人々に脱炭素社会を求めた。そのために森林、海洋、雪氷圏の生態系、生物多様性を本来の姿に戻すことが不可欠になった。そして、世界全体の温度を摂氏1.5に下げていく緊急性を提起した。2010 年比で 2030 年までに世界全体の二酸化炭素排出量を45%削減し、今世紀半ば頃には実質ゼロにするという確認を世界共通としたのである。
 ここでは、再生可能なエネルギーの創出、省エネが抜本的に求められ時代になったということである。自然破壊をしない生態系を大切にしての循環的なエネルギー創出である。このことから最も離れているのが、原子力である。大規模に森林を伐採してのメガソーラー開発も自然循環的ではない。自然の条件を活かした小水路発電、建物や施設の屋根をいかしたソーラー発電、植物残渣や家畜ふん尿を活かしたバイオマス発電、地熱発電、浮体式洋上発電など様々な方法があるが、これらも生態系を壊さず、十分な自然循環的な配慮が求められている。
 日本は、台風、大雨、地震津波、火山などからの自然災害の多い国である。それぞれ地域での細かい防災対策を住民ぐるみで実施している。東日本大震災のような津波被害で、多くの人命が奪われた。異常気象のなかで、大雨による水害が頻繁に起きるようになった。ここで、重大なことは、原子力発電所の水素爆発による放射能汚染であった。
  森林法での林地開発は、都道府県自治体が事務になり、住民の福祉増進を基本にして、国土保全、水源涵養、良好な生活環境、保健・文化・教育的作用、温暖防止等の地球環境保全生物多様性保全などの多様な機能をもつようになっている。
 保安林の拡大等による積極的な活用、森林セラピーや森林のもつ生物多様性の教育の活用、森林と共に生きてきた人々の知恵を学ぶなど保健・福祉、教育、観光などに森林自然との共生の経済を積極的に取り入れていくこともひつつの方法である。発展途上国の先住民や地域社会の生態系のなかで暮らす役割を重視していくことが新たな脚光になった。この脚光を持続的に大切にしていくためには、それらの人々の生活支援をすることが強く求められる。
 省エネ対策は、脱炭素化のなかで重要な課題である。AIの発達で自動制御で省エネも、スマートメーターで目にみえるようになった。ボイラーや配管の断熱装備、断熱材、断熱ガラス、排熱の再利用などの施設整備も大切になってくる。スマートコミュンティーやソーラと農業を結ぶシェアのビレッジなどの取り組みも可能になっている。
 日本のエネルギー政策の重要なことは、脱原発、脱石油、脱石炭である。2030年までに廃止の「脱石炭火力連合」で、「先進国は2030年に廃止、途上国は2040年に廃止」と、「石炭火力の新設を行わない」の声明がだされた。このための再生可能エネルギー創出の地域でのきめの細かいイノベーションが求められている。
 自動車に関しては、「世界の全ての新車販売について、主要市場では2035年、世界全体では2040年までに電気自動車(EV)などゼロエミッション車とすることを目指す」という内容に20を超える国や企業が合意した。
 森林に関しては、「その減少傾向を2030年までに止め、回復に向かわせよう」という声明が出され、100か国以上が賛同した。メタンガスを2030年までに2020年比で30%削減する「グローバル・メタン・プレッジ」を世界100か国以上が賛同しました。以上のように脱炭素の動きが世界で急速に進んでいるのである。

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 リカレント学習の権利
 人間らしい労働には、人々の暮らしの豊かな発展と結びついている。労働には、自己の暮らしの豊かさの発展というばかりではなく、奴隷、農奴、賃金を得るために、支配従属関係をもってきたことも見逃してはならない。人間らしい豊かな暮らしの実現には、偏見、差別、搾取からの解放ということがある。現代では、基本的人権思想、自由と民主主義の普及によって、人間らしく豊かに暮らしていけるような人間の尊厳の見方は共有されるようになっている。
 しかし、現代の新自由主義のもとで、非正規労働者が増大し、格差と雇用不安が生まれている。このようななかで、職業教育や職業訓練は重要である。リカレント教育の保障は、生きがいをもてる労働の探究と失業不安からの解放にとっての大きな課題である。
 リカレント教育生涯学習ということでは、2020年10月スイス・ジュネーブ で「仕事の未来レポート2020」がだされた。新型コロナウイルス感染拡大により、労働市場が急速に変化していることを世界経済フォーラムの調査結果はみせている。
 2025年の企業では、人間と機械が仕事を半分ずつ分担するようになると予測され、ホワイトカラーやブルーカラーの職種の中でも、情報やデータ処理、事務タスク、定型的な手作業の仕事等は、機械が主に担うことが予想される。
 そして、介護、保育、看護などに形成されるケアエコノミーの需要が高まる。第四次産業革命関連のテクノロジー業界(AI等)が大きく躍進していく。コンテンツ創造の分野で、新たな仕事が生み出される。エンジニアリング、クラウドコンピューティング、製品開発等の分野での新たな職種が生まれる。

 そして、グリーンエコノミー関連の仕事や、データやAI経済の最前線に携わる職種の需要も高まるというのである。5年後も今のポジションにとどまることができる労働者であっても、その内の約50%の労働者には、コアとなるスキルアップデート(リスキリング)が必要になる。
 パンデミックからの復興には、職場復帰支援のため、労働者が仕事に関連するトレーニングをどこからでも受けられるように、教育機関が連携してリスキリングの機会を提供する取り組みが不可欠というのである。

 

2,共生参加の民主主義の学習

 

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 人間の安全保障からの暮らしの学習権
 人間の安全保障という概念は、国家ではなく、個々の人々の恐怖や欠乏から、人間の尊厳を確実に保障していくためである。それには、教育や社会参加などの人間の能力強化が必要である。それは、人間発達・開発ということで、貧困からの解放のための社会的サービスや生存のための基礎的インフラ整備が求められる。
 共生と参加の民主主義は、個々人が参加していくということではない。人間は一人で生きているのではないことから、支え合い、友愛と共生の論理からの参加民主主義が必要である。
 主権在民地域主権から参加民主主義を考えていくには、中央集権的な国家観からではなく、地方自治による身近な暮らしの国家観が必要である。さらに、国のレベルの法律から地域独自の生活レベルの福祉を増進させるため、それぞれの異なる地方公共団体の実状から、住民参加型の条例制定が求められる。直接請求などの民主主義の原理によっての条例制定は、住民自らが学ぶ社会教育的側面がなければ難しい。
 教育の保障がなければ人間の安全保障を実現することはきわめて厳しい。働く者として、親として、社会を変えていこうとする市民としても、教育を受けなければ、大きな不利益を受ける。それは、単に確保されるだけではなく、市民的な寛容な社会をつくる教育内容であることである。
 国連における人間の安全保障の共同議長を務め、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、読み書きや計算という生きるために必要な基礎教育を普及を強調した。基礎教育には、世界の本質を、共通した人間の大切さを話し合う力、その多様性と豊かさのなかで、自分たち自身をどうとらえ決定づけられるか。それらを判断できる能力が求められている。 
 自分たちのアイデンティティを構成するさまざまな要素の教育も大切である。それらは、言語、文学、宗教、民族性、科学的関心などに目をむけていることである。そして、自由と論理的な思考を育む能力も不可欠になり、友情の大切さを理解することである。
 市民社会における議論に効力をもつために、選挙は重要な手段であるが、投票する機会とともに、おびやかされることなく発信し、他の意見を聞く機会が保障されていることを重視している。これらは、公共の理性と実践であって、その実効性をもつのである。
 アマルティア・センにとって、投票の民主主義は、西洋な価値観と慣習であるとする。広い見地から公共の論理における異なった意見、他者を認めあう公の議論に参加できるしくみの人類史的な理性の蓄積が大切とする。

 

 インターネット社会における体験的社会教育の役割
 AIという人間のかわりをしてくれる非常に便利な技術の発展がみられている。そのことによって、人間の労働力が軽減され、加重な肉体労働や危険な作業、不注意・不熟練による事故から解放された。ドローンの発達で、今まで困難であった空からの写真撮影が気軽にでき、荷物も郵便・宅急便から迅速に便利に運ぶことが可能になっている。
 しかし、無人飛行機として、爆弾を積んで、敵地を攻撃することが行われ、罪のない多くの市民が犠牲になっていることも見逃すことはできない。ここには、戦争やテロとの関係で利用される科学技術の人間的責任が鋭く問われている。責任には、信念的な無責任ということからではなく、その結果が生むところの責任倫理がある。
 現代はだれでもスマートホーンなど気軽にインターネットが利用できる時代である。その社会的役割は一層に大きくなっている。現代は、生活のすべてにスマートホーンやパソコンが深く浸透している。買い物のキャッシュレス決済、インターネットによる商品購入、オンラインの会議や授業、ニュース、ネットによる仮想的人間関係など、さざままな利用がある。
 社会経済の活動が直接的な人を介しての場面や実際的に見て、ためして、肌で触って商品を買う、人との関係をもつということから、ネットをとおしての映像判断になる仮想場面が多くなり、人の行動が個人的な感覚的な仮想空間の世界で起きる。ネットによって、知り合っての犯罪の場合もみられる。気軽に便利な側面と同時に仮想の映像が大きな役割を占め、重大な問題を起こすことがある。
 インターネットの社会がより日常生活に入り込んでいくことによって、人間関係も直接的な顔を見ながら、一歩おいての相手の感情表現をみながらのコミニケーションではない。インターネットは、葛藤や悩みなどの心の葛藤がまるだしになり、仮想空間で行われていく側面が大きくなっていく。周囲に相談して、人間関係をもちながら悩みなどを相談していく機会も少なくなっていく。
 ここでは、感情が高ぶった場合に、歯止めがきかなくなる場合もある。インターネットの暴言により、傷ついていくことが増えていく。自分の頭で、自立的に物事をみるのではなく、感情のままに極端な言葉を浴びせる場合が少なくない。それが一斉に拡散されて、一つの群衆心理的にインターネットをとして起きる。つまり、社会心理的には、本能的なものがまるだしの群衆的心理が働いていく。
 インターネットでは、相手の顔をみながらの感情を抑えたり、個々の直接的な人間関係による理性的なコミニケーションになりにくい。社会全体が個々の孤立化が日常生活のなかで強まっていくなかで、人々は群衆心理のなかで大きく影響されていく。そこでは、孤独化現象が進んで、個人を抑制する責任感が消滅していく。個人の利益は無造作に犠牲になり、群衆心理に感染しやすくなる。
 この現状に対して、どのようにして、人間尊厳の民主主義を確立していくのか。思い込み、偏見や差別に陥りやすい克服として、視野を広くもっていくための体験、観察、客観的にみる視野、科学的な根拠で対処していく日常的な訓練が求められるのである。そして、一人一人が友愛による絆と支え合うところの協働の実感体験をつくりだしていくことではないか。
 個々の暮らしのなかで、この協働の場づくりをどう体験していくのか。人間的な五感をもっての体験的な汗をかいて共に実感をもっていく社会教育活動が鋭く求められている。このしかけは、公的な社会教育の大切な仕事であるが、同時に、地域の様々な協働組織との社会教育活動の連携が求められる時代である。

 

3,地域主権への公務労働と社会教育

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 地域福祉計画の住民参加と公務労働の社会教育的役割
 地域福祉計画が市町村自治体で住民参加方式を取り入れてつくられるようになった。これとの関係の生涯学習も行政主導で行われるようになった。社会福祉協議会もノーマライぜーション、住民ニーズ、自己決定、継続性、総合性という原則で、地方自治体に代わり民間活力、ボランティア活動の推進、NPO団体の役割の推奨をしている。

 自治体が取り組む地域福祉の社会教育活動の多くは、地域における多様なグループや団体による町内会などの地域生活の場における学習としている。しかし、住民の要求にそって、共に学ぶということではなく、多くが行政施策の啓発的なものであり、地域福祉に無関心なひとたちへのボランティア活動の働きかけということが一般的である。
 ここでは、市町村行政の公的なサービスだけでは対応できない生活課題をボランティア活動によって、解決していこうとするものである。ボランティア活動は自発的意識で主体的に参加していくものであり、決して公的な責任ある立場ではない。あくまでも補助的なことであり、新しい生活課題にたいしては、公的な行政として独自に責任体制をつくりあげることが必要である。
 安心して、ボランティア活動に市民が参加するには、その責任体制の市民に対する周知徹底が重要である。公助を基礎にしての共助である。住民参加の地域福祉は、行政施策に住民が動員されることではなく、暮らしの学習権から、住民自身の切実な生活要求を地域福祉政策に反映させて、それを実行させる行政の体制をつくりである。それを前提にしての住民自身の自発的な意志に基づくボランティア活動である。

 これらの過程における社会教育の実施が大切である。地域福祉ばかりでなく、地域の暮らしの大切な課題は、地域環境政策、エネルギー政策、地域子育て・教育政策など様々なものがある。これらも社会教育活動と結びついての住民参加の施策が求められている。

 

 住民参加の条例制定と公務労働の社会教育的役割
 行政の官僚制問題は現代社会の弊害である。近代化の組織における目的合理性のなかで、効率的な分業体制の官僚制の問題が生まれる。公務員にとって、大切なことは、それぞれに与えられた業務の遂行能力ということだけではなく、公務員は憲法15条でいう「国民全体の奉仕者」ということである。

 地方公務員は、住民の福祉をはかることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担い、住民の暮らしを守る福祉の整備をして、豊かに、幸福に、生きがいのある生活のための地域づくりを仕事とするものである。
 近代化による行政事務の複雑性と量的な増大は、専門的に訓練された非人間化されたことが起きる。そこでは、個人的な同情、恩恵、感謝に動かされたことは消えていく。近代の官僚制は、非人格的で、専門化された目的合理的的支配であると、100年まえに、ドイツの社会学者マックス・ウエバーが支配の社会学で指摘している。
  住民の総意を活かすのに、住民自身が自らの要求に基づいて、直接請求の条例制定などがある。それには、国の法令との関連も含めて、地域政策を学ぶ学習が求められている。
 地域主権とは、国の住民への暮らしの役割を軽減するという意味ではない。分権ということで、財政や人的な資源を分け合うということではなく、中央政府のもっている責任性を軽減していくものでは決してないのである。
 実際の都市と農村の不均等発展、大都市への人口や資産の集中という矛盾のなかで、地方での生活を守るために、それぞれの市町村自治体がきめ細かに地域政策判断ができることが重要である。全国一律の基準で、中央集権的なひも付き補助では、地域の自主性が十分に働かない。

 市町村自治体が地域住民の自らの意志と判断できることは、具体的な細かな暮らしの地域課題に向かっていくことができる。しかし、財政的に地域の暮らしに責任を市町村自治体がもてるのかということは別である。市町村自治体へのひも付き一括交付、国の事務の見直し、直轄事業事務制度の廃止などが大きな検討課題である。
 市町村自治体の地域政策の遂行に、地域住民との協働的な関係は重要なことである。しかし、注意すべきことは、自己責任による拝金主義的な民間活力の積極的導入ではない。自治体の地域住民との協働は、住民自身が自発的、自立的に参加して、非営利の社会的セクターをつくるなどして、住民の人間らしい豊かな暮らしにを実現していくためである。
 憲法で保障された地方自治の尊重は、住民の暮らしからの自治と住民の基本的な権利から、地方自治財源の確保、住民参加の自治行政権など地方自治基本法の制定が求められている。
 自治基本条例は、自治体の自治(まちづくり)の方針と基本的なルールを定める条例として、平成13年に北海道ニセコ町からのまちづくり基本条例からはじまり、令和3年4月現在では、全国で397自治体に拡がっている。自治体情報の住民への共有は、市民参加、住民の協働ということで、憲法地方自治の本旨の内容が深まっていく。ここでは、住民の学習権との結びつきが不可欠である。この条例制定によって、自治体に対する住民参加の民主主義が充実していく。
 行政による住民説明会は、各地で実施されている。これには、一方的な行政施策の住民への啓蒙活動の場合が多くあり、市町村自治体の職員が、住民と共に学びながら、共に地域政策づくりとその実施を協働でしていくことは少ない。市町村自治体の職員の住民の参加を尊重することは、住民の暮らしを直視しながら、行政の施策との関係で、地方公務員のそれぞれの分野の専門家として吟味していくことである。
 市町村自治体職員が、社会教育の専門職員と共に、自らの職務の遂行に暮らしの学習権を保障していく活動を位置づけていくことが大切である。地域主権の公務労働には、社会教育を伴ってこそ、主体的住民参加と住民の積極的な協働活動ができるものである。この意味で、市町村自治体の職員の地域参加の施策遂行は、暮らしの学習権を伴って、社会教育活動の一翼をになっているという認識をもつことが重要である。

 
参考文献
 アマルティア・セン「貧困の克服」「人間の安全保障」集英社新書、NNKスペシャル取材班「無縁社会」・文藝春秋・菅野久美子「家族遺棄社会」角川新書、佐藤学「第4次産業革命と教育の未来」岩波ブックレット、クラウス・シュワブ「第4次産業革命を生き抜く」日本経済新聞出版社、辻浩氏「現代教育福祉論」ミネルヴァ書房、明日香壽編川「グリーン・ニューディール岩波新書、諸富徹「エネルギー自治地域再生岩波ブックレット、デボラ・テェンバース「友情化する社会」岩波書店、本多滝夫他「地域主権改革と自治体の課題」自治体研究社