社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

子ども若者の居場所づくり・社会参加と社会教育の学会報告感想

子ども若者の居場所づくり・社会参加と社会教育感想

     日本社会教育学会九州六月集会より 

           鹿児島大学名誉教授 神田 嘉延

 

 6月22日に大分県別府大学で、九州地区の六月集会がありました。毎年一回の九州地区の社会教育研究者の集会です。3つの報告がありました。それぞれの報告の概要と感想・意見についてのべます。

 

 第1の報告は、「高校生の居場所づくりと社会参加」の報告でした。高校名は報告のなかであげていなかったのですが、大分市東である坂の市地区の県立高校は、東高校で、普通科と園芸ビジネス科と園芸デザイン科を有する学校です。生徒の進路先は、就職や専門学校が主で、大学の進学高校ではないようです。

学校案内で、普通科は、総合選抜制の多彩な授業、習熟度別授業、地域課題探究学習、地域に根ざしたボランティア活動をあげ、農業科は、総合選抜制、課題研究、農業を利用した地域貢献、地域と企業と連携したインターシップなどをあげ、地域との連携を意識した教育実践を特徴とした学校のようにみえるのです。

偏差値的にも決して高い学校ではなく、生徒たちに希望と誇りをもだせることが重要な教育課題であるような学校とみられるのです。このことは、大学進学をめざした進学高校にありがちな受験成績をあげるための型にはまった教育から解放されて、生徒の個性に合わせて自由性をもっている生徒の大いなる可能性を引き出させる高校であるようにも考えられるのです。高校名も報告ではなく、その高校でのカリキュラムの特徴や教育実践の報告は全くなかった。また坂の市の人口は、2万人ということの報告ですが、東高校の生徒が、どの地域から通ってくるのかわかりませんでした。現代の高校では偏差値的な進路指導によって、地域性がなくなっているのが現状ですが、ベットタウン化している坂の市地区にある東高校の場合は、どうなのか。本報告は、地域の側からの社会教育としての居場所づくりの未来応援の社会参加ということで、市民による未来応援コミュニティb―room「高校生の居場所」・家庭でもない、学校でもない、第3の居場所づくりの実践報告でした。この実践を主導しているのは、大分市の公民館に勤めていた人が退職して、公民館ではできないことということでした。

居場所づくりでは、すべてが正解、生徒自身の役割、コミュニュケーションを大切にして、可能性を引き出す自己決定と幸福感を目標としているということです。無人駅で写真館ということでの展示からはじめ、高校生が企画してのボランティア活動、公園をつくろうというボランティアのプロジェクト、ごみ拾いのブランティア活動、まちづくり協議会と連携しての自分の身近なところでの職場体験学習、養豚農家、米の農家での体験学習を実施しています。とくに、地域の農家からは、丁寧な米作りを教えてもらっています。田植えなどでは、高校生と地域の子どもたちと一緒に実施して、大切な交流の場になっています。

若者応援条例を大分市ではつくられていますが、高校生と市議会との話し合いの場がもたれています。家に、帰って、東高校の概略をインターネットで調べてみました。これらの活動が学校教育での東高校の地域と連携している特色ある教育実践とどのように関連しているのか、全く無関係なのかよくわかりませんでした。

第2の報告は、子ども食堂をとおしての、子どもの貧困化の問題を文化や心の問題までもおさえた報告でした。

子どもたちの言葉から、家にいるのが苦しい、むなしさを感じるという家庭の憩いの場が崩壊されている実態。子ども食堂で、これが家庭の料理だと知った。こども食堂をやって、子どもの貧困の状況がつかむことができたということです。子ども食堂で、友だちとの交流の場をはじめて気が付いたというのです。

バランスの取れた食事をいままでしてこなかったことがわかった。頼れる親族や身近な介助者がほぼいない家庭。長期に影響を及ぼす多重苦の連鎖。日々との「生きる」を支える子ども食堂の役割があるのです。どのようにして、子どもの希望を支えることができるのか。相談できる体制が実質的にない。親にとって、行政の当事者意識のなさ。

役所の手続きは疲れる。学校には責められるようで、苦痛の状況です。子ども食堂に来て、話せる相手ができたということです。子ども食堂は、最初の救済の扉になっており、それが学び合う場であると最後に報告者は強調するのでした。

この報告は、子ども食堂が経済的な問題ばかりではなく、多重化する子どもの文化や心の貧困を含めて、貧困の救済の場になっているということです。これらの問題に深く切りこんでいけるのが社会教育での学び場としての子ども食堂の役割であるということを強く感じました。目の前の子ども食堂にくる子どもたちに徹底して、つきあうことが、このような実践ができたということです。ある意味で、報告者は人間としてあたりまえのことをしていることが、学びの場の大切さを知ったということです。

第3の報告は、大分県県立図書館の社会教育行政を兼ねていることの報告でした。平成の市町村合併によって、地域の公民館の暮らしに根ざした学びが困難になったということです。県の行政として、それをどう考えて、従前の市町村の社会教育の役割を維持していくサポートができるかということです。

県は、直接的に社会教育の現場をもっているわけではありません。暮らしに役にたつ社会教育の行政の各部署との連携事業をどのようにすれば可能であるのか。それぞれの部署の教育的事業を調べて、社会教育としての予算化が大きな仕事とかんがえているという報告者でした。

学校と地域の連携・協働のとりくみは、まさに社会教育の重要な仕事になるというのです。不登校不登校傾向にある児童生徒の居場所づくりも重要とするのです。さらに、青年の学びなおしの応援も大切として、高校中退者で、働いている人に高校認定試験などの応援も予算をつけているというのです。学校を卒業した障がい者の学習提供支援も学びなおし事業として、予算化しているというのです。

この報告は社会教育の在り方を福祉での学習支援事業として積極的に考えて、県行政として予算化して、市町村での公民館の役割を再構築しているのです。暮らしに根ざした社会教育、公民館の再構築として、一般行政での教育的な役割を教育委員会社会教育行政として位置づけて、社会教育行政や公民館事業が衰退化して、縮小、廃止化の動きのなかで、戦っているという報告でした。