社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

住民の福祉要求運動と結合した事業展開のよさのうみ福祉会の歩みから学ぶ

 住民福祉要求運動と結合した事業展開ーよさのうみ福祉会の歩みから学ぶ

―京都丹後地域における障害者の生活・労働・発達の保障と地域づくり実践―

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上記の写真は、日本三景のひとつ丹後の港玄関口の天橋立です。丹後半島は、古代から独自に国家をつくったといわれ、大型の古墳も多数存在する豊かな歴史文化が存在するところです。日本海の自然の海流と風、地形、また中国大陸や朝鮮半島日本海側東北、北海道と九州、地政学的に豊かに交易の場として天然の良港がありました。そして、早くから水田ができる自然条件もあったところです。そして、伝統的に早くから丹後ちりめんとして、絹織物業が発展したところです。この地域が過疎化という厳しい状況におかれているのが現代です。

 

 社会教育・生涯学習研究所総会後の1時30分から3時まで講演を聞きました。講演は、京都丹後地域で活動するよさのうみ福祉会の実践です。その実践は、福祉を基軸に地域再生の取り組みを積極的にしています。講演は、その理事長の青木一博です。ここでは、公共をつくる民の力に依存しての障がい者の教育・発達保障、生活・労働と地域づくりとして、すばらしい実践的教訓があり、講演をとおして、多くのことを学びとることができました。

 よさのうみ福祉会は、京丹後、宮津、与謝野、伊根の4市町の区域で事業を展開しています。この地域は表にみる通り、豊かな歴史文化と自然条件のなかでも、厳しい大都市中心の中央集権、効率主義の新自由主義の弱肉強食の国際競争によって、半世紀の間に人口が50%ほど減っています。まさに、過疎化が進行している地域です。

  1970年 2000年 2005年 2010年 2015年 2020年 2025年
丹後 75187 65578 62723 59038 55054 50860 46691
伊根 4779 3112 2718 2410 2110 1928 1733
与謝野 28617 25593 24906 23454 21834 20092 18154
宮津 31603 23276 21512 23454 18426 16758 15044
合計 140186 117559 111859 108356 97424 89638 81622
 

 

 この地域は、伝統的に、 丹後ちりめんの絹織物で地域産業が成り立っていたところですが、その衰退も現在は進んでいるのです。伝統的に漁業と農業も盛んであった。しかし、厳しい国際価格競争を強いる貿易自由化で、農業や漁業の経営環境は、家族経営で生活する経済的自立も難しい状況です。後継者不足も深刻です。コメからおいしい酒造づくりも行われていた地域です。この地域は、経済の再生が、大きな課題になっているのです。このなかでのよさのうみ福祉会の事業展開です。

 この講演を聞いた後で、厳しい地域経済状況のなかで、一般的に、もっとも労働・生活の場が保障されていないといわれる障がい者を軸に福祉活動の事業を展開しているのです。自立への道として、あらためて人間としての個々の発達の権利のもつ普遍性との関連で、障がい者ばかりでなく、経済的に弱肉強食競争から立場の弱い多くの人びとの個人の私的利益を発達保障という人権へと普遍的に高めているのです。これは、公共の社会的発達になっていくのです。この関係性を深く考えることが必要だと思いました。

  このうえで労働と生活の自立していく学びの意味とはなにか、公共性と社会教育の役割とはなにかを深く考える機会になりました。これは、社会教育ばかりでなく、学校教育にもいえることであると思います。自立へのための人間らしく生きがいをもった労働と生活の場を保障していくための教育がすえられているのかということです。

  学校での学力の発達保障が、将来への豊かな労働と文化的生活を保障していくということで、個々の子どもや青年の個性を的確につかみ、未来への夢や希望を与えているのかということです。決して、画一的な学力競争ではないはずです。

  地域における民の力は、公共的行政機関を主権在民ということから人権を基礎として、暮らしの豊かさ、地域の人びとの幸福実現に変えていくことの民の力と行政権力・政治の関係性を明確にしていくことだと思いました。民の力のみに依存していくことは大きな限界をもっていることを知らなければなりません。その相互の関係が地域の自立のために必要なのです。

  それは、行政のみに依存を期待するのではなく、貧困からぬけることができない金銭のみの行政的依存ではなく、民の力として発達保障、労働を保障できる能力の高まりによって、自立していく道であると思います。そこでは、個人としての力ばかりでなく、地域集団としての力が求められているのです。つまり、地域の住民の人びとの学びを基礎として、それぞれの個性と役割を活かした人間的な能力発達、集団な創造的な力が形成されることも大切なのです。行政的権力・政治は、その条件整備や教育者の育成が決定的に重要なのです。

   そして、それぞれの教育や福祉、地域産業に携わる分野のリーダーの社会教育の役割、行政の本来やるべきこと、それを変えていく住民の力、そして、為政者と民の関係などを考える機会をつくりだすことも求められているのです。

 よさのうみ福祉会の実践報告から、運動のなかで、地域の人びとが学び、人間的権利を獲得していくために、行政権力、社会的制度を変えていく民の力をつけていく社会教育の意味を知らされました。

   とくに、行政権力、社会制度を変えていく中核に障がい者ということから恵まれていない民の生活・労働を第一に考えた運動が印象的でした。地域全体の経済が衰退していくなかで、もっとも困難をかかえる障がい者の労働と生活の場を保障していく運動です。このことは、福祉から地域の自立的経済の学びがあるのではないかと考えるのです。

  自立への努力が、もっとも困難であった人びとの障がい者を基軸に展開した教訓でした。教育という発達保障を実現していくことは、人間的能力を活かしていく素晴らしさがあるのです。ここには、発達保障を大切に、その人の持っている個性的能力を大切にしている健常者の支えと障がい者自身が持っている素晴らしい人間的個性の結びつきと同時に、社会を変えて、未来の共生社会を作り上げていく人間的連帯が大きく育っていくことだと思います。まさに、この実践は、多くの健常者自身に大きな影響を与えていることもあるとみられます。

 

   この民の力に社会福祉法人の非営利組織が推進していることが重要であると思います。恵まれない人びとが個人として、利己的に要求を求めても決して社会的な力になっていかない。

  富を集中している人が、欲望を絶え間なく肥大化させている新自由主義の横行する社会で、それを社会的にコントロールすることが、民の力として重要であります。それは、民の力が行政権力・政治と結びつくことによって、社会的コントロールと社会的公正の分配が税制度や財政制度で、可能になっていくのです。

  現代社会は、人びとの暮らしが孤立化していく傾向が強く、一方的な情報操作やデマがSNS をとおして平気で拡散していく時代です。

  大衆化社会状況は、100年前にファッシズムが荒れ狂ったときよりも組織やコミュニティを持ち得ない孤立化した人びとが増えています。また、バーチャルの世界でデマが拡散している時代です。

  民の力として、あらゆる形態の非営利組織と現実社会の矛盾解決していく実践的運動が必要な時代です。この組織を作り上げていくうえで、民の力は、決定的に重要になっています。この民の力は、それ自身の実践によって、恵まれない人びとの労働・生活の場が保障されるわけではありません。

   ここでは、行政的な権力を民のために変えていく社会的制度変革、国家財政制度を変える社会的矛盾の実践的努力が必要なのです。民の力によってのみで、恵まれない人びとの労働・生活の場の保障、自立の道の保障として、公共的役割が実現するのではありません。ここには行政的権力のもつ公共性の変革が大きくあるのです。

  よさのうみ福祉会は、民間の力を最大限引き出して、恵まれない障がい者の発達の権利や労働と生活の権利という福祉を基盤にしての利害関係を有する人びとの新たな関係性をつくりだしています。個々の閉鎖しがちな弱者、無権利の人びとがもつ孤立からの障壁を打破して、人間の発達保障と労働・生活の場を横断的につなげているのです。社会的な関係性が新たに生まれていることは特記すべきことです。

  障がい者の労働と生活の場の保障は、生きがいをもって自立していく支援活動でもあります。福祉の視点に労働と生活の場という自立への保障は、さらに、その他の福祉にかかわって生きている人びとにとって、人間的な生きがいとして、自立への道として大切なことです。

  障がい者ばかりではなく、十分なる労働と生活の場が保障されていない人びとに拡げていく課題があると思います。高齢者になっても健康で楽しく生きがいをもって生きていきたいという願いを持っています。人間は、それぞれの立場から、どんな境遇でも社会的意味・役割があるのです。生涯をとおして、どんな境遇におかれていても、その生きがいを発揮したいと思っています。

 

 ここからは、講演にそって、まとめと感想もふくめて書いていきます。よさのうみ福祉会は1980年に設立して、今年で45年を経過したということでしたが、それ以前の運動をしっかりとらえておくことが大切とのべていました。

  1948年に現在理事長の親族であった青木先生が1948年に理想を持った青年教師として与謝野町宮津小学校の教師として赴任したことから障がい者の発達保障の権利運動、その実践の実現がはじまったということです。

 

 教職員集団として、何度も職員会議のなかで問題提起して、大きな課題にしていったのです。つまり、制度がないなかでも独自に小学校の学校内に障がい児学級をつくる運動をはじめたことです。

  1951年に学校として、独自に実現して、その後に、京都北部には、20学校にひろがったということです。この学校独自につくった障がい児学級は、法制度が整備されるまで継続して、国に制度をつくっていくための運動の先頭になっていくのです。

 1962年に教職員集団が中心となって、養護学校づくり、障がい児教育義務制の設立同盟をつくり、1970年に独自に養護学校をつくりあげたのです。

  そして、1972年には、高等科で、はじめて卒業生を出すことによって、養護学校を卒業した子どもたちの労働の場を保障していくことが大きな課題となっていくのです。

 1976年に宮津共同作業所、1978年に峰山共同作業所、1979年に野田川共同作業所ができたのです。1970年代は、無認可作業所づくり運動の展開でした。同時に、全国的に共同作業所の運動へと発展し、2003年には、全国で6千か所の共同作業所が生まれたのです。この結果、完全な障がい者の労働・生活の保障を守るものではないが、障がい者の権利の基盤整備の社会制度が生まれたのです。

 京都北部での障がい児の発達保障の実践と学級づくりや学校づくりの運動は、全国的な障がい児の発達保障の権利制度の確立運動を盛り上げるうえで先頭になったのです。それは、単に、一つの閉じられた狭い地域の運動ではなかったのです。

 1980年12月に社会福祉法人のよさのうみ福祉会が設立されて、1981年4月から共同作業所の開設がされたのです。そして、1983年9月に障がい者の労働・生活施設をつくる会を発足させたのです。ここからは、障がい者が将来にわたって、生きていける生活・労働の権利の獲得へと発展していくのです。

 学校という狭い枠だけではなく、将来の進路保障が障がい者の人間のあたりまえの生活・労働の権利運動になっていくのです。ここでの学校教育は、子どもや青年にとっての将来の労働と生活の保障と結びついて展開したのです。

  このことは、一般の子どもや青年にも言えることで、障がい児教育の学校教育実践が共同作業所と結びついて展開されていることが、学校教育の在り方として、子どもや青年の将来の労働と生活のこと、進路のことで、普遍性をもっているのです。

 1997年9月には、地域の伝統的な産業の名をとって、障がい者総合施設「夢機織り郷」開設をするのです。また、1999年は、隣接地に高齢者総合施設「虹ヶ丘」を開設しています。

 さらに、野田川町を福祉の里として活性化させるねらいから3万坪の土地を購入して、あらたに、地域づくりの核に福祉を積極的に位置づけて、よさのうみ福祉会の総合的な事業展開をしていくのです。

  障がい児という福祉の分野からの高齢者福祉への拡がりをみることができます。これは、専門的な分業的思考ではなく、常に地域ということに目を向けながら、恵まれない地域の人びとの共同の連携への拡がりでもあるのです。

 よさのうみ福祉会の福祉事業を展開していくうえで、4つの基本理念を常に全職員が教育・研修をとおして、こころにきざみながら実践したていくのです。

  4つの基本理念をスローガン的に要約的にすれば、第1に、人間としての生きていくための必要な権利、第2に誰もが安心して生きていける地域、第3に一人一人の意見が大切にされ、社会から信頼されること、第4に基本的人権が保障され、平和で豊かな生活が守られること。(報告では、もう少し長い内容でしたが、わたしがメモした内容です)。

 日中の就労活動支援、暮らしの場の支援、相談活動支援、地域生活支援と力をとくに、注いでいくのです。

 

 福祉事業の展開で、大きな挑戦的なことは、与謝野町のリフレかやの里の再生のための指定管理制度で手をあげて、指定されたことです。このことで、地域を軸にして、福祉分野からの他の分野への連携事業にもなっていくのです。つまり、福祉の実現には、他の分野との連携事業が大きな効果を発揮していくことが理解されていくのです。まさに、畑違いの事業展開と思われたことが、福祉の事業を大きく発展させていく契機になっていくのです。

 もともと、レストランやホテルという、ここでの事業は、いうまでもなく、福祉事業とは全く無関係の経営者が起こしたものです。この地域でのレストラン・大浴場・ホテルの事業は、はじめた当初、経営がうまくいっていたのです。しかし、経営のよかったのは、長続きせず、大きな借金をかかえて倒産したのです。

 この再建は福祉分野で事業を展開してきたよさのうみ福祉会にとって、いままでの事業分野外で、全く新しい分野の挑戦で、容易なことではないことは承知していました。

  しかし、見方を変えて、労働の場を保障していく福祉事業として、積極的に位置づけて、再建の指定管理者として、手をあげました。専門的な業者も指定管理に名乗りをあげていました。よさの町は、あえて、専門的な事業経営者でない福祉法人のよさのうみ福祉会を指定したのです。福祉の里としての地域産業振興策の計画案が共鳴を受けたのです。

 障がい者の働く場所という福祉事業を軸に、地域農業の活性化としての6次産業の考えを取り入れました。地元果樹や地元野菜を使用してのジュースづくり、地元農産物のジャムづくり、バン工房づくりからおいしい特徴あるパンの販売、農産物加工の積極的な展開でした。よさのうみ福祉会は、障がい者の働く場所の事業を軸に、健常者との協力支援によって、レストラン・ホテル・温泉の事業をみごとに再生させたのです。この事業の展開に設備投資として、施設の基盤整備に、与謝野町から6千万円の援助を受けています。

 さらに、地域共生型福祉施設として、4つの法人が集まって、やすらの里の事業を展開していることです。ワークセンター花音の事業として、喫茶・レストラン、高齢者施設の給食、独居高齢者向けの配食サービスの事業をはじめたのです。また、やすらの里では、毎日の清掃事業も担当しているのです。

 宮津市内にあった3つの作業所も老朽したので、ずっと使っていない公共施設を借り受け改修して移転統合をしたのです。

 地域の循環的な産業づくりと結びついての福祉事業という発想として、与謝野町の職員の質を高く維持することも大切なことだという指摘です。これは首長の独断を許さないことにもなり、行政と住民の参加方式の充実に重要であるということです。

  地域経済の分析をやって、大手スーパーなどを地元につくれば住民の利便性や安価な品物が手に入るが、地域の循環的な経済発展につながっていかないということです。地元からの農産物の素材、加工品をとらないということです。

 里山づくりで高校生が地域との交流を積極的にしていることも注目するところです。卒業して地元に就職することばかりではなく、大都市に就職しても将来的に帰ってくる可能性をもつからということです。

 よさのうみ福祉会の事業の展開は、福祉として働く場所を保障していくことが、あらたな雇用や地域産業が生まれて、地域循環的な経済発展が生まれているのが、特徴ある出来事です。地域の生活に密着した福祉の充実は、地域の循環的な経済発展にむすびついているということです。

  ここには、住民と共に、福祉事業を地域生活や地域の産業、地域の資源と結びつけることによって、連携できる農業や地元の事業者との関連ができていくのです。

 さらに、よさのうみ福祉会の理事長として、行政との関係は、町の産業振興委員、公共施設あり方委員会統廃合委員をしているということです。町の商工会員にもよさの福祉会としてなっています。農協との関係は、農業と福祉との連携事業で関係をもっています。

  同時に、農業生産法人との関連をもっています。また、京都北部の歌声祭典には全事業所が参加して、京都北部の地域の民主的な団体との交流の大きな機会にもなっているということです。

 よさのうみ福祉会の事業は地域循環経済に寄与して、大きな雇用を生むという豊かな労働という福祉事業活動を産み出したということを証明しました。

  鹿児島県の南大隅町は、最も鹿児島で過疎化しているところですが、そこでの社会福祉法人白鳩会は、知的障がい者の仕事場を健常者と共同の作業のなかで、大きな経営的成功をおさめています。そして、地域循環経済に大きく寄与して、大都会の協同組合と連携しての活動を展開しています。さらに、独自のサテライト販売所をつくり外からの人びとを招き入れるイベントや教育事業を展開しています。

 まさに、農業と福祉の連携、食品加工やレストランなどをとおして、事業展開をして障がい者の働き場所、生きがいの場、生活保障と同時に地域循環経済に大きく貢献しています。しかし、町全体の経済浮揚という面からみれば部分的に過ぎず、過疎化の進行はとまらないのです。与謝野町ではどうなっているのか知りたいところです。

 このことは、上からの大型補助金の上からの強引な権力的な金銭を業者にぶらさげての箱作りづくりという発想からの地域産業振興の取り組みの影響も受けやすい構造もあるのです。南大隅町では原発のごみ処理の受け入れで大きく町が揺れて、結果的に住民の反対多数で、ストップされましたが、公共事業や箱もの開発をめぐる補助金問題では、難しい問題が潜んでいるのです。

 常に、地域の資源を大切にして、地域の循環経済を重視して、住民の暮らしや福祉の発想を大切にしての住民参加、住民の意見を重視していくことが問われているのです。この問題は、単純ではなく、市町村長と中央政府補助金行政と結び、選挙と絡んでの金権的な複雑な地域の権力構造があるということです。

 この問題は日本の全国で起きている大きな社会的な問題である思います。目先の問題として、大型の補助金による開発施策は、地域へ金銭が落ちていくという期待が大きくあるのです。土地の買収などでは、過疎化している地域では常に起きる問題です。

  ここには、大きな課題として、住民と共に将来の地域循環経済を見通していく学びがあるのです。その学びによって、長期的な見通しての地域の発展施策が出てくるのです。

 それらは、数々の難しい課題になっていくのですが、地域の暮らしや地域の農業をはじめ、伝統的に培ってきた産業をどう継承していくのか、また、地域の貴重な資源を活用した新たな産業づくり、地域資源を活用しての地域の住民ばかりでなく、外からの教育受け入れ、観光業をどう発展させていくのかという様々な課題があるのです。

 過疎化した農山漁村では、それらを共通の課題としてとらえていくことが求められているのです。とくに、社会教育や学校教育の関係者のリーダー性の役割は極めて大切なことでだと思います。

   過疎化したところでも、地域再生のために多くの自治体が知恵をしぼってがんばっていると思います。過疎地域指定がはずれ、県内でもトップクラスの所得をあげるようになった町村が鹿児島県にあります。その町村は、大隅半島の大崎町です。巨大古墳遺跡があるところで、昔から海流をとおしての交易地帯でもあったところです。

   現在は、ゴミを100%循環させると取り組んでいるところです。分別を徹底させてリサイクル日本一の町村です。うなぎの養殖に力を入れて、福祉事業と地域再生にも積極的に取り組んでいます。じゃまであった竹を資源として、新たな食品加工産業のメンマをつくりだして農福連携事業で表彰されたところです。

  特産物づくりに工夫して地域住民が新たな所得をあげるように努力しているところです。個々のレベルから地域としてのレベルに高めているところが特徴です。そして、外国人労働者を積極的に雇い入れているところです。地域循環経済として、持続可能な発展としてのSDZs留学という試みもしています。

   全国的な地域再生の取り組みを社会教育から分析して未来への持続可能な地域循環経済のための再生活動や共生社会づくりをめざしていくことを期待するものです。