「日本経済の死角-収奪的システムを解き明かす」河野龍太郎著・ちくま新書を読んで
はじめに・問題意識

30年間の経済停滞、格差の拡大、国民の暮らしの貧困化など、厳しい状況が日本の状況だと思います。未来に対する希望をもつ人が極めて少なく、無縁社会のなかで生きる人々も多く、国民の不満や不安が広範に噴出しています。そして、社会的混乱や退廃が生まれているのが今日の日本です。
これに対して、日本政府は、経済のしくみを変えていく再事業投資や人材養成などの有効な政策遂行することができず、赤字財政で借金で国債を拡大して、日銀が大量の国債を買入れ金融緩和している状況です。また、労働者に対して、厳しい非正規拡大とリストラなどの競争主義をおしつけている状況です。さらに、裏金問題などの政治と金の退廃問題も現実的に放置のしたままになっています。
一方で、企業の内部留保600兆円と巨額という諸外国からみると特殊のことになっています。そして、従前どおりの経営で、利益剰余金を新たに発展が見込まれる分野にリスクをにわがり、内部留保存在から安定志向によって、投資していない状況です。そして、大富裕層と一般国民の格差は一層に広がっている状況です。真正面から日本の30年間の経済の停滞と格差矛盾の問題に向き合う政治的施策の棚上げです。
この意味から社会的な経済の民主的コントロールが、政治の力で、社会的市民運動、労働組合運動などによって、豊かな文化的な未来への暮らしのために社会保障の充実と、日本の停滞した経済を打ち破るための政策遂行の政治が必要になっているのです。このことは大局的に、大企業のもっている社会経済的影響力から、その民主的なルールの確立で大企業の国民の暮らしを豊かにする社会的貢献が可能になっているのです。
しかし、国民の暮らしに対する不満や不安がいわゆるリベラルの政治勢力ではなく、右翼的な排外主義、外国人労働者排斥、細かな小手先の施策で、手取りを増やしすというアピールで大幅な議席増によっての政治的な影響力を強めているのが現実です。
また、デマが飛び交って、まともな国民の暮らしを豊かにしていくために、構造的な本格的政策論議もできないように思います。国民の政治的な教養は、選挙をとおしての政策論争で、高まっていくことが本来の姿ですが、それには、大きな乖離があっるのが現実だと思います。
現実の国民の暮らしの抜本的解決である日本経済の社会的な民主的ルールによって、大企業の大量の内部留保の積極的な活用施策や大企業と大富豪の増税策によって、中小企業への支援策、日本全体の勤労者の給料の大幅値上げ、社会保障の充実によって、国民経済を発展させて、国民の暮らしを豊かにすることができるのです。
多くの国民が給与生活者になっている状況で、給料を抜本的に値上げしていくことが、国民の暮らしを豊かにしてことです。そして、これを基盤にして、日本の国民の消費意欲の増大が日本の経済を大きく立て直すことが出来るのです。これには、まずは、最低賃金を緊急に全国一律に1500円にアップしていく施策をとるべきです。日本政府も最低賃金の1500円値上げの必要性は認めているのですが、それは、すぐにはできないというのです。生産性を上げながら段階に引き挙げていくという立場で、大企業の大幅な内部留保の根本問題にふれないのです。
国として独自にできることは、公務員の賃金を大幅にアップです。そして、国家や地方自治体が発注する事業に、大幅な賃金のアップをすることです。これを競争入札の条件にすべきです。これらは、政府や自治体主導で賃上げをすることができるのです。この施策の推進によって、政府や国会の役割があります。
また、経済の面からの大企業の民主的なコントロールによって、大企業の社会化してしていることによる本来の社会的責任役割を発揮することができるのです。このことによって、文化的に明るい豊かな日本の未来への展望が開けていくのです。
「日本経済の死角ー収奪的システムを解き明かす」河野龍太郎氏の著作は、日本の長期停滞の原因、アベノミックスの3本の矢の戦略誤りをわかりやすく解説するもので、大変に勉強になりました。
なぜ収奪的な経済システムに転落したのか
アベノミックスの実験は、株価が上がっても経済成長なし、実質賃金は低迷、大胆な金融緩和施策・機動的な財政施策・民間投資の喚起による経済成長の挫折であったのです。また、岸田首相の新しい資本主義も未完に終わったというのです。これらの施策は、潜在成長率の引き上げにならなかったのです。
日本は生産性が上がっても実質賃金は横ばいということです。1998年から2023年までの生産性は累計で30%上がっているが、実質賃金は横ばいのまま。米国は、50%の労働生産性ですが、実質賃金は30%の上昇。欧州は、日本よりも労働生産性は低いが、ドイツは、25%の労働生産性の上昇で、15%、フランスは、労働生産性20%程度であるが実質賃金は20%です。
ノーベル経済学賞を2024年に受賞したアセモグロとロビンソンの二人は「国家はなぜ衰退するのか」という著作で、衰退する国家は収奪的であり、一部の社会エリートが富を独占しているということで、その国は衰退するとしています。繁栄する国家は、包摂的であり、幅広い人々が政治的プロセスに参加して、権力が分散されて、自由競争と技術革新が奨励されて豊かさを分かち合うと、経済は発展するというのです。その本の内容を河野氏は紹介しています。
日本は儲かっても溜め込むという大企業を支える社会政治構造があるというのです。大企業の経営者は、コロナの危機で売り上げが急減しても倒産やリストラを避けられたのは、溜め込みのおかげで、危機を乗り越えられる成功体験として、溜め込みを合理化しているのです。溜め込みという大企業の守りの経営が日本経済を停滞していることを本来の循環的な累進的な経済発展の積極性をとらないのです。
さらに、企業の溜め込みということは、不良債権問題を経験したことで、利益剰余金の増加は、賃上げや投資に向かずに、貯蓄ということでの安全性の経営ということになっていくというのです。不良債権問題の解消はコストカット、リストラに邁進したのです。過剰雇用や過剰設備ということで、支出を抑制していくということであったと河野氏はのべます。
利益剰余金を溜め込むための支出の抑制は、企業の前向きの設備投資や採用行動、人材育成を困難にしていったというのです。不良債権の解消後も、守り経営の定着は、賃上げや人材育成などの人的投資抑制や設備投資抑制ということで支出抑制を続けたのです。
本来の企業の社会的な役割である利益剰余金がでれば、それを賃金の上昇や設備投資、人材育成ということに振り向けていくのです。しかし、バブル崩壊後の様々な金融危機、東日本大震災、コロナ危機ということでの危機のときに、経営が継続できたのは、利益剰余の溜め込みができているからだと守りの経営を続けてきたのです。
日本の大企業の風土に守りの経営は、危機の到来によってより一層に深められていくのです。大企業は、守りの経営姿勢のなかで、どのようにして、利益剰余金を溜め込んでいくのかということで、非正規職員の増大、賃金の抑制、競争主義や成果主義を積極的に導入したのです。
そして、強制ではなく、自発性をあたかも尊重しているかのように長時間労働という収奪的なシステムが強化されていくのです。日本の伝統的な経営手法であった、職場での集団の力を生かしての創造性、改善の提案などの職場で積極的な意見交換ということで、生産性を上げていく文化が、競争主義と成果主義に置き換えられて、目先の生産効率性によっての管理主義が横行していくのです。
このことが、日本国民の消費停滞によって、日本経済の停滞、さらには、落ち込みを加速していくようになっていくのです。ここには、人材養成のしくみや職場や同一職種、または、同一分野での研修や研究会によっての創造的な工夫の改善などが停滞していくのでした。
この研修や研究会は、労働組合によってもみずからの労働の誇りとその改善などの取り組みが行われたのです。とくに、国民と直接にかかわる分野での地方自治体の労働組合、教育者の労働組合、協同組合の労働組合などは積極的に自分の仕事専門性を高めるていくことを国民の暮らしサービス労働との関係で研修が行われていったのです。
労働者の仕事に対する個々の誇りの教育、人材養成、自主的な労働者の研修など、それらがないがしろにされて、溜め込みの守りの経営ということが、日本経済の長期の停滞の大きな原因であれば、どうやって、大企業に対する民主的コントロールをするのか。本来の利益余剰金を、賃金にまわすことができるのか。そして、新たな設備投資をにするか、人材育成にまわすという好循環の経済のための経営に是正していくのか、この具体的方向性が大切なのです。
マスコミや労働運動・市民的な運動なども含めて、大企業の経営姿勢や社会的、政治的に民主的なコントロールが必要になっているのです。大企業の存在は、資本主義の発展の結果の巨大な経済の社会化です。
決して、自由競争時代の小自営業者がひしめく状況ではないのです。中小企業も経済的に支配する状況になっているのです。経済の社会化の進展と、現実的に、私的な巨大資本との大きな矛盾が現れているのです。利益のみの追求では、矛盾の解決はできないのです。まさに、大企業の社会的責任、社会的貢献ということが重要なテーマになって、大企業モラルが追求されるのです。
社会全体の大きな位置として、役割をもっている大企業の民主的なコントロールが求められているのです。それをしていかねば、暮らしを豊かにしていく経済の発展が正常に発展していかない時代的状況です。その民主的な方法を具体的にどのようにしていくのかかが、大きく問われているのです。
この意味で、自由で、民主主義的な社会的コントロールということでの新たな市場に対応しての民の暮らしを第一とする社会権の保障、社会保障の充実、労働の社会的役割からの人材育成や研修を保障して、労働者の仕事に対しての誇りをもって生きがいを充実して楽しく暮らせる社会主義像が模索されていくのです。
河野氏は、定期昇給2%弱でもインフレによって、実質ゼロベアとしています。コロナ後のインフレによっての物価高によって、賃金の目減り解消にベースアップが行われているというのです。定着したのは、実質ゼロベアであるとしているのです。
メインバンク制の崩壊と大企業の溜め込み経営姿勢
コーポレートガバナンス改革として、メインバンク制の崩壊が長期雇用制の崩壊をつくりだして、賃金抑制、人材教育を疎かにする構造が生まれたとするのです。メインバンク制は、企業に対して、融資や経営上の助言や監視を行い、経営が悪化した場合は、再建支援や追加融資などを行ってきたのです。メインバンク制は不況が訪れても法範囲に雇用リストラを避けるために機能していたのです。
1990年代の金融危機をきっかけにメインバンク制は崩壊したのです。メンバンク制の代わりに企業の利益剰余金の溜め込みがはじまったと河野氏はのべます。長引く日本の経済の低迷は、ゼロ金利政策によって、円での預金よりも外国投資に動いていきます。家計でも貯蓄には、金利の高い海外投資に動いていく傾向が生まれていきます。これは、将来への生活設計で、精神的な不安要素を増していくのです。
家計の分野に従来の安定的に金利がついて、定期貯金などに貯蓄していくことがなくなっていきます。そして、株式などの投資へと庶民も動員されていくのです。いままで、企業ガバナンスなどもしらなかった一般国民がそれぞれの上場企業の経営理念や状態に関心を示すようになっていくのです。
政府は、1990年代に金融ビッグバンの一環として、企業統治改革(コーポガバナンス)改革を加速させるのでした。企業経営者が株主の利益最大化と整合的な行動をとるような環境を目指したのです。
ここで企業統治にとって、大切なことは、株主のメリットだけではないということを忘れてはならないと河野氏は強調するのです。株主からの利益追求が強まると時間をかけて人材を育成することが難しくなり、企業買収買収市場がひろがっていくというのです。
そして、長期的に企業統治を考えていく経営者ではなく、短期に利益をあげて、株主に利益を与えていくことに中心になっていくのです。株主は、長期的に、その企業を支えていくのではなく、短期的に利益をあげていく志向が強くあるのです。企業買収も株の多数の買収からはじまり、大株主、過半数への獲得という攻防が起きるのです。株主は、有限責任で株式を売却すれば企業との関係は切れるのです。
企業のステークホルダーと社会的貢献
企業は、ステークホルダー全体の経済厚生の増進をはかることで、株主はそのひとつで、利益の分配に株主の絶対的優先権があるわけではないのです。従業員、顧客、取引先、地域社会、行政機関などの企業を取り巻く直接的、間接的に影響を受ける利害関係者のなかで、考えていくことが必要です。
とくに、直接的には、従業員の給料の値上げが生産の現場で価値を生み出して人たち労働の役割を重視するという意味で、極めて重要なことです。また、顧客の利害関係ということでも実際の作り上げたものの消費やサービスを受ける人々で、経営を継続していることに、顧客の満足も経済行為にとって、基本的なことなのです。作ったものが消費されなければ生産は止まってしまうのです。
過剰生産は、消費量とその満足度の継続性から離れていくことによって起こるのです。企業は、広告などをとおして、売れるために、積極的な努力をするのです。消費者の多くを占めるのは、資本主義の発展によって、労働者の比率が高くなっていきます。
国内消費における給料生活者の比率が高まっていくことは、給料の値上げが社会全体に進むことです。このことは個々の企業の継続性にとっても大切な要因であるのです。グローバル経済のなかで、国内の消費だけではない側面もありますが、日本のような高度に発達した資本主義では、国内消費の割合が6割以上と、高い構造になっています。賃金という給料の値上げが経済の継続と発展性に大きな位置にあるのです。
筆者の現在、別荘の開発に住んでいます。別荘住宅800戸、200世帯が定住しています。この開発は大手の住宅産業によって、環境保全型の別荘開発でした。別荘の中心には、ホテルが建ち、そのなかで、レストランやお土産品の店もあり、コーヒーを飲める喫茶店もありました。
当初は、国際音楽祭の会場になって、世界的なクラシックの音楽家と、その人たちに学ぶ演奏者の合奏を定額料金で楽しむことが出来ました。音楽祭を作り上げていくうえで、大きな役割を果たしました。現在は、県の音楽ホールが地域に建てられて、その役割はなくなりました。また、様々な研修会・研究会、地域の行事にホテルが積極的に利用されていました。
別荘や地域の人々が気軽に集う場と楽しみ、学ぶホテルでもあったのです。それぞれの別荘に、外からお客さんがきたときもホテルがあってこそ、便利に食事などに利用することもできたのです。
また、ときどき朝市ということで、ホテル前の広場で近辺の農家販売にきていました。地域の人々は、このなかで自治会をつくって、懇親と別荘以外の小学校の校区の人々とも交流をすることができるようになりました。別荘に隣接する他の観光牧場業者などと協力して、別荘開発したホテルなどは、協同で夏に、花火大会なども行いました。
別荘に住む人々の特技を生かして、様々な趣味やおけいごごと、コンサートなどをホテル近くの集会場で行われるようになりました。他の小学校校区の集落に比べると、小学校の地域の催しに別荘の人々が最も多く参加するようになりました。
国内の様々な分野や方法の観光の発展によって、地域経済も大きくのびていくのでした。年間にホテルの近くにある神宮は、年間200万人も訪れる、観光牧場もにぎわっていくのです。
ホテルは、その拠点の宿泊施設、観光客の温泉入浴施設として、機能していたのです。それが、大きな転換点は、2010年代からの日本経済施策の三本の矢を背景としてからのインバウンドと日本人観光客の減少でした。日本人が観光客がホテルを利用するを敬遠していく傾向が生まれたのです。多くの地域発展に貢献してきた実績をもっていた別荘のホテルですが、なんら説明もなく、突然にホテルの一方的な閉鎖と売却されたのです。
別荘やホテルを開発した住宅企業は、国際的なな資本として、海外で工業団事業や住宅販売を展開して、大きく発展した企業になっています。このなかで、不採算部門は切り捨てるという経営を展開するようになり、総合生活産業としして、社会貢献をしながら営業の転換であったのですあが。
ホテルの撤退は、地域活動の様相が大きく変化したのです。テニスなどのスポーツができなくなりました。ホテルの売却以前から廃止されてレストランの営業の廃止などが行われていました。別荘管理とホテルが一体となって快適な別荘生活が大きく変化したのです。
生活総合産業として、別荘を開発した企業ですが、会社の組織が分業化して、ホテルと別荘管理が分離して、さらに、社員の家族住宅もなくなり、社員も地域の一員としてかかわっていたことも消えていったのです。企業の地域との関係も切り離されていったのです。
中心は、住宅産業ですが、総合生活産業として、様々な側面をもって、ステークホルダーも多様性をもちながら、顧客と地域と結びついていた事例だと思っていました。市町村合併以前は、5千名ほどの小さな地域の自治体には、固定資産税、所得税と大きな税金納入者になっていたのです。
企業理念を大切にして、企業の利益を社会的責任を果たすことによって、多くの人々から信頼されて、企業に対する同調心をもってフアンも増えていくものであると思うのです。直接的に顧客と結びながら営業を展開していく企業であれば、なおさらです。
国民全体の暮らしが厳しくなり、消費意欲も減退しているなかで、企業として、どのように利益を確保いていくのかという大きな課題が突きつけられているのだと思います。とくに、地方経済は、少子高齢化ということで、過疎化が進行して、地域住民自身の暮らしの余裕もなくなっている状況です。
地域経済に根差しての経営は大企業にとって極めて難しいのですが、創造性をいかしての新たな産業の掘り起こしを地域の資源と人材からつくりだしていくという基本が必要です。この前提にたって海外投資もありうるのです。海外投資が地域の経済と好循環になり、海外投資した国との共生にもなっていくのです。
経済的に余裕をもっているのは、大都市の富裕層です。また、インバウンド対象の海外の富裕層です。日本の円の価値が下がることによって、より海外の観光客は、サービスと設備が、すばらしい文化をもっている日本への観光人気は高まって、多くの外国人が訪れることは当然だと思います。
従前の価値観では、対応できないことがたくさん生まれているのが現実です。しかし、地域社会の持続可能性をもって、地域に暮らす人々を大切にして、地域の素晴らしい歴史文化を継承していくという経営の社会的責任の理念は大切であると思います。
企業の社会的責任(CSR)は、国際的な合意事項でもあります。ステークホルダーと共に、環境に配慮することなど、利益追求だけではなく、社会全体の持続可能性が重視されるようになったのです。ISOでは2010年に、7つの原則を定めています。それは、1,説明責任。2,透明性。3,倫理的行動。4,ステークホルダーの利害の尊重。 5,法の支配の尊重。 6,国際行動規範の尊重。 7,人権の尊重です。
企業の人材養成放棄の構造と経済の停滞性
ところで、長期雇用で大切なことは、賃金の上昇と人材の育成ということであったのです。人的資本に投資することが抑制されて、実質的それが機能しなくなったとするのです。とくに、非正規雇用という収奪システムは、賃金の抑制に大きく機能して、正規の長期雇用制を維持するための収奪的二重労働市場制と河野氏は、この問題を強調するのです。
非正規雇用制は、日本の雇用の4割を占めるようになって、景気調整弁になっているのです。そこでは、教育訓練の機会が乏しいのが実情です。日本は、少子高齢化ということで、深刻な労働力不足という状況に、おかれています。とくに、地方は、深刻な状況です。
この労働力不足によって、賃金の上昇にならなかったのが、日本の非正規雇用の増大によって、穴埋めしていったことです。それは、高齢者の嘱託契約という労働参加率の高まりであり、未経験で、短時間でも働ける女性の労働力率の上昇であった。
ここでは、長期に安定的に高い労働能力の向上を持って働ける雇用ではなく、景気循環的な調整弁的労働力ということでの労働力確保であった。これは、外国人労働者の雇用でもいえることです。終身雇用制によって、企業の労働者に対しての教育、職業訓練は当たり前のように行われてきたのが日本の企業経営の特色でした。
若年労働力を雇用して、企業内で一人前の技能労働者、一人の社会人として教養人として企業は育てることを社会的責任としてもっていたのです。中学校卒業生を金の卵として雇用する場合に、企業として高校教育の保障したところも珍しくなく、企業として、定時制の高校をつくっているところさえあったのです。
このように、不安定労働力の増大ということで、深刻な労働力不足が補っていくという決定的に労働力の質の向上によって、企業の継続的な経営ではなかったのです。このことは、質の高い労働力確保を長期に確保していく戦略ではないことから、企業の積極的な創造的な労働ということにはならなかったのです。
いわれることはやるが創意工夫して、仕事に立ち向かうということではなく、義務的に機械的に仕事をこなしていくという粗悪な労働の再生産による管理労働と成果主義の導入であったのです。上司を常に気にかける官僚制の労働も進行していくのです。
人件費を抑えることが、著しく変動する景気に対応できるという2010年代以降の深刻な労働力不足は、長期な視野をもっての雇用と人材養成、創意・創造をもつ質の高い労働、集団的な絆をもっての支え合って質の高い生産をめざす労働ということが疎かになっているのです。世界的に複雑な社会 経済情勢と未来への筋道がみえにくくなって、くまなく変わる経済状況では、企業自身が長期的な視野を持ち得なくなっているのも現状です。
このような状況では企業理念を常に堅持して、利益至上主義ではなく、社会責任の自覚のなかで利益を維持して、拡大再生産をしていく視点が極めて大切な時代なのです。日本が経済成長していた時代は、良好な雇用環境で働く正社員が増えていました。
しかし、日本の経済の停滞に入っていく時代は、非正規の雇用が増えて、賃金は低く抑えられる。そして、教育訓練のチャンスもない環境の雇用労働者が増えていったと、労働者を収奪していく雇用システムが増大していったと河野氏は指摘するのです。この収奪システムに政府が大きく関与していることも見逃せないのです。
小泉純一郎首相時代の社会保障制度改革も大きく影響していると河野氏はのべるのです。高齢化で膨らんだ社会保障費を現役世代の雇用者の社会保険料値上げというサラリーマンの負担増で対応したのです。
この方法の方が、社会的反発を受けないということで、実施したのです。社会保険料の増大は、企業の人件費拡大にもなり、人件費抑制の引き金になったということです。人件費抑制としての非正規労働者の増員要因にもなったと河野氏はみているのです。河野氏は社会保険料の値上げという方策ではなく、消費税で負かっていれば非正規労働者を増やさなくても解決できたとするのです。
中小企業援助施策の重要性
大企業と中小企業との経営基盤の格差も大きく、剰余利益も大きな違いをもっています。中小企業での労働者の給料の値上げは、独自の経営努力では難しい側面が現実にあるのです。日本で、中小企業で働く労働者の最低賃金の値上げは、大きく経営に影響を与えていくのです。
中小企業の生産性をあげることが、給料値上げの雄一の施策ということで、企業の自助努力、自己責任ということにはならまいのです。ここには、中小企業支援策の国の税制の役割が大きくあるのです。
また、公務員の給料の値上げは、政府や地方公共団体でできることです。公務員においても、非正規の低賃金の不安定な労働者群を積極的に作り上げているのです。地方公共団体での首長選挙でも公務員の削減が大きな政策話題になっているのです。むしろ、公務員削減は選挙民から歓迎される傾向になるのが現実です。
さらに、公共事業の発注に際して、条件に、給料問題を条件に課していくことも大切なことです。大企業の経営論理だけでは低賃金の給与問題は解決しないのです。むしろ、大企業に対しては、非正規労働ではなく、教育訓練を保障し、雇用の安定を保障していく経営を率先して、遂行し、給料の値上げをはじめ内部留保金の積極的活用が大切です。そして、大企業に対しての政府の課税が大きくあるのです。
日本の非生産部門で、時間当たりの収入が低いという生産性が低いということがいわれますが、それは、消費者のお買い物徳感ということで、2万円の価格と考えても、それが一万円で販売されるという消費者余剰が発生していることが大きな原因と、河野氏はみるのです。
非生産部門で、時間当たりの収入が低いのは、消費者余剰ということで、多くのサービスや販売次元で実際よりの消費の値段感よりも極めて低く抑えられていることだとしているのです。
ここには、一生懸命働いても企業利益にカウントされない側面があるのです。消費者余剰の消滅はどのようにしたら可能であるのか。日本は特別に消費者余剰が強いと河野氏は指摘するのです。
ここにも賃金が上昇していかないことで価格の上昇を受け入れるよりも安売りのお得感が大きくあるのです。安売り合戦、特売という安売りに消費者がとびついて買い物をしていく構造についても、詳しくみていくことも必要であると思うのです。
また、国が直接的に負担するように社会保障制度のアップグレイドを図るべき時期であったとするのです。政府は抜本的な社会保険制度のアップグレイドを怠ったことにあるとするのです。
少子高齢化という時代で、社会保障の財源をどのようにしていくのか、これは極めて大切な課題になっているのです。国の直接な税負担制度も含めて、社会保険制度のアップグレイドを税の仕組みも含めて、改める時期になっているのです。
大企業の海外投資と日本経済停滞
大企業は、利益剰余金の運用に、海外投資を活発化させていくことも大きな特徴です。そして、海外の利益は大きく膨らんでいるのも日本経済の停滞のなかでの特徴です。対外投資ということは大きな落とし穴があることを決して忘れてはならないのです。
河野氏は海外投資は、国内経済に恩恵はあるのかと問題提起するのです。大企業は国内では個人消費が低迷しているので、国内の売り上げが増えず、採算がとれないということで、国内の設備投資を控え、海外投資に積極的になっていく。これは大きな誤りであると河野氏は指摘するのです。
多くの大企業が、日本でなく、海外投資をすれば、日本経済に深刻な影響をもたらしていくということです。日本の経済に反映していかないからだと。日本の経済の低迷は、大企業自身の賃金抑制からの国内の個人消費が盛り上がらない根本があることを見落としていると河野氏は強調するのです。
大企業は儲かっても溜め込んで働く人々の給料を低く抑え、国内の投資を行わないということで、日本の長期経済の低迷の根本を作り上げているのです。大企業自身の社会的役割として、国内の経済を支えていることの根本を忘れているのです。
日本の貿易収支赤字という現象でも海外の投資により利益の日本への還元ということで、高水準の経常収支黒字があるのです。これらは、日本の働く多くの人々の生活向上につながっていないからです。むしろ、日本の地域経済の悪化に拍車をかけているのが現実なのです。
さらに、河野氏は、海外投資は本当にもうかっているのかと問題提起をするのです。投資は常にリスクをかかえ、海外投資は、損失を伴う場合が大きくあるというのです。海外で企業買収を行う場合に、過大な上乗せ割増金を支払うことが起きるのです。為替の変動による特別損失も起きます。
また、政治の大きな変化や法律の大改正なども起きます。東日本大震災によって、原発関連の産業も大きく変化し、今までとは全く異なる大きな安全設備費がかることになったのです。国内でもリスクは常に伴いますが、海外ほど劇的な変化はありません。
また、その変化も国内であれば敏感に即座に対応できるのです。海外投資はリスクが大きくあるので、日本での設備投資をやめるばかりではなく、生産基盤を縮小したり、廃止すしたりして、撤退すべきではないのです。そのことによって、地域経済に対して、甚大な被害を受けるだけではなく、自らの企業存続にとっても大きなマイナスになることがあるのです。
海外投資は、リスクも考えて、日本の地域経済を維持していくという企業のもつ社会的責任を十分に理解して行うことが原則だと思うのです。企業の当面の利益至上主義によって会議投資を行うことは、日本国民に対しても背信行為でもあるのです。
大企業は国境はないとして、世界に利益至上主義を求めて活動していくのが、グローバル時代の経営の動きです。この場合に、日本での企業縮小や撤退は、日本の労働者と地域社会に大きな影響を及ぼすのです。企業規模が大きければはかりしれない影響をおよぼすのです。この社会的責任を倫理的な問題としてどのように考えるのかということは大きな課題です。
とくに、そこで働いてきた労働者の従前の生活破壊が起きるのです。円安は海外からの輸入品が多ければ、それ相応に苦しめられていくのは国民です。国民の暮らしに直結する生活に必要なものや農産物は、すぐに物価高の影響を受けるのです。
まとめ
日本経済の停滞の原因に、給料を抑え込んできた大企業の責任が大きくあるのです。給料を大幅に値上げして、国内の消費を拡大していくことが極めて大切なのです。大企業が膨大な内部留保金ということで、守りの経営姿勢から積極的な働く人々の給料を値上げして、暮らしを豊かにすることです。このことによって、仕事のやりがいをもって労働意欲が喚起される基盤ができるのです。
そして、長期的な視野で人材養成をし、企業内教育・研修を活発化させていくことです。さらに、国内での設備投資を基本に、切り捨て論理ではなく、積極的な経営姿勢が求められているのです。
大企業の守りの経営姿勢から 積極的な経営姿勢に転換させていくためには、国や地方自治体の役割があることが極めて大切なのです。まさに、民主的な経済のルールづくりが求められているのです。
同時に、社会権を確立していくために、社会保障・社会福祉の充実やが求められているのです。同時に長期的に積極的な経営姿勢をつくりあげていくためには、働く人々が仕事に主体的になり、広い意味での経営にも参加していける人材養成、労働者教育が必要なのです。
さらに、見落としてはならないことは、大幅な給料の値上げをすべての企業に実施していくうえで、中小企業対策が不可欠です。大企業と中小企業との対等な関係は、経営の基盤の大きな格差が現実にあるのです。従属的な関係ではなく、対等平等にしていくためには、中小企業に対する民主的ルールづくりと援助の体制が必要なのです。
日本の経済の停滞を打ち破るためには、国家や地方自治体の経済の民主的なルールづくりと社会保障・社会福祉の体制づくりが必要ということなのです。新自由主義的な市場原理による競争と自己責任では決して日本の国民の暮らしを豊かにしていく経済発展にならないのです。