2026年の新年にあたって考えること
ー日本の未来と日本の現状の危機


新年あけましておめでとうございます。難しい激動する社会に、人類的な未来を常に求め、今年は楽しく前向きに一歩一歩と前に進めたらと思っています。 このために、自分の歩んできた道、自分の書いてきたことをじっくりと見つめ、多くのことを学びながらまとめていく作業もしたいと考えています。支えてくれたまわりの人たちに感謝しながら。
今年も積極的に自分のできることで、日本の未来へのために地域から探究をしていきたいと思っています。日本の未来を考えていくうえで現状を深く知る必要があると思います。
現状の問題は、第1に、世界の平和共存が崩されていることです。ウクライナ戦争やガザでのジェネサイド、さらに、アメリカのベネゼ攻撃です。また、日本との関係では、台湾の緊張問題です。国連憲章や国際法というあたりまえの世界の平和秩序がおかしくなっているのです。台湾の緊張を煽ることは、東アジアの平和協力体制の危機です。現状は、中国との平和共存、友好共生関係が重要です。日中平和友好条約を1978年に結ばれています。
「平和五原則で、相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる。ものとする。国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく・・・ 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。」
中国脅威論から南西諸島や鹿児島や熊本など九州各地に長距離ミサイルを配置し、攻撃用の基地整備など敵地攻撃態勢が進んでいます。実に日本は一部の復古主義的な戦前の軍国主義回帰の政治家によって、危ない現状にあると思います。日本の国民は平和を強く愛する人々であることを固く信じています。
しかし、世論操作によって、感覚的な言説で、中国脅威論の単純化した誤った論理で、多くの国民が騙されていると思います。 このなかで、日本の防衛費が大幅に増えています。GNP2%、さらに増大ということで、従前の1%を超えないという国の基準を大幅に超えています。とくに、台湾有事問題ということで、国連をはじめ世界各国の見方は、台湾は独立国でないということです。
高市政権は、また、世論のマスコミも、あたかも台湾は独立国のようにして、台湾有事を煽り、中国に敵対姿勢を強めるていることです。中国は、戦後に植民地主義からの解放闘争のなかで、複雑な政治的経過をたどってきました。
日本は、戦前に台湾を植民地にしてきた歴史的経緯があります。戦後は、中国の国内事情で、地域的に体制の異なる蔣介石政権が統治しました。未解決の問題も存在しているのも事実です。これは、あくまでも中国の国内問題であるのです。しかし、中国の国内の台湾問題は、日本の存立危機ということでは決してないのです。高市首相の国会発言の怖さがみられます。これは、戦前回帰を想起させる国会での発言です。
日本は、戦後は、日本国憲法のもとに平和国家として、国民主権による国の最高機関で、唯一の法律をつくる国民の代表機関として、国会がある立憲主義を国是としています。この自由と民主主義で出発した国です。
この国会の場で、台湾有事は日本の存立基盤の発言は重大な中国との関係で、国際的緊張関係を作り出す要因になっているのです。中国とは日本の長い歴史のなかで常に友好的な関係をもって交流をもってきたのです。
日本の歴史文化は、中国やベトナム、朝鮮半島と常に友好的な関係をもって、独自に日本の自然や伝統のもとに文化充実の発展がつくられてきたのです。長い歴史のなかで、日本と中国との関係で、中国が日本に侵略してきたことは、鎌倉時代に元の襲来ということだけです。これは、ベトナムや朝鮮半島と中国の歴代王朝との関係の違いです。
日本は、戦前に中国への侵略をして、中国の人々に多大な被害、悲惨なことをした歴史があったのです。戦前の回帰はいかなる理由があろうともやってはいけない日本国民の平和に対する国際的関係の倫理です。日本国憲法は、そのことを国際的に誓って、戦後の日本の自由と民主主義の出発なのです。
日本は大きな歴史の流れからみれば世界に誇るべき平和的な民族的精神をもっているのです。これは、長い歴史のなかで、代々にわたって継承されてきたのです。多様性を求めて、話し合いと慈愛の文化をもってきた為政者や民の暮らしの文化は、大きな意味があったのです。
第2に日本の現状の深刻な問題は、国家財政の赤字問題です。収入が80兆円というのに予算の支出が122兆円で足りないのは国債という借金ということです。国債という借金が13000兆にふくれあがっている現実。世界で最悪の借金大国になっている日本の現実があるのです。
日本の議会制民主主義で最大の欠陥は、政府の予算編成について、客観的に、中立的な立場で財政収支と、その見通しを公表する独立した財政機関がないのです。また、大きな問題として、予算編成権を国民の代表機関である議会にないことも大きな欠陥です。
日本の国会議員の予算編成の権限が奪われているのです。国会の役割で重要なことは、国家の予算編成権なのです。行政府の権限によって、官僚機構の高級官僚によって、国家予算案がつくられていくのです。
さらに、国家財政の赤字補填としての中央銀行の役割も日本の異常な状況です。いわゆる国債の保有を日銀が5割を占めるという異常な事態です。放漫財政を日銀が支えているのです。市場主義の金利のメカニズムが機能していないのです。
財源の裏づけのない赤字国債の乱発です。補助金や減税もすべて財源との関係で議論されるのが民主主義国家の財政運営の原則です。円安や物価高の根本を国家の財政政策からも考えていくことが大切ですが、それすらもおろそかにされているのです。
日本の歴史のなかで藩財政が危機のなかで、その立て直しを行った米沢藩の上杉鷹山の施策から学ぶことは重要なことです。徹底した財政の洗い直しで、藩主自身の身の回りの質素倹約をはじめ、藩財政を大幅に節約したのです。
そして、藩の経済的収入にかかわっていなかった武士に身近な生活のなかから収入を得るために家業の小経営を積極的にすすめたのです。藩全体として、開墾事業や産業起こしを積極的に展開して、外からの流浪者等の労働力も受け入れたのです。これらのために、教育に力をいれたのが上杉霊山の特徴でした。
国家制度の基礎は財政にありということで、日本の近代化で、かつて西郷隆盛がのべたことがあります。西郷のことばで、「入りを、はかりて、出る を制する、他に術無し」ということばを現代的にも考えるときです。霧島で明治8年につくられた憲法草案でも自由と立憲主義をとなえて、国会の役割として、太政大臣、左右大臣を選ぶ権限と国家予算の権限を提起していたのです。
高度に発達した資本主義で、資本の集中も進み、強大な国際的な企業が生まれている現状のなかで、競争も国際的規模で進んでいるのです。経済においても国家の自立した経済のコントロールが国民の豊かな文化的生活を保障していくうえで、重要になっているのです。
国連を中心とした国際的な貿易のルールや条約と共に、この役割を果たす大きな位置が国家財政です。国家財政は、社会的な矛盾や公平なる分配、暮らしの保障という社会システムをつくりあげていく公共サービスに大きな役割を果たすのです。
これは、福祉や社会保障、国民の生涯において、発達を保障される学習権保障とともに、重要な財政的基盤提供です。現状での巨大な社会的な経済格差の矛盾は、国民の自助努力ではまかないきれない現状なのです。
この公共的なサービスは、国家の財政基盤をとおして公的な社会的サービスが実施されていくのです。これは、財政は、本来的に議会をとおしての権限であるが、日本の現状は、行政権を握る政府の統治権限で行われ、政府を握る政治との関係が深くかかわってるのです。
また、財政は、現実の市場経済との関係をもっているのです。財政は、国民の租税によって成り立っているので、その租税のしくみは、政治とのかかわり合いが強くあることも大切なことです。
租税は、社会権を保障していく民主主義の財政的原則で、累進課税が原則です。もてるものと持たざるものとの大きな格差があるなかで、その原則を貫いていくことは、政治的な価値観によって、大きくことなっていくのです。
経済成長を第一優先していく、民間の自助努力によって、国民の暮らしを考えていく政治的なスタンスと、国民的な暮らしを第一に考えて、経済の成長も国民の一人一人の豊かな暮らしを第一的に考える政治的価値と大きく異なるのです。この大きな政治的な価値のぶつかりあいが現実に財政問題でも起きているのです。
第3は、教育・人材養成問題です。教育は、未来社会をつくっていくものです。その教育が画一的な立身出世の競争主義や競技やコンクール主義、管理主義にはまりこんでいることです。教育者自身や地域での教育力の低下です。このなかで、子どもや青年たちの自主性を生かしての創造性を育てていくことが削がれていることです。
もちろん、未来をみつめて、輝いている子どもたちや青年もいることも事実ですが、その子どもたちや青年をはげまして、積極的に親や地域社会や学校が評価して、やる気高めてい社会環境が大切ですが、それが弱くなっているのです。ときには、変わった子ども・青年として、ういてしまうことがみられてしまうことがあるのです。多様性を尊重して、すばらしいところをみつけて、意欲を引き出していくことが大人たちに求められているのです。
さらに、基礎教育や基礎研究を大切にするよりもすぐに役にたつようなハウツウや実利的なことに集中している傾向がみられるのです。このために、子どもや青年の発達ということよりも教える内容の過重という問題があるのです。
そして、教育にたずさわるものが誇りをもって、それぞれの子どもや青年や地域の実状に即して、感覚を磨いていくことと、理性を大切にした自由で、やりがいをもって責任をもてる体制がないことです。
第4に少子化ということと農山漁村の過疎化が進み、都市と農村の格差が進んでいることです。農山漁村の過疎化は、日本の食糧自給への道を著しく遠ざけているのです。そして、地方経済の衰退に拍車をかけていることです。
これは、工業と農業の効率性からの不均等発展の市場にける経済法則や金融資本の都市の集中、文化的整備の都市への集中、高等教育の都市への集中ということからくるものです。経済的な効率性からみるならば、あらゆる面で、大都市が有利な条件にあるのです。
農業や農村の効率ある地域社会・地域産業発展には、特別の支援や、それを守る価格保障、公的な高等教育機関・研究機関の特別の配置など、農村や地方都市への社会環境整備が必要なのです。経済の効率性論、民営論だけでは、都市の農村の格差や過疎化を食い止めることはできないのです。
日本の未来を考えていくうえで資源を国内から生み出すことは重要なことです。持続可能な社会づくりにとって、再生可能エネルギーのために資源を農林漁村から求めることは未来への輝きをもっていくことになります。
このための新しい科学技術の発展が切実に求められる時代です。いわゆるセルロールナノテク科学技術やバイオマス科学技術などは、その大きな具体的事例です. これらの課題が示すように、今は国民的に考えるときではないかと思うのです。