社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

国際平和の道徳教育ー日本と世界の平和観ー

国際平和の道徳教育ー日本と世界の平和観ー
                神田 嘉延
 
「平和で暮らしたい」、「戦争はいやだ」というのは、多くの人々の共通の願いである。平和の徳育は、道徳教育の大きな課題である。
 人類は、古代国家から戦争を絶えず続けてきた。その都度、戦争の悲惨から人々は平和を願ってきたのである。なぜ、戦争を起こすのか。いつの時代も民衆の最大の為政者に対する疑問であった。

 核など大量破壊兵器の開発時代

 現代は、科学技術の発達によって大量破壊兵器が開発された。その典型が核兵器である。現代の戦争は、地球全体の破滅につながりかねない恐ろしさをもっている。核兵器の被害は、一瞬にして多くの人々を死に追いやり、何年も後遺症で苦しむことを起こす。戦争を起こさない世の中をどうしたらつくれるのか。それは、現代の人類の持続可能な社会をつくっていくうえで緊急の課題である。
 この核兵器の全廃という課題に、国連は核兵器禁止条約の締結を呼び掛けた。2021年1月から50の国の批准によって条約が効力をもつようになった。
 残念ながら唯一の被爆国である日本は、この条約に賛成をしていない。もちろん賛成署名をしていない。
 本来ならば、核の唯一被爆国であるので、その恐ろしさが最もわかっているのである。率先して条約の批准の世界のリーダーシップをとる立場にいるのです。このことと、全くの反対の立場にいるという重大な問題がある。

 戦争は統治者によって

 戦争は国家、宗派、民族、地域の統治者によって引き起こされる。民衆は誰でも平和で暮らすことを求めてきた。
 戦争は、個々の人々の争いではなく、国家等の統治者の意志によって起こさてきたことを見逃してならない。この意味で為政者、政治家、教育者、経済人、言論界・マスコミ等、社会リーダーの平和に対する有徳問題は決定的に重要だ。

 戦争は、個々の争い、憎しみの意識問題に還元できない。個々の人々の意志は、為政者、政治家の戦争動員、戦争協力のための世論づくりのなかで、本当のことをみることがおろそかにされた。
 近代の立憲主義、議会主義の国家体制では、人々の意識、世論が戦争遂行を防止するうえで、極めて大きな役割をもつはずである。戦争遂行には、国民への協力体制、戦争のための秩序を要求するのが常である。


 戦争は、国家、民族、宗派、地域の集団的なエゴが大きくある。民族排外主義のナショナリズムの醸成は、その典型である。
 民族等のエゴは、国際関係での利害関係者との敵対行動へと発展する。平和には、共存・共栄、平等互恵、領土・主権の相互尊重である。そして、相互不可侵、内政不干渉が大切である。これらは、近代の国際関係の平和主義にとって極めて大切な課題である。

 民主主義国家であるためには、戦争をしないように努力することが、基本姿勢になることが求められる。しかし、恐ろしいことに、仮想敵国を目的意識的につくり、防衛と称して、軍事力を強化してきたことが日本の現実である。戦争を誘発してきたことは何かを重視しなければならない。このことは、近代の歴史が証明した。国家として、どうしたら国際協調による共存・共栄の関係ができるか。

 国際協調主義の重要性

  国際協調主義は、平和を守っていくうえで、基本的な姿勢である。国際協調主義は敵をつくることではなく、軍事力を強化することでもない。お互いが共存共栄し、相互信頼による話し合いによる国際協調の関係をつくることである。
 民族の誇りは国家間の愛他主義であり、このためには価値観の多様性を認め、多文化共生の国際関係を作っていくことである。
 世界は軍縮が求められている時代である。軍縮から戦争放棄の道が開かれていくことを忘れてはならない。戦争は国家間の争いである。為政者の有徳で最大の課題は、平和を守ることである。道徳教育として平和を積極的に取り上げていくことは学校教育、社会教育にとって、基本的な公正なる社会正義の大切な課題である。

 歴史のなかで道徳教育と平和主義を

 日本においては、道徳というと封建的な身分秩序を維持するための忠君愛国や国家に対する責務ということであった。それは、個人の尊厳を否定していく徳育思想であった。この徳育思想が、戦前に強く存在していたことを見落としてならない。それが、民族拝外の軍国主義的なイデオロギーと結びついたのが日本の歴史的事実であっ。

 このような歴史的状況をもっていたことから、戦後は、道徳教育に、平和主義、基本的人権、民主主義的人格形成が大きな課題になった。
 日本の戦後の道徳教育は、軍国主義、封建的な尊王愛国の士気や国家主義的な道徳教育との闘いからはじめなければならならなかったのである。

人類普遍原理としての異民族の共生

 現代は、民族の伝統的な道徳文化を人類的な普遍的原理のなかで民族共生という国際主義のなかで、位置づけていくことが求められている。
 平和主義の立場からみれば、民族的共生、文化的価値の多様性、基本的人権、民主主義、人間的連帯性、人間の自由という客観的な普遍的認識が求められる。そして、自己の良心に内面化する人類的な課題として、平和主義、現代ヒーマニズムの人格形成が必要になる。

学校教育の道徳教育は教育活動の全体で

 学校での道徳教育の目標は、教育活動全体活動を通じて、道徳的心情、判断力、実践と態度などの道徳性を養うことである。このことは、文部科学省の学習指導要領になったのである。
 道徳の時間は、各教科、特別活動及び総合的な学習時間との密接な関係を図りながら、補充、深化、統合し、道徳価値及び人間としての生き方の自覚を深め、道徳実践力を育成するものとした。

 学校教育の全体活動のなかでの道徳時間との関係をどのように設定していくか。道徳の時間をこなすだけではなく、各教科、特別活動、総合的学習の時間などの教育活動との関係で道徳教育を位置づけていく必要があった。

 しかし、学校教育での道徳教育は、読み物中心の道徳時間で、読み物をとおして子どもの道徳的葛藤を引き出していくということである。現代の日本の道徳教育は価値を教育のなかでおしつけてはいけないということになっている。
 そして、特設の道徳の時間の授業が行われている。教育活動全体の構造のなかで道徳教育をどう組み立てていくのかという問題意識は、極めて弱いのである。
  平成27年3月に小学校及び中学校の学習指導要領等を改正し、これまでの「道徳の時間」が新たに「特別の教科 道徳」と位置づけられることとなった。このことにより、学校教育活動全体のなかで道徳教育を実施していくことに危惧をもつようになった。読み物中心にやってきた道徳教育を教科と同じように評価するようになった。社会科学、自然科学をはじめ各教科との関係で人格を形成していくという総合的な視野から道徳を位置づけていくことがおろそかになっていくのである。
 徳育平和教育は、学校教育活動全体のなかでの話し合いの自治活動が大切である。自分で主体的に考え、みんなと議論し、自律的に参加していく人格形成は、平和教育に大きく貢献していくのである。
 道徳教育の目標に、他者とともに、よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことが強調される必要がある。多様性を尊重し、答えが一つではないが平和を守っていく融和、協調、協働という徳育的な課題を子供が自分自身の問題として、考え、議論する道徳への質的な転換を図ることが求められいく。

 つまり、平和のための道徳教育は価値観の多様性の容認、多文化共生ということで、話し合いから、合意を形成していく徳育が大切になったのである。 
 そして、「特別の教科 道徳」が、小学校で平成30年度から、中学校で平成31年度からとなっている。つまり、個々の子どもたちが主体的に考え、議論していくことが文部科学省の学習指導要領でも求められている。

 主権在民と平和の構築

 ところで、平和構築は、為政者に特別に与えられた権限と役割である。民衆はいかに為政者に平和の願いを伝え、為政者の心を動かしていくかである。
 戦争を行うのは為政者の政治施策からである。主権在民という民主主義の国家では、民衆自身が平和を愛する統治者をいかにして選ぶかである。

 国会議員選挙は、代議員制であり、国民の求める平和主義、民主主義、基本的人権の充実が基本にある。それは、地域のエゴ、業界のエゴ、経済界のエゴ、労働組合のエゴであってはならない。エゴを乗り越えての平和主義ということが最も大切な課題である。

 エゴを乗り越えて、個々の要求、地域の要求、業界の要求、団体の要求を具体的に政策化していくことが求められる時代である。この場合もいかにしてエゴを乗り越えて、利他の心、循環と小欲知足による文明・文化の持続可能性が必要である。

  代議員制と平行して、人々が自律的に地域の暮らしのなかで話し合いによって民主的に参加していく行動が不可欠な時代である。
 討議民主主義は、代議員制の国会や地方自治体ばかりではなく、様々な社会的組織、地域での構築で実現していく。孤立や無縁社会からの克服に、参加民主主義による話し合いが地域の生活や職場のレベルで必要になっている。

 それぞれの国家、民族、宗派、地域は自由で自立した存在として認められ、お互いの主権、自治を尊重して共に生きていく共存・共栄の姿勢が平和の時代の要請である。
 国益を守ることは、しばしば利害関係の相手国に対して傲慢になることがある。国際的な関係で利害関係者がそれぞれ利他主義になることが共生文明になり、平和を構築していくことにもなる。この思想は世界連邦構想である。

 現代の戦争と貧困問題ー人間の安全保障ー

 現代の戦争と平和を考えるうえで、格差や貧困を克服し、人間のもっている能力を発展させることは重要である。このことから、平和な社会を築いていく「人間の安全保障」の視点が極めて大切になっていく。

 また、発展途上国の格差や貧困問題を正面から明らかにするために非同盟諸国の連帯をとりあげことが必要である。平和の問題は、先進国と発展途上国との共存・共栄という共生文明が大切なのである。貧困と格差をなくしていくことは、テロを根絶するためにも根本的なことである。

 平和のための憲法9条の役割

 日本が平和で国際貢献していくのは、憲法9条という平和主義の国是をもっていることからである。この平和主義の憲法は世界に誇れるものであり、この日本の誇りを掘り下げる意味で、伝統的な歴史にあった平和文化と平和思想を積極的にとりあげる必要がある。憲法9条の平和主義は、決して敗戦によって戦勝国から押しつけられたものではなく、日本の伝統文化という視点から解くことが求められる。

日本の伝統的な平和思想

 日本の伝統的な平和文化や平和思想には、近代以前にも存在した。それは、神仏習合平安時代徳川時代の平和時代のなかでみることができる。
 武器の全廃を唱えた安藤昌益、世界兄弟で貿易を盛んにする日本を考えた横井小楠など江戸時代の儒学者に典型にみることができる。
 近代以前に、日本は伝統的な平和文化をもっていたが、なぜ、大日本帝国憲法をつくったのか。なぜ、明治の近代以降に、近隣諸国を侵略し、植民地獲得の戦争をしたのか。また、世界を相手に戦争をしたのか。

 戦前に日本人が活躍した国際平和機関

 世界へ戦争に突入していくことは、日本の近代化のマイナスの一面であった。しかし、そのなかでも国際機関で積極的に平和のために貢献した人々がいたことを見落としてならない。その具体的な例として国際連盟の事務次長として活躍した新渡戸稲造や、国際司法裁判所裁判長として活躍した安達峰一郎がいた。世界平和に貢献した二人の日本人の平和思想を現代に評価する意義は大きい。

  かれらの活躍は、パリ不戦条約と紛争の処理を国際法に基づいて、話し合いによって解決していくことであった。それは、戦後における憲法9条の平和主義につながっていく。
 憲法9条をマッカサーに提案しのは、戦後初代の首相であった幣原喜重郎である。彼は、戦前の外務省にあった国際協調主義の流れをくむ外交官の経験をもち、大正デモクラシーの成果のもとで、外務大臣を務めた政治家でもある。