社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

地域農業後継者教育と社会教育の課題ー鹿児島市曽於市からの地域活性化


地域農業後継者教育と社会教育の課題ー鹿児島県曽於市から

     神田 嘉延

問題の所在

 多くの農村は人口減少と高齢化によって、過疎化に悩んでいます。そこでは、限界集落、廃村という厳しい局面にたたされています。その過疎化の根本に、地域農林業の衰退が大きな原因になっています。本報告の地域農業後継者教育は、過疎化していく現状のなかで、日本の農村活性化の方策としての社会教育という課題を立てています。そこでは、地域農業生産を基盤に新たなコミュニティをつくりだしていく将来の展望と社会教育ということを意味しています。
 日本の農業担い手養成には、新規自営農業就農者、生産法人などの新規雇用就農者、生活農業として自らの食糧自給や教育・観光の補助的役割として活用している場合など多面的な新規農業就農者がいるのです。また、外国人の技能実習生として、農業分野で活躍している人々が2万5千にも増加して、今後、益々外国人の役割が大きな位置を占めるようになっていきます。新規就農者が5万人代になっていますが、40歳未満は、1万5千人ほどです。生産法人の雇用就農者も7650人ほどで外国人労働者の位置がいかに大きいか理解できます。
 過疎化を食い止める地域農業という視点からは、自営小農経営が大切なことはいうまでもない。農業生産法人は食糧生産ということで大きな位置をもっていますが、地域のコミュニティを支えていくには、十分な機能を果たさないのです。農業所得から生計を維持するという農業の規模拡大経営という側面からは、集落機能の維持から大きな障壁があるのです。コミュニティを支える地域農業ということは、食糧の自給自足的な側面や家計補助的な兼業農業の役割も重要になっているのです。
 農業の生産法人は、地域の枠を超えて、生産効率経営によって発展しています。そこでは、地域の伝統的文化としての農業や自然環境保護の論理と矛盾していくことも起きています。
 地域農業という視点から個別の農業経営の後継という視点ばかりではなく、女性農業起業、地域複合経営、外国人労働者の課題を明らかにする必要があります。また、学校教育やグリーンツーリズムということからの地域興しをみていくうえで、社会教育としての食農教育、食育教育は地域のコミュニティの形成にとって大きな意味をもっています。また、地域における学校の農業体験学習は、長期の子どもの発達段階から国民教育を基礎にしての農業後継者教育として大切になっています。
 今日は、従前における親の自営農業経営を継承していくという後継者教育だけでは過疎化の問題を解決しないのです。それは、地域で育った人々だけではない、広く外国人労働者も含めて、地域外から地域農業の担い手の人材を求めていくことが必要な時代になっているのです。
 本論では、多様な農業の役割という視点から、地域農業の後継者教育を構造的に考えていくものです。つまり、多様な農業の役割ということを踏まえての構造的な農業者教育の視点をもつものですが、生産的な自営で農業所得から生計を維持しようとする新規就農に問題をしぼって報告するものです。従って、家計補充的な兼業(年金も含めて)、生産法人の雇用就農や外国人実習生などを分析の対象からはずしています。今後の研究課題として農業の多様な役割から農村のコミュニティを新たに創造していくための社会教育の課題として、構造的に問題を深めていく計画です。
 新規就農対策も国は積極的に展開しています。この施策は、産業としての農業で生計をたてる施策です。地域での農業が果たす多面的機能ということから、地域環境保護における水田の役割や、農業の教育的役割、癒しなどの側面はでていません。国としては、専業農家として地域の農業生産を担う農業後継者対策です。就農初期段階の青年就農者に対する支援になるのです。
この制度は、研修終了後1年以内及び交付期間の1.5倍(最低2年)以上就農を条件づけています。研修終了後は、就農から5年以内に認定新規就農者になることです 。
 親元就農の場合、5年以内に経営を継承するか又は共同経営者になることの条件です。国内での2年間の研修に加え、将来の営農ビジョンとの関連性が認められて海外研修を受けることができます。その場合は延長することができます。これらは、国から交付金を受けるものです。
農業次世代の人材事業の経営は、市町村が実施主体です。
 次世代を担う農業者となることです。原則として50歳未満で、独立自営就農する新規就農者に対し、市町村を通 じて、年間最150万円を最長5年間交付するものです。交付終了後、交付期間と同期間以上営農を継続することが条件です。市町村段階に経営・技術、資金、農地のそれぞれに対応するサポー ト体制を整備しています。自ら作成した青年等就農計画等に即して主体的に農業経営 をしていくものです。
 平成29年度に新たに採択した者は、準備型で1,394人、 経営開始型で2,130人でした。
  準備型は、 20代が最も多く(44%)、次いで30代(32%)、 40代(16%)、10代(7%)の順 。 非農家出身が64% 。経営開始型は、年齢別には、30代が約半数を占め、次に40代(36%)、20代(17%) の順。農家・非農家がほぼ半々です。
 新規就農対策の交付金をうけるものは、決して農家の後継者ではないのです。従前の農業後継者として親の農業を継ぐということではないのです。ここが大きな特徴です。

曽於市の特徴

曽於市は伝統的に中央ではなく、地域の独自性を強く主張する土地柄です。それはヤゴロウドン祭りにみることができます。4,8メートルの竹かご製人形の巨大男を先頭に地域あげての神幸行列が11月3日の五穀豊穣祭りで行われてきました。1万人以上も集まる盛大なものです。古代の大和朝廷に対する隼人の抗戦で多数の志望者の慰霊のための放生会でもあるといわれます。
 人口36557人、世帯1634戸の市で、霧島市都城市、鹿屋市に囲まれた大隅半島の地域です。15歳から64歳の生産年齢人口比率は51、4%で65歳以上は37、5%と高齢化が進んでいます。人口の増減率は平成12年44910人、平成17年42287人、平成22年39221人、平成27年36557人と減少を続けています。
 総農家数は3818戸で、販売農家数2341戸、自給的農家数1477戸です。販売農家で50万円未満は815戸です。50万から100万円未満は281戸、100万円から200万円未満340戸です。
 200万円から300万円未満は203戸、300万円から500万円未満212戸です。500から700万円未満は98戸、700から1000未満108戸です。
 1000万円から1500未満92戸、1500万円から2000万円未満60戸です。2000から3000万円未満46戸、3000から5000万円未満は48戸です。5000万円から一億円未満は29戸で、一億以上が9戸あります。以上のように農家といっても大きな販売格差があります。
 経営耕地面積をもっている農家数は、2313戸です。このうち経営体としての田のある農家数は、2174戸、稲をつくった農家数2143戸です。農業経営体の畑のある農家数は、1779戸です。飼料用作物だけをつくっている農家数は810戸です。牧草地専用137戸です。畑作をつくった農家で、飼料畑の位置が大きいのです。家畜の経営体数は、乳用牛13戸、肉用牛1002戸、豚47戸、採卵6戸、ブロイラー32戸です。曽於市の農畜産生産額は、畜産が全体の81.9%を占めているのです。そのうち肉用牛生産13.6%、肥育牛13.9%、肉豚20.3%、鶏肉12.8%、鶏卵15.6%、生産豚4.9%、乳牛0.7%です。全体の生産額は、389億4149万円です。茶2.4%、野菜5.5%、さつまいも5.5%、水稲2.6%です。畜産に依存している曽於市の農業実態がみえるのです。
 
曽於市の新規就農の特徴

 鹿児島県曽於市では、平成17年度から新規就農対策として、昨年度まで186名を受け入れています。曽於市では、就農2年以内を対象に月額5万から15万円の補助金を交付しているのです。親の経営基盤を引きつかず新規就農は10万円になります。夫婦で新規就農15万円です。親の経営をひきつぎながら経営改善を行うもの5万円になります。夫婦で親の経営を引き継ぐもの7万円です。
女性のみで農業者のたちあげもしています。女性の力で地域農業を支えていこうとするとりくみです。ここでは、農業の専門的なことばかりではなく、料理教室やヨガなどの活動を取り入れて、農村で暮らす楽しさを充実させている工夫をしています。
 学校教育としては、学校農園を整備し、食育事業として、地域の食材をつかっての教育活動を積極的に展開しているのも曽於の特徴です。
 新規就農者は脱サラで曽於市の「たからべ森の学校」で研修しながら、就農した事例などもみられます。たからべ森の学校は、中学校の廃校を職業訓練や田舎暮らしを体験して、曽於市の魅力や可能性を感じてもらう民間の社会教育施設です。地域に根ざした就職を支援する支援するとりくみをしています。当初は、パソコン関連の職業訓練をしていましたが、地元では、農業関係のニーズが強いことがわかり、農業、農産物加工、調理補助の講座を開くようになりました。この講座には、都市部から移住を見込んで訪れる人もいるのです。さらに、学校での宿泊体験学習にも利用されています。田舎暮らしを体験できるメニューも用意されています。移住先の環境や雰囲気も確認できる施設にもなっているのです。移住先の生活も簡単ではなく、不安解消のための相談活動もしています。
曽於市では、民間に頼るのではなく、新規就農の公社などを整備して、責任をもって教育していく体制の準備中です。このことによって、さらに、充実した移住対策ができるとしているのです。地域とヨソ者が一緒になって田舎暮らしを楽しむということを合い言葉にして地域の環境を整備しているのです。移住応援施策は、仕事を確保することが最も大切なことですので、新規就農や起業お越しは重要な施策になるのです。
さらに、子育て対策として、安心して子どもが育てられるように、18歳までの子どもの医療費は、全額曽於市が負担するしくみをとっています。また、第三子を出産した家庭には祝い金として10万円を支給しています。移住体験プログラムとして田舎体験講座を実施しています。一泊2日、2泊3日、6泊7日というコースがあります。移住して住宅取得した場合に、お祝い金として最大100万円の補助をしているのです。
曽於市では農業生産法人の事業計画が活発ということから、規模拡大によって、いい土地は生産法人が利用していて、新規就農者には、いい土地が入らないという新しい状況が生まれています。
また、水田の休耕地などが長く続いているところは、再び水田に戻すには費用負担が大きくかさみ、むしろ畜産の生産法人に飼料畑にしてもらった方が、費用が安くなるのです。地域農業の環境保全対策ということは、経費の面から単純ではない現状があります。市の担当者は、荒廃農地対策としてのあり方として、地域の環境保全ということからの水田の役割は否定しませんが、現実的に予算の面から困難があるということから悩むのです。現実的な選択は、飼料畑になっていくのです。
 生産法人に対して、環境保全という地域農業という視点からの農業経営をしてもらいことは大きな課題になっているのです。生産法人の経営者の意識改革は、過疎化という集落崩壊との関連づけながらの地域農業という側面から大切になっているのです。
 生産法人による地域の農業所得の向上は、地域の集落崩壊の防波堤にストレートになっていないことを直視することが重要なのです。ここに、家族経営の小農と生産法人の関係による地域農業の展開による施策が必要になってくるのです。新規就農対策も、そのような位置のなかで積極的にとらえていくことが求められていくのです。
 さらに、農業の多面的な機能としての地域文化の継承や教育的役割、癒やし、グリーンツーリズムの役割があることを決して忘れてはならないのです。これらの側面は社会教育行政と新規就農施策が積極的に結んでいく課題です。
また、家計補充的な兼業としての農業の役割も地域農業を維持していくうえで大切な面があり、社会教育行政としての伝統文化、癒やし、子どもの人間形成という側面からの積極的な取り組みが必要になっているのです。女性農業者が農産物加工の開発、料理教室、文化的事業の取り組みが、新たに曽於市でおきていることは注目すべきことです。
 社会行政が農政の新規就農対策と結びついて農業の多面的機能から総合的に学習運動を展開していくことが重要です。とくに、農村における社会教育の固有性からの地域の伝統文化、農村のコミュニティづくりは、新たな都会での生活経験者とうなど外部の人が新規就農として移住してくる時代ですので、その役割はますます重要になっているのです。そこでは、地域の連帯意識は、目的意識的に行うことが不可欠になっているのです。むしろ、都会から移住してきた人々が地域の文化や行事で何に感動していくのか。それは、従前の地縁血縁的なまとまりの連帯意識ではない、喜びを共有しあう価値観の連帯なのです。
 親の農業を継承していく新規就農で最も困難な問題は、親子関係における価値観の違いです。新規就農者では、親子関係で離農するのもめずらしくないのです。

石井十次の福祉での教育理念― 宮崎県茶臼原と岡山の孤児院から学ぶ

 

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 石井十次は、宮崎県の高鍋が生んだ児童福祉の父といわれます。彼は、ルソーのエミールの思想の影響のもとに、児童福祉を積極的に教育の理念を取り入れて活動をしました。

 石井十次念友愛社は、宮崎県西都市木城町にあります。高鍋の市街地から茶臼原小学校の近くです。現在も児童養護施設と保育園があります。
 現代的貧困で家庭に恵まれない子どもたちが生活する園となっています。理想とする自然教育を茶臼原230ヘクタールの大地で農業の教育力を大切に農村共同体のロマンをかかげての人間主義の教育実践をしているのです。福祉と教育は、分離されがちなどが現代です。石井十次念友愛社の教育実践を歴史的なことも含めて学ぶことは貴重なことです。
 子どものおかれた貧困状況は極めて複雑です。経済的な貧困はもちろんのこと、子どものネグレクトなど家庭的機能が崩壊している精神的、文化的貧困状況があります。外面的にはみえにくい子どもの貧困状況があるのです。経済的な問題ばかりではなく、単身赴任、共働きなどによる鍵っ子問題、退廃問題など、社会的に子どもの居場所の確保が地域に求められる時代です。

 子どもの虐待で大切な命を親が殺すという痛ましい事件が頻繁に報道されるこの頃です。また、51歳の男性が包丁をもってバスを待ってい親子を次々に刺していく事件がありました。この事件のようなことを息子がするのではと思い、40代の息子を76歳の親が息子を刺し殺すという事件がありました。76歳の男性は農林事務次官までも勤めたエリート官僚の経歴をもつ人です。

 これらの事件にみるように現代の家庭の病理現象があちこちに起きているのです。家庭は決して安全な場所ではなはないのです。現代の家庭は、プライバシー問題の閉ざされたなかで虐待や極めて歪な親子関係があるのです。異常な病理現象のある家庭は、極めて危険な場であるのです。この閉ざされたなかで、家庭の異常な病理現象をみるのは、単なる連携論ではなく、社会的養護からの専門職の充実と抜本的的人数の配置が求められているのです。
 放課後児童クラブや児童館、親の生活現状に即したきめ細かい保育が不可欠な時代です。ここには当然ながら子どもを一時的にあずかるという次元ではない、子どもの人格形成などの広い意味での教育が必要なのです。

 

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 100年前に、石井十次は、孤児院における10人ほどの小集団の小寮生活と、そこに保母が世話をする家族主義の社会的養護を考えているのです。大規模の社会的養護では施設での暴力問題も起きます。様々な境遇で育った子どもたちにとって、生活指導は社会的養護の施設内大切なのです。きめの細かい家族主義が現代では切実に求められているのです。社会的養護における専門職や家族的ケアができる人員の配置は当然のことです。児童福祉行政も同じことがいえるのです。
 ところで、石井十次は、6年間学んだ医学の道をあきらめて児童福祉に生涯を支えたのです。彼は、教育を最も重視した社会的養護を実践しました。1887年に孤児教育会を設立し、1914年に永眠するまで岡山と宮崎木城茶臼原で福祉と教育に専念したのでした。

 茶臼原や岡山の孤児院の事業は石井十次の人格でなされたものが大きいが、新しい院長を大原孫三郎に託したのです。倉敷紡績の社長を継承して積極的に事業を継承した多忙の身であったが、院長としての責任を大原孫三郎は果たしていくのです。茶臼原の責任は石井辰子氏が果たすようになります。

 孫三郎は5年間にわたって孤児院経営を引き継ぐのです。孤児院経営は石井辰子氏に継承されましたが、1926年大正15年に解散するのでした。石井辰子氏は翌年の1927年に永眠するのでした。そして、石井記念協会を設立して残務整理や残留院児の保護にあたるのです。戦後に石井記念友愛社を1945年に設立して、1948年に孫の児嶋虎一郎氏が戦災孤児のための児童養護施設を設立するのでした。
 石井十次は、1865年に高鍋藩士の子どもとして生まれます。父は維新後に県庁の職員を務め、1878(明治10)年の西南戦争には、西郷軍に参加しています。十次は、このとき12歳でした。14歳で海軍士官を志望して、東京芝の攻玉舎(こうぎょくしゃ)に入学しますが、脚気を患い帰郷します。1880年岩倉具視の暗殺嫌疑で51日間収監されます。そこで、西郷隆盛の吉野開墾の話を聞き、感銘を受けます。釈放されると開墾事業の5指社を設立するのです。小学校の教師、宮崎県の警察をつとめ、宮崎病院長の勧めで岡山医学校に入学するのでした。
 医学を学んでいる1884年に熊本バント出身で同志社にいった金森通倫からキリスト教の洗礼を受け、新島襄同志社設立の趣意書を学び、同年に休暇中高鍋に帰郷中高鍋馬場原教育会を立ち上げています。

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 教育会は3つの柱で、ひとつは18以上で志があるが、貧しくてかなわない遊学を援助すること、2つは、神社社殿で朝晩の学校を開くこと、3つは書籍の貸与であった。石井十次は、早速に遊学援助を実行するのです。岡山に帰るときに、3名をつれていくのでした。後で、1名が加わり、岡山では、5名で生活するのでした。それぞれ、アルバイトをしながら、学ぶのでした。
 1887年に三友寺で貧困の子どもたちのために孤児教育会をたちあげます。そして、1889年に6年間学んだ医学書をすべて焼いて、孤児教育に専念することに決意するのです。このときに、三友寺に集まった子どもたちは20名になっていました。キリスト教の関係者に孤児教育会の協力をよびかけたのです。
 1894年にルソーのエミールの教育思想に感化されて、宮崎県の茶臼原の開拓をはじめるのです。60名の院児を宮崎に送ります。これは、後に時代教育法になっていくのです。石井十次の時代教育法は、幼児、少年、青年の発達段階に分けて、孤児院の子どもたちの教育をするのです。

 

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 10歳までの幼児のときは、自然のなかで遊ばせるということです。10歳から15歳までは、学校教育を受けさせて学問を学ぶことを徹底させることです。16歳から20歳は、生きていくための職業教育をしていくということで、実業教育を授けるということでした。茶臼原では、労働自治、労作教育をするのでした。それは、農業をとおして実践していくのでした。
 1897年には私立岡山尋常高等学校を設立します。1906年には茶臼原に農業小学校をつくるのでした。茶臼原では林の中の学習を展開し、稲作の収穫や養蚕作業をとおしての労作教育をするのでした。
 石井十次の孤児院の基本的理念は、天は父なり、人は同朋なれば、互いに相信じ、相愛するということです。教育の基本方針は、4つをたてています。自然主義、家族主義、友愛主義、自律主義です。

 自然主義は、日本の自然・風土・文化・農業とのふれあいをとおして人格と体を養うということでした。自然教育は、情操を豊かにし、敬天の感性を育てるということです。家族主義は、相信・相愛の原点になります。家族の絆を大切にしていくという見方です。友愛主義は、人は皆同朋ということで、自律へ向けて先人たちの築いてきたことを学んでいくということです。自律主義は、人倫を明らかにして、労働自治を大切にして、実業教育を積極的に展開して、自律して生きる力を育てていくということです。

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 石井十次は、悪いことをする子どもたちの教育にライオン教育として、密室教育である一対一の話し合いの教育を取り入れたのです。大勢のまえで子どもをしかってはならないということで、子どものこころを傷つけることになるのです。それでは、子どもは自分のしたことに反省しないのです。

 石井十次は、子どもに反省する機会を十分に与えることで、子どもとじっくり向かい合うことをしたのです。子どもは自己弁護をします。いいわけをします。石井十次は、自分のやった悪いことに向き合わないときには、鉛筆を削りながら間をとったといわれます。そして、非体罰主義を徹底して貫いたのです。
 孤児院の経営には、托鉢(たくはつ)主義がとられた。各種の寄付金集めをそうよんだのです。石井十次と大原孫三郎は、石井にいわせれば「炭素と酸素、合えばいつでも焔になるということであった。石井の最大の支援者は大原孫三郎であり、大原にとって、石井は、心の支えであったのです。また、自分を大きく変えたのも石井であったのです。

 十次は晩年に寄付金主義から1911年の孤児院経営者の全国救児事業協議会で寄付金を募集せずの宣言をするのでした。労働による自活をめざすということです。宮崎県の茶臼原での鍬鎌主義の自活体制を推進していくのです。岡山孤児院にとっての大きな展開で茶臼原の農業自活体制、高鍋製糸、大阪での白米販売部の事業計画でした。岡山孤児院の茶臼原の全面移転であった。高鍋活版印刷所には岡山孤児院の活版部から数名の職人が転勤してきたのです。石井十次自ら注文とりに回り、活字2万字と手回しの印刷機を備えたのです。従業員は13名からのスタートであったのです。

 参考文献

横田賢一著「岡山孤児院物語ー石井十次の足跡」

柴田善守石井十次の生涯と思想」

 

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第2の近代・個人化と青少年の孤立からの解放―南九州大学教授 澁澤透先生の最終講義を中心としてー

第2の近代・個人化と青少年の孤立からの解放
 ―南九州大学教授 澁澤透先生の最終講義を中心としてー

     神田 嘉延

 

 澁澤先生は30年間にわたって南九州学園で社会科学的視点から教育学を担当してきました。近代的な主体形成の社会的認識力をどう育っていくのか。学生時代は、貧困地域のセツルメント活動に参加し、子どもの遊びを大切にした活動をしました。
 そして、生活綴り方教育をとおして、子どもたちの人間形成を探ってきたことを紹介しました。それは、教師の教育実践の素晴らしさのひとつです。戦後の教育実践を4期に分けて説明しました。民主化と教育の第1期、第2期は、仮説実験授業や水道方式の教育の現代化、第3期は、問題行動と教育、第4期が、90年代後半、低成長期の心の教育、学力向上です。最終講義では、第4期に焦点をあてて、発達と社会ということから第2の近代化・個人と青少年の孤立からの解放の問題提起を講義しました。
 澁澤先生は、現代において、地域共同体、家族などの個人を守る中間集団が衰弱しているとみています。そこでは、個人化=社会形態と心の習慣が乖離しているというのです。渋沢先生は、U.べックの第2の近代と個人化の概念から問題を深めています。ベックの第2の近代と個人化にとって、渋沢先生は、全体像のベックの理論を最終講義で省いたので、渋沢先生の講義と一部重複することがありますが、簡単に説明しておこう。
 ベックにとって、現代は、階級間の不平等の拡大、高度科学の応用による環境破壊、ジェンダー問題からの家族のリスク、議会の民主的統制の機能不全、官僚制肥大化の問題など様々な分野でリスクが生まれている社会というのです。
 第2の近代においては、自己内省的近代化が必要としているのです。ここには、近代の個人化には、個々が自立した力をもつために、制度として、宗教の寛容、市民的基本権、政治的基本権、社会的基本権が内実していることが求められるというのです。つまり、制度化された個人化を社会的に確立していくことです。
 また、現代は、家族が安全の源泉からリスクの源泉になっているのです。家族が担ってきた機能が社会化しなければ家族そのものがリスクになっていくというのです。保育所の整備、介護施設の整備などの社会保障が不可欠になっている時代がそのことを物語るのです。
 リスク社会をどのようにコントロールしていくのか。U.ベックにとっての大きな問題提起にもなるのです。議会による民主的統制は、期限付きの選挙によって選ばれた専制政治からから民主的に保障された討議の場が必要なのです。官僚制の肥大化という問題点もあります。経済的システムの原理と利害に対して、政治=行政システムが相対的に自律性を有していることと、さらに、司法が独立していることをあげています。
 高度の科学発展によるリスク社会は環境問題にあらわれているようにきわめて大きな課題です。原子力発電所の事故は、その典型です。高度の専門のみで科学技術開発をすることを廃して、専門相互間の関連性を基礎に専門の道をさぐるべきとしています。危険予測できるために科学者自身がコントロールできるであろうか。リスク社会と孤立していくという第2の近代の現実で、いかにして、自立した個人、制度として保障されていく個人化をつくりあげるかという課題があるのです。
 澁澤先生は、日本の青少年は、自尊感情がとくに低いと統計的データーから示します。そして、このことは日本の社会環境、教育環境にあるとします。また、90年代後半以降に地域や家族の絆の弱まりによって、子どもの表現に家や家族の人物を描くことが小さくなったとしています。自己を肯定する意識も弱くなり、孤立している子どもが増えているというのです。子どもは、内的な動機で行動するのではなく、外的な動機によって行動することから、孤立に拍車がかかっているのが現代の特徴と澁澤先生はのべるのです。
 自己肯定感を高めるためには、自己主張をしながら自己抑制していく発達の援助が必要とします。また、承認の場と社会参画の追求が不可欠です。子どもの市民参加の教育をどのように進めていくのかという大きな課題があると渋沢先生は問題提起するのです。それは、大人と異なる子どもの自身の発想による参加です。社会参加をとおして、いくつかの段階の子供間の承認と社会的承認によって、子どもの自尊心の高まり、自己肯定が増していくというのです。
 澁澤先生は、南九州大学の退職後に、東京で青少年向けの塾を開いていく構想をもっているようです。先生の東京でのご活躍を期待します。

佐賀藩弘道館の教育 ー現代に問いかけるものはなにかー

佐賀藩校の弘道館明治維新の7賢人
    ー現代に問いかける教育の力とはなにかー

         神田 嘉延

 

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 佐賀藩では明治維新に活躍した7賢人がいわれます。明治維新のなぞを考えていくうえで、江藤新平島義勇等が率いた佐賀の乱がなぜ起きたのか。佐賀の征韓論憂国の党をどのように考えるのか。
 明治維新のなかで理想を求めたが報われずに没落していく下級士族の貧困化がありました。かれらを扇動し、謀略に利用された「ポピュリズム」の問題が当時にもあったのです。江藤と島の説得も及ばず、かれらに心情に巻き込まれた。

 征韓論は、明治維新における日本の近代化の尊皇思想のなかから生まれました。近隣諸国との友好、共存・共栄の共生関係を無視した自国民絶対という国益主義は、侵略戦争と民族排外主義的なナショナリズムの形成にも利用されました。日本は、戦前に朝鮮半島を植民地にしました。そして、征韓論の問題は、現代的にも解決されていない。

 日本国憲法の前文では、平和のうちに生存する権利を維持するために、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたっています。自国の主権の維持と他国との対等関係は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって安全と生存を保持できるというのが日本国憲法前文の精神です。

 日本と朝鮮、日本と中国との近代史関係を相互の信頼関係で正しく認識していくことは、未来志向的に平和と共存・共栄にとって、大切な課題です。教育の力が平和と友好関係をつくるのです。

 明治維新のなかで吉田松陰板垣退助征韓論を考えていくことは、欧米に対する見方との関係で、近隣諸国のアジアを蔑視して国民の形成として、重視することが大切です。尊皇ということが征韓論と結んだのです。

 征韓論者には、徳川幕府と朝鮮王朝の対等関係は許しがたいという認識でした。日本の新政府における朝廷親交となるには、皇と勅という文字を使用しなければならない。王政復古は、古代日本が朝鮮半島に支配権をもっていたという論拠です。これを認めない朝鮮は、無礼であり、武力で正さなければならないというのが征韓論です。

 一方的に日本の新政府の価値観をおしつけていく考えです。朝鮮側が、江戸時代の外交文書と異なっているので拒否する見解です。西郷隆盛のように、話し合いによって、外交関係を確立していくとする遣韓論もありました。遣韓によって、朝鮮との外交関係を確立していこうとすることが西郷筆頭参議の政府施策になるのです。しかし、大久保等による明治6年10月の政変が起きて、その施策は実行されませんでした。その後は日本の政治体制は、有司専制政府になっていくのです。

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 佐賀藩には、江戸時代まで、えびす信仰があったのです。その後も民衆の生活には深くえびす信仰が根付いていたのです。明治維新以降の為政者は、近隣の外国からやってくる人々が福をよび、航海の安全に、海にある富の恵みをもってくることと大きく異なります。ここには、近隣諸国に、新たな尊皇による民族排外主義的な侵略の思想的心情みえています。
 副島種臣は、福岡孝弟などと明治新政府三権分立の政体書を起草した人物です。広く会議を興し万機公論に決すという五箇条のご誓文など明治維新の新政府の基本理念をつくりました。明治7年1月に板垣退助とともに、天賦人権論に基づき民選議院設立を求める愛国党を結成した。

 大隈重信は、大蔵省を改革し、大久保と対立し、早期の憲法公布と国会開設を主張しまのです。また、征韓論には反対したのです。早稲田大学を開校し、学問の自由を重視しています。後に、外務大臣、総理大臣にもなった人物です。

 7賢人は、弘道館を改革した藩主の鍋島直正をはじめ、他の6人も弘道館で学んだのです。弘道館は、尊皇思想の国学を中心にしていましたが、欧米の政治制度、思想、科学技術を積極的に取り入れ、明治維新における日本の改革の人材を輩出しています。この明治維新における日本の改革とは何であったのか。
 明治維新は、有司専制以降に、征韓論を起点に、明治8年の日本と朝鮮の武力衝突の江華事件になります。その後は、アジアへの武力による植民地獲得、絶対主義的中央集権など江戸時代の幕藩体制を大きく変えたのです。また、政治、行政と一体となった財閥体制を確立させました。商業活動と結びついての農民の貧困化、地主と小作関係がつくられていくのです。農村から絶対的な貧困者が都市の低賃金構造をつくりました。

 日本的な絶対権力と結びついたルールのない資本主義化が進み、明治新政府の金銭をめぐる金権退廃状況が起きるのです。徳のない、モラルのない社会へと進んでいくのです。こなかで、小野組、三井、住友等の政商が日本経済で大きな力をもっていきます。江戸時代の豪商は財閥となって政治権力と結んでいく社会構造をつくりあげていくのです。これらの動きに、佐賀の7賢人はどのように対応したのでしょうか。江藤新平は司法の力で、維新の新政府の要人であった山県有朋井上馨を裁いたのです。

 一方で、政府を離れ民間に移り、「論語と算盤」をあらわしして、渋沢栄一のような民間の経済人もいましたた。かれは、モラルを重視して第一銀行の頭取として、明治、大正期の日本の経済をリードしたのです。江戸時代には石田梅岩のように商人の道徳論も日本の文化にあったことを見落としてはならない。
 佐賀市内には、唐人町を中心にして、外国からやってくる人々が福をよぶということでえびすさまを大切にした信仰もありました。笑顔をもった様々な表情のえびす様が街角にいます。商人のあり方や海外からやってくる人々に対する人間的な情を考えていくうえで、現代でも学ぶことがたくさんあります。このことと、征韓論をどのように考えるのか。
 佐賀の7賢人は、県民が幕末から明治維新、明治の近代化のなかで活躍した人の総称として、今でも言われます。それぞれの人物の歴史的な評価は、明治の近代化をどうとらえていくかによって、異なると思います。佐賀がいち早く西洋の科学・技術を取り入れ、また、西洋の医療を取り入れるために、医学館をつくるなどして、西洋文明を積極的に取り入れたのが佐賀藩であったのであったのです。この人材養成の中心になったのが、藩校の弘道館です。
 7賢人は、幕末の藩主の鍋島直正がまずあげられます。 鍋島直正は、1830年に藩主になりましたが、弘道館の充実を充実させる施策を行いました。藩として、優秀な人材を養成して、かれらを積極的に藩政改革のために登用したのです。直正は、洋学の影響を受け、科学技術を発展させました。反射炉、鉄製等の科学・技術開発をして富国強兵策をはかったのです。そして、近代的な科学技術を利用しての工場をつくっていったのです。母方の従兄弟である島津斉彬蒸気機関等の技術を提供しています。
 さらに、医学の発展にも尽くし、佐賀藩医学館をつくり、西洋医学を積極的に取り入れて、種痘法なども行うのです。直正は、質素倹約と借金の整理策で藩財政を立て直すのでした。家臣には、生活に必要な相続米支給ということで、知行をすべて藩に収納することにしたのです。
 商人たちの農村での生活を禁止して、綿打ち、大工、鍛冶、家葺き(いえふき)の4つの職のみが農村の生活が許されたのです。農商分離施策を徹底させて、農民生活の安定策をしたのです。商人たちの無法な金儲け主義を規制するために、商人たちの農村での居住を制限したのです。

 商人たちの返済は、70年、100年という年賦返済ということで借金の棒引きをして、さらに、4分の1の支払いで、あとの残りは、商人の献金策ということでした。産業の起業によって、財政と人々の生活を豊かにしたのです。商人も新たな活路を得ていくのでした。お金を貸すことによっての高金利を得るという方法ではなく、産業振興によって、利益を得ていくという方法を奨励したのです。
 弘道館では、大義を基本にしての学問の推奨でした。国政の中心は、人材養成ということで、学問は普遍的な真理の探究にしたのです。教育のためには、大胆に予算を増やしたのです。学問のため、教育のためには、予算を削ってはならないことを藩の基本施策になったのです。

 上級の家臣ばかりではなく、下級の武士の子弟も含めて、弘道館では一定の学問の課業を与えて、卒業制度を設けていたのです。卒業できないものは、家禄の一部削減の罰をするのでした。
 弘道館の教師たちにも学問の大義として、独善的にならず、他人の意見を謙虚に受けることでの真理探究の奨励でした。そこでは洋学を含めて広く真理探究を求めたのです。
 佐野常民は、1855年に長崎の海軍予備伝習に参加して、海軍所の責任者になるのでした。そして、日本初の蒸気機関車模型を完成させたのです。明治維新後は、日本海軍の創設の基礎づくりに尽力しました。からは、パリ万博博覧会参加で、国際赤十字の組織と活動を知り、博愛社日本赤十字の発展に尽くすのです。

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 江藤新平は、初代司法卿として、日本の近代法制度の確立の端緒の問題提起をしています。また、三権分立の国家制度をめざしたが、明治6年10月の政変によって、政府を去り、佐賀の乱で非業の死に至るのです。
 明治新政府内のカネと政治をめぐる不正問題は深刻であった。江藤新平等の追求で山県有朋井上馨汚職問題で政府の中枢部からおろされたのです。議会制は実現しなかったが熱心な検討がされたのです。民法と公法を区別しての法治主義、司法制度を考えたのです。
 日本の幕藩体制封建制度から絶対主義的な中央集権の至る過程において、江藤新平のような考えが士族民権、議会主義、憲法主義・法治主義が存在していたのです。江藤はヨーロッパの司法制度も熱心に学び日本の現状にあわせて制度を考えました。
 島義勇は、北海道の開拓の父とよばれています。藩主の命で北海道、樺太の探検調査をしています。島は、札幌を開拓本府と定めて建設し、松前藩の請負制度を通告しますが、時期尚早主張の開拓長官と対立し、実現することができなかったのです。
 大木喬任は、1907年の帝国教育会主催の明治6大教育家に顕彰されます。6大教育家は、森有礼近藤真琴中村正直新島襄福沢諭吉賢章されたのです。大木は、大久保の側近として活躍します。戸籍制度の制定も行います。大蔵省の大隈と対立するのでした。
 以上のべてきたように明治維新での佐賀の賢人は、弘道館で結ばれていましたが、それぞれの立場は異なっていたのです。

森の循環と共生への社会教育

  山神の祠 霧島山麓の高千穂リゾートV街区から吉之元集落にある森林組合の原生林の尾根にあるものです。
  
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森の 循環 と共生への社会教育
現代社会は、大量生産と大量消費で、弱肉強食の競争社会により、格差の拡大が進んでいます。人々の生活様式もゆがみが、自己本位の欲望拡大によって、社会的病理現象が大きく現れています。他者と分かち合い、慈しみの感情が衰え、地域の協働、人々が歩んできた自然との共生が大きくゆらいでいます。
  人類は古来から自然を神として、自然の恵みからの感謝と自然災害からの恐れをもっていたのです。自然の神は、山の神、水の神、森の神、神が宿る木々、神が宿る天然石を祈りの対象としてきたのです。
 これは、アニミズム、テーテミズムと原始宗教として、現代的でも民俗信仰などに深く残っているのです。水田農耕の発展によって、田の神さまが現れていくが、この神は山の神となって、森や水の恩恵によって栄えてきた人々にとって一層に信仰が強まっていったのです
 

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 近代社会になっての科学技術の革命は、生産性が一層に発展していくが、これは、弱肉強食の価格競争を作り出し、生産の発展が持続可能性、循環性をもっていくことから離れていったのです。資源の略奪、自然破壊が行われ行くのです。科学・技術の発展した先進国は、決して循環性、持続可能性という側面からみるならば、野蛮性をもって生産力の発展を遂げてきたことをみなければならない。

  先進国における利益優先と便利優先の大量消費は、ゴミの処理すら自国で解決できずにいます。ゴミの輸出が行われているのです。また、金権による乱開発と天然資源の略奪を伴って、環境破壊が起きています。

 このままでは、資本主義的な弱肉強食によって、社会的矛盾と同時に、環境問題から地球全体の環境破滅が起きかねない状況です。世界各地で、プラスチックの海洋汚染、排気ガスの大気汚染、地球温暖化の問題が生まれています。自然災害にもろい大地の出現は、森の破壊によってです。市場絶対主義の価格競争や金銭欲絶対の価値から人間が自然と共生し、持続可能性をもって、自然循環に責任をもつ人々の生き方が大きく求められているのです。

 現代社会は、発展途上国と先進国の矛盾も深まっています。あらためて自然生態系を生かした開発、自然との共生が国際的に求められ時代になっています。この達成には、生涯にわたっての持続可能な社会のための環境教育が必要になっているのです。

 金権の支配する大量消費社会、便利優先の社会では、人間尊厳から歪んだ欲望が生み出され、不信感と孤立化、平気で嘘とだます状況が作られています。人間が自然と共生し、自然循環のなかで生きてきた精神から自然を征服、略奪する弱肉強食の競争社会に変わっているのです。

 資本主義的な弱肉強食の市場価格競争は、ゴミ問題処理や循環性を含めた状況の解決が難しくなっているのです。自然との共生と自然循環を人間の暮らしのモラル、暮らしの精神の確立が必要になっているのです。つまり、市場絶対主義の新自由主義的な金銭欲・金権の絶対主義からの人間尊重の社会経済のしくみ、人々のモラル形成が急務になっているのです。消費者自身の目先の便利性や欲望の実現だけではなく、環境問題の意識形成が主権者教育として必要なのです。

 現代は、人類的な課題である自然と共生、循環性のある社会のしくみの創造が求められているのです。深刻な世界的な環境問題のなかで、社会的にゴミ問題の処理や循環性をルールとしてしていかねばならない時代です。

 発展途上国に先進国のゴミが輸出されていることや、発展途上国の森林の乱開発、資源の略奪も行われていることも現実です。ゴミ問題や循環性の社会的ルールをつくっていくうえで、国家の役割が重要性ですが、同時に国民的な教育も大切な課題です。
 生涯にわたっての教育として、時代の変化とともに社会教育は極めて大切です。しかし、社会教育行政としての関わりの現実は極めてうすい状況です。
 
 また、石油等の化石燃料から持続可能な開発が大切な時代になっています。資源も自然略奪ではなく、自然と共生し、循環できる科学・技術の研究開発が大きなテーマになっているのです。ここには、効率的な生産性を重視していくことではなく、林業や農業のあり方が、自然災害や温暖化ということも視野に入れていくことです。それは、持続可能の経済性を考えていくことです。つまり、自然との共生ということの循環経済性を問うことが必要になっているのです。
 
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 原子力発電についても果たして経済性であるのか。核のゴミをどのように処理していくのか。その経費はどれほどかかるのか。安全性のことを考えるときに、事故の起きる確率からではなく、想定されないことが起きて、重大な惨事になるのです。
 さらに、重大事故が起きたときには、どれほどの経費がかかるのか。この問題は、東日本大震災の福島の原発事故を経験して、その恐ろしさと莫大な経費のかかることを経験しているのです。原発ゼロを求めるのが、東日本大震災による福島原発大惨事後の要請です。

 東日本大震災福島原発事故20113月から鹿児島県の川内原発2015年の9月の再稼働まで、日本は、原発ゼロであったのです。まさに、四年半の間、原発がなくても国民は乗り越えてきたのです。しかし、安倍内閣は、国の定めた安全基準に達すればということで、原発を再稼働していくのです。

 原発事故の恐ろしさは、福島が教えているのです。どんなことがあっても原発事故を起こさないことことは、原発がないことです。極めて危険なものはつくらないことです。ふたたび、御用学者を動員しての原発安全神話が復活するのです。

 原発ゴミの処理経費、古くなった原発廃炉の経費を無視しての経済性が強調されていくのです。自然への循環ということからは、膨大な経費と日数がかかるのです。そして、未来への再生可能エネルーギーを抑制しての原発の再稼働です。未来への循環と共生への経済への模索に対する思考停止が現実に起きているのです。

 経済には、生産から消費、そして、ゴミの処理という循環性があるのです。ゴミがリサイクルされることによって、自然循環性のある経済になっていくのです。しかし、資本主義的な弱肉強食の市場経済は、ゴミの問題までを考えての市場価値が想定されていなのです。社会的な安全性の確保のために、社会的リスクをできるだけ少なくするための循環性と持続可能性という経済のしくみが求められるのです。
 消費者自身が主権者として、持続可能性や自然との共生を社会的価値として、入れていく運動が必要になっているのです。生産と消費との関係で市場がなりたち、そこで価格競争による取引関係が起きますが、ゴミ問題、安全性、暮らしの尊重ということから、循環性と持続可能性の経済のしくみが求められているのです。それは、社会的規制を撤廃していく新自由主義的な経済のしくみではなく、社会的ルールを民主的に確立しての創造の自由性の尊重です。

 循環性ということは、新自由主義的発想の市場価格競争にとって、大きなマイナス要因の思考になります。資本主義的な根本矛盾から循環性の破壊を考えていかねばならないのです。社会的な環境保護という人類的な課題の規制がなければ、経費の削減としてカットされていくのです。
 
 人間らしく生きていくうえで、環境の保護は、不可欠な条件です。
そのためには、自然生態系を守り、自然との共生で、自然循環性を維持していくことです。生産の条件には、この社会的な整備が必要になるコストです。

 この社会的コストは、資本主義的な市場の価格競争のなかでは、経費の削減としてカットされていく傾向をもつのです。ここには、一国だけではなく、国際的な社会的規制が求められているのです。

 日本の原子力政策は、生産と消費という価格競争の市場絶対主義で、核のゴミをどのようにして、処理するのか。これは答えのでない問題です。

 核のゴミの処理に、全く見通しがないなかで、原子力発電を行っているという根本的な欠陥があるのです。核のゴミは、ほっとおけば自然界の秩序に大きな影響があり、生態系を大きく崩していくのです。人体にとっても極めて危険なものになるのです。

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  「森の思想が人類を救う」を書いた哲学書梅原猛は、日本の縄文文化から続いてきた森の信仰が現代の混迷した人類を救うとしているのです。鎮守の森の文化のなかにあらわれ、沖縄とアイヌの文化が強くあらわれているというのです。日本の縄文時代からの森の文化の基層が、日本独自の仏教思想である自然中心主義に変容させたとするのです。

 それは、天台本学論「山川草木悉皆成仏」という生命の本来的同一性の思想になったとするのです。親鸞の往相廻向(おうそうえこう)とい思想のなかには、南無阿弥陀仏と唱えて極楽浄土に行くことと、極楽浄土から、この世に苦しんでいる多くの人々の救済のために、この世に帰ってという大乗仏教の菩薩道としての利他行を徹底する教えがあるのです。この世とあの世をたえず往復して、人間救済に努力するのが弥勒に等しい菩薩の位にたっている念仏行者のあり方とすることを梅原猛はのべるのです。

 21世紀の最大の危機は、環境の破壊にあると梅原猛は強調するのです。金儲けに一辺倒に凝り固まって自然破壊が進んでいます。ゴルフやリゾート施設の乱開発、木材や紙の浪費、熱帯雨林の破壊、酸性雨、オゾンの破壊、地球の砂漠化など人類の生存をおびやかす現象が起きているのです。

 この危機から人類が救われる道は、まずは、近代文明の自然征服の思想の克服であるとするのです。
 つまり、人間と自然を峻別して、自然科学を飛躍しての自然征服の科学・技術の思想から、自然と共生し、循環していく思想の転換です。森を食いつぶしてきた文明からの脱皮であると梅原猛はのべるのです。この意味で、日本の縄文文化の森の思想は、現代の人類的危機を救うというのです。
     梅原猛「森の思想が人類を救う」小学館 梅原猛「人類を救う哲学」岩波新書 参照
 
 
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 富山和子「水と緑と土」中公新書で、自然を愛し、自然と共に生きてきた日本の人々が自然を工業的な発想による自己の都合のよいように解釈して、自然破壊するようになっているとしています。自然環境の破壊は、人間の耐えうる限界を超えています。水と土壌と大気に加えられた汚染は、何を食べれば安全か、どこで呼吸すれば安全かの疑問さえ解答を与えていない。

 治水革命は、明治の中期に堤防技術の開発によって、日本人の河川観が根本的に変わった。
川はときには大暴れるものであり、大洪水の氾濫は忍ばねばならないものであり、水害防備林や遊水池をたくみにつくって、その備えが甚大な被害がもたらさないようにするためのものでした。

 川は人間の生活に密接に結びついた。
 決して堤防を築いて断絶するものではなかったのです。交通手段は、川によての船の運行であったのです。また、川は自然の恵みである豊かな土壌を運んできたのです。明治29年の河川法の制定は、川と川以外の土地を明確に区分したのです。浸水を絶対に許さないということで、高い堤防をつくって、洪水を川におし止め、海に一刻も早く流すという方式です。
 
 川の自然的機能を大切にする遊水池や水害防備林は、河の暴れを緩和していくのです。 この考えは、明治29年の河川法の設定で、捨て去られていくのです。水量調整機能をする遊水池、曲がりくねった河川、川原の森林などよりも高位堤防による効率的に海に最もはやく流す河川工事になっていくのです。

 このことは、かえって洪水の水量が増大したことにより、水害は増えていくのです。高い堤防をつくり、川と分離した土地に資産を投資することが可能になりました。川のなかの自然の機能である水と緑、土は切り離されて、河道になったのです。河川の自然的防御機能を少なくした結果、水量の増大によって、河川の堤防機能をより強化にしていくのです。一度の決壊による被害規模は甚大になるのです。

 日本の川との伝統的なつきあい方が、高水位の堤防万能主義に大きく転換していくのです。日本の伝統的治水は、森林の機能を大切にしたのです。下流で土地を耕すことは、上流の森林が土地を守ってくれることから、下流の住民は、森を大切にすることに気遣っていたのです。
 
 そして、森林の機能を大切にした治水は、低水位工事で、つねに川の交通とともに発達してきたのです。米や木材が輸送されたのは、川の交通機能です。洪水を防御することと、交通を維持していくことは、一体であったという日本水系の一貫思想があったのです。この伝統的治水思想は、明治の近代的な堤防万能主義によって葬り去られたのです。

 日本の都市は、川を捨て場としてきた。都市は森林を払い、地表を建造物で覆い、堤防で川との交わりを絶って、土地の利用効率を高めたのです。都市は足下から水を捨てた。降った雨の自然水は、堤防で川との交わりを絶ったのです。都市の水需要が発生する以前から、水田が洪水を調整する機能をもつ一方で、地下水を川に徐々に流す機能を果たしたのです。水田の農業は、ため池をつくり、かんがい用水をつくり、堰によって、水を集め、水を排水して利用することをしてきたのです。水を無駄使いせずに有効に使ってきたのです。
 
 都市の経済活動によって増大していく水の需要は、水を土地から切り離して、足下水を捨てて、遠くのダムに求めたのです。そのダム建設も上流へと求めたのです。日本は急傾斜の多い地形で、上流に、ダムをつくっても土砂の堆積が早く、耐用年数が短いという特徴をもっています。
 
 ダムに依存した都市の水の供給は、限界を持っているのです。ダムの建設は、コンクリート技術の依存です。森林を活用した水資源の確保という発想が薄いのです。森林は水を蓄え、水源を涵養していくのです。また、森林は、土砂の流出を防ぎ、山崩れを防止する機能をもつのです。 
 
 そして、森林は大気中の二酸化炭素を吸収して、酸素を吐き出し、気温も調節してくれまし、風の強いときは、防風林の役割を果たします。森林は森羅万象ということで、自然生態系を維持して、人々に心の潤いを与えてくれるのです。森林は、人々の生活にとって、様々な機能を果たしているのです。森林は木材を提供してくれるという狭い意味だけではない。
 下記の写真は霧島市の重久地域の水田です。山から流れてきた豊富な水をもった扇状地の水田です。
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 富山和子は「日本の米」中公新書で古代から日本の水田発達を論じています。
日本の原風景は、水田が山深くいきわったということで、堰堤によって、粘土を石を積み上げていったということです。山の文化が水を治めることになりました。

 山村では、木地屋が工芸をし、燃料の炭焼きをして、狩猟などをしていました。さらに鉱物のあったところでは、製鉄業や金塊の生産が行われていたのです。船乗りにとっても造船にとって山から木材を探すことは極めて大切であったのです。これらの産業が山にあることによって、水田の水が守られてきたのです。

 山は神のいるところで、水の神、田の神は神は山から降りてくるというのです。木を植える文化は米を増産させるためのものです。木を植えることによって、水を蓄える文化をつくり、豊かな水田をつくっていったのです。稲を育てる水の文化は水田の発達によってつくられたのです。

 阿蘇は、今日、水の豊かなところとして知られます。それは、けっして、自然条件のみではなく、人間の木を植えてきた歴史がつくりだしたものです。
 阿蘇の水の歴史は、木を植える長い歴史のなかから生まれたと富山は指摘しているのです。阿蘇山麓は、水系に恵まれ、豊富な水田地帯を形成していますが、それらは、人々の木を植えてきた歴史がつくりだしたものです。日本の各地には棚田があります。この棚田は、農民の水とともに生きてきた水田技術の結晶です。石垣によって、水田が天にそびえているのです。

 現代日本の社会では、鎮守の森プロゼクト運動が起きています。この運動は、細川護煕元や宮脇昭横浜大学名誉をはじめ多くの著名人が提唱している運動です。地域の暮らしを守る森づくりとして、ドングリを拾ってきて、苗を育て、それぞれの地域の防災からを命を守るために植林していくものです。沿岸部、河川、建物のまわりなどに森をつくっていくことです。防災と同時に森と親しみながら心の潤いの生活にもなるものです。
 また、鎮守の森コミュニティ研究所は、自然エネルギーコミュニティ構想、森林療法、祭りと地域活性化の調査研究と実践をしています。これらの動きがどのようにして、国民的な運動になっていくのか大変に興味ある課題です。日本人の精神構造には、深く鎮守が存在しています。森林に囲まれて、山の多い国土に暮らして、そのを恩恵を古来から受けてきたことからの鎮守のなのです。
 
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公民館・コミュニティセンター職員の専門性と養成・研修―社会教育士の創設を見すえてー

公民館・コミュニティセンター職員の専門性と養成・研修―社会教育士の創設を見すえてー
2019年6月29日から30日日本社会教育学会九州・沖縄地区集会
 
 文部科学省は、平成30年9月に社会教育主事の省令改正を2020年4月1日施行の通達で、社会教育専門士の創設を打ち出しています。社会教育主事に期待されることは、地域の多様な専門性を有する人材や資源をうまく結びつけて地域の力を引き出すことであるとしています。
 社会教育専門士は、地域活動の組織化支援を行い、地域住民の学習ニーズに応えていくこと、学習者の地域社会への参画意欲を喚起することです。そして、学習者の学習成果を地域課題によるまちづくりをしていくことです。また、地域学校協働活動につなげていくことを考えています。ここでは、地域づくりとの関係の学習が強くあるのです。
地域づくりの学習ということは、住民の学習権保障に結びつくかということが大切なのです。行政の施策の遂行のために、地域課題として学習を設定して、行政を効率的に住民の参加動員のためにしていくのではないのです。住民自身の人間らしく生きていくために、発達の権利から学びが保障されるという視点が重要なのです。

人間らしく生きていくたの発達保障のための学習権

学習権なしに人間の発達はないのです。生存のための学習権を基本にしての地域の課題学習があるのです。「教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としてしなければならない」。(世界人権宣言)
万人のための教育に関する世界宣言では、基本的な学習ニーズとは、「人間が生存し、その能力を全面的に発達させ、尊厳をもって暮らしかつ働き、発達に全面的に参加し、その生活の質を向上させ、充分な情報を得たうえで決定を行い、かつ学習を継続することができるために必要とされる必須の学習手段、および基本的な学習内容から構成される」。
学習ニーズを充足していくためには、すべての人々の人間らしい生き方のエンパワーメントです。万人のための教育宣言では、社会的正義の前進の学びを次のようにのべています。
「社会的正義の大義を前進させること、環境保護を達成すること、共通に受け入れられた人間的価値および人権が支持されることを確保しつつ、自己のものとは異なる社会的、政治的および宗教的制度に寛容になること、および、相互依存的な世界において国際平和と連帯のために」。
地域の学習課題を考えていくうえで、世界人権宣言の教育権や万人のための教育宣言の人類普遍的理念を踏まえての設定が大切なのです。
 
九州地区学会の報告は、4つありました。最初に、九州・沖縄地区全体の社会教育関連職員の養成・研修について、統計的に上野景三氏が報告しました。上野氏の問題意識は、社会教育士の制度が省令によって、2020年から実施されますが、それに対応して、市町村で、その専門性を認めての採用や配置があるのかということでした。
公民館・コミュニティセンター職員の任用にあたって、その専門性を認めて実際は、配置されてひとつである社会教育士の資格を任用の条件にしていなくても、採用後に専門職としての力量を形成しているのかという問題提起でした。
全国的に公民館数や公民館職員数が、著しく減少している状況で、非常勤職員が増大して、社会教育職員の有資格者の占める率も極めて少なくなっているという実態の分析でした。実際は公民館の専門職員も配置されていないことから、公民館のことが知らないものが担っている実態ということでした。また、公民館の職員の専門性を高めていく研修も保障されていないということです。
なぜ、市町村段階での公民館などで、社会教育職員の非常勤依存や専門性が現実に認められていないのか。その構造的な問題も含めて掘り下げていく研究課題があるのです。大学での社会教育専門職の養成を行っても、採用する側が、その専門性をないがしろにして、それを条件にして、採用していない現状では、社会教育士の創設をしても、その意味が発揮されないということです。
 
第2の報告は、佐賀市における公民館職員の相互学習と力量形成」でした。この報告は、佐賀市西与賀公民館の田中真由美氏でした。佐賀市は、32の公民館数で、公民館主事67名で非常勤の専門職主事33名、嘱託10名、常勤主事24名です。2012年に地域コミュニティ施策をすすめるために、公民館・地域連携協議会から地域コミュニティ協議会(まちづくり協議会)への移行がはじまります。

2014年に旧町村の生涯学習センター・コミュンティセンターを社会教育法上の公民館へ統一します。公民館支援業務の補助執行、市民生活部協働推進課公民館支援係。2018年に、教育委員会社会教育課を地域振興部公民館支援課公民館支援係に一元化して、施設整備係、人事管理までも含めて補助機関となりました。
佐賀市の公民館職員の大きな特徴として、グループ研修としての相互学習を実施していることです。そこでは、防災、まちづくり協議会に特化した地域人材育成、シニア世代の社会参加、学びを通しての地方創生、地域づくりの交流会、福祉と公民館などのグループ研究会として、2012年から相互研修をしているのです。
シニア世代による地域活性化ポログラムでは、社会福祉協議会、福祉総務課、地域包括センター、女性ネットワーク、さが子ども食堂等との連携を積極駅にしてのグループ学習であるのです。このことによって、関係機関や団体とのネットワークが構築され、公民館職員の力量形成がされていったのです。
事例研究をとおしての相互理解からから相互承認の場つくりになっていくのです。ここでは、公民館の一館という狭い枠から佐賀市全体の福祉ネットワークとひろがり、佐賀市のかかえている福祉の課題の普遍性が学びのなかで深まっていくのでした。
 
 第3は、佐世保における職員の養成と研修の新たな方向性という口石裕輔氏の報告でした。佐世保市は、指定管理者制度やコミュニティセンターに公民館が大きく変化しているということでした。公立公民館は、中学校の校区を基本にして設置されています。中央公民館がひとつで、地区公民館が27館になっています。
館長は、正規が2名で、フル嘱託20名、パート嘱託6名です。職員は正規10名、フル嘱託11名、パート嘱託21名です。嘱託の職員は5年が基本になっています。社会教育主事講習を受講して資格をとったものは、10年まで延長することができるとしています。
 平成24年度から地域コミュニティ推進事業の展開で、自治活動の拠点としてのコミュンティセンターということに移行しています。公民館を廃止して、市長部の局管理にして、指定管理者制度を導入が来年4月に移行するという検討に入っているところです。指定管理者制度の導入によって社会教育行政そのものが消滅していく危険性をもっています。従来の公民館機能をいかにして残すことができるのかということが大きな課題になっています。
住民自治の拠点ということでのコミュニティセンターということで、まちづくり協議会がその担い手になっていくというのです。自発的な学習を助ける場の従前の公民館の機能をいかにして残していくかという大きな課題があるのです。ここで、あらためて住民の自治による地域づくりのための学習とはなんであるのかかが問われているのです。
権利としての学習が大切になっているのです。社会教育の目標を住民の自治育成ということの内容を明確にして、従前の公民館機能の必要性を強調していく研修が必要です。地域をよくする講座ということで、公民館とは何をするところか、よい地域の価値づくり、住民自治の実現にむけて、先進事例から学ぶ地域をよくする学習プログラム、公民館は多様な世代の巻き込み・公民館テ^マパークの研修を5回にわけて実施しています。
市長部局における社会教育、公民館の認識の不足が大きく、自発的学習して意義よりも行政効率、行政遂行の視点が強い現状をどのように打破していくのか。この際に、住民自治を育むことを自発的学習の視点から深めていくことが必要ということでした。
 
第4の報告は、大牟田市の地域コミュニティ推進課で社会教育主事の西田久氏の報告でした。ESDを取り入れた本格的な事業展開を大牟田市として実施しています。全小中学校でユネスコ指定の事業をしているのです。平成30年度に市民の学習ニーズを把握するために、アンケートを郵送法で市民意識調査とインタビユ調査を実施したのです。
このことから、個人に関する学習の要望が高いことが明らかになったが、ボランティア活動、地域活動に関する意識がたかいことも明らかになったのです。そして、生涯学習を盛んにするまちにするためには、専門的な職員や指導者を配置する声が高いことがわかったのです。大牟田市は人口減少が著しい地域ですが、7つの高等学校があり、外の町村から生徒が数多く通学しているのです。この強みをどうのように生かしていくのかという課題があるのです。
ESDという持続可能な開発のための教育を全市的に実践している強みを地域づくりの学習にどのように結びつけていくのか。生涯学習ボランティア登録制度を充実させて、地区公民館や校区コミュニティセンターなどの課題でもあるのです。
 
以上4つの報告でしたが、全体的にまちづくり協議会などの組織が中心となって、自発的に学びながら地域づくりをしていくということよりも地域課題を推進していくために、コミュンティセンターの充実ということや指定管理制度などにみられるように、一般行政主導による側面が強く、住民の学習権や社会教育職員の専門性の充実どのようになっているのかということが大切と思いました。文部科学省の省令改正によって、社会教育士の導入が制度的に可能になっても、市町村行政が社会教育の専門性を重視しての地域づくりをしていかねば、意味のないことです。したがって、市町村の首長の社会教育専門性を積極的に位置づけていくとりくみをしていくことが、社会教育関係者として最も必要なことです。 
 
 

日本語教育推進法と社会教育

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日本語教育推進法と社会教育
 
   神田 嘉延
 
 日本語のできない問題状況を直視しての外国人の教育を充実
 
 2019621日に日本語教育推進法が国会を通過しました。この法律は、日本に居住する外国人が日常生活や社会生活を円滑に営むことができるように、国と自治体、事業主の責務を明らかにするための法律です。
 しかし、内容は抽象的です。本来、教育事業は、文部科学省教育委員会が管轄する部署であるはずですが、そのことさえ明確にされておらず、連携の強化という抽象的なことで、実施の責任主体があいまいで、関係省庁間、日本語教育を行う機関との体制の整備ということが書かれています。

  日本語教育機関で学ぶ外国人の生活問題が大きくあるのです。実際に、日本での日本語学校では、アルバイトに追われ、授業に集中できないことや学校にもこない「留学生」も数多くいるのです。これらも甘い言葉をかけられて安易に日本への留学をしているのです。これは、大学での日本語別科や研修生などにもみられるのです。社会問題になった東京福祉大がその典型です。

 日本語がわからず、日本の法律制度も理解できずに、甘い言葉をかけられてだまされて働いている外国人労働者も少なくありません。多額な借金をして、日本に働きにくる外国人労働者は、悪徳中間業者にだまされてくるのです。
 日本の現実は、予定していた時間あたりの賃金は低いのです。借金を返すため、本国の家族に仕送りをするため、将来の準備のためと、残業をせざるをえないのです。結果的に長時間労働になっていくのです。さらに、労働環境も悪く、また準備された生活のアパートも劣悪で、馬小屋を改造しての牧場のなかでの全く寂しい宿泊所を提供されている場合さえあります。

 日本で過酷な労働や生活で死に至る外国人のケースもあります。自分の意志を表現できずに、訴えるすべもわからず死んでいった外国人労働者の現実を直視しなければなりません。日本語がわからないことがいかに過酷なことであるのかを知る必要があるのです。人権を守ることは、コミュニケーション能力を保障することです。日本語教育の推進は、外国人労働者や留学生の人権を守っていくことなのです。
 
 少なくとも本国での初級段階を達成して日本で中級程度の日本語教育を受けられる国際的な連携体制をつけるべきです。日本語教育は、送り出す国での連携的な教育が重要なのです。日本語をまったくできないことで留学生や外国人技能実習生・外国人技能労働者を受け入れることに問題が大きいのです。この問題点を十分に認識しての市町村の責務があるのです。

 日本語教育推進での市町村の社会教育と学校教育の役割
 
 外国人労働者や家族の日本語教育推進は、市町村自治体の責務としての社会教育や学校教育の役割が大きくあるのです。地方の労働力不足のなかで、市町村自治体の地域振興計画のなかに外国人労働者の受け入れを考えなければならない時代です。
 現行制度では、外国人の受け入れについて、市町村の責務が明らかにされておらず、入国管理機関や受け入れ協同組合組織、企業の雇用の側面が強くあります。地域で外国人が地域住民として共同の生活をしていくという側面からの市町村の役割が極めて不明確です。外国人が地域で暮らしていくうえで、多文化共生社会になっていないのです。

 地方の地域活性化にとって、外国人労働者は貴重な人材になっているのです。外国人労働者が人間らしい生活が職場でも保障され、地域の人びとのとの生活共同体の一員になるために、多文化共生の地域社会づくりが求められのです。
 外国人労働者や家族の日本語教育推進は、地域活性化のなかに位置づけられるのです。そして、地域で人間らしい生活を外国人ができるために、日本語教育推進があるのです。地方中小都市や農山漁村では、人間らしい生活を保障していくために、地域の学習活動の場として、公民館があります。外国人労働者と家族の日本語教育推進は身近な学習の場での公民館活動に求められているのです。

 日本語教育推進法では、財政上の措置をとることが書かれています。国や自治体は、日本語教育機関への補助金支出が責務ということになりかねない。理念ぬきの補助金獲得の競争になる場合もあります。また、外国人実習生や外国人技能労働者の受け入れの問題状況を覆い隠すアルバイづくりのひとつの要因になる危険性をもっています。

 国や自治体の責任ということを公立の学校教育や社会教育行政・生涯学習施策のなかで明確に位置づけていくべきです。日本語教育を責任ある実施主体は、教育委員会です。このことを明確にして、各機関との連携が必要になってくるのです。
 外国人の子どものため、日本語がわからない児童・生徒の特別教育課程を設置して、責任ある公立の教員配置を行うことが必要なのですが、それは、教育委員会の仕事です。責任主体の不明確のままで、非常勤による「教員」の配置ではないのです。
 
 歴史の教訓は、外国人によって、地域が活性化したことがあった
 
 多文化共生は、歴史の教訓から学ぶことも必要です。450年前に戦国の世の中から大航海時代、天下統一の平和の時代に進んで行きますが、このときに多くの外国人が城主の側近待遇で受け入れられたのです。彼らは、商業や街並みづくり、開墾技術の担い手として活躍したのです。南九州では、そのことが唐人町として、今日まで残っています。その子孫は今日でも地域づくりの担い手として活躍しています。例えば、初代の国分市長になった林家、日本一の焼酎酒造になった江夏家など霧島山麓ではいまだに活躍しているのです。

 日本における近代の歴史は、アジアへの植民地獲得に乗り出し、帝国主義政策によって、アジアの人びとと共存共栄をせず、脱アジア、民族排外主義をとりました。隣の朝鮮半島の人々や中国の人々との共生社会ではなく、非人間的な扱いをしたのです。

  この歴史は、アジアの人々に日本人は差別意識を強くもったのです。その典型が労働動員、徴用工にみられる強制連行による過酷な労働を強いたことです。いまでも日本は経済大国意識があることによって、アジアの人びとに対する差別意識が残り、近隣諸国から日本の人々は助けられ、共生し、共存共栄していかねば生きていけないことの認識が十分ではないのです。
 
 外国人の日本で暮らす権利としての日本語教育と教員養成の重大性 
 
 日本に居住する外国人の様々な生活や労働の問題を直視して、世界人権宣言、ユネスコの学習権、社会権の条約、子どもの権利条約の視点をきちんと踏また分析のうえで、具体的に理念をあきらかにしていくことが必要です。
 とくに、日本の国籍をもたない外国人や日本語がわからない日系ブラジル人等の子どもの日本語教育は義務教育を受けるということから特別の意味をもっています。日本語教育推進法は、日本で居住する外国人が日本語教育を受ける権利としての視点もなく、また、外国人に対する教員養成の課題が基本理念のなかに欠けています。

 公立学校では責任ある正規の外国人のための日本語教育を推進する教員の配置が求められているのです。その教員養成の制度を国は責任をもってつくっていくことが必要なのです。教員養成は大学におけることを原則にして、その充実を「日本語教育人材育成の養成・研修の在り方」の平成30年3月の文化審議会の報告にもとにしていくべきです。

 外国人の国語教育のための教員養成における3つの領域としての社会文化領域、言語領域、教育の領域、5つの区分、社会・文化・地域、言語と社会、言語と心理、言語と教育、言語のカリキュラムも充実させ、科目内容の点検も求められているのです。その科目の教えていく大学教員の資格も当然に不可欠なのです。

 また、その報告書で指摘している日本語教師日本語教育コーディネーター、日本語学習支援者の三者の役割を明確にして、地域での外国人のための日本語教育の推進の担い手の役割があるのです。

 大学における教員養成として、国立大学の教育学部等の教員養成大学は大きな役割を果たしていますが、国は積極的に外国人のための国語教育の教員養成の在り方として、大学の重要性を明確にしていないのです。
 地方では、国立大学の教育学部の定員削減が大幅に行われていますが、教員養成は、小学校や中学校の従前の枠の定員からではなく、新たな社会的な教員養成の需要から改革をしていくべきです。

 社会教育という視点を積極的に考えていけば、教員の人材養成が大幅に求められているのです。外国人のための日本語教育のための教員養成もそのひとつです。それは、外国人の子どもばかりはなく、外国人労働者として働く人々にとって日本語教員の意味もあるのです。

 教員養成における担当科目者の審査をきちんと行っていくことが必要です。この意味で、民間の日本語教員養成機関で実施している420時間のカリキュラムの充実も検討すべきです。
 
 日本語教育法を充実していく方向性
 
 重大な欠点をもっている日本語教育推進法でありますが、外国人に対する日本語教育推進の法律がなかったことで、この法律を具体的に現実の外国人の生活や労働で日本語ができないことで、権利が保障されずに、現代的な奴隷的な状況になっていることへの解放につなげていくことが必要です。

 法律の目的のなかに、多様な文化を尊重した共生社会を実現するため、諸外国との友好関係のことが記されていることから、この趣旨を深めていくことからの現代的奴隷的状況からの解放に日本語教育の成果が利用することが必要です。日本人との共生連帯、外国人によって助けられている側面での感謝への施策が具体的につくりあげていくことが不可欠です。

 日本の少子高齢化のなかで、労働力不足が深刻になり、地域や職場のなかで外国人との生活共同体をつくりあげていくために日本語教育推進があることを明確にしていくべきです。それは、単に、多文化共生ということではないのです。
 生活共同体は、日本人も外国人も区別なく、同等に同じ権利をもち、待遇も給与面も同じで共に生きていくことであるのです。外国人の子どもも当然ながら教育を受ける権利を日本の国籍をもつ子どもたちと同様にもっている認識を地域や職場の人々がもっていくことが求められるのです。

 このように中小企業の様々な団体が外国人を受け入れるときに、教育事業にとりくむ課題があるのです。このことは外国人労働者を受け入れている農業生産法人も同じことがいえるのです。日本語教育外国人労働者の能力開発及び向上のなかで積極的に位置づけてキャリアアップしていくことが求められているのです。

  外国人の教育を受ける権利の憲法と条約の解釈

 憲法26条の解釈で、政府は、外国人の教育を受ける権利は、義務でないとしています。「すべて国民、法律の定めることにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護う子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は無償とする」。
 日本国憲法での社会権的な基本的な人権項目は、同じように解釈されて、外国人に対する差別が歴史的に行われてきたのです。

 この解釈は、日本が国際条約である社会権規約子どもの権利条約を無視したものです。条約を結ぶうえで、憲法での整合との関係で社会権や教育を受ける権利も深めらるべきです。
 つまり、憲法26条の教育を受ける権利は、人類普遍の人権原理として定められているのです。憲法97条において、基本的人権は、人類普遍の原理で犯すことのできない永久の権利として規定され、憲法98条では、憲法最高法規のことと、国際条約や国際法規の誠実なる巡視の必要性がのべられているのです。

 憲法26条の教育を受ける権利は、人類普遍の原理として日本に居住する外国人にも認められていると解釈すべきです。憲法98条の憲法最高法規ということと、すべて国民は、日本人のみという解釈で人類普遍の原理という共通内容をもっている条約も無視して、政府は排外主義的な解釈をしているのです。
 
 外国人にとっての特別に学習言語の取得の重要性
 
 外国人の子どもに対する日本語教育は特別の課程が必要なのです。学校で教育を受けるということは、日常生活や職場家庭で会話することばだけではないのです。特別に、それぞれの教科ごとに学習言語があるのです。 理科や数学、社会など、それぞれの知識や知恵を積み重ねていく学習言語があるのです。これは、職場でキャリアアップしていくための資格取得のための日本語教育も同じことです。資格取得していくための学習言語があるのです。

 それは、単なる専門用語ということの範疇はもちろんこと、それに至るまでの基礎的なそれぞれの分野の学習言語があることを決して見落としてなならないのです。生活者としての外国人の日本語教育と日本で働いてキャリアアップしていくことが同時にあるのです。

 留学生の場合は、それぞれの専門を学ぶために来ているので、その専門性からの学習言語が求められるのです。母国での専門分野の学習がどの程度に取得して、日本で何を学びたいのかを明確にしていく作業があるのです。決して、日本語教育という狭い枠ではなく、青年の興味関心や問題意識、生き方を豊かにしていくことも課題になってくるのです

 日本語の取得にとって、母国の文化や外国人の学習者としての気分や感情、慣習も必要なことです。学習していくうえで、一律的にいかない場面があります。日本語教師として、当然ながら学習者を理解していく国際的な文化を共有していく感覚が求められているのです。
 また、日本の文化も加味しての日本語を理解することも大切です。お互いに感情的な側面も含めて共有していくことをどういたら確立していくことができるのか。日本語を教えていく場合にも、日本文化のお年寄りに対して敬うところの丁寧語も必要になってくるのです。介護労働に携わる人であればなおさらです。介護記録重視で翻訳機でまかなうことができないのです。介護は心のふれあいが大切で、そこに日本語の大切さがあるのです。
 
 海外における日本語教育の推進
 
 日本語教育推進法は、日本語教育の機会の拡充の項目をたて、企業への就職の円滑化と現地における日本語教育の持続的な体制整備、日本語教員養成の施策を講ずることをあげていますが、具体的な視点が欠けているのです。

 海外における日本文化の関心の高まりに対する日本文化や日本社会の理解の増進のために日本学の研究機関との日本語教育の連携や日本に留学や働きに行きたい青年に対する日本語教育の充実など具体的に問題を深めていき課題があるのです。
 また、日系企業などが、その国に進出していく場合に、理解を十分にしてもらうためにも、その地域住民との共生社会を構築していくためにも日本文化の理解や企業の現地での社会貢献の在り方があるのです。

 日本に留学したい青年、働きに行きたい青年には、生活者としての日本語能力として、最低の基準として、初等教育段階の日本語の取得が求められているのです。日本文化を言語からも理解できるように丁寧語や生活習慣のことばが必要になってくるのです。日本語の試験もそれらを理解して、読んで書けるような能力をみる工夫が必要になっているのです。

 日本語能力試験は、択一式の選択方法だけではなく、書く力をみていく試験の工夫が必要です。技能実習生等の日本に働きにいく場合に、面接において、最初から通訳が入ってすることは適切ではないと考えます。それなりの日本語の初等教育の力をつけての面接が求められるのです。そのうえにたっての詳しいことでわからないことでの通訳です。

 日本人の国際貢献として、海外で日本語を教える教師が必要であります。また、現地で日本語を教える教師の質をたかめるための研修や、その教師たちの日本への留学の機会の拡充が求められているのです。国立大学教育学部等の大学における外国人のための日本語教員養成・研修をすることも大切な国際交流の貢献です。