社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

財政と自由・民主の社会主義

財政と自由・民主・社会主義

 

 問題の所在

 自由・民主の社会主義を考えていくなかで、国家財政の役割は大きな位置を占めています。社会主義とは、資本主義社会のなかで発展してきた自由や民主主義の成果のもとに、さらに、それを資本主義の矛盾の解決のために充実させていくことです。

 資本主義の発展は、働いている人々の労働運動や市民の環境など社会問題に対する運動によって、国家によって、法律や行政機構の民主的な整備、社会保障を充実させていく財政出動などによって、自由と民主主義が大きく前進してきました。ここには、先人の歴史的教訓から学び、自由と民主主義を充実していくこうとする政治家や社会運動の努力があったのです。

 資本主義の発展は、資本の集中による独占化と私的利潤渇望のコントロールの効かない矛盾、大量生産・大量消費・大量廃棄物、欲望の拡大による社会の退廃化などをつくりだし、社会全体に格差の拡大や疎外状況の矛盾を作り出してきた。この矛盾によって、人びとの生存権や暮らしの側面の破壊、人間的な絆が奪われることで、人間的に生きる自由が大きくはく奪されていったのです。

 このことで、様々な社会的運動が展開して、人間らしく生きるために、国家が保障していくという社会権という概念が生まれ、社会的な法整備、国家の行政指導、社会保障などの国家財政誘導が行われてきました。

 市民的な自由は、社会権の確立なしに、実現できないのが、100年前からの資本主義の矛盾の歴史的段階です。国家の市場経済へのコントロール、財政政策をとおしての公共事業による経済再建が、1929年の世界恐慌後に行われていった。

 また、労働運動の高まりなどによって、労働者の生存権、労働環境の改善、労働時間の短縮、安定的に働く権利などが充実していった。そして、国民の生存権を保障していく社会保障が重要な課題になっていくのです。つまり、国家財政をとおして、資本主義的な矛盾を解決していくことが不可欠になっていくのです。

 新自由主義的な競争の見方により自己責任、自己努力ということが強調されているのも現代の日本の政治状況の特徴です。また、法的に社会権を充実させていく整備や行政の監督責任も大きな意味をもっていますが、これらも規制緩和ということで、民営化され、利己的利益な自由な論理によって、公的な役割がないがしろにされる傾向も強まっています。

 このような状況で公的な責任として、資本主義の矛盾を社会的に解決していくうえで、公共財を重視し、公営における民主主義を尊重し、すべての人々が自由に文化的に人間的に生きられる自由を尊重する社会主義の見方は大切になっています。

 ここでは、人々が自らの暮らしや地域を豊かにしていくために、資本主義の発展による社会的な矛盾に対して、人々が自らの人間的な権利を獲得していく自由や民主主義の獲得が求められているのです。

 その役割をもっているのが、労働組合や市民運動の充実です。主体的に社会のさまざまな管理運営に参加していく民主主義の実現になっていくのです。ここには、仲間と絆を伴っての参加や体験を通しての学びが不可欠になっているのです。

 例えば、戦後日本の高度成長過程のなかで、公害問題が深刻になりました。また、マキ・木炭・石炭などの日本の資源エネルギーから国際石油にエネルギー転換していくなかで、各地に多くの失業者問題が起きました。

 このなかで、労働運動も活発に起きて、失業保険制度や職業訓練制度も充実していくのでした。住民運動の力によって、地方自治体に政府の経済施策と異なる公害防止を強力に推進していく革新自治体が生まれました。その後は、社会保障が充実していき、日本は、中流層といわれる社会階層が増えていくのです。革新自治体の政策は、政府にも大きな影響をあたえた。環境庁などの行政機構も大きく整備されていくのです。

 これらの動きのなかで、政治や行政、企業などの社会的な機構や組織に、直接に管理者やリーダーのみではなく、市民や労働者など多くの人々が参加していく民主主義も充実していくのです。

 つまり、社会全体の参加型の民主主義も充実し、社会保障も充実していくのです。これは、社会的自由の高まりでもあるのです。このことによって、人々の個性や文化の花も開いていく条件もつくりだしました。これらの条件整備に、国家財政や地方財政の役割は大きな位置をもったのです。

 日本は、世界のモデルといわるように科学や技術の発展によっての新規分野の産業をリードしていくのでした。自動車の排気ガスによって、深刻になったアメリカの大都市の公害問題を日本の技術は救っていくのです。日本の自動車産業は、世界をリードしていくのです。家電分野や半導体分野も同じように、世界をリードしていくのです。

 このことと同時に、経済界のおごりが起きて、いわゆるバブルといわれるように不動産の投機や公共事業が積極的に行われたのです。そして、富の格差が開いていくのです。同時に、拝金主義を中心としての社会的退廃も深刻になり、政治と企業の癒着、賄賂問題のモラルが大きな社会的な課題にもなっていくのです。この社会的モラルの喪失の問題は、社会全体に人間関係の信頼性を損なっていくものです。しかし、人間としての基本的な信頼を忘れてはならないのです。

 社会のなかで、人間相互の基本的な関係に、信頼があってこそ、人間らしく生きる人々が生きる社会生活の基本的な構成要素になっていくのです。人間は信頼がなければ、不安、恐怖が襲うことになるのです。人間は信頼を置くことによって、自己の存在の前提にするのです。複雑な社会のなかで耐えうることのできる出発になるというのです。(ルーマン「信頼―社会の複雑性とその縮減」未来社参照)

 複雑な社会のなかでの様々な矛盾の存在するなかで、信頼を前提にしての未来を展望していくことが大切なのです。より複雑になっていく社会的な矛盾の存在のなかでも歴史的に矛盾を解決して、一歩一前進してきた自由と民主主義の社会的な進歩性に信頼の根幹から未来をみていく視点が大切なのです。

 さらに、現代社会の矛盾について、探究していこう。ところで、巨大になった大企業や官僚組織も、現実の社会的な矛盾問題に対して、向き合うことではなく、自己保身ということで、事なかれ主義に狭い範囲でいわれるままの仕事をするようになっていくのです。

 切磋琢磨しながら、問題に対処して、矛盾を創造的に未来へと展望して変革してことをしなくなっていくのです。一時的な告発のみで、なぜ、このような問題が起きたのか。公的な民主的なコントロールの機能が発揮できなかったのかという探究が国会や地方自治体において社会を巻き込んでの探究が民主主義的にされずに、放置されたのです。

 

(1)バブル崩壊と巨大な財政赤字

 バブル崩壊によって、公的な機能、官僚化した組織に対して、不満が爆発したのです。このことによって、規制緩和、民営化という新自由主義思想による改革が叫ばれるようになっていくのです。資本主義が形成されていく時期は、切磋琢磨していく自由な市場でした。

 現代は、巨大な独占的企業や、世界的に寡占化したグローバル企業の存在のなかでの資本主義の矛盾です。資本主義の形成時期における自由市場では決してないのです。もちろん、民営化という市場は、一部の新規でのベンチャーが可能な分野があります。そこでは、自由に切磋琢磨していく市場があります。ここでも、資本投資という巨大な金融機構や政府投資の利己的な恣意性の問題があるのです。

 現代は、寡占化したグローバル資本が支配する社会なのです。日本では、もっともターゲットになった民営化は、郵政省であった。この機関は、郵便事業ばかりではなく、貯金や生命保険などを扱う部門が巨大な金融資本化し、大きな官僚組織になった。つまり、政治の課題に、公営事業の民営化が大きな政治の課題になっていくのです。

 大きな政治の舞台として、2007年の郵政の公営事業の民営化がその典型であった。特別会計は、一般会計とは別に処理されていたのです。戦後の特別会計は、行政ごとに多様な特別会計で、全体として、大きく膨れ上がっていった。

 1989年の平成に入り、公営事業の民営化が急速に始まり、31あった事業体が10年間で15に減らされたのです。特別会計は、令和8年度の予算額の歳出では、441.7兆ですが、会計間相互の重複を除いた純計額は216.2兆円と一般会計お大きく超える規模です。こなかで、大きな位置を占める歳出額は、国債償還費等88.8兆円、社会保険給付金81.2兆円、地方交付金等24.3兆円などとなっています。

 収入源は、年金特別会計、労働保険特別会計、国債整理基金特別会計、介護保険特別家計となっています。ここでは年金積立運用や国債管理などで一般会計とは別に巨大な資金が動くのです。年間給付額の4年分になる200兆円の年金積立金を株投資や債券購入などは、運用しているのが、その一例です。

 ところで、民営の社会保険として、生命保険や医療保険などに多くの国民がかけています。これは、公営の社会保険の不安から、その備えとしての家計からの支出です。民間の医療保険の加入率は、生命保険文化センターの2022年調査によれば、65.7%です。さらに、生命保険全体の加入率は89.2%になっています。年額で平均では、約18円から37万となっています。これらを加味して、社会保険の国民負担の在り方を考えていくことが必要なのです。

 郵政民営化以前においても国鉄がJRという国営鉄道が1987年に民営になりました。地方の鉄道が廃線されたり、便数がへらされたり、新幹線・特急中心になって、地域の交通機関の国鉄の役割が失われて行ったのです。増税なき財政再建として、日本電信電話公社や専売公社もこの時期に民営化されたのです。

 新自由主義が政治のなかで支配するなかで、国家の財政問題と経済成長のバランスも大きく崩れて、国家財政の深刻な赤字問題が生まれていくのです。2025年は、収入が80兆円といわれます。予算の支出が122兆円。不足分は国債という借金です。国債という借金が13000兆以上にふくれあがっているのです。これらの原因に、少子高齢化や社会福祉の大幅な増大をあげて、社会福祉の無駄な削減と公営の民営化の改革を訴える新自由主義の政治家の力が増していくのです。

 日本の一般会計は、世界で最悪の借金大国になっているのです。国家の債務不履行という深刻な問題で起きないのでしょうか。特別会計の一般会計を大きく上回る規模や、日本銀行の金利のコントロールの役割、日本銀行の国債保有率50%以上とあわせて検討していく課題があるのです。

 一般会計の巨額な借金は、国際的に信用もなくなることはないのか。また、市場での国債の取引がなくなり、円安と超インフレという深刻な事態にならないのか。政府は、この対策に、公営的な役割を減らし、社会保障を削減して、民営を活性化させようとしています。さらに、積極財政支出して、経済成長をはかろうと新自由主義の路線に走るのです。日本経済が高成長すれば、国家財政の超債務状況は、自然に解決できるのであろうか。

 日本政府は、高経済成長のためにと、国家財政の投資によって、国際競争力をつける分野を育成しようとしています。この積極的に経済成長分野に、研究開発費、設備に国家財政を投資していこうとしているのです。それらは、ATや半導体などの成長分野といわれるところです。政府投資して、そして、大企業の優遇税制による経済活性化も考えています。

 しかし、大企業をはじめ、内部留保が600兆円という膨大になっている現状です。大企業自身が投資に前向きでない現実があるのです。これはなぜなのか。企業自身が将来への不果実性ということから危機への安全性をとっての内部留保です。利益を上げている企業が、未来への成長への展望が不十分なのです。

 本来であれば、膨大な内部留保をもっている企業が新規分野に設備投資していくのが本来の在り方です。内部留保それ自身が将来への設備投資、借入金の返済、不測の事態に備える蓄えです。

 政府の積極的財政論による企業への投資は、業績不振で実質的に破綻しているゾンビ企業への投資ということにならないであろうか。政府や銀行の支援によって、借金苦の非効率な経常赤字・過剰債務・債務超過している企業を延命して、新陳代謝を阻害していることにはならないであろうか。

 ゾンビ企業で働いている人たちの生活をどのようにして守っていくのか。大きな産業転換がおしよせる現実のなかで、企業としての存続ばかりではなく、人間らしい暮らしを実現していくために、新たな転換をどのようにしていくのか。産業転換に伴う生活援助や職業教育訓練などの社会保障政策とも結びつけて考えていくことが求められているのです。それは、狭い産業政策では解決できない大きな問題を含んでいるのです。

 

 (2)財政民主主義と累進課税

 民主主義の発展段階の社会権確立税制は、累進課税ということで、富めるもの、非常に儲かっている企業に多くの税金を納めてもらうことが必要なのです。累進課税の上限率を引き下げ、巨額な配当金の利率も20%と定められて金持ち優先の不公平税制といわれるのです。

 大いにもうかっている企業や巨額な所得をあげている富豪は、増税ということで、貧しいものには減税と、所得配分で、社会保障は国民全体に平等にいきわたることが、格差社会の拡大の社会のなかでは不可欠な民主主義的な税制の公平・公正の原理です。この原理の貫徹によって、大いに儲かっている企業や富めるものは、社会貢献できるのです。国家の財政事情が厳しくなることの現実では、国民のすべてに対して増税ということではないのです。

 すべてのものに消費物に税金をかけるというのは、格差社会の拡大の現実では、公平・公正ではないのです。格差社会の拡大のなかでは、ぜいたく品に、税をかけるという物品税もひとつの方法です。富めるものに高く税をかけるという累進課税は、民主主義の税制の公平・公正の原理から大切なことです。貧しいものには、社会保障として、分配していくというのが社会権を確立した民主主義の発展の公平・公正の歴史的な教訓です。この原理は、社会保険にもあてはまるものです。

 現代の日本は、税制の民主主義という公平・公正から危機の国家財政の立て直しを行っていくことが緊急に求められているのです。財政をとおしての再分配は、社会保障の充実として、展開されていきますが、この形態は貧困者に現金給付として直接に給付する方法と、育児サービス、高齢者への介護なその生活援助サービス、医療サービスなどすべての国民に対象にした社会保障があります。介護保健や医療保険は、独自に社会保険制度として存在して、特別の貧困層に対するものではないのです。

 神野直彦は「分かち合いの経済学」岩波新書で、社会保障を二つの形態に分けるのです。直接に貧困者に財政で現金給付するのを垂的再配分としています。すべての国民に社会的なサービスの給付する社会保障を水平的再配分としています。そして、一見すると貧しいものに現金給付する方が、解消するように思うかもしれない。ところが、現実的には水平的再配分のほうが、格差や貧困を解消してしくことをのべています。

 対人的な水平的な社会的福祉のサービスの方が格差や貧困を解決してしくというのです。水平的配分が広汎に実施されていれば、分かち合いの社会として、医療サービスが無料で提供されていれば、生活保護者の受給者が病ます。からといって給付額は増加しないのです。貧しくとも豊かに生きていくことができるとしているのです。

 日本では生活保護費の半分以上が医療費、育児サービスと児童手当がユニバーサルに提供されれば、生活保護の受給額は増額しない。生活保護は本人の食料費と衣料費という生活費を一律に給付すればよいと、神野氏は指摘するのです。つまり、生活保護受給者をターゲットにする貧困ビジネスはなくなるのです。 

 神野氏は、財政の使命は、分かち合いという人間が生きていくうえで遭遇する困難を、社会の共同体として解決するというのです。つまり、生産と生活の共同の困難を共同負担と、共同責任で解決するというのです。

 人間が信頼し合える社会のために財政と民主主義の大切を神野氏は強調するのです。財政の存在は、市場では供給できない財・サービスの公共財の提供としています。市場で提供される民間財は、対価が支払わらなければ、消費できないので、公共財は市場から排除されるのです。

 公共財・公共サービスは、資源配分機能、所得配分機能、経済安定機能として、人間の生命活動が持続可能性をもって、民主主義を有効に機能させるための社会統合システムが必要としているのです。そして、人間の生命活動は、家族やコミュニティの協力原理による相互扶助や共同作業という愛で、つつまなければ存在できなと神野氏は、強調するのです。

 しかし、現実の日本社会では、この機能が大きく縮小しているのです。農山村は少子高齢化によって、今までの家族機能や地域の共同体機能は大きく崩れています。また、大都市では、隣近所の人間関係が希薄で、個々が孤立状況になっているのです。また、弱肉強食の競争社会で傷ついていった人が数多くいるのです。単に、物質的な貧困化ということばかりではなく、精神的にも痛めつけられている現状があるのです。

 孤立と人間的な疎外状況になります。いたためられない怒りや不満の感情が、なにかのきっかけで爆発することがあるのです。さらに、弱いものに対してや異なる文化の人々に偏見をもって、排外主義的な外国人労働者の排斥も起きるのです。

 この社会的な状況を基盤として、群衆というマスに、人々の感情の不満が共感的に操作されやすい状況になっていくのです。これらは、SNSの感覚的な発信が大きな効果をもつのです。それらは、人々の閉そく感や不満を感覚的に吸収していくのです。

 これは、個々が地域や職場で絆を持った理、労働組合や市民運動などで人々が連帯している状況がないなかでの問題状況です。感性や体験の認識から理性的に高まっていくことではないのです。この過程を広範に形成していくには、職場や地域での仲間との楽しみによっての絆の深まりや、学びの場が求められているのです。群衆の大衆化の状況では、感情を煽ることに上手な強いリーダーに操られていくのです。

 職場では、疎外状況があるのは深刻です。仕事をしていくうえで、働き甲斐をもっての人間的な信頼感が希薄になっているのです。神野氏はインフォーマルなボタンタリセクターの充実をあげていますが、この重要性は否定しないが、社会的サービス機能が地域にくまなく作られていくことが最も必要なことです。

 その条件整備としての地域での様々な集う公共財が求められているのです。保育園・幼稚園、小学校、自治会の集会施設、公民館の趣味やおけいごと、地域の歴史や自然の学び、気軽に集まれる健康や子育ての相談や学びの工夫など行政が積極的に地域に援助していくサービス活動や公共財の提供があるのです。

 社会的サービスの福祉も地域福祉活動の取り組み、保育・幼稚園や学校教育も地域での学び、地域での体験、地域での高齢者との交流が求められているのです。さまざま活動によってのあらたなコミニテイの形成が求められているのです。

 これには、市町村行政の公共サービスとしての積極的な働きかけが必要なのです。このうえで、地域のボランティアなどの非営利活動の社会的なセクターも有効に動いていくのですこのことによって、下から住民自身の主体的な自治活動が強まっていくのです。

 国家財政は、財政の側面から民主主義の条件整備をつくりあげていくのです。地域共同が崩壊傾向に走っているなかで、地域の自治会活動、地域のコミュニティづくり活動は極めて重要ですが、国家の財政破綻は、この条件整備の展望がみえなくなっていきます。

 そして、国家財政の破綻は、国それ自身の存在にとって、重大な危機になっていきます。また、社会権の確立した民主主義そのものの存在が危ぶまれるのです。つまり、社会保障そのものの崩壊につながっていきます。文化的な生存権を保障される物質的土台になる社会的自由がなくなっていくのです。

 

(3)国家運営の民主主義と議会の予算編成・決定権

 日本の議会制民主主義で最大の欠陥は、政府の予算編成について、客観的に、中立的な立場で財政収支と、その見通しを公表する独立した財政機関がないことです。また、大きな問題として、政府の行政機関が予算編成権によって、国会に予算案を提出することで、国民の代表機関である国会が予算編成権を持たないことです。これは、日本の議会の大きな欠陥です。

 日本の国会議員の予算編成の権限が奪われているのです。国会の役割で重要なことは、国家の予算編成権なのです。日本の現実は、行政府の権限によって、官僚機構の高級官僚による国家予算案がつくられ、それが国会で議論されるのです。

 さらに、国家財政の赤字補填としての中央銀行の役割も日本の異常な状況です。いわゆる国債の保有を日銀が5割を占めるという事態です。放漫財政を日銀が支えているのです。市場主義の金利のメカニズムが機能していないのです。

 財源の裏づけのない赤字国債の乱発です。補助金や減税もすべて財源との関係で議論されるのが民主主義国家の財政運営の原則です。円安や物価高の根本を国家の財政政策からも考えていくことが大切です。しかし、それすらもおろそかにされているのです。

 日本の歴史のなかで藩財政が危機のなかで、その立て直しを行った米沢藩の上杉鷹山の施策から学ぶことは重要なことです。徹底した財政の洗い直しで、藩主自身の身の回りの質素倹約をはじめ、藩財政を大幅に節約したのです。

 そして、藩の経済的収入にかかわっていなかった武士が、身近な生活のなかから収入を得るために家業の小経営を積極的にすすめたのです。藩全体として、開墾事業や産業起こしを積極的に展開して、外からの流浪者等の労働力も受け入れたのです。これらのために、教育に力をいれたのが上杉霊山の特徴でした。

   国家制度の基礎は財政にありということで、日本の近代化で、かつて西郷隆盛がのべたことがあります。西郷のことばで、「入りを、はかりて、出る を制する、他に術無し」ということばを現代的にも考えるときです。霧島で明治8年につくられた憲法草案でも自由と立憲主義をとなえて、国会の役割として、太政大臣、左右大臣を選ぶ権限と国家予算の権限を提起していたのです。

 高度に発達した資本主義で、資本の集中も進み、強大な国際的な企業が生まれている現状のなかで、競争も国際的規模で進んでいるのです。経済においても国家の自立した経済のコントロールが国民の豊かな文化的生活を保障していくうえで、重要になっているのです。

 国連を中心とした国際的な貿易のルールや条約と共に、この役割を果たす大きな位置が国家財政です。国家財政は、社会的な矛盾や公平なる分配、暮らしの保障という社会システムをつくりあげていく公共サービスに大きな役割を果たすのです。

 これは、福祉や社会保障、国民の生涯において、発達を保障される学習権保障とともに、重要な財政的基盤提供です。現状での巨大な社会的な経済格差の矛盾は、国民の自助努力では極めて難しいのが現状です。契約や臨時の労働者の拡大、フリーターが社会的にふえていることで、不安定で労働力市場で働く低賃金労働者、低所得層が増えているのです。

 この人たちの安定的な雇用の確保や所得の向上のためには、新しい産業構造の変化に対応した個々の人間的特性を生かした創造的な柔軟ある高度な職業教育訓練が求められているのです。ここには、障がい者や高齢者の積極的な個性的な能力の開発訓練教育があるのです。

 さらに、日本全体の少子高齢化という現実のなかで、外国人労働の活用も大きな課題になっています。日本で労働し、暮らすためには、日本語・日本文化の取得は不可欠ですが、このことがおろそかにされて、外国人労働者の労働と生活の基本的な人間らしく生きる権利が侵されているのです。そして、多くの社会的なあつれきも起きているのです。これらのためにも国家の財政支出が求められているのです。

 この公共的なサービスは、国家の財政基盤をとおして公的な社会的サービスが実施されていくのです。これは、財政は、本来的に議会をとおしての権限になるはずです。日本の現状は、行政権を握る政府の統治権限で行われ、政府を握る政治との関係が深くかかわっているのです。

 また、財政は、現実の市場経済との関係をもっているのです。財政は、国民の租税によって成り立っているので、その租税のしくみは、政治とのかかわり合いが強くあることも大切なことです。

 租税は、社会権を保障していく民主主義の財政的原則で、累進課税が原則です。もてるものと持たざるものとの大きな格差があるなかで、その原則を貫いていくことは、政治的な価値観によって、大きくことなっていくのです。

 富めるものや大きな利益をあげちる企業に税金を高くかければ、海外に流れて日本経済それ自身が停滞していくという論理があります。日本経済成長路線をかかげる議論のなかに、この考え方が強くあるのです。富めるもの、もうかっている企業において、節税対策ということがさかんにいわれます。節税によって、さらに、収入を増やして、贅沢なくらし、企業の拡大を求めることです。

 政治的価値観として、富めるもののリーダーシップによって、経済成長を第一優先していくのが新自由主義の民間活力の考えです。この見方は、個々のがんばり、個々の努力や創造性によって、経済の成長が誘導されていくということです。さらに、民間の自助努力を重視していく考え方です。国民の暮らしの豊かさは、個々の努力、がんばって、がんばって働いた結果ということの新自由主義のリーダーの意識です。

 そこには、富めるものの成功事例を大切に考えていく政治的なスタンスがあるのです。個々の努力の大切さを決して否定するものではありません。社会の活力によって、個々に国民が創意を生かして、国民経済の発展があることは事実です。しかし、競争社会のなかで生きているなかで、負ける人と勝つ人がいるのも現実です。多くの人たちが負け組になっていくのが格差社会の現実です。

 ここには、積極的に社会的な分配によって、社会貢献していくことが求められているのです。成功事例におけるがんばり、創造性の努力の結果は経済成長にとって大切なことですが、その成功によって大きな富を築いた財貨をどのように社会に分配して、貢献していくのかかが、大きな社会的な尊敬の対象になっていくことの視点が大切なのです。

 この見方は、国民的な暮らしを第一に考えていく政治的な価値に含まれていくのです。そして、経済の成長も国民の一人一人の豊かな暮らしを第一的に考えていくことが大きく問われているのです。

 国民的な経済成長の広がりは、国民全体の暮らしが人間らしく豊かになっていくことで、大きく発展していくという見方です。この国民の暮らしを第一とする政治的価値は、前者の富めるものによるリーダーシップによる経済成長優先主義の見方と大きく異なるのです。この大きな政治的な価値のぶつかりあいが現実に財政問題でも起きているのです。

カントの自由と道徳論

カントの自由と道徳論

  本論では、カントの自由論を自律した理性的道徳からのべます。道徳的行為をすることは、他者の幸福を考えて行為するだけではないのです。それは、自分のことも尊重し、自分の能力を進歩させて、自律的に生きていくことです。

 現代の利己的な勝手気ままな自由の錯覚が横行するなかで、「正しいことを考えながら」の行動は、なにか特定の価値観に縛られて自由が束縛されるということのイメージが強いように思われます。つまり、自由に対して、道徳は不自由を作り出すということを考えがちです。

 市民的道徳の誤った見方に、全体的な自分の意志に強制する命令的な教えのように思うこともあります。つまり、権力者や宗教者の説く道徳をそのまま鵜呑みにしているのではないのです。その意識は権威主義的志向に自律的に理性を高めることを放棄する絶対的命令主義者に多いと思います。

  カントの道徳論は、人々に道徳価値をおしつけることをのべるのでは決してありません。この意味で、本論では、自らの知性の意志によって、自律的に社会的な倫理やルールを人間的に生きていくうえで、あたりまえの道徳を考えていこうとするものです。

 道徳的に正しいかどうかは、自分の意志で、理性をもって主体的に吟味し、まさに理性的に行動原理として考えていくことが大切なのです。このことが人間的に自由となることを考えていくことをカントから学ぶことができるのです。人間は動物のように欲望のままに生きるのではありません。

 動物は、自然界によって、行動が規制されていきます。食欲も腹いっぱいになれば、食の欲望がなくっていくのです。人間は意志をもっています。意志によって、欲望を増大していくのです。人間は社会的存在によって、生きています。その社会的存在の意志を持つことによって、それぞれの人間の自己欲望をコントロールしていくのです。近代社会以前は絶対的な神や地域の共同体が個人の欲望をコントロールしてきたのです。

  現代社会は、地域共同体が崩壊して、人間の行動は、個々人の意志の役割が大きくなっています。また、分業が発達して専門化が進み、多様で複雑な社会になっています。

  音楽や絵画、舞踏などの文化的面の喜びの欲望があります。食欲も文化の面をもって味の進化が個々人の文化的欲望になっています。ここには、人間の感性的意志を豊かにしたいということやその充足の欲望もあります。

  政治も権力欲の問題と絡んで統治方法にも争いが起き、大衆操作の方法が巧みに利用されて行きます。そこでは権力的に物的な強制以上よりもマスコミやsns が大衆の感情を作り出して、その利用を積極的に使われるのです。

  権力的政治は、個々の欲望の幻想をあおり、単純化して、感覚的・感情に断定していくのです。そこでは、地域の暮らしや働いている場所での話し合いや、そこでの学びは弱くなっていくのです。つまり、大衆の意識の操作が権力的政治のなかで大きな位置を占めていくのです。

  金銭的欲望も資本主義的競争社会のなかで拝金主義による欲望が支配しています。この欲望も人間的絆や分かち合いの意志ではなく、自己欲望の意志になります。

  それぞれが利己的な欲望として、働いていくと社会がすさんでいくのです。そして、人々の孤立や社会的理性のない無秩序の退廃状況も進んでいくのです。ここでは、群衆的意志によって、自己の孤立した悩みやさびしさを解消しようとするのです。現代はsns がその機能を果たし、依存症も増えているのです。

  本来の人間的な関係は、連帯や絆、分かち合いの社会的な存在が直接的なふれ合い、相互関係によって成し遂げてきたのです。人間は、人とのふれ合いによって、相互愛、同情の共感が求められているのです。このことで、人間は、社会的な意志がつくられて行き、絆・連帯と自律のための理性を深めていくことができるのです。相互愛や同情による絆や連帯感を深めて、その関係と結合することによって、実践的理性が深められて、より自由が増していくのです。自由は理性によって、自律していく意志をもつことができるのです。

 

カントの自由概念

 カントの自由概念は、意志の自律を解明する鍵であるとしています。意志は生きている存在者が理性的であるかぎり、自分を外部から規定してくる諸原因から独立して働くことができるというのです。自由は自然の諸法則に従うような意志の性質ではないものの無法則的なものではないと。

 意志の自由は、自律、すなわち意志が自分自身によって法則をつかむことです。それは、普遍的法則として対象にできるような格律(自分が行動するときに、主観的な規則や方針)の原理が求められるのです。つまり、それはカントの言う道徳性の原理ということなのです。これは、自由な意志と道徳の諸法則のもとにある意志と同一なものになっていく。

 自由はあらゆる理性的存在者の意志の特性としての前提であとカントは強調します。理性的な存在として、実践的行為をもっての道徳性が必要なのです。実践的理性は自らの客体に関して原因性をもっている理性です。世界のどんなことでも経験から独立して、あるがままに理性的な認識を獲得することはできないのです。

 消極的自由は、感性的な物質要求から独立していることがあげられます。しかし、積極的に人間が理性をもって自律的にいきていくには、経験的な実践的な理性が必要になってくるのです。

 実践的理性は、いっさいの拘束のないという意味での自由に、勝手気ままや、欲望発散なるがまま、一切の規律を受けない行動を容認していくことではないのです。

 市民的な自律的な知性ある道徳は、自分勝手な行動やルールになっていないかとの点検が常に求められます。人々が互いに尊重されていくことを一人一人がたえず吟味していくものです。

 これは、他者だけの幸福だけではなく、自分自身の人間的尊重になります。それは、自分自身の能力を他者や社会との関係で、大きく充実させていくことにもなります。カントは、善意識を意欲的に理性の力によって、実践的に行為することで、人間的な意欲を規定する原理をもつことができると考えるのです。

 義務は、自律的な知性の意志の道徳的な法則に対するところの尊敬の念のもとで、行為するようになるのです。人間は誰でも自分の意志は自由だと考えますが、自由は自律した理性の理念にすぎないのとみることが大切です。人間の理性は、自律した意志の道徳の原理から求めることが、人間自身がより自由になっていくのです。道徳と離れて自由はないとカントは考えるのです。

 

実践理性とは

 実践理性は、思弁的な理論理性ではない。それは、道徳法則に従っての自由な実践的な理念によって証明されていくのです。このことによって、実践理性は、主観的なことにとどまらず、客観的な法則になっていく。つまり、実践的な理性からの行為は、客観的に妥当して、主観的な行為の原理から区別されていくのです。そして、幸福のことだけを考えるのではなく、幸福と徳が共に人格における最高善の所有を構成していくという見方になっていくのです。つまり、徳は幸福追求の最上の制約として機能していくのです。幸福は、徳と結合することによって、全体的な完全な善になっていくのです。

 カントは、自分という意識をもちながら他から操られれば、理性は考えることはできないとみています。そこでは、何らかの衝動に委ねてしまうことになるからです。カントは、善い意志という概念をいくら分解しても、自分が行動する際の主観的な規則や方針という特殊性はみいだせないとみるのです。自由な意志と道徳諸法則の二つの命題を総合することで、第3の道になる自由の積極的な概念を見出していくことになると結論づけます。

 それは物理的原因の場合のように感性界の自然本性をもつものではないとみます。人間本性の経験から自由を示すのでは、不十分になるのです。自由は理性的な意志をあたえられた存在者の活動に属しています。カントは、なんらかの実践的である理性、つまり、自らの客体に対して原因性をもっている理性を考えるからです。

 理論的理性と実践的理性の区別として、カントは次のように考えるのです。理論的理性は、外的感性界における世界の場所からはじまって、わたしと外界との結合をし、無限の天界に拡大していくと考えるのです。実践的理性は、私のみえない自我、私の人格からはじまり、真の無限性を持っています。

 そして、悟性のみがたどりつく世界に私を導いていくのです。ここには、叡智としての私の価値は、私の人格によって無限に高められていきます。ここでは批判的に物事を認識していく知性が求められて、智慧の学問への狭き門に通じていくことになるのです。公衆は、哲学の精密な探究にはたずさわっていかいのですとカントはみます。これは、当時の18世紀のヨーロッパの一般民衆への教育の普及状況の弱さからの民衆の自律的な理性的な認識の難しさの現状からのカントの見方です。

 カントの生きていた18世紀のヨーロッパの時代は、神が絶対的な存在で、神に背くことはなく、神が偉大な力として、巨大な権威をもっていたのです。この状況のなかで、カントは、自律した個々の知性的な意志を重視した道徳を唱えたのです。多くの公衆は、神を全体に信じて、神の絶対的な命令に服従していくとみたのです。

 理性があれば、自分自身を外部の影響から独立した自らの原理の創始者とみなさなければならなかったのです。その結果、理性は実践理性あるいは理性的存在者の意志と積極的に提示していくことが求められたのです。このことによって、自分自身は、自由でになっていくとみたのです。

 

感性界と悟性界

 カントは、感性界と悟性界とは区別が必要と強調します。感性界は、さまざまな世界の観察者がもつ感性の違いに応じて、異なることがありますが、悟性界は、根拠となっていることが同一のままです。感性は、人間の内的感情によります。しかし、自分自身についての体験的な感覚器官をつうじての知識にいくら頼よっても同じです。

 知覚や感覚の受容に関しては、自分を感性界に、自分の中での純粋な活動であるものに、自分を知性界に入らねばならないとするのです。思慮深い人間であれば自分に現れてくるあらゆる事物に、このような結論にいたるのです。あらゆる事物から諸対象を通じて触発されるかぎりにおいて、自分自身から区別する能力を見出すのが理性になってくるのです。理性的存在者自分自身を叡智性として感性界に属するものではなく、悟性に属するとして、二つの立場の違いが見いだされるのです。

 自らたてた道徳法則に自発的に従っていくことが積極的な自由として、自由を自然因果に従属しないものとみたのです。人間は現象界の因果法則・自然必然性にしばられながらも理性によって、自己を律することができる能力をもっているとしたのです。つまり、自由は自分で自分を律することができるのです。

 人間は、さまざまな自然法則のもとに感性界に属するものとして、自然界から独立し、経験的ではなく、理性のみによって根拠をもつ叡智界の認識を大切にすることで、自由になっていくのです。叡智界に属していることが、人間は自分自身の意志の原因性を自由の理念の下でしか考えることができなくなるからです。感性界に属していないことが自律の概念に結びついて、積極的に自由の概念が発展していくのです。この原理が、道徳性の普遍原理とするのです。これは、自由から自律へ、そして自律から道徳法則へと進んでいくと、カントは結論するのです。

 意志の自律に従う理性的自由は、感性のさまざまな衝動から、自由である意志をもっていくのです。このことは、感性の規定している諸要因から独立しているのです。実践的理性は自分を悟性界へと移し入れていくのです。しかし、それは、自らの限界を踏み越えたりしないのです。同時に、悟性に入ったと直感したり、感覚したりとすれば、自らの限界を踏み越えてしまうのです。それは、自由な意志と道徳法則を総合的にみていく積極的な能力に結びついた理性を原因とすることが大切になってくるのです。

 カントは以上のように、自由の概念と道徳性の原理について、「道徳形而上学の基礎づけ」のなかでのべています。

 また、理性の存在は、自由を根底としてのみ成立するということで、専制君主的な権威のもとではなく、理性の発言は常に自由の国民の一致した意見にほかならないというのです。自由の概念は実践的な意味においてのみ用いているのです。感性的衝動によってのみ規定された意志は動物的意志とカントは断定します。

 

実践的自由と経験

 実践的自由は経験によってのみ証明されるのです。これは、感性的な欲求能力に対する直接の印象を克服しえる能力を備えているのです。自由の法則は自然の総則に差異がありますが、自然法則は実際に生起するものに関係するものです。しかし、自由の法則は、実践的行為を原因とします。そこには、感性的衝動に対して自由とよばれるものは含まないものです。理性的存在者の自由意志は、道徳的法則のもとで自分自身ならびに他のいっさいの理性的存在者の自由意志と完全に体系的統一からなるものです。さらに、幸福を理性の立場からみれば、幸福が道徳的に立派な行状と結合している限り、幸福が善になるのです。以上のように、カントは「純粋理性批判」の著書のなかで、実践的経験の理性的な自由を強調します。

 さらに、カントは「実践理性批判」のなかで、自由と道徳性についてのべます。道徳法則は理性の判断において、何よりもまず意志を客観的に直接に規定されるのであって、自由の本質は人格そのものの評価になっていくのです。自由は、実践的理性のルールという道徳法則の条件をなします。自由は、実践的概念として、思弁的な理性との関係では使わないのです。

 実践的原理は、自愛あるいは自分の幸福という普遍的原理のもとで総括されます。快いことは、欲求の規定根拠で、主観の感受性にもとづいて、感覚・感情に属するもので悟性には属しないとみるべきです。幸福の認識は、経験的事実にもとづくものです。その判断は各自の憶測に左右され、また、それは極めて変わりやすいものです。

 幸福の原理は大体においてしばしば当てはまる一般的規則を与えるこになります。しかし、必然的に妥当せねばならないような規則を与えるものではないのです。それだから、実践的法則を幸福の原理のうえに確立することができないことになります。悟性は、客観に対する概念です。快適の意識は幸福ということです。それは、自愛の原理に普遍的規則を与えることができるからです。

 実践的理性の判定において、幸福・不幸の問題は極めて重大です。幸福は理性がとりわけ要求します。一時的な感情によって判定するのではなく、全存在にとって実在に対する満足の判定が感情的存在者として、一切が幸福にかかっているとみます。しかし、いっさいがおしなべて幸福にかかわっているのではないとみることも大切です。何が快い感情に一致するかということは、経験によらなければ決定されえないのです。経験によらなければという条件では、普遍的な実践的法則の可能性は締め出されるのです。

理性的自愛と尊敬

 自己愛は、自分自身を愛するところにある自惚れ、ひとりよがりからくるものです。前者の自己愛を理性的自愛といいます。後者を独りよがりの自己尊重とするのです。後者の独りよがりは道徳法則に反する思い上がり、虚為と考えます。自愛が自分を立法的に、自分自身を無条件に実践的原理に仕立て上げるのは独りよがりです。

 尊敬は、理性的存在者の感情に作用を及ぼします。道徳的法則に尊敬の感情を必然的に生じさせます。それは、感性の世界ではなく、理性の客観的な道徳法則を根拠とするものです。尊敬は常に人格にだけ関与し、決して物件に関係するものではない。尊敬は快い感情ではない。尊敬は他人の功績に対して、我々が否応なしに捧げることなのです。それは、贈りものだからです。

 尊敬の感情こそ疑いをさしはさむ余地のない道徳的動機です。つまり、道徳的法則の根拠にもとづくもので、理性の判断によって意志を客観的に規定するものです。尊敬の感情は感性的なものです。それは、内的感覚に基ずく快の感情です。尊敬の感情は実践的なものにのみ関係します。尊敬は意志の自由が道徳的法則に服従している意識です。それは、自分自身の理性によってのみ必然的に結びついた意識からです。

 道徳的熱狂は純粋実践性が人間理性に設けた限界をやはり原則に従って超越することにほかならないのです。実践理性は、このような限界を設けることによって、義務と一致する行為の主観的な規定根拠を、すなわち行為の動機を法則以外のどこかに求めることを禁じたことになるのです。道徳的法則の義務の観念を無視して、ひたすら自分の気の向くままに行動しようと企てるならば、それは道徳的確律ではない。道徳法則は、常に理性の規律のもとにあるからです。

 純粋実践理性を、どうしたら人間の心のなかに主観的に尊敬の念をもって道徳法則として、取り入れることができるのであろうか。これは、カントの問い続けになるのです。十分に陶冶されていない心に道徳的善の軌道にのせるかということで、彼ら自身の利益によってさそい出すことや、彼らの不利益を誇示させて尻込みさせるという準備的指導による効果は否定できない。しかし、このようなからくりの仕掛けは、本格的な心得をもたせることができないとみるのです。

 それには、人間に彼自身の尊厳を次第に自覚させることです。このことによって、感性的な束縛を断ち切り、自分の自然の感性とはかかわりない意識になっていくとみるのです。この証明をだれにでもできる観察の方法を積極的に提起するのです。

 観察は感情の現実的存在における義務の純粋的な表象だけで、純粋理性の客観性をみることができるとカントは考えるのです。例えば、商人や婦人の集まりの会話で、世間話に新鮮味と興味をもたせようとすれば、じきに種がつきてしまう。

 退屈するような人達を引き付けるのは、あれこれの行為を道徳価値であげつらって、誰によらずにひとりの人間の性格を決定してしまおうとする議論に優るものはないのです。いま話題になっている善悪のさまざまな行為の道徳的価値内容を極めることに、すぐさま仲間入りする。話題の人の徳の程度を引き下げる話を自分がみてきたように微細に話すことで引き付けられていくというのです。

 

人間理性の実践と青年教育

 ところで、青年の教育にたずさわる人達は、人間理性の実践的問題で、どうして微に入り細をうかがって吟味することを利用しなかったのであろうか。生徒用の問答体の倫理学書で基礎的な教育を施したあとに、古代から近代にいたるまでの伝記をあまねく集めて義務とされている問題を解明させることをしなかったのであろうか。カントは青年教育の現場に疑問をもつのです。

 カントは、思弁にかたむいている少年たちに鋭利に自分の判断力の進歩を自覚させることが重要であるとするのです。子どもたちに高慢でもっぱら功績を尊重する高尚な行為を手本として示し、このような行為に対する感激を吹き込もうとするをしています。このことは、ごく普通の義務を守ることの判定をすることさえも未熟ななかでの教育です。その期待は空想家に育てることだけになります。

 自律した自由な理性の道徳法則は、祖国を護持するために、高潔な心から自分の生命を犠牲にするような命令に献身することではなく、自分自身に対する義務が大切です。つまり、自己信頼を増進していく教育です。この道徳法則を自分の一切の行為に関して、他人の一切の自由な行為を観察する場合に日常の仕事として、習慣にすることです。

 勇気ということの概念についてもカントは述べます。義務遂行の障害や、義務遂行の反抗力は、理性によって戦えるのです。正義に背く強敵に抵抗する能力、深く考えたうえでの行為のための決意は、勇気の精神です。

 他人の一切の行為を自由に観察することは、客観的に道徳法則に合致しているどうかとみることです。また、合致していなのはどうしてなのかを問うことです。このことによって、責務の根拠を与えるだけの法則から責務を果す法則になっていくのです。もっぱら実践のもとになる理性の判断力が問われていくのです。その判断力が理性的道徳をもってなされたのが常に問われて、その練習によって青年たちは鍛えられていくのです。

 この道徳判断力の高まりによって、楽しみや美の感嘆がされていきます。つまり内的能力すなわち内的自由がかれに開示されていくのです。自由の意識に含まれている我々自身に対する尊敬の念を介して、一層に義務の法則が受け入れられるのです。自分自身に対する尊敬が十分に確立され、また人間が内心の自己吟味によって反省し、自分自身に善き道徳心と自己尊敬の念をつなぎ合わせ、不潔な退廃的衝動が心に侵入することを防止する役割を果たすことを強調していているのです。

 カントは人「人倫の形而上学」の著書で義務について、動物的存在としての人間の自分自身に対する義務に自殺の問題をとりあげます。自殺は、生きている人格性を放棄することでしかない。自殺に属することで、祖国を救わんと進んで必死に身を投じること、人類救済のために一身を犠牲にすること、殉教ことなどは、自己殺害になるのです。

 享楽、情欲のために生きる悪徳と感性的な徳として生きることを貞潔とがあります。人間が自己を、動物的衝動に充足させる手段だけでは、人間は人格性を堕落させてしまいます。不節制の悪徳として、飲食物や栄養の使用にあたって、自ら招くことを病気と判定させるのでなく、自分自身を放棄する悪徳とみることが重要です。

 道徳存在としての自分自身に対する義務は、うそ、貪欲、卑屈の問題性をあげています。嘘は自分自身の道徳的義務の最大の違反になるのです。嘘は自己の人間としての尊厳を放棄することです。それは、自分を絶滅することでもあるのです。貪欲とは、他人に対する自己の義務違反となるのです。人間を理性的存在かります。自分に対しては尊厳があることをみることが大切です。また、平等に自己を評価できることもみることです。卑屈な人間は、その尊厳を失っています。自己尊重こそ、人間の自分自身に対する責務になります。

 他人に対する徳の義務については、愛と尊敬の義務をカントは最初にあげます。愛と尊敬は互いに結合しているのです。貧しい人に対する親切は義務づけられ、親切の恩恵は貧しい人の福利が心の広さに依存し、その恩恵を受けた人が、体面を失うことがないようにすることです。

 

相互愛と感謝の義務

 そこには、自自分自身に対する尊敬を維持させることも義務とするのです。そして、互いに尊敬を払う相互愛の倫理が大切になってくるとのです。愛の義務は広い。尊敬という他人に対する自由な義務は、本来的に消極的で、誰からもその人を侵害しないという法律的義務と類比的です。この意味で、徳の義務にはならないのです。

 隣人愛の義務は、他人の目的と私の目的ということが結びついています。私の隣人を尊敬する義務は、どのような他人も私の目的の手段として、その尊厳を損なわない。愛の義務は私が誰かのために実践することで、同時に他人に義務を課すのです。

 人間愛は実践的に考えられるということで、その人間の実践は、誰かの満足の愛と考え、活動的な好意の中におかれます。それは、博愛の友の実践とよばれるようになるのです。自分自身さえ幸福であれば他人はどうであろうと無関心な利己主義者は、実践的な意味での人間嫌いなのです。

 人間はすべて相互義務であります。本来的に人間の存在は、身勝手な利己的なものではないのです。それは、自由な行為の人間の関係です。私はすべての他人に好意をよせてくれることを望み、それゆえに、私もすべての他人に対して好意的であるというのは、普遍性ではないのです。

 そのように思うことは、実践理性による義務を課すことが必要なのです。つまり、実践理性の命令のなかに包含される必要があるのです。私自身を愛する責務は、理性の命令がなくとも行われますが、人間一般には、人間平等の原理にしたがっての理性によって、相互に好意をいだく義務が求められます。

 貧しい人々に一方的な親切な行いをすることを義務として要求することは無理なことです。好意とは、他人の幸福を喜びとすることです。親切を尽くすということは、他人の幸福を自分の幸福になるような理性をつくることです。

 親切を尽くすということ、また親切を受けることは、それぞれの幸福感によって、その喜びが異なります。従って、親切の行為は、受ける人の幸福感に従って行うことです。押し付けてもその人は幸福を感じないのです。このように、それぞれの人間の幸福感の形成において、理性的義務などの人間の能力を形成していくことが重要になってくるのです。

 感謝の義務は親切をした人に対する尊敬の感情です。感謝は、道徳法則の義務でもあるのです。感謝の広がりは、同時代の人々だけではなく、祖先に対して通じるのです。その感謝の念を思うときに、私欲を離れて、みていくことが大切になります。

 同情は一般的に道徳的な義務です。それは、感性的な感情になります。この感受性を活動的理性的な好意を促進する手段として利用ことは、人間らしさ、人間性という特殊な義務になります。自分の感情を互いに伝達し、分かち合う能力や実践的な人間性の意志になるのです。それは、快楽とか苦痛という共通の感受性に対する受容性という直感的人間性のなかにあるのです。

 つまり、感情の自由なる共同の実践理性になるのです。一方的に他人の苦しみや喜びそれ自体は義務ではないのです。悩むことも共に悩む、喜びも共に喜ぶということで、一緒に暮らしている人たちの間の感情としての同情は責務にもなるのです。つまり、共に悩む、共に喜ぶことの同情の感情を義務としているのです。

 人間憎悪という人間愛と正反対の悪徳は、嫉妬、他人の不幸を喜ぶ気持ちです。嫉妬は、他人の幸福をみると、そのために自分の幸福が少し妨害されているわけではないのです。それは、苦痛を覚える性向です。嫉妬が燃え上がると他人の幸福を犯そうとするのです。嫉妬の衝動は人間の本性のなかにあるのです。親切にしたためにかえって敵をつくるということがあります。他人から親切を受けると、その被保護者は、親切を受けた人と比べて、一段と低い位置に陥るという思いになることがあります。

 この親切にされて自分を低い位置とする思いは、本当の自己尊重、人間の尊厳性を持たないのです。親切にされることを不平等の関係を強く抱いて、感謝の反対の態度を示すのです。愛の欠如は愛の心を持たないで、人を憎むということになるのです。人間の愛の欠如の恐ろしさをのカントは指摘しているのです。つまり、愛の感情を育てていくことの大切をみているのです。

 他人の不幸を喜ぶ気持ち、これは、同情の正反対の感情です。他人の不幸を喜ぶ気持ちは人間憎悪としてむきだしにでてくるのです。無事繁栄が続いているときに、他人が示す傲慢と悪徳の誘惑から逃れてきた幸運の立派な行状の自負があります。自分の利益にもならない復習欲という他人の不幸を自分の目的とすることは、大きな罪であります。

 他人の尊敬から生まれる徳の義務は、一人の自己愛が他の人の自己愛によって、進んで制限を受けることです。それは、他人に愛されるに値するつつしみです。このつつしみの欠如は利己愛といわれるのです。

 他人から尊敬される要求を持つ人がいます。それは、あつかましい自負・傲慢な心です。人は誰でも自分の同朋から尊敬されたいという正当な要求をもっています。他人を侮辱する人は、人間一般的に尊敬を払わない人です。それは、義務に背いているのです。

 ところで、悪徳者に対しても人間としても人間たる資格において、かれから尊敬を払うことを奪うことはできないのです。悪徳者を完全に侮辱し切って、彼の道徳価値を一切略奪する結果にならないのです。悪徳者の善への素質をすっかり失ってしまうことはありえないからです。

 他の人間に尊敬の義務を違反する悪徳は、まず、高慢があげられます。傲慢は尊敬に対する反対の態度です。傲慢は名誉欲にかられたものが模倣になります。陰口は他人に尊敬を損なうもので、尊敬に疑惑をいだかせるのです。他人の欠点や癖を物笑いの種にして、自己の娯楽にするのは、悪意であって、冗談とは全く違うからかいです。これは、侮辱的な攻撃です。

 人間の状態に関する人間相互の倫理的義務は、人間の相互的義務づけの原理を含んでいないとカントは考えるのです。それは、徳一般の義務づけです。友情において、愛と尊敬とが最も密接に合一し合うのです。

 幸福を共に同情し、分かち合う伝達が友情で結ばれた責務が人間間の義務です。友人の一人が相手に対して欠点を気づかせることは義務です。それは、愛の義務でもあるのです。友情は繊細な側面もありますので、感情にもとづいて互いに心を分かち合うように身をまかせていくものです。

  困った場合は相手の援助を安心して頼みにされて親切を尽くしてもらうことが、その人にとって、愛の平等をあてにできます。しかし、尊敬にとっては、平等をたのみにできないのです。相互愛を尊敬への要求によって、制限する確固たることを怠れば、友情の中断を防ぐことはできないのです。相互愛の重要性を人間関係においての重要性をカントは強調するのです。

 法の義務は外的に強要することができます。しかし、徳の義務を守らせるには、自由な自己強要であるのです。徳の義務は、個々が自由意志によって、自律的に自覚して、自己コントロールしていくものです。人間はたえず欲望が自己展開していきます。欲望は人間の内的に常にまきおこる主体的な行動の源です。

 ここに、人間自身のもっている意志の自由が常に人間的に社会的な存在としての絆をもって、助け合って生きていることがあることを忘れてはならないのです。実践的な理性の存在の磨きや絶えざる反省ということが重要になってくるのです。とくに、大量生産・大量消費のなかで、個々の欲望を煽っている現代社会の弱肉強食の競争と分業社会では、自律的に自らをコントロールして、目的意識的に相互愛や仲間との絆・連帯をしていく社会的存在としての理性の磨きが極めて重要な課題となっているのです。

憲法9条と孫子の兵法から学ぶ

憲法9条と孫子の兵法から学ぶ

 

 日本国憲法9条は、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄するとのべています。そして、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めないとしています。

  日本政府の憲法と自衛隊との関係では、自衛のための必要最小限度のものとして、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は、許されないとしています。自衛力は、専守防衛です。

 また、防衛とは、国や地域が自らを守るための能力や手段であって、自衛力だけではなく、経済的、科学・技術的、外交的な要素を含みます。

  国を守る自衛力は、国境を守るための警備監視隊、外部からの侵入を防ぐための実力部隊は必要ですが、国民の生命を守るために、災害が起きたときに迅速な対策部隊が求められています。

 防衛とは、仮想敵国をつくって軍事力を強化することでは決してないのです。経済的国力や科学・技術を発展させたり、そのための教育・人材養成を充実させて、周辺国と友好・交流の発展をさせて、それぞれの国や地域との利益を共有していく努力が最も求められているのです。

 2500年前の孫子の兵法では、敵同士であっても共通の目的の危機があれば協力することです。ライバルと殺し合いうのではなく、共に仲間になっていく知恵を発揮するということです。この意味が「呉越同舟の計」です。孫子の大切な哲学です。また、孫子は、政治的な戦略によって、戦わずして勝ということが強調されています。戦争は政治の道具であり、目的は、政治的意図であるのです。現代的には、憲法9条という政治の目的から政治的な戦略が必要なのです。

 このためには、最も重要なことは、呉越同舟の計を現代的に知恵を発揮していくことです。日本は、なにが優れているのか。その優れていることが、近隣諸国の相手国の共通利益になるのか。現代では気候変動で環境問題が深刻です。日本は、持続可能な発展の環境問題解決の科学技術をもっています。

  一見、敵対同士にみえても、いかにして共通の利益を探りだしていくのかということです。

 大局的に未来を予測して、様々な手法で、逃げることも積極的な手段なのです。逃げるのは手段であって、目的ではい。敵と思う彼らを知り、己を知れば、百戦して危うからずということです。

   勇ましさ、猛進の一面的な攻撃姿勢・戦略ではなく、成功面と失敗面、利益面と損失面など全体的にみて、万全の守りということでが孫子の兵法の教えです。

 防衛ということを軍事力に一面的に曲解して、憲法を改正して、軍事力を強化することではないのです。憲法9条を持つ国として、自衛力を重視して、最も大切な経済力、科学・技術力、外交力を重視いくことではないでしょうか。

 孫子は、戦わずして勝つという哲学を強く持って戦争は国家の一大事になるので、いったんはじめてしまえば国家の経済全体に深刻な状況をつくりだすのです。

  2500年前の春秋時代の古代の中国の昔では事前に勝敗を決めることの5重7計で、スパイや画策、謀略で、直接に戦わずに勝つ方法を考えたのです。現代で、いえば憲法9条の平和主義による外交戦略の駆使です。

  孫子は、水の姿こそが理想的として人間はいかに生きるべきかを考えたのです。人間のもつべき能力は、人格の資質とみたのです。兵の心にある情は勝を貴び、久しきを貴ばずということで、思わざることにあうもので、そのことを戒めておくことが大切としているのです。

   敵対すると思う相手を作り出すことで血気盛んになって無謀な行動に走る兵の心情を孫子は、考えたのです。戦争という国家の行いは、国益からわりにあわない事業ということが重要なことだと孫子は、最も重視したのです。

  そのように考える思想をもつ人格と能力をもった指揮官による兵をそろえ、やもえず戦う場合は短期決戦で、迅速なスピーディーな行動ということです。そして実力に応じた対処と柔軟な姿勢を強調しているのです。

   ここには集団のエネルギーと水の姿の軍隊像があったのです。そして徹底しての組織論を軸に兵法を考えたのです。将軍と兵を同じ気持ちに同じベクトルにしていくことが大きなエネルギーになっていくのです。

   為政者の道は民をして上と同じくせしめということで、常日頃から民の心を理解しての政治を実施することとしているのです。つまり、仁政の精神の強調です。

  

 

西郷隆盛と霧島―立憲主義憲法草案との関連

西郷隆盛と霧島―立憲主義憲法草案との関連

 

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 西郷隆盛は、明治維新の五か条の五誓文最初の「広く会議を興し万機公論に決すべし」を大切にした為政者・政治家です。筆頭参事として、国の行政責任者になった明治5年から明治6年にかけて、憲法と国会開設にための会議を興しましたが、残念ながら挫折しています。霧島では、明治8年に、霧島在住の竹下弥平の名によって、国会を国家運営の最高決定機関と立憲主義とによる国を統治する憲法草案が東京の朝野新聞に発表されました。

 西郷隆盛と霧島山麓の位置⛰️

 霧島は、西郷隆盛がたびたび訪れたところです。明治維新のときも鹿児島に凱旋することなく、西郷は霧島にとどまったのです。また、明治6年の政変後に、霧島山麓の温泉で日本の未来を思索しています。その後に、士官・幼年学校、私学校にづくり、そして、吉野開墾塾での新しい人材養成に奔走するのです。

   西郷の生涯の親友で共に、西南戦争で戦った桂久武が下級武士の生活を確保するために幕末から明治初期に私財を投げうって1867年から霧島神宮の近くを開墾したところです。

   西郷が奄美に流されたときに、久武は、奄美の役人として左遷されました。奄美では、共に暮らした間柄です。西南戦争では最後まで、西郷隆盛と共に、城山で政府軍と戦った人物です。生涯にわたって、西郷隆盛と共にした薩摩藩の家老で、維新後も重要な鹿児島の人物であった桂久武でした。明治の初期で霧島山麓に庁舎を構えた都城県の知事になった人物です。 👨‍🦱

 

  桂久武は、薩長同盟で結ばれた翌年に霧島の開拓事業を始めているのです。西郷、小松帯刀と共に薩長同盟に尽力しています。同盟が結ばれて鹿児島に帰ったのでしたが、新しい世の中は、武士も経済的に自立して行くことが必要ということで、開墾事業に乗り出していくのです。

 霧島田口の入植による開墾事業は、家臣たちの家造りからはじめなければならなかった。水田には、用水路建設などの多大の経費を要したのです。この費用は全額桂家から出しています。久武の二男桂小吉が開墾事業を継承していきます。

  西郷と桂久武は、深い人間関係で結ばれていました。西郷が月照僧と錦江湾に入水し、奇跡的に助かった後、奄美大島に流刑されていたとき、桂久武も、奄美大島に左遷されたました。二人は、奄美大島という共通の基盤で、薩摩藩と日本の未来を考えていたのです。

  

明治8年の霧島での憲法草案と西郷隆盛🌄

 

 明治8年の憲法草案は、竹下弥平の名で発表されたものです。竹下弥平と西郷隆盛の関係は、西郷が大山などに手紙を託した人物です。竹下弥平は、民間人として、日本の当時では、画期的な自由の真理と立憲主義の憲法草案を発表した人物です。

  この憲法草案の内容は、国民のための民主憲法を歴史的に考えていくうえで、重要な資料です。明治8年3月1日付けの朝野新聞に発表されたました。執筆は、明治8年2月1日と記されています。竹下彌平は、鹿児島県襲山郷在中とある。西郷は大山に手紙を出すときに、竹下に託すと書かれているのです。

 

  かれの憲法草案の理念的特徴は、「我国ヲ愛スベシ、吾人、自由ノ理ハ我国ヨリモ愛スベシ」ということで、国会の早期創設によって憲法を制定して、立憲主義のもとに、為政者を豹変させないという趣旨です。

  民会の議論は、当時に、利害がぶつかりあい、時期が成熟していないという意見がですが、五箇条の御聖誓の精神をうずもれさせないために書かれました。国政失調を挽回するには、民会に求める他にないとするのです。自主自立、自由の理の真理を切り開き、国を発展せるためには、早期に民会を開くことしかないと強調しています。民会という議会を大切にしていく国と統治方法です。

 

  現代的にみると、解散権は首相に専権事項とか、首相に信任のための解散という強い行政権限を持たせる独裁体制の風潮からみると、明治初期の竹下弥平の考えから学ぶことがたくさんあります。

  欧米文明諸国と対等になるために政治の失調を立て直すに、民会を興し、旧来の悪い習慣を破り、天地の公道に基づくべし、知識を世界に求めるべきとしたのです。民会ということで、さまざまな意見を大切にして、古い悪い風習を無くして、新しい天地の公道に基づくということです。

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 5ケ条の御誓文の天地の公道を指しているのです。天地という普遍的真理や、自然の摂理、誰からみても認めているルールや正義を大切にしていくことです。みんなが共有する正しい道、また人間がかってに決めたルールではなく、誰もが理解できる自然の普遍からということです。そして、知識を世界に求めて、人類普遍的な原理を求めていくということです。

🧑‍🦱

  ところで、民会・国会は、国の重要な行政的責任者の太政大臣、左右大臣を選び、国の歳入歳出を定める特権を有するという提言です。予算は、国家の運営の重要な事項であるということです。西郷南洲遺訓でも私利私欲を棄て、敬天愛人の精神によって、民の生活を豊かにすることを第一にして、民への税の無理な取り立ては国を滅ぼすということです。民の税を減らすことが国を豊かにするというのです。

 

  このために会計は、入りを測り出ると制するということで、税収について、民の生活が困らないように設計することを考えているのです。そして、支出を制するということで、国の指導者は自ら質素倹約に勤めて、品行をよくして、公道にそっての使い道を考えていくべきとしているのです。

 

  現在のように、経済成長や積極財世論などで、入りを大幅に超えての財政支出ではないのです。国の指導者や大金持ちの質素倹約ということで、その蓄積される富は民に分配するようにすることが、税の仕組みで大切になってくるのです。

 民にたいしては、税を軽くして、富める国の指導者や富豪層に対して、質素倹約を求めて、その部分の一部を税として民に分配していくという見方が現代的にも求められているのです。累進課税として、戦後民主主義の財政に導入された税制制度です。しかし、それが消費税ということで、富豪層も含めてすべての人々に求めているのが現代です。👱

 

  民に、税の均等性ということから、所得が低ければ、重い税金になるのです。大金持ちという所得の高いに人々には税金を高くするというしくみになっていないのです。民を豊かにしてことは、税金を軽くしていくことです。そのことは、教育にも力を注ぐことができて、国にとっての創造的な人材養成の基盤にもなっていくのです。そのことは、国をさらに、豊かにして、子孫と地域を繁栄させていく道筋が求められていくのです。

 

 😇ところで、政治のしくみとして、国会を中心として、左右両院の特権は、いかなる行政官、司法官、武官といえども犯すことができないとしているのです。国会の権限は、立国の本旨から最重要であるとするのです。これは、明治維新の5箇条の御誓文は、広く会議を起こして万機公論に決すという理念であったことから、その理念を早急に拡充して国会を開設すべきという。国会は、立憲主義ということから、行政府を縛り、国権の最高機関という国会の役割の主張がみられるのです。

 

 😇 自由の理のもとに、憲法をつくり、国会を開設することで、日本の国が豊かになるために、教育の役割を重視していることも極めて大切なことです。このことについても竹下弥平は、憲法をつくって国会をつくることで、国が豊かになっていく道筋をつくっていくことをのべているのです。

 

幕末の立憲国体の動きと西郷隆盛

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  西郷隆盛が筆頭参事をしていた明治5年から6年の新政府では、憲法を定め、国会を開設しようとする統治体制の議論が行われていくのです。

 西郷は、すでに薩摩と土佐の盟約が結ばれた1867年6月の翌月にイギリス人のアーネスト・サトウと2回の会談をもっています。そこで、西郷は「国民議会」の構想を語ったことが、サトウの証言から記録に残っています。サトウは、それは狂気じみた考えであったとしています。

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 アーネスト・サトウいわく「西郷は、現在の大君政府の代わりに国民議会を設立すべきであると言って、大いに論じた」「これは狂気じみた考えのように思われた」「西郷は政府は大坂と兵庫の貿易の全部を日本人豪商20名から成る組合の手にゆだねて、自らこれを独占する計画をたてていることを私に漏らした。・・・この情報が長官の耳に入るや、彼は烈火のようにおこって、直ちに首席閣老に会い、この計画を放棄することを主張した」アーネースト・サトウ「一外交官の見た明治維新(下)」岩波より

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  薩土盟約での議会主義による国運営計画がありました。薩土盟約では、大政を朝廷に奉還し、上下の議事院を建立し、下院は、陪臣庶民に至るまで正義純粋の者を選挙し、上院は諸侯とする案でした。朝廷の制度も弊風を一新改革して地球上に恥じない国本を建てるとしたのでした。諸侯会議を開いて、人民共和をめざして万国に恥じないような国体を薩摩と土佐の盟約にしたのでした。

 

  西郷隆盛の島津久光への建白書と西郷の長州派遣の中止がありました。西郷自身も同じ年の5月に、島津久光への建白書でも政権は天朝に帰し、幕府は一大諸侯に下り、諸侯と共に、朝廷を補佐し、天下の公議を以て統治を行うようにと提言しているのです。ここでも公議の問題が大切なことになっています。つまり、天皇を利用した絶対主義的国家、有司専制の官僚的な独裁国家による経済的な近代化を考えていたのではないのです。

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 幕末から明治初期の新政府において、立憲国体が大きな政治課題としてありました。西郷隆盛は、薩摩と土佐の盟約を結んだ頃から、立憲政治の構想がありました。現実の政治過程として、大政奉還による平和的な体制変革は、その大きな目玉でした。

 幕末の議会主義の構想は、坂本龍馬の船中八策、上田藩士の赤松小三郎による越前、薩摩、幕府への「御改正口上書」、会津の山本覚馬の「菅見」、横井小楠の貿易振興による世界兄弟論、議院内閣制の建白書などがありました。議会政治、立憲主義の見方は、すでに、日本の幕末の体制変革を唱える志士や思想家にあったのです。藩の枠を越えての日本という国のあり方を考えていたのです。

 

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 西郷は、すでに薩摩と土佐の盟約が結ばれた1867年6月の翌月にイギリス人のアーネスト・サトウと2回の会談をもっています。そこで、西郷は「国民議会」の構想を語ったことが、サトウの証言から記録に残っています。サトウは、それは狂気じみた考えであったとしています。

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  アーネスト・サトウいわく「西郷は、現在の大君政府の代わりに国民議会を設立すべきであると言って、大いに論じた」「これは狂気じみた考えのように思われた」「西郷は政府は大坂と兵庫の貿易の全部を日本人豪商20名から成る組合の手にゆだねて、自らこれを独占する計画をたてていることを私に漏らした。・・・この情報が長官の耳に入るや、彼は烈火のようにおこって、直ちに首席閣老に会い、この計画を放棄することを主張した」アーネースト・サトウ「一外交官の見た明治維新(下)」岩波より

 

  薩土盟約での議会主義による国運営計画は、次のとおりです。薩土盟約では、大政を朝廷に奉還し、上下の議事院を建立し、下院は、陪臣庶民に至るまで正義純粋の者を選挙し、上院は諸侯とする案でした。朝廷の制度も弊風を一新改革して地球上に恥じない国本を建てるとしたのでした。諸侯会議を開いて、人民共和をめざして万国に恥じないような国体を薩摩と土佐の盟約にしたのです。

 

 

西郷隆盛と霧島山麓での温泉での思索

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 維新後に湯治のために日当山温泉でゆっくりするのです。税を少なくして国民に余裕をあたえることが国力を豊かにする政治であると西郷はのべる。国民から税を絞りとるのは、国民と役人は敵対するようになり、国家の力は衰えていくということが西郷の考えです。

  さらに、国家の歳入と歳出の原則についても西郷南洲遺訓の14項目で明確にのべている。「会計出納のことは制度の基礎であり、すべての事業のはじまる政治の中心なのです。このことから、とくに慎重におこなわねばならないとしているのです。そのおおよそをいうと、「入るを量って、出るを制する」ということのほかには、これといった方法がないとしています。一年の収入によってすべての事業の制限を定め、会計を担当する者がみずから制限を守り、決して制限を超えてはならないとしています。

 

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  明治8年の江華島測量の名目で挑発して、発砲してきた朝鮮の砲台を逆襲する事件に対する西郷の見方から、外交の平和的話し合いの重要性が理解できます。明治8年9月の朝鮮の江華島沿岸で海底測量の名目で挑発して発砲してきた朝鮮の砲台を逆襲する事件に、西郷は、篠原宛ての手紙に日本政府の外交路線を非難しています。(霧島山麓の栗野岳温泉で書く)。霧島山麓の温泉につかりながらのゆっくりと国の姿を考えた西郷の考えです。

  農民のために尽力した西郷隆盛の姿があります。明治9年頃に国分郷住吉村川尻の于寄地の紛議が入植士族と地元農民との間に起きています。この紛議に西郷は、百姓側の立場にたって、代作しているのです。

平和は、対話と多様性の学び


平和は、対話と多様性の学び
日本は、総理の自己都合でいきなりの総選挙。怖い、恐ろしい。大いに議論して合意形成が平和、人々の幸福実現の前提。とくに世界では異なる価値でも対立ではなく話し合いが求められる。
日本国憲法で、国会は、国権の最高機関であって、国の雄一の立法機関である。内閣は、法律の定めることにより総理大臣を国会議員の中から国会の議決での指名となっている。衆議院で信任の否決しときは衆議院の解散または総辞職をしなければならないと憲法では規定されている。
高市早苗が総理大臣としていいのか、国家経営を託していいのかと、内閣総理大臣の施策を政治の安定という多数決の暴挙によって、解散権を総理大臣にあるという規定はない。国会では異なる意見を大いに出しあって、合意形成をしていくことが求められている。
 日本は立憲主義で、議会での徹底した議論によって行政権の執行の内閣制である。総理大臣の自己都合・独裁政治ではない。高市早苗首相の記者会見で日本の民主主義の危機感を感じました。

2026年の新年にあたって考えることー日本の未来と日本の現状の危機

2026年の新年にあたって考えること

     ー日本の未来と日本の現状の危機

 

 新年あけましておめでとうございます。難しい激動する社会に、人類的な未来を常に求め、今年は楽しく前向きに一歩一歩と前に進めたらと思っています。 このために、自分の歩んできた道、自分の書いてきたことをじっくりと見つめ、多くのことを学びながらまとめていく作業もしたいと考えています。支えてくれたまわりの人たちに感謝しながら。

 今年も積極的に自分のできることで、日本の未来へのために地域から探究をしていきたいと思っています。日本の未来を考えていくうえで現状を深く知る必要があると思います。

 現状の問題は、第1に、世界の平和共存が崩されていることです。ウクライナ戦争やガザでのジェネサイド、さらに、アメリカのベネゼ攻撃です。また、日本との関係では、台湾の緊張問題です。国連憲章国際法というあたりまえの世界の平和秩序がおかしくなっているのです。台湾の緊張を煽ることは、東アジアの平和協力体制の危機です。現状は、中国との平和共存、友好共生関係が重要です。日中平和友好条約を1978年に結ばれています。

 「平和五原則で、相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる。ものとする。国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく・・・ 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

 中国脅威論から南西諸島や鹿児島や熊本など九州各地に長距離ミサイルを配置し、攻撃用の基地整備など敵地攻撃態勢が進んでいます。実に日本は一部の復古主義的な戦前の軍国主義回帰の政治家によって、危ない現状にあると思います。日本の国民は平和を強く愛する人々であることを固く信じています。

 しかし、世論操作によって、感覚的な言説で、中国脅威論の単純化した誤った論理で、多くの国民が騙されていると思います。  このなかで、日本の防衛費が大幅に増えています。GNP2%、さらに増大ということで、従前の1%を超えないという国の基準を大幅に超えています。とくに、台湾有事問題ということで、国連をはじめ世界各国の見方は、台湾は独立国でないということです。

 高市政権は、また、世論のマスコミも、あたかも台湾は独立国のようにして、台湾有事を煽り、中国に敵対姿勢を強めるていることです。中国は、戦後に植民地主義からの解放闘争のなかで、複雑な政治的経過をたどってきました。

 日本は、戦前に台湾を植民地にしてきた歴史的経緯があります。戦後は、中国の国内事情で、地域的に体制の異なる蔣介石政権が統治しました。未解決の問題も存在しているのも事実です。これは、あくまでも中国の国内問題であるのです。しかし、中国の国内の台湾問題は、日本の存立危機ということでは決してないのです。高市首相の国会発言の怖さがみられます。これは、戦前回帰を想起させる国会での発言です。

 日本は、戦後は、日本国憲法のもとに平和国家として、国民主権による国の最高機関で、唯一の法律をつくる国民の代表機関として、国会がある立憲主義を国是としています。この自由と民主主義で出発した国です。

 この国会の場で、台湾有事は日本の存立基盤の発言は重大な中国との関係で、国際的緊張関係を作り出す要因になっているのです。中国とは日本の長い歴史のなかで常に友好的な関係をもって交流をもってきたのです。

 日本の歴史文化は、中国やベトナム朝鮮半島と常に友好的な関係をもって、独自に日本の自然や伝統のもとに文化充実の発展がつくられてきたのです。長い歴史のなかで、日本と中国との関係で、中国が日本に侵略してきたことは、鎌倉時代に元の襲来ということだけです。これは、ベトナム朝鮮半島と中国の歴代王朝との関係の違いです。

 日本は、戦前に中国への侵略をして、中国の人々に多大な被害、悲惨なことをした歴史があったのです。戦前の回帰はいかなる理由があろうともやってはいけない日本国民の平和に対する国際的関係の倫理です。日本国憲法は、そのことを国際的に誓って、戦後の日本の自由と民主主義の出発なのです。

 日本は大きな歴史の流れからみれば世界に誇るべき平和的な民族的精神をもっているのです。これは、長い歴史のなかで、代々にわたって継承されてきたのです。多様性を求めて、話し合いと慈愛の文化をもってきた為政者や民の暮らしの文化は、大きな意味があったのです。

   第2に日本の現状の深刻な問題は、国家財政の赤字問題です。収入が80兆円というのに予算の支出が122兆円で足りないのは国債という借金ということです。国債という借金が13000兆にふくれあがっている現実。世界で最悪の借金大国になっている日本の現実があるのです。

 日本の議会制民主主義で最大の欠陥は、政府の予算編成について、客観的に、中立的な立場で財政収支と、その見通しを公表する独立した財政機関がないのです。また、大きな問題として、予算編成権を国民の代表機関である議会にないことも大きな欠陥です。

 日本の国会議員の予算編成の権限が奪われているのです。国会の役割で重要なことは、国家の予算編成権なのです。行政府の権限によって、官僚機構の高級官僚によって、国家予算案がつくられていくのです。

 さらに、国家財政の赤字補填としての中央銀行の役割も日本の異常な状況です。いわゆる国債保有を日銀が5割を占めるという異常な事態です。放漫財政を日銀が支えているのです。市場主義の金利のメカニズムが機能していないのです。

 財源の裏づけのない赤字国債の乱発です。補助金や減税もすべて財源との関係で議論されるのが民主主義国家の財政運営の原則です。円安や物価高の根本を国家の財政政策からも考えていくことが大切ですが、それすらもおろそかにされているのです。

 日本の歴史のなかで藩財政が危機のなかで、その立て直しを行った米沢藩上杉鷹山の施策から学ぶことは重要なことです。徹底した財政の洗い直しで、藩主自身の身の回りの質素倹約をはじめ、藩財政を大幅に節約したのです。

 そして、藩の経済的収入にかかわっていなかった武士に身近な生活のなかから収入を得るために家業の小経営を積極的にすすめたのです。藩全体として、開墾事業や産業起こしを積極的に展開して、外からの流浪者等の労働力も受け入れたのです。これらのために、教育に力をいれたのが上杉霊山の特徴でした。

   国家制度の基礎は財政にありということで、日本の近代化で、かつて西郷隆盛がのべたことがあります。西郷のことばで、「入りを、はかりて、出る を制する、他に術無し」ということばを現代的にも考えるときです。霧島で明治8年につくられた憲法草案でも自由と立憲主義をとなえて、国会の役割として、太政大臣、左右大臣を選ぶ権限と国家予算の権限を提起していたのです。

 高度に発達した資本主義で、資本の集中も進み、強大な国際的な企業が生まれている現状のなかで、競争も国際的規模で進んでいるのです。経済においても国家の自立した経済のコントロールが国民の豊かな文化的生活を保障していくうえで、重要になっているのです。

 国連を中心とした国際的な貿易のルールや条約と共に、この役割を果たす大きな位置が国家財政です。国家財政は、社会的な矛盾や公平なる分配、暮らしの保障という社会システムをつくりあげていく公共サービスに大きな役割を果たすのです。

 これは、福祉や社会保障、国民の生涯において、発達を保障される学習権保障とともに、重要な財政的基盤提供です。現状での巨大な社会的な経済格差の矛盾は、国民の自助努力ではまかないきれない現状なのです。

 この公共的なサービスは、国家の財政基盤をとおして公的な社会的サービスが実施されていくのです。これは、財政は、本来的に議会をとおしての権限であるが、日本の現状は、行政権を握る政府の統治権限で行われ、政府を握る政治との関係が深くかかわってるのです。

 また、財政は、現実の市場経済との関係をもっているのです。財政は、国民の租税によって成り立っているので、その租税のしくみは、政治とのかかわり合いが強くあることも大切なことです。

 租税は、社会権を保障していく民主主義の財政的原則で、累進課税が原則です。もてるものと持たざるものとの大きな格差があるなかで、その原則を貫いていくことは、政治的な価値観によって、大きくことなっていくのです。

 経済成長を第一優先していく、民間の自助努力によって、国民の暮らしを考えていく政治的なスタンスと、国民的な暮らしを第一に考えて、経済の成長も国民の一人一人の豊かな暮らしを第一的に考える政治的価値と大きく異なるのです。この大きな政治的な価値のぶつかりあいが現実に財政問題でも起きているのです。

  第3は、教育・人材養成問題です。教育は、未来社会をつくっていくものです。その教育が画一的な立身出世の競争主義や競技やコンクール主義、管理主義にはまりこんでいることです。教育者自身や地域での教育力の低下です。このなかで、子どもや青年たちの自主性を生かしての創造性を育てていくことが削がれていることです。

 もちろん、未来をみつめて、輝いている子どもたちや青年もいることも事実ですが、その子どもたちや青年をはげまして、積極的に親や地域社会や学校が評価して、やる気高めてい社会環境が大切ですが、それが弱くなっているのです。ときには、変わった子ども・青年として、ういてしまうことがみられてしまうことがあるのです。多様性を尊重して、すばらしいところをみつけて、意欲を引き出していくことが大人たちに求められているのです。

 さらに、基礎教育や基礎研究を大切にするよりもすぐに役にたつようなハウツウや実利的なことに集中している傾向がみられるのです。このために、子どもや青年の発達ということよりも教える内容の過重という問題があるのです。

 そして、教育にたずさわるものが誇りをもって、それぞれの子どもや青年や地域の実状に即して、感覚を磨いていくことと、理性を大切にした自由で、やりがいをもって責任をもてる体制がないことです。

  第4に少子化ということと農山漁村の過疎化が進み、都市と農村の格差が進んでいることです。農山漁村の過疎化は、日本の食糧自給への道を著しく遠ざけているのです。そして、地方経済の衰退に拍車をかけていることです。

 これは、工業と農業の効率性からの不均等発展の市場にける経済法則や金融資本の都市の集中、文化的整備の都市への集中、高等教育の都市への集中ということからくるものです。経済的な効率性からみるならば、あらゆる面で、大都市が有利な条件にあるのです。

 農業や農村の効率ある地域社会・地域産業発展には、特別の支援や、それを守る価格保障、公的な高等教育機関・研究機関の特別の配置など、農村や地方都市への社会環境整備が必要なのです。経済の効率性論、民営論だけでは、都市の農村の格差や過疎化を食い止めることはできないのです。

 日本の未来を考えていくうえで資源を国内から生み出すことは重要なことです。持続可能な社会づくりにとって、再生可能エネルギーのために資源を農林漁村から求めることは未来への輝きをもっていくことになります。

 このための新しい科学技術の発展が切実に求められる時代です。いわゆるセルロールナノテク科学技術やバイオマス科学技術などは、その大きな具体的事例です.  これらの課題が示すように、今は国民的に考えるときではないかと思うのです。

ホーチミンの独立思想と有徳精神

この記事は、ナムディン日本語・日本文化学院の創設当時にベトナムの先生方に日本人として、ホーチミンの有徳思想について語ったものです。

ホーチミンの独立思想と有徳精神


 ホーチミンは、儒学者である家に1890年生まれ、生涯ベトナムの独立と自由、民主主義に捧げたベトナム国家の指導者である。ホーチミンは、1945年9月2日ハノイのバーディン広場で50万人以上のベトナム市民が集結するなかで、独立宣言を読み上げた。
 しかし、ベトナム人は、その後、この独立の宣言にもかかわらず、フランスからの独立戦争アメリカとの独立戦争・経済封鎖という極めて困難な道を歩まなければならなかった。

 ベトナムの独立宣言は、1776年のアメリカの独立宣言の精神である。それは、いかなる民族も平等で生きる権利、幸福の権利と自由の権利をもっていることである。フランス革命の精神は、生まれながらにして自由平等と博愛の精神をもつ権利があるということであった。ベトナムに、その政治社会経済制度と精神を築いていこうとを全国民にホーチミンがよびかけたものである。ベトナムの独立と自由の精神は、アメリカの独立宣言、フランス革命の思想から学んだのである。

 ベトナムは、長い間、フランスの植民地政策によって、民族的文化が奪われた。そして、愚民政策を押しつけられた。ベトナムの独立にとって教育は、大きな課題であった。ホーチミンは、独立宣言をした1945年の9月20日に、「老人は黙って静かに暮らしているいるべきか」と年をとった人びとによせる手紙を書いている。

 「われわれはもう年をとっている。われわれはもう何の野望もないのだ。現代の問題をひきうけるのは、われわれの子どもたちがいちばんふさわしい。われわれは死に近づきつつあり、もうわれわれが積極的である必要はないんだ」という考えを否定した。愛国者は、年をとったからといって決して怠けるものではない。独立と自由はいまかちとられたばかりだ。われわれは多くの困難を切り抜けなければならない。老いも若きも同じように責務を双肩に負って努力しなければならない。私たちの子どもは若いし、大きな仕事をやりぬくでしょう。年をとったわれわれは大きな仕事をすることはできません。しかし、杖にすがりながらも、率先してかれらをはげまし、自分の経験をかれらにわけてやりましょう。わたしたちは年長者なのですから、子どもたちに模範を示すために、まず心から団結しなければなりません」。

 ベトナムの独立と自由のために老人も大きな役割を果たすことができるとしている。ホーチミンは独立と自由を勝ち取って、さらに多くの困難を直面していることに年配者によびかけているのである。老人は豊富な人生経験をもち、愛国的精神をもって若い人をはげまし、自分の経験を若者にわけてあげるべきだと。 

 ベトナムの独立宣言は、フランス植民地主義者との厳しい戦いを強いられた。家屋と財産を犠牲にして疎開をしなければならない事態も作りだされた。しかし、1947年2月17日の当時の年配者へのよびかけに、困難の中で生きていかざるをえない国民に、愛情をこめて、幸福を気づかっているホーチミンの言葉がうかがえる。疎開した同朋の食物、宿舎、仕事を保障しなければならず、誰も怠けることはできないのだ。

 資本をもっている同朋は、いっしょうに小企業を組織し、苦労している疎開者を助けることをしなければならない。疎開している人も自分たちの職業を続けなければならない。ひとたび仕事をもったからには、勤勉に働き、経済にはげまなければならない。独立が真に達成されたときは、わたしたちはともに幸福を喜びあいましょうと。

 ホーチミンは、1947年3月1日に公務についている同志諸君への手紙として「われわれが排除すべきいくつかのこと」と有徳の確立の重要性を強調している。
 今や我が国は死ぬか生きるか、滅亡するか生存するかの岐路に立っている。ですから各同志ならびに全組織は、祖国に統一と独立のためにすべての心と力をささげなければならない。各同志はならびに全組織は、明敏で賢く、用心ぶかく、決断力をもち、勤勉に、そして、心を一つにしなければならない。地方根性、派閥主義軍国主義と官僚制度、狭量さ、形式主義、机上の仕事、不規律・弛緩、利己主義・不道徳を排除しなければならないと地域エゴ・利己主義などの不道徳主義の課題をあげている。

  地方根性の一例として、自分の地方には、できるだけたくさんの幹部や資材をにぎって、より高級の機関が必要なところへ幹部や資材を動かそうとしても、それに応じないということ。
 派閥主義は、自分が懇意にしている人たちにたいしては、その人たちがまちがっていても、そのいうことを聞き、その人たちに何の能力もないときでさえ、かれを用いるということ。天賦の才能があっても、自分と意見の一致しない人びとをふり捨て、いかに正しくとも、その人たちの意見に耳を傾けることを拒否するということ。

 軍国主義官僚主義は、一地方を預かっている小さな王様のようにふるまうこと。尊大であり、高圧的であること。自分よりすぐれた人を軽視し、権威者を悪くいい、自分の部下に重くのしかかること。傲慢な態度で人びとをおどすこと。この専横な精神的態度は、多くの反感やあつれきをもたらし、高級機関と下級機関の間や、組織と人民との間にさけ目を掘ってしまう。 

 狭量さは、だれでも長所と短所をもっている。長所を利用し、欠点を正すように助力しなければならない。狭量な人は、友人が少ないという結果になり、他人から少しの援助しか受けられない。

 利己主義・不道徳は、公の財産を自分自身のものにし、権威や仕事を乱用して、取引ひで金持ちになることに没頭し、公務よりも個人の仕事の方を重く、考えたりする。 わたしたちはみな、慎みぶかくなければなりません。わたしたがベテランであり、有能であればあるほど、わたしたちの慎みぶかさは、大きくなければなりません。わたしたちは、進歩にたいする熱望をもち、心の中にわたしたちの師のことばを、つねに保持していなければなりません。「学ぶこと」において、うのぼれと自己陶酔は、ただわたしたちの進歩を妨げるだけでしょう。

 皆さんは一般に、我慢強さ、厳密さ、縦横な機略、進取の気性というような、多くの性質をもっているが、これらは、他の道徳を発展させるための基礎として役立つ。これらは、非常に貴重な性質であるが、大きな困難である重大な仕事をもつこの時期においては、これらの性質では不十分であり、この立派な基礎を、いままであげた欠点を決然として正すために利用しさえすれば、わたしたは完全に成功することになるであろう。ホーチミン・坂本徳松他訳「解放の思想」日本語訳1966年絶版、143頁~150頁参照。

 


 以上はホーチミンが公務にたずさわる北ベトナムの同志への1947年3月の手紙のなかでのベトナムの独立と自由を勝ち取っていくための「われわれが排除すべき不道徳なこと」 の克服の重要性を強調している内容である。ホーチミンの解放思想は、地方根性、派閥主義軍国主義官僚主義、利己主義、拝金主義などの克服して、有徳を確立していくことは、極めて大切な課題としているのである
 ベトナムは、独立宣言後9年間、フランスの再侵略に対して、独立を勝ち取った。1954年のジュネーブ協定によって1956年7月に総選挙が実施されることになった。しかし、現実は、そうならなかった。アメリカとの戦いがはじまるのである。1955年8月31日に軍隊英雄に対する講話をホーチミンは次のように行っている。

 おごりたかぶってはいけない、たえず進歩のために努力することの必要性を指摘している。英雄は個人的成果としではなく、集団的な成果として、革命的道徳をみがくことを強調しているのである。「英雄のみなさんは、みな傑出した成果をあげ、すぐれた革命的道徳を身につけている。このことは、けしてこのぐらいで十分だと考えたり、おごりたかぶったりしてはならない。たえず進歩するために、たえず努力しなければならない。

 ・・・・・英雄のみなさんは、つぎのことをよく理解する必要がある。みなさんの栄誉はきわめて大きく、みなさんの任務はきわめて重大である。みなさんは、つねに努力し、たえず進歩しなければならない。仲間たちにたいして謙虚に、よく親しみ、あらゆる面で模範とならねばならない。

 政治、専門技術、文化教養の学習に努力しなければならない。革命道徳をみがき、つねに批判と自己批判を行わなければならない。けっして、おごりたかぶったり、自分はもうたいしたものだと考えたりしてはならない。つぎのことを、つねにおぼえておかなければならない。成果は集団の成果であり、英雄は集団の英雄であって、個人的な成果、個人的な英雄ではないのである。これは全軍の共通の栄誉であって、個人の栄誉ではない。要するに、わが民族が英雄的な民族であり、わが軍が英雄的な軍隊であるからこそ、軍隊の、そして民族の競争英雄が生まれるのである」。ホーチミン・加茂徳治他訳「わが民族は英雄」58頁~61頁参照・絶版



 ホーチミンは英雄をたたえるとともにおごりたかぶってはいけいないことを強調している。たえず政治、専門技術、文化教養の学習と自己のあてえられた仕事に努力することを求めているのである。批判と自己批判を大切にして、革命的道徳を高めていくことを重視しているのである。現在、ベトナムは急速に経済発展をしている国である。難しい精神的な悪い誘惑もある。拝金主義である。あらためてホーチミンの解放思想を今、真剣に考える時期ではないか。
 ベトナム民族の英雄的な歴史をふまえながら、日本とベトナムの友好発展を経済交流をとおして果たしていく時期ではないかと考える。日本という国は、現在、政治、経済、文化、教育とあらゆる面で大変な状況におかれている。東日本大震災や国際的な金融不安、円高とそれにおいうちをかけているが、ベトナムの独立と自由、民主主義をかちとってきたホーチミンの解放思想からも学ぶべきことがたくさんある。そして、この交流を積極的に行っていくベトナムの人びとに感謝をしたいのである。