社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

現代における寺子屋と夜間中学 ー地域民主教育全国交流集会に参加してー


現代における寺子屋と夜間中学ー地域民主教育全国交流集会に参加してー

 地域民主教育全国交流集会が千葉の柏で11月2日から4日にありました。スローガンは「パタン化から自由と創造の教育へ」、「異世代交流・共同で地域づくりを」ということでした。
 地域民主教育全国交流集会は、憲法教育基本法の精神に基づいて、日本各地で実践されている平和と民主主義の教育実践・運動を相互に交流するするものです。交流の視点は、子ども青年をリアルにとらえ、地域の生活現実に根ざし、地域の自主性と個性的なとりくみを尊重して、地域における民主的な教育と学校のあり方を地域に生きる教職員と父母、住民が共同し、地域における教育の民主的発展をめざすためです。

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 全体会では館山市全体で取り組む足もとの地域から世界をみるとして、「館山まるごと博物館・エコミュージアム」の実践の講演でした。平和・交流・共生の歴史文化のまちづくりを学校の授業と地域住民がともに実践しているものです。この実践は、地域の歴史文化を地域の暮らしや平和から先進的に取り組む学校の先生の教材づくりからはじまるものでした。それが発展して、文化財保護運動として、地域まるごとの博物館運動になったということです。地域の文化財をカイドしていける住民が生涯学習のなかで育っていくのです。その中心に、地域の住民が結集していけるNPOが担ったのです。

 館山は古代から森と海とともに生きてきたまちということで、貝塚、アワビの産地、海をとおして世界とつながっていたこと、地震を乗り越えてきた歴史、古代からの信仰の聖地でした。そして、近代日本画家を支えた青木繁が愛した神話のふるさとです。里見八犬伝のゆかりの地と城跡群、韓国や中国から来た人々の遺跡、館山からはじまった日本水産教育、海辺の癒やしのまちづくりが近代のなかでありました。

 

 さらに、重要なことは、戦争遺跡と平和文化としてまちづくりに生かす運動でもありました。多様な深い歴史を踏まえての教育活動とまちづくりをしている館山の地域教育実践の内容でした。この内容をおさえるのにはNPO法人安房文化遺産フォーラムがわかりやすく内容の深いすばらしい冊子を発行しています。 わたしも以前に、館山を訪問して古代の安房神社を中心とした文化遺産の深さをしることができました。そのときの訪問の様子は、ブログ「歴史文化の旅 安房神社」で検索してもらえればみることができます。

 

 全体会では、実践報告として、「若者たちと農業活動に取り組んでー不登校の居場所から若者就労支援の活動」でした。
 不登校の子どもの居場所として、松戸にひだまりという名前の地域の人々による応援の場を開設していますが、現在は週三回で小学生から二〇代の青年まで集まってきます。ひだわまりは学校復帰を目的にしている居場所ではなく、交流してひとりひとりが元気になり、自分らしさを取り戻していく場づくりです。

 青年たちはひだまりで過ごすだけではなく、地域の農家の協力もあって、自分の進路を考えていくために農業活動、農産物販売活動をするようになりました。農業活動は三年目になります。農業や販売活動をとおして、青年たちは多くの人たちと出会いをもつことができて、自分自身の進路を考えていく場になっていくのです。荒れた土地を丹念に堆肥を入れて掘り起こし、農地として作物が立派にとれるようにしているのです。

 そして、その農作物を販売して、自分のつくったものがみんなから喜ばれ、それもお金になっていくことを実感していくのです。農作業はマイペースでやれるし、人からさしずされて強制されるものではなく、学校での管理された窮屈な空間とは全くの別の世界であることを発見していくのです。

 

 千葉県北西部の東葛地域での不登校親子応援ガイドマップがだされていますが、地域で細かくつくられていることに驚きを感じました。民間団体が28団体、公的機関が17ヶ所が掲載されています。掲載されていない自主的な地域教育活動もほかにあると思われます。そして、公立夜間中学校で二学校です。若者たちの農業活動にとりくんでの話を聞いてみて、現在の学校教育の子ども・青年にとっての厳しさの背景をきちんと知る必要性を痛感しました。


 分科会では、5つにわかれましたが、わたしは地域の教育実践のところにでました。その内容でとくに印象にのこった報告は、自主夜間中学校と地域の寺子屋活動でした。両方とも退職した教員と地域住民の共同の教育実践でした。学校との教育実践とは異なり、子ども・青年、高齢者、外国人たちの生きるうえでの学習権から自由にスタッフの援助で学びが行われているということです。


 我孫子市で、自主夜間中学校と子どもの学習支援ネットワークとして元高校教員の報告でした。現役のときに、多くの高校生が授業がわからないと苦痛を訴え、退学していく実態をみてきたということから夜間中学校の地域教育実践をしてきたと。

 2013年に自主夜間中学校を開校しています。生徒は、子どもから大人まで年齢を問わず参加しています。不登校経験者、引きこもりの青年、高校中退者、高齢者、外国人など多様です。学校とも塾とも違う、個別の学習にボランティアスタッフが対応するようなことです。学習を見守るという方法ととっているのが特徴です。学びの場を家の近くで通うことができるようにと、市内の駅の近くに開講していくことを目標としるということです。現在は三教室で将来的には六教室になるというのです。三教室でボランティアのスタッフは30名です。生徒も30名です。

 

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 困窮家庭の子どもへの学習支援は、我孫子市社会福祉課との連携をとっています。子どもにとっての苦しみは、成績と競争ということで、学校の教室は息苦しいものになっているというのです。学力の格差は大きくあるのが現実です。
 我孫子市で学習支援を独自にしなければならない小中学生で対象者は3000人近くいるということです。とくに、そのうちの困窮家庭の子どもが半数以上もなっているのです。我孫子市の小中学校の児童・生徒数は、9562人で、学習支援対象者2910人で、そのうち困窮家庭1593人です。

 

 協同の発見誌2019年9月号では、学びの多様化ー共に学びあう関係づくりを特集していますが、そこで「こんばんは」という夜間中学の映画を制作した森康行監督が夜間中学のことを書いています。

 2010年の国勢調査から全国での未就学者という学歴のない人は、128187人いるとなっています。2017年の文部科学省の調査では不登校者が14万人います。ところで、2016年に教育機会確保法が制定されています。夜間中学の奨励が積極的に法律で保障されるようになったのです。全国的に夜間中学の開設が大きな課題になっています。全国夜間中学研究会の調査では、百数十万人の義務教育無修了者がいるといわれています。夜間中学の潜在的需要は大きいのです。

 

 協同の発見誌では、「夜間中学から現在の教育の競争主義・成果主義、詰め込み主義、偏狭な学歴主義のゆがみの教育の姿が見えてくる」と書かれています。現実の夜間中学では読み書き計算ができない現実を直視して、それがどういうことかの問いから考えています。高齢者で、戦後間もないときに貧困で学校に行けなかったことやいじめにあって不登校にあって学校教育を受けていない中年層が読み書き計算、基礎が出来ないことが生きていくうえでの苦労が極めて大きいことが指摘されています。

 夜間中学では、難しい漢字を生活漢字ということで、一般の小中学校の教科書とは異なる381字を教えています。3年間で教える常用漢字2136字は不可能ということからです。

 

 夜間中学では一人一人の人間としての違った姿を尊重して、人間的に成長するためになにができるかをということで、教師は生徒を励まし、援助する教育をしているというのです。フイリッピンで貧困のなかで学校に行けなく、日本にダンサーとしてつれてこられ苦労した人や、カンボジアから来た人は相次ぐ戦争のなかで学ぶことができなかったのです。現代の社会と世界でさまざまな困難をかかえてきて人たちが夜間中学に来るのです。夜間通学は時代と社会を映す鏡ともいえるというのです。 

 全国の夜間中学は、生徒数1699人ということで、新渡日外国人が、そのうち1215人です。多くが外国人の生徒が多いのです。

 

 夜間中学校で学んで、不登校であった生徒たちが高校に合格したとか、その後大学にいったとか、企業に就職したりとか、スタッフの見守り学習によって成果を得ている事例を報告されました。見守り学習の支援者は、地域の元学校の教員ばかりではなく、元銀行員、元民間企業営業マン、管理者経験者、国際交流協会会員、臨床心理士、大学生などとなっています。

 

 討議のなかで論点として、学習支援と絆をつくる居場所づくりということをどう両立させていくかということが議論になりました。勉強のことで差別され、疎外されている子どもたちに学習支援に力をいれるべきではないかという報告者の意見でしたが、彼自身もそのことに悩みながら地域教育実践をしているということです。
 
 地域の寺子屋実践の報告は、学校の息苦しさから少しでも子どもを解放してあげたいというものでした。元小学校の教師が自宅を開放しての地域の寺子屋の教育実践です。スタッフは退職者19名で、地域の子どもは30名ほどです。小学校から中学生まで毎週火曜日に集まってくる寺子屋教室です。寺小屋に通ってくる子どもたちを一人一人紹介しながら、かれら、彼女らが育って行く様子が紹介されました。


 学校に行っていないが、寺小屋にくることは絶対に学校に言わないでということで、通ってきた子ども。寺小屋にくるようになって勉強をし、二年後には、話も楽しくするようになり、ギャギャ騒ぐようになったということです。学校の先生に話してみようかというと絶対にやめてくれと強く拒否するのです。本人は、学校からの手紙も放置したままです。同じ中学の学年の人と寺小屋であうのもいやだという。中学生であるが簡単な引き算もできないほどです。小学校の三年生の教科書から寺小屋では、はじめています。英語、漢字も少しづつやり、力もついていくのです。数学では連立方程式もできるようになりました。報告者はいいませんでしたが、その話をきいて、学校に対しての強い不信感のあわれではないでしょうかと思いました。
 
 地域のおばあちゃんから相談にのってほしいという中学生がいるとあってみると、母親は中学2年のときに家出をし、彼が母親代わりの家事をしているということです。5人分の家族の洗濯、食事の世話です。父親は、朝早くから夜遅くまで働いているという。寺小屋では勉強の意欲も徐々にでてきています。のみこみは、はやいのですが、学校には頑と行くことはしないのです。

 

 アメリカ人の二世ですが、父親はアメリカに渡ってしまっています。六年生のときに寺小屋にかよってきましたが、算数は二〇点程度しかできなかったが、寺小屋にくるようになって一〇〇点をとれるようになったということです。
 ひとりひとり報告の内容を記すと大変になるので、集会のようすをしるために事例をあげてみました。

 寺小屋の子どもたちの様子や言動から子どもたちの学校での息苦しさがみえてくるというのです。ストレスが限界に達したときに若者たちは恐ろしい犯罪につながる危険があるのです。「学校は牢獄だ」「学校は子どもを奴隷にするところ」「学校は人を傷つけるところ」「しうちをうけるところ」など様々な悪口がでてきます。そんな厳しいことばを聞いていて、元教師たちも心が痛むのです。ぞっとするのが元教師たちの気持ちと報告者は語るのです。

 

 このように、子どもの現実の生活、学力の状況、家庭の貧困状況を丁寧に報告しながら、具体的な成長を寺小屋の教育実践がしていることに感動しました。寺小屋のスタッフは、ユネスコの学習宣言の学習権の理念をよくふまえて、人間の生存にとっての学習権を不可欠なものとして寺小屋を実践しているのでした。学習権なくして、人間の発達はありえない。学習権なくして、農業や工業の躍進も地域の健康増進もない。学習権は人間としての基本的権利であるという見方をもって、志を高くもっての寺小屋の教育実践の報告でした。

厚生労働省の社会的養育ビジョンの疑問

 

 

 

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 厚生労働省が新しい社会的養育ビジョンとして、7年以内に里親委託率75%の目標、未就学児の施設の原則的停止として、日本が伝統的に築いてきた社会的養護施設の役割を大きく縮小している施策を出していることを宮崎県の木城町にある石井十次念友愛園に訪問したときに、小嶋草次郎理事長から知らされました。

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 不勉強で児童福祉法が2016年度に改正されたことも知りませんでした。この改正によって、家庭養育の優先を明記したというのです。児童虐待を受けている場合は、その養育をできるだけ里親制度ということで代替家庭でという方向になったというのです。

 児童の虐待されてということで、問題が深刻化するなかで、このような社会的養育ビジョンでいいのかという疑問は大きく持ちました。帰って、社会的養育がどうなっているのか、また、児童福祉法の改正問題、厚生労働省の新たな社会的養育のあり方に関する検討会の報告書を読みました。

 児童福祉法の改正は、児童の権利条約にのっとり適切に養育されるということで、家庭と同様の環境における養育の推進ということで、養子縁組による家庭、里親家庭、ファミリホームを重点化したことです。里親委託の推進では、普及啓発から選定および里親と児童との間の調整という里親支援を児童福祉の業務として位置づけ、包括的な里親支援事業の強化をうちだしていることです。そして、専門的ケアを要する場合は「できる限り良好な家庭的養育環境」を提供し、短期の入所が原則としたことです。

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 2017年8月2日の新しいビジョンの検討会は、代替養育は一時的な解決であり、家庭復帰、親族との同居、養子縁組の永続的解決を目的とした対応を求めています。代替養育措置はなくなる必要があるとして、養子縁組は永続的解決を保障する重要な選択肢とみています。

 代替養育からの永続的な解決を見据えたソーシャルワークも大切としているのです。代替養育のあり方は、家庭における養育環境と同様の養育環境であり、できる限り良好な家庭環境です。それは、生活基盤をもち、安心して生活でき、良好な人間関係による心の安全基地としての機能をもっていることです。

 発育及び心身の発達を保障する機能をもって、病んだ心身の癒やしと回復をもち、トラウマ体験や分離・喪失体験からの回復機能をもっていることが求められているというのです。厚生労働省のビジョンからみれば、これらの家庭的機能をもった里親や養子縁組が求められているというのです。

 これらの機能を実現できる養子ができることは理想です。しかし、実際にどれほどみつかるかということが大きなです。それを十分に人員の配置保障がないなかで、制度として児童福祉の業務として、ソーシャルワーカーに求めるのも大変なことであるとしています。

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 社会的に組織的に良好ある家庭環境を求めていくのは、社会的養育・養護施設の内容が必要です。社会的養育・養護の内容の検討から良好ある家庭環境の創出の充実が今、もっとも求められているのではないか。大規模なユニットではなく、家庭的ユニットと家庭的な職員と専門員を配置した施設の充実がもとめらていると思うのです。

 児童虐待を受けた子どもたちは、専門的なこころのケアや基礎学力の充実も求められているのです。施設から里親と単純にはいかないのです。虐待やいじめが原因で集団行為への不適応、自傷行為、ことばがでない子どもを救うのは、専門的な教育wおもったひとが必要なのです。

 全国児童養護問題研究会は、2017年9月4日に新しい社会的養育ビジョンに対する意見を出しています。そこでは、社会的養護の多様な選択が必要ということで、施設か里親かの問題ではないとしています。日本の社会的養護が果たしているのは、施設が大きいとしています。

 親族里親は、私的活動として行われてきた。日本における社会的養護の歴史は、施設が大きな役割をはたしてきました。その現実をしっかりみるべきです。全国児童養護問題研究会では、現実の実践的や日本の歴史経験から家庭環境でなければ愛着関係を築けないということではないとしています。施設養護でも愛着関係を築いてきた豊富な実践はあるとしているのです。

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 日本の児童養護施設で、大きな舎で家庭的な機能を無視しているところも現実には存在するのです。また、養護のなかでいじめが日常的に起きて、子どもの人権が奪われているとこもあります。そのことをもって養護施設の否定ということにならないのです。社会的養護施設で子どもの愛着関係を、子どもたちが健やかに未来にむけて育っている現実があるのです。

 子どもの貧困問題に取り組み、貧困と子どもの発達を教育学的に研究したモンテッソーリは、大人の生活問題に子どもは大きく規定されているとしています。貧民の子どもは、大人の自暴自棄のなかで暮らし、野蛮と悪徳のなかで育っているとしています。貧しい恵まれない子どもたちには、発達を保障するために子どもの家をモンテッソーリーはつくったのです。

 そこで、子どもへの愛情によって、子どもたちは自己実現できることを発見しているのです。ここでの愛情は、怒りや悲しみ、快楽という感覚的な感情ではなく、知性を伴った人間的に子どもを熟視しながらのであります。豊かな情操と他の人を思いやり共有していく感覚をつくりあげていくということです。大人の子どもに対する愛着は、このような人間的によって、心が豊かになっていくのです。

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 子どもの権利条約児童の権利に関する条約)では、子どもの最善の利益の尊重として、子どもの権利を明確にしたのです。この原則は、親の指導の尊重、親からの分離禁止原則親の第一義的養育責任を有する場合でも、その前提条件になるのです。従って、親からの分離禁止原則(9条)においても司法審査において、その分離が児童の最善の利益であると決定した場合はこの限りではないとしています。
 子どもの権利条約の19条では、親等による虐待・放任・搾取からの保護がうたわれています。つまり、あらゆる形態の身体的もしくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠惰な取り扱い、不当な取り扱い又は搾取からの児童の保護を立法上、行政上、社会的上及び教育上の措置をつると条約で義務づけられているのです。

 そして、20条では、家庭環境を奪われた子どもの養護として、児童の最善の利益にかんがみ国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有するとして、里親委託、養子縁組、施設の収容という児童のための代替的な監護を確保することを求めているのです。この際に、養育の継続性と児童の種族的、宗教的、文化的及び言語的背景を考慮しなければならなういことを義務づけているのです。
 さらに、39条では、犠牲になった子どもの心身の回復と社会復帰をうたっているのです。被害者である児童の身体的及び心理的な回復及び社会復帰を促進するためのすべての適当な措置をとることを求め、このことは、児童の健康、自尊心及び尊厳を育成する環境において実施されることを強調しているのです。

 

 

 

 

社会教育と大学の役割ー社会教育学会研究大会の報告を聞いて

 2019年度の社会教育学会の開催校企画として社会教育と大学の役割のシンポジウムが行われた。報告者は5名であった。社会教育士という新しい資格付与をめぐっての議論、大学と地域との関わり、学生教育における教育現場との関係の実践力などが報告の論点であった。

 社会教育士導入で問われる大学の役割として、開催校の早稲田大学の沖清豪会員から社会教育主事の養成はどの大学でも行われてきたのか。決して多くの大学で行われてきたのではないことをどう考えるのか。そのうえで、社会教育士の新たな資格付与をみるべきではないかという問題提起である。社会教育士は国際的資格付与の7段階のレベルで第5段階と考えら、決して高度の資格付与ではない。教員の専修免許は第7段階であり、それと比べると社会教育主事資格の基礎要件の高度化とは明らかに異なり、役割機能の多様化する高等教育改革の文脈全体のなかで位置づけていくことが大切とした。

 帯広大谷短期大学の岡庭義行氏からは社会教育主事養成において社会教育実習を必修科目として重視してきたことが報告された。実習の中心は小学校のボランティア活動であり、地域学校協働活動と結びつけていると。

 愛知教育大学の大村恵氏からは、大学教育に実践力科目を重視することから報告であった。その内容は、学校サポート活動入門、学校サポート活動、学校サポート活動Ⅱ、学校サポート活動ⅲを授業科目の設置というボランティア活動の授業科目である。

 さらに、自然体験活動、多文化体験活動、企業体験活動の科目を選択必修としている報告であった。学校サポート活動では学童保育に学生ボランティアとしての参加としている。

 本来、ボランティア活動は学生のサークルとして自発的的、自主的に行われてきた。大学の教師は顧問としての関係であった。それが必修科目としての強制を伴ったボランティア活動の参加になっているのである。

 愛知教育大学では学生たちの実践的な能力の修得を教育の目標としているということであった。ここに学生が自主的に活動し、自由に創造的に学ぶことがどうなっているのか。

 学生たちが教育思想、哲学を学び、さまざまな蓄積の教育実践を書物をとおして、学ぶことがどう保障され、体験活動をとおしてそれらがどう深められているかが大切である。

 戦前の教員養成では学術の府としての大学における教員養成ではなく、学問的に教育実践を深める教育がされなかった。絶対的教える内容と方法が決められており、師範学校の生徒は、それをうのみにして実践的能力の育成をされたのである。

 報告では、従前の教育科学や教科の専門を大学で教えてきた総括からの提起も実践的能力とはなにかという問は全くなく、ボランティア活動や体験をとおして、新しい子ども観の形成、子どもとのつきあい方、自己像の発見、信頼できる大人たちとの出会い、社会参加としている。

 福島大学からの千葉悦子氏は、地方国立大学の震災への取り組みからの大学の役割の報告であった。ふくしま未来学を大学内で立ち上げ、地域の復興・再生における大学の役割の問題提起であった。地域から学ぶ授業なども展開しているという。

 大学のふくしま未来支援センターは期限付きである。食や農業の再構築の村の大学は自腹で継続している状態である。それは自治体と連携して、それぞれの役割からの地域復興・再生である。大学は決して自治体の肩代わりになるものではなく、大学の本来の役割を研究と教育から深める立場としてのふくしま未来学や村の大学の実践の報告は興味深いものであった

 コメントとして、社会教育主事の大幅な減少、労働力市場では減っている現実をどうみるのか。社会教育士が出てくる意味はどこにあるのか。地方国立大学で教員養成はダーゲットにされて研究機能は必要でないとされているが、そのことをどう考えていくのか。大学評価の数量的把握が必要ではないかという問題提起があった。

 大学の社会教育教育の役割は知の拠点、学術の府として、大学開放事業として公開講座が行われてきた。大学人としてのそれぞれの専門性を地域の市民にわかりやすく話すための社会教育的工夫も行われた。また、地域に出かけのフィールド研究と大学の社会教育の役割を公開講座は果たした。多くの国立大学で生涯学習教育研究センターが設立された。現在は、そのセンターは消えているのである。

 生涯学習教育研究センターなど大学の授業を市民と学生が共に学ぶ工夫もつくり出した。それは市民への大学授業の公開である。大学の教育と研究の本来の役割を公開講座や公開授業をとおして深めてきた。今日に起きている学生教育の一環としてのボランティア活動の授業や実践的能力育成ということは学術の府としての大学本来の教員養成、社会教育職員養成につながっているのか大いに疑問である。

 人類が蓄積してきた科学的知恵、教育科学を踏まえることなしに実践的能力があるのであろうか。教員養成や社会教育職員の養成において大学の役割は、学術の府、教育科学の蓄積を教授するという意味で大きいのである。戦後の教員養成は大学の教育と研究のなかで実施するという原則を重視した。これは戦後憲法の民主主義の理念を実現する教育には、科学、学問を重視し、自由で自主的な態度をもつ教育職員養成を大切にしたのである。

 社会教育教育職員養成も同様である。社会教育職員は自らの実際生活に即する文化的教養の醸成という特殊な要件があり、その内容も総合的で地域での社会教育計画やコーディネート機能が求められているのである

 実践的能力形成ということでボランティア活動の重視や集団操作的教育方法のテクニックでうまくいくのか。子どもの発達の状況を個別的に把握して的確な判断をしていくには教育科学の知見が必要なのである。また、社会的に対象していくために教育関連領域や教育法の知識も必要である。

 それらを多くの実践的能力科目の設定で軽視していくことは教育専門職の養成を危惧するところである。社会教育職員はさまざまな領域との連携が求められ、社会教育計画が重要であり、地域の暮らしの学びにとって大切なコーディネート機能をもっている。そして、学びの組織者でもある。それぞれの分野を包括していける高い学識が要求される専門職である。

 

参考文献

神田嘉延「暮らしと民主主義の大学創造地方大学と生涯学習」高文堂出版 平成17年7月出版 現在絶版

 

暮らしと民主主義の大学創造―地方大学と生涯学習

暮らしと民主主義の大学創造―地方大学と生涯学習

 

 

 

 

高齢社会と社会教育ー社会教育学会のプロジェクト研究の報告感想

 日本社会教育学会のプロジェク研究「高齢社会と社会教育」の報告に参加した感想を書きます。報告は3本であった。

 最初はよく理解できなかった。超高齢社会における高齢者の学びという題で、高齢者の社会参加から主体を問い直すとう牧野篤会員の報告からはじまった。超高齢社会とは、75歳以上の後期高齢者が前期高齢者を上回った。認知症が1千万人の時代がやってくるというのである。そこでは、介護される人口が大幅に増えていくという問題意識である。その予防策としての孤立化していく高齢者の現実からの地域の絆のオーガナイザーの意義があるとする。

 地域の絆をつくっていくオーガナイザーは否定するものではないが、特定の価値や行政施策の下請けではなく、自由に生き甲斐をもって生きていく多様な高齢者の現実をみていくことが必要と感じた。超高齢化社会を何か大変な時代ととらえるかという問題ではなく、社会の進歩で人間の平均寿命がのび、さまざな方法で楽しめる、活躍できる場の創造によって、高齢者が楽しく生き、それが社会に貢献していることがある。それらが実現できるためのでその支援や学びが社会教育行政として必要なのである。

 平均寿命がのびているなかで、健康寿命ということが大切と私は考える。このためには保健、予防医学、地域医療整備、健康体操が気軽にできる地域整備、仲間づくり、福祉と社会教育が求められる。

 心も体も健康で生きている限り社会的介護の費用は少なくてすむ。また、最も大切なことは健康であることが人生を楽しく生きれる条件が増すのである。もちろん病をもっていても人生を楽しく懸命に生きている人びともいる。現役という年齢を伸ばして考えることも必要である。健康である限り社会的に活躍できる。

 牧野会員は、働くことと雇用ということが同じではないとのべ、働くことを再定位することが求められているとする。私生活と仕事を分ける時空間の区分がなくなり、生活することが働くことであり、学ぶことである提起する。そして、自立し続けることであり、社会からの孤立をなくすことであるとする。果たして、働くことと雇用ということが同じではないのか。生活と働くことの区別ができなくなると規定してよいのであろうか。それは社会的労働から生活費を得ることの重要性をあいまいにしていく。ボランティアの社会的役割を否定するものではないが、生活収入を得る社会的労働とは明らかに異なるのである。

 牧野会員は、高齢者にとって、常に他者とのかかわりのなかで新たな価値を生み出すことが求められているとする。高齢者の社会参加の重要性として、地域の福祉活動、地域学校協働活動の推進の参加などをあげる。この議論については、ついていけない面がある。たしかに高齢者がボランティア活動を積極的にしていくことは社会的価値である。

 しかし、すべての高齢者が、ボランティア活動をできる環境ではなく、その意識も条件もない高齢者も存在している。高齢者にとっての年金や貯金、家賃、配当金などの生活保障が十分なものと、生活不安で生きている高齢者と異なるのである。生活費用が不十分な高齢者にとっては元気なうち就労したい要求もある。高齢者の就労問題があることを見落としてはならない。高齢者でも可能な就労の開発があり、就労によって生きる喜び、仲間の絆もつくられている側面もある。

 高齢者の学びと地域貢献活動として、藤原佳典氏・東京都健康長寿医療センターからボタンティア活動に参加できるように高齢者の学習の実践事例の報告があった。高齢者が子どもに読み聞かせをするボランティア活動である。これは、公立小学校へのシニアボランティアである。子どもと高齢者が交流することによって、高齢者自身の役割が地域のなかで生まれ、生きがいにつながり、知的能動性によって健康にも効果があるとする。ハイリスク層を生まない増やさないということで、多世代交流は意味をもっているというのである。これらの実践は意味があることを否定できないが、高齢者の生き甲斐や社会的活動はボランティアだけではなく、さまざまな形態があり、多様な活動の側面を評価しながら位置づけてほしいと思った。

 斎藤ゆか会員は、高齢者ボランティアはプロダクティヴ・エイジングになるというのである。高齢者のボランティアを積極的に社会的生産的活動として評価するのである。高齢者は潜在的なボランティアが多くいるというのである。誰かに必要とされる場と仲間、役割を求めており、その人たちを活動に誘いだすことの重要性を指摘する。

 コメントの高橋満会員が、高齢者の意識の多様性を指摘する。家でのんびりしていたい、ボランティアをしたくない層もいるのではないか。老後の暮らし方はまちまちであり、いままでやれなかったことを自分の趣味、絵を描いたり、陶芸したり,旅をしたり、音楽をしたり、人によって、それぞれの多様な生きがいをもっている。報告を聞いて、シンポジウムの題目が高齢者と社会教育となっていることから、ボランティアに集中していることに疑問をもった。高齢者の生き方に多様性を求めることは大切であることを痛感しました。

 さらに、年金が少なく、余裕のない層もいるので、無償のボランティアにでていくのも容易でない層もいる。ボランティアをとおして、生活と働くことが学ぶことであり、自立していくことであるということにならないも層も数多くいるのある。

 むしろ、年金では十分にくらせないということで、高齢者にも可能な雇用を求めるも層いる。また、自給自足的な農業をして、それを楽しみに暮らしている高齢者もいる。ときには、わずかながらの農産物を販売して、充足観をもつこともある。また、単なるボランティアではなく、環境保護運動や平和問題などの社会的活動に積極的に参加して、高齢者であるが未来への社会づくりに喜びを感じているもいる層もいるのである。

 報告ではボランティアを無償として位置づけているが、ボランティアは必ずしも無償だけではなく、有償というボランティアもあるのです。雇用のように賃金として、契約のルールによって、責任をもって働くのではなく、自発的意志によって、公共性をもつ地域活動や社会的活動に奉仕をすることであるが、そこには、交通費、活動費、謝礼的金銭を受ける有償ボランティアもあるのである。 

 国連総会総会決議1991年の高齢者の人権の5原則である自立、参加、ケア、自己実現、尊厳の内容に社会教育としてどう深めていくかということが大切である。

 自立では仕事あるいは他の収入手段を得る機会、適切な教育や職業訓練に参加する機会を得る。日本では高齢者憲章が問題提起されている。ここでは、高齢者の能力を活用する事業や職種を社会全体で開発するなど高齢者が意欲を持って社会参加できる機会を広げることである。

 高齢者の多様な生き方を支援するため生涯にわたり学習できるしくみの整備がのぞまれる。高齢者の経験や知恵が子供や若者の教育に活用されるしくみづくりなどの提言をしている。これらの提言に真正面にたちむかう社会教育関係者が望まれるのである。

 

社会教育法70年と社会教育研究の課題ー社会教育学会特別企画を聞いて

 社会教育学会は特別企画として、社会教育法70年と社会教育研究の課題のシンポジュムを第66回研究大会で行いました。報告者は、3名で3名のコメンターと、会場からの自由な質疑応答が行われました。

 社会教育法制研究の課題として、人口減少のなかで、地域には社会教育に新たな期待が高まっているとするのである。また、社会教育行政が一般行政の他の部局の計画に絡め取られる傾向があらわれるとしているのが、石井山竜平会員の報告である。

 さらに、大切なことは、行政を超えたところで、地域主導の人材育成計画が展開されているとする。山形県川西町、宮城県大崎市鳴子地区、仙台市若林区を事例に、地域の産業の担い手計画づくりに、住民だけではなく、外部の加担者、外部資金の獲得という新たなプロジエクトが進められていることの意義をどう考えていくのか。拡大された社会教育概念に社会教育行政がどう再定位されるかの研究があるとしている。

 1949年の社会教育法制定では、社会教育行政は、社会教育施設を責任をもって設置することで、社会教育関係団体には、ノ-コントロ-ル・ノ-サポ-トであった。平成29年の文部科学省社会教育施設観は、地域における学びの拠点であり、よりよい地域づくりに向けた課題を適切に把握するとともに、地域住民の意向を十分にくみ取った運営を行うことが重要としている。しかし、教育機関としての社会教育施設の定義がないというのが上野景三会員の提起であった。

 社会教育施設を定義するとしたら、どういう内容になるのかということであった。70年の歩みをどうとらえていくのかという提起はあるが、内容については具体的にふれていない。社会教育法制ができていく過程について、戦後の憲法教育基本法での関係、とくに、日本の民主主義を育てていくうえでの社会教育ということで、トクヴィルアメリカ民主主義の著書から、分権、結社、市民の直接参加、オーガナイザーの役割などの示唆を上野会員は提起した。

 日本国憲法の制定によって、この内容をいかにして国民に定着していくのか。これは、学校教育ばかりではなく、社会教育の役割は大きくある。自らの実際生活に即しての社会教育活動は、参加民主主義にとって不可欠である。このことは、生涯とおしての課題でもあるという感想をもった。

 社会教育法第3条では国及び地方公共団体の任務として、「すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自らの実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成しなければならない」ということが70年の歴史のなかでどうであったのか。この探求が重要であると思った。

 なぜ、多くの社会教育行政や公民館が趣味やおけいこごとに集中していったのか。一般行政の暮らしの充実分野や地域づくりなどが縦割り行政のなかで細分化して、社会教育行政と公民館活動と分離していいたのではないか。

 生涯学習施策の問題とも絡んで、住民自らが地域民主主義の発展のなかで参加していく社会教育の役割がスポイルされていくのではないか。上からの行政施策の住民への啓蒙としての役割としての生涯学習施策が生まれてきたのではないか。 

 暮らしと結びついた農業改良、村づくり・街づくり運動、職業訓練・職業教育、地域の医療・保健や福祉活動などと密接な関係をもっての住民参加の方式がなぜ多くの市町村で展開できなかったのか。数少ない暮らしとむすびついた市町村の社会教育行政とどこが違っていたのか。戦後の社会教育行政や公民館活動をそれぞれの地域で分析していくことが求められているのではないか。

 社会教育法制70年のなかで社会教育職員の専門性はどうであったのか。社会教育主事のはどうであったのか。法律によって、都道府県と市町村に社会教育主事という専門職員をおくことができるということになった。

 しかし、市町村に社会教育主事をおくっことが少なくなり、平成30年度社会教育調査では、15年間で三分の一に減っていることをことと、非正規の社会教育関係職員、指定管理で雇用されている社会教育の増大などを村田和子はあげている。

 社会教育士という新たな資格制度の導入によって、社会教育専門職員を養成する大学には、期待する声がある。シンポジュウムのコメントのなかでも、その声が強くあったが、社会教育主事が大幅に減らされ、非常勤の社会教育職員の増大などで、社会教育の新たな資格が生まれたことによって、果たして市町村ので充実した社会教育が展開することは、見込めないと考えるのが一般的と。

 社会教育主事という名称は、教育行政の専門職とみられ、社会一般の社会教育活動を支えるものとはみられないがあった。この意味で、社会教育士の新たな資格付与は社会教育行政以外で、役割を果たすことは考えられる。

地域農業後継者教育と社会教育の課題ー鹿児島市曽於市からの地域活性化


地域農業後継者教育と社会教育の課題ー鹿児島県曽於市から

     神田 嘉延

問題の所在

 多くの農村は人口減少と高齢化によって、過疎化に悩んでいます。そこでは、限界集落、廃村という厳しい局面にたたされています。その過疎化の根本に、地域農林業の衰退が大きな原因になっています。本報告の地域農業後継者教育は、過疎化していく現状のなかで、日本の農村活性化の方策としての社会教育という課題を立てています。そこでは、地域農業生産を基盤に新たなコミュニティをつくりだしていく将来の展望と社会教育ということを意味しています。
 日本の農業担い手養成には、新規自営農業就農者、生産法人などの新規雇用就農者、生活農業として自らの食糧自給や教育・観光の補助的役割として活用している場合など多面的な新規農業就農者がいるのです。また、外国人の技能実習生として、農業分野で活躍している人々が2万5千にも増加して、今後、益々外国人の役割が大きな位置を占めるようになっていきます。新規就農者が5万人代になっていますが、40歳未満は、1万5千人ほどです。生産法人の雇用就農者も7650人ほどで外国人労働者の位置がいかに大きいか理解できます。
 過疎化を食い止める地域農業という視点からは、自営小農経営が大切なことはいうまでもない。農業生産法人は食糧生産ということで大きな位置をもっていますが、地域のコミュニティを支えていくには、十分な機能を果たさないのです。農業所得から生計を維持するという農業の規模拡大経営という側面からは、集落機能の維持から大きな障壁があるのです。コミュニティを支える地域農業ということは、食糧の自給自足的な側面や家計補助的な兼業農業の役割も重要になっているのです。
 農業の生産法人は、地域の枠を超えて、生産効率経営によって発展しています。そこでは、地域の伝統的文化としての農業や自然環境保護の論理と矛盾していくことも起きています。
 地域農業という視点から個別の農業経営の後継という視点ばかりではなく、女性農業起業、地域複合経営、外国人労働者の課題を明らかにする必要があります。また、学校教育やグリーンツーリズムということからの地域興しをみていくうえで、社会教育としての食農教育、食育教育は地域のコミュニティの形成にとって大きな意味をもっています。また、地域における学校の農業体験学習は、長期の子どもの発達段階から国民教育を基礎にしての農業後継者教育として大切になっています。
 今日は、従前における親の自営農業経営を継承していくという後継者教育だけでは過疎化の問題を解決しないのです。それは、地域で育った人々だけではない、広く外国人労働者も含めて、地域外から地域農業の担い手の人材を求めていくことが必要な時代になっているのです。
 本論では、多様な農業の役割という視点から、地域農業の後継者教育を構造的に考えていくものです。つまり、多様な農業の役割ということを踏まえての構造的な農業者教育の視点をもつものですが、生産的な自営で農業所得から生計を維持しようとする新規就農に問題をしぼって報告するものです。従って、家計補充的な兼業(年金も含めて)、生産法人の雇用就農や外国人実習生などを分析の対象からはずしています。今後の研究課題として農業の多様な役割から農村のコミュニティを新たに創造していくための社会教育の課題として、構造的に問題を深めていく計画です。
 新規就農対策も国は積極的に展開しています。この施策は、産業としての農業で生計をたてる施策です。地域での農業が果たす多面的機能ということから、地域環境保護における水田の役割や、農業の教育的役割、癒しなどの側面はでていません。国としては、専業農家として地域の農業生産を担う農業後継者対策です。就農初期段階の青年就農者に対する支援になるのです。
この制度は、研修終了後1年以内及び交付期間の1.5倍(最低2年)以上就農を条件づけています。研修終了後は、就農から5年以内に認定新規就農者になることです 。
 親元就農の場合、5年以内に経営を継承するか又は共同経営者になることの条件です。国内での2年間の研修に加え、将来の営農ビジョンとの関連性が認められて海外研修を受けることができます。その場合は延長することができます。これらは、国から交付金を受けるものです。
農業次世代の人材事業の経営は、市町村が実施主体です。
 次世代を担う農業者となることです。原則として50歳未満で、独立自営就農する新規就農者に対し、市町村を通 じて、年間最150万円を最長5年間交付するものです。交付終了後、交付期間と同期間以上営農を継続することが条件です。市町村段階に経営・技術、資金、農地のそれぞれに対応するサポー ト体制を整備しています。自ら作成した青年等就農計画等に即して主体的に農業経営 をしていくものです。
 平成29年度に新たに採択した者は、準備型で1,394人、 経営開始型で2,130人でした。
  準備型は、 20代が最も多く(44%)、次いで30代(32%)、 40代(16%)、10代(7%)の順 。 非農家出身が64% 。経営開始型は、年齢別には、30代が約半数を占め、次に40代(36%)、20代(17%) の順。農家・非農家がほぼ半々です。
 新規就農対策の交付金をうけるものは、決して農家の後継者ではないのです。従前の農業後継者として親の農業を継ぐということではないのです。ここが大きな特徴です。

曽於市の特徴

曽於市は伝統的に中央ではなく、地域の独自性を強く主張する土地柄です。それはヤゴロウドン祭りにみることができます。4,8メートルの竹かご製人形の巨大男を先頭に地域あげての神幸行列が11月3日の五穀豊穣祭りで行われてきました。1万人以上も集まる盛大なものです。古代の大和朝廷に対する隼人の抗戦で多数の志望者の慰霊のための放生会でもあるといわれます。
 人口36557人、世帯1634戸の市で、霧島市都城市、鹿屋市に囲まれた大隅半島の地域です。15歳から64歳の生産年齢人口比率は51、4%で65歳以上は37、5%と高齢化が進んでいます。人口の増減率は平成12年44910人、平成17年42287人、平成22年39221人、平成27年36557人と減少を続けています。
 総農家数は3818戸で、販売農家数2341戸、自給的農家数1477戸です。販売農家で50万円未満は815戸です。50万から100万円未満は281戸、100万円から200万円未満340戸です。
 200万円から300万円未満は203戸、300万円から500万円未満212戸です。500から700万円未満は98戸、700から1000未満108戸です。
 1000万円から1500未満92戸、1500万円から2000万円未満60戸です。2000から3000万円未満46戸、3000から5000万円未満は48戸です。5000万円から一億円未満は29戸で、一億以上が9戸あります。以上のように農家といっても大きな販売格差があります。
 経営耕地面積をもっている農家数は、2313戸です。このうち経営体としての田のある農家数は、2174戸、稲をつくった農家数2143戸です。農業経営体の畑のある農家数は、1779戸です。飼料用作物だけをつくっている農家数は810戸です。牧草地専用137戸です。畑作をつくった農家で、飼料畑の位置が大きいのです。家畜の経営体数は、乳用牛13戸、肉用牛1002戸、豚47戸、採卵6戸、ブロイラー32戸です。曽於市の農畜産生産額は、畜産が全体の81.9%を占めているのです。そのうち肉用牛生産13.6%、肥育牛13.9%、肉豚20.3%、鶏肉12.8%、鶏卵15.6%、生産豚4.9%、乳牛0.7%です。全体の生産額は、389億4149万円です。茶2.4%、野菜5.5%、さつまいも5.5%、水稲2.6%です。畜産に依存している曽於市の農業実態がみえるのです。
 
曽於市の新規就農の特徴

 鹿児島県曽於市では、平成17年度から新規就農対策として、昨年度まで186名を受け入れています。曽於市では、就農2年以内を対象に月額5万から15万円の補助金を交付しているのです。親の経営基盤を引きつかず新規就農は10万円になります。夫婦で新規就農15万円です。親の経営をひきつぎながら経営改善を行うもの5万円になります。夫婦で親の経営を引き継ぐもの7万円です。
女性のみで農業者のたちあげもしています。女性の力で地域農業を支えていこうとするとりくみです。ここでは、農業の専門的なことばかりではなく、料理教室やヨガなどの活動を取り入れて、農村で暮らす楽しさを充実させている工夫をしています。
 学校教育としては、学校農園を整備し、食育事業として、地域の食材をつかっての教育活動を積極的に展開しているのも曽於の特徴です。
 新規就農者は脱サラで曽於市の「たからべ森の学校」で研修しながら、就農した事例などもみられます。たからべ森の学校は、中学校の廃校を職業訓練や田舎暮らしを体験して、曽於市の魅力や可能性を感じてもらう民間の社会教育施設です。地域に根ざした就職を支援する支援するとりくみをしています。当初は、パソコン関連の職業訓練をしていましたが、地元では、農業関係のニーズが強いことがわかり、農業、農産物加工、調理補助の講座を開くようになりました。この講座には、都市部から移住を見込んで訪れる人もいるのです。さらに、学校での宿泊体験学習にも利用されています。田舎暮らしを体験できるメニューも用意されています。移住先の環境や雰囲気も確認できる施設にもなっているのです。移住先の生活も簡単ではなく、不安解消のための相談活動もしています。
曽於市では、民間に頼るのではなく、新規就農の公社などを整備して、責任をもって教育していく体制の準備中です。このことによって、さらに、充実した移住対策ができるとしているのです。地域とヨソ者が一緒になって田舎暮らしを楽しむということを合い言葉にして地域の環境を整備しているのです。移住応援施策は、仕事を確保することが最も大切なことですので、新規就農や起業お越しは重要な施策になるのです。
さらに、子育て対策として、安心して子どもが育てられるように、18歳までの子どもの医療費は、全額曽於市が負担するしくみをとっています。また、第三子を出産した家庭には祝い金として10万円を支給しています。移住体験プログラムとして田舎体験講座を実施しています。一泊2日、2泊3日、6泊7日というコースがあります。移住して住宅取得した場合に、お祝い金として最大100万円の補助をしているのです。
曽於市では農業生産法人の事業計画が活発ということから、規模拡大によって、いい土地は生産法人が利用していて、新規就農者には、いい土地が入らないという新しい状況が生まれています。
また、水田の休耕地などが長く続いているところは、再び水田に戻すには費用負担が大きくかさみ、むしろ畜産の生産法人に飼料畑にしてもらった方が、費用が安くなるのです。地域農業の環境保全対策ということは、経費の面から単純ではない現状があります。市の担当者は、荒廃農地対策としてのあり方として、地域の環境保全ということからの水田の役割は否定しませんが、現実的に予算の面から困難があるということから悩むのです。現実的な選択は、飼料畑になっていくのです。
 生産法人に対して、環境保全という地域農業という視点からの農業経営をしてもらいことは大きな課題になっているのです。生産法人の経営者の意識改革は、過疎化という集落崩壊との関連づけながらの地域農業という側面から大切になっているのです。
 生産法人による地域の農業所得の向上は、地域の集落崩壊の防波堤にストレートになっていないことを直視することが重要なのです。ここに、家族経営の小農と生産法人の関係による地域農業の展開による施策が必要になってくるのです。新規就農対策も、そのような位置のなかで積極的にとらえていくことが求められていくのです。
 さらに、農業の多面的な機能としての地域文化の継承や教育的役割、癒やし、グリーンツーリズムの役割があることを決して忘れてはならないのです。これらの側面は社会教育行政と新規就農施策が積極的に結んでいく課題です。
また、家計補充的な兼業としての農業の役割も地域農業を維持していくうえで大切な面があり、社会教育行政としての伝統文化、癒やし、子どもの人間形成という側面からの積極的な取り組みが必要になっているのです。女性農業者が農産物加工の開発、料理教室、文化的事業の取り組みが、新たに曽於市でおきていることは注目すべきことです。
 社会行政が農政の新規就農対策と結びついて農業の多面的機能から総合的に学習運動を展開していくことが重要です。とくに、農村における社会教育の固有性からの地域の伝統文化、農村のコミュニティづくりは、新たな都会での生活経験者とうなど外部の人が新規就農として移住してくる時代ですので、その役割はますます重要になっているのです。そこでは、地域の連帯意識は、目的意識的に行うことが不可欠になっているのです。むしろ、都会から移住してきた人々が地域の文化や行事で何に感動していくのか。それは、従前の地縁血縁的なまとまりの連帯意識ではない、喜びを共有しあう価値観の連帯なのです。
 親の農業を継承していく新規就農で最も困難な問題は、親子関係における価値観の違いです。新規就農者では、親子関係で離農するのもめずらしくないのです。

石井十次の福祉での教育理念― 宮崎県茶臼原と岡山の孤児院から学ぶ

 

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 石井十次は、宮崎県の高鍋が生んだ児童福祉の父といわれます。彼は、ルソーのエミールの思想の影響のもとに、児童福祉を積極的に教育の理念を取り入れて活動をしました。

 石井十次念友愛社は、宮崎県西都市木城町にあります。高鍋の市街地から茶臼原小学校の近くです。現在も児童養護施設と保育園があります。
 現代的貧困で家庭に恵まれない子どもたちが生活する園となっています。理想とする自然教育を茶臼原230ヘクタールの大地で農業の教育力を大切に農村共同体のロマンをかかげての人間主義の教育実践をしているのです。福祉と教育は、分離されがちなどが現代です。石井十次念友愛社の教育実践を歴史的なことも含めて学ぶことは貴重なことです。
 子どものおかれた貧困状況は極めて複雑です。経済的な貧困はもちろんのこと、子どものネグレクトなど家庭的機能が崩壊している精神的、文化的貧困状況があります。外面的にはみえにくい子どもの貧困状況があるのです。経済的な問題ばかりではなく、単身赴任、共働きなどによる鍵っ子問題、退廃問題など、社会的に子どもの居場所の確保が地域に求められる時代です。

 子どもの虐待で大切な命を親が殺すという痛ましい事件が頻繁に報道されるこの頃です。また、51歳の男性が包丁をもってバスを待ってい親子を次々に刺していく事件がありました。この事件のようなことを息子がするのではと思い、40代の息子を76歳の親が息子を刺し殺すという事件がありました。76歳の男性は農林事務次官までも勤めたエリート官僚の経歴をもつ人です。

 これらの事件にみるように現代の家庭の病理現象があちこちに起きているのです。家庭は決して安全な場所ではなはないのです。現代の家庭は、プライバシー問題の閉ざされたなかで虐待や極めて歪な親子関係があるのです。異常な病理現象のある家庭は、極めて危険な場であるのです。この閉ざされたなかで、家庭の異常な病理現象をみるのは、単なる連携論ではなく、社会的養護からの専門職の充実と抜本的的人数の配置が求められているのです。
 放課後児童クラブや児童館、親の生活現状に即したきめ細かい保育が不可欠な時代です。ここには当然ながら子どもを一時的にあずかるという次元ではない、子どもの人格形成などの広い意味での教育が必要なのです。

 

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 100年前に、石井十次は、孤児院における10人ほどの小集団の小寮生活と、そこに保母が世話をする家族主義の社会的養護を考えているのです。大規模の社会的養護では施設での暴力問題も起きます。様々な境遇で育った子どもたちにとって、生活指導は社会的養護の施設内大切なのです。きめの細かい家族主義が現代では切実に求められているのです。社会的養護における専門職や家族的ケアができる人員の配置は当然のことです。児童福祉行政も同じことがいえるのです。
 ところで、石井十次は、6年間学んだ医学の道をあきらめて児童福祉に生涯を支えたのです。彼は、教育を最も重視した社会的養護を実践しました。1887年に孤児教育会を設立し、1914年に永眠するまで岡山と宮崎木城茶臼原で福祉と教育に専念したのでした。

 茶臼原や岡山の孤児院の事業は石井十次の人格でなされたものが大きいが、新しい院長を大原孫三郎に託したのです。倉敷紡績の社長を継承して積極的に事業を継承した多忙の身であったが、院長としての責任を大原孫三郎は果たしていくのです。茶臼原の責任は石井辰子氏が果たすようになります。

 孫三郎は5年間にわたって孤児院経営を引き継ぐのです。孤児院経営は石井辰子氏に継承されましたが、1926年大正15年に解散するのでした。石井辰子氏は翌年の1927年に永眠するのでした。そして、石井記念協会を設立して残務整理や残留院児の保護にあたるのです。戦後に石井記念友愛社を1945年に設立して、1948年に孫の児嶋虎一郎氏が戦災孤児のための児童養護施設を設立するのでした。
 石井十次は、1865年に高鍋藩士の子どもとして生まれます。父は維新後に県庁の職員を務め、1878(明治10)年の西南戦争には、西郷軍に参加しています。十次は、このとき12歳でした。14歳で海軍士官を志望して、東京芝の攻玉舎(こうぎょくしゃ)に入学しますが、脚気を患い帰郷します。1880年岩倉具視の暗殺嫌疑で51日間収監されます。そこで、西郷隆盛の吉野開墾の話を聞き、感銘を受けます。釈放されると開墾事業の5指社を設立するのです。小学校の教師、宮崎県の警察をつとめ、宮崎病院長の勧めで岡山医学校に入学するのでした。
 医学を学んでいる1884年に熊本バント出身で同志社にいった金森通倫からキリスト教の洗礼を受け、新島襄同志社設立の趣意書を学び、同年に休暇中高鍋に帰郷中高鍋馬場原教育会を立ち上げています。

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 教育会は3つの柱で、ひとつは18以上で志があるが、貧しくてかなわない遊学を援助すること、2つは、神社社殿で朝晩の学校を開くこと、3つは書籍の貸与であった。石井十次は、早速に遊学援助を実行するのです。岡山に帰るときに、3名をつれていくのでした。後で、1名が加わり、岡山では、5名で生活するのでした。それぞれ、アルバイトをしながら、学ぶのでした。
 1887年に三友寺で貧困の子どもたちのために孤児教育会をたちあげます。そして、1889年に6年間学んだ医学書をすべて焼いて、孤児教育に専念することに決意するのです。このときに、三友寺に集まった子どもたちは20名になっていました。キリスト教の関係者に孤児教育会の協力をよびかけたのです。
 1894年にルソーのエミールの教育思想に感化されて、宮崎県の茶臼原の開拓をはじめるのです。60名の院児を宮崎に送ります。これは、後に時代教育法になっていくのです。石井十次の時代教育法は、幼児、少年、青年の発達段階に分けて、孤児院の子どもたちの教育をするのです。

 

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 10歳までの幼児のときは、自然のなかで遊ばせるということです。10歳から15歳までは、学校教育を受けさせて学問を学ぶことを徹底させることです。16歳から20歳は、生きていくための職業教育をしていくということで、実業教育を授けるということでした。茶臼原では、労働自治、労作教育をするのでした。それは、農業をとおして実践していくのでした。
 1897年には私立岡山尋常高等学校を設立します。1906年には茶臼原に農業小学校をつくるのでした。茶臼原では林の中の学習を展開し、稲作の収穫や養蚕作業をとおしての労作教育をするのでした。
 石井十次の孤児院の基本的理念は、天は父なり、人は同朋なれば、互いに相信じ、相愛するということです。教育の基本方針は、4つをたてています。自然主義、家族主義、友愛主義、自律主義です。

 自然主義は、日本の自然・風土・文化・農業とのふれあいをとおして人格と体を養うということでした。自然教育は、情操を豊かにし、敬天の感性を育てるということです。家族主義は、相信・相愛の原点になります。家族の絆を大切にしていくという見方です。友愛主義は、人は皆同朋ということで、自律へ向けて先人たちの築いてきたことを学んでいくということです。自律主義は、人倫を明らかにして、労働自治を大切にして、実業教育を積極的に展開して、自律して生きる力を育てていくということです。

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 石井十次は、悪いことをする子どもたちの教育にライオン教育として、密室教育である一対一の話し合いの教育を取り入れたのです。大勢のまえで子どもをしかってはならないということで、子どものこころを傷つけることになるのです。それでは、子どもは自分のしたことに反省しないのです。

 石井十次は、子どもに反省する機会を十分に与えることで、子どもとじっくり向かい合うことをしたのです。子どもは自己弁護をします。いいわけをします。石井十次は、自分のやった悪いことに向き合わないときには、鉛筆を削りながら間をとったといわれます。そして、非体罰主義を徹底して貫いたのです。
 孤児院の経営には、托鉢(たくはつ)主義がとられた。各種の寄付金集めをそうよんだのです。石井十次と大原孫三郎は、石井にいわせれば「炭素と酸素、合えばいつでも焔になるということであった。石井の最大の支援者は大原孫三郎であり、大原にとって、石井は、心の支えであったのです。また、自分を大きく変えたのも石井であったのです。

 十次は晩年に寄付金主義から1911年の孤児院経営者の全国救児事業協議会で寄付金を募集せずの宣言をするのでした。労働による自活をめざすということです。宮崎県の茶臼原での鍬鎌主義の自活体制を推進していくのです。岡山孤児院にとっての大きな展開で茶臼原の農業自活体制、高鍋製糸、大阪での白米販売部の事業計画でした。岡山孤児院の茶臼原の全面移転であった。高鍋活版印刷所には岡山孤児院の活版部から数名の職人が転勤してきたのです。石井十次自ら注文とりに回り、活字2万字と手回しの印刷機を備えたのです。従業員は13名からのスタートであったのです。

 参考文献

横田賢一著「岡山孤児院物語ー石井十次の足跡」

柴田善守石井十次の生涯と思想」

 

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農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

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