財政と自由・民主・社会主義
問題の所在
自由・民主の社会主義を考えていくなかで、国家財政の役割は大きな位置を占めています。社会主義とは、資本主義社会のなかで発展してきた自由や民主主義の成果のもとに、さらに、それを資本主義の矛盾の解決のために充実させていくことです。
資本主義の発展は、働いている人々の労働運動や市民の環境など社会問題に対する運動によって、国家によって、法律や行政機構の民主的な整備、社会保障を充実させていく財政出動などによって、自由と民主主義が大きく前進してきました。ここには、先人の歴史的教訓から学び、自由と民主主義を充実していくこうとする政治家や社会運動の努力があったのです。
資本主義の発展は、資本の集中による独占化と私的利潤渇望のコントロールの効かない矛盾、大量生産・大量消費・大量廃棄物、欲望の拡大による社会の退廃化などをつくりだし、社会全体に格差の拡大や疎外状況の矛盾を作り出してきた。この矛盾によって、人びとの生存権や暮らしの側面の破壊、人間的な絆が奪われることで、人間的に生きる自由が大きくはく奪されていったのです。
このことで、様々な社会的運動が展開して、人間らしく生きるために、国家が保障していくという社会権という概念が生まれ、社会的な法整備、国家の行政指導、社会保障などの国家財政誘導が行われてきました。
市民的な自由は、社会権の確立なしに、実現できないのが、100年前からの資本主義の矛盾の歴史的段階です。国家の市場経済へのコントロール、財政政策をとおしての公共事業による経済再建が、1929年の世界恐慌後に行われていった。
また、労働運動の高まりなどによって、労働者の生存権、労働環境の改善、労働時間の短縮、安定的に働く権利などが充実していった。そして、国民の生存権を保障していく社会保障が重要な課題になっていくのです。つまり、国家財政をとおして、資本主義的な矛盾を解決していくことが不可欠になっていくのです。
新自由主義的な競争の見方により自己責任、自己努力ということが強調されているのも現代の日本の政治状況の特徴です。また、法的に社会権を充実させていく整備や行政の監督責任も大きな意味をもっていますが、これらも規制緩和ということで、民営化され、利己的利益な自由な論理によって、公的な役割がないがしろにされる傾向も強まっています。
このような状況で公的な責任として、資本主義の矛盾を社会的に解決していくうえで、公共財を重視し、公営における民主主義を尊重し、すべての人々が自由に文化的に人間的に生きられる自由を尊重する社会主義の見方は大切になっています。
ここでは、人々が自らの暮らしや地域を豊かにしていくために、資本主義の発展による社会的な矛盾に対して、人々が自らの人間的な権利を獲得していく自由や民主主義の獲得が求められているのです。
その役割をもっているのが、労働組合や市民運動の充実です。主体的に社会のさまざまな管理運営に参加していく民主主義の実現になっていくのです。ここには、仲間と絆を伴っての参加や体験を通しての学びが不可欠になっているのです。
例えば、戦後日本の高度成長過程のなかで、公害問題が深刻になりました。また、マキ・木炭・石炭などの日本の資源エネルギーから国際石油にエネルギー転換していくなかで、各地に多くの失業者問題が起きました。
このなかで、労働運動も活発に起きて、失業保険制度や職業訓練制度も充実していくのでした。住民運動の力によって、地方自治体に政府の経済施策と異なる公害防止を強力に推進していく革新自治体が生まれました。その後は、社会保障が充実していき、日本は、中流層といわれる社会階層が増えていくのです。革新自治体の政策は、政府にも大きな影響をあたえた。環境庁などの行政機構も大きく整備されていくのです。
これらの動きのなかで、政治や行政、企業などの社会的な機構や組織に、直接に管理者やリーダーのみではなく、市民や労働者など多くの人々が参加していく民主主義も充実していくのです。
つまり、社会全体の参加型の民主主義も充実し、社会保障も充実していくのです。これは、社会的自由の高まりでもあるのです。このことによって、人々の個性や文化の花も開いていく条件もつくりだしました。これらの条件整備に、国家財政や地方財政の役割は大きな位置をもったのです。
日本は、世界のモデルといわるように科学や技術の発展によっての新規分野の産業をリードしていくのでした。自動車の排気ガスによって、深刻になったアメリカの大都市の公害問題を日本の技術は救っていくのです。日本の自動車産業は、世界をリードしていくのです。家電分野や半導体分野も同じように、世界をリードしていくのです。
このことと同時に、経済界のおごりが起きて、いわゆるバブルといわれるように不動産の投機や公共事業が積極的に行われたのです。そして、富の格差が開いていくのです。同時に、拝金主義を中心としての社会的退廃も深刻になり、政治と企業の癒着、賄賂問題のモラルが大きな社会的な課題にもなっていくのです。この社会的モラルの喪失の問題は、社会全体に人間関係の信頼性を損なっていくものです。しかし、人間としての基本的な信頼を忘れてはならないのです。
社会のなかで、人間相互の基本的な関係に、信頼があってこそ、人間らしく生きる人々が生きる社会生活の基本的な構成要素になっていくのです。人間は信頼がなければ、不安、恐怖が襲うことになるのです。人間は信頼を置くことによって、自己の存在の前提にするのです。複雑な社会のなかで耐えうることのできる出発になるというのです。(ルーマン「信頼―社会の複雑性とその縮減」未来社参照)
複雑な社会のなかでの様々な矛盾の存在するなかで、信頼を前提にしての未来を展望していくことが大切なのです。より複雑になっていく社会的な矛盾の存在のなかでも歴史的に矛盾を解決して、一歩一前進してきた自由と民主主義の社会的な進歩性に信頼の根幹から未来をみていく視点が大切なのです。
さらに、現代社会の矛盾について、探究していこう。ところで、巨大になった大企業や官僚組織も、現実の社会的な矛盾問題に対して、向き合うことではなく、自己保身ということで、事なかれ主義に狭い範囲でいわれるままの仕事をするようになっていくのです。
切磋琢磨しながら、問題に対処して、矛盾を創造的に未来へと展望して変革してことをしなくなっていくのです。一時的な告発のみで、なぜ、このような問題が起きたのか。公的な民主的なコントロールの機能が発揮できなかったのかという探究が国会や地方自治体において社会を巻き込んでの探究が民主主義的にされずに、放置されたのです。
(1)バブル崩壊と巨大な財政赤字
バブル崩壊によって、公的な機能、官僚化した組織に対して、不満が爆発したのです。このことによって、規制緩和、民営化という新自由主義思想による改革が叫ばれるようになっていくのです。資本主義が形成されていく時期は、切磋琢磨していく自由な市場でした。
現代は、巨大な独占的企業や、世界的に寡占化したグローバル企業の存在のなかでの資本主義の矛盾です。資本主義の形成時期における自由市場では決してないのです。もちろん、民営化という市場は、一部の新規でのベンチャーが可能な分野があります。そこでは、自由に切磋琢磨していく市場があります。ここでも、資本投資という巨大な金融機構や政府投資の利己的な恣意性の問題があるのです。
現代は、寡占化したグローバル資本が支配する社会なのです。日本では、もっともターゲットになった民営化は、郵政省であった。この機関は、郵便事業ばかりではなく、貯金や生命保険などを扱う部門が巨大な金融資本化し、大きな官僚組織になった。つまり、政治の課題に、公営事業の民営化が大きな政治の課題になっていくのです。
大きな政治の舞台として、2007年の郵政の公営事業の民営化がその典型であった。特別会計は、一般会計とは別に処理されていたのです。戦後の特別会計は、行政ごとに多様な特別会計で、全体として、大きく膨れ上がっていった。
1989年の平成に入り、公営事業の民営化が急速に始まり、31あった事業体が10年間で15に減らされたのです。特別会計は、令和8年度の予算額の歳出では、441.7兆ですが、会計間相互の重複を除いた純計額は216.2兆円と一般会計お大きく超える規模です。こなかで、大きな位置を占める歳出額は、国債償還費等88.8兆円、社会保険給付金81.2兆円、地方交付金等24.3兆円などとなっています。
収入源は、年金特別会計、労働保険特別会計、国債整理基金特別会計、介護保険特別家計となっています。ここでは年金積立運用や国債管理などで一般会計とは別に巨大な資金が動くのです。年間給付額の4年分になる200兆円の年金積立金を株投資や債券購入などは、運用しているのが、その一例です。
ところで、民営の社会保険として、生命保険や医療保険などに多くの国民がかけています。これは、公営の社会保険の不安から、その備えとしての家計からの支出です。民間の医療保険の加入率は、生命保険文化センターの2022年調査によれば、65.7%です。さらに、生命保険全体の加入率は89.2%になっています。年額で平均では、約18円から37万となっています。これらを加味して、社会保険の国民負担の在り方を考えていくことが必要なのです。
郵政民営化以前においても国鉄がJRという国営鉄道が1987年に民営になりました。地方の鉄道が廃線されたり、便数がへらされたり、新幹線・特急中心になって、地域の交通機関の国鉄の役割が失われて行ったのです。増税なき財政再建として、日本電信電話公社や専売公社もこの時期に民営化されたのです。
新自由主義が政治のなかで支配するなかで、国家の財政問題と経済成長のバランスも大きく崩れて、国家財政の深刻な赤字問題が生まれていくのです。2025年は、収入が80兆円といわれます。予算の支出が122兆円。不足分は国債という借金です。国債という借金が13000兆以上にふくれあがっているのです。これらの原因に、少子高齢化や社会福祉の大幅な増大をあげて、社会福祉の無駄な削減と公営の民営化の改革を訴える新自由主義の政治家の力が増していくのです。
日本の一般会計は、世界で最悪の借金大国になっているのです。国家の債務不履行という深刻な問題で起きないのでしょうか。特別会計の一般会計を大きく上回る規模や、日本銀行の金利のコントロールの役割、日本銀行の国債保有率50%以上とあわせて検討していく課題があるのです。
一般会計の巨額な借金は、国際的に信用もなくなることはないのか。また、市場での国債の取引がなくなり、円安と超インフレという深刻な事態にならないのか。政府は、この対策に、公営的な役割を減らし、社会保障を削減して、民営を活性化させようとしています。さらに、積極財政支出して、経済成長をはかろうと新自由主義の路線に走るのです。日本経済が高成長すれば、国家財政の超債務状況は、自然に解決できるのであろうか。
日本政府は、高経済成長のためにと、国家財政の投資によって、国際競争力をつける分野を育成しようとしています。この積極的に経済成長分野に、研究開発費、設備に国家財政を投資していこうとしているのです。それらは、ATや半導体などの成長分野といわれるところです。政府投資して、そして、大企業の優遇税制による経済活性化も考えています。
しかし、大企業をはじめ、内部留保が600兆円という膨大になっている現状です。大企業自身が投資に前向きでない現実があるのです。これはなぜなのか。企業自身が将来への不果実性ということから危機への安全性をとっての内部留保です。利益を上げている企業が、未来への成長への展望が不十分なのです。
本来であれば、膨大な内部留保をもっている企業が新規分野に設備投資していくのが本来の在り方です。内部留保それ自身が将来への設備投資、借入金の返済、不測の事態に備える蓄えです。
政府の積極的財政論による企業への投資は、業績不振で実質的に破綻しているゾンビ企業への投資ということにならないであろうか。政府や銀行の支援によって、借金苦の非効率な経常赤字・過剰債務・債務超過している企業を延命して、新陳代謝を阻害していることにはならないであろうか。
ゾンビ企業で働いている人たちの生活をどのようにして守っていくのか。大きな産業転換がおしよせる現実のなかで、企業としての存続ばかりではなく、人間らしい暮らしを実現していくために、新たな転換をどのようにしていくのか。産業転換に伴う生活援助や職業教育訓練などの社会保障政策とも結びつけて考えていくことが求められているのです。それは、狭い産業政策では解決できない大きな問題を含んでいるのです。
(2)財政民主主義と累進課税
民主主義の発展段階の社会権確立税制は、累進課税ということで、富めるもの、非常に儲かっている企業に多くの税金を納めてもらうことが必要なのです。累進課税の上限率を引き下げ、巨額な配当金の利率も20%と定められて金持ち優先の不公平税制といわれるのです。
大いにもうかっている企業や巨額な所得をあげている富豪は、増税ということで、貧しいものには減税と、所得配分で、社会保障は国民全体に平等にいきわたることが、格差社会の拡大の社会のなかでは不可欠な民主主義的な税制の公平・公正の原理です。この原理の貫徹によって、大いに儲かっている企業や富めるものは、社会貢献できるのです。国家の財政事情が厳しくなることの現実では、国民のすべてに対して増税ということではないのです。
すべてのものに消費物に税金をかけるというのは、格差社会の拡大の現実では、公平・公正ではないのです。格差社会の拡大のなかでは、ぜいたく品に、税をかけるという物品税もひとつの方法です。富めるものに高く税をかけるという累進課税は、民主主義の税制の公平・公正の原理から大切なことです。貧しいものには、社会保障として、分配していくというのが社会権を確立した民主主義の発展の公平・公正の歴史的な教訓です。この原理は、社会保険にもあてはまるものです。
現代の日本は、税制の民主主義という公平・公正から危機の国家財政の立て直しを行っていくことが緊急に求められているのです。財政をとおしての再分配は、社会保障の充実として、展開されていきますが、この形態は貧困者に現金給付として直接に給付する方法と、育児サービス、高齢者への介護なその生活援助サービス、医療サービスなどすべての国民に対象にした社会保障があります。介護保健や医療保険は、独自に社会保険制度として存在して、特別の貧困層に対するものではないのです。
神野直彦は「分かち合いの経済学」岩波新書で、社会保障を二つの形態に分けるのです。直接に貧困者に財政で現金給付するのを垂的再配分としています。すべての国民に社会的なサービスの給付する社会保障を水平的再配分としています。そして、一見すると貧しいものに現金給付する方が、解消するように思うかもしれない。ところが、現実的には水平的再配分のほうが、格差や貧困を解消してしくことをのべています。
対人的な水平的な社会的福祉のサービスの方が格差や貧困を解決してしくというのです。水平的配分が広汎に実施されていれば、分かち合いの社会として、医療サービスが無料で提供されていれば、生活保護者の受給者が病ます。からといって給付額は増加しないのです。貧しくとも豊かに生きていくことができるとしているのです。
日本では生活保護費の半分以上が医療費、育児サービスと児童手当がユニバーサルに提供されれば、生活保護の受給額は増額しない。生活保護は本人の食料費と衣料費という生活費を一律に給付すればよいと、神野氏は指摘するのです。つまり、生活保護受給者をターゲットにする貧困ビジネスはなくなるのです。
神野氏は、財政の使命は、分かち合いという人間が生きていくうえで遭遇する困難を、社会の共同体として解決するというのです。つまり、生産と生活の共同の困難を共同負担と、共同責任で解決するというのです。
人間が信頼し合える社会のために財政と民主主義の大切を神野氏は強調するのです。財政の存在は、市場では供給できない財・サービスの公共財の提供としています。市場で提供される民間財は、対価が支払わらなければ、消費できないので、公共財は市場から排除されるのです。
公共財・公共サービスは、資源配分機能、所得配分機能、経済安定機能として、人間の生命活動が持続可能性をもって、民主主義を有効に機能させるための社会統合システムが必要としているのです。そして、人間の生命活動は、家族やコミュニティの協力原理による相互扶助や共同作業という愛で、つつまなければ存在できなと神野氏は、強調するのです。
しかし、現実の日本社会では、この機能が大きく縮小しているのです。農山村は少子高齢化によって、今までの家族機能や地域の共同体機能は大きく崩れています。また、大都市では、隣近所の人間関係が希薄で、個々が孤立状況になっているのです。また、弱肉強食の競争社会で傷ついていった人が数多くいるのです。単に、物質的な貧困化ということばかりではなく、精神的にも痛めつけられている現状があるのです。
孤立と人間的な疎外状況になります。いたためられない怒りや不満の感情が、なにかのきっかけで爆発することがあるのです。さらに、弱いものに対してや異なる文化の人々に偏見をもって、排外主義的な外国人労働者の排斥も起きるのです。
この社会的な状況を基盤として、群衆というマスに、人々の感情の不満が共感的に操作されやすい状況になっていくのです。これらは、SNSの感覚的な発信が大きな効果をもつのです。それらは、人々の閉そく感や不満を感覚的に吸収していくのです。
これは、個々が地域や職場で絆を持った理、労働組合や市民運動などで人々が連帯している状況がないなかでの問題状況です。感性や体験の認識から理性的に高まっていくことではないのです。この過程を広範に形成していくには、職場や地域での仲間との楽しみによっての絆の深まりや、学びの場が求められているのです。群衆の大衆化の状況では、感情を煽ることに上手な強いリーダーに操られていくのです。
職場では、疎外状況があるのは深刻です。仕事をしていくうえで、働き甲斐をもっての人間的な信頼感が希薄になっているのです。神野氏はインフォーマルなボタンタリセクターの充実をあげていますが、この重要性は否定しないが、社会的サービス機能が地域にくまなく作られていくことが最も必要なことです。
その条件整備としての地域での様々な集う公共財が求められているのです。保育園・幼稚園、小学校、自治会の集会施設、公民館の趣味やおけいごと、地域の歴史や自然の学び、気軽に集まれる健康や子育ての相談や学びの工夫など行政が積極的に地域に援助していくサービス活動や公共財の提供があるのです。
社会的サービスの福祉も地域福祉活動の取り組み、保育・幼稚園や学校教育も地域での学び、地域での体験、地域での高齢者との交流が求められているのです。さまざま活動によってのあらたなコミニテイの形成が求められているのです。
これには、市町村行政の公共サービスとしての積極的な働きかけが必要なのです。このうえで、地域のボランティアなどの非営利活動の社会的なセクターも有効に動いていくのですこのことによって、下から住民自身の主体的な自治活動が強まっていくのです。
国家財政は、財政の側面から民主主義の条件整備をつくりあげていくのです。地域共同が崩壊傾向に走っているなかで、地域の自治会活動、地域のコミュニティづくり活動は極めて重要ですが、国家の財政破綻は、この条件整備の展望がみえなくなっていきます。
そして、国家財政の破綻は、国それ自身の存在にとって、重大な危機になっていきます。また、社会権の確立した民主主義そのものの存在が危ぶまれるのです。つまり、社会保障そのものの崩壊につながっていきます。文化的な生存権を保障される物質的土台になる社会的自由がなくなっていくのです。
(3)国家運営の民主主義と議会の予算編成・決定権
日本の議会制民主主義で最大の欠陥は、政府の予算編成について、客観的に、中立的な立場で財政収支と、その見通しを公表する独立した財政機関がないことです。また、大きな問題として、政府の行政機関が予算編成権によって、国会に予算案を提出することで、国民の代表機関である国会が予算編成権を持たないことです。これは、日本の議会の大きな欠陥です。
日本の国会議員の予算編成の権限が奪われているのです。国会の役割で重要なことは、国家の予算編成権なのです。日本の現実は、行政府の権限によって、官僚機構の高級官僚による国家予算案がつくられ、それが国会で議論されるのです。
さらに、国家財政の赤字補填としての中央銀行の役割も日本の異常な状況です。いわゆる国債の保有を日銀が5割を占めるという事態です。放漫財政を日銀が支えているのです。市場主義の金利のメカニズムが機能していないのです。
財源の裏づけのない赤字国債の乱発です。補助金や減税もすべて財源との関係で議論されるのが民主主義国家の財政運営の原則です。円安や物価高の根本を国家の財政政策からも考えていくことが大切です。しかし、それすらもおろそかにされているのです。
日本の歴史のなかで藩財政が危機のなかで、その立て直しを行った米沢藩の上杉鷹山の施策から学ぶことは重要なことです。徹底した財政の洗い直しで、藩主自身の身の回りの質素倹約をはじめ、藩財政を大幅に節約したのです。
そして、藩の経済的収入にかかわっていなかった武士が、身近な生活のなかから収入を得るために家業の小経営を積極的にすすめたのです。藩全体として、開墾事業や産業起こしを積極的に展開して、外からの流浪者等の労働力も受け入れたのです。これらのために、教育に力をいれたのが上杉霊山の特徴でした。
国家制度の基礎は財政にありということで、日本の近代化で、かつて西郷隆盛がのべたことがあります。西郷のことばで、「入りを、はかりて、出る を制する、他に術無し」ということばを現代的にも考えるときです。霧島で明治8年につくられた憲法草案でも自由と立憲主義をとなえて、国会の役割として、太政大臣、左右大臣を選ぶ権限と国家予算の権限を提起していたのです。
高度に発達した資本主義で、資本の集中も進み、強大な国際的な企業が生まれている現状のなかで、競争も国際的規模で進んでいるのです。経済においても国家の自立した経済のコントロールが国民の豊かな文化的生活を保障していくうえで、重要になっているのです。
国連を中心とした国際的な貿易のルールや条約と共に、この役割を果たす大きな位置が国家財政です。国家財政は、社会的な矛盾や公平なる分配、暮らしの保障という社会システムをつくりあげていく公共サービスに大きな役割を果たすのです。
これは、福祉や社会保障、国民の生涯において、発達を保障される学習権保障とともに、重要な財政的基盤提供です。現状での巨大な社会的な経済格差の矛盾は、国民の自助努力では極めて難しいのが現状です。契約や臨時の労働者の拡大、フリーターが社会的にふえていることで、不安定で労働力市場で働く低賃金労働者、低所得層が増えているのです。
この人たちの安定的な雇用の確保や所得の向上のためには、新しい産業構造の変化に対応した個々の人間的特性を生かした創造的な柔軟ある高度な職業教育訓練が求められているのです。ここには、障がい者や高齢者の積極的な個性的な能力の開発訓練教育があるのです。
さらに、日本全体の少子高齢化という現実のなかで、外国人労働の活用も大きな課題になっています。日本で労働し、暮らすためには、日本語・日本文化の取得は不可欠ですが、このことがおろそかにされて、外国人労働者の労働と生活の基本的な人間らしく生きる権利が侵されているのです。そして、多くの社会的なあつれきも起きているのです。これらのためにも国家の財政支出が求められているのです。
この公共的なサービスは、国家の財政基盤をとおして公的な社会的サービスが実施されていくのです。これは、財政は、本来的に議会をとおしての権限になるはずです。日本の現状は、行政権を握る政府の統治権限で行われ、政府を握る政治との関係が深くかかわっているのです。
また、財政は、現実の市場経済との関係をもっているのです。財政は、国民の租税によって成り立っているので、その租税のしくみは、政治とのかかわり合いが強くあることも大切なことです。
租税は、社会権を保障していく民主主義の財政的原則で、累進課税が原則です。もてるものと持たざるものとの大きな格差があるなかで、その原則を貫いていくことは、政治的な価値観によって、大きくことなっていくのです。
富めるものや大きな利益をあげちる企業に税金を高くかければ、海外に流れて日本経済それ自身が停滞していくという論理があります。日本経済成長路線をかかげる議論のなかに、この考え方が強くあるのです。富めるもの、もうかっている企業において、節税対策ということがさかんにいわれます。節税によって、さらに、収入を増やして、贅沢なくらし、企業の拡大を求めることです。
政治的価値観として、富めるもののリーダーシップによって、経済成長を第一優先していくのが新自由主義の民間活力の考えです。この見方は、個々のがんばり、個々の努力や創造性によって、経済の成長が誘導されていくということです。さらに、民間の自助努力を重視していく考え方です。国民の暮らしの豊かさは、個々の努力、がんばって、がんばって働いた結果ということの新自由主義のリーダーの意識です。
そこには、富めるものの成功事例を大切に考えていく政治的なスタンスがあるのです。個々の努力の大切さを決して否定するものではありません。社会の活力によって、個々に国民が創意を生かして、国民経済の発展があることは事実です。しかし、競争社会のなかで生きているなかで、負ける人と勝つ人がいるのも現実です。多くの人たちが負け組になっていくのが格差社会の現実です。
ここには、積極的に社会的な分配によって、社会貢献していくことが求められているのです。成功事例におけるがんばり、創造性の努力の結果は経済成長にとって大切なことですが、その成功によって大きな富を築いた財貨をどのように社会に分配して、貢献していくのかかが、大きな社会的な尊敬の対象になっていくことの視点が大切なのです。
この見方は、国民的な暮らしを第一に考えていく政治的な価値に含まれていくのです。そして、経済の成長も国民の一人一人の豊かな暮らしを第一的に考えていくことが大きく問われているのです。
国民的な経済成長の広がりは、国民全体の暮らしが人間らしく豊かになっていくことで、大きく発展していくという見方です。この国民の暮らしを第一とする政治的価値は、前者の富めるものによるリーダーシップによる経済成長優先主義の見方と大きく異なるのです。この大きな政治的な価値のぶつかりあいが現実に財政問題でも起きているのです。






