
平和は、対話と多様性の学び

2026年の新年にあたって考えること
ー日本の未来と日本の現状の危機


新年あけましておめでとうございます。難しい激動する社会に、人類的な未来を常に求め、今年は楽しく前向きに一歩一歩と前に進めたらと思っています。 このために、自分の歩んできた道、自分の書いてきたことをじっくりと見つめ、多くのことを学びながらまとめていく作業もしたいと考えています。支えてくれたまわりの人たちに感謝しながら。
今年も積極的に自分のできることで、日本の未来へのために地域から探究をしていきたいと思っています。日本の未来を考えていくうえで現状を深く知る必要があると思います。
現状の問題は、第1に、世界の平和共存が崩されていることです。ウクライナ戦争やガザでのジェネサイド、さらに、アメリカのベネゼ攻撃です。また、日本との関係では、台湾の緊張問題です。国連憲章や国際法というあたりまえの世界の平和秩序がおかしくなっているのです。台湾の緊張を煽ることは、東アジアの平和協力体制の危機です。現状は、中国との平和共存、友好共生関係が重要です。日中平和友好条約を1978年に結ばれています。
「平和五原則で、相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる。ものとする。国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく・・・ 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。」
中国脅威論から南西諸島や鹿児島や熊本など九州各地に長距離ミサイルを配置し、攻撃用の基地整備など敵地攻撃態勢が進んでいます。実に日本は一部の復古主義的な戦前の軍国主義回帰の政治家によって、危ない現状にあると思います。日本の国民は平和を強く愛する人々であることを固く信じています。
しかし、世論操作によって、感覚的な言説で、中国脅威論の単純化した誤った論理で、多くの国民が騙されていると思います。 このなかで、日本の防衛費が大幅に増えています。GNP2%、さらに増大ということで、従前の1%を超えないという国の基準を大幅に超えています。とくに、台湾有事問題ということで、国連をはじめ世界各国の見方は、台湾は独立国でないということです。
高市政権は、また、世論のマスコミも、あたかも台湾は独立国のようにして、台湾有事を煽り、中国に敵対姿勢を強めるていることです。中国は、戦後に植民地主義からの解放闘争のなかで、複雑な政治的経過をたどってきました。
日本は、戦前に台湾を植民地にしてきた歴史的経緯があります。戦後は、中国の国内事情で、地域的に体制の異なる蔣介石政権が統治しました。未解決の問題も存在しているのも事実です。これは、あくまでも中国の国内問題であるのです。しかし、中国の国内の台湾問題は、日本の存立危機ということでは決してないのです。高市首相の国会発言の怖さがみられます。これは、戦前回帰を想起させる国会での発言です。
日本は、戦後は、日本国憲法のもとに平和国家として、国民主権による国の最高機関で、唯一の法律をつくる国民の代表機関として、国会がある立憲主義を国是としています。この自由と民主主義で出発した国です。
この国会の場で、台湾有事は日本の存立基盤の発言は重大な中国との関係で、国際的緊張関係を作り出す要因になっているのです。中国とは日本の長い歴史のなかで常に友好的な関係をもって交流をもってきたのです。
日本の歴史文化は、中国やベトナム、朝鮮半島と常に友好的な関係をもって、独自に日本の自然や伝統のもとに文化充実の発展がつくられてきたのです。長い歴史のなかで、日本と中国との関係で、中国が日本に侵略してきたことは、鎌倉時代に元の襲来ということだけです。これは、ベトナムや朝鮮半島と中国の歴代王朝との関係の違いです。
日本は、戦前に中国への侵略をして、中国の人々に多大な被害、悲惨なことをした歴史があったのです。戦前の回帰はいかなる理由があろうともやってはいけない日本国民の平和に対する国際的関係の倫理です。日本国憲法は、そのことを国際的に誓って、戦後の日本の自由と民主主義の出発なのです。
日本は大きな歴史の流れからみれば世界に誇るべき平和的な民族的精神をもっているのです。これは、長い歴史のなかで、代々にわたって継承されてきたのです。多様性を求めて、話し合いと慈愛の文化をもってきた為政者や民の暮らしの文化は、大きな意味があったのです。
第2に日本の現状の深刻な問題は、国家財政の赤字問題です。収入が80兆円というのに予算の支出が122兆円で足りないのは国債という借金ということです。国債という借金が13000兆にふくれあがっている現実。世界で最悪の借金大国になっている日本の現実があるのです。
日本の議会制民主主義で最大の欠陥は、政府の予算編成について、客観的に、中立的な立場で財政収支と、その見通しを公表する独立した財政機関がないのです。また、大きな問題として、予算編成権を国民の代表機関である議会にないことも大きな欠陥です。
日本の国会議員の予算編成の権限が奪われているのです。国会の役割で重要なことは、国家の予算編成権なのです。行政府の権限によって、官僚機構の高級官僚によって、国家予算案がつくられていくのです。
さらに、国家財政の赤字補填としての中央銀行の役割も日本の異常な状況です。いわゆる国債の保有を日銀が5割を占めるという異常な事態です。放漫財政を日銀が支えているのです。市場主義の金利のメカニズムが機能していないのです。
財源の裏づけのない赤字国債の乱発です。補助金や減税もすべて財源との関係で議論されるのが民主主義国家の財政運営の原則です。円安や物価高の根本を国家の財政政策からも考えていくことが大切ですが、それすらもおろそかにされているのです。
日本の歴史のなかで藩財政が危機のなかで、その立て直しを行った米沢藩の上杉鷹山の施策から学ぶことは重要なことです。徹底した財政の洗い直しで、藩主自身の身の回りの質素倹約をはじめ、藩財政を大幅に節約したのです。
そして、藩の経済的収入にかかわっていなかった武士に身近な生活のなかから収入を得るために家業の小経営を積極的にすすめたのです。藩全体として、開墾事業や産業起こしを積極的に展開して、外からの流浪者等の労働力も受け入れたのです。これらのために、教育に力をいれたのが上杉霊山の特徴でした。
国家制度の基礎は財政にありということで、日本の近代化で、かつて西郷隆盛がのべたことがあります。西郷のことばで、「入りを、はかりて、出る を制する、他に術無し」ということばを現代的にも考えるときです。霧島で明治8年につくられた憲法草案でも自由と立憲主義をとなえて、国会の役割として、太政大臣、左右大臣を選ぶ権限と国家予算の権限を提起していたのです。
高度に発達した資本主義で、資本の集中も進み、強大な国際的な企業が生まれている現状のなかで、競争も国際的規模で進んでいるのです。経済においても国家の自立した経済のコントロールが国民の豊かな文化的生活を保障していくうえで、重要になっているのです。
国連を中心とした国際的な貿易のルールや条約と共に、この役割を果たす大きな位置が国家財政です。国家財政は、社会的な矛盾や公平なる分配、暮らしの保障という社会システムをつくりあげていく公共サービスに大きな役割を果たすのです。
これは、福祉や社会保障、国民の生涯において、発達を保障される学習権保障とともに、重要な財政的基盤提供です。現状での巨大な社会的な経済格差の矛盾は、国民の自助努力ではまかないきれない現状なのです。
この公共的なサービスは、国家の財政基盤をとおして公的な社会的サービスが実施されていくのです。これは、財政は、本来的に議会をとおしての権限であるが、日本の現状は、行政権を握る政府の統治権限で行われ、政府を握る政治との関係が深くかかわってるのです。
また、財政は、現実の市場経済との関係をもっているのです。財政は、国民の租税によって成り立っているので、その租税のしくみは、政治とのかかわり合いが強くあることも大切なことです。
租税は、社会権を保障していく民主主義の財政的原則で、累進課税が原則です。もてるものと持たざるものとの大きな格差があるなかで、その原則を貫いていくことは、政治的な価値観によって、大きくことなっていくのです。
経済成長を第一優先していく、民間の自助努力によって、国民の暮らしを考えていく政治的なスタンスと、国民的な暮らしを第一に考えて、経済の成長も国民の一人一人の豊かな暮らしを第一的に考える政治的価値と大きく異なるのです。この大きな政治的な価値のぶつかりあいが現実に財政問題でも起きているのです。
第3は、教育・人材養成問題です。教育は、未来社会をつくっていくものです。その教育が画一的な立身出世の競争主義や競技やコンクール主義、管理主義にはまりこんでいることです。教育者自身や地域での教育力の低下です。このなかで、子どもや青年たちの自主性を生かしての創造性を育てていくことが削がれていることです。
もちろん、未来をみつめて、輝いている子どもたちや青年もいることも事実ですが、その子どもたちや青年をはげまして、積極的に親や地域社会や学校が評価して、やる気高めてい社会環境が大切ですが、それが弱くなっているのです。ときには、変わった子ども・青年として、ういてしまうことがみられてしまうことがあるのです。多様性を尊重して、すばらしいところをみつけて、意欲を引き出していくことが大人たちに求められているのです。
さらに、基礎教育や基礎研究を大切にするよりもすぐに役にたつようなハウツウや実利的なことに集中している傾向がみられるのです。このために、子どもや青年の発達ということよりも教える内容の過重という問題があるのです。
そして、教育にたずさわるものが誇りをもって、それぞれの子どもや青年や地域の実状に即して、感覚を磨いていくことと、理性を大切にした自由で、やりがいをもって責任をもてる体制がないことです。
第4に少子化ということと農山漁村の過疎化が進み、都市と農村の格差が進んでいることです。農山漁村の過疎化は、日本の食糧自給への道を著しく遠ざけているのです。そして、地方経済の衰退に拍車をかけていることです。
これは、工業と農業の効率性からの不均等発展の市場にける経済法則や金融資本の都市の集中、文化的整備の都市への集中、高等教育の都市への集中ということからくるものです。経済的な効率性からみるならば、あらゆる面で、大都市が有利な条件にあるのです。
農業や農村の効率ある地域社会・地域産業発展には、特別の支援や、それを守る価格保障、公的な高等教育機関・研究機関の特別の配置など、農村や地方都市への社会環境整備が必要なのです。経済の効率性論、民営論だけでは、都市の農村の格差や過疎化を食い止めることはできないのです。
日本の未来を考えていくうえで資源を国内から生み出すことは重要なことです。持続可能な社会づくりにとって、再生可能エネルギーのために資源を農林漁村から求めることは未来への輝きをもっていくことになります。
このための新しい科学技術の発展が切実に求められる時代です。いわゆるセルロールナノテク科学技術やバイオマス科学技術などは、その大きな具体的事例です. これらの課題が示すように、今は国民的に考えるときではないかと思うのです。
この記事は、ナムディン日本語・日本文化学院の創設当時にベトナムの先生方に日本人として、ホーチミンの有徳思想について語ったものです。
ホーチミンの独立思想と有徳精神

ホーチミンは、儒学者である家に1890年生まれ、生涯ベトナムの独立と自由、民主主義に捧げたベトナム国家の指導者である。ホーチミンは、1945年9月2日ハノイのバーディン広場で50万人以上のベトナム市民が集結するなかで、独立宣言を読み上げた。
しかし、ベトナム人は、その後、この独立の宣言にもかかわらず、フランスからの独立戦争、アメリカとの独立戦争・経済封鎖という極めて困難な道を歩まなければならなかった。
ベトナムの独立宣言は、1776年のアメリカの独立宣言の精神である。それは、いかなる民族も平等で生きる権利、幸福の権利と自由の権利をもっていることである。フランス革命の精神は、生まれながらにして自由平等と博愛の精神をもつ権利があるということであった。ベトナムに、その政治社会経済制度と精神を築いていこうとを全国民にホーチミンがよびかけたものである。ベトナムの独立と自由の精神は、アメリカの独立宣言、フランス革命の思想から学んだのである。
ベトナムは、長い間、フランスの植民地政策によって、民族的文化が奪われた。そして、愚民政策を押しつけられた。ベトナムの独立にとって教育は、大きな課題であった。ホーチミンは、独立宣言をした1945年の9月20日に、「老人は黙って静かに暮らしているいるべきか」と年をとった人びとによせる手紙を書いている。
「われわれはもう年をとっている。われわれはもう何の野望もないのだ。現代の問題をひきうけるのは、われわれの子どもたちがいちばんふさわしい。われわれは死に近づきつつあり、もうわれわれが積極的である必要はないんだ」という考えを否定した。愛国者は、年をとったからといって決して怠けるものではない。独立と自由はいまかちとられたばかりだ。われわれは多くの困難を切り抜けなければならない。老いも若きも同じように責務を双肩に負って努力しなければならない。私たちの子どもは若いし、大きな仕事をやりぬくでしょう。年をとったわれわれは大きな仕事をすることはできません。しかし、杖にすがりながらも、率先してかれらをはげまし、自分の経験をかれらにわけてやりましょう。わたしたちは年長者なのですから、子どもたちに模範を示すために、まず心から団結しなければなりません」。
ベトナムの独立と自由のために老人も大きな役割を果たすことができるとしている。ホーチミンは独立と自由を勝ち取って、さらに多くの困難を直面していることに年配者によびかけているのである。老人は豊富な人生経験をもち、愛国的精神をもって若い人をはげまし、自分の経験を若者にわけてあげるべきだと。
ベトナムの独立宣言は、フランス植民地主義者との厳しい戦いを強いられた。家屋と財産を犠牲にして疎開をしなければならない事態も作りだされた。しかし、1947年2月17日の当時の年配者へのよびかけに、困難の中で生きていかざるをえない国民に、愛情をこめて、幸福を気づかっているホーチミンの言葉がうかがえる。疎開した同朋の食物、宿舎、仕事を保障しなければならず、誰も怠けることはできないのだ。
資本をもっている同朋は、いっしょうに小企業を組織し、苦労している疎開者を助けることをしなければならない。疎開している人も自分たちの職業を続けなければならない。ひとたび仕事をもったからには、勤勉に働き、経済にはげまなければならない。独立が真に達成されたときは、わたしたちはともに幸福を喜びあいましょうと。
ホーチミンは、1947年3月1日に公務についている同志諸君への手紙として「われわれが排除すべきいくつかのこと」と有徳の確立の重要性を強調している。
今や我が国は死ぬか生きるか、滅亡するか生存するかの岐路に立っている。ですから各同志ならびに全組織は、祖国に統一と独立のためにすべての心と力をささげなければならない。各同志はならびに全組織は、明敏で賢く、用心ぶかく、決断力をもち、勤勉に、そして、心を一つにしなければならない。地方根性、派閥主義、軍国主義と官僚制度、狭量さ、形式主義、机上の仕事、不規律・弛緩、利己主義・不道徳を排除しなければならないと地域エゴ・利己主義などの不道徳主義の課題をあげている。

地方根性の一例として、自分の地方には、できるだけたくさんの幹部や資材をにぎって、より高級の機関が必要なところへ幹部や資材を動かそうとしても、それに応じないということ。
派閥主義は、自分が懇意にしている人たちにたいしては、その人たちがまちがっていても、そのいうことを聞き、その人たちに何の能力もないときでさえ、かれを用いるということ。天賦の才能があっても、自分と意見の一致しない人びとをふり捨て、いかに正しくとも、その人たちの意見に耳を傾けることを拒否するということ。
軍国主義・官僚主義は、一地方を預かっている小さな王様のようにふるまうこと。尊大であり、高圧的であること。自分よりすぐれた人を軽視し、権威者を悪くいい、自分の部下に重くのしかかること。傲慢な態度で人びとをおどすこと。この専横な精神的態度は、多くの反感やあつれきをもたらし、高級機関と下級機関の間や、組織と人民との間にさけ目を掘ってしまう。
狭量さは、だれでも長所と短所をもっている。長所を利用し、欠点を正すように助力しなければならない。狭量な人は、友人が少ないという結果になり、他人から少しの援助しか受けられない。
利己主義・不道徳は、公の財産を自分自身のものにし、権威や仕事を乱用して、取引ひで金持ちになることに没頭し、公務よりも個人の仕事の方を重く、考えたりする。 わたしたちはみな、慎みぶかくなければなりません。わたしたがベテランであり、有能であればあるほど、わたしたちの慎みぶかさは、大きくなければなりません。わたしたちは、進歩にたいする熱望をもち、心の中にわたしたちの師のことばを、つねに保持していなければなりません。「学ぶこと」において、うのぼれと自己陶酔は、ただわたしたちの進歩を妨げるだけでしょう。
皆さんは一般に、我慢強さ、厳密さ、縦横な機略、進取の気性というような、多くの性質をもっているが、これらは、他の道徳を発展させるための基礎として役立つ。これらは、非常に貴重な性質であるが、大きな困難である重大な仕事をもつこの時期においては、これらの性質では不十分であり、この立派な基礎を、いままであげた欠点を決然として正すために利用しさえすれば、わたしたは完全に成功することになるであろう。ホーチミン・坂本徳松他訳「解放の思想」日本語訳1966年絶版、143頁~150頁参照。

以上はホーチミンが公務にたずさわる北ベトナムの同志への1947年3月の手紙のなかでのベトナムの独立と自由を勝ち取っていくための「われわれが排除すべき不道徳なこと」 の克服の重要性を強調している内容である。ホーチミンの解放思想は、地方根性、派閥主義、軍国主義・官僚主義、利己主義、拝金主義などの克服して、有徳を確立していくことは、極めて大切な課題としているのである
ベトナムは、独立宣言後9年間、フランスの再侵略に対して、独立を勝ち取った。1954年のジュネーブ協定によって1956年7月に総選挙が実施されることになった。しかし、現実は、そうならなかった。アメリカとの戦いがはじまるのである。1955年8月31日に軍隊英雄に対する講話をホーチミンは次のように行っている。
おごりたかぶってはいけない、たえず進歩のために努力することの必要性を指摘している。英雄は個人的成果としではなく、集団的な成果として、革命的道徳をみがくことを強調しているのである。「英雄のみなさんは、みな傑出した成果をあげ、すぐれた革命的道徳を身につけている。このことは、けしてこのぐらいで十分だと考えたり、おごりたかぶったりしてはならない。たえず進歩するために、たえず努力しなければならない。
・・・・・英雄のみなさんは、つぎのことをよく理解する必要がある。みなさんの栄誉はきわめて大きく、みなさんの任務はきわめて重大である。みなさんは、つねに努力し、たえず進歩しなければならない。仲間たちにたいして謙虚に、よく親しみ、あらゆる面で模範とならねばならない。
政治、専門技術、文化教養の学習に努力しなければならない。革命道徳をみがき、つねに批判と自己批判を行わなければならない。けっして、おごりたかぶったり、自分はもうたいしたものだと考えたりしてはならない。つぎのことを、つねにおぼえておかなければならない。成果は集団の成果であり、英雄は集団の英雄であって、個人的な成果、個人的な英雄ではないのである。これは全軍の共通の栄誉であって、個人の栄誉ではない。要するに、わが民族が英雄的な民族であり、わが軍が英雄的な軍隊であるからこそ、軍隊の、そして民族の競争英雄が生まれるのである」。ホーチミン・加茂徳治他訳「わが民族は英雄」58頁~61頁参照・絶版
ホーチミンは英雄をたたえるとともにおごりたかぶってはいけいないことを強調している。たえず政治、専門技術、文化教養の学習と自己のあてえられた仕事に努力することを求めているのである。批判と自己批判を大切にして、革命的道徳を高めていくことを重視しているのである。現在、ベトナムは急速に経済発展をしている国である。難しい精神的な悪い誘惑もある。拝金主義である。あらためてホーチミンの解放思想を今、真剣に考える時期ではないか。
ベトナム民族の英雄的な歴史をふまえながら、日本とベトナムの友好発展を経済交流をとおして果たしていく時期ではないかと考える。日本という国は、現在、政治、経済、文化、教育とあらゆる面で大変な状況におかれている。東日本大震災や国際的な金融不安、円高とそれにおいうちをかけているが、ベトナムの独立と自由、民主主義をかちとってきたホーチミンの解放思想からも学ぶべきことがたくさんある。そして、この交流を積極的に行っていくベトナムの人びとに感謝をしたいのである。
稲盛アカデミー紀要2015年再録・ベトナムの青年に期待をこめて
神 田 嘉 延〔鹿児島大学名誉教授〕
目次
はじめに
(1)ナムディン地方の文化の特徴
(2)ナムディンの伝統的な自然循環的生活と地域組織
1 資源循環型の伝統的農村生活を現代的に再評価してVAC運動
(1)ベトナムでのVAC運動の意味
(2)現代的な生態系農業の構築と地域経済の発展
(3)農村女性の地域興しの学び
(4)ナムディン市の近郊農村のVAC運動
2 ベトナムの新農村建設計画運動
(1) 2020年工業国の目標での農村生活の格差解消運動
(2)農村の豊かさを保障する19項目の課題
3 学校と継続教育、地域共同学習の重視によるVAC・新農村建設運動
(1)真の豊かさは拝金よりも知識の大切さ
(2)ベトナム農山村漁村の経済発展と教育の質の向上
概要
日本の公民館は、戦後の敗戦のなかで、新しい地域づくりのために、住民学習運動の支えによって生まれた。その住民の学習運動は、生活や文化に根ざした形で発展した。このような住民の学習と公民館は、コミュニティラーニングセンター、地域共同学習センターなどと呼ばれて、現在、世界の発展途上国で拡がっている。1985年のユネスコ国際成人会議の学習権宣言にあるように、学習権は、生存にとって不可欠な手段であるということから発展途上国に公民館の運動が拡がっているのである。
本論は、ベトナム北部紅河デルタ地帯のナムディン地方を事例にしながら、新しい自然生態系を大切にした持続可能性をもった生活、文化的にも豊かな村づくりと公民館の学習運動を取り扱うものである。ナムディン地方の文化は、多様性を認め合いながら、地域の共同性が強く、独立精神が旺盛な特徴をもっている。
ベトナムの紅河デルタ地方では、自然生態系に依存した食と健康の自給自足生活を伝統的に続けてきた。VAC運動は、このベトナム北部の伝統的生活を現代に再評価して、市場経済に対応した新しいむらづくりをすすめている。
ベトナム政府は、2020年までに工業国を目標にしているが、この経済発展戦略のなか
で、農村に暮らしていても豊かな生活と文化を保障される新農村建設を2010年度からはじめている。この新農村建設においては、住民自身が地域発展をめざして学習していくことが大切とされ、地域共同学習センターを全土に組織していった。本論では、その典型の自立していこうとする地域づくり運動をナムディンに探りあてて実証した。
ベトナムでは、豊かさを獲得していくために、学習することを教えている。それは、自立の力を養っていくことである。現代では、日本の町村にあたる社という行政の末端に、共同学習センターをつくり、地縁組織を基盤に新農村建設運動を展開しているのである。
はじめに
(1)ナムディン地方の文化の特徴
ナムディン省の中心都市は、ハノイから90キロである。ナムディン市は、紅河デルタ田園の中心に位置する。ナムディン省の隣接は、ハーナム省、ニンビン省、タイビン省であり、ナムディン市は、それらの省の中心に位置する。
ナムディン省は、人口約200万人で、紅河デルタ地帯の中心地域である。海岸線は、とくに貧しい地域が多く、カソリック教徒と仏教徒、ベトナムの伝統的信仰のディン(神社)、一族の廟が混在している。また、伝統工芸が盛んな農村地域も多い。
紅河デルタは、ベトナム人の文化の多様性、独立心、共同性のこころを強くもっているところである。ベトナムが歴史的に中国から独立していくうえで、紅河デルタは大きな役割を果たした。
ハノイを中心とするベトナム北部は、紅河デルタ地域に覆われていた。ベトナム人にとっての河川との闘いは、食料生産を豊かにしてきた。それは、開墾と独立のための歴史であった。1200キロの河川の長さと流域面積が12万平方キロメートルという巨大な紅河は、洪水の歴史を繰り返してきた。北部ベトナムの中流域には、平原をもたず、山地とデルタが直接に接している特殊性をもっている。
このため、北部のベトナム人は、雨期に荒れ狂う紅河と闘わなければならない歴史であった。紅河デルタの北部のベトナム農民は、経済的基盤をつくるために、広範囲に網の目のように、大小の防波堤を築くことで、荒れる河川と闘ってきた。
中国からは、侵略の歴史であった。ベトナムは、中国の植民地支配の脅威にたたされてきた歴史である。中国からの独立のためには、農業生産を向上し、安定させることであった。
そこでは、輪中をつくり、紅河の氾濫地域を防波堤で防ぎ、田庄とよばれる荘園をつくっていった。この荘園には私兵をもち、中国の侵略にたいしての強力な抵抗勢力となった。
今でも、ナムディンの中心街の公園には、3度による元朝の侵略を打ち破った指導者の陳興道(チャンフンダオ)の銅像がそびえている。それは、ベトナムの人々のあつい独立の精神的支柱になっている。
この紅河デルタには小さな運河がはりめぐらせて交通手段と灌漑とを兼ねている。中国軍を追い払ったのも紅河を利用しての戦法である。水位の日ごとの差と時間差を利用して、敵を河川に閉じ込めたのである。河にくいをうちこみ、水がひいたときに船を閉じ込めたゲリラ戦法である。今では、ナムディンの海岸では1千トン未満の船舶の造船が盛んにおこなわれている。河を利用した交通の要衝であったため、造船業が発達した。
紅河は、輪中による強固な共同体をもっていた。しかし、交通手段が発達して、外に開かれていたことも重視しなければならない。紅河デルタ地帯の共同体は、集落それ自身が、輪中化して、塀をつくり、ひとつの大きな家族共同体となっていた。そのうえには、皇帝の指揮のもとに派遣されている郡単位規模の上位の地方共同体がある。上位の共同体は、広域のふるさと意識が存在し、国家・民族意識と繋がっていくのである。
ベトナムが強い独立意識をもっていたという国民性は、この共同体的な郷土意識を基盤としている。絶対主義的な封建時代の集権制や、近代化のなかでつくられた中央集権的な関係からの絶対服従による上意下達的な強制的関係による共同体的意識ではない。
北部ベトナム人の強い郷土意識は、紅河デルタの生産と生活基盤からの共同性によって、歴史的な構造のなかでつくられてきたのである。それは、歴史的に北部を中心として発展してきたベトナム人の意識であり、中部や南部とは、違った歴史的展開がある。また、ベトナムは、山岳地方を中心に多くの少数民族を抱えている。このために、ベトナム全土は、決して同じとはいえない。北部の基層的文化は紅河デルタを中心とした上位と生活単位の層をもつアジア的な共同体文化が基本的に根強くあるのである。
紅河デルタの李・陳朝時代に創建された寺院や皇帝廟などは、今も農民をはじめベトナム人にとってあつい信仰の対象になっている。神仏混合文化は、日本の近代以前と同じである。ナムディンにある陳朝廟やとなりにある普明寺には、旧正月・テトのときは、全国から人々が訪れる。ベトナムのナムディン地方は、仏教寺院やカソリックの教会、また、祖先崇拝の祠堂や村の守護神の廟・亭など複合的な神仏混合の信仰生活が深く根付いている。
また、儒教と道教と結合した浄土教や禅宗の仏教徒とカソリックが共に暮らしていたのである。村落の守護は、それぞれの信仰を認め合う価値が共有していたのである。旧暦の12月23日は、料理の神様が天に昇る日で、コイをもっていかせるために授けるという儀式がある。テトの正月まえに帰ってくるという。このように、ベトナム人の日常生活のなかで、昔話にある世界が日常生活の儀式として残っている。
ところで、近代に至る過程では、フランス植民地化とグエン王朝体制のなかで、仏教・儒教・道教とカソリックとの敵対関係がつくられた。このことは植民地文明と近代化ということで重視すべきである。異なる信仰が一時的にせよ、敵対的関係に利用されたことがある。
しかし、これは、ベトナムの民族的伝統の歴史ではない。ナムディン地方の伝統的な寺院であるCO LE、KEO HANH THIEN、KEOTHAIBINEは、神光寺として、李王朝の安泰と百姓人民太平ということで、11世紀に設立されたものである。
3つの神光寺は、相互に関係し、祈願と、こころの悩み、易をしてくれるところで、王の病もこの寺に祈願したことによって、回復した言い伝えが残っている。今でも祈願や祈祷し、僧侶に悩みを話すために多くの人々が訪れる。1262年の陳朝時代にベトナム式座禅の寺として晋明寺が建設される。
14の段の棟が農村の風景にそびえたち、寺はコイと竜の彫刻物が屋根のうえに飾られている。この寺院の村落にカソリックの教会が併存しているのである。李朝・陳朝時代は、仏教の手厚い保護のもとに、仏教、道教、儒教が結合していった。
仏教の学校は、長い伝統を持ってきたのである。ベトナムのキリスト教の普及は、フランスの植民地以前のずっと前に、ナムディン地方に1538年にフランシスコ派によってはじめて布教された。そして、1614年以降は、イエズス会によって本格的に普及していく。ベトナムのキリスト教は、植民地支配以前にも存在していたという長い歴史をもっていたのである。
ベトナムの文化は、異なる信仰的価値を互いに認め合ってきた寛容性をもっている。これは、民族の伝統性としてつくられてきたのである。従って、為政者による廃仏毀釈という特定の信仰を弾圧する歴史をもたなかったのである。科挙試験の内容も中国や朝鮮半島と異なっており、儒教の内容ばかりではなく、仏教や道教の内容も試験として課していたのである。これが、ベトナム的な科挙試験の3教試である。
すでに、15世紀の中国の明を撃退したあとの科挙試験は、軍民に限らず、能力のある者すべてが、認められたのである。その試験は3年ごとの3段階の試験であった。このようななかでベトナムでは、学問をすることが広くいきわたっていく。士夫、文士、文神、文人は、人々に尊敬される対象になっていく。日本では科挙制度がなく多様な儒教の考えをもった学者を輩出していくが、ベトナムでは多様な信仰心と異なる価値観を容認しながら学問をするものに対しての尊敬が生まれたのである。
(2)ナムディンの伝統的な自然循環的生活と地域組織
本研究でのナムディンの新農村運動は、VACというベトナムの伝統的な自然循環的な自給自足生活を現代に、生態系を維持しての地域経済発展の商品生産を行っていくものである。この運動は、地域住民の学びがなければ達成することができない。まさに、持続可能な発展のための教育が基本的な条件である。つまり、ESDの組織化である。この課題を考えていくうえで、前記のような伝統的な多様性を認め合う寛容性と学問を尊重する文化と歴史をおさえておく必要がある。そして、ベトナム北部農村は、強い絆をもった地縁組織のもつ共同性をもっていたことを見落としてはならないのである。
小学校は、この地域のもつ共同性を基盤にして、存在しており、地域組織の活動に学校の施設の果たす役割が大きくある。また、ベトナムでは、行政的に整備されているのは、県(日本の郡)段階であり、日常的な生活の単位や小学校のまとまりの社(日本の町村)の人民委員会は、日本の町村行政のように、部門ごとの担当行政職員が配置されているわけではない。
社の下に集落があり、ディン(神社)は、集落のまとまりの象徴でもあった。この集落単位に、文化会館という集会所があり、そこに、青年会、婦人会、農民会、在郷軍人会などの地縁組織があるのである。
文化会館は、すべての集落にあるわけではない。しかし、どこの集落でも伝統的なディン(神社)の施設は存在し、そこは、村人のこころがまとまっていくシンボル的施設である。 ディンは、紅河デルタの農民が日常生活のレベルで共同のこころの結束をはかっていく施設である。
ディンは、長老による村の伝統的な文化を継承していく施設である。村を創設した英雄が村のディンに祀られている。また、村の文化や儒教を子ども達に教える場としてもディンが機能していた。村人はディンを中心にまとまってきた歴史があり、ディンは、村人の集会場の役割をもっていたのである。
社は、いくつかの集落が集まった自治的な性格を強くもった行政組織である。そこでは、人民委員会が存在し、行政の政策を浸透させていく役割を果たしている。日本の町村にあたるのが社である。基礎的な地方自治として整備されているわけではないことを見落としてはならない。社には、トタン屋根によって雨露をしのぐ程度の文化ホール的なものがある。それは、社の村人の集会施設である。
生涯学習の教育機関として、職員と施設が整備されているのは、県(日本の郡)段階にある継続教育センターである。地方自治体として、行政職員が、部門ごとに整備されているのは、県(日本の郡の範囲)である。
ベトナムで2005年の教育法で整備されるようになった共同学習センター(公民館)は、社の段階の組織内でつくられている。それは、いままで使っていた人民委員会の集会所を兼務しての共同学習センターにすぎない。少数民族を対象に日本のユネスコが支援してつくった共同学習センターは、独自に建物が作られているが、ベトナム全体からみれば特殊な位置にすぎない。
社の人民委員会の村長を中心に、農民会、婦人会、青年会、退役軍人会、協同組合の地域の組織が、共同学習センターの運営や企画の担い手になっている。そこには、特別に生涯学習の専門職員が配置されているわけではない。
今後は、県(日本の郡の範域)の継続教育センターに配置されている生涯学習の専門職員が社の段階における共同学習センターとの学習の連携が求められる。そして、このことは、地域の生産や生活、さらに文化と結びついた極めの細かい生涯学習の充実がはかられていくとみられる。
2020年までに、ベトナムは、工業国としての目標をたてたが、その工業国の目標は、均衡ある国土発展である。このためには、工業化と同時に、農村の豊かさを保障する新農村建設運動を進める必要がある。新農村建設は、地域での学習がなくして達成できない。とくに、緑の経済発展として、伝統的な文化や地域の資源を守って、自然循環的な生態系を基礎とした農村開発は住民の学習なくして達成することは出来ない。
さらに、ベトナムの自然循環的な生態系を基礎としたVACシステムの運動を現代的に再評価していくことも必要である。工業国にしていくという新しい段階で、市場に対応して、農村での快適なる生活環境を整備して、均衡ある国土の新農村建設をどう構築していくかは、極めて複雑で、難しい問題がある。環境保全の緑の経済発展と、伝統的な農村文化、地域資源を守って自然循環を大切にしていくことには、住民の学習を基礎にしての住民参加の地域づくりが不可欠である。
ベトナムでは、2010年から全国的に新農村建設運動がはじまったが、工業化に伴う都市と農村の不均衡な発展を是正するために、豊かな農村生活のための地域づくり運動がはじまった。2010年に一人当たりの国内総生産は1168米ドルに達したが、2020年には、国内総生産は3000米ドル以上を目標にしている。工業とサービス業は、国内総生産の85%としている。
ベトナムは、後発開発途上国( Least developed country、略語:LDC)という国連が
定めた特に開発が遅れている国々基準のひとつの1,086米ドルを超え、後発開発途上国から脱したのである。しかし、2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満の貧困層は3333万人と推定されている。実に、国民のおよそ4割を占める。ベトナムでは、農村部を中心に多くの貧困の現実がある。
ベトナムは、社会経済開発戦略において、2020年までに、工業国にしていく計画であるが、ベトナム人のアイデンティティになってきた伝統的な農村生活を失わずに、また、農業の発展、伝統的な農村文化を維持しての工業化を模索しているのである。このなかで、注目されるのが、伝統的な生活を見直しながら、農村の近代化を行っていくというVAC運動である。本稿では、とくにVACシステムの役割を重視しての農村の共同学習センターを中心とした住民参加の地域づくりを重視したのも、そのためである。
1 資源循環型の伝統的農村生活を現代的に再評価してVAC運動
(1)ベトナムでのVAC運動の意味
VACは、ベトナム語のVuon(庭)、Ao(池)、Chuong(家畜小屋)の頭文字を合わせた用語である。VACは、屋敷内の庭園での野菜栽培、果樹、薬草、池での養殖漁業、家畜小屋でのブタ、牛、鶏の飼育を意味している。
北部の紅河デルタ地域では、VACという伝統的な屋敷内の自給自足生産を基盤に生活してきた。その生活形態を現代生活の商品化の時代でも大切にしていこうとするのが、ベトナム的近代化である。その近代化は、工業の発展ということばかりではなく、農民の生活を守り、農業の商品生産を発展させようとするものである。それは、生態系を大切にしての自然循環型の農業を志向していくものである。
生態系を大切にする農業は、屋敷外の単一の作物による生産性のみを追求する生産ではなく、VACシステムによって、自分たちの栄養豊かな健康的な生活を守り、少ない資本で高い経済性をめざすものである。VACシステムを大切にした地域経済の発展は、自然の土地、池、太陽エネルギー、バイオエネルギーを最大限に生かす自然農法の技術、自然循環型の生活を生かしていくものであり、食糧や健康、エネルギーの地域自給システムを確立していこうとするものである。バイオマスエネルギー開発にみみられるように、最先端の生態系を大切にした科学技術を応用していこうとする意欲もみられる人類史的な実験でもある。
現代におけるVAC運動は、紅河デルタ地帯からはじまった伝統的な農村生活を生かした商品生産を全国的に広げる運動である。伝統的に自給用の家畜を飼っていたものを少し頭数を増やして、バイオマスエネルギーと結合して、エネルギーを自給していくというのも新しいVACシステムの運動である。それは先進的な農家や集落でのとりくみがみられる。また、自給用に利用していた果樹を積極的に増やして、集落単位で果樹の特産をはかっていくのも一つの新しいVACシステムの試みである。
VACシステムは、もともと屋敷外の主要の稲作生産だけではなく、屋敷内の野菜、薬
草、果樹栽培、魚の養殖、鶏や豚などの畜産を組み合わせた自給的な農家の生活経営であったが、現代は、それを大切にしながら、ある部門に特産化して、商品生産を展開していくのである。
1980年代から1990年代に北部の紅河デルタ地帯では、お米に依存した食生活で栄養素欠
乏症が問題になった。栄養素欠乏症は、ベトナム北部農民の公衆衛生上の大きな社会問題として浮上することになった。
そこでは、伝統的な農業生産システム、農民生活が見直され、VACシステムが積極的に評価された。VACシステムは、新しい農民の地域づくりの運動として導入されたのである。さらに、ドイモイ政策以降に新たに農家の現金収入も必要な時代になったが、単一の作物生産の生産力向上ではなく、屋敷地内の伝統的な自給農業生産により、農民の生活基盤を維持してのVACシステムの商品生産になったのである。
「ベトナムにおける栄養と食の安全」の研究リーダーである住村欣範(大阪大学グローバルコラボレーションセンター)は、VACシステムは、18世紀の医師ハイトウオン・ラン・オン(レフウチャク)による健康維持のための教えから継承されたものであるとしている。その具体的な指導書は、ベトナム独自の植物を利用した料理指南書「女功勝蘭」である。ハイトウオン・ラン・オンは、南薬という概念にみられるように、ベトナムの農民生活環境に基づいた薬用、食用植物利用体系をつくったのである。ベトナムの伝統的療法を医学的に体系化したのである。とくに、南方薬305種の効用を発見したのである。
ハイトウオン・ラン・オンは、常に農民の傍らにおり、身近にあって容易に入手できるものによって健康を維持することを勧めたのである。それは、ベトナム農民が暮らす環境にあったベトナム独自の食用植物を利用した。食品の調理法は、ジャム、おこわ、菓子、豆腐などについて152種類のレシピが書かれている。「女功勝蘭」は、主として植物を日持ちする食品加工する術が紹介されている。
住村欣範は、国民の栄養状態の改善を農業生産の面からとらえ、VACの複合農法システムを定式化した人物として、1980年に初代のベトナム国立栄養学研究所のトゥ・ザオをあげている。トゥ・ザオは、栄養学の専門家として、自家消費をするためのシステムとして、ビタミンと動物性タンパク質の栄養バランスがとれるように、VACシステムを描いた。
VACは、ハイトウオン・ライ・オンの視点に連なるものであると指摘する。屋敷内にVACシステムがおかれた時の関心は、栄養の欠乏をどのように改善するか。それは、貧困と栄養不足の課題であった。21世紀に入り、新たな食生活の課題として、生活習
慣病の問題は、農村部の一部階層に拡がりをみせ、再び屋敷内のVACシステムを南薬の機能性食品の摂取として気軽に日常的に摂取できるためにも見直されている。
住村欣範は、2008年からタイビン医科大学と共同で「家庭菜園を利用した農村部高齢者の栄養ケアの実践とモデル構築事業」をはじめている。この事業は、屋敷地内に多様植物を育てる果樹園を復活させ、コミュニティ内での高齢者のネットワークを強化し、老人の栄養および社会関係改善を目指している。(2)
タイビンでは、高齢者の屋敷地内の果樹園が再活性化されつつある。近隣の壮年層の屋敷外農業では、大量の農薬が使われているが、高齢者の屋敷地内の農業では、安全な食用野菜と果樹で、有機栽培農業がおこなわれるようになっている。ベトナムのフード・セキュリティに対して、VACシステム、屋敷地内農業が新たに、重要性な意味をもっていると住村欣範は強調するのである。(3)
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トゥザイ(元ベトナム国立栄養院院長・初代)は、ベトナムの栄養政策ということで、
VAC生態システムの栄養改善の大きな役割について次のようにのべる。
「コメに偏った「ご飯」をバランスのとれた「食事」に変え、妊娠中の女性や乳のみ子のための食事を改善し、子供に補助食品を与えて栄養不良を予防しようとするならば、VAC生態システムをつくらねばならない。VACは野菜や果物、豆類、卵、乳、肉、魚などの動物性食品を供給してくれるだろう。これによって、食事は豊富でバランスのとれたものになり、子供たちの離乳食に彩りを添え、家族の食卓に彩りを添え、そして、人生に彩りを添えることになる。VACはベトナム国民の長年による経験の集大成である。再生産戦略に関しては、確固とした科学的基礎を持つものである。
光合成によって太陽のエネルギーを再生産し、廃棄物を再利用する。これによって、多くの生産物が小さな面積から生み出されるのである。廃棄物の徹底的な利用によって、VACは環境を清潔にすることに役立つ、澄んだ空気を生み出し、生活を充足したものにする。国営、集団、家族からなる社会主義生産システムを完全なものにするために、あらゆる規模で、VAC生態環境を建設することが不可欠であるが、まず第一に、農村ですぐにでもこれを実現しなければならない。
合作社の集団VACは、果樹園、池(ホーチミンが養魚を奨励したことから、「ホーおじ
さんの養魚池」と呼ばれる)と畜舎を結合すべきであるとしている。このVACは、小さな土地で農業を行うための新しい技術の進歩を応用する場所であり、また、世帯に植物や動物の種を供給する場所となる。学校のVACは、生物についての学習の機会、生徒にとっての職業実習の機会、家庭に農業技術を普及する機会となる。また、医療センターのVACは医療センターの人員にとっての不可欠な経済的基礎である。医療センターのVACは、家族で常用する薬や薬味となる植物を普及するための場ともなる。
家族VACは、家族のすべての成員が参加して、土地と労働力と時間と廃棄物を利用し尽くすものであり、少ない投資で大きな経済効果をもたらすことができる。現在、ベトナムにおける家族経済は、食糧の20%、食事に用いる肉や魚の90%、そしてほぼ100%の野菜や果物の生産の場となっている。ベトナムの経験によれば、健康の問題を解決するには、保健分野と農業分野の活動を結びつける必要がある」。
VACシステムの運動のはじまりは、米の生産の第一主義から自給的な家庭菜園が衰退
し、偏った食生活になったことから始まる。偏った食生活は、農村の貧困によって拍車がかかり、子供の栄養不足問題が深刻になった。この状況から子供の栄養改善を目標にして、ベトナムの農村の伝統的な自給生産を再評価したことであった。VACシステムは、生態系を大切にした自給自足的な家庭菜園農業であり、それは、ベトナムの伝統的な農民の生活である。
(2)現代的な生態系農業の構築と地域経済の発展
現代の農村生活の豊かさと地域経済発展を保障するためには、VAC運動を現代に復活させて、栄養改善、環境にやさしい自然生態系を大切にした循環型農業をつくりだすことである。これは、廃棄物を徹底して利用していくという循環型生産システムである。このシステムを学校教育のなかでも積極的に利用して、子供たちばかりではなく、家庭にもひろげていくという考えがある。さらに、地域の診療所にもVACシステムを導入して、薬草の普及、健康維持のための栄養改善運動をしているのである。
VACシステムは、稲わら・葉茎、悪い作物、くず米などを家畜や魚に与えるという資源循環型の農業生産である。とくに、自給的な生活を大切にして、貧困な状況に襲われても誰でも健康を保持できる栄養を確保するための運動であった。さらに、養殖、畜産で発生する屎・糞尿は堆肥に変えて、廃棄物を徹底して利用することによって、有機農業による持続可能な農村生活を築いていくものである。自給自足を大切にして、持続的な有機農業を基盤にして、農民の生活を大切にしながら、自然循環型の農業生産の市場化をしていくものである。まさに、現代的にいわれている持続可能な発展のための生産である。
学校での農園や池、家畜を利用したVAC運動は、ESD教育にもつながっていくものであり、地域の診療所のVAC運動は、薬草の普及の場となっていくのである。ベトナムのVACの運動は、保健活動と農家経済がつながっているのである。
貧しい農村では、特に、自給自足生活による食生活を大切にしながら、市場を考えて
いった。それは、栄養改善に大きな効果をもたらした。意識的にVACとして、運動を
展開したのは、1980年代後半から1990年代からである。1986年にベトナム園芸協会
(VACVINA)が設立された。ベトナム園芸協会は、VAC運動の中心的な普及の担い手に
なった。
VAC運動は、貧しい農村での貧困層の栄養改善運動、保健活動、健康増進運動に大き
な効果をもたらし、少ない資本でも現金収入を得ることができるようになったのである。VAC運動は、栄養失調と農家の所得向上に大きく貢献したのである。
1996年のオーストラリアで開かれたパーマカルチャー国際会議で、ベトナムのNGUYENVAN MAN氏は、ベトナム園芸協会(VACVINA)の目的を次のように述べている。
1,国全体へのVACのネットワークを築き、全国大会を開く。2,飢餓の撲滅と貧困の軽減のために、農民の収入を増やす。このために、適切な技術を普及する。優先順位は、子ども、女性、少数民族に与えられている。3,環境を保護し、持続可能な農業システムを設立するには、どのような工夫が必要であるのか。
ベトナム園芸協会(VACVINA)は、政府機関ではなく、NGOである。そのリーダー
は、公務員を退職したものがボランティアで活動するものが多い。NGUYEN VAN
MAN氏は、さらに、VACのシステムは、紅河デルタの貧困地域から山間地帯まで拡がったことを次のように報告する。
1986年からはじめられたVAC運動は、100世帯と数十人の活動であった。10年後の1996年には、全国的なネットワークになり、53の省に250,000人以上に拡がった。ユネスコやオーストラリアのパーマカルチャーの支援によって、1989年に少数民族にVAC運動を展開した。住民の80%が貧困で子どもの栄養失調が60%~70%であった。ベトナム戦争の連続爆撃で植生の破壊がされた地域をパイロットにした。その地域は、156世帯の家族、2つのコミューンが設定されている。その指導に、ベトナム園芸協会(VACVINA)があたった。
自分の村の保護のために、土着の木を、防風林にした。村の道路にそって、ココナッツ、カスタードアップルなどの木と、果実生産のためにナツメの木が植えられた。
156のほとんどの世帯がVAC運動を開始した。魚は後で、果実や木作物の栽培をし、飼育用のため池を掘るだけではなく、豚や鶏の調達で自分たちの仕事をはじめた。労働交換のための利益団体やチームを作成した。貧しい家庭のVACシステム確立のために独自のローンを支援した。
VACシステムとパーマカルチャーの組織の活動家は、密接な関係をもって行動した。
パーマカルチャーの持続可能な農業と生態的倫理をもった土地利用の原則という知識の普及は、VACの活動家には難易度が高く、あわなかった。パーマカルチャーの基礎である生態系を重視した理念と、昔からの伝統的な農業や生活のやりかたの智慧からということで、ベトナムのVACシステムはそれらに共通するものがあった。
少数民族のVACシステムの普及には、ベトナム園芸協会の理念によって勧められた。
パーマカルチャーとベトナム園芸協会のそれぞれの理念から少数民族の貧困地域の栄養改善に関わったのである。事実上絶滅状況に近い少数民族の地域の木々を再生するために、オーストラリアのパーマカルチャーから、ベトナムの土着に近い木の苗を提供してもらったのである。
ベトナム園芸協会とオーストラリアのパーマカルチャーの共同事業は、VACシステムに
よる栄養改善のための有機農業運動に積極的に貢献した。そのために、農場の肥料、堆肥、緑肥の利用の訓練を行った。また、二つの小学校と一つの幼稚園で、学校の庭園内でVACシステムをつくった。そこで、教師と児童たちにVACシステムの教育も行ったのである。
卵、果物、野菜、魚、肉ということで、日常の食生活で子ども達の栄養改善を実施した。学校や幼稚園にも積極的にVACシステムを導入して、子ども達の栄養改善を地域で自立的にしていこうとするものであった。
アメリカ軍の北爆ということにより、森林破壊が極限状況に進み、不毛の大地になった。このプロジェクトは、1000ヘクタールのモン族の生活を立て直すものである。この地域は、絶対的な貧困により、アヘンを生産しなければならなかった。生活条件は、栄養不足で、慢性的にマラリアの影響を受けていた地域である。
VACシステムのために、家庭菜園や鶏、豚のための小屋を援助によって建築する予定
が、当初は、ケシの栽培のために換金するために利用された。長期的な展望をもつための教育事業は、大きな仕事であったのである。パイロットのコミューン内にテレビやビデオを備えた2つの文化センターを設立し、教材の提供を行った。
そして、水の確保のために水タンクや配管施設の整備、医療施設を提供したのである。プロジェクトから4年間かかって、本来のVACシステムの確立がされ、子どもたちの栄養改善が大きく前進し、地域住民の自宅の庭園を成長させ、近くの山腹に果樹を植えたのである。
竜眼、梅、柿、ブドウ、オレンジを含む、21500本の果樹を植えた。そして、2000の茶
の苗を植えた。これらのVACシステム確立の事業によって、村の住民の生活は大きく向上し、ケシ栽培は消えていったのである。
2000年代に入るとVAC運動は、豚などの家畜の糞尿を発酵させてのメタンガスによる自然エネルギーのとりくみも展開するようになる。1990年までに全国で2000槽の家庭用小規模BD(家畜糞尿からメタンガスや有機肥料を生成するバイオマスガス)が設置された。その普及は、2007年に、全国的に7万3000槽の設置数になる。2010年には、大型プラントも含めて、14万槽に増加させる計画をたてた。
2002年には、農業・農村開発省が、小規模BD施設のプロトタイプなる標準システムを発表している。畜産部門のためのバイオガスプログラムは、2007年に世界エネルギー賞ガス部門の大賞にノミネートされている。ベトナムでは、VACシステムをエネルギー部門までにも発展させようと、家畜の糞尿を活用したバイオマスエネルギーの積極的な普及にのりだしているのである。
ところで、 ベトナムの環境循環型農業の事例をナムディン省の村を対象にして、検討していくことにする。次の事例は、ナムディン省の海岸線の貧しい農村でのVACを基盤にしながらも、新しい水田畦畑方式による有機農業経営は、農業の商品化の試みである。池の下に堆積した有機質の沈殿物を有効に利用しようと、水田のなかに、畦をつくり、それを畑にしようとする農法である。
紅河デルタ地域では、伝統的農法として、乾季に河川上流地域からの灌漑用水を引いて、淡水を水田に入れることをしてきた。冬季には表層土壌を耕耘した。そして、土壌の洗浄をしてきた。土壌の洗浄は、紅河デルタの沿岸地域の水田稲作活動にとって大切な作業であった。洗浄は、土壌塩分と毒性イオンの影響を受けている水田に、それらが、薄くなっていくことである。
これらの伝統的な農法を大切にしながら、新たに、水田の微生物を積極的に畑作にも応用していこうとする農法である。水田には、ラン藻や光合成窒素固定微生物が多数生息している。水田の微生物の効果を有効に畑作にも同時に利用しようと、水田の中に、畑をつくり、水田土壌を客土して利用しようとする方法である。
ナムディン省の海岸近くのハイハウ県ハイソン村では、海岸近く土壌条件が厳しい条件であった。塩害も多く、田んぼの深さも40センチしかない。単位当たりの面積の稲収量は、極めて少ない。しかし、水田のなかに畦畑を一定の間隔でつくり、新しい農法での有機農業経営にとりくんでいる。不可能であった野菜の商品作物栽培をはじめている。大変な重労働であるが、現金収入を得るために、新たなとりくみを先進的な農家を先頭にはじめているのである。
ナムディン省の海岸近くの農村はカソリック教徒が多いが、この村は仏教徒が多く、人口の2割がカソリック教徒である。社の村には、コミュニティーラーニングセンター(公民館)が1つ、幼稚園1つ、小学校1つ、中学校1つ、診療所1つと教育と医療施設は整備されている。診療所にはスタッフ7名(医師も含めて)、11ある各集落に看護婦を配属している。
診療所のいままでの役割は、食べ物がなかった時代に、とくに子供たちにどのように栄養をあたえていくということである。現在のように、食べ物が十分に供給される時代でも子どもの栄養状況には力を入れている。この社では、集落のまとまりと親族のまとまりが強いのも特徴で、親族ごとに祖先崇拝廟があり、社の全体では11の親族群になる。
この社の村人口は、8600名、世帯2650戸である。小学生が523名であり、毎年子ども
は100名から105名と生まれており、人口の自然増加もある村である。村の面積が750ヘクタールあるうち、水田面積が375ヘクタールで、米の単作地帯であった。米は、2回とっている。もみで年間に10アールで600キロである。年間の農家の平均的収入は250万ドンから300万ドンであり、農家の米以外の収入が大きな課題になっている。この課題に応えて、水田のなかに畦畑を一定の間隔につくって、あたらしい商品作物としての野菜つくりをはじめたのである。
米収入85%、野菜15%であったが、村の付加価値の高い作物や新たな産業づくりをしていくのが課題であると、社の村長は次の3つの施策を語る。高い商品価値をもっている野菜などをつくり、市場の開拓や流通の整備をすることである。キャベツやうり、菜種油、キュウリ、トマトなどをつくりはじめている。トマトは、食品加工会社と契約栽培をはじめたので有望な作物と期待していると村長の見方である。
今まで米だけの現金収入の生産だけであったので、農業は年間とおしての仕事ではなく、自給的な食糧生産と米の収入による家計補充的なものが多かった。村の青年たちは、ナムディン市へ木材家具、建設、繊維工場などに出稼ぎに行っている。 農業だけで生活できるようにと、野菜を中心に、付加価値の高い商品作物の栽培に力を入れて、農業で生計が自立できる目標をたてていると村長は語る。
水田畦畑農法は、水田のなかに水をはったままで一定間隔に畦をつくり、水田から畦になる高いところを畑として利用するという農法である。VACシステムの池の泥を畑の肥料にすることから学んだものである。VACシステムの自給用の畑は庭のなかの小規模のものであるが、水田畦畑の農法は、畑の規模が大きく、ため池の泥を畑にかける労働とは、根本的に異なる重労働である。水田の泥上の栄養分を畦にかけて、有機農業をするという厳しい労働の農法である。
畑だけの畑と水田のなかでの畦畑の違いは、病気が少なく、肥料も節約できる。野菜の根は米づくりの土地をよくする。水田の土地は野菜つくりによい。水田畦畑の最大の問題点は、過重な労働が伴うことである。水田畦畑は一回は水田に戻す。360平方メートルに8畦、一つの畦が30センチの畑になる。4名の労働で2日間かかる。
例えば、H農家は3千平方メートルの農業経営で、一期作と2期作の間に野菜をつくる。水田畦畑方式で野菜づくりをはじめて農業経営は安定してきている。家族4人で大学3年の息子にも仕送りをしている。下は12才の息子である。大学で勉強しても農業経営にとって、意味がないと思っていたが、息子は、親と一緒に農業をすると言っている。息子は勉強して農産物を取引する会社をつくって、この地域の農家に貢献すると考えている。米づくりだけでは農家は生活できなくなっている。
これからは付加価値の高い農産物や加工品をつくるということで、大学での勉強も必要と思うようになっていると農民は語る。さらに、米づくりから換金作物だけの農業経営も考えているが、現在のところ確信がもてない状況であるとH農家は語る。キャベツは年間2回つくっている。360平方メートルでおおよそ1200個の生産である。7月から9月のキャベツの生産で難しいのは、虫が多い、雨が多いということで、うまく育てることに工夫がいる。
自然状態では水の排水ができない。ポンプで水をださなければならない。このため余分な経費がかかる。ポンプは借りなければならない。葉を強くする肥料を使用して、虫よけの農薬をまかねばならない。1200個つくるが収穫は夏場は1000個ぐらいになる。なたね油になる農作物は、手間もあまり必要はないので人件費はかからない。1000平方メートル栽培している。40キロ収穫できる。この方法は、コストがかからなくてできる作物である。
トマトは720平方メートル栽培し、1回の生産で3000キロとれる。うりは360平方メートルで700キロ生産、昨年は1000キロ。キュウリ360平方メートルで1000キロの収穫である。豆200平方メートルの栽培で1000キロの収穫である。収穫したものをいつ売るのか、収穫時期をいつにするのかということは農業収入に大きく影響する。
例えば、うりの場合に、1月のはじめのときよりも、テト(日本の旧正月だがベトナムでは盛大に正月として祝う)が過ぎた頃は3倍の値段がつく。出荷の時期を工夫しての栽培も必要であるが、自給自足を基本にしているので、それがすべてではない。
出荷のルートも難しい問題である。すべて野菜などの換金作物は仲買商人をとおして買ってもらっている。仲買人は村の人でないので、農産物価格も農家の思ったとおりに売れない。10キロ先からトラックをもっている人がやってくる。また、南からトラックが来て、買いにくることもある。仲買人をとおして南の業者が買いにくることもある。6つの業者と取引をこの村の人は行っている。今の仲買人は農家の気持ちをよくくんでくれるが、その人が経営的にうまくいかなくなったら困るので、次の仲買人も考えている。
将来的には、村の仲間から仲買をやれる人をだした方がよい。現状では無理な状況であるとH農家は語る。5年前はキャベツを植える人は多かったが、現在は少なくなっている。労働がきつい割には高く売れない。野菜つくりはうまくいかない農家も多く、失敗するリスクもあるのでなかなか増えていかない。米づくりだけでは生活していくことができない。畑作で換金作物をつくることが必要である。このことは村の人は共通に理解しているが、なかなかできないのが現状である。社の村当局も余剰労働力対策として、換金農産物だけではなく、豚の飼育、水産物の養殖、機織りなどの施策を模索している。また、村に豊富にある葛の加工利用も考えている。
(3)農村女性の地域興しの学び
社の婦人会の会長は、村全体どうしたら幸福な家庭ができるのか。婦人たち自身も家庭の経済を向上していこうと、豚の飼育に力を入れている。豚は1頭につき100万ドンで売れる。婦人部として、専門の豚飼育の勉強をして、近所同士で情報交換をして学んでいる。
ここには、農業技術者の専門家も派遣されて、豚の出産や飼育管理を農家の女性たちが熱心に学んでいるのである。農家では2頭くらい飼育するのが一般であるけれども専門的に豚の飼育を家族全員でとりくんでいる農家も生まれている。50頭または100頭という飼育農家で豚専業農家が生まれているのである。婦人部のなかに農業専門の勉強会も豚を中心に定着しているのである。
婦人部は学習を中心に活動を展開している。社の村には地域共同学習センター・コミュニティラーニングセンター(公民館)があり、社の副村長が責任者になり、9名のスタッフで農業技術の勉強、文化・芸能の継承、演劇活動、栄養や保健衛生活動、子育て活動などの勉強をしている。
婦人部はよく学び、良く働き、よい家庭をつくるということで活動をしている。そして、男女平等にすることが農村の婦人部の活動で大切として、家庭の幸福になるための経済をどうしたら確保できるのか。さらに、子どもの権利を保障し、婦人や子どもの健康を維持し、増進していくために教師を招いて学習を積極的に展開している。毎月1回は社全体の婦人会の活動を実施して、11の集落ごとに独自の活動を行っている。3月8日は国際婦人デーであり、女性の権利の問題について考える日を設けている。ベトナム婦人連盟の日として、10月20日に女性の権利問題について、独自に設定している。3ケ月に1回は夫も同伴して学ぶことを習慣づけている。
以上のように、この社の村では家庭の幸福をどうしたら確保できるのか、子どもの未来をどのようにして保障していくのかという課題を積極的にとりあげているのである。このなかで、村の経済の問題が大きな位置を占めているのである。
婦人会の活動は、地域のなかで大きな役割を果たしている。同じ海岸線の紅河デルタにおけるザオスァン村の婦人会活動も活発に地域の貧困者などの援助をしている。ザオスァン村は、紅河デルタ地域の海岸線にある村で、10キロ以上にわたって 広大にひろがる砂浜にはまぐりの養殖をしているところである。その面積は、1300ヘクタールにおよぶ。はまぐり養殖世帯は700世帯(1グループ3世帯が平均的姿)をかぞえているが、すべてが安定した生活をしているとは限らない。はまぐりの稚貝を拾って生計をたてている農家も少なくない。
実際に、成功者は少数にすぎないが、はまぐりや海老の養殖によって、村のなかに立派な住宅がたっている。はまぐりや海老の養殖に対する村人の期待は大きい。村のなかでは、貝の養殖技術の研究を盛んにやっている水産業者もいる。
ここは、 1万人の人口を有する社である。村あげてはまぐりや海老の養殖に地域経済の活路を開こうとしているところである。従前は、水田地帯で海岸線があることから、塩害も多く、地力もよくないことから、農業生産力も低く、昔から貧しい地域であった。
村には立派なカソリックの教会があり、信仰のあつい地域でもある。カソリックと仏教が村のなかに共存している。貧しい地域であることから、お互いに助け合う習慣が強くあるところである。人工的な運河や堤防をつくって、不毛な土地を開墾して人が移り住んできたところで、村の歴史も浅くディンなどの文化も弱い地域である。
ベトナムの紅川デルタ地帯のナムディン地方は、フランスの植民地形成がいち早くされたところである。フランスが入ってくる以前からカソリックの普及がある地域である。現在では、立派な教会が農村に多い地域である。ここでは、教会とお寺、ディン、媽祖信仰が共存しているところである。多様な文化的価値観が地域に包含している貧しい地域である。
ここでの婦人会活動は、貧困者の支援に力点を置きながら活動を展開している。婦人会の組織は、集落ごとにあるが、全員が入っているわけではない。10集落全体で70名ほどである。1年間6千ドン、入会金5万ドンをとっている。若い人は出稼ぎが多い。農閑期に短期間でハノイに働きにいくものも多い。なかなか、婦人会の会員に入ってもらうのも難しい。女性は、農業とはまぐりの養殖の仕事についている。
貧しい家族への支援は、2000ドン、3000千ドン、5000千ドンと各世帯から寄付金を集
めている。子どもの祭りは村としての大切な行事であるので、貧しい世帯を除き、各世帯から現金2000ドンまたは、お米の寄付によって資金にしている。
町村行政の社の段階で、地域発展の勉強をしているが、はまぐりと伝統工芸の竹細工に期待をかけている。はまぐり経営で成功している世帯は、20世帯程度である。多くの村民は、そのはまぐり経営に雇われたり、はまぐりの稚貝をとったりして農業収入の補完をしている。村の運河は、泥が堆積しているが、それを取り除くことは現在していない。運河改造計画はあるが、具体化していない状況である。
マングロープを有する国立公園が近くにあることもあり、グリーンツーリズムとしての実験が一部の農家でとりくんでいる。しかし、村のグリーンツーリズムの環境整備はこれからである。グリーンツーリズムをとりくむ個々の農家がトイレなどを改造して外国人が泊まれるようにしているが、家全体は昔ながらで、そのままである。このことが昔ながら村の生活を楽しむことになっている。ところが、グリーンツーリズムは、集落ぐるみのとりくみになっていない。
大家族の家が多く、兄弟家族が同じ屋敷のなかで生活しており、家族共同体の屋敷を基礎に地縁としての集落が形成されている。集落は、婦人会なども全世帯が加入している状況ではなく、集落の構成員からすれば、婦人会の地縁的活動をしているのは、一部である。海岸線の開墾地域であることから、強い共同体的な絆も弱く、貧しいということによって、カソリックの教会の活動は活発に行われているが、地縁組織の加入も極めて少なくなっているのが現状である。
貧しい地域であったので、自給自足的に生活できるVACの運動は、盛んであった。自分の家の庭には、池を掘り、自給的な魚を飼って、庭には、果樹を植え、自宅の近くの畑には、自給的な野菜を植えて生活してきたのである。
(4)ナムディン市の近郊農村のVAC運動
ナムディン市近郊のVAC運動は、商品経済の展開が積極的に行われている。ナムディン市の近郊農村でもVAC運動が伝統的に行われていた。自給的な池から魚を積極的に販売して、現金収入を得る農家もある。ナムチック県ネムクオン村のダオさんは、30年まえに結婚して農業をはじめたが、奥ゆき3メートル間口4メートルほどの小さな家で生活をはじめている。今は、その家を納屋として使用している。
自分で池を掘り、果樹を植え、鶏や豚を飼う自給的な生活のスタイルは維持しながら、池を大きくして、安定した収入の農家経済を確立している。池で魚を飼っていることは、全くえさ代はかからない。豚も10頭ほど飼っていたが、病気がでるようになったので最近は止めている。この代わりに2頭の子牛を飼っている。魚は、市場にもっていくだけではなく、自分で行商して売っている。
この農家は、最近2年かけて、自分の家を全面改装している。まずは、最初は、妻が台所で座って調理をしていたのを、立って楽に調理ができるようにガスレンジをつけることから改造した。同時に、トイレを水洗にしたのである。二階建ての家は、将来、息子達が結婚して住めるように改造したのである。長男はロシアに5年間出稼ぎにいっていたが、帰ってきて、日本語の勉強をして、地元で入ってきたばかりの日系企業に勤めるのを楽しみにしている。VAC運動によって、基本的に生きていくための食糧は確保できるとして、当面、長男に日本語の勉強をしているのである。
近くのBさんは、夫婦二人で池を掘って、自給の魚を飼っている。果樹を植えて、庭の畑に野菜をつくって、米は自給程度作っている。現金収入は、注文制の家具職人として得ている。自分の家でつくるのではなく、道具を注文した家に持っていって、家具をつくるという形態である。この地方では、このような家具職人で働いている形態が多かった。
近くで2年間かけて、正月用のキンカンを育てた農家は、徹底した有機農業にこだわった。ピーナツ畑の残滓を集めて、それを発酵させて、キンカンのための土作りをした。発酵させるために、ベトナム人がかつて、やっていた家畜の糞や池の泥をまぜて発酵させた。そのときに、発酵のために空気の出入りをよくするために、竹をしいた。土づくりの工夫によって、キンカンの成績をあげることができたのである。
現在は、キンカン収入を元手にアヒルを1千羽かっている。有機農業でキンカンを育てることは、体力がいる仕事で、ずっと続けられる仕事ではないと今はあきらめて、アヒルを飼うことに転化している。アヒルを飼うことによって、田んぼのネズミの被害が全くなくなった。アヒルを飼う以前は、農家は、ネズミの被害に悩んでいたのである。米の収穫のときは、田んぼにもみがたくさんおちる。それをアヒルが食べるのである。
米の収穫は、年に2回あるので、このときは、アヒルは大きくなる。アヒルは、年に4回とれるが、後の2回は3分の1から2分の1程度の太りである。自然をよく観察して、ネズミの駆除や堆肥づくりなどで有効に作物を育て、金のかからない農業をすることも大切であると力説していたのである。
ベトナムのVACシステムは、家庭菜園や果樹、池での魚の養殖、家畜小屋による鶏や豚などの家畜飼育ということを基本にしているが、これは、伝統的なベトナムの農民の自給的な生活を大切にしながら、近代化していくという考えで、地域の文化や土地の条件によって確立されるものではない。山岳の少数民族のVACシステムの確立には、家庭菜園と同時に、果樹や茶の役割を積極的に位置づけたのである。そして、以前あった土着の木を村の道路などに植林したのである。池を掘るのは、その後であった。
家畜がふえている現代のVACシステムでは、バイオマスエネルギーの活用を積極的にしているのである。紅河デルタ地域を基盤にはじまったVACシステムは、地域の状況、農家経済によって、多様性をもって発展しているのである。
2,ベトナムの新農村建設計画運動
(1)2020年工業国の目標での農村生活の格差解消運動
ベトナムは新農村建設運動を始めてから2013年で3年になる。新農村計画建設運動は、
第10回共産党大会第7回共産党中央委員会の総会で決議される。それは、2010年の農業、農民、農村の発展に関する政策である。この決議は、全国の農村で展開している。農村の総合的な施策であり、とくに都市との格差是正や農村の貧困克服の施策はもちろんのこと、これに加えて、新たに農村住民の生活質の向上ということで、非農業部門の雇用の促進、住環境の整備、環境保護政策に力を入れたことである。
農業政策と同時に、農村での非農業分野の住民混住を考えての農村の生活向上の整備施策である。これは、従前の農村の施策からみるならば、大きな転換である。それは、都市への人口の流出を抑制する兼業化や混住化の施策でもあり、農村における積極的な雇用政策を推進することである。日本の町村にあたる範囲の社の人民委員会レベルで新農村建設をしていこうとする施策である。
新農村建設運動では、職業訓練や農業技術普及が、大きな課題になっていく。それは、農村における潜在的な失業人口を新しい工業化施策のなかで、雇用労働力として、吸収して、経済的な豊かな生活をおくれるようにする施策である。都市に潜在的な過剰人口を吸収するのではなく、農村の生活を維持しての工業の労働力人口として吸収していこうとするものである。
第11回の共産党大会は、2011年に開催された。この共産党大会で、ベトナムは、2020
年までに工業国に転換していくと宣言をした。この工業化の促進のなかで新農村建設運動が確認された。それは、農村において、工業区、工芸村、小工業の発展による雇用促進政策をしていくことである。新農村建設運動は、2020年の工業国というベトナムの大きな国の目標にそった農村の経済政策でもある。新農村建設にとっては、経済活動及び生産組織の整備は、大きな課題である。
どのようにして、豊かな農村をつくっていくのか。この問題の基礎は、農村の経済的豊かさをどのようにつくりあげていくのかということである。新農村建設運動は、潜在的な過剰人口の農村住民をそのまま農村に住んでもらうためにも、農村の雇用政策が大切なのである。雇用政策を充実していくために、農村の地域の経済を活性化し、農村生活を豊かにしていく大きな目標が必要である。
潜在的な過剰人口は、出稼ぎではなく、多くの農村住民の定住化を考えている。このためには、農村での雇用と生活環境整備が大きな課題である。農村の社会的なインフラ整備、教育、医療、文化施設、環境問題解決の整備は、農村の生活環境を豊かにしていくことになる。
さらに、農村の治安の良さや生活扶助の機能は従前からもっていた社会的システムであり、これを維持していくためにも、近代化により拝金主義が農村にもはびこっていかないために、農村の政治システムの環境整備も新たに求められてくるのである。工業化の発展は、都市と農村の格差を生み、農村人口の減少と大都市への人口集中が起きるのが、一般的である。ベトナムの工業化は、この矛盾に挑戦し、豊かな農村生活により、均衡ある地域発展を目標としたのである。
ベトナムの新農村建設の運動では、パイロットモデル社を2009年から2011年まで11ヶ
所設定した。そのひとつのナムディン省のハイドオン社は、集落が自主的に住民参加方式でVACシステムを現代的に生かしていこうとした農村建設運動が、省全体に評価され、全国のパイロット地区に指定されたのである。そして、その運動が社全体にはじまったのである。農村建設の運動は、農民の日常的な生活レベルからの住民参加の方式ではじまったとする。
この社の人口は、1万4千人で集落は26ある。一人当たりの耕作利用の土地面積は、504平方メートル、1世帯平均が4名であるので、2000平方メートルと極めて零細な農業経営になる。この社は、小学校2つ、中学校2つ、幼稚園一つ、診療所2つとなっている。この地域は、VACシステムを積極的に取り入れている。VACシステムによって、自給自足ができているので、食べていくための生活は困らないが、現金収入については、今後大いに工夫していかねば豊かな生活は保障されない。
今まで現金収入の主なものは、年2回の米生産からの収入であったが、これでは、生活していくには難しいので、積極的に果樹や家畜の生産を拡大して、個々の家の経済を支えようとしている。VACシステムであった分野を、農家ごとに工夫して商品生産に取り組んでいるのである。どの農家も単作での商品生産ではなく、複合的に経営をしながら、商品生産の工夫をしているのが特徴である。そこでは、果樹を植えたり、豚の頭数を増やしたりして、商品価値の高い農業の工夫をしている。どうしたら商品価値の農産物を村人みんなで考えていくのかが大きな課題である。
新農村建設の運動は、各農村での農業組織や農民組織の役割が大きい。ベトナムの全国農民協会とベトナム政府農村開発計画の部局とは積極的な連携活動を行っているのである。また、農業協同組合の地域での役割を積極的に提唱しているのである。
農民運動としては、農民自身が自己の権利として、自発的に農村建設運動に参加していくという農村住民の参画をねらいとするものである。2013年7月にハノイで行われていた第6回ベトナム農民協会全国代表大会があった。グェン・コク・クォン会長は「協会は新農村作り運動への参加は極めて重要な任務であることを十分に認識している。我々は各省庁と地方行政府と協力して、インフラ整備及び農村部企画を指導し、参加していく。農民協会の役割は日々に高まっている。今後、我が協会は新農村作りにより積極的に参加してゆくことを確信する」と述べている。
農業・農村開発省とナムディン省青年連合は協力プログラム署名している。新農村の建設期間に若いボランティアの参画が有効に機能させるためである。双方は、3つの重要な問題に、実施の約束をした。情報通信意識の教化、科学技術の進歩、製造技術とビジネスの発展のプログラムである。
このプログラムが締結した後、農業農村開発省は、学科単位で人気のあるプログラムを開催する約束をした。産業界と直接連携して農業、農村単位でプログラムやプロジェクトに積極的に参加するというものである。農業における科学技術と新しい研究の農村開発に若者の参加を奨励することであった。
地方で、若者による農業と農村開発のサポート組をつくる。 生産支援、専門的能力の開発、貧しい地域での農業や漁業の生産安定と発展、農業、林業、漁業製品の加工、販売に関連した若者のリーダーの育成である。このリーダー育成のためには、文化的な生活、農村部の若者の能力を向上させることである。特に貧しい農村地域の建設、インフラ整備に参加する活動の組織化に重点を置くものである。
貧困率を下げていく鍵は、潜在的な失業人口の解消である。このために農村労働力を新しく雇用させていく産業開発をすることである。地元の産業に焦点をあてての研修プログラムが必要であり、伝統的な産業発展の育成もそのひとつのである。 若い人たちのための就職を確保することは大切なことである。村にいる子どもたちや青年たちに、職業訓練センター、産業振興センター、ビジネストレーニングコースを積極的につくっていく必要性を提起している。
政策融資は貧困世帯のために銀行や社会政策の組織になる。貧困世帯は無料で職業訓練を受けることができる。以上のような内容で、農務省・農業・農村開発省とナムディン青年連合との協力プログラムの約束をしたのである。農村における若者の新たな視点からの起業創出、職業訓練などの能力開発の役割を重視した施策である。
農村を実際に豊かにしていく問題は、この施策をどのように具体的に実現していくのか、それぞれの社レベルにおいて、若者の地域リーダーとしての役割が発揮できる体制ができるのかということである。このためには、社レベルでの共同学習センターの内容的な充実や継続教育センターの役割が必要である。そして、様々な農村開発機関では、若者を重視した教育を充実していくことが大切になっている。
坂田正三は、「ベトナムの農業・農村開発政策-2008年の政策転換と第11回党大会で示された方向性-」という論攷では、従前の農地の集約、工業作物栽培の拡大、先進技術の応用、高度技術農業区の建設、農民組織の強化に加えて、新たに、食糧安全保障としてのコメ生産面積の維持ということから非農業部門への労働転換を促す農民の職業訓練の奨励施策を出したとする。農民が工業、サービス部門に転換する条件整備、農村発展と都市発展と居住地域の配置を計画など農村の包括的発展を目指す施策がもられたとする。
農業分野の全労働に占める比率は、30~35%、GDPに占める農業比率15%、都市化比率45%、貧困化率年平均1.5%~2%に減少という目標をたてている。ベトナムは、2020年までに工業国にする目標を第11回共産党大会は、決議したが、2011年から2020年までの社会経済開発の基本戦略は、環境保護の緑の経済を発展することが強調されている。
「経済発展を環境保護と結び、緑の経済を発展させる。幅広い発展の成長モデルを幅と深さの均等な発展の成長モデルに移転し、規模を拡大しながら、質・効率の向上を重視する。・・・農業は近代的、効果的、持続可能で高い付加価値を持つ商品が多くある方向で発展する。新農村の開発は、都市開発及び居住地の配置に伴って農村の開発計画する。環境保全を配慮しながら工業、サービス業、職業村を開発する。それぞれの段階において具体的で着実な段階に沿って、地域の特徴に応じて新農村の開発事業を展開する。ベトナムの農村の独自な文化を保存する。農村のインフラ整備を促進する。中小企業や数多くの労働者を雇用する企業の投資をはじめ、農業及び農村への全ての投資を生かせるために便利な環境をつくりだす。農村で年間百万人を対象とした職業訓練計画を効果的に実施する」(JETRO訳)。
また、坂田正三は、新農村建設の施策は、いくつかの問題点があると指摘する。全国一律の指標を定めて全国7地域という大きな単位で統一された達成基準を設定するアプローチが有効性をもつものであるのか。同じブロックに属するなかでもタイグエン省のベトナム最大の製鉄所があり、非農業雇用機会の多い地域と、ライチャウ省のようにベトナム最貧困があり、同じ省内でも都市近郊と山奥の社と同じ基準で目標をたてることが合理性を欠いている。
新農村建設の基準を達成された社には、なんの国からの特典もなく、自助努力を剥ぐ結果となりかねない。社が基準に達するまでプログラムの対象となり、国家予算から支援が与えられることになれば、新農村に認定されずにいる方が社にとっての利益が大きいからである。さらに、今後新農村建設がインフラ建設事業に偏重することになれば、非効率な公共事業プログラムに堕ちてしまう可能性があると指摘している。
この指摘は、新農村建設の目標がなんであるのか。都市と農村の不均衡発展の是正から農村の人口流出を防ぎ、過疎過密の抑制をするために、農村生活の豊かさを実現しようとするならば、社の段階の状況にあわせて、柔軟に農村建設の達成基準を定めていくことが求められていることの指摘である。
しかし、都市と農村、山深い山村と、どこに住もうと平等に、ベトナム国民としての健康で文化的な豊かな生活を保障されるナショナルミニマムという視点も必要である。とくに、当初から、貧困地域を重点的に考えて、その独自の新農村建設が求められている。
新農村建設の施策を遂行していくうえで、問題になるのは、細かく達成基準を画一的に行政が査定していかないことである。むしろ、達成基準を評価していく行政のあり方が鋭くとわれているのではないか。この意味で新農村建設の真のならいを理解して、地域にあった達成の評価をしていく行政職員の能力が重要である。
(2)農村の豊かさを保障する19項目の課題
ベトナムの新農村建設運動は、19の課題目標をもっている。
第1の基本的な整備計画は、農業生産の発展に不可欠な土地利用計画や必要なインフラ整備である。そして、商業やサービス業の計画と農村の工業化の計画である。インフラ整備の計画は、地域の経済発展と新たに豊かな農村生活のための環境基準である。そして、よい文化的アイデンティティを維持して、文明的な住宅環境の改築である。
第2の課題目標は、交通である。道路の舗装の整備、雨期のときに、泥だらけになっていないか。清潔性がどうか。車走行性の利便性の整備。集落と集落の間の道路がどこまで舗装されるか。
第3に灌漑のシステムは、基本的に生産と生活の条件を満たすように整備されるように。水路の両側は護岸工事の整備が求められている。
第4は、電力網の整備であるが、電力会社から安全に定期的に電力が供給される世帯の割合の計画。電力の技術要件を確保するための安全な電力網の確保整備である。
第5は、国の基準にそって、保育園、幼稚園、小学校、中学校の整備である。その年齢層に対する就学率の目標計画になる。
第6が文化とスポーツ施設の充実の目標である。国の基準にそった文化と体育施設の充実の目標を定める必要がある。集落の段階の文化とスポーツ施設の充実の目標。
第7の農村市場は、国の基準にそって、それぞれに確保されているのか。その目標はどうなのか。
第8は、郵便局はあるのか。インターネットが各農家につながれているのか。その
目標はどうなっているのか。
第9は、貧困な住宅がどれだけあるのか。国の基準に達した住宅の割合の目標はどの程度に達成されているのか。
第10は、省全体一人あたりの平均の所得に比べて、社では、どの程度の所得の目標を設定しているのか。
第11は、貧困世帯の比率軽減の目標値はどうか。
第12は、農林水産業分野の就業率と労
働年齢人口の失業率の改善目標はどうなっているのか。
第13は、協同組合と協同組合のグループ活動が効果的になっているか。
第14は、教育の目標。普通教育がどれだけ普及しているのか。その目標はどうなっているのか。二次的、補完的、見習いなどの中学卒業後の継続教育割合はどうなっているのか。高校への進学率の割合は、どの程度になっているのか。職業訓練校、専門学校の割合の目標値はどうなっているのか。
第15は、医療保険の目標値はどうか。医療保険の加入率はどうなっているのか。国の基準による医療施設の割合はどうか。これらの目標値の設定をすることが求められる。
第16は、集落の70%以上に国の基準で定められた文化施設をもっているのか。その割合の目標値はどうか。
第17は、快適な生活のための環境基準はどうなっているのか。国の衛生基準を超えているきれいな水を使っている世帯の割合はどうなっているのか。その目標値はどうか。生産したり、経営したりしているところは、快適な生活を送るための環境保全の基準に達しているのか。開発、経済活動によって、環境汚染はないか。清潔で美しい環境が保たれているのか。墓地は計画どおり建設されているのか。環境汚染のない廃棄物、排水の処理は、整備されてるのか。
第18は、地域での社会的、政治的な組織はどうなっているのか。青年団、婦人会、農民会などの地域組織は健全に動いているのか。社の幹部が国の基準の学歴や資格にどれほど達しているのか。村のなかの地域組織団体は、国、省、県などの表彰にどれだけ受けているのか。
第19は、村の社会秩序が維持されているのか。
以上、多様な側面から農村振興のための建設計画の目標を提示している。とくに、国の基準に達しているのかというナショナルミニマムを基礎にして、それぞれの条件整備目標値をあげているのが特徴である。しかし、社の段階の新農村計画運動では、国の基準が実際の村の現状にあっていないという批判もある。村の道路の舗装や道路幅の問題は、地域的な特性があり、集落の段階になると、従前に利用してきた土地の権利問題と絡んで、非常に難しい問題にぶつかっていくのである。
新農村建設計画では、19の項目について、網羅的に村の振興計画をたてていくのか。文化や教育面に重点をおいて、村の振興計画をたてていくのか。力点のおきかた、村の振興計画の考え方によって、さらには、予算の問題も加わって、現場ではなかなか難しい問題があるのである。豊かな村づくり計画として、実行あるものにしていくには、社の段階から集落の段階まで降りていくことが必要であると、ナムディン省における社の多くの幹部は語る。このためには、村づくりの計画に、多くの住民が参加していくことであり、そのための学習が要求されているのである。
新農村建設は、2020年年までにベトナムの工業国家にしていくうえでの農村の位置を明確にしていくことが必要になっている。ベトナムの工業国家化によって、ベトナム農村が疲弊して、都市と農村の格差が拡大していけば、世界で高い幸福感をもっているベトナム国民の生活に大きなダメージを与えていく。経済の成長と均衡ある国土の発展、農村に住んでいても豊かな暮らしが保障されていくということは、都市への極端な人口流出を防ぐ意味でも、また、伝統的なベトナムの文化を維持し、発展していくうえでも大切なことである。
農村でのナショナルミニマムということで、一定の生活水準、暮らしの豊かな環境整備は大切な課題であり、これらを実現していくための雇用の安定、地域経済の発展は欠かせないのである。19の達成目標は、以上のようなことを基本的に考えていくことが求められているのである。
3,学校と継続教育、地域共同学習の重視によるVAC・新農村建設運動
(1)真の豊かさは拝金よりも知識の大切さ
1945年9月のハノイのバーディン広場に50万の市民の前で、ホーチミンは独立宣言をした。それ以降、 ベトナムでは、独立を確実なものにしていくには、いままでのフランスの愚民政策を一掃することであった。このために、小学校教育を重視した。国民が読み書きできるように、子どもから大人までも国民的運動として、識字教育を大切にしたのである。
ホーチミンの識字教育は、一般的な読み書きではなく、ベトナムの民族解放のために人びとが自立していくために学ぶためである。
ベトナムでは、古来より、金のいっぱいの壺は、知識の腹の半分ほどしか価値もないということわざがある。ベトナム民族の歴史は高い学習熱をもってきた。どんな村にも私塾があった。フランス人がやってきて、この学習熱の文化を破壊し、漢字の文化もなくしてしまった。昔のように子どもに漢字を教える風景はなくなったのである。漢字は、中国と日本をとおして、世界の進歩的な思想をもちこむのではないかとフランスはおそれた。
青年が自分の祖国の文化を学び、祖国の誇りをもたせることを禁止した。ベトナム人が海外の留学の考えをもつだけで、フランスの反逆とみなした。命の危険をおかして、ベトナム人は留学をこころみたのである。日本へのトンズー運動もそのひとつである。ベトナムの青年は、祖国の解放のために、留学をこころみたのである。決して、自己の拝金主義のために、留学をこころみたのではない。日本でもベトナム人の留学をささえたのは、アジア植民地支配からの解放のための援助である。ベトナム戦争のときでも成人に対する識字教育を積極的に展開した。このことは、国連の基準の最貧国であった最近まで、高い識字率をもってきたことに証明されている。
(2)ベトナム農山村漁村の経済発展と教育の質の向上
1994年のアメリカの経済封鎖が解かれることによって、急速にベトナムは経済発展を遂げていく。最貧国の脱出は、いち早く達成して、今日、東南アジアでも有数の経済発展の国として、日本をはじめ先進国の外資から導入が期待されている。識字教育の普及のときに、大きな役割を果たした農村文化補習施設は、その役割を終えて、末端の行政村の規模も拡大して、新たに、共同学習センター(公民館)としての機能に変わっている。
この公民館機能は、日本の村づくり運動と学習運動から学びとろうとしている。2005年の教育法改正によって、生涯学習の施設として、共同学習センターが入ったのである。しかし、日本などの先進国のODA援助によって、また、専門活動の指導がJAICAなどによって、共同学習センター(公民館・コミュニティラーニングセンター)の施設が利用されているが、それらは、ごく少数である。日本の戦後初期の村づくり運動は、公民館の施設が整備されていなくても青空公民館といわれた。施設ではなく、村人が集まって学習して、新しい村をつくっていこうとする努力が各地にみられた。ベトナムの共同学習センターの活動の動きは、戦後日本の農村における公民館運動に似ているところがある。
第11回共産党大会の「2011年から2020年の社会経済開発戦略」のなかで、教育を第1の国策として発展させることが次のように述べられている。
「人材、特に優秀な人材を育成し、その質を高めることは、経済構造の再編、成長形態の変化を促進するための決定的な要素及び長期的な競争の利点であり、経済社会の速くて効果的で持続可能な発展を保障する。・・・教育、訓練の質の向上に集中し、道徳、ライフスタイル、創造能力、実践スキル、起業能力の教育を重視する。標準化、近代化、社会化及び国際統合の指向でベトナムの教育を根本的かつ全面的に改善する。・・・幼稚園教育を拡大し、5歳までの幼児教育の普及を実施する。より高質で初等教育及び中等教育の普及を実施する。職業訓練及び専門教育を発展させ、その質を向上させる。全国の大学、短期大学のネットワークの計画を見直し、完成し、それを実現する。大学教育の質向上のため、各対策を同時に実施し、教育訓練機関の社会的責任の向上に伴って、その自主体制を保障する。質の高い最先端技術の学校、学部の設立に投資を優先する。
すべての学級における教育内容・プログラム、教育方法を改革する。2015年以降新しい中等教育プログラムを実施できるように積極的に準備を進める。外国語の教育を拡大し、その質を向上させる。政府は、投資を増加すると共に社会化を進め、社会全体に対し教育の発展に努めるように呼びかける。
貧困な地域、山岳地、少数民族の地域における教育を迅速に発展させ、その質を向上させる。奨学を促進し、能力を重視し、学習社会を構築する。遠隔地教育及びコミュニティ学習センターのシステムを拡大する。学習機会及び教育に関する社会政策をよく実現する」JETORA訳)。
人材養成の質を高めていくことは、長期的な面からの社会経済戦略の基本である持続可能の発展を保障していくというベトナム共産党の見方である。このために教育・訓練の質を集中して、創造能力、起業能力育成をはかるとしている。さらに、重要なことは、すべての国民、すべての地域で教育の質を高める施策を実施していくということである。このために、貧困な地域、山岳地、少数民族の教育の質を迅速に向上させることは急務としている。
ベトナム政府の教育の施策は、経済の成長、持続可能な発展のための人材養成という視点が強くでている。この人材養成は、単に経済発展のための適応主義的能力養成ではなく、創造力と起業能力をもった実践的なスキルや、新しいライフスタイルを求めているのである。
ベトナムは、環境保護のための緑の経済を発展させていくには、地域の自然生態系や自然循環型の最先端の技術習得と地域創造性、ライフスタイルのあり方、道徳性が不可欠である。このため、地域の自立の教育は、一般的な科学技術の習得、教科の学力ではなく、現実の生活や地域に即して、創造性をもてる科学的能力が求められているのである。
まさに、個人主義的な拝金主義や社会的な地位のみの出世第一主義の教育ではなく、ベトナムや地域の未来、そして、それが人類的に貢献するということでの道徳性を兼ね備えた科学的な能力の習得が必要ということを強調したのである。そこには、創造的な能力、実践的なスキル、起業家精神が強く求められていく。
遠隔地教育やコミュニティ学習センターのシステムを拡大していく方策は、貧困な山岳地の少数民族自立のための教育保障にとって極めて大切なことである。この教育には、経済的、文化的、社会的な地域の発展のための新農村建設やVACシステムの運動と結びついて、はじめて地域の豊かな暮らしのための学習になっていくのである。
2005年のベトナム教育法では、国民教育制度は、正規の教育と生涯教育からなるとして
いる(第4条)。そして、少数民族の教育を重視しているのも特徴である。「国は、少数民族が民族文化のアイデンティティを維持・発展させ、少数民族の生徒が学校およびその他の教育機関で容易に知識を身につけられるように、自らの話法と書法を学ぶ環境を整備する。少数民族の話法と書法の教育および学習は、政府の規定に基づいて実現される」(第7条)。
少数民族の教育の保障は、ユネスコ万人のための教育の精神からであり、すべての国民に等しく学習権を保障されているという理念から積極的に、少数民族、貧しい人々の学習援助の整備を法的に位置づけたのである。
「すべての公民は、民族、宗教、信仰、性別、出自、家庭、社会的地位あるいは経済状況によって差別されることなく、学習機会が等しく与えられる。国は教育において社会的公正を実現し、万人が学習できる状況づくりを行う。国と地方政府は、貧しい人々が学習できるように援助し、優秀な人材が才能を伸ばすため、国は少数民族の子女、および特別に困難な経済・社会状況にある地域の子女、優遇政策の対象者、身体障害者、傷病者、その他の社会政策の対象者に対し、優先的な教育条件を与えることにより、彼らが自ら学習する権利と義務を保障する」(第11条)。
ベトナムの教育法は、国民すべてに平等な学習権の保障をしているのである。社会的、経済的に学習機会が等しく保障されるように、国は社会的公正ということから特別の援助をする義務があることを強調しているのである。
そして、教育実施においては、国民的な参加ということから教育事業の社会化を強調しているも特徴である。このために、地域のあらゆる組織と学校との連携がうたわれているのである。
「国は教育事業の発展に重要な役割を果たし、学校の形態と教育の方式を多様化させ、公民の動員や組織化、および個人が教育活動の発展に参加することを奨励する。あらゆる組織、家庭、公民は、教育活動に配慮し、教育目標を達成するために学校と連携し、健全かつ安全な教育環境を作る責任を有する」(第12条)。
教育の実施における社会の役割を積極的に提起しているのである。教育実施における国民の参加の大切を強調している。とくに、あらゆる組織、家庭と学校との連携の重要性をあげている。学校は、社会との関係、地域での様々な組織との連携のもとに教育実践がされていくことを重視しているのである。
学校教育と並んで、生涯学習を万人の学習権として大切にしているのが、ベトナム教育法の特徴である。2005年の教育法では、生涯学習ということから、知識を広げて人格を高め、生活の質の改善、仕事をみつけ、仕事をつくりだすことをうたっている。
「生涯教育は、仕事をもつ人が誰でも、生涯にわたって教育を受けられるようにし、人格を完成させ、知識を広げ、学問・専門・職業上の水準を高めることを支援する。これにより、生活の質を改善し、仕事を見つけ、自分で仕事を創り出し、社会生活に適応することが求められる。政府は生涯教育を発展させ、万人が教育を受けられるようにし、学習社会を築く政策をとる(第44条)。
生涯学習を推進していくうえで、従前の学校教育機関が行うだけではなく、積極的に独自の生涯学習機関の役割を重視したことである。とくに、社レベルの共同学習センターを新たにベトナムの地域での生涯教育機関として位置づけたのである。
「生涯教育の機関は次のように構成される。 省レベルおよび県レベルで組織される生涯
教育センター。 村落単位で行われる共同学習センター。生涯教育のプログラムは、普通教育機関、職業教育機関、大学教育機関、マスメディアによっても実行される。大学教育機関が短大課程や大学の卒業証書を授与される生涯教育プログラムを実施するのは、地方の教育組織すなわち、大学・短大・中級職業学校・県レベルの生涯教育センターなどと連携する場合のみに認められる。また、地方の教育組織が短大・大学水準の教育を行うには、施設・設備・管理職に関する必要条件を満たさなければならない」(第46条)。
社の行政範域レベルの生涯学習機関に、共同学習センターが積極的に位置づけられたのである。このことは、地域づくりと学習の役割を結びつけるうえでも重要なことである。ベトナムでは、VACシステム運動や新農村建設運動でも、それぞれの村人が地縁組織や協同組合、農民会、婦人会、青年会、在郷軍人会などに集まって、村づくりをはじめているのが特徴である。それをリードしているのが、社の人民委員会であり、人民評議会であるのである。ここに、多くの住民が自発的に自らの地域の暮らしと文化を豊かにしたいと参加していくには、学習が欠かせないのである。
現実的に、独自に共同学習センター(公民館)の施設をもっているのは、ベトナム全土からみるならば、ごく少数であり、多くは、社(日本の町村範囲)の人民委員会の役所の会議室やホール、学校施設などを利用して、社の段階の、農民会、婦人会、青年会などの地縁組織の活動が行われているのが実態である。とくに、小学校の施設などを利用して地縁組織の活動が活発に行われている地域もめずらしくない。集落の段階では、文化会館などの集会施設があり、社の段階における共同学習センターにとって、地縁組織の活動基礎をつくっている。
とくに、婦人会の活動は、集落段階の活動が重要性をもっている。さらに、教育の専門の職員が配属されているのは、日本の郡段階にあたる県行政の枠組みである継続教育センターの教育施設である。このセンターは、日本でいわれるような青年教育、成人教育が活発に行われている。ベトナムの成人教育は、継続教育センターの役割が大きいのである。
ドイモイ政策を中心に実施したナムディン省出身のチュオン・チン(レズアン書記長死亡後の暫定書記長1986年12月第6回共産党大会新書記長グエン・バン・リンによって、正式にドイモイ政策宣言、1992年ドイモイ憲法制定・三権分立、ホーチミン思想の明確化)のふるさとであるスンチョン県スアンホン村では、村の図書館づくりや共同学習センターが必要であると、地域組織あげて、その建設運動にのりだしている。住民自身が自ら労働力を提供して、経費を施設の充実のために使おうとしているのである。
学びがあることに豊かな農村振興計画がつくられていくという確信からである。さらに、その振興計画を実践していくには、多くの人材が必要であるという認識からである。図書館建設と共同学習センター建設計画は、地域ぐるみで労働力を提供し、自分たちの考えで建設していくということである。
従前の共同学習センターは、日本のODAの援助でモデル的に建物が作られたものであるが、ここでは、日本の民間の篤志家による経済援助をベースに、自分たちの力で、自分たちの考えで施設を作り上げていくという基本姿勢である。先進国から学ぶべきことは学ぶが村の幹部の主体性が重要であるという認識である。
この社は、人口2万人と五千の世帯をかかえ、3つの小学校とひとつの中学校からなっている。また、幼稚園を建設したばかりである。1100ヘクタールの水田で、副業として養蚕をしていた。しかし、これだけでは、生活がなりたっていかず、多くは、ハノイやナムディン市に出稼ぎに行っている。かつては、麻の民芸品や麻のジュータンをつくり、東欧諸国に輸出していた。東欧諸国の社会主義体制の崩壊により、輸出先が激減し、1990年代の終わり頃に産業としてなりたたなくなった。
養蚕業は、川沿いなどで畑が豊かで、どこの農家もカイコを飼っていた。手づくりの製糸から染、織物までの伝統的な一貫生産があった。1000世帯がカイコの農家であったが、今は、100戸に激減している。これは、中国の影響で、安い中国製品によって、成り立たなくなっている。中国人がやってきて、今でもかいこをつくらないか、伝統織物をしないかという誘いがあるが、中国人との商売は、過去の歴史から難しい状況である。
国際市場に対応できる資金と技術を独自につくっていかねばならない。原料をつくるだけでは、今の時代では、産業としてなりたっていかない。売れるかどうかの見通しがないかぎりなかなか地域の産業奨励施策にならない。村としてもいろいろの産業づくりを考えた。
ユーカリも植えたが、五年間しかもたなかった。マラリヤのくすりになる植物をうえたが、三年間でだめになった。
どうすれば、出稼ぎをしなくて、村で生きていけるのか。真剣に考えていかねばならない時期である。このままでは、人口が減っていくばかりである。この困難のなかで、村の高齢者たちが、伝統的織物復活の試験研究が始まったのである。新農村建設運動は、村の産業づくりと教育に重点をおいて、展開していく予定である。新たに280ヘクタールの土地を造成する計画である。大河川の地域なので、堤防をつくって整理すればできる。村全体の区画整理事業も上から打診されているが、道路幅などで各世帯に与えられている農地の一部を公用にしなければならないので、集落段階でまとまっていかねば難しい。
新農村建設の計画は、社を基礎単位とした農村振興のプログラムである。豊かな農村で人々が暮らせるように幅広い分野で総合的な農村建設運動が必要である。区画整理事業で道路幅が拡がり、住宅地や役場関係の公用地が確保できるが、それだけでは、住民個々の収入が増えない。いまのままの農業生産形態では、村の個々の収入は増えない。1990年代の終わりまでは、麻の工芸品、ジュウタン作りで輸出商品が、この村にもあったが、現在では、全く消えて、再び農村工場が蘇る抜本的な村づくりが求められているのである。
新農村建設運動は、それぞれの分野で達成すべき国家の基準を定めて、その目標にそっていくものである。農村道路の建設、水利施設の補修、学校の改修、 電気網、雇用の創出、職業訓練の重視の施策である。都市と農村の経済格差をなくしていくには、農村での雇用促進であり、そのための教育訓練や技術普及の重要性をうたっているのである。
つまり、新農村建設運動では、従前の農業生産力向上と貧困撲滅ということだけではなく、積極的に農村での非農業部門の産業振興による雇用促進施策や農村住民の生活向上をうちだしていることである。そこでは、とりわけ、環境問題が起きないように配慮しながらの緑の経済という開発を考えている。そして、緑の経済は、地域の資源や特徴を大切にした農村開発を提起していくことが大切である。また、緑の経済による農村での労働者の定住、都市への人口流入を抑制するためには、豊かな文化的生活を送れるようにすることである。このために、ベトナムの農村文化を保持していく施策も欠かせない。
これらは、ESDという考えが大切であり、地域の環境教育と開発のための教育が不可欠である。新農村建設運動の理念を実現していくには、ESDの視点が大切なのである。そして、貧困克服や福利厚生を、特別に重視している。また、台風や洪水のためのプログラムを確実にしていくことが必要である。ベトナム北部のデルタ地域や海岸線は、その影響が特に受けやすいからである。
まとめ
本稿で扱ったESDの組織化とは、VACシステムを中心とする自然生態系を大切にしたベトナムの伝統的な生活である。市場経済によって、収入を高めて、貧困から脱出していくなかで、VACシステムも新たな段階をむかえている。
一部の地域では、規模拡大の農業が外国の商社等の資本との関係で進み、輸出農業として、農村を大きく変容させようとしている。農村の環境問題が大きくクローズアップしてきているのである。最貧国から脱したベトナムであるが、新たな環境問題が生み出されいるのである。
このようななかでVACシステムが、新たに市場経済との関係で見直されているのであ
る。VACシステムをより自然生態系、持続可能な地域の発展の生活文化との関係で理念化しようとしているのである。ここでは、地域住民の高度な自然科学的な知識、生態系を維持していく技術の高度化のための学習が求められているのである。地域でのバイオマスエネルギーの活用など、そのひとつの事例である。
この学習運動を組織していくのは、小学校と結びついた共同学習センターの役割が大きいのである。共同学習センターは、農民会、婦人会、青年会などの地縁組織と結びついて、学習の組織化が行われている。地縁組織は、伝統的な地域の共同体的性格の継承をもっているが、その基盤に共同学習センターをつくっているのである。
ベトナムでは、2005年の教育法の改正によって、村のなかにある共同学習センターを正式の教育施設として位置づけ、その役割を村における環境保全の緑経済発展との関係を重視したのである。
2010年からは、新農村建設運動をベトナム全土で展開しているが、これは、社という村の段階から、各種の組織の自発的な参加を考えたのである。国は、国民的なナショナルミニマムを定めて、それに達した村を新農村として認定して、全国各地に豊かな農村生活の環境整備を進めようとしているのである。
【注】
(1) 住村欣範編「ベトナムにおける栄養と食の安全」大阪大学グローバルコラボレーションセンター、96頁~97頁
(2) 前掲書、97頁~99頁参照
(3) 前掲書、100頁~104頁参照
(4) 前掲書、15頁~16頁
(5) http://permaculturewest.org.au/ipc6/ch06/vanman/index.htm:lSixth International
Permaculture Conference & Convergence Perth & Bridgetown, Western Australia
September 27 to October 7, 1996: Copyright Permaculture Association of Western
Australia Inc. and authors, 1997:Nguyen Van Man (Viet Nam) 「VAC And Permaculture
In Viet Nam」
(6) 辻一成「メコンデルタにおける農畜水複合経営の動向」アジ研ワールド・トレンドno.177 12頁~15頁参照
(7) 坂田正三「ベトナムの農業・農村開発政策ー2008年の政策転換と第11回党大会で示された方向性」寺本実編「転換期のベトナム 第11回党大会、工業国への新たな選択」
(8) ベトナム教育法2005年・訳 近田 政博

京都の亀岡市で開催された全国農業教育研究大会に参加していろいろのことを学ぶことができました。亀岡市は、京都の奥座敷と昔からいわれ、保津川下り、明智光秀の城下町として知られるところです。また、江戸時代の商人道徳石門心学(勤勉・倹約・正直)を築いた生誕地としても知られるところです。現代は、有機農業の里として、行政が取り組み、リサイクルに力を入れてごみをなくすことで、観光に力を入れているところです。
大会参加者は、農業高校の先生をはじめ、小学校から大学まで食農教育に関心をもつ人たち、農家の人、農村地域の住民、食と農に関わる企業人、行政職員と多様な層から参加者でした。
記念公演は京都大学の藤原達史教授の食と農から学ぶということで、食権力という視点から19世紀の産業革命から膨大な穀物市場形成、輸入依存の食生活を構造的につくりだしてことで、世界の穀物商社メジャーが金融資本と結びつい巨大港をつくりだした。そして、食権力を形成して、世界的規模で飢餓を作り出してきたことを話された。
さらに、この食権力に対抗する力が里を中心としたスロフード運動、地産地消運動ということで、地元のものから積極的に食べようとうことで、人間とかんきょうという原点にたって、ないもはないということで、地元にあるものを見直して地域づくりをしていくことが必要ではないかという問題提起でした。そして、よりよく楽しく、安心する囲いをつくり、そこで自由に地域で生きることの大切さの力説でした。

全体集会のパネリストは3人の登場でした。亀岡市の農林振興課の荒美大作氏、亀岡市で自然栽培を8年間している片本満大氏。福山三和小中一貫学校で元教師である吉田武彦氏のボランティアによるカリキュラムつくり、そして、その実践の報告でした。
荒見さんの報告は、なぜ亀岡市が有機農業なのか。人口85730人で、昔から京都に食材を提供するところであった。京都料理には欠かせない主要な農産物の生産地。しかし、農業就業人口は著しく減少しています。農業就業人口は2000千名です。92名の新規就農者の92名のうち39名が有機農業実践者です。学校給食も地産地消を展開しています。食育教育の素材には有機農業で実践しているということです。
片本さんは、元クロスライダーであった。怪我をして、35歳から農業をはじめ、有機農業8年目ということです。80種類の野菜を植えて、3棟のハウスで経営しているというのです。保津川の土手の草を提供してもらい、落ち葉で土づくりをして、肥料や農薬を使わない農業をしています。
販売はふるさと納税を使い、1年年間の定期便をしています。食農体験型学習として、学校給食に提供している食材の現場をみてもらっています。亀岡にはオーガニックの店がないのが現実です。学校給食をとおして、体験も含めて、地産地消の有機農業を知る大きな役割をしています。
福知山三和の小中一貫教育の学校で、地域教材のカリキュラムを自らつくり実践しているのが、吉田さんで元学校教師です。地域の歴史や養蚕、コメ作りを体験学習としてブランティアで教えています。
2006年には4400人いた人口が2025年には2881年になった人口減少地域です。しかし、移住者が増えているのも最近の特徴です。つまり、新しい子育てを求めて移住してくる親たちがいるのです。三和地区をまるごと地域博物館として、統合して廃校になった川合小学校跡地を利用して、三和創造学習を展開しているのです。
地域の中学生が自分たちでまとめて地域のことを情報発信しているのです。農具は昔のものを利用して、養蚕の器具も昔のものを探しだして、昔の養蚕の暮らし、かいこ、まゆからの生産過程など糸繰などの生活などを復元して、体験学習で子どもたちに郷土の歴史文化のすばらしさと未来への人間と自然との関係で、人間の暮らしの在り方を教えているのです。
この実践をとおして教育とはなにか。子育てとはなにか。自立とはにかということをあらためて問いているといのです。受験戦争という厳しい競争主義に対する対抗の実践であると吉田さんは語るのです。
翌日の分科会は食農教育に参加しました。栄養教員の2本の報告と、企業関係者から2本の報告と、神田の教職原理科目(教員免許必修)での農業や農村の役割を教育思想からひも解いていく講義しているおとを報告した。神田の「農は脳とひとをよくするー子どもの発達と地域」のテキストを紹介しながら。
栄養教員の報告は、京都市の早田江美氏の学校給食として、地場産のものを使用、手作りの料理の奨励ということです。また、給食をとおして、心を育むということで、給食献立の日めくりカレンダーをだして、だしのうまみ、季節感と旬の味、伝統食を大切にした食の教育を実施しているということです。地場産の食材は国産の小麦、京都府内の米使用、京野菜、京北みそ、京都三代つけものを使用しているということです。そして、米粉にこだわりの立ち上げをして、小麦からの脱皮を考えているということです。
同じ京都市からの元栄養教員の中野道子氏からは、心と体を育む食育教育として、教育の側面を前面にだしながら、何を食べるのかということで、安全、健康維持・適正栄養で楽しめる、旬や食文化、国産・地元産・栽培した食材で手作り、食糧自給率などの食育の教育課題を積極的に提示したものでした。そして、どのように食べるかということで、搬送に時間をかけずに、調理の姿や食の背景を感じ、食べることでの自治的活動を育てる、人とのつながり味わいと食事観、計画的・系統的な学びということ。
味わうことで知覚の発達、五感で味わう体験、人とのつながりという食事観の形成がきわめて大切と強調したのでした。また、建前から体にいいよ、旬の味だよ、栄養が大切という教育などから食べたくない、食べさせられたという屈服観を問題のある教育としています。
現代の学校給食は、 それぞれの学校ではなく、給食センターという集中化と効率性になっています。また、栄養教員も各学校に配置していることもない状況です。このことは、子どもたちの直接的に身近に食材との関係を体験し、調理にふれながら日常的に食育教育を実践することが難しくなっている現状があるのです。
子どもの食をめぐる状況も、摂食不安という食事行動に異常がでていたり、偏食になったりする傾向も増えているというのです。また、思春期やせも生まれているというのです。思春期やさは、死亡にもつながり、回復が長期になるというのです。最近は小児期の発症が急増しているということです。
これらは、子どもの実態に対応したきめのこまかい学校の食育教育の重要な課題となっているのです。つまり、摂食指導や思春期やさ問題の支援も大切な教育課題となっているというのです。ここでは、栄養教員と、各教職員との連携が大切ということなのです。
玄米給食を学校給食に提供している塩の製造の企業家の平川善博氏の報告でした。大阪南部の岸和田市をはじめとする自治体では、学校給食に玄米食を提供しているということです。いかにして、白米よりもおいしく食べることができるのか。この工夫を陽水塩を使用して、長年に積み重ねて、ついに学校給食に提供することができたということです。くすりやサプリメント依存症からの脱皮ということで、医学的にも追跡調査をしているということです。食べるということは生命を維持して、味覚を形成して、楽しさをつくっていくということで、加工食品では味あうことのできない豊かな文化をもつことができるという報告でした。
学校給食に食器類等をだしている企業の営業マンが、学校に出向いていくなかで出前授業をしているという海老原誠治氏の報告でした。現代のイノシシ、シカ、クマなどの獣害被害をどう考えるかという問題提起です。近代以前は、それらを広く食べていたことを考える必要があるのではないかということです。シビエ料理とよばれていたというのです。山の神とは、なにか。イノシシは、山の神から贈られたものではないか。近代のことばでありますが、いただきますということで、まさに自然界の命をいただくという行為であるのです。人間は自然での命との関係で野生動物との関係で精神的なジレンマをもっていたのです。それが、イノシシやシカの命を供養する文化が山村ではあったということです。これらの具体的事例を学校での教材にしていくことが必要とするのです。人間と自然との関係で、食は自然の神からの贈り物として、畏怖していくというのです。
社会教育主事・社会教育士の人材養成について考える

はじめに
社会教育学会の全国研究大会が鹿児島大学でありました。初日の全体会集会は、社会教育主事の専門職と、その人材養成についてのシンポジュウムの報告がありました。鹿児島大学からの報告は、社会教育主事養成課程の教育実践報告という趣旨で、養成課程で学んでいる学生2名からの報告と、日置市の市長とかごしま県民大学中央センターの報告でした。 鹿児島大学の学会員の研究者からは、鹿児島県派遣社会教育報告になりました。
この企画は、人材養成課程で学んでいる学生と社会教育実践の現場、研究者ということで、開催大学としての特徴を出すねらいでした。
全国からは、社会教育専門職についての研究する学会員と文部科学省の担当者からのコメントがありました。
社会教育学会での全体研究集会は、大きく変わった社会教育人材養成についての討議でしたが、この議論を正確に理解するために、文部科学省の社会教育・生涯学習の施策が具体的にどのように変わったのかということを理解することが必要だと考えて、その内容とコメントを最初にのべたいと思います。

2020年により従前の社会教育主事の任用用件の大学等社会教育養成の単位認定と社会教育主事講習での単位の認定の修了者に、社会教育士の称号を付与することになりました。この措置は、現代の日本社会において、社会教育行政の分野ばかりではなく、地域での福祉や地域づくり、起業おこしなど多様なニーズの学習要求の高まりに対応することと、社会教育専門職の充実としての社会的認知を一層に広め、実践していくことの一環でもあります。
これは、教育委員会での社会教育主事の配置ということだけではなく、市町村行政での住民の暮らしのための学びや地域での協同組合、非営利団体などの学び合い、企業における社員参加経営での学び合いなどから、社会教育の専門職のニーズの高まりのなかで起きたことです。社会経済構造の大きな時代的な変化による結果でもあります。
従前の地域コミュニティティ、自治組織、職場での労働組合の崩壊現象があります。このことによって、人々の孤立と地域での従前にあった支え合いの崩壊も進んでいます。人々は日常的な結びつきが薄くなり、マスという大衆化現象のなかで、マスコミやSNSに支配されやすい状況がつくりだされています。
まさに、政治的みれば、ポピリズム現象です。嘘や偽善がまかりとって多くの人々が感情や宣伝に流されて個々の自由な理性の判断がきかない社会への傾向が生まれているのです。いわゆる民主主義の危機でもあるのです。社会的に理性が働いていかねば民主主義は、実現していかないのです。
また、公共的な機関が利益中心的な新自由主義による民営化の改革によって、市町村の公の事業も大きな変化が生まれているのです。資本主義的な市場競争のなかで生まれた社会的矛盾を克服していこうとする社会権の人権が崩され、そのための公共性も大きく崩されていく現象があるのです。この結果、弱肉強食の競争社会で成果主義が煽られ、立身出世や金銭欲がとかく支配していくのです。
このなかで、為政者の金権支配も起きています。いわゆる政治とカネの問題です。日本国憲法での平和主義、主権在民、自由と民主主義、基本的人権の尊重には、人々の主体的な学びが大きな課題になっているのです。
日本国憲法26条では、すべての国民が能力に応じてひとしく教育を受ける権利をもっていることが明示されています。日本国憲法23条では、学問の自由を保障を規定しています。
生涯において、学ぶことは、一人一人の国民の権利です。そして、それは、人間らしく豊かに文化的に自由に生きるための保障でもあるのです。学びとは、為政者による教化啓蒙や為政者の施策遂行のためのでは決してないのです。
戦前の軍国主義時代の反省から国家総動員による国民教化主義に流された社会教育からの反省を繰り返し社会教育行政の実践は深く心に刻む必要があるのです。とくに、教育行政の在り方や一般行政における施策遂行ということからの学びということで、国民の基本的な教育権や学問の自由の権利を決して忘れてはならないのです。
教育基本法第3条に「国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現をはからねばならない」としているのです。
ところで、現代は、地域で暮らす人々の新たな下からの学びの動きや、協同組合による新たな市場化による学び、新たな社員全員参加の経営の在り方としてのアメーバー経営、社長と社員と共に育つ中小企業での人間経営、働く人たちが出資しての事業活動を行う労働者協同組合などが生まれています。
これらのように、主体的な学びを不可欠する社会経済的活動が活発に起きているのです。これらの時代的背景を直視しての社会教育の専門性の在り方、社会教育の人材養成を考えていくことが必要なのです。
令和6年6月の中央教育審議会生涯学習分科会の社会教育人材養成及び活躍促進の在り方」の最終答申は、平成24年7月の全国市長会から提出された社会教育主事の必置義務廃止の要望がだされことからの生涯学習改革の記述がはじまっています。
当時、中央教育審議会生涯学習分科会は、全国市長会の社会教育主事必置義務撤廃要望を受けて「社会教育推進体制の在り方に」について、平成25年9月に、社会教育主事が関係施設の企画立案や事業推進にコーディネートの役割を果たしていくことが重要として、引き続き必置を原則とすることが望ましいとしたのです。
また、社会教育主事として得た知識経験は、社会教育行政以外の場面で幅広く活用することが可能であることから、社会教育主事任用資格の有用性を他の様々な分野で活用していくことを広く検討する必要性を提起したのです。
令和3年の10月現在で、人口1万人以下を除く、市町村で社会教育主事を発令しているところは、全国で40.9%という現状です。都道府県は、91.5%です。この現状から全国の市長会が社会教育主事の必置廃止の要望が出されたのです。
多くの市町村にとって、社会教育主事必置の必要性がなかったのです。なぜ、このような現状になったのか。公民館または、公民館類似施設、博物館、図書館など市町村には社会教育関連施設が数多く存在しています。しかし、社会教育主事の未配置ということがあるのです。各市町村での社会教育行政の在り方や各県での社会教育主事人材育成についての深い分析が必要です。
社会教育法は、第3条「すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成に努めなければならない」として、国や地方公共団体の任務を定めているのです。
「国民の学習に対する多様な需要を踏まえ、これに適切に対応するために必要な学習の機会の提供及びその奨励を行うことにより、生涯学習の振興に寄与することとなるよう努めるものとする」となっているのです。このように国や地方公共団体の義務が法律的に明示されています。しかし、現実は、社会教育主事の発令を多くの市町村はやってこなかったのです。
各市町村の社会教育主事は、教育委員会に所属して、国民の学習に対する需要をふまえて、あらゆる機会、あらゆる場所で学習の機会を提供する中心的な地域の教育施策推進の専門職としての担い手であるのです。
この担い手であるはずの社会教育主事の任用者が多くの市町村自治体にいなかったのです。教育委員会の社会教育課や各社会教育関連施設に専門職としての社会教育主事の任用資格者がいないのです。
また、積極的に担い手の要請を各社会教育主事養成機関の大学等への要望もしてこなかったのです。まさに、放置してきたのです。そして、管理を一般の行政職員の配置転換で行ってきたのです。さらに、行政の業務の民営化路線によって、指定管理団体、地域の団体に社会教育施設の管理や行事を委嘱している自治体も数多く生まれていくのです。
平成30年12月21日の中央教育審議会の「人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について」の答申で、社会教育主事は社会行政のみならず地域における多様な主体の地域課題解決において学びのオーガーナイザーとしての中心的な役割をしているとしています。そこでは、コーディネート能力やファシリティ能力を発揮し、取り組み全体をけん引する極めて重要な役割を果たすとしているのです。
そして、社会教育主事任用資格を有するものを社会教育士として称号し、その役割を社会教育施設にあける活動のみならず、環境や福祉のまちづくり等の多様な分野のおける学習活動の支援を通じて、人づくりや地域づくりに関する活動に積極的に係わっていくことを期待されるとしています。

令和5年の6月16日の閣議決定の第4期教育振興基本計画で、社会教育が持続可能な地域コミュニティの基盤形成に重要な役割を果たすとしています。そして、学びを通じて、人々が協力し合える関係づくりの土壌を耕していくことが求められるとしたのです。それは、防災、福祉、産業振興、文化交流など、広義のまちづくり、地域づくりに関する多様な行政分野の地域課題の解決にむけて役割を果たすとしているのです。
社会教育人材養成及び活躍促進の在り方の令和6年6月の中央教育審議会生涯学習分科会の最終答申では、社会教育士の幅広い活用の期待をのべています。そこでは、社会教育士の専門性の内容ということなのです。
そして、その身分的、賃金的待遇の保障がされるのか。また、社会教育士の専門性が教員と同じように教員免許をもっていることが教師としての専門性を認められると同じように、社会教育士が認められるかということだというのです。
社会教育士のもつ汎用的に活用できる専門性能力の内容に、中央教育審議会生涯学習分科会人材養成の最終報告では、必要なコーディネート能力、ファシリテーション能力、プレゼンテーション能力としているのです。
社会教育主事の教育行政職員として求められる専門性の知見は、社会教育計画を含む各種計画の策定、社会教育関係団体の育成、学習計画や学習内容の立案・編成などと、生涯学習分科会人材養成の最終答申がのべているのです。
そして、社会教育主事は、地域全体の学びのオーガーナイザーであるとして、地域の社会教育に関する計画・事業・研修の企画・立案・構築・活性化とともに、社会教育の人材ネットワークの担う中核であるとのべているのです。
また、答申では、派遣社会教育主事制度は、平成10年に一般財源化され、地方交付金措置が講じられ、県費負担職員を市町村の社会教育主事として配置する工夫をして、地域のコミュニティティの基盤強化の推進が望まれるとしています。
令和2年度からは社会教育主事の講習・養成課程を終了したものに社会教育士の称号が与えられたのです。そして、コーディネート能力、ファシリテーション能力、プレゼントテーション能力を重視して、従前の社会教育主事の養成・講習の科目の再編成がされたのです。
その科目の再編成は、「社会教育経営論」として、多様な主体と連携・協働を図りながら学習成果を地域課題解決や地域学校活動等につなげていく知識及び技術を学ぶ科目と、学習者の多様性に応じた学習支援のための「生涯学習支援論」の2科目受講が必修になったのです。
また、「社会教育演習」科目に社会教育主事の職務を遂行するために必要な資質及び能力の総合的かつ実践的定着をはかる科目としたのです。そして、生涯学習・社会教育の本質を学ぶ「生涯学習概論」を社会教育主事、司書及び学芸員養成における共通的な基礎科目として位置づけられました。
社会教育主事の養成・講習の課程は、教育行政職員の人材養成というばかりではなく、社会教育士の制度が生まれたのです。それは、福祉や防災、観光、まちづくり、企業など様々な領域でリーダーとして活躍できるように、より専門性をもつファシリテーターの参加が求められる社会的背景を受けたものです。
社会教育主事の専門性の技術的な内容としては、生涯学習分科会の最終答申の示すとおりですが、大切なことは、生涯学習の視点としての人間の発達論の科学的な知見が大切であることが見落とされているのです。
青年の発達論、子育てをする親世代の子供と親との関係での双方での発達論、技術革新などの職業訓練、人間と自然との関係の基本的な発達的な認知、高齢期における発達論など人間は生涯にわたって、それぞれの年齢段階や社会経済環境によって、発達課題が要請されて、豊かな生きがいをもって円満な人生を過ごしていくのです。
生涯をとおしての人間発達の科学的な知見が生涯学習論に必要なことです。また、生涯学習制度をめぐる法や理念も当然ながら必要不可欠な大切な知見です。教育学や教育心理学の科学的な蓄積を生涯学習の人材養成のなかで明確に位置づけていくことが求められているのです。
また、生涯学習支援をしていくうえで、地域住民の暮らしは多様です。職場も同様に職種は複雑で、様々な分業のなかで存在しています。地方自治体の仕事も地方公務員ということでは、共通性をもっていますが、分業体制が進み、職務の連携は単純ではありません。
このなかで、社会教育主事や社会教育士がファシリテーターなどの技術的な専門性を発揮して、いくには容易ではありません。地方自治体での連携の学び合いにおいて、地域課題を的確に把握していく基礎的な地域社会学のなどの学問的な業績も必要になってきます。
また、社会教育経営論においても同様で、地域社会学と同時に地域での公共政策の学問的な成果を学んでいくことが求められているのです。
新たに、生涯学習支援科目や社会教育経営の科目を社会教育主事人材養成の養成課程・講習での必修科目として、設置したのです。このことは、実践的に専門性を身につけていくうえで、一定の評価があります。しかし、方法の技術的なことばかりではなく、学問的な成果を基礎にして、それらの科目を充実していくことが必要になっているのです。
鹿児島大学での社会教育全国研究大会
全体集会での社会教育主事養成についての報告と討議

鹿児島県の地域の社会教育主事の特殊性ということで、学校教員中心であり、派遣社会教育主事制度の独自性ということと、奄美等に残っている土着性ということが鹿児島大学からの会場校としての問題提起であった。
この評価については、先行研究を歴史的に深めて、実証的に明らかにしていくことが必要であります。とくに、農村振興運動、親子20分読書運動、公民館図書館・村の図書館循環運動、地域に根ざした学校経営などの内容論も含めて、市町村の社会教育職員の役割を決して軽視できないことがあったのです。
市町村支援とネットワーク型行政の実現に向けた取り組みとして、かごしま県民大学中央センターの報告があった。市町村公民館等での県の生涯学習講座の開催と、メディア研修と視聴覚教材の利用促進の報告でした。
鹿児島県日置市の市長報告は、地域づくりと社会教育であった。日置市には4種類の公民館があるというのです。自治公民館は、26ケ所で館をもっているのです。条例によって設置された地区公民館です。館は、市の所有でありますが、管理は地区の公民館が担っているのです。
また、館はないが、小学校の校区に設置された広域自治公民館がありますが、これは小学校校区の自治組織です。そして、4つめは、中央公民館です。地域振興と社会教育は地区自治公民館で地域づくり推進事業費交付金を出して、地域活性化に取り組んでいるというのです。
これらの交付金を利用して、花火大会、花いっぱい運動、健康づくり運動を実施しているという。地区自治公民館の地域づくり交付金を廃止して、新たに自治会だけでは対応できない役割を担う広域自治組織として地区公民館を再定義して、人口減少社会での自治会として、市民一人一人の暮らしを守るための必要な事業が実施できるための財政的支援に2025年度から切り替えたのです。
鹿児島大学の学生2名の報告は、奄美出身の3年生と4年生です。島育ちの経験からとみんな顔見知りの島の育ちから鹿児島大学入学で鹿児島市にきて、びっくりしたことが人とのつながりの希薄と個人化であったというのです。社会教育的アプローチになぜ、このような違いがあるのかの探究を考えたということです。将来の希望は故郷に帰って、公務員として働きたいということです。
4年生の報告は、幼少期に奄美で育って経験で、離島の地域づくりと社会教育に興味をもって、現在は、卒業論文で、奄美の方言の地域文化性についての調査をしているということです。地域からの学びという概念が社会教育主事コースで学んで広がったということです。将来的には社会教育主事の仕事につかず、民間企業で働くということです。
本来の学びは座学だけではなく、日常生活やコミュニュケーションのなかで生まれることを発見して、能動的に自由のなかで学ぶことを社会教育養成課程で知ったということです。そして、学びによって、社会をつくる価値観自体を問い直すことで生きやすい社会に創り変える可能性をもっているため、学びは自己に変革を起こすだけではなく、社会を変革する可能性を秘めていることを知ったということです。
学生の学びによって社会を変えていくということの指摘は、すばらしいことです。学びの本質をついているのです。
鹿児島県における派遣社会教育主事研究として、鹿児島大学の学会員の農中至氏の報告がありました。鹿児島県での派遣社会教育主事研究を進めるうえで、どう歴史的に評価するのかは容易のことではない。地域における一定の社会教育的価値あることをした人もいれば、自己の職務上の昇進やキャリア形成として業務をこなした人もいるというのです。
また、学校教育と社会教育の総合性・統一的なとらえていく専門家養成ということでの派遣社会教育主事の役割などがあるという報告でした。離島部の社会教育条件の不均等問題からの派遣社会教育主事、行政権限強化と余剰人員への対処としての派遣社会教育主事、地域課題への対応策としての派遣社会教育主事などの問題提起をした報告でした。
各大学で社会教育主事の養成をどのようにしているのかという報告がありました。それぞれの大学での社会教育主事・社会教育士の人材養成のカリキュラムの紹介でした。科目の紹介がされるが、その理念的な内容や科目の特徴的についてはどうなっているのか最も知りたい内容でしたが、それについてはつっこんだ報告はなく、よく理解できない状況でした。
上野会員からは、社会教育主事と社会教育士の関係性という養成、採用、研修にあいまいという指摘がありました。学校教育との関連性という学校と社会教育との融合論などをどう考えていくのか。
地方自治との関係性として、地方自治制度の定着と参加の基盤をどうみていくのか。社会教育を行うものの変化として、社会教育関係団体の衰退、財団、公社、指定管理団体との関係をどうみていくのか。社会教育主事と社会教育士という職業との関連性はどうなのか。新たに文部科学省の社会教育士の称号付与についての具体的なカリキュラムの展開がみてこなかった報告でした。従前の社会教育主事に対応した人材養成とういうことからでていない報告でした。
かごしま協同集会2025年が9月28日に県民交流センター大ホールで開かれました。地域みんなで協同の力によって、食を見直し未来を耕すということで、子ども×食×農をいうことでリレートークがありました。また、それぞれの協同組合、モデルとしての姶良市教育員会の学校給食の取り組みの紹介がされました。

最初は、食べることは生きる・アリスの日本の各地訪問での感想やアメリカの実践事例の映画鑑賞からはじまりました。米国は悲しいことに、便利になった画一性のファストフード文化の国家のなかで、広告への信頼をもって暮らしているとアリスはみたのです。この現状のなかで、美しさが幸せ、季節を感じること、環境再生型農業、働く喜び、生かし合うつながりということで、スローフード宣言をしたのです。彼女は、オーガニックの母として、全米各地に地産地消を広げて、料理人や教育者に大きな影響を与えた人です。この運動は、子どもの自立を促す未来の食と農のかたち示したものです。
アリスは食べ物が変われば世界が変わり、世の中がよくなるということです。食べることは生きることして、人間は地球環境問題で鋭く問われていることは、環境を再生するということだというのです。ローカルで旬の味を。料理人が直接に有機農家と結びついていくということで、農家が直接に出店するマーケットの創出を展開しているのです。

医療法人のますみクリニック院長からは、自然に反した生活が病気の原因であるとして、医の前に食があることことを強調したのです。季節に応じた食材を使う大切を抗酸化作用のフルボ酸などから説明しました。農の前に微生物の世界があることを忘れてはならないということでした。
大隅の認定こども園・南部幼稚園からは、子どもの健康や大人の責任ということから、幼稚園から給食の在り方を問題提起したのでした。家庭の食の在り方、おとな自身が食を知ることが大切としたのです。職場の理解も大切で、できることからコツコツと子どものニーズに合わせての食の提案も必要ということでした。
暮らしの畑屋として体験農園を運営している実践報告でした。畑は小さな大自然としての視点からの発信ということです。野菜は売るのではなく、プロセスを売るとうことで、体験学習をして、農をとおして、人と人をつなぐこと、自然とつなぐことを実践しているのです。コミュニュティフームを営み、人と人をつなぐことを自然との大変な仕事を実感させることを大切にしているというのです。

おおすみの百姓の森として、小規模生産者グループをつくって、生命の喜ぶ食べ物として、固定種や在来種の種を大切にしたとりくみや農家がつくった加工食品や生活品や自然素材の販売を有機農産物と一緒に販売をはじめたのです。そして、田んぼの体験農業の企画を実践しているのです。ここでは、顔合わせから土づくり、手植え、除草、収穫祈願祭の交流会、収穫、苦労したことの話し合いなどをしています。例えば、大崎町では、34人の参加で、スタッフ3名、参加者大人21名、子ども10人で6組になって取り組んでいるというのです。
姶良市の教育委員会の学校給食は、地産地消を基本に実践しているということです。地元食材の活用推進を行っているというのです。生産者と学校給食との調整役に教育委員会が調整役をして、農協や市の行政の農政課との連携を展開しているということです。学校では有機野菜の農家の学校での授業も行っているということです。この調整に姶良市の教育委員会が積極的に仲介役をしているということです。

姶良市をはじめ鹿児島県の5つの市町村では、オーガニックビレッジを自治体として、取り組んでいます。姶良市では認定農業者の4分の1が有機農業を行い、有機野菜を食材とした飲食店の増加を目指しているのです。ここでは、自治体がオーガニック宣言をして、豊富な地域資源、環境にやさしい食材の活用として、六次産業の地域づくりを展開しているのです。
