熊沢蕃山:人間教育と慈愛の仁政
神田 嘉延
はじめに:現代で、蕃山の人間教育と慈愛の仁政を考える意味があるのか
人間らしく生きていくうえで、今は、教育にどんなことが求められているのでしょうか。学力競争や学力テスト中心による学校教育がはびこっていないでしょうか。教育は人格形成ということで、人間として生きていくための能力、それぞれの民族的、地域的文化素養を身につけていくことが求められます。
そして、生きていくための基礎学力はもちろんのことですが、同時に人間の尊厳、話し合いやルールという民主主義の尊重、人間として生きていくための絆、善悪など道徳形成は、大切なことです。それぞれの個々の成長も能力の差があり、相互に発達の差をもちながら、利他のなかで、他を尊重しながら、人間らしく絆や集団的に自治形成をもちながら成長していくということが問われるのです。
ここには人間が生きていくうえでの自然の恩恵、自然循環のなかで人間らしく、豊かに生きるのが含まれるのです。それらは、競争主義的な個々の発達のみを考えていくものではないのです。また、健康に育っていくためにスポーツや情操の発達も大切です。子どもたちは、個性の発達と共に、全面的な側面からの育ちが求められるのです。
現代は、国会議員選挙にいかない人びとが大幅に増え、投票率が半数以下になる市長選挙の状況があります。選挙では、それぞれが議論して自らの理性的な判断ではなく、マスコミやSNSのイメージ宣伝によっての影響が大きく、十分な政策議論が少なくなっているのです。民主主義の危機が生まれているのです。
一人一人が現実の矛盾や未来社会を議論して、考える状況が乏しくなっていることは重大なことです。とくに、若い人びとは、所得も充分ではなく、競争主義と管理主義のもとで、将来への不安や恐怖をもっていることも少なくないのです。教育の力によって、未来をみつめていく状況が極めて少ないのです。これらの問題は、学校教育や社会教育の関係者に鋭くつきつけられているのです。
とくに、公民館などの社会教育機関は、市民の教養充実、地域施策の学習など、民主主義の日常のなかで定着して、市民参加の様々な地域での取り組みが弱くなっています。職場のなかでも管理と競争がはびこり、個々が創意を活かしての自由な発想で、心を豊かにしていく働きがいが少ないのです。
人々は孤立化して、本来の人間のもっている仲間と共に社会的な絆で生きるということが難しいことを弱肉強食の競争社会がつくりだしています。このような状況で、精神的な病も増大しています。現代社会は心の貧困が厳しい時代になっているのです。
将来の見通し、不安感が人々の心を襲い、未来がみえにくい時代の中で、未来未来社会の創造性を求める社会教育、人々の学びの機会はきわめて大切ですが、それが整っていないのが社会的に取ってとって、大きな問題です。
現代社会は、あらためて人間にとって、学ぶこと、学問をすることが問われているのです。日本という国は、伝統的にどうであったのか。仁義礼智信ということで、道徳の教育が重視されて、村のなかでは、小若組、若者組ということで、地域で一人前の人間になるための教育が行われていたのです。為政者や社会のリーダーになっていくには、学問を身につけていくことが大切にされたのです。
とくに、為政者には、暮らしを豊かにしていく、民を幸福にしていくことが重視されたのです。民のための公の道が必要なことは時代を超えての普遍なことです。
武士道は、公のために生きる精神であり、武士としての正義の生き方が示されてたのです。熊沢蕃山は、江戸時代に生きた学問を大切にして、仁政を強調した人です。常に批判的精神をもって、民のために武士として生涯を送った人です。
かれの儒学の陽明学の知行合一思想からの人間教育や仁政論は、古い封建時代の身分制にもとづいた思想として、切り捨てるのではなく、現代政治のなかでも私欲や既得権が問題にされるように、為政者の公の仕事が求められているのです。
熊沢蕃山は、水土思想をもって山の自然、森林の役割、水の恵み、天人同一などエコロジカルライフを積極的に提示しています。
現代で利益優先、効率主義絶対主義、大量生産・大量消費、大量廃棄物、大規模開発優先で地域の自然を破壊してきたなかで、あらためて人間と自然、自然循環社会が問われるのです。
人々の暮らしが地域の自然に根差して、エコロジカルライフの探求、人々の自然に優しい地域コミュニティー、それを支えていく地方自治のあり方が大切です。それは、古からの自然のなかで生きてきた人間的なふるさとの力です。つまり、ふるさとの力は、住民自治を基本に求めれるという意味です。
現代の政治の荒廃は、極限です。仁政から大きくはずれています。裏金問題にみられる政治と金銭の癒着の現状を直視して、仁政を模索する為政者が必要な時代です。
平和と戦争というテーマからホモサピエンスという人間の原点である仲間、支え会う集団、相互依存性、慈しみから対話という本質をながめることが必要なのです。
仁政が鋭く問われるのです。現実は真逆になっています。人間のもつ考える力、工夫する力が重要なのです。現代社会は、科学技術の発展の力が非人間的なものに、動物的欲望になっているのです。この欲望は自然的に規制されるのではないので動物以下です。
敵対主義による軍事膨張、パレスチナにみる大量虐殺、ウクライナ戦争など混迷した政治的状況や、荒廃した精神状況があるなかで、熊沢蕃山の仁政について学ぶことが多々あるのです。
(1)熊沢蕃山の世界観と人間教育論
人間の長所と短所によるそれぞれの人の役割
蕃山は、人間に長所と短所があるという見方です。人間には、徳行に薄い人と、知に不足している人とがいるということで、為政者は、知と行をすべて備わっているということを部下を使うときに求めないということです。
このことについて蕃山は次のように述べています。「たいてい文才に器用な者は徳行に薄く、徳行に良い人は、文才に拙(つたな)いことがある。知が聡明な生まれつきの者は、行いが欠けやすい。行いが篤実な者は、知に不足のところがある。君子は人の長所を採り用いて用いて、知と徳を全備することを求めない。小人は人の短所を表立てて、その美点を覆い隠す。すべての世の中には、才もなく徳もない人が多い。だから才があればたたえ、徳があれば誉めるがよりしい」(集義巻1)。
蕃山は、このように知と徳を全面的に求めないことを強調してるのです。小人は自分の才もなく、徳もないことを隠そうとしています。むしろ、君主は大切なこととして、その人のもっている良いこと、不足していることをきちんと見て、それにふさわしい仕事をつけていることであるとしているのです。
学問と人間性
知を増大していくということで、学問をすることで、利欲を求めることは大きな問題と蕃山はしているのです。
「学問でも、利欲を本として勉学する者は論外です。真実に道を求めて学ぶ人は、みな愚人と召されるがよろしい。この世に生まれて知力が増すにつれて世間にもてはやされる人は、利巧だからである。そんな人物でも世間の利害に染まれば、道徳には遠いものとなります」(集義和書巻1)。
知力がある人は、愚人と言われる方がよいということです。それぞれ、自分の与えられた仕事について謙虚になってこなしていくというのです。知力があると褒められても、自己の利害に染まらないということを指摘するのです。
学問をして、博学になっても人情や時変(時勢の変化)を見通す能力のないのは政治に向かないし、ねじけた心をもっている人は害が多いとも蕃山は言っているのです。「たとえ博学有徳でも人情・時変(時勢の変化)を見通す才のない人は政治はできにくく、また世間知(政事に明るい知識)があっても心が、ねじけた人は害が多いのです」。
「これらの事は、むかしの人選の仕方」で、蕃山の生きていた時代では通用しないと言っているのです。「地位相当の身分の人か、衆人を指すか、いずれも人情が納得する人の中から悪徳のない人物を選んでいる」ということです。「無学であっても、われ政をせんという学者の国政よりも優れている」と述べているのです。
この言葉は、蕃山の生きていた時代でも、権力と結んだ学者の国政の悪さを警戒していたのです。これは、出世のための私利私欲の朱子学的な学問を利用して、幕府の権力と結んで力をもっていたことがあったのです。この現状に対する蕃山の気持ちの表れです。
学者が一般の人には難しいことをしようと努めていますが、無学の普通の人よりも劣ることがあると蕃山は述べるのです。学問をする人はは、立極点の志に変わりがあるのです。
学術は心の外に向かうので自らの知見が明らかにならないためでしょう。陽明の学者でも心から修養すると申しても理を極めることでは見解がいろいろあるのです。真実でないところが見えます。愚かさを知っていることが明らかでないのです。
その境地を抜け出ることを知らなければ名利欲の根性が伏蔵して元の凡庸となるというのです。大志がなければ到達しないのです。
生まれつき良い性質の人で世間の風習で表面ばかり暗くなった者などは、道を開けば一時の迷いはすぐ解けて元の良いところが現れるのです。このような気質変化と申す者もありますが、これも変化ではないのです。
導く人の人柄が良ければ、その国の良い人が集まります。王陽明・朱子の学の異同にはよらず、先学の徳と不徳によるものです。相対する人が我が身の鑑とすれば、自分の人柄こそ恥ずかしくなるものです。
文が過ぎるとは驕りです。士以上が驕れば、軟弱になり、武威が弱くなります。上が驕れば、民がゆかれ果てるのです。上下が怠っては武が備わらないというのです。無事の時には、民も女のように心やさしいのは、使いようだけれども、戦国に当たって士の手足とするものは民なのです。
少し学んだだけで、道理がましい説を立てる者は人道の害になるものです。自身の愚かさをを知らず、至らぬ私見を立て、無地の人まで物事を狂わせます。平凡な学者でも謙遜で心掛けの良い者を招いて経議を開かれるのがよいと蕃山は謙遜である学者の意見を大切にすべきと語るのです。
徳行は人のためにするのではないと蕃山は断定します。それは、「自分一人のために天理を存し人欲を去るものである。人欲を去って天理を存する工夫は、善行より大きなものはない。善というものは、格別にことを作ってなすものではなく、人倫日用の用はみな善である」。まさに、自己中心的な欲をなくしていくことが徳行であるというのです。
義理ということを決して、心法とするのではなく、小人の境地から抜け出すことを指摘しているのです。「蕃山は義理ということを心法にとって重要と思う人がいるが、「小人の境地から自らが抜け出す」ことを大切としているのです。「心中では義理を主として、よく心法を受容すると思う人がいるけれど、その人柄の全体は小人の境地で、自身はそれに気がつかない。小人の境地を抜け出せない者は古今に多い」。そして、理学と心術についての概念の概略を説明します。「人の迷いを解明することの多いのを理学といい、心を修めることが多いのを心術という」。
天地万物一体と人間の欲
ところで、天地万物一体と人間について、蕃山は次のように語るのです。
「天地の間に人が存在するのは、人間の胸中に心があるようなもので、天地万物は人間を主とするから、有形のものの中で人間より尊いものはない」。
「仁者は、一草一本でも切るべき時節でなく、道理がなくては切りません。鳥獣虫魚は殺しません。草木でも萎むのを見ては、わが心も萎む。雨露の恵みで青々と栄える様子を見ては、われ心も喜ばしい。これが万物一体のしるしです。人は天地の徳、万物の霊といって、優れているのは太極、一本の木は天地、枝は、国々、葉は万物、花の実は、人のようなものである。葉も花の実も一本の木から生ずるけれども、葉には全体の木の用はない。多数あって朽ちるばかりである。花の実は、少ないが一本の全体を備えているから、地に植えればまた大木となる」(集義和書巻1)。
このように、蕃山は天地一体の自然の道理について述べるのです。そして、明徳の称号は、人の性にだけ当てえられたものであるとするのです。仁義礼智信は、人にあってこそつけられたのです。木神は仁、金神は義、火神は礼、水神は知である。天地人を三極という。万物は人のために生じるものである。わが心は太極であり、天地四海もわが心の中にある」。
万物は人のためにあり、自然体の木・金・火・水等の神と徳の要素を結びつけて蕃山は強調するのです。蕃山は儒者も仏教者も兄弟であると述べたのです。
「異なる見解は、争うのではなく、仏者も儒者、それぞれ天地の子です。所見の相違や生業によってさまざまに分かれます。兄弟の親しみだけで交われば争うことはありません。食べ物にも兄弟それぞれ好き嫌いがあります。味を争っても各自の口の引くところは一致しない。そのままにして、われはわれ、そのままの人で良い」(集義和書巻1)。
人はそれぞれ異なるのですが、天地の子として兄弟であるというのです。違う見解を激しく争って、敵対するのではなく、許容して、寛容な立場に立って、お互いを尊重して、それぞれがそのままの価値観、好みを守っていくことが大切というのです。
無欲とケチの違いについて蕃山は語ります。「無欲は、天理を止めて人欲とし、人欲を止めて天理とするという誤りがある。物を貯めて使わないのを欲とし、貯えないで有り次第に使い、無くなれば何もしないでいるのを無欲とおもっている誤りがある。ケチと正常の心でとがある」(集義和書巻3)。
無欲とか人欲に対する見方の誤りがあるというのです。むしろ、真実の無欲ということを知ることが大切であるとしているのです。それは、天理を悟ることになるのです。天地ということで、自然の姿をよく観察して、自然のなかで人間が生きていることの原理を知り、それを実践していくということになるのです。無欲というのは、生きるすべを放棄させというのではなく、積極的に人間と自然の関係をみながら生きる知恵を出していくことになるのです。
「支出を節約せず、急場の準備もせず、わざと財を貯えない様子をし、仁でも義でもなくて、理由もなく使い施すのを無欲と申しましょうか。それは名誉心から発して、欲心のいいわけでに見せかけたものである。
人はケチというだろうかと考えて、純白な風をするのである。真実無欲の人には、純白もないものです。真実に無欲であれば、人がケチにあるという気遣いもないから、気にもかけずに、家屋の美を好まないから自然に倹約である。衣服・諸道具・飲食の好みがないから自然に身軽である。無欲無心の倹約であるから、自分も苦労せず、他人もとがめない」(集義和書巻3)。
真実の無欲ということからの倹約というのは、自然にできるというのです。天理と人欲について、蕃山は並立しないと語るのです。
「人が天理を主とするときには、人欲は亡失する。これを操存という。心が人欲を主とするときは、天理が亡失する。これを放舎という。天理が存在する時は、夜も昼も天理に感応するだけである。だから万物一体の理を感じて、惻隠の情が、発する。義の理を感じて、善悪の情が発する。礼も知も同様である。これはみな真実無妄の天理である。これを天理流行という」。(集義和書巻14)
天理と人欲を主とすれば、天理は亡失する、天理を主とすれば人欲は亡失するというように、相反するものとしています。理を感じて、相手の身に寄り添って深く心を痛めるという憶隠の情が発することや真実無妄という偽りのない善悪の情が発するというのです。これらは、みな真実無妄の天理というのです
義と欲について、蕃山は、欲が義に従って動くことを道としているのです。人間の欲の前提には人間としての義があるというのです。人間が生きていることに、自然的な欲があるのは当然です。
欲がなければ死を意味します。食べる欲はだれでも生きるためには不可欠です。寒さを防ぐために衣服を着て、暖房をするのは人間の生きる欲です。家を建てて生活の場を得るのも人間の生きる欲です。これらの生きる欲には、人間的な義があるのです。義のない欲は、獣と同じであると蕃山は次のようにのべています。
「義理で欲のないものは、生きている人間ではない。欲だけで義理を知らぬものは、獣である。欲というのは人間の形をなす心のもつ生の楽になるのです。天地万物は有無が離れず、道が存しているのです。
だから有形はみな無になるというのです。形や色のあるものは恒常不変という常ではない。形や色のない恒常不変の世界が真の実であるのです。形や色のない世界の境地に極めつくした人が心静かに、福が来てもはなはだ喜ばない、禍があってもはなはだ憂えないのです」。(集義和書巻10)
欲に覆われることなく、道を身につけて、義をもって悠然として、生のための欲をもって、暮らすことを好人としているのです。つまり、恒常不変として、無を極めていく人は心を静かに、動揺せず、心を常に平静さをもって楽しんで生きていくことが出来るとしているのです。
現代社会は、消費社会と競争主義社会のなかで物質的な欲望が際限なく拡がって、出世欲や権力欲も増大していく社会です。
人間は本来的に仲間をもって、慈しみのなかでそれぞれに助け、助けられていく社会的存在として生きてきたのです。
本質的に利他主義です。競争が煽られて、利己主義的な人びとになりやすいのですが、そこには、心の苦しみも計り知れないものが伴っていくのです。心の病が大きな社会的課題になっているのが現代社会です。
わが子の育て方論
蕃山に来書での質問が来ました。それは、わが子の育て方です。「愚者ではありませんが、者世間の習慣に染まって、気ままでわがままで道徳を好まず、諸芸も根本に入れず、かえって父の非を数えて立て、同志の人びとの非をいい、口先がうまくて、その身の行状が悪く、どうしたらよいのか」ということです。
蕃山は次のように答えます。「一朝一夕にそうなったわけではありません。貴殿の長年の育て方のためであるから、御子息の罪ではありません。父とは心根には慈愛があって、いつも厳格であるのがよろしい。人の生は水と火の二つがなければ、一日もやっていけません。
水火の仁恵ほど大きいものはないが、火は厳しいものなので、人は恐れて用心をするから心から火に近づいて死ぬ者はいません。水は柔らかなものなので人びとは心安く思い、近づいて溺れ死ぬ者が多い。貴方の欠点は、柔和にすぎていることです。柔和に過ぎているのは人が褒めるもので、善いようですが、その家に不孝の子が出ます。
・・・水の仁は母のようで、火の仁は父のようである。貴方のは母の仁であって、御子息が悪くなられたのです。いまになって厳しくなさるのなら、いよいよ逆らって善いことはありません。・・・貴殿は今から火の仁をなすことはできませんから、水の仁でもっていよいよ徳を積まれるがよろしい」(集義和書巻3)。
蕃山は、水と火の性質の人間との関係をみながら、子育てにおける火の厳しい側面と根底に慈愛をもつ父の役割があるというのです。
そして、水の柔らかさと慈しみの母の子育ての位置があることを強調しています。父と母とは子育てにおいて、それぞれの自然的な役割機能があるというのです。
蕃山が火と水に対する人間の関係から子育てを説いていることは、天地万物、人間の存在の天地自然の運行、万物は人のためという世界観を根底にもっているからです。
子育てにおいて、道理や学問を強いることは、かえって逆の効果になるということを蕃山は次のようにのべているのです。
「道理を分別する知恵も開けない時に、善事を強いるのは、かえって善根を挫けさせる例もあるというのです。学問などが強いると、後に学問嫌いになる人もいる。ただ善事で大きな垣を廻して不善の事を見せず、戒めなくても不善をせず、努力しなくても善にならうようにするがよい。天地の間に春が来れば、春に遊ばぬ人はなく、善事が家の中に満ちれば、善を楽しまぬ人はない道理である。善事と言って特別のことがあるわけではない。五倫の人間関係に五典十義があることを自然に教え習わすのである。六芸で遊ぶことも、その作法がよければみな善事である」集義外書巻1)。
このように、子育てにおいて、分別も知恵のない時期に、善事や学問を強制してもかえって逆の結果をもたらすことを警告しているのです。
むしろ、自然に育っていくことを大切にして、そのまわりの人びとが善事を積んでいくことであるとしているのです。
幼君の教育について、1、礼を教えるのに世間一般の基本を知らせるがよい。7・5・3などの祝儀を遊び事にして、成人こ子どもも混じって互いに客になり主人となり、給仕人となって作法を教え習わすがよい。口上・辞儀も、遊びがてらに習わせるがよい。
2、音楽の稽古の初めは、音律のよい者を師として、ことや笛の楽譜を歌うことを習うがよい。幼少の者に成人もまじり、幾人も一度に歌えば早く熟達できるであろう。そのなかに音調に器用な者がいれば、脇の者も引き立てる。楽音によく熟達すればみだらな音楽は好まぬものです。
3、幼少の弓矢の稽古について、弓は手ごたえのないほど弱い篠張(しのばり)から始め、馬は木場から始め、その後は的を射て遊び、輪乗りをして、鞍を固め、馬から落ちぬように教えるということです。武道を、技芸を職業とする身分の者にまかせると、武道が廃れることになるのです。
4、読書・手習いは幼少の者に成人の人もまじって、退屈しないように約1時間替わりで学習するがよい。武芸は約2時間替わりでよい。いつも幼君の眼前で練習すれば、自然に見聞して、苦労なく習うことができるのです。成人の者は、その好みに従い、決して強制してはならない。8歳から15歳・16歳、20歳までは教育の年頃だから、少しづつ教えるがよい。
5、算数は才知を伸ばし、六芸の一つで人生の用に立つものであるから、必修の科目であるけれども、卑しいことのように考え込んで、習わない人が多い。古の武士は商人のように利害の話はしなかった。今は算数を卑しんで利害に専念しているのです。軍法にも算数を用いることがあります。数の根本は利益を取り扱うものではない。律算などは最も風流なものです。このような算数を子どもと大人がまじって2番、3番し、そのうち1番は幼君のきままに従い、2番、3番は算数の技を競うのがよい。
このように蕃山は集義外書巻一のなかで教育について語っているのです。それぞれの教育内容についての教育方法について、成人がまじって、習わせるということと、強制させずに、遊びに心を大切にしての教育を重視しているのです。
(2)熊沢蕃山の仁政論
治国平天下の窮理は民がいるということから考えることです。民が民として生きて行けるのは五穀が豊富にあって民力に余裕があることであると熊沢蕃山は次のようにのべているのです。
「そもそも国が国と存在するのは、民があるからである。民が民と存在するのは五穀があるからである。五穀が豊富にあるのは、民力に余裕があって、仕事の成果によるものである。だから、有徳の君、有道の臣のいる時代の一日は、のびのびとして長い。その民が静かで暇が多く、生活力に余裕があるからである。
道の失われた時代の一日は忙しく、短い。その民は苦しみ、勤めても力が足りないないからである。古も今も一日の長短に変わりがあるわけではない。君が英明で、民が静かであれば長いように感じる。上が暗君で、下が乱れていれば短いように感じる。だから、礼儀は富み万事に足りていることから生まれ、盗賊は貧窮より起こるものである」。(集義外書巻7)
天下の治国は、民がいることによって、成り立っているという見方です。民は五穀を生産し、五穀が豊富であることは、民力に余裕ができるということで、その国と富の源泉というのです。五穀を基本にして農業生産を通して民が豊かになっていくというのです。民の豊かさは、生活力の余裕であるというので、食糧が確保されてこそ、民がのびのびとして一日が静かで長く、暇が多いという気持ちになっていくというのです。
現代の国際的分業社会では、それぞれの民族や地方・地域で食糧を自給していくということではなく、金銀銭によって、交換していく時代になっているのです。一見、豊かな飽食の生活と多量の食べ残しをしているようですが、不安を持ちながら生きていることと、金銀銭を持たない他の民族に飢餓状態を押しつけているのです。
蕃山の生きていた時代の江戸中期時代に、民が衣食を不足して、士が貧困になっていることがあった。そこでは、士は、財を貪り、民は盗みをはたらくという現状で、どのような政治が政治が必要であるか。この問いに、蕃山は農業の五穀を基本にすえることをのべているのです。
「農業が有利である時は、本業を勤める者がたくさんいる。そして民力に余裕があれば五穀の生産も限りがない。女の仕事も寛やかで精しいから、天下婦人は女の仕事をよくして、布綿も余るほどある。木こりや杣人が山林に入って仕事をするにも、時節をはずさなければ、草木がよく繁茂する。同時に、無用の家作をせず、無用の器物をつくらなければ、山は茂り、川は深くなって民の需要にも欠乏することはない。
そもそも金銀・珠玉・銭物を用いることが多くて、五穀の生産の少ない時は、人民は多欲になる。善人を宝としないで、器物を宝とする時は、驕奢になる。だから、善政は粟(もみ)を本にして他の万物に交換するのである」。
民の食糧不足で、士が貧困な状況をつくりだしたのは、金銀・珠玉・銭物を用いることが多く、為政者が傲慢になって、驕奢な生活になっているということです。民が五穀を生産していく原点として、自然生産物を大切にしていくということで、籾によって、交換していくことを基本としているのです。
「籾は米にしてしまうと損しやすいし、虫に食われて使えなくなるのが多いため、古は籾(もみ)で納め、すべての売買も籾で行ったのである。籾はかさが多くて、たくさん積み隠すことのできない物であるから、自然と人心の欲は少なくなる。他のいろいろな物を作って、それを籾に替えて食う者も、仕事の労力は少なくても食は足りた。
だから、倹約の訓戒がなくても、自然に驕奢にはならない。世間に粟が満ちてたくさんになれば、互いの不作にも困窮にまでに至らない。五穀が水や火のように多い時は、民に不仁の者が少ない。盗みをすることがない。金・銀・銭は五穀の補助だけをする」。
籾によって交換していくことは便利性、効率性という面からみれば、金銀で取引することになりがちである。便利ということは、驕りの心が増大して、商人が富むということで、武士や民はかえって貧しくなっていくというのです。
「籾を使うことをやめて、金・銀・銭で万物の売買をする時は、それを収め貯えて広く用い、便利なものであるから、規制しても驕りが生じる。いろいろな職業の者がみな美を尽くそうと思うようになる。だから、商人は過分に富み、士が貧乏であれば、民から取ることがますます多くなる」。(集義外書巻8)
どのようにして民を救ったらよいのか。上の米穀を散じて民を賑わそうとすれば、民が多くて穀物が足りない。金銀を施そうとすれば、金銀は限りがあって、民は限りがない。この問いに対して、蕃山は、民に対する驕りが根本であると述べるのです。
「下々を損ずるのは驕りである。驕らなければ使用することが少ない。使用が少なければ、自然と民から取ることも薄い。・・・心の驕りをやめないで、物事を倹約しようとするときには、東で物入りをなくしても西で物入りが生じる。なくした所では、人の所有物はなくなり、庶民は職業を失う。生じたところでは、人はない物を求め、民は本を棄てて末に赴く。だから、士はいよいよ貧乏となり、民はますます遊民となる」。
どんなに倹約しようとしても為政者の驕りの心が民を貧しくしているというのです。金銀が取引驕りが為政者と大商人によって、蔓延して、金銭による支配が強まっていくのです。人間にとって、五穀という食糧の原点を考え直して、自然のなかで生きていく在り方を深めていくことは、生活の余裕、豊かさを作り出していくというのです。
治国・天下のためには、その要としての人材を得ることだと、蕃山はのべます。どうすれば仁政のために人材を得ることができるのか。為政者自身が民を我が子のように慈の心をもってことに当たることを基本にすべきで、人々はだれでも平和を望み、世の乱れは望まないものであるとみているのです。人としてのあるべき仁の心が大切であるとつぎのように蕃山はのべます。
「人は、みな国の治安、天下の平和を望まないことはないけれども、その治平を乱す根を絶つことを知らない。その根本を精究すると不仁が原因である。人民に対して自分の幼児を保育するような慈心がないためである。
人々は我が子が水火の中で苦しめば、これを救わないうちは、寝ても、眠られず、食べても味わうことができない多くの子供を、自分ひとりの力では水火の災難から救うことができないときは、助ける術を知っている人があると聞けば、年来の仇敵であっても、かならず行って手を束ね膝をかがめても、我が子の救助を頼むだろう」。集義和書巻12
仇敵であっても我が子の命が危ないときに、その術を知っているならば、手を束ね膝をかがめても頼むということで、我が子を慈しむ心が重要であると指摘しているのです。君主という人間的な器は、民を我が子のように慈しむ心であり、徳行の備わったが、学識、人格ともすぐれた人格者が為政者になっていることです。
つまり、仁政の精神をもっているのが、君主なのです。学識がある人々があり、人格的にも優れていて、君主を支えていくのが賢人であるのです。だれでも、君主や賢人であるわけではなく、その人間性の鍛錬、教養、その素養が求められるのです。
多くの人々は小人です。小人は、小人としての社会での役割があり、その能力を十分に発揮させるのが君主であり、賢人であるのです。その小人が君主や賢人のようにでしゃばって為政者のようにふるまえば社会が混乱し、国は亡びていく。小人が驕る時に民は剥落されて、天下に災害が多くなると蕃山は次のようにのべているのです。
「そもそも剥とは、君子が退き小人がでしゃばることでもある。小人がでしゃばれば日ごとに驕奢になる。このため、世の中が驕るときは、民は剥落されその次に士が剥落され、その次に公侯が剥落される。このようなときには、天下に災害が多くて、ついには主君も剥落して、乱世となるものである。今の武士は、民から厳しく年貢を取ることを好んで、寛大にすることを怠り、民が剥落された次に、自分の身にも及ぶことを知らない」。集義外書巻7
乱世の原因の三大要因として、蕃山は、「第一には、大都市でも小都市でも河海の通路の便利なところに都を建てると、驕奢が日々増して防ぎ止められない。商人が富んで士が貧しくなる。第二には、穀物で諸物を交易することが薄くなり、金銀銭だけを用いるようになると諸物価が高値となり、天下の金銀が商人の手に渡り、大身も少身の士も財用が不足するものである。第三には、適宜の礼式がないときは、事が繁り、物が多くなるものである。
禄米を金銀銭に替えて諸物を買う。米穀が低値で諸物が高値の時は、財用が足りない。そのうえに物事が多く繁れば、ますます貧乏になる。士が困窮すれば、民から取り上げることが倍になる。だから豊年には不足し、凶年には飢え寒さに苦しむ。士民が困窮すれば工商の者は穀物に替える相手を失い、ただ大商人だけがますます富有になる。財用の権富を商人にまかせてはならない。商人に財用の権をまかせると諸侯と富を争い、諸国が枯れて、国が亡び、天下が乱れる」。集義和書巻13より
交易にも便利な場所ではなく、ほどほどの距離をもって、贅沢にならない程度の暮らしに必要な交易を指摘しているのです。また、金銭だけでの交易だけではなく、穀物で諸物を交換する意味をのべているのです。
国の人々が豊かに暮すには、穀物が不可欠であり、食糧がなければ人は生きていくことができないということで、富の基本的な価値を穀物においているのです。さらに、礼式も派手にするのではなく、適度に簡素にすることを強調しているのです。富の権は、穀物にあるということで、それを管理していく為政者の諸侯や天子の役割があるのです。大商人が、それによって代われば世の中は乱れていくということを蕃山は力説しているのです。