社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

道元仏教の平和思想と現代的修証義理念

道元仏教の平和思想と現代的修証義理念

 

在家信者のための修証義と軍国主義化に戦争反対した仏教者



  曹洞宗道元を始祖としています。明治維新廃仏毀釈のなかで、薩摩藩のように曹洞宗を歴代藩主の菩提寺としの福昌寺が徹底的に破壊されています。これは、国家神道のための宗教づくりのためであった。 日本の仏教界は、国家神道によっての中央集権体制・軍国主義化のなかで、宗教的自立性を失っていったのです。

 しかし、このなかでも曹洞宗明治22年に「修証義」という在家信者のために、道元正法眼蔵を要約したのです。ここには、曹洞宗としての道元の仏教思想を学んでいこうとする前向きの姿勢がみられます。

  ところで、曹洞宗の大きな転換が起きるのが、日露戦争を契機に、社会主義思想をもった曹洞宗僧侶内山愚童師が、大逆事件によって、逮捕されことです。無罪でしたが、1911年31歳で、将来性を持った若い僧侶が、悲しいことに、判決後即刻死刑になったのです。

彼の書かれた「平凡の自覚」では、独立自活・相互扶助、自由・平等・博愛の実現の主張であった。人間尊厳の近代人として、あたりまえの考えです。

 愚童は、1904年の平民新聞に、一切衆生悉有仏性、此平等無高下が信仰の立脚地とするので、社会主義と一致することを発見したとのべるのです。大乗仏教のすべての生きとし、生けるものの一切の衆生には、悉く仏性があるということで、すべての存在に理想実現の能力を認め、互いに他者を尊重し、命の愛護に努めるということになるのです。自由とは、本来仏教用語であり、自我に執着して、わがまま勝手に自己中心に思惟し、行動するのではなく、自己の欲望を抑制して、真正の見解を得た自己に由るところの真の自由がり、主体性の確立が顕現すところにあるとするのです。

 平等も仏教用語で、人びとは本来等しく仏性を有しているのであって、人種・民族・階級・職業・性・年齢等を超えて平等であると説くのです。博愛は仏教用語では、慈悲です。それは、他者の苦しみを共にし、他者の苦しみを同じにして、すべての人びとの幸福に奉仕する菩薩行とするのです。愚童僧は、仏教の教文から不平等社会の現実を改革して、餓える人、貧しき人、苦しむ人の救済者として社会主義者となった。眞田芳「大逆事件と禅僧内山愚童の抵抗」68頁~75頁参照

 天皇国家神道のもとに、国民の精神動員を進め、強権をもって、中央集権的な教化政策を強化していく時代であった。官憲の弾圧を恐れて、曹洞宗管長は、彼を宗門から除名した。そして、陳謝表文を宮内庁に提出し、宗門あげての国家神道に従属していくための大規模な研修を行っていくのです。その後に、曹洞宗は、国家神道のもとで、軍国主義への従属を深めていくのです。仏教の戦争協力は、曹洞宗ばかりではなく、真宗僧侶の高木謙明、臨済宗の峰尾節堂など仏教界全体に逮捕が及び、曹洞宗と同じように、弾圧を恐れて、それぞれ宗派も軍国主義の戦争協力に進んでいくのです。

 

 国際連盟の脱退、満州事変を契機に、日本は世界を相手に全面的に国民を戦争協力の精神の総動員をしていく。仏教界も、この戦争推進の国民精神運動のために、仏教連合会をつくり、皇道仏教ということから、天皇阿弥陀仏ということで、仏教界も戦時国家体制に組み込まれていくのです。仏教界は、皇国史観のもとに、日本の国体を乱す敵は、仏教の対象の人間ではなく、日本人の生命・文化を防衛継承していくうえで、不殺生戒を破ったことにはならないということで、日本精神総動員運動に積極的に協力をしていくのでした。



 昭和に入っても、仏教者のなかには、戦争に反対していく人々がいたのでしたが、弾圧されていくのです。瀬尾義郎僧は、1931年4月に、新興仏教青年同盟結成会に参加した。30名ほどの青年仏教者が集まって、宣言と綱領を発表した。

その宣言では、資本主義に起因する現代社会の苦悩を解放するために本来の仏教精神である世界平和、愛と平等と自由の社会をめざすために、文化闘争はもちろんのこと、政治闘争も断行するとしたのです。仏教青年同盟の新興仏教の目的は、(1)堕落した既成教団を排して仏教の真価を発揮すること。(2)分裂した仏教を統一して、醜い宗派争いをなくすこと。(3)仏教の精神によって、資本主義経済組織の改革運動に参加して、愛と平等の理想社会を実現していくことの三点であった。

 

 1931年の満州事変直前の国家神道によって、一層に過激化していく軍国主義化のなかで、仏教の平和、慈愛、自由、平等の正義を信じる若者たちの動きです。この運動は、軍部ファッシズムに対する弾圧されることを覚悟しての抵抗であったのです。民衆は戦争防止のために自営的最善の努力を払わねば駄目だ。浅薄な敵愾心にかられて墓穴を掘ってはならぬ。戦争は人類の最大の不幸だ。帝国主義戦争は民衆の敵だ。反戦の明確な訴えを新興仏教青年同盟は行うのです。稲垣真美仏陀背負って街頭へ」岩波新書参照

 

 歴史は、アジア・太平洋への日本軍国主義の侵略の拡大になっていくのです。そして、国民の戦争協力の国家総動員体制として、日本軍国主義のファッシズム化が促進されたのです。歴史の結果は、悲惨な第二次世界大戦、原爆投下、沖縄の地上戦、日本全土の大空襲となっていくのです。

 

 戦後仏教者の平和運動道元思想



 ところで、敗戦によって、戦後日本は、平和と民主主義の新憲法を制定しました。朝鮮戦争に日本は、前線基地になり、欧米諸国などを中心に単独の講和条約を結んでいくのでした。このような状況で、仏教者は平和を求めたのです。1950年6月に米国のダレス長官に仏教連合会は、旧交戦国のすべてと平和を結び、憲法9条を守ることの決議を送るのでした。

 

 翌1951年2月、仏教者平和懇談会の平和声明を出すのです。「ブツタの示された慈愛の精神とその人間生活の信条である戒律として、戦争や暴力を否定する「不殺生」、資源の独占を禁じ、貧富を許さない「不愉盗」各国の不和を助長するデマ宣伝によって、他を陥れることを指定する「不妄語」という内容の声明でした。

 さらに、1951年6月に、宗教者平和運動協議会を結成して、翌7月には、非武装憲法を人類の理想と位置づけ、その理念を貫いて、世界平和を築くことという声明を出すのです。ここには、仏教者ばかりではなく、神道キリスト教関係者も平和協議会に入っているのです。

 戦後の仏教者の平和運動の出発をみるのでした。しかし、大逆事件などで弾圧された僧侶たちの名誉回復は、1990年代に入ってからです。

 

 曹洞宗として大逆事件で即刻死刑執行をされた内山愚童復権は、1993年の戦争責任の懺悔宣言によってです。1979年に内山愚童をしのぶ会が結成され、1984年には、曹洞宗人権擁護推進本部が愚童の墓参をはじめるのです。そして、内山愚童没の百年に総務総長談話として、懺悔と平和実現へ向けての誓願を出すのです。その内容は次のとおりです。

「懺悔と平和実現へ向けての誓願。2011 ( 平成23 ) 年1月24日。

 明治44( 1911 ) 年1月24日、「仏種を植える」ことと「死ぬ積りで人を救う」ことに仏者としての生涯をかけていたひとりの僧侶が生命を奪われてから、今日で百年が経過しました。時の国家の政治的意図によって、皇太子の暗殺計画( 大逆事件) に関与したという汚名を着せられて36歳の若さで処刑されたのです。その僧侶の名前は、内山愚童師、神奈川県箱根町林泉寺第二十世天室愚童和尚その人です。

 当時の宗門は愚童師に対して、この大逆事件が発覚する以前に「犯罪者」「宗旨に背く者」として烙印を押しつけ、宗内擯斥という教団永久追放処分を科し、宗侶としての誇りと生命を奪いました。大逆事件そのものが、実態として存在した組織的犯罪ではなく、愚童師を含む多くの被告が罪なくして断罪されたことが、敗戦後明らかになりました。

とくに愚童師生前の行実については、むしろ私ども宗侶が模範とすべきすぐれた仏者であったことが見直されました。すでに遅きに失した観がありますが、1993 ( 平成5 ) 年4月には、愚童師への処分そのものを取り消し、83年ぶりに師の名誉回復を公表しました。さらに宗門は愚童師の先覚的仏者としての追悼と師への懺謝のため、2005 ( 平成17 ) 年4 月に、林泉寺墓所に「顕彰碑」等を建立し、除幕の式典と追悼の法要とを挙行し、師の行実とその願いを宗侶それぞれの胸に刻みつけました。

 

 懺悔と平和実現へ向けての誓願師が自らの身命を賭して植えた仏の種は、ある時はまったく無視され、誤解されてきました。師の没後百年を経て、その仏種は静かに根を張りめぐらせ、幹を太くし、枝葉を繁らせ新たな花実を結びつつあります。

 本日、愚童師の没後百一年目の初日を迎えました。曹洞宗は、来し方の百年間をあらためて反省・懺悔し、愚童師が自らを捧げて蒔いた仏種を守り育てたいと思います。私どもは師にならい、日日の営みを通して、衆生と世界の苦楽にまっすぐに向き合い、平和と、社会的差別を解決できる世界を実現すべく、人間の尊厳を支え合うささやかな縁となる誓願に生きます。 曹洞宗宗務総長 佐々木 孝一」。

 大逆事件で死刑にあった内山愚童師は、無実であったのですが、曹洞宗の宗門は、事件発覚以前に犯罪者、宗門に背くものとしての烙印を押して、当時の国家神道の絶対的な国家権力に屈服して、戦争への協力体制にのみこまれていったことを反省して、懺悔しているのです。そして、現代的に内山愚童に学び、平和と社会的差別を解決できる世界実現への宗門の活動を誓願しているのです。

 

 大逆事件は、社会主義者幸徳秋水外25名が大審院に付され翌年1月に24名に死刑判決(12名は翌日無期に減刑)が出され12名が処刑された事件です。

 

 和歌山県新宮市では大逆事件の犠牲者、キリスト教の大石誠之助、真宗大谷僧の高木顕名臨済宗僧、峯尾節堂峰、成石平四郎、成石勘三郎、崎久保誓一6名の名誉回復の陳情が市民から出された。和歌山県新宮市では、2001年8月に新宮市新宮市議会に、犠牲者6名の名誉回復を市議会全員一致で「名誉回復宣言」が採択された。そして、6名の顕彰碑が建立されたのです。



 現在の曹洞宗は人権・平和・環境という理念のもとに宗教活動を積極的に展開しています。人権・平和・環境理念の基礎は、「正法眼蔵」の道元思想を現代にしたことにあるというのです。

それは、「仏道をならうというのは、自己をならう也。自己をならうというのは、自己をわするるなり。自己をわするるというのは、万法に証せらるるなり」という内容にあるというのです。『正法眼蔵』での「現成公案」(仏道をならうこととは、自己をならうことです。。自己をならうこととは、自己へのとらわれを忘れることです。自己へのとらわれを忘れることとは、一切の物事によって(自己を)明らかにされることです。一切の物事によって(自己を)明らかにされることとは、自己の身と心、他人の身と心を、自由の境地にさせることになるのです)。

  このことばは、矛盾しているように思えるかもしれません。これは正法眼蔵の現成公案における自意識を捨てて、無我になることの大切な教えなのです。自分を深くみつめ、自分のなかにある自我のなかの自己欲をわすれていくことを仏への道としているのです。

  それは、自己欲にこだわらずに、無我の心を悟っていくというのです。無我になれということは、自分の欲、自己の見方にこだわらず、自分に執着せずに利他の心をもつことを意味しています。

つまり、相互に信頼して、心の自由ということでの自然の感情をもって生きていくことをのべているのです。このことは、自分の狭い世界ではなく、宇宙全体に向かって自分自身が自由自在になるということの意味になるのです。自由自在ということで、仏のこころの悟りを開眼することで、人間的に自由にふるまうことができるというのです。

曹洞宗の経典は、修証義です。それは、道元正法眼蔵から、その文言を抜き出して編集されたものです。多くの僧侶と信者の参加のもとに、1890年に曹洞宗の総本山として、公布したものです。

 

 修証義の総序は、生死を究めることからはじまります。現成公案では、薪が燃え尽きると灰になるが、灰が再び薪になることはないと、と同じように、人が死んだら再び生まれかわることはないというのです。生も一時のありかたなのです。鳥が空を離れると死んでしまう。魚も水から出ればたちまち死んでしまう。所を得れば、道を得れば、日常生活がそのまま永遠の真理となるのです。これと同じように、人が仏道を修行し、実証する場合に、一法得れば一法に通じ、一行に行えば一行を修することになるのです。

 

 「人身得ること難し」ということで、人間として、生まれてきたことは、まれなことで大変なことなのです。「最勝の善身をいたずらの露命を無常の風にまかすことであってはならない」「身すでに私に非ず、命は光陰に移されてしばらく、とどめ難し、」として、命は自分では自由になるものではなく、ときと共に消えていく有限性をのべていることで、現生、次の世、さらに、次の次での世という三時の長い時空で、因果の道理によって、命の大切さを考えて、悪行ではなく、修善の道に生きることを諭しているのです。

 

 ここでの道元思想の教えから戦争という人間の命を大量に抹殺していくことを長い歴史の軸によって、みていくことが必要になってくるのです。

 さらに、三時の見方から、懺悔滅罪としての心を清めていくことが求められるというのです。仏法では、大慈悲心によって懺悔していくことによって、許されていくという考えをもっているのです。日本は、戦前に軍国主義化によって、隣国のアジア諸国で酷い侵略戦争を行った過去の歴史があります。

 このことは、侵略戦争をしたアジア諸国と共生・共存して、平和を積極的に守っていくための平和憲法を堅持するための心を清浄することによって、懺悔滅罪されていくのです。それは、仏教的に道元思想からみれば、民族の誇りを傷つけるものではなく、懺悔滅罪として、真逆の民族の誇りになっていくのです。

 

 修証義では、三つの誓願として、してはならないことは絶対にしないという摂律儀戒、しなくてはならぬおとは、必ず実行するという摂善法界戒、摂衆生戒として、世のため、人のために必ず行うということです。十重禁戒は、第1に、不殺生戒をあげ、第2に、不ちゅう盗戒をあげて、戦争による不殺生戒と、略奪していくことを厳しく戒めているのです。

 

 そして、発願利生では、衆生きに4つの利益を施すとして、布施、愛語、利行、同事をあげているのです。貪らず施す心の大切さをのべるのです。そして、愛語は、慈愛の心を起こして顧愛の言葉を施すことで、怨敵を降伏して、君子を和睦させる力があるというのです。愛語は、平和の対話の力であるのです。

 世のためひとのための利行には、自分の利益、報謝を求めないことです。このことによって、自分も他の人もよい結果になるというのです。また、同事は、不意ということで、自分にも、他人にもそむかないことしかし、たがわないことです。自分と他の関係は一体であって、無限であるというのです。それは、自が他になることもあり、他が自になるというのです。海がどんな川の水を受け入れるのも同時行であるというのです。

 

 まさに、同事行は、異なる人々も、それぞれを受け入れて一体となって平和になっていくのです。世界の平和を考えていくうえでの同事行は、紛争・戦争を側面から、それぞれの民族の歴史と文化を直視しながら、複雑性と多様性を包み込む広い視野と大きな包容力が求められているのです。そこでは、民主主義と独裁という単純な対立を前提にした見方ではなく、様々な価値観、や様な宗教を共存・共生していく人間としての生き方の哲学が、必要になっているのです。