社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

アレントの公的自由論と市民による統治参加

アレントの公的自由論と市民による統治参加

f:id:yoshinobu44:20201215133257j:plain

 

はじめに

 

 アレントは、公的自由論を展開する政治思想家です。フランス革命は、自由の創設としたが、人間の抑圧からの解放すらできず、豊かさのが革命の目的となったとするのです。そして、人間の活動の領域は、私的領域と公的な領域があるとして、人間の最高の能力である互いに語り合っての統治に参加することの重要性を強調するのでした。ここに自由があるとしたのです。

 

 現代の大衆社会は、共通政界の公的領域に関する関心を全く失い、人びとを結集させる力、関係する力を失ったとするのです。大衆社会はもっとも孤独で最も反人間的な状況で、人間の公的領域も、私的領域も破壊しているというのです。人間の条件は、活動的生活にあり、人間の活動力は、人間の生物学的過程になる生命それ自体になる労働、人間存在の非自然に対応する活動力である仕事、多数の人と人との間で行われる活動という三つああるとするのです。人間の活動力は、共生しているという事実によって条件づけられるというのです。

 

 200年前に確立されたアメリカの自由という制度は、歴史的に名誉に輝き、最も長生きした名誉ある質の高い制度であったが、建国の200年を祝う今日、この統治形式と自由の制度が危機に瀕している。21世紀にも存在するのか疑問視しているのがアレントでした。ベトナム戦争の狂乱とパニック、公衆の多くが、商品を生産するより、消費することに多くの時間を費やすことになっている状況を考え直し時期とみるのです。進歩という教義、浪費をやめることは、滅亡をやめることになるというのです。

 

 フランス革命の自由の評価

 アレントフランス革命の評価を次のように語ります。「フランス近代革命は、自由の創設はおろか、人間の抑圧から解放することですらなく、豊かさの流れに変えることで、自由ではなく、豊かさが革命の目的となったと」。(志水速雄訳「革命について」ちくま学芸、97頁)

 さらに、アレントは、革命による解放と自由は同じではないとみます。解放は自由の条件ですが、決して、自動的に自由になるものではない。自由の内容とは、公的関係の参加、あるいは公的領域への加入だというのです。この自由の創造は、新しく再発見される統治形態です。つまり共和国の政体を必要としたのです。近代の公的な自由は、統治に参加する権利、自治の権利なのです。
 ここでは公的自由の創造として、積極的に統治に市民が参加することを意味しているのです。フランス革命の実際は、人間を抑圧から解放するのではなく、豊かさの流れという新たな抑圧をつくりだしたとするのです。
 また、アレントは、革命の暴力と必然性(困窮)ということで、経済的抑圧からの解放ということで、人間的自由を捨て去ったとするのです。自由を棄て、困窮の解放に屈服したとみたのです。


 地位追求のゲ-ムが起きるようになったこともアレントは重視します。立身出世の競争が近代社会によってもたらされたのです。教育問題にもそのことが端的に現れたというのです。教育の関心は、労働する人と知識人とに分けられるということで、自然によって与えられている才能から富が生まれるということになった。フランス革命が能力ある人々に出世の道を開いたとアレントはみるのです。
 また、アレントは、フランス革命の人々の意志にとって、市民の解放に関心を払っておらず、各人には法的人格が平等に与えられ、法的人格によって保護されされ、法的人格をとおして活動する意味での平等にも関心がなかったとする。つまり、法的な人格によって保護された社会的秩序を大切にしなかったとするのです。


 そこでは、万人のなかの自然人を自由にしたのであり、各人が属する政治体ではなく、万人によって与えられた自然の権利としたとするのです。こうして、結局、真実の解放と真実の平等にまさしく対立する恐怖政治が生まれたと考えたのです。アレントは、フランスの革命後の恐怖政治を具体的な法的な人格の欠如をあげているのです。

 アレントは、フランス革命の人権を次のようにみるのです。人間の政治的地位ではなく、人間の自然に固有の基本的・実体的権利を明らかにすることが目的であった。政治体の統制ではなく、政治体の礎石を確立するためであった。食べ、着る、種を生産する人間の権利、生存のために必要な人間の権利に依存するためのものであったのです。自然的権利を主張して、政府の権力の濫用は少数者だけの誇り高い秩序であったと考えるのです。

 

アメリカの権利章典の人類史的価値

 

 アレントは、フランス革命の自然の権利は、アメリカの権利章典とは明らかに異なったとします。アメリカの権利章典は、政治権力に対する永久的で抑圧的な統制を設定することで、政治体の存在と政治権力の機能を前提にしていたとするのです。
 困窮からの解放が自由の創造より優位におかれるという事実ばかりではなく、富者に対する貧民の蜂起が強力な力の惰性をもっていたとするのです。その力の原理は怒りです。意識された目的は自由ではなく、生活と幸福です。


 アレントは、国民一致の保障する統治秩序で、最も危険なのは邪悪ではなく、利己主義であったとします。公的自由の共通の敵は、各人の特殊利害であり、特殊意志なのです。自分自身の敵対者(一般的意志)を自分の内部につくりあげることによって、国民的政体の市民になるのです。自分自身の特殊な利害、利己主義をいかに克服していくのかが、市民の形成、公的な自由です。このためには、市民による統治への積極的な参加が個々の喜びとして実現していくことです。


 アメリカの植民地の住民は、自分たち自身の町の集会所に集まり、そこで公的問題を審議する権利をもっていた。人びとの感情が最初に形成されたのは、このような町や地区の集会においてであったのです。このような公的自由の情熱があったのがアメリカです。フランスでは、革命の起こる前に広がっており、実際にそれが革命にどんな観念をもたず、自分自身が果たす役割に何の予感をしめさなかったのです。公的自由は、フランスは、情熱や趣味であったというのです。
 

 公的自由と公的幸福の関係

 

 さらに、アレントは公的自由について、アメリカの独立革命からつぎのようにみるのです。アメリカ人は、公的自由は、公務に参加することであった。公務に参加することは、重荷になるのではなく、公的な場で遂行する人びとは、ほかでは味わえない幸福感であったのです。人びとが町の集会に出かけていくのは、義務ではなく、自分自身の利害に奉仕するためでもなく、もっぱら討論や審議や決議を楽しむためであった。
 アメリカでは公的自由と公的なことに積極的に参加することの喜び、公的幸福感をアレントは強調するのです。
 また、アメリカでは、公的幸福という言葉をもっていたというのです。公的自由は、自由意志とか自由思想、選択の自由とは非常に異なったものです。自由は、公的にのみ存在するものです。感覚で捉える世界的リアリティであり、天恵や才能というよりかは、人間が享受するために人間によってつくりだされたものでというのです。

 

 20世紀に入り、フランスやアメリカでさえ、憲法の概念が見る影もなく、人民の憲法制定権力が自ら遊離し、審議することもなく、公的自由への情熱、公的幸福の追求を自由に享受できるような新しい政治空間を創設しなければならないのは当然なのですとアレントはのべるのです。(前掲書、193頁)

 アレントは人間の条件という著書で、人間は公的領域と私的領域が存在し、人間は本質的に社会的、政治的動物とみているのです。人間の活動力は、すべて人びとが共生していることによって条件づけられているというのです。完全な孤独のうちに労働する存在は、もはや人間ではなく、労働する動物であると。活動だけが他者の絶えざる存在に完全に依存し、人間の活動と共生は密接に結びついているのです。(ハンナ・アレント、速水速雄訳「人間の条件」ちくま学芸、19頁)」
 家族を中心とする生活と政治的生活の2種類の存在を古代都市国家のポリスの創設によってつくられたというのです。人間は、ポリスの創設にによって、この二つの世界の能力をもつという。ポリスでの生活は、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。

 活動と言論は分離し、ますます独立した活動力となった。活動から言論に移り、それも起こった事柄や行われた行為に答え、反応し、判断する特殊に人間的な方法としての言論という。説得の手段としての言論に移ったとアレントは強調するのです。ギリシャ人にとって、命令することは、人を扱う前政治的方法であると。(前掲書、47頁~48)

 

近代の個人主義・利己主義と大衆社会

 

 近代の個人主義によって私的領域が著しく拡大し、近代の私生活は、政治的なものと対立していく。そして、政治的な領域の対立よりも社会的領域と対立していく。近代の私生活は、政治的領域よりも社会的領域のほうに密接に結びついているとアレントは考えるのです。
 国民国家君主制的構造が社会的勢力の完全な発達を妨げていますが、近代の発達が、大衆社会になっていき、社会的領域の平等化、自由に勝利していくとするのです。社会的領域は、教育も、創意工夫も、人間の卓越にふさわしい場所となっている公的領域の構成要素に取って替わるものではないこともアレントは指摘しているのです。

 

 魂の情熱、精神の思想、感覚の喜びは、非私人化、非個人化されない限り、公的な領域にはならないというのもアレントの考えです。共通世界の公的領域は、私たちを一緒に集めるけれども、同時に、私たちがいわば体をぶつけ合って競争するのも阻止しているとみるのです。
 大衆社会についてのアレントの人間の孤立化という見方も注目することです。大衆社会が耐えがたいものにしているのは、人びとの介在者であるべき世界が、人びとを結集させる力を失い、人びとを関係させる、同時に分離させる力を失っていることにあるとアレントはみるのです。まさに、共通政界にたいする関心を失しなっているというのです。


 大衆社会に不自然な画一主義が現れても、共通世界の解体は避けられない。どんな暴政でさえも自分以外の人は同意できなくなっているのです。根本的に孤立していることで、大衆的ヒステリーが起こるというのです。
 すべての人が、まるで一家族のメンバーのように行動し、完全に私的行動になるというのです。彼らは他人を見聞きすることを奪われて、自分の主観的ただ一つの経験のなかに綴じ込められるのです。これは無限に拡張されるが、単数であることに変わりないというのです。共通世界の終わりが大衆社会のなかで起きりと。

 大衆社会では、孤独は最も極端で、最も反人間的な形式をとると考えるのです。大衆社会はただ公的領域ばかりではなく、私的領域をも破壊し、人びとから、世界における自分の場所ばかりではなく、私的な家庭まで奪っているとアレントはみるのです。

 

近代の私有財産と社会的領域

 

 アレントは、近代になって、一方一では財産と富とが、他方では、無産と貧困が同一視れて厄介なものになっていると分析します。形式的にはどちらも公的加入を市民となって、同じような役割を果たす。近代社会は多くの富を蓄積するために公的領域からの財産所有の保護を要求したのです。共通の富は共通世界について語るような意味で、共通になることはない。それは厳密に私的なものに留まっているのです。

 

 私的所有は、できるだけ多くの富を競争しながら闘争するのです。私的なもののと公的なものの矛盾は、私的なるものとして残された富と私的所有は、公的関心になっていく。その結果、私的領域に隠され、保護され私有財産が社会的領域に犯されて、公的な分野と私的分野は消えていくとするのです。必然と自由、空虚さと永続、そして、恥辱と名誉の対立が、それに対応して、私有財産の保護という隠しておくものが消えていくとアレントはみるのです。