神田 嘉延
STEAM教育とは、科学(Science)技術(Technology)工学(Engineering) アート(Art)数学(Mathematics)の頭文字をとった造語です。
科学がITやAIなどの高度な自然科学の特定の分野に集中して、科学全般に射程をいれているかどうか大きな問題です。特に、コロナ禍で、医学、保健学と共に、経済学、社会学、心理学などの大切さを痛感したところです。
また、アートの分野は、リベラルアーツを示すところで、芸術、文化、哲学など人間が最も自由になる創造性と問題解決力の分野を含むものです。
デジタル分野やAO等、ロボット分野の人材育成は重要な課題であるともいますが、問題をすぐに役にたつ実利的なことにこだわっては創造的な課題の解決に結びついていかないのです。
成果は目先の利益ではなく、長期な人類的課題をもっての社会的貢献を伴った利益です。そこには、持続可能性と生態系を大切にした環境問題の配慮が不可欠なのです。
STEAM教育はアート分野が科学や技術、工学、数学と結びつけているのが特徴です。
シリコンバレーのSTEAM教育を紹介した「世界を変えるSTEAM人材」朝日親書、ヤング吉原麻理子・木島理江はアート分野を重視していることを人間性を大切にするとしています。芸術性、デザインを大事にしていることがシリコンバレーの新しい動きとしているのです。
人間を重視する思考にデザインがあるというのです。論理的、批判的思考の効率的、機能的側面ではなく、人間にとっての何が必要なのか、その根本的な問いかけを直感をもって発想を転換していくというのです。
イノベーションのものづくりに不可欠な思考というのです。デザイン思考は人間、ユーザーが必要なことを直感をもって見極める発想の場であるというのです。
日本政府の地方創生のまち・ひと・しごと創成の基本方針2020年は、コロナ禍で新しい生活様式と地方分散型の提言が出ました。
それには、デジタル・トランスメーションの推進(現実世界とサイバー空間がつながる世界)、感染症の克服と危機に強い地域経済、魅力的な地方大学の実現、オンライン授業等による国内外の大学連携、地方へのサテライトキャンパス設置をあげています。
そして、働き方として、リモートワークやサテライトオフィスによる地方への移住・定着の推進などをあげています。
地方創生事業は、二期目で2024年までの方針です。第1期の2015年から2019年によって、東京への一極集中は、この間に拍車がかけられて、その是正は成功しなかったのです。
この分析が十分に行われずに、新たな方針です。地方創生金臨時交付金を3兆円かけて新たな日常生活の自律的地域経済の構築をうたっているのです。
STEAM教育の基本には、人々の豊かな暮らしと幸福につながっていくための創造的な課題解決能力が目標のはずです。従って、社会科学的分野や哲学・芸術の分野が欠けては、総合的なそれぞれの分野連携のSTEAM教育にはならないのです。
戦後に、戦前の鋳型にはめた教育の脱皮をめざして、科学や技術・技能、情操を生活に根ざしてのコアカリキュラム教育の実践経験がありました。
しかし、その教育は系統性がなく、科学それ自身を取得していくことに問題があったのです。学力形成していく教育にはならないということから消えていったのです。科学の取得や学力形成を体験や興味関心、地域課題との関係で深めていくことが必要であったのです。科学や学力形成が一人歩きするのではないのです。コアカリキュラムの実践はその視点が極めて不十分であったのです。
また、教育と労働、生産と教育ということで、職業教育の実践もされましたが、それぞれの教科の固有な教育課題を深めていくことになっていかなかったのです。
社会教育分野でも長野での生産大学学習運動、農業改良普及の青年の学習運動がありましたが、それらは、社会教育として、消えていったのです。
近年の総合的な学習の時間も、ゆとりの時間ということから、子ども達の興味や関心ということが大切にされました。そのことが、教育の課題目標となっていく科学教育や技能・技術教育、情操教育などの教科の目標との関係が必ずしも深められていったわけではありませんでした。その模索は現在でも続いていますが、その役割は縮小しています。
STEAM教育を実施していくうえで、教育全般における根本的な見直しや教育の基本的な理念から、どのような位置づけになっていくのかということを明確にしていくことが必要です。
このためには、現在の学校教育の弱肉強食競争型の受験学力論,塾の繁栄の問題なども含めて、抜本的に見直す社会的な意識改革、制度の改正が求められているのです。
地方創成ということから、STEAM教育を位置づけていくのであれば、デジタル教育やサテライト、オンラインが全面にでてくるのではなく、もう一度、それぞれの地域を見直して、その特性からの持続可能性のある地域循環型社会経済やSDGsの未来社会への可能性を探っていくことです。
このなかには、デジタル、オンライン、サテライトの手段や方法を利用していくことを示すべき教育が求められるのです。目的を明確にしての手段や方式があるのです。
コロナ禍での地方創生で最も大切なことは、感染症などの医療体制や保健所体制が極めて不十分なことです。その徹底した検査も十分にないのです。
多くの国民のコロナの不安は、そのことにあるのです。大都市で比べれば医療保険体制が地方は脆弱なのです。地方分散型社会によって安心して命と健康が守られるためには、どのような社会的環境整備が求められるのか。
その人材の確保と養成はどのようにしていくのか。このことも含めての検討が必要なのです。医療や介護の問題ばかりではなく、地方の賃金格差と雇用の安定性は大きなものがあります。
全国一律水準の賃金保障が制度的にどのようにしていくのか。これは、国の役割が大きいのです。もちろん、大都市は家賃などをはじめ物価は高いことから都市手当は必要です。しかし、地方の雇用者は、根本的に賃金体系が低いのです。
これらの安定した生活保障問題をぬきにしての地方分散型社会の実現はないのです。また、人材養成では、大都市の大学と同じように、教育・研究条件整備、大学教員の質の確保、大学院の充実などが必要です。そのうえでの特色ある地方大学の魅力の創成です。
地方の防災対策なども、地方大学に充実したスタッフが確保されているわけではありません。桜島の噴火では京都大学、霧島火山は東京大学の研究所があります。地元の鹿児島大学では、研究体制が十分に確保されているわけではありません。
鹿児島には宇宙基地が種子島と内之浦と2ヶ所ありますが、その研究体制が鹿児島大学に配備されているわけではありません。
地方大学には、地域の特色を生かした教育や研究の体制がスタッフや予算面から整備されているとはいえないのです。極めて不十分ななかで地方大学のスタッフは教育と研究をしているのです。
この絶対的な条件整備不足の解消こそが、地方分散型社会の地方大学に対する政府の急務なのです。安易に特定の分野にスタッフを配置することではないのです。
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