社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

女神信仰を現代的に見直す

女神信仰を現代的に見直す

 ベトナムに旅行して、マウタムフーという道教の影響をうけての女神信仰と自然崇拝をあらためて、関心をもちました。日本でも女神信仰が地域の民俗風習にあることを思い出しました。

  そして、ベトナムの民俗文化の歴史から、今、世界のジェンダー問題や気候問題について、触発されました。ジェンダー問題は、世界的に女性の権利問題として、重要な課題になっています。

  女神信仰という文化が、人類の歴史文化のなかで、文明が発生過程の古代からの母系制社会を見直すことも必要となっています。

  人間の文明発生の起源において、母なる女性の権威は、どうであったのか。今、真剣に考える時期ではないかということです。そして、母なる大地の恵み、自然の恵みに感謝して、人びとは生きてきたことを見直すことではないかと思うのです。

  どの民族でもシァーマニズム的要素をもって、自然を神として敬う文化があったのはないか。東洋では、中国の古代文化で道教の陰陽五行説として、自然循環、自然気行論から自然の陰と陽の相反する二つの内容と相互に依存することと、消長し、転化していく自然の法則を明らかにしてきたのです。そこでは、知者を頼りに生きていたのです。

   日本でも陰陽五行説は、積極的に受け入れられて、その文化に融合して、独自に陰陽師平安時代に盛んになっていくのです。加持祈祷は、その後に修験道文化のなかでも行われていきます。

  日本において、古事記での神話で、高天原の世界では、アマテラスという女性の大きな権威が描かれています。

  アマテラスは、太陽信仰として、居ることが大切で、大きな存在感としての権威をもっているのです。日本の各地の神社のなかに、アマテラスが祀られていて、日本人の精神的な文化の支えになってきたのです。

  アマテラスの古事記の岩戸に隠れたという話しは、神話という心の世界で、なくてはならない自然の太陽に感謝して日本人は、生きるということです。いうまでもなく、神話の世界は、心の世界ということで、歴史の事実ということではなく、心の物語でもあるのです。

  古事記を読むときに、神話として受けとめることが大切なのです。それは歴史学の史実世界ではないのです。日本の心にある大切な文化としてとらえていくことが必要なのです。

 聖書を読むときも同様な視点が求められます。現在、人道上、人類史的にも稀な、残虐な行為がガザで行われています。イスラエルの無差別の空爆、地上の戦車を伴っての軍事占領をみると、この悲劇は人間でない地上の大悪魔の到来のようにみえるのです。旧約聖書では、エジプトから出て、シナイ山での神から、リーダーのモーゼにお告げがあったのです。それが、十戒です。現代でも精神的にかえるみることがきわめて大切です。6日間働いて7日目は休息をとれ、父と母を敬え、殺してはならぬ、姦淫してはならぬ、盗んではならぬ、隣人に対しては偽証してはならぬ、隣人の家を貪ってはならぬ。

 しかし、旧約聖書では、一神教絶対主義の他を認めることができない側面があるのです。女神信仰とも対比してみることも重要です。ずっと人間扱いされてこなかった奴隷からの解放で、おおらかな寛容の精神や多面性を認めることがないのです。つまり、旧約聖書では、これから入りこむ地の住民と契約を結ぶな。おまえらを捕える罠となってはいけないから。彼らの祭壇を引きおろし、石柱を打ち砕き、アシラ像をきりたおさなければならぬ。断じて他の神を拝んではならぬ。  

 ところで、奄美や沖縄では、王府によって任命された女性のノロと、集落の人格者の女性のユタが、地域の人びとの困りごとや悩みの相談を受けていました。生きていくうえでの良い方向に導いていった霊的能力をもった女性がいたのです。

  青森でも同様に、死者の魂とむすぶ女性のイタコと、日常的に相談事、困りごとを女性のカミサマがいたのです。カミサマは、かみおろしとして、神からのお告げをすることがされていたのです。津軽の総鎮守の岩木山の神社が、そのカミサマを支えていたのです。霊的能力をもった女性は、日常的な人びとの人間のもっている欲望を乗り越えて、天に誓って幸福の祈りを捧げる力をもっていたのです。

  沖縄本島南近くに浮かぶ久高島は、神の島として、女性中心の母系社会を形成しているところです。男性は、漁業従事していることから、島の行事、島の統治は女性によって行われているのです。

  島の道路建設を女性たちでつくりあげるということです。土地の畑や自宅は、神様のものとして、私有はなく、それぞれ平等に与えられて、使用しなくなったら、島の神様に返すということで、総有になっているのです。

  ここは、周囲8キロの島、人口238人、世帯153(2020年4月)で、水源はひとつで、そこは、神を祀っているところです。水は雨水にも頼っています。

  この島は琉球の創成神アマミキヨが天から降りてきたところとして、琉球神話の聖地でもあるのです。琉球は、女神が天から下りてきたのです。比嘉康夫「日本人の魂の現郷沖縄久高島」集英社参照)

  古事記の日本神話は、ニニギノミコトというアマテラスの孫が女性のアマテラスによって遣わされて、天から降りてきたのです。天孫降臨の話しは、琉球は、直接に女性のアマミミコが降りてきたのですが、日本神話の古事記では、アマテラスの命によって、降りてきているのです。

 近代社会の成立と共に、市場との関係で、効率主義による分業化という生産性第一主義になりました。そこでは、自然を疎かにし、利益優先の効率主義製品開発のみ工業化ということになっています。公害問題を発生させて、人の健康と命を奪い、自然破壊をしてきたのです。

  今こそ、自然の恵み、持続的な循環社会の形成を、真剣に考える時期です。人々が長い歴史にわたって、自然の恵みに感謝して、自然の掟を大切にしてきたことを積極的に評価することを要求される時代です。

  この意味で、自然の女神信仰は、大きな意味があります。現代社会でのジェンダー問題を考えていくうえで、人類史的視野からの女神信仰仰から大きな示唆を受けることができます。

  そこでは、女性が、自然崇拝と密接に結びついて、共生、分かち合い、思いやりという人間的に生きていくうえで、大きな社会的役割があったのです。

 

  意識・文化をもった人間と自然・欲望そのもの動物の世界の違いの根本から、あらためて考えていくことが必要ではないか。動物の欲望は自然的にコントロールされるのです。腹いっぱいになれば、それ以上に食欲は、求めない。

  人間の欲望は、理性がないと果てしなく拡大していくのです。女神信仰の原点から学ぶことは、共生、分かち合い、思いやるという、まさに、ヒトが、動物から人間になることによって形成された意識です。

 

 

ベトナムの女神信仰と自然崇拝ーマウタムフーから

 ベトナムには聖母道の女神を祀った寺院が、全国的にマウタムフー(母三府)としてあります。それぞれの寺院を拠点に、大自然を自分の神として、三府の天の聖母、土地・岳の聖母、水の聖母がいるのです。この神は、人びとに恵みをあたえる稲の神にもなるのです。その中心的なセンターにナムディン省のウーバン県キムタム村の寺院です。マウタムフーは、慈悲と寛容の象徴で、ベトナム人の健康、希望、幸福を導いていくとして、信仰の儀式が行われてきました。このマウタムフーが2016年にユネスコ無形文化財に登録されたのです。

 マウタムフーは、レンドンという行事で、祈祷師・霊媒者が、人びとの健康や幸福、暮らしの豊かさの願いを祈るのです。行事のなかでは、参列者に、祈祷師は暮らしの豊かさの印として、お菓子やお金ね配るのです。まさに、現世における豊かさや健康、幸福を直接に祈るということです。祈りは来世のことではなく、現世の幸福です。ここに、聖母道の特徴があるのです。

 マウタムフーは、タンドンという男性による民族衣装を装った服を着て、民族音楽の伴奏で、民謡や古い詩を歌ったりします。また、過去の英雄や王女の魂を呼び起こし自然の感謝や幸福、健康、暮らしの豊かさのお告げを語るのです。

 ここで、重要なことは祈祷師や霊媒者が、マウタムフーの信仰の理念や歴史をよく理解していることが絶対的な条件になるのです。かってに理解して、祈祷師・霊媒者の役割であるところの上天聖母、地仙聖母、上岸聖母の意味をまげて、人々を非人間的行為に誘っていかないことです。

   市場経済のなかで、人間の欲望が拝金主義におちいることを止めることも大切です。決して人を占い術で、騙して不幸にしないことです。

  祈祷師・霊媒者は、聖母信仰の価値を理解している教養性、人格性が不可欠なのです。もともと、マウタムフーは道教の影響のもとに、自然崇拝を基礎のもとに、仏教や少数民族の信仰が混ざって形成されたものです。

  ここには、ベトナム人の歴史的な暮らしの習俗のなかにあった希望や健康、幸福などの考えが色濃く反映されているものです。

 マウタムフーは、崇拝の対象として、ベトナム人の習俗の心があるのです。そこには、民族的な伝統の教理、礼儀、習慣の心があるのです。このことが最も大切なことなのです。それを無視しての自己利益のための祈祷師・霊媒者による行為ではないのです。

  祈祷師・霊媒者は、人びとの幸福を願う利他主義の人格性、教養性が高く要求されるのです。信仰は、個人やコミュニティの精神的な平安であります。

  それは、歴史的な習俗を伴った文化精神です。伝統的な風俗や習慣、礼儀、慣習をとおして表現されるものです。かつての魂を呼び起こすということも神聖なる象徴を祀る英雄、国家やコミュニティに功績のあった人を思い出すことです。

  迷信的な行為、非科学的な行為を促す祈祷師・霊媒者であってはならないのです。このことは、信仰の自由のもとに人々のこころを非科学的・非合理的な世界や人間的な社会ルールを乱すことではないのです。

  日本でも、オウム真理教の暴力行為や、統一教会にみられる霊感商法、信者から金銭の根こそぎまきあげる行為の非合理的な社会的混乱をひきおこすことがありました。決して、そうなってはいけないのです。

 マウタムフーにおいても祈祷師・霊媒者をとおして、聖母信仰が歪曲されて、金儲けの行為が起きたことがありました。迷信と信仰は厳密に区別してみることが必要です。

 

(2)日本の女神信仰

 アマテラスは、神話の神々の世界である高天原の大権を譲られ、ツツクヨミは、夜の国を支配、スサノウは、海原を支配するということで、この三柱の神が高天原の世界を統治する子どもがイザナギから生まれたということです。

 弟のスサノウは、母の命に従わず、泣いてばかりいたということで、悪霊どものわざわいが起こったのです。彼は、お母さんのいる根の国に行きたいということであった。そこで母であるイザナミは、スサノウを追放するのでした。

  スサノウは、高天原に上がるのですが、姉のアマテラスは、国を弟のスサノウが奪おうと思い、髪を解き背中に千本の矢が入る靫(ゆぎ)を背負い、脇腹には500本の矢の入る靫(ゆぎ)をつけ、勇ましい態度で待ち受けた。スサノウは謀反の心はないと答えるのでした。純白であるという誓約の神話になるのです。

  しかし、スサノウは、誓約に勝ったとして、アマテラスの耕作する田の畔を壊し、田に水を引く溝を埋め、新嘗祭の新穀を召し上げる神殿に糞をまき散らし、乱暴を働くのでした。

  アマテラスが神聖な機屋に、機織り女に織らせていたときに、スサノウは、その機屋の棟に穴をあけて、馬の皮を逆さに剥ぎ取って、穴から落とし入れた。

  機織り女は、これを見て驚き、彼女は、梭(ひ)で陰部を突かれて死んでしまった。これを見て、アマテラスは、恐れて、天の岩屋に隠れた。このために、高天原は、暗闇となった。

   このような状態になっときに、ありとあらゆる神々が集まって、善後策を考えた。夜、鶏をたくさん集めて鳴かせます。硬い石と鉱山の鉄をとってきて精練させました。そして、鏡をつくるのです。また、八尺の玉飾りをつくらせました。桜の木で、鹿の骨を焼いて占うのです。

   こうして、準備が整った後に、サカキを根本から抜いて、玉飾りと鏡をとりつけ、白と青の御幣を垂らし、添え物を取り持って、祝詞を申し上げました。天の岩屋の前で踊り狂い、乳房をかきだし、ひもをたれて、女陰を出した。

  すべての神々はアハハハーと笑ったのです。アマテラスは、わたしが隠れて、高天原が暗くなっているのに、どうして、皆は大声で喜んでいるのかと、不思議に思い、岩戸を少し開くのでした。岩戸のそばに隠れていた神がとっさに、アマテラスの手をとって引き出すのでした。

 多くの神は相談して、スサノウに罰金を課して、全財産を没収して、永遠の流刑を課したのです。追放されたウサノウは、食物を、オオケツヒメウリカミに求めた。調理している姿を隠れてみていたスサノウは、汚いことをして料理するものだと調理したオオケツヒメウリを殺してしまった。殺したオオケツケヒメウリの身体すべてが、蚕、稲の種、粟、小豆、麦、豆となった。

 追放されたスサノウは、出雲の国で、今まで、悪いことばかりをしていましたが、ここで、正義の力を出すのです。八俣の大蛇(やまとのおろち)によって、娘が毎年に食われてしまう話を泣いている老人から聞いた。彼は、奮起して、正義のために大蛇を退治するのでした。こうして、スサノウは、出雲の国に宮殿を建てることにしたのです。

 ずっと年月がたって、アマテラスは、大国主が統治のことで悩んでいたことで、出雲の国に誰を使者として、どの神がよいのかと、多くの神々に申し、意見を交わして、国譲りの使者を決めていったのです。使者を遣わすのに、自分で考えて、意志決定するのではなかったのです。アマテラスは、周囲にはかりながら意思決定するのでした。アマテラスは権威をもっていますが、みんなの意見をだしあって決めていくのでした。

  ところで、出雲の国での統治していた大国主神は、スクナビコナと共に、国づくりをしていく考えであったが、彼が黄泉の国に行ってしまったので、私一人でこの国をつくっていくことができようかと憂いていたのです。一人で国を統治するのではなく、共に志をもった人と国を統治するということができなくての悩みであったのです。

  この状況のなかで、ある日、海の方から光り輝いて神があらわれた。アマテラスの遣いが現れたのです。「あなたとともに国づくりをしよう。私の魂をよく祭ることができないならば国づくりは難しい。わたしを、大和を囲む緑の山の東の山の上に祭れ」と語るのです。これは、アマテラスの命によって、出雲に下ってきた使者の一行の言葉です。

  大国主神は、16柱の神を子とされた。高天原からの国譲りのアマテラスの命の使者の尋ねに、「わたしは答えることができぬと、わたしの息子の長男ヤエコトシロ主神が答えるでしょう」とのべるのです。

 大国主神の長男は、国譲りに了解するのです。また、大国主神は、息子のタケミノカタ以外に背くものはないとのべます。タケミノカタは千人引きの岩で軽々と差し上げて、この国にやってきて、こそこそと話をするのは。力比べをしてみよう。

  高天原から遣わされたタケミカズチノの手は、つかまえたところ、氷柱に変わり、また剣となった。そして、大国主神の息子タケミノカタをとって葦の葉を握るように投げ飛ばした。大国主神の息子タケミノカタは、諏訪湖まで逃げたが追いかけられ、降参するのでした。

 以上がスサノウの乱暴とアマテラスがお隠れになって、高天原が真っ暗になって、すべての神々が集まってみんなで善後策を練った古事記の神話の話です。そして、出雲に下ったスサノウの五世の孫の大国主神の国譲りの意志決定でも自分で決定しないという話です。 

 日本人の女神信仰は、縄文時代から土偶の遺跡からみることができ、アマテラス神話にも女神信仰からの日本的な意思決定があったと、吉田敦彦「日本人の女神信仰」草土社で、のべるのです。

 「記紀神話には、天上でもまた地上でも主権者の立場にある神が、自分では決定をくだそうとせずに、当事者の神たち全員の総意を求めては、それに従おうとする態度が、くりかえし語られている。これは、まさに現在まで、わが国の社会の至るところで暗黙のうちに機能して来ている、日本的な意思決定のしくみと、そっくりそのままでないかとおもわれる」。160頁

 「記紀神話の分析を通してわれわれは欧米の「個」の論理・倫理に対して、「場」の論理・倫理などという言い方をされて来ている。このように日本人の真理と行動様式の特性が、八世紀初頭に書き止められた神話にすでにはっきりと表現されており」(162頁)。

 日本の女神信仰は、記紀神話のなかにみることができると吉田敦彦はのべて、そこでの日本神話にみられる日本人の精神は、神は自分では決定をくださず、当事者の全員総意を求めて意思決定することで、欧米の個の論理ではなく、場の論理を強くもってきた民族であるとするのです。この論理が古代から現代までも日本人の精神の根底になるのではないかとするのです。

 

(3)マリア信仰の現代的意義



 ベトナムの信仰では仏教は観音菩薩が女性として、考えられています。また、カソリックでもマリア信仰が強くあります。上記の写真はクアンチン省のラヴァンの森の教会として現在までも残されている森の中を形づくった聖母マリア像です。

  ベトナムカソリック教徒は、1798年に反カソリック布告がだされて、弾圧・迫害されました。弾圧から逃れて、クアンチンのラヴァンの森にかくれて、毎晩樹齢100年のカジュマルの木の下の根元に集まり、聖母に救いを求めたということです。ベトナムキリスト教信者は、カソリックでマリア信仰を強くもっていたのです。

 山形孝夫「聖母マリア崇拝の謎」河出書房では、「求められているのは、硬直した父権的正義に代わる母なる大地の生命原理であり、男性優位の個人主義に代わる柔らかな共生の原理ではないか。悲しみに聖母マリアのイメージが喚起するものは、大地母神崇拝にさかのぼる母なるものの始源の祝祭ではないか」と、父権的正義・個人主義一神教に代わる大地母神崇拝ではとのべています。(21~24頁参照)

 山形孝夫は、聖母黒マリア信仰は、ヨーロッパでの古代ケルト人文化の大地の女神を象徴するもので、農耕民の母性原理である土母神崇拝のあらわれであるとするのです。中世において、キリスト教は、父権的な原理で一神教が徹底していたのだというのです。ローマ帝国に征服されたケルト人の多神教地母神崇拝の文化は、農民のなかに深く浸透していたことによりキリスト教が支配するヨーロッパでは、迫害されるが、黒聖母信仰として根づいていくと。(201頁)

 19世紀から20世紀にいたるローマカソリックは、聖母マリア信仰を認めるようになったのです。これにたいして、プロテスタンの教会はいっせいに反発したのです。聖母マリアア信仰は、アニミズムの原初である母なる大地と結びついたキリスト教として、東アジア、東南アジア、中南米、アフリカと拡がっていったとする。

  ここには、男性優位の父権的一神教、暴力を伴った国家権力と結合した父権正義から、共生的な母なるものの復権であり、冷たい孤立した個人主義にとって代わる森でもあり、泉である大地である温かい母なる生命の根源へと続くものあると山形孝夫はみるのです。(232頁~233参照)

 マリア信仰は、キリスト教の家父長的・一神教な文化のなかでは、禁じられてきたにもかかわらず、広がり続けたのでありますが、植民地獲得と結びついた布教の世界的の拡がりで、聖母信仰がグローバルになっていったというのです。

  ここには、植民地になった人びとのなかにあるアニミズム信仰からの地母神崇拝があったということで、それと結びついたキリスト教が聖母信仰になったとするのです。イエズス会などは、その中心的な役割を果たしたとみられるのです。