社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

 社会関係資本と生涯学習

 社会関係資本生涯学習

 

                       

    はじめに

 

  信頼は生きるうえでの財産です。人脈やコミュニティは、信頼されるうえで大切な社会関係資本(財産)です。人は誰でも安心を求めます。

  しかし、現実は、様々な面で厳しいことがあります。人間関係、社会との関係で、安心を保障されるには、信頼が不可欠です。信頼とは、人の思いやりの発現です。信頼される人格は、深い人を思いやる心、様々な価値観、個性やクセを持った人を包み込み、豊かな学識と正義に満ちた判断力をもっての行動力をもっている人です。

  

   現代社会は、騙しや詐欺、政治の裏金問題など信頼が大きく揺らいでいます。この現象は、コミュニティのない、絆のない無縁社会傾向のなかで起きています。弱肉強食の競争社会のなかで、負け組が必ず生まれます。新自由主義の自己責任論の広まりのなかで、社会のやさしさや思いやりがうすくなっています。

  だれでも人間らしく生きる権利は、自己責任論に転化であいまいにされています。社会保障は、新自由主義のもとで、ないがしろにされています。競争主義的能力の劣る人々は、挫折と無気力へと追いやられ、孤立させられていく社会なのです。

  どんな人でも社会的に役割があります。誰でも、人は、生きがいをもって、社会的責任を果たせるものです。小さな力でも、まとまっていけば大きな力になるのです。特別に社会のなかで優れた人だけでは、その社会的な力は限界があるのです。 

   弱肉強食の競争社会と大量消費社会のなかで、大都市には、人口が集中しています。そして、農山漁村の過疎化が進んでいます。人びとは、大量生産・大量消費をあおられて、個人の欲望が肥大化しているのが、現代の弱肉強食と自己責任を押し付ける新自由主義の社会です。個人の欲望の肥大化は、お金を絶対的にみる拝金主義に陥って、自己中心的世界にはいりこんでいくのです。

   人間の幸せとは。現代では大きく問われているのです。お金のみを追い求めて、欲望社会のなかで、殺伐としたコンクリートの人工物のなかで生きることが幸せなのか。現実はお金がなければ生きていくうえで不自由を感じるのは、誰も否定できません。お金と人間の絆の分断が起きるのです。友情、家族の愛、地域の人々の連帯感、文化的アイデンティティー、世のため、人のために生きる素晴らしさ、しかし、自己欲望も渦巻く。心の葛藤が起きるのです。

   人は、本質的に社会的存在です。孤立のなかでも利他の心を求めます。そこに、マスコミやSNSによる現実的ではない、同一心、共感を求めてくるのです。マスコミは社会的心の操作に利用されやすいのです。

   それは、感覚的なもので、扇動されやすい行動判断をもつようになるのです。いわゆる大衆化・群衆化の傾向です。マスコミの発達、SNSの普及は、人間と人間の肌による接触ではなく、マスメディアの機械による接触で、AIによって、機械的に操作されやすくなっていくのです。

   社会の欲望の肥大化は、個々の欲望のコントロールの歯止めがきかなくなることもたびたび起きるのです。それは、社会的秩序の乱れによって、深刻な退廃的状況も同時につくりだします。

   さらに、弱肉強食の競争社会は、社会的格差や同一化を求めての社会的差別、政治家やエリート層の退廃も深刻になっていきます。

   実際の人びとの暮らしは、所得格差、異文化、外交人労働者の増大、価値志向など多様化しているのが現実です。それは、狭い自己中心的な世界においやられているので、みえないのです。

 社会関係資本という絆や他者への思いやりの信頼関係、人脈・ネットワーク、互酬性の規範、コミュニティは、大きく問われる時代になっているのです。

   社会関係資本について、現代社会の関係で、入門的・体系的に書かれたジョン・フィールド著・佐藤智子他訳「社会関係資本現代社会の人脈・信頼・コミュニティ」を参考にしながら、人脈の力、社会関係資本の隘路、インターネットの問題、社会関係資本の政策課題を生涯学習という視点から批判をまじえながら、建設的未来志向で考えていきたい。

 ジョン・フィールドは、1949年生まれで、生涯外学習の研究で知られ、イギリススコットランドスターリング大学教育学部に籍を置いていた名誉教授です。

 

社会関係資本の概念構築

 

 ジョン・フィールドにとっての社会的関係資本の核心の見方は、流動的な多様な相互依存の世界における新たな社会的つながりの価値です。つまり、社会的ネットワークが価値ある資産であるということを強調しているのです。

 そして、先行研究であるピェール・ブルデュ、コールマン、ロバート・パットナムの社会的関係資本概念を検討していくのです。ブロデュは文化資本ないし経済資本と人脈の相互作用について明らかにしたが、社会関係資本役割を現代的に明らかにするうえでは、限界をもっているとした。

  それは、エリートが保有する資源を焦点化したことで、同一の文化圏でマナーを共有あっても人が好きになったり、嫌いになったりという事実を認めず、親戚関係や近親結婚の役割を誇張しているのです。

  これは、社会階層的についての静的モデルに依拠しているというのです。制度化された社会的関係資本を代表する立場のある人が、横領・不正・流用の可能性を認めていることや、社会的関係資本の保有者のメリットだけを一面的に強調している決定的弱点があるというのです。

 コールマンは、社会関係資本が相互扶助を誘引して、信頼と共有価値の広域ネットワークに接続していくとしています。かれは、ベッカー等の人的資本の個人利益を最大化する合理的選択理論を発展させた。

  そこでは、新しく個人の利益ではなく、他者と協力の利益のなかに社会関係資本概念を位置づけたのです。社会関係資本は、協力の動機づけが大切になるのです。学校での学業成績達成と社会的不平等とのコールマン研究の報告では、家族やコミュンティの環境要因が大きいということであった。

  そこで、コミュニティこそが社会関係資本の源であり、社会的・経済的に不利な家庭環境の改善の重要性を指摘したのです。社会関係資本は、信用を得るためではなく、認知能力の向上や健全な自己アイデンティティの成長にとって有益であるということです。

  そして、家族を超えた地域のコミュニティという社会関係資本が、個人と集団の両方を橋渡しするもので、個人としての資産というとらえ方だけではなく、社会環境の信頼度ということになるのです。

  コールマンの限界は、子どもたちを成長させていく第一次的責任は、現代社会において、学校という構築された組織が担っており、家族や個人と橋渡しする原初的な社会組織である閉鎖的な紐帯のコミュニティの社会関係資本ではない。

   ここでは、閉鎖的な密度の濃いコミュニティを過大評価しているのではないか。コミュニティは、公共財として善良に機能すると楽観的で、コミュニティの隘路という負の側面をみていないとジュン・フィールドはのべるのです。また、個人主義に対して、コールマンは否定的で、社会的孤立は有害ということで、スキルの分配を個人の選択に委ねることを重視しなという弱点があるというのです。

   人間は社会的存在であり、個人の利益を最大限に求めていくということに、利己主義の問題に戻るのです。個人の尊厳と利己主義、個人の選択の自由尊重と自己の社会的役割や社会的倫理・社会的ルールの人間的成長ということを公的な機関、コミュニティ、社会的労働、社会的組織のなかでみつめていくことが大切になるのです。

  コミュニティと同時に社会的なネットワークや自発的なさまざまなボランティア活動や社会的体験、自然体験などで、自己を社会的に位置づけて、その役割を認識していくなかで、自己のやりたいこと、自己選択が必要になってくるのです。

  その順序が、段階的ではなく、先に自己のやりたいことが当然ながら芽生えていくものですが、実は、そのことは社会的影響によって、自己のやりたいことが反映していくのです。

  パットナムについては、アメリカのコミュニティの崩壊のなかでの社会的関係資本の構築です。アメリカ民主主義は、コミュニティの存在によってつくられてきた。この意味でコミュニティの崩壊による孤立・無縁社会の進行のなかで新たに民主主義を構築していくためには、市民参加をどのようにつくりあげていくのかという課題があるのです。

  パットナムは、社会関係資本とは、ネットワーク、規範、信頼などの社会生活を特徴とするという。その中核はネットワークと。そして、ネットワークから生じる互酬性と信頼の規範とするのです。 

  社会関係資本は、橋渡し型、結束型と二つの形態がありますが、結束型は排他的アイデンティティを強化し、同質性を維持する傾向に対して、橋渡し型は、多様な人びとを結びつけるのです。パットナムは政治的無関心と他人への無配慮に暗黒郷を考え、そこには、犯罪や貧困対処のない社会を描くのです。

  アメリカ民主主義の基盤となったコミュニティの衰退の原因は、家族構成の変化や福祉国家の発展ではない。その衰退は、人種差別でもない。むしろ、大企業の力が大きくなって、グローバル化がビジネスリーダーたちの市民参加への関与を減少したためであるとするのです。

  そして、さらに、パットナムは、社会関係資本の衰退は問題なのであろうかと、根本問題を投げかけるのです。社会関係資本との関連で、教育、経済発展、健康、幸福感、民主主義の関与などを社会的信頼や市民活動への関与などで調査するのでした。

 パットナムの社会関係資本の定義は、ネットワークへの積極的参加に重点が置かれています。そこから生じる互衆性と信頼性の規範に重点が置かれているのです。ジョン・フィールドによると、パットナムは、社会関係資本がもたらす特定の効果を過度に強調してきたというのです。低水準の社会関係資本が貧困の原因になると推論するが、貧困こそが人々のネットワークを貧しくしているのです。

  ジョン・フィールドは、3人の社会関係資本論の共通の弱点は、組織や政治生活に参加する方法について、男女間の違いの探究、女性の役割についての見方はない。ジェンダーと権力関係や社会関係資本の負の側面の分析は、3人の社会関係資本論についてない。今後の課題になっているというのです。

 

人脈の力・社会関係資本と教育

 

 社会関係資本は教育との密接な関連をもっているのです。コールマンの研究は、は、社会的・経済的に恵まれた家庭の子どもたちは、不利な環境に置かれた子どもたちよりも学業成績はよい傾向にあると一般的に予想されますが、その例外を明らかにしたのです。宗教系のコミュニティの学校という社会関係資本が教育に影響を与えていたのです。

 社会的に不利な環境で育った若者に、社会関係資本は、社会階層の低さや文化資本の弱さを挽回する切り札になり、高い水準の成果に結びつくというのです。すべての形態に結びつくものであるのか、特定の文脈に依存しているのかということは明らかになっていないとジョン・フィールドはのべるのです。

 社会関係資本の内容を考える方が重要ではないか。それには、コミュニティのなかに、高い識見をもった教育的役割を果たす人がいるのかどうかということが前提になってきます。

  その人は僧侶であったり、牧師であったり、宗教家、文化的な権威をもったリーダー、元教師や社会教育関係者、社会運動家、豊かな知識をもった世話役などコミュニティの内部での人々を人間的に感性と知性をもって、異なる価値観、多様性を認め合うことで、大いに対話して未来志向の人格に育てていく基盤があるのかということです。

  これは、ひとつの教育的な人脈です。その教育的人脈はコミュニティ内部だけではなく、外部との多様な関係をもてる橋渡しの人物がいるのかどうかということも大切な要素です。伝統的な村落社会でも決して閉鎖的な側面ばかりではなく、修験道・山伏などによって、外からの文化が入ってきているのです。そして、全員一致主義という徹底した議論が行われていたのです。決して多数決原理による効率主義的な意思決定ではないのです。しかし、現代的には、伝統的なコミュニティは急速に崩壊していく傾向が強く、新たなコミュニティづくりが課題となっているのです。

  これらには、今までと異なって、地域、職場、学園で、それぞれの機能や独自に目的意識的な組織づくりが求められているのです。これは、自然発生的なものではなく、とくに公的な学校や社会教育機関、職場での学びの意識の醸成が不可欠なのです。

  それらは、暮らしの学び、健康の学び、子育ての学び、趣味やおけいこごとの学び、スポーツなどをとおしての様々な結びつきをつくっていくリーダーの役割が極めて大切なのです。

  ジョン・フィールドは、学校の友人関係は共に成長し、同級生のうちの何人かとは何年間も連絡をとりあっています。

  しかし、生徒や学生の間の友情ネットワークに関する研究は少ない。学校内部の人間関係を社会的関係資本と結びつけて、その継続性をみていくこともひとつの人脈です。

  同窓会やクラス会、卒業しての同じ学校で学んだ友人との深い人間関係の継続は、その一自身の社会的ネットワーク、社会的信用や社会的権威などとも結びついて、社会的信頼や社会的相互作用の潤滑油になっていくのです。

  学閥は、閉鎖的で、仕事の合理的な能力を判断していくことを否定しての社会的なマイナスのイメージをもっていくこもあります。そのことが不合理な利益集団として機能していくこもあるのです。しかし、心情的に同じ学校で学んだというひとつの心のよりどころの学問的な文化もあるのです。

 

経済と社会関係資本

 

 

 経済領域の人脈について、ジュン・フィールドは、人的資本の職業訓練や一般教養教育などの投資との関連も含めて、その効果、収益分配率などの道具となったことや、合理的就職での選択理論の検討をしていく。

  経済学者は、資格と学歴による就業能力とみなす見解であるが、社会関係資本視点からは、就職活動において、親類が持つ人脈に支えながらの、家族や友情のネットワークが就職活動に重要な役割を果たすことを指摘している。

  中国では、解雇された労働者が再就職する際に、親族や親しい隣人で構成される社会関係資本を利用されることが圧倒的に多いと指摘しています。ドイツでは社会活動への参加活動への参加が失業者の就職と正の関係がることを指摘しています。

  雇用する立場からでもネットワークや人脈を活用することで、大きな経済利益をもたらすことがしめされているとするのです。

  ジュン・フィールドの指摘は、労働市場との関係で、社会的関係資本をみているのですが、ここには、積極的に雇用の安定や自分の希望した通りの就職ができたということがあります。が      しかし、それは、社会関係資本が、閉鎖的ではなく、広く開かれて、公開と民主の原則を維持して、積極的に社会権の視点からの雇用の安定、労働権の保障、民主主義的に自分自身が参加しているかにかかわっているのです。

  そこには、職業選択の自由と自らが望むのには、キャリアアップや時代に対応できる職業・技術教育などの教育権の保障が当然ながらむすびついているのです。

   身分制的な封建的な制度のなかでは、見習いとして丁稚奉公していく時代は、親族をとおして、見習いを周旋する業者がいたのです。それは、封建的な身分制時代の閉鎖社会の親族と知人をとおしての見習奉公であった。

  その制度は、近代の製糸工場や縫製工場の年季奉公で続いたのです。善意の工場主にあたれば、工場内での学習も保障されたのです。

   しかし、多くは、前借して親が給金をとっており、過酷な不自由な生活を多くの女工は強いられたのです。雇い主と斡旋業者・紹介者の知人の良識に大きく左右されるのです。

   このことは、現代でも言えるのです。外国人労働者の実習制度は、その典型で、送り出し機関や送り出す日本語学校、管理団体が金儲けのために、絶対的な拝金主義になっているのかどうかということが大きく問われるのです。まさに、社旗的モラルが大きく問われているのです。

  法的にも罰則がきちんとしていないことも大きな要因です。日本語学校や中間業者のやりたい放題という現実があるのです。制度にそっての日本語教育は極めておろそかになるのです。り     また、借金をかかえて日本に技術・技能の実習ということではなく、出稼ぎにやってくるのです。実習制度の理念にそって実施すれば、受け入れ企業の労働力不足の解消という側面だけではなく、積極的に発展途上国への企業進出の人材確保になるのです。

   外国人労働者問題は、深刻な労働力不足が根底にあります。とくに、地方の中小企業や農業生産法人などは深刻です。、そして、介護や肉体労働を必要とする分野では、労働力不足は、厳しい現実があります。受け入れ企業・農業生産法人にとっては、中間業者に弱い立場から、ものが言えない側面があるのです。このことは、民間の職業紹介会社や派遣業者にも言えることです。

  この現実の問題から、外国人労働者の権利を守り、かれらの将来のキャリアを保障していくためにも、また、受け入れ会社にとっても安定的に労働力を確保するためにも人権や民主主義を保障していくための良心的な社会関係資本のネットワークが必要になっているのです。

  ビジネスを成功させるためには、ネットワークが重要であると考えられてきたという。創業期の段階では、人脈が、重要な情報資源となり、ビジネスチャンスを見極めて活用するうえで重要な役割を果たすという。

  イノベーションの交流は、商品やサービスの取引のような企業間のより確立された活動と同様に、お互いを信頼する人々の安定したネットワークの存在のよって促進されていく。

  パットナムの研究の紹介から、イタリアの民主主義に関する研究から、市民参加と経済的繁栄が長期的に関連性を持つというのです。それは、協力の習慣と信頼規範の発達に起因するという。信頼と経済成長、市民組織活動と信頼の間に一貫した正の関係があるということです。この信頼と経済成長を異なる社会関係資本との関連で、深く分析していくことが必要とジュン・フィールドはのべるのです。

  社会的結束と健康は、関連しているとジュン・フィールドは指摘します。そのエビデンスは、19070年代後半から十分に確立しているというのです。社会的紐帯が弱い人々は死亡率との関係で強い相関があるというのです。パットナムの研究の結果によると、社会的結束の強い人は、相対的に健康であるということを4つの理由あげています。1,社会的関係資本のネットワークは、物質的支援ができるのです。第2に、健康な規範を強化できるというのです。第3に、医療サービスの効果的なロビー活動ができるというのです。第4に、相互交流が身体の免疫システムを向上させるということです。

  所得格差は健康水準に悪影響をもたらし、社会関係資本のネットワークが、それを改善することができるとしているのです。社会階層の異なる上位から下位までの異なる垂直的な紐帯が大切としているのです。

   異なる社会階層の垂直的なネットワークをどのようにつくっていくのか。これは、格差社会の拡大のなかで、孤立していく低所得層の蔓延のなかで、どのようにつくっていくのか。極めて難しい課題でもあるのです。

   犯罪と逸脱を減らすことでも社会関係資本のネットワークは、大きな役割を果たすとジュン・フィールドはのべます。パットナムのアメリカの研究で、殺人、暴行、強盗は、インホーマルな社会的統制が弱く、法執行機関のようなフォーマルな外部資源を動員する能力が低いことに起因するというのです。

  社会関係資本のネットワークの充実と法律を順守する傾向があるというのです。若者が強力なネットワーク、広いコミュニティに統合されることで、自尊心と地位の感覚を獲得するというのです。これが犯罪を低減するというのです。

  互酬性への期待は、お互いが信頼しているかどうかに左右されるというのです。信頼自体が複雑で多様な現象であり、信頼は共有される規範と強力なネットワークが必然的帰結でもない、市民参加の多くが信頼を生み出すというエビデンスもない。信頼それ自身が望ましいものであるのかという経営陣の不信感があるというのです。

  このように概念の構築において、信頼と社会関係資本にジュン・フィールドは疑問を投げかねているのです。そして、橋渡し型と結束型、強い紐帯と弱い紐帯、同質性と異質性などの区別から社会関係資本が複雑ということで、概念の細分化を提起するのです。

  さらに、社会関係資本の前提条件としての協力と互酬性を生み出すということと、投資した個人にとっての価値があるだけではなく、より広範な公共利益にとっても価値があることが大切としているのです。

 

社会関係資本の隘路の散策

 

 社会関係資本は、地位と特権を支える資源にアクセスすることによって、他者を犠牲にして自らの地位を高め、不平等を拡大していくとジュン・フィールドはのべるのです。

  つまり、雇用主がネットワークをつくって労働組合を弱体化させたり、力のある集団が集団の外にいる人たちを社会的につながらないように、社会的に力の弱い人々の社会関係資本を解体したりすることがあるのです。

  市民組織の構成員は、性別によってすみわけられている場合が多く、社会関係資本が不平等に影響力をもつ場合があるというのです。

  また、社会的差別を受けている人種や民族的な問題では、それぞれのネットワークが社会的に広く交流するのではなく、別々で閉鎖的に固定されているという。

  社会的に不利な立場に置かれている人々は同質性の高い社会的ネットワークをもっています。裕福な異なる人々との社会的ネットワークは持てない状況になるのです。最も裕福で高学歴の人びとは、影響力のある人脈を多くもっています。人々のネットワークは、質的に異なるものが多い。

  多様な社会関係資本のなかでは、構成員の私的利益のための派閥を組むものもあります。組織的犯罪に加担していくネットワークをあります。権力を握っての私的な利益を求めていく政治的腐敗などにもみられるのです。

  社会関係資本のネットワークが社会的に犯罪や腐敗の温存になるという社会的正義から逆効果の側面もあるといのです。政治の世界では、コミュニティのリーダー格が、政治参加を支配し、自身の豊かなネットワークを利用して、自分と異なる意見の人びとを排除したり、その人の意見を無視したりすることが多々あるというのです。

  社会関係資本は、社会的正義の側面ではなく、社会的な負の側面があるとことをみていかねばならないことをジュン・フィールドは強調しているのです。社会関係資本における高い社会的規範、社会的正義が求められていることを見逃してはならないというのです。

 

インターネットは社会関係資本を破壊するのか

 

 パットナムは、テレビがアメリカの地域社会の崩壊の主な要因であるとしているのです。テレビによって時間が消費され、家にひきこまるようになった。テレビは、人びとの受動性と無気力を助長する。多くのテレビ番組のないようは、反市民的になる傾向があるのです。

インターネットが社会的人脈を下支えするだけではなく、一般的な情報や資源を提供することによって、社会関係資本に寄与しているという研究成果もあると。以上のようにジュン・フィールドは、バーバラ・B・ネヴィィスの調査結果を受けてのべるのです。

  インターネットが社会関係資本にマイナスの影響をあたえているのは、社会関係資本の隘路の特徴に起因があるとするのです。SNSの議論は、憎悪と敵対心を加速させる側面をもつ。社会調査のエビデンスのデーターが単純な統計的分析で、オンラインの相互交流と対面での相互交流がなぜ関連するのかという根本問題を明らかにせずにオンラインでの相互交流が対面での関りを充実させ、その不足分を補っていると結論づけているとジュン・フィールドは批判するのです。

  インターネット利用者と市民活動の参加者は、ともに相対的に高学歴で高所得の傾向があるのです。この要因はアクセスの良好さに関連しているのではないか。オンラインの交流が一体何をもたらすのかを理解できていないという。

 

社会関係資本の政策と実践

 

  OECDは、教育及び学習は、社会協力及び参加につながるような習慣、能力及び価値を支える可能性があるとのべているのです。

  より広い意味で教育と社会関係資本が結びつくのは、社会的学習のプロセスによって協力と互酬性が生み出すからであると。

  学問的な要素を通じてのみならず、スポーツやクラブ活動などの課外活動での出会いを通じて、学校や大学での成功体験がより優れた社会的スキルを育むからであるとみるのです。そして、教育活動が社会関係資本の促進に役立つとされるのは、次のような活動であるとみるのです。

  年齢やライフステージの異なる人々が集まり、知識や経験を共有する世代間学習、アメリカのヘッドスタートの親教育プログラム、児童・生徒・学部生を対象としたサービスラーニング・プログラムがあります。

  そして、、学部生のための課外活動やインターシップ、生徒・学生や起業したばかりの人、新領域に就いた人などに指導や支援を行い、橋渡し型社会関係資本を創出するところのメンタリング事業もあります。

  さらに、ボランティア事業の支援、ポジティブなローカルモデルと近隣地域外活動、成人学習の適切な機会提供などをあげているのです。

 社会関係資本の政策において、社会教育・生涯学習の政策が一般行政の暮らしの政策と結びつい展開することが、日本においては、大切です。地域のコミュニティの崩壊によって、新たにコミュンティティをつくっていくのは、従前のコミュニティティの復活という発想では、崩壊していく古い地域組織の再生、それ自身は難しいのが現実です。個々の暮らしのなかからの発想の展開が必要なのです。孤立化している現状のなかで、人びとが求めているものは、なにか。自分の感性とあった仲間はいないか。自分のやりたいことと同じことを考える仲間はいないのか。

  それには、趣味や考え方、自然に対する見方など様々なことでの結び合いがあると思います。まずは、同じ志向の仲間の集いや組織化が求められていると思います。そのネットワークが大切ではないか。それが、さらに発展していくためのつなぎの関係と幅が拡がっていくネットワークに発展していくのです。これらのネットワークづくりには、幅広い識見をもって、広い人脈をもったリーダーが必ず求められるのです。社会関係資本づくりについては、リーダーの養成が極めて大切になってくるのです。