社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

イノベーションと社会教育・生涯学習 ーシュンペーターの資本主義・社会主義・民主主義から学ぶー

イノベーションと社会教育・生涯学習
シュンペーターの資本主義・社会主義・民主主義から学ぶー
神田 嘉延

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はじめに

 

 コロナ禍で、仕事を失い、収入が激減している階層と特定の企業で高利潤の急成長がみられ、株式の急騰で高所得をあげているように、格差が一層に進行しています。ここには弱肉強食の新自由主義が大きく問われているのです。

 イノベーションをした企業や巨大な多国籍企業の莫大な利益をあげている実態や超高額所得の増大のなかで、それらの企業の社会的責任、社会的貢献が大きく問われる時代です。


 イノベーションは、現状の矛盾を変革して、新たな社会的結合をつくりあげる社会経済変革で、それを人間的能力によって、実現していくのです。ここには、社会経済変革と社会的責任の人間能力形成の社会教育・生涯学習が不可分なのです。 


 ところで、デジタル分野など高利潤の時代の最先端をいく企業は、コロナ禍で利潤を大きくあげたことで、注目を集めています。それらは、SNS上の広告料をはじめ、経営の革新を大胆に行っています。
 これは、ある意味では現代におけるイノベーションを遂げた企業経営者の典型でもあります。イノベーションは、社会経済全体の危機のなかでも、急成長の経済発展の分野をつくりあげていくのです。しかし、その経済発展には、同時に深刻な格差と貧困化、自然破壊、環境問題という社会的矛盾を作りだしているのです。

 持続可能性の課題、地球温暖化による脱炭素化社会を突きつけられているのです。新型コロナのパンデミック状況も、人類の経済発展と感染症に伴う公衆衛生上の問題が問われているのです。ここにも資本主義主義的な経済の問題の矛盾が潜んでいるのです。徹底できない感染症対策が経済との関係で鈍らせているのです。


 イノベーションという社会経済の革新と同時に、政治の世界では、新自由主義のもとに、弱肉強食の競争原理を積極的に導入するために、規制緩和と公共的分野の民営化を行っています。これを改革という名のもとに、公共性の役割、公共事業の民営化ということで、その分野を利潤の対象としているのです。


 さらに、国家の財政政策や国家の公共政策が企業との癒着が度々に問題になのです。政治家と国家の公共事業の発注、国家の許認可権などから政権党の政治家・内閣・高級官僚と大企業の経営者など利害関係者の関係が大きく問題にされていくのです。
 同時に、公営事業の効率性やイノベーションも官僚制のなかで硬直化しやすい側面をもち、市場競争との関係性をもたないことから、国民や住民との関係でのサービス分野としての側面からの徹底化した透明性と公開性、国民や住民の参加方式が問われるのです。


 公営事業サービスでの利害を有する住民に意見を聞く仕組みの構築、ときには、住民投票などもひとつの手法であるのです。その際に、議会の役割は大切な意味をもっています。
 イノベーションとは社会的な所得分配、企業の社会的責任との関係を大きくもっていくことを見落としてはならないのです。より豊かで、幸福に暮らせる社会的イノベーションにつながっていくことが大切なのです。


 それは、格差をなくし、医療や生活保障等の社会保障や教育の充実をしていくことが大切なのです。それには、イノベーションによって、高利潤の成功を遂げた企業の社会的責任、社会的貢献、利益の社会的還元が問われているのです。その役割を果たすための政治の役割も大きいので。
 資本主義は、基本的に市場競争によって経済がなりたち、そこでの企業は、常に競争から生き残るために経営の革新、技術革新等が求められていきます。

 市場競争は景気循環が伴い、需要にあわせて生産が行われていくことではなく、過剰生産というアンバランスを生んでいくのです。いわゆる生産の無政府がつきものです。生産調整ということから、労働者のリストラ、恐慌、不況が起きるのです。

 イノベーションの動因は、企業の生き残るためという狭い意味ではなく、先を見通しながらの経済の安定性と人類的視野からの人びとの暮らしを豊かにし、自然循環経済や持続可能性ための社会経済の革新という視点が大切です。

 ここには、公的機関が担う積極的労働力政策の職業訓練教育がイノベーションの人材養成として求められるのです。景気調整の循環も意識しながらの労働者の雇用安定性のためにも必要なことです。


 貧しい国の人びとが国民的な運動として、社会経済の発展のためにイノベーションをしていくのも単なる個別の企業の利潤追求という次元ではないのです。

 国家としての経済発展の強力な目標をたてていく政治の役割は、貧困からの脱出ということがあるのです。貧困の人びとが個々に、イノベーションのために自己の能力形成、革新的な社会的運動に参加していくのも自らの境遇の脱出のためです。

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 シュンペーターは、イノベーションによって資本主義経済の動態的発展を体系的にとらえた最初の経済学者でした。彼の考えるイノベーションは、経済発展をとげることによって、実はそれが資本主義制度の衰退に導き、社会主義に移行していくというのです。
 経済の発展はイノベーションによって、非連続的になり、新たな結合をつくりだしていくとするのです。企業者に求められるのは、精神的自由、洞察力・想像力、強い革新的な意志力であるとしています。
 シュンペーター理論における社会主義の発展は、イノベーションによって資本主義的社会制度を不可能にするとするのです。つまり、資本主義の発展という成功が社会主義になるという理論です。


 社会主義的な完全雇用を実現するための公共管理、所得の再分配を目的とした累進課税が必要になってきます。そして、物価管理に対する規制措置、労働市場や金融市場の公共的な規制が求められていきます。

 医療保険雇用保険などの社会保険など、すべての形態の社会保障政策の実現という社会主義施策にとって重要な課題が人々に明らかになっていくのです。

 教育の保障は平等社会をつくっていくうえで大切な課題です。それは同時に経済発展の人間的能力形成にもなります。義務教育、人間の能力、人びとの希望に応じての教育の生涯保障は、資本主義の発展によって、つくられていくとするのがシュンペーターの理論なのです。


 ここでは、シュンペーター理論の経済発展による社会主義の必然性を考えていきます。大切なことは、経済発展は、新たな経済の仕組みが生まれていくことは事実ですが、労働疎外の問題や社会保障の充実などは独自に考える問題です。資本主義的経済発展による矛盾で自動的に克服される課題ではありません。
 そこには、資本主義的矛盾の問題を克服していく独自の社会的運動とそれを受け、その矛盾を克服していく政治の課題があるのです。社会的矛盾を解決していく政治は、それらの課題を政策化して、行政的にも社会制度としての民主的にコントロールしていくことが必要なのです。


 資本主義の経済発展は、自動的に社会主義的な仕組みが生まれてくるものではないのです。私的領域の経済ばかりではなく、公共的領域、国家の民主的統制や管理、労働組合の社会的能、NGOの民間社会組織の役割などの社会的な制度づくりをめぐっての独自の政治の役割や社会的運動・組織が社会主義への道にとって重要なことなのです。

 

シュンペーターのみるマルクス学説

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 シュンペーターは、資本主義の発展の成功によって、その秩序は滅びて社会主義になっていくという理論です。社会主義の移行という歴史の必然性という予言はマルクス学説と同じです。彼は、マルクス科学的社会主義の理論をうちたてことは評価すべきとのべるのです。

 シュンペータは、憎悪や軽蔑という観念ではなく、社会主義の歴史的必然性を科学的に社会的事物をとおして明らかにしたことというマルクスの業績を大切にするのです。また、歴史的事実および同時代の事実の広大な把握からの分析だとするのです。


 シュンペータはみるのです。現実に、その後の資本主義の発展の歴史は、マルクスが考えたようにならなかった。社会的生産力の発展によっての大衆の貧困の増大、搾取理論、恐慌に関する過小消費理論など現実は違っていたのです。
 マルクス景気循環をのべていますが、恐慌の崩壊に力点を置き、機械的な蓄積過程による資本主義の発展になったとするのです。恐慌、繁栄と不況との景気循環の内在的交替をしながら資本主義の力強いイノベーションの発展がされたが、マルクスはこれらの現実の発展をみれなかったとシュンペータは考えるのです。


 つまり、恐慌から次の好況に至るイノーベションによる復活の発展ということをシュンペータは、重視するのです。これらのことから社会主義の移行の過程や方法がマルクス学説と根本的に異なるとシュンペーターはみているのです。


 マルクス学説によって、資本主義の発展が、その基礎を破壊するという歴史の必然性を明らかになったのです。経済理論がいかにして歴史的分析に転化されうるのか、また歴史的物語がいかにして理論的歴史に転化されうるかを、体系的に理解できる優れた最初の経済学者であるとシュンペーターは評価しているのです。


 マルクスは社会的教師としても偉大性をもっているとシュンペーターはみるのです。マルクスの体系は、総合化した社会科学として新しい光明をもたらしたと同時に、新しい拘束をもたらしたとみるのです。経済学と社会学とが相互に浸透しているのがマルクスの理論になるというのです。

 マルクス的方向での総合化は、悪しき経済学、悪しき社会学という結果に陥りやすい。単一の目的のために、無理に傾注せんとするのです。現在の情勢や問題を理解するのに、全体的にマルクス的総合に信をおく人は、ひどい間違いに陥りやすいというのです。

 

 マルクスの階級理論と蓄積論によって、現代のなまなましい問題が説明されたとするのです。資本輸出、植民地化、国際政治の説明を独占化集団の相互間闘争と階級闘争に還元してしまう間違った理論があります。
 マルクス空想的社会主義から科学的社会主義の体系をうちたて、資本主義発展が論理的に資本主義を破壊し、社会主義的秩序を生み出すことを資本論によって明らかにすることに成功した。
 そして、社会主義社会を詳細に論ずることを差し控えた。社会主義的秩序は、自動的に実現しないであろう。条件を準備したとしても、それを実現するには、別個の行動が必要とシュンペーターはみるのです。


 マルクスはイギリスにとっては、平和的に社会主義秩序の実現の可能性があるとみたけれでも、彼の時代にあっては、簡単ではないことも認識していた。資本主義の進化こそ社会主義の産みの親であり、ブルジョア急進主義や社会主義陰家のいう革命像とは趣を異にするという。マルクスは本質的に資本主義の発展による満期における革命理論であるとシュンペーターマルクス理解です。

 

 資本主義は生き延びるのか

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 シュンペーターは、1929年以降の大恐慌によって、資本主義の新財政政策、新労働立法、私企業に対する政府の態度が大きく変わっていくとしたのです。資本主義の矛盾に対しての社会経済改革が抜本的に行われていくのです。国家にる公共的事業施策の抜本的的拡充施策はに恐慌からの脱出ということから普遍化したのです。

 資本主義経済の無政府性の経済的コントロールが国家によって行われていくのです。そして、恐慌の矛盾からの大量失業と社会的不安からの社会保障政策が行われていくのでした。いわゆる福祉国家の資本主義ということに変わっていくのです。

 

 シュンペーターアメリカのニューデール政策が、公共経済として私的企業体制の有効性をもったというのです。資本主義は現在においても絶えず失業という悩みをもってきたとするのです。
 資本主義では、経済発展の諸条件を傷つけることになしに失業そのものに十分に世話しえない。失業は苦悩や堕落、人間的価値の破壊を招くのです。資本主義的秩序は、その深刻な打撃をこうむらないようにする保証も意志もないし、能力もないということをシュンペーターはみているのです。


 そして、資本主義の発展は、老人や病人の保護、教育、衛生のための将来についても同じことがいえるということです。完全競争の意味では、完全雇用を保障できないということです。利潤のための生産と消費のための生産との間には対応関係がないというのです。

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 1929年の大恐慌を経て、資本主義の発展は、福祉国家的資本主義になり、国家の財政政策によっての社会福祉政策や社会保険制度を充実していくのでした。失業問題の解決しての国家としての完全雇用政策が生まれ、産業構造の根本的な変化のイノベーションに対応しての積極的な労働力政策がとらえていくのです。
 さらに、公共経済ということで、国家が積極的に公共事業などが多くの分野の経済活動に関与していくのでした。公共事業によっての積極的雇用と経済の活性化が行われ、国民経済に大きな影響を受けていくのです。ここには、国家の公共事業の発注先の企業との結びつきが一層に強められていくことがあるのを見落としてならないのです。市場経済に対応した営利目的としての効率性を求める企業と国民の暮らしや社会的基盤を整備、公教育を目的としての国家の役割とは本質的に異なるのです。

 

 公共事業は恐慌、不況という次元ばかりではなく、資本主義の経済活動に大きな位置を占めるようになり、企業の顧客としての国家の各分野の事業、各地方自治体の事業が市場獲得として位置づけられていくのです。

 そして、本来的に公共事業は国民にとっての生活や経済などを支える社会的基盤整備であるはずですが、社会的責任や社会的貢献が第一的であるはずです。しかし、現実は、利益を得る対象になっていくのです。社会的責任や社会的貢献をしている企業として、社会的信用を得て、本来の民間部門での市場で大きな信用的還元として、民間の取引での利益をあることが筋です。実際は利益対象としての公共事業が位置づいていくのです。

 ここに企業と政治の癒着、企業と行政の癒着、汚職や賄賂の政治的正義、政治的倫理の問題が起きてくるのです。公共事業における業者との関係では最小限の費用と最大限の効果という公共事業の財政的仕組みや発注の公正・透明性が大きく問われてくるのです。

 

 国家財政による経済政策と企業との関係ということが、入札制度などの公共政策の公平性をどう担保していくのかが、大きな課題になっていくのです。また、公共事業そのものが、実際の国民の生活向上や生活の安全性、国民の健康と福祉に貢献していくのか、持続可能性社会、循環型社会に貢献するのか大きく問われるのです。

 公共事業の拡大は企業にとっての大きな市場、利益を得る場ということの仕組みの改善をどのようにしていくのかが問われているのです。特許問題の特定からの業者間での暗黙の取り決めで、特殊な分野の公共事業などでは、その問題がおきやすいのです。

 

 例えば、ダム建設について、長期に機能していくのか、自然環境について共生的になるのか。道路建設についても山村などで大型道路が必要なのか。それぞれの地域の特性によっての道路建設がなぜできないのか。予算執行の規格化・画一化などの問題性があるのです。費用対効果としての公共事業のあり方が問われるのです。

 大型のゴミ焼却で発電事業を兼ねる場合には、電力会社との売電の権利金の支払いなどとも絡み複雑な利益独占になりやすい構造があるのです。専門委員会の設置などで公平性の仕組みは形式的につくるのが一般的ですが、広く国民が理解しやすいように透明性をもって公開し、議論できる場の設定がされないのが現実です。

 

 実質的には独占的に公共事業の発注がされて、自由市場になっていなければ、一層に癒着構造は深まり、価格設定が一方的にされていくのです。経済の民主的コントロールには、本質的に公共事業の発注を受託できることによって莫大な利益を得ることができる構造をなくしていくことが根本であるのです。

 

 国家財政の拡大は、国家による市場拡大の分野になっていくのです。ここには、政治と企業の癒着の問題が大きく拡がっていく背景があるのです。汚職・賄賂問題などの構造的な頽廃問題が生まれる土壌がつくられていくのです。国家財政は財政的民主主義としての国会による歳入歳出の単年度会計主義が原理です。国会の歳出は公債又は借入金以外の歳入をもってしなければならないと日本の財政法4条では、規定されているのです。

 しかし、第4条の財政法で但し書きが公共事業、出資金、及び貸し付け金の財源については国会の議決を経た金額の範囲内で公債を発行できるとして、この特例規定が現在の日本の予算では恒常化しているのです。国債発行については、巨大に国の借金が累積していけば、将来世代の税の負担の可能性が大きくあるのです。

 つまり、国民の借金の返済に国民の税負担として大きくかぶさってくるので、国民的な議論が必要になってくるのです。単年度主義の予算原理、法令主義から国民の暮らしを第一主義にするためにも、長期に予算計画が必要になっているのです。

 また、国会の予算は巨大になり、国民生活、国民経済にも大きな影響力をもつことが現実になり、租税徴収、国民の各層の生活水準のバランス、社会保障、企業の大中小の経営、農家経営、働く人々の生活、インフレーションなど様々な国民経済の影響を受けるのです。

 財政民主主義にとっての国会の歳入歳出の決議は極めて大切です。しかし、その機能が行政府による予算編成の役割による権限が強く、各省庁の大臣の政治的支配力で、政権党以外では、その国民的予算要求には十分に機能していない構造があるのです。多元的な要求をくみ上げていく議会制民主主義が発揮しないということになるのです。議会制の形骸化になりかねないことが財政誘導による政治的影響力の行使で起きるのです。

 予算の国民的な議論を起こしていくためには、予算の審議過程の徹底した公開制、透明性が必要です。予算については、国民にわかりやすい内容で国民に公開し、国民からの意見、批判的なことも含めて、各省庁の予算編成での概算要求の作成過程が必要になっているのです。

 それは、概算要求の策定過程における絶対性をもった官僚主導ということではなく、行政府の官僚は予算策定の専門機関の役割として、その独自性を発揮しての政権党の議員からではなく、野党議員も含めての国民の予算要求を幅広く、国会に吸い上げていく仕組みが重要です。予算編成における行政府の役割が大きく、国会の役割を予算編成に拡大していく改革が求められているのです。行政府の専門性と政権党ばかりではなく、野党も含めての国民の多様な予算要求の政治的調整との関係があるのです。国会と行政の関係の見直しとして、予算の編成過程、予算の行政府の執行評価、予算の利害調整機能による国民的合意などが大切になっているのです。

 

 このためには、さまざまな意見をくみあげの国民が参加できる野党議員も含めての政策づくりと予算策定ができる仕組みが必要です。国民の予算要求が多元性をもつようになっている現代社会で国会は様々な利害調整機能をもつことが今後の課題です。

 国民が予算の公開制から意見を自由にのべることができるためには、マスコミの役割も重要ですが、国民が予算について学べる社会教育の場づくりも不可欠です。

 
 ところで、完全雇用のための積極的労働力政策は、産業構造が大きく変わるときに極めて大きな課題になります。例えば、1960年代では、エネルギーの構造が根本的に変わった。国内でのエネルギー調達から海外依存になった。日本ではエネルギーの石炭や薪・木炭依存から石油への転換になったのです。

 鉱山や山林で働いていた人びとが失業していったのですが、そこで働く人びとの就職が大きな問題になったのです。イノベーションによる産業の転換は、そこで働く労働者の転職問題が生まれるのです。


 資本主義の発展は、恐慌、好景気、不況という循環性をもち、好景気は、イノベーションによって、もたされていく。そして、その循環過程のなかで、淘汰される企業や産業分野も生まれ、資本の集中が行われ、労働者は絶えざる失業の危機、転職、配置転換が求められていくのです。このための職業転換のための職業教育・職業訓練が必要になってくるのです。


 市場社会に対応しての競争社会は、イノベーションが絶えず行われ、資本主義が発展していくのですが、それに対応しての生涯学習は労働者の安定的な生活権の雇用確保に不可欠に求められているのです。
 資本主義発展に伴うところのイノベーションには、労働能力の側面から生涯学習が不可欠なのです。資本の集中は、同時に独占化の問題が起きて、公平なる競争が大きな課題になり、イノベーションと既得権の維持という対抗になっていくのです。

 公平なる競争が行われずに、既得権主義に陥れば、イノベーションが鈍化していくのです。国際的な競争のなかでは立ち後れていくのです。資本主義的経済成長は資本の集中が行われて、企業が巨大になっていきますが、このことによって、企業自身の官僚化も進み、既得権や現状の固定化になっていく。安定志向のための競争が組織内で起きるのです。


 ここに、企業内での立身出世の構造が上司への忖度の基盤になっていくのです。それぞれが、企業内でのイノベーション的志向ということにはならないのです。まさに、企業内の官僚化現象ということからの組織の硬直化が起き、自己の地位の安定志向ということで、新しいことよりも前例踏襲主義になっていくのです。


 また、組織内では、上からの指示や決められた枠内で動いていくのです。時代とともに社会が動いていくことが忘れ去られていくのです。

 市場に対応していくということは、このことが大きく問われていくのです。企業内における組織内民主主義の問題、それぞれがアイデアを出して、イノベーションのために自由に切磋琢磨していく状況が求められていくのです。

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 ところで、顧客第一主義という理念から消費者の動向にそっての営業活動からの新商品開発ということが一般的にテーマになります。

 生産と消費は不可分の関係ですが、資本主義的生産では、効率的な生産性による価格競争というから、常に過剰生産が社会的にもたらされるていくのです。さらに、消費者主権ということからの自由に選択できる権利が不可分になるのです。


 情報の発達、インターネットの発達などが、人びとの公平なる実物をとっての判断、不安をあおる宣伝などで、自分の生活要求からの商品契約の判断力が極めて弱くなって、自由に選択できる幅が狭くなっているのが現実です。そこには、実物と実際の人間関係がみえないところでの取引が行われて、詐欺なども頻繁に起きるのです。

 

 ところで、生産と消費という関係ばかりではなく、生産それ自身が自然との共生ということが環境問題に求められるのです。持続可能性の発展ということが大きな課題になっていくのです。

 そこでは、売るための生産、売るるための消費者への宣伝合戦ということではなはなく、持続可能性、自然にやさしいという人間生活と自然の共生が人類的課題になるのです。

 そして、すべての人びとが幸福に豊かな生活をしていくための社会的需要の視点が必要な時代なのです。大量生産、大量消費、大量廃棄物という矛盾が人々の欲望のコントロールを要求しているのです。


 現代資本主義の市場社会では、SDGsという課題、企業の社会的責任が求められる時代です。企業の在り方が利潤追求ばかりでない、社会的モラルが必要な時代であるのです。

 また、消費者自身の欲望も同時に社会的な責任、一定の豊かさが達成している人びとには、利他主義的に格差是正の社会的貢献が求められているのです。
 そして、消費における持続可能性をもって生きていくという生活スタイルが大切になのです。消費と生産という相互の関係から、社会的責任、欲望の持続可能性、自然との共生のためのコントロール利他主義的な相互依存と共生の関係からの生活が不可分になっているのです。


 シュンペーターは、資本主義において価格競争、品質競争、販売方法の努力の理論ばかりではなく、新商品、新技術、新供給源、新組織形態からの競争が重要とするのです。

 この競争は、費用や品質における優位、企業の利潤や生産量をゆるがすという程度のものではなく、その基礎や生存自体をゆるがすものであるという認識が重要であるとするのです。これらの競争は、新会社、新方法、新産業を超えてさらに拡充されていくというのです。


 シュンペータは、資本主義が生き残るかということで、次のようにのべていきます。旧会社は、烈風にさらされるのです。創造的破壊の過程は絶えず嵐に耐えた企業が生き残っていくのです。

 多数の企業は、壊滅せざるをえない事態が発生するのです。ある産業を破壊して活動不能からくる損失をこうむらせたり、失業をつくりだす場合があるのです。旧産業形態や旧経営方法の会社を一挙に崩壊するのを避けるのは、秩序ある社会の発展のために大切なことです。

 資本主義の文明作用として、社会的立法、大衆の利益のために制度改革の大切さの意志を提供しているということです。資本主義の発展の過程は人間の考え方を合理的にしていくというのです。資本主義は、合理的、非英雄的であり、産業や商業を成功させるには、巨大な精神力が求められているとシュンペータは力説するのです。


 未知の社会主義に自己の希望を託すという前に、いま一度資本主義過程の業績、文化的業績をみつめることが必要とシュンペーターは強調するのです。そして、資本主義では様々な矛盾の制約のなかで、人間の行動は、自由に選択できるものではないのです。経済的、社会的事実の動因によって人びとが動くというマルクス主義の真髄を認めるのであれば、われわれはマルクス主義にならねばならないと指摘するのです。


 一方で、資本主義の発展は、国民の大部分を合理的な思考にしていく文明作用をもっているのです。資本主義の発展過程における矛盾からは、私有財産制度と契約の自由の制度を背後におしやったのです。

 労働市場では自由契約では行われないという事態が生まれ、資本主義的秩序は、自由にものごとを考える知識人を効果的に制御する力をもっていないとシュンペーターはみるのです。資本主義の発展によるイノベーションによって、知識社会は大きな意味をもっていきます。しかし、知識人を社会的秩序の有力者としてコントロールできないのです。ここに、資本主義の発展によるイノベーションにおける矛盾があるのです。

 

 シュンペータの考える社会主義

 

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  シュンペーターは、社会主義というと中央集権的社会主義ということだけではない。民主的な社会主義もあるとしているのです。社会主義の本質は、資本主義過程に内在的な発展によって準備されていくとするのです。


 それは、資本主義のなかで、ゆるやかなテンポで社会主義への道が始められ、資本主義過程は社会主義のための事物と精神を形づくるというのです。しかし、資本主義的秩序は、社会主義的秩序に自動的に転化しなという見方です。
 資本主義の発展による社会主義の道は、平和的に議会を通して、憲法の改正により、社会主義的秩序に変化していくという見方です。それは、社会化政策の部分をなすものです。法の連続性によって、あらゆる階級の協力と合意によって、資本主義勢力の抵抗が弱くなっていく。この成熟によって、平和的な方法で、社会主義的秩序に変化していくというのがシュンペーターの基本的な考え方です。


 株式や債券の保持者の利益は成熟期に選挙民の大多数を包含するものとなるから、かれらの利益を略奪せよという提案は生まれてこないという見方です。むしろ、倫理的原則によって、社会共同体の自由な選択ということになるのです。社会主義的共同体が私的貯蓄を利用しているかぎり、利子や配当の支払いが行われるというのです。


 以上のようなに、シュンペーターの株式や債券の保持が大衆の貯蓄として一般化していくことは否定されるものではありませんが、株式会社の議決権は、株数によって決定されていくというしくみで、現実の大株主の存在があることを見落としはならないのです。この意味で株式会社の議決権や管理運営の民主的コントロールの改革が課題になるのです。


 シュンペーターが強調するイノベーションを成し遂げていく起業家などは、大成功して大株主として大富豪になっていく。
 彼らは、資本主義的秩序に大きな影響力を発揮していく現実があるのです。また、先祖代々継続して、大資産家の問題があり、世襲制による会社の管理・経営、政治の支配的側面もあるのです。

 この大株主の問題や政治の世襲制の問題をどのように平等社会への関係に結びつけていくか、格差や貧困化の問題との関係で、どのように考えていくのか。

 その問題に正面から向き合う社会的経済しくみが求められているのです。累進課税方式や高額の相続税が問われるのです。生活権的私有財産権と世襲的に経済権力維持の基盤になる高額な相続は本質的に異なるのです。


 また、株主と会社内での民主主義的な経営管理の問題も大きくあるのです。これは、労働者が生きがいをもって働くしくみをどのようにつくりあげていくのか。労働疎外からの解放という大きな課題があるのです。イノベーションは、企業経営の問題ばかりではなく、労働者が絶えず学びをあたえられていることが必須の条件です。


 そして、雇用不安からも、職業教育が生涯保障されいくことが求められているのです。イノベーションに対応して、それぞれの労働経験、人生的経験も含めての、本人の将来の生きがいを加味して、失業という事態が起きても、職業教育と失業・雇用保険制度がリンクしているのが不可欠なのです。

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 資本主義の未成熟状態での社会化ということでの社会主義秩序の移行ということで、権力の奪取が行われている現実があります。未成熟とは、産業組織や商業組織の面において、中小規模の企業が依然と多く、同業者組合の協力体制も完全なものにはほど遠いものがあることを未成熟としてシュンペータは重視するのです。


 未成熟状況では、精神の方は、はるかに社会主義的準備が遅れているとみるのです。不況のための衝撃をくらったにもかかわらず、実業家はもちろん、非常に多くの農民、労働者たちもブルジョア秩序に従ってものごとを考えたり、感じたりしていないのです。

 ここでは、それに代わる社会保障政策、公共経済政策、公共的計画性、経済の民主的社会コントロールなどの社会主義的秩序的観念をもっていくことが大切ですが、それをもっていないのが現実です。

 また、社会主義的な簿記体系や所得体系が作用する状況ではないのです。このように資本主義の未成熟秩序での社会主義秩序の権力移行の困難性をシュンペーターはみるのです。


 社会主義と民主主義の関係について、シュンペーターは、マルクスの理論を深めているのです。マルクスにとって、革命とは必ずしも少数派が頑強に反対する人民を自らの意志に従わせることを必要としなかったとするのです。ブルジョアジーからの一歩一歩と資本主義発展の進行中における階級差別の消滅の運動が大切というのです。


 民主主義的方法の成功条件には、四つをシュンペーターは示しました。第一の条件は、政治の人材です。十分な能力と道徳品性をもった政治が必要とするのです。民主主義的方法が選挙によって選ばれてくるものです。責任ある地位につこうと行う競争的闘争は人員と精力との浪費をもたらします。
 一度確立された政治は、他の十分に成功をおさめるはずの多くの人材をよせつけない政治情勢をつくりやすい。人民は自分たちの望みのと誇りをもつ人材の政府をもっているかは真実ではないのです。

 誠実で、道理を解する、良心的な人たちの政治家を生むのは、自らが政治家を天職で定められた階層、集団が、その国で社会的に存在しているかどうかであるとするのです。このよい事例がイギリスとシュンペーターは指摘します。

 

 この指摘は現代の日本の政治的状況を考えていくうえでも大切なことです。選挙の機能を民主主義的に機能させていくためには、政治家の理性、知性的な高潔性、正義の道徳性が強く求められているのです。政治家の知性的判断や正義の道徳性をもっているのかどうかについては、政党の役割があるのです。選挙という制度はとかく当選第一主義的に政権党は公認をしがちになります。権力維持のためには多数の議員を獲得するためです。

 議会制度の民主主義の選挙は、決して、人気投票的なキャラクターを選ぶはずではないのです。大衆化社会の状況でマスコミも発達して、SNSの情報化によって、一層にバーチャルな世界で大衆操作される時代になっています。

 直接に人間関係を結ばなくてもバーチャルな世界で人の心を個別的操作されることができる時代です。広告宣伝の手法で社会心理も巧みに利用しての感覚的なことを繰り返す政治宣伝がされていくのです。テレビやインターネットなどでのパーホーマンスが大きく影響していくのです。テレビやインターネットなどの公開討論会などによる政治的討論をどのように場を設定していくのか。選挙は、その場づくりの可能性をもつものです。理性的な政治判断力としての社会的仕組みづくりは民主主義形成にとって大切なのです。

 

 また、民主主義のための選挙は、利益誘導によるものでもないのです。公職選挙法は民主主義を保障する規定を設けています。利益誘導なことを期待することが選挙民にあれば、民度という国民意識の問題にもなるのです。民主主義を発展させるためには、民衆の良識の発展が不可欠です。そこでは、ヘイトスピーチ集団、カルト集団、ファシズム集団にたいする毅然とした知性的判断、政策を吟味しての将来への展望が理性的に判断すること、候補者の政治的正義感・人格性をもっているのかの判断が求められているのです。

 

 このためには、将来の社会に対するビジョン、現実的に矛盾を克服していく政策の国民的議論のさまざまな方法によっての場づくり、行政の徹底した情報公開と、それを理解できる学習を保障し、それぞれの市民が共に議論しながら学ぶことができる社会教育の仕組みが市民の知性的判断に必要なのです。

 貧困化や差別の状況におかれると、その援助が必要です。一人で問題にぶつかると、とかく怒りや憎悪が最初に出てきて、それを客観的にみることがおろそかになりがちになります。大衆化状況でSNSなどのバーチャルな情報だけが大きな影響をもっている現代社会では、気軽に議論したり、問題をぶつけて、それを解決していける展望のもてる場づくりが求められるのです。

 資本主義の発展のなかで社会的運動のなかで獲得してきた自由と民主主義、基本的人権は人類史上の永遠普遍の権利ですが、この権利を尊重することが選挙にとっても重要な視点になるのです。このことを尊重することが民主主義秩序にとっての前提になるのです。


 民主主義成功の第二の成功条件は、有効な政治決定の範囲があまり大きく、国家の政治活動の役割を制限することですとシュンペータはのべます。

 現代社会は国家の財政的規模が巨大になり、あらゆる社会経済活動に国家財政や地方財政が深く関わるようになっています。国家の財政は、公共的性格を強くもっているのです。公共事業などは国家行政機関からの発注の問題があります。国家の政策決定も個別企業にとっては大きく利害に関係することがあります。そこに個別な利益が関わっていく危険が常に伴うのです。政治家や行政執行の官僚にとっては、利害関係者との会食などの個別の私的な懇親を禁止されていくのです。政治と金の問題、行政執行における金銭問題は民主主義にとって根幹なのです。


 第三の条件は、民主的政府は、公共的活動の目的にしっかりとした身分と伝統、強烈な義務、強烈な団体精神をもって、よく訓練された官僚のサービスを把握しなければならないとしています。官僚は原理を展開し、政治家を教導し、十分に自己主張をしなければならない。官僚はなにごとにも束縛をうけぬ存在であるというのです。

 国家の官僚は高い志をもって強烈な責任感をもっていることは重要なことですが、現実は官僚制度として、さまざま社会経済的状況や国民、住民の要求に柔軟に対応することが弱く、法令や業務遂行の行政命令からの充実性が求められ、機械的対応や硬直化した対応に陥りがちになるのです。民間の営業のように顧客第一主義のようなサービス精神が弱くなるものです。

 民主的政府にとっての大切なことは、国民の暮らしと命・健康、自然と社会の持続可能性に奉仕していくという公共的精神ということで、特定の企業や団体に奉仕するのではないく、公共的性格の仕事なのです。

 経済の発展は社会や自然の持続可能性をもって、国民の暮らしと幸福感を豊かにしていくことなのです。資本主義社会の経済の発展は利潤追求が第一にされ、必ずしも社会や自然の持続可能性、国民の暮らしや幸福感を豊かにし、命と健康を守ることが第一ではなかったのです。

 

 資本主義の経済発展は都市と農村の発展の不均からの農山村の過疎化、自然環境の破壊をもたらしてきたのです。人類は自然の恩恵によって、生活の営みをしてきたのです。文明の発展から自然との向き合いは大きな課題であったのです。資本主義的な生産力の急激な発展は自然と向き合うことを疎かにしてきたのです。自然そのもを資本主義的生産の利潤率上昇のために利用してきたのです。

 エネルギーを利用するために、石油・石炭、原子力を利用したりしたのです。石油・石炭の利用によって、地球温暖化を加速していったのです。脱炭素社会が人類的な大きな課題になったのです。原子力発電所の利用によって、福島の原子力の事故という人びとの命と暮らしに極めて深刻な事態をつくりだしたのです。

 

 自然循環の環境経済、持続可能性の経済ということから農林業再生可能エネルギーが注目されているのです。自然循環を積極的に利用する経済のしくみが注目されているのです。農林業からの工業の原材料をとっていく科学技術の発展が求められているのです。鉄鉱石からではなく、セルロースナノテクノロジーの技術も、その一つです。資源が特定の地域に限定されるという工業ではなくなっていくのです。

 建物の原材料と結びついた自然を破壊しない太陽光発電、自然環境的バイマス発電、ダムではなく、自然破壊をしない小水路発電など、さまざま工夫と科学技術の発展が求められているのです。焼酎生産会社はもともと地域の農産物のサツマイモ生産農家と結びついていましたが、廃棄物になる焼酎粕に悩んでいたのです。

 生産量を増せば、捨て場に一層に困り、海洋投棄ということで、海を汚したのです。そこでは、それを積極的にバイオマス発電に利用したのです。霧島酒造では2000世帯分の発電を可能にしたのです。そして、発電した跡は完熟した堆肥として農家に戻しているのです。まさに、循環型経済というサーキュラーエコノミーを地域のなかで循環しているのです。農業が工業原材料として循環しているのです。


 第四は、民主主義的自制です。法令と法的資格をもった機関の発する行政命令を万人が異議なく喜んで受け入れることが、民主主義を円滑に機能していくとするのです。

 選挙民や代議士は、悪者や恋人のいうことに誘惑されない高い知性と道徳水準をもっていなければならないとしているのです。他人の要求や国家的情勢をみて法令の通過があるのです。これがなければ民主主義の信用を落としていくのです。
 以上の四つの条件をシュンペーターは、民主主義政府を可能にする条件とするのです。

 

 社会主義秩序における民主主義については、資本主義世界の所産ということから、その基本原理を踏襲していくというのです。決して、資本主義の消滅とともに社会主義的に民主主義になっていくものではないということです。総選挙、政党、議会、内閣、首相等は、社会主義秩序が政治的決定のために留保すべき課題を処理するのに便利な手段になるとシュンペーターはみるのです。


 民主的社会主義の姿は、資本主義でつくられた民主的諸制度を踏襲していくというのです。また、社会主義は、公共的管理の範囲の拡大が行われていくが、それが、公共的管理の分野での政治的管理の範囲の拡大ということを意味しないとしているのです。

 経済的分野では、その操縦をする諸機関にきわめてよい組織と人員配備をもたせていくことをのべているのです。

 このシュンペータの指摘は、例えば、財務省中央銀行の関係などにみるとおりです。国家の役割として、中央銀行は貨幣発行、金利政策に重要な経済の役割を果たします。資本主義的資本主義市場は景気循環をもって動いていますが、その無政府をどう民主的にコントロールしていくのか。大きな社会主義的市場の経済になっても大切な課題です。 

 

 無政府をどうコントロールしていくのか。行政のもつ許認可権、法令遵守の監査権は民主的コントロールにとって大きな意味をもっていますが、経済組織としての株式会社等の法人、協同組合の経済組織も監査の役割は法令遵守に大きな役割を果たすのです。

 同時に民主的コントロールにとっての合意を効率的にどう形成していくのか。それぞれの組織における個々の役割機能と責任のもとに合意のための透明性が日常化されていることです。

 監査や役割機能は法令遵守や責任体制であって、イノベーション的機能を果たすものではない。2030年までのSDGsや2050までの脱炭素化などの社会経済目標はイノベーションがなければ達成することができない。また、社会経済情勢の変化、国民のニューズも時代とともに大きく変化していく。この変化に対応できるのもイノベーションなのです。イノベーションを重視するシュンペータであるからこそ、政治とは独自に経済分野の機能、機関を重視するのです。

 

 資本主義主義の発展のなかで損害賠償金も大きな課題となり、このための社会保険制度も発達してきたのです。人間の命の大切さも社会保険制度の発達で、その価値も高まって行くのです。これは人権の発達ということからです。

 持続可能性をもって、長期的に安定的に経済の発展を考えていくには、社会保険制度の発達は大きな意味をもっているのです。

 社会主義的社会経済の仕組みにとって、資本主義的労働疎外状況をどう克服していくのか。経営をめぐって労働者の参加をどのように保障していくのか。資本主義的市場のなかで、労働者の経営参加を取り組みをしているアメーバー経営やワーカーズコープの方式もひとつの取り組みです。さまざまな産業民主主義としての経験も含めて、労働疎外の克服の展望が求められるのです。

 

 資本主義的な労働者相互を競争させていく評価システムの労務管理や労働者のなかに非正規と正規と同じ仕事をしているのに身分と待遇の違いをなくして、そのような仕組みをつくっていかないのが社会主義的な見方です。

 同一労働同一賃金は資本主義の労使関係のなかでも労働者の権利の戦いのなかで獲得したものです。8時間労働制も同様です。さまざまな資本主義の歴史なかで労働者が運動によって獲得してきた労働者権利は労働法制によって整備されていますが、その法令遵守社会主義的秩序にとって不可欠なことです。

 社会主義的秩序は生産手段の社会化ということが大きな課題です。資本主義が発展して、大企業が社会経済に大きな影響力をもっていきますが、それは社会化というひとつの現象ですが、その大企業の私的財産権が特定の人に集中していくことが、資本主義的仕組みの大きな問題なのです。

 

 株式の大衆化が起きても特定の個人に株が集中していくのです。株式会社は株数によって会社の管理運営の議決権が決定される仕組みです。協同組合のように一人一票制ではありません。会社の管理運営における株主ということが、経営者と労働者だけで問題が解決できるだけではないのです。大規模な私的財産権、特定の層や組織の財産権の問題が資本主義的秩序では民主主義的経済の管理運営問題として、あるのです。この経済の民主的コントロールとしての大規模な私的財産権の社会化の課題があるのです。