社会教育推進全国協議会
2025年全国集会イン北海道・総括集会
9月21日に北海道集会の総括会議がオンラインと現地実行委員会の参加のもとで、開かれました。北海道集会は、社会教育に直接に関わる職員と地域住民の学びということよりも,地域の暮らしのなかから学びの実践を考えるということです。ここでは、社会教育のとらえ直しを関連の分野から考えていくということでした。
とくに、地域福祉と社会教育ということに大きな争点がありました。それは、福祉の市場化に対する地域住民の学びという視点ということです。総括会議では、そのことを全体のものにしていくというねらいがあったと思います。社会教育の関連部局ということで、地域福祉ということからの学び、地域づくりからの学び、農副連携事業などの学びなどがあります。
特定非営利活動法人あいの報告は、福祉の中にある社会教育を考えるということでした。それは、障がい児支援の実践からでした。児童発達障害者が住み慣れた地域で安心して暮らせるようにするためには、今までのような対応でよいのかという問題提起です。
福祉の限界を強く思って居場所づくりとして、愛ちゃんの家をつくったのです。児童発達支援管理者、保育士、児童指導員、臨床心理、看護師、介護福祉の配置で、積極的に社会教育との融合を考えたのです。それぞれの専門化の配置は重要なことです。
しかし、個々の専門化が自分の特化した仕事にのみに専念していれば、人間の発達を部分的側面からしかみない問題が生まれていくのです。それぞれの専門が融合して、人間の発達を全面的な側面から、さらに年齢ごとの発達課題からみていくことが求められるのです。高齢者にも発達課題があることを決して忘れてはならないのです。
報告者の問題提起の感想から、高齢者として、次の世代に継承していく役割あるということを積極的に考えたのです。高齢者と子どもとの接触は、高齢者自身の生きがいと共に、子どもに生きてきたことの生の歴史や伝統文化を伝えていく大きな意味をもっているのです。昔は、地域や家族というなかで、高齢者と子どもの交わりがあたりまえのようにありました。そこでは、おじんちゃんやおぼあちゃんから昔の話を聞きながら子どもは育っていきました。子どもたちの遊びは異年齢集団で、祭りなどでの地域行事は、異世代との交流もありました。
現代社会は、昔の地域でのあたりまえの暮らしや地域での働く場が極めて少なくなっているのです。これは、社会の分業化や専門化が進み、伝統的な地縁組織の崩壊現象がもたらしたものです。これは弱肉強食の競争と組織の効率化を求めれます。非人間化した命令と実務による官僚主義の弊害があらわれます。組織が巨大になれば、その傾向は一層に強くなります。
これらは、資本主義の高度化による社会構造がもたらしたものです。これに、抗する人々の新たな地域での主体性をもった自立的な暮らしと文化を豊かにしていく組織づくりが求められているのです。暮らしの権利や公害問題克服などの地域住民の民主的な運動や労働組合の地区での協議会もなくなり、組織それ自体が弱体しているのが実態です。人々の孤立化や無縁化が進み、インターネット社会の蔓延のなかでSNSに人々の意識が支配されてる時代になっているのです。直接的な対面の人間的ふれあいの関係がより大切になっているのです。
現代は、弱肉強食の利益のみの強欲の資本主義資本主義に抗する新しい経営の在り方の教育も展開されています。中小企業家同友会により、社長も社員も共に育つ人間経営の模索。稲盛和夫が提唱した社員も参加していくアメーバー経営の学び、労働者協同組合法の成立により働く人々が出資して、労働者が直接に経営に参加する方式による学びの展開がされているのです。
さらに、農福連携事業として、新たに、安心・安全の食生活ということで、地域福祉と農家の結びつきによる地域おこしがおこなわれているのです。地域福祉は、様々な地域づくり施策と運動と結びついての未来への地域づくりへの学びが展開されているのです。このなかで、社会教育の役割が一層に重要性を帯びてきているのです。つまり、未来社会への学びとしての夢のある社会教育の展開です。
市民運動として、貧困化する子どもの実態のなかで子ども食堂の運動もみられます。環境問題が深刻化するなかで世界的規模でSDG.sの運動が展開されています。地球温暖化現象は緊急性を要することで、全世界での市民運動にもなっています。
報告者は、福祉現場では、専門職を多数配置していますが、学習支援、芸術的活動、ゲームプログラミングなどに特化していると違和感をもっているというのです。たぶん、報告者の違和感は、すべてが、地域での自然的な関係からではなく、上からの専門家による市場との関係でつくられたものであるということではないかと思うのです。
報告者は、社会教育士との出会いによって自分の考えが変わったと言う。子どもを真ん中にして、地域の人びとと、制度や専門性にしばられずに、みんなで考えるという協働を理念に地域での共生社会推進の構築の必要性を思ったというのです。
感想として、見逃してはならないことは、次のことがあります。社会教育実践の理念は地域の暮らしや仕事をベースに展開してきた歴史をもっているのです。民主的な社会教育の実践者は、このことを守りながら社会教育推進の運動をしてきたのです。
社会教育行政の公民館講座の多くは、地域に根ざしての実践ということよりも趣味やおけいこごとに特化している現実もあることを見落としてはならないのです。個々が趣味やおけいこごとで、集まりをもつことは孤立化した地域社会のなかで大切なことです。それがいかにして、地域の結びの輪に成長していくのかということです。まさに、意識的に結び合いの学びをどのようにして展開していくのかということです。
新たな時代のなかで、地域に根ざした民主的な社会教育実践者は、地域の暮らしや仕事との行政との結びつきや、地域の非営利団体・法人、民営化した地域福祉、職業斡旋・訓練などとの関係で、公民館をはじめ社会教育行政の在り方も模索しているのが現実と思うのです。
京都北部のリフレかやの里での農副連携事業の実践は、福祉と地域と行政の協働の報告です。この実践は1970年に重い障害をもつ子どもたちの学校を開校し、その後に卒業生の就職が大きな問題になって、1975年に障がい者の働く場所の共同作業所からはじまったいう長い歴史をもっている社会福祉法人です。
1980年に社会福祉法人を設立して、45年経った今日、21ケ所、事業所で300人の職員をかかえる障がい者の働く場所が生まれているということです。この実践は長い京都の教職員組合の運動や地域住民の運動によって、支えられて、それに対応した地方自治体の民主的な施策があったのです。この歴史的事実は極めて重要なことです。地域の民主的な運動に支えられて、ここでの社会福祉法人の展開があったということです。
現在は、過疎化する農山村で農業後継者の問題が深刻になっている現状で、障がい者の働く事業が積極的に農福連携によって、農産物を加工して、販売までもかねての6次産業の地域興しを展開しているというのです。
障がい者が働くことで自立していくということだけではなく、地域から感謝されて、大きな誇りをもつようになったということです。農産物加工の工場をつくっていくうえで、役場行政の役割が大きくあった。役場職員の熱心な中小企業支援の制度の工夫の援助。議員一人一人の理解による議会の全員一致の資金援助の決定。地域の農家を支え、120戸と委託加工契約ということで、小規模のジュース製造を行ったのです。
まさに、障がい者の共同作業所の仕事が過疎化する農村での新たな産業起こしの実践ということで、地域の再生に大きな役割を果たしているのです。ここでは、農福連携ということからら、さらに、発展して、地域の産業づくりという大きな役割を障がい者の共同作業所が果たしているのです。農福連携から地域の産業の再生ということで、地域の学びという社会教育実践が大きく絡んでいることは、きわめて、教訓的な実践事例です。
子ども・若者の居場所つくりとしての社会教育施設の活用として、大阪のNPO法人北摂こども文化協会の実践報告がありました。池田市児童文化センターの指定管理を受けての実践でした。公立での児童文化センターは、全国で27館しかない貴重な施設ということです。教育委員会管轄の児童文化センターでの子ども・若者居場所づくりの特徴があります。さらに、小学校の校区にない地域に出張居場所づくりを展開しているということです。
この児童文化センターは、池田市の子ども・若者居場所運営事業として、令和6年、令和7年と単年度事業として、行っているのです。社会的自立を支える公的な居場所づくりの創出が大きなねらいでした。不登校の子どもや社会的繋がりの薄い若者たちの居場所づくりです。
大人や社会による一方的な過度の期待に押しつぶされ、人間関係で傷ついた子どもたちや・若者たちを自分のペースで心のエネルギーを満たす場をつくりになるのです。ここでは、あるがままのあなたでいいよということで、自立を強要されず、人生を急がせることのないような場づくりをめざすものをねらいとしているのです。
傷ついた子どもや若者にとって、市内の児童文化センターは、幼少期の遊びの場であったため、親しみや懐かしい場所ということで、社会に居場所のない若者にとって来ることに精神的ハードルが低いのです。同じ立場の子ども同士の交流を楽しむ子どもたちの姿がみられ、自由来館者と交流し、自由に遊びをするのであった。自分のペースで居場所があり、心身が回復できる場であるというのです。ここでは、弱音や辛さを話しても否定されずに聞いてもらえる楽しさがあるというのです。
この報告を聞いての感想は、どうして、このような居場所のなかった子どもや青年が自分のペースで、弱音や辛さを話す自由な場になっているのか。ここでの職員の具体的な取り組みの姿勢や職員の資質・能力なども含めて知りたいところです。全国的に仕事に就けない若者の相談活動や居場所づくりの展開が行政の支援で行われていますが、池田市の特徴を浮き彫りにするためにも知りたいところです。
不登校や居場所のない子ども・若者が安心して居場所に赴くには、当事者家族や子どもを取り巻く大人の「子どもの権利」についての啓発が不可欠ということです。新しい状況をつくりだそうとする学びの協働が、生涯学習推進室・地域教育課や福祉部局の行政との新たな連携のもとに地域のなかでつくられはじめているということです。
この事業に学校教育の関係者は、どのように関わっているのか。学校に行けない子どもたちということで、全くかかわっていないのか。学校教育の在り方を考えていくうえで、不登校の子どもたちや仕事につけない青年の実情を教師たちが知ることも大切ではないかと思うのです。
この児童文化センターの居場所づくりの実践は単年度事業の継続ということで、長期的に展望をもって居場所づくりから、不登校の子どもたちや居場所のない若者をかれら自身の自由な自分のペースからの世界から未来へ羽ばたいていけることが必要だと思うのです。それは、居場所づくりから自分のペースから自分の個性をみがいて生きがいをみいだしていくことが求められているのです。
保育の市場化に抗する社会教育としての報告がありました。福祉や教育の生きていくうえで大切な分野が、新自由主義の競争社会のもとで、人気や流行で、本来の人間尊厳、発達保障ということにならず、競争効率や利益主義の現実ということは十分に警戒すべきことです。
西東京市は、公民館6ケ所のうち、5館が、1975年から保育室を設けているのです。これは、乳幼児を育てている市民が保育付き講座や、学習支援保育を利用するサークル活動に参加できるようにという配慮からです。ここでは、保育員が生後6ケ月以上から学齢期前まで保育を行っているのです。
しかし、昨今は、保育を利用する子どもの数、学習支援保育を利用するサークルも減少して、令和7年度前期の5館のうち4館が定員割れをして、公民館保育室を見直す状況になっています。
とくに、西東京市のひばりが丘公民館の保育付き講座は、厳しい状況にたたされています。この公民館には、図書室がなく、親子ずれの来館が少なく、市のはずれで、半径1.5キロ範囲内の半分が市外となっているのです。また、地域内での新築や転入が減少して、体育講座などは休業状態です。
また、学習支援保育は、難しくなっているのです。乳幼児の子育て中の親のサークル活動や講座の参加者のニーズは高いが、保育を利用する子ども少なくなっています。0歳から5歳まで預け入れ可能な民間の保育所に、乳幼児を育てている親は預けているというのです。民間企業が保育事業に参入する勢いは止まらないのが現状。
そこでは、入園要件に就労用件がないのです。80人まで受け入れ可能な民間の保育所が当館から自転車で7分以内に3ケ所できます。東京都は、0歳から2歳まで保育料無償化の施策を打ち出しています。就労を条件としない保育所の増加によって、何時間利用できるのかという預かり保育ということでの幼稚園の事情も大きく変わっていくというのです。
保育事業は投資の対象として、将来性のあるビジネスとして認識されているのです。保育の市場化は一層に高まっていくのです。健全な子どもの発達保障をどのようにしていくかという保育の質を高めていくという議論と逆行するのです。長時間保育ということでのビジネスということが進んでいるのです。10時間以上30%、9時間19%、8時間16%というのが西東京市の現状という。
報告を聞いて、次のことを思いました。ここには、子育てをしている親の労働の問題もあるのではないか。子育てが十分にできる労働との両立が求められているのではないか。また、乳幼児の育ち、教育が保育所や幼稚園で、どのようにされているのか。そこでの保育士さんたちの学びはどうなっているのか。
また、労働条件はどうなっているのか。契約職員なのか、正規の職員なのか。保育士さんたちがやりがいをもって、子どもたちの受け入れをして、保育の福祉と教育活動をどのようにしているのか。
幼児期の発達は、子どもの母国語である言語形成にとっても大切です。母国が豊富にみにつけられて、表現力も豊かになっていくことは大切なことです。思考力や創造力の基礎を作っていくうえで母国語は大きな役割を果たすのです。
情操発達という側面からの人格形成にとっても大切な時期です。保育所は単に子どもを預ける場所ではないのです。子ども集団の仲間のなかで、遊びをとおしての人間関係形成や、幼児期における独自の愛情をもって育てられる場でもあるのです。
報告では、公民館保育運営会議では月1回の話し合い学習で、自己尊重・自己変容と社会変容の学びになっているのです。子ども理解、自己理解、異なる価値観にふれることなどの学びをしています。
女性の働き方の変化はフルタイムが増大して、共働き状況が増えているというのです。保育付き講座のほとんどが育児休業で職場を復帰するという。継続学習の希望やサークルでの学びも土日であれば可能ということになっている現実。
保育の市場化によって、たくさんの保育事業所はあるが、横のつながりがなく、情報はクローズされて、流行りのことばのみで独り歩きの宣伝戦になっていると西東京市の保育付き講座の担当者はのべるのです。保護者からは、実際の様子がわからないのが現状という。子どもが発達障などの症状が重い子どもの行き場がない。連携と叫ばれているのであるが、保育や教育の市場化によって、難しくなっている側面もあるのです。実際は事業者が中心で子どもや家族は市場に翻弄されているのです。
保育の市場化という問題は、現代の新自由主義の経済のもとで、効率化が重視されて、採算性や利益主義が幅をきかしている実態をさらに、詳しく知りたいところでした。まさに、社会教育と保育、福祉と社会教育という課題にとって重要な学びでもあるのです。
全体の感想として、地域に根を張り、学びと協働で築く新時代という大きなテーマをかかげている集会でしたが、子どもや青年の学びのなかで学校の果たす役割は大きな位置にあると思いますが、教科の学力向上競争に追い立てられて学校教育の実態のなかで、地域に目を向けていく教育実践の在り方を社会教育から問いかけるという意味があると思います。実際の地域に根を張った学びと協働ということで、教師たちは大きな実践部隊であると思います。民主的な教育運動を展開している教師たちの連携の実際はどうなっているのか知りたいところです。