社会教育学会は特別企画として、社会教育法70年と社会教育研究の課題のシンポジュムを第66回研究大会で行いました。報告者は、3名で3名のコメンターと、会場からの自由な質疑応答が行われました。
社会教育法制研究の課題として、人口減少のなかで、地域には社会教育に新たな期待が高まっているとするのである。また、社会教育行政が一般行政の他の部局の計画に絡め取られる傾向があらわれるとしているのが、石井山竜平会員の報告である。
さらに、大切なことは、行政を超えたところで、地域主導の人材育成計画が展開されているとする。山形県川西町、宮城県大崎市鳴子地区、仙台市若林区を事例に、地域の産業の担い手計画づくりに、住民だけではなく、外部の加担者、外部資金の獲得という新たなプロジエクトが進められていることの意義をどう考えていくのか。拡大された社会教育概念に社会教育行政がどう再定位されるかの研究があるとしている。
1949年の社会教育法制定では、社会教育行政は、社会教育施設を責任をもって設置することで、社会教育関係団体には、ノ-コントロ-ル・ノ-サポ-トであった。平成29年の文部科学省の社会教育施設観は、地域における学びの拠点であり、よりよい地域づくりに向けた課題を適切に把握するとともに、地域住民の意向を十分にくみ取った運営を行うことが重要としている。しかし、教育機関としての社会教育施設の定義がないというのが上野景三会員の提起であった。
社会教育施設を定義するとしたら、どういう内容になるのかということであった。70年の歩みをどうとらえていくのかという提起はあるが、内容については具体的にふれていない。社会教育法制ができていく過程について、戦後の憲法や教育基本法での関係、とくに、日本の民主主義を育てていくうえでの社会教育ということで、トクヴィルのアメリカ民主主義の著書から、分権、結社、市民の直接参加、オーガナイザーの役割などの示唆を上野会員は提起した。
日本国憲法の制定によって、この内容をいかにして国民に定着していくのか。これは、学校教育ばかりではなく、社会教育の役割は大きくある。自らの実際生活に即しての社会教育活動は、参加民主主義にとって不可欠である。このことは、生涯とおしての課題でもあるという感想をもった。
社会教育法第3条では国及び地方公共団体の任務として、「すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自らの実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成しなければならない」ということが70年の歴史のなかでどうであったのか。この探求が重要であると思った。
なぜ、多くの社会教育行政や公民館が趣味やおけいこごとに集中していったのか。一般行政の暮らしの充実分野や地域づくりなどが縦割り行政のなかで細分化して、社会教育行政と公民館活動と分離していいたのではないか。
生涯学習施策の問題とも絡んで、住民自らが地域民主主義の発展のなかで参加していく社会教育の役割がスポイルされていくのではないか。上からの行政施策の住民への啓蒙としての役割としての生涯学習施策が生まれてきたのではないか。
暮らしと結びついた農業改良、村づくり・街づくり運動、職業訓練・職業教育、地域の医療・保健や福祉活動などと密接な関係をもっての住民参加の方式がなぜ多くの市町村で展開できなかったのか。数少ない暮らしとむすびついた市町村の社会教育行政とどこが違っていたのか。戦後の社会教育行政や公民館活動をそれぞれの地域で分析していくことが求められているのではないか。
社会教育法制70年のなかで社会教育職員の専門性はどうであったのか。社会教育主事のはどうであったのか。法律によって、都道府県と市町村に社会教育主事という専門職員をおくことができるということになった。
しかし、市町村に社会教育主事をおくっことが少なくなり、平成30年度社会教育調査では、15年間で三分の一に減っていることをことと、非正規の社会教育関係職員、指定管理で雇用されている社会教育の増大などを村田和子はあげている。
社会教育士という新たな資格制度の導入によって、社会教育専門職員を養成する大学には、期待する声がある。シンポジュウムのコメントのなかでも、その声が強くあったが、社会教育主事が大幅に減らされ、非常勤の社会教育職員の増大などで、社会教育の新たな資格が生まれたことによって、果たして市町村ので充実した社会教育が展開することは、見込めないと考えるのが一般的と。
社会教育主事という名称は、教育行政の専門職とみられ、社会一般の社会教育活動を支えるものとはみられないがあった。この意味で、社会教育士の新たな資格付与は社会教育行政以外で、役割を果たすことは考えられる。