社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

社会教育・生涯学習研究所「住民の学習と公務労働」のシンポジュウムの感想

 

 

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社会教育・生涯学習研究所「住民の学習と公務労働」のシンポジュウムの感想 

         神田 嘉延

 4月18日にオンラインでの社会教育・生涯学習研究所のシンポジュウム「住民の学習と公務労働」に参加しました。オンラインでのシンポジュウムがどのようにして、行われるのか興味をもちながら参加しました。3名の報告者と司会者とのやりとりで、最後にオンラインの参加者に意見を聞くという方法でした。

 報告者は、市町村自治体職員の社会教育行政にかかわる人の報告でした。公務労働となっていますが、市町村自治体職員による自らの公民館活動・社会教育実践と地域住民との関わり、地域づくりなどの住民の学習の報告でした。

 第1の報告は、宮城県白石市の地区公民館のとりくみで、地域総合計画に積極的に公民館が関わったことは大変に興味をもって聞きました。白石市は、令和3年からの10年間の総合計画の新たなスタートをしています。総合計画を地区公民館の単位から計画をねりあげていったいったということです。白石市の行政職員がそれぞれの地区公民館に2名以上担当して、住民と共に学びの手法を導入して、地域総合計画をつくりあげていったという草の根を大切にしたものです。この方式はすばらしいものと思います。

 しかし、地域総合計画についての基本的な未来像の見方は、重要な課題です。地方都市にあって、農村部の人口減少は著しく、過疎化という大きな悩みをかかえています。脱炭素社会というSDGsの2030年の目標、2050年の目標という課題のなかで、人類の地球的な規模の危機のなかで、農山漁村の役割を今一度、見直す時期であると思います。

 経済の効率主義のみでは、地球温暖のなかで、莫大な損失をこうむるのです。また、自然破壊、自然災害に起きやすい大型開発では、一層に未来に向かっての地域づくりから離れていくと思います。当面のすぐにもうかるということではなく、自然循環型の地域経済づくりの課題が、農山漁であるからこそできることがたくさんあります。未来の子ども達のことを考えての地域おこしが必要な時代になっていると思います。

 社会経済のしくみとして、自然資本という考え方も生まれれる時代です。自然は大きな財産的な価値があり、その恩恵は計り知れない大きな経済的価値があるという考えです。自然を破壊すれば、莫大な損失を被るということで、地球温暖化対策としての脱炭素があるのです。脱炭素ということで、自然破壊していく大規模なメガソーラーや原子力発電ではないと思います。古来から行ってきた地域循環型の経済を現代的な科学技術の応用によって、飛躍的に発展させる必要があると思います。

 地域の条件からの自然循環型の地域経済の仕組みが求められる時代です。大都市であれば、屋根や壁の資材から等の建築構造物からソーラー発電、砂漠地帯であれば、メガソーラーも考えられると思います。日本のように自然環境の恩恵のなかで暮らす人びとにとっては、落差のある地形を利用しての用水路発電、田んぼ等の小用水路の発電利用、バイオマス発電など様々な工夫が考えられると思います。

 中央集権的な国家構造のなかから、地域主権の時代に変わっていくと思います。歴史的には、中央集権と地方・地域主権の時代が入れ替わっていると思います。日本国憲法にも規定されている地方自治のもとに住民の暮らしを保障していくのか。民主主義的に住民参加の地域づくりの実現として興味ある報告として聞きました。

 この事例のひとつとして、学校統廃合の問題があると思います。地域で子どもを育てていくということの意味から文部省基準の学校適正規模の議論よりも農山村で暮らす特殊性があると思います。

 全国的画一的な学校適正規模が、世界の農山村の学校の存在からみれば普遍性があるのか。多くの国では小規模の学校教育、僻地教育が実践されています。大都市の標準的教育方法ではなく、そこから離れた農山漁村の遠隔地教育、僻地教育から考える必要があると私は思っています。

 日本各地でも僻地教育での素晴らしい複式教育の実践が僻地教育振興法による条件整備のもとに実施されています。そこでは一斉指導の問題点を克服してのグループ学習、ペア・トリオ学習、合同学習の様々な異学年の人間教育が地域の住民の協力も含めて実施されているのです。そこでは、素晴らしい多くの地域のボランティア教師が育ち、新しい未来への学校教育の方法が生み出されているのです。

 学校教育は教師の専門性はありますが、正式に教師として雇われたものではなく、地域の先生がいることを忘れてはならないのです。地域の歴史文化や地域の人々とふれあいながらの人格の形成という本質的なことを見落としてはならないのです。

 地域づくりで協働の理念を入れて総合計画の宣言をするのであれば、僻地教育で培ってきた学びの協働を地域住民と共にしていく必要があるのではないかと思います。そのなかから新たな地域創造の息吹きが生まれてくるのです。効率論ではないはずです。

 まさに、地域づくりは人づくりということです。それは、利己主義的に競争で打ち勝つ人間形成ではなく、人間的に協働の力の総合的な能力形成なのです。

 学校統廃合の問題という難しい問題に直面したと報告がありました。統治者意識と統廃合の問題がかさなって、地域の総合計画の難しさを経験したということです。地域の感情を大切にしながら、論理だけではなく、誰が言ったということではなく、個人としての学び、公としての学びを展開したという報告でした。

 

 

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 地域住民は行政に都合のよいことを要求しない。地区公民館単位での町づくり宣言は、地域の人びとがめざす地域づくりを暮らしの単位から実施することです。そのことを真剣に考えられるように社会教育活動として実践したということです。

 8つの地区公民館の管理運営は、地域住民で組織する自治会などの町づくり振興会に指定管理制度で委託しているのです。この報告を聞きながら考えたことは、学校統廃合の問題は、住民にとって極めて大きな関心であり、矛盾も深刻なことだと思います。地域総合計画を住民自身で作り上げていくうえで、行政とのぶつかり合い、住民自身の矛盾を含むことなのです。

 学校の適正規模論、教育には競争原理が必要ということも話題になったのではと思われます。また、集団意識が身につかないと。そして、複式学級は教育効果が十分にでないなど。どこでも議論になるところです。個を中心としての現代社会の学力競争では当然起きる問題です。

 多くの農山村では、学校を中心に地域のまとまりが明治の歴史から展開されてきたことと思われます。その地域の歴史文化は重いものがあります。簡単に住民がまとまっていく課題ではないと思われます。白石市の分校は、次々と統合になり、2018年には、本校のひとつのが統合されたことを白石市の教育計画のホームページでみました。

 報告者の地域の感情も大切にしながら総合計画の学びを実施したことの難しさ、苦悩もうかがえます。地域からの総合計画づくりは、それぞれの地域の矛盾をかかえながら、どのようにして未来への地域社会をつくっていくのか。学びの結晶が矛盾を含みながらの地域総合計画のなかに反映されていることでしょう。

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 第2の報告は、飯舘村の報告でした。報告者は、鶴見という大都会での社会教育の実践と結婚で、大館村に移住して社会教育活動をしたことの自己紹介からはじめられました。

 大都市での経験と福島の飯舘村での経験と、市町村の社会教育職員として、ユニークな存在と思われます。飯舘村は、原発事故の前から住民の社会教育には地域づくりという視点から強いものがあったということです。福島大学との関係で、その活動の連携が積極的に展開されていたということです。

 報告者は飯舘村にはいろいろの分野や立場の異なる専門家がたくさん入ってきて、いろいろなことを言っているとのべました。飯舘村は歴史的に2つの村の合併によってできた経緯があることから、地域意識が長老のなかで、とくに強く、自治体としてのまとまりが薄いという弱点をもっていたという報告でした。この問題を克服するために、若手の意見を大切にしての自治体としての全体的意識からの地域づくりが大切にしているということです。社会教育職員は、その醸成の学びが重要であると強調された報告でした。

 

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 感想として、年をとった人間として、言わせてもらえば、長老支配は良くないが、高齢者が生き生きと活躍できる地域づくりは大切と思っています。とくに、自然環境保護運動や伝統的文化の継承などでは、年配者の役割が大きく、むしろ、若者に継承していく公民館活動も大きな意味をもっているのです。

 学校教育ではできないことが、社会教育の村づくり運動などでは、年寄りが主役になって、子ども達に元気よく自然の話し、昔話、工芸づくりなど楽しく教えているのが各地にみることができます。この場をつくっているのが、社会教育職員なのです。

 地域づくりは人づくりということで、地域を再生している各地の取り組みは、年配者が生き生きしているのです。山の村・海の村留学などで、地域を再生している事例などは、新しい取り組みに年配者の知恵があるところが多いのです。夜逃げの村といわれた地域が、社会教育課長が町長になり、有機農業のむらづくりとして世界的にしられ、ユネスコの自然公園として指定されて、高い所得をあげる豊かな地域になった綾町の事例や、鹿児島県で最も貧しい地域といわれた奄美の離島僻地で、鹿児島県で最も高い所得になった宇検村など。

 これらの事例は地域の歴史文化や自然を大切にしての社会教育が主役になって、新しい地域興しをしているのです。九州ではこのような社会教育を中心としての地域づくりがおこなわれているところで、地域を活性化している事例が各地にあるのです。鹿児島県の成功した村づくりでは、社会教育と村づくり活動は一体となっているのが特徴です。未来の地域づくりは社会教育があるからこそ生まれていくのです。

 

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 第3の報告は君津市の報告でした。君津市は、八幡製鉄の進出で、砂浜が工業団地になることによって、生まれた都市で、工業団地の周辺は、多くの農村部をかかえているという歴史からの報告でした。がんばって光があたるところと、がんばれないところもあるというのです。

 君津市の社会教育職員は、専門職として雇われているのが特徴です。その専門職から住民との対話を積極的にして、それを手続きとしてではなく、住民の意見を聞くという立場を大切にしているということでした。インパクトの強いところに愚痴をこぼすことで、自己存在もあるのです。自治体職員は、税金で雇われているので、住民の幸福になるために公的な仕事をするのはあたりまえのことです。

 このためには、住民の声を聞き、自由にものごとが言える役場の雰囲気が大切で、ときには、異議を申し立てられることも必要なことがあるというのです。労働組合の価値もここにあるというのです。

 3つの報告事例を聞きながら、地方自治体職員にとって、社会教育の役割の重要性が再認識されました。地域の総合計画など住民と共に学びながらつくっていくのは、今後の日本の民主主義の統治を地域からつくりあげていくうえで、極めて大切になっていくと思います。