日本社会教育学会のプロジェク研究「高齢社会と社会教育」の報告に参加した感想を書きます。報告は3本であった。
最初はよく理解できなかった。超高齢社会における高齢者の学びという題で、高齢者の社会参加から主体を問い直すとう牧野篤会員の報告からはじまった。超高齢社会とは、75歳以上の後期高齢者が前期高齢者を上回った。認知症が1千万人の時代がやってくるというのである。そこでは、介護される人口が大幅に増えていくという問題意識である。その予防策としての孤立化していく高齢者の現実からの地域の絆のオーガナイザーの意義があるとする。
地域の絆をつくっていくオーガナイザーは否定するものではないが、特定の価値や行政施策の下請けではなく、自由に生き甲斐をもって生きていく多様な高齢者の現実をみていくことが必要と感じた。超高齢化社会を何か大変な時代ととらえるかという問題ではなく、社会の進歩で人間の平均寿命がのび、さまざな方法で楽しめる、活躍できる場の創造によって、高齢者が楽しく生き、それが社会に貢献していることがある。それらが実現できるためのでその支援や学びが社会教育行政として必要なのである。
平均寿命がのびているなかで、健康寿命ということが大切と私は考える。このためには保健、予防医学、地域医療整備、健康体操が気軽にできる地域整備、仲間づくり、福祉と社会教育が求められる。
心も体も健康で生きている限り社会的介護の費用は少なくてすむ。また、最も大切なことは健康であることが人生を楽しく生きれる条件が増すのである。もちろん病をもっていても人生を楽しく懸命に生きている人びともいる。現役という年齢を伸ばして考えることも必要である。健康である限り社会的に活躍できる。
牧野会員は、働くことと雇用ということが同じではないとのべ、働くことを再定位することが求められているとする。私生活と仕事を分ける時空間の区分がなくなり、生活することが働くことであり、学ぶことである提起する。そして、自立し続けることであり、社会からの孤立をなくすことであるとする。果たして、働くことと雇用ということが同じではないのか。生活と働くことの区別ができなくなると規定してよいのであろうか。それは社会的労働から生活費を得ることの重要性をあいまいにしていく。ボランティアの社会的役割を否定するものではないが、生活収入を得る社会的労働とは明らかに異なるのである。
牧野会員は、高齢者にとって、常に他者とのかかわりのなかで新たな価値を生み出すことが求められているとする。高齢者の社会参加の重要性として、地域の福祉活動、地域学校協働活動の推進の参加などをあげる。この議論については、ついていけない面がある。たしかに高齢者がボランティア活動を積極的にしていくことは社会的価値である。
しかし、すべての高齢者が、ボランティア活動をできる環境ではなく、その意識も条件もない高齢者も存在している。高齢者にとっての年金や貯金、家賃、配当金などの生活保障が十分なものと、生活不安で生きている高齢者と異なるのである。生活費用が不十分な高齢者にとっては元気なうち就労したい要求もある。高齢者の就労問題があることを見落としてはならない。高齢者でも可能な就労の開発があり、就労によって生きる喜び、仲間の絆もつくられている側面もある。
高齢者の学びと地域貢献活動として、藤原佳典氏・東京都健康長寿医療センターからボタンティア活動に参加できるように高齢者の学習の実践事例の報告があった。高齢者が子どもに読み聞かせをするボランティア活動である。これは、公立小学校へのシニアボランティアである。子どもと高齢者が交流することによって、高齢者自身の役割が地域のなかで生まれ、生きがいにつながり、知的能動性によって健康にも効果があるとする。ハイリスク層を生まない増やさないということで、多世代交流は意味をもっているというのである。これらの実践は意味があることを否定できないが、高齢者の生き甲斐や社会的活動はボランティアだけではなく、さまざまな形態があり、多様な活動の側面を評価しながら位置づけてほしいと思った。
斎藤ゆか会員は、高齢者ボランティアはプロダクティヴ・エイジングになるというのである。高齢者のボランティアを積極的に社会的生産的活動として評価するのである。高齢者は潜在的なボランティアが多くいるというのである。誰かに必要とされる場と仲間、役割を求めており、その人たちを活動に誘いだすことの重要性を指摘する。
コメントの高橋満会員が、高齢者の意識の多様性を指摘する。家でのんびりしていたい、ボランティアをしたくない層もいるのではないか。老後の暮らし方はまちまちであり、いままでやれなかったことを自分の趣味、絵を描いたり、陶芸したり,旅をしたり、音楽をしたり、人によって、それぞれの多様な生きがいをもっている。報告を聞いて、シンポジウムの題目が高齢者と社会教育となっていることから、ボランティアに集中していることに疑問をもった。高齢者の生き方に多様性を求めることは大切であることを痛感しました。
さらに、年金が少なく、余裕のない層もいるので、無償のボランティアにでていくのも容易でない層もいる。ボランティアをとおして、生活と働くことが学ぶことであり、自立していくことであるということにならないも層も数多くいるのある。
むしろ、年金では十分にくらせないということで、高齢者にも可能な雇用を求めるも層いる。また、自給自足的な農業をして、それを楽しみに暮らしている高齢者もいる。ときには、わずかながらの農産物を販売して、充足観をもつこともある。また、単なるボランティアではなく、環境保護運動や平和問題などの社会的活動に積極的に参加して、高齢者であるが未来への社会づくりに喜びを感じているもいる層もいるのである。
報告ではボランティアを無償として位置づけているが、ボランティアは必ずしも無償だけではなく、有償というボランティアもあるのです。雇用のように賃金として、契約のルールによって、責任をもって働くのではなく、自発的意志によって、公共性をもつ地域活動や社会的活動に奉仕をすることであるが、そこには、交通費、活動費、謝礼的金銭を受ける有償ボランティアもあるのである。
国連総会総会決議1991年の高齢者の人権の5原則である自立、参加、ケア、自己実現、尊厳の内容に社会教育としてどう深めていくかということが大切である。
自立では仕事あるいは他の収入手段を得る機会、適切な教育や職業訓練に参加する機会を得る。日本では高齢者憲章が問題提起されている。ここでは、高齢者の能力を活用する事業や職種を社会全体で開発するなど高齢者が意欲を持って社会参加できる機会を広げることである。
高齢者の多様な生き方を支援するため生涯にわたり学習できるしくみの整備がのぞまれる。高齢者の経験や知恵が子供や若者の教育に活用されるしくみづくりなどの提言をしている。これらの提言に真正面にたちむかう社会教育関係者が望まれるのである。