社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

社会教育と大学の役割ー社会教育学会研究大会の報告を聞いて

 2019年度の社会教育学会の開催校企画として社会教育と大学の役割のシンポジウムが行われた。報告者は5名であった。社会教育士という新しい資格付与をめぐっての議論、大学と地域との関わり、学生教育における教育現場との関係の実践力などが報告の論点であった。

 社会教育士導入で問われる大学の役割として、開催校の早稲田大学の沖清豪会員から社会教育主事の養成はどの大学でも行われてきたのか。決して多くの大学で行われてきたのではないことをどう考えるのか。そのうえで、社会教育士の新たな資格付与をみるべきではないかという問題提起である。社会教育士は国際的資格付与の7段階のレベルで第5段階と考えら、決して高度の資格付与ではない。教員の専修免許は第7段階であり、それと比べると社会教育主事資格の基礎要件の高度化とは明らかに異なり、役割機能の多様化する高等教育改革の文脈全体のなかで位置づけていくことが大切とした。

 帯広大谷短期大学の岡庭義行氏からは社会教育主事養成において社会教育実習を必修科目として重視してきたことが報告された。実習の中心は小学校のボランティア活動であり、地域学校協働活動と結びつけていると。

 愛知教育大学の大村恵氏からは、大学教育に実践力科目を重視することから報告であった。その内容は、学校サポート活動入門、学校サポート活動、学校サポート活動Ⅱ、学校サポート活動ⅲを授業科目の設置というボランティア活動の授業科目である。

 さらに、自然体験活動、多文化体験活動、企業体験活動の科目を選択必修としている報告であった。学校サポート活動では学童保育に学生ボランティアとしての参加としている。

 本来、ボランティア活動は学生のサークルとして自発的的、自主的に行われてきた。大学の教師は顧問としての関係であった。それが必修科目としての強制を伴ったボランティア活動の参加になっているのである。

 愛知教育大学では学生たちの実践的な能力の修得を教育の目標としているということであった。ここに学生が自主的に活動し、自由に創造的に学ぶことがどうなっているのか。

 学生たちが教育思想、哲学を学び、さまざまな蓄積の教育実践を書物をとおして、学ぶことがどう保障され、体験活動をとおしてそれらがどう深められているかが大切である。

 戦前の教員養成では学術の府としての大学における教員養成ではなく、学問的に教育実践を深める教育がされなかった。絶対的教える内容と方法が決められており、師範学校の生徒は、それをうのみにして実践的能力の育成をされたのである。

 報告では、従前の教育科学や教科の専門を大学で教えてきた総括からの提起も実践的能力とはなにかという問は全くなく、ボランティア活動や体験をとおして、新しい子ども観の形成、子どもとのつきあい方、自己像の発見、信頼できる大人たちとの出会い、社会参加としている。

 福島大学からの千葉悦子氏は、地方国立大学の震災への取り組みからの大学の役割の報告であった。ふくしま未来学を大学内で立ち上げ、地域の復興・再生における大学の役割の問題提起であった。地域から学ぶ授業なども展開しているという。

 大学のふくしま未来支援センターは期限付きである。食や農業の再構築の村の大学は自腹で継続している状態である。それは自治体と連携して、それぞれの役割からの地域復興・再生である。大学は決して自治体の肩代わりになるものではなく、大学の本来の役割を研究と教育から深める立場としてのふくしま未来学や村の大学の実践の報告は興味深いものであった

 コメントとして、社会教育主事の大幅な減少、労働力市場では減っている現実をどうみるのか。社会教育士が出てくる意味はどこにあるのか。地方国立大学で教員養成はダーゲットにされて研究機能は必要でないとされているが、そのことをどう考えていくのか。大学評価の数量的把握が必要ではないかという問題提起があった。

 大学の社会教育教育の役割は知の拠点、学術の府として、大学開放事業として公開講座が行われてきた。大学人としてのそれぞれの専門性を地域の市民にわかりやすく話すための社会教育的工夫も行われた。また、地域に出かけのフィールド研究と大学の社会教育の役割を公開講座は果たした。多くの国立大学で生涯学習教育研究センターが設立された。現在は、そのセンターは消えているのである。

 生涯学習教育研究センターなど大学の授業を市民と学生が共に学ぶ工夫もつくり出した。それは市民への大学授業の公開である。

 大学の教育と研究の本来の役割を公開講座や公開授業をとおして深めてきた。今日に起きている学生教育の一環としてのボランティア活動の授業や実践的能力育成ということは学術の府としての大学本来の教員養成、社会教育職員養成につながっているのか大いに疑問である。

 人類が蓄積してきた科学的知恵、教育科学を踏まえることなしに実践的能力があるのであろうか。教員養成や社会教育職員の養成において大学の役割は、学術の府、教育科学の蓄積を教授するという意味で大きいのである。

 戦後の教員養成は大学の教育と研究のなかで実施するという原則を重視した。これは戦後憲法の民主主義の理念を実現する教育には、科学、学問を重視し、自由で自主的な態度をもつ教育職員養成を大切にしたのである。

 社会教育職員養成も同様である。社会教育職員は自らの実際生活に即する文化的教養の醸成という特殊な要件があり、その内容も総合的で地域での社会教育計画やコーディネート機能が求められているのである

 実践的能力形成ということでボランティア活動の重視や集団操作的教育方法のテクニックでうまくいくのか。子どもの発達の状況を個別的に把握して的確な判断をしていくには教育科学の知見が必要なのである。また、社会的に子どもや青年をみていくために教育関連領域や教育法の知識も必要である。

 それらを多くの実践的能力科目の設定で軽視していくことは教育専門職の養成を危惧するところである。社会教育職員はさまざまな領域との連携が求められ、社会教育計画が重要であり、地域の暮らしの学びにとって大切なコーディネート機能をもっている。そして、学びの組織者でもある。それぞれの分野を包括していける高い学識が要求される専門職である。

 

参考文献

神田嘉延「暮らしと民主主義の大学創造地方大学と生涯学習」高文堂出版 平成17年7月出版 現在絶版

 

暮らしと民主主義の大学創造―地方大学と生涯学習

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