社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

自然共生と慈愛の地域振興思想ー日本近世の思想家からー

共生と慈愛の地域振興思想ー日本近世の思想家からー

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 地球温暖化ということで、脱炭素社会が世界的に大きな課題になった。日本も2050年までに脱炭素社会の宣言をしている。脱炭素社会は、人間の経済活動、社会生活、日常の暮らし方を自然との共生関係で考えていかねばならない。このことが、本質にある。脱炭素を名目に自然破壊をしていくような大規模なメガソーラーや風力発電再生可能エネルギーであれば本末転倒である。持続可能性のある社会にしていくためには、自然循環を基本にして、経済の発展、開発が求められている。この意味で、自然共生型の地域振興は大切な課題になってくる。

 日本の近世社会は人口が増えて、開墾、潅漑用水も進み、物資的にも豊かになった。このなかで、人間の経済活動と自然の生態系も狂っていったのである。人びとの経済の在り方が反省された時代でもある。自然との共生地域振興、人と人との慈愛的共生を考える思想家もあらわれた。ここでは、自然共生の地域振興と人間の慈愛的思想家として、安藤昌益、石田梅岩、伊東仁斎、二宮尊徳を紹介する。

 

1,安藤昌益の互生論からの共生地域振興

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 安藤昌益は、1703年に生まれ、1762年没である。江戸の中期に、社会の平等論、環境保全論、武器全廃の平和論、直耕という労働価値の絶対性をのべた先駆的な思想家である。15歳のときに禅宗の修行僧として入門し、10数年の修行によって僧の資格を得るが、その後、僧では人々を救うことができないと医学の修業をする。42歳のときに東北の八戸で医療と学問塾を開く。その頃は、東北地方でイノシシの異常発生によって、作物が食べられ、イノシシ饑饉が起きていた時期である。
 安藤昌益は自然を観察して、生態系の破壊原因が江戸での絹織物の贅沢が、関東大豆が養蚕に変わり、大豆畑は、東北の山村での焼き畑の開墾になる。開墾された畑は次の焼き畑で放棄され、元の棄てられた焼き畑の跡はクズが繁殖する。それをイノシシが食べて、繁殖する。このことで、従前の生態系が破壊され、イノシシの異常発生になったことを証明する。このようななかから贅沢になった武士の世を批判する。

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 イノシシの異常発生にみられる自然生態系の破壊は、安藤昌益の環境保全思想形成にもなった。安藤昌益の思想基盤に互性という概念がある。それは、男女の関係に典型にみられるように、異質であるが、対等に相互に依存しあう共に生きていく関係をあらわす概念である。
 農文協出版の安藤昌益全集の編集代表であった寺尾五郎は、昌益の思想の独自性を強調する。人間解放の思想体系は、まったく独自に新たな世界観の創造ということであるとしている。儒学国学、仏教を根底からひっくり返して、それとまっこうから対立する世界観をつくりあげた。伝統的教学のすべてが、人間をしめつけ、抑圧し、欺瞞する思想の道具にすぎず、独自に人間解放の道を探求したとする。
 そして、もうひとつの思想の独自性は、全存在の永遠の運動過程にあるものととらえたことである。その運動は、諸行無常の変化観でもなければ、輪廻・流転の宿命観でもなく、運動を存在の肯定的な原理として、その生産性、創造性、発展性であると捉える。
 運動は事物の外側ではなく、事物の内側にある。事物の運動は本質的に自己運動であると。ひとつのもののなかに二つがあり、一気のなかに進気と退気の対立があり、その矛盾によって、自己運動が起きる。一つのなかに対立し、依存する二つがあり、その二つが相互に転化しあうのである。そして、万物を対立物の統一として考えるのが、安藤昌益の考える互生概念の論理である。これらのことについて安藤昌益は、次のようにのべる。
 「天地ニシテ一体、男女ニシテ一人、善悪ニシテ一物、邪正ニシテ一事、凡テニ用ニシテ真ナル自然ノ妙道」。この論理を「二用一道」「二品一行」「二別一真」とした。二つのものの相互転換のことを「性ヲ互ヒニス」と、矛盾関係を互生と名づけ、その運動を「妙道」と呼んだ。以上のように、寺尾五郎は、「互生」「妙道」を説明する。
 中央公論の日本の名著シリーズで安藤昌益の責任編集の野口武彦は、「土の思想家」安藤昌益を解説している。昌益の人間観は徹底した平等主義の主張にあるとする。昌益の人間平等の根拠は次のように野口武彦はのべる。
 安藤昌益は、「人間存在を転定(てんち)」の気行の特定の運回形態を見なすことに人間の平等性の根拠を置くのである。人間のもっとも自然的状態は、人間が自然の気行の運回のサイクルの一部になりきっているときである。人間の直接労働としての「直耕」について、野口武彦は安藤昌益を次のように解説する。

 「転定(てんち)」の生成作用に人間が自己を同一化することである。あるいはむしろ、その延長である。だから万人がひとしく「直耕」することは自然の法則に従うことだとされるのである。昌益の平等主義が自然にもとづいていいるとというのは、いかえれば、個々の人間は自然というつながりの気行の全体を完結させるために特定の気行(通気)をそなえた、またそのかぎりでそれぞれたがいに同等な構成分子であると主張することにほかならない」。
 安藤昌益の自然概念は、儒教的な意味ではなく、中国古代思想にみる陰陽五行説からの自然循環というのである。道を自然気行論である土活真から木、火、金、水に運回する万物生成論の世界であり、その思想の理想型が自然世として、封建社会を批判するとする。そして、昌益の思考方法の欠けるものは、社会制度であれ、思想教義であれ、客観的構造の観察と分析方法をもつことができなかったと野口武彦はのべる。
  安藤昌益の代表的な著作の自然真営道は、自然に帰れ式の自然憧憬でも天然賛美でもない。それは、天の恵み、自然の恩恵でもない。安藤昌益にとっての自然概念は天地が穀を生み、穀が人を生むということで、人間の労働が天地の直耕のなかで占める特別の意味をもっているのである。

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 直耕とは、人が生きるための生産であり、命と生活のための生産である。消費するのは、生産するためである。労働と飲食は、生命と同じである。人間の存在は、直耕の一道であるという見方である。
  安藤昌益の自然概念は、妙道互生という対立物の統一、八気の相互関連の運動のなかでとらえている。陰陽五行説の五行ではなく、根源的なこととして土の活真を基盤におき、他の四行での進・退の自己運動の八気をみる。私欲と民への搾取を盗乱の世とみる。
 私法盗乱の世という搾取と争乱が絶えることない現実でも、理想社会の自然法則ではないが、自然活真を契(かな)うことができるとする。それは、土活真の根源な自己運動からの互生・八気によって可能とする。
 人間社会の男女一体の互生から自然活真の世へのかなう論理を証していく。「男は外であり、天である。そのなかに女の要素がある。女は内であり、海である。女には内在している男の要素がある。男と女は互いに対立し、かつ依存しあうという矛盾関係にあり(男女互生)、それぞれ神と霊(心霊互生・人間の四との精神活動)、心情と知性(心知互生・人間にある八つの感情と八つの精神作用)、思念と覚悟(念覚互生)などの関連しあう八つの精神や八つの感情が通じ、横逆に運回して、精神活動を営んでいる。そして、互いに穀物を耕し麻を織るという労働を通じて、人間の生産と再生産は絶えることがない。

 これこそ、根源的な物質である土活真が小宇宙として現れた、人間男女の生産活動であり、また人間の存在法則であると言えよう。人々がみな一様に生産労働に従事するところに、人間としての共通の営みと感情が生まれるのである。これが自然の法則そのままに生きる人々の社会であり、そこには搾取や反乱、迷いやいさかいなど存在せず、人々はそうした言葉さえ知ることがない。土活真の統一運動そのままの平安さがあるばかりである。
 それぞれ、喜、怒、驚、悲、非、意理、志と発現は男女によって異なり、男による直耕の肉体労働、女による麻を織るという精緻な家内労働は、外・天と内・海という互生関係である。双方は共に生きていく自然の役割関係として、求め合う関係で一体になっていくものである。
  人間社会の本質的な自然状態は、男女のように役割がことなっていたが、互生関係をもって、平等の関係と相互依存、相互扶助のもとで生きていた。しかし。王と民、支配する者と支配される者の社会関係、差別的な関係が生まれることによって、根本的に変わり、人為的な私欲が私欲を一層拡大していくことになり、搾取と反乱、戦争を呼び起こす社会になったと安藤昌益は考えるようになるのである。


 天下国家を奪う欲望と極楽往生を願う欲望が乖離していくのである。私欲に基づいて、上に立つ者が現れることによって、社会に反乱が起き、また泥棒などの様々な犯罪が蔓延していくとする。上の者が搾取を改め、私欲を捨てることが、反乱、戦乱、犯罪をなくしていく最も根本的なことであると安藤昌益は考える。 
  民の犯罪は、支配者の驕りが原因であり、上が私欲を廃して盗乱の根源を絶ちきらねばならないのである。支配者のなかに、自然界と人間社会を貫いている活真の法則を体得した正人がいるということを期待することに望みを託すのは馬鹿げたことであると安藤昌益は考える。
 しかし、搾取と反乱が渦巻いている社会にあっても理想社会に変革していく方法はある。本来はあやまりである上下の階級社会は敵対関係に陥らない方法がある。天地の場合は、上下という差別がない。上下という階級社会の差別があっても、上に立つ者が家臣を多くかかえず、反乱を起きないように心をくだき、また、道楽と贅沢をせず、みずから田地を一定範囲に定め、これを耕して一族の生活をまかなうことである。
 諸侯もこれに準じて、それぞれ国主としての田地を一定範囲に定め、相応に耕すことによって一族の生活をまかなうべきであると。上下ともに耕し、下、諸侯、民衆からの収奪をする租税制度をなくすことである。最高統轄者は、みずからおのれの田地を耕作することである。上に立つ者が贅沢をしなければ、上下関係があってもへつらうものはなくなり、敵対的差別関係はなくなり、世は平安になるというのである。
 贅沢な暮らしこそ、戦乱を引き起こす原因である。もともと人間が穀物を耕し麻を織って生活する以外に、何ごとも必要としないのは、それが天地から与えられた人間本来の姿だからである。
 手工業者や職人には、最高統轄者には、それ相応の生活必需品を与え、諸侯や民衆にはそれ相応の家屋・家具をつくらせること。豪邸や贅沢品の製作は、これを禁止する。日頃統括、管理の仕事のないときは、みな相応に耕作することが大切である。
 遊女・野良・芝居役者、道楽芸の慰芸の者には、上に立つ者が贅沢や浪費をやめさせ、かれらに田地を与えて耕作させること。僧侶・山伏・神官の遊民には、農業労働こそ天地自然における活真であると考えさせる。
 地蔵菩薩の功徳は、農業労働そのものであり、薬師如来は、天地自然におけるの生成活動の始まりの季節、春の象徴である。不動明王は、大地が不動のままに田畑となって人々を耕作させることである。阿弥陀如来は、農業労働がまっとうされるようにということにほかならない。禅宗語録は、生産労働によって心安すらかに食い、着て暮らし、生死を活真の進展ににゆだねること、これこそ仏法の極意。神とは、太陽であり、生成活動の担い手ということで、僧侶、山伏、神官は、諭して田畑を耕作させることである。
  社会にあっては、上下の差別制度がなくすべての人が、平等に生産労働に従事することができるならば、人間としての本来のあり方になる。現実として、やむえず、上下関係を残しながら、直耕による活真の運動法則に準じて上下関係を運用するのである。
 安藤昌益は、支配する上の者の私欲、贅沢、道楽ということと、それに従属して、へつらい、人を騙し、反乱を起こして支配欲を実現していこうとする側面を痛烈に人間の自然活真の本来にあらずと糾弾するのである。同時に、人間の本性から直耕することで社会的な機能の役割を果たしていけば、上下の矛盾は統一されていくのであるとする。 
 社会的矛盾を統一していくには、上にたつ者の統轄的役割ということを直耕という自然活真の立場にたうことがとくに重要であり、それぞれが社会的な個別機能を果たしていくことの基本的な条件をあげている。
  安藤昌益は、元禄文化における江戸を中心とした武士や豪商の贅沢な消費生活を厳しく批判する。贅沢によって、農村経済が一部の特権層の消費生活に規定されていく。養蚕などにみられるように贅沢品の絹織物のための生産に江戸近郊の農村経済は変えられていったことを直視したのである。東北地方は、江戸近郊の生活必需の大豆生産が行われるようになる。それは、江戸への商業的な農業のためである。商品生産によりイノシシ飢饉が起きる。自然生態系が破壊されていくことによっての被害である。安藤昌益は、現実をみながらの互生論の論述である。安藤昌益は、一部の支配階級の贅沢な消費生活が農民をはじめとする民衆生活の困窮状態からの解放という側面から商人に対する厳しい見方をもったのである。

 

 2,石田梅岩と伊東仁斎の慈愛の思想

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 安藤昌益と同時代の石田梅岩は、商人に対しての社会的役割を積極的に位置づけ、その社会的倫理の大切を説いた。それは、享楽主義ではなく、倹約・勤勉・正直、公的な領域の義理を商業活動に重視した。そのことは、私的な領域の人情を大切にする心学運動の基盤をつくったのである。石田梅岩は、1685年に生まれ1745年に没している。
 商人の仁愛は飢餓のときに無料で米を放出することが社会の循環としてご褒美をもらうということを梅岩は次のようにのべる。

 「商人の仁愛も役に立つ。昨年の飢餓(享保の飢饉、1732~1733)に、無料で米を出して人を救った商人はみごとなご褒美をいただきました。飢えた人を救って人を殺さないようにするのは人間の道です。・・・買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすれば、たいていの場合に買い手の満足が得られます。買い手が満足するように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなるのです」。
 石田梅岩は世の中が間違いと不正が多いことを認識したうえで、正直、社会的正義の商人道の必要性を強調したのである。経済的に行きづまると自分だけが損をしないように手のこんだ盗みをする商いがある。多くの商人は道をしらない。賄賂を受け取るものもいる。結局、悪事は天罰がくだると考え、商人の慈愛の精神を大切にしている。
 商人は買ってもらう人々から養われているということで、安藤昌益の見方からいえば、商人と購買者は、互生関係であるということである。この互生関係に慈愛精神が媒介されて、人間本来の道になっていくのである。商人にとって、人道の道が不可欠なのであり、それをもたない商いの行為は、人間としての不正の道、搾取・収奪による盗乱の道に走るということになる。

 梅岩の心学運動の特徴は、次の4点にある。
1, 講釈、商人の日常生活を例に儒教などの教えを説いた。
2, 問答の形式で一方的に講釈するものではない。
3, 瞑想の工夫。講釈や問答だけではなく悟りによって。
4, 心を悟ることは、出発であり、実践が学ぶことの目的。学問と実践。学問即修身。
 

 勤勉、倹約、正直の思想が根本である。経験を基礎にして学問をすることを基本としている。商人の利益は武士の禄と同じであり、不正の利益はそのかぎりではない。商人は正直でなければならない。正直が行われれば、世間一同に和合する。契約関係などきちんと約束をまること。正道を人倫の基本とすべきである。
 本心は、無私であり、私欲を好まない。倹約は商人倫理として、大切にする必要がある。商人倫理は、享楽主義と対立する。正道を歩む為政者は、民を治めることから、倹約を基本として、人民の税の負担軽減をすることによって、民のうるおいをもたらすものである。
 公的な領域では義理、私的な領域では人情を主とし、第3者を媒介としないで内と外の間の葛藤を大切にする。自己の葛藤を、義理や人情のどちらかに強化する方法でうまくつりあいをもって商人は生きてきたとする。内部を無私の心に還元し、外部を天地自然の理に統一し、体験の場で一挙に内外を一体化していくという考え方である。
 学問をしたものの10人のうち7,8人は商業や農業を粗末にし、自分を偉いと思って、人をみくだす。親さえも文盲と考えるようになり、親も学問をした息子に遠慮するようになる。これは真の学問ではない。学問の道は、自分を正しく、正義に、仁と愛で父母に仕え、友人と交際し偽りもなく、人を広く愛し、貧しい人をあわれみ、威張らない人間になることである。
 ものを売って利益を得るのは商人の道である。正しい利益をおさめることで、商人は立ちゆくのである。利益をおさめないのは商人ではない。利益を得るのは欲ではない、サムライの禄と同じである。正しい利益を得るのは、こちらが利益を得るのは相手に利益を得させるためである。商人の利益は公のことである。商人が利益を得て、その仕事をはたせば世間の役にたつことを見落としてはならない。
 実際の商人には道に従わないで、不正をするもがいる。商人の仁愛は人が飢えれば無料の米を出して、救うことである。商人は買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすればたいていの場合に買い手の満足をするように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなる。
 天を知ることが学問である。天を知れば物事の道理が生まれる。個人的な考えを離れて、だれにでも通ずる太陽や月のように照らすことになる。昼間に太陽の光に頼らず戸を閉めて灯火を用いるようなことである。
 本当の学問は私心のない境地をつくりだすものである。学問では書物を読むことは不可欠であるが、しかし、書物を読んでその心を知らなければ学問ではない。文字だけを知っているのはひとつの技芸だけを知っていることなので文字芸者である。人との交わりをたつのは大きな罪になる。礼を守るのが人間で、礼をもって人間は交流をするのである。
 子育てにおいて、13歳から20歳まで奉公人にするのがよい。苦労させることも大切である。かわいい子には旅をさせよ。旅は修行なり。旅をして苦労すれば、万事に堪忍することを知り、他をあわれむことを知る。人の仁心を喜び、不仁を憎むようになる。仁をもってするゆえに、人の心をみるようになる。仁なるときは栄え、不仁なるときは恥じる。
 子どもの悪性は、特別の教えは必要ない。 人間の本性は善なるがゆえに、学ぶことによって天を知る。若年の時に苦労させるのが道理である。

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 慈愛精神をもっての人道の道については、商人の家庭で儒学を学んだ伊藤仁斎が強調している。かれは、江戸時代の初期に活躍した商家の民間儒学者であり、1685年に生まれ、1744年没している。仁斎は、為政者である武士の家庭で育ったものではなく、また、藩主に仕えた学者でもない。仁とは愛であると、日本人の感性から体系的に儒学を打ち立てた儒学者である。
 仁斎は、京都の商人の家に生まれ、若いときは、孤独に学問を探究した生活であった。しかし、京都地震を契機に、30代後半から同志会をつくり、私塾を開く。私塾では、自由に意見を出させて、それをもとに討議していくなかで、儒学を教えていくという方法をとった。人間にとってもっとも根本的な理学は、仁即愛であり、徳で最も大切なものであると考えた。
 愛はすべての人の心に通じるものであると唱えた儒学者であった。愛について、儒学的な立場から仁斎は次のようにのべる。「愛は実体のある心情から発するものである。だからこの義などの五つのものは、愛から出発するときは、本物であるが、愛から発しないときは、いつわりのものしかすぎない」。君臣関係の義、父子の親、兄弟の叙、盟友の心(誠実)という関係は、愛から発しないものは偽りにすぎないと仁斎は、断定するのであった。仁というのは愛であり、仁を理であると考えたり、性であるとしたり、知覚であると考えたりするのは、日常生活に実行することを知らないとする。
 愛の対立は、自己中心で強欲非道による他の人間関係を支配・収奪していくことで、残忍で薄情で無慈悲な心である。強欲非道で人を愛せない人は、精神的に孤立の状況に置かれ、権力欲と金銭欲旺盛で人との関係は、利益誘導であり、心が通じることがない。
 愛を豊かにしていくことは、多くの人に通じるものである。自分が他人を愛せば他人も自分を愛してくれるという関係である。愛の真の姿は、父母のむつまじい関係、兄弟が仲良くしている関係にみることができる。
 愛の心は目的を成し遂げていくうえで大きな力を発揮するものである。まさに、愛は偉大な力をもっている。愛が偉大な力をもっていることは、母親の子どもに対する献身的な自己犠牲の事例によくみることができる。そのことは、単なる自己犠牲としての意識ではなく、母親としての生きる喜びの中か生まれてくるのである。愛の心を多くの人に広くもてばもつほど人の心は豊かになって、人を大きく包容していく力をもっていく。愛の心が大きく広がっていけば、人格が豊かになる。そして、その愛する態度は、落ちついてあわてない、心をもって、人生に喜びの泉が吹き出してくるのである。

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 愛による自己犠牲的な献身は、その人自身の偉大な力になって、喜びが膨らんでいく。人は無限定に他人を愛することはできない。人は誰でも、理由をなしに、愛することができない。人を愛することは、信頼という関係がなければ生まれない。母親は本能的に子どもを保護し、育てる。子どもは、その母親の行為から信の関係を築き上げていく。人間として生まれたときから愛情関係に人は入っていく。安心して子どもは依存関係を深めて、笑いなどの豊かな人間関係の感情が母親との関係で育っていく。
 愛は人を包容し、楽しんで心配のない感情をつくりあげていくことを伊藤仁斎は次のようにのべる。
 思いやりは仁への近道であるが、仁とは別ものである。仁は努力して成し遂げるものではない。つまり、人を愛するということは無理に愛すること自体が虚偽である。思いやりは、人のこころになりかわってその立場を理解(おもいやり)するものである。それは、努力すればできるものである。仁は徳を具えた者で努力することで成し遂げられていく。徳を備えていくことが重要なのである。

 仁というものは、努力してできるものではない。 恕は、努力していく者ならば可能である。ところが、努力してできるようになる恕をしているうちに、自然と、努力によって不可能な仁を体得してしまうのだ。一つの恕をすれば一つの恕を体得するし、二つの恕をすれば、二つの仁を体得する。問題は、その努力していることがどのようなものかという点にかかっている。
 我を愛することは、生きたいという人間の生命本能として内発的に誰もがもっているものである。人は生まれたときから母親との関係という愛される関係をもつ。そして、父親、兄弟姉妹、親族、地域、保育園、学校と愛される、愛するという人間関係の信頼を獲得していく。そして、自分という存在を他人との関係で深めていくのである。そのなかで、利他的な人間関係も育っていく。伊藤仁斎は、人欲、私心がないというのは人間ではなく、人形であると次のようにのべる。
 「人欲と私心が一毫もないなんて、人間の姿かたちをしていても、人情が欠落しているのだから、もはや人間ではなく人形である」。
 「礼と義を以て心を抑制する意志力を失わない限り、人情はそのまま道となり、欲求はそのまま道理となる。情と欲とをいけないと斥ける理由はない。しかるに礼儀を以て自制する行程を踏まず、闇雲に、愛の心を断絶し、情欲を消滅させようと努めるなら、容器が曲がりすぎているのを直すのに力を入れすぎ、今度は真直に戻って使い途がなくなったような結果になる」。
 情とか欲は人間の感情にとってきわめて大切な要素である。情と欲は、人間にとっての生きる大きなエネルギーであるのである。他人との関係をもちながら情と欲の発露であることを見落としてならない。情と欲は、個人の内面のなかで一人歩きするものではなく、礼と義の摂理をもっているというのが仁斎の見方である。とくに、社会を統轄するリーダーにとっては、それが厳しく要求されていくのである。とくに、君主という統治者にとっては、民の心をよく知ることが必須の条件であると仁斎は次のように指摘する。
 「学者であれば自己の修学だけを考えておけばよい。しかし、人君の場合にあっては、民の好悪を同じくする心構えを以て基本とする。もし抽象に誠心誠意の論理を知って、民と好悪を同じくする感覚を失えば、政治の指針として何の役にも立たない」。
 政治の統治者は、民と好悪を同じくし、身をもって実践し、民を励まし、志をなすことで、民の志も奮起していくものである。このように、民と共に生きる統治者の大切さを重視しているのが、仁斎の見方である。学者が上に対して戒めることをせず、ほんとうのことをつつみかくす抽象的な誠心誠意の学問で自らを修学することでよい。
 社会のなかで愛の問題を考えていくうえで、統治されるものと、統治するものとの関係は共に生きていくということで大切なことである。君主は、民を愛するということ、自分の統治対象である国を愛することを同じようにしていくことである。民の歴史的結晶としての国の文化があり、我が山も川も民の暮らしのなかでのものである。民あっての国であり、民あっての君主である。
 安藤昌益の過渡期社会論についても統治者の統轄的な役割は、民あってこそ、その役割が機能的に存立するといのである。過渡期論を仁愛のこころから構成していくことは、より深く支配される人々と君主の人間関係をそれぞれの主体性と感情を掘り下げていくことになっていく。
 
 3,二宮尊徳の一円融合論

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 二宮尊徳は、農村の自立更正思想と相互扶助思想によって、江戸時代末期から日本の近代における農村振興に大きな影響を与えた。それは、報徳思想として、日本の多くの小学校に二宮金次郎の象が建てられたのである。
 尊徳の教えは、至誠、勤労、分度、推譲と四つであったが、窮乏する多くの人々を自力更生と相互扶助思想による農村振興でぬ農村の窮乏を救ったのである。
 至誠とは、真心であり、尊徳の生き方の全てに貫いている。勤労は、働くことによって人は生きていける根本な原理である。そして、働くことを通して智慧をみがき、自己を向上していく。人格を豊かにしていくことに働くことがあるという尊徳の見方である。
 分度は自分の収入に応じて生活設計をたてることである。人は自分の収入以上の生活を望み贅沢をしたがる。分度とは、自分の収入をみつめながら生活をしていくということである。それぞれの分度をみきわめて、贅沢を控えていくことを尊徳は家老等の家の再興に提唱したのである。尊徳の経営実践の基本理念は分度である。富貴になっていくのも貧賤になっていくのも分度のわきまえが大切である。

 分度は農民の生活にとっての基本であり、それは、地域の振興にとっての積極的な意味をもっているのである。
 楽しみ遊ぶことが分度を超え、苦労して働くことが分度の内に退けば、貧賤になる。楽しみ遊ぶことが分度の内に退き、苦労して働くことが分度の外に出れば、富貴になる(尊徳の三才報徳金毛録・富貴貧賤の解より)。
 推譲は、余剰を人や将来に譲る精神をもつということであり、自己から他人へ、自己から村へ、村から他の地域、藩へと農民の貧困対策に機能した見方であった。また、一家を継承していくためには、毎年実る果物の法則にならって、枝を切り、木の全体を減らし、つぼみのときは、余計なつぼみをとって、花を少なくすることである。たびたび肥料をあてるように、親が勤勉でも子は怠惰になったり、親は節約するが子は贅沢になったりする。家を継承するには、これに備えて推譲の道を勧めることが大切である。
 一円融合は、全てのものは、互いに働き合い、一体となって結果が出るという見方である。天と地、陰と陽の対立のなかった時は、混沌とした状態で、なにも書き込みのない円のみが描かれている。そして、天地が分かれていない一円一元は風空、火空、地空、水空ということで、混沌とした状態であるとする。
 一円一元の混沌とした世界から新羅万象への発展に展開していく。一円融合は天地の混沌としたことから、天地万物が生成して人体気、地体気、天体気が一体であると同時に、その三者は関係をもって一円の中に融合されていくという見方である。
 「天の体と気が、地の体と気が、また人の体と気が一体であると同時に、その三者はまたたがいに関係を保ちつつ一円の中に融合されていることをしめす。たとえば地の作物によって生きる人間は、大気を呼吸することで天とのつながり、死ねば土に還元され、地上のものは火によって煙となって大気に飛散する」。
 天地に生まれた生命がどのように生々消滅していくか。最初に天地に生まれた生は種である。種は種族の生命の根源である。種は生の休止した状態ではなく、生への強い契機が蔵されている。育ったものが草木である。

 

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 天は一円を通して草木花実を生じる。生とは茎、葉への生育で季節を配して種、草、花、実という一円に輪廻していく。荒涼とした天地に生気が満ちていく。太陽の光と熱を受け、四季の変化と乾燥の作用によって種から芽が、芽から茎へ、茎から花へ、花から実とへ輪廻していく。進化の道は決して柳の木から梅や桜が、種を違えて成長していくというものではない。 
 植物が育つには、水、温度、土、日光、養分、大気などいろいろなものが溶け合ってひとつになって成長していくということである。尊徳は、儒教的な仁・義・礼・智・信の五行よりも仏教的な空・風・火・水・地の五輪の思想をもってきた。
 この方が、尊徳の考える大自然を説明できる。尊徳は、すべてを円の図を書いて説明している。円は、宇宙の一切の事象、自然界、人間社会を説明する尊徳の思想の独自性である。一円は、天地万物の多様性を生み出す根源であり、天地万物が生成発展し、進化していくものである。
 我利・我欲を社会の中心に置くと、天が乱世を命じていく。それは、徳を中心とする政治に対立することであり、その悪循環の恐ろしさを指摘しているのである。我利・我欲は、不学から生まれるものである。
 そして、農業に怠惰となり、廃田をつくり、貧民になっていく。下に乱が起きる。犯罪が増え、臣恣になり、民は逃散していく。この我を中心とする一円は、賊仁をつくり、多くの衆を失い、国を滅ぼしていく。悪は悪を招き、邪は邪を呼んでいくという循環になっていく。
 徳を中心とする天は、百穀栽培の季節を命ずる。徳を中心にとすれば国は平和に保たれ、人々は農耕に精を出し、多くの作物をつくることができる。天地に万物が生育する時、天地の呼吸、四季のめぐりを大切にしている。種類は場所によって、それぞれの時期の違いがある。天地の中心は太陽であった。太陽の恩恵によって天地は繁栄していく。
 治世の根本は徳であり、その徳は学によって心の中から生まれていくものである。徳の心は、民を励まし、開田し、民はそのことによって恵まれ、犯罪はなくなり、国は安寧し、豊かになり、子孫は繁栄していくものだと一円上に描く。
 我利・我欲と徳を対概念として二宮尊徳はみているのである。我も徳も人間の作為である。徳は人間の目的意識的に自覚されていくことによって身についていくものである。それは、学問によって、形成されていく。仁義礼智信は、混沌とした状態から人間社会が確立されていく過程で生まれていくものである。(38)
 尊徳は天地人の三才のなかで、人ということで我をみる側面がある。人を主体的にとらえることで我を使用する。天と地の間に我がある。仁義礼智は外から我をかざるものではなく、生まれながらにもっているものである。学によって、それが発露していく。
 我人は、天地に人が誕生して、その人を中心に男女五輪の道という人倫の仁義礼智信という徳を学ぶことをしない不徳の我が中心となって治世を行えば、賊乱が起きる。我を人としてみていくか、我を徳に対する反対の我を中心とする治世ということで、利他をみないで絶対的自己の欲望を人間のもっている意志を我欲として増幅させていくか。
 万の人間がいれば万の心がある。その中には善心があり、悪心もある。離叛の心があれば服従の心もある。自然に和の心で行動するようになるが、和の心でいてもいつか不和の心が起き、不和の心から人を怨む心が生じる。また、親愛の心に変わることとなり、親愛の心があれば、平穏を願う心が起こってくる。

 平穏の心が起これば、賊乱の心もおこり、賊乱の心があれば、天災をこうむることになり天の恵みは永遠に失うことになろう。つまり一人の心を乱せば、十の心を乱すことになり、一つの心が治まれば十の心が治まることになる。だがから百の心が乱れれば千の心が乱れ、千の心が乱れれば万の心が乱れるように、際限なく広がる。これが天理であり、自然なのである。
 そもそもすべては不徳である。その不徳が有為転変をとげて聖人・賢者になる。聖人・賢者の本質は仁義礼智信の道を学ぶことである。学問を身につけていれば、政治を行っても公平で私意をはさむことはない。政治が公明であれば、人々は必ずその徳を尊敬する。尊敬があれば、民衆は怠らず農業につとめ、精勤に励むため廃田になるようなことがない。そもそもすべては治心からはじめる。治心が転倒すれば乱心になる。


 乱心の根源は不徳である。

 不徳は不学にゆきつく。不学のものを考えれば怠惰であり、怠惰の者は、学問をなおざりいしていることにある。学問のなおざりは父母の責任に帰されるから、父母は教育に不熱心という過ちを犯せば、その子は政治に無関心となる。不徳は賊乱を生むことになるのである。我をみるときに、二つの見方があることを尊徳も一円の対概念のなかで位置づけている。
 人道は労働を基本にして推し進められていく。尊徳は、生民の勤労を計る時の一円として、一日の生活の中で、労働の占める位置を表している。辰の刻(午前8字時)から午(正午)未(午後2時)から茜の刻(午後6時)ということで昼間の8時間を働く時間にしている。現代の8時間労働制の見方は、尊徳においても勤労の時間として考えられていたのである。


 尊徳にとって、上下は交流し、相互扶助していくのが人間の道であるとする。

 上下貫通弁用之解。天地の慈愍(じびん)なければ万物生育せず。天地の慈愍によって万物生育をなす。天地の慈しみあわれむことを万物生育にとって重要なことと尊徳は考えているのである。神仏の擁護なければ諸災降伏せず。神仏の擁護によって諸災降伏をなすとして、人々の災難から加護する神仏の社会的役割をみている。
 帝威の厳重(げんちょう)なければ四海安寧せず。帝威の厳重によって四海安寧をなす。武威の正道なければ国家平治せず。武威の正道によって国家平治をなす。農民の耕耘なければ次年の衣食なし。農民の耕耘によって次年の衣食を保つ。帝の権威と武の正道によって国を平治することになる。人々の衣食を保つ農民の役割を尊徳はみる。
 儒舘の譔諭(せんゆ)なければ聖賢の道を弁(わきまえ)へず。儒舘の譔諭なければ聖賢の道を弁ふることをなす。儒者がいることによって、人々に学問をさとすことができ、人々の徳のある生き方の道を示すことができないとしている。書家の教導なければ揮毫(きごう)弁用に滞る。書家の教導なければ揮毫(きごう)弁用にをなす。
 医家の療功(りょうこう)なければ疾病快癒せず。医家の療功(りょうこう)なければ疾病快癒をなす。数者の訓傚なければ間任算法(けんむさんぽう)に礙(とどこお)る。数者の訓傚なければ間任算法をなす。儒者、書家、医者、数者のもつ智と、それらを導く教育者の社会的役割を尊徳は指摘するのである。
 工匠の勤労なければ諸舎の造健ならず。工匠の勤労によって諸舎の造健をなす。商賈(しょうこ)の運送なければ諸品廻便せず。商賈の運送によって商品の廻便をなす。諸職の作業なければ万器自由にならず。諸職の作業によって万器自由をなす。工匠、商売、諸職の作業の重要性を人々の生活をおもいのまま豊かにしていくこととして社会的評価をしている。
 天地の恩恵は、神仏、帝武の役割、農民、儒者書道家、医者、数学者、建築家、商人と、それぞれの職業すべての社会的役割にみている。
 一円融合の相互依存では、横につながるものではなく、上下の関係においても同じである。天地自然の道理から、身分的上下も絶対的なものではなく、武士・百姓という上下関係も、一方的に服従するという寄生的なものではない。この発想は、天地・男女・昼夜・貧富・善悪・徳不徳というものに対する考えてと軌を一つにしている。
 尊徳の社会の上下交流と相互扶助は、それぞれの社会的役割を円滑に遂行していくために大切なことになっている。身分的上下関係は、絶対のものではないというのが尊徳の考えである。相互扶助の関係からは、服従も寄生的なものではなく、相互に役割を果たしているという見方なのである。
 田があるからこそはじめて生命を育成することができ、田畑があってこそ君主は君主なることができるのである。田畑の恩恵があるからこそ、民衆は民衆としての務めができ、財宝は財宝としての価値を示すことができる。田畑の恩恵があるからこそ、すべての社会組織も機能することができる。
 人間が、人間として踏み行うべき道を一歩もはずすことなく暮らせるのは田畑があるこそである。田畑は、人間が生きていくいくうえでの衣食住の基本である。農業の恩恵がなければ、神社仏閣、宮殿、橋や道路、刀剣などもつくれない。人間社会、個々の生活、国家の存亡は、農業あってこそであると尊徳は、強調するのである。
 三才報徳金毛録の報徳訓では、「人間界の父母の根源は、天地が命ずるところにもとづいている。自分の存在のすべては、父母の養育にもとづいている。子孫がよく似るのは夫婦の結合にもとづいている。家運の繁栄は、祖先の勤勉の功にもとづいている。自分の身の富貴は、父母のかくれた善行にもとづいている。子孫の豊饒は、自分の勤労にもとづいている。身体の長命は、衣食住の三つにもとづいている。田畑・果樹の栽培は、人々の労力にもとづいている。今年の衣食は、昨年の生産にもとづいている。来年の衣食は、今年の艱難辛苦にもとづいている。だから年々歳々、決して報徳を忘れてはならない。
 報徳訓では天命としての父母の意味と父母の社会的役割が強調されてる。そして、祖先の勤労の功、父母の善行による富貴をのべる。尊徳にとっての人間が生きていくうえでの父母・家族の大切さ、父母に感謝することが記されている。そして、身体にとっては、衣食住に支えられていることがあり、農業によって衣食住がなりたっており、その報徳を忘れてはならないとしている。衣食住と命は一円で対極にあり、勤労と産業も対極に位置づけられている。