社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

石田梅岩の商人道と心を知る

 石田梅岩の商人道と心を知る

 

序・現代的に石田梅岩から学ぶ

 石田梅岩は、江戸時代の中期(1685年~1744年)に生き、商人道徳を説いた人です。京都に近い丹波の山村(現在の亀岡市)で生まれ育ち、京都に奉公に行き、働きながら独学で儒学を学び、20年間働いた呉服屋を43歳で辞め、45歳から講釈し、商人道徳確立への活動をしていくのです。

 自分が働いた実践的な経験をもとに、儒教や仏教を基礎にして、商人道徳を考えていくのです。現代的に経営者や経済の在り方を働く人びと農民など民衆との関連からみていくうえでも参考になります。

 現代は経済人の不祥事が頻繁に起きています。金儲けのためには手段を選ばず、詐欺事件、汚職や賄賂も絶えないのです。徳川中期の時代も商人たちは、儒学者から必ずしも信頼された存在ではなかったのです。石田梅岩は、仁義礼智信の徳をもつために、また、日本の伝統的な土着からの文化の神道、仏教などからの学びも大切にしました。

これらは、学問で心を知るということでの心学運動の出発点になったのです。石田梅岩は、正直に、誠実に、愛と敬、仁愛、努力する心をもって生きていくことを大切にしたのです。

 現代のスマートホーンのSNS時代では、じっくりと生き方の徳を考えることが難しくなっています。正直、誠実に、愛と敬、仁愛の心、努力をもって生きることが見えなくなっています。そこでは、作られた誇大な情報があふれています。人々は操られて真実が見えない仮想空間の多い世界になっています。

 正直に生きる、嘘をつかない、世のため人のために、未来への持続可能な循環型の社会創造のために、自由での人間的感性を活かして絆をもち、そして、喜びをもって、努力して生きるということが薄くなっています。現代は、果てしない私欲を煽っているようです。生きるための人間の食欲などの生活欲は必要なことはいうまでもない。しかし、現実ばなれした私心の大欲謳歌を憧れの的にと、競争を煽っているようです。

 

石田梅岩の生まれ育った地と京都での奉公

 京都の亀岡市の山里にある石田梅岩生誕の心学の道に行きました。奥深い山村でした。心学の道は、山道を歩いていくコースで、険しい道です。峠を超えて、1200年まえに創建された興野神社から春現寺までの道のりが心学の道です。

 梅岩は、1685年生まれ、11才まで山村で育ち、京都の商家に奉公にいきましたが、父の許しで、15歳で帰ってきて、15歳から23歳の8年間の青年期で、この山村で家業の手伝いをしたのでした。

 最も多感な青年期のときに、梅岩は、この山村で何を学び、何に将来への確信をもったのでしょうか。神仏混合の山村の心の糧を、その後の心学思想の確立に、どのような影響を、この山村の里はあたえたのでしょうか。    

  梅岩は、23歳のときに、再び京都の黒柳家の商いの奉公にいくのでした。それから1707年から1727年までの20年間にわたって、黒柳家で働くのでした。働きながら、独学で学問を学びます。 黒柳家に奉公したときは、神道を説き弘めるという志をもっていたのです。働きながら、独学で、朱子学儒教の古典、仏教を学ぶのでした。 

 本論は、石田梅岩加藤周一現代訳「都鄙問答」、日本の名著「富永仲基・石田梅岩」責任編集・加藤周一中央公論社を読んでの論述です。引用は、すべて、これからのものです。

 

 第1節 人間のそれぞれの社会的役割の仕事と商人道

 

 士農工商、それぞれの仕事の価値

 梅岩は、士農工商それぞれの仕事は、社会的に役割をもっていると考えています。農民は、天の道理を知って、無益に生き物を殺さず、神にさまざまな肉をささげ、老人を肉食で養うことを教えられた。多くの植物のなかで五穀が優れていることを知って、植える時期、人間の栄養、土の性質を見分けて田畑の仕事をしたのです。田畑を耕し、土の肥料をあげて、作物が育つように仕事をしたのです。人間が飢えないように仕事の心をもっているのが農民なのです。

 職人は、人間が生きていくうえでの住宅、道具などをつくる仕事をしているのです。桶大工が輪をけずるようにゆるすぎれば容易に入るが固定しない。小さければつきあたって入らないという削る手の加減を体で覚えていく職人技の心をもって、仕事をしているのです。

 武士は、世の中を治める君主に仕えるものです。いやしい武士は、地位を獲得するために心を使います。そして、地位を得たときは、失うことを恐れるものです。俸禄をむさぼる気持ちが不忠の行いとして、武士には起きるものです。君主に仕えるのは、自分自身の俸禄の欲を絶って、正義に向かって、臣の道を正しくすることです。臣下は政治に従うものです。人民の望みを自分の望みとしての高尚な志の仁義をもって仕事をするのが武士の心です。

 商人の起源について、昔は各人が余分にもっていたものを不足している人に交換して、相互に物を流通させることから起こったものです。商人は、精密に計算してその日その日をおくるのです。小さな利益をかさねて財産をつくるのが商人の仕事です。財産のもとになるのは国中の人びとであります。国中の人びと自分の心と同じであり、売るものを大切に扱い、少しでも粗末にしないで、買ったものに役にたつように、人びとに満足を与えるように、善に導く心をもつことが大切としているのです。

 このようにして、「財産が山のようになっても、その人が欲深いとは言えません」「十銭を川に落とし、50銭を出して人夫をやとっても、国全体のために落とした金を拾わせた気持ちを理解しなければならない。その人は天下の宝物であって、つね日ごろ国中の平和を祈願するのと同じです。商人であっても、聖人の道を知らなければ、正しくない金もうけに走るので、やがては、その家はつぶれるのです」(196頁)と、梅岩はのべているのです。

 石田梅岩は、士農工商のそれぞれの仕事の役割と、その心についてのべているのです。

 

 医の志と仕事の特別の意味

 医の志を問うということで、梅岩は、医学に専心すべきことを力説するのです。「医書の意味を理解しなくて人の命をあずかるのは恐ろしいことです。自分の生命の惜しいことを考えて他人を類推すれば、病人をあずかってひとときも安心できないはずです」264頁。

 医者は、医学の専門書の勉強をすることを梅岩は強調するのです。医者としての心を学ぶここと医学の専心ということを車の両輪としているのです。医者は人の生命を重んじるという特別の仕事をもっているのです。

「医者は人の生命を惜しみ、薬を与え、そうすることを自分の心とし、病気をなおすことを楽しみにとして、謝礼のことを思わず治療すべきです。謝礼を考えなくて生命をあずけることから、病人の家から身分相応の謝礼があります。暮らしのために医者をすれば謝礼の支払いのたまっている家には行きたくない気になります。そのうち見舞にいきましょうとひきのばし、病人が死ねば、寿命は天命であるとて、医者の私欲のために不仁を行うことにはいかない」。263頁

 医者の楽しみは、患者の病気をなおすことにあるのです。決して謝礼ではありません。謝礼のために医者を志すのなら、医者になることをやめた方がよいと梅岩は考えるのです。

 「医者は人の生死を頼まれるものです。本心から他人の生命を惜しむように病人を愛せば過ちは少ないでしょう。慈愛の心を失わないのが、医者の心が常に変わらないということになるのです」。「人間として心の常に変わらないということがなければ医者になってはいけないという孔子の言葉です。治療しがたい病人に対しては、哀れみ、愛して、いくらでも医書を読んで工夫し、博学となるでしょう」。265頁

 医者は、医術と専門的知識と同時に、患者を愛するという仁愛精神がもとめられているのです。医者は人間のもっている仁愛の心が常に変わらないようにということが、医者になるための基本的な姿勢です。治療の難しい患者には、いくらでも医書を学んで工夫し、博学になることが求められるということです。

 ところで、博学は医学に熟してから後のことです。博学は本来、医学が求めるものです。 「医書に望・聞・間・切ということがあります。まず病人に会って容体をみるのを望と言う。様子を聞いて病を知るのを聞と言う。おかしいところを患者に問うて推察するのを間と言う。脈をみて病を定めるのを切と言う。人の聞きなれないことを言えばわからないので、病人の返答も違うのです。お互いにわからなければ望・聞・間・切の結果のくいちがいが起きて、薬を選ぶことも、治療することができません」。266頁

 医者が患者をみるには、病人にあって容体をみる望、様子を聞いて病を知るという聞、おかしいところを患者に問いて推測するという切と、三つの側面があります。この三つの側面から患者をみて、総合的に治療の判断をしていくのです。梅岩の時代には、この3つの側面から医師は判断することを指摘しているのです。また、医師は、特別に仁愛の精神をもって、報酬のためなら、志すべきではないという梅岩の指摘は、現代でも通ずることである。

 

  正直の商人道と利益

 石田梅岩と問答する学者は、「商人たちは、つね日ごろ、人をだまして利益を得ることを仕事としています。それならば学問は決して成就しないはずなのに、あなたのところにはたくさんの商人が出入りしているということです。

  論語に「偽善者は徳に対する罪人」と言うのがある。あなたは学者ではなくて、時流に従い、この汚れた世の中にあうようにして、世間の人びとに媚びへつらい、人をだまし、自分の心をごまかしている小人だ。あなたの弟子たちにはそれをわかっていない。それでも学者だと言われているのは恥ずかしくないのか。

 さらに、続けて、学者はのべます。商人は欲深く、いつも貪ることを仕事としている。その商人に無欲を教えるのは、猫に鰹の番をさせるのと同じことでしょう。商人は学問を勧めるのはつじつまの合わないことです。そのできないことを知りながら、商人に教えているあなたは悪者ではないですか。

 梅岩は学者の学問をする商人に対する偏見について反論します。「道を知らない商人は、ただ貪ろうとして、家を滅ぼします。商人の道をしれば、欲を離れ、仁を心がけて努力するから、正しい道にかない、栄えることができるのです」。

  梅岩のこの答えに、学者は利益をとらない商人など聞いたことがないと次のように反論します。「物を売るのに利益をとらず、仕入れ値で売り渡すことを教えるのですか。あなたのところで習う人が、表向きは利益をとらぬことを学び、裏では利をとるとすれば、あなたは本当の教えを授けるのではなく、かえって嘘偽りを教えているということになるでしょう。本来できないことを強制しようとするので、こういうふうにつじつまの合わないことになる。利益を求める欲がなくて商人がつとまるとは聞いたことがありません」。

 梅岩は利益について明確に答えます。「ものを売って利益をとるのは、商人の道です。仕入れ値に売るのが道だというのは聞いたことがありません。利益があるように売るのを欲と言い、道ではないと言うならば、孔子はなぜ貨殖に長けた子貢を弟子にしたのでしょうか。子貢は孔子の道を売買の道に応用したのです。子貢も売買の利を求めなければ富まなかったでしょう。商人の商売の儲けは侍の俸禄と同じことです。商売の利益がなければ侍が俸禄なしで仕えるようなものです」。221頁~223頁

  大名に出入りする二人の商人の例をとって、正直に商売することを説明しています一人の商人は、納入する呉服はひどく高いという役人の言葉に、商人は、損をしても品物を納入するとあとが続かないと答えます。

 もう一人の商人は、昨年まで親父が品物を調達していました。親父が死んでわたしが御用達を命じられました。財政が苦しく納入すべき品物を調達することは難しい。納入いたしました呉服は、高い値段で売られた証拠です。高い値段は、殿様の御恩を忘れることです。一、二年のうちには屋敷・諸道具などを売り払って借金を返し、そのうえで御用を勤めさせてもらいますと答えた。

 前者の商人は、あたかも経済的に困っているかのように高利をとり、そのうえ口先で役人をごまかした罪があるということで、御用の役を免じられた。後者のもう一人の商人は、亡き父の贅沢は、本人の責任ではなく、亡き父の罪を自分の身で引き受けた孝行人、殿様の忠義ということです。正直者であるということで、御用商人の仕事をそれまでどおりに与えられたのです。

 この正直な御用商人は、殿様の高御を忘れずに、値段の高いものを納入しないという誠実さと、父の贅沢さを隠すことをしないで自分の身で責任をとる孝心、役人をごまかそうとしない正直さという三つの徳によって、商人として、幸福になったのです。

 「商人は正直に思われ、警戒心をもたれないときに成功するものです。その妙味は学問の力がなくてはわからない。それなのに、商人には学問がいらないと言って、学問を嫌い、応用しないのは理由のないことです」。「商人は正しい利益をおさめないのは商人の道ではありません。だから、正しい人は損になってもまけてこの品物を売りましょうと言われたときには、買いません。こちからが買うのは相手に利益を得させるためです。相手の助力は受けないということになります。利益をとらないのは商人の道ではない」。224頁~225頁

 商人にとって重要な人格的な特性は、正直であるということです。正直であれば信頼されて、商売がうまくいくのです。商人は信頼されることによって、利益をあげることができるのです。商人は、利益をあげることができなければ、生きていくことができないのです。商人の利益は、決して相場にうまく対応できたということではありません。相場は天が決めるので商人の個々の判断によって、自分勝手に決めるものではありません。相場は公の取引の場で決まるのです。

「相場の上がるときには商人が強気になり、下がるときには、弱気になる。これは天が決めたところで、商人が自分勝手にすることではありません。公定価格以外は時に応じて値段の違いがあります。値段の違いは当たり前のことです」。

相場の値段の違いは当たり前のことです。けっして、公定価格ではないのです。相場が高いときと安いときとがあるものですが、その価格の浮き沈みに一喜一憂するのではなく、信用の獲得が第1で、そのために商人は正直ものであれというのです。梅岩は正直ものを商人としての人間性として強調するのでした。

 

商人の売買の仕事は世の中での助け

 梅岩は商人の社会的役割として、売買すること自身が世の中に大いに役になっているというのです。

 「商人が売買するのは世の中の助けになります。細工をする人には手間賃を払うのは大工の俸禄です。農民に耕作により利益を納めさせるのはこれも侍の俸禄と同じです。すべての人がその生業を営まなくては世の中がたっていきません。

 商人の利益は公に許された俸禄です。それにあなただけが、商売の利益を欲心の現われで道に背くと言い、商人を怨んで減らそうとしています。なぜ商人を賤しいものとして嫌うのですか。今すぐにでも、商売の利益は払わないと言って利益を差し引いて支払えば、あなたは世の中の法則を破ることになるでしょう」。226

 商人の利益は公に許された俸禄です。商人の利益は、私的な欲心の現われではないと梅岩は、儒学の学者に反論するのです。なぜ、商人をいやしいものと嫌いのですか。世の中は、農民の耕作、細工する大工など生業する人びとに、それぞれ俸禄があるものです。商売を世の中で人々に、それぞれ生活に必要な品物を交換する助けをしているのです。

 ところで、今の世の中は、間違いと不正が多いと梅岩は指摘するのです。悪賢い商人は二重の利益を得たり、不正したりすることがあります。その事例も含めて、梅岩は、商人の正しい道について強調するのです。悪賢い商人は二重の利益や不正を実際にしていることがあるのです。

「今の世の中は間違いと不正が多い。だから教えと言うものがある。実際の商人は、道に従って行わないことがあります。二重の利益をとって、甘い毒を食べているような事例があります。絹と帯の長さが標準よりも一、2寸(一寸約三㎝)短いとすると呉服屋の方はその短さを指摘して、値引きをひかせる。キズモノにはなりませんので、普通の値段をつけて売ります。また、染め物などに染め違いがあれば小さなことを誇張して、値引きをして職人を苦しめます。注文した人からは問屋は、普通の染め代をとり、職人には渡さないのです。

 経済的に行きづまると、掛で品物を、買い、売り手のほうへ借金の三割・五割の支払いをして、謝ってすませることもあると言います。その債権者のなかで、売り掛けの代金の多い者や悪賢い者は、ほかの債権者には損をしたようにいせかけて、実は債務者から借金を差し引いたお礼の金を秘密に受け取り、自分だけが損をしない者がいると聞いています。こういう手のこんだ盗みをするものは不正です」。228頁

 このような悪い商人がいることによって、正直で、正しく公の俸禄としての利益を得ているものまでも悪く言われるのです。正しい仁愛の心をもった正直な商人は、飢饉などで困っている人々に、積極的に無料で米を放出することをするのです。それは、買ってもらう人がいて、商売はなりたつのです。商人は買ってもらう人々からやしなわれているのです。買ってもらうひとが飢えで苦しんでいれば、仁愛の精神から援助するのは、当然のことであると梅岩はのべるのです。

 「商人の仁愛も役にたつのです。昨年の飢饉(享保の飢饉、1732~33)に無料で米を出して人を救った商人はみなご褒美をいただきました。飢えた人を救って人を殺さないようにするのは人間の道です。買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすれば、たいていの場合に買い手の満足が得られます。買い手の満足をするように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなるでしょう」。231頁

 

 商人は取引するときも費用を倹約していくことも大切であると梅岩はのべるのです。仕入れの銀一貫の費用を900匁に、銀1貫の利益を900匁というように倹約していく努力です。不正をせずに、贅沢や遊興、道楽をやめて、倹約していくということとのべるのです。

「倹約して、従来銀一貫(現代の125万円相当)の費用も七百匁(銀一貫が1000匁・もんめ)ですませ、従来一貫あった利益を九百匁にした方がよい。銀十貫の品物を売ってその利益が百匁少なくなり、九百匁だけをとろうとすれば売り物の値段が高いと非難される心配がありません。約束した計算のほかに不正をせず、贅沢をやめ、遊具に凝らず、遊興もやめ、普請の道楽もしない。そういうことをすべて控え、止めるときは、銀一貫のかわりに九百匁の利益を得ても、安心して家は維持されます」。231頁

 商人の道は、何かと梅岩は、語っているのです。とくに、商人の社会的な役割として、社会的に困っている人々に経済的に援助することは重要なことです。飢饉のときに、困窮者に蓄えた米を放出することにあると、商人の社会的役割を梅岩は強調するのでした。

 天を知ることは個人的な考えを離れて誰でも通じることであり、太陽や月のようにあらゆるものを照らします。天は形がなくて、心のようで、地は、形があって物のようです。天地は二面があります。自分勝手な人は心の天のことをみないで、地の形だけをみているというのです。

 心が安らかなのが仁です。仁は天に備わる根本の気(一元気)です。天の一元気は、万物を生み出して養います。少しでも仁義を行い、正義に一致すれば安楽であり、自分の心が安楽の他はないです。

  日々、商人は、倹約をして、家業に精を出すことをのべます。学問は行い基本とするという。学ぶことは行うことであると。私欲を好まないということで、倹約を奨励するのでした。

 倹約とは、天下のためになることで、為政者や上にたつものに贅沢やおごりを戒めているのです。為政者が質素になって用を整えて、百姓などの年貢を抑えていけば、凶作の年に貯めておいた財産を国々に広く施すことができるということで、倹約が人民のためにあることを知らねばならないと。上にたつものもこれを手本とすべきことをのべているのです。 

 そして、私心ではなく、自然の理、天地の理を大切にしたのです。まさに、享楽主義に対立して現世では、倹約、勤勉、正直が重要になるというのです。

 天地自然の理と個々人の商人心として、仁愛という人情があったのです。買ってもらう人がいて、自分が養われている。相手を大切にして正直にすれば、買い手の満足になるという。正しい利益をおさめることで商人はたち行くのです。利益をとらないのは商人の道ではないのです。

 商人の利益も公に許された奉禄です。商人が利益を得て、その仕事を果たせば世間の役にたちます。商人の仁愛は、世のため人のためです。心学の道を学んだ商人は、飢饉のときに蓄えた米を放出にみられるように世間の役にたつのです。梅岩の天地自然の理は商家での学びだけではないのです。自然の理、天地の理という大きなものがあります。天を知ればものごとの道理がおのずとわかるという見方をもっていました。

 

 梅岩の子育て論と家業の世代的安泰

 ところで、梅岩は子育ての考えで、13歳から20歳まで奉公させて苦労させるのが、その家のため、世のためにも良いとしています。わが子と、愛に溺れては天命に背き、禍となるというのです。

 わが子なりと思い、勝ってするは人欲の私というのです。わが子と言えでも天の子にして養育するという天命の理を重んずる心から、わが子に慈愛を尽くすということです。子を教えるも約を本となすと。約というは、倹約のみにあらず、法式によって行うことに依る。

 子ども行末の善きことは、若年の13歳から20歳の時に苦労させ、よく教えることである。可愛い子には旅をさせよとよく言う。旅は修行なり。旅し修行すれば、艱難苦労して万事に堪忍せざることを学び、他を哀れむことを知り、人の仁心を喜び、不仁を憎む心になるというのです。

 一代の中人を使うにも不仁を嫌い、仁を以てするゆえに人の帰服すること多い。これ家を整えて身を修める本となる。孟子の言う、仁なる時は栄、不仁なる時は、辱められると」。359頁~361頁

 旅は修行なりということは、若いときに、様々な社会的体験を自分自身で親に頼らず判断していくということで、現代的にも通ずることです。親と共に行動をしながら疑似的な社会的体験することとは異なるのです。体験して困難にぶつからことを、自分で考えて、自分で判断できる場が必要なのです。

 梅岩の幼年のときに生まれついて理屈ものにて友達にもきらわれ、ただただいじの悪いことが多かった。14、15歳の頃にふと心つくことが有り、それを哀しく思うのです。

 30歳のころはあらましになおりたると思うに、言葉の端にみられるように思うが、40歳のころには、梅の黒焼の少し酢があるように覚えるようになったと、今に至り、意地の悪いことはあらましなきように思うのです。

  聖人の道を学ぶといえでも他の善事はこれぞと挙げて言うべき事なきは恥ずかしことなり。以上のように梅岩語録でのべています。

 現代は商人としての家業の安泰の側面は小さくなっています。しかし、後継者問題や世代継承ということがあります。家業という側面ばかりではなく、社会的に仕事をしていくうえで、人間としての正しい生き方、徳を学問によって、身に着けていくことは大切な課題です。

 わが子も必ずしも家業を継ぐとは限らない時代ですが、わが子が人生を生き抜いていくなかで、可愛い子どもには旅をさせて、苦労させ、学問することが、人格形成にとって大切であることを教えています。

 

 第2節 学問は人間としての正道の心を知ること

 

 人間と獣の違い

 人間は獣と違うということを石田梅岩は、力説します。「人の道の根本は、天に発するもので、仁義礼智の善心が源である」とみています。人の道に従わなければ、「たくさん食べて、温かい着物を着、遊んでいて」も、獣の心に近いというのです。梅岩は、すべての生き物は、天の原理からなっていることを力説するのです。

 「すべてのものが、生まれてくるときに天から授けられた原則です。松は緑に桜は花咲き、羽あるものは空を飛び、うろこあるものは水に泳ぎ、日や月が天にあるのも、みなそれぞれの天の原則。昨年の季節の変化をみて、今年も季節がうつることを知り、昨日の出来事をみて、今日の出来事がわかる」。「天の命ずるところが本性であり、本性を知るのが学問である。学問は心を知ることから始まる。万事はみな心から発する」。180頁~181頁

  人間と獣は本質的にことなるということは、梅岩の人間観についての重要な指摘です。人間は意志をもって理性的に考える力をもっています。その力によって、創造し、変革して新しいものを作り出すという特徴をもっています。自然のままに生きている動物とことなり、生きていくために、自然の恵みを創造して、変革してきたのが農林業の発展です。このことによって、人間は飢えからの解放と文明を作り出したのです。

 人間は、科学や文化の発展を絶えずしてきました。そして、喜怒哀楽愛悪欲という情といを感情もっています。感情は、豊かに人間関係のなかで発展させていきます。それが感性となって、音楽や絵画、文学などの文化芸術を作り出していくのです。豊かな感情は生きる喜びでもあります。人間は相互の扶助関係、連帯心のなかで、感情をもっている動物です。

 文化芸術は、人間の心の豊かさを蓄積して、伝統的な文化として継承していきます。自然に備わっている人間の感情は、理性と対立していくことがあり、真実、人間のもっている愛他精神、相互に扶助していくという仁義礼智信の徳という人間という絆をもった人格としての道徳心の天の原理が大切なのです。

 感覚的な情は、動物的なヒトが人間になっていくという人間の自然の原理を覆い隠して、暗くさせていくこともあるのです。ヒトがどうのようにして人間になっていったかを知ることは極めて重要なことです。

  一人では生きていくことのできない利他を尊重しての絆、相互扶助によって、情と理が統合して人間としての生きる正しい道を示すのです。

 ところで、学問は、文字によって、読書することだけではないのです。文字の学問がなくては道を知ることができないでしょうか。文字を知らないでの学問は、信用できないと、世間の学者は言うが、それとは違うと梅岩は考えますが、それは、どういうことか。

 この質問に、梅岩は、先生を求めて、各地を探し求めたが、ようやく心を知るという真実の学者に会えたというのです。「あちこち歩いて儒者の講義を聞いたが、この人こそ先生だという納得ができず長い間嘆いていた。小栗了雲(1729年60歳没)に会って、心を知ることなしに聖人の書物をみるならば、はじめは小さい誤りが、のちに大きな誤りになることを知るのでした。

 そして、みずからが考えだしたのちには、学んだものが自分の身について、誰に対しても応対することができる。そで、他人の師となることができる」。182頁~183頁

 本を読んではなく、自分自身で各地を歩いて、自分自身が行動しての体験で、真実の心を知るということが出来たのです。真実は、自らが考え出していくことであるという。誠実の書物を読むだけでは、真実をみることができないということを悟ったのです。そして、自らが実行しなければ賢人ではないと梅岩はのべます。

 「心を知ることに違いはない、けれでも、そのことによって生じる能力と実際の効果とは違います。聖人や賢人には能力があるばかりではなく、実行があります。私たちは能力も弱く、実行も少ない。努力して行わなければなりません。心を知っているから、実行できなくて苦しむのです」。

 努力して、実践することによって、賢人、聖人になることができるということです。この答えに対して、同郷の男は、「正しい道は楽しいはずなのに、苦しんで、学べとはどういうことか」と質問するのでした。

 「駕籠をかつぐ二人組があるとししょう。一人は力が強く、一人は力が弱い。強い方は苦しまず、弱い方は苦しみます。苦しんでも駕籠をかつげば、飢えることはありません。駕籠をかつげば、乞食となって道ばたに立たねばならないでしょう。正しい道を実行するのもそういうものです」。184頁

  能力が十分でない人は、努力し、苦しんで正しい道に達成することができるというのです。

 

 百姓のような学問のないものは、正しく礼儀を学ぶことは可能か

 同郷の男は、梅岩に実行と礼儀を学び、正しく威儀を整えるということでしょうか。わたしのような百姓にはできません。学者の言うように、学問のないものには及びません。

 この質問に梅岩は答えるのです。あなたの言うことは、礼儀の形式を守って誠実でないというこびることを言っているのです。

「実行というのは、百姓ならば朝は暗いうちから畑に出て、夕べには星を見て家に帰り、自ら苦労して人を使い、春は耕し、夏は雑草を取り、秋の取り入れまで、田や畑から、たとえ一粒でも穀物をたくさん作り出そうと心がけることです。税金に、不足がないようにと考え、残ったもので父母の衣食をまかない、安楽に養い、なにごとにつけても怠りなく努力すれば、みずから苦労してもまちがいがないので、心が安らぎます」。

 梅岩は、農民に対して、農作業をして、自然とつきあいながら農産物の収穫があがるように努力していく大切さを語るのです。このことが、家族を養っていくことや税の支払いなど社会的役割を果たすことができて、心が安楽になると言うのです。農民自身まさに、人間的な自然との付き合い、相互扶助、連帯心をもって生きているのです。

 再び、同郷の男が質問します。以前にあなたのところに学びにきていた者が、今では怠けて、あなたのところへ、こなくなったものをどう理解すべきか。

 梅岩は、そういう人もいることは否定しませんと。しかし、彼らは、それまでに身についていた自らの欲望と正しい道の心へということで、苦悩しているのです。「今まで遊興を好み、利欲にふけっていたものが、けがれがなく、自ら楽しくとおもっていたはずが、忠孝と家の仕事に努力せず、我が身を大切にしないから、本当に安楽になれない。

 それまで身にしみついて欲望がでてきて、道を行うことが難しくなる。自らの本心を欺くことになるので、正しい道へと向かう心と欲望へ向かう心とが身内にせめぎあって苦しいことになるのです」。

「さしあたり悪いことはしないだろう。しかし、欲望へ向かう心と正しい道へ向かう心とを、混同してはっきりわけることはできません。それでも一度道を開いて悪を憎むことを知っているから、それだけでも役にたちます。悪を憎むのはよいことです。急いで先にすすもうとしないのは、意志が薄弱だからです」。185頁~186頁

 意志が薄弱ということで、急いで先に進もうとしない。これでは、人は、自分の心が安楽になれないというのです。努力しようとする正しい道となまけたいという欲望の道がせめぎあって悩むのです。

 一度、正しい道を学んでものは、なまけるという道との葛藤はあるが、悪いことはしないと梅岩はのべるのです。なまけたい、遊興に走りたいという欲望はつきないのです。努力することの難しさを教えています。

 

学問をすると農業を粗末にして、自分は偉いと人々を見下すようになる

 ところで、息子に学問をさせて困ったことは、人柄が悪くなって心配になったと石田梅岩のところに、播州の人が来て、相談にのったのです。播州の人は語ります。学問をした人は、十人のうち7,8人も商売や農業を粗末にします。

 また、帯刀を望み、自分を偉いと思ってほかの人を見下します。そして、面と向かって親に不幸はしなくとも、場合によっては親が文盲と考えるような顔をすることがあります。親の方でも、少しでも学問をした息子には遠慮をするようです。

 この状況に対して、梅岩は答えます。「学問の道は、第一に自分を正しくし、正義に従って主君を尊び、仁と愛で父母に仕え、友人と交際するのに偽りなく、ひろく人を愛し、貧しい人をあわれみ、手柄があっても威張らず、衣類から諸道具にいたるまで、つつましくて美麗なるものを避けることです。家の仕事に精通し、財産は収入を考えて出費を決め、規則を守って家の秩序を維持します。学問の道はおよそこういうものです」。前掲書、197頁 

 学問をすることは、農民が帯刀をもって出世することではない。自分を正義によって生きることのためです。学ぶことによって、仁愛の心を持ち、貧しい人を哀れみ、威張らず、美麗なるものを避けて、つつましく、家の仕事に精通して、収入を考えて出費するときは、贅沢をせずに、徳仁義礼智信の規則を守って、生きるための学問をすることです。このように、梅岩は強調するのでした。

 梅岩を訪ねてきた播州の人は、教える儒者たちも私欲を制して礼儀に立ち戻ることをせずに、仕官で出世しようとしているから、弟子たちが学問をして、他人を見下すことをするのではないかと。

 これに対して、梅岩は、孔子の言葉を引き合いにして、答えます。「薪や牧草や材木などを集める役をなされても、その仕事を軽んじなかったので、測り方が公正で勘定がよくあったのです。どういう仕事をするかは天命にまかせる。

 また、牧畜を司る属官ともなり、それも仕事であるから、牛・羊を飼われた。牛・羊はさかんに生長し、大いに繁殖しました。そのときには、天命に満足したのです。これを原則として、士農工商すべて自分の仕事に満足することを知らなければならない」と。梅岩は、学問をすることの功徳とするのです。

 さらに、梅岩は、聖人・賢人でなければ、俸禄のことをいっさい考えないというわけにはいかないとしますが、「俸禄を望む心をおさえて、正義にかなわない給料はもらわない。今日の自分のありようが、そのまま天の命ずるところ」ということになるのです。

 「俸禄を求めて仕官をすれば、俸禄に未練があって雇い主をいさめ正すことは思いもよらぬことです」。

 高い俸禄を求めて仕官していないので、正義にかなっていない上司をいさめ正すのです。出世主義からの上司にお世辞を言って、ほめられるように、気にいられるようにすることから解放されているのです。学問をすることによって、正義の道筋がはっきりしてくるのです。

「心を知るときは志がつよくなり、正義の筋道がはっきりして向上することができる。この心をしらなければ、愚かで自分勝手であり、学問をしても正しい道を明らかにすることができません」。198頁~199頁

 まさに、学問をすることによって、志、正義の道の心を知ることができるのです。正義にかなわない俸禄はもらわないということもわかるのです。

 教師として、身をたてるということはどういうことか。志や正義の道の心を知らないと教師ではないというのです。書物を読み、文字を良く知って、辞引のように教えるのが教師ではありません。梅岩は、このことについて、次のようにのべます。

「教師として身を立てる人が、心を知らないということがある。あなたの田舎などでも、書物をよく読み、文字を知っていて人に教えれば、そういう人も儒者と思うでしょう。しかし、賢人の心を知らないで教える儒者であれば、それはつまらない人間の学問にすぎず、ただ生きた辞引きのようなものです。

 立派な人の学問は、心を正しくし、徳を実現することのほかに何があつでしょうか。自分の文学的教養を自慢せず、利益を求める欲望や名声を願う心がなくて、正しい道を志すためが学問だと」。

 教師は、志と正義の心を正しくして、仁義礼智信の徳を実現するために学問を教えるのです。それは、教師が自分の教養を自慢せず、利益を求める欲望や名声のためではないのです。

 

教師とは問答をして、悟りを中心に

 梅岩は、語ります。教師は講釈を問答中心として、悟りを各人の瞑想と実践によって体得するというのです

「一度悟りをひらき、疑いがまったくなくなるという経験をしないかぎり、正しく理解することはできません。この悟りは、信心がしっかりして初めてひらけるもので、親から伝えて子に譲り渡すということはできません。教師も弟子に伝えることはできない。ただみずから知れば、教師がそれを承認するというのです」。

 このことは、口では説明できない。心で会得しなければならないことは、桶大工が桶をつくる技術を自らが体験して学ぶのと同じであるとする。

「桶大工が輪を削るように、ゆるすぎれば、容易に入るが固定しない。小さすぎればつきあたって入らない。ゆるすぎても小さすぎても、その加減は手におぼえて思いどおりするしかない。心を知らないで法を説くのは、桶大工のことを伝え聞いて輪を削るようなものです」。201頁

 梅岩の学問の基本は悟りです。学問は文字を知ることではなく、心を知ることであるということで、心学の道を探求するのでした。 心を知ることは志が強くなり、正義の筋道がはっきりしてくるのですと。

 

人間の本性とはなにか。

 人間の性は善であるか、悪であるか、善でもない悪でもないという諸説があります。宋代の儒者は、孟子性善説を支持することが世間でも多いということから、納得して心から賛成していなのに、「性は善である」という説の学者なっているのです。この状況は、学者として正直ではないのではないかと石田梅岩に質問します。

 梅岩は、答えます。「孟子が、性が本来よいものであると正しいかどうか、自分の性にあっているのかどうかと、自分自身の中に法則を探したあとで議論すべきです」。

「道理にあうかあわないかは、説明する人が会得しているかいないかによる。あなたが同じ説明をしても、性善を知らないので、曽子の忠恕とは確かに意味が違います。かりに忠恕のことは触れないでおくとしても、それであれこれと理屈に合わないことがたくさん出てくるでしょう。人を教えるにはこの道理を説明しなければなりません」。234頁~236頁

 人間の本性を理解するのは、自分が体験して、考えなければ会得できないものです。人に教えるときに、この道理を説明しなければならないのです。自分の考えをおしつけて、機械的に暗記させることではないのです。

 性善説が正しいのであれば、世の中の人はみな善で、悪人はいないはずです。この疑問に対して、梅岩は答えます。

「性が善ならば、世の中の人はみな善人になり、悪人はないはずなのに、実際には悪人が多いから、きっと性善という言葉の実体はないだろうと、疑う人がたくさんいます。これは性善の説を味わうことのできる人が少ないからです。世間の人は目前のことについて、これは善、これは悪という意味での相対的な善を考えるので、聖人の本旨を見失い、善の解釈に大きな誤りがでてきます。

 それでは天地の道から説明しましょう。今ここに田地が二反あるとしよう。百姓の努力、こやし、植える苗、植える時も同じであるとして、一反には三石の収穫があり、一反には一石五の収穫があったとします。そのときわずか一反の中で半分の収穫しかないとしても、その田に悪心があると言うでしょうか。また、二倍の収穫がある田に善心があると言うでしょうか。上田と下田の違いがあります。

 肥えた土と痩せた土があるけれども、土の本質に違いがありません。土は同じ土であっても上田と下田とがあります。その区別があっても土に備わっている本質は同じです。本質が同じだから、次第に肥料を入れて良質の土を混ぜれば、下田は中田になり、中田は上田になります。

 これを人にたとえれば、下田は小人、中田は賢人、上田は聖人です。聖人と賢人と小人の区別はあるけれども、本来の性は善であるから、学問をすれば、次第に小人は賢人となり賢人は聖人となります。これは、性がひとつである証拠です」。238頁

 善ということは、現実の実体から相対的に考えるのではなく、天地の道から見る必要があります。同じ一反の土地に収穫の違いがあるのは、土地が肥えているかということで、土地そのもの性質ではない。土地の本来の性質は百姓が努力して、耕し、肥しをやれば収穫の違いがなくなり、豊かな土地になります。善とは土地のようなものです。

 

 学者と梅岩の性善説の問答

 学者は石田梅岩に質問します。孟子が性は善であるのと、告子が善もなければ不善もないというのは同じことではないか。孟子は形のない無の世界を性善という。告子は、そのままに、善もなく、不善もないと言っている。それなのに孟子が正しく、告子は間違っているということは、どういうことかと梅岩に質問します。

「告子が善・不善がないと言うのは、一つの考えにすぎない。自分自身の本性を探しても、善とも不善もないものであると、考えのうえで理解したのです。

 孟子性善説は、そのまま天地に一致しています。人の眠っているときにも、意識しないで動いているのは呼吸の息です。その呼吸は、自分の息ではない。天地の陰陽が自分の身体に出入りしているので、形あるものが動くのは天地に広がる気です。

 自分自身と天地とが渾然とした一体である、という道理が一貫しているので、人の性は善であると言うのです。これは自然に出合って、易経に一致しています。易経は、自然にあてはめて説明しているので、すべては無心の現象です。その無心の陰陽が、あるときは動き、あるときは静かになるのです。その動静に従うのが善であるというのです」。239頁

 梅岩は、孟子性善説の天の原理、自然のことから説明しているのです。それは、思慮によっての説明ではないのです。

 「孟子の言う性善は生死を超越した天の道です。思慮によって知ることはできません。道を信じること堅く、憤然として、孔子が斉の国に行き、音楽を学んで、三ケ月のあいだ寝食を忘れたようにして初めて知ることができる。世間の人が書物を読みながらこの性善ということを知りません。

それを知らないで書物を読むことは、たとえば病人のようなものです。健康な人は食べ物のうまい味わいを知って喜びます。熱病人はうまいものを食べても味がわからないからよろこびません。性善を知らないものもまたこのようです。書物を読んでもその意味を知らない」。

 孟子性善説は、思慮しての性善説ではなく、寝食を忘れるような体験をして、悟っていくということです。

「告子の言うように性に善・不善の区別はないと言えば、多くの人がその説に従うでしょうが、一歩退いてよく考えるべきです。性に善も不善もないという考えそのまのは出発点においてわずかな違いですが、到達するところでは千里の誤りとなるでしょう。聖人の道は天理の道理に尽きる。天地には明らかに清濁があって、天は澄み、地は濁っています。澄んだ天も濁った地も、どこを見ても物を生じ養うように見えません。

 天地に心はないけれども、あらゆるものが生まれることに、昔も今も変わりはない。その生命の延長が善である。くわしく言えば、天は形がなくて心のようで、地は形があって物のようです。物を生み出すところは生き物のようで、心のない無生物のようです。天地は生きていて同時に生きていない。

 死・活の二つを兼ね備えるので、すべてのものの本体となります。その物をかりに名づけて理とも性とも善とも言います。それにもかかわらず自分勝手な考えをする人は、天地は生き物だという一面だけを知って、死活の両面を備えた唯一の理だということを知りません。だから正しい道の理解の著しい妨げとなります」。240頁

 天地は形も心もないけれども、天は澄み、地は濁っています。天地は生きていると同時に死んでいます。自然の原理そのもので、すべての物の本体で、それを善との理とも言うので、自分勝手に思慮して、考え出すものではないということです。自己自身の心の創造物から超越したものなのです。

 

 儒学者は天人一致と性善説を心で納得しないのはなぜか

 学者は梅岩の説明で天人一致と性善のことをなるほどと思ったが、心は納得せず、少しもおもしろくないのはどうしかと梅岩になげかけるのです。梅岩は「いい質問だとして徒然草の38段を引用して「他人から伝え聞いて学び知ったことは、ほんとうに知ることではない」と。

 性を知りたいと思って修行する人は、会得できない点を苦慮し、「これはどうであろうか、この点はどうか」と朝晩苦労しているうちに、急に目がひらけることがあります。そのときのうれしさをたとえて言えば、一度死んだ親がよみがえりふたたび現れたのにも劣らないでしょう」。241頁

 梅岩は日本の古典文学の徒然草を引き合いに他人から伝え聞いた知ったことは、ほんとうに知ることではないと説明するなど学識の深さをみせています。天を知るということの学問の基本を示すのです。

 「天を知ることが学問の初めです。天を知れば物事の道理がおのずと明らかです。これは個人的な考えを離れてだれにでも通じることであり、太陽や月のようにあらゆるものを照らします。

 告子のいうことは、生まれつきの性を見失い、ひとりよがりなので、昼間、太陽の光に頼らず、戸を閉めて灯火を用いるようなものです。照らす範囲がこれほど違うので雲泥の差と言うのです。

 天地は輝かしく明らかです。無理な努力をするまえもありません。努力しなくても道が行われるので、安楽でしかも明らかです。だから人間は天地の霊となります。そういうことを知らないで、暗いところでひとりよがりの考えに頼り苦しんでいるのが告子の説です」。242頁

 天を知ることは、太陽や月のようにあらゆるものを照らすのです。天の道理を知ることではなく、個人的な主観の考えは、昼間に太陽の日を頼らず、戸を閉めて灯火に用いるようなものだと告子を批判するのです。

心を知るということは、個人的な主観的な心を思いめぐらすということではなく、自然の原理、天の原理を学問によって、知るということなのです。

「学者は、心を知ることを先にしなければなりません。心を知れば、自らの行いを慎めば礼に合致し、したがって心が安かです。心の安らかなのが仁である。仁は天に備わる根本の気・一元気です。天の一元気は万物を生み出して養います。

 この心を会得することが、学問の初めであり、終わりでもある。生きている限り、この心をもって性を養うのが、自分の仕事です。少しでも仁愛を行い、正義に一致すれば安楽であり、心の安楽のほかに教えの道はないでしょう。心に納得しないことを偽って納得した顔をしても、心がそれをうけつけようとしないから苦しむのです」。246頁

 仁に備わった根本の気である一元気は、万物を生み出す力になるのです。仁愛を実践して、正義に一致すれば、心が安楽になるというのです。その心は、鏡や静かな水に映るようなもので、相対的なものではないというのです。真実の鏡に映るような心は、人間のもっている情によって、くもり、暗くさせていくのです。

 「相対することを、そのまま写して曲げないのは、明るい鏡や静かな水にものが映るようなものです。人の心は皆同じですが、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲の七情に覆われ暗くさせられてので、聖人の知が自分の心とは違ったものであるかのように思い、わからなくなってさまざまな疑いを起こします。本来、形のあるものは形がそのまま心であると考えるべきです」。247頁

 人間のもっている情である喜怒哀楽愛悪欲は、心の鏡をくもらせていくのです。それは、聖人の心と自分の心を違っているようにみせるのです。様々な疑心暗鬼の心を生み出すというのです。

 人間は、情をもって、それに左右されて、ひとりよがりの心になっていくのです。人間は学ぶことによって、情によって覆い隠されている真実の天の原理を見つけ出していくのです。学んでいくことは、情からの天の原理を獲得していくという人間的な自然の原理への解放の過程でもあるのです。獣や鳥はひとりよがりの考えがないので、獣や鳥のもつ自然の道理のとおり動くのです。

「ただ聖人だけが形を実践することができる。形を実践することは五常の道を明らかに行うことです。形に従って行うことができないのは小人です。獣や鳥にはひとりよがりの考えがないので、かえって形に従います。これが自然の道理です。聖人はこれを知っているのです」。248頁

 人間と異なる獣や鳥の自然の道理を聖人は、知っているのです。人間は喜怒哀楽愛悪欲という感情をもつことにいよって、心の豊かさを作り出している。しかし、それは、同時に天の原理、自然の原理を曇らせていることも知る必要があるのです。

 

 儒学神道

 ある人が梅岩に質問をします。論語には、「鬼神を敬して遠ざけるのが知者のすること」と、あるので、わが国の神道では、馴れ親しみ近づく、遠ざけるのは神々を敬わないことではないか。

 わが国では、何事にも願いを望むことがあれば、祈願の内容を記して神々に祈ります。願いがかなえられたら鳥居を建て、社の修繕をするということです。儒学などを好む人はわが国の神道に背く罪人となりかもしれない。このように、厳しい質問をするのです。

 梅岩は、それは敬して遠ざけるという言葉を間違って解釈しているというのです。先祖以外の神を祀るのは、敬い気をつかうことだけをさしているのです。その道にふさわしからぬけがわらしい願いを遠ざけるということです。先祖を祀るのは、孝行をするということで、先祖を遠ざけるということではありません。

 神々を敬うというのは、鳥居をたて、社の修繕をすることではないのです。結婚の仲人に対して、礼金をあげましょうということで頼まれることと同じことです。神々に願いのとおりにしてくださるならば、鳥居や社の修繕をお礼にするということは、無理に無礼のものをささげ、神々をけがすことになるのです。

 「昔から神国日本の手助けに、儒道を朝廷が採用されたことを知らねばなりません。わが国の神の礼儀にかなわず正義にかなわない賄賂をよろこぶはずがありません。清浄潔白の源であるから、神々を神明とも言うわけです。

 およそ神信心をするのは、自分の心を清らかにするためです。それにもかかわらず、礼にかなわず正義にかなわない願いを抱いて、朝晩神社にでかけ、さまざまな賄賂をつかって祈願するのは、けがれをもって神の清らかさをよごすことであるから、そういうことをする人はまことの罪人で、罰を受けるでしょう」。前掲書、204頁

 梅岩は、賄賂の無礼さと自分の心を清浄潔白のために、天命の大切を強調するのです。聖人は天命のほか何かを望むものは、罪であるというのです。世間の願いは手前勝手なもので、手前勝手は、他人のために悪いことになり、他人を苦しめるのは大きな罪です。誰にも差別をしないのが神である。神明に賄賂をとる神々として扱い、神をけがすことはまことに情けないとことです。それらは、天命を知らないということです。

 梅岩は、鬼神について、その真実に語ります。「鬼神とは、天地陰陽の神を言うのです。すべてのものの本体となり、あますところがばいというのは、天地創造の鬼神の働きで、鬼神はすべてのものを支配しているということです。またわが国の神々も、イザナギノミコト・イザナミノミコトからうけついで、日月星辰からはじめ、あらゆるものを司り、あますところがないので、この国はひとつしかない神国であるというのです」。205頁

 日本と中国の天子に対する文化の違いについて梅岩はのべます。わが国は天皇伊勢神宮のあとをつぎ、アマテラスを天子の先祖を祀る廟として崇拝し、天子の先祖だから、人民にいたるまで参宮するのです。

 日本では、国中の人びとが天子の祖先の廟を尊ぶので、神楽や収穫を捧げるというのです。中国にも孟子が言われるように、土地の神や穀物の神は人民のためにあるということで、収穫や神楽を捧げることがあります。土地の神を祀って、そこに住む人々が不幸のないことを祈願し、我が身を祝うという意味と梅岩はのべるのです。

 梅岩は、日本書紀から学んでいます。「オオアナムチノミコトとスクナヒノミコトは力を合わせて、心を一つに天下を治め、立派な人民と獣のために、病気を癒すやり方を定めたことをのべています。鳥獣昆虫の災害を除くために、まじないによって災害をとどめる法を決めた。

 第1に、人間と畜生とは類が違うので、鳥獣は人を恐れて近づいてこないのに、中国の聖人や日本の神々は私心がないから、鳥獣の人を恐れる心を自分の心とした。牛はこれを好み、羊はあれを好む。豚の好きなのはこれで、馬の好きなものはあれだ。強いのも弱いのも、荒々しいのも静かなのも、相手の動物の心を自分の心として、相手の気質の性のありのままをよく知り、人に馴れるようにしたので、多くの獣を馴致し、のちになって鬼神にはさまざまな肉をそなえ、老人も肉食で養うことを教えたのです。

 世界中の生き物が、弱いものが強いものに従うというのが天の道理です。聖人も神々も、その徳によって無益に生き物を殺さず、道理に従って祭り、お客・老人の養いなどには、やむをえず必要に応じて殺して使いました。無用のときは虫一匹殺さない」。前掲書、248頁

 さらに、オオアナムチノミコトとスクナヒノミコトは、植物のなかで、五穀、(古事記では、米、麦、アワ、大豆、小豆、日本書紀では米、麦、アワ、ヒエ、豆になっています。それらを、いつ種をまくのがよいのか、土を見分け、何をどこに植えるのがよいのか、田や畑について教えたのです。また、人間にとってどの草木が養分になるのかを教えのです。

 「麦は夏できるものであるからいつ植えるのが、収穫が多いか、種はいつ頃まくのがよいのか、また大豆・小豆・ささげが、いつがよいかと時候を考えて五穀を植えることを教えました。そのほか草木のなかでも、食べて人間の養分になるのを教え、また土を見分けて何をどこに植えればよいか、田や畑のしかるべきところを教えたので、人間は飢えないですむ世の中になったのです」。249頁

 人間が飢えることは最大の不幸です。栄養を考えて、健康で豊かに生きていくために、オオアナムチノミコトとスクナヒノミコトは国造りの基本として人々に教えたというアマテラスに国譲りをした神話のなかにでてくる話です。

 儒教からみても、神話の話の教えは少しも疑いがないと梅岩はのべるのです。

 「儒道を学んだ立場から神社のおつげを見ても、少しも疑わしいことはない。また、仏教や老荘の教えも心を磨くための道具であるから、捨てるべきものはありません。一度心を磨いたのちは、仏教や老荘から諸子百家や多くの技芸の類まで集めてみても、心は鏡のようです」。前掲書、255頁

 梅岩は、儒道はもちろんのこと、神道を教えるばかりでなく、仏教、老荘の教えも心を磨くためには、捨てるものではないと強調しているのです。現実に存在している心を磨く儒道、仏道神道を積極的に評価しているのです。自分の信じるものを絶対化して、他の考えは排除すというのではなく、すべてにわたって、正道のために役にたつものは、尊重し、積極的に利用していくという融合していく見方をもっているのです。

 

世の中を治めるための儒道・仏道神道

 梅岩は世の中を治めるには、儒道である聖人の道であるとしています。「世の中を治めるのには聖人の道によって治めるほかありません。だから儒道・仏道老子荘子のすべても、この国の役立つように用いることを考えなければなりません。

日本の君主の祖先の廟、アマテラス皇大神宮を本拠として尊び、皇大神宮の託宣に従い、すべて煩わしいことをはらい捨て、ただ一つの心に定まっている法則を知り、アマデラス神の命令に合致することです。

この唯一の神道を助けるのに、儒・仏の法を取って用いるのがよろしい。だからどの法も捨てず、どの法にもこだわらず、天地にさからわないことが最も大切です」。256頁

 アマテラスという日本の祖先の廟や仏教と儒教の聖人の道が一体となっていることは、日本の世の中を治めるうえで、大切なことになるということです。

 

人間の本性を考える仏法と儒教

 禅僧は、婚礼のときに魚を料理して殺生戒を破ってしまいました。めでたいことに、生き物の生命をとり、これを祝い事にするとは、俗人はまったくあさましく情けないことをするものです。殺生戒は仏教で重い罪です。儒教では、仁義礼智信五常のなかで殺生は、仁のようなものと言われますが、仁を破るということはどういうことかと石田梅岩に、質問します。

 梅岩は仏教と儒教との融合も強調しているのです。「仁は慈愛の徳を備え、私心のないことを言います。あなたのように自分を大切にしていては、仁を知ることはできない。あなたは禅を学びながら、禅宗の本当の意味を知らないようです。あなたは毎日している殺生は、数えきれないほどある。まず朝から食べる米粒がいきつといって数もしれないほどあるでしょう。天地の間には生むものと殺すのと二つの作用があります。今日何をするのにも、それに従っているのです。すべてのものは同じ一つの理に従っているけれども、そこに軽重の区別があり、その秩序が狂わないことが善である。

 この理屈に従って天地が動いていることを理解しなければなりません。強いものが勝ち弱いものが負けるのは自然の道理です。身近な例を知ろうと思えば、鳥獣をごらんなさい。鷲や熊鷹はほかの鳥や畜類までとって食べます。また、鵜や鷺は魚をとって食べます。雀やそのほかの小鳥は蜘蛛や菜虫などを食べます。犬や狼は鹿や猿をとって食べます。こういうことは殺生と考えるべきか。それとも天地自然の道理の行われているさまと考えるか、戒律も天の道理を無視して守られないでしょう」。207頁

 仏教での殺生のことと儒教での天地、自然の原理を身近な鳥獣の世界から梅岩は説明しているのです。仏僧でも仏の真理を知らないものが多いと梅岩はのべています。ここでも徒然草を引用しています。

「仏の本意を知らないで、他人をそしるのは大きな罪でしょう。あなたのように仏法をしらない僧侶が多いので、徒然草にも、僧侶には仏法があり、仏法によって身を害するが、また君子には仁義によって身を害すると言われるのです。仏教でも本来は外面的な仏法というものがないはずだということを理解すれば、兼好に非難されることはないでしょう。あなたは禅宗を学んでも、根本的な真実を会得していない。だから俗人が祝い事に殺生するのはあさましいことだ、と言うのです」。209頁

 仏の外面的な作法ではなく、本質的な真実を知ることが大切というのです。そして、俗人と出家とを混同してはならないことを梅岩はのべているのです。

「俗人と出家とを混同してはならない。すべて天地の形は明らかに区別されていて、それぞれのものによって形が変わるに従って、法則があります。ものが違えば法則もちがう。それなのに、どうして僧侶の法則を俗人に混同して適用することができましょうか。

 心のけがれをとるには仏法も役にたつ。自分の身を修め、一家の秩序を正しくし、国を全体よく統治するには儒教がよいでしょう。海や川を渡るには船がよろしい。陸地をいくには馬や駕籠がよいはずです。仏法に従って世間の法則を整えようとするのは、馬や駕籠で海や川を渡ろうとするのと同じことです」。210頁

 浄土宗の僧が梅岩のところに来て、仏法では世の中が無常で移り変わるから、いつも念仏を唱えることで、極楽往生できるという大事なことがあります。仏道儒教で勧善懲悪の教えがよくしられているところです。儒教では、いたって愚かなものはどうしても賢くはならないと言うのですか。

 愚かなものは、目もみえ、耳も聞こえ、口でも言う者なので、愚かな者でも仏前や神前に向かい、これは神、これは仏であると言えば、その名前は覚えます。その程度の教えは届くものです。その罪とは、ものを見れば執着の念を起こし、ものを聞けば喜び怒り、ものを言えば他人を悪く言い、怒らせることなど。そのような罪を救い、助けようとするものです。そこには、秘伝というものがあるのでしょうか。

 これらの浄土宗の僧に質問に対して、石田梅岩は、人間は喜怒哀楽の情によって、天命に背くから、教えによって正しい道にみちびかねばなりません。聖人の教えは過ちをある人を正しくするものです。過ちのない人を正す必要はないのです。

 儒教では、教えの秘伝などありません。念仏宗では、死後、西方極楽浄土へゆき、そこで仏の説法を聞いて悟りをひらき、成仏すると教えています。あなたのように他人を導く僧となったものは、ここのところをよく考え悟るべきです。仏教風に言えば迷うから三界(欲・色・無色)に住み、悟るから十方が空であるという本来、東西もなく、南北がないというただ自分の心の中に浄土があるということなのです。

 すべての衆生の中に、心の濁り乱れたものが多く、正念の者が少ない。衆生をして仏道に専心させるために、西方の国の嘆願を特別に扱うだけである。だから極楽浄土が西方であると教えるのは、愚かなもののための説法である。知恵のすぐれた者の教えは十方仏土をみな浄土とするものです。指導者となる者は特別にこの点を、味わうことをしなくてはなりません。

 愚かなものはまず自分が行くべき道を知らない。自分の往生を知らないで他人を導くことはできません。さて仏の説法は、直接に南無阿弥陀仏そのものであると理解すべきです」。262頁

 南無阿弥陀仏の説法は、愚かなものの一般大衆に対する自分が行くべき道のためです。それは、仏僧のすることではないというのです。 人間は喜怒哀楽の情によって、天命に背くから、教えによって正しい道にみちびくのが僧侶の役割とするのです。

 僧侶は、教え導くという指導的な意味を忘れてはならないのです。これは、状況での聖人も同じ役割をもっているというのです。儒教では教えの秘伝などはありません。誠実に教え導くという聖人の役割から僧侶も学ぶ必要があるというのです。

 石田梅岩は、儒教。仏教、神道のそれぞれの役割について評価しています。神道と仏教は、対立していくものではなく、日本の朝廷は、神仏混合という文化をもっていた。朝廷は、国を治めていくうえで、仁義礼智信の徳は、大切な教えであった。同時に、神仏も社会的な役割をもっているとしたのです。

 この為政者の伝統は、武士の支配する世の中になっても継続し、神仏混合の修験道文化のなかでも盛んに山岳信仰と結んで人々の心の支えとなった。幕藩体制の江戸時代では、仏教は幕藩によって、管理された檀家制度になった。檀家制度を拒否した薩摩藩浄土真宗は、かくれ念仏になったのである。

 また、キリスト教を信仰する人々は隠れキリシタンとなったのです。幕藩体制によって、宗教が幕府や藩によって管理されていくのです。幕府や藩の宗教管理政策によって、家の継承制度と仏教の宗派が一層に強化された。神仏混合文化の修験道は、里での生活をしていくが、その文化は、深化していくのでした。石田梅岩が生きていた時代は、幕藩体制のなかでの檀家制度による宗教管理政策が実施されていたのです。

ところが、明治維新では、廃仏毀釈として、修験道文化は禁止されて、国家によって神道が絶対化されていくのでした。伝統的に日本は神仏混合文化をもっていた。それが破られていくのです。国家神道になったのです。様々な信仰を包含していく日本文化が大きく変貌したのです。なぜ、そうなったのか。

 国家神道になった歴史を、再び軍国主義の社会を繰り返さないために、そして、日本の伝統的な文化のすばらしさの平和主義、価値の多様性の尊重、相互扶助や利他主義の精神を世界への平和発信のために必要と考えるのです。

 現代社会は、新憲法の平和主義によって、再び、儒教神道、さらに仏教やキリスト教は、それぞれ尊重されて、人びとの日常生活に深くかかわるようになっているのです。日本は、戦後の憲法のもとに、天皇は象徴になり、すべての価値観を受け入れ、様々な信仰や思想が自由に存在しているのです。

 日本では、宗教による国家間、民族間の対立はなくっている社会です。他律冠婚葬祭や家の継承、祭りなどの地域の文化継承、豊作祈願、魔除け厄払いなど神社にお参りしたのです。