社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

日本のヒューマニズム・仁愛を考える―江戸時代の儒学者・伊藤仁斎から

日本のヒューマニズム・仁愛を考える―江戸時代の儒学者伊藤仁斎から

           神田 嘉延



はじめに

 伊藤仁斎は、江戸時代初期(1627年から1705年)京都の商家で生まれ、ヒューマニズム儒学者として、生きた人物です。孔子孟子の原点から古学派の儒学者として、日本の仁愛思想をうちたてた人です。

  儒学は、朱子学陽明学、古学と、それぞれの考えも異なります。また、江戸時代の身分制社会のなかで、儒教の考えは、武士道、農民道、職人道、商人道として発展しました。

 伊藤仁斎の考えは、現代の弱肉強食で生きるわれわれに、仁愛の大切さを教えてくれます。現代は、競争と敵対心を煽り、多くの人々に不安や恐怖心を作り出しています。   さらに、人々を騙し、嘘が平気でまかり通る時代です。人々はマスコミやSNSによって、情報操作され、人間不信が極度に起きています。これらの苦悩のなかで、心の病も増え、人々は自暴自棄になりがちです。為政者や官吏の度重なる腐敗問題が起きる時代です。民のために尽くす仁政が鋭く問われる現代です。

  伊藤仁斎は、自暴自棄にならないように、人間の生まれながら性善説から仁愛をとらえているのです。動物と根本的に違う仁愛の心をもって、生きる欲、人間的感情を尊重して、自由自在に生きることを教えています。利他的な仁愛のことと生きる欲を統一的にとらえて、そのことから、動物的な強欲を人間的に制御していくことが絶えず求められる時代です。

  このためにも、孔子孟子の原点から儒教をみつめた伊藤仁斎から学ぶことが多いのです。これは、朱子学的な教え込みの理の側面からの徳ではないのです。多くの日本人は、儒教を教え込みの道徳ととらえています。

  伊藤仁斎の仁愛論は、生きるための私欲をどうとらえていくのか。自分の命を大切にしながら世のため、人のために尽くす生き方を探るうえでも多くのことを教えてくれます。とくに、為政者やリーダーにとっては、徳を修練させて、私欲を排して、公的に生きるために大切です。

   伊藤仁斎の考えは、人間の現実の生活や行いから物事をみていくという経験や実践を大切にした仁愛の人間学です。本稿は、責任編集貝塚茂樹伊藤仁斎中央公論社、谷沢栄一「日本人の論語童子門を読む」PHP新書の現代訳をもとに、読んだ考えたものです。

(1)人間的生き方と仁愛

 愛は真心

  伊藤仁斎は、孔子の教えをひと言で表すと「愛」であるとのべています。その愛は真心からからの親子や親族の親しみに現れているのです。親や親族への愛は人間的自然感情なのです。

「親族には特に親しみ、人民には仁、すなわち思い遣りの真心で臨み、そして物を愛す。すなわち生きとし生けるものに愛憐の気持ちを持つ。君臣の義、父子の義、夫婦の別、兄弟の叙、朋友の信、これみな根本の愛から発する。

 その愛たるや、思いの深い真心から生じる。ゆえに以上の五徳を吟味するなら、愛に根ざしている場は真情であり、底に愛のないときは偽装にすぎない。それゆえ君子たるもの慈愛の徳の及ぶところ最も広大にして、逆に残忍刻薄(ざいにんこくはく)、つまり人を甚振(いたぶ)り、貶(おとし)め、遮(さえぎ)り、萎(しお)れさせる、いじめ根性、これほど嘆かわしいものはないと知るべきである」。童子門173頁

 ここでの仁愛の徳は、教え込みの理からではなく、人間的な自然感情から、親子、夫婦、兄弟、盟友の感情をとらえていくことが必要なのです。出発点は、理からではないのです。仁斎は、思いやりは仁の近道であるとのべているのです。

  その心の育成は、恕というおもいやりがあればできるという単純なものではないと、言うのです。恕の努力が求められると仁への近道になるという言うのです。人間のもっている自然感情の熟成、生まれつきもっている善の心を開花させていくには、恕の努力が必要とするのです。また、徳を学ぶことが求められていくのです。

 「仁は徳を備えたものでなければ達しえないが、恕は強い意志力によって成し遂げることができる。・・・問題は、その努め方の方角と度合に無理がないかどうかということである。どこかに不自然な強いる心があってはならない」童子門231頁~232頁。

 思いやりを育てていくうえで、無理や強制という不自然さがあれば、逆効果になるというのです。無理や強制という不自然さをことさらに、仁斎は、徳の教育に嫌っているのです。

 常に人と接するときに、思いやりという恕の心が大切になってくるのです。恕の心がなければ人の悩みやよいところに気がつかないものです。恕のこころが薄いと他人の悪いところや、人を表面的にみて、自己中心的な見方や自己の寛大になるものです。

 「他人の悪いところは目につきやすいが、その人の悩みに気づかないものだ。自己をおさめると寛大にし、人を遇するときにはきまって過酷になる。これは人に共通する欠点だ。だから恕を心がけとするときには、きびしく人をとがめだてすることなく、よくその過ちをゆるして、その人の困っているのを救うものだ。その効用は言葉でいいつくせないほどのものがある。・・・ほめるときには、それこそしらべたうえではじめてそうするのである。実質がないのにほめることはしないだけである」。

 どんな場合にも愛の心が一貫していくというのです。その心が完成した人は、「他人を黙殺し、陥れたりしない」と伊藤仁斎はのべます。「慈愛の心が、すべての徳を融合して渾然一体となって発露し、自身の内部から外側へ、その何物に対しても遍(あまね)く、浸透し、至らぬところなく行き渡る。酷い心、冷え切った心、いじめる心、黙殺する心、おとしいれる心、そのような他人を突き放す暗い念慮は一厘一毫(いちりんいちごう)も影をみせない」。童子門189頁

 慈愛という徳の心を育ていくいくことが、すべての徳を融合していくというのです。慈愛の心を徳のなかで、特別に重視しているのです。慈愛の心が育っていかねば、酷い心、いじめる心、黙殺する心、おとしいれろ心があるということで、慈愛の心を育ててることを人間の善が開花していくことになるというのです。

 仁愛とすべての徳の融合

  仁愛の心はすべての徳を融合して、自身の内部から出たものになっていくというのです。他人を陥れる心、いじめる心などの暗い悪への非人間的な道を閉ざしていくというのです。まさに、人間的に生きる道には、慈愛の心をもつ大切さを教えているのです。そのためには、恕を常に大切にして、徳を磨いていくのです。

 思いやりをもって、相手を愛することからの心の出発は、人間が生きていくうえで大切というのです。このことは、すべての障害物から克服し、また、事業の順調な道につながるということです。仁斎は、相手に対する思いやる心をもつ大切さを強調しているのです。

 「心から愛せば、相手もこちらを愛してくれる」「世間で他人と交際するには、父母が互いに愛し合っているように、兄弟が相手を大切にして睦まじいように、まさにそのように他人との間に親しみの気分を醸しだし、さらに進んで相手への思いやりを深め、愛の心が交流するようになれば、事業なり何なり自分の仕事が、思わざる障害に遮られることなく、万事につけて順調に成功するであろう。

 不仁の者はその反対を行く。むごたらしく、いじめ傷めつける悪癖のため、人々は一斉に遠くへ逃げ、親族一同も交わりを絶ち、それでも死ぬまで非道をやめない。ゆえに、仁とは、道徳の大本であり、学問の極到である。天下のあらゆる善のなかで、仁に過ぎたるものはないのである」。童子門192頁

 思いやりのないものは、人びとから遠ざけられて、非道をやめない非人間的になっていくのです。これゆえに、仁を求めていくことは、徳にとっての根本になり、人間的に生きるうえで大切なことになるのです。

 人間は常に動物的になっていく側面があるのです。現実に、不仁の者を教育のみによって、正しくなるという側面でみてよいのでしょうか。教育だけでは不仁の者を人間的な善の道への出発にはならないのです。

 不仁の者を人間的な善の道に向ける契機は、社会的ルールの形成とそれを破った場合の社会的制裁のことも含めて考えていく必要があるのではないでしょうか。このうえに立っての教育の役割をみていくことが求められるということではないかと。徳を育てていくという側面の強調だけで良いのかという疑問は沸いてくるのです。

 日本の伝統的な共同体社会では、村掟があったのです。全戸からなる村の寄合で決まられ、用水の管理、入会地の利用、ばくちや盗人などの風俗と締まりが行われていたのです。これは、村の伝統的な自治として日本では続けられてきたのです。それを破った場合に村八分ということで、村人としての一人前の付き合いが大きく制限されたのです。

 また、商工業者は、株仲間がつくられた歴史を日本ではもっていたのです。株仲間は、商工業者の同業組織で、商品の質の維持向上と価格の安定をめざすもので、株仲間になることによって、同業での仕事が特権的に保障されたのです。ここにも掟が存在して、それを破ったものは株仲間から排除されるのです。伊藤仁斎が生きていた時代は、寄合による村の掟や株仲間の掟があったのです。江戸時代の町方奉行所が、犯罪を裁くのに、公事方御定書という法令がありました。儒教の教えと同時に、法ということで、社会を治めていたのです。

 宗時代の朱子儒学では、理を大切にしているのですが、それを積極的に導入した江戸幕府儒学者たちを伊藤仁斎は仁愛ということを機軸にして、批判するのです。伊藤仁斎は、仁愛の心を育てていくことを大切にしたのです。人を善なるなる者としての素養からとらえています。つねに、その人間のもっている善なる素養の心を育てていく視点からです。人と接するときもよいところからみることで、前向きになっていくということを次のように指摘するのです。

 「他人のよいことをみとめるのはいつも不十分で、悪い点をさがしだすときにはゆきすぎる。それはだれにでもありがちな欠点である。それで人を愛するたてまえで他人に接すると、善いことをほめすぎないし、悪いことをみて憎みすぎることもない。人を憎むのをたてまえとして他人に接すると、善いことをほめるのも十分ではなく、悪いことを憎むのは極端になる。ただ仁義を備えた人だけが他人をほめることができるわけである。

   宗の学者は仁を理としてとらえている。だから好き嫌いの判断が理に合致することを仁と解釈する。つまり一点の曇りもない鏡や静かに澄んでいる水のようなものだとする。これは感情抜きで仁をながめ、欲望抜きで仁を眺めたものです。

 人間の徳としての仁には、浅さ・深さ・大きい・小さいの、区別はあるけれども、他人を愛する心から出発しないものはないことがわかっていない。だから仁をもって他人を愛する人にしてはじめて好き嫌いが適正を失わず、薄情で不公平になるおそれがないのである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」103頁

 理を優先する宗の学者への批判

 仁の心は、人間的な感情を伴って発露していくのです。宗の学者たちがのべるように、好き嫌いという判断は、理によって合致するというのです。仁は、理によって、一点の曇りもない鏡や静かに澄んでいる水のようなものだ。伊藤仁斎は、理によって仁があるものではないと宋学の学者を判するのです。

 他人を愛する人間の感情から離れて理による道徳は、宗の儒学者たちは、生身の人間の欲望を抜きにしての仁の探究を求めているという。人間の自然的感情を大切にして、仁愛による心の形成を、仁斎は重視したのです。仁は、人間の生まれながらの善の心の素養から自然の行いで、思い遣りや愛の心を育てていくというのです。

 「愛の心が行き渡ったところでは、多くの善行が自然になされる。思うに水源となっている泉から、勢いよく尽きることなく流れ出た水が、渦となり伏流となり淵をなし早潮となって、さまざまに変わったかたちをとって、思わず、見蕩れるほどであり、とても形容しきれないけれども、すべて同じ水の流れであるようい、愛の心は時と処と人により千変万化(せんぺんばんか)するのである。

 もともと仁者は根本に愛の心を基とする。ゆえに、その気分は落ち着いている。その心は平である。心が沈着であれば、したがって心はゆったりと広く、人を毛嫌いせず包容する。度量が大きくいかなる人にも温かい。したがって常に悠然としている。腹がすわっていて物事に動じない。したがって気分が明るく万事に楽しみを見出し、自ら興じる。気持ちが生き生きして見ること聞くことが面白い。したがっていつも泰然として心にかかることが何もない。

  ・・・・・愛にせよ善にせよ、さまざまな美徳が寄り合って、自然の秩序で密接に繋がり、関連して、仁の道を支えて豊かにしているのが実相である。だから、仁といい、愛といい、それぞれが絡み合い組み合わされているのだから、それを切り離して別個に区別し、名付けることは間違っている」。童子門196頁

 愛の心は水源から流れる水の如く

 愛の心は水源から流れる水の如く、愛のこころは時と、人と処で変化していくというのです。まさに、これは、自然の秩序という。

 仁は、言葉でのお世辞からは決して、育つことがないと、仁斎は警告するのです。口先のうまいことで、人びとは、それにごまかされてしまうことが多くあるのです。口先のうまい人は、人との接触を柔らかく、感情をこめて語るのです。それを見破るのは、難しいのが現実です。このことで、伊藤仁斎は、語っているのです。口先のごまかしを見抜いていくには、現実的な生活やその人の行動のなかから仁愛をみていくことだというのです。いつの時代も口先がうまく人を騙すこが行われます。伊藤仁斎は、孔子の生きていた時代は、徳がなかったので、いたずらに口先がうまいくふるまうことが盛んに行われいたとするのです。

 「孔子の時代はほんとうの徳が毎日なくなり、お世辞が盛んとなっている。人びとはいたずらに口先がうまいことを大切とみるばかりで、仁の大切さがわからない。・・・仁は現実的な徳である。慈愛の徳がその人の心のなかにみちて、ほんの少しでも残酷で薄情な心がなく、その利益・恩恵は遠く天下後世にまでひろがってのち、初めてこれを仁と呼ぶことができる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」120頁

 お世辞や口先のうまい人に要注意ということです。残酷で、薄情な人で、口先がうまくごまかす人もいるというのです。現実な行為のなかで、仁の心をみていくことの大切さを伊藤仁斎は強調しているのです。

過ちをみて仁を知る

 過ち観て、ここに仁を知るということで、過失を責めて他人を見捨てる人のために、すべての人間の過失は、原因がなくてやみくもにできたものではないとしています。聖人(孔子)が他人の過失をきびひく追及されないのは、出直しをする道があると、仁斎はのべるのです。過失と情のことで、次のように語ります。

 「人間の過失というものは、情の冷たさから生じないで、情の温かさから生じるのは何故だろう。情が冷たいときは禍をふせぎ災害を遠ざけ、自分の一身のためにはかり、その計画は完全で、しかも他人に禍を救うためにかけつけることを急がない。だから過失を免れることができるのだ。といっても、情の冷たさで過ちをする人はときどきある。冷たさで誤ったのは、端的に悪というもので、過ちとは言えない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」107頁

 人間が過失をするのは、一般的に情の冷たさからではなく、温かい心があるがゆえに、過失を生じると述べているのです。情が冷たいときは、禍に対して、計画が完璧ですが、他人を救うためにかけつけることを急がないのです。過ちを観て、仁を知るという伊藤仁斎の見方です。

 

 

 

(2)    人間のもつ自然の欲をどう考えるのか

生きる欲は人間の活気の源

 伊藤仁斎は、人間のもっている自然の欲は、礼と義を以って自然に発揮するのが道理としています。彼は、人間のもつ欲を否定するどころか、それは、人間が生きていくうえで、活気の源になるとしているのです。欲が、なければ、人間は生ける屍(しかばね)だというのです。

 同時に、人びとの幸福を奪っていく権力・支配力を謳歌する個人の強欲制御をのべているのです。人間が生きていく欲と、権力欲、権威欲、豪勢な贅沢欲などの強欲とは区別されるものです。

 つまり、ここでは、仁愛の徳をもつ意志力と生きる欲を統一していくことの大切さを強調しているのです。人間の持っている生きていくための欲が拡大して、人びとの一般的生活から大きく遊離して、贅沢を追い求める強欲に転化していくこともあるのです。人間のもつ動物的な側面、人間だけがもっている意志的に権力欲と贅沢を求める欲の恐ろしさです。

 仁斎にとっては、広く社会との関係で仁愛の心と欲を統一していくことが不可欠になってくるのです。とくに、このことは、為政者や社会的なリーダー層に強く求められているのです。

 徳をもたない権力者、仁愛の心がないリーダーは、権力欲、人を支配する欲望、拝金欲などと結びついて、その贅沢性を謳歌しようとするのです。動物的な欲が、人間の意志力と結びついて、自然的な欲から悪魔の「人間」になっていくのです。

 動物界は自然的に規制されていますが、人間は意志力をもつことによって、目的意識的に強欲を拡大して、人間的仁愛の社会を破壊していくのです。人間の欲を生きていくための自然の活力として、その枠内で、欲を制御しながら、生きる活力を発揮することが必要なのです。

 童子門で中の巻10章で、「人情と欲望を自然に発揮するのが人間の生き方である」と次のようにのべています。「礼と義を以って心を抑制(せいぎょ)する意志力を失わぬ限り、人情はそのまま道となり、欲求はそのままで道理となる。情と欲とをいけないと斥ける理由はない。

 しかるに礼儀を以って自制する行程を踏まず、闇雲に、愛の心を断絶し、情欲を消滅させようと努めるなら、容器が曲がりすぎているのを直すのに力を入れすぎ、今度は真直(まっすぐ)に戻って使い途がなくなったような結果になる。

 すなわち穏やかな親しみのある物わかりやすいいい表情が、掻(か)き消すようになくなって、生きている感覚もどこへやら、見ること聞くことに興味なく、生ける屍(しかばね)になり果てるであろう。このような情欲消去は人間なる者の為し得るところにあらず、人間社会に通有の道ではない」。童子門(上)271頁

 愛の心と人間の情欲は、生きていくうえでの自然の活力なのです。まさに、人間として生きていることの証でもあるのです。人間らしく生きるには、愛の心などの情感をもっていることが不可欠です。しかし、その素養があっても人間は強欲をもって悪魔になることもあるのです。

 人間は、動物と違って、社会的に存在するのです。自然的には、それぞれが仁愛の心をもって、相互に支えら、共感する豊かな心によって、生きている充実感を享受するのです。

 仁愛の心をもっている人間の関係は、家畜的動物関係でもないし、自然的な野獣関係でもない。感情をもっての社会的な相互関係をもっての仁愛関係をもっている人々と、それを持ていない悪魔の強欲の人間もいるのです。それは、強欲を追い求める人と、人間としての心の豊かさと幸福感を求める人びとの違いでもあるのです。人間は仁愛という徳から離れることによって、人間のもっている意志力によって、悪魔に転化することがあることを決して見落としてはならないのです。

 ところで、為政者と民との関係も当然ながら社会的な人間関係をもっている仁愛関係なのです。為政者は、仁政ということで、民を治めていくことが人間としての務めでもあります。為政者は権力をもち、人びとを支配することができる立場であることから、人間のもつ意識力によって、恐ろしい限りの悪魔に転化していくのです。

 この悪魔をいかにして、制御していくのかということは、人類が歩んできた道のなかで戦争や植民地支配、人間の奴隷化などの形であらわれてきたのです。この制御の課題は、人びとが幸福に生きていくために極めて重要なのです。歴史の現実をみれば、為政者の仁政は、簡単なことでなかったのです。

富や地位や名誉を求める気持ちは自然

 伊藤仁斎は、「富や地位や名誉を求める気持ちは自然である」としています。「富や地位や名誉褒章や禄高は、すべての人間社会になくてはならぬ制度である。ただし、倫理的に正しく筋の通った受けかた否かを吟味せよ、という条件をつけておこう。

 富貴爵禄を排斥する見方は一見カッコいい議論を、きれいさっぱり洗い去ってしまわなければいけない。そういう形式論にこだわりながら齢をとれば、必ず人間社会にいろいろある事柄の、どれもこれも気を悪くして、世の中のすべてが厭になり嫌いになる。

 そのあげくは心が冷えて沈み、望みも願いもない心境に陥って、日常生活もおろそかになり、ついには人間関係から身を退く結果になるであろう。それははなはだよろしくない状態である」。童子門(上)124頁

 富や地位や名誉は社会制度になくてはならない。このことを出発にしています。それを求める気持ちを否定するならば、自然状態で生きていく人間の活力にならないと伊藤仁斎は言っているのです。

 それを求めていくことは、社会的倫理にそった仁義礼智心を踏み外すものではない。富や地位や名誉を得ていくには、人間的に徳が高まっていくことを前提にしています。ここでも富や地位が独り歩きしていくことが多々あるのです。徳によって、いかに制御していくかという大きな課題があるのです。

 富や地位を求めていく人間の精神は、社会に活力をもたらしていくと仁斎は述べるのです。切磋琢磨していくということは、人間のもつ本質です。新しいことに挑戦し、新しいことを作り出していくということは、人間の文明を発展してきた根源の人間力です。それらに伴って富や地位が築かれて行きます。

 富や地位はその人の社会的な役割の結果です。富や地位が独立しているわけでもないのです。その富や地位をどうのようにして、社会に還元しているのかという見方も大切なのです。個々の欲、利益ということではなく、それを社会との関係でみていくことが不可欠なのです。

 現代社会のような弱肉強食の競争社会では、勝ち組と負け組とはっきり大きな格差になって富や地位が現れていくのです。勝ち組は、豪勢な贅沢な暮らしと人を支配していく喜びを持ちます。負け組は、人間的に生きることさえも厳しい状況に立たされて、貧困と生活不安、疎外状況に追い込まれていくのです。為政者や社会的リーダー層、勝ち組の人間的な仁愛の精神の在り方が鋭く問われているのです。

 伊藤仁斎がのべるように、富や地位、名誉を得ていくことで、徳を高めていくことが切実に求められているのです。社会制度的にも、負け組ということで、絶望に陥ることなく、みんなが生きがいをもって社会で充実して、幸福に生きられるようになることです。だれでも、どんな能力のひとでも、それぞれが、社会的に力が発揮できるような仕組みが同時に求められていることを忘れてはならないのです。

 弱肉強食の自由競争主義ではないのです。仁愛の心をもって、富や地位の欲を求めていくということは難しい課題です。人は巨大な富や高い地位を得れば、おごり、たかぶるのです。人を人とみないで機械のごとく命令し、人を支配したがるのです。それが悦びになっている人もいるのです。制度の問題以上に、人間的な徳の問題が富や地位を得るうえで、重要なことなのです。

 富や地位を得たいという心は、社会を活力あるものにしていくために、決して否定されることではないという伊藤仁斎の見方は大切です。しかし、もっとみていかねばならないことは、切磋琢磨しながら、みんなが活力をもって、個々の役割を発揮してすべての人々が生きがいをもって暮らせることのできることが、仁愛の満ちた社会ということなのです。

 伊藤仁斎は、仁義礼智信という徳を踏みはずことを戒めているのです。人びとに対する仁愛の気持ちをもって、事にあたることが求められ、富と社会的地位がもったならば、その立場から、社会に還元していく礼を尽くすことになのです。 

 むしろ、富や地位、名誉を獲得していくことに、現代社会のように弱肉競争主義を煽り、徳からはずれる卑劣な手段がおかまいなしに自由に放置されることに問題があるのです。まさに、生身の人間としての自然状態が大切で、切磋琢磨して富や地位を得て、常に自己は、家族、仲間、地域、社会によって、自然の恵みを伴って生かされていることを忘れてはならないのです。

 ところで、人間は欲望が多いと義理をためらい、ちぢこまって、進もうとしなというのです。欲望が多いと心を満足させないということです。無欲になることではなく、道義をもって豊かな感情と欲をもって生きることを伊藤仁斎は推奨しているのです。

 「人間は欲望が多いと、すべて世間の味がなつかしくて忘れられない。当然果たさなければならない義理をためらい、ちぢこまって、進もうとしても進めない。これが、欲があると剛の者とはなれないわけである。欲望が多いときは心を満足させない。心が満足しないと剛気にはなれないのは、勢いそうならざるをえないのである。

 しかし、無欲で節操がかたく、頑固で一本気な性格で情がないという男を剛と考え、また、負けずきらいで人にさからっていい気になっている者を剛と自称している。気が大きくゆったりしてやさしく、道義によって自己に打ち勝つ人間が真の剛の者と言えるのである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」125頁

 欲があると剛の者ではないというのではないのです。真実の剛の者は、道義をもって自己に打ち勝って、情と欲をもって気が大きく、ゆったりとして、優しい人ということだと言っているのです。

礼とは道義の心の表し方

 礼とは道義の心の表し方です。表し方が独自にあることではない。しかし、礼に落ち度がないように人々はこころがけて、その礼の形式が独り歩きして、心の本質が忘れていくことが見られるようになるのです。

 「礼を行う人はきっと道具を十分に整えようと思う。道具を十分に整えようとすると、必然的に飾りが主になってしまう。葬式をつとめる人は必ず万事が整って落ち度のないことを望む。整って落ち度がないことを望む人は、必然的に実がなくなる。それで礼は倹約を根本とし、葬式は悲しみを根本とする」。貝塚茂樹伊藤仁斎」82頁

 礼は倹約を根本にすることが必要です。葬式は、悲しみ心が根本なのです。礼とは川にたとえれば、堤防のようなものだと伊藤仁斎はのべるのです。

 「礼は人を川にたとえると、堤防のようなものである。礼が確立すると、人びとの心は安定する。人びとの心が安定すると社会は上から下まで安定する。上から下まで安定すると、人間の道は秩序たつことができ、万事うまく治まることができる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」83頁 

 夏王朝は数百年の太平をもたらした理由は「自分自身の生活は簡単で、祭祀はつつしんで間違いはなく、朝廷の礼は手厚く、人民の生活を盛んにさせた」。貝塚茂樹伊藤仁斎」202頁

 王朝の生活や礼を節約して、人民の生活を盛んにすることによって、夏王朝は数百年の太平が続いたとするのです。社会の安定には、礼は大切だが、礼が華美になり、王朝の暮らしが贅沢になれば、社会は不安定になっていくというのです。

 

(3)仁政と政治の要諦

 

為政者は、私欲を克服

 為政者は、私欲を克服すれば民衆を広く愛することができると伊藤仁斎はみるのです。また、民衆を深く愛するには、為政者の生活節度が求められるのです。

 「自己の私欲を克服すれば、それはひろく民衆を愛することにつながる。礼をくりかえして実践すれば、生活に節度とかざりが生ずる。ひろく民衆を愛し、そのうえ節度とかざりがあるということになれば、それは仁が実現したことになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」261頁

 為政者にとっては、私欲を克服するということが民衆を愛する仁政の基本です。そこでは、為政者自身の民に対する礼をくりかえし実践することが、必要になってくるのです。

 そこでは、節度とかざりが必要になってきます。為政者にとっては、自分が権力を握っているということで、国を動かしていく権限をもっていることから、おごりをもつことが起き、権威主義と贅沢の気持ちが、ほっておけば、膨らんでいくのです。

 おごりをもつことは権力、自己の社会的地位を私物化して、自己の欲望を肥大化して強欲になって、人びとを支配していく欲望を拡大していくのです。この欲望を抑えていく仁義礼智信の徳と同時に、それを常に制御、点検していく社会制度、法が求められているのです。

 為政者は常に民衆を愛すること

 常に心掛けていくことは、民衆を愛するという仁愛の精神と生活の倹約が課題になります。為政者は、仁義礼智信ということから民を愛する徳を身に着けて、欲を抑えていくことが、特別に重要になってくるのです。為政者に徳がなければ、その国は滅びていくのです。

 「徳を身につけようと修養すれば、欲望は自然と減退し治まるもので、欲望が自分をわずらわすのを嫌悪して、無理に欲望をなくそうとばかりしていると良知・良能(生まれつきにもっている知る力と事を行う能力)をともに削りとり絶滅させて、二度と身に有することがない」貝塚茂樹伊藤仁斎」306頁

 為政者の欲望は、徳を身に着けていくうえで、自然に減退していくということです。特段に目的意識的に日ごろの欲を抑制するということではなく、徳を身に着けるように修養が特別に大事ということです。

 つまり、禁欲主義ではなく、徳を身につけ、自然に倹約をして、民の生活を潤すように国を治めるようになるのです。ここでも考えなければならないことは、どのようにして、おごりたかぶる権力者の強欲を制御していくのかということです。ここには、諫言していくしくみや民が意見や気持ちを表す社会的な制度の問題を考えていくことが求められているのです。

 為政者が、民に礼を尽くすことは、倹約

 為政者が、民に礼を尽くすことは、倹約することです。民は為政者の倹約によって、生活が保護されていくのです。

 「支出を放漫にすると財が失われ、財が失われるときっと人民に損害が及ぶ。だから人民を愛するには、まず支出を節約せねばならぬ。そのうえ、人民を徴発するのに適時でないと、国の本つまり農業精出す人がその力を十分に使いつくすことができない。人民を愛する心をもっていても、人民にその恩が及ばない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」49頁

 為政者にとっての王道の根本は、倹約であるのです。財が失われると人民に損害を及ぼすのです。つまり、為政者の贅沢を戒めているのです。

 「王道の根本は倹約である。贅沢をすれば物質が不足するけれども、倹約を旨とすれば生活必需品が余分に残る。それなら自分の余剰分を提供して、他人の飢饉を救いうる。しかし、自分自身でさえ不足の場合は、他人の難儀を助けてやれないではないか。・・・古い時代の聖王が、みな率先して倹約に努めたのは、民が飢えないで暮らせるように、その根本を固めたためである。ゆえに、王道は倹を以って本とする。」童子門17頁~18頁

 為政者が倹約している姿をどうように制御していくのか。財政の状況をどのように点検していくのか。臣下のそれぞれの立場からからの役割があるのです。為政者は自分の余剰分を積極的に人民に提供して、人民の困窮状態を起こさないことが大切なのです。いつの時代も同じことがいえるのです。為政者や国・社会のリーダー層には、贅沢な生活をもたらして、民の生活は困窮し、そのうえで過酷な労働と税で絞りとられていく姿は常に起こるのです。為政者は民を愛するという古代から孔子孟子の徳の教えからの課題は、いつの時代でも覆いかぶっているのです。

 まさに、為政者の徳は、民を中心にして、民を愛することが根本ということなのです。現代での民主主義は、ルールを大切にしますが、政治は、民を愛し、民を救うことが中心であるという徳が忘れられていることがみられるのです。

 「君主の徳は人民を愛するより大きいものはない。だから昔の君主が君主と語るときは、いつも人民を愛することを基本とし、人民を救うことを急務とした」。貝塚茂樹伊藤仁斎」97頁

 本来的に、民衆が物質的に豊かになって、生活が満足しているときに、君主は十分に物質的に足りているということなのです。

 「君主は人民あってこそ立ってゆけるのだ。人民がいなければ君主というものは生じないわけだ。だから百姓(民衆)が物資的に満足するときは、君主も十分足りることになる。逆に百姓が足りないときは君主も足りないことになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」270頁

為政者の務めは民を豊かに

 人間だれでも豊かさを求めることは当然のことです。その実現には、まず民が豊かになるということの君主の務めがあるのです。為政者自身、社会のリーダー層だけが贅沢に豊かになることではないのです。為政者や社会のリーダー層が、勝ち組として、贅沢な暮らしをして、負け組としての民衆は生活の苦悩と不安をおしつけられるものではないのです。現代社会は、社会的リーダーや為政者の贅沢な生活と一般大衆の格差の開きが大きくなっています。民の暮らしを豊かにしていくという為政者の根本が問われているのです。

 「富貴をのぞみ貧賤をいやがるのは人間の感情である。しかし君子の行動は道に基づかねばならぬ。富貴を得たとしても、そこにとどまらない。貧賤を得たとしても、そこからはなれない。ここでいって道とは仁である。君主が君主であると評価される理由は、仁をもちつづけているからである。もし仁からはなれるならば、どこに君主としての値打ちがあるだろう。・・・

 人間は危機に際して命をまとにしたり、君主の機嫌をそこなっても平気で諫言したり、ふるいたって我が身を考えないことがよくある。しかし、富貴・貧賤どちらをとるかという段になると、物質にひかれて心をうごかさぬわけにはいかない。ただ君主の心はいつも仁に安んじて、とどまっていてはいけない貧賤からははなれない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」104頁~105頁

 人間は、富貴と貧賤の道のどちらをとるかということでは、物質にひかれていくのです。為政者は、まずは我が身ではなく、民衆の貧賤から離れてはいけないということを仁斎は強調するのです。徳をもっている君主が統治するのと、小人が統治するのとは根本的に異なっているというのです。

 現代的に、仁愛の徳をもって君主として統治する為政者は極めて少なくなっているようにみえます。帝王学というように、為政者になることが運命的に定められている身分制の封建社会では、小さい時から帝王教育が行われるます。

 現代社会では、政治家や社会的リーダーになるための意識的な教育はなされていない。為政者になるには、選挙制度によって、有権者から票を得ることに集中していくのです。いわゆる選挙に勝つことが、政治家として上り詰める出発点です。現代社会のように、マスコミ、SNSの発達などによって、為政者になるには、一般大衆に演出して、人気を得ていくことが大きな条件になっていく。

 民を中心という民主の古代からの政治の徳は、現代社会の弱肉強食の勝ち組優先の自由なる競争社会では大きく欠落しているのです。民を中心にする政治には、勝ち組への社会的な秩序、ルールが求められているのです。主権在民ということが、為政者になった人たちが、いかにして民を中心にしていくのか。

 為政者自身の民主主義のルールを実施していく社会的規範が求められているのです。法的には、憲法ですが、同時に民主主義の社会的規範を守っていくうえでのマスコミの民主的な在り方や学校教育、社会教育における仁愛の精神の養成が大きく問われているのです。

 現代では、為政者自身が大衆迎合ということからの問題が常に起きます。多数主義ということで、少数や多様性を軽視することが起きがちな構造をもっているのです。選挙民の政治的な教養、選挙によって、多くの人々が学び、政治参加していくことが求められているのですが、そのことをどのように保障していくのかという大きな課題があるのです。

 また、立候補して選ばれる人たちが、徳や理念や政策を身に着けているのか。むしろ、大きな要因に人気的な要素が大きくあるのです。さらに、多くのものが、自己の権力欲や金銭欲によって、小人になって、肥大化する自己欲をコントロールできない為政者や社会的リーダーになっていく危険性をはらんでいるのです。

 ここでは、まさに、肥大化する欲望によって、社会的な混乱、退廃状況が起きていく要因が大きくあるのです。為政者や社会的リーダーによる利益だけが優先されがちです。多数決の選挙民主主義では、選挙に立候補する人びの徳の高さ、理念政策の強さ、補者を選ぶ多くの国民が、善に親しみ、社会的倫理、仁愛の精神をもって、理念や政策を理解していく学びが必要になっているのです。

 「君主が統治するのと小人を統治するのと、その道は自然に違うのだ。徳になつくものは利益でさそわれてないで善にだけ親しむ。土になつくことは、人の変わらない生業のある者が、変わらない心持をもつ。刑になつく人は聖人のつくった法式に楽しんで従う。恩恵になつく人は利益をくれる人にのみ親しむ。君子と小人は心のもち方が違うので、なつく理由も自然に違うのである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」109頁

 小人の統治では、刑になつく法式に楽しんで従い、恩恵になつく人は利益をくれる人にのみ親しむということになるのです。為政者自身が小人でありことから刑罰主義や形式主義の政治がはびこり、実際の人びとの生活、多くの困っている人々に目を向けることなく、自己の権力や事務的な権限の立場を利用して楽しんでいる為政者や官僚が多いのです。為政者や官僚は、恩恵になつく人びとに利益誘導して権力を維持していくのです。

 ここには、民の暮らしを豊かに、民を幸福にしていくという仁愛の徳はないのです。楽しんで従うということの指摘は、為政者のもとに多くの国民に法令を機械的に粗末な形式主義で国民操作を生きがいにする官僚の姿がみえてきます。かれらの権威主義を喜びにする自己存在でもあるのです。

 伊藤仁斎は、小人の為政者ではなく、善に親しむ徳をもつた為政者の大切をのべているのです。徳をもった為政者は、民衆を統治していくうえで、自己に充実という忠信をもって、他人に対して、責任を果たしていくという統治をのべているのです。

 「多数の民衆を統治するには、忠信、常に自己に充実で他人にたいして責任をもち、そのうえで才能がないと、失策をとりつくろい、形勢をとりもどすだけでも十分でない。どうして物事を仕上げることができようか。才能があっても忠信でなければ、皆の心が納得しない。きっと失敗する。だから忠信でそのうえに才能があってはじめて君子になれる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」193頁

 為政者が民衆のために尽くすには、自己に充実な徳と理念・政策という忠信と責任性が求められ、才能があっても自己に忠信でなければ、大きな面からみればきっと失敗するというのです。

 現代社会において、大衆迎合的、人気主義の選挙による多数決の主権在民の民主主義という制度のなかで、帝王学を学んでいた時代と異なります。政治家の質の問題が大きく問われているのです。

 日常的に、政治や行政に民がかかわっていく直接民主主義、住民の直接請求、住民投票などが切実に求められているのです。また、選ばれた議員自身が自ら政策をつくっての議員立法、議員による制定が求められているのです。

 行政府の意向による官僚主導の法令・条例作成から、民から選ばれた人々による議会中心へと変えていく必要があるのです。これらのことから、為政者やその官僚を民の暮らしを豊かに、民の幸福という徳と政策能力をいかにして身に着けさせていくのかという大きな課題があるのです。

 為政者・有司は民を豊かにという忠信を自己に

 どんなに才能があっても忠信の心がないと君子としての為政者にはなれないのです。才能がなければ、失策をとりつくろうことに奔走するのです。政治の要諦は、為政者自身が身を修めることからはじめなければならないのです。

 そして、責任をもって事にあるということです。ことの失策で、常に弁解に努めることが仕事として場合を多くみる現代です。まさに、責任感の欠如と、自らの為政者としての身を修めることがおろそかにされて、大衆への迎合として右往左往しているのが現実である。ポピリズムの隆盛のなかの為政者の病理です。

 「政治の要諦は為政者自身がさきに身をおさめ、自らその事につとめる、この二言に尽きる。道は本来身近なところにあり、事は本来やりやすいものである。だから道をほんとうに知っている者は、道をむやみに遠大なところに道を求める。

 むつかしいところではなく、たやすいところに求める。これが政治の要諦であって、それ以外のなにものでもないことをよく知っているからである。為政者自らが先に立って働けば、人民もつとめはげむが、そうでないとき事はうまくいかない。身をもって事につとめれば、その効果は速やかにあらわれる。・・・

 有司は下役。宰(執事)はすべての役人に見なわれる立場だ。したがって、宰が率先してよく働けば、怠慢な役人はなくなる。過失をゆるしてやれば、人はのびのびし、みんなが悦ぶ。賢才を挙げ用うれば、抜擢された人は熱心に勤務するから、政治は公明になる。宰が率先して働く、小過をゆるす、賢才を抜擢という3つの項目は、政治の大要である。

 もとじめがしっかりしていなければ、下の者も自然だらしなくなる。上の者の指導がなければ、下の者は必ず怠ける。人の過失をゆるさぬとなれば、刑罰ばかり多くなって民衆が離反する。賢才とは、いわば国家がこれに頼って運営するものだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」281頁~282頁

 為政者は自ら先頭にたって事に当たらなければならないことをのべているのです。責任ある執事の立場は、役人の見本にもあるということです。その責任性は大きなものがあるというのです。上の指導者が怠ければ人の者はなまけるというのです。

 役人の上のものが自分の地位の維持のために仕事をして、部下に自分の権力維持のために業務をおしつけていれば、下のものは、いつも上司に気に入れらるように、現実のことではなく、口先の快い言動が日常化して、民の心から遠く、むしろ民を押し付けるために上司にむかって行動が多くなるのです。上から下へと絶対的権力をもって降ろしていくという官僚主義がはびこっていくのです。そして、国民は、そのもとで煩雑な事務によって統制され、苦しむのです。煩雑な事務に適応できない多くの国民は、排除されていくのです。国家による排除は、事務の煩雑さとおごり、口先上手といいわけということになるのです。そして、困っている国民を恐怖にさせるおどしをかけるのです。

 ここでは、民への監視、刑罰が横行していく、機械的な法や制度が重視されて、現実の民の生活、様々な時代の変化などの矛盾にも気がつかず、全体として社会的混乱と社会経済の沈滞、後退になっていくのです。

 政治の要諦はごまかしではなく、身近な生活のところから

  政治の要諦は、空理空論ではなく、政治の道を遠大なところにおいて、ごまかしをはかるのではなく、身近なところの現実的に困っているところから出発すべきなのです。そして、身近に困っていることを、具体的に道筋をつけて解決していくことが政治の要諦なのです。さらに、役人の在り方についても伊藤仁斎はのべています。

 すべての役人を統括する執事の役割も重視しています。執事は率先して、物事に具体的にあたることを強調しているのです。行政的に下に命令していくのではないのです。率先して、人びとの困っていることはなにか。役人としてできることはなにかと熟慮して、実践していくのです。

 役人は上から与えられた事務的な仕事をこなしていくのではないのです。このようにすれば、多くの役人がついてきて、怠慢な役人が一掃されていくのです。とくに、役人の抜擢には、賢者を選ぶ重要性を指摘しているのです。

  賢者を選び、能力ある人を任用するのは、地位のある人の務めでもあるのです。賢い人を任用していくことは極めて大切なのです。

 「賢者を推薦し、能力のある人を任用するのは、地位にあるものの義務である。もしある人が、他人の賢いことを気がつかないで、任用しなかったときは、いうまでもなく、その人は官職にふさわしくなかったのだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」354頁

 役人にも道理ある学問を身につけていくことは不可欠です。役人としての善を求めていく志が必要なのです。役人が学問をして、善を求める志を深くしたとしても自らの職責が十分にできなければ、学問を深めたことにならないのです。善をふかめていく学問は具体的であるからです。このことについて、伊藤仁斎は次のようにのべます。

 「学問は道(道理)をきわめるものであり、役人となることは、その人の善を求める志を実行することである。だから、役人になって、その任務の効果がひろく影響するように果たすなら、たとえそれまでに学問をすることなどなかったとしても、それは学問の道筋からはずれないのだ。・・・たとえ学問をして役人となったとしても、もしその職務に十分たえうるものでなければ、学問をしなかったのと同じである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」426頁

 仁政の確認方法としての民謡や詩

 ところで、仁政がよくやられているのかどうかをみるのに、地方の民謡や民の詩からもみることができると伊藤仁斎は語るのです。

「地方の民謡によって政治のよしあしを見てとることができる。民心が詩によってやわらぎ、温和になることができる。民は詩に託して悪性を怨むことができる。民心が高揚すると、善を好み不全をにくむ心を民におこさせることができる。

 詩によって為政者が民心を観るばあいには、民がどんなうたをつくるかによって、民の人情を推察し、事変がおこりそうなことを見てとることができる。民心がやわらぎ、極端に走らないならば、民の心に温厚な、平和な感情がおこってくる。

 民が悪政を怨む詩を作る場合には、民の上にそむく感情やがさつな感情を消すことができる。民が善を好み、不善をにくむようになれば、それは政治の根本が確立したことになる。人情を推察し、事変を予知できるようになれば、政治の実用が完成したことになる。民心が温厚に、平和になれば、はばかることなく発言することができる。人民のそむく心、がさつな心が消えるようになれば、ものごとに摩擦がおこらなくなる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」288頁

 民謡は、民の心の高揚の表れです。民の民情がわかるのが民謡なのです。民の感情は消すことができないのです。民が悪政を怨むことは、民謡や詩のなかに表現されるのです。為政者は民を観るときに、民謡や詩の表現をみることが求められるのです。

 天下を治めるのは、仁を根本的な態度として、民衆の情をみていくことは大切なのです。法や制度が根本ではないのです。時代のなりゆきによって、制度は変わっていきます。

 「天下を治めるには、仁を根本的態度とする。・・・法というものは、必ずすたれることがあるものだが、道にはすたれることはない。先王の制度は、時代のなりゆきにそって、民心にしたがって定めたものであるが、久しい期間にわたると、どうしてもすたれるものが出る」。貝塚茂樹伊藤仁斎」355頁

 政治は徳で、法が根本ではない

 王者の政治は徳で、法が根本ではないというのです。法は速く現れるが、太平には害があるというのです。覇者は法によるが、王者の政治は徳を根本にして治めるというのです。

 「王者の政治は、徳により、法によらない。その効果はまわりくどくというよだが、その影響は永久的である。覇者の政治は法により、徳によらない。その効果は速く現れるようだが、太平には害がある。そこで国を治める根本は自分の身を正しくすることにあるので、巧みな計算でできることではないことあわかる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」75頁

 伊藤仁斎は、為政者を王者と覇者と根本的に分けています。徳による政治を王者として、法によって統治しなとしています。覇者は、法によるというのです。法は、統治にすぐに効果があるとしていますが、太平には害があるというのです。

 伊藤仁斎は、法というのは、時代によってすたれていくとつぎのように述べます。「法というものは、必ずすたれることがあるものだが、道にはすたれることはない。先王の制度は、時代のなりゆきにそい、民心にしたがって定めたものではるが、久しい期間にわたると、どうしてもすたれるものが出る」。貝塚茂樹伊藤仁斎」353頁

 法というものは、人心に従って定めたものであっても、時代とともにすたれていくというのです。しかし、徳はすたれることがないというのです。

 人を法によって威圧して厳しく取り締まって、善性を行っても人々は敬服しないと仁斎はのべるのです。「民に威圧を以ておごそかに臨み法を厳しく取り締まる。もっぱら命令を下し扱き使うばかりで、哀れみ、思い遣り、同情心がない。この法式を指して民を以て民を治むという。孟子の曰く「法度も禁制もよく整っている善政も悪くないが、仁義道徳の教えによって民を導く善教のほうが、民の帰服を得るものである。人を服させようとして善を行ったのでは、本当に人を服させることはできない、善を行って自然に人を感化自覚させれば、初めて天下をも服せしめることができる」。童子門、37頁~38頁

 法や制度では、民を服せることができなということです。仁義の教えによって、民を善に導くことが、天下を治める仁政ができるというのです。法や制度で厳しく取り締まりの統治することは、民を威圧することになるというのです。もっぱら命令をするばかりで、哀れみのない、思いやりもないということで、人びとは敬服せずに、萎縮してというのです。これでは、天下を治めることができないと。

 人間のあらゆる行動は、礼を基準にしているとするのです。礼による「法則によって、これを規制しないと、過ぎたるものはますます過ぎ、及ばないものはますます及ばなくなる。ここが道がわからなくなり、実現できない理由である。人間の礼に対する関係は、ちょうど定規とすみ縄のようなものであろう。恭慎な人間は柔の徳をもっている。勇直な人間は剛の表れである。どちらも人間の善い行為である。

 しかし、礼によって、これを礼によって加減しないと、恭しい人間は鳥越苦労し、慎みん深い人間はびくびくするようになる。勇気のある人間は乱暴になり、一本気な人間はせっぱつまることにいなる。その弊害はとてもあげられないことになる。

 そこで孔子は、いつも礼を人間の定規・すみ縄とし、人をしてこれを基準とさせる。大きいところでは、国家を治め、社会指導し、近いところでは身を修め、家庭を整えるのも、みな礼によらないものはない。後世の学者礼について発信するが、その説はあまり高踏的で、一途に自分の心の中に求めて、心を法則とすることになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」189頁

 礼とは心の法則、儀式というものではなく、人間の定規・すみ縄というというもので、基準を客観的にみえるようにしたものであると。後世の儒学者による礼の見方は、高踏的で、心の中に求めているのはおかしいと、伊藤仁斎はみているのです。

 武力を用いて利益を得ることは、民心も安定せず、敵が刃物で血をもたらす

 人はみな目の前にある利益に気がとられていくが、後からそれでは、大きな害があることに気がつく。武力を用いて利益を得ることは、民心も安定せず、敵が刃物で血をもたらすことが起きるのです。武力を用いることの怖さを伊藤仁斎は指摘しているのです。

 「人はみな目の前にあるちょっとした利益に気をとられて、あとから来る大きな害に気づかないのは、天下の人々の共通した欠点である。後世の武術を学習する者は、武力を用いて、よく利益を受けるというだろう。これは、とりわけ次の点を理解していないのだ。もしかりにも、国の内で民の分け前が平等でなく、民心が安定せず、仲良くしなときは、敵がその刃を味方の血でぬらすまでもなく、変事がきわめて身近なところから発生し二度と救うことができないという」。貝塚茂樹伊藤仁斎」370頁

 武力の利益は、民の分け前が平等ではなく、血を流す事件が身近なところから起きて、救うことのできない惨事になるのです。

 言論が誠実ということで、すぐにその人を信じてはならない

 ところで、言論が誠実ということで、すぐにその人を信じてはならないと伊藤仁斎は指摘しています。誠意をこめた言論でも信じてはならにとしています。

 「その言論が誠実であるからといって、すぐにその人を信頼してしまったのでは、その人が真の君主であるのか、うわべだけでいかめしい人間なのかよくわからない。だから「、言葉や外見だけで人を判断してはならない。軽薄な言葉の信用ならないことは誰でも知っているが、誠意をこめた議論もまた、すぐには信用できないことは、人は案外知らない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」252頁

 誠意をこめた言論でも信じてはいけないということを強調しているのです。言論だけでは、信じてはいけないということで、具体的にやっていることをみていくことが大切というのです。

 ところで、大衆が示す好き嫌いは、どうしても他人の説が含まれ、正しいか誤っているかという実体は大衆が識別することができない。善でも悪と品定めするし、悪であるのに善いとすることがあるのです。自己の信念を守って衆人からぬきんでた行いをするものは、嫌われるのです。

 偽善者の振る舞いは、世人に気に入られるものだ。大衆の動向どおり好き嫌いするのでは、なく、実体を見定める必要があると伊藤仁斎はのべます。大衆迎合は、正しくなく、偽善者もみることができないのです。とかく、世人が気に入るのは、偽善者のふるまいという。

 「大衆示す好き嫌いは、公平なものであるが、他人の説に同意したものがどうしても、含まれる。正しいか誤っているかという実体は、大衆が識別できるものではない。その事柄が善であるのに、悪いと品さだめすることがあった。悪であるのに、善いととなえることがある。

 自己の信念を守って衆人からぬきんでた行いをする人物は、衆人は必ず憎みきらう。偽善者の振る舞いは、世人の気に入るものだ。だから聖人は、大衆の動向のとおり好き嫌いするのではなく、必ずその実体をよく見定めるのだ。

 ・・・人間は小さな存在だが、ものを知る力がある。かりにも学問にはげみ、徳を身につける修養をすれば、それぞれの才能にしたがって、聖人となり、賢人となり、その人の作った礼楽や制度と徳行とは、天下をおおうだけのものはもっている」。貝塚茂樹伊藤仁斎」360頁

 人間は小さい存在だが、ものを知る力があるのです。学問をして、徳をみにつければ、聖人となり、賢人となることができるというのです。

 民がわるいか善いか悪いかの判断は、上にたつものがそうさせるのが、一般的です。民を指導するのはなりわいをもつようにさせることが一番大切としています。そのうえにたって、道義を教えることだというのです。

 「一般的にみて、民が善いか悪いかは、みな上にたつ者が、そうさせるのである。だから、昔の聖徳のある王者は、どう民を指導するかをいちばん謹んだのである。思うに、民を指導する要点は、第一に民にそれぞれふさわしい生活のよりどころを得るようにさせることにあるのだ。だから昔の王者たちが民を治められたときには、きまって一定のなりわいをもつようにさせ、さらにその人民に親には孝、兄には悌という道義を教えたのである。

 このように治めていて法にそむく者が出たときには、それでもなおそうした者をあわれむ気持ちが王者にあったのである。まして民が生活できるために、なんのきまりがなく、民を教導するのに、なんの人としての道がないのでは、上に立つ者がさきに上に立つ者として守る道からはずれたことになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」429頁

 法にそむく者がいても、それでも仁愛の徳をもつ王者は、その民をあわれむのでした。徳をもつ為政者は、統治の基本的方法に徳を育てることを重視したのです。そして、上に立つ者の仁愛の徳を重視したのです。 

 徳のある君子の心は誠実でごまかしがないので、ちょっとした過失で世間は気が付くのです。君子の行動は常にみられているのです。君子は自分の行動をかくしてもみられているので、過ちは認め、改めていくことによって、民から一層、慕われていくのです。

 「君子の心は、誠実そのものでごまかしがない。それで君子の過失は、どんなちょっとした過失でも、人びとの目につくことになる。それは、太陽が月の本体があまりにも明るいので、わずかなくもりでも、世間の人びとが気づくようなものである。

 それは、君子の行動は、はっきりしているので、容易にわかるものであり、それに自分の行為をかくしだてしないことだ。しかも君子は過ちをしたときには、必ず改めるものであり、過ちを改めたときは、人びとは前にもまして、君子を尊敬し慕うようになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」430頁

 君子は、常にみられているので、過ちは誰でもあるもので、率直に認めて改めていくことを伊藤仁斎はのべているのです。これこそ世を治めていくリーダーの在り方なのです。

 

(4)ヒューマニズム人道主義と心豊かな生き方

 

 人間としての楽しみ 

 音楽は人間らしく生きるための楽しみです。その保証は民の生活にゆとりがあることが不可欠であると仁斎はのべるのです。そして、民の暮らしを豊かにしていくためには、為政者には倹約を強調しているのです。

 人間らしい暮らしをしていくたには、音楽をはじめ文化の根を断ち切らないことであるとするのです。仁斎は、ヒューマニズム人道主義の基本に、音楽をはじめ文化をもって楽しく暮らすことを大切にしているのです。

 「音楽が盛んなのは、民の生活にゆとりがあるからだ。家庭生活が保証されており、財産に不足がなかった治世の時代では、民の心はなごやかで人間関係も親密であった」と仁斎はのべるのです。「礼が重んじられ、音楽が奏でるのは当然であった。それゆえ、孟子は王道を論ずるのに、民の経済の満ちたりた運行をさきにした」と仁斎は強調するのでした。童子門29頁~30頁

 さらに、文化の根を枯らさないために、倹約をおこたるなと仁斎はのべます。「人情の自然として、楽しんでいるときは一心不乱に熱中するが、飽いてくるとちゃらんぽらんになる。ひたすら節倹に努めたら、必ず家は富み、なし得る事柄の範囲が広くなる。ゆえに文化的な修練が楽しみとなる。この成り行きこそ、礼の興る源泉である。

 しかし、礼を重んずるあまり、それが贅沢になり、飾り物が幅をきかせるようになると、財産が尽き果てて、もはや何もできなきなる。勢い、世の中から引っ込んでしまいたいと心が萎(な)える。こうなると、礼が廃れて世の秩序が乱れる」。童子門32頁

 仁斎は、何を楽しむかが大切とみて、大学という儒学の書にある好み楽しむことがあるときは、正しく行うことができぬというのは誤りであるしています。他人のよいことをほめる楽しみは、自分一人の利を守る心が溶けていくというのです。

 「人は、好み楽しむことなしにはすまない。ただよいことを楽しみとするときは、一日一日とプラスになり、よくないことを楽しみとするときは一日一日マイナスになるだけである。それで、礼儀・音楽のきまりに行動をあわせることを楽しみとするときには、その行動は規律にしたがうことになって、徳に進む基本ができあがる。

 他人のよい点をほめる楽しみとするときは、自分一人の利を守る心がとれて、徳を大切に気持ちがあつくなる。賢明な友人が多いのを楽しみとするときは、自分に満足するとうなおとはなくなって、徳を達成する補助が多くなるのだ。だから益なりといわれるのだ。

 おごる楽しみをするときは、おそれるところがなくなり、人を見下し高ぶる心が一日一人とはげしくなる。気ままに遊ぶ楽しみをするときは、おそれ危ぶんで行いを修めるところがなくなり、心が必ずすさむものだ。宴楽を楽しみとするときは、心をうばわれてところができて、こころが熱中しがちになる。だから損なりといわれるのだ。人たるものは、好み楽しむところに気をつけなければならない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」374頁

 おごる楽しみ、気ままに遊ぶ楽しみは、人を見下し、おそれる心がなくなって、おそれ危ぶんで行いを慎むことがなくなるというのです。人たるものは好み楽しむことに気をつけなければならないと考えているのです。

 誠心誠意の学びと貧富の運

仁斎は学問するものが誠心誠意学び取って実行することは、その能力に応じて十分に社会的に活かすことができるとしているのです。「一般の多くの人びとを包容できるならば、人びとを見捨てることはない。能力のない人を気の毒に思うならば、人びとをその力に応じて十分に活かすことができる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」419頁

 多くの人々を包容できる能力は、誠心誠意、現実に即して、実践をとおしての学びを行うことによって、身についていくものです。包容力をもととは人々を見捨てることではなく、能力のないものも、その人に応じて社会的に力を活かすことができると伊藤仁斎はのべるのです。

 人には、それぞれの能力の差があったり、運もあって、富んだり、貧しかったりすることがあります。貧富の差があることのそれぞれの立場が道義にかなっているのかどうかということが、重要であると伊藤仁斎はのべます。

 「人が貧しかったり、富んだりするについて、もっとも大切なことは、それが道義にかなっているかどうかである。いやしくも道義にかなっていれば、金持ちになるのもよし、貧乏または可なりである。

 しかしながら、道義のほかに人には天命(運)といわれるものがある。貧とか富とかの表面的現象にとらわれていては、いいかえればそれらを超越し、天命に甘んずる境地に入るのでなければ、人間は心底から安心できるものではない。そもそも努力なしにもたらされるものは、いわば天命(運)によるものだ。かりそめにも努力して得たものは、たといその手段が道義的であっても、これを天命ということはできない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」254頁

 貧乏になったということや富をもったということは、表面的なことです。それは、運も強く影響するのです。道義をもって努力して得た富は、その人のもっていた運、天命でもあったのです。その得た富をどうするのかかが道義的に大きく問われていくのです。人間が心の底から安心できる境地になるのは、運、天命ということで、その分配をどう道義的にしていくかということです。

 善人の心を大切に 

 ところで、善人をよしとすることが大切と伊藤仁斎は強調するのです。悪人をあえて悪と強いても効果がないのです。善人をひきあげて育てていくことが大切になってくるのです。

 「善人をよしとしさえすれば、悪人を悪とすることは強いてやらなくてもよい。悪人も自然に善くなるものだ。もしかりに、勧善の方をやらずに、懲悪、すなわち悪人の除去だけを強行するならば、悪人をことごとく除くこともできず、善人をひきあげて育てることもできなくなる。善人を育成すれば悪人も自然に感化されるものだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」276頁

 友と交わる道においても善を導くということから交わっていくことが大切なのです。相手が、こちらの言うことを聞き入れない場合は、忠告をしても意味がないということです。自らの悟りをじっと待つしかないというのです。何度も忠告すれば、相手はかえって嫌悪感をもつものです。

 「友と交わる道は、まごころを尽くして忠告し、事をわけて説明し相手を善い方に導くのが本筋である。しかし相手がこちらのいうことを聞き入れない場合には、しばらく忠告を止めて、かれが自ら悟るのをじっと待つのがよい。そうではなく、あんまり何度も忠告すれば相手の嫌悪を招くだけだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」289頁

 人情と仁義礼智信

 仁義礼智信という五つの徳は、人情に由来しているのです。人情をはずして、人びとの徳の行いはないのです。人情をはずせば、人間は、動物のように心が狼、やまいぬ同様になっていくのです。後世の儒学者たちは、人情を忘れて、礼によって節度を保ち、義によって正しい判断をすべきということで、天の理によって、徳を考えるということを伊藤仁斎は次のように批判しているのです。

 「五常仁義礼智信)をはじめ、もろもろの行いはみな人情に由来している。人情を外にして別に天理というものがどうして存在しようか。いやしくも人情に合わないならば、たといどんなにむつかしいことをやりとげても、心は狼・やまいぬ同様ということで、決してよいこととはいえない。

 すべからく礼によって節度を保ち、義によって正しい判断をすべきである。後世の儒者は好んで公の字を持ち出すが、その弊害はついに道を妨げるまでに至っている。是を是とし、非を非とするたてまえから、親しいものと縁の遠いもの、身分の貴と賤などいっさい区別せずに批判するのを公という」。貝塚茂樹伊藤仁斎」296頁~297頁

 自分の利益よりも他人を立派に

 徳の道を求めるものは自分の利益よりも自分以外の者を立派にならせることができるとしています。仁徳のある人との交わりは大切です。すぐれた先生や友人との交わりによって、徳が完成していくと伊藤仁斎はのべます。

 「道を求める士というのは、その志を全うするためには、自分の利益になるといっても、それをしない事柄があるものだ。仁徳のある人というものは、その他によって自分以外の者を立派にならせることができるものだ」貝塚茂樹伊藤仁斎」350頁

 「人というのは、すぐれた先生や友人がいないと、その徳は完成しない。先生や友人のよい影響を受けてだんだん人格が形成してゆくということができるという利益ははなはだ大きいものがある」。貝塚茂樹伊藤仁斎」351頁

 ところで、他人の悪いところは、誰でも目につきやすい。しかし、他人が悩んでいることには、気がつかない。自分に対しては、寛大ですが、他人に対しては、過酷になりがちです。常に思いやりという恕のこころが人との交わりで大切になってくるのです。このことについて、仁斎は、次のようにのべます。

 「他人の悪いことは目につきやすいが、その人の悩みに気づきにくいものだ。自己をおさめるときには寛大にし、人を遇するときにはきまって過酷になる。これは人に共通する欠点だ。だから恕を心がけとするときには、きびしく人をとがめだてすることなく、よくその過ちをゆるして、その人の困っているのを救うものだ。その効用は言葉でいいつくせないほどのものがある。・・・ほめるときには、それこそしらべたうえではじめてそうするのである。実質がないのにほめることはひない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」358頁

 人との交わりにおいて、自己に寛大に、人には過酷になりがちな欠点を克服していくために、ほめることが大切としています。

 身近な問題の大切さ

 広く学問を修めるときは、熱心に志すことと身近な問題について、よく考えることをすれば、空理空論のことに目を向けることがなくなるというのです。

「広く学問を修めるならば、問題を追及するときに、念を入れることになる。熱心に志すならば、道を信ずることが実質的である。きびしく問うならば、ふらふらして確固としないという心配はなくなり、身近な問題についてよく考えるならば、高遠なことばかりに心を向けるという弊害はない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」421頁

 仁斎は人間性に即していない道徳は真の道徳ではないとのべます。道理は人間関係のなかにあるもので、身近な問題から離れて、天の理にあるのではないのです。

 「道理とは仁義礼智である。これらの重要な道徳のなかに、人間はしっかり閉じ込められていて、少しの間もそこから離れることができない、離れてしまえば、人間が人間でなくなってしまう。それゆえ、人間である限り道徳は必ず守られる」。「道理は人間関係のあるところにこそ行き渡って行われ、そもそも人間がいない地域か、あるいは、はなはだしく未開であるなら、道理も何もあったものではない」。童子門76頁~77頁

 人間の社会が存在することによって、道理があるのです。文明があれば徳があるのです。文明のない未開社会は、人間社会が生まれていないというのです。

 適性をのばすことの大切さと人生の自由選択

 仁斎は、自分の適性を伸ばせば、人に好かれる生活に変えられると語っています。そして、教育の環境があるのです。どのような教育に出会うか。人は様々な環境の差によって、育っていくのです。学習の様々な条件を意識的に変えていくことも必要なのです。その際に、自分が何に向くのか。何をやりたいのか。自分を見極めていくことが不可欠になってくるのです。

 「人間は生まれつき似通ったものであるが、成育や生活の習慣に差があれば隔たりができる。また、人間は教育を受けるか否か、どのような教育に出会うかによって非常に個人差が生じるもの」「学習のさまざまな条件の差が生じた事情から、学習によって自分が何に向くかを見極め、適正を伸ばすべく力のある限り努めるなら、性格のよろしくない側面を率直な、人に好かれる性質に変えることができるのだ」。童子門86頁~87頁

 仁斎は、人には自由選択の道があるとのべます。人は自分で運をえらびとる方法があると言っているのです。「天には必然性という原理があり、人には自由選択という道、つまり生き方がある。善をなせば百の幸福を降し、不善をなせばこれに百のわざわいを降す。積善の家には必ず余慶あり」。貝塚茂樹伊藤仁斎」176頁

 人を教えるのに臨機応変

 人を教えるのは、臨機応変にやり方が大切と仁斎はのべています。後世の儒学者の教育方法は、自分のできることを教え込むだけであり、これでは、生徒たちを駄目にしてしまうと伊藤仁斎は、批判しています。

 「孔子は弟子を教えるにあたって、時にははげまし、時には、抑え、それぞれ臨機応変のやり方をされる。それはあたかも、天地宇宙の原理において、陽のときには伸びひろがり、陰のときには衰えちぢみ、万物が四季陰陽の大きな流れの中で、季節、季節に応じて成長したり衰退したりするようなものである。

 ・・・後世の教育者には、自分ができることだけを世の人材におしつけがましく教え込もうとする者が多い。孔子のやり方とはたいへん違っている。真に師大たる道を知らずにやる教育は必ず生徒をだめにしてしまう。つつしむべきことではないか」。貝塚茂樹伊藤仁斎」253頁

世間に同調と自分の考え

 徳をもった君主は、自己の徳や考えの節操を守ることは大切ですが、人びとと異なった考え方を高尚ぶることはしない。自分と他人を同等で考えて、いい加減に世間に従うことはない。つまらぬ人間は自分の存在を意識しているだけであるから、争うことはしないと言うのです。

 「君子は、人としての正しい道にしたがって自己の節操を守るが、人びとと異なった考え方をして高尚ぶつものではない。だからおごそかにしていながら、人と争うことはない。

 自分と他人とを差別なく平等に扱うが、いい加減に他人に同意して世間に従うことはしない。だから人びとのなかにありながらへつらい同調することはない。つまらぬ人間は、自分の存在を意識しているだけだから、争わずにおれない。権勢と利益ばかりを考えているから、衆人にへつらい同調せずにはおれないのだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」357頁

 権勢と利益ばかり考えている者は、衆人に同調せずにはいられない。現代社会は、多数決主義選挙という民主主義ということで、大衆に迎合して、へつらい、世間に従う為政者が多くなっているのです。世間に同調していくことが、権勢と自己利益を得ていくことになっていく。

 それは、民のために、一般大衆のためになるとは言えないことが多いのです。むしろ、意識的に世間ということで、世論をつくりあげていくことが、SNAやマスコミの発達の情報社会の特徴です。世間の意見が必ずしみ一般大衆の現実の生活からの意識形成とは言えないのです。とくに、複雑な様々な社会的な構成などによって、現実の人びとの生活実体を把握することが難しくなっているのです。また、社会的意識も日々、流動しているのです。

 仁斎は、人が行動していくうえで、心がけることの内容について次のようにのべます。「敬とは、うやうやしく仕事についておこたらないことである。自分が敬であったかどうかを反省すれば、事にあたって失敗はない。

 いつも問いただすことを考えていれば、疑問がたまることはない。一時のあせりからおきるのちの難儀に思いをいたすなら、焦りは必ず思いとどまるようになる。いい加減な気持ちで利益を手に入れることはしない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」377頁

 和ということの大切さ

 和という課題は、現代社会のように多様な生活実体、様々な職業、暮らしなりあい、生活様式の複雑性から、極めて大切な課題とあっています。伊藤仁斎が生きていた時代と比べれば、和を保つことが一層に難しくなっているのです。

 和は人間関係において、美徳ということすら、消えているのではないか。徳の道がすたれていくのは、和を大切にしていくけじめをつけていくという仁斎の言葉を確認していくことも重要ではないかと。

 「礼はこれ和を以て、貴としと、為す。和とは反抗がないことである。礼が行きすぎる、人民ははなれる。だから礼を実行するにあたっては和を大切にするのである。和を知って和すれども、礼を以ってこれに接せざれば、また行なわれべからざるなり。

 ・・・礼は、和のみを専一にしてはおれぬ。その意味はひたすら和を大切にすることを知っても、礼によってこれを調節しない、活気がなくなり病的になって、また実行できなくなる。

 和とは美徳で、礼において大切にされているものである。人びとはだれでも和を大切にすることは心得ているが、礼のけじめがくずれことになるのも、その和にかかっていることを心得ない。そもそも道がすたれるのは、けじめがくずれることからはじまり、けじめがくずれるのはきっとあまり和を大切にすることからおこる。貝塚茂樹伊藤仁斎」55頁~56頁

 深く修養している徳のある人物は、仁義の道理をもって、幅広く物事をみることができるというのです。自分の深い道理から他人と同じくしない、基本姿勢をもって、とくに小人の徳の不十分な人たちに迎合していくということが、和ということでは決してないことを伊藤仁斎は力説しているのです。

 現代的には、決して大衆迎合主義というポピリズムになっていくことが和ということではないのです。そして、自分たちの基本的な理念を投げ捨てて、妥協していくということではないのです。和とは、深い幅の広い徳をもって、現実的な生活や状況に即しての、お互いが道理を、理念をもって、行動の内容においての和なのです。

 「君子は和して同ぜず。小人は同じで和せず。君子(徳のある人物)は、心が調和しているので、他人とさからうことはないが、一方で正しい道に従っているので、いつも他人といっしょにするというわけにはいかないのだ。小人は反対である。君子がこころがけるのは、仁と義につきる。調和すれば、他人とはなればなれにはならないし、他人に、同じなければ自分の心を失うことはない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」300頁

 伊藤仁斎の和についての考えは単に自分の考えを放棄して、他人の意見に合わせていくということではないのです。自分自身の道理、考えの基本を失わず、他人といっしょにするということになるのです。ここでは仁と義の道理が大切にされるということです。

  学問するうえでの統一と専一と人間の暮らしの知恵

 学問を進めていくうえで、多学ではなく、様々な分野の総合的な側面からの統一した視点の重要性を伊藤仁斎は強調するのです。

 「思うに、統一と多学とは反対である。統一されていれば、得るところがあり、二つ三つに分ければ、失うおとになる。統一されていれば、成功し、二つ三つになれば失敗する。だから、学問をしようとするものは、わき道に心を向けたり、多方面に進むことを求めたりせずに、統一に統一を積み重ねて、最高の統一に境地に達したときには、君臣・父子・夫婦・長幼・盟友の5つの道やあらゆる人間の行為、礼儀や音楽、その他の文化行為はすべて一つに統合され、それ以外のものを求める必要がなくなる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」346頁

 学問は、多学ではなく、統一という視点を力説するのです。様々な考えがあるということで、それを一つの道理をもって、統一していく大切を指摘するのです。人間が生きていくには、いろいろの分野があります。人間の行為、礼儀、音楽、文化的行為など様々な側面からの現実と行動の方法を総合化していくという統一の探究があるのです。

 伊藤仁斎は学問をしていくうで、最高の統一の境地に達することを推奨しています。そして、専一することと、熟達の努力を強調しているのです。様々の分野について、いろいろの考えを統一して、総合的にみていくことと、自分の社会から与えあれた役割分担、専門を熟達していくということも求められるということです。一見、矛盾するようですが、統一と専一・熟達ということは大切なことなのです。

 専一と熟達の心をもっている人は、道理を心がけているので、皆、誠心で行為が誠実にでるとしているのです。学問をする人は誠実であることを基本としているのです。しかし、後世の儒者は、高遠高尚な真理の探究はそれではないと自らの一つの教義をたてていると批判しているのです。後世の儒者の高遠高尚の真理の理論は、実際に役立つ道理や実地の行動を忘れているというのです。

 「学問をするのに大切な点は、専一であること、熟達することになる。専一でなければ成功しあいし、熟達しなければ効果があがらない。そもそも、道理に通じることを心がけている人はみな、言葉に誠心があり、行為が誠実でつつしみ深いということが、立派なことであることを知っている。

 しかしながら、それだけの効果があるものを見たことがないのは、専一ではなく、熟達しない結果である。必ず専一を心がけ、熟達するように努力してはじめて、自分が相手の目前に立ったり、目につく場所によりかかるようにして近くを通るのを見せたりするときに、相手はその人の考えを無視できないで、広くさかんにその考えのとおりに行うようになり、だれもさえぎることはできなくなる。

 ・・・誠実であるということは、学問をする基本であり、ねんごろでつつしみ深いのは、学問をする素地である。昔の学問をする者は始めから終わりまで、あらゆることにこの二つをつくしてきた。

 後の世の儒者は、誠実であり、ねんごろでつつしみ深くすることは、日々いつも務めることであり、深遠高尚な真理に到達するための理論ではないと考え、とくに一つの教義をたてた。これはとりわけ次のことを理解していないのだ。すなわち道というのは、実際に役立つ道理であり、学問というのは、実地に行うつとめであるということを」。貝塚茂樹伊藤仁斎」348頁~349頁

 学問をする根本姿勢について、伊藤仁斎は、専一で、熟達していくことを重視しています。専一して、熟達しなければ学問の効果はないというのです。そして、道理に通じている人は、誠実であるということで、この誠実さを強調するのですが、後世の儒学者は、誠実さを否定しないが、それだけでは、深遠高尚な真理に到達することができないとしていると伊藤仁斎は批判するのです。仁斎にとって、様々な分野の統一、専一と熟達、誠実をことさら重視しているのです。

人間が生きていくうえで、祭り

 人間が生きていくうえで、祭りという行事は、人間の原初に帰る感情として大切な礼の心であると仁斎は考えるのです。人間の原初は祖先に帰ることだというのです。万物は天であるということで、生きていることの感謝のお返しとしての祭りの礼ということです。

 「祭りの礼は、人間の道の根本であり、祭りに誠意をつくさないと、人間の道が不十分になることは、いまさらいうまでもない。およそ、人間は祖先が根本であり、万物は天が根本である。やまいぬやかわうそのような賤しいものでも根本にお返しすることを知っている。根本にお返しする心は人間のお自然の感情である。聖人はやむにやまれぬ自然感情にもとづいて祖先のみたまを建て、いけにえを供え、ふたものとたかつきをならべて、根本にお返しをし、原初にかえる感情をあらわした」。貝塚茂樹伊藤仁斎」89頁

 祭りは、根本に祖先にお返しをする人間の礼と、自然の恵みに感謝するということです。祭りは、原初への厳粛な礼と自然の恵みに祝う行事を、盛大に熱気を込めた行動で感謝の念を表すことです。

 ここには、人間であるがゆえにもっていた感謝に対する自然感情の発露でもあるのです。人間のもっている感情の自然性、人間が自然の恵みに感謝することからも大切なことです。日本では、正月の初もうでから四季をとおして、節々に年中行事があります。節分、ひな祭り、端午の節句、お田植祭、七夕祭り、お盆、十五夜、収穫祭・新嘗祭など地域ぐるみで行われ、現代では、地方の観光にもなっています。

 祭りには厳粛な祖先に対する儀礼の要素と自然の恵みに感謝する人間の発露があることを忘れてはならないのです。祭りには神輿や山車だでて、熱気あふれる祝いの行事として、観光的要素も加わり、多くの人々があつまるのも現代の祭りです。

 また、現代は、人工的に作られていくことがあまりも多く、自然的な人間の感情ということすら気がつかない時代になっているのです。人間の暮らしと自然という根本の問題する忘れてしまうことがあるのです。つまり、人間は自然によって生かされているのです。自然がなければ人間は生きていくことができないのです。そして、人間自身が自然なのです。人間のもつ豊かな感情、意識、思考を自然のなかで再考されることが求められているのです。

 

 本論では、ヒューマニズム・仁愛、人間の欲、仁政、ヒューマニズと人間の生き方という4つの視点から、それぞれにわけて伊藤仁斎ヒューマニズム・仁愛についてのべてきました。江戸の元禄時代に活躍した儒学者ですが、現代での通じる徳の問題があります。徳ということとりも人間の生き方を哲学的にみていくうえで、大いに参考になる考えだと思いました。