社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

直耕で自然活真の世を ―安藤昌益の人類未来社会論を考える―

直耕で自然活真の世を

―安藤昌益の人類未来社会論を考える― 神田 嘉延

 はじめに

安藤昌益は、江戸中期に生きた思想家で、四民平等と平和の自然活真の世を展望しました。既存の儒学・仏教・神学を批判して、王、武士の階級社会を農民から租税を取り立てているとして、生産物を盗み、乱をつくる原因として告発しています。為政者に仕える聖人、武士をはじめ、商人、職人、医者、僧侶、神官などに直耕をすることを提唱したのです。

農民こそ直耕をする天道の人としての正人とした。自然活真の世は、自然真が自感して、一気になって、すべて二つの互生から展開していくとしたのです。その営みは、常に循環してとどまることがないとした。

 安藤昌益の思想は、現代に生きるわれわれにとって、新自由主義による弱肉強食のもとでの格差社会の著しい現象の問題を解決していくヒントを与えてくれます。また、大量生産と大量消費、大量廃棄物ということでの自然破壊の問題解決にもヒントを与えてくれます。現代は、環境問題に悩み、地球気候危機を引き起こしているなかで、人類の気候危機克服、自然循環、平等を実現していくうえで、過去の思想家からも積極的に学ぶことが必要な時代です。未来社会を考えていくうえで、自然循環を考えた過去の思想家は、多くのヒントを与えてくれます。    

本論は、中央論社の日本の名著シリーズ野口武彦責任編集「安藤昌益」を読んで、人類の未来社会を考えていくことにします。参考にした引用の概要の頁は、その都度に、表記します。

 

  • 自然活真と直耕

 

自然活真とは

安藤昌益は、自然とは何かということで、それは、互生・妙道の呼び名としています。互生は、はじめも終わりもないひとつの土活真が自行することであるとするのです。

たとえば、木は物事の始めをつかさどる性であるが、同時に、その内部に終わりをつかさどる水の性質を含んでいます。水は物事の終わりをつかさどるが、内部に始めをつかさどる木の性質を含んでいます。だから、木は単純に始めであるわけではなく、水は単純に終わりであるわけではない。二つの性は相互に補完しあって、終わりも始めもないのです。

火は物事の動きをつかさどるが、収拾の性として金を含み、金は収拾をつかさどるが、また、始動の性たる火を含んでいます。それらが、妙道とよばれるものです。道とはその互生の働き(感)です。

土活真の自行は、だれも教えず、習わず、増すことも減ずることもなく、ひと(自)りする(然)のです。だから、自然と呼ぶのです。

活真とはなにか。活真の土は宇宙、すなわち天と海(転地)の中央にある地です。そして、活真とは天の中央に宿っている精気(土真)の称号です。土真はそこでつねに生き生きと活動して終わりもなく、ひとり感行して休止死滅を知らない。天の中央に位置して、その座から動くことがなく、その自行はいささかも間も停止することはない。野口武彦責任編集「安藤昌益」中央公論社、77頁参照。

以上のように、安藤昌益の基本的な概念になる「自然」と「活真」について説明しているのです。自然のついては、相互に依存しあい共生なる関係をもって絶えず循環的に動いていくそれぞれの互生について説明しているのです。

また、活真は、土活真という天と海の中央の地で、常に宿っている精気をもって生き生きと活動していることを指しているというのです。物事を静態的にとらえていくのではなく、循環的に精気をもって動いていくことを見ているのです。

 

 直耕とは

直耕とは、天と海とに昇降する気が地と和合して、通期、横気、逆気の三種類に循環して、穀物、男女(ひと)、鳥獣、虫魚、草木となって生まれていく。これが、活真の無始無終に生産しづけてやまぬ働きをするというのです。活真は全体が土活真で、自行して、天と海とをかたちづくり、人間の身体、四肢、臓腑、精神作用、感情、行為などを作り出す。

通に転回してはいつも天となり、横に転回して海となり、逆に転回しては地となる。その作用がひとたび極まり尽くされてから今度はさらに逆に発して穀物となり、通に開いて男女(ひと)となり、横にめぐって鳥獣虫魚となり、また、独立して草木となる。このようにつねに生産し、直耕してやむことがない。だから人も物もすべてがそれぞれ一つの活真の分身なのである。これを名付けて営道という。自然真営道と題するゆえんである。

人家のいろりは小宇宙であるとしています。炉のなかの薪は進木、煮え湯は、進水で両者が互生であると。薪の燃焼作用が盛んで湯が蒸発してしまい、煮え湯が用をなさなくなるのは、煮え湯の沸騰作用で盛んであふれ出し、薪が消えて役にたたず、進木の用をなさなくなります。

これは、水進の性になってしまうからです。薪と煮え湯との勢いが均衡を得ていればこそ、両者の相反する性質が相互に程よく作用しあって役にたつものです。

鍋蓋は退木、鍋の水は退水であって、この両者は、互生です。蓋の作用が盛んで圧迫するときには、水が減って用をなさなくなります。

これは、退水の性が蓋の退木の性に同化されてしまうからです。また、反対に、水がたくさんありすぎて蓋が浮かび、隙間ができると、今度は蓋が役にたたなくなります。蓋と水の均衡を得て、はじめて互生の妙用を得るのです。燃える火と鍋のつるとの関係。鍋のなかの蒸気と鍋との関係。これらも進火と進金との関係、鍋の中の蒸気の退火と鍋の退金との関係も前期と同様の互生の妙用として説明しているのです。前掲書、78頁~80頁参照。

四行の気がそれぞれに進退し互生の関係にある八気は、本来全体として一気です。一行でもかければいろりの妙用は一度に失われます。薪、燃える火、鍋金(なべかね)、煮え湯とすべて相なって、そろそろと鍋に暖気がいたるのは通気です。鍋の中が煮え立つのは横気です。

食物が煮え熟して味がよくなるのは逆気です。逆気にいたって味がよくなるのは、天と海との八気八節の気行が互生をつくしながら一年の間の妙行する働きです。その働きが炉の中に備わっているからです。宇宙の八気互生の微妙な気行はことごとくいろりの内部に備わっているのです。

その備わりは、人間が穀物や豆を煮て食べるようにするためです。天下万国の一軒一軒の家の作り方は違っていても炉中の四行八気互生の妙用はどこも全く同じです。

この炉の働きに助けられている人間であるがゆえに、人間の生業が同じく直耕であり、たとえ何万の人間がいようとしても一人の人間としての一つの生き方しかないことは明らかです。

人間の世界に、はじめて男女(ひと)が生じたとき、その暮らのなりあいをだれが教えただろうか。だれから習っただろうか。知る者は一人としていなかったはずであります。

安藤昌益は、以上のように炉の暮らしから四行八気を説明しているのです。とおろで、人間は、自然の草木や動物を生きていくために、自然そのものから採取、狩猟することから、積極的に生産し、生産物を加工していくようになったのです。炉を通して、食べるという行為も、その基本的な典型です。

安藤昌益の炉と鍋と火、水などの食べることを通して調理していく関係は、健康で、文化的に人間が生きていくうえでの基本的な営みなのです。人間は、食べ物を生産して、加工することによって、暮らしが豊かになって、人口の増大がはかられたのです。そして、自然そのものものの暮らしから、人工的に自然を作り変えていくのであった。それが、自然循環の側面からみるならば、開発ということから、自然の秩序の破壊へと向かうこともあったのです。近代社会は、その破壊が著しく進んでいったのです。

火を利用して、鍋で煮ていくことでの炉の働きは、人間にとって大きな生きていくうえでの行為です。原始的なヒトの生のままを食べるということから、家族や仲間としての絆と文化をもった人間になることによって、人間的に自立発展していくのです。生産した穀物も火で煮て加工して食べるということで、胃腸という人間の体のなかでの栄養吸収や病気の予防にもなり、さらに、重要なことは、味を楽しむ食生活をするようになったのです。

人間は食べ物を加工していくということを生きる知恵として発達させ、味を文化として大切にしていくために微生物を利用しての様々な発酵食品の開発したのです。塩漬け、燻製、天日などで長く保存していくための加工も縄文の時代という古の社会から獲得していったのです。安藤昌益の指摘する炉の暮らしから、現代社会の原理的な暮らしの在り方を考えていくことにおいて、ひとつの哲学的なヒントになるのではないかと考えられます。

安藤昌益は、人間の顔には宇宙に通じる門があるとのべます。人間の顔と炉の営みを類似させて、四行八気を安藤昌益は、説明していきます。

安藤昌益の考える世界の人間の顔面には、臓腑の八気互生が現れ、そのまま宇宙と通じているということになります。その門が八門です。臓腑のうちで胃は炉の内部に等しい。胆は薪、肝は鍋蓋、小腸は燃える水、心臓は鍋中の蒸気、大腸は、鍋づる、肺は、鍋金(なべかね)、膀胱は煮え湯、腎臓は鍋中の水ということです。安藤昌益の考える顔面や身体の臓腑の八気互生は、人間にとっての健康をみていくうえでも大切な見方です。

これらを腹中の土活真とするのです。人間の顔面と臓腑、それと炉の内部との間に同じものが備わっています。進木は瞼と胆と薪、めだま、肝臓と鍋蓋は退木、進水はみみわ、膀胱と煮え湯です。

退水は耳穴と腎臓と鍋中の水です。進火は唇と小腸、燃える火、退金は、歯と肺、鍋金、退火は、舌と心臓、鍋中の蒸気です。顔面と臓腑と炉の内部では同一の備わりがあるのです。

八門から宇宙の気を人身に通じ、人身の気を宇宙に通じて、大にしては宇宙、小にして、人身です。それらは、進退・互生・一活真のおのずからの活動です。顔面に備わる八門に差別がないことは上の身分の高い聖人・王者の顔だから九門、十門もあるわけではないのです。

下は賤しい貧民の顔だからといって七門か六門しかないわけででもない。大きな顔、小さな顔、長い顔、短い顔、丸い顔、角ばった顔などはあるが八門が備わっていることは全く差別がない。人間に上下貴賤の差別のないことの自然に備わった明白な証拠です。

炉の中で薪を火で火を燃やし、鍋づるを掛け、鍋を使って煮え湯に食物を入れ、食物をよく熱で蒸し、鍋蓋の下の水気で食物をやわらかくし、味をよくしあげるのは、人間の食生活のためです。食物は穀類です。穀物は耕すことなくして成らない。だから、炉中の妙用はただ食穀のために備わるものです。

炉中の八気互生、通・横・逆は、穀物を煮て食うことです。煮ないままで食うと、生命の気に身体を損なって長く生きることはできない。だから、人間は穀物を煮て食うのです。煮て食うのは天寿をまっとうするためです。

煮て熟して食べる間は、人間の精神・感情・行動・事業いずれも正常である。煮た穀物を食い、臓腑を養えば、臓腑の八気互生が顔面にいたって八門を開き、互生の妙用を尽くして宇宙と人身とを通じるのです。だから四府四臓は互生の八気、四体四肢は互生の八気、四神四情も互生の八気です。いずれも人身に備わる道です。

ただ日ごろからいろりを眺め、人の顔観察し、我が家の炉とわが面部とに備わっている事実をもってこれを知り尽くしのです。これは、自然の備わりです。

人間の八門こそが真理です。人間の顔面は自然の活真、八気互生の妙道の備わりをあらわす宇宙の源で、人体の根です。だから、そこに備わる八門の他には何の加速もない。互生の気行もないのに薬が府臓の助けにあるはずがない。無理に薬を用いれば人を殺すことになるのです。

 

儒教・仏教と安藤昌益の自然の世の違い

安藤昌益の考える自然活真の世は、五常五倫と、五門にしか備わらないことはなく、四民などとして四門にしか備わらないことはない。そこでは、天下を治めるなどといって一門だけが他の七門を治めるという現象はなく、賞罰政事などといって、八門のうちに何々は功績があるから誉めよう、何々は過失があるから罰するということはまったくない。

聖人の五倫は自然にあらずということで、君臣、父子、夫婦、兄弟、盟友の関係を儒学の聖人はのべますが、それは誤りで、祖父母、父母、自分、子、孫、その各々が夫婦であって一人、一人であって五人である人間としてとらえることでとするのです。そして、それぞれ、対の配偶者がいないという者はないと考えるのです。また、直耕との関係をぬきにして、仁義礼智信もあやまりであるとするのです。

悟りを開いて仏となるという見方も誤りだと言うのです。迷う者は凡夫にとどまるといった差別を立てて二門の備わりはないし、大衆を救うと称して一門だけが他の七門を教化するということはないのです。自然活真の世は、すべての人々が直耕して、欲を絶ち、盗賊、乱を絶って、自然活真として、人間が自由に働きかけて、活き活きと暮らすところです。そして、人間平等の社会です。

自然活真の世は、軍法合戦などといって天下国家を盗む備わりもない。極楽地獄という善悪の二別もない。六根と称する六門の備わりない。すべての上下・貴賤・邪性・和争の二別はない。あるのはただ八門互生、一活真の自行です。だから、道の備わりは、活真の自感、四行の進退、互生八分、一連する通・横・逆の運回、生々しく無始無終につきるというのです。81頁~86頁参照。

このように、仏教についても、様々な宗派の一門にかたまる世界も問題にし、心の迷い

の世界に閉じこめられた状態からを、迷いの原因の根本になっている直耕をせずに、それを民から盗み、天道を盗み、乱を起こしている根本の問題を据えて、批判するのです。

 

  • 自然活真の世における直耕・直織と天人合一

 

老子の自然観と自然の世の天人合一論

道とは無始無終の自然真の感ずる一気がひとり進退して、ひとり宇宙となるのです。一気は天に満ち、海に満ち、人の身体と心に満ち、万物に満ちて、自然の宇宙・人・物にとって唯一の道なのです。道の二道はない。

人間にあっては、言語とか行為とか心術とかは、みな一気です。この気は道です。虚無のうちに運回するものも気があるから、この気も道です。道は二道ではなく、唯一の道は一気です。天地は自然進退の無始無終であって、始めとか、終わりがあるものではない。人道・地道・天道は自然進退の一気です。これを別々のものと思って、虚無空寂とみることはできない。

安藤昌益は、老子を虚無と大道と人の常道ということで、本道の自然を虚無空寂とみて、道を二道とみていると批判するのです。

老子は道について、次のようにのべています。「道が語りうるものであれば、それは不変の道ではない。名がなづけうるものであれば、それは不変の名ではない。天と地が出現したのは、無名からであった。

有名(名づけるもの)は万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。まことに永久に欲望から解放されているもののみが妙(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されていないものは、「きょう」(ものごとの帰着点・結果)だけしかみることができないものだ。(1章)世界の名著「老子荘子中央公論、69頁。老子は道には神秘主義として、いっそうにみえにくいと妙という本質がでてくるというのです。

老子の考える天下を治めることは、人民が行動しないように、ことばのない教えをするのです。それは、物を育てても権利を要求しない。仕事をしとげても、そのことで敬意を受けようとしないことです。

「天下すべての人がみな、美を美として認めること、そこから悪さの観念が出てくる。善を善として認めるおと、そこから不善が出てくる。有と無は互いに対立から生まれ、難しさとやさしさは互いに補いあい、長と短は明らかにしあい・・・。

聖人は行動しないことにたより、ことばのない教えをつづける。万物はかれらによってはたらかせてもその労苦をいとわないし、かれは物を育てても、それに対する権利を要求せず、何か行動しても、それによりかからないし、仕事をしとげても、そのことについて敬意を受けようとしない。自分のしたことに敬意を受けようとしないからこそ、かれは到達したところから追い払われないのである」(第3章)70頁~71頁

人民を統治する方法として、美を美として認めること、善の観念を育てること、仕事をしても敬意を受けようとしない観念ということで、積極的に仁徳を教えることは得策ではないと老子はみるのです。

老子は人民に欲望や知識のない状態にすることが、人民の間で競争をなくすこと、人民の心を積極的にむなしくすることが、聖人の統治がしやすくなると、のべています。

「もしわれわれが賢者に力をもたせることをやめるならば、人民のあいだの競争はなくなるであろう。もしわれわれが手に入りにくい品を貴重とする考えをやめるならば、人民のあいだの盗人はいなくなるであろう。もし人民が欲望を刺激する物を見ることがなくなれば。かれらの心は平静で乱されないであろう。

それゆえに、聖人の統治は、人民の心をむなしくすることによって、人民の腹を満たしてやり、かれらの志を弱めることによって、かれらの骨を強固にしてやる。

いつも人民が知識もなく欲望もない状態にさせ、知識をもつものがいたとしても、かれをあえて行動しないようにさせる。かれらの行動のない活動をとおして、すべてのことがうまく規制されるのである」(3章)72頁。

老子にとって、水のように生きるということは大切なことになるのです。「上善はみずのごとし。水は善く万物を利してしかも争わず。水のよさは、あらゆる生物に恵みを施し、しかもそれ自身は争わず、それでいて、すべての人がさげすむ場所に満足していることにある。このことが水を道にあれほど近いものにしている。

人びとが住居をつくるには、地盤のしっかり土地をよしとし、いろいろな考えのうちでは奥深いのをよしとし、友だちと交わるには心やさしいことを、ことばにおいては信義あることを、政治的においては秩序だったことを、事の処理においては実効を、行動においては時をたがえないことをよしとするならば、いずれの場合も人は争いがない。(8章)。前掲書、77頁

安藤昌益は、老子の「上善は水のごとし」について、次のように批判しています。「水は人にあっては智であり、水中に五行がそなわっている。だから水の徳用が盛んなのである。四行の木・火・土・金の徳用も同じである。それぞれ別個のものではなく、水ばかりを称賛するのは偏りである」。名著シリーズ野口武彦編集「安藤昌益」中央公論、114頁参照

形のない、水は、無為自然ということで、何ら作為しないことで、無為自然を大切にするのです。道はつねに、何事もしない。だが、それによってなされることはない。欲望を断って静かならば、天下は自然に安らかになる。

ここでは、欲望のない状態を作りだすことによって、天下は自然に安らかになる。つまり、欲望こそが争いの源泉という考えをもっているのです。(37章)争いの社会をつくるのは、理想的には、諸侯や王が欲望をもたないことを大切とするのです。無為自然ということで、なにもしないことが理想の姿というのです。

天と地よりも先に存在した名のしらぬもの、それは、音もなく、がらんどうで、ただひとり立ち、不変であり、あらゆるところをめぐりあるき、疲れることがない。それは、天下、万物の母だといってよい。真の名をしいてつけるならば、「大」というべきであろう。道が大であるように、天も大、地も大、そして王も大である。世界に四つの大があるが、王はそのひとつ。人は地を規範とし、地は天を規範とし、天は道を規範とし、道は自然を規範とする。(25章)

空虚に向かって進めるかぎり進み、静寂を一心に守る。そうすればあらゆる生物はどれこれも盛んにのびる。わたくしは、それらがどこへかえってゆくのかwゆっくりながめる。あらゆる生物はいかに茂り栄えても、それらがはえた根もとにもどってしまうのだ。根もとにもどること、それが静寂とよばれ、運命に従うといわれる。運命に従うことが常とよばれ、運命を知ることは、明とよばれる。

常を知らなければめくらめっぽうにやってしまい、災いにあうおとになる。常を知る人は、すべてを包み容れることができる。容であることはそのまま偏見のないこと、公であり、公であることは、そのまま王であることであり、王であることは天であることであり、天であることは道であることである。道は永久なのである。(16章)

安藤昌益は、老子の虚無無寂について、次のように批判しているのです。「人道・地道・天道は自然進退の一気である。これを別々のものと思っている。自然進退の一気を知らないのである。虚無空寂をもって、自然として、今日の天地・人・自然と別個のものであるとして、迷っていると」前掲書、133頁参照。

 老子のみる自然は虚無空寂ということで、人道・地道・天道は別個のものと考えているが、実は人間が積極的に直耕して、自然の進退の一気として、天人合一となって働きかけていくことをさしているのです。

 

 孟子の人倫と安藤昌益の天人合一論の違い

 安藤昌益からみる孟子の人倫は、「初めから治める者と治められる者の区別があって、上下の制を立て、天道を盗んで以来、乱世となり、治まるとみて、また乱世となる。孟子は、かえって書物の学問をもって上に立ち、耕さずに貪食して庶民の直耕を責めとることを天下の人を治めることだと思いこみ、天下を治め、民を救うのに暇がないのだから、耕さなくても道にかなっていと考えたのである」。前掲書、186頁参照

安藤昌益は、孟子の和の考えで、はじめから治める者の上と、治められる民と区別して出発しているとしています。その法制から乱との関係で和をみることが間違っているとするのです。そして、天人和合という見方を深めて行きます。天道と人道は合一ということなのです。孟子は、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかずということで、学芸・法術の文章の理として論じているだけで、天の和、地の和、人の和が合一して備わっていることを論じていないというのです。

人の和に過ぎる道はないと誤ってみるというのです。人の和は、乱から生じるということですが、人の和を、仁をもってして、ひとたび治まるが、再び繰り返し乱が起きるというのです。

天の時と地の利とが和合して、人・物の子が実り、生じ、また生じて尽きることがない。これが天地の直耕である。だから、天下というものがあるのは、この天の時、地の利があるおかげである。

真の人の和を得ようとするならば、天の時と地の利とが直耕して、人・物を生ずるのと、人間の男女の直耕とが同行するときに、はじめて天・地・人が一和して無乱平安なのである。おれが真の人の和である。上に立つことを欲するときには、世はかならず乱れに乱れて乱が絶えることはないであろう」。188頁~189頁参照

人の和ということは乱から起きるのですが、その乱の根本的な原因であるところの天の時と地の利の和合というところの天地合一になる直耕の本質にふれていないのです。

 

 

士農工商の四民は立てるのは聖人の大罪

 安藤昌益は、士農工商という四民を立てているのは、聖人の大罪としています。武士がいるから乱が起きるというのです。武士は、君の下に身分を立てて、庶民の直耕の所産の穀物をむさぼり、もし気が強くて、規則・命令に背くものがあれば、武士が大勢でこれを制するのです。聖人の命令にそむき、徒党をなして敵対する者は、武士をもって討伐するのです。安藤昌益は、武士は乱世が絶えぬようにする用途であるとのべているのです。

「武士というものは乱世が絶えぬようにするための用途も兼ね備えているのであって、おれを聖人が製作したことは天の責めをまぬがれぬことである。君の下の士は、多くは耕さず食うから、耕す者が足りなくて乱世が到来する」。自然の世には、治乱の名はない」というのです。前掲書、274頁

贅沢品をつくる工匠は無用の長物であると安藤昌益は考えるのです。「美しい家や城郭を建てるため、諸器財を自由に入手するため、美しい衣服や美食で華美をつくるため、軍用品のため、いずれも自分を利するためにこれを兼ね用いているのである。無益に家を飾り立て、器物を作り、船を造って万国へ渡り、珍奇な物を運用させるのは自由に似ているけれども、はなはだ天下の費用となり、大乱の原因となるものである」。前掲書、275頁参照

贅沢品をつくる工匠を否定しているが、この問題を考えるときに、贅沢品が権力をにぎっていくうえでの贈答品になっていたことをみておかねばならない。現代的に贅沢品一般を否定しているのではなく、世の乱、権力を握っていく欲心、特権的に栄華を誇り、遊楽していることに、直耕せずに民の財を盗むことから出来るとしています。

その盗んだ財貨で快楽にしたっていることへの栄華への対価の象徴としての工芸品づくりを求めて、工匠につくらせていると批判するのです。さらに、安藤昌益の商人の見方は社会の敵、公敵として鋭く批判しています。これは、贅沢する上の人びとの欲求を満たすための物品を取引し、金銀を貯蓄していく君主などの上の人びとと結んだ特権的な豪商層に対する批判です。決して、江戸の都市で暮らす人々の塩や野菜、醤油や味噌など日常生活の小売をする商人層を指しているのではないのです。

 

金銀を採掘したのは誤り

安藤昌益は、金銀銭を採掘して、鋳造したのを自然活真にはずれると批判するのです。

「金を採掘して金・銀・銭を鋳造して、天下に通用させた聖人の所為に始めるところのものである。自然を誤るものといわなくてはならない。五行とは自然の妙用であって、金だけは山の土石中に隠れ伏していて外に現れないものである・・・人間の暮らしのためには、木、火、水、土で事足りるとするのです。「人間のために、木は家・耕具・用器となり、火は煮炊き、夜の灯火、暖房の用となり、水は煮炊きの湯、田畑の用水となり、土は居所・田畑となり、焼けば瓦や鍋蓋の用器となる。これによって人間のための用途はすべて事足り、調達される」。前掲書、276頁

金だけが五行のなかで山の土中に隠れているのです。金を掘ることは自然から外れることで、それを利用することが無用のものとするのです。そして、金は掘って、とるばかりで、それを土に戻さない。まさに、自然を破壊していくという大変なことになるとみているのです。「金を年々掘るばかりで、土に戻すことをしなければ、によって、土中では、金気の堅めが、弱く、天気は濁りやすく、不正の気が行われて人間は病気になりやすく、海の気は澄みにくく、水は沸きにくく、山は崩れやすく、河は埋まりやすく、地震は起こりやすく、人気はもろくなって体内に病気が発しやすく、山には木が生えにくくなるにちがいない」前掲書、276頁。

このように、金を採掘することに、警告するのです。直接的な因果関係ではなく、金の価値を重視することによって、多くの災難が人間社会と自然界そのものにもたらされていくということです。

人間の気持ちは金の効用によって、欲心が起きて、華美な暮らし贅沢と歓楽のために、金を求めていくというのです。ここでは、自然真の清浄、正直の心が金銭の欲望のためにかき乱されていくというのです。

「万国すべてみな欲に迷う。船にのって万国に渡り、国産の物品を金銀に替え、国に帰れなくなることもかえりみず、海外に渡航し、国ごとに市を開いて都市も田舎も物と金銭とを交易することになった。これを売買と称し、商いと名づけて制度とした。・・・

 耕さずに食育することができるものであるから、むやみやたらに利欲ばかりこだわり、自然の人倫の道は夢にも思うことはなく、ちょうど旅路に迷って方角を失い、狐と狸に化かされる者のように、一人が相手をたぶらかして利を得ようとすれば、向こうはこちらをだましすかして利益を得るというありさまです。ただひたすらに金銭のために身命の滅亡さ知らぬ始末です」。前掲書、277頁

 利欲ばかりこだわっている市での取引の状況を、安藤昌益は、狐と狸のばかしあいで、相手をたぶらかして、利益を得ようともがいている姿は、人倫の道は全く忘れ去っているというのです。

この状況から、争いや乱が起きると安藤昌益はのべているのです。「天下を奪ったり奪われたり、国を取ったり取られたり、家を滅ぼしたり、人を殺したり人に殺されたり、大は盗、小は賊の罪のため、刑罰・死刑されたりするのは、上下・貴賤ともにただひたすら金銭を欲する一事から出ているのである。だから、上の高位、富貴の善人というのは、金銭をたくさん持っている者の名である。下の無位、貴賤の悪人というのは、金銭をもっていない者の名である」。前掲書、277頁

「金は、気としては上昇して天の外郭を固め、土を堅めて崩れぬようにし、ひとを住まわせ、天気を剛健にし、海の水を澄ませ、人気を沸騰させる。これが金の用である。しかし、聖人は山中の金を掘り出し、金・銀・銭を鋳造して、これを天下に通用させた。これ以、世界万国で金のある所を穿(うが)ち掘り、金を宝とするようになったのである。

聖人は自由に器材を調達し、華美な暮らしをし、金銀を蓄えた飾ることが心のままでできるようになった。庶民はこれを見、金が通用するようになって以来、欲心というものを初めて起こすようになり、万人すべて金をもって諸用を弁ずることができるので、栄華を欲するようになり、そこで欲心がさかんに横行する世の中になったのである。・・・

この金を用いて諸物に易(か)え、自分の欲する物を足らせる。そこで上下の万人が金さえ得れば身の望み、歓楽を達しやすいものだから、一命に代えてもと金を惜しむ世の中となる」。前掲書、276頁~277頁

商人が社会の敵ということは、商いの制度をかかわっている人々をさしているのです。金銭を欲する人々が天下を乱して、混乱させて、欲心をあおっているというのです。自然活真の世の大罪と安藤昌益はみるのです。

そして、自然の世には四民はないというのが安藤昌益の考えです。「自然の人間は、直耕、直織する。平野の田畑に住む人間は穀物を生産し、山里の人間は材木屋薪を産出し、海辺の人間は諸種の魚類を産物とし、薪材・魚塩・米穀をたがいに交換することができるから、海浜・山里・平野の人倫はみないずれも、薪と飯と菜の需要をまかなうのに不自由することはなく、食と衣を安んじることができるのである。直耕の常業には、欲がなく、上下がなく、尊卑がなく、貧富もなく、聖愚がなく、盗みがないから刑罰もなく、貪ることがなく、知識も説法もなく、争乱もなく、歓楽もなければ苦しくもなく、色情もなければ軍戦もない無事平安の世である。

これは、金銭というもののない自然の徳である。しかるに、世に聖人が出て金銀の通用を始めて以来、自然の人行・心情は、時代ごとにくりかえし利欲にばかり倒錯し、上が天下を欲すれば中は国を欲し、下は利倍を欲するという状態になった。その欲するところはみな栄華を欲するのである。栄華は金銀によってのみ成就される」。前掲書、278頁

 

聖人の作った私法の世が迷い・欲・盗・乱の源

自然活真の世は直耕の世であると安藤昌益は強調するのです。「無始無終の土活真が自感する四行の進退、互生の八気、通・横・逆の妙道は天と海であって、すなわち土活真の全体です。男と女は互生、神と霊は互生、心と知は互生、念と覚は互生、八情が通・横・逆に運回し、穀物を耕作し、麻を織り、生々して絶えることがない。これが活真の男女の直耕である。天と海とは一体であって、上もなければ下もない。すべて互生であって、両者の間に差別がない。世界はあまねく直耕の一行一情である。これが自然活真の人の世であって、盗み・乱れ・迷い・争いといった名目のない真のままの平安の世なのである。しかし、聖人がこの世に出現し、耕さずに何もせずにいながら天道・人道の直耕を盗んでむさぼり食い、私法を立てて税を責め取り、宮殿・櫻閣をかまえた。聖人が自然世を堕落させた」。前掲書、244頁~245頁 

 迷い・欲・盗・乱が絶えることがないこの世の現実として、安藤昌益は聖人の作った私法の世を批判する。そして、上に正人がいれば、この世を自然活真の世に改めることができるとしています。「もしも上に活真の妙道に達した正人がいて、私法の盗乱の世を改めるならば、この世は今日にでもあまねく直耕活真の世となることだろう。しかし、上に正人がいなくてはいかんともすることができない。とはいえ、盗乱の絶えることのない世を憂いて、ここに上・下ともに盗乱の世でありながら自然活真の世に達する方法がある」。前掲書、246頁

 安藤昌益は、私法の上下差別という誤りをもって、上下差別を否定する方法があると、具体的に現状のうちから自然活真の世への道をさぐっていくのです。

 

すべての四民に直耕させる意味

国主・諸侯に自分の田を直耕させる方法です。上に立つものが臣下や一族が多いのは、乱を恐れるからです。だから、乱がないように専心すれば、臣下や一族を少なくすることができるのです。そして、上の領有する田地を定め、上の一族にこれを耕させ、これをもって衣食を足らせるようにすればよいのです。諸侯もこれに準じて国主の領田を定めて、同じように直耕することです。

諸国の遊民を禁止して、かれらに田地を与えて耕作させることです。金銀の通用を停止するのです。金銀は天下をあげて利欲が盛んになり、シナからインド・オランダ・日本を奪おうとしたり、日本から朝鮮を犯した琉球を取ったりすることが起きるのです。贅沢は乱の根源であり、金銀の通用は停止すべきとするのです。

家老・用人・諸役人・平士・足軽などはすべて必要がないので、みな相応に耕作させるのです。工人の職にあるものは、上に相応、諸侯と民にはそれぞれに相応の家屋や器材を細工するものとする。美々しい家や精巧な器材の細工はこれを禁止ずるのです。ふだん細工物の需要がないときは、やはり相応に耕作するのです。

耕さず貪食すし、天道・天下・国家を盗む根源である学問の廃止・賞罰を廃止することです。学者に土地を与えて、人間は直耕することで、生きていくことができるのです。身をもって知ることです。

 寺僧に真の仏法を教えるために、田地を与えて耕作させることです。成仏と天真を合一するのは、直耕することです。直耕すれば生き仏になるのです。地蔵とは地は田畑であり、蔵は田畑の実りです。観音とは観は直耕が天真の自感であることを観ることである。音は、天真の息気の感である。だから、観音は天真の直耕の呼び名です。薬師、不動、大日如来阿弥陀などの仏像も田畑や直耕、穀物の実りなどを表しているというのです。

神官には、天神・地神・万物の神・人身の神・八百万の神は、天の日神が四つ時八節に運回して直耕の妙道であると教え、神官は、直耕の大本であるとさとして耕作させるのです。

医者は危うくなった命を救うものです。人の命は穀精です。病人に穀食を勧め、危うい命を救うのが医者の務めです。人身の備わり、万物の具わりは、すべて八気互生の妙道です。

商人は金銀を通用させて売買にしたがうため、利欲が旺盛であり、上にへつらい、直耕する庶民たちをだまし、真道を知らぬ者であります。上・下を惑わして天下の恨みをつくり、天真の直耕を混乱させる公敵であり、天道への謀反人であるのです。

易・暦・天文・陰陽家は、直耕を第一と仰がなくてはならぬ家柄です。書物の学問をやめて、直耕してはじめて、その道に達することができるのです。

職人である染め物屋は、藍染め一品にかぎってこれを許可し、種々の美しい染色をすることを禁止する。その一族に耕作させることです。桶屋は水桶一品にかぎってこれを許可し、飾り桶のたぐいの製造は禁止する。その一族は耕作させるというのです。

安藤昌益は、贅沢品、贅沢の建物などを極力嫌ったのです。それらは、庶民からの税を取り立てて上の者たちが欲を駆り立てて、贅沢をするためのものであり、世の乱を招いているという理由からです。王、諸侯の上に立つものをはじめ、すべての職についているものが直耕することが大切であるという考えが安藤昌益の自然活真の世をつくることであるというのです。

「上が耕さずに貪食すること、贅沢を欲することをやめさえすれば、悪事や盗賊の根を絶たれ、下では賊徒が絶えて、おのずとゆたかになるのです。上が金銀を蓄えるのは兵乱のときにこれを用いるためである。上に贅沢の欲がなく、下の暮らしがゆたかであれば、たとえ願っても兵乱は起きることはない。すでに兵乱もなく贅沢、欲もなければ、金銀をいったい何のために用いるというのか」。前掲書、255頁

 安藤昌益は、自然活真の世をつくっていくことで、上に立つ君主や諸侯、聖人などが、耕さず、金銀を貯めて、贅沢していることが世を乱している大きな原因であるとしているのです。このことから、贅沢品をつくる職人や贅沢品を取引することの商人について、厳しく批判もするのです。例えば、藍染め一品に限って許可をして、種々の美しい染色をすることを禁止するというのです。ここには、上に立つものが贅沢品を消費することが、税を厳しく取り立てて農民たちの暮らしを苦しめているという状況を告発しているのです。商人も贅沢品を上に立つ君主や諸侯、聖人と取引することで、金銀を貯蓄して、贅沢を享受するということなのです。

 

交易とそれぞれの土地での直耕の生産物の違い

それでは、交易それ自身について、安藤昌益は、どのように考えているのであろうか。すべての暮らしていくうえで、自給自足にやっていけるわけではなく、それぞれの地域での産物を交換していくことの大切さも指摘しているのです。

それを安藤昌益は自然経済の物々交換の交易の役割としているのです。「すべて田畑にすることのできる土地からは、八穀の類が生ずる。穀精が男女(ひと)となるから、山岳地から遠く、土地が広くて用水の便のある場所に町や村を作るべきである。諸侯は戦乱する恐れがないのであるから、城をつくることを無用にして、住家を町家にするのがよい。山が近い所では、川の水があって田畑となりやすいところに村里をつくるべきである。海辺では、用水の便があり、河川が海に流れる土地に村々をつくるべきである。諸国天下どこでも、水の便がよくて田畑となりやすいところに村々をつくるべきである」。田畑をつくれるところに村々を設置することを望んでいるのです。そこでは、用水の便が大切にするというのです。そして、諸侯は、みんなが直耕し、特権的に贅沢をしない世の中で、争いのない太平の世をつくっていけば、城も必要なくなるというのです。

そして、それぞれの地域ごとの自然条件に適した生活材の生産を奨励して、その交換していく大切をのべているのです。「山が近い所では山の木を採って焚き木にしてよい。山が遠い所では、田畑になりにくい岡野に植林し、さきに成育した木を採って焚き木にし、採った後に苗木を植えて、林が伐採しつくされてしまうことのないようにこれを続ければよいのである」。このように、積極的に植林を継続していくことの重要性を指摘しているのです。自然のままの状態での木を伐採するのではなく、植林や苗を育てていく必要性を指摘しているのです。この行為を直耕になっているのです。

さらに、山里や海辺で、田が作りにくいところで、畑の多いところでは、工夫しての作物の奨励をしているのです。「山里や海辺で、畑が多く田が少ない土地に住む者は、栗・稗(ひえ)・黍(きび)・麦・蕎麦(そば)などを多く作り、米を少なく作って、直耕して食生活をいとなむのがよい」。

 広い平野で暮らすものは田を多くつくり、畑作での栗・稗(ひえ)・黍(きび)・麦・蕎麦(そば)を少なめにすることをのべているのです。「広い平野で、田が多く畑が少ない土地に住む者は、米を多く作り、栗・稗(ひえ)・黍(きび)・麦・蕎麦(そば)を少なく作って、直耕して食生活をいとなむべきである」。

莢(さや)穀の類としては、大豆・小豆・角豆(ささげ)・そらまめなどを主として栽培し、味噌を作って食べるのがよい。麻と綿とを耕作し、織って着るのがよい」。

以上のように、広く生活に必要な資材と食べ物を自給自足の生産をできる限りすることを奨励している安藤昌益です。そして、贅沢することを戒めているのです。「美食と美服とはこれを厳重に禁止しなくてはならない」。贅沢を世の大乱と考えた安藤昌益は、絹を衣服に用いることや酒を飲むことを禁止したのです。「絹はもともと蚕の巣であって、人間が衣類にするために自然に備わっているものではない。麻と綿とは天真から与えられたものである」「人間に備わっている食物は、穀物と野菜である。酒はもとより人間の飲み物として自然に備わっているものではない。人間のために大毒である」。

絹を素材にした衣服と着ることや酒を飲むことを禁止しているのです。まさに、これらは、贅沢にふけり、天道に反して、人の心を私欲によって、狂わせるという見方です。ここには、厳格な贅沢に対する禁欲主義がみられているのです。元禄時代に国内の商業が活発になり、贅沢品の絹を着る人びとが増大していくのです。

上に立つ将軍の一族、諸侯の武士、豪商、支配に仕える儒学者など、多くのものが絹の衣類の製品を着るようになったのです。儒教で、贅沢は社会秩序の逸脱を意味するとされたのです。江戸幕府贅沢禁止令で、農民の服装に、1642年に、襟や帯に絹を用いることを禁じたのです。百姓は、布・木綿に制限されたのです。江戸の元禄文化以降に、絹の素材の衣類を着る人びとの需要の高まりで、江戸近郊の農村も蚕を育てる農家が増えていくのです。

そして、従前に植えていた大豆の畑が少なくなり、東北の山間部の焼き畑農業に移っていくのです。焼き畑の大豆畑は循環的な農業ではなく、地力が衰えれば放棄されます。ところが、そこにくずが繁殖して、イノシシが激増していくのです。まさに、イノシシの被害が起きたのです。八戸の城下までイノシシが現れる状況になるのです。いままでの農業と自然生態系が大きく崩れていくのです。

広辞苑の辞書では、贅沢 の意味を、必要以上に金をかけること、分に過ぎたおごり、ものごとが必要な限度を越えていることとしています。この意味から、贅沢とはなにかということを時代によって、人びとの生活の水準や生活様式が変わっていくので、安藤昌益が生きていた時代に対応させて、深めていくことが必要なのです。

それでは、交易のことをどのように考えているのでしょうか。例えば、塩のように、生きていくことに欠かせない食材にとっては、「海の近い村の住人は、海水を煮詰めて塩を取り、諸国に送り出して、米・栗などの穀類と交易して食生活を営むべきである」。塩の生産者のように、交易によって、生活財、食材を得ていくことを決して否定してはいないのです。自然経済のもとで自給自足を大切にしているのですが、同時に、それぞれの地域の自然条件によって、適地適産ということがある現実をみて、それぞれにあった生産の奨励をしているのです。前掲書、251頁~252頁参照

 

  • 上に立つ者の直耕と政治

 

政治の徳と直耕

 政治は、自然のうちにあるものではなく、まさに天地宇宙の道にないというのが、安藤昌益の見方です。「治乱は自然の天道はなく、時々の君主の賢不肖にある。治乱とは政治のことである。政治が正しければ治まり、政治を失すれば乱れるのである。政治とは治乱の別名にほかならない」。前掲書、147頁

 安藤昌益は、徳を欠いた政治はかならず乱れるといわれていますが、しかし、大切な見方である天の直耕を見落としているというのです。つまり、秋の収穫がなければ自力で政治をすることができないということを聖人たちは見落としているのです。

「天が秋の収穫をもって人倫を養えばこそ、徳だの文だの政治だという私論ができるのである。もしも天の直耕による秋の収穫がなかったら、何を食べてこんな議論をするというのであろうか。私論などしなくても、ただ天とともに直耕して自力で生活すれば天に合致するだろう。

・・・徳行は、天道の直耕に似ているが、事実は耕さず天道を盗むものである。文字は、文字・書物だけの知識であり弁舌であり、人柄がいかにも天の行いに似せるけれども、やはり耕さず天の行いを盗むものである。政治の学は、これも天道の四時直耕の妙行に似ているが、やはり耕さず天道を盗むものである」。前掲書、149頁~150頁

徳を用いて国を治める、春の花の徳があり、しかる後にはじめて秋の収穫があるという徳の私論よりも直耕による秋の収穫による自力ということが大切なのだとするのです。徳行のことばは、天道ということで、騙されやすい気であるが、直耕という自然活真の人倫からみれば盗みとったことになるのです。

 ところで、孔子の弟子の曽子は、君主から俸禄を受けずに直耕して、食を賄ったのです。君主にへつらうことをしないために、禄をうけなかったというのです。こおことについて、安藤昌益は次のようにのべていす。「君主が自分に与える天道だ、といったのは君主にへつらうためではない。禄を受けまいと、思ってこういったのである。君主が禄を与えるのも、君主の所有物を与えるわけではない。国を盗んでいるのである。盗みの分け前を与えようというのである。だから、曽子は、自分が禄を受けたら天道を盗むことになると、言ったのである」。

「禄を受けて耕さずにこれを食み、無理に人の上に立ち、わずかな栄華に迷って天道を盗むようなことをしてよいであるか、天道を盗すんで罪をうける者が自分一人だけであるというなら別に苦痛はない。しかし、天道を盗んで耕さずに禄を食み、無理に人の上に立って天下を治めようとするのは、一見人々のためにかたじけないものであるから、その下はかならず乱世となって、天下国家大難の迷妄におちいってやむことがあいであろう。

 自分は天下の苦痛・乱逆が永劫に続くことを憂慮して禄をむさぼるいまいと考えたのである」。前掲書、178頁

 安藤昌益は、自分は曽子の思想の後継者として、自然真営道の学問統括で曽子の天道を示したのです。曽子だけが直耕こそが、天道であると知っていたが、それを書物に表さなかったので、後世に伝えることができなかったとのべるのです。

 

天下を平和にしようと欲するならば直耕の天道を上政に

天下を平和に欲しようとおもうならば、農耕の天道をもって上政を基準にすることであると安藤昌益はのべるのです。「農民は直耕と安食・安衣をもって天道とする。だから、天下を平和にしようと欲するならば、すなわち農耕の天道をもって上政とし、上主は直接手を下して農耕をしないにせよ、これをもって政治の極(基準)となして、不耕貪食の徒を減少させ、法を売る異形異相の者を根絶するならば、永久に乱が起こることはないであろう」。前掲書、194頁

安藤昌益は、農民の直耕から学び上政をすべきとしているのです。安食、安衣を基本に天道の政治を行っていけば、たとえ、君主が直耕しなくても、治世において、直耕するものを増やしていけば戦乱を起こすことはなくなるというのです。上の者が直耕することをしないえ、栄華と贅沢にふけっていれば乱のもとになるというのです。

「もしま上が耕さずに貪食して栄華・贅沢にふけったら、下はこれを羨んで財貨を盗み、乱をはじめるのである。上がこれを明察して栄華・遊楽の奢りをいっさいやめるのであれば、下にも羨望の心がなくなり、欲心をおのずから失わせるだろう。これはすなわ上がみずから盗みの根を絶つことである。だから下の者も枝葉の賊をみずから断ち切って、上・下ともに欲をも賊をも根絶したならば、たとえ願っても乱の名を知ることはないであろう。これがすなわち、また上・下の区別のある法世でありながら、そのまま自然活真の世であることなのである」。

上に立つ者が、耕すことをせずに栄華に贅沢をふけっていることが乱の根本原因であることから、その根を絶つために上下の区別をなくすことであるとしているのです。上が耕作せずに賞罰の制度を立てても天道を盗んでいることの根本を取り払うことが大切としているのです。無限に盗み・兵乱・罪悪・迷妄がとどまることがないのは、上のものが直耕せずに、栄華と贅沢しているのが原因なのです。

 

上・下の区別の困難性であれば上・下の分で自然活真の世に近づける

安藤昌益は、上・下の区別を絶つことが出来なくても、自然活真の世に近づく方法として、上・下の分を立てることをあげているのです。自然活真の世をつくっていくうえで、いきなり、上・下の区別をなくことをしなければ意味がないということではなく、それに至る過程を柔軟に示しているのです。この見方は、善悪の選択の判断基準を黒か白という単純な見方ではないのです。「上・下の区別を絶つことが不可能であれば、せめて上・下の分を立てながら上・下の差別のない活真自然の世に合致する道があることを明らかにして、ここで論じている・・・

もしも下なる諸侯や民が耕作や紡織を怠り、遊び奢り遊逸にふける者があった場合には、上はこれに刑罰や誅伐を加える。上はこのために上に立って政務を弁ずるものである。それ以外のことに関与してはならない。もしも生まれ損ねの悪人が出るようなことがあった場合には、その一族、一族にこれを殺させ、上の刑罰や誅伐を加えさせるはならない。これを村の自治とする。一族ごとにたがいにこれを糺して、いれば悪人のたぐいが生ずることがないのである」前掲書、253頁。

安藤昌益は、諸侯や民が耕作や紡織を怠るときは、上の者の政務として、刑罰や誅伐を課すことをあげているのです。そして、生まれつきの悪人の刑罰や誅伐については村の自治としているのです。

上・下があって上・下ではない世を安藤昌益は、模索するのです。上の贅沢の欲が、民を困窮させて、民が上を憎むのです。そこでは、民が上を心服することがなく、乱の原因になっていくというのです。従って、上が贅沢をしない、金銭をたくわえないことが重要だとするのです。

「上が耕さずに貪食すること、贅沢を欲することをやめさえすれば、悪事や盗賊の根が絶たれ、下では盗賊が絶えて、おのずと、豊かになるのである。上が金銭を蓄えるのは、兵乱の時にこれを用いるためである。上に贅沢の欲がなく、下の暮らしが豊かであれば、たとえ願っても兵乱が起きることがない。すでに兵乱もなく贅沢の欲をなければ、金銀をいったい何のために用いるというのか。・・・

上には上の領田を耕作させて衣食を安んじ、志ただ直耕を怠る者を刑するだけにさせるならば、下民の間に直耕を怠る者が出ることはないのである。上のものは下をいつくしんではならない。下の者は上を貴んではならない。上の者が下をいくつしまなければ、下の者が上の恩を誇ることはない。下の者が上を貴ばなければ、上が下の敬いにおごることもない。うえにおごりがなく、下に誇ることがなければ、上・下の区別はあっても上・下の身分の差別はない。ここにおいて、欲もなく、盗みもなく、兵乱もなく、賊もなく、病もなく、患いもない活真の世となるのである。」。255頁~256頁

上のもつ領田を上の者に耕作させて、上は、民が耕作を怠るものを刑するだけとするというのです。そして、上の者の心は、下をいつくしまない、おごりをもたない。下は、上を貴んではならない。恩をもってはいけない。このように上・下のもつ意識を変えていくことによって、上・下の区別があっても心や意識では、なくしていくということを安藤昌益は考えているのです。それには、まず上のものが領田を自ら耕すことであるとしているのです。

上の者も下の者も同じ人間であり、生きていくには、働くことであるのです。人間の情意や行為は活真の妙用であり、上の者が主として、活真の妙用を主導する職分をもっていると安藤昌益はのべるのです。

 「上、君主も人である。下民もまた人である。人々の他にこれといって形象を備えたものを指し示すことができないのが活真である。おのように、いかなる形象もなく、生きてひとり感(はたらく)ものであるからこそ、妙徳・妙用そそなえた真がおこなわれるのである。だから人間の情意や行為は活真の妙用である。

この妙用の主は活真である。主は上である。だから、下民の情意・行為・生業は、主たる主の妙用である。活真の職分をもって上に立ち、妙用をもって下民とする。・・・

現状のもとではやむを得ず上・下を立て、世を平安にしようとするならば、上・下という私制の言葉を宇宙活真の妙用に似せて世にあてはめなくてはならない。妙徳は上であり、妙用は下であるが、妙徳と妙用の間にはなんら差別がない。

上と下との間にもなんら差別もない。このように考えて上に立ち、政治をおこなうときは、上・下のある私法の世にありながら活真宇宙の妙道に合致し、治乱・盗賊・迷妄などの名もなくなるであろう。上・下ともに横気に落ちる罪をまぬがれて、永久に人の道、天の道から離れることはないであろう」。前掲書、256頁~257頁

安藤昌益は、孔子を世間で、聖人とみているが、人間が生きていく根本の直耕をすべての人々が行っていくことを言わないが、その弟子の曽子こそ、活真宇宙直耕の人道を体験して、禄をもらうことが君主にへつらうことになるとして、天道を盗むことになると考えて、辞退したのです。曽子は、直耕を積極的に実践した学者として、理想の正人として、評価するのです。天下を治めることが民の生きていく財を盗みと兵乱の根であることを孔子は知らなかったというのです。たとえ、上・下の別を立てたとしても、上・下ともに直耕して活真の妙道を失わずにいれば、欲もなく、兵乱もなく、安泰無地なのである。孔子の弟子たちで、曽子ひとりが実践したとするのです。