社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

自然資本の経済と循環型暮らしの学び

 

自然資本の経済と循環型暮らしの学び

ーポール・ホーゲンよりー

 

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      神田 嘉延

 はじめに

 

  人類は自然の恵みによって生きてきた。人間の暮らしと自然は密接に関わり、人間は自然によって生かされてきたのです。人間の能力は、自然との共生のなかで、人間らしく発揮されるのです。自然なくして、人間の存在はない。生きていくうえでのあたりまえにある空気、水、森、土壌は、自然の生態系と太陽、月という存在と共にあるのです。

 

 自然には、山や川、海があり、草木も茂っています。そこには、動物が住み、昆虫が群がり、蝶が舞い上がっています。古来から人びとは、このような情景の恩恵によって、田畑を耕し、山から薪をとり、植物の繊維、養蚕、動物の毛皮で衣服をつくり、山で大木に許しの祈りをして 住むための木材に手をくわえて、家をつくり、自然との共生のなかで、暮らしを営んできたのです。

 

 それらは、自然からの贈り物として、人びとは、いつも自然に感謝して生きてきたのです。人間の暮らしの経済は自然循環であったことを決して忘れてはならないのです。人びとは、自然に感謝の気持ちをもって、山には自然の神が宿り、水の神、田の神、石の神、大木の神を祀ったのです。

 

 これらの自然循環型のなかで人びとは暮らしてきたことを学ぶことが、地球的規模の自然循環破壊の人類的危機のなかで大切になっているのです。

 人類は環境破壊と火山や地震、風水害の大規模な自然災害によって、それぞれの地域で輝いていた文明が滅んできたのです。自然環境破壊は砂漠化という地域の生活環境を徐々に困難に落とし入れていきますが、自然災害は、それを一挙に壊します。

 

 今から60年前、高度経済成長以前、霧島などの山村では、山の仕事でにぎわっていました。人びとは、山の森林を豊かにするために植林をした。そして、大きくなった木を伐採して、木材として売った。また、山のあちこちに炭小屋を建て、山にある樫の木をとってきて、それを炭釜で焼いた。山村では炭の生産は、重要な産業であった。

 

 さらに、竹細工やしいたけ栽培、養蚕も盛んに行われていた。霧島の駅は貨物列車の引き込み線路があり、その生業の盛んなことがみてとれるのです。今は、その跡地として駅周辺の空き地が広くあります。特急の止まる駅ですが、常駐する常勤の駅員がいないさびれた駅に変わっています。駅前の商店街や旅館も多くがしまっています。

 

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 日本全国の山村では霧島と同じような状況であったと思いますが、全国の山村では、農林業が廃れ、若者がいなくなり、過疎化が著しく進んでいます。高度経済成長以前は、エネルギーは地域でまかなっていたのです。

 都市部の工業地帯では石炭がつかわれて、特定の石炭がとれる地域から運ばれてきました。高度経済成長の時代はエネルギーが石油に代わり、世界の石油産出地帯から運ばれて、国内のエネルギーの自給構造は大きく変化していったのです。

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 木材の資源も安価さを求めて発展途上国の自然破壊によって、もたされたのです。地球全体の森林破壊として、東南アジア、アマゾンの熱帯原生林の大規模な自然の収奪が行われたのです。発展途上国では、植民地によって、歴史的にプランテ-ション化で、農業からの大規模な自然破壊が進んでいたのです。

 日本の過疎化と自然循環破壊は、発展途上国に木材を求め、エネルギーの外国依存の進行であった。日本の山村は、自然循環の経済に大きな役割を果たしていたのです。安価な自然略奪の資源を求める大規模な熱帯原生林の開発は、地球規模の環境破壊を破壊し、植林と伐採の循環経済を崩壊させたのです。

 

 自然循環を考えない目先の経済効率性を優先する狭い専門的科学技術主義は、原子力発電に端的にあらわれています。

 安全神話を風潮してきた経済効率主義に加担した狭い専門主義の科学技術者の問題は、東日本大震災福島原発事故にあらわれたのです。

 彼らは、国民に安全性を宣伝したのです。その責任性は重大ですが、その反省もせずに、原子力発電の再稼働を安全性の名の下に推進に加担しているのです。

 事故による膨大な経済的損失を国民負担に転嫁して、新たな自然循環のエネルギーの創出、エネルギーの節約の大胆な制度的な工夫もせずに、目先の短期的な平常時の効率主義で走っているのです。福島の原子力発電の事故の教訓は何であったのか。

 

 人類は、その問いに突きつけられています。それは、自然循環のエネルギーの創出を地域の生活レベルでつくりあげていくことです。60年前の高度経済成長以前の日本社会のエネルギーのシステムを現代に新たな自然共生的科学技術を総動員して、再創造していくことです。

 石炭や石油の化石燃料ではなく、現代的に地域での自然循環の新たな創造が求められているのです。ここには、自然科学と社会科学の連携した総合的な学際的研究が必要になっているのです。それを統括して、判断していく政治の役割や経済人の経営的視点も重要になっているのです。

 

 自然循環経済の崩壊は、同時に、自然災害が頻繁に起こった。その経済的損失は巨大になっています。また、地球温暖化によって、脱炭素が人類的課題になったのです。

 さらに、新型コロナのなかで、その原因をめぐって、人間と自然の関係があらためて注目されているのです。全く接触がなかった自然界に密林のなかでの動物や地下のなかで眠っていたウイルスの問題がうかびあがっています。

 未知のウイルスが人間に接触することで、大きな人類的危機になることも予測されるのです。自然循環経済の崩壊は、大きな目でみれば、莫大な経済的損失になっていくのです。

 自然循環経済を地域レベルで展開することがますます重要になっています。このような時代であるからこそ、いまこそ、過疎化が進むなかで、自然のもつ経済的価値を見直すことが必要なときです。

 

 ポール・ホーゲン他「自然資本の経済」日本経済新聞社は、自然それ自身を経済的に価値あるものとしてとらえ、金融資本や製造資本を重視したものから積極的に自然資源、生命システム、生態系のサービスの新しい産業革命を提起したのです。

 

 地球温暖化という気候問題が危機に瀕しているときに、石油や材木という特定の資源ではなく、生命を維持するシステム、自然の循環の重要な一つとしての植物と動物の間で行われる酸素と二酸化炭素の絶え間ない交換を大切にしたのです。

 そして、この産業革命に人的資本としての労働や知識、文化、組織の形をてっている人間的能力を不可欠としたのです。

 

 自然資本の経済ーポール・ホーゲンから学ぶー

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 1,限界にまできた資本主義

 

  これまでの資本主義を収益で再投資し、労働と資本の生産性が増加すれば、経済成長率は最大となり、より多くの製品をより大きくより効率的に生産することで競争力を獲得できるとみたのです。そして、国内総生産が成長すれば人間はより幸せになれると。資源の不足が代替え資源開発の引き金になるのです。

 高い生活水準のためには、経済成長のニーズと調和したものでなければならない。自由競争と自由市場のもとで、労働力と資本の最適配分が確保される。以上のような考え方で資本主義が発展してきたが、それは限界にきているというのが、ポール・ホーゲン等の見方です。

 この限界にきた経済成長主義からの新しい生命システムを考慮した経済が求められる時代が必要とするのです。

 

 将来の経済発展の制約は、自然資本からの資源の供給にあり、生命維持サービスが重要であるとするのです。無駄の多い消費行動から持続可能な経済の達成に、民主的市場システムを有効にして、企業よりも一般市民のニーズによっての自然資本の見方が大切とするのです。

 このためには、4つの戦略が必要とするのです。それは、1,資源生産性の根本的改善、2,バイオミミクリ(生物模倣)、3,サービスとフローに基づく経済への移行、4,自然資本への再投資です。

 この4つの経済戦略には、自然資本という見方からの機能的な側面を強調するのです。資本主義における営業の自由からの弱肉強食による競争主義を規制していく民主的な統制というこよりも資源生産性という機能的な側面からの民主的市場システムの構築をうたっています。

 深刻な被害を受ける格差や貧困の人びとの暮らしの問題からの環境問題があることを経済的な機能問題で終わらせてはいけないのです。

 このポール・ホーケン等の提起は、具体的に持続可能な自然にやさしい地域社会づくりの公共政策として、また、地域の人びとの暮らしと共にある企業、SDGsという企業の社会的貢献から、自然循環経済をつくりあげていくうえで、大いに参考になるのです。

 

 ポール・ホーケン等は、第1に、資源生産性の根本的改善をのべます。それは、エネルギーや天然資源の原材料の90%等の大幅な削減という革命的な根本的転換です。資源生産性の向上は、資源と費用のだけではなく、生活の質の改善を意味するのです。

 環境破壊の原因の一つの企業の効率の悪さは、環境破壊を抑制し、環境を改善するための対策費よりも高くつくのです。

 例えば、鉱業、石油産業、石炭産業、漁業、林業への補助金、土壌の肥沃度を低下させ、水や化学物質を大量に使用する農業の補助金などです。

 途上国の人びとは、先進国と同じ発展の道筋を通っても、西側諸国並みの生活水準は達成できない。開発に必要な資源は膨大であり、世界や地域におよぼす環境の影響は深刻になるのです。資源生産性を大幅に向上させれば成長の可能性は開けるのです。つまり、革命的な資源生産性の改善が求められるというのです。

 

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 ポール・ホーケン等の第2のバイオミミクリという自然のメカニズムを模倣するしくみは、生命システムを考慮した経済にとって、大きな役割を果たすのです。

 資源生産性の革命的な改善として、自然のメカニズムを模倣する産業システムが必要になっていくのです。石油化学依存に依存し、有害で危険な化学物質を必要とした産業構造の転換です。

 自然資本の産業転換は、生物圏を破壊する産業に補助金をだす政策をやめ、天然資源の価格が人為的に低く抑えられていることをやめることです。そして、自然のメカニズムを模倣した新しい原材料を使う方法が得策になるのです。

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  ポール・ホーケン等の第3の新しいサービスとフローによる経済の構築が生命システムを考慮した経済です。財とサービスの販売の経済ではなく、消費者がリースまたはレンタルで利用する新しいサービス経済です。

 メーカは、長持ちし、更新可能な耐久消費財の生産になり、消費者は、その利用にかわっていくのです。

 ポール・ホーケン等は事例をあげます。例えば、洗濯機は消費者が買うのではなく、カウンターがついて月極で料金を支払うということです。メーカーは定期的に保守点検をして、修理はメーカーの責任で、洗濯機の所有はメーカーということです。コンピューター、自動車、ビデオ、冷蔵庫を同じしくみになります。

 それらは、修理、再利用、再製造のためにメーカーへ返却されるというしくみになります。メーカーは、製品をリースし、最後には回収するであるから、製品はずっとメーカーの所有になります。

 最後にメーカーが回収するので、製品の耐久性を伸ばし維持管理を容易にすようと努力し、消費者からは、サービスが改善され利用価値が高まるのです。生産者からすれば高い投資収益率を確保できのです。

 

 資源生産性の改善は、生産者にとっても消費者にとって有利になります。そのことは、生態系の促進になるのです。ここでは過剰生産や生産能力の不足が解消されていくのです。

 また、製品の再利用と耐久性を伸ばせば、素材生産の要するエネルギーが減るかわりに、素材を用いた組み立て多くの労働力が必要となるのです。ポール・ホーケン等は、リースなどのサービス経済によって、雇用の確保、景気循環の安定性に貢献していくと考えるのです。

 

 ポール・ホーケン等の第4の生命システムを考慮した経済の戦略は、自然投資への再投資です。環境の悪化には国境と海を超えて、世界の国々協力しなけえばならない課題です。自然資本の目標には、世界の共通の理念が必要となっていくのです。

 経済のグローバル化のなかでは、一人当たりの利用可能の水、耕地、石油等のエネルギーなどの資源不足が起きます。その供給の不均と所得格差なは、紛争の原因になっていきます。

 このことは、自然への投資を世界への共通理念として推進していく背景があるのです。これらの4つの生命系の自然資本の経済の提言は、持続可能な社会をつくりあげていく経済づくりに大いに参考になるところです。

 

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自動車等のモビリティの再発明の課題

 

 ポール・ホーケン等は、自動車産業鉄器時代の頂点として位置づけられ、その効率の悪さが明らかに なっているとのべます。

 車体の重量と消費するガソリンのエネルギーの非効率性がみれているというのです。車体を軽量化すること、必要なエネルギーを減らすことなどは、大きな課題と考えるのです。

 ここには、炭素繊維を用いた複合材料の車体づくり、燃料等のエネルギー革命が大きな課題となると強調します。まさに、この提言どおりに、自動車産業は、車体の軽量化に動いています。それは、自動車の電動化というEVという電気自動車の導入による大きな波のなかで、その競争は激しくなっています。

 そして、ポール・ホーケン等は、効率化を超えての課題は、人びとの移動に過度の個々の自動車依存ではない公共輸送機関の道をのべます。

 輸送システムに市場メカニズムを利用するための公共政策が求められているというのです。通勤のない地域社会の復活として、日常生活に必要な施設を徒歩で行ける賢明な土地利用の実施の構想をあげます。ここには、公共政策も含めての地域の都市の基盤計画のデザインにもかかわってくるのです。

 

浪費するなかれ

 

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 ポール・ホーケン等は、自然環境の破壊、犯罪・絶望・無気力がはびこる市民社会の衰退、人間の苦しみを解決していく社会福祉の追求の公共性の欠如という三つの問題があると考え、その原因の本質が浪費があるとするのです。

 国家の浪費がこの三つの浪費の根本問題というのです。国家が公共事業や補助金業性によって、浪費の社会をつくっているということになるのです。

 とくに、国家によるGDPの計算が様々な矛盾を覆い隠しているというのです。地球上の最大の生産システムの破壊の進行のなかで、統計的なごまかしがGDPの計算というのです。

 自然生態系を重視していく自然資本は、経済の自然のサービス系から人びとの暮らしの豊かさ、暮らしの安全性、文化的な潤いを感じていくのです。 

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 ポール・ホーケン等は、新しい産業社会の創造とは、自然から学びということを重視するのです。

 例えば、海の石油流出事故でラッコが致命的な犠牲になっている姿をテレビでみていて、ラッコの毛が石油の吸収にすぐれていることに気がついたというのです。

 そのことに気づいた理容師は、店の床に散らばっていた髪の毛を集めて、その吸収の実験の試みを依頼したのです。その実験の成功によって、大規模に髪の毛を集めて、新しい石油流出の素材つくりに成功したという話の紹介をポール・ホーケン等はのべるのです。

 これは、自然のなかから学ぶよい事例ということです。樹木が土壌と日光を取り込み、鳥が昆虫を食べ、牛が牧草を食べ、赤ん坊が母乳を飲むという自然現象が分子レベルの錬金術を実用化するのです。クモが糸を紡ぐ絹糸と同じように、生物モデルから学びとることができるのです。有害な廃棄物を再び純粋な単体にするのに自然の循環から学ぶということです。

 

 ポール・ホーケン等は、自然資本ということからの都市の公共的な基盤整備は、環境と共生する建物群の創出というのです。

 そこでは、狭いとおりに配置された住宅、果樹が植えられた緑地地帯、住宅間の農地地帯、自然を利用した排水システム、太陽エネルギーの利用、広々とした公共空間等のコミュニティティの形成であると指摘するのです。

 建物には自然的な曲線な形、自然光、水の流れの音、浄化された空気、効率性の高い家電機器など物心両面のグリーン化です。

 

 自然資本という産業と生命システムの関係の構築

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 いままでは、産業と生命システモの関係は無視されてきた。生態系のサービスの価値を見直す時期にきているとポール・ホーケンは強調するのです。

 自然資本は、生命を支える生態系の総和です。土壌の生態系は膨大な微生物による変換プロセスです。

 いくら肥料を多く与えても、微生物の変化プロセスがなければ栄養の機能をもたないということを理解することです。

 地上にもアリ、クモ、カブトムシとそのの幼虫、ハエ、ミミズ、ナメグジなど多数の生物が存在するのです。土は養分を蓄えるだけではなく、草木を育て、雨の水を蓄え、水流の緩和剤になり、洪水を防ぐ役割を果たすのです。自然界には廃棄物はない。ある生物の廃棄物は別の生物の食物になる。

 

 自然界の繊維は、森林資源から、植物から、家畜類から生まれのです。石油や天然ガスアスファルトでできた人工繊維と競い合っています。

 天然繊維の多くは、持続不可能な原料生産の栽培を行っています。綿花は、農薬を大量に使用しています。羊毛の飼育には、森林を伐採して、持続不可能なものにしています。世界各地で、これらの農業が砂漠化を引き起こしているのです。

 

 合成繊維の原材料の石油化学工業は、汚染の大きな原因をつくり、再生不可能なな資源です。紙や木材の消費を節約するシステムをつくりあげることが必要になっています。より少量の木材製品でもより多くのサービスが提供できるのです。

 

 森林から木材やパルプといった一次製品の生産性は、中間製品に変換される際の効率性も大切なのです。そして、末端の利用されるうえでの効率性も考えなければならないのです。さらに、消費者の満足度が得られる効率性も不可欠です。それぞれの段階の効率性から木材やパルプの削減が可能であるということです。

 建築材として、軽量の紙を使うという考えがあります。それは、樹齢が若い樹木を原材料としての合成硬材です。また、森林資源の循環型生産システムは、再生建材の積極的な利用です。竹材などの各種建築材、高層の建築の際の足場の利用など鉄筋にかわる役割ももつことができるのです。

 

 ポール・ホーケン等は、自然システムを生かした農業は、土地の開拓を減らし、耕地面積を少なくして、あまり肥料を使うことなく、エネルギー効率を高め、あわせて微生物を利用しての再生可能エネルギーを利用することができるというのです。

 世界で土壌が劣化しているのを防ぐことは、人類的な緊急の課題です。微生物の働きを活発し、土壌を豊かにしていく、自然循環経済の農業、有機農法の考えが求められているのです。

 

水資源問題の解決策

 

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  ポール・ホーケン等は、水源問題の解決策として、地球の淡水が極めて少ないことを直視することが必要としています。

 しかし、現実の大量生産、大量消費、経済の効率性という営みは、世界の水利用のために各地で大規模なダム建設、大規模な潅漑の農業用水をしています。

 そして、生活用水の無駄使い、工業用水の大量消費をしているのです。水資源の有効な活用が積極的に求められているとしています。

 世界は、水をめぐる紛争も深刻になるということです。世界全体の河川の水と地下からくみあげる3分の2は、潅漑用水に使われ、そのうち93%は効率の悪い潅漑ということです。

 大量の水が浪費されているとポール・ホーケン等は指摘するのです。生活用水もちょっとした工夫をすれば節約できとしています。

 ここには、体系的な節約策が求められているとみるのです。工業用水では、節水のとりくみがはじまっていますが、さらに、節水の可能性の探求を求めているのです。

 また、雨水と生活排水の利用によって、膨大な水資源が再利用されていくと提言しているのです。ここには、生物学的下水処理による汚水の再生ということが期待されているのです。

 水をめぐる平和の課題として、ブログに別個に書いていますので、そのアドレスを紹介します。

https://blog.hatena.ne.jp/yoshinobu44/yoshinobu44.hateblo.jp/edit?entry=26006613496736006

 

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人間的な資本主義

 

 ポール・ホーケン等は、どのような社会をつくったらよいのかという問いに対して、次のように答えます。まず、ひとつひとつの社会的な矛盾をみることです。交通渋滞が起きれば、犯罪が起きれば、スモッグが発生すれば、どう問題を解決しようするのか。さらに、読み書き能力が低下すれば、ホームレスがふえれば、それらの具体策を提起して問題を解決していくことが重要であるとするのです。

 

 個別に取り組んでうまく行く場合もあるが、しかし、あるシステム要素だけを取り出しても全体が悪化することもあるというのです。構成要素間の隠れた関連性を見落としてしまうと逆に不利に働くことがあることを見落としてはならないと警告するのです。

 

 大切なことは、システム全体のなかで、地域社会も、社会全体も考えることだとしているのです。広い視点をもって、人間の生活と生存に不可欠な自然資本を大事に保護するだけではなく、人間が作り上げている社会とその仕組み、そして人間自身がもっている人的資本を尊重すべきであるとしているのです。

 人間の社会制度も二重構造で、一方で高い能力や熟練した技能という貨幣化された人的資源の提供、他方で、貴重で貨幣化されない社会制度サービスの供給をみなければならない。

 社会制度サービスは人間性を定義し、人生を生きる価値のあるものにしている文化、英知、名誉、愛などあらゆる価値、徳性、行動を指しているのです。

 人的資源が不健全に活用されると、文化の社会的調和はことごとく破壊されます。社会に生きる人間の幸福や進歩、生態系の調和は維持できなるというのです。

 自然資本と人的資本の価値を認めなことは、ありとあらゆる問題が地域社会に起きるというのです。天然資源の有効な活用によって生態系サービスを保全することは人間の幸福や進歩に不可欠というのです。

 

 以上のように、ポール・ホーケン等は考えるのです。そして、具体的には、ブラジル南東部の都市のクリバチの施策を事例にして、その解決策を明らかにしているのです。ここでは、交通機関と土地利用を融合させての都市計画づくりです。

 そして、最善の理想的な公共輸送機関をつくりあげているのです。水、排水、緑地地帯を整備して、水の恵みを実感できる自然をモデルにしたと都市建設計画をつくっているというのです。産業と地域社会は、伝統的に依存してきた農業と食品加工を大切にし、再利用を工夫しての整備であったのです。

 

 子どもと健康、ゴミと食べ物は、クリバチにとって、大きな課題であった。人口の九分の一がスラムに住んでいるのです。ネズミや汚染された水を媒介に伝染病の恐怖に悩まされていた。衛生と栄養の確保に取り組むために、ゴミの有効利用で財政援助をしたのです。ゴミと食料の交換も市として実施したのです。

 クリバチに住む70万人の貧困層を援助する施策でもあった。また、貧しい家族には自治会をとおして「地域果樹プログラム」をとおして郊外に菜園をつくり、自家用と販売用の食物を栽培したのです。このプログラムには、保育園、学校、自治会に農業指導員をつけて、市が苗、園芸の材料を提供して実施したのです。また、レストランやその他の施設も組織化しての事業展開をしたのです。

 

 教育と育児と仕事は、特別に重視して、子どもの教育に市の予算の27%が使われているのです。また、学校の多くは、夜間に成人の教育の場になっているのです。

 そして、教育体系のなかに積極的に循環型の地域社会の教育をしているのです。社会的弱者と移民については、社会から疎外されている人びととして、誇りや自信をもてるように個別的に、経済的な役割も含めて、特別の援助をしているのです。

 様々な活動をとおして、市民がアイデンティティと尊厳をもてるような施策をしているのです。それぞれの市民通りには、事業融資、職業訓練、職業紹介の情報を提供して、住民の生活の場での密着した市民サービスを展開しているのです。そして、自然との融和の市民生活の基本原則が貫けるような施策を展開しているのです。

 

 この実現に最も重視しているのは、教育によっての人びとの自然融和の考えの形成です。町全体が有害物資が意図的に排除できるように設計され、健康が優先され、自然法則に調和した設計になっているのです。

 教育によって自然と文化生活と労働になかに溶け込み、そこからさまざまな活動、知識、態度が生まれ、傷ついた自然界が治療され、それと同時に社会も政治も再生をとげるということです。

 以上のように、人間的な都市における施策がブラジルのクリバチで行われているということをポール・ホーケン等は紹介するのです。

 

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知足と利他により新しい自然共生経済

 知足と利他により新しい自然共生経済
 
 シュウマッハの仏教経済学ースモールイズ・ビュートフルー

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 人間は高度な科学・技術をもった。それは、当面の富を得ることに集中した。人間のもつ我欲は、効率性と大量生産を追い求めて、自然破壊をしてきた。人間の知性は自然に対して傲慢になって欲望を拡大してきたのである。現代は、地球規模の自然破壊が進み、自らの欲望をコントロールする術を身につけなければ、自ら滅亡する道に走っていく運命にある。足を知るという仏教経済の在り方が注目される時代になっている。


 人間中心の経済学の構築を提示したシュウーマッハーは、仏教の八正道の思想による経済のあり方を強調した。仏教の八正道とは、正見(正しい見解)、正思惟(正しい考え方)、正語(正しい言葉)正業(正しい行動)正命(正しい仕事)正精進(正しい努力)正念(正しい気づき)正定(正しい精神統一)ということで、煩悩からの真の悟りの修行を8つあげている。


 シューマッハーは、八正道から学び、伝統主義と近代的成長とをとるということではなく、正しい生活を見出して、仏教的に相互に対立する苦と楽に極端に走らない中道の道を探求した。
 開発の地方分権的手法で、土着の在来技術を高度な先進技術の知識を加味して改良し、発展途上国でもできる少ない資金でできる労働集約的な中間技術を積極的に提唱したのである。
 これらの経験から、物質文明の反省による仏教経済学を提唱したのである。仏教経済にとって、仕事の役割は、人間の能力を発揮することであり、人間的な生きる喜びを与えるものである。仕事がないことは、単に収入がないことではなく、絶望に陥ることであり、人間を豊かにしていく活力が失われていく原因になったとする。


 シューマッハーの考える仕事の役割は、最も人間的な楽しさであり、生きがいをだしていくんものであるとする。仕事が無意味に感じて退屈に思うことは、犯罪スレスレであり、慈悲心を欠くことであるとする。また、余暇については、仕事と余暇は相補っているものと理解している。 
 仏教経済学は決して冨を否定するものではない。楽しいことを享受することを妨げるものでは決してない。仏教徒はわずかな生活手段で十分な生活の満足を得ることができるとシューマッハーはみる。これが、知足という仏教経済学である。その考えは、決して冨を否定するものではない。冨への執着が問題なのである。絶えざる欲望の肥大によって、自然循環を略奪して、人々への争い、戦争の原因を造り出し、競争と格差により人間としての本質である絆から人間を孤立化させ、不安に陥れていく経済が問題なのである。

 仏教経済学の消費的な満足は、知足なのである。消費は、人間が生存していくうえでの手段であって、決して目的でもなく、目標でもないのである。
 
 知足と自然循環性

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 人間が生きていくうえでの適正規模の消費によって充分な満足と幸福感をもつことである。これは、自然と向き合いながら、自然を循環させ、人々の共生と絆を築いていくことである。仏教経済学は、人々が暮らしている場に自然の循環を求めて、地域の資源を有効に使って知足の消費を工夫していくのである。地域資源を有効に使う経済生活が最も知足の仏教経済にとって大切な課題であるとする。
 とくに、生きていくうえで、日々必要とされる食糧やエネルギーが地域資源を工夫して得ていくことが求められている。知足と共に人々が暮らしている地域での経済は、仏教経済学にとって大切な課題であるのである。


 日々の暮らしの身近にある自然からの恵みを得ていくためには、その地域の自然循環の構築が基本になっていくが、現代の都市生活の集中と、都市と農村の生活及び自然循環の格差は、日常的な暮らしからの資源の活用が困難になっている。さらに、グローバル化の市場価格競争によって、日々の生活素材を得ることが地域から大きく離れ、益々遠方になっている。
 この状況のなかで、人類はまさに、知足の仏教的経済に焦点をあてる時代にきている。そこでは、自然循環の再生を長期的な展望をもって、新たな科学・技術の創造を発展させながら構築していくことが求められているというのである。


 太陽の恵みは、誰でも、どこでも得れる自然循環からの恵みである。自然循環的なまことの経済開発とは、何か。このことが鋭く問われている。シュウーマッハは、地域の暮らしに根ざした自然循環の経済を木を一本一本植えることから始めることの必要性を強調する。

 そこでは、地域の必要に応じ、地域でとれる資源を使って生産を行うのが、もっとも合理的な経済生活ということになる。遠い外国からの輸入に頼り、その結果、見知らぬ遠い国の人たちに輸出品を送りこむために生産を行うことは、例外的で、きわめて不経済なことである。


 木を植えることが大切である。このことを万人が認識し、それを義務として実行するならば、本当の高度な経済開発ができる。薪や水力のような再生可能なエネルギーの大切さを仏教経済学の方法として強調するのである。

 

 教育による生き方形成と学問の倫理観

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 教育の役割は、いかに生きるべきか、考える道具としての生き方の精神が極めて大切なである。 教育の向上は、それによって英知が増すときに限って役に立つ。教育の核心は価値の伝達にある。人の思考と感情につねについてまわり、世の中を眺め、解釈し、体験する上での手段・道具である。 
 専門化それ自体は、教育の方法として誤りではない。専門化意外にもっとも大切な科学を教える前提であるところの人間の思想という全体像と、科学との関係が欠落していて、科学法則が人間が生きていくうえでの意味や意義が忘れられてるというのである。


 あらゆる学問分野はどんなに専門化しても、倫理的な問題と結びつく。。科学を教える前提に全人的な人間観が重要である。全人的な教育は、こまかな事実や理論ではなく、人生の意味や目的の根本的な確信をもたせていくものである。シューマッハーにとっての学問を学ぶ中心の意味は、人生への内面的な確信であり、それは、善なるものへの精進である。


  科学・技術の進歩の発展方向については、暴力ではなく非暴力、自然界を敵にまわすのではなく友とする協力関係、騒がしくエネルギーを多く使い、残忍で無駄なゴタゴタした科学・技術ではなくて、静かでエネルギーの消費が少なく、すっきりした、経済的でもある方法(これこそが自然界の方法である)を目指すべきである。

 

貪欲の経済から自然循環の未来経済へ

 

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  安原和夫は、「足るを知る経済」の著書で、仏教思想で創る21世紀と日本の未来の構築を述べている。それは、貪欲の経済学から地球環境時代にふさわしい仏教の智慧の小欲知足の持続可能な発展の、経済学の構築であるとしている。

 新しい時代の課題に対する現代経済学は、4つのキーワードを安原和夫はあげている。1,環境、経済成長じだいから地球環境時代の歴史的転換期の経済学、地球環境の保全と創造こそ最優先課題であり、それにどう対応するのか。2,21世紀に持続できる新しい真の豊かさとは何かという経済学。3,一人ひとりの生きがいのある生き方をどこに求めるのかという経済学。4,非暴力すなわち平和が確保される。

 以上の4つの条件を追求する上での基本条件である。戦争、殺戮、人権無視・抑圧・差別、貧困、資源・エネルギーの強奪・浪費などの暴力がこの地球から、そして社会からなくなる状態という広い意味での非暴力と平和をどう確立していくか。安原和夫「足るを知る経済」毎日新聞社
 仏教思想と経済思想の接点は、「一切衆生悉有仏生、草木国土悉皆成仏」という仏教の「不殺生」を生かすことと、「財物は亡び易し、ただ三宝の法は絶えず」という聖徳太子の教え、「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」という道元のことばにあり、そして、般若心教の「色即是空、空即是色」にあるとしている。これらの仏教思想から経済思想の融合として5点を知足の経済学として安原和夫は、次のように問題提起する。
 1,自然環境・環境と人間との平等、共生(地球環境の保全)。2,物質文明の限界に着目(近代工業文明の破綻、限界)。3,足を知ること(中道=節約、簡素)。4,私的利益追求第一主義への疑問(自他利他不二)。5,非市場的、非貨幣的価値の尊重(大地、自然・環境、いのち、ゆとり、働きがい、生きがいなどの重視)。

 この5点の仏教思想を生かした新しい経済学を構築する意味で、知足の経済学と称して、知足、節度をわきまえるという中道、いのちあるものすべてが相互依存にあるという共生という三つの基本概念を相互に依存させながら持続的発展の経済学を構築していくことを問題提起する。


 消費者主権を超える生活者主権の確立が知足経済学にとって、急務であると安原和夫は提起する。生活者は、経済学からはみ出した概念であるが、人間中心の経済学として、特別の意味をもって安原和夫は問題提起する。「生活者は市場的価値の財・サービスの生産・供給(生産者としてではなく、労働者として)、需要・消費(消費者として)、だけではなく、非市場的価値をも創造し、保全し、さらにそれを享受するところに大きな特質がある。

 生活者とは、市場経済の側面ばかりではなく、非市場価値の保全・創造・享受を重視する側面を積極的にもっている広い概念をもった経済学である。生活者には四つの権利があるとして、消費者保護法や消費者運動の消費者権利ということではなく、1,自立・拒否する権利。2,参加・参画する権利。3,ゆとりも生かす権利。4,自然・環境と共生する権利をあげている。
  
自然循環と道元の思想

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  ところで、日本の禅僧で小欲知足について、体系的に仏教の教義として強調したのは道元である。道元は、かれの仏教思想を体系にまとめた正法眼蔵で小欲知足について本格的に述べている。


 道元は、「正法眼蔵」の最後にあたる第12巻第12でブッタの遺言にあたる「仏遺教経」の八大人覚を引用して、仏の最上の智である菩薩の道、涅槃の境地に至る8つの教えを説いている。つまり、智慧(ちえ)を磨き修行を積んで、迷いや煩悩(ぼんのう)や執着を断ち切り、悟りに到達して、いっさいの苦・束縛(そくばく)・輪廻(りんね)から解放された最高の境地になるための8つの教えを入滅の前にブッタは、八大人覚として説いたのである。


 この教えで最初に述べたのが、小欲である。人間のもっている末得の五欲を広く追い求めることなく生きることを大切な修行とした。そして、第2に、やもえずという法の中に、受取る限りを以て、満足する生き方とする。知足小欲は、道元僧の教える仏教にとって大切な教えである。
 「仏言(のたま)はく、何等此丘(なんだちびく)、当(まさ)に知るべし、多欲の人は、多く名利を求むるが故に苦悩も亦多し。小欲の人は、求むること無く欲なければ則ち此の患い無し。直爾(ただそ)の小欲なる尚応(まさ)に修習(しゅうじふ)すべし、何(いか)に況(いは)んや小欲の能く諸(もろもろ)の功徳を生ずるをや。小欲の人は、則ち諂曲(てんこく)して以て人の意を求むること無く、亦復(また)諸根に惹かれず。小欲を行ずる者は、心則ち坦然(たんねん)として、憂畏(うい)する所無し、事に触れて餘あり、常に足らざること無し。小欲有る者は、則ち般若有り。是を小欲と名づく」。


 「二つには知足。已得(いとく)の法の中に、受取するに限りを以てするを称じて知足と曰ふ。仏言(のたま)はく、何等此丘(なんだちびく)、若諸(もろもろ)の苦悩を脱(のが)れんと欲(おも)はば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安穏(ふらくあんのん)の処なり、知足の人は、地上に臥(ふ)すと雖も猶(なお)安楽なり。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦意に称(かな)はず。不知足の者は、冨まりと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲に牽かれて、知足の者に憐愍(れんみん)せらる。是れを知足と名づく」。「正法眼蔵」。


 多欲の人は、多くの名誉と利益を求めて悩むが、小欲の人は、この悩むというわざわいがない。小欲なる人になるための修行が大切としている。小欲な人になれば、自分のこころをまげて人にこびへつらうこともなく、財欲、色欲、飲食欲、名誉欲などの様々な欲望におぼれることもないし、こころがいつも平静を保つことである。
 さらに、他人の意をくんで、うれいおそれることもなく、余裕をもって事にあたれるというのである。常に足らざる心をもつことが、真の智慧である。

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 小欲とは禁欲ということではなく、常に足らざるところでおさえておくことで、欲望を飽くなき求めるものではないということであり、欲の自制心が必要であるということである。つまり、人間が生きていくためには、欲望が必要であるが、小欲であることが、悩みをもたず、争いを持たず、循環を保ち、平安に生きていくことができるということである。


 足を知るということは、受け取ることに限りがあるということで、分に応じてわきまえることが必要である。苦悩を逃れたい思うには、知足をよく観ることである。知足をもつことは、心ゆたかで楽しく、平穏無事である。知足をわからぬ者は、財や名誉に富んでいても、常に五欲にひかれ、その欲望を、さらに獲得しようと求める。ここては、知足の者からみるならば、欲望にとりつかれて悩む人として、あわれむべきことであるとみる。


 仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)というブッタの臨終の際の最後の教えの八大人覚の第1と第2の教えを小欲知足と言う。仏教において、この世では、自分の欲望が満足されないことによって苦悩が生じることが多いと考え、欲を少なくして与えられていることに喜びをもち、感謝するということで、足ることを知ることを大事にするのである。


  現代において、小欲知足の仏教思想は、持続可能な循環型社会の形成にとって極めて大切な問題提起をしている。道元の自然思想を正法眼蔵から探求する有福孝岳は、著書「正法眼蔵に親しむー道元の自然思想で、自然と人間の一体感としての「不二一如」(ふにいつにょ)の自然感を強調している。

 この自然観は、西洋的な人間と自然を二元的にみるのではなく、人間と自然は、不二一如ということで一体としてとらえる東洋的な伝統的な自然観である。不二一如という見方をもっていることからこそ、自然は修復能力があり、人間も、自然の一部として修復可能な循環のなかで生きているというのである。

 

 現代の社会は、人間と自然を二元的にとらえて、人間が自然を支配するというこという[おごり]から、自然の破壊が進んでいるのである。生産力至上主義の自然科学の発展は、人間が自然なしに生きていけないという根本の問題が忘れていく。このことは、人間自身の生存の危機につながっていく。道元の自然思想を正法眼蔵から探求する有福孝岳は、この問題について次のように述べる。
 「自然にはもともと修復能力があり、自然は自然に任せていても、いずれは元のとおりに回復しえたのであるが、今日では原発事故や、湾岸戦争での石油汚染、諸々の公害現象などのいずれを取りあげてみても明らかなように、現代の科学技術の力はあまりにも巨大となりすぎたために、自然の調和と秩序が一度乱されると、その修復はほとんど不可能であるか、可能であるとしても長い年月を要するであろう。

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 このような、現代における自然環境の危機的状況は、現代人がたんに人間と自然とを二元論的に対峙し対立しあうものとして観るのではなく、むしろ主観(人間)と客観(自然)とを、もともとはただ一つの自然として考察する全体的宇宙的自然観に立ち帰ってみて、人間および自然を根本から見直し考え直していくことを迫っている。こうした時代的要請からしても、われわれはもう一度伝統的自然観ーすなわち、人間と自然の不二一如を信じて疑わない自然観ーの良さをとらえ直してみなければならないのではなかろうか」。有福孝岳「正法眼蔵に親しむー道元の自然思想」学生社


 現成公案(げんじょうこうあん)では、鳥も魚もその本分をもってまっとうしているからこそ生命を存続させているのです。鳥は空を飛ぶ。飛んでも飛んでも空はある。魚は水のなかで泳ぐ。泳いでも泳いでも水に終わりがない。そうであるからこそ、鳥は空を離れることはなく、魚も水から離れることがない。それをやめればたちまち死んでしまう。「鳥もしそらをいづれば、たちまに死す、魚もし水をいずれば、たちまち死す」ということで、目の前に現れているところのあるがままがそのままが真理であるとする。われわれ人間がどんなに自然に働きかけて、自然を改造しても自然との関わりのみ可能であり、自然の外に出られず、自然とともに、生き、かつ死んでいくのである。


 無常説法としての大自然の声は、山川草木・土石などの声である。人間も動物も植物も鉱物もすべて自然であり、人間は計算づくしで自然を把握することができないのである。道元は、山川草木・土石の代表として山水を題材にして、仏の心を語る。山水経は、山の功徳・徳性を知ることによって、人間的な汚辱が及ばない、清浄なる仏心の世界に通達するというのである。
 山は常運歩して、動き、青山は、すみやかなれどと道元には映る。そして、不覚不知というしかたで、大自然がそのまま仏教的真理であるというのである。元の自然思想を正法眼蔵から探求する有福孝岳は、自然科学的な法則的自然の認識は、大自然の真理からみれば、氷山の一角にしかすぎない。
 「いくら自然科学を駆使しても、自然を全部知りつくすことができない。なぜなら、自然の方が人間よりもはるかに巨大であって、自然科学はどこまでも有限で欠点多き人間の知的実践であって、人間は永遠に自然の外に出ることはできないのである。だから、どんなに優れた自然科学をもってしても自然のほんの一部分に働きかけ、これを改造することはできても、自然全体に働きかけることも、ましていわんや自然全体を改造したり無きものにしたりすることなど、とうてい不可能なことである。

 

 ところが仏教はまことに都合のよいことに、わからない存在全体を出発点にしているのであるから、わからないとうことが、否定的消極的な意味においてではなく、肯定的積極的な意味合いをもってくるのである。人間にとって不可知なる根源的自然、いわゆる人間と自然とが分かれる以前の、あるがままの自然をいいあらわすのに、仏教は、如是、如法、真如、法爾などの熟語をもっている」。有福孝岳「正法眼蔵に親しむー道元の自然思想」学生社。 

 有福孝岳は、正法眼蔵で仏性の自然観で、山河大地と海が決定に違うことを、山、川にはいろいろの大きさがある。大きい川も小さい川もある。大きな山と小さな山がある。ところが、海には大小はない。これは海の徳である。海の方が山川よりいっそう普遍性をもっているといえよう。有福孝岳「正法眼蔵に親しむー道元の自然思想」学生社


 自分と人を比べる心としての慢は、人間の根本煩悩のひとつとして仏教では理解する。優越感をもったり、劣等感をもったりというのも慢の心である。他人と自分を比べて、優越感や劣等感になるということは、対人認識における社会的な評価の問題である。人間のもつ権力欲や支配欲との関係で、慢の問題が潜んでいる。

 社会的な地位を得たりすると、自分が偉そうになって自分勝手な態度で人を傷つけたりする。ここには、支配欲や権力欲の問題がある。この煩悩は、対抗意識を燃やしたり、優越感、支配欲を増幅させていく。また、逆に、劣等感に悩まされたり、支配されたり、侮辱されたりすることで心が傷ついていく。

 

主体的に生きると怠惰・無責任

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 人間は、何も判断しないでは、主体的に生きていくことはできない。とくに、人間は社会的な存在ということで一人で生きていくことはできないのである。たとえ、疑の煩悩から態度を留保しても、それは、主体的に生きていることではなく、ながされるままに、なりゆきまかせで、怠惰のなかで生きているに過ぎない。

 このことは、周りから無計画とか無責任とか揶揄され、結果的に自分の社会的な役割や価値が見出されずに悩むのである。社会的に生きていることによって、人は必ず役割と価値をもっている。どんな人でも、何らかの形でまわりにいい意味でも悪い意味でも影響を与えている。


  疑という態度留保は、社会的に無責任な結果になっていく。問題は、周りに迷惑をかけて悩むかどうかである。疑によって態度留保をすることは、怠惰の煩悩があるからである。

 態度留保は、現実のやるべきことを先延ばしして、目的意識的に生きていくのではなく、また、自己の役割や価値に目をむけることをせずに、目先の快楽、愉快なあるがままの世界にふけっていくことである。それは、本質的に社会的存在としての人のあり方から逸脱していく自己の責任を回避である。つまり、社会的期待、周りからの期待に背を向けている姿である。


 とくに、困難と思うことは、極力に立ち向かうことを逃避しする。怠惰のための自己弁解の思考展開は活発に働き、自己防衛のために積極的に態度留保する。ここには、他に対するおもいやる感情や自己の社会的責任の希薄性が特徴である。疑は、態度留保に悩むのではなく、周りから自己の責任回避を批判されることに落ち込み、悩むのである。態度留保ということで人に迷惑をかけて悩む煩悩ではない。


 社会的存在としての人間は、絆の心が基本にあり、そこでは分かち合う心をもっているのである。つまり、慈愛の精神をもって人間関係を築いている。慈愛の精神をもって布施を推奨する六波羅蜜の修行は、怠惰による態度留保という疑の煩悩を克服していく大きな位置をもっている。
 邪見として、ものごとのすべてはつながりがあり、縁起があって、必ず原因と結果があることを否定する見方も第6の煩悩の悪見のひとつである。原因や結果、縁起など関係ないと思って、人間関係もうまくいかなくなり、さまざまな世界とも結ぶことをできなくしていき、自分自身さえも理解できなく、孤立していく存在になっていくのである。
 

自然共生と慈愛の地域振興思想ー日本近世の思想家からー

共生と慈愛の地域振興思想ー日本近世の思想家からー

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 地球温暖化ということで、脱炭素社会が世界的に大きな課題になった。日本も2050年までに脱炭素社会の宣言をしている。脱炭素社会は、人間の経済活動、社会生活、日常の暮らし方を自然との共生関係で考えていかねばならない。このことが、本質にある。脱炭素を名目に自然破壊をしていくような大規模なメガソーラーや風力発電再生可能エネルギーであれば本末転倒である。持続可能性のある社会にしていくためには、自然循環を基本にして、経済の発展、開発が求められている。この意味で、自然共生型の地域振興は大切な課題になってくる。

 日本の近世社会は人口が増えて、開墾、潅漑用水も進み、物資的にも豊かになった。このなかで、人間の経済活動と自然の生態系も狂っていったのである。人びとの経済の在り方が反省された時代でもある。自然との共生地域振興、人と人との慈愛的共生を考える思想家もあらわれた。ここでは、自然共生の地域振興と人間の慈愛的思想家として、安藤昌益、石田梅岩、伊東仁斎、二宮尊徳を紹介する。

 

1,安藤昌益の互生論からの共生地域振興

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 安藤昌益は、1703年に生まれ、1762年没である。江戸の中期に、社会の平等論、環境保全論、武器全廃の平和論、直耕という労働価値の絶対性をのべた先駆的な思想家である。15歳のときに禅宗の修行僧として入門し、10数年の修行によって僧の資格を得るが、その後、僧では人々を救うことができないと医学の修業をする。42歳のときに東北の八戸で医療と学問塾を開く。その頃は、東北地方でイノシシの異常発生によって、作物が食べられ、イノシシ饑饉が起きていた時期である。
 安藤昌益は自然を観察して、生態系の破壊原因が江戸での絹織物の贅沢が、関東大豆が養蚕に変わり、大豆畑は、東北の山村での焼き畑の開墾になる。開墾された畑は次の焼き畑で放棄され、元の棄てられた焼き畑の跡はクズが繁殖する。それをイノシシが食べて、繁殖する。このことで、従前の生態系が破壊され、イノシシの異常発生になったことを証明する。このようななかから贅沢になった武士の世を批判する。

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 イノシシの異常発生にみられる自然生態系の破壊は、安藤昌益の環境保全思想形成にもなった。安藤昌益の思想基盤に互性という概念がある。それは、男女の関係に典型にみられるように、異質であるが、対等に相互に依存しあう共に生きていく関係をあらわす概念である。
 農文協出版の安藤昌益全集の編集代表であった寺尾五郎は、昌益の思想の独自性を強調する。人間解放の思想体系は、まったく独自に新たな世界観の創造ということであるとしている。儒学国学、仏教を根底からひっくり返して、それとまっこうから対立する世界観をつくりあげた。伝統的教学のすべてが、人間をしめつけ、抑圧し、欺瞞する思想の道具にすぎず、独自に人間解放の道を探求したとする。
 そして、もうひとつの思想の独自性は、全存在の永遠の運動過程にあるものととらえたことである。その運動は、諸行無常の変化観でもなければ、輪廻・流転の宿命観でもなく、運動を存在の肯定的な原理として、その生産性、創造性、発展性であると捉える。
 運動は事物の外側ではなく、事物の内側にある。事物の運動は本質的に自己運動であると。ひとつのもののなかに二つがあり、一気のなかに進気と退気の対立があり、その矛盾によって、自己運動が起きる。一つのなかに対立し、依存する二つがあり、その二つが相互に転化しあうのである。そして、万物を対立物の統一として考えるのが、安藤昌益の考える互生概念の論理である。これらのことについて安藤昌益は、次のようにのべる。
 「天地ニシテ一体、男女ニシテ一人、善悪ニシテ一物、邪正ニシテ一事、凡テニ用ニシテ真ナル自然ノ妙道」。この論理を「二用一道」「二品一行」「二別一真」とした。二つのものの相互転換のことを「性ヲ互ヒニス」と、矛盾関係を互生と名づけ、その運動を「妙道」と呼んだ。以上のように、寺尾五郎は、「互生」「妙道」を説明する。
 中央公論の日本の名著シリーズで安藤昌益の責任編集の野口武彦は、「土の思想家」安藤昌益を解説している。昌益の人間観は徹底した平等主義の主張にあるとする。昌益の人間平等の根拠は次のように野口武彦はのべる。
 安藤昌益は、「人間存在を転定(てんち)」の気行の特定の運回形態を見なすことに人間の平等性の根拠を置くのである。人間のもっとも自然的状態は、人間が自然の気行の運回のサイクルの一部になりきっているときである。人間の直接労働としての「直耕」について、野口武彦は安藤昌益を次のように解説する。

 「転定(てんち)」の生成作用に人間が自己を同一化することである。あるいはむしろ、その延長である。だから万人がひとしく「直耕」することは自然の法則に従うことだとされるのである。昌益の平等主義が自然にもとづいていいるとというのは、いかえれば、個々の人間は自然というつながりの気行の全体を完結させるために特定の気行(通気)をそなえた、またそのかぎりでそれぞれたがいに同等な構成分子であると主張することにほかならない」。
 安藤昌益の自然概念は、儒教的な意味ではなく、中国古代思想にみる陰陽五行説からの自然循環というのである。道を自然気行論である土活真から木、火、金、水に運回する万物生成論の世界であり、その思想の理想型が自然世として、封建社会を批判するとする。そして、昌益の思考方法の欠けるものは、社会制度であれ、思想教義であれ、客観的構造の観察と分析方法をもつことができなかったと野口武彦はのべる。
  安藤昌益の代表的な著作の自然真営道は、自然に帰れ式の自然憧憬でも天然賛美でもない。それは、天の恵み、自然の恩恵でもない。安藤昌益にとっての自然概念は天地が穀を生み、穀が人を生むということで、人間の労働が天地の直耕のなかで占める特別の意味をもっているのである。

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 直耕とは、人が生きるための生産であり、命と生活のための生産である。消費するのは、生産するためである。労働と飲食は、生命と同じである。人間の存在は、直耕の一道であるという見方である。
  安藤昌益の自然概念は、妙道互生という対立物の統一、八気の相互関連の運動のなかでとらえている。陰陽五行説の五行ではなく、根源的なこととして土の活真を基盤におき、他の四行での進・退の自己運動の八気をみる。私欲と民への搾取を盗乱の世とみる。
 私法盗乱の世という搾取と争乱が絶えることない現実でも、理想社会の自然法則ではないが、自然活真を契(かな)うことができるとする。それは、土活真の根源な自己運動からの互生・八気によって可能とする。
 人間社会の男女一体の互生から自然活真の世へのかなう論理を証していく。「男は外であり、天である。そのなかに女の要素がある。女は内であり、海である。女には内在している男の要素がある。男と女は互いに対立し、かつ依存しあうという矛盾関係にあり(男女互生)、それぞれ神と霊(心霊互生・人間の四との精神活動)、心情と知性(心知互生・人間にある八つの感情と八つの精神作用)、思念と覚悟(念覚互生)などの関連しあう八つの精神や八つの感情が通じ、横逆に運回して、精神活動を営んでいる。そして、互いに穀物を耕し麻を織るという労働を通じて、人間の生産と再生産は絶えることがない。

 これこそ、根源的な物質である土活真が小宇宙として現れた、人間男女の生産活動であり、また人間の存在法則であると言えよう。人々がみな一様に生産労働に従事するところに、人間としての共通の営みと感情が生まれるのである。これが自然の法則そのままに生きる人々の社会であり、そこには搾取や反乱、迷いやいさかいなど存在せず、人々はそうした言葉さえ知ることがない。土活真の統一運動そのままの平安さがあるばかりである。
 それぞれ、喜、怒、驚、悲、非、意理、志と発現は男女によって異なり、男による直耕の肉体労働、女による麻を織るという精緻な家内労働は、外・天と内・海という互生関係である。双方は共に生きていく自然の役割関係として、求め合う関係で一体になっていくものである。
  人間社会の本質的な自然状態は、男女のように役割がことなっていたが、互生関係をもって、平等の関係と相互依存、相互扶助のもとで生きていた。しかし。王と民、支配する者と支配される者の社会関係、差別的な関係が生まれることによって、根本的に変わり、人為的な私欲が私欲を一層拡大していくことになり、搾取と反乱、戦争を呼び起こす社会になったと安藤昌益は考えるようになるのである。


 天下国家を奪う欲望と極楽往生を願う欲望が乖離していくのである。私欲に基づいて、上に立つ者が現れることによって、社会に反乱が起き、また泥棒などの様々な犯罪が蔓延していくとする。上の者が搾取を改め、私欲を捨てることが、反乱、戦乱、犯罪をなくしていく最も根本的なことであると安藤昌益は考える。 
  民の犯罪は、支配者の驕りが原因であり、上が私欲を廃して盗乱の根源を絶ちきらねばならないのである。支配者のなかに、自然界と人間社会を貫いている活真の法則を体得した正人がいるということを期待することに望みを託すのは馬鹿げたことであると安藤昌益は考える。
 しかし、搾取と反乱が渦巻いている社会にあっても理想社会に変革していく方法はある。本来はあやまりである上下の階級社会は敵対関係に陥らない方法がある。天地の場合は、上下という差別がない。上下という階級社会の差別があっても、上に立つ者が家臣を多くかかえず、反乱を起きないように心をくだき、また、道楽と贅沢をせず、みずから田地を一定範囲に定め、これを耕して一族の生活をまかなうことである。
 諸侯もこれに準じて、それぞれ国主としての田地を一定範囲に定め、相応に耕すことによって一族の生活をまかなうべきであると。上下ともに耕し、下、諸侯、民衆からの収奪をする租税制度をなくすことである。最高統轄者は、みずからおのれの田地を耕作することである。上に立つ者が贅沢をしなければ、上下関係があってもへつらうものはなくなり、敵対的差別関係はなくなり、世は平安になるというのである。
 贅沢な暮らしこそ、戦乱を引き起こす原因である。もともと人間が穀物を耕し麻を織って生活する以外に、何ごとも必要としないのは、それが天地から与えられた人間本来の姿だからである。
 手工業者や職人には、最高統轄者には、それ相応の生活必需品を与え、諸侯や民衆にはそれ相応の家屋・家具をつくらせること。豪邸や贅沢品の製作は、これを禁止する。日頃統括、管理の仕事のないときは、みな相応に耕作することが大切である。
 遊女・野良・芝居役者、道楽芸の慰芸の者には、上に立つ者が贅沢や浪費をやめさせ、かれらに田地を与えて耕作させること。僧侶・山伏・神官の遊民には、農業労働こそ天地自然における活真であると考えさせる。
 地蔵菩薩の功徳は、農業労働そのものであり、薬師如来は、天地自然におけるの生成活動の始まりの季節、春の象徴である。不動明王は、大地が不動のままに田畑となって人々を耕作させることである。阿弥陀如来は、農業労働がまっとうされるようにということにほかならない。禅宗語録は、生産労働によって心安すらかに食い、着て暮らし、生死を活真の進展ににゆだねること、これこそ仏法の極意。神とは、太陽であり、生成活動の担い手ということで、僧侶、山伏、神官は、諭して田畑を耕作させることである。
  社会にあっては、上下の差別制度がなくすべての人が、平等に生産労働に従事することができるならば、人間としての本来のあり方になる。現実として、やむえず、上下関係を残しながら、直耕による活真の運動法則に準じて上下関係を運用するのである。
 安藤昌益は、支配する上の者の私欲、贅沢、道楽ということと、それに従属して、へつらい、人を騙し、反乱を起こして支配欲を実現していこうとする側面を痛烈に人間の自然活真の本来にあらずと糾弾するのである。同時に、人間の本性から直耕することで社会的な機能の役割を果たしていけば、上下の矛盾は統一されていくのであるとする。 
 社会的矛盾を統一していくには、上にたつ者の統轄的役割ということを直耕という自然活真の立場にたうことがとくに重要であり、それぞれが社会的な個別機能を果たしていくことの基本的な条件をあげている。
  安藤昌益は、元禄文化における江戸を中心とした武士や豪商の贅沢な消費生活を厳しく批判する。贅沢によって、農村経済が一部の特権層の消費生活に規定されていく。養蚕などにみられるように贅沢品の絹織物のための生産に江戸近郊の農村経済は変えられていったことを直視したのである。東北地方は、江戸近郊の生活必需の大豆生産が行われるようになる。それは、江戸への商業的な農業のためである。商品生産によりイノシシ飢饉が起きる。自然生態系が破壊されていくことによっての被害である。安藤昌益は、現実をみながらの互生論の論述である。安藤昌益は、一部の支配階級の贅沢な消費生活が農民をはじめとする民衆生活の困窮状態からの解放という側面から商人に対する厳しい見方をもったのである。

 

 2,石田梅岩と伊東仁斎の慈愛の思想

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 安藤昌益と同時代の石田梅岩は、商人に対しての社会的役割を積極的に位置づけ、その社会的倫理の大切を説いた。それは、享楽主義ではなく、倹約・勤勉・正直、公的な領域の義理を商業活動に重視した。そのことは、私的な領域の人情を大切にする心学運動の基盤をつくったのである。石田梅岩は、1685年に生まれ1745年に没している。
 商人の仁愛は飢餓のときに無料で米を放出することが社会の循環としてご褒美をもらうということを梅岩は次のようにのべる。

 「商人の仁愛も役に立つ。昨年の飢餓(享保の飢饉、1732~1733)に、無料で米を出して人を救った商人はみごとなご褒美をいただきました。飢えた人を救って人を殺さないようにするのは人間の道です。・・・買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすれば、たいていの場合に買い手の満足が得られます。買い手が満足するように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなるのです」。
 石田梅岩は世の中が間違いと不正が多いことを認識したうえで、正直、社会的正義の商人道の必要性を強調したのである。経済的に行きづまると自分だけが損をしないように手のこんだ盗みをする商いがある。多くの商人は道をしらない。賄賂を受け取るものもいる。結局、悪事は天罰がくだると考え、商人の慈愛の精神を大切にしている。
 商人は買ってもらう人々から養われているということで、安藤昌益の見方からいえば、商人と購買者は、互生関係であるということである。この互生関係に慈愛精神が媒介されて、人間本来の道になっていくのである。商人にとって、人道の道が不可欠なのであり、それをもたない商いの行為は、人間としての不正の道、搾取・収奪による盗乱の道に走るということになる。

 梅岩の心学運動の特徴は、次の4点にある。
1, 講釈、商人の日常生活を例に儒教などの教えを説いた。
2, 問答の形式で一方的に講釈するものではない。
3, 瞑想の工夫。講釈や問答だけではなく悟りによって。
4, 心を悟ることは、出発であり、実践が学ぶことの目的。学問と実践。学問即修身。
 

 勤勉、倹約、正直の思想が根本である。経験を基礎にして学問をすることを基本としている。商人の利益は武士の禄と同じであり、不正の利益はそのかぎりではない。商人は正直でなければならない。正直が行われれば、世間一同に和合する。契約関係などきちんと約束をまること。正道を人倫の基本とすべきである。
 本心は、無私であり、私欲を好まない。倹約は商人倫理として、大切にする必要がある。商人倫理は、享楽主義と対立する。正道を歩む為政者は、民を治めることから、倹約を基本として、人民の税の負担軽減をすることによって、民のうるおいをもたらすものである。
 公的な領域では義理、私的な領域では人情を主とし、第3者を媒介としないで内と外の間の葛藤を大切にする。自己の葛藤を、義理や人情のどちらかに強化する方法でうまくつりあいをもって商人は生きてきたとする。内部を無私の心に還元し、外部を天地自然の理に統一し、体験の場で一挙に内外を一体化していくという考え方である。
 学問をしたものの10人のうち7,8人は商業や農業を粗末にし、自分を偉いと思って、人をみくだす。親さえも文盲と考えるようになり、親も学問をした息子に遠慮するようになる。これは真の学問ではない。学問の道は、自分を正しく、正義に、仁と愛で父母に仕え、友人と交際し偽りもなく、人を広く愛し、貧しい人をあわれみ、威張らない人間になることである。
 ものを売って利益を得るのは商人の道である。正しい利益をおさめることで、商人は立ちゆくのである。利益をおさめないのは商人ではない。利益を得るのは欲ではない、サムライの禄と同じである。正しい利益を得るのは、こちらが利益を得るのは相手に利益を得させるためである。商人の利益は公のことである。商人が利益を得て、その仕事をはたせば世間の役にたつことを見落としてはならない。
 実際の商人には道に従わないで、不正をするもがいる。商人の仁愛は人が飢えれば無料の米を出して、救うことである。商人は買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすればたいていの場合に買い手の満足をするように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなる。
 天を知ることが学問である。天を知れば物事の道理が生まれる。個人的な考えを離れて、だれにでも通ずる太陽や月のように照らすことになる。昼間に太陽の光に頼らず戸を閉めて灯火を用いるようなことである。
 本当の学問は私心のない境地をつくりだすものである。学問では書物を読むことは不可欠であるが、しかし、書物を読んでその心を知らなければ学問ではない。文字だけを知っているのはひとつの技芸だけを知っていることなので文字芸者である。人との交わりをたつのは大きな罪になる。礼を守るのが人間で、礼をもって人間は交流をするのである。
 子育てにおいて、13歳から20歳まで奉公人にするのがよい。苦労させることも大切である。かわいい子には旅をさせよ。旅は修行なり。旅をして苦労すれば、万事に堪忍することを知り、他をあわれむことを知る。人の仁心を喜び、不仁を憎むようになる。仁をもってするゆえに、人の心をみるようになる。仁なるときは栄え、不仁なるときは恥じる。
 子どもの悪性は、特別の教えは必要ない。 人間の本性は善なるがゆえに、学ぶことによって天を知る。若年の時に苦労させるのが道理である。

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 慈愛精神をもっての人道の道については、商人の家庭で儒学を学んだ伊藤仁斎が強調している。かれは、江戸時代の初期に活躍した商家の民間儒学者であり、1685年に生まれ、1744年没している。仁斎は、為政者である武士の家庭で育ったものではなく、また、藩主に仕えた学者でもない。仁とは愛であると、日本人の感性から体系的に儒学を打ち立てた儒学者である。
 仁斎は、京都の商人の家に生まれ、若いときは、孤独に学問を探究した生活であった。しかし、京都地震を契機に、30代後半から同志会をつくり、私塾を開く。私塾では、自由に意見を出させて、それをもとに討議していくなかで、儒学を教えていくという方法をとった。人間にとってもっとも根本的な理学は、仁即愛であり、徳で最も大切なものであると考えた。
 愛はすべての人の心に通じるものであると唱えた儒学者であった。愛について、儒学的な立場から仁斎は次のようにのべる。「愛は実体のある心情から発するものである。だからこの義などの五つのものは、愛から出発するときは、本物であるが、愛から発しないときは、いつわりのものしかすぎない」。君臣関係の義、父子の親、兄弟の叙、盟友の心(誠実)という関係は、愛から発しないものは偽りにすぎないと仁斎は、断定するのであった。仁というのは愛であり、仁を理であると考えたり、性であるとしたり、知覚であると考えたりするのは、日常生活に実行することを知らないとする。
 愛の対立は、自己中心で強欲非道による他の人間関係を支配・収奪していくことで、残忍で薄情で無慈悲な心である。強欲非道で人を愛せない人は、精神的に孤立の状況に置かれ、権力欲と金銭欲旺盛で人との関係は、利益誘導であり、心が通じることがない。
 愛を豊かにしていくことは、多くの人に通じるものである。自分が他人を愛せば他人も自分を愛してくれるという関係である。愛の真の姿は、父母のむつまじい関係、兄弟が仲良くしている関係にみることができる。
 愛の心は目的を成し遂げていくうえで大きな力を発揮するものである。まさに、愛は偉大な力をもっている。愛が偉大な力をもっていることは、母親の子どもに対する献身的な自己犠牲の事例によくみることができる。そのことは、単なる自己犠牲としての意識ではなく、母親としての生きる喜びの中か生まれてくるのである。愛の心を多くの人に広くもてばもつほど人の心は豊かになって、人を大きく包容していく力をもっていく。愛の心が大きく広がっていけば、人格が豊かになる。そして、その愛する態度は、落ちついてあわてない、心をもって、人生に喜びの泉が吹き出してくるのである。

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 愛による自己犠牲的な献身は、その人自身の偉大な力になって、喜びが膨らんでいく。人は無限定に他人を愛することはできない。人は誰でも、理由をなしに、愛することができない。人を愛することは、信頼という関係がなければ生まれない。母親は本能的に子どもを保護し、育てる。子どもは、その母親の行為から信の関係を築き上げていく。人間として生まれたときから愛情関係に人は入っていく。安心して子どもは依存関係を深めて、笑いなどの豊かな人間関係の感情が母親との関係で育っていく。
 愛は人を包容し、楽しんで心配のない感情をつくりあげていくことを伊藤仁斎は次のようにのべる。
 思いやりは仁への近道であるが、仁とは別ものである。仁は努力して成し遂げるものではない。つまり、人を愛するということは無理に愛すること自体が虚偽である。思いやりは、人のこころになりかわってその立場を理解(おもいやり)するものである。それは、努力すればできるものである。仁は徳を具えた者で努力することで成し遂げられていく。徳を備えていくことが重要なのである。

 仁というものは、努力してできるものではない。 恕は、努力していく者ならば可能である。ところが、努力してできるようになる恕をしているうちに、自然と、努力によって不可能な仁を体得してしまうのだ。一つの恕をすれば一つの恕を体得するし、二つの恕をすれば、二つの仁を体得する。問題は、その努力していることがどのようなものかという点にかかっている。
 我を愛することは、生きたいという人間の生命本能として内発的に誰もがもっているものである。人は生まれたときから母親との関係という愛される関係をもつ。そして、父親、兄弟姉妹、親族、地域、保育園、学校と愛される、愛するという人間関係の信頼を獲得していく。そして、自分という存在を他人との関係で深めていくのである。そのなかで、利他的な人間関係も育っていく。伊藤仁斎は、人欲、私心がないというのは人間ではなく、人形であると次のようにのべる。
 「人欲と私心が一毫もないなんて、人間の姿かたちをしていても、人情が欠落しているのだから、もはや人間ではなく人形である」。
 「礼と義を以て心を抑制する意志力を失わない限り、人情はそのまま道となり、欲求はそのまま道理となる。情と欲とをいけないと斥ける理由はない。しかるに礼儀を以て自制する行程を踏まず、闇雲に、愛の心を断絶し、情欲を消滅させようと努めるなら、容器が曲がりすぎているのを直すのに力を入れすぎ、今度は真直に戻って使い途がなくなったような結果になる」。
 情とか欲は人間の感情にとってきわめて大切な要素である。情と欲は、人間にとっての生きる大きなエネルギーであるのである。他人との関係をもちながら情と欲の発露であることを見落としてならない。情と欲は、個人の内面のなかで一人歩きするものではなく、礼と義の摂理をもっているというのが仁斎の見方である。とくに、社会を統轄するリーダーにとっては、それが厳しく要求されていくのである。とくに、君主という統治者にとっては、民の心をよく知ることが必須の条件であると仁斎は次のように指摘する。
 「学者であれば自己の修学だけを考えておけばよい。しかし、人君の場合にあっては、民の好悪を同じくする心構えを以て基本とする。もし抽象に誠心誠意の論理を知って、民と好悪を同じくする感覚を失えば、政治の指針として何の役にも立たない」。
 政治の統治者は、民と好悪を同じくし、身をもって実践し、民を励まし、志をなすことで、民の志も奮起していくものである。このように、民と共に生きる統治者の大切さを重視しているのが、仁斎の見方である。学者が上に対して戒めることをせず、ほんとうのことをつつみかくす抽象的な誠心誠意の学問で自らを修学することでよい。
 社会のなかで愛の問題を考えていくうえで、統治されるものと、統治するものとの関係は共に生きていくということで大切なことである。君主は、民を愛するということ、自分の統治対象である国を愛することを同じようにしていくことである。民の歴史的結晶としての国の文化があり、我が山も川も民の暮らしのなかでのものである。民あっての国であり、民あっての君主である。
 安藤昌益の過渡期社会論についても統治者の統轄的な役割は、民あってこそ、その役割が機能的に存立するといのである。過渡期論を仁愛のこころから構成していくことは、より深く支配される人々と君主の人間関係をそれぞれの主体性と感情を掘り下げていくことになっていく。
 
 3,二宮尊徳の一円融合論

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 二宮尊徳は、農村の自立更正思想と相互扶助思想によって、江戸時代末期から日本の近代における農村振興に大きな影響を与えた。それは、報徳思想として、日本の多くの小学校に二宮金次郎の象が建てられたのである。
 尊徳の教えは、至誠、勤労、分度、推譲と四つであったが、窮乏する多くの人々を自力更生と相互扶助思想による農村振興でぬ農村の窮乏を救ったのである。
 至誠とは、真心であり、尊徳の生き方の全てに貫いている。勤労は、働くことによって人は生きていける根本な原理である。そして、働くことを通して智慧をみがき、自己を向上していく。人格を豊かにしていくことに働くことがあるという尊徳の見方である。
 分度は自分の収入に応じて生活設計をたてることである。人は自分の収入以上の生活を望み贅沢をしたがる。分度とは、自分の収入をみつめながら生活をしていくということである。それぞれの分度をみきわめて、贅沢を控えていくことを尊徳は家老等の家の再興に提唱したのである。尊徳の経営実践の基本理念は分度である。富貴になっていくのも貧賤になっていくのも分度のわきまえが大切である。

 分度は農民の生活にとっての基本であり、それは、地域の振興にとっての積極的な意味をもっているのである。
 楽しみ遊ぶことが分度を超え、苦労して働くことが分度の内に退けば、貧賤になる。楽しみ遊ぶことが分度の内に退き、苦労して働くことが分度の外に出れば、富貴になる(尊徳の三才報徳金毛録・富貴貧賤の解より)。
 推譲は、余剰を人や将来に譲る精神をもつということであり、自己から他人へ、自己から村へ、村から他の地域、藩へと農民の貧困対策に機能した見方であった。また、一家を継承していくためには、毎年実る果物の法則にならって、枝を切り、木の全体を減らし、つぼみのときは、余計なつぼみをとって、花を少なくすることである。たびたび肥料をあてるように、親が勤勉でも子は怠惰になったり、親は節約するが子は贅沢になったりする。家を継承するには、これに備えて推譲の道を勧めることが大切である。
 一円融合は、全てのものは、互いに働き合い、一体となって結果が出るという見方である。天と地、陰と陽の対立のなかった時は、混沌とした状態で、なにも書き込みのない円のみが描かれている。そして、天地が分かれていない一円一元は風空、火空、地空、水空ということで、混沌とした状態であるとする。
 一円一元の混沌とした世界から新羅万象への発展に展開していく。一円融合は天地の混沌としたことから、天地万物が生成して人体気、地体気、天体気が一体であると同時に、その三者は関係をもって一円の中に融合されていくという見方である。
 「天の体と気が、地の体と気が、また人の体と気が一体であると同時に、その三者はまたたがいに関係を保ちつつ一円の中に融合されていることをしめす。たとえば地の作物によって生きる人間は、大気を呼吸することで天とのつながり、死ねば土に還元され、地上のものは火によって煙となって大気に飛散する」。
 天地に生まれた生命がどのように生々消滅していくか。最初に天地に生まれた生は種である。種は種族の生命の根源である。種は生の休止した状態ではなく、生への強い契機が蔵されている。育ったものが草木である。

 

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 天は一円を通して草木花実を生じる。生とは茎、葉への生育で季節を配して種、草、花、実という一円に輪廻していく。荒涼とした天地に生気が満ちていく。太陽の光と熱を受け、四季の変化と乾燥の作用によって種から芽が、芽から茎へ、茎から花へ、花から実とへ輪廻していく。進化の道は決して柳の木から梅や桜が、種を違えて成長していくというものではない。 
 植物が育つには、水、温度、土、日光、養分、大気などいろいろなものが溶け合ってひとつになって成長していくということである。尊徳は、儒教的な仁・義・礼・智・信の五行よりも仏教的な空・風・火・水・地の五輪の思想をもってきた。
 この方が、尊徳の考える大自然を説明できる。尊徳は、すべてを円の図を書いて説明している。円は、宇宙の一切の事象、自然界、人間社会を説明する尊徳の思想の独自性である。一円は、天地万物の多様性を生み出す根源であり、天地万物が生成発展し、進化していくものである。
 我利・我欲を社会の中心に置くと、天が乱世を命じていく。それは、徳を中心とする政治に対立することであり、その悪循環の恐ろしさを指摘しているのである。我利・我欲は、不学から生まれるものである。
 そして、農業に怠惰となり、廃田をつくり、貧民になっていく。下に乱が起きる。犯罪が増え、臣恣になり、民は逃散していく。この我を中心とする一円は、賊仁をつくり、多くの衆を失い、国を滅ぼしていく。悪は悪を招き、邪は邪を呼んでいくという循環になっていく。
 徳を中心とする天は、百穀栽培の季節を命ずる。徳を中心にとすれば国は平和に保たれ、人々は農耕に精を出し、多くの作物をつくることができる。天地に万物が生育する時、天地の呼吸、四季のめぐりを大切にしている。種類は場所によって、それぞれの時期の違いがある。天地の中心は太陽であった。太陽の恩恵によって天地は繁栄していく。
 治世の根本は徳であり、その徳は学によって心の中から生まれていくものである。徳の心は、民を励まし、開田し、民はそのことによって恵まれ、犯罪はなくなり、国は安寧し、豊かになり、子孫は繁栄していくものだと一円上に描く。
 我利・我欲と徳を対概念として二宮尊徳はみているのである。我も徳も人間の作為である。徳は人間の目的意識的に自覚されていくことによって身についていくものである。それは、学問によって、形成されていく。仁義礼智信は、混沌とした状態から人間社会が確立されていく過程で生まれていくものである。(38)
 尊徳は天地人の三才のなかで、人ということで我をみる側面がある。人を主体的にとらえることで我を使用する。天と地の間に我がある。仁義礼智は外から我をかざるものではなく、生まれながらにもっているものである。学によって、それが発露していく。
 我人は、天地に人が誕生して、その人を中心に男女五輪の道という人倫の仁義礼智信という徳を学ぶことをしない不徳の我が中心となって治世を行えば、賊乱が起きる。我を人としてみていくか、我を徳に対する反対の我を中心とする治世ということで、利他をみないで絶対的自己の欲望を人間のもっている意志を我欲として増幅させていくか。
 万の人間がいれば万の心がある。その中には善心があり、悪心もある。離叛の心があれば服従の心もある。自然に和の心で行動するようになるが、和の心でいてもいつか不和の心が起き、不和の心から人を怨む心が生じる。また、親愛の心に変わることとなり、親愛の心があれば、平穏を願う心が起こってくる。

 平穏の心が起これば、賊乱の心もおこり、賊乱の心があれば、天災をこうむることになり天の恵みは永遠に失うことになろう。つまり一人の心を乱せば、十の心を乱すことになり、一つの心が治まれば十の心が治まることになる。だがから百の心が乱れれば千の心が乱れ、千の心が乱れれば万の心が乱れるように、際限なく広がる。これが天理であり、自然なのである。
 そもそもすべては不徳である。その不徳が有為転変をとげて聖人・賢者になる。聖人・賢者の本質は仁義礼智信の道を学ぶことである。学問を身につけていれば、政治を行っても公平で私意をはさむことはない。政治が公明であれば、人々は必ずその徳を尊敬する。尊敬があれば、民衆は怠らず農業につとめ、精勤に励むため廃田になるようなことがない。そもそもすべては治心からはじめる。治心が転倒すれば乱心になる。


 乱心の根源は不徳である。

 不徳は不学にゆきつく。不学のものを考えれば怠惰であり、怠惰の者は、学問をなおざりいしていることにある。学問のなおざりは父母の責任に帰されるから、父母は教育に不熱心という過ちを犯せば、その子は政治に無関心となる。不徳は賊乱を生むことになるのである。我をみるときに、二つの見方があることを尊徳も一円の対概念のなかで位置づけている。
 人道は労働を基本にして推し進められていく。尊徳は、生民の勤労を計る時の一円として、一日の生活の中で、労働の占める位置を表している。辰の刻(午前8字時)から午(正午)未(午後2時)から茜の刻(午後6時)ということで昼間の8時間を働く時間にしている。現代の8時間労働制の見方は、尊徳においても勤労の時間として考えられていたのである。


 尊徳にとって、上下は交流し、相互扶助していくのが人間の道であるとする。

 上下貫通弁用之解。天地の慈愍(じびん)なければ万物生育せず。天地の慈愍によって万物生育をなす。天地の慈しみあわれむことを万物生育にとって重要なことと尊徳は考えているのである。神仏の擁護なければ諸災降伏せず。神仏の擁護によって諸災降伏をなすとして、人々の災難から加護する神仏の社会的役割をみている。
 帝威の厳重(げんちょう)なければ四海安寧せず。帝威の厳重によって四海安寧をなす。武威の正道なければ国家平治せず。武威の正道によって国家平治をなす。農民の耕耘なければ次年の衣食なし。農民の耕耘によって次年の衣食を保つ。帝の権威と武の正道によって国を平治することになる。人々の衣食を保つ農民の役割を尊徳はみる。
 儒舘の譔諭(せんゆ)なければ聖賢の道を弁(わきまえ)へず。儒舘の譔諭なければ聖賢の道を弁ふることをなす。儒者がいることによって、人々に学問をさとすことができ、人々の徳のある生き方の道を示すことができないとしている。書家の教導なければ揮毫(きごう)弁用に滞る。書家の教導なければ揮毫(きごう)弁用にをなす。
 医家の療功(りょうこう)なければ疾病快癒せず。医家の療功(りょうこう)なければ疾病快癒をなす。数者の訓傚なければ間任算法(けんむさんぽう)に礙(とどこお)る。数者の訓傚なければ間任算法をなす。儒者、書家、医者、数者のもつ智と、それらを導く教育者の社会的役割を尊徳は指摘するのである。
 工匠の勤労なければ諸舎の造健ならず。工匠の勤労によって諸舎の造健をなす。商賈(しょうこ)の運送なければ諸品廻便せず。商賈の運送によって商品の廻便をなす。諸職の作業なければ万器自由にならず。諸職の作業によって万器自由をなす。工匠、商売、諸職の作業の重要性を人々の生活をおもいのまま豊かにしていくこととして社会的評価をしている。
 天地の恩恵は、神仏、帝武の役割、農民、儒者書道家、医者、数学者、建築家、商人と、それぞれの職業すべての社会的役割にみている。
 一円融合の相互依存では、横につながるものではなく、上下の関係においても同じである。天地自然の道理から、身分的上下も絶対的なものではなく、武士・百姓という上下関係も、一方的に服従するという寄生的なものではない。この発想は、天地・男女・昼夜・貧富・善悪・徳不徳というものに対する考えてと軌を一つにしている。
 尊徳の社会の上下交流と相互扶助は、それぞれの社会的役割を円滑に遂行していくために大切なことになっている。身分的上下関係は、絶対のものではないというのが尊徳の考えである。相互扶助の関係からは、服従も寄生的なものではなく、相互に役割を果たしているという見方なのである。
 田があるからこそはじめて生命を育成することができ、田畑があってこそ君主は君主なることができるのである。田畑の恩恵があるからこそ、民衆は民衆としての務めができ、財宝は財宝としての価値を示すことができる。田畑の恩恵があるからこそ、すべての社会組織も機能することができる。
 人間が、人間として踏み行うべき道を一歩もはずすことなく暮らせるのは田畑があるこそである。田畑は、人間が生きていくいくうえでの衣食住の基本である。農業の恩恵がなければ、神社仏閣、宮殿、橋や道路、刀剣などもつくれない。人間社会、個々の生活、国家の存亡は、農業あってこそであると尊徳は、強調するのである。
 三才報徳金毛録の報徳訓では、「人間界の父母の根源は、天地が命ずるところにもとづいている。自分の存在のすべては、父母の養育にもとづいている。子孫がよく似るのは夫婦の結合にもとづいている。家運の繁栄は、祖先の勤勉の功にもとづいている。自分の身の富貴は、父母のかくれた善行にもとづいている。子孫の豊饒は、自分の勤労にもとづいている。身体の長命は、衣食住の三つにもとづいている。田畑・果樹の栽培は、人々の労力にもとづいている。今年の衣食は、昨年の生産にもとづいている。来年の衣食は、今年の艱難辛苦にもとづいている。だから年々歳々、決して報徳を忘れてはならない。
 報徳訓では天命としての父母の意味と父母の社会的役割が強調されてる。そして、祖先の勤労の功、父母の善行による富貴をのべる。尊徳にとっての人間が生きていくうえでの父母・家族の大切さ、父母に感謝することが記されている。そして、身体にとっては、衣食住に支えられていることがあり、農業によって衣食住がなりたっており、その報徳を忘れてはならないとしている。衣食住と命は一円で対極にあり、勤労と産業も対極に位置づけられている。

イノベーションと社会教育・生涯学習 ーシュンペーターの資本主義・社会主義・民主主義から学ぶー

イノベーションと社会教育・生涯学習
シュンペーターの資本主義・社会主義・民主主義から学ぶー
神田 嘉延

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はじめに

 

 コロナ禍で、仕事を失い、収入が激減している階層と特定の企業で高利潤の急成長がみられ、株式の急騰で高所得をあげているように、格差が一層に進行しています。ここには弱肉強食の新自由主義が大きく問われているのです。

 イノベーションをした企業や巨大な多国籍企業の莫大な利益をあげている実態や超高額所得の増大のなかで、それらの企業の社会的責任、社会的貢献が大きく問われる時代です。


 イノベーションは、現状の矛盾を変革して、新たな社会的結合をつくりあげる社会経済変革で、それを人間的能力によって、実現していくのです。ここには、社会経済変革と社会的責任の人間能力形成の社会教育・生涯学習が不可分なのです。 


 ところで、デジタル分野など高利潤の時代の最先端をいく企業は、コロナ禍で利潤を大きくあげたことで、注目を集めています。それらは、SNS上の広告料をはじめ、経営の革新を大胆に行っています。
 これは、ある意味では現代におけるイノベーションを遂げた企業経営者の典型でもあります。イノベーションは、社会経済全体の危機のなかでも、急成長の経済発展の分野をつくりあげていくのです。しかし、その経済発展には、同時に深刻な格差と貧困化、自然破壊、環境問題という社会的矛盾を作りだしているのです。

 持続可能性の課題、地球温暖化による脱炭素化社会を突きつけられているのです。新型コロナのパンデミック状況も、人類の経済発展と感染症に伴う公衆衛生上の問題が問われているのです。ここにも資本主義主義的な経済の問題の矛盾が潜んでいるのです。徹底できない感染症対策が経済との関係で鈍らせているのです。


 イノベーションという社会経済の革新と同時に、政治の世界では、新自由主義のもとに、弱肉強食の競争原理を積極的に導入するために、規制緩和と公共的分野の民営化を行っています。これを改革という名のもとに、公共性の役割、公共事業の民営化ということで、その分野を利潤の対象としているのです。


 さらに、国家の財政政策や国家の公共政策が企業との癒着が度々に問題になのです。政治家と国家の公共事業の発注、国家の許認可権などから政権党の政治家・内閣・高級官僚と大企業の経営者など利害関係者の関係が大きく問題にされていくのです。
 同時に、公営事業の効率性やイノベーションも官僚制のなかで硬直化しやすい側面をもち、市場競争との関係性をもたないことから、国民や住民との関係でのサービス分野としての側面からの徹底化した透明性と公開性、国民や住民の参加方式が問われるのです。


 公営事業サービスでの利害を有する住民に意見を聞く仕組みの構築、ときには、住民投票などもひとつの手法であるのです。その際に、議会の役割は大切な意味をもっています。
 イノベーションとは社会的な所得分配、企業の社会的責任との関係を大きくもっていくことを見落としてはならないのです。より豊かで、幸福に暮らせる社会的イノベーションにつながっていくことが大切なのです。


 それは、格差をなくし、医療や生活保障等の社会保障や教育の充実をしていくことが大切なのです。それには、イノベーションによって、高利潤の成功を遂げた企業の社会的責任、社会的貢献、利益の社会的還元が問われているのです。その役割を果たすための政治の役割も大きいので。
 資本主義は、基本的に市場競争によって経済がなりたち、そこでの企業は、常に競争から生き残るために経営の革新、技術革新等が求められていきます。

 市場競争は景気循環が伴い、需要にあわせて生産が行われていくことではなく、過剰生産というアンバランスを生んでいくのです。いわゆる生産の無政府がつきものです。生産調整ということから、労働者のリストラ、恐慌、不況が起きるのです。

 イノベーションの動因は、企業の生き残るためという狭い意味ではなく、先を見通しながらの経済の安定性と人類的視野からの人びとの暮らしを豊かにし、自然循環経済や持続可能性ための社会経済の革新という視点が大切です。

 ここには、公的機関が担う積極的労働力政策の職業訓練教育がイノベーションの人材養成として求められるのです。景気調整の循環も意識しながらの労働者の雇用安定性のためにも必要なことです。


 貧しい国の人びとが国民的な運動として、社会経済の発展のためにイノベーションをしていくのも単なる個別の企業の利潤追求という次元ではないのです。

 国家としての経済発展の強力な目標をたてていく政治の役割は、貧困からの脱出ということがあるのです。貧困の人びとが個々に、イノベーションのために自己の能力形成、革新的な社会的運動に参加していくのも自らの境遇の脱出のためです。

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 シュンペーターは、イノベーションによって資本主義経済の動態的発展を体系的にとらえた最初の経済学者でした。彼の考えるイノベーションは、経済発展をとげることによって、実はそれが資本主義制度の衰退に導き、社会主義に移行していくというのです。
 経済の発展はイノベーションによって、非連続的になり、新たな結合をつくりだしていくとするのです。企業者に求められるのは、精神的自由、洞察力・想像力、強い革新的な意志力であるとしています。
 シュンペーター理論における社会主義の発展は、イノベーションによって資本主義的社会制度を不可能にするとするのです。つまり、資本主義の発展という成功が社会主義になるという理論です。


 社会主義的な完全雇用を実現するための公共管理、所得の再分配を目的とした累進課税が必要になってきます。そして、物価管理に対する規制措置、労働市場や金融市場の公共的な規制が求められていきます。

 医療保険雇用保険などの社会保険など、すべての形態の社会保障政策の実現という社会主義施策にとって重要な課題が人々に明らかになっていくのです。

 教育の保障は平等社会をつくっていくうえで大切な課題です。それは同時に経済発展の人間的能力形成にもなります。義務教育、人間の能力、人びとの希望に応じての教育の生涯保障は、資本主義の発展によって、つくられていくとするのがシュンペーターの理論なのです。


 ここでは、シュンペーター理論の経済発展による社会主義の必然性を考えていきます。大切なことは、経済発展は、新たな経済の仕組みが生まれていくことは事実ですが、労働疎外の問題や社会保障の充実などは独自に考える問題です。資本主義的経済発展による矛盾で自動的に克服される課題ではありません。
 そこには、資本主義的矛盾の問題を克服していく独自の社会的運動とそれを受け、その矛盾を克服していく政治の課題があるのです。社会的矛盾を解決していく政治は、それらの課題を政策化して、行政的にも社会制度としての民主的にコントロールしていくことが必要なのです。


 資本主義の経済発展は、自動的に社会主義的な仕組みが生まれてくるものではないのです。私的領域の経済ばかりではなく、公共的領域、国家の民主的統制や管理、労働組合の社会的能、NGOの民間社会組織の役割などの社会的な制度づくりをめぐっての独自の政治の役割や社会的運動・組織が社会主義への道にとって重要なことなのです。

 

シュンペーターのみるマルクス学説

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 シュンペーターは、資本主義の発展の成功によって、その秩序は滅びて社会主義になっていくという理論です。社会主義の移行という歴史の必然性という予言はマルクス学説と同じです。彼は、マルクス科学的社会主義の理論をうちたてことは評価すべきとのべるのです。

 シュンペータは、憎悪や軽蔑という観念ではなく、社会主義の歴史的必然性を科学的に社会的事物をとおして明らかにしたことというマルクスの業績を大切にするのです。また、歴史的事実および同時代の事実の広大な把握からの分析だとするのです。


 シュンペータはみるのです。現実に、その後の資本主義の発展の歴史は、マルクスが考えたようにならなかった。社会的生産力の発展によっての大衆の貧困の増大、搾取理論、恐慌に関する過小消費理論など現実は違っていたのです。
 マルクス景気循環をのべていますが、恐慌の崩壊に力点を置き、機械的な蓄積過程による資本主義の発展になったとするのです。恐慌、繁栄と不況との景気循環の内在的交替をしながら資本主義の力強いイノベーションの発展がされたが、マルクスはこれらの現実の発展をみれなかったとシュンペータは考えるのです。


 つまり、恐慌から次の好況に至るイノーベションによる復活の発展ということをシュンペータは、重視するのです。これらのことから社会主義の移行の過程や方法がマルクス学説と根本的に異なるとシュンペーターはみているのです。


 マルクス学説によって、資本主義の発展が、その基礎を破壊するという歴史の必然性を明らかになったのです。経済理論がいかにして歴史的分析に転化されうるのか、また歴史的物語がいかにして理論的歴史に転化されうるかを、体系的に理解できる優れた最初の経済学者であるとシュンペーターは評価しているのです。


 マルクスは社会的教師としても偉大性をもっているとシュンペーターはみるのです。マルクスの体系は、総合化した社会科学として新しい光明をもたらしたと同時に、新しい拘束をもたらしたとみるのです。経済学と社会学とが相互に浸透しているのがマルクスの理論になるというのです。

 マルクス的方向での総合化は、悪しき経済学、悪しき社会学という結果に陥りやすい。単一の目的のために、無理に傾注せんとするのです。現在の情勢や問題を理解するのに、全体的にマルクス的総合に信をおく人は、ひどい間違いに陥りやすいというのです。

 

 マルクスの階級理論と蓄積論によって、現代のなまなましい問題が説明されたとするのです。資本輸出、植民地化、国際政治の説明を独占化集団の相互間闘争と階級闘争に還元してしまう間違った理論があります。
 マルクス空想的社会主義から科学的社会主義の体系をうちたて、資本主義発展が論理的に資本主義を破壊し、社会主義的秩序を生み出すことを資本論によって明らかにすることに成功した。
 そして、社会主義社会を詳細に論ずることを差し控えた。社会主義的秩序は、自動的に実現しないであろう。条件を準備したとしても、それを実現するには、別個の行動が必要とシュンペーターはみるのです。


 マルクスはイギリスにとっては、平和的に社会主義秩序の実現の可能性があるとみたけれでも、彼の時代にあっては、簡単ではないことも認識していた。資本主義の進化こそ社会主義の産みの親であり、ブルジョア急進主義や社会主義陰家のいう革命像とは趣を異にするという。マルクスは本質的に資本主義の発展による満期における革命理論であるとシュンペーターマルクス理解です。

 

 資本主義は生き延びるのか

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 シュンペーターは、1929年以降の大恐慌によって、資本主義の新財政政策、新労働立法、私企業に対する政府の態度が大きく変わっていくとしたのです。資本主義の矛盾に対しての社会経済改革が抜本的に行われていくのです。国家にる公共的事業施策の抜本的的拡充施策はに恐慌からの脱出ということから普遍化したのです。

 資本主義経済の無政府性の経済的コントロールが国家によって行われていくのです。そして、恐慌の矛盾からの大量失業と社会的不安からの社会保障政策が行われていくのでした。いわゆる福祉国家の資本主義ということに変わっていくのです。

 

 シュンペーターアメリカのニューデール政策が、公共経済として私的企業体制の有効性をもったというのです。資本主義は現在においても絶えず失業という悩みをもってきたとするのです。
 資本主義では、経済発展の諸条件を傷つけることになしに失業そのものに十分に世話しえない。失業は苦悩や堕落、人間的価値の破壊を招くのです。資本主義的秩序は、その深刻な打撃をこうむらないようにする保証も意志もないし、能力もないということをシュンペーターはみているのです。


 そして、資本主義の発展は、老人や病人の保護、教育、衛生のための将来についても同じことがいえるということです。完全競争の意味では、完全雇用を保障できないということです。利潤のための生産と消費のための生産との間には対応関係がないというのです。

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 1929年の大恐慌を経て、資本主義の発展は、福祉国家的資本主義になり、国家の財政政策によっての社会福祉政策や社会保険制度を充実していくのでした。失業問題の解決しての国家としての完全雇用政策が生まれ、産業構造の根本的な変化のイノベーションに対応しての積極的な労働力政策がとらえていくのです。
 さらに、公共経済ということで、国家が積極的に公共事業などが多くの分野の経済活動に関与していくのでした。公共事業によっての積極的雇用と経済の活性化が行われ、国民経済に大きな影響を受けていくのです。ここには、国家の公共事業の発注先の企業との結びつきが一層に強められていくことがあるのを見落としてならないのです。市場経済に対応した営利目的としての効率性を求める企業と国民の暮らしや社会的基盤を整備、公教育を目的としての国家の役割とは本質的に異なるのです。

 

 公共事業は恐慌、不況という次元ばかりではなく、資本主義の経済活動に大きな位置を占めるようになり、企業の顧客としての国家の各分野の事業、各地方自治体の事業が市場獲得として位置づけられていくのです。

 そして、本来的に公共事業は国民にとっての生活や経済などを支える社会的基盤整備であるはずですが、社会的責任や社会的貢献が第一的であるはずです。しかし、現実は、利益を得る対象になっていくのです。社会的責任や社会的貢献をしている企業として、社会的信用を得て、本来の民間部門での市場で大きな信用的還元として、民間の取引での利益をあることが筋です。実際は利益対象としての公共事業が位置づいていくのです。

 ここに企業と政治の癒着、企業と行政の癒着、汚職や賄賂の政治的正義、政治的倫理の問題が起きてくるのです。公共事業における業者との関係では最小限の費用と最大限の効果という公共事業の財政的仕組みや発注の公正・透明性が大きく問われてくるのです。

 

 国家財政による経済政策と企業との関係ということが、入札制度などの公共政策の公平性をどう担保していくのかが、大きな課題になっていくのです。また、公共事業そのものが、実際の国民の生活向上や生活の安全性、国民の健康と福祉に貢献していくのか、持続可能性社会、循環型社会に貢献するのか大きく問われるのです。

 公共事業の拡大は企業にとっての大きな市場、利益を得る場ということの仕組みの改善をどのようにしていくのかが問われているのです。特許問題の特定からの業者間での暗黙の取り決めで、特殊な分野の公共事業などでは、その問題がおきやすいのです。

 

 例えば、ダム建設について、長期に機能していくのか、自然環境について共生的になるのか。道路建設についても山村などで大型道路が必要なのか。それぞれの地域の特性によっての道路建設がなぜできないのか。予算執行の規格化・画一化などの問題性があるのです。費用対効果としての公共事業のあり方が問われるのです。

 大型のゴミ焼却で発電事業を兼ねる場合には、電力会社との売電の権利金の支払いなどとも絡み複雑な利益独占になりやすい構造があるのです。専門委員会の設置などで公平性の仕組みは形式的につくるのが一般的ですが、広く国民が理解しやすいように透明性をもって公開し、議論できる場の設定がされないのが現実です。

 

 実質的には独占的に公共事業の発注がされて、自由市場になっていなければ、一層に癒着構造は深まり、価格設定が一方的にされていくのです。経済の民主的コントロールには、本質的に公共事業の発注を受託できることによって莫大な利益を得ることができる構造をなくしていくことが根本であるのです。

 

 国家財政の拡大は、国家による市場拡大の分野になっていくのです。ここには、政治と企業の癒着の問題が大きく拡がっていく背景があるのです。汚職・賄賂問題などの構造的な頽廃問題が生まれる土壌がつくられていくのです。国家財政は財政的民主主義としての国会による歳入歳出の単年度会計主義が原理です。国会の歳出は公債又は借入金以外の歳入をもってしなければならないと日本の財政法4条では、規定されているのです。

 しかし、第4条の財政法で但し書きが公共事業、出資金、及び貸し付け金の財源については国会の議決を経た金額の範囲内で公債を発行できるとして、この特例規定が現在の日本の予算では恒常化しているのです。国債発行については、巨大に国の借金が累積していけば、将来世代の税の負担の可能性が大きくあるのです。

 つまり、国民の借金の返済に国民の税負担として大きくかぶさってくるので、国民的な議論が必要になってくるのです。単年度主義の予算原理、法令主義から国民の暮らしを第一主義にするためにも、長期に予算計画が必要になっているのです。

 また、国会の予算は巨大になり、国民生活、国民経済にも大きな影響力をもつことが現実になり、租税徴収、国民の各層の生活水準のバランス、社会保障、企業の大中小の経営、農家経営、働く人々の生活、インフレーションなど様々な国民経済の影響を受けるのです。

 財政民主主義にとっての国会の歳入歳出の決議は極めて大切です。しかし、その機能が行政府による予算編成の役割による権限が強く、各省庁の大臣の政治的支配力で、政権党以外では、その国民的予算要求には十分に機能していない構造があるのです。多元的な要求をくみ上げていく議会制民主主義が発揮しないということになるのです。議会制の形骸化になりかねないことが財政誘導による政治的影響力の行使で起きるのです。

 予算の国民的な議論を起こしていくためには、予算の審議過程の徹底した公開制、透明性が必要です。予算については、国民にわかりやすい内容で国民に公開し、国民からの意見、批判的なことも含めて、各省庁の予算編成での概算要求の作成過程が必要になっているのです。

 それは、概算要求の策定過程における絶対性をもった官僚主導ということではなく、行政府の官僚は予算策定の専門機関の役割として、その独自性を発揮しての政権党の議員からではなく、野党議員も含めての国民の予算要求を幅広く、国会に吸い上げていく仕組みが重要です。予算編成における行政府の役割が大きく、国会の役割を予算編成に拡大していく改革が求められているのです。行政府の専門性と政権党ばかりではなく、野党も含めての国民の多様な予算要求の政治的調整との関係があるのです。国会と行政の関係の見直しとして、予算の編成過程、予算の行政府の執行評価、予算の利害調整機能による国民的合意などが大切になっているのです。

 

 このためには、さまざまな意見をくみあげの国民が参加できる野党議員も含めての政策づくりと予算策定ができる仕組みが必要です。国民の予算要求が多元性をもつようになっている現代社会で国会は様々な利害調整機能をもつことが今後の課題です。

 国民が予算の公開制から意見を自由にのべることができるためには、マスコミの役割も重要ですが、国民が予算について学べる社会教育の場づくりも不可欠です。

 
 ところで、完全雇用のための積極的労働力政策は、産業構造が大きく変わるときに極めて大きな課題になります。例えば、1960年代では、エネルギーの構造が根本的に変わった。国内でのエネルギー調達から海外依存になった。日本ではエネルギーの石炭や薪・木炭依存から石油への転換になったのです。

 鉱山や山林で働いていた人びとが失業していったのですが、そこで働く人びとの就職が大きな問題になったのです。イノベーションによる産業の転換は、そこで働く労働者の転職問題が生まれるのです。


 資本主義の発展は、恐慌、好景気、不況という循環性をもち、好景気は、イノベーションによって、もたされていく。そして、その循環過程のなかで、淘汰される企業や産業分野も生まれ、資本の集中が行われ、労働者は絶えざる失業の危機、転職、配置転換が求められていくのです。このための職業転換のための職業教育・職業訓練が必要になってくるのです。


 市場社会に対応しての競争社会は、イノベーションが絶えず行われ、資本主義が発展していくのですが、それに対応しての生涯学習は労働者の安定的な生活権の雇用確保に不可欠に求められているのです。
 資本主義発展に伴うところのイノベーションには、労働能力の側面から生涯学習が不可欠なのです。資本の集中は、同時に独占化の問題が起きて、公平なる競争が大きな課題になり、イノベーションと既得権の維持という対抗になっていくのです。

 公平なる競争が行われずに、既得権主義に陥れば、イノベーションが鈍化していくのです。国際的な競争のなかでは立ち後れていくのです。資本主義的経済成長は資本の集中が行われて、企業が巨大になっていきますが、このことによって、企業自身の官僚化も進み、既得権や現状の固定化になっていく。安定志向のための競争が組織内で起きるのです。


 ここに、企業内での立身出世の構造が上司への忖度の基盤になっていくのです。それぞれが、企業内でのイノベーション的志向ということにはならないのです。まさに、企業内の官僚化現象ということからの組織の硬直化が起き、自己の地位の安定志向ということで、新しいことよりも前例踏襲主義になっていくのです。


 また、組織内では、上からの指示や決められた枠内で動いていくのです。時代とともに社会が動いていくことが忘れ去られていくのです。

 市場に対応していくということは、このことが大きく問われていくのです。企業内における組織内民主主義の問題、それぞれがアイデアを出して、イノベーションのために自由に切磋琢磨していく状況が求められていくのです。

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 ところで、顧客第一主義という理念から消費者の動向にそっての営業活動からの新商品開発ということが一般的にテーマになります。

 生産と消費は不可分の関係ですが、資本主義的生産では、効率的な生産性による価格競争というから、常に過剰生産が社会的にもたらされるていくのです。さらに、消費者主権ということからの自由に選択できる権利が不可分になるのです。


 情報の発達、インターネットの発達などが、人びとの公平なる実物をとっての判断、不安をあおる宣伝などで、自分の生活要求からの商品契約の判断力が極めて弱くなって、自由に選択できる幅が狭くなっているのが現実です。そこには、実物と実際の人間関係がみえないところでの取引が行われて、詐欺なども頻繁に起きるのです。

 

 ところで、生産と消費という関係ばかりではなく、生産それ自身が自然との共生ということが環境問題に求められるのです。持続可能性の発展ということが大きな課題になっていくのです。

 そこでは、売るための生産、売るるための消費者への宣伝合戦ということではなはなく、持続可能性、自然にやさしいという人間生活と自然の共生が人類的課題になるのです。

 そして、すべての人びとが幸福に豊かな生活をしていくための社会的需要の視点が必要な時代なのです。大量生産、大量消費、大量廃棄物という矛盾が人々の欲望のコントロールを要求しているのです。


 現代資本主義の市場社会では、SDGsという課題、企業の社会的責任が求められる時代です。企業の在り方が利潤追求ばかりでない、社会的モラルが必要な時代であるのです。

 また、消費者自身の欲望も同時に社会的な責任、一定の豊かさが達成している人びとには、利他主義的に格差是正の社会的貢献が求められているのです。
 そして、消費における持続可能性をもって生きていくという生活スタイルが大切になのです。消費と生産という相互の関係から、社会的責任、欲望の持続可能性、自然との共生のためのコントロール利他主義的な相互依存と共生の関係からの生活が不可分になっているのです。


 シュンペーターは、資本主義において価格競争、品質競争、販売方法の努力の理論ばかりではなく、新商品、新技術、新供給源、新組織形態からの競争が重要とするのです。

 この競争は、費用や品質における優位、企業の利潤や生産量をゆるがすという程度のものではなく、その基礎や生存自体をゆるがすものであるという認識が重要であるとするのです。これらの競争は、新会社、新方法、新産業を超えてさらに拡充されていくというのです。


 シュンペータは、資本主義が生き残るかということで、次のようにのべていきます。旧会社は、烈風にさらされるのです。創造的破壊の過程は絶えず嵐に耐えた企業が生き残っていくのです。

 多数の企業は、壊滅せざるをえない事態が発生するのです。ある産業を破壊して活動不能からくる損失をこうむらせたり、失業をつくりだす場合があるのです。旧産業形態や旧経営方法の会社を一挙に崩壊するのを避けるのは、秩序ある社会の発展のために大切なことです。

 資本主義の文明作用として、社会的立法、大衆の利益のために制度改革の大切さの意志を提供しているということです。資本主義の発展の過程は人間の考え方を合理的にしていくというのです。資本主義は、合理的、非英雄的であり、産業や商業を成功させるには、巨大な精神力が求められているとシュンペータは力説するのです。


 未知の社会主義に自己の希望を託すという前に、いま一度資本主義過程の業績、文化的業績をみつめることが必要とシュンペーターは強調するのです。そして、資本主義では様々な矛盾の制約のなかで、人間の行動は、自由に選択できるものではないのです。経済的、社会的事実の動因によって人びとが動くというマルクス主義の真髄を認めるのであれば、われわれはマルクス主義にならねばならないと指摘するのです。


 一方で、資本主義の発展は、国民の大部分を合理的な思考にしていく文明作用をもっているのです。資本主義の発展過程における矛盾からは、私有財産制度と契約の自由の制度を背後におしやったのです。

 労働市場では自由契約では行われないという事態が生まれ、資本主義的秩序は、自由にものごとを考える知識人を効果的に制御する力をもっていないとシュンペーターはみるのです。資本主義の発展によるイノベーションによって、知識社会は大きな意味をもっていきます。しかし、知識人を社会的秩序の有力者としてコントロールできないのです。ここに、資本主義の発展によるイノベーションにおける矛盾があるのです。

 

 シュンペータの考える社会主義

 

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  シュンペーターは、社会主義というと中央集権的社会主義ということだけではない。民主的な社会主義もあるとしているのです。社会主義の本質は、資本主義過程に内在的な発展によって準備されていくとするのです。


 それは、資本主義のなかで、ゆるやかなテンポで社会主義への道が始められ、資本主義過程は社会主義のための事物と精神を形づくるというのです。しかし、資本主義的秩序は、社会主義的秩序に自動的に転化しなという見方です。
 資本主義の発展による社会主義の道は、平和的に議会を通して、憲法の改正により、社会主義的秩序に変化していくという見方です。それは、社会化政策の部分をなすものです。法の連続性によって、あらゆる階級の協力と合意によって、資本主義勢力の抵抗が弱くなっていく。この成熟によって、平和的な方法で、社会主義的秩序に変化していくというのがシュンペーターの基本的な考え方です。


 株式や債券の保持者の利益は成熟期に選挙民の大多数を包含するものとなるから、かれらの利益を略奪せよという提案は生まれてこないという見方です。むしろ、倫理的原則によって、社会共同体の自由な選択ということになるのです。社会主義的共同体が私的貯蓄を利用しているかぎり、利子や配当の支払いが行われるというのです。


 以上のようなに、シュンペーターの株式や債券の保持が大衆の貯蓄として一般化していくことは否定されるものではありませんが、株式会社の議決権は、株数によって決定されていくというしくみで、現実の大株主の存在があることを見落としはならないのです。この意味で株式会社の議決権や管理運営の民主的コントロールの改革が課題になるのです。


 シュンペーターが強調するイノベーションを成し遂げていく起業家などは、大成功して大株主として大富豪になっていく。
 彼らは、資本主義的秩序に大きな影響力を発揮していく現実があるのです。また、先祖代々継続して、大資産家の問題があり、世襲制による会社の管理・経営、政治の支配的側面もあるのです。

 この大株主の問題や政治の世襲制の問題をどのように平等社会への関係に結びつけていくか、格差や貧困化の問題との関係で、どのように考えていくのか。

 その問題に正面から向き合う社会的経済しくみが求められているのです。累進課税方式や高額の相続税が問われるのです。生活権的私有財産権と世襲的に経済権力維持の基盤になる高額な相続は本質的に異なるのです。


 また、株主と会社内での民主主義的な経営管理の問題も大きくあるのです。これは、労働者が生きがいをもって働くしくみをどのようにつくりあげていくのか。労働疎外からの解放という大きな課題があるのです。イノベーションは、企業経営の問題ばかりではなく、労働者が絶えず学びをあたえられていることが必須の条件です。


 そして、雇用不安からも、職業教育が生涯保障されいくことが求められているのです。イノベーションに対応して、それぞれの労働経験、人生的経験も含めての、本人の将来の生きがいを加味して、失業という事態が起きても、職業教育と失業・雇用保険制度がリンクしているのが不可欠なのです。

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 資本主義の未成熟状態での社会化ということでの社会主義秩序の移行ということで、権力の奪取が行われている現実があります。未成熟とは、産業組織や商業組織の面において、中小規模の企業が依然と多く、同業者組合の協力体制も完全なものにはほど遠いものがあることを未成熟としてシュンペータは重視するのです。


 未成熟状況では、精神の方は、はるかに社会主義的準備が遅れているとみるのです。不況のための衝撃をくらったにもかかわらず、実業家はもちろん、非常に多くの農民、労働者たちもブルジョア秩序に従ってものごとを考えたり、感じたりしていないのです。

 ここでは、それに代わる社会保障政策、公共経済政策、公共的計画性、経済の民主的社会コントロールなどの社会主義的秩序的観念をもっていくことが大切ですが、それをもっていないのが現実です。

 また、社会主義的な簿記体系や所得体系が作用する状況ではないのです。このように資本主義の未成熟秩序での社会主義秩序の権力移行の困難性をシュンペーターはみるのです。


 社会主義と民主主義の関係について、シュンペーターは、マルクスの理論を深めているのです。マルクスにとって、革命とは必ずしも少数派が頑強に反対する人民を自らの意志に従わせることを必要としなかったとするのです。ブルジョアジーからの一歩一歩と資本主義発展の進行中における階級差別の消滅の運動が大切というのです。


 民主主義的方法の成功条件には、四つをシュンペーターは示しました。第一の条件は、政治の人材です。十分な能力と道徳品性をもった政治が必要とするのです。民主主義的方法が選挙によって選ばれてくるものです。責任ある地位につこうと行う競争的闘争は人員と精力との浪費をもたらします。
 一度確立された政治は、他の十分に成功をおさめるはずの多くの人材をよせつけない政治情勢をつくりやすい。人民は自分たちの望みのと誇りをもつ人材の政府をもっているかは真実ではないのです。

 誠実で、道理を解する、良心的な人たちの政治家を生むのは、自らが政治家を天職で定められた階層、集団が、その国で社会的に存在しているかどうかであるとするのです。このよい事例がイギリスとシュンペーターは指摘します。

 

 この指摘は現代の日本の政治的状況を考えていくうえでも大切なことです。選挙の機能を民主主義的に機能させていくためには、政治家の理性、知性的な高潔性、正義の道徳性が強く求められているのです。政治家の知性的判断や正義の道徳性をもっているのかどうかについては、政党の役割があるのです。選挙という制度はとかく当選第一主義的に政権党は公認をしがちになります。権力維持のためには多数の議員を獲得するためです。

 議会制度の民主主義の選挙は、決して、人気投票的なキャラクターを選ぶはずではないのです。大衆化社会の状況でマスコミも発達して、SNSの情報化によって、一層にバーチャルな世界で大衆操作される時代になっています。

 直接に人間関係を結ばなくてもバーチャルな世界で人の心を個別的操作されることができる時代です。広告宣伝の手法で社会心理も巧みに利用しての感覚的なことを繰り返す政治宣伝がされていくのです。テレビやインターネットなどでのパーホーマンスが大きく影響していくのです。テレビやインターネットなどの公開討論会などによる政治的討論をどのように場を設定していくのか。選挙は、その場づくりの可能性をもつものです。理性的な政治判断力としての社会的仕組みづくりは民主主義形成にとって大切なのです。

 

 また、民主主義のための選挙は、利益誘導によるものでもないのです。公職選挙法は民主主義を保障する規定を設けています。利益誘導なことを期待することが選挙民にあれば、民度という国民意識の問題にもなるのです。民主主義を発展させるためには、民衆の良識の発展が不可欠です。そこでは、ヘイトスピーチ集団、カルト集団、ファシズム集団にたいする毅然とした知性的判断、政策を吟味しての将来への展望が理性的に判断すること、候補者の政治的正義感・人格性をもっているのかの判断が求められているのです。

 

 このためには、将来の社会に対するビジョン、現実的に矛盾を克服していく政策の国民的議論のさまざまな方法によっての場づくり、行政の徹底した情報公開と、それを理解できる学習を保障し、それぞれの市民が共に議論しながら学ぶことができる社会教育の仕組みが市民の知性的判断に必要なのです。

 貧困化や差別の状況におかれると、その援助が必要です。一人で問題にぶつかると、とかく怒りや憎悪が最初に出てきて、それを客観的にみることがおろそかになりがちになります。大衆化状況でSNSなどのバーチャルな情報だけが大きな影響をもっている現代社会では、気軽に議論したり、問題をぶつけて、それを解決していける展望のもてる場づくりが求められるのです。

 資本主義の発展のなかで社会的運動のなかで獲得してきた自由と民主主義、基本的人権は人類史上の永遠普遍の権利ですが、この権利を尊重することが選挙にとっても重要な視点になるのです。このことを尊重することが民主主義秩序にとっての前提になるのです。


 民主主義成功の第二の成功条件は、有効な政治決定の範囲があまり大きく、国家の政治活動の役割を制限することですとシュンペータはのべます。

 現代社会は国家の財政的規模が巨大になり、あらゆる社会経済活動に国家財政や地方財政が深く関わるようになっています。国家の財政は、公共的性格を強くもっているのです。公共事業などは国家行政機関からの発注の問題があります。国家の政策決定も個別企業にとっては大きく利害に関係することがあります。そこに個別な利益が関わっていく危険が常に伴うのです。政治家や行政執行の官僚にとっては、利害関係者との会食などの個別の私的な懇親を禁止されていくのです。政治と金の問題、行政執行における金銭問題は民主主義にとって根幹なのです。


 第三の条件は、民主的政府は、公共的活動の目的にしっかりとした身分と伝統、強烈な義務、強烈な団体精神をもって、よく訓練された官僚のサービスを把握しなければならないとしています。官僚は原理を展開し、政治家を教導し、十分に自己主張をしなければならない。官僚はなにごとにも束縛をうけぬ存在であるというのです。

 国家の官僚は高い志をもって強烈な責任感をもっていることは重要なことですが、現実は官僚制度として、さまざま社会経済的状況や国民、住民の要求に柔軟に対応することが弱く、法令や業務遂行の行政命令からの充実性が求められ、機械的対応や硬直化した対応に陥りがちになるのです。民間の営業のように顧客第一主義のようなサービス精神が弱くなるものです。

 民主的政府にとっての大切なことは、国民の暮らしと命・健康、自然と社会の持続可能性に奉仕していくという公共的精神ということで、特定の企業や団体に奉仕するのではないく、公共的性格の仕事なのです。

 経済の発展は社会や自然の持続可能性をもって、国民の暮らしと幸福感を豊かにしていくことなのです。資本主義社会の経済の発展は利潤追求が第一にされ、必ずしも社会や自然の持続可能性、国民の暮らしや幸福感を豊かにし、命と健康を守ることが第一ではなかったのです。

 

 資本主義の経済発展は都市と農村の発展の不均からの農山村の過疎化、自然環境の破壊をもたらしてきたのです。人類は自然の恩恵によって、生活の営みをしてきたのです。文明の発展から自然との向き合いは大きな課題であったのです。資本主義的な生産力の急激な発展は自然と向き合うことを疎かにしてきたのです。自然そのもを資本主義的生産の利潤率上昇のために利用してきたのです。

 エネルギーを利用するために、石油・石炭、原子力を利用したりしたのです。石油・石炭の利用によって、地球温暖化を加速していったのです。脱炭素社会が人類的な大きな課題になったのです。原子力発電所の利用によって、福島の原子力の事故という人びとの命と暮らしに極めて深刻な事態をつくりだしたのです。

 

 自然循環の環境経済、持続可能性の経済ということから農林業再生可能エネルギーが注目されているのです。自然循環を積極的に利用する経済のしくみが注目されているのです。農林業からの工業の原材料をとっていく科学技術の発展が求められているのです。鉄鉱石からではなく、セルロースナノテクノロジーの技術も、その一つです。資源が特定の地域に限定されるという工業ではなくなっていくのです。

 建物の原材料と結びついた自然を破壊しない太陽光発電、自然環境的バイマス発電、ダムではなく、自然破壊をしない小水路発電など、さまざま工夫と科学技術の発展が求められているのです。焼酎生産会社はもともと地域の農産物のサツマイモ生産農家と結びついていましたが、廃棄物になる焼酎粕に悩んでいたのです。

 生産量を増せば、捨て場に一層に困り、海洋投棄ということで、海を汚したのです。そこでは、それを積極的にバイオマス発電に利用したのです。霧島酒造では2000世帯分の発電を可能にしたのです。そして、発電した跡は完熟した堆肥として農家に戻しているのです。まさに、循環型経済というサーキュラーエコノミーを地域のなかで循環しているのです。農業が工業原材料として循環しているのです。


 第四は、民主主義的自制です。法令と法的資格をもった機関の発する行政命令を万人が異議なく喜んで受け入れることが、民主主義を円滑に機能していくとするのです。

 選挙民や代議士は、悪者や恋人のいうことに誘惑されない高い知性と道徳水準をもっていなければならないとしているのです。他人の要求や国家的情勢をみて法令の通過があるのです。これがなければ民主主義の信用を落としていくのです。
 以上の四つの条件をシュンペーターは、民主主義政府を可能にする条件とするのです。

 

 社会主義秩序における民主主義については、資本主義世界の所産ということから、その基本原理を踏襲していくというのです。決して、資本主義の消滅とともに社会主義的に民主主義になっていくものではないということです。総選挙、政党、議会、内閣、首相等は、社会主義秩序が政治的決定のために留保すべき課題を処理するのに便利な手段になるとシュンペーターはみるのです。


 民主的社会主義の姿は、資本主義でつくられた民主的諸制度を踏襲していくというのです。また、社会主義は、公共的管理の範囲の拡大が行われていくが、それが、公共的管理の分野での政治的管理の範囲の拡大ということを意味しないとしているのです。

 経済的分野では、その操縦をする諸機関にきわめてよい組織と人員配備をもたせていくことをのべているのです。

 このシュンペータの指摘は、例えば、財務省中央銀行の関係などにみるとおりです。国家の役割として、中央銀行は貨幣発行、金利政策に重要な経済の役割を果たします。資本主義的資本主義市場は景気循環をもって動いていますが、その無政府をどう民主的にコントロールしていくのか。大きな社会主義的市場の経済になっても大切な課題です。 

 

 無政府をどうコントロールしていくのか。行政のもつ許認可権、法令遵守の監査権は民主的コントロールにとって大きな意味をもっていますが、経済組織としての株式会社等の法人、協同組合の経済組織も監査の役割は法令遵守に大きな役割を果たすのです。

 同時に民主的コントロールにとっての合意を効率的にどう形成していくのか。それぞれの組織における個々の役割機能と責任のもとに合意のための透明性が日常化されていることです。

 監査や役割機能は法令遵守や責任体制であって、イノベーション的機能を果たすものではない。2030年までのSDGsや2050までの脱炭素化などの社会経済目標はイノベーションがなければ達成することができない。また、社会経済情勢の変化、国民のニューズも時代とともに大きく変化していく。この変化に対応できるのもイノベーションなのです。イノベーションを重視するシュンペータであるからこそ、政治とは独自に経済分野の機能、機関を重視するのです。

 

 資本主義主義の発展のなかで損害賠償金も大きな課題となり、このための社会保険制度も発達してきたのです。人間の命の大切さも社会保険制度の発達で、その価値も高まって行くのです。これは人権の発達ということからです。

 持続可能性をもって、長期的に安定的に経済の発展を考えていくには、社会保険制度の発達は大きな意味をもっているのです。

 社会主義的社会経済の仕組みにとって、資本主義的労働疎外状況をどう克服していくのか。経営をめぐって労働者の参加をどのように保障していくのか。資本主義的市場のなかで、労働者の経営参加を取り組みをしているアメーバー経営やワーカーズコープの方式もひとつの取り組みです。さまざまな産業民主主義としての経験も含めて、労働疎外の克服の展望が求められるのです。

 

 資本主義的な労働者相互を競争させていく評価システムの労務管理や労働者のなかに非正規と正規と同じ仕事をしているのに身分と待遇の違いをなくして、そのような仕組みをつくっていかないのが社会主義的な見方です。

 同一労働同一賃金は資本主義の労使関係のなかでも労働者の権利の戦いのなかで獲得したものです。8時間労働制も同様です。さまざまな資本主義の歴史なかで労働者が運動によって獲得してきた労働者権利は労働法制によって整備されていますが、その法令遵守社会主義的秩序にとって不可欠なことです。

 社会主義的秩序は生産手段の社会化ということが大きな課題です。資本主義が発展して、大企業が社会経済に大きな影響力をもっていきますが、それは社会化というひとつの現象ですが、その大企業の私的財産権が特定の人に集中していくことが、資本主義的仕組みの大きな問題なのです。

 

 株式の大衆化が起きても特定の個人に株が集中していくのです。株式会社は株数によって会社の管理運営の議決権が決定される仕組みです。協同組合のように一人一票制ではありません。会社の管理運営における株主ということが、経営者と労働者だけで問題が解決できるだけではないのです。大規模な私的財産権、特定の層や組織の財産権の問題が資本主義的秩序では民主主義的経済の管理運営問題として、あるのです。この経済の民主的コントロールとしての大規模な私的財産権の社会化の課題があるのです。

 

 
 

若者の夢と高校教育の課題

若者の夢と高校教育の課題
   

1,ベトナム初の農業高校創設のとりくみ  
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 2021年からベトナム・ナムディン農業高校が開設されます。ベトナムの経済には農業は輸出産業として、大きな位置を占めています。人口の多くも農村に住んでいます。

 ベトナムの近代的産業の発展、科学技術の発展を身につけた高度の人材養成、持続可能な循環的経済発展に農村の自立的発展は重要です。農村には多様な経済発展の可能性もっています。それは20世紀的生産性と効率、大量生産の発展から21世紀型の持続可能な自然との共生による社会経済が求められている時代です。

 ベトナム・ナムディンの農業高校は、この時代的要請のもとに、日本の農業高校をモデルに、農業の多面的機能を生かした人材育成の基礎的教育機関を目標にしています。

 この構想を大きく実現していくうえでの課題は、日本人の退職した先生をボランティアとして派遣することです。JICAも支援してくれるようです。日本の職業高校の人材派遣は発展途上国で、期待されているのです。 

 現在は日本に留学・研修していくうえで、きちんとした日本語・日本文化の習得がなされていないことが大きな問題になっています。とくに、外国人技能実習制や日本国内での日本語学校の留学は、大きな問題をかかえています。

 ベトナムから学ぶもの

 ベトナムは20年前は世界の最貧国でした。長い植民地支配、フランス、そして、アメリカとの戦争。1975年にベトナムは独立を完全に達成して解放されますが、その後は1994年までアメリカをはじめ先進国からの経済封鎖、中国との軍事的紛争などで、まともな経済活動ができなったのです。ベトナム国民にとって、近代の歴史をみれば、独立と平和は極めて大切な課題であったのです。

 

 ベトナムの人々はアメリカとの激しい戦いをしましたが、アメリカ人の捕虜にたいしては、手厚く待遇をしたのです。アメリカ軍の戦略爆撃機を打ち落としたときに、落下してくるパラシュートの兵士を保護する対策を徹底したのです。

 

 アメリカの兵士も一人の人間であり、帝国主義ということと区別すべきという見方からです。ベトナムは小国で歴史的に中国の侵略を絶えず受けてきた国で、侵略に動員された人々を味方にする方策をとってきたのです。敵を打ち破ったら、彼らを味方にしていくということで、捕虜に生活費のお金をあげて手厚く送り返したということです。

 

 現在は、東南アジア諸国連合で平和共同体をつくっています。非同盟運動と多様性を認め合い、共存・共栄の平和連合体をつくっているのです。

 

 ベトナム市場経済を通して社会主義をめざす国家です。地域の共同体、話し合いを地域で大切にして、それぞれの価値観、信仰も尊重している国で、キリスト教、仏教、儒教、地域の習俗的信仰など、それぞれ尊重して、村のなかでも異なる信仰が共存しているのです。

 ベトナムでは政府の政策が必ずしも国会で承認されるわけではありません。政府は新幹線を推進しようとという施策でしたが、国会は新幹線の段階ではなく、地域の交通機関を発達せよということで、政府提案は否決されています。原子力発電所建設も同様で政府提案は否決されているのです。多様な意見を尊重しての国民合意を大切にする国づくりをしている現状です。

 

 ところで、拝金主義の問題も経済発展のなかで大きな問題として起きています。新たに汚職問題も起きていますが、汚職の分配を部署の人々に行うという共同体主義もあります。公務員が貧しいなかでのワイロは大きな悩みです。これは東南アジアに共通して起きています。

 ここには、先進国のモラル問題も絡んで発生している場合も多くみるのです。政府は汚職問題には大変な悩みで、その対策に徹底しているところです。


 ベトナムは国家として、平和秩序と勤勉な民族性、強い絆をもっている国民性です。若者たちは大きな夢をもって学んでいます。最貧国から脱出した親の世代を引き継ぎ、新たな人類的な課題の経済発展にとりくむことに挑戦しているのです。世界から経済封鎖されても、最貧国のなかでもベトナムは、教育に力をいれてきたことが特徴です。


 高い識字率で、だれでも読み書きができる国をつくりあげています。ベトナムは、地域で自給自足の経済を確立していました。VAC運動といわれるように、自分の庭に、薬草を植え、池をつくって魚を養殖して、豚や鶏を飼って、エネルギーは家畜の糞尿によるバイオマスガスを利用していたのです。


 現在は、先進国の科学・技術を積極的に学んで、新たな挑戦を考えています。ベトナムの経済は、民族資本が十分に育っておらず、先進国からの工場進出によって、経済が成長しています。地域の資源を有効に利用して、民族資本を大きくして、地域経済を豊かにしていく課題があるのです。


 ベトナムは、農業が中心です。広大な農村社会をかかえています。この現実のなかで、人類的な夢の経済発展を考えているのです。それは、持続可能な自然循環を大切にした経済発展です。

 農業高校の創設は、ベトナムの新しい農村社会建設の人材養成として、未来社会を積極的に求めていく学校です。

 

 この未来社会実現に文化的に近似している先進国である日本の実践的な科学・技術から学ぶための準備教育の学校にするためのものです。経済の発展とはなにか。豊かさとはなにか。幸福に暮らすことはどのようにしたらよいのか。
 
 2015年に国連でSDGs(持続可能な開発目標)として、17項目として、貧困、飢餓、健康福祉、質の高い教育、ジエンダー、安全な水とトイレという6つのベーシックヒョウマン目標、6つの持続可能な経済の項目、3つの環境保護の項目、達成のための2つの平和とグローバルパートナーシップの項目をあげています。
 SDGsということから、働きがいは経済成長の視点から大切です。脱炭素社会の対処という姿勢ではなく、依存型ではなく、主体性をもってのライフスタイルの自立型による脱炭素社会の信の実現です。

 

 2,高校における職業教育・進路指導と生涯学習の基礎としての教育 

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 中央教育審議会は令和の日本型学校教育を1月26日に答申しました。この答申は個別最適な学びと協働的な学びの二元論的な見方です。個別的学びとして、ICTの活用が積極的な提言です。

 後期中等教育という青年の人間形成課題は、現代社会の環境問題や格差問題の状況から未来社会への創造ということで考えることが最も大切です。

 

 今後、どんな社会を現実的につくりあげていくか。どのようにしたら、子ども達、青年達が幸福に豊かに暮らしていけるのか。ICT教育はあくまでも手段で、教育の目的、目標ではないのです。

 

 後期中等教育としての高校にとって、進路指導は極めて大切です。進路指導は、若者の夢を大きく膨らせていくものです。若者自身の自己をみつめる力、やりたいことを引き出して、それを大きくのぼしていくのも高校教育の大きな課題です。自分がやりたいことをみつけることも複雑化している社会の現実では簡単でないのです。
 

 若者自身も進路を自由に選択できることは、個性を発揮していくうえで、大切なことです。しかし、なかなか自分の進路をみつけられない場合が多いのです。本来、青年教育にとって、進路の選択が大きいのです。

 

 しかし、現実は、学力の達成が主眼になり、学ぶことと、自己の進路や生き方との関連が十分にならないことが多いのです。学力を広く、生きる力と関連させるために、職業技術教育が求められるのです。この職業技術教育は適応主義ではなく、未来志向的な創造的なものが不可欠です。
 
 中等教育学校の歴史は、戦前は複線体系のなかで、エリートコースと職業技術教育コースとにわかれていました。戦後の高校の出発は、地域総合性ということで、エリートコースを廃止して、普通教育と職業技術教育を統一したのです。私立高校は、地域の独自性を発揮して、発展していったのです。
 
 戦後は、戦前にあった地域の実業補習学校等を町村立高校として出発させたのです。定時制の高校が就学困難な若者の学習を支えたのです。ここで学ぶ若者たちは、教養を高め、職業技術教育によって、自分の生き方や将来の夢を大きくしていったのです。


 戦後の経済成長と高学歴化は、歴史的にみれば大きな文明作用でしたが、しかし、進路や職業・技術教育に大きなゆがみをもったのです。国民全体をエリート志向の教育体制に巻き込んでいったのです。 

 

 現代社会で高校教育の目的を考えていくうえで、学校を閉鎖的社会としてみるのではなく、未来社会への創造のなかでみていくことが大切なのです。知識社会ということで生涯にわたって学ぶことが求められていく時代になっていくものです。

 

 学びは楽しいものであるということで、持続的にいつでも学べる能力を身につける基礎が高校教育では大切になってくると思います。この意味で、職業教育、進路指導を生徒自身の個性を発揮して、その能力を引き出して、将来への展望をもたせていくことは大切なことです。

 

3,高校教師の役割 

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 令和の日本型学校教育の中央教育教育審議会答申でGIGAスクールによるICT教育が行われていくと思います。ICTは、あくまでも教育の手段の一つの方法で、教育方法はそれだけではなく、ICT活用を一面に取り入れて行くと多くの問題を起こすこともきちんと認識しておくことが必要です。

 

 現代の教育では、生徒の学習歴や生徒指導のデーター、PDCAという経営学成果主義の方法のICTを手段に導入しています。それは、機械的に数値を利用しての評価によって、生徒や教員を評価していくという問題が生まれてくると思います。

 

 教育は単純に数値になっていくものではありません。様々な側面から刻々に変化して人間の発達の側面があります。時には、予想もされない飛躍の発展があるのです。

 

 ICT教育依存になると自分でじっくりと考える能力が低下して、バーチャルの世界で感覚的に、白黒ということで単純化して、複雑な問題について答えを出していくことを安易に結論を急ぐ思考になっていく問題点があるのです。

 また、書く能力や読書をする能力も衰えていくのです。人間の心の深い心理も単純化してしまうことになるのです。
 ICT教育にとって、さらに大きな問題点は、それぞれぞれの学校や生徒の状況を無視しての導入は、教員や生徒の負担が大きくなるのです。視聴覚を大切にした教育は重要な場合はありますが、決して、それだけで教育が有効性を発揮できるというのは大きな間違いだと思います。

 

 高校の教師は、それぞれ教科の専門性を強くもっています。それぞれの専門性は、生徒にとっての生き方や進路の選択にどうのように結びついていくのかを考えていくことが大切です。

 この意味で、生徒自身がみんなと自らの考えを披露して、議論し、多様性を認め合い、体験していく授業の工夫が大切になってきます。どうしても受験学力や就職試験対策になってしまう指導になりがちです。


 生徒にとって、当面に突破しなければならい課題は大切ですが、大きな志や生き方を学ぶことを忘れてはならないのです。大学に進学しても遊びやアルバイトにふける学生や就職してもすぐにやまてしまう青年が少なくないのです。これでは、当面の突破をクリアしても大きな問題が残るのです。
 

 教師の評価が数値化される時代です。どうしても当面の突破の課題に対応して、数値をあげたいということになりがちです。地域で生きている大人たちから、様々な職業から学ぶことの工夫をどうするか。教師の仕掛けが大切です。

 

 とくに、あまり若者が就業しない農林漁業など地域の文化を守り、自然循環社会形成に貢献し、人々の暮らしのなかで必死にひたむきに生きている姿を若者が学ぶ機会が少ないと思われます。修学旅行でグリーンツーリズムなどで農村体験している学校などもみられます。そのなかで、若者が生き方を学ぶこともあるのです。
 

 学校とは未来社会を担う人材を養成する機関です。教師は、常に未来志向的に生きている職業です。それぞれの教科を教える意味で、未来志向的に生徒に接することが教師の責務です。

 

 未来は空想的に生まれるものではなく、現実の矛盾を直視して、その矛盾の克服のなかで形成されていくものです。若者の夢を受けとめ、共に未来を語りあっていくことも教師の仕事です。

民主的社会主義と社会教育型国家

 民主的社会主義と社会教育型国家

         神田 嘉延

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 現代は国際的に格差から貧困問題が大きな課題になっています。福祉国家の資本主義諸国での財政を通しての社会保障制度もありますが、格差からの貧困問題の解消になっていない。年間10億ドルを越える資産家は2000千名も超え、一位1247億ドル2位1034億ドルと巨大になっています。1.9ドル以下の絶対貧困で暮らす人は7億3千万人といわれます。

 国連統計などによると世界人口の23%13億人が貧困といわれています。相対的貧困率は、平均収入中央値の半分以下で暮らす人々のことです。

 日本の場合は、平均年収436万円ですが、中央値は370万円です。この相対的貧困率は、米国17.8%,日本15.7%となっています。教育格差、医療格差などは依然として深刻です。新型コロナで一層に拡大しているのです。

 

 資本主義の矛盾は、福祉国家資本主義の社会保障制度のみでは解決できない現状です。現代は、マルクス資本論を執筆した150年前の機械制大工業のルールなき過酷な搾取形態とは大きく異なっています。

 福祉国家資本主義では、社会保障制度、労働法の整備、独占禁止法の整備など社会における民主的な諸制度が確立しています。国際的な多国籍の大企業の規模も巨大になり、その社会的責任は極めて大きくなっています。大企業は経済の社会化という存在で、その社会的影響力は大きなものがあるのです。

 

 しかし、実質的にそれらの制度や社会的責任の役割が十分に機能していない状況です。それぞれの国によって、歴史や文化の違いがあります。帝国主義国や植民地国になった歴史、経済の発展の度合い、国民の所得、文化の違いがありますが、資本主義の現実に抱えている矛盾をどう解決していくのか。これは、現代の人類が抱えている共通の課題です。

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 本論では、資本主義の矛盾の格差・貧困、労働疎外、雇用不安、経済の競争と無政府性を、自由と民主主義の充実を基礎にして、それも教育を重視しながら自立を尊重して、問題解決の展望を明らかにしたい。それらの参考になる理論を紹介しながら、国家の役割としての民主的ルールづくり、憲法・法によっての民主的社会主義と社会教育型国家像を明らかにするものです。

 本論では、レスター・サロンの知識資本主義、ドラッカーのポスト資本主義、ロールズの公正なる正義、マルクス資本論の教育条項から、自由と未来社会への展望を探求していくために問題を整理していくものです。

 

1,知識資本主義:レスター・C・サロンの社会教育型国家

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 デジタル社会という情報革命によって、資本や土地、労働という従前の資本主義の経済的価値は知識に大きくかわった。つまり、新たな産業革命が起きているのです。レスター・C・サロンは、グローバリーゼーションと知識集約型経済によって、世界は第3次産業革命の衝撃として、大きく変わっていくとしているのです。
 世界の大富豪も、デジタル産業や、その関係をもった企業の創始者が多く、それらのイノベションを成し遂げた人びとが名を連ねています。この事実から、知識が大きく経済社会を変えていくと注目されているのです。

 この知識資本主義を考えていくうえで、ファッシズムを経験した世界の人びとが民主主義を実現していくうえで、マンハイム等が主張した自由の精神的理性という意味の知識社会論とは異なっています。 

 

 レスター・サロンは、マルクスの生きていた時代について、機械が熟練工にとって代わって、貧しい人びとはさらに貧しくなり、賃金も最低生活水準まで下げられたと、マルクスの当時の指摘は正しかったとのべます。彼のマルクス理解は、資本主義の発展で、巨大で略奪的な独占資本が集中するとマルクスの指摘であったが、現実の歴史はそうならなかった考えるのです。資本主義経済は発展し、マルクスが生きていた時代と、その後の歴史は違ったと考えるのです。富の分配が行われ、不平等をなくす政策を政府は積極的に行って、社会福祉国家になったとみるのです。
 この社会福祉国家で、格差を是正し、平等を実現していくうえで、教育の役割が重要であるとレスター・サロンは強調するのです。それは、社会教育型国家というべきかもしれないと格差是正の教育の役割をレスター・サロンは重視したのです。教育費を負担し、労働者の教育を充実していくという義務教育の制度がとられたが、これは平等な社会を作り上げていくうえで重要な施策であったと指摘するのです。

 

 国の義務教育制度は、親の収入と教育の関係を絶ったと、その平等化の社会的役割をみました。福祉国家的資本主義の発展によって、貧しい親の子どもでも技能を学ぶことができる時代になった。このことが、生産性も上がることに経営者が認識したとするのです。

 貧しい子どもでも知識や技能を身につけて立身出世できるようになったのが現実の福祉国家の姿であり、貧しい単純労働者の階層から抜け出すことができるようになったと考えるのです。つまり、貧しい階層の人びとでも義務教育の仕組みが平等を達成することを可能にしたと力説します。
 さらに、レスター・サロンは、政府による資本主義によって生まれる不平等を取り除く多くの政策を実施してきたとするのです。そのことを次のような具体的政策事項をあげて強調するのです。

 それらは、失業保険制度の創設、健康保険制度、年金制度の整備でした。さらに、累進課税は、富裕層の所得を再配分する役割を果たした。また、相続税が導入されて、裕福な家庭に生まれた人が経済的に有利にしないための方策をした。独占禁止法や、独占の規制などで資本の集中と市場の公平性を保障したとするのです。

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 マルクスが生きた19世紀の資本主義とは明らかに異なるというのです。資本主義には固有に生まれる経済的不安定性と不平等性、格差がありますが、政府によってコントロールしてきたのが社会福祉国家の資本主義であったと強調するのです。

 これらのレスター・サロンの見方は、制度そのものが生まれたことは事実ですが、実際的に格差を解消して、平等な社会をつくりだしていく機能を果たしたのか、実証していく課題があるのです。今日では弱肉強食の競争主義や新自由主義の政策の現実の分析からの問題を整理していくことが求められます。

 とくに、コロナ禍で莫大な利益をあげているデジタル分野などの産業と貧困層の拡大がみられます。社会的危機というなかで、一部の独占的企業が最高利益になるという膨大な利益をあげていることも事実です。世界の企業の4分の1がコロナ禍で最高利益を得たのです。

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 第三次産業革命という知識情報社会は、知的所有権が重要な意味をもつ時代です。グローバリゼーションのなかで、競争力をもつのは、物的所有権ではなく、知的資本とみるのです。知的所有権は、新しい知的所有を創造する強いインセンティブシステムが必要ですが、他方で新しい知識と発明は、即座に利用しなければ経済的意味をもたない。発明は独占的権利を与えられてきた。それは特許として、自由に一定期間にわたって誰でも使用できなという問題があるとレスター・サロンはみるのです。


 知識集約的、情報化の第三次産業革命のなかで、経済格差の広がりは、知識や技能水準によって起きているというのです。教育の充実と技能の向上は格差を解消していくうえで大切というのです。全員が生活の糧となる技能を身につけ、生涯にわたって新しい技能を習得していくことが求められると。つまり、そこでは、生涯にわたっての教育の実施が行われる社会システムが重要ということです。


 資本主義に対立するためには、批判するばかりではなく、実現可能な選択肢を提唱しなければならない。レスター・サロンは、今のところ、非資本主義の選択肢で信憑性があるものは存在しないと考え、資本主義が世界を支配するグローバリゼーションのなかで、孤立しての国家経済はないとするのです。

 世界的経済のなかで問題をみることは重要なことですが、それがすべて絶対的なことになるものではないのです。このことを見落としはならない。

 

2,ドラッカーのポスト資本主義と「教育ある人間論」

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 ドラッカーは、ポスト資本主義として、知識社会を積極的に提唱するのです。ソ連や東欧の体制的崩壊がマルクス主義共産主義の崩壊とドラッカーは考えるのです。同時に、資本主義を老化させる力が働いているとみています。あたらしい社会はポスト資本主義としての知識社会とするのです。その主役は知識労働者とサービス労働者となり、資本でも天然資源、労働でもない知識が重要と考えるのです。


 ドラッカーの考える知識社会の生産性は、チームワークで、仕事と仕事の流れに最適なものを選ぶことを重視するのです。仕事の性格、道具、流れ、製品の変化など、仕事を行うチームそのものが経済を変化させると考えます。

 チームの構成員は、監督と指揮者から情報を得ます。監督や指揮者は、チームの楽譜を管理します。従前の機能別の部門で仕事をしていくのではなく、オーケストラのようにチーム編成して、指揮監督による知識労働者、サービス労働者の情報部門が力を発揮するのです。そして、それぞれの専門職員は仕事への集中として、大きな役割を果たしていくというのがドラッカーの見方です。
 また、専門的に仕事をしている人びとが、どのような道具が必要か。どのような情報化必要か。仕事とその方法についてわれわれに教えてもらえることはなにか。専門的に働くものが責任をもち、かれらが最もうまくいく方法はどのようなものか、また、いかない方法は何かを知っている必要があるとみるのです。


 ドラッカーにとって、知識労働者やサービス労働者の仕事は、責任ある労働者との協力が生産性向上の唯一であるとみるのです。仕事と組織に継続性を組み込むことが知識労働者とサービス労働者の仕事になるのです。ここでは、組織そのものが学ぶ組織および教える組織となるのです。
 ドラッカーは社会的責任論を強調します。ポスト資本主義の原則は社会的責任型組織になります。それは、自らの能力の及ぶ範囲内において、自らの本業の能力を損なわない限りにおいて、社会的責任をもつことです。組織の社会的責任は、経済的責任が企業の唯一の責任ではない。教育上の責任だけが学校の責任ではない。医療上の責任だけが病院の責任ではない。組織がもつ力は社会的な力なのです。

 社会的責任のシステムは、民主的な社会をつくっていくうえで極めて大切なことです。企業が大きく成長して、大企業になっていくことは、社会化の拡大でもあり、それだけ社会的責任も拡大していくという見方が重要です。

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 ところで、最もよく秩序が保たれ、安定した社会においてさえ、知識労働への移行に取り残された人びとは生まれるとドラッカーは考えます。社会と人間が労働力の急激な変化、必要とされる技能や知識の急激な変化に追いつくには、一世代ないし二世代を要するというのです。そこでは社会的サービスが重要になってくるのです。
 社会的サービスは、第一に、先進国にみられる高齢者の急速な増加です。一人でくらすことがでてくるのです。そこでは、保険に関する研究や教育、治療や入院のための施設が求められるのです。保健と医療は複雑化していくとみるのです。


 第二には、成人に対する継続教育です。ひとり親も増加していきます。社会的セクターは、先進国における成長セクターになっていくのです。むしろ、社会的救済のサービスは実質的に低下していくのです。
 ドラッカーが指摘する社会的サービスの二つの分野は、ますます社会で重要な仕事の分野になっていくのです。二つの分野は、人間らしく豊かに生きていくための福祉に、教育が密接に結びつていくのです。高齢化して楽しく生きていくために、健康であることが一番に大切な要件になるのです。

 健康のためには、当然ながら予防医学の知見が必要ですし、そのためのスポーツや食事・栄養が必要です。食事は楽しみのひとつですが、健康のためにも栄養や塩分などを控えていくことも求められていくのです。健康のためには、保健活動やスポーツ活動、趣味の活動など楽しく仲間と生きていくことも大切なことです。

 コミュニティのなかで生きるために、その活動の輪をつくっていくリーダーや指導員、その施設が不可欠になってくるのです。ドラッカーが指摘する高齢化による新たな社会サービスは益々大きな期待が社会に要請されていくのです。


 成人の継続教育もいつでも自由に受けられることも大切な要件とドラッカーは提起するのです。それは、職場での専門的な職業的教育はもちろんのこと、また、仕事の安定的継続性のためには、産業構造が著しく変化するなかでは、労働力の移動は当然ながら社会的に求められていきます。

 そこでは、年齢に応じて、体力的に職種が異なっていくこともあります。積極的に労働力の流動化が必要なのですが、職業教育・職業訓練が伴った積極的な労働力政策でなければ、格差拡大や貧困化になっていくのです。そして、貧民層として固定化していくこともありうるのです。年をとってもいつまでも可能であれば働きたいという人も少なくないのです。

 高齢化しても働くことによって、生きがいをもてるようになり、所得向上にも役にたち、年金収入以外としても役にたつことがあるのです。高齢化社会のなかで、いつまでも働ける社会システムも重要なことです。これらには、社会教育型国家のしくみがどうしても作り上げていかなば実質的な意味をもたないのです。


 ドラッカーは、知識社会にとって、知識の経済学を必要としているというのです。つまり、知識を富の創造過程の中心とする経済理論が求められていると考えるのです。既存の経済学は資源の配分や経済的報酬の分配について、完全競争をモデルとしています。現実は不完全な競争ですが、その原因を経済に対する外部干渉、独占、特許保護、政府規制等に帰しています。

 しかし、知識経済における不完全競争は経済それ自体に内在するのです。さきがけた知識の利用、学習曲線によって得られる優位性は永続するのです。逆転は不可能であるとドラッカーは指摘します。
 知識は安く手に入らない。知識の形成が最大の投資先になり、知識から得られる利益こそが決定的要因とみるのです。知識の生産性は知識を体系的に応用できるマネージメントの責任です。知識を応用する努力は、もっぱら経済と技術の分野ですが、社会問題、政治、知識そのものの分野で知識の生産性は応用できるのです。知識は道具として結合することも大切なのです。結合させる能力は、学んだり、教えたりするうえで、道具に焦点を合わせることが必要というのです。以上のようにドラッカーは知識の応用と生産性を強調するのです。

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 ドラッカーの責任ある学校は、社会の中心的機関であるという関係者の認識が大切です。しかし、学校が教育の対象としてきた子ども達や青年達は、市民権をもたず、責任能力もなく、労働力になっていないのです。知識社会における学校は、成人教育、とくに高等教育を受けている成人教育ともなるのです。

 日本の教育の伝統について、ドラッカーが評価しているのも大きな特徴です。それは、近代以前の文人による私塾です。書道は規律と美的感覚を重視した。文人の塾は、大衆と異質なエリート教育ではなかったのです。中国的な伝統教育ではなかったのです。近代学校は、文人の塾で教えられた弟子達によって行われた。技術は重要であるということで、教育や学校の見直しということで、新しいことをしたのです。教科書は道具にすぎなかったのです。


 学校は高度の基礎教育を行うことがなければ、社会から課された知識の重大な責任を果たすことができないとドラッカーは考えるのです。知識社会では教科内容そのものよりも、学習の継続能力や意欲の方が重要です。ドラッカー生涯学習を不可欠なこととするのです。学習には規律が不可欠になっているという見方をドラッカーはもっています。

 学校は生涯学習に向けて開かれたシステムです。学校は年齢にかかわらず、いかなる教育課程でも入れることが重要なのです。とくに、高等教育の道を開いていることは、社会的要請とドラッカーはみます。


 ドラッカーは、学校教育と社会との協同を重視します。教育は学校の独占ではなく、学校がパートナーとなるさまざまな社会分権との共同事業をもっているのです。学校は働く人びとにとって、学習を継続する場であるのです。成人とくに高度な知識を有する人は教育訓練の対象となるのです。同時に、生徒だけではなく、教師にもなるのです。今後にとって、未来を構築していくうえで、高等教育機関と雇用機関は協力していくことが必要になってくるのです。
 ドラッカーは教育ある人間という概念を用いるのです。知識社会では教養ある人間形成が不可避になっていきます。教育ある人間は、社会的モデルとなる能力を規定し、社会の価値、信念、意志を体現するとしています。教育ある人間は、知識社会であるがゆえに、貨幣経済、職業、技術、諸種の課題、とくに情報ががグローバルであるがゆえに普遍性をもつ存在なのです。

 

 そして、統合の力、諸種の独立した伝統を共通かつ共有の価値あるものへの献身、卓越性という共通概念や相互の尊重、まとめあげられる指導力などがあります。

 ドラッカーにとって重要なことは、教育ある人間を考えるうえで、未来を創造するための能力が大切なのです。それは、人文主義という人類の遺産や知恵、美や知識という教養主義でもないというのです。教育ある人間は専門知識を大切にして、自らの専門が他者に理解できるように、様々な分野との結合ができるための相互理解、対話ができるための教養が必要になってくるのです。

 それは、単なる博学ではなく、人文主義の求める教養を積極的に享受して、未来を創造していく能力を身につけていくという教育ある人間という意味なのです。

 

3, ロールズの公正なる正義論での民主的社会主義論と教育の役割

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 ロールズは、正義にかなった国家像・社会制度として、財産私有型民主制とリベラルな(民主的)社会主義をあげています。それらは、資本主義的福祉国家ではなく、資本主義に代わるものとみるのです。
 世代から次世代へとわたる自由で平等な市民間の公正な協働システムは、重要なことです。それは、財産私有型民主制または、リベラル(民主的)社会主義の未来論の積極的な提起です。
 福祉国家型資本主義は、現実的に、利益第一主義の弱肉強食競争、社員の暮らしより株主第一主義に巻き込まれ、格差社会を拡大している状況です。ここでは、国家と独占的企業の癒着や財政誘導行政になりがちで、民主的経済のあり方が問われるのです。

 そして、経済との関係で、政治的自由の公正的価値を拒んでいきます。機会平等の配慮がされていても、格差を生む経済的仕組が是正されない限り、平等の達成に必要な政策がとられないのです。

 所有の不平等から少数者による経済支配がおき、そこでは、経済的社会的不平等を規制すべき互恵性の原理がないのです。国家社会主義は、一党独裁による指令経済で基本的諸権利と諸自由を侵害しており、自由の公正の正義の価値の侵害です。


 財産私有型民主制とリベラル社会主義の政体は、どちらも民主政治の憲法枠組みを設定し、基本的諸自由に加えて、政治的諸自由の公正な価値と機会の公正な平等も保障しており、格差原理によってではない相互性の原理によって、経済的・社会的不平等を規制していると考えています。
 財産私有型民主制か、民主的社会主義のどちらを選ぶかは、決める必要がないとみるのです。両方の政治的価値も、ロールズの考える公正なる正義を実現する政体なのです。
 財産私有型民主制と福祉国家型資本主義の綿密な対比がロールズにとって、大切なことであった。財産私有型民主制は、富と資本の所有を分散させています。それは、少数のものによる経済や政治生活の支配を防ぐように働く。財産私有型民主制の政体は、もたざる人びとに所得を再配分するのではなく、各期のはじめに、生産用資産と教育と訓練された人的資本の広くゆきわった所有を確保するのです。
 教育と訓練の重視と機会の公正な平等の徹底によって、格差原理に対処するものです。それぞれ、相互の利益と自尊によって、自己の分担役割をしていく。最も不利益にある人びとは、慈悲や同情、哀れみの対象ではなく、何人も互恵性なのです。社会的・経済的平等を足場に自分自身のことは自分でやっていくということで、最も不利益で、もたざる人びとに、自立の立場を作り上げていくのです。
 教育と訓練を重視して、意欲的に誇りと自尊心をもって生きることは、より人間らしく自由になることです。この仕組みづくりで教育と訓練は極めて重要な事項です。もたざる人びとも自由で平等な者として、自由に人間らしく誇りをもって、意欲的に働き、市民間の公正なる協働システムの一員として、機能するようにロールズは考えたのです。


 
 財産私有型民主制やリベラル社会主義の政治的価値は、公正なる正義として、民主的政治の憲法的枠組みを設定しています。立憲民主制と手続き的民主制の違いも明確にしておくことが必要としています。
 財産私有型民主制は、手続き的民主制という政治的価値はない。憲法事項にそって、法がつくられていくのです。憲法の制約が立法でも裁判所でも明確にされています。しかし、手続き的民主制は、立法上において憲法の制約もなく、適切な手続きによって法が制定されていきます。それは過半数の原理によっての制定です。

 財産私有型民主制や民主的社会主義では、多数決原理という手続き民主制の普及ではなく、憲法的内容を実質化していくという公正なる正義の政治が執行されていくという教育を社会的に充実していくことが大切になってくるのです。
 市民達の政治論争、政治的に対立する党派での討議の基礎は、憲法の必須事項からの政策的な合意、社会的協働なのです。これらを具体的な国民の要求実現の筋道を合意と協働システムのなかで示していくのです。
 財産私有型民主制の経済制度は、格差原理からの自由と平等を保障していくという社会的諸制度で、貯蓄原理を正義のために働かせるのです。社会は長期にわたる世代間の公正なる協働システムを作っていくのです。貯蓄をとりしきる原理も必要になるのです。貯蓄原理の合意は、富の水準をどれほど多くするのかという他の世代の義務を根拠づけることが求められます。


 さらに、税のことでは、貯蓄原理と課税の問題があります。ロールズは、遺贈を規制し、相続を制限するということは税の対象とせずに、累進課税に原理を積極的に適用するとしています。公平で平等な正義がかなっている社会では、累進課税で財源を増やすことを直接の目的にするためではないとするのです。
 それは、政治的諸自由の公正、機会の公正のために、背景的正義に反する富の蓄積を防ぐためというのです。ここで、問題となるのは、貯蓄原理が生活のために、小規模な資産として相続することを考えるのが必要なのです。それは、公正なる平等の正義から不公平な富の格差が生まれてくることはないのです。
 しかし、市場競争という現実を肯定しているなかで、資本の一極集中が進んで、それに伴って資産も強大になり、そのことで、世界の経済を支配することで重大になります。生活のための小規模な貯蓄であれば、富と貧困の極端な格差の矛盾は生まれない。その場合は遺産相続の所得控除という制度によって、実質に相続がかからない仕組みもできのです。控除額をどれほど引き上げるかによって、実質的に小規模な生活のための資産の遺産相続はなく、ロールズのいうとおりに課税対象からはずれることになるのです。
 比例的な消費税として、一定の所得税を越える消費総額にのみ課税されることも考慮するひとつです。人びとが、生産された財やサービスをどれだけ使用したか。それに応じて課税されることで、適切な社会的ミニマムに配慮した調整ができるというのです。。
 ロールズは、財産私有型民主制にとって、女性の完全平等をめざすことが大切と考えます。伝統的な家族内分業が基礎になった歴史的条件があることから、基本制度としての家族の問題になるのです。長期的な社会的協働のひとつとして、女性や子どもに平等な正義を確保する必要があるのです。 


 政治的リベラリズムの実現には、教育によって達成するのです。子どもの教育のなかに、自分の憲法上の権利や市民的権利に関する知識が重要です。自分の住む社会には良心の自由が憲法的に保障されいます。子ども達は十分に協働する社会的構成員となる準備を整え、可能となる自活の教育を受けていきます。そして、社会的協働の公正な条項を尊重したいという欲求が起きる政治的徳性を寛容していくことが求められます。
 自由で平等な公正なる民主的国家をつくっていくには、将来の市民としての子ども達の役割は重要です。子ども達に公共的な文化を理解し、その諸制度に参加し、政治的公正なる諸徳性の発達能力をつけることは不可欠になってきます。そして、全生涯にわたって、自活して生きる能力が求められということです。


4、 マルクスの自由論と教育の役割

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資本主義の基本矛盾

 

 マルクスは資本主義の矛盾原理を資本論で明らかにた。マルクスから学ぶ自由論を考えていくうえで、社会的自由が基本にしています。
 マルクスは、イギリスの経済史と経済状態からの資本主義矛盾の解放を大きな課題としたのです。イギリスこそ不可避的に社会革命が平和的で合法的な手段によって、完全に遂行されうる唯一の国であると考えたのです。

 マルクスは、商品生産の物神的性格を脱ぎ捨てためには、自由に社会化された人間の産物を意識的計画的に管理できる社会的相互関係が大切とした。

 そして、その歴史的条件には、人間と自然の関係の生産力の発展が必要と考えたのです。労働の疎外をはじめ制約されたものからの解放には、長い苦難に満ちた発展が求められていくとみたのです。
 労働者が労働力の売り手として、資本主義的な生産関係に入ることで、労働とその意志の自由が大きく変化したのです。資本主義的生産関係の労働者は、労働する魅力が少なければ、また、自分自身の肉体的および精神的の働きとして楽しむことが少なければ少ないほど資本にとって喜ばしいことになります。労働者は、資本関係において、自分の意志を労働過程に従属させなければならなくなったのです。労働者は資本主義的生産関係に入ることによって、彼の一日の全体の生活は、労働力以外のなにものでもないようになるのです。

 

 労働者は、人間的教養、精神的発達のための自由な時間を奪われていくのです。さらに、社会的役割を遂行するための、社会的交流の時間も失っていくのです。これらのことは、肉体的・精神的生命力のための時間を資本の価値増殖のために、奪われていくということを意味しているのです。資本関係に入ることによって、労働者は、人間的な自由時間が失われていくとマルクスはみたのです。
 本質的に、資本主義的生産は労働日の延長によって、人間的労働力の正常な精神的および肉体的発達との諸条件を奪いとられるだけではなく、労働力そのもを早く消耗して、労働者の生存時間を短縮していくとマルクスは分析したのです。
 利潤第一主義の資本制的大工業の誕生以来、強力で無制限な労働日の延長がされ、児童や女性が労働力市場に入り込んでいったのです。19世紀の前半に、イギリスでは、工場法立法の制定によって、標準労働日を獲得したのです。


 工場立法は、工場労働者たちの政治的選挙スローガンによって、広く宣伝されて、議会の大きな課題となったのです。工場経営者を規制していく工場法が制定されたのです。この工場法も労働者の戦いによって、労働時間の短縮、労働条件の改善が充実していくのでした。

 1844年の工場法によって、一日12時間以下、女性労働者の夜間労働が禁止され、13歳未満の児童は、一日6時間半になったのです。さらに、工場立法では、保険条項とて、換気装置などの労働現場や労働者の住居の改善をしていくのでした。

 国家法の強制によって、清潔・保健設備がされていくのでした。工場内は過密で健康に悪く、労働者の宿舎も換気の悪い部屋であありました。しかし、衛生的正義の闘争によって、衛生当局者も労働者の衛生権を報告するのでした。衛生権は法的な保護になったことを見落としてはならないのです。
 また、工場内に教育条項としての学校がつくられたことは注目することです。工場法によって、初等教育が工場内で実施されたのです。このことは、資本から労働者がもぎとった画期的な譲歩であったのです。


 労働者は闘いによって、孤立した労働者ではなく、資本との自由意志契約によって、自分たちの奴隷的状況を克服していったのです。ここには、議会による労働立法という強力な社会的手段があったことを見落としてならないのです。議会による工場立法は工場経営者に対する強制力になったことを決して忘れてはならないのです。
 同時に、ここでは、孤立した労働者としてではなく、標準労働日や労働条件を団結した力によって獲得していったことは重要なことでした。資本との関係で、自由対等に労働契約を結んでいくことができるようになったのです。まさに、労働契約を自由にできることは、労働力市場の自由ということから注目すべきことです。

 労働者の場合は、個々では孤立した存在であることから、労働者が意識的に団結の力で、議会に要求し、国家による労働立法から守られることが大切であったのです。また、労働者自身の団結権、労働交渉権なども不可欠になります。


 資本論からみた労働者の労働時間の短縮の闘いは、自由な時間の獲得になるのです。そして、工場法の教育条項にみられるように、人間的な発達のために、初等教育も獲得したことは特記すべきことです。

 安心、安全な環境で暮らすことは人間にとっての自由の条件でもあります。清潔・保健整備の改善や換気の悪い宿舎の改善など、衛生権ということからも大切なことであったのです。

 マルクス資本論1巻13章の機械と大工業のなかで、安価で単純な女性労働、児童労働を大量に動員していくことを述べています。機械は労働者家族の全員を労働市場に投じて、成人男子の労働力価値を全家族間に分割していくのです。そこでは、自由な労働力を売ることを放棄していくのです。機械は労働者自身を幼少時からひとつの部分機械の部分にしてしまうために乱用されていくとマルクスはみるのです。

 資本主義的な機械の充用は労働者の労働を解放するのではなく、自動装置によって、労働条件に労働者が使われることが強固になるというのです。つまり、手労働のときの心身の一切の自由な活動を封じてしまうのです。監督労働と単純な筋肉労働へとなっていくのです。

 

  資本にとって、政治的には分権や代議員制は、封建的特権を打ち破り、営業の自由を獲得していくうえで、歴史的に重要なことであったのです。この分権や代議員制は近代の民主主義の発展にとって極めて大切なことですが、自らの経営にとって、資本は利潤第一主義によって先制的になるのです。

 また、労働者は自らの目先の現象的な矛盾から機械との闘争をはじめるのです。機械は労働者自身の競争相手になると思うのです。実際は、機械の資本主義的充用によって、解雇され、生存条件が奪われていくのです。

 機械による分業は労働力を一面化して、ひとつの部分道具を取り扱うまったく特殊化された技能にされてしまうのです。機械のために余分な労働力にされた人々が生まれて行くというのです。労働者にとって、ここでは、社会的な関係をみることではなく、目先の機械化に奪われているのです。

 

機械制工場での教育の獲得と人間の全面的発達論

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 資本主義的自動体系のもとでは労働者の才能をますます排除します。熟練度の高い成人男子から熟練度の低いものに、子どもを大人の代わりに用いていくのです。

 ここでは、機械そのものの資本主義的充用から区別し、物資的生産手段の社会的利用形態の重要性を労働者が覚えるためには、時間と経験が必要であったのです。

 機械装置の発達によって、子どもの世話、裁縫や修理などの家事労働の家族の機能も大きく変化するのです。児童や少年の労働の売買は知的荒廃をつくりだしていくのです。

 しかし、児童の知的退廃が社会的に問題にされることによって、工場法の教育条項が生まれます。その適用を受ける産業で、初等教育を14歳未満での法的強制をしなければ社会それ自身の再生産が成り立っていかない状況になったのです。

 

 ところで、工場法の教育条項は、全体的に貧弱にみえるとはいえ、それは初等教育を労働の強制的条件として宣言したとマルクスは積極的に評価するのです。マルクスによれば、その成果は、筋肉労働を教育および体育と結びつくることの可能性をはじめて実証したとするのでした。

 工場監督官たちはやがて、学校教師の証人喚問から、工場児童は正規の昼間生徒の半分しか授業を受けていないのに、それと同じか、またはしばしばそれよりも多く学んでいることを発見したというのです。

 それは、二つの仕事をしているということです。一方では休養に、および気晴らしになり、中断なしに続けるよりもずっと適当というのです。

 また、上級および中級の児童の一面的で不生産的で長すぎる授業時間が、いたずらに教師の労働を多くしていること、児童の時間や健康を無駄にするだけではなく、まったく有害に乱費しているとみるのです。

 ここでの労働は過度な強制的なものを意味しているものではありません。マルクスは、児童労働調査員会の報告書を紹介しながら、そのことを語っています。有能な労働者をつくる秘訣は、子どもの時から労働と教育とを結びつけることになります。その労働は激しすぎてはいけないし、不快なものとか不健康なものではいけない。自分の子どもにでも、学業からの気分転換のために労働や遊戯をやらせたいとおもっていると児童労働調査員会は報告しているのです。

 

 長期的な側面からみれば、有能な労働者をいかにつくりだしていくのか。このことは、資本にとって、大切なのです。さらに、マルクスは当時の農村の状況では貧困家庭には教育を禁止するという風習があったことを記しているのです。貧しいがゆえに児童労働者として、工場に働きにいった子ども達が、そこで教育を受けられるということなのです。農村にいては教育が受けられなかった子どもたちが、工場法の教育条項によって、学ぶことが可能になったのです。

 イギリスの農村地方で、貧乏な親たちは子どもの教育を罰ということで禁止されているのです。貧乏人が教区の救済を求める場合には、彼は子どもを退学させられることを強いられるのです。

 工場制度からは、われわれはロバート・オーエンにおいて詳細にその跡を追うことができるように、未来の教育の萌芽がでてきたとするのです。それは、単に社会的生産を増大するための一方法であるだけではなく、全面的に発達した人間を生み出すための唯一の方法であるとマルクスは工場法の教育条項を積極的にみているのです。

 

 全面的に発達した個人になっていくのです。全面的発達は、教育の前提ではなく、生きるために、労働現場からはじき出されることの繰り返しのなかで、その場、その場で必死に労働力市場に対応していくなかでの能力の形成からの結果としての全面的発達の人間形成なのです。長い人生のなかでの、困難につきあたり、新たな能力形成挑戦の努力から全面的発達の人間形成としてみることが重要です。ここには、社会教育・生涯学習ということからの全面発達の人間形成としてみるべきです。

  生涯を通しての全面的発達への基礎として、自然発生的に発達した工業および農学の学校や職業学校にもなるのです。労働者の子どもが技術学やいろいろの生産用具の実際の取り扱いのある程度の教育を受けることの重要性をマルクスは考えたのです。

 工業学校、農学校、職業学校は、生涯学習からの全面的発達の人間形成ということで、大きな意味をもっているのです。したがって、そこでは、すぐに役にたつという職業訓練的な教育ではなく、生涯にわたって大切な職業観教育や技術学の基礎、科学の基礎を実際的な訓練の基礎から学ぶことになるのです。職業観や技術学の基礎、科学の基礎を実際に応用できるように学ぶことが求められているのです。

 工場立法は、資本からやっともぎとった最初の譲歩として、初等教育を工場労働者に結びつけることができたのです。このことは、労働者階級による不可避的な政権獲得のための理論的なことになります。また、実際的な技術教育のためにの労働学校のなかにその席を取ってやることができるとマルクスはみたのです。

 

  部分人間からの全面的発展の人間形成は、機械制大工業による資本主義的な競争原理による価格競争からです。それは、生産性という絶えざる技術革新による労働者の労働力市場からの反発や吸収によって起きるのです。

 労働者の全面的発達の人間形成は、労働力市場の反発や吸収という死活問題のなかで形成されていくのです。労働者が不況のなかで解雇されていくなかで、生きていくいくために必死になって新たな産業へと雇用を求めます。雇用の安定のために、自己の能力を身につけようとするのです。

 部分人間からの全面的発達への人間形成ということは、前提としての教育や職業訓練の営みの目的によってではなく、労働者の景気循環のなかでの雇用の排出反と吸収のなかでの適応であるのです。つまり、経済的基盤からの労働者の死活問題としての労働への適応の努力の学習の繰り返しのなかで形成されていくとみるのです。

 このように、マルクスが考えた全面的発達論は、部分人間からの脱皮は、資本主義的な景気循環での排出と吸収、絶えざる技術の競争というなかで捉えていくことが大切なのです。社会経済的状況から無視しての独自の教育論としての全面的発達論ではないのです。

 この意味で全面的発達論は、社会から閉じられた学校教育という狭いなかで考えるのではなく、学校教育自身も社会との関係で積極的に教育内容、教えていく課題、教育の方法、体験学習や観察、実験方法、体を動かす教育、感性を磨いていく実際の方法など、様々なことを社会や体験、実際のことなど工夫していく教育が必要なのです。

 さらに、社会教育・生涯学習の課題として、全面的発達論をみていくことが大切なのです。

 

労働の疎外と人間的自由
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マルクスは、「経済学・哲学草稿」で疎外された労働についてのべまています。資本主義的な生産関係では、労働者は富をより多く生産すればするほど、彼の生産の力と範囲とがより増大すればするほど、それだけ貧しくなるというのです。
 この事実は、労働が生産する対象、生産物がひとつの疎遠な存在であったのです。そして、生産者から独立した力として、労働に対立したのです。労働者は彼の生命を労働対象のなかにそそぎこむので。しかし、そそぎこまれた生命の生産物は彼自身のものではないという皮肉な結果であったのです。


 自然は労働に生活手段を提供しますが、自然は狭い意味での生活手段を提供していたのです。労働者は、資本主義的な生産関係に入ることによって、彼の生活手段の自由な労働を奪われるし、生存手段である生産物も失われのです。労働者は肉体的主体としてのみふるまうのです。ここに二重の側面から労働者の疎外が生まれたのです。
 労働者は労働の本質から疎外されることによって、労働によっての幸福を感ぜず、かえって不幸を感じるのです。労働者の自由な肉体的および精神的および精神的エネルギーがまったく発達せずに、かえって彼の肉体を消耗し、彼の精神は頽廃化していくのです。

 また、労働していない家庭にいるような安らぎは、労働しているときは安らぎをもたないのです。だから、かれの労働は自発的なものではなく、強いられたのであり、強制労働だというのです。 


 労働は、ある欲求の満足ではなく、労働以外のところで諸欲求を満足させるための手段にすぎないということです。人間的労働の本質である自然との関係で、欲求の満足のために、生産する喜びが失われているというのです。
 以上のようにマルクスは、資本主義的な生産によって、資本によっての労働過程の支配と所有から排除されていることで、労働による幸福感、満足を得ることができないということで、労働疎外の本質をのべるのです。
 人間は動物と異なって類的な存在であると考えるのもマルクスの特徴です。人間は自己に対してひとつの普遍的な、それゆえ自由な存在としてふるまうというのです。人間は、植物、動物、岩石、空気、光などの自然科学の対象として、また、芸術の諸対象してふるまうというのです。


 人間が享受すべき生産物を消化するためには、まず第1に仕上げを加えなければならないと考えます。それは、人間の精神的な非有機的自然、精神的生活手段になります。自然生産物が食料、燃料、衣服、住居などの形であらわれるようになるのです。そこでは、人間的生活や人間的活動の一部を形成し、また、人間的意識の一部をもつのです。人間は自然によって生きるということです。
 つまり、自然との不断の交流過程で人間は死なずに生きているのです。資本主義的な生産関係での疎外された労働は、人間は自然の一部として、自然と意識的に連関しているのを断ち切られているのです。

 

 人間にとっての労働は、生命活動、生産的生活そのものです。それは、欲求を、肉体的生存を保持しようとする欲求を満たすための手段であるのです。
 人間の生命活動は、類的生活がよこたわっています。自由な人間の意識活動は、そのものなのです。人間は、生命活動そのものなかに、自分の意欲や自分の意識の対象にしています。資本主義的生産関係は、自由な人間の意識活動、喜びや幸福感という自由な活動を疎外しているというのです。
 疎外された労働は、彼によって創造された世界のなかで自己自身を直観することと、自然との関係での生命活動からの意欲や意識の自由な活動を人間の肉体的存在の手段に引き下げるということになるというのです。これらの意味することは、人間の精神的本質を疎外するというのです。


 労働の疎外があるということは、人間からの人間の疎外ということです。労働者が生産した労働生産物は、労働者に属さず、労働者以外の他の人間に属するということです。労働者の苦しみは他の資本にとっては、その生産物が享受され、他の人間、資本にとっての生活のよろこびになるのです。
 労働疎外によっての労働生産物は、資本家のものになり、その労働の主人が資本家になっているのです。私有財産は、労働者の外化された労働の産物、成果です。

 労働疎外が人間の疎外ということから、労働者の政治的な解放ということは、労働者だけの問題だけではなく、一般的に人間の解放が含まれているのです。人間にとっての労働、生命活動、生産的生活からの幸福感、人間の意識、人間的文化という本質の問題があるのです。このことから、利潤第一主義の労働から離れた資本家も含めて、人間的生きる喜び、幸福感、人間の意識や文化芸術をもみつめていくことが大切になってくるのです。
 
 労働の疎外は、機械の発達の導入によって、全く未発育な子どもを労働者にするのです。機械は人間の弱さに順応して、弱い人間を機械にしようとするのです。労働者の活動をもっとも抽象的な機械運動にまで還元し、活動する欲求も、楽しむための欲求すらなくすというのです。まさに、労働者を貧弱した生存条件の無感覚的な欲求の存在として陥れるとしたのです。 

 

人間の自由の意志と幸福観

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  エンゲルスは「反デユーリング論」のなかで人間の意志の自由問題として、自由と必然性についてのべています。 自由は、洞察と衝動、分別と無分別との平均であって、その度合いとしてみるのです。自由とは必然性の洞察であり、意志の自由は知識をもって決定を行う能力というのです。だから、ある人が判断がより自由であればあるほど、その判断の内容は必然性をもつということになります。


 無知にもとづく判断は、気ままに選択するようにみえても、自らの不自由を証明するのです。自由は必然的に歴史的発展の産物です。動物界から分離したばかりの人間はすべて本質的に不自由であった。文明、文化の進歩は、自由の歩みであったことを重視しているのです。
 エンゲルスは「フォイエルバッハ論」の著書で、人間の幸福衝動についてのべています。幸福衝動は、その充足の手段である外界との関わり合いが必要としています。幸福の衝動は、食物、異性の個人、書物、談話、討論、活動などの形であらわれます。それらは、消費される対象になるのです。
 
 社会の発展史は、自然の発展史と本質的に異なるのです。自然史は、人間の意識のない盲目的な作用力であって、交互作用のうちに一般的な法則がありますが、人間社会の歴史は、行動している人間は意識を賦与され、考慮または情感をもって行動し、一定の目標をめざして努力している人間であるのです。
 ここでは、表面上では、個人の意識的に意欲された目標によっての行動があるのです。行動は偶然が支配しているようにみえますが、多くは、意欲された目的が交錯したり、抗争したりするのです。行動の目的は意欲されているにもかかわらず、その行動の結果は、意欲された目的と合致するかに見えても、意欲された結果と違うことになるのです。偶然性が支配しているように見えても、この偶然性の内部にかくれた法則性によって支配されていることを詳しくみる必要があるのです。


 人間の歴史は、人間各自の意識的に意欲していることを追うことによって、多くの意志と外界の意志の多様な働きが合成され、それが歴史の結果なのです。個々の意志は破棄されるのではなく、合成された一部を構成されているのです。このことは、多くの個人が意欲しているというなかで歴史がつくられいくということです。
 

マルクス・エンゲルス未来社会ー真の人間的自由ー

 

 マルクスとエンゲルの「ドイツイデオロギー」の著書では、未来社会論を次のようにのべています。資本主義的大工業による労働の分割から人間的な力の復元は、もとのようにはならない。諸個人が個人として参加していく共同態によって、諸個人の自由な発展と運動の諸条件のもとでの諸個人の結合によって、新たな豊かな人間的な力が復元できるというのです。

 他の人たちとの共同こそが、個人の素質をあらゆる方向へ伸ばすことになるという考えです。したがって、共同においてこそ人間的自由は可能となるのです。


 この共同態とは、個々人の自由な参加による結合なのです。どのようにして、これを実現していくのか。その具体的な形態はどのようになっていくのか。資本主義的矛盾の対立のなかで、労働組合と経営者の集団的な交渉や協議会、協同組合方式の経営、労働者の職場などでの経営参加など、様々な試みが歴史のなかでされてきました。
 そして、労働基準監督、公衆衛生面からの保健所行政、環境保護行政など国家での法律に基づいて、経営側の社会的規制と労働者の社会的参加が行われてきました。

 

 マルクスエンゲルスの指摘する自由な国への諸個人の結合による共同態をどのようにつくりあげていくのか。詳細な具体的にるみえる形が必要です。
 そして、それらが、具体的にどのような方法で実現していくのかという過程も大切です。基本は現実的な問題の起きている利益第一主義の資本主義の矛盾を地域や職場のレベルから、地方、全国へと国民的な参加によって、民主的な協議、結合によって未来社会への達成を一歩一歩成し遂げていくことではないか。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

霧島における明治8年民主憲法の草案

 霧島における明治8年民主憲法の草案
 鹿児島大学名誉教授 神田 嘉延

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はじめに.

 霧島山麓は、古来から六所権現として、殺生を嫌って、修行したといわれる性空上人の僧など、極楽浄土の地であった。まさに、平和を祈る山であった。ここには、神仏混合、隠れ念仏の洞窟が多数あり、多様な複合的文化をもっていた安楽の地であった。そして、多様な価値を融合しての和の精神が色濃く山に映えるのであった。

 わき出る温泉の地であったので、霧島の山々に、西郷がよく湯治に来ていた。また、明治の学制がひかれるまえに、学問所が独自に各大字ごとにつくられていたとこも注目するところでもある。 

 竹下彌平の名前でだされた憲法草案は、彼が投稿したとき、霧島居住者であった。この憲法草案は、明治8年3月1日付けの朝野新聞に発表された。執筆は、明治8年2月1日となっている。竹下彌平は、鹿児島県襲山郷在中とある。この郷の現在市町村は、霧島市であり、霧島山麓の旧霧島町から日当山温泉地域をさしている。
 戦後の民主憲法を様々な地域での自由民権運動憲法草案から見つめていくことは、現代においても重要なことである。それは、挫折したが、日本における近代化過程の自主自立精神にもとづく民主主義形成の伝統であるからである。
 明治初期に民主憲法の骨格が鹿児島でもつくられていたのである。その理念は明治維新の五個条の御誓文の拡充と自由の真理という精神、立憲主義による国会中心主義である。

 そして、行政官、武官、司法官も左右両院の特権は侵すことができないとしている。さらに、行政の最高責任を担う太政大臣、左右両大臣と予算は国会の権限と明記する。国権の最高機関としての国会の役割、三権の分立と国会の政治における役割、政治の軍部からの自立を明らかにしている。明治8年の時期に画期的な民主主義の原理になる国会重視の立憲主義と自由の理念を打ち出している。

 武官はあらゆる国会の有する特権をおかすことができないとしている。このことは、政治における平和の問題を考えていくことで大切なことである。
 なぜ、霧島での在住の竹下弥平(偽名と思われる)がこのような憲法明治8年3月1日の朝野新聞に書いたのか。当時の政治情勢と鹿児島での地域の士族民権の動きも含めて検討する課題が重要である。

 

 

1. 明治8年鹿児島での民主憲法素案の歴史的意義

 竹下彌平憲法草案は、国民のための民主憲法を歴史的に考えていくうえで、重要な資料である。かれの憲法草案の理念的特徴は、国会の早期創設によって憲法を制定して、立憲主義のもとに、為政者を豹変させないという趣旨であった。国会は、国の重要な行政的責任者の太政大臣、左右大臣を選び、国の歳入歳出を定める特権を有するという提言である。
 
 左右両院の特権は、いかなる行政官、司法官、武官といえども犯すことができないとして、国会の権限は、立国の本旨から最重要であるとする。明治維新の5箇条の御誓文は、広く会議を起こして万機公論に決すという理念であったことから、その理念を早急に拡充して国会を開設すべきという。まさに、立憲主義と、国権の最高機関という国会の役割の主張がみられるのである。

 竹下彌平の憲法草案で注目されることは、天皇の位置である。天皇は、左右両院の開閉の特権をもつとしているが、国を統治する権限としての国会の役割を特別に重視していることである。また、両院に武官や司法官がなれないようにしていることも重要である。
 明治10年代に自由民権運動との関連でつくられた植木枝盛や五日市の私偽憲法案は、国民の基本的権利を尊重するが、天皇の統治のもとに国会を位置づけていたことと明らかに異なる。
 しかし、竹下彌平も天皇については、国民の象徴の権威性を次のように大切にしている。「恭しく聞く、我が帝国専世、聖哲ナル天皇之敕ニ曰、天、君主ヲ設クルハ国民ノ為ニスルノミ、君ノ為ニ人民ヲ置クニ非ズト」と。ここには、古事記にみられる仁徳天皇等の君主に対する尊敬と「嚶鳴館遺草」等の経世済民による愛民思想が見られる。竹下彌平の考える日本の伝統的な為政者は、国民のためにするのみで、君のために人民を置くものではないということが基本である。

 そして、中国の先哲として、「天下ハ天下ノ天下ニシテ、一人ノ天下ニ非ズト」としている。これは、中国の伝統的な兵法書六韜の考えである。さらに、フランス革命などによって形成された欧米の人権思想の大切さを次のように指摘する。「我国ヲ愛スベシ、吾人、自由ノ理ハ我国ヨリモ愛スベシ」(パトリア、カーラ、カーリヲル、リベルタス」(ラテン語)。つまり、祖国も大切であるが、さらに重要なものは自由であるとしている。人類の普遍的な人間尊厳の統治の論理探求の姿がみられる。


 自由の理は、「英雄起ルニ非ルヨリハ、宿習ヲ勇截浄濯選シテ真理ヲ実行ニ著見スルヲ得ンヤト」と過去の世の習わしをいさぎよく断ち切り洗い清めて、真理を明らかにすることを強調している。以上のように、明治8年に、自由の理による国民のための立憲主義の理念がすでに提起されていたことは特記すべきである。
 自由の理、国民のための憲法制定の運動は、明治8年6月の言論の自由を奪う新聞条例、西南戦争、明治14年政変、福島・秩父などの自由民権の激化事件などによって、日本の政治勢力から消えていったのである。
 しかし、自由民権運動に参加していった多くの日本の国民のなかに、その精神は、明治維新の五個条の御聖誓の拡大として残っていった。

 明治23年の国会開設の第1回衆議院議員は、かつて自由民権を訴えていた人々とつながりのある民党系が過半数以上を占めるが、国会は、国権の最高権限ではない。このことから、国政の絶対的権限をもっている専制政府のもとに、弾圧と懐柔が民党系にされていく。結果的に、かつての自由民権運動の思想は、政治舞台では骨抜きにされていったのである。


 自由民権運動は、安政条約による日本の植民地化に対する危機感からであった。その危機意識から国民国家の形成というナショナリズムの問題も内包していった。

 それが、後に慈愛的国際主義、民族平等と共存共栄の意識になっていくか、民族排外主義による帝国主義になっていくかの問題を含んでいた。それは、その後の日本の歴史の事実が教えている。

 竹下彌平の憲法草案は、日本近代における天皇主権の立憲主義憲法の骨格がつくられていく過程の政治情勢からみなければならない。現実の明治憲法は、竹下彌平の憲法草案の自由の理と国民のための立憲主義とは全く異なるものになった。
 明治8年2月は愛国社が結成され、全国的に国会開設の声が高まったときである。また、明治8年1月の大坂会議で、自由民権への融和懐柔が行われた。下野していた板垣退助木戸孝允井上馨大久保利通伊藤博文との政治的合意がされた。愛国社の総裁の板垣退助が多くの愛国社のメンバーから批判されるなかで、参議に復帰していく時期である。
 すでに、木戸孝允は、井上周蔵に依頼して、ドイツ・プロシア憲法をモデルに絶対主義的な憲法草案(大日本政規)を明治6年につくっている。大坂会議の合意によって、板垣退助木戸孝允の参議復帰が行われ、明治8年4月14日に立憲政体の詔書がでる。

 この詔書は、漸次立憲政体にしていくということで、元老院大審院、地方官会議を詔勅によって設置することであった。その後は、天皇主権による絶対主義的な天皇の協賛としての国会という明治憲法になっていく。


 当時の明治政府部内にあった民選議員設立の反対理由は、加藤弘之に典型にみられるように、時期尚早論で、天賦人権論は否定できなかった。

 加藤弘之の見方は、今日の我が国では制度憲法は難しいということである。我国では、英国の賢智者多いことと異なり、天下のことを公議する知識が無知不学の民多く、適切なる者を選ぶことができないという理由からである。

 未開の国は、自由の権利を得るとき、その正道を知らずして、自暴自棄に陥り、国家治安の障害になる。学校を興し人材を教育することをすすめて、人民の自主の心を旺盛にしてから民選議院を設立すべきという時期尚早論である。(加藤弘之民選議院ヲ設立スルノ疑問」明治啓蒙思想集・明治文学全集3巻、筑摩書房、154頁~157頁参照)。これらの論に対して、竹下は、憲法制定の緊急性をのべているのである。
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2.竹下彌平の憲法草案にみる明治維新の見方

 

 竹下彌平は、明治維新によって、旧習の下手な説や群藩の幡も一掃され、県治に大きく方向転換したことを次のようにのべる。

 「既ニシテ戊辰ノ転覆ニ会シ。逆乱旧習之陋説(ろうせつ)、義兵錦旌(きんしょう)之下ニ一掃シテ尽キ、海内(かいだい)一変、群藩幡然(はんぜん) 方嚮(ほうこう)ヲ改メ県治ニ皈(き)ス」。

 また、戊辰戦争後の新政府は、五箇条の御聖誓の万機公論に決するということであった。竹下彌平は、このことを次のようにのべる。
 「此之時ニ当リテ所謂萬機公論ニ決スル云々等之聖誓ハ、即、恐多クモ曩ニ所述、天地ニ亘(わたり)リ萬世ヲ究メ不可易(かゆるべかざる)真理ニ根拠シテ発スル所ノ者ニテ、而 (しかして)直ニ此真理ヲ実行ニ施スヲ見ル。我輩幼児之疑恠(ぎかい)、頓ニ氷釈(ひょうしゃく)スルヲ覚フ」。
 幕府を倒し、新しい国、理想を掲げた五箇条の御誓文の精神が全く形骸していることを問題にしている。幕府を倒したときの新しい世の中をつくっていくときの意気が消えたことを歎いているのである。現実の社会経済、政治をよくみて、真理を発展させて、欧米文明諸国と対等になることを期待していた。
 そして、この真理をのびやかに発達させて欧米文明諸国と「并馳共峠」(へいちきょうじ」と並び馳せ、共に目標に達するようになることを望むとしている。しかし、明治6年5月の井上大蔵の退職の前後より政治は失調しているとする。そのときから、すこぶる国民のため、自由の理の政治が消えていると考える。


 竹下彌平は、明治6年の政変を井上大蔵大輔等退職前後から捉えている。「政機失調ルアルガ如く」と、新しい国づくりの危機をあげている。それは、政商と藩閥政治汚職問題からであり、政治とカネという徳政の問題、国家財政問題のあり方も大きく問われたのである。
 井上馨は、日本主力鉱山の尾去沢(おさりざわ)銅山汚職問題で江藤新平等に追及されて辞職している。井上参議の辞職は、汚職問題が直接的理由である。近代化していくなかでの汚職の問題は、為政者の德の問題として大きくあった。この汚職問題を竹下彌平は、政機の失調のはじまりと見ていたのである。ここには、「新政厚徳」の精神が読み取れる。
 廃藩置県が行われ、徴兵制がしかれ、学制による義務教育の整備がだされていった。この時期は、旧幕府体制の制度をあらためることが急務であった。このためには、国家としての財政的な確立が不可欠であった。財源ぬきの学制が発布される。

 西郷をはじめ朝鮮問題で政府の中枢メンバーが下野していくのも明治6年10月であった。そして、明治6年5月から10月の政変は、地租改正や内務省の設置にみられるように大久保利通岩倉具視等は、天皇を利用しての官吏の権限強化をはかっていく。大久保は、明治6年11月に内務省をつくる。内務省は、政権の中枢的機能になっていく。


 下野した板垣退助などは、民撰議院設立建白書を明治7年1月17日に政府に対して最初に民選の議会開設を要望する。「今政権ノ帰スル所ヲ察スルニ、上帝室ニ在ラズ、下人民ニ在ラズ、而独有司ニ帰ス」。
 今の政権は、天皇にも人民にもなく、ただ有司=官僚の独裁であるとしている。
 そして、「臣等愛国ノ情自ラ已ム能ハズ、乃チ之ヲ振救スルノ道ヲ講求スルニ、唯天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已。天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已。則有司ノ権限ル所アツテ、而上下其安全幸福ヲ受ル者アラン」ということで建白をしている。

 国を救う道を講究することは、広く天下の公議を張ることである。そのためには、民選議院を設立することであると。このことによって、官僚の独裁をやめさせることができるというのである。


 竹下彌平は、「維新之基礎タル聖誓之大旨」として、この時代的状況のなかで明治元年五箇条の御誓文を大切にすべきであるとしている。それは、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベス」「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ」「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」ということである。


 広く会議を興して万機公論に決すべきということは、国民とともに議論して、国民のために政治を行って、国民みんなが位に関係なく一致して、国家を治めていくことをめざしていくことである。

 このためには、国会を開設して、憲法を制定し、その下で国政をしていくということである。さらに、旧来の悪い習慣を破り、天地の公道に基づき、知識を世界に求めることを指摘している。
 竹下彌平の憲法草案は、この時代のもとで、民会の役割の重要性を次のようにのべる。
「既ニシテ、民会之議起ル。其得失、利害、尚早、既可(きか)詳(つまびら)カニ諸賢之説アリ。又贅(ぜい)スルヲ須(ま)タズ。吾謂(い)フ聖誓ヲ将ニ湮晦(いんかい)セントスルノ日ニ、維持挽回スルモノ民会ヲ舎(おい)テ又、他ニ求ムベカラズ。真理ヲ将ニ否塞(ひそく)セントスルノ際ニ,開闡暢進(かいせんちょうしん)スルモノ亦民会ヲ舎(おい)テ他ニ求ムベカラズ」。
 民会の議論は、利害がぶつかりあい、時期が成熟していないという意見があるが、五箇条の御聖誓をうずもれさせないために、国政失調を挽回するには、民会に求める他にない。自主自立、自由の理の真理を切り開き、国を発展せるためには、早期に民会を開くことしかないとしている。


 明治8年6月の大阪での第1回地方官会議に地方民会の議論になるが、鹿児島県令の大山は、時期が早いとして不要論を主張していた。「人情未タ安寧ナラス、生産未タ繁殖セス、風俗未タ醇厚ナラス、盗賊末タ衰止セス、而ルオ況ヤ各地ニ於テヲヤ。故ニ民会ヲ開キ広議興論ヲ采リ、以テ政に施サント欲ス、其意美ナラサルニ非ス、然レトモ方今民会ヲ開ニ於テ、其妨害極テ多シ」。「民会ヲ開クニハ、他日人民開化進歩ノ時ヲ待チ、朝廷地方ノ官員協心同力、今日着実ノ政事ニ勉力シ、徒ニ文具ヲ事とセサルベシ」。 (都丸泰助「現代地方自治の原型―明治地方自治制度の研究」大月書店、148頁~149頁参照)。 
 政府内には、民会について時期が早いという考えであったが、その見方が大山県令にも反映していたのである。竹下彌平の地元鹿児島県令ですら、地方民会も時期が早いという論であった。鹿児島県令は、民会を開くことの将来的な意味は認めているが、今はその時期ではない、国民の開明の進展までまつべきだとしている。

 この地方官会議では、民選ではなく、官選で決定される。しかし、竹下彌平は、県治と民会の役割を今こそ重視している。このことは、注目することである。戊辰戦争によって幕府を倒し、逆乱旧習の狭い考えを一変する方向性は、改められた県治によるところが大きく、緊急に民会を開くことを重視しているのが竹下彌平の見方である。

 

3.国会の役割と立憲主義

 

 竹下彌平は、最も切望するところとして、国会を開設するために、憲法骨格草案の八条を提起する。この憲法草案は国会を開設するための基本的見方である。
 第一条は、為政者・君子の豹変を防止するために憲法の制定の重要性を指摘する。「己巳平定以来、此ニ七年、蓋シ国歩又一歩ヲ進メ、君子豹変スベキハ此之時ヲ然リトス。故ニ吾帝国、宜シク益其廟謨(びようびぼ)ヲ宏遠(こうえん)ニ運ラシテ、我帝国ノ福祉ヲ暢達スベキ憲法典則ヲ鈐呈(けんてい)スベシ」。
 国の福祉を発展させるためには、憲法制定をすべきであるとする。ここでは、君主による統治の欽定憲法ではない。そして、第2条では、即、聖誓の拡充を実現するための憲法制定であり、国権の最高機関としての国会の役割を重視しているのである。

 ここでは、国民のための立憲主義による国のかたちを明らかにした。その国会は、今の左院と右院を改めて、新たにつくれとしている。当面の緊急時なる議員構成については、第3条と4条に示している。
 「第二条 右憲法ヲ定メルハ、即聖誓ヲ拡充スル所以ナレバ、立法権ヲ議院(現今之左右院ヲ改メ、新ニ立ル処ノ左右両院之議院ヲ云)ニ悉皆委任スベシ」。
 第三条では左院の議員構成である。左院の定員は百名で、三分の一は、現今各省の奏任官四等以下七等に至り、判任官八等より10等までのうち、主務に練達諳塾して、才識あるものから人選を提起している。ここでは、上級の官吏を外しての各省ごとからの若干名の選出の提案である。
 三分の一は、著名に功労ある人望家、旧参議諸公のごとき在野の俊傑及び博識卓見なるものから選挙するとしている。その例として、福沢、福地、箕作、中村等と新聞家成島、栗本をあげている。最初は、太政官より命令して選び、議会がたった後は、別に選挙方法を立てて選ぶとしている。例としてあげられた知識人の4名は、竹下彌平と同じように国会即時開設論ではない。むしろ、当時の代表的な在野の文化人として竹下彌平はあげている。
 三分の一は、府県知事、令参事に命じて、その管下、秀俊老練、民事を通暁し、地方の利弊を考えながら選べとしている。最初は太政官より地方官に示諭して、乱選なきを注意し、適宜に選ぶことも妨げないとしている。議会がたった後は別に詳細に選挙法を設けるとしている。
 板垣退助等は、民選議院の設立の建白書を提出したが、左院は、広く会議を起すという意味で重要な役割をもっていた。この左院の構成について、竹下彌平は、広く国民の代表者による会議として、上級の官吏を除く、直接に一般の民に近い行政の仕事をしている人から憲法制定のための国会議員を選ぶという方法をとっている。

 これは、上層部のリーダーだけによって憲法制定の意志にならないように、民の身近な官吏からの代表を大切したのである。また、在野の博識卓見ある文化人から議員を選ぶということも国民教育が普及していない明治8年の情勢からの緊急提案である。
 さらに、左院の議員構成に地方の代表を位置づけていることは、国家レベルの憲法を中央集権的に決めていかないという見識である。
 第四条は、右院の議員の規定で、定員は左院と同じ百名である。その構成は、行政官勅任官以上ということで、高級官吏からの代表と皇族華族中より選挙するとしている。

 ここで、注目することは、司法官と武官は議員を禁ずるとしている。左院の選出方法を含めて、司法官と武官は、両院の議員になることができないしくみの構想になっている。
 ところで両院の権限として、三つをあげている。まず、第1は、行政の最高の権限をもっている太政大臣と左右両大臣は国会で選ぶことをのべる。
「第五条 太政大臣及左右大臣は左右両院の選挙をもって定める」。

 当時の藩閥政治では、広く会議を起こして行政の最高責任者を選ぶしくみがなかった。形式上は、天皇の勅命によって太政大臣、左右大臣が決められていた。実質的に政府の権限は、それを支える参議や高級官僚が握っていた。行政の最高権限者を国会によって、選ぶという仕組みにかえていこうとするが竹下憲法草案のねらいである。
 天皇の特権は左右両院の開閉にあるということで、行政の最高の責任権限者ではない。明治維新によって、新政府の統合的なシンボルになっている天皇を位置づけていることである。広く会議を興し万機公論に決すという聖誓の理念の重要な場の設定としての天皇である。「第六条 左右院を開閉するは天皇の特権にあり」。
 国会の第二の役割は、国の統治で根幹になる歳入・歳出を定める特権である。「第七条 帝国の歳入出を定める特権は左右両院にあり」。


 さらに、立憲主義ということから憲法の制定や改正は、極めて重要なことである。この特権は、いかなる行政官、司法官、武官は犯してはならない。それは、立国の本旨であると第八条でのべる。「凡帝国の憲法典則ヲ鈐定スル、若シクハ更正増減スルハ一切左右両院之特権ニ在ルヲ以テ、仮令行政官、司法官及武官、如何様之威権、如何様之時宜アルトモ、決シテ立法上ノ権ヲ毫モ干犯スルヲ得ザラシムハ、立国之本旨最重スル所トス」
 これは、有司専制というように官僚的独裁によって憲法を犯してはならないことであり、また、武力によって、国の基本施策や憲法を動かしてはならないという立国の本旨からである。そして、司法と国会を分離する意味から司法官の国会議員を禁止している。以上のように、竹下彌平は、国権の最高の権限を国会におくことを憲法草案にうたっている。

 竹下彌平は、民間人としての憲法草案を提唱したのであるが、「左右議員ヲ速ニ立セラレント、今日、政府ノ急務」として、現在の国の情勢からみて、議会を開く緊急性を強調しているのである。

 

4.日本の未来の危機意識と自主自立精神の重要性

 

 竹下彌平の我が国に対する危機意識は、インドのように植民地になってしまうという懸念である。つまり、早く挽回しなければ日本の未来は大変なことになるということである。それは、欧米の列強諸国の外圧による植民地の危惧である。「我ガ帝国之民、淳朴(じゅんぼく)忠愛、・・・奴隷之習気脳髄ニ印シテ、精神恍惚、亦覚醒ナキガ如キニ至ル。彼之印度ノ奴ト偽リシモ亦、職トシテ、是之由ル。今ニシテ早ク是ヲ挽回セザルバ、印度之覆轍ヲ踏ザルモノ幾希ナリ」。
 国会を開設し、憲法を設定することは、自由を大切にして、学校を盛んにして、兵力を増強し、近代技術、近代施設を整備していくことになる。「外国人ト婚娶(こんじゅ)ヲ許スガ如キ、出版ヲ自由ニスルガ如キ、学校ヲ盛ニスルガ如キ、兵力ヲ張ルガ如キ、拷掠(ごうりゃく)ノ苛酷ヲ除キ、審判之傍聴ヲ縦(ほしいまま)ニスルガ如キ汽車山川を縮メ、電線宇宙ヲ縛(ばく)スルガ如キ、皆、開花之衆肢體ニ非ザルハナシ。然レドモ、徒(いたずら)ニ其肢體ヲ獲テ、而(しかして)未ダ其精神ヲ具(ぐ)セズンバ、偶人塑像ニ均シキノミ」。


 外国人と結婚を許す自由のごとき、出版の自由、学校を盛んにすること、汽車を走らせ、電線をひくことである。そのためには、自主自立の理の精神を備えていくことである。その結果によって、真に開化することができるとしている。近代化しても、自主自立の精神をもたねば、粘土でつくった人形像のようなものであると訴えている。


 国民的に自主自立の精神を旺盛にしていくには、国会を開き、憲法を制定して、出版の自由、学校を盛んにして、大いに議論していくことであると。このことによって、奴隷の気質、精神恍惚を一掃して、立憲主義の国家をつくっていくことになると竹下は考える。


 自由の理ということで、竹下彌平は、最初に、外国人と結婚を許すということをあげている。この時期は、国際結婚は極めて例外的であったが、明治初期に鹿児島医学校でイギリスの地域医療による多くの医師を養成したウイリアム・ウイリスは、地域の日本人女性と結婚し、子どもをもうけ、日本での永住を決意していたが、西南戦争によって、それは、挫折している。
 欧米の民の気質についても「忠厚温良」が不足しているという興味ある問題提起をしている。「欧米之民、沈毅果断、忠厚温良不足。其之弊ヤ、君主ヲ威逼(いひつ)シ、政府ヲ倒制スルモノ往々之有リ」ということで国の恥さらしになり、為政者をおどしおびやかして、国を倒すこともたびたびあり、建設的にならないことを指摘している。
 出版の自由については、海老原穆の活動は、注目するところである。明治4年西郷隆盛と共に上京し、明治6年に、明治六年の政変で下野したことに呼応して軍職を辞し、明治8年2月に、集思社を創設し、「評論新聞」を創刊した。その新聞では、太政官政府に対する痛烈な批判を展開した。海老原穆は、新聞条例によって、讒謗律に違反するとして逮捕投獄される。
 集思社は、新聞条例によって発刊停止になった後も、中外評論を発行する。また、発禁になり、さらに、文明雑誌を発行して粘り強く言論活動を展開していく。集思社と同時期に栗原亮一社長の自主社系の草莽雑誌も反政府、西郷支持の論陣を張ったのである。評論新聞と同様に発行禁止の弾圧を受けるが、草莽事情として発行を続ける。両社とも西南戦争のさなかで消えていったのである。
 評論新聞には、西南戦争に熊本隊として、ルソーを教本にしていた植木学校の教師であった宮崎八郎も記者として勤務していた。このように、明治の初期には、在野の人々が自由の理を求めての出版活動がはじまっていたのである。

 

 まとめ.自由の国づくり

 

 竹下彌平の憲法草案は、左右両院を開いて、自主自立の精神によって自由の理の国づくりをしていこうとする。国会の開設、憲法の制定によって、日本の毅然とした自立の志気がつくられていくとする。幕府を倒し、新しい世の中を宣言した五箇条の御誓文をふさいでしまった現政府に、国会の開設によっての自主自立の道を拓いていくことを強く訴えたのである。
 竹下彌平の憲法草案の最大のねらいは、毅然として自主自立、自由の理の志気をもって、 両院を開くためである。その両院の初期目的が、憲法制定である。左院は、三つの層から代表を選挙していくということも竹下彌平の独創的な見方である。官僚組織の中下級層からの選出、知識あるもの、功労人望ある著名人からの選出、地方からの選出となっているが、これは、憲法制定議会の構成に社会的な三つの機能層から選出しようとするものである。
 竹下彌平の描く、自主自立と自由の理の拡充暢達とは、具体的にどのようなことを考えていたのか興味ある問題である。印度の覆轍を踏まずということで、日本の植民地に対して、強い危惧の念をもっていたことは確かであり、自由の理を大切にして、学校を盛んにすることを強く抱いていたのである。また、自由の制度をつくっても、また、汽車や電線を整備しても、自主自立、自由の理の精神が育っていかねば全く意味をもたないことを強調していた。
 出原政雄は、「鹿児島県における自由民権思想」についてまとめているが、鹿児島新聞(現在の南日本新聞の前進)の初代主筆を努めた元吉秀三郎は、鹿児島での民権運動の重要な一翼を担っていたとしている。また、西南戦争によって、竹下彌平などの流れは中断したが、その後、明治13年3月に鹿児島市内で自由民権運動の「同志社」がつくられ、「国会開設の建言」を元老院に提出している。
 さらに、同じ年の12月に3500名が、国会開設建言書を元老院に提出している。明治14年11月に旧私学校関係者によって三州社が完全なる立憲政体を目的として結成される。このような状況のなかで、鹿児島県内の多くの民権論を唱える人々が結集され、それらに支えられて、民権運動擁護のための言論として鹿児島新聞が明治15年10月に創設されたと出原政雄は分析している。(出原政雄「鹿児島県における自由民権思想「鹿児島新聞」と元吉秀三郎」志學館法学第4号75頁~100頁参照)。
 鹿児島県での自由民権の思想の発展は、西南戦争以降において、鹿児島新聞を支えた多くの民権論者によって推進されていく。明治23年の第1回の国会選挙では、全員が民党系で占められる。その後の弾圧と懐柔によって、吏党系が多数を占めるようになっていく。(芳 即正・松永明敏「権力に抗った薩摩人」南方社、参照)
 明治8年霧島山系の裾の襲山郷在住の竹下彌平によって提唱された憲法草案は、明治維新の地域における民衆思想として特記されるものである。
 (ふりかなは、鹿児島社会運動史が史料の出典をだす際にふりがなをつけたものをそのまま引用した。久米雅章「明治初期の民権運動議会士族」川嵜兼孝・久米雅章・松永明敏『鹿児島近代社会運動史』南方新社54頁~63頁参照、家長三郎・松永昌三・江村栄一編「明治前期の憲法構想 福村出版、25頁~26頁、171頁~173頁参照 )