社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

自然資本の経済と循環型暮らしの学び

 

自然資本の経済と循環型暮らしの学び

ーポール・ホーゲンよりー

 

  f:id:yoshinobu44:20210419124056j:plain   

      神田 嘉延

 はじめに

 

  人類は自然の恵みによって生きてきた。人間の暮らしと自然は密接に関わり、人間は自然によって生かされてきたのです。人間の能力は、自然との共生のなかで、人間らしく発揮されるのです。自然なくして、人間の存在はない。生きていくうえでのあたりまえにある空気、水、森、土壌は、自然の生態系と太陽、月という存在と共にあるのです。

 

 自然には、山や川、海があり、草木も茂っています。そこには、動物が住み、昆虫が群がり、蝶が舞い上がっています。古来から人びとは、このような情景の恩恵によって、田畑を耕し、山から薪をとり、植物の繊維、養蚕、動物の毛皮で衣服をつくり、山で大木に許しの祈りをして 住むための木材に手をくわえて、家をつくり、自然との共生のなかで、暮らしを営んできたのです。

 

 それらは、自然からの贈り物として、人びとは、いつも自然に感謝して生きてきたのです。人間の暮らしの経済は自然循環であったことを決して忘れてはならないのです。人びとは、自然に感謝の気持ちをもって、山には自然の神が宿り、水の神、田の神、石の神、大木の神を祀ったのです。

 

 これらの自然循環型のなかで人びとは暮らしてきたことを学ぶことが、地球的規模の自然循環破壊の人類的危機のなかで大切になっているのです。

 人類は環境破壊と火山や地震、風水害の大規模な自然災害によって、それぞれの地域で輝いていた文明が滅んできたのです。自然環境破壊は砂漠化という地域の生活環境を徐々に困難に落とし入れていきますが、自然災害は、それを一挙に壊します。

 

 今から60年前、高度経済成長以前、霧島などの山村では、山の仕事でにぎわっていました。人びとは、山の森林を豊かにするために植林をした。そして、大きくなった木を伐採して、木材として売った。また、山のあちこちに炭小屋を建て、山にある樫の木をとってきて、それを炭釜で焼いた。山村では炭の生産は、重要な産業であった。

 

 さらに、竹細工やしいたけ栽培、養蚕も盛んに行われていた。霧島の駅は貨物列車の引き込み線路があり、その生業の盛んなことがみてとれるのです。今は、その跡地として駅周辺の空き地が広くあります。特急の止まる駅ですが、常駐する常勤の駅員がいないさびれた駅に変わっています。駅前の商店街や旅館も多くがしまっています。

 

 f:id:yoshinobu44:20210424205038j:plain

 日本全国の山村では霧島と同じような状況であったと思いますが、全国の山村では、農林業が廃れ、若者がいなくなり、過疎化が著しく進んでいます。高度経済成長以前は、エネルギーは地域でまかなっていたのです。

 都市部の工業地帯では石炭がつかわれて、特定の石炭がとれる地域から運ばれてきました。高度経済成長の時代はエネルギーが石油に代わり、世界の石油産出地帯から運ばれて、国内のエネルギーの自給構造は大きく変化していったのです。

f:id:yoshinobu44:20210420133150j:plain

 

 木材の資源も安価さを求めて発展途上国の自然破壊によって、もたされたのです。地球全体の森林破壊として、東南アジア、アマゾンの熱帯原生林の大規模な自然の収奪が行われたのです。発展途上国では、植民地によって、歴史的にプランテ-ション化で、農業からの大規模な自然破壊が進んでいたのです。

 日本の過疎化と自然循環破壊は、発展途上国に木材を求め、エネルギーの外国依存の進行であった。日本の山村は、自然循環の経済に大きな役割を果たしていたのです。安価な自然略奪の資源を求める大規模な熱帯原生林の開発は、地球規模の環境破壊を破壊し、植林と伐採の循環経済を崩壊させたのです。

 

 自然循環を考えない目先の経済効率性を優先する狭い専門的科学技術主義は、原子力発電に端的にあらわれています。

 安全神話を風潮してきた経済効率主義に加担した狭い専門主義の科学技術者の問題は、東日本大震災福島原発事故にあらわれたのです。

 彼らは、国民に安全性を宣伝したのです。その責任性は重大ですが、その反省もせずに、原子力発電の再稼働を安全性の名の下に推進に加担しているのです。

 事故による膨大な経済的損失を国民負担に転嫁して、新たな自然循環のエネルギーの創出、エネルギーの節約の大胆な制度的な工夫もせずに、目先の短期的な平常時の効率主義で走っているのです。福島の原子力発電の事故の教訓は何であったのか。

 

 人類は、その問いに突きつけられています。それは、自然循環のエネルギーの創出を地域の生活レベルでつくりあげていくことです。60年前の高度経済成長以前の日本社会のエネルギーのシステムを現代に新たな自然共生的科学技術を総動員して、再創造していくことです。

 石炭や石油の化石燃料ではなく、現代的に地域での自然循環の新たな創造が求められているのです。ここには、自然科学と社会科学の連携した総合的な学際的研究が必要になっているのです。それを統括して、判断していく政治の役割や経済人の経営的視点も重要になっているのです。

 

 自然循環経済の崩壊は、同時に、自然災害が頻繁に起こった。その経済的損失は巨大になっています。また、地球温暖化によって、脱炭素が人類的課題になったのです。

 さらに、新型コロナのなかで、その原因をめぐって、人間と自然の関係があらためて注目されているのです。全く接触がなかった自然界に密林のなかでの動物や地下のなかで眠っていたウイルスの問題がうかびあがっています。

 未知のウイルスが人間に接触することで、大きな人類的危機になることも予測されるのです。自然循環経済の崩壊は、大きな目でみれば、莫大な経済的損失になっていくのです。

 自然循環経済を地域レベルで展開することがますます重要になっています。このような時代であるからこそ、いまこそ、過疎化が進むなかで、自然のもつ経済的価値を見直すことが必要なときです。

 

 ポール・ホーゲン他「自然資本の経済」日本経済新聞社は、自然それ自身を経済的に価値あるものとしてとらえ、金融資本や製造資本を重視したものから積極的に自然資源、生命システム、生態系のサービスの新しい産業革命を提起したのです。

 

 地球温暖化という気候問題が危機に瀕しているときに、石油や材木という特定の資源ではなく、生命を維持するシステム、自然の循環の重要な一つとしての植物と動物の間で行われる酸素と二酸化炭素の絶え間ない交換を大切にしたのです。

 そして、この産業革命に人的資本としての労働や知識、文化、組織の形をてっている人間的能力を不可欠としたのです。

 

 自然資本の経済ーポール・ホーゲンから学ぶー

 f:id:yoshinobu44:20210419123534j:plain

 

 1,限界にまできた資本主義

 

  これまでの資本主義を収益で再投資し、労働と資本の生産性が増加すれば、経済成長率は最大となり、より多くの製品をより大きくより効率的に生産することで競争力を獲得できるとみたのです。そして、国内総生産が成長すれば人間はより幸せになれると。資源の不足が代替え資源開発の引き金になるのです。

 高い生活水準のためには、経済成長のニーズと調和したものでなければならない。自由競争と自由市場のもとで、労働力と資本の最適配分が確保される。以上のような考え方で資本主義が発展してきたが、それは限界にきているというのが、ポール・ホーゲン等の見方です。

 この限界にきた経済成長主義からの新しい生命システムを考慮した経済が求められる時代が必要とするのです。

 

 将来の経済発展の制約は、自然資本からの資源の供給にあり、生命維持サービスが重要であるとするのです。無駄の多い消費行動から持続可能な経済の達成に、民主的市場システムを有効にして、企業よりも一般市民のニーズによっての自然資本の見方が大切とするのです。

 このためには、4つの戦略が必要とするのです。それは、1,資源生産性の根本的改善、2,バイオミミクリ(生物模倣)、3,サービスとフローに基づく経済への移行、4,自然資本への再投資です。

 この4つの経済戦略には、自然資本という見方からの機能的な側面を強調するのです。資本主義における営業の自由からの弱肉強食による競争主義を規制していく民主的な統制というこよりも資源生産性という機能的な側面からの民主的市場システムの構築をうたっています。

 深刻な被害を受ける格差や貧困の人びとの暮らしの問題からの環境問題があることを経済的な機能問題で終わらせてはいけないのです。

 このポール・ホーケン等の提起は、具体的に持続可能な自然にやさしい地域社会づくりの公共政策として、また、地域の人びとの暮らしと共にある企業、SDGsという企業の社会的貢献から、自然循環経済をつくりあげていくうえで、大いに参考になるのです。

 

 ポール・ホーケン等は、第1に、資源生産性の根本的改善をのべます。それは、エネルギーや天然資源の原材料の90%等の大幅な削減という革命的な根本的転換です。資源生産性の向上は、資源と費用のだけではなく、生活の質の改善を意味するのです。

 環境破壊の原因の一つの企業の効率の悪さは、環境破壊を抑制し、環境を改善するための対策費よりも高くつくのです。

 例えば、鉱業、石油産業、石炭産業、漁業、林業への補助金、土壌の肥沃度を低下させ、水や化学物質を大量に使用する農業の補助金などです。

 途上国の人びとは、先進国と同じ発展の道筋を通っても、西側諸国並みの生活水準は達成できない。開発に必要な資源は膨大であり、世界や地域におよぼす環境の影響は深刻になるのです。資源生産性を大幅に向上させれば成長の可能性は開けるのです。つまり、革命的な資源生産性の改善が求められるというのです。

 

 f:id:yoshinobu44:20210424205312j:plain

 ポール・ホーケン等の第2のバイオミミクリという自然のメカニズムを模倣するしくみは、生命システムを考慮した経済にとって、大きな役割を果たすのです。

 資源生産性の革命的な改善として、自然のメカニズムを模倣する産業システムが必要になっていくのです。石油化学依存に依存し、有害で危険な化学物質を必要とした産業構造の転換です。

 自然資本の産業転換は、生物圏を破壊する産業に補助金をだす政策をやめ、天然資源の価格が人為的に低く抑えられていることをやめることです。そして、自然のメカニズムを模倣した新しい原材料を使う方法が得策になるのです。

   f:id:yoshinobu44:20210419192544j:plain

  ポール・ホーケン等の第3の新しいサービスとフローによる経済の構築が生命システムを考慮した経済です。財とサービスの販売の経済ではなく、消費者がリースまたはレンタルで利用する新しいサービス経済です。

 メーカは、長持ちし、更新可能な耐久消費財の生産になり、消費者は、その利用にかわっていくのです。

 ポール・ホーケン等は事例をあげます。例えば、洗濯機は消費者が買うのではなく、カウンターがついて月極で料金を支払うということです。メーカーは定期的に保守点検をして、修理はメーカーの責任で、洗濯機の所有はメーカーということです。コンピューター、自動車、ビデオ、冷蔵庫を同じしくみになります。

 それらは、修理、再利用、再製造のためにメーカーへ返却されるというしくみになります。メーカーは、製品をリースし、最後には回収するであるから、製品はずっとメーカーの所有になります。

 最後にメーカーが回収するので、製品の耐久性を伸ばし維持管理を容易にすようと努力し、消費者からは、サービスが改善され利用価値が高まるのです。生産者からすれば高い投資収益率を確保できのです。

 

 資源生産性の改善は、生産者にとっても消費者にとって有利になります。そのことは、生態系の促進になるのです。ここでは過剰生産や生産能力の不足が解消されていくのです。

 また、製品の再利用と耐久性を伸ばせば、素材生産の要するエネルギーが減るかわりに、素材を用いた組み立て多くの労働力が必要となるのです。ポール・ホーケン等は、リースなどのサービス経済によって、雇用の確保、景気循環の安定性に貢献していくと考えるのです。

 

 ポール・ホーケン等の第4の生命システムを考慮した経済の戦略は、自然投資への再投資です。環境の悪化には国境と海を超えて、世界の国々協力しなけえばならない課題です。自然資本の目標には、世界の共通の理念が必要となっていくのです。

 経済のグローバル化のなかでは、一人当たりの利用可能の水、耕地、石油等のエネルギーなどの資源不足が起きます。その供給の不均と所得格差なは、紛争の原因になっていきます。

 このことは、自然への投資を世界への共通理念として推進していく背景があるのです。これらの4つの生命系の自然資本の経済の提言は、持続可能な社会をつくりあげていく経済づくりに大いに参考になるところです。

 

f:id:yoshinobu44:20210419192609j:plain

 

自動車等のモビリティの再発明の課題

 

 ポール・ホーケン等は、自動車産業鉄器時代の頂点として位置づけられ、その効率の悪さが明らかに なっているとのべます。

 車体の重量と消費するガソリンのエネルギーの非効率性がみれているというのです。車体を軽量化すること、必要なエネルギーを減らすことなどは、大きな課題と考えるのです。

 ここには、炭素繊維を用いた複合材料の車体づくり、燃料等のエネルギー革命が大きな課題となると強調します。まさに、この提言どおりに、自動車産業は、車体の軽量化に動いています。それは、自動車の電動化というEVという電気自動車の導入による大きな波のなかで、その競争は激しくなっています。

 そして、ポール・ホーケン等は、効率化を超えての課題は、人びとの移動に過度の個々の自動車依存ではない公共輸送機関の道をのべます。

 輸送システムに市場メカニズムを利用するための公共政策が求められているというのです。通勤のない地域社会の復活として、日常生活に必要な施設を徒歩で行ける賢明な土地利用の実施の構想をあげます。ここには、公共政策も含めての地域の都市の基盤計画のデザインにもかかわってくるのです。

 

浪費するなかれ

 

 f:id:yoshinobu44:20210419192619j:plain

 

 ポール・ホーケン等は、自然環境の破壊、犯罪・絶望・無気力がはびこる市民社会の衰退、人間の苦しみを解決していく社会福祉の追求の公共性の欠如という三つの問題があると考え、その原因の本質が浪費があるとするのです。

 国家の浪費がこの三つの浪費の根本問題というのです。国家が公共事業や補助金業性によって、浪費の社会をつくっているということになるのです。

 とくに、国家によるGDPの計算が様々な矛盾を覆い隠しているというのです。地球上の最大の生産システムの破壊の進行のなかで、統計的なごまかしがGDPの計算というのです。

 自然生態系を重視していく自然資本は、経済の自然のサービス系から人びとの暮らしの豊かさ、暮らしの安全性、文化的な潤いを感じていくのです。 

 f:id:yoshinobu44:20201215133554j:plain

 ポール・ホーケン等は、新しい産業社会の創造とは、自然から学びということを重視するのです。

 例えば、海の石油流出事故でラッコが致命的な犠牲になっている姿をテレビでみていて、ラッコの毛が石油の吸収にすぐれていることに気がついたというのです。

 そのことに気づいた理容師は、店の床に散らばっていた髪の毛を集めて、その吸収の実験の試みを依頼したのです。その実験の成功によって、大規模に髪の毛を集めて、新しい石油流出の素材つくりに成功したという話の紹介をポール・ホーケン等はのべるのです。

 これは、自然のなかから学ぶよい事例ということです。樹木が土壌と日光を取り込み、鳥が昆虫を食べ、牛が牧草を食べ、赤ん坊が母乳を飲むという自然現象が分子レベルの錬金術を実用化するのです。クモが糸を紡ぐ絹糸と同じように、生物モデルから学びとることができるのです。有害な廃棄物を再び純粋な単体にするのに自然の循環から学ぶということです。

 

 ポール・ホーケン等は、自然資本ということからの都市の公共的な基盤整備は、環境と共生する建物群の創出というのです。

 そこでは、狭いとおりに配置された住宅、果樹が植えられた緑地地帯、住宅間の農地地帯、自然を利用した排水システム、太陽エネルギーの利用、広々とした公共空間等のコミュニティティの形成であると指摘するのです。

 建物には自然的な曲線な形、自然光、水の流れの音、浄化された空気、効率性の高い家電機器など物心両面のグリーン化です。

 

 自然資本という産業と生命システムの関係の構築

 f:id:yoshinobu44:20210420132918j:plain

 いままでは、産業と生命システモの関係は無視されてきた。生態系のサービスの価値を見直す時期にきているとポール・ホーケンは強調するのです。

 自然資本は、生命を支える生態系の総和です。土壌の生態系は膨大な微生物による変換プロセスです。

 いくら肥料を多く与えても、微生物の変化プロセスがなければ栄養の機能をもたないということを理解することです。

 地上にもアリ、クモ、カブトムシとそのの幼虫、ハエ、ミミズ、ナメグジなど多数の生物が存在するのです。土は養分を蓄えるだけではなく、草木を育て、雨の水を蓄え、水流の緩和剤になり、洪水を防ぐ役割を果たすのです。自然界には廃棄物はない。ある生物の廃棄物は別の生物の食物になる。

 

 自然界の繊維は、森林資源から、植物から、家畜類から生まれのです。石油や天然ガスアスファルトでできた人工繊維と競い合っています。

 天然繊維の多くは、持続不可能な原料生産の栽培を行っています。綿花は、農薬を大量に使用しています。羊毛の飼育には、森林を伐採して、持続不可能なものにしています。世界各地で、これらの農業が砂漠化を引き起こしているのです。

 

 合成繊維の原材料の石油化学工業は、汚染の大きな原因をつくり、再生不可能なな資源です。紙や木材の消費を節約するシステムをつくりあげることが必要になっています。より少量の木材製品でもより多くのサービスが提供できるのです。

 

 森林から木材やパルプといった一次製品の生産性は、中間製品に変換される際の効率性も大切なのです。そして、末端の利用されるうえでの効率性も考えなければならないのです。さらに、消費者の満足度が得られる効率性も不可欠です。それぞれの段階の効率性から木材やパルプの削減が可能であるということです。

 建築材として、軽量の紙を使うという考えがあります。それは、樹齢が若い樹木を原材料としての合成硬材です。また、森林資源の循環型生産システムは、再生建材の積極的な利用です。竹材などの各種建築材、高層の建築の際の足場の利用など鉄筋にかわる役割ももつことができるのです。

 

 ポール・ホーケン等は、自然システムを生かした農業は、土地の開拓を減らし、耕地面積を少なくして、あまり肥料を使うことなく、エネルギー効率を高め、あわせて微生物を利用しての再生可能エネルギーを利用することができるというのです。

 世界で土壌が劣化しているのを防ぐことは、人類的な緊急の課題です。微生物の働きを活発し、土壌を豊かにしていく、自然循環経済の農業、有機農法の考えが求められているのです。

 

水資源問題の解決策

 

f:id:yoshinobu44:20210420133103j:plain

  ポール・ホーケン等は、水源問題の解決策として、地球の淡水が極めて少ないことを直視することが必要としています。

 しかし、現実の大量生産、大量消費、経済の効率性という営みは、世界の水利用のために各地で大規模なダム建設、大規模な潅漑の農業用水をしています。

 そして、生活用水の無駄使い、工業用水の大量消費をしているのです。水資源の有効な活用が積極的に求められているとしています。

 世界は、水をめぐる紛争も深刻になるということです。世界全体の河川の水と地下からくみあげる3分の2は、潅漑用水に使われ、そのうち93%は効率の悪い潅漑ということです。

 大量の水が浪費されているとポール・ホーケン等は指摘するのです。生活用水もちょっとした工夫をすれば節約できとしています。

 ここには、体系的な節約策が求められているとみるのです。工業用水では、節水のとりくみがはじまっていますが、さらに、節水の可能性の探求を求めているのです。

 また、雨水と生活排水の利用によって、膨大な水資源が再利用されていくと提言しているのです。ここには、生物学的下水処理による汚水の再生ということが期待されているのです。

 水をめぐる平和の課題として、ブログに別個に書いていますので、そのアドレスを紹介します。

https://blog.hatena.ne.jp/yoshinobu44/yoshinobu44.hateblo.jp/edit?entry=26006613496736006

 

f:id:yoshinobu44:20210420133123j:plain

 

人間的な資本主義

 

 ポール・ホーケン等は、どのような社会をつくったらよいのかという問いに対して、次のように答えます。まず、ひとつひとつの社会的な矛盾をみることです。交通渋滞が起きれば、犯罪が起きれば、スモッグが発生すれば、どう問題を解決しようするのか。さらに、読み書き能力が低下すれば、ホームレスがふえれば、それらの具体策を提起して問題を解決していくことが重要であるとするのです。

 

 個別に取り組んでうまく行く場合もあるが、しかし、あるシステム要素だけを取り出しても全体が悪化することもあるというのです。構成要素間の隠れた関連性を見落としてしまうと逆に不利に働くことがあることを見落としてはならないと警告するのです。

 

 大切なことは、システム全体のなかで、地域社会も、社会全体も考えることだとしているのです。広い視点をもって、人間の生活と生存に不可欠な自然資本を大事に保護するだけではなく、人間が作り上げている社会とその仕組み、そして人間自身がもっている人的資本を尊重すべきであるとしているのです。

 人間の社会制度も二重構造で、一方で高い能力や熟練した技能という貨幣化された人的資源の提供、他方で、貴重で貨幣化されない社会制度サービスの供給をみなければならない。

 社会制度サービスは人間性を定義し、人生を生きる価値のあるものにしている文化、英知、名誉、愛などあらゆる価値、徳性、行動を指しているのです。

 人的資源が不健全に活用されると、文化の社会的調和はことごとく破壊されます。社会に生きる人間の幸福や進歩、生態系の調和は維持できなるというのです。

 自然資本と人的資本の価値を認めなことは、ありとあらゆる問題が地域社会に起きるというのです。天然資源の有効な活用によって生態系サービスを保全することは人間の幸福や進歩に不可欠というのです。

 

 以上のように、ポール・ホーケン等は考えるのです。そして、具体的には、ブラジル南東部の都市のクリバチの施策を事例にして、その解決策を明らかにしているのです。ここでは、交通機関と土地利用を融合させての都市計画づくりです。

 そして、最善の理想的な公共輸送機関をつくりあげているのです。水、排水、緑地地帯を整備して、水の恵みを実感できる自然をモデルにしたと都市建設計画をつくっているというのです。産業と地域社会は、伝統的に依存してきた農業と食品加工を大切にし、再利用を工夫しての整備であったのです。

 

 子どもと健康、ゴミと食べ物は、クリバチにとって、大きな課題であった。人口の九分の一がスラムに住んでいるのです。ネズミや汚染された水を媒介に伝染病の恐怖に悩まされていた。衛生と栄養の確保に取り組むために、ゴミの有効利用で財政援助をしたのです。ゴミと食料の交換も市として実施したのです。

 クリバチに住む70万人の貧困層を援助する施策でもあった。また、貧しい家族には自治会をとおして「地域果樹プログラム」をとおして郊外に菜園をつくり、自家用と販売用の食物を栽培したのです。このプログラムには、保育園、学校、自治会に農業指導員をつけて、市が苗、園芸の材料を提供して実施したのです。また、レストランやその他の施設も組織化しての事業展開をしたのです。

 

 教育と育児と仕事は、特別に重視して、子どもの教育に市の予算の27%が使われているのです。また、学校の多くは、夜間に成人の教育の場になっているのです。

 そして、教育体系のなかに積極的に循環型の地域社会の教育をしているのです。社会的弱者と移民については、社会から疎外されている人びととして、誇りや自信をもてるように個別的に、経済的な役割も含めて、特別の援助をしているのです。

 様々な活動をとおして、市民がアイデンティティと尊厳をもてるような施策をしているのです。それぞれの市民通りには、事業融資、職業訓練、職業紹介の情報を提供して、住民の生活の場での密着した市民サービスを展開しているのです。そして、自然との融和の市民生活の基本原則が貫けるような施策を展開しているのです。

 

 この実現に最も重視しているのは、教育によっての人びとの自然融和の考えの形成です。町全体が有害物資が意図的に排除できるように設計され、健康が優先され、自然法則に調和した設計になっているのです。

 教育によって自然と文化生活と労働になかに溶け込み、そこからさまざまな活動、知識、態度が生まれ、傷ついた自然界が治療され、それと同時に社会も政治も再生をとげるということです。

 以上のように、人間的な都市における施策がブラジルのクリバチで行われているということをポール・ホーケン等は紹介するのです。

 

f:id:yoshinobu44:20210420133139j:plain