社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

石井十次の福祉での教育理念― 宮崎県茶臼原と岡山の孤児院から学ぶ

 

f:id:yoshinobu44:20190912104350j:plain

 石井十次は、宮崎県の高鍋が生んだ児童福祉の父といわれます。彼は、ルソーのエミールの思想の影響のもとに、児童福祉を積極的に教育の理念を取り入れて活動をしました。

 石井十次念友愛社は、宮崎県西都市木城町にあります。高鍋の市街地から茶臼原小学校の近くです。現在も児童養護施設と保育園があります。
 現代的貧困で家庭に恵まれない子どもたちが生活する園となっています。理想とする自然教育を茶臼原230ヘクタールの大地で農業の教育力を大切に農村共同体のロマンをかかげての人間主義の教育実践をしているのです。福祉と教育は、分離されがちなどが現代です。石井十次念友愛社の教育実践を歴史的なことも含めて学ぶことは貴重なことです。
 子どものおかれた貧困状況は極めて複雑です。経済的な貧困はもちろんのこと、子どものネグレクトなど家庭的機能が崩壊している精神的、文化的貧困状況があります。外面的にはみえにくい子どもの貧困状況があるのです。経済的な問題ばかりではなく、単身赴任、共働きなどによる鍵っ子問題、退廃問題など、社会的に子どもの居場所の確保が地域に求められる時代です。

 子どもの虐待で大切な命を親が殺すという痛ましい事件が頻繁に報道されるこの頃です。また、51歳の男性が包丁をもってバスを待ってい親子を次々に刺していく事件がありました。この事件のようなことを息子がするのではと思い、40代の息子を76歳の親が息子を刺し殺すという事件がありました。76歳の男性は農林事務次官までも勤めたエリート官僚の経歴をもつ人です。

 これらの事件にみるように現代の家庭の病理現象があちこちに起きているのです。家庭は決して安全な場所ではなはないのです。現代の家庭は、プライバシー問題の閉ざされたなかで虐待や極めて歪な親子関係があるのです。異常な病理現象のある家庭は、極めて危険な場であるのです。この閉ざされたなかで、家庭の異常な病理現象をみるのは、単なる連携論ではなく、社会的養護からの専門職の充実と抜本的的人数の配置が求められているのです。
 放課後児童クラブや児童館、親の生活現状に即したきめ細かい保育が不可欠な時代です。ここには当然ながら子どもを一時的にあずかるという次元ではない、子どもの人格形成などの広い意味での教育が必要なのです。

 

f:id:yoshinobu44:20190913085415j:plain

 100年前に、石井十次は、孤児院における10人ほどの小集団の小寮生活と、そこに保母が世話をする家族主義の社会的養護を考えているのです。大規模の社会的養護では施設での暴力問題も起きます。様々な境遇で育った子どもたちにとって、生活指導は社会的養護の施設内大切なのです。きめの細かい家族主義が現代では切実に求められているのです。社会的養護における専門職や家族的ケアができる人員の配置は当然のことです。児童福祉行政も同じことがいえるのです。
 ところで、石井十次は、6年間学んだ医学の道をあきらめて児童福祉に生涯を支えたのです。彼は、教育を最も重視した社会的養護を実践しました。1887年に孤児教育会を設立し、1914年に永眠するまで岡山と宮崎木城茶臼原で福祉と教育に専念したのでした。

 茶臼原や岡山の孤児院の事業は石井十次の人格でなされたものが大きいが、新しい院長を大原孫三郎に託したのです。倉敷紡績の社長を継承して積極的に事業を継承した多忙の身であったが、院長としての責任を大原孫三郎は果たしていくのです。茶臼原の責任は石井辰子氏が果たすようになります。

 孫三郎は5年間にわたって孤児院経営を引き継ぐのです。孤児院経営は石井辰子氏に継承されましたが、1926年大正15年に解散するのでした。石井辰子氏は翌年の1927年に永眠するのでした。そして、石井記念協会を設立して残務整理や残留院児の保護にあたるのです。戦後に石井記念友愛社を1945年に設立して、1948年に孫の児嶋虎一郎氏が戦災孤児のための児童養護施設を設立するのでした。
 石井十次は、1865年に高鍋藩士の子どもとして生まれます。父は維新後に県庁の職員を務め、1878(明治10)年の西南戦争には、西郷軍に参加しています。十次は、このとき12歳でした。14歳で海軍士官を志望して、東京芝の攻玉舎(こうぎょくしゃ)に入学しますが、脚気を患い帰郷します。1880年岩倉具視の暗殺嫌疑で51日間収監されます。そこで、西郷隆盛の吉野開墾の話を聞き、感銘を受けます。釈放されると開墾事業の5指社を設立するのです。小学校の教師、宮崎県の警察をつとめ、宮崎病院長の勧めで岡山医学校に入学するのでした。
 医学を学んでいる1884年に熊本バント出身で同志社にいった金森通倫からキリスト教の洗礼を受け、新島襄同志社設立の趣意書を学び、同年に休暇中高鍋に帰郷中高鍋馬場原教育会を立ち上げています。

f:id:yoshinobu44:20190913090113j:plain

 

 教育会は3つの柱で、ひとつは18以上で志があるが、貧しくてかなわない遊学を援助すること、2つは、神社社殿で朝晩の学校を開くこと、3つは書籍の貸与であった。石井十次は、早速に遊学援助を実行するのです。岡山に帰るときに、3名をつれていくのでした。後で、1名が加わり、岡山では、5名で生活するのでした。それぞれ、アルバイトをしながら、学ぶのでした。
 1887年に三友寺で貧困の子どもたちのために孤児教育会をたちあげます。そして、1889年に6年間学んだ医学書をすべて焼いて、孤児教育に専念することに決意するのです。このときに、三友寺に集まった子どもたちは20名になっていました。キリスト教の関係者に孤児教育会の協力をよびかけたのです。
 1894年にルソーのエミールの教育思想に感化されて、宮崎県の茶臼原の開拓をはじめるのです。60名の院児を宮崎に送ります。これは、後に時代教育法になっていくのです。石井十次の時代教育法は、幼児、少年、青年の発達段階に分けて、孤児院の子どもたちの教育をするのです。

 

f:id:yoshinobu44:20190912104447j:plain


 10歳までの幼児のときは、自然のなかで遊ばせるということです。10歳から15歳までは、学校教育を受けさせて学問を学ぶことを徹底させることです。16歳から20歳は、生きていくための職業教育をしていくということで、実業教育を授けるということでした。茶臼原では、労働自治、労作教育をするのでした。それは、農業をとおして実践していくのでした。
 1897年には私立岡山尋常高等学校を設立します。1906年には茶臼原に農業小学校をつくるのでした。茶臼原では林の中の学習を展開し、稲作の収穫や養蚕作業をとおしての労作教育をするのでした。
 石井十次の孤児院の基本的理念は、天は父なり、人は同朋なれば、互いに相信じ、相愛するということです。教育の基本方針は、4つをたてています。自然主義、家族主義、友愛主義、自律主義です。

 自然主義は、日本の自然・風土・文化・農業とのふれあいをとおして人格と体を養うということでした。自然教育は、情操を豊かにし、敬天の感性を育てるということです。家族主義は、相信・相愛の原点になります。家族の絆を大切にしていくという見方です。友愛主義は、人は皆同朋ということで、自律へ向けて先人たちの築いてきたことを学んでいくということです。自律主義は、人倫を明らかにして、労働自治を大切にして、実業教育を積極的に展開して、自律して生きる力を育てていくということです。

f:id:yoshinobu44:20190912123630j:plain


 石井十次は、悪いことをする子どもたちの教育にライオン教育として、密室教育である一対一の話し合いの教育を取り入れたのです。大勢のまえで子どもをしかってはならないということで、子どものこころを傷つけることになるのです。それでは、子どもは自分のしたことに反省しないのです。

 石井十次は、子どもに反省する機会を十分に与えることで、子どもとじっくり向かい合うことをしたのです。子どもは自己弁護をします。いいわけをします。石井十次は、自分のやった悪いことに向き合わないときには、鉛筆を削りながら間をとったといわれます。そして、非体罰主義を徹底して貫いたのです。
 孤児院の経営には、托鉢(たくはつ)主義がとられた。各種の寄付金集めをそうよんだのです。石井十次と大原孫三郎は、石井にいわせれば「炭素と酸素、合えばいつでも焔になるということであった。石井の最大の支援者は大原孫三郎であり、大原にとって、石井は、心の支えであったのです。また、自分を大きく変えたのも石井であったのです。

 十次は晩年に寄付金主義から1911年の孤児院経営者の全国救児事業協議会で寄付金を募集せずの宣言をするのでした。労働による自活をめざすということです。宮崎県の茶臼原での鍬鎌主義の自活体制を推進していくのです。岡山孤児院にとっての大きな展開で茶臼原の農業自活体制、高鍋製糸、大阪での白米販売部の事業計画でした。岡山孤児院の茶臼原の全面移転であった。高鍋活版印刷所には岡山孤児院の活版部から数名の職人が転勤してきたのです。石井十次自ら注文とりに回り、活字2万字と手回しの印刷機を備えたのです。従業員は13名からのスタートであったのです。

 参考文献

横田賢一著「岡山孤児院物語ー石井十次の足跡」

柴田善守石井十次の生涯と思想」

 

f:id:yoshinobu44:20190912123505j:plain

 

 

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版