現代における寺子屋と夜間中学ー地域民主教育全国交流集会に参加してー
地域民主教育全国交流集会が千葉の柏で11月2日から4日にありました。スローガンは「パタン化から自由と創造の教育へ」、「異世代交流・共同で地域づくりを」ということでした。
地域民主教育全国交流集会は、憲法と教育基本法の精神に基づいて、日本各地で実践されている平和と民主主義の教育実践・運動を相互に交流するするものです。交流の視点は、子ども青年をリアルにとらえ、地域の生活現実に根ざし、地域の自主性と個性的なとりくみを尊重して、地域における民主的な教育と学校のあり方を地域に生きる教職員と父母、住民が共同し、地域における教育の民主的発展をめざすためです。
全体会では館山市全体で取り組む足もとの地域から世界をみるとして、「館山まるごと博物館・エコミュージアム」の実践の講演でした。平和・交流・共生の歴史文化のまちづくりを学校の授業と地域住民がともに実践しているものです。この実践は、地域の歴史文化を地域の暮らしや平和から先進的に取り組む学校の先生の教材づくりからはじまるものでした。それが発展して、文化財保護運動として、地域まるごとの博物館運動になったということです。地域の文化財をカイドしていける住民が生涯学習のなかで育っていくのです。その中心に、地域の住民が結集していけるNPOが担ったのです。
館山は古代から森と海とともに生きてきたまちということで、貝塚、アワビの産地、海をとおして世界とつながっていたこと、地震を乗り越えてきた歴史、古代からの信仰の聖地でした。そして、近代日本画家を支えた青木繁が愛した神話のふるさとです。里見八犬伝のゆかりの地と城跡群、韓国や中国から来た人々の遺跡、館山からはじまった日本水産教育、海辺の癒やしのまちづくりが近代のなかでありました。
さらに、重要なことは、戦争遺跡と平和文化としてまちづくりに生かす運動でもありました。多様な深い歴史を踏まえての教育活動とまちづくりをしている館山の地域教育実践の内容でした。この内容をおさえるのにはNPO法人安房文化遺産フォーラムがわかりやすく内容の深いすばらしい冊子を発行しています。 わたしも以前に、館山を訪問して古代の安房神社を中心とした文化遺産の深さをしることができました。そのときの訪問の様子は、ブログ「歴史文化の旅 安房神社」で検索してもらえればみることができます。
全体会では、実践報告として、「若者たちと農業活動に取り組んでー不登校の居場所から若者就労支援の活動」でした。
不登校の子どもの居場所として、松戸にひだまりという名前の地域の人々による応援の場を開設していますが、現在は週三回で小学生から二〇代の青年まで集まってきます。ひだわまりは学校復帰を目的にしている居場所ではなく、交流してひとりひとりが元気になり、自分らしさを取り戻していく場づくりです。
青年たちはひだまりで過ごすだけではなく、地域の農家の協力もあって、自分の進路を考えていくために農業活動、農産物販売活動をするようになりました。農業活動は三年目になります。農業や販売活動をとおして、青年たちは多くの人たちと出会いをもつことができて、自分自身の進路を考えていく場になっていくのです。荒れた土地を丹念に堆肥を入れて掘り起こし、農地として作物が立派にとれるようにしているのです。
そして、その農作物を販売して、自分のつくったものがみんなから喜ばれ、それもお金になっていくことを実感していくのです。農作業はマイペースでやれるし、人からさしずされて強制されるものではなく、学校での管理された窮屈な空間とは全くの別の世界であることを発見していくのです。
千葉県北西部の東葛地域での不登校親子応援ガイドマップがだされていますが、地域で細かくつくられていることに驚きを感じました。民間団体が28団体、公的機関が17ヶ所が掲載されています。掲載されていない自主的な地域教育活動もほかにあると思われます。そして、公立夜間中学校で二学校です。若者たちの農業活動にとりくんでの話を聞いてみて、現在の学校教育の子ども・青年にとっての厳しさの背景をきちんと知る必要性を痛感しました。
分科会では、5つにわかれましたが、わたしは地域の教育実践のところにでました。その内容でとくに印象にのこった報告は、自主夜間中学校と地域の寺子屋活動でした。両方とも退職した教員と地域住民の共同の教育実践でした。学校との教育実践とは異なり、子ども・青年、高齢者、外国人たちの生きるうえでの学習権から自由にスタッフの援助で学びが行われているということです。
我孫子市で、自主夜間中学校と子どもの学習支援ネットワークとして元高校教員の報告でした。現役のときに、多くの高校生が授業がわからないと苦痛を訴え、退学していく実態をみてきたということから夜間中学校の地域教育実践をしてきたと。
2013年に自主夜間中学校を開校しています。生徒は、子どもから大人まで年齢を問わず参加しています。不登校経験者、引きこもりの青年、高校中退者、高齢者、外国人など多様です。学校とも塾とも違う、個別の学習にボランティアスタッフが対応するようなことです。学習を見守るという方法ととっているのが特徴です。学びの場を家の近くで通うことができるようにと、市内の駅の近くに開講していくことを目標としるということです。現在は三教室で将来的には六教室になるというのです。三教室でボランティアのスタッフは30名です。生徒も30名です。
困窮家庭の子どもへの学習支援は、我孫子市の社会福祉課との連携をとっています。子どもにとっての苦しみは、成績と競争ということで、学校の教室は息苦しいものになっているというのです。学力の格差は大きくあるのが現実です。
我孫子市で学習支援を独自にしなければならない小中学生で対象者は3000人近くいるということです。とくに、そのうちの困窮家庭の子どもが半数以上もなっているのです。我孫子市の小中学校の児童・生徒数は、9562人で、学習支援対象者2910人で、そのうち困窮家庭1593人です。
協同の発見誌2019年9月号では、学びの多様化ー共に学びあう関係づくりを特集していますが、そこで「こんばんは」という夜間中学の映画を制作した森康行監督が夜間中学のことを書いています。
2010年の国勢調査から全国での未就学者という学歴のない人は、128187人いるとなっています。2017年の文部科学省の調査では不登校者が14万人います。ところで、2016年に教育機会確保法が制定されています。夜間中学の奨励が積極的に法律で保障されるようになったのです。全国的に夜間中学の開設が大きな課題になっています。全国夜間中学研究会の調査では、百数十万人の義務教育無修了者がいるといわれています。夜間中学の潜在的需要は大きいのです。
協同の発見誌では、「夜間中学から現在の教育の競争主義・成果主義、詰め込み主義、偏狭な学歴主義のゆがみの教育の姿が見えてくる」と書かれています。現実の夜間中学では読み書き計算ができない現実を直視して、それがどういうことかの問いから考えています。高齢者で、戦後間もないときに貧困で学校に行けなかったことやいじめにあって不登校にあって学校教育を受けていない中年層が読み書き計算、基礎が出来ないことが生きていくうえでの苦労が極めて大きいことが指摘されています。
夜間中学では、難しい漢字を生活漢字ということで、一般の小中学校の教科書とは異なる381字を教えています。3年間で教える常用漢字2136字は不可能ということからです。
夜間中学では一人一人の人間としての違った姿を尊重して、人間的に成長するためになにができるかをということで、教師は生徒を励まし、援助する教育をしているというのです。フイリッピンで貧困のなかで学校に行けなく、日本にダンサーとしてつれてこられ苦労した人や、カンボジアから来た人は相次ぐ戦争のなかで学ぶことができなかったのです。現代の社会と世界でさまざまな困難をかかえてきて人たちが夜間中学に来るのです。夜間通学は時代と社会を映す鏡ともいえるというのです。
全国の夜間中学は、生徒数1699人ということで、新渡日外国人が、そのうち1215人です。多くが外国人の生徒が多いのです。
夜間中学校で学んで、不登校であった生徒たちが高校に合格したとか、その後大学にいったとか、企業に就職したりとか、スタッフの見守り学習によって成果を得ている事例を報告されました。見守り学習の支援者は、地域の元学校の教員ばかりではなく、元銀行員、元民間企業営業マン、管理者経験者、国際交流協会会員、臨床心理士、大学生などとなっています。
討議のなかで論点として、学習支援と絆をつくる居場所づくりということをどう両立させていくかということが議論になりました。勉強のことで差別され、疎外されている子どもたちに学習支援に力をいれるべきではないかという報告者の意見でしたが、彼自身もそのことに悩みながら地域教育実践をしているということです。
地域の寺子屋実践の報告は、学校の息苦しさから少しでも子どもを解放してあげたいというものでした。元小学校の教師が自宅を開放しての地域の寺子屋の教育実践です。スタッフは退職者19名で、地域の子どもは30名ほどです。小学校から中学生まで毎週火曜日に集まってくる寺子屋教室です。寺小屋に通ってくる子どもたちを一人一人紹介しながら、かれら、彼女らが育って行く様子が紹介されました。
学校に行っていないが、寺小屋にくることは絶対に学校に言わないでということで、通ってきた子ども。寺小屋にくるようになって勉強をし、二年後には、話も楽しくするようになり、ギャギャ騒ぐようになったということです。学校の先生に話してみようかというと絶対にやめてくれと強く拒否するのです。本人は、学校からの手紙も放置したままです。同じ中学の学年の人と寺小屋であうのもいやだという。中学生であるが簡単な引き算もできないほどです。小学校の三年生の教科書から寺小屋では、はじめています。英語、漢字も少しづつやり、力もついていくのです。数学では連立方程式もできるようになりました。報告者はいいませんでしたが、その話をきいて、学校に対しての強い不信感のあわれではないでしょうかと思いました。
地域のおばあちゃんから相談にのってほしいという中学生がいるとあってみると、母親は中学2年のときに家出をし、彼が母親代わりの家事をしているということです。5人分の家族の洗濯、食事の世話です。父親は、朝早くから夜遅くまで働いているという。寺小屋では勉強の意欲も徐々にでてきています。のみこみは、はやいのですが、学校には頑と行くことはしないのです。
アメリカ人の二世ですが、父親はアメリカに渡ってしまっています。六年生のときに寺小屋にかよってきましたが、算数は二〇点程度しかできなかったが、寺小屋にくるようになって一〇〇点をとれるようになったということです。
ひとりひとり報告の内容を記すと大変になるので、集会のようすをしるために事例をあげてみました。
寺小屋の子どもたちの様子や言動から子どもたちの学校での息苦しさがみえてくるというのです。ストレスが限界に達したときに若者たちは恐ろしい犯罪につながる危険があるのです。「学校は牢獄だ」「学校は子どもを奴隷にするところ」「学校は人を傷つけるところ」「しうちをうけるところ」など様々な悪口がでてきます。そんな厳しいことばを聞いていて、元教師たちも心が痛むのです。ぞっとするのが元教師たちの気持ちと報告者は語るのです。
このように、子どもの現実の生活、学力の状況、家庭の貧困状況を丁寧に報告しながら、具体的な成長を寺小屋の教育実践がしていることに感動しました。寺小屋のスタッフは、ユネスコの学習宣言の学習権の理念をよくふまえて、人間の生存にとっての学習権を不可欠なものとして寺小屋を実践しているのでした。学習権なくして、人間の発達はありえない。学習権なくして、農業や工業の躍進も地域の健康増進もない。学習権は人間としての基本的権利であるという見方をもって、志を高くもっての寺小屋の教育実践の報告でした。