コロナ状況での新たな共生社会と地域自然循環の模索
神田 嘉延
新型コロナのなかで、世界はパニック状況になっていると思います。また、新型コロナで莫大な利益をあげているグローバルなインターネット資本の存在も無視できません。国際的な税金の仕組みも問われているのです。
根本的に感染症の問題を自然循環のしくみのなかでも人類史的に考えるときです。鋭く、環境問題が問われている時代に新型コロナの世界的蔓延が起きているのです。
「感染症と文明ー共生の道」(岩波新書)を書いた山本太郎氏は、人類史での感染症悲劇の研究で、感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けをするかもしれないと警告しています。
心地よいとはいえない感染症との共生の道しかないということで、医学や感染症学の構築のための共生コストが必要と提案しているのです。文明史での麻疹の悲劇は、人間が家畜を飼うようになってからで、狩猟から農耕文明によって、はじまったとしています。
伝統的に麻疹のないところでは、欧米人との接触によって悲劇な人口減少に見舞われたことを人類史は経験したのです。多くの感染症でも同じことが言えるのです。文明は感染症のゆりかごであったというのです。人口移動、交通の発達は、感染症の悲劇をもたらしていく。
人々の交流が拡大していく古代文明からそのことを示しています。中世ヨーロッパでのペスト大流行での絹の道、蒙古の帝国の拡大でも同様です。
近代世界の旧世界と新世界の遭遇でも、ハイチの悲劇として人口の3分の2が失われたという天然痘・麻疹・ジフテリアの流行がありました。インカ帝国の崩壊も天然痘・麻疹・発疹チフスの流行が背景にあったと考えているのです。
二〇世紀の世界的な感染症は、帝国主義がもたらした流行としてスペイン風邪をあげています。多くの犠牲が、植民地主義のなかでアジア、アフリカで起きているからです。
二〇世紀になって、感染症に対して、ペニシリンやワクチン等の開発によって、感染症に幻想を抱くようになった。感染症制圧という先進国のバラ色のなかで、開発という名のもとで、感染症が静かな流行をはじめているとするのです。
今、世界は、感染症は突然現れて流行、また、消えるという繰り返しを経験しているのです。
発展途上国を中心に18年にマラリアで40万5千人が死亡しましたが、新型コロナは2020年6月7日で40万人越えたとWHOは発表しています。マラリアの流行の悲劇は大変なものでしたが、先進国では発展国の問題として、あまり問題にならなかった。
現代は医学の発達により、あるウイルスが消滅したとしても、また、生態学的にみれば、あらたなウイルスが出現するということになるのです。
感染症の繰り返しのなかで、共生しなければならないのです。この意味から医療・保健体制の充実が極めて重要になっています。また、文明史的な面からみれば、自然との共生、自然循環的な持続可能性のある社会づくりが必要になっています。
日本の感染症の歴史はどうであったのか。日本の社会はどうなっているのか。日本も例外ではなく、今までの弱肉強食の新自由主義、自然破壊、一極集中の効率主義、大都市志向の社会、税財政の仕組みが根本的に考え直す時期にきています。このことをコロナ危機は教えています。
新自由主義のもとでの医療・保健体制の公共的部門が極端に削減されて、コロナ危機のなかで命と暮らしを守る政治が大きく問われているのです。
さらに、新自由主義のもとでの弱肉強食競争で弱い立場の人が最も困っているところです。政治の不祥事疑惑も次々に生まれ、それを取り締まる立場の黒川東京検事長がコロナの自粛のなかで新聞記者との賭け麻雀の賭博をしていたという事件も起きています。黒川氏を強引に前例のない法的にも問題のある定年延長をした内閣は、それに対して懲戒処分のできない状況です。
命と暮らしを守っていくうえで、自粛やロックダウン方式だけでは解決できないことが明らかになっています。そこには生きていくための生活の保障が求められているのです。
日本では検査体制が極めて不十分で科学的な根拠のないままに自粛やその解除がされています。国民的なレベルでの検査体制が緊急の課題になっているのです。このなかで、解除や経済活動があるのではないかと大いに心配です。
日本は世界で、その体制が極めて弱いことから感染の実態がわからず、実態は、一〇倍とも一五倍とも言われています。世界からの信用も失っているのではないかと思います。
検査の不十分な日本方式などもっとも危険だと思います。そのやり方は、ただ、感染者の数を減らす思惑があるのではないかと思われがちです。公共的な医療保健体制充実の抜本的な見直しが求められているのです‼️
現在のコロナは100年前のスペイン風邪の流行とは根本的に違います。それは、100年間の医学をはじめとする科学の進歩です。その応用を十分に発揮していくような発想が乏しく、専門会議の議事録さえとっていない状況です。
また、経済の仕組みも大きく変わり、自粛やロックダウンのみの対応では暮らしが保障されていきませんし、経済もまわっていきません。
弱肉強食の新自由主義のグローバル化が進み、世界各国の経済のあり方も大きく変える時期です。暮らしに必要な物資、医療保険体制はそれぞれの国で確保して、発展途上国のような国では、世界的に援助していくことが不可欠です。国連、WHOなど国際的機関が大切になっています。アメリカなど、それを軽視する自国大国主義の動きもあります。
世界的に感染の対策には各国の協調と連帯が必要なのです。市場の競争原理からではなく、貧困に対する国産的な人道援助が切実に求められているのです。
世界的に人間的退廃問題が起きていることも重大です。人をだますことがリーダーをはじめあちこちで起きています。権力の金権主義が謳歌している状況もあります。
現代は、新自由主義的な弱肉強食の世界体制を根本的に変えて、共生と協働、地域での自然循環性の社会づくりの世界的な連帯運動が求められているのです。第2次世界大戦のときは、反ファッシズムで世界の人々が戦ったのです。
現代は新自由主義が謳歌しています。世界的に、この考えがはびこっています。それが国家の私物化と結びついて官僚機構を動員して、民主主義を破壊しているのです。
多くの国のリーダーが拝金主義におぼれ、弱肉強食による効率主義、競争主義に犯されています。モラルの退廃もあります。子どもまでも受験競争という波にあおりたてられています。
これらに、対抗することとして、さまざまな運動が起きているいるのも事実です。新しい思想や考えも生まれています。従前の資本主義に反対する社会主義の運動という枠ではなく、多様な考えによる新自由主義の反対の動きがあるのです。
アメリカでは民主的社会主義、日本では、自民党の活動をしていたひとたちが自由共産党を名乗るようになっています。人権を尊重する自由主義、民を第一と考えた為政者の伝統継承する保守主義、立憲主義、社会民主主義、自由民主主義を尊重する社会主義などさまざまな立場の人が多様性を尊重して大道団結していく動きも生まれています。
いままで、保守と言われた人たちが地域の新自由主義運動反対の中心にもなってきているのです。沖縄が、その典型です。オール沖縄ということで、伝統を尊重、地域経済を大切にする保守の人が中心となって、従前の革新系をまとめて沖縄の平和を構築しようとしているのです。
経営者のあいだでは、今一度、渋沢栄一の論語と算術、大原孫三郎の人道的な経営、稲盛和夫の世のため人のためということからのアメバー経営など人間尊重の経営志向も生まれています。
また、経営者もSDGsの環境問題に積極的にとりくみ、共生社会実現をかかげる時代です。労働組合運動にも大きな転換が生まれています。
協同労働の促進法が大きく日本の課題となり、働く人たちが自分で出資して経営を行う時代でもあります。ここには、働く人たちの経営参加能力が大きく問われているのです。
社会教育は、これらの社会の変化に対応、社会の退廃問題に正面に向き合い、共生、人間尊厳、暮らしの豊かさの人々の教育課題を積極的に提起して、教育運動を展開する必要があります。これこそ、民主的な社会教育運動が今、求められているのです。