社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

西欧の魔女狩りと現代の排外主義を考える

西欧の魔女狩りと現代の排外主義を考える

 

 

はじめに

 

  ヨーロッパの近代黎明期に魔女狩りが盛んに行われた。その終焉には近代の観察実験を重んじる経験的科学と論理性による合理主義による理性が大きな役割をもった。

    日本でも明治維新以降の近代化のなかで国家神道とドイツ的絶対主義体制のもとで、これに自立的な立場をとる異なる宗教と価値観に迫害があった。

   軍国主義の体制では、地域の住民を巻き込んでそれが荒れ狂った。現代での日本文化を強調する保守思想を自称する人たちは、この戦前の時期を日本の伝統文化とするのです。この復活の恐ろしさの現代です。       

    日本の伝統文化は、神仏混合、自然そものを神として尊重し、江戸の儒教陽明学の思想家に慈愛の精神、利他主義、相互尊重、人間平等論、互いに異なる性質の人びとは共同として生きるという思想があった。

    異なる民族、異なる価値観、異なる習俗や慣習、異なる文化、異なる宗教、異なる集団を排斥しないということは、現代の国際化する時代に生きるわれわれにとって極めて大切な課題です。共生と共存関係、多様性を尊重することは、現代に生きる人々にとって、人間の尊厳を守り、幸福と豊かさを充実させていくために不可欠な課題です。

 この不可欠な課題を社会的につくりだすには、学校教育における子どの育ちのなかでの人格形成における理性的な人間形成、事実や経験を大切にしての科学的な認識の発達が重要です。

 また、生涯をとして、絶えざるが科学的な認識や技術・技能の取得、生きていくための能力形成が社会教育に求められるのです。このことによって、時代の変化や複雑な社会の情勢、政治的な判断能力、多様性と共生関係、生きていくうえでの絆の場にとって、大切なことです。これらが、現代における排外主義を生み出さない、また、排外主義を克服していく教育の役割でもあるのです。

 現代は欧米をはじめ先進国といわれる国々に、共生関係と多様性を認めない排外主義が巻き起こっています。この排外主義は、差別と結びついて、SNSなどを用いて、デマを流して、大衆的な操作によって、憎悪をあおって、民族的な対立をあおり、社会的な差別と分断をつくりだして、人間尊厳を否定していくイデオロギーを増幅させているのです。

 そして、先進国では、共通して、陰謀論などがふりかまれ、ポピリズムの蔓延によって、極端な民族排外主義が起きています。先進国の国々は、共通して労働力不足が起きて、外国人労働者を数多く受け入れていている実態があることから、深刻な外国人労働者に対する差別と収奪が行われているのです。

 外国人は、従前からその地域で暮らしてきた人々と価値観、習俗・慣習、言語が大きく異なっています。この違いをことさら取り上げて、かれらに敵意をあおって、弱肉強食での新自由主義の激しい競争で、負け組になった従前の多数派の国民の不満、不安を外国人に敵意を向けて、そのはけ口解消に使われているのです。

  共生関係を作り上げていくためには、言語の共通性が大きな課題です。コミュニケーションができないことで、共生関係のできないところがあります。共生関係ができないことは、外国人排斥の要因になっています。外国人労働問題は、社会問題になっています。そこでは、明らかに異なる民族、異なる文化、異なる宗教、異なる価値観の排斥があり、差別と偏見の問題があるのです。

 また、先進国で、外国人を受け入れている国は、現実に外国人労働者に労働力不足で、大いに助けられていることを忘れ、失業によって困窮にあえぐ外国人を間違った意識をもって対応しているのです。困窮する外国人の生活が放置されることに、治安などの社会秩序にも大きな問題を起こすのです。

 ここでは、従前から住んでいた人々と同様に人間の尊厳と特別に意識的に多様性を認め、共生・共存の文化、複合的な視野から理性的、科学的に認識していくことが切実に求められているのです。一面的に、同一的視野、同一価値観でみることが鋭く問われている時代なのです。

 400年前、近代化の黎明期に起きたヨーロッパの魔女狩りは、現代でも排外主義の問題を考えていくうえで、大きな教訓があります。15世紀から18世紀後半まで、西洋の近代黎明期に魔女狩りが行われたのです。この魔女狩りは、西欧社会の精神を考えていくうで現代でも大切です。自由と民主主義の価値観として、西欧に、その思想的な起源をもつことは否定できない。

 しかし、その自由と民主主義と独裁・権威主義として、世界を二分して、ことさら価値観を前面にだして対立の構造をつくっているのも欧米の現代のリーダーたちです。それが、地域紛争や戦争へと導いているのです。価値観の多様性を認め、寛容性をもって体制が異なっていても共存し、共生していく国際的秩序が大きく問われる現代社会です。

 国際化が進み、現実的に世界各地で、多民族や多文化をもって地域が、あたりまえのようになっています。しかし、帝国主義的な列強諸国の歴史をもっている先進国では、異なる文化や異なる民族を排斥していくことも現代社会では、大きな社会問題になっています。

 植民地から独立した発展途上国でも地域紛争が絶えないのです。その原因のひとつに、国境問題とも絡み、異なる民族や文化をもった人々の共生していく問題があるのです。国境の関係が緩やかであったときは、紛争がなく、自由に往来してきたところでも、現代は紛争の要因になっています。近代国家による国境の画定ということで、民族や文化問題の違う住民が近代国家による所有権など、国境紛争の対立に巻き込まれていくのです。

 そこには、宗教問題も絡んで、複雑になっているのです。ここで、あらためて、共存関係、多様性をもって、それぞれの価値観、信条を認めて、共生し、異なる民族の人々、異なる宗教、異なる価値観、異なる国家体制が共存していくことが強く求められる時代です。この際に、一神教の問題の克服は、大きくあります。

この一神教が国家権力と結んで近代の絶対主義化したのが、日本では、国家神道であった。

  植民地をはじめ、アジア諸民族の宗教や文化の尊重をせずに、日本文化をおしつけて民族差別をしてきた歴史であったのです。これは、日本の近代社会のなかでつくられた大きな負の遺産です。とくに、神仏混合という宗教的に価値観を融合していく修験道などは厳しく、禁止されたのです。いわゆる廃仏稀釈が荒れ狂ったのです。

 江戸時代までの日本の宗教文化の歴史は、ことごとく破壊されたのです。そして、日本の国内でもあらたに差別が強化されて、日本の様々な宗教を国家神道のなかに組み入れて、軍国主義的に統制していったのです。思想的にも同じで、異なる価値観、とくに社会主義思想や平和思想については、厳しく弾圧したのです。また、あらたに身分制と、部落差別問題やアイヌ問題、植民地の人びとの差別を作り出していくのです。

 近代の黎明期で起きた西欧の魔女狩りが何であったのか。それは、キリスト教地域のなかでのどのような問題が引き起こしたのであろうか。また、それらは、現代の排外主義とどのようにつながっているのかということを考えてみたい。

 

 

(1) 西欧の魔女問題

 

1,「魔女狩り」と現代の排外主義との精神的結びつきを考える

 

 黒川正剛「魔女狩り・西欧の三つの近代化」講談社池上俊一魔女狩りヨーロッパ史岩波新書を読んで、現代の排外主義とも結びつけて考えてみたい。

黒川の「魔女狩り」西欧の三つの近代化の視点は、感覚の近代化、自然認識の変容と近代化、他者・社会周縁者の排除と近代化ということです。

 魔女狩りを書いた黒川は、視覚、聴覚、触覚などの人間の感覚に臨場感を与え、そこに自分たちで現実にいるかのように感じさせる技術が、現代はあふれているとのべます。ネット空間、3D映画、ゲームがあふれる現代を仮想現実の時代に生きているととらえるのです。

 仮想が現実と同一されて、仮想をそれとして認識されない時代、仮想空間を楽しむ現代と、仮想を現実と認識されて、錯誤にもとづいて大量の人間が殺害された450年の西洋で起きた魔女狩りの時代から人間の持っている恐ろしさを考えることができるとしているのです。

 黒川は、現代の仮想をそのまま西洋の魔女狩りに適用できるわけではないとしつつも、幻想や想像といった言葉で、その共通性を探ろうとしているのです。黒川は、近代化のなかで、視覚を中心とする近代化、自然認識の変容と近代化、他者・社会的周縁者の排除と近代化という三つの視点を提起しているのです。

 そして、他者あるいは周縁者の排除は、ある社会が存続するために否応なしに作動させてしまう人間文化の長期にわたって治らない病気という宿痾的な人間存在、人間文化の機構であるとみるのです。

 他者・社会的周縁者に関して、人間尊重の円満な人間関係、社会的な関係をもつには、異なる考え、異なる文化、異なる宗教に対して、寛容性をもって、多様性と共存を求めていく社会が大切というのです。

 そこでは、異端者ということで、排除をしないことが前提にされるのです。異なる考え、異なる文化、異なる宗教との共存関係をもっていくために、それぞれの寛容の精神をもっていくために、相手を理解していく努力が必要です。異なる文化や異なる価値観を理解していくことによって、寛容の精神の幅が広くなっていくのです。

 ところで、地域社会の変化のない、同一の文化、価値観のなかでの共同体社会では、異なる文化を理解する努力をしなくても、地域社会で重大な摩擦を起こすことはないのです。変化していく社会、地域での人々の外から流れが頻繁に起きる社会では、地域社会で摩擦を起こさないために、異なる文化や価値観を日常的に求められるのです。近代化が進む社会では、地域社会の共同体が崩れていくのです。

 また、地域社会の異なる文化、異なる価値観、異なる宗教が入ってくるのです。もともと地域社会で、異なる宗教が混合している地域社会の文化では、近代化に伴っての文化的変容に柔軟性と寛容性をもっているのです。

 しかし、特定の一神教的な強い絆をもっている文化では、近代化に伴っての異なる文化の許容範囲が狭いのです。西洋の宗教的な中世の文化で、宗教的な異端者を排除していく傾向があらわれたことが、魔女狩りの基盤をつくっていくのです。

 この問題について、黒川は、中世末のキリスト教社会の様々な宗派について論じています。北部イタリアのカタリ派では、魔女のサバトとして、空中を飛んで宴に移動するときにまたがる棒に塗布する軟膏が幼児の脂肪を原料とすること、人畜に病死をもたらす粉薬が幼児と有毒な生き物の内臓を混ぜ合わせて製造されると。悪魔崇拝をはじめ、このような禍々しいことが行われる宴の様子がのべられているのです。

 カタリ派の人々は徹底的に肉欲と肉食を断ち、権力、家族、所有、生産など一切の価値を認めない極端な禁欲主義を探っていたとみられます。正統カトリック教会からは、悪魔崇拝者として誤解され、断罪されたとしています。

 カタリ派は、異端審問の追手を逃れて、フランスとスペインの国境のピレネー山脈に逃亡・潜伏したとのべるのです。14世紀には呪術を悪魔的なものとして異端と糾弾する教会側の姿勢が異端審問によって明らかになっていく。また、悪魔崇拝者として魔女・魔法使いと理解されてカトリック教会の異端審問の対象となったワルド派が十字軍の標的になって迫害を受けたのです。

 

 

2,14世紀の魔女狩りの時代背景の大飢饉・疫病流行・戦争

 

 14世紀のヨーロッパでは、ユダヤ教が迫害と虐殺の対象となったのです。この時期はペストが大流行して、ヨーロッパ総人口の三分の一が命を奪われ、大飢饉もあり、英国とフランスの百年戦争もあったときです。人々の不幸、暮らしが厳しい時代で、世界が荒れ狂うなかで、起きている異教徒に対する迫害です。

 14世紀に、フランス南西部のキリスト教の世界では、ハンセン病に対する迫害も起きていたのです。ハンセン病患者が井戸や泉に毒を入れているという噂によって、ハンセン病患者が虐殺されたのです。これは、毒物によって健常なキリスト教を皆殺しにして、自分たちが世界を支配するという陰謀説です。

 さらに、黒死病の大流行に伴いユダヤ教徒による毒物混入の噂がヨーロッパ各地に起きて、多くのユダヤ教徒が虐殺されたのです。やがて15世紀から猛威を振るうカタリ派ユダヤ教徒に、キリスト教徒は、われわれでないものを信仰するということで、かれらを他者にして、魔女狩りの猛威が始まるのです。この他者の祖型に、14世紀のカタリ派、ワルド派、ユダヤ教徒があったと黒川は指摘するのです。

 15世紀の教会改革者ニーダーは、多くの魔女狩りの著書を書いています。かれは、蟻塚(全5巻)の「魔術師とその詐欺」題5巻が魔女狩りの手引書になったのです。

  ニーダーは、中世開催された最大規模のコンスタンツの公会議の業務をのべています。その会議では、1415年後半から当地にドミニカ教会から派遣されたことをのべ、その後の1431年のバーゼル会議では、ドミノコ会公認の代表を務めました。そこで、彼はて重要な教会改革の役割を果たしています。彼のキリスト教会の道徳的著作は大きな影響を与えたのです。

 さらに、彼は、ウィーン大学での教育活動で、多数の著作を残した。蟻塚の著作は、一巻「善き人の行為」、二巻「神の啓示」、三巻「誤った幻覚」、四巻「聖人の徳」、五巻「魔術師とその欺瞞」であった。「ニーダーは、邪悪なものの典型が魔術師であった。そこでは、人間の子供を貪り食い尽くした男女からなる魔術師の存在があると強調しているのです。

 子供を煮て食べたという報告もあるというのです。悪魔が人の姿をとって人々の前にあらわれるという。悪魔に、キリスト教を否認し、聖体を崇めず、密かに十字架を踏みつける約束をしなければならない」。

 このように、ニーダーは述べていますが、彼自身が目撃したものではないが、情報の確実な証拠として認識しているのです。それは、視覚的・認識論的錯誤の作用であると黒川は紹介するのです。

 

 

3,西洋文化の自然概念と魔女狩り

 

 西洋文化の自然概念は、魔女信仰において重要な役割をはたしていると黒川は指摘するのです。かれは、次のように書いています。

 「自然に反する雨と風を引き起こす異常な気象が反自然として認識されている。神に反抗して振る舞い、神の慈悲に反抗して振る舞い、老女が悪魔に同意するとき、神は見捨て、彼女が自然と不和になるは必然」となるのです。

 ニーダーは、人間の自然の性向に反して、また狼を除く全種類の野獣の条件に反して、人間の子供を貪り食い尽くした男女からなる魔術師の存在であった。イスラム教徒やユダヤ教徒の異端教徒に対しても反自然として、自然と神が等しいものとみなして、自然は神によって創造された不可侵のものであるとみる。信仰における錯誤である。

  自然としての森と人の手が加わった農耕地とは相互補完関係にあり、森は人々に森で生きる様々な果実や小動物の獲物を恵んでくれる場であり、家畜にとっても重要な餌場であった。自然と神の法を同一とみなすことが中世の西洋で起きたのである。魔女の異端とセクトのメンバーは悪魔崇拝を行う集会できわめて無秩序の行いをし、眠っている人間が夢見たのではなく、覚醒している人間が体験した現象なのだ」と、ニーダーは考えたというのです。

 以上のように、キリスト教西欧文化における自然概念は、魔女狩りにも大きな役割を果たしているのです。そして、司教的法と自然概念が融合しているのです。つまり、異教徒を反自然として、自然災害の起きる原因として、神が創造した自然に反する自然災害は、異教徒の反自然行為のなかで起きているというのです。

 自然のなかに、森の神、川の神、海の神としてみいだしていくシャーマニズム的な自然信仰とは異なり、中世のキリリスト教自身の自然の見方は、キリスト教信者が絶対視する神が自然を創造したとみるのでした。農耕文化における自然からの恩恵は、神が創造した恵とみるのです。

 積極的に自然を改造しての農耕開発は、神の恵みとしてとらえられていくのです。そして、神に対抗する悪魔が、自然災害を起こし、疫病などの不幸なことが襲ってくるのも悪魔の仕業とみるのです。日本で広くみられるところの人間の暮らしのなかでの自然からの恩恵という信仰ではないのです。

 日本で信仰では、自然そのものを畏敬して自然に神が宿るということで、自然の神をおそれて、森の木を切るうえでの祈りをささげて祈るということで、自然の木を大切にしていくという見方ではないのです。

   ヨーロッパのキリスト教文化の自然信仰概念は、自然に神が宿るということで、自然開発において、人間の意志だけではなく、自然それ自身の掟、自然循環の見方が結果的に起きているのです。

 魔女狩りの歴史のなかで悪名高い「魔女の槌(つち)」は、魔女訴追の教書として15世紀後半からヨーロッパに大きな影響をもっていくのです。この著書のクラメールは、教皇に任命された異端審問官の立場で、魔女教書をたずさえて、ドイツからローマなどのヨーロッパで熱狂的な魔女弾劾の説教活動を展開していくのです。クラメールの諮問方法は、脅迫、無制限の拷問、尋問の虚偽報告を特徴としたと黒川は、書いています。  

   クラメールの魔女狩りの教書は、ニーダーの蟻塚が重要な典拠であったのです。かれは、(1)独自に魔女は死罪に値する。(2)魔女は棄教てる相対と悪魔崇拝を内容とする忌まわしい最悪の罪。(3)魔女は例外的な罪であるため、法的基準を無視した判決が可能。(4)魔女は大部分女性であること。(5)世俗裁判所が魔術の罪を訴追すること。五つの特徴をもっていると黒川はのべるのです。

 魔女狩りの裁判を行ううえでの教書で、クラメールの5つの特徴は、キリスト教以外の異教徒に対する非人道的な態度が明確です。キリスト教絶対主義という自分の信じる宗教以外を認めないという姿勢です。それ以外の信仰、価値観、文化を悪魔崇拝として、死罪に値するという現代の人間尊厳の普遍的な価値観からすれば恐ろしい教書です。

 

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 日本での古代からの山の神、川の神、海と神という自然信仰ということと、ヨーロッパでの魔女狩り時代でのキリスト教の自然概念とは明らかに異なるのです。むしろ、シャーマニズム的な自然信仰に対して、神が創造した自然に対する冒とくとして、糾弾されて、魔女狩りになったのです。この世の世界、すべてが、神の創造として、キリスト教を絶対化したのです。

  このことは、異教徒に対して、そして、周辺のシャーマニズム的な自然を信仰する人々に厳しい排斥となって現れていくのでした。森と密接に結びついてきた農耕文化は、自然循環的な農業にとって重要な課題です。

 アジア的な水田稲作を中心とした農耕と、牧畜と畑作によって開墾してきたヨーロッパでの農業生産形態の違いが精神的な信仰文化における自然概念とも異なってきているのではないか。

 ヨーロッパでは生産力の向上ということが農地の拡大としてストレートにつながって、それは、人間が自然物である食物を育て、灌漑用水で農地への水を提供していくということで、自然は人間にとって、征服していくものであるという見方が強かったとみられるのです。

   水田稲作は土地の生産性を重視して、土の中の微生物などを生かしての豊かな土壌づくり、自然の河川を積極的に利用して、自然の恵みを積極的に応用しての開墾であったのです。

 

 

 4,最も魔女狩りの盛んであったバロック時代

 

  16世紀から17世紀のバロック時代の中で魔女裁判について、黒川は、視覚とバロック、王権と魔女狩り、悪魔化された民衆文化、魔女と国家論という視点から述べます。

黒川は、バロックとは、16世紀後半から18世紀にかけて西ヨーロッパで流行した美術様式のことで、動的・豪壮・華麗・誇張・過剰を特徴とし、厳格で端正なルネッサンスの古典主義を逸脱したものであると。同様の特徴をもつ文学・芸術・時代精神の総称と使用されるとしています。

 黒川が強調しているのは、このバロックの絢爛豪華時代背景のなかで、魔女裁判が猛威を振るったということです。バロックの淵減は、カトリック側の反宗教改革にあり、プロテスタントは、人は信仰によってのみ義をもち、信仰の中心は聖書で、ローマ教皇室の権威と公会議の無謬性を否定して既存の典礼を廃止した。

 聖像崇拝は偶像崇拝にほかならないということで、新教国では群衆が教会や修道院を襲撃したところもあった。これに対して視覚イメージを重視したのがカトリックであった。バロック絵画は、視覚リアリズムとして、人々に真理を納得させるということで、視覚をとおして感情に訴えかけて人々の信仰心を高めようとしたというのです。このように黒川はバロック時代のローマ都市における絢爛豪華の美術や建築の繁栄をのべるのです。

 王権と魔女狩りは、17世紀初頭にフランスバスク地方で行われた魔女裁判です。その裁判はアンリー四世の派遣であった。アンリー四世は、宗教戦争の鎮静化に努め宗教和平を実現させたのです。そして、農産産業振興・財政改革・土木事業推進に取り組み、疲弊した国土を再建したのです。

 そして、パリのローブル宮殿やフォンテーヌプロー宮殿の造営など新たに数々の宮殿を新築、増築したのです。これらの建築物は、画家や彫刻家に仕事を与えたのです。かれは、フランス絶対王政の基盤を固めた王でした。

 バスク地方に派遣された最高司法機関のボルドー高等院の高等法院評定官2名は、開封勅書の委員会の登録を高等院と王の対立から拒否したのです。これに国王は、勅令によって登録を命じるのでした。この結果、委員会に容疑者に対して拷問を使用し、尋問し、略式の死刑を宣告する権限が与えられたのです。

 実際のところは不明ですが、ド・ランクル悪魔学論文で3人の祭司と別の8人が火刑に処せられたと記されています。そして、ド・ランクルは、同地方での具体例を100人以上あげているのです。

 ド・ランクルは、マルドナド大学で教授を務めていたイエズス会修道士でイエズス会修道士の悪魔観・魔女観に大きな影響を与えた人です。かれの神学的思想は、魂の不滅と、これがキリスト教信仰の中心教義であった。

   ボヘミアとドイツではフス派異端におびただしい数の悪魔が加勢したため、異端以上に魔女が盛んに活動したのであるという見方です。そして、ジュネーブやフランスが異端に感染したとみるのです。異端は悪魔と天使の現実性を否定することで、それは無神論にほかならないというのです。

 ド・ランクルは、バスク人を祖先にもちながら、フランス王国ボルドー高等院評定官としてバスク人を魔女として裁いたのです。自己を国家と同一視し、辺境にある父祖の地で暮らす人々を排斥・抑圧振る舞いをもつ意味を近世絶対主義国家の誕生と魔女狩りの関連性から考えることを黒川は、のべるのです。

 バスクの人々の生活と地理的環境について、ド・ランクルは、正確にのべていますが、海岸に住む人は恐ろしくも疎ましく、不安定な仕事で、遠洋漁業は、長期の移動と不正確な愛情を引き起こし、憎しみと無関心を引き起こし、冷淡さを生み出すと。

   彼の考えは、適切な行動をできない子供や老人だけが家守り、彼らの弱さを利用して悪魔は好きなように彼らを操ると。妻は終始、夫に疑念を抱いており、その結果、妻たちは魔女になり、悪魔にとりとりつかれて牽かれてしまいます。山は、未開人の故郷と、不毛・醜悪の認識と異教徒性を強調しているのです。

 ド・ランクルは、祭りとダンスを愛するバスクの人々の民衆文化を悪魔化にするのです。また、女性の髪の毛を目による幻惑想として、魔術への嗜好とするのです。バスク地方の女性を魔女とみるのです。ド・ランクルは、視覚的・認識論錯誤であると黒木は、指摘するのです。

 そして、魔女と悪魔と反自然というキリスト教信仰の自然に反する罪があるとしているのです。魔女のダンスは自然界の植物の生育に影響を与えていると。自然は神の側に、悪魔は自然の破壊者。悪魔は人間に入り込み自分のもととしたあと、あらゆる種類の忌まわしい罪をおこさせる。父親が子供を愛する心を奪い取ってしまう。このように、ド・ランクルはみていると黒川は、指摘するのです。

 さらに、ド・ランクルの魔女論がある種の国家になっていると黒川は見過ごすことができないとしています。フランス王国の重要な役職についていることで、自身をフランス王国と重ね合わせてスペイン王国を誹謗し、批判するのです。この境界に位置するのがバスク地方であった。つまり、バスク地方が完全にフランス王国に統合されている状況ではなかったのです。

 バスク地方での魔女裁判は、フランス王国の臣民としてのアイデンティティの指示薬とバスク人を差別していくためであった。指示薬に反応を示さない、良心と罪の意識を何ら感じず魔女を裁くことができる場合、その人はフランス王国の臣民とみなされるというのです。

   魔女裁判は民族的・国家的・文化的アイデンティティを確定する機能をもったと黒川はのべるのです。バスク地方魔女裁判は、フランス絶対王政の周縁地方の絶対王政の確立のためであったのです。

 プロテスタントカトリックの両協会は、それぞれの教義に一致しないとみなされる民衆の信仰、祭りや呪術的慣行は、キリスト教信仰にそぐわない悪魔の行為として断罪されたのです。

  これは、世俗権力の王権も後押しをしたのです。そして、近世社会は父権制が進展し、女性は、男性に従うべき存在となっていくのです。このことについても黒川は指摘するのです。

 現在のドイツを中心とする神聖ローマ帝国では魔女裁判バロック時代に激しく行われたのです。そこでは、カロリー刑事法典(1532年)の魔女の処罰によって、一般の刑法犯罪と同じように取り扱われていくのです。しかし、特殊的に悪魔との契約との犯罪ということで、被告者が覚えのないことで、犯罪として処罰されていったのです。

   君主の権力は神から直接授かったもので、16世紀のキリスト教世界における革新運動、カソリック教会の腐敗からのローマ法皇からの分離などが起きたのです。魔女裁判については、キリスト教世界では、共通して実施されていったのです。神聖ローマ帝国フランス王国との対立による戦争もあったことから両地域の荒廃も厳しいものがありました。

 ドイツでは、農民の反乱もあったのです。南ドイツからほぼドイツ全体に拡がり、封建領主による収奪、封建地代の軽減、農奴制の廃止などで農民たちは武装して農民軍を作って、封建諸侯と教会と戦ったのです。農民軍は当初は至るところで、勝利するが、

   ヨーロッパの絶対主義王政は16世紀中ごろからはじまり、君主が教会も従属させて絶対的な権力をもって、重商主義の政策をとっていくのです。このことによって、財源も確保していくのです。

 そして、王権のもとに官僚制度の充実、王のもとに諸侯を集権化し、常備軍を整備していくのです。王は王権神授説にもとづいて、教会のうえにたっていくのです。王権は、神によって与えられたものであり、国王は君にのみ責任を負うものであり、それ以外の権威、議会や教皇による拘束を受けないということになっていく。

 「魔女狩りヨーロッパ史岩波新書」を書いた池上俊一は、魔女狩りの狂乱はなぜ生じたのかと問うのです。背景に、悪天候、疾病、戦争があったとするのです。

  1560年から1630年、1660年から1670年に、小氷河期と呼ばれ、気候が悪化して、農作物に被害がおよび飢饉が起きたのです。栄養不良で疾病も蔓延するのでした。人々の疑心暗鬼が起きて、その災厄を超自然的現象として、魔女の妖術に帰するために流布された。

   さらに、魔女が毒薬を用いて疾病を蔓延させたとするのでした。ドイツ農民戦争(1524年から25年)、フランス宗教戦争(1562年から98年)、30年戦争(1618ねんから48年)、フロンドの乱(1648ねんから53年)などの戦乱が続いたのです。

 そこでは、戦場、占領地、軍隊の通過地・宿営地などで暴力、強盗、略奪、畑の荒廃が起き、行政は混乱して、司法機関は機能せずに普段のように動かない。地域の共同体の社会的結合もほころびていたのだというのです。

 そして、16世紀から17世紀にかけて、農村共同体は、資本主義の展開に対応して、階層分化し、旧来の領主たちは、ブルジョア地主に土地権利を買われ、縮小し、多くの貧窮層が生まれていった。このような社会的、経済的状況で、村の共同体の仲間外れにされていたものが魔女の標的になったと、池上はのべるのです。

 池上は、狂乱がなぜ生じたのかということで、フランス王国魔女狩りに関して、宗教改革の精神を汲み取るととともに、絶対法制のイデオロギーを信奉した都市エリートによる強い影響力のもとに、農村的・民衆的への司法官や教会改革者がいたことを指摘しています。

 都市エリート層とその影響のもとの司法官や教会改革者は、激烈な悪魔化キャンペーンと、それに伴う呪術師、占い師、祝福師をあぶりだし、民衆を呪術的世界観の渦中にいる自分たちが劣等な人間だという罪悪を持ち、互いに監視・忠告しあうことを操作したのです。このように、狂乱が起きたことに絶対王政確立でのイデオロギー操作と、それを担った司法官と教会改革者を池上は強調しているのです。

 魔女狩りが強力に進められたのはヨーロッパの近代の黎明であったということで、とくに都市のエリート層の神学的な啓蒙のなかで実施されたということで、民衆のキリスト教信仰の知的高まりを扇動して、精神的な動員を積極的に利用したことにあったのです。

  そして、気候変動、疫病、戦争などからの生活の困難性による窮乏と不安を背景として、その精神動員が行われたのです。

 人間のもっている不安心理や怒りの精神を巧みに利用しての神への絶対的な服従への精神的な動員であったのです。これは、その後においての20世紀のナチスの台頭のなかでも同じ現象です。現代でも民衆のもっている不安のなかで非合理的な大衆化状況の精神に巻き込まれていくこと、例えば、陰謀論などが蔓延していくのもおなじことではないか。

 現代は、疫病、気候変動、紛争・戦争ということで、すべての人々に困難な状況をつくっています。また、弱肉強食の競争社会が、それに追い打ちをかけるように格差社会が進行して、多くの人々が暮らしの不安をもって、精神的に動揺し、将来への不安、危機意識をもってイライラしていく社会心理状況です。

  このもとで、一方的に流されていくマスコミ、不確実やうその情報がSNSで流れている状況です。この現実は、理性をもって真実を判断していくことは難しいことになっているのです。この意味で、魔女狩りの全盛時代から現代的に教訓を引き出すことは大切な課題です。

 

 

5,魔女裁判時代の終焉と西洋近代の始まり

 

 黒川は、魔女裁判の終焉について、コメニウスの世界図絵と視覚、デカルトとベイコンの視覚モデル、ベッカーの観察・調査と自然の見方、トマジュウス自然法学、魔女裁判批判を行った思想家の展開から宗教的寛容の時代がやってくるとのべています。

   黒川は、コメニウスの世界図絵の序言を感覚から学ぶべきということを引用しています。「あらかじめ感覚の中に存在しないものは、何ごとも理性の中に存在することはありません。したがって事物の区別を正しく把握するように、感覚をよく訓練することは、すべての知恵とすべての知的な能弁さ、および人生の活動におけるすべての思慮にとってその基礎をおくになるのです」。「世界における主要な事物のすべてと、人生における人間の諸活動を絵で表し、命名することです」。

 感覚、つまり視覚から学ぶということは、世界の森羅万象を包括的に収めようとするということです。世界図絵における魔女と悪魔は、簡略であり、魔方陣を地上に描いて悪魔召喚を行う魔術は、高等魔術系で、本来魔女が行う魔術とは異なるものです。

  魔女の火刑現場や悪行現場を自分の目でみたことがなかったはずと黒川はのべるのです。自然観察に徹しての正しい知識を視覚情報によって子供たちに教えるのがコメニウスの意図するところです。

 コメニウスの考えは、「神の摂理で、人間の境遇は、運や星の影響に帰されるべきではなく、すべてを見通す神の眼によって、すべてを支配する手を、それに加えて、洞察力をもって軽率であるかそのうえ罪をおかしているかとみるべきです。神様は天使をおもちになって、天使は悪意ある精神や悪霊に対する保護者です」。

 コメニウスの魔女裁判の絵図描写は、1560年から1630年代頃の悪魔学論文の魔女描写にくらべると迫真性が減少していると黒川はいうのです。この現象は視覚という感覚からみると、魔女裁判に対するヨーロッパ人の心性が大きく変化しているということをみるのです。

 17世紀の視覚の変化はデカルト的な主観的合理性による、遠近主義の恣意する精神と延長ある物体という物心二元論の自然観の発想に導いていき、バロック的視覚の見た目の現実らしさのみせかけから真理を納得させる視覚的リアリズムに変化していくとするのです。

 デカルトは、「方法叙説」岩波文庫小泉義之訳では、動物と人間の区別の唯一は、理性ないし分別が人間ができるとしています。

  デカルトは、教師の服従から脱する青年の年齢になると書物を読む文献の研究から思考することに全面的に離れたのです。旅をして、反対の意見を聞いて、野蛮で未開と言われた人々をわれわれと同じで、それ以上に理性をもっていることを知り、さまざなさまざな実験結果を集めることにしたとのべています。

 そこから、引き出した最大の益は、他の民族によって、共通に受容され認識されている多くのものをみることによって、事例や慣行だけで納得してきたものをあまり堅く信じないことを学んでと言っています。

  独断と偏見を避けるためには、明証的に真と認識できることを受け入れたのです。真と疑いを区別するためです。調べている難問を可能にするためには、説くのに必要な部分なだけ分解し、最も認識しやすいものから順次段階に上昇し、複合的な対象をあつかったとしています。

 デカルトの哲学は、魔女信仰に、魔術というという事象が入り込む余地がなく、神は、設計者として存在するが、悪魔や魔女が場を占めることはなかったのです。デカルト哲学の後継者たちのベッカーやベイコンなどが魔女批判を全面的に展開するのです。

 ベッカーは魔女裁判批判書「魔法にかけられた世界」(全4巻)を出版しています。悪魔や悪霊に対する信仰は、無知、偏見、恐怖に基づいたものです。霊的存在は物質的政界に影響を与えない。人間の場合を除いて、物質的世と界霊的世界は交流しない。相互に影響を与えることはない。理性によっても経験によっても身体をもたない霊的存在を証明することができない。魔術や妖術は詐欺とペテンであると。

  悪魔や魔術に対する信仰は、無知や未知のものに対する恐怖感、感覚が欺かれることによって生まれる。このように、ベッカーは魔女裁判を批判すると黒川はのべるのです。

   ベッカーが魔女批判する拠り所の観点は、証拠の客観性・確実性です。主要な状況から結論を出すために、確固たる証拠を求めた。そのために、真実を見極めるために観察や調査による客観的、立場を重視したのです。

 ドイツのトマジュウスは、ドイツにおける初期啓蒙主義の重要な人物とされるが、18世紀初頭に「魔女の罪について」「異端諮問訴訟の継続に関する歴史的調査」を書いています。そこでは、「スコラ哲学の妄想に含まれる魔女信仰にあった悪魔が物質世界に影響力を行使できるということに批判しています。

 しかし、魔女の存在を否定していない。邪悪な呪術を行った場合は罰せられると。トマジュウスは、魔女裁判そのものに批判がむけられ、あい悪魔との契約という存在し告訴根拠しない根拠で、裁判の手続きの不適正、驚く病気や超自然的によって引き起こされ病気の場合、ペテンが絡んでいないかを確かめために綿密に調べるべきであるとのべる」。

  ここからみえることはト、マジュウスの徹底した懐疑の姿勢と、確実な複数の証拠を調べる姿勢がよみとれ、黒川はのべるのです。

 徹底的に調べて証拠の確実性から、視覚にかかわっていく姿勢です。さらに、確実性をのべるのに掛け算という数学の名証性の重要性を持ち出しているのです。

  彼は、この確実性の方法によって、見ること・調べること、観察することという視覚の世界から魔女裁判を批判しているのです。このように、デカルト的遠近主義の影響を受けて視の視覚から魔女信仰に対峙したと黒川はみるのです。

 経験主義のベイコンは、偶然の出来事、自然の採用であるものを魔女のせいにする魔女信仰を批判しています。想像のみによって悪魔と魔女が人間に危害を与えることは不可能だと。

  ベイコンは学問の進歩の著書のなかで、自然歴史の三つの種類のなかで、第一の通常の過程の自然でまちがっていたものも自然ととらえているのです。迷信的な魔術があるとも考えます。事実の保証と明瞭な証拠がある場合は、考察対象になるということで、魔女に対しても一定の評価をしているのです。

  ベイコンは、悪魔学を書いたスコットランド王に「学問の歴史」を献呈しているのです。王が真理探究のために魔術などの迷信的な話に入り込むことに躊躇すべきではない。陛下は、宗教と自然哲学を澄んだ目で、深く、賢明に、太陽の性質なものをおもちになって、証明をなさって、純粋な気持ちになっていると大参事しているのです。このように、ベイコンの王に対する立場を黒川は指摘するのです。

 ベイコンは、経験的観察による具体的事例の収集と、それを踏まええての自然法則を抽出しよと近代科学経験的方法論と通ずる方向があるが、スコットランド悪魔学の著した姿勢の評価からみるとおり限界性をもっていたのです。

 ガリレオが、自然研究に重視したのは、望遠鏡による観察による星の世界の研究で、観察からの理論でありました。視覚情報を重視する姿勢であり、現代でも科学活動の実験や観察や科学の成果の活動に、大きな意味をもっており、博物館の領域などでは、その方法を取り入れていると黒川は評価するのです。

 博物館ばかりではなく、広く学校教育や社会教育においても観察や実験の方法は、科学的な認識過程として重要な役割を果たすとして、その方法は、一般的になっています。

 ガリレオによって自然研究の対象からはずされたものは、質と精神であったと黒川はのべ、この問題については、ガリレオとロックに受け継がれたとみるのです。

  イギリスの経験論の代表者ともいわれるロックにとっての魔女信仰は、対象にならず、人間の精霊がどれほど実験的学として前進させよと考えたのです。それなしには学的には達しない。なぜなら、わたしたちに近くて、どうにもならないことがあると言うのです。わたしたちの思いのままになるような物体さえ、わたしたちは完全で十分な観念を欠いているということを人間知性論で論じていると黒川は語るのです。

  ロックは、神の存在に関する我々の知識で、神が存在することを確実に知ることができると書いています。「われわれは、感覚、知覚、及び理性をもっていて、われわれが失わないかぎり、神の明晰な証明を欠くことはできないからである。この重大な点において自分が無知であるという不足を言うのは正当ではない。神を発見し、知る手段を与えられている。われわれの存在の目的とわれわれの幸福という重大な関心ごとに必要である限り。

 それは、思考と注意を要し、直感的知識から、ある部分を引き出して規則的に従事しなければなりません。人間は自分自身が存在する明晰な知覚をもっている。自分が何者かであるかないかと疑いをもって、人間の非実在をもつ人には話をしない」とロックはのべるのです。

 人間は自分自身のうちに知覚と知識を見出すことができるので、昔から永遠に知ることのできる存在であると考えています。そして、非常に完全な存在というわれわれの観念は、神の唯一の証明ではないと次のようにのべるのです。

 「人々の心の出来ぐあいと、思考の用い方は、相違しているから、同一の真理を確証することは、ある議論を多くの人に説服する。重要なことは、神の観念をある人は持っていない、ある人は持っているということで、非常に異なる観念をもっている。神に関する目に見えない物は、造られたものによって理解される。世界の精神の創造によってわかる。

 我々自身の存在が、神の証明をわれわれにあたえる。これが、宗教と道徳の基礎である。思考力の存在が知的存在を生む。思考力のある非物質な存在を認めるにもかかわらず、物質は永遠であると考えようとする。

  このことは神の最初の偉大な創造を否定するものである。物質は無からつくりされるものではないから、われわれが思考するものは、無から創り出されたことを認めることが出来るならば、精神の創造は、物質の創造に劣らぬ力を要することが分かる」。ロック「人間互生論」岩波文庫・加藤卯一郎訳の4巻10章。

 ロックは、神の存在は、精神の創造で、物質の存在と異なると言います。思考するなかから生まれた理性の精神は、無から生まれたものですが、大きな力を生み出そうとしています。神の存在は宗教と道徳の基礎であるとするのです。

   ロックは、キリスト教を信仰する人びとに寛容の精神を持つことの重要性を次のように強調しています。

 「  寛容の義務として、いかなる私人も自分とは協会や宗教が異にするからといって、その人の現世的な享有物に損害を与える権利を一切もってはいません。人間としての、あるいは公民としてのその人に属するすべての権利や特権は、不可侵のものとしてその人に属するものです。その人がキリスト教徒であろうと異教であろうと暴力や権利侵害をくわえてはなりません。単なる狭い正義の基準ではなく慈善、博愛、寛大さを加えなければなりません 」。

  「 宮廷の愛護のよって、後ろ楯が与えると否や、自分たちが強くなったと感じ始め、宗教上守らなければならない平和や慈愛をかなぐり捨て、迫害を実行する。権力を持たない場合は、公平な条件で生活し、寛容を説くことを望む        」。「  何人も、個人であれ、協会であれ、あるいは政治的共同体でさえも、宗教を理由として、お互いの政治的権利や政治的物品を侵害する正統な権原をもっていない  」。ロック「寛容についての手紙」岩波文庫、加藤節・李静節訳。

   政治的権力との関係によって、寛容の精神が大きく異なっていくことをロックは、強調しているのです。政治的権力と宗教の世界は、別個な次元でありとのべています。

   宗教の信仰の世界は、私人としての個人における心の世界です。政治は、社会的関係で、公的な世界です。個々人は公的な関係である政治と結んでいくのです。政治的権力関係とは全く別に、すべての人びとに寛容の精神から政治的権力が公正に慈愛の精神によって、必要とするのです。

   人間は、社会的存在として公的な側面をもって、その統治の世界、社会秩序のルールをもって生きています。この世界は、私的な心の世界ではないのです。この私的な人間関係と公的な社会関係の区別が明確にならずに宗教という私的な関係が公的な社会関係、統治の関係との区別が重要であるとロックは、指摘したのです。このことは、現代に生きるうえで、極めて重要です。この原理がなかなか確立していない現実があるのです。

 ところで、魔女狩りの終焉は、神の世界による神学から解放された近代化のなかで、科学的思考、観察しての現実を思考する思想家だけではない社会的状況をみることも大切です。人びとの意識が絶対的な固定した地域社会から解放された状況が作り出されていったのです。

  これは市場経済の発展による農民層の分解で、流動化した人びとが生まれ、様々な人びとの交流が一般化していくのが社会的状況になって世俗化が進んでいくのです。このことから、社会的に人びとの絶対的な信仰の世界からの解放された土壌が生まれていくのです。

  この状況について、魔女狩りヨーロッパ史岩波新書」で、池上俊一は、指摘しています。彼は、魔女狩りの終焉を次のようにのべています。魔女を生み出す土壌がなくなったからであるとして、そうした原因や条件の前に、魔女概念の虚妄をなくそうとした思潮があったことを無視できないとのべています。

 17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ諸国に世俗化が進み、政治から文化に至るまで生活全般へのキリスト教の規範力が弱まり、神の秩序とは別の合理主義的な考えが広まっていった。

   理性という認識の機械装置の根源的動力因は、人間の内部に潜む非合理的な衝動なのであり、合理と非合理がたやすく入れ替わることは、20世紀のナチス・ドイツをみれば明らかである。現代のアフリカでは経済的不況、飢餓危機、伝染病の恐怖、社会的緊張を背景として、国々の政権が弱体化して、魔女狩りという大規模な迫害が起きていると、池上はのべているのです。

 

(2)現代の排外主義

 

 魔女狩りの終焉は、現代でも、その過程の教訓を導き出すことが大切です。それは、現代でも陰謀論などが示すように、魔女狩り現象が広範に起きる可能性があるからです。不安や怒りの感情を単純に直接的な感覚的現象から発展していく観念の世界の誇大妄想に入っていくことをどう防ぐかです。

 弱肉強食の自由主義社会のなかで、効率性や成果が重視され、真理探究における問いかけ、疑問、議論をしながら、複雑な社会現実を論理的、合理的な理性をもって、知的思考の学びをしてこなかった人々が多いのが現代です。このことは、社会的な矛盾による不安、不満・怒りの感情を単純化した扇動に乗りやすいのです。そして、容易に群衆の心理として爆発するのです。

 現代のコミニュニティや人間関係での絆が薄くなっている社会では、様々な意見、価値観を日常的に暮らしの感覚で接し、議論する機会が少なくなっているのが現実です。これらのなかで、不安・不安・怒りを満足させるのが、インターネット、SNSの情報によるアイデンティティ形成をしている人びとを多くみるのです。

 その情報の単純化は、群衆の衆の心理の爆発に大きな役割を果たしているのです。魔女狩り終焉におけるデカルト的単純化から複雑への合理的思考、理性への思考であった。物事を自分自身によって疑い、証拠の確実性を求め、数学や科学の思考を重視した。

 そして、デカルトの学問方法を継承した哲学者・科学者は、経験的観察から論理的思考を重視していくのです。この見方は、現代でも通じるところです。感覚的にもっている不安、不安・怒りを、どう理性的に高めていくのか。自己の暮らしのなかから、現実の矛盾を直視できる経験的観察の思考から問題をつきつめていくことが必要なのです。

  この際に、自己だけではなく、様々な人々と矛盾を解決していく議論をしあい、喜びや悲しみを分かち合うことのできるコミュニティ、組織が求められるのです。理性的に思考する世界と感情の世界とが人間にはあります。現実の社会的な矛盾、社会の仕組みは、理性的な世界です。

  怒り、悲しむ、喜びという世界は、感情の世界です。感動し、生きがいをもつ、豊かな情操をもつということは、人間にとっての極めて重要な活力です。理性的な世界と感情の世界が融合して日々の暮らしがあるのです。感情の世界の一人歩きは、衝動的な行動へと走っていく危険があるのです。

 魔女狩りの世界が現代的に起きていく危険性はどんなことであるのか。異なる宗教や文化や価値観を排除するばかりではなく、日本の国籍を持たない、とくにアジアの近隣諸国からの民族的アイデンティティの近い外国人を排斥したり、差別していく行動が現れるのです。

 排外主義の国際比較・樽木英樹編の先進国諸国における外国人排斥の実態は、反外国人労働者感情、反移民感情、イスラム嫌悪、福祉愛国主義、移民偏見などがあります。それらは、集団ナショナルポピリズムリズム運動やヘイトスピーチなどがあり、ときには、激しい排斥の暴力やテロなどが起きています。

 そして、制度による差別主義運動の展開によって、差別的な政策形成の立法行為なども起きています。人々の不平、不満を根底にあるのです。また、社会的には、アノミー的な孤立から集団感情論的な群衆心理による極端な差別的な行動を行われているのです。

 とくに、インターネットの発達は、個々の自由な検索によっての興味関心を極端に偏見をもった過激なデマ宣伝によって、日ごろの不満や不安のストレスの解消に利用されていくのです。

 その行為は、激しい競争のなかでの負け組というなかでの不満・不平の個人主義的権威があるというのです。また、フランス型排外主義の特徴として、マイノリティ集団に対する警戒姿勢があるというのです。フランスは多文化主義の理解、個人が属する共同体の権利重視が伝統的にあり、少数の共同体の権利を認めないという風潮があるというのです。

 英国の排外主義は多文化主義を社会的統合として認めないということで、2000年代になって、ムスリム移民の増大によって、イスラム嫌悪主義が強まっていくとしているのです。

 市民権テストの導入では、言語能力だけではなく、英国事情に関する知識も帰化の条件になっているのです。英国の永住権取得も言語能力および英国事情の強調が、2007年から導入されて、同化政策による価値観の共有が協調されたのです。

 ドイツにおける排外主義は、イスラム化に反対感が強く出ているのです。2000年代に入って、イスラムへの嫌悪感が一層に強まっているというのです。イスラム文化に対する見方の偏見が強く生まれているのです。

 イスラムは暴力的、家父長的、後進的とみるのです。それらは、自由、民主主義、人権、平等などの近代西洋的価値観に反するもので、危険な集団とみるのです。グローバル化によって、ドイツ国民は、自分たちは政府から不公平にあつかわれ、国家の社会的配分が外国人労働者や移民に手厚くされて、自分たちはわりをくっているということで、政府は不公平という不満から新右翼が増大しているというのです。

 イタリアの排外主義は、イスラムに対する攻撃が過激に起きて、1980年代から反移民感情が先鋭になっているというのです。これに対して排外主義に反対する運動も中道左派政党、労働組合、宗教的多元主義によって起きているのです。イタリアは、ナショナルアイデンティアはカソリックを基軸に宗教的な協調主義をとっているのです。カソリック以外でも国家的アイデンティティとして、協約を結んでいるのです。

 北欧諸国は排外主義が急速に広がり、福祉国家は、排外主義を乗り越えられるかが大きな課題になっているのです。つまり、移民の増大によって文化的多様性で社会的秩序が大きく崩れて、異文化の人々が、お互いの信頼関係が失われているのです。北欧の極右翼政党が福祉国家を支持して、移民排斥を唱えているのです。ここでは、福祉愛国主義としての移民排斥運動が行われているのです。

 アメリカの排外主義は、トランプ現象として、国境閉鎖、移民排斥、犯罪を名目に外国人の排斥を行っているのです。現在では留学生すらの排斥や外国人研究者なども白人至上主義から排斥を行っているのです。

 アメリカは、白人至上主義が強まっている背景に、新自由主義の厳しい競争社会のなかでの大きな格差拡大が起きていることです。白隠至上主義の人々は、エリート大学でも外国人排斥の要因にもなっているのです。ここには、負け組になった多くの白人層の不平、不満が、外国人一般に向けられているという特徴があるのです。

 現代日本の排外主義は、どのような特徴をもっているのか。それは、戦前の国家主義によるアジア侵略と結びついた右翼の復古主義と深く結びついていることと、グローバルリズムのなかで勝ち抜くために、軍事的に強いアメリカと結びついて、新しい排外主義運動を展開していることです。

 したがって、外国人ということから欧米崇拝を基本に発展途上国の外国人労働に対する差別と収奪ということからの日本人と対等になることの人間尊厳の排斥であるのです。日本人と対等にあっている医療保険や特別永住権をもつ2世、3世の社会保障に対して、ことさら優遇政策として、攻撃しているのです。

 制度として、保障されていることが、数多く受給しているとデマ宣伝を大規模に宣伝して、自分たちの税金や社会保険が外国人のためにわれわれ日本国民が不利益を被っているとするのです。

 さらに、犯罪についても決して、外国人の割合増大しているわけでもないが、ことさらに強調して、外国人が増えたことが犯罪が増えたとしているのです。ここには、発展途上国からくる外国人労働者に対する蔑視と差別偏見が根底にあるのです。

 外国人労働者が日本の経済、とくに、地方経済のように絶対的に労働力が不足している農業や地場産業を助けているのが外国人労働であることの実態を無視しているのです。

 現代日本の排外主義の特徴は、新自由主義の激しい競争社会のなかで、負け組になった国民の不安や不満の感情をデマによって、大衆操作し、外国人労働者に怒りの行動へと向けられていくのです。

 このことは、戦前にもったのです。戦前にあった関東大震災のときに、在日朝鮮人が放火した、暴動を起こすということで民衆が虐殺した悲しい歴史、さらに、社会主義者が内乱を企てているということでの虐殺事件など、アジアからの人々や価値観の異なる人々を排除していく悲しい歴史があったのです。

 「日本型排外主義」樋口直人著・名古屋大学出版会によれば、ヘイトスピーチを生み出した憎悪の根源は、非正規の労働者で、経済生活の不安定層が多く、ネット右翼で、ヤンキー文化を色濃く反映して、独身者が多いとしています。ヘイトスピーチの排外主義運動によって、承認欲求とうさばらしであるとしています。

 また、不満、不安や生きずらさだけでは、排外主義運動を説明できないとしています。つまり、保守的な政治志向と親和的で、インターネットと排外主義運動文化として、右翼イデオロギーを増幅させていく草の根保守主義が根底にあるというのです。排外主義を受容する土壌の歴史修正主義があるというのです。

 ここで、保守的な市民がなぜ排外主義運動に誘因されるのかということをみていくことが必要としているのです。過去の自分と決別していく自分ということで、インターネットの動画の役割が大きいというのです。

 つまり、インターネットと排外主義の増幅が起きているというのです。ここでは、対人ネットワークへの依存度が高い左派の市民運動と大きく異なるとしているのです。自発的な検索によって、小集団を介さないインターネット経由で排外主義の保守的草の根運動が起きているというのです。国を滅ぼす外国人参政権問題、外国人労働者の受け入れ問題ということなのだというのです。

 これらの指摘は、インターネットをとおしての保守的草の根運動であるということはきちんととらえておくことが必要です。もっと根本的なことに、排外主義に惑わせられる多くの国民の状況をとらえていくことが求められるのです。

 根本的には、国民の新自由主義競争のなかでの大きな格差社会に対する不安、不満が根底にあります。また、その激烈な競争主義と管理社会のなかで自由が奪われていることに背景があります。

 そして、それぞれが、分断されて、孤立化して、暮らしのなかに絆をもたない、人間的なつながりのないなかでの生きずらさ、人間的な自由を求めるものがあるのです。この現状を正確にとらえて、個々の暮らしの絶実な要求を共有していく場づくりによって、それぞれの要求を実現していく運動と心からみんなと楽しめる気軽な場が求められているのです。

 インターネットは自由に検索できるところに、自分が主体的選んだという満足感があることは事実です。問題は、インターネットからの多様な価値観や事実の確認をどうのようにとれるのかということです。

 また、論理的思考や真理の探究の思考をどう磨いていくのかということです。社会的に共通になっているあたりまえの基礎知識、基礎的な教養がどう作られているのか。現実の不満や不安は、すべてを否定して、新たな大きな改革を求めます。社会的なルールでの憲法の理念さえも否定していくのです。

 現実に、憲法改正は、保守的な政治勢力から課題になっています。ここでは、生涯にわたって学ぶことのできる社会教育の場が必要なのです。多様性を尊重できる共存し、共生して、楽しくなっていく場づくりの工夫も大切になってきます。

 ところで、マスコミの役割も大きなものがあります。それぞれに立場の異なる人々と議論しあうことのできる情報と、現実をじっくりと観察取材して、正確に報道することが求められているのです。さらに、社会教育の暮らしに根差した生涯学習の充実、学校教育の生きる力を育てていくという課題に対しての在り方も大きく問われているのも現代です。

 

 

まとめにかえて

 

 現代においても社会的な現象として、支配的でない異なる価値観、異なる宗教、異なる民族、異なる文化、異なる意見での集団や個人に対して多数派の人々によって、魔女狩りが行われています。

   また、日常の暮らしのなかで、異なる行動や異なる意見に対して寛容の精神をもつのではなく、多数派の人々が少数派や個人を排斥することが行われることが多々あります。

 それが、いじめとして非常に苦しい状況に追い込まれて、ときには、自殺ということが起きることがあります。法に基づいて、理性的に思考できるような裁判という形ではなく、多数派の意見や行動の世論、地域の人間関係、暮らしの人間関係で起きます。

  さらに、現代ではSNSを利用してのデマやプライバシー侵害などの仮想現実の拡散ということで、特定の個人や集団を排斥していこうとすることが行われているのです。

 この仮想現実は、大きな権力と結びつ場合の恐ろしさがあるのです。イスラエルガザ地区パレスチナの人々に対する残虐な軍事行動の実態を映像で見せつけられると心が非常に痛みます。

   ここには、ユダヤ教イスラム教という歴史的な対立ばかりではなく、民族や宗教を超えての人間の尊厳をめぐっての価値観の多様性の容認、歴史的に、それぞれぞれの民族的な領土・居住権問題があります。

 ヨーロッパで歴史的に起きてきたユダヤ教の排斥、ヒットラーが行ったユダヤ教を信じて暮らす人々への大虐殺と人類は、魔女狩りの問題を現代でも解決していないのではないのです。す。魔女狩りの終焉ということではないのです。確かに近代の黎明に起きた魔女裁判が行われていないのは、大きな人間の尊厳という立場からみるならば歴史の進歩です。

 しかし、寛容の精神、多様性を求めていく、国家に信仰の自由の保障、国家権力・政治権力に宗教の不介入ということは、きわめて重要な民主主義の課題です。この問題は、国際的な現実から、それぞれの国々状況から、まだ極めて難しい現実です。これは、他国が介入するものではなく、それぞれの国民が自主的に判断していくものです。

 この判断能力を形成していくのは、学校教育や生涯にわたって学ぶ社会教育が不可欠なのです。

 それぞれの国の歴史や文化の発展は、習俗や慣習も異なり、同じ指標ではみれない。それぞれの分野で、自立的に発展してきたのです。近代化におけるヨーロッパの植民地主義によって、発展途上国は、価値の同一性を押し付けられたのです。

 独立したことによって、従前の慣習や文化を大切な要因として独立後は、独自性をもって発展してきた。このことから、国家間での異なる価値観、異なる国家体制の容認も大切なことです。決して押し付けて、その価値観を押し通すことが絶対的真理ではないのです。押し付けではなく、個々の国民が自主的・自発的に異なる文化や価値観を包摂して、共生関係をもっていくには、そのための包摂できる人間的な能力形成、科学的な認識が必要なのです。国民的な教養の高まりが不可欠なのです。

 ここに、生涯にわたって、学ぶことのできる社会教育の役割があることを決して忘れてはならないのです。この社会教育は、暮らしに根差しての地域の包摂していく多様性を尊重していく文化の形成でもあるのです。地域住民の学びをどのように組織していくのかは、大きな課題になっていくのです。学びは、人々が集まる場づくり、気軽に集まることのできる憩いの場などの工夫からの出発がなければ生まれてきません。

   特定の価値観をおしつけては、欧米流の先進国の民主主義・自由の価値観によって、独裁国家と対決していくというのも現実の国際平和の道では決してないのです。