社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

日本の話し合い文化と人類的合意の知恵

日本の話し合い文化と人類的合意の知恵

 

 日本では、都会や農村での地域の意思決定で話し合の寄合いの慣行がおこなわれてきました。その伝統は、地縁組織の衰退によって、現代では、大きくその機能は崩れているのが現状です。今でも地域の伝統的な行事などでは、その慣行が残っているところもあります。地域組織の衰退は、日本の地域の意識決定での話し合いの文化が見えなくなっているのです。

 

 中澤美依が、「村の寄り合いの「話し合い」の技法―日本的コミュニュケーション文化の原形を探る」という論文を書いています。(平安女学院大学年報2000年)

 そこでは西洋の社会の議論ということと対比して日本の話し合い文化の特徴を探っているのです。中澤は、この話し合いの文化は、江戸時代の農村社会で編み出されたもので、戦後に日本の戦後の高度経済成長を可能にした日本的経営を支える独自のコミュニケーションであったとしています。それが、1990年代の国際化の対応のなかで、日本の独自の話し合いの文化が西洋的な議論に移されていったとするのです。

 

 日本の話し合いの文化を時代遅れのものとして捨て去っていいのであるのか。コミュニュケーションの本来の在り方と見直すべきではないかということが、中澤の問題意識です。江戸時代の農村社会は、村請制度として、年貢や諸役を村単位で責任をもって履行するように定められていたのです。

 村請制度での役割を遂行する限りにおいて、村の自治が保障されていたのです。そこでは、寄り合いの話し合いによる全員一致主義が行われていたのです。年貢が払えない百姓が生まれれば村全体として責任をはたさなければならないのです。

 村では、議定書として、村の決まりも決められていたのです。全員一致主義は、村全体の連帯責任をもっていることから、徹底した話し合いが行われたのです。村には村方三役として、名主・庄屋、組頭・年寄、百姓総代が村をしきっていたのです。名主・庄屋が没落して、その職務ができなくなったときは、村全体で入り札による選出がおこなわれていたのです。

 中澤は、民俗学の研究の成果をもとに、封建社会全体の身分制のタテ社会の関係ではなく、村の共同体の側面からの生活と生産の相互扶助の関係からの話し合の文化を強調しているのです。

 村の共同体としての相互扶助として生活面からは、道路補修、用水整備、公共施設の建物、村祭りの準備、個々の家屋建築、屋根替、婚礼や葬儀の手伝い、災害のときの援助や見舞、生活資材の共同備蓄などがあります。

 生産面からは、用水管理、灌漑施設の管理、田植え、収穫、田畑の共同管理、山林の共同管理、仕事と休日の取り決めなどがあったのです。この相互扶助の側面があったことを中澤は指摘しますが、他方で、商品経済の発展などからの矛盾も生まれ、村のなかでの対立や抗争の存在があり、その平和的な協力関係維持の話し合いの機能を重視するのです。

 商品経済の発展に伴う稲作中心の農村の共同労働の側面から個々の農家の商品作物や農村の家内工業的なことに現金所得などから生産の一律性から多様性への変化していくのです。収入によっての生活様式も個々に違いが生まれていくのです。

 しかし、農村の共同体側面は稲作労働や日本のもっている自然的な条件からの水管理、山管理、災害からの共同対策など日本の農村生活の共同性が根底的に崩れていくものでなかったのです。

 共同性が崩壊しない限り、相互扶助の機能が必要な限り、村の矛盾が生まれてくればくるほど、共同体的な話し合いの必要性が一層に強く存在するのです。

 中澤は、日本と違って、西洋における議論という意思決定の仕方を問題提起するのです。「勝つか」「負けるか」個人の名誉を賭けた直接対決というのが、ギリシャ時代からの西洋の「議論」コミュニケーションの基本的スタイルで、勝敗を左右する一番重要な要因がロゴスとあると中澤はみるのです。中澤がみるのに、西洋の「議論」とは、いかにあいての主張を攻撃し、自分の主張を守り抜くかという言葉の戦争というのです。日本では相手の名誉を傷つけることをしない。勝った、負けたという議論は恨みをかうのでしなとするのです。勝った、負けたという議論では、相手との合意を思考する方向にむかわないとするのです。

 西洋では、議論によって対立の形をとり、日本では、徹底的に話し合って対立を回避する合意をめざすものであるとするのです。日本では日常的な生活を共にし、互いに協力なしには生きていけない共同体社会で、日本の村人はまわりの人々の感情の動きに神経を使うとしています。

 ギリシャなどの古代都市国家は、生活を支える労働は奴隷で、市民は貴族であるので、対立しても直接に困らないというのです。強烈な自己主張して、相手を負かして対立しても生きていけるというのです。

 日本では話し合いによって長時間かけることによって、集団のリズムと共調ができるというのです。これが日本の村人の共同体の相互扶助での生活の知恵でもあったということです。

 日本の村人は相互扶助の共同体のなかで、感情優位の人間観によって、長い時間と多くの場を共有することで、成員の合意形成の文化です。西洋の議論は、理性優先の人間観で、一つの場で、できるだけ短い時間で論理的優劣を基準に意思決定していき、リーダーの条件は雄弁であることが条件になります。日本の村の場合は相手の話をよく聞くがリーダーの条件になると中澤はみるのです。

 西洋の議論では多数決の原理によって意思決定がはかられ、話し合による合意形成はやられないというのです。西洋的な民主主義は多数決の原理ということで、論理的に言葉を使って、雄弁に語ることになるのです。

 

服部英二鶴見和子の対談集「対話の文化」から異なる文明観の対話

 この対談集では、南方マンダラの世界が未来の科学として、精密な自然観察と実証にもとづいて因果の連鎖が他の連鎖と複雑に絡み、相互作用を起こしていくという文化の大切さを強調しているのです。

 そこでは、相互作用により引き合いが起こり、一点に収斂していく現象が現れるというのです。文明の酒類がすくなくなると文明は崩壊する。文明も生物と同じでいろいろの文明が共に生きる場合に、生きのこることができるという。

 言葉ができるからお互いに理解できるということはほんとうなのか。相手の民族の言葉がわからなくとも理解し合えることがあるという。心が通じるということがコミュニュケーションであるとのべるのです。人間のジェスチャーという体のコミュニケーションは、人の全人格が出るというのです。

 直接のアリストテレス形式論理学曼荼羅の循環の論理学という文化の対話があるという。Aと非Aは間がないというのがアリストテレス。しかし、その間にはたくさんのあいまいな論理があると理論物理学者はのべているという。文明間の対話が必要になっていく。

 ハチントンの文明の衝突論ではなく、文明の対話が世界に今、切実に求められているのです。国連は2001年に文明の対話国際年にしたのです。ハチントンは宗教無理解というのです。宗教は寛容宗教と非寛容宗教に分かれるのです。

 曼荼羅というのは、仏教思想ですが、仏教以前からインドの古代思想のなかにあった。近代のエコロジーという欧米からの十種的研究の結果と古代インドに発祥した曼荼羅の思想とが結論において一致するということなのです。

 東洋と西洋を超えての多様性のなかの統一が現代的にもとめられていると鶴見は強調するのです。民主主義も自由も全部享受している最高の形態になっている人々は、本当に漠然とそう思っているだけで、その実体がないのです。これが実際の無知です。

 南方熊楠の可能性は、大いにあるのです。多文化に出会ったときにそれを受け入れる開かれた心をもっていることです。一番よくないのは根無し草です。日本の文化を知って、国際人になることです。

 日本の循環思想を身につけて、異なるものが異なるままに、お互いに補い合い、助け合って、地球上で共生していくために、世界と対話していくというのです。