社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

国連の小農と農村の人々の権利宣言と社会教育

国連の小農と農村の人々の権利宣言と社会教育

     神田 嘉延

 国連は2018年12月18日に小農と農村で暮らす人々の権利宣言を121国の賛成多数で総会で採決しました。日本は広範に小農と農村をかかえながらこの採択には棄権しました。残念なことす。
 国際競争力の農業、選択と集中ということで大規模農業施策をかかげる安倍晋三政権のもとで、世界の動きとは違う農業施策を推進することで受け入れることはできなっかったのです。現実の日本の農村を無視したものです。
 高齢化、過疎化した現状のなかで,国連の宣言は日本の農村活性化のためには有効な内容だと考えます。もちろん農業生産法人の動きを決して否定するものではありません。二者択一の問題ではないのです。

 日本の農業や農村は食糧生産はもちろんのこと、それだけではなく、防災の機能、子育て教育の機能、健康のための癒やしの機能をもっています。また、地域づくりにも大きな役割を果たすのです。地域の協働や協同コミュニティ機能、地域の伝統文化芸術、生きていくうえでの大切な誇り精神的機能、観光機能など様々な機能があるのです。
 国連の小農と農村で暮らす人々の権利宣言を広く日本の人々に伝えていくことは、農業や農村の役割を見直し、日本の豊かな文化と暮らしをつくりあげていくことと日本の食糧自給にとって大事なことです。さらに、日本の文化、自然災害の防波堤機能、自然景観を守っていくうえでも重要なことです。

小農と農村で働く人々の権利宣言は、人類普遍原理

 小農と農村で働く人々の権利宣言は、人類普遍原理の人権宣言を現代の世界における農村での様々な問題状況から具体化した宣言です。この小農・農村の権利宣言は27条からなるものです。
 この宣言は農村の暮らしに依存する土地、水、自然資源などを保存し、持続可能な社会を達成するために食や農村の主権を考えたものです。とりわけ農村の若者たち農村で暮らせるように農村経済の多様性、農業以外の雇用の施策を重視しているのです。これは農業ばかりでなく兼業を積極的に提起しているものです。
 締約国は本宣言の権利宣言を法的、行政的および他の適切な措置で迅速にとらなければならならないとしています

 小農と農村で働く女性について、その権利を積極的に打ちだしていることも特徴です。これは小農と農村で暮らす女性の無権利状態があるからです。農村の女性の教育や研修をとりわけ重視しているのです。そして、女性に対するコミュニティサービスや相談、自助グループと協同組合の組織の権利保障をあげています。また、女性の人権保障としての暴力を受けない施策の重要性を指摘しています。

 農村におけるさまざまことを決めていくうえで、参加の権利保障を重視しているのです。そして、結社の自由、思想信条の自由、言論表現の自由、移動の権利、生命と自由安全の権利の保障、働く権利の保障などをあげています。
 食の主権は、飢餓から逃れるため社会的公正、生態系を配慮したものです。種子と伝統的知識の維持管理継承は生態系の配慮からの持続可能な社会を維持継続するためのものです。生態系を守るアグロエコロジカルな環境の整備と教育は大切なのです。

 国連の小農と農村で働く権利宣言を社会教育から考えていくうえで第25条の教育と研修の権利と第26条の文化的権利と伝統的知識の権利は大切な内容です。

農村での教育プログラム

 教育プログラムは小農と農村で働く人びとの協力によって開発実施しなければならないとしています。上から一方的に行政や教育者が押しつけるものではないのです。参加民主主義が教育プログラムに保障されていなければならない。
 生態系を配慮しては、伝統文化を尊重してアグロエコロジカルな環境整備のもとに教育の実施されるものです。参加型の植物育種が求められ、公平かつ参加型の農業者とのパートナーシップが教育者と科学者に求められているのです。農業者の主権を考えての教育者や科学者の関係性が大切なのです。

 また、農業分野の学校の大切をあげています。日本では農業高校や農業大学校、農業系大学がありますが、ここでの地域農業の発展を考えての国連の小農と農村で働く人びとの権利宣言に基づいた教育が大切になるのです。学校教育のなかでも国民教育として、農業と農村の多面的機能の認識が大切なのです。

 小農と農村で働く人びとは自身の文化を享受し、文化の発展を自由に追求する権利を有すると国連の宣言ではしています。個人として集団として国際基準に従って地元の慣習、言語、文化、宗教、文化芸術を表現する権利を有するということです。教育においてこの課題をいかに保障していくのか。伝統文化の保障は決して人類の普遍原理である人権保障を無視した家父長制度や奴隷的、封建的な残存を認めるわけではないのです。