社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

孟子の仁政論から現代的な民主主義を考える

 孟子の仁政論から現代的な民主主義を考える

 

はじめに

 

 欧米のデモクラシーの訳として、民主主義が一般的につかわれています。民主主義の考えは欧米のデモクラシーから学ぶこと必要といわれます。それだけでよい未来が描けるのか疑問です。欧米民主主義の利己を中心とした価値観を見直す時代です。

 欧米の議会制民主主義も様々な問題が出ています。自己利益、特権的利益集団,汚職問題など為政者の社会的倫理が鋭く問われているのです。

  現代は、人類の歴史の多様な思想文化の視点から未来を考える必要があります。文明の衝突ということではなく、文明の対話からヒューマニズム、民主主義の内容を深めていく課題があります。そのひとつとして、孟子の仁政論から未来を探究する新たな民主主義を考えることにしたい。

 

序 現代の議会制民主主義で、民衆の暮らしと幸福の政治は機能しているのか

 

  欧米のデモクラシーは、議会制民主主義です。それは、多数決の原理になります。人民主権による選挙からです。政権を握る選ばれた人々は、自己利益的集団をつくり、その効用を徹底してはかることによって、民衆の暮らしからの政治、民衆の幸福、平和を求める政治から遠ざかっている現象がみられるのです。

 ここには、為政者の社会的倫理の問題があるのです。選ばれたものは、多数決によって、国民からの信託として、権力を絶対的に握るのです。

  しかし、その選挙は、国の未来を描くための政策中心で、自立自尊による理性的な議論のもとでの民意をつくるための徹底した議論の場になっていない。そこでは、金力や組織力、情報操作の力、人気力という選挙という権力構図によって、選ばれていくのです。

 選挙は、国民にとっての政治的な学習の場にもなるはずです。それは、国民個々が民主主義能力を発展していくうえで大切なことです。国民が愚民にならずに、良識をもっていく大きな機会でもあるのです。実際は、選挙の権力構造によって、それは、潰されているのです。

  現実は、自由と称して、社会的な倫理や秩序なしに、知名度アップ、人気上昇の手段、世論操、利益誘導、感情的なデマ宣伝が行われるのです。そして、白か黒かと単純化して、大衆を扇動し、愚民政治を作り上げていくことがあるのです。選挙に勝つことが至上命題で、手段を選ばずに、政策本位ではなく、自分を売り込むための活動が行われていく。そこには、為政者になるはずの政治家の社会的倫理が鋭くとわれているのです。

 敵対的な感情手法を使っての民衆から選ばれた多数派は、民衆の意志の代弁者として、少数の価値観、少数の宗教、少数の民族を迫害して、ときには、残酷な虐殺政治を行うことがあるのです。

 第二次世界大戦のドイツで生まれたヒトラーナチス政権は、選挙によって生まれ、ユダヤ人を大量虐殺したのです。そして、ヨーロッパ全体をナチズムの恐怖政治と、強力な軍事力で人々を支配したのです。

  日本の軍国主義国家総動員体制も男子のみであったが普通選挙制のなかで生まれたのです。国家総動員体制によって、近隣諸国の軍事侵略をし、アジア諸国に多大な犠牲をもたらしたのです。そして、日本国民も沖縄の地上戦、日本各地の空爆、広島・長崎の原爆投下によって、大きな犠牲を受けたのです。

  第2次世界大戦後のアメリカのベトナム戦争イラク戦争など数々の戦争も選挙で選ばれた大統領によって、行われてきたのです。現在のウクライナ戦争も選挙で選ばれた大統領によって起こされているのです。

 民主主義の国といわれる欧米では、大富豪が大手ををふるい、社会を主導し、政治を動かしているのです。金権政治といわれる現象がうまれています。汚職や横領など不祥事問題も後を絶たないのです。

 民主主義といわれる欧米諸国では、新自由主義経済が謳歌して巨額な世界を支配する宇宙的な数字の富をもつ超富豪が生まれ、他方では、貧困の格差が拡大して、移民排斥運動や人種差別が深刻で、社会の混乱を招いているのです。そこでは、人間の尊厳が必ずしま実現していないのです。

 また、ウクライナを軍事支援する欧米諸国も選挙で選ばれた政権が行っているのです。民主主義にとって、異なる価値観、異なる政治体制との共存・共栄の包摂として、平和を構築していくことがいかにして可能であるのか。その構築は、世界的に求められているのです。

 それれの多様な価値を包摂して、寛容の精神が、本来的に鋭くとわれているのですが、国益と称して、自らの軍事力拡大活動、ウクライナ支援にと奔走し、その宣伝を大々的に行っているのです。そこでは、社会的正義は、話し合いによる国際平和への構築が忘れているのです。まさに、欧米の民主主義の価値観の衝突です。

  平和は、人類にとって極めて重要な課題です。ここには、多様な価値観の寛容性、民族間の共存、異なる宗教や文化の容認、異なる国や民族の経済的格差の是正が必要です。これらの実現には、話し合いの政治による様々な矛盾の平和的解決手段が求められているのです。世界の平和のためには、人類的普遍の立場を探究する国連の役割が大きくあるのです。

  憲法は、その国にとって、為政者を縛っていく基本的原理です。日本国憲法は、平和主義を国是にして、憲法9条をもっている国です。国連も紛争の解決に平和的手段をのべています。ここには、異なる国家間、民族間の価値観の共存性と寛容性の社会的倫理が為政者に強く求められているのです。それが、為政者の現代における社会的倫理です。

 民主主義は、民衆の平和や暮らしとどのように関係しているのか。民が主人公に、民の暮らしが豊かに、民の幸福のためになる政策をどのように実現していくのか。現代の欧米的な議会制民主主義では、これらのことがみえてこないのです。

 新たに、民主主義の価値を人類史的な視点から、様々な価値観、政治的な文化を取り入れて構築していくことが必要になっている時代です。とくに、為政者の社会的倫理という難しい問題をどう作り上げていくのかということです。

  現代の日本では、主権在民として選挙が実施されますが、投票にいかない人々が数多くいるのです。つまり投票率が低く、全住民から選ばれた議員が、その地域の民意の代表者といえるのであろうか。大いに検討が必要です。

  政党をどのように考えていくのか。政党として日常的に地域住民の意見をどのようにくみあげていくのか。代表者が議員として政策化していくことにどのように合理的に判断していくのか。

 議会 選挙では、それぞれの立候補が政策を出しています。本来的に、議会選挙は、候補者や政党の選択ということが中心です。選挙は、民意を吸い上げる直接の行為ではないのです。民意を吸い上げたり、専門的な意見を聞いたりしていくしくみの日常化も大切です。公聴会や各種の専門家による委員会の役割も大切です。

  地域の政策課題を住民投票ということで、住民の意志を問うことは、自治体なので実施することがあります。一般的には、政策決定では、行政側の提案から議会による議員の投票による意思決定が多く、必ずしも住民投票は一般的ではありません。

 また、議院自身による政策提案によって、議院立法や条例制定をすることは極めて少ないのです。この意味において、政策づくりにおいて、行政の役割が極めて大きいのです。行政職員も、民主主義の内容を考えていくうえで、大きな意味をもっているのです。

  選挙投票には、マスコミ、SNS、地域の有力者からの依頼、組織からの推薦という指示、利益誘導的関係など、有権者一人一人が主権在民ということから、国の政策、将来をみつめながらの判断がされているとは限らいない現状です。

  投票の対象となる政治家も自己利益がみえて、民を主とする政策やその遂行のために尽くしていくことがみえてこないのです。むしろ自己利益の側面が浮き彫りになって、不祥事が絶えないのです。選挙によって、選ばれた為政者の社会的倫理が強く求められているのです。

  現代において、どのように民の暮らしを豊かにしていくのか。民の幸福を実現していくのか。民あってこそ、国の役割があるのです。個々は一人でいきていくことはできないことはいうまでもありません。地域でのインフラ整備、教育、福祉、病院の機関、治安や警察機関、法的な機関、税務機関、安心して暮らせる様々な公的な社会的装置が必要なことはいうまでもありません。

  これらを整備していくには、政治の役割、為政者として、国を治めていく人々が必要なのです。為政者自身の国民から選挙によって選ばれたということで、自己の社会的倫理や反省意識の欠落があるのではないか。

  どの社会でも為政者の役割があったのです。古代社会、封建社会、現代の社会と、その為政者の選出方法は異なっていますが、常に為政者としては、権力や金力等の私益ではなく、公益の役割という社会的な倫理が求められていたのです。

 歴史的に身分制の時代では、為政者としての公益性としての民のために尽くすという倫理の教育や修練が求められてきたのです。東アジアの国々では儒教や仏教の影響によって、そのモラルが為政者に強く求められてきました。

 現代では、社会的モラルとして、政治家や行政職員に公益性へのモラル、国民全体に奉仕していくというモラルが強く求められているのです。とくに、恵まれない人々に政治や行政が援助していくという民に奉仕していくモラルが不可欠なのです。

 しかし、その社会的な倫理性をどのように保障していくのか。公務員は行政職員になるための試験制度があるが、その社会的な倫理や修練の場がどうなっているのか。政治家の議員は、国民からの選挙という方法によって問われるのみです。法律ということで、社会制度的に保障していく以前に、社会的モラルがあるのです。法と実際的な乖離が数多くみられる現象があります。

  東アジアの文化圏では、儒教や仏教のなかで古代から教育され、修練が為政者に行われ来ました。古代の2300年前の中国に生きた孟子は、為政者の統治方法として民への仁愛の精神、人としての義の心をもって民に尽くすということで、仁政を強調したのです。

  この時代と現代は、政治制度、経済や交通の発展規模、科学技術の発達、マスコミ・情報機関の発達、教育の普及、国家機関の巨大化と複雑化なども大きく異なっています。具体的な政治的政策や国家間の問題は、比較にならないほど複雑になっています。

  為政者としての根本的な仁義の精神、仁政の在り方として、学ぶことがあるのではないかということです。この意味から孟子の仁政の精神を現代的に見直すことにしました。 本論は、世界の名著「孔子孟子中央公論社貝塚茂樹の現代訳を参考にしてのべます。

 

(1)仁政とは民の暮らしを第1に

 

 孟子は第一巻で政治における仁義の重要性に次のようにのべています。「王様はただ仁義のことだけを気にかけたらよい。王様がどうしたらわが国に利益になるかと言われたら、大夫たちはどうしたらわが家に利益になるかといい、役人や庶民たちはどうしたらわが身に利益になるかといい、上も下もかってに利益を求めると、国家は危機に陥るでしょう。もしも、仁義をあと回しにして利益を真っ先にするならば、主君の財産を奪い取らねばあき足りないことになります」。1(1)

 利益を第1に考えたら、為政者は仁政ができないということです。孟子は、為政者にとって、最も大切なことは、気候のせいで作物が取れなくなって餓死する状態の人民をほっておくことができないとしているのです。それが、できないことは、政治ではないとしているのです。積極的に救済していくことや、天候不順で作物がとれないようにするのではなく、普段から食糧の安定の施策をすべきことを政治の責任としてのべているのです。為政者は自己の利ではなく、民のために尽くすという社会的倫理が強く求められたのです。そのために、自己の役割があるということで、自己充実感があるのです。

 「人民が凶年に道ばたに餓死した死体がころがっているのに救済することを忘れて、これは気候のせいで自分の責任ではないというのは、他人を刺し殺して、自分の責任ではない、刃物のせいだというのと同じです。

 政治の責任として、鶏、豚の繁殖の時期を失わないように注意すること、田畑の耕作に支障のないように課役の季節を制限すること、村里の教育に注意をすることなどは政治の仕事です。政治の責任を果たせば天下の民はお国に集まってくるにちがいない」。2(2)

 仁政の基本は、困ってい民をすくうことであるのです。そのことを行えば、多くの民が信頼し、国が豊かになっていくということです。そして、孟子は、民に対する仁徳あふれる政治の基本的理念をのべるのです。それは、刑罰を軽くして、租税を少なくすることであると。その政治はもっとも国を強くするものだというのです。

 「王様がその領土の国民に仁徳にあふれた政治を行なわれ、刑罰を寛大にし、租税を少なくし、農民には土地を深く耕し、早く草刈りさせ、壮年のものには暇をつくり、徳をみがくことです。

 王様がみてきたように、敵国が国民を季節かまわず使役し、農業によって父母を養うことを不可能にし、父母が飢え寒がり、一家の兄弟・妻子が分散している状況で、だれが王様に抵抗することがあるでしょう。仁徳にあふれる政治に敵するものはないということです」。4(5)

 国民を季節かまわず酷使すれば、国民が飢え、国民の一家が離散して、国が亡ぶとしているのです。敵国から守ることは、国民のために、為政者が暮らしを保障して、豊かにしていくことだというのです。

 孟子の14巻の最後では、仁政にとって、最も重要なことが民を貴い人たちとみるかである。君子は仁政にとって、軽い位置であるということです。仁政は、民を中心として政治を行うことになるのです。君主は政治において最も軽い立場ということです。

 「政治にとって、もっとも重要なことが人民ということで、土地や穀物の神が次で、君主はもっとも軽いとうのです。だから、君主は、衆民の人望を得るために努力することだというのです。諸侯や大夫ではないとするのです」。3(14)

 君主は民衆から人望をえることに努力し、諸侯や大夫ではないという指摘も興味あることです。為政者は、まず自分の側近や自分を支えてくれる有力から信頼されるようにするのが、現代ではみられます。民衆への距離はずっと遠くにあるのです。民衆と接触するのは、選挙のときだけです。

 

(2)仁政は国を豊かに強くする

 

 孟子は、仁政を実施することによって、士官する人が増え、大様の領土で耕作を希望する農民も増え、商売人は、大様の市で商売をするものが増え、旅人も大様の領土の道筋を通る人が増えていくというのです。まさに、仁政が国が豊かにするというのです。

  「王様が法令を発布して仁政民に仕事を与える政治をすることを強調するのです。そのことが国を強くするということです。軍事力ではなく、仁政による王道を歩むことが多くの民が集まり、国を強くを実施すると、士官するものが王様の朝廷に立ってつとめたいと希望します。農耕に従事するものは、王様の田畑で耕そうと希望し、商売人はみな王様の市場に商品を納めるように希望し、旅人はみな王様の領内の道筋を通ろうと希望し、天下の君主に不平をいだくものが、みな王様のもとに訴えを出すように希望します。

 決まった生業がなくて、決まった心をもち続けるのは学問のある士だけです。一般の人民になると決まった生業がないと、決まった心がなく、すぐにぐらぐらする。こころがぐらつくと、気まま、かたより、道をはずす、身分にすぎた贅沢など、なんでもやりないことがないほどになります。

 このように罪を犯すようになってから追っかけて刑罰に処するということではなく、名君は人民の生業を整え、父母につかえ、妻子を養うに充分に豊年には腹いっぱい食べ、凶年には死亡を免れるようにすることです。これが仁政の根本です。

  農家各戸に5畝に桑をうえて、老人に暖かい絹をきせられるように。鶏・豚・犬の飼育にあたって繁殖の時期を失わせないように注意すれば老人に肉を食わせることができるのです。農家各戸に百畝の田畑の耕作に支障のないように課役の季節を制限すれば8人の家族の食糧に困ることはないのです。

  軍事力だけで中国を統一することは困難である。王道によって、人民の生活を安定させ、その善政を聞き伝えて、外国の人民・学者・商人が移住してきて、国力が増大して、自然に敵国に優位にたって、天下を統一することができるというのです」。6(7)

 孟子は、民に仕事を与えることは仁政として重要であるとするのです。様々な仕事が国を治めていくうえで必要とするのです。それを積極的に安定的に作り出すことが大切としているのです。仕事がなければ心がぐらつき、きままになり、道をはずすし、罪を犯すようになるのです。刑罰を処することを重視する前に、仕事を積極的に与え、作り出すこととのべるのです。

 

(3)仁政における社会的役割分業と農村共同による井田制の提案

 

  孟子は第5巻でも人民が仕事をもつことの重要性を指摘しているのです。仁政を進めるうえで、農地改革として具体的な井田制を提案しているのです。それは、農村共同体のもとに、田地の区画で、9つの区画をつくり、中央の公田と8つの区画の私田です。

 8家族が公田を共同耕すというしくみづくりです。そして、統治する大人の統治される小人の仕事も区別し、さらに、あらゆる職人の仕事を分業させてすることを大切にしていくことを提案しているのです。

 「人民の生き方として、すべて一定の生業をもたないものは一定不変の精神をもてません。一定不変の精神をもてないと無類放蕩、悪事のかぎりをつくし、犯罪をおかすようになります。賢君は、必ずまじめに仕事をし、むだ使いをせずに、臣下に対して礼を失わず、人民から税を徴収するのに定めによって限度を超えることがあってはなりません。

 仁政の実行は田地の区画から手をつけなければなりません。区画が正確でないと井田が大小等しくなく、禄の上りが公平でなくなります。そこで、暴君は心きたない欲ばりの役人たちは必ず区画をいいかげんにするでしょう。区画がいったん正確になると田地を割り当て、禄を決める仕事がすわったままたやくでき上るでしょう。

 都に住む貴族つまり君子がいなければ、野に住む百姓を治めるものがいなくなり、百姓がいなければ、君子の食物を供給するものがいなくなります。野の地区は九分の1の税を納める助法によらせる。都市に住む者は十分の1の税を自ら申告させて納める。

 大臣以下の官吏はみな佳田(けいだん)を供せられる。佳田はひとり50畝、未成年25畝。郷の田で同じ井に属する者は、平時には出る人も入る人も仲間となる。戦時は互いに助け合って、百姓とみな親しみ合い団結する。

 百姓は、900畝の井田に9つの区画で、中央に公田と8つの家族にそれぞれ100畝の私田を設けて、公田は、共同で耕すように提言であった。孟子の井田制の農地改革案は、大地主の反対もあり、簡単なものではなかったのです」。1(3)

 孟子は積極的に農地改革の理想を提言するのでした。しかし、当時の中国では大地主のこともあり、難しいことであった。孟子は農村共同を基礎にしての民の農民を中心とした理想社会を描くことになったのです。

 孟子は、理想社会を積極的に為政者に提示して、その仁義をもって努力することを強調したのです。まずは、理想社会を具体的に描きながら仁政を具体的に進めていくということです。当面の実利から、それも自分を支ええくれる利益集団から施策をねろうとする現代の政治家は、孟子からも大いに学ぶ必要があるのではないか。

 孟子は統治する君主の役割を重視しているのです。統治者は社会にとって重要な役割を果たすとしているのです。また、民の中心としての農民ばかりではなく、官吏や職人の社会的機能も大切にしているのです。

「天下を統治する大人の仕事もあれば、統治される小人の仕事もある。一個人が生きてゆくにはあらゆる職人の製品が必要である。もしすべて自分で製造して使用すれば、それは天下の人をつねに道路に走り回るように疲労させてしまう。

 頭脳を動かすものもあれば、肉体を動かす者もある。頭脳を動かす者は他人を統治し、肉体を動かす者は他人に統治される。人に統治されるものは、他人を食べさせ、他人を統治されるものは、他人に食べさせられる。これが天下の道理である。

 昔の堯帝の世に、洪水が川筋を超えて、いたるところにあふれ、草木はのび茂り、鳥獣は繁殖して、穀物は実らず、鳥獣の足跡が中国の地に入り混じった。このために治山治水事業をした。草木に放火して鳥獣をはらった。

 9つの河の水を通しやすくして、海にそそぐように、汝水や漢水の河を開き、排水をよくして河の流れをよくしたのです。揚子江一帯の河川での灌漑用水の開発をしたのです。これでやっと中国の民が穀物を植え、食物が得られるようになったのです。

 そこでは、人民に農業を教え、穀物を栽培させ、穀物が実るようになったから人民が長生きできるようになったのです。人間の人間たるゆえんはどこにあるのか。腹いっぱい食べ、暖かい衣服を着て、快適な家に住んでいても、教育がなければ鳥獣にかなわない。

人間の間には倫理を教え、父母の間に親愛があり、君臣の間には道義があり、夫婦の間には男女の差別があり、長幼の間には順序があり、盟友の間には、信義があるようになった。帝は、どこに耕作する暇があろうか。百畝の田地の憂いとするのは農夫である。

 他人に財物を分け与えることを恵といい、他人に善を教えるのを忠といい、天下のために人材をみつけるのを仁という。天下を他人に譲ることはむしろたやすく、天下のために人材を見つけ出すほうがむずかしい」。2(4)

 農民は農耕をして食糧生産をして国の人々が食物に困らないようにするのが仕事です。君主は国を統治するのが仕事です。食糧生産を安定に確保するために灌漑用水事業をすることも君主の仕事です。職人は、それぞれの商品をつくるのが仕事です。人は、それぞれの役割があるというのが孟子の見方です。

 矢をつくる職人と鎧をつくる職人とは、どちから非人情的なのか。矢はひとを殺傷することがあります。しかし、矢をつくる職人は人を殺傷することには、心配しているのです。鎧をつくり職人も同じように殺傷されないか心配しているのです。この問題について、孟子は、職業選びは注意しないといけないとのべているのです。

 「矢を作る職人が鎧を作る職人よりも非人情なわけではない。それに矢を作る職人は、作った矢が人間を負傷させれば大変だと心配し、鎧を作る人は、鎧を着る人が負傷しては大変だと心配する。人の命を助けようとする巫と、死人の棺桶を作る大工との関係もこれと同じである。だから人間が職業を選ぶときは、よほど注意しないといけない」。第3巻3(7)

 就職について、孟子は語ります。貧乏のため、生活を得るためはしかたのないことだ。生活のための職は、高い役を辞退して待遇の悪いところにつくことがよいことだと。低い職で高遠議論をするのは越権行為になるが、高官は、自己の主張を実行できなくて、職務怠慢があるのです。

 「就職は貧乏のためにするものではないが、時々貧乏のために就職することがある。妻をめとるのは父母に孝養をつくしてもらうためではないが、時々は父母に孝養をつくすためということがある。これと同じである。

 貧乏のために就職するものは、高い役を辞退して低い役につき、待遇のよい職を辞退して待遇の悪い職につくのがよい。低い職について高遠な議論をすれば越権であるといわれ、高官として一国の朝廷に、ありがちな、自己の主張を実行できないものは羞恥になる」。10巻2(5)

 貧乏のために職業につくときに、誰でも高い給料、待遇のいい職場、安定している地位を求めるのが一般的ですが、孟子は、あえて、高い役や待遇のよい仕事を辞退せよと言っているのは興味深いことです。人間の欲を抑え、仏教的な小欲知足を求めているのか。むしろ、食べていくということに中心においた方がいい結果を生むということを意味しているのか。

 近代社会では、立身出世ということで、個々が高い給料や地位を求めて努力することが奨励される社会風土になっています。立身出世の競争を強いているのが現代です。そこに、国民のなかに、少数の勝ちぐむと多数の負け組をつくりだすのです。

 孟子の「高い役を辞退して低い役につき、待遇のよい職を辞退して待遇の悪い職につくのがよい」という言葉をどう現代に生きるものとして理解していくか。それぞれの社会的役割を大切にしている孟子ですので、貧しい人々が、低い役につきながら、日々、努力して、その仕事を立派なに行い、それが社会的に役割をしていると評価されて、一歩一歩大きな仕事についていくということになっていくのか。

 

(4)仁政と反省

 

 第7巻で仁政を行っていくうえでの人がついてこないとき、仁愛にいたらぬことがなかったか、知恵がどうであったか、敬意の表し方、自分の行為すべて反省をすることの重要性を孟子は次のようにのべています。

 「他人を愛しているのに親しまれないときは、自分の仁愛にいたらぬ点がなかったかと反省する。人を治めて、治まらないことは、その知恵を反省せよ。他人に敬意を表しているのに、答礼されないときは、敬意の表し方にいたらぬ点がなかったかと反省する。すべて自分の行為が思いどおりにゆかなかったときは、いつも自分のやり方を反省する。自分の行いが正しければ、天下の人がみなついてくる」。2(4)

 自分が仁政をしているから、人々から信頼されるということは当然だという感覚では為政者としてのリーダーの役割を果たせない。人がついてこないのは、相手に問題があるということからではなく、自分自身に問題があるという反省が常に必要であるということを孟子はのべるのです。

 為政者が天下を失うことは人民から信頼されないことによって起こるというのです。天下を手にいれるのは、人民の心を手にいれることだと孟子はのべるのです。天下を失ったのは、人民の心がついてこないということです。

 「天下を失ったのは、人民を失ったからである。人民を失ったとは、人民の心を失ったことを意味する。人民の心を手に入れる方法は人民の希望するものを集めて、人民のいやがるものをおしつけないことである。」。4(9)

 人間としての善なる行いをしていく保障は、常に反省することであるとうのが孟子の見方です。まごころは、何が善であるかをしることからはじめることと孟子はのべます。

「自分で反省してまごころがこもっているようになるには、何が善であるかを知ることである。まごころこそ、自然の原理、天の道である。まごころをこめようと努力することは、人間の原理、人の道である」。6(12)

 何が善であるのかということを常に求めていくことは、自分のまごころの鏡になることになるのです。孟子はいつわりのない真実の誠の心を仁政にとって大切としているのです。

 

(5)臣下の君主への仁徳と人の和

 

 君主の過ちをそのまま実行する臣下は、まだ小さいと孟子は語ります。君主にこびる方が、罪がずっと重いということです。

 「君主の過ちをそのまま実行に移すのは、罪としてまだ小さい。君主にこびて過ちをさせるように仕向けるほうが、罪はずっと大きい。現在の大夫はみな君主にこびて過ちをさせるように仕向ける。だから今の大夫は、今の諸侯の罪人だというのである」。12巻1(7)

 君主にこびるのは最も悪いことであるという孟子の指摘は重要なことです。君主自身も臣下がこびるだけでは、客観的に助言をもらうこともできず、実行したことの真実も見えなくなるからです。君主自身が臣下がこびっているのかどうか常に判断が求められているのです。つまり、よい部下とはこびることではないという自覚が必要なのです。 

 さらに、君主に仕える臣下は、主君のために領土や国庫を広げるためではない。人民の賊といわれる臣下であってはならないと孟子はのべるのです。戦えば必ず勝つという臣下は、暴君の手助けをするものだと孟子は言うのです。

 「現在の君主につかえる者はみな、「私は主君のために領土をひろげ、国庫を充実します」という。これが現在のよい臣下なのだろうが、昔はこれを人民の賊とよんでいた。君主は道徳をもととする道に向かわず、仁徳を志さずに、ただ財貨を求める。その君主を富ますのだから、かれらは夏の暴君の桀(けつ)をふまそうとするようなものだ。

 かれらは、私は主君のために同盟国をつくり、戦えば必ず勝ってみせますという。現在のよい臣下を昔は賊とよんでいた。現在の君主は道徳をもとうとする道に向かわず、仁徳を志さずに、ただ戦力に力を注いでいる。かれらはそれを助けるのだから夏の桀王の手助けをしているようなものだ」。12巻、2(9)

 臣下は、君主に仁義に向かわせるように補助することが本来の仕事なのです。最も大切な力は人の和であるということを次のように孟子は語ります。

「天の時は地の利に及ばない、地の利は人の和におよばない。「国民を国境によって制限することは不可能であり、国家を山川の険しさで守ることは不可能であり、天下を武器の精鋭さによって威圧することも不可能だ。道理にかなったものには援助するものが多数で、道理にそむいたものには援助するのが少数である。極度に援助の少ないものからは、親戚さえもそむきされる。極度に援助の多いものには、天下もこれにしたがう」。第四巻、1(1)

 道理にあっていない君主には人々はつかないし、国は衰えていくのです。国を守っていく大きな力は、人の和ということです。孟子は、人の和を最も大切にしていることも特徴です。

 

(6)仁政の為政者は民と共に楽しむ

 

 孟子は第2巻で、王に一人で音楽を楽しむよりも人民と一緒に、みんなで楽しむことを奨励しているのです。その心で政治をやれば、仁政ができるというのです。

王にむかって、「ひとりで音楽を楽しまれるのと、他人といっしょう音楽を楽しまれるのとどちらが楽しいでしょうか」。「少数の人と音楽を楽しむのと多数の人と音楽を楽しむのとどちらが楽しいでしょうか」。「人民は鐘、太鼓の音、笙(しょう)・簫(しょう)の音を聞いて、いっせいに頭をいため、顔をしかめて「われわれの王様は、音楽を好まれるあまり、どうしてわれわれをこんな羽目に陥しられるのか。

親子が互いに会うこともできずに、兄弟・妻子も分散することになるのか」れるのか」と語り合う。一緒に人民と楽しまれないから言われるのです。王様が人民と一緒に楽しまれたら、真の王様になれるのです」。1(1)

 人民と一緒に楽しむことができる君主が、民の心を知っての仁政を行うために、必要なことです。人間だれでも生きていく余暇の楽しをもつことが幸福感を充実させるひとつです。音楽などもそのひとつです。この楽しみを民と共に行って、民の心を知り、民とともに喜ぶ合うことが仁政にとっても必要としているのです。

 ところで、才能のすぐれた臣下をとりたてるのも民の意見が大切と孟子はのべるのです。そして、王自ら調べて、判断していくことの重要性を指摘するのです。

 「才能のすぐれた臣下をとりたてるときに、側近のものがその男をすぐれているから、また、高官たちがその男がすぐれているかではなく、都の市民たちが口をそろえてすぐれているからといい、しかもその男をよく調べて王様さまが、その男をすぐれているとみきわめて、任用するがよいとしているのです」。2(7)

  ところで、君主の本当の楽しみとはなにか。それには、天下の王になることではないとしているのです。その楽しみは父母が元気、兄弟が息災であること、恥じる行いをしていないこと、英才を集めて教育をすることであるとしているのです。

 「君子には三つの楽しみがあるが、天下の王になることは、その中に含まれない。父母が二人とも存命で、兄弟が息災で暮らしていること、それが第1の楽しみである。上を向いて天に恥じる行いをしないこと、それが第二の楽しみである。天下の英才を集めて教育すること、これが第三の楽しみであるが、天下の王となることは、その中に含まれないのだ」。13巻6(20)

 君主の楽しみは領土を拡げ、天下をとっていくことでは決してないという孟子の指摘は、実に見事な意見です。果てしなく拡大していく企業規模の拡大を夢として、世界を越権する現代の多国籍企業から大企業から中小企業までの経営者にとっての野心は、大きくなっていくということに幸福感、達成感をもつようにみれます。

 政治家もトップになること、首相になることが夢ということの野心をもつものです。大事なことは政治家であれば、国民のために何をしたいのか。どんな未来像をもっているのか。どのような政策を実現したいのかという夢が求められているのです。

 君主の楽しみはなにかということでの孟子ののべる三つの楽しということは現代的にも通じることです。人は、それぞれ社会での役割分担がります。自分に課せられたことは天命と思って、その社会的役割を果たしていくことではないかと。

 

(7)為政者の民への同情心

 

 孟子は、第3巻で、民の悲しみに同情する心をもって、政治を行うことをのべています。

 「人間だれでも、他人の悲しみを見すごすことのできない同情心をもっている。他人の悲しみに同情する政治を実行できれば、天下を治めるのは、まるで手のひらの上でころがすようなように自在にできる。

 今かりに、子供が井戸に落ちかけているのを見かけたら、人はだれでも驚きあわて、いたたまれない感情になる。子供の父母に懇意になろうという底意があるわけではない。地方団地や仲間で、人命救助の名誉と評判を得たいからではない。これを見すごすとしたら、無情な人間だという悪名をたてられはしないかと思うからではない。

 いたたまれない感情をもたぬ者は人間ではない。羞恥の感情をもたぬ者も、人間ではない。謙遜の感情をもたぬ者も人間ではない。善いことを善いとし、悪いことを悪いとする是非の感情をもたぬ者も、人間ではない。このいたたまれない感情は、仁の端緒である。

 羞恥の感情は義の端緒である。謙遜の感情は、礼の端緒である。是非の感情は、智の端緒である。この四つの端緒をもちながら、自分で仁義礼智を実行できぬというのは、自殺者である。自分の君主が仁義礼智を実行できないという人は、自分の君主の殺害者である。すべて、この四つの端緒を自分の内にそなえた者は、だれでもこれを拡大し充実することができる」。第3巻2(6)

 孟子は人間の持っている意志を重要と考えたのです。とくに、志を大切にしたのです。孟子は浩然という概念ということで、意志を保って乱れないように、気をむやみにはたらかせて傷つけないように考えたのです。意志と気の関係で、浩然の気として、孟子は次のようにのべるのです。

 

(8)仁政と法

 

 孟子は第7巻で仁政と法の関係についてのべています。仁政によって天下を治めていくには、政治制度、法律が必要というのです。ここでの法律とは、昔の聖王の仁政の道を法としたものです。

 仁政というのは、歴史的に積み重ねられて、後世の模範の道となっていくのです。現在の為政者の仁義ということの社会的な倫理感だけではなく、仁義と法律の両輪を孟子はのべているのです。

 「仁をもととする政治制度によらなければ、天下を泰平に治めることができない。現在、仁愛の心をもち、世間に仁愛のある君主という評判がありながら、人民がそのおかげをうけられず、後世に模範となるまでにゆかない。

 これは、昔の聖王の道、つまり仁政を実行しないからである。だから善意だけによって政治を行うことはできない、だだ、法律だけによって法律自体が実施されることはありえない。

 政治を行うのに、昔の聖王の道に従わない人は、知恵者とはいえないではないか。そこで、仁者こそ高位にいるべきだといわれる。もし、不仁の者が君位にいると、その悪徳を大衆にまき散らすからだ。上位にある者が道理にそむき、下位の者が法律を守らないと、朝廷に仕えるものは道理に疑いをもち、職人は尺度に疑いをもち、貴族は正義にはずれ、人民は刑罰にかかる行いをする」。1(1)

 

(9)孟子の人間論

 

 孟子は人間の欲望を肯定し、その欲望が個人主義の枠から脱して、広い社会的立場にたっていくことをみているのです。第2巻での「音楽は一人で楽しむより、衆とともに楽しむのがまっさて、その気持ちで政治をやっていけばうまくいく」ということや、第3巻6での他人の悲しをもたぬもの、羞恥心をもたにもの、謙遜の感情をもたぬもの、ざるいことの是非がわkらぬという、これら仁義礼智のもたぬもんは、人間としての自殺者であると強調するのです。つまり、人間ではないということになるのです。

 人間と鳥獣との違いは、ほんとわずばかりであるが、一般人はこの違いがよくわからないのです。君主はこの違っている点を保って、道義心、仁義の道をもっていると孟子は第8巻19でのべているのです。君主は、その道理を獲得して、仁政を施すのです。人間は生まれながら、良知良能をもって、それを自覚して、育てていくのです。

 8巻28では、君主は、仁義礼智をもって行い、自ら、それに反省していても無理難題を続けてもってくる人を「この人は狂人にすぎないだろう。こんなことをするのは鳥獣とまったく変わりないではないか。相手が鳥獣ならば腹をたてることはない」と。このような気持ちであれば、ある日偶然に起こる難儀も苦にしなくなるのです。それぞれが人間としての自覚があれば、天下の模範になっていくのです。

  孟子の人間論では、志をもつことの大切を浩然の気として重視しています。この気は、仁義からはなれるものではないとしていいます。それは、義の積み重ねによって形成されていくとするのです。さらに、浩然の気は養うことにつとめるのであるが、専念してはならないとします。それは、自然の理ではなく、外から手をかすからであるとするのです。

 「浩然の気というのは、何物よりも大きく、どこまでもひろがり、何物よりも強く、ちっともたわみかがむことなく、まっすぐに育ててじゃまをしないと、天地の間にいっぱいになる。また、この気というのは、義と道とから離れることはできない。

 もし分離すると飢えて気は死んでしまう。浩然の気は、義をおこなったのが積み重なって発生したものであり、義が浩然の気を突発的に取り込んだのではないのである。人間の行いが義にかなわず、心を満足させないと、浩然の気が飢えて消えてしまう。

 浩然の気を養うことにつとめなければならないが、それだけに専心してもいけない。そのことを心から忘れてもいけない。外から手を貸して、無理に生長させてはいけない」。3巻1(2) 

 人間は本性的に善であるというのが孟子の考えです。なにが善でるかを知らないとまごころが生まれないと次のようにのべるのです。

 「なにが善であるかをあきらかに知らないとまごころがこめることができない。そこから生まれるまごころは自然の原理、つまり、天の道である。まごころがほんとうにこもっていれば、道の道である。まごころがほんとうにもっていれば、動かされない人がないはずがない」。7巻、6(12)

 孟子は人間は生まれながらにして、危機に瀕した人や困っている人に同情心なおの気持ちをもっているということで、性善説をのべるのです。孟子の人間論の根本です。さらに、孟子は、人間は学問しないのにできることがあるということで、生まれながらにしてもつ能力として良能をあげます。そして、親を愛する気持ちなど生まれながらもつ知っていることを良知とのべるのです。 

 君子の本心を守り継続していくには、仁と礼であると孟子はのべます。そして、そこには、君主の反省があるとしているのです。

 「君子は仁によって本心を保ち、礼によって本心を保つのである。仁ある人は他人を愛するし、礼ある人は他人を敬う。他人を愛する人は、他人もいつもその人を愛する。他人を敬う人は、他人もいつまでも敬うであろう。

 今ここに、自分にたいして無理なことをしかけてきた人があるとしよう。君主はきっと自分に反省してみる。自分が不仁であったのではないか。自分が無礼であったのではないか。こんな無理なことをどうしてしかけてきたのであろう。反省してみるとやはり仁であった。反省してみるとやはり礼を失っていなかった」。8巻10(28)

 君主は、無理なことをしかけられても、常に反省することをとおして、民にこたえていくのが孟子の考えです。

 人間の本性は善なるものであり、仁義礼智は生まれながらに素質ともっているのです。その自覚と、それを育てていくことの自覚がないことに悪の行動に走るというのです。孟子はこのことを次のようにのべています。

 「人の生まれつきの情からすると、たしかに善とすることができる。それがわたしのいう人の性は善ということである。悪をなすものがあっても、それは素質のせいではない。なぜならば、同情心は人間だれでももっている。

 羞恥心も人間だれでももっている。尊敬心も人間だれでももっている。同情心は仁であり、羞恥心は義であり、尊敬心は礼であり、是非の分別は智である。仁義礼智は、外部から自分に飾りつけたものではなく、自分が本来もっているものでありながら、ただ自覚しないために、悪を行うようになるのである」11巻、5(6)。

 人の心は本来的に一致していくというのが孟子の考えです。それが、できなのは、心の考える力を働かせないからです。

 「口は料理に関して同一の嗜好をする。耳は音楽について同一の鑑賞をする。目は人間の顔について同一の美感を感じる。人間の心にしても一致しないはずがない。では、こころが一致する点はどこか。それが理であり、義である」。11巻、6(7)

 心の役割として、考えることをしなければ、感覚器官が、動き出して、混乱していくというのです。理性的に判断していくということが感覚器官による人間の混乱から解放されていくのです。

 「耳と目の器官は考える能力をもたないので、外部にくらまされる。外部と外部が混ざり合って、耳目の器官を引き付けて混乱させる。心の器官は考える能力を備えており、考えれば対象をつかまえるが、考えないと対象をつかまえることができない。天がわれわれ人間に与えてくれた肉体のうちで、まずその大なるものこころのうえによって立つと、ちいさなものつまり耳目は、心を引き離すことができなくなる」。11巻、7(15)

 孟子の人間論は、生まれながらにして、素質として本来的に善であるということからの出発です。仁義礼智という社会的道徳も生まれながらにして、その素性はもっているというのです。人間はもともと人道主義的なものをもっているというのです。西洋的にみるヒューマニズムの思想は生まれながらにして、その素性があるというのです。

 人間は、本性的にもっている仁義礼智の素性を自覚しながら、理性を働かせていくことが求められるというのです。考える心の働きによって、人間は人間となっていくのです。感覚器官による混乱がおきるという孟子の指摘は、現代のように、マスコミやSNSの発達での大量の興味本位の情報があふれるなかで、複雑化した高度の組織化されている社会を理性的に判断していくことは難しくなっています。感覚器官という五感による混乱が一層に大きくなっているおではないかと考えられるのです。