社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

財務省の森友公文書改ざん問題と日本の民主主義危機

財務省の森友公文書改ざん問題と日本の民主主義危機
      神田 嘉延

マスコミは事実を正確に国民に知らせる義務がある。特定の利益のために誘導はないか。マスコミは民主主義社会の役割がある。 

 国会に提出した財務省森友学園に売却の決済書が実は改ざんされていたという大問題が連日に、テレビや新聞で報道されています。国有地の払い下げ価格が、大幅な値引きで、限りなく無償譲渡に近いということで、昨年から国会で問題になっていたことです。国会で議論されていたところの決済文書が、実はねつ造さていたということで、許しがたい行為です。
 さらに、土地の売却の極端な8億円の値下の根拠になった地中のゴミ埋設問題の疑惑も事実ではないトラックでの4千台分の搬送を森友学園側に口裏を合わをする依頼が財務省から森友学園側に行われていたことも判明してきています。国会での当時の財務省の理財局長の佐川氏は証人喚問で、刑事訴追のおそれということから、改ざんの真実を語ることがなく、安部首相夫人や政治家の介入はなかったことだけは、断定してしています。
 また、テレビ番組では、犯罪として裁けないのではないかという「政府よりの弁護士」は胸をはって声たかだかにのべています。1年以上も国民の代表機関の国家での森友や加計をめぐる財務関係の不祥事の疑いがもたれてきたのです。私物化がないか、公平性を保っているのかという議論は、続いてきたのです。その議論に素材になった決済文書が改ざんされていたということです。国会の公平性の議論をしていく業務を意識的に妨害している行為でもあります。

公務員は国民全体の奉仕者

「組織の思考が止まるとき」の著書で郷原信朗氏は、官公庁は「法令遵守」が最も適合しない組織としています。法令によって組織の業務遂行が行われ、権限が与えられ、その制約も課せられている形式的法令遵守の世界としています。通常は意図的に法令規則に違反することはしない。

 すべての公務員は、全体の奉仕者であった、一部の奉仕者ではないという憲法一五条の基本を犯しているのです。また、元財務省審議官、大学教授が出演して、国民の怒りをそらすことに政府よりのマスコミは必死になっているようにみえます。これでよいのか。日本の議会制民主主義は、どうなっていくのかという心配です。なぜ、このように政府よりのマスコミはなっていくのか。その良心はどこにあるのか信じられない事態です。

 忖度はないか

 森友問題も、加計問題でも忖度ということばが話題になった。直接に指示、命令していないが、上位者の意向を察して、具体的に上位者のために尽くす行為です。その忖度が、日本の官僚社会では強くなってきているというのです。

 忖度は、上位者の意向を、本人に確認することはありません。むしろ、気を利かして、上位者のために、どんどんやっていくのです。指示・命令を受けることはないにもかかわらず、推察して、上位者の意向のために行動するのです。

 忖度は、年功序列制の官僚組織の中で、立身出世で昇進していくことで意識状況で起きます。官僚は、裁量の範囲で、上位者の意向に最もふさわしい対応で出世していくのです。しかし、一般的に違法や不当な行為は、処分のリスクにつながるため、意図的にしないのです。

 年功序列制のピラミッド型組織で、内閣人事局に各省庁の幹部人事権が握られたことによって、省庁レベルの忖度から、首相や内閣府を中心として、それぞれの裁量権が位置づけられていくのです。より、行政機構の集権化がされていくのです。

 さらに、安部一強といわれるように、政治の世界も集権化されて、首相や内閣府への忖度が強くなっていくのです。忖度するようにと無言の圧力をかけられることも少なくないのです。
 「よろしく」のひと言だけで実質上強要することができる構造ができあがっているのです。よろしくの要求をのむわけにはいかない、そんなことをしたら不正行為に加担することになることも起きるのです。きっぱりと拒否することができずないのです。その勇気をもつことは、職場から疎外されていくことも覚悟しなければならないのです。

内閣人事局への人事権限集中の問題と人事権の民主化をどう進めていくのか

 安倍政権で平成26年4月11日に「国家公務員法等の一部を改正する法律案」が成立し、平成26年5月30日、「内閣人事局」という恐ろしい組織が設置されたことは官僚の世界の大きな変化です。人事権を、首相官邸に集中させ、首相の独断で官僚の上層部の人事を左右できるというものになったのです。
 
 国民のために、真面目に仕事をして、実績によって、昇進しようという官僚の倫理意識の構造も消えていったのです。いくら実力や実績があっても、ときの首相に嫌われたら自分の立場がなくなると不安意識が醸成されているのです。国民全体の奉仕者という公務員の倫理から外れて、ときの権力者の意向に従って仕事をするようになっていくのです。忖度をして、安倍首相の喜ぶ仕事で仕事になりがちになっていくのです。国家公務員の国民全体に奉仕する仕事を民主的に運営していく保障が、一層に困難になってきているのではないか。憲法15条の原則である「一部の利益に公務があってはならない」ということは民主主義国家の基本原理です。国民の代表機関の国会の機能も高めて、政治と行政との関係を総理大臣、内閣府ではなく、新たに創造していくことが必要です。

 現実は、官僚が、政治権力から独立して行政現場からの意見として、政治家にアドバイスをする立場は難しくなっているのです。首相のイエスマンになっていくのです。内閣人事局をつくり、国中の省庁をコントロールする仕組みを作りました。

ミルズの考える自由な知識をもった公衆と生涯学習の役割

 1950年代のアメリカの政治社会状況をみていた社会学者のミルズは「パワー・エリート」(下)の最後に上層部不道徳構造について書いています。そこで、上層部の不道徳は、大衆社会の本質といて、構造的な問題であると指摘しています。アメリカのかつてのエリートは、教養もあり、文化人であったが、今のエリート層は無知が支配して感情に根ざしているとしています。

 そして、ミルズは民主主義社会を取り戻すために、自由な知識のある公衆の必要性を力説するのです。
「精神が、自律的基礎をもち、権力から独立し、しかも権力にたいして強力に働きかけうる関係に立ったとき、始めて、精神は、人間関係の形成にその力を及ぼしうる。民主主義的な形でこれが可能となるのは、自由な知識ある公衆が存在し、知識人はその公衆に働きかけ、権力者はそれにたいして真に責任を負う場合においてのみである。現在では、そのような公衆公衆も、そのような権力者も知識人も、多数を制していない」。287頁

 ミルズは自由な知識のある公衆の存在の必要性をのべているのです。このためのお学校教育、生涯学習の役割が大切なのです。とくに、生涯学習という視点から、学校を卒業した社会人が、自由な知識をもった公衆になるための、あらゆる場所、あらゆる機会で学習できる体制が求められているのです。この際に、国民の暮らしを充実していく行政や政治をマスコミの正確な事実に即しての情報提供は不可欠であります。その情報が行政によって改ざんされていたり、公開がされていないということは、民主主義国家として、重大な問題です。

あらためて憲法国家公務員法から国民全体の奉仕としての公務を考える

  日本国憲法15条では、公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではないとのべられています。

 国家公務員法では、第1条「民主的な方法で、選択され、且つ、指導されるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ効率的な運営を保障することを目的とする」第96条「すべての職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない」。まさに、公務員の基本的な仕事は、民主的な方法で選択、指導され、国民全体の奉仕者として、公共の利益に全力をあげることを定められているのです。決して、個々の公務員は、国民の利益に向かっているので、特定の利益、権力者の統治者の支配利益に向いているのではないのです。
 今回の改ざん問題は、財務省の信用失墜行為です。国家の財政国有財産は国民のために公共の福祉を充実していくために大切な官庁です。
 国家公務員法99条・信用失墜行為の禁止「職員は、その官職の信用を傷つけ、叉は官職全体の不名誉となるような行為はしてはならない」。

虚偽公文書作成等罪
 公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、刑法154条、155条の規定の例によって処罰される(刑法156条)。公務員が犯罪の主体となる(身分犯)。
偽造公文書行使等罪
  刑法第154条から157条までの文書若しくは図画を行使し、又は前条第一項の電磁的記録を公正証書の原本としての用に供した者は、その文書若しくは図画を偽造し、若しくは変造し、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は不実の記載若しくは記録をさせた者と同一の刑に処せられる(刑法158条1項)。未遂も罰せられる(刑法158条2項)。