ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題
「ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題」
神田 嘉延
(1)ベトナムの社会経済の現状をどうみるのか なぜ出稼ぎしなければならないのか
ベトナムは、現在GDP成長率6.5%と高い。しかし、民族資本が育っていないのが現状です。この成長率は外国資本の投資によって成し遂げられています。
ベトナムは、2007年にWTOに加盟しました。外国資本の投資によっての経済成長が行われたのです。ハノイ、ホーチミン、ハイホン、ダナン等の都市に、外資系企業の進出がされたのです。外国資本は、安い労働力をあてにしているので、決してベトナム国民全体の生活を豊かにするためではないのです。むしろ、賃金を抑えるため長い期間、勤務をすることを好まない事例をみることがあります。ベトナム進出企業が働く人びとの生活を豊かにしていく社会貢献が求められるのです。
ベトナム貿易は先進国の開発輸入と同時に、世界の最大消費国になっているアメリカへの輸出が大きな比率を占めています。日本のベトナム投資は、政府のODAと総合商社の工業団地造成の大型投資によって行われています。
最貧国であったベトナムは、外国投資によって、2010年に最貧国から脱出したようにみえます。そして、都市部の一部に外国資本や不動産経営との関係で富裕層が生まれています。しかし、農村部では貧しく、貧富の格差が拡大しているのです。
ベトナムは、1975年に戦争が終結して、南北の統一によって政治的に独立しました。しかし、アメリカの20年におよぶ経済封鎖で、極貧の状態に国民はつきおとされたのです。
このような状態のなかでボートピープルや出稼ぎが増大していくのです。長い植民地と民族の独立戦争、アメリカ等の先進国の経済封鎖によって、民族資本が十分に育っていかない状態が続いたのです。
ところで、ベトナムには自立して発展する可能性をもっています。ベトナムの識字率は高く、国民は高い能力をもっています。 また、ベトナム北部では、伝統的に手工業が農村に発展し、手先が器用なことと、工夫していく産業文化をもっています。絹織物、刺繍、米の加工食品、高度な竹加工の花器・食器・照明傘、石像づくり、盆栽、家具、伝統大工、帽子、かごなど様々にあります。また、豊かな資源もあります。 ブログ「歴史文化の旅 ベトナム」参照
ベトナムのもっている技術や人材、地域資源を生かして、それらを現代に商品化して、十分に独立した経済の発展に活用できる場が与えられていないのです。最大の問題は、ベトナムに自立した資本がなく、国家財政も貧弱なのです。
(2)日本への出稼ぎ者のための日本語学校・斡旋業者の問題
韓国では政府が責任をもって外国人労働者を受け入れています。日本のように中間業者が入って、借金のことの斡旋、リベートをとるしくみではありません。日本大使館の大使もベトナム人の青年に、悪徳日本語学校や悪徳斡旋業者の問題を指摘しています。借金をしても、日本に出稼ぎに行けばすぐに返せるということで、多額の借金をして日本に行くのです。日本への日本語学校でもアルバイトにおわれる語学留学生が多いのです。
韓国では日常会話ができなければ入国することができません。政府として、きちんとした職業斡旋をするのです。日本では、国際交流基金という政府系の外郭機関が日本語検定試験を行っていますが、それ以外にも民間の団体が日本語試験をして、きちんとしたものになっていません。
実際には、日本に入ってくる多くのベトナム人は、ホーチミンやハノイなどの日本への研修機関と斡旋業者が結合したところに長期間に語学等の研修と称してとめおきがされて、出稼ぎ先の業者との面接を待つのです。
日本の受け入れの企業も、中間の斡旋業者をとおして、受け入れをするのです。そこには、多くのミスマッチがあるのです。悪徳業者は斡旋料が中心になり、出稼ぎ労働者に対する個別の指導は、なおざなりにされるのです。日本語ができなくとも人柄が大切と豪語する斡旋業者も多いのです。
日本語教育と称して、軍隊的な訓練の規律や言葉が横行しているのが現状です。日本への出稼ぎ労働者に対する語学教育をはじめとする教育は十分になされていません。教育学、教育心理学、日本語の構造をきちんと理解した日本語教育の教師養成などベトナムでの日本語教育の抜本的改善が急務なのです。教育学部などの教員養成などで外国人のための日本語教育の養成が求められています。
せっかくの日本語検定試験を国際交流基金が実施しているので、それを活用して、まずは日本語教育にとりくんでいるベトナムでの良心的な日本語学校、ベトナムでの大学での日本語学科・コースを支援すべきです。
国際交流基金試験の内容には、読む・書く力を正確にみるようにするたの検討の余地がありますが、まずは、きちんとした日本語教育の制度づくりが必要なのです。また、広く使われている「みんなの日本語」も丁寧語などをはじめ日本の文化が正しく反映されていななど、これでいいのかと問題がだされています。日本語教育の教科書検討も必要です。
失踪した技能実習生は2017年に2870人を厚生労働省は発表しています。失踪は「高い賃金を求めて」としていたが、実際は最低賃金以下で、低賃金のためと答えていたのをかってに都合よく厚生労働省は集計しているのです。
日本では最低賃金制度は全国で決められるのではなく、地方ごとに決められ、大都市志向が賃金の面からも拍車がかけられています。経営の困難性を低賃金に求めがちなところがあり、ヨーロッパ等では、全国一律の最低賃金が設けられていることが常識です。
最低賃金すら守っていないということが、技能実習生の失踪の原因です。失踪者は、賃金が低いという回答が3分の2ということで、最低賃金を守っていないということが野党の集計で明らかになっています。日本語ができないことから、訴えることもできず、その相談する機関もわからない状況です。日本語ができなことにより、無権利な状況におかれているのです。
入国管理局の外国人収容所においても過酷な人権無視の状態があるのです。2017年3月に25日に1週間強い痛みをもって訴えていたベトナム人青年に、職員は医師にとりあうこともせずに死亡するという事件が起きています。
さらに、5月に、収容所では、職員の対応が問題として、約2週間におよぶハンストに100名が参加したことが起きています。
(4)日本での深刻な労働力不足
日本では、介護・医療、建設関係、飲食業、農業・農産物加工、漁業・加工工場、金属・機械の等工場など様々な分野で労働力不足が深刻になっています。とくに、地方では、その問題が顕著になっています。
4月から実施される外国人労働者の受け入れ拡大で、多くの自治体で懸念がもたれています。雇用主に求められる生活支援や日本人と同等な報酬といったことが実施されるかということです。そことは、共同通信の2月10日の全国アンケートで明らかになったのです。外国人労働者問題の矛盾は、自治体にかぶり、人件費をおさえるために外国人を受け入れる企業もあり、日本人の賃金もさげる要因になることも予想されるのです。
地方において、安定的に外国人の労働力を確保するためには、積極的に賃金を日本人並にしていくことが求められます。それを実施して、日本人の労働者と共に働きやすい職場づくりをしている企業もあることも確かでです。企業として、日本語教育の支援をすすめ、実習がおわり、母国に帰ってから、将来の進路をじっくり考えて、大学にいくケースもいくつもみられるのです。
その内容は、プレゼンテーションをさせています。ナムディン省と宮崎県庁、南九州大学と農村の発展のための人材育成の協定を結び、宮崎県と南九州大学から専門の農業技術者、農業研究者が指導に入ってくれています。このつなぎ役にナムディン日本語・日本文化学院の教員や学生が果たしています。若者達は日本で学び、様々なアイデアを出して未来に向かっている姿があるのです。
ナムディン日本語・日本文化学院は、農村に子ども図書館を設置しています。これは、日本の進出企業に社会貢献として、図書館をつくってほしいという願いからです。ナムディン日本語・日本文化学院を支援してくださった鹿児島出身の企業経営者からの寄付による図書館です。ハノイやホーチミンで日本語学校をやると斡旋業者と絡んでもうかる業種とされているところが多いのです。十分な日本語教育よりも回転率をあげということで、短期間で実際は、日本語が出来ずに日本に送り出してるのです。このような学校から決別していくためにも設立当初から非営利の理念をかかげてベトナム教育省からきちんと認可を受けて運営しています。
鹿児島や宮崎で働いて生きがいを感たり、自分の将来にとって非常に有益であったということが必要です。鹿児島や宮崎で永住したいという希望もでてくることも大切です。政府は外国人労働者の確保で、移民政策をとらないとして、外国人に対する差別的な労働政策をとろうとしています。多様性と異文化の共生を可能とする条件づくりなどが欠落しているのです。外国人労働者を多く入れようとする施策に、家族と共に暮らすことも否定しているのです。外国人労働者に対する日本での人間的な生活の確保が必要なのです。
ベトナムの自立発展と生涯学習 (アジア・南太平洋の生涯学習シリーズ)
- 作者: 神田嘉延,関隆通,ファム・フー・ロイ
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子どもの虐待問題を考える- 野田市の児童虐待問題の悲惨さ
このアンケートを虐待している父親に教育委員会は渡すという信じられないことをしていたのである。また、児童相談所と学校との連携もせずに独断で教育委員会は父親の訴訟するという脅しにおびえて、要求にこたえるいるのである。2017年11月に学校のアンケートにより、児童相談所は、虐待の確認をして、一時保護をするが、親族のもとで暮らすことで解除する。
その後に学校の長期欠席が目立つようになる。学校は市の児童課に連絡したが、市の児童課は児童相談所に特別に問題がないと判断して、連絡をしていない。学校は直接に児童相談所に連絡をとるのではないというルールになっているという。児相は、1月21日に小学校での連絡で長期欠席の事実を知るが、死亡する24日まで対応はなかった。
この4日間に虐待件数が24件あり、相談も含めると77件である。一保護は28人で定員25名を超えている。直近1年の虐待受付件数1594件で非常勤を含めて児童福祉士41人、勤続年数3年未満が56%である。
児童の虐待件数は急激に増大しているのである。児童相談所が把握する児童虐待件数は、平成29年度133778件で、平成24年66701と2倍以上の急増である。 警察庁が、2018年に児相に通知した虐待件数は8万超である。実に5年間で2.8倍である。これは、2月7日の公表である。
2月7日に国連子ども権利委員会は、日本の子どもの虐待の深刻性について懸念を表明している。虐待防止の包括的戦略のために、子どもを含めた教育プログラム強化を要請している。虐待の調査と加害者の厳格な刑事責任追及を要請している。
学校を文書管理統制する教育委員会のあり方も含めて抜本的な改正が必要である。本来、子どもの教育の責任は学校にあり、学校は児童相談所と密接に連携し、ときには、子どもの最善の利益のために、家庭裁判所とかかわるときも大切である。
学校には、児童福祉の専門家が配属されているニュージーランドなど多くの国で教育と福祉の連携をしている。日本の学校教育制度では、福祉とのかかわりが大きな弱点である。これは、虐待問題ばかりでなく、子どもの貧困問題、非行問題も含めてである。
日本の学校教育では、教科指導と並んで生活指導が大きな柱になっている特徴があるが、それらは、教師だけの仕事としてされてきたが、児童福祉の専門機関との連携していくことがより一層に重要になっており、教員養成にも福祉の重要性についてカリキュラムも整備していくことが求められる。
この期間に厚生労働省が把握した事例は、虐待死事 例47例、49人。心中事例(未遂も含む)30例、39 人であった。虐待死事例は、6割が身体虐待であ り、ネグレクトは4割である。
虐待死事例で 48.9%が実母であり、心中事例は実母が56.4%で ある。 報告書では、望まない妊娠と出産の問題として 次のようにのべている。「これまでの報告におい て、主たる加害者で最も多い実母の妊娠期・周産 期の問題として、虐待死事例では「望まない妊娠 /計画していない妊娠」(以下「望まない妊娠」 という。)、「妊婦健診未受診」、「母子健康手帳未 発行」が多くみられたが、第7次報告でも同様の 傾向がみられた。
「望まない妊娠」の問題は虐待 死事例のうち11人(22.9%)になる。そのうち5 人(45.5%)は「妊婦健診未受診」及び「母子健 康手帳未発行」の問題にも該当していた。また、 3人(27.3%)は妊婦健診を受診しており、母子 健康手帳も発行していた」。 望まない妊娠ということから、妊婦健診の受診 をしていなかったのであり、また、母子健康手帳 の未発行ということで、生まれてくる子どもにつ いて十分な心の準備がされていないのである。望 まない妊娠・出産の問題を現代にどうみていくか。
かつても日本の歴史のなかで子どもの間引きの 問題があった。伝統的には、子どもを育てる経済的な力がなくて、間引きをしたのである。避妊の 方法や人工的な流産の方法が、発達していなかっ たために、家族計画が合理的にできなくて間引き が行われたのである。この間引きと同時に水子供 養の信仰があり、死んでいった子どもが神のもと に帰っていくということで、傷ついた女性の心を 癒やすための風習があったのである。
虐待死事例において、1歳未満の乳児の場合と 1歳以上3歳未満と3歳以上の場合では、加害の 動機も異なっていると報告書は指摘している。かつての貧困な農村の家族で子どもを間引きしたこ とと重ねてみると、一歳未満の子どもとそれ以上 の子どもの虐待死亡の事例とは、動機が本質的に 異なるとみられる。
報告書では「日齢0日が「子どもの存在の拒 否・否定」、日齢1日以上3歳未満では、「保護を 怠ったことによる死亡」、「泣きやまないことにい らだったため」、3歳以上では「しつけのつも り」の割合が高く、「保護を怠ったことによる死 亡」も複数みられた。 また、「保護を怠ったこと による死亡」(8人)では、自宅や車中に放置し 火災や熱中症によって子どもが死亡した事例のほか、必要な栄養を与えないなどによって死亡した 事例がみられた」。
望まない妊娠での日齢0日の虐待では、子ども の存在それ事態を拒否する精神構造があるのであ る。3歳未満では、放任・養育放棄ということで 保護を怠ったことによる死亡事例が多い。 3歳以上になるとしつけのつもりとして、感情 的に暴力を振るうことが多くなっていく。報告書 では「「しつけのつもり」(8人)について加害者 の内訳をみると、実父3人、継父2人、両親2 人、実母の交際相手1人であり、「子どもが反抗 した」、「おねしょ(夜尿)に腹が立った」などが きっかけとなっていた。子どもの成長・発達の過 程で見られる変化についての養育者の理解が乏し い。「しつけのつもり」として、感情に任せて力で 子どもの言動を制しようとする虐待は例年複数み られる」としている。ここでは、実父や継父など の事例が目立ってくるのである。
しつけのつもりで子どもを虐待している事例 は、子どもの人権そのものを否定し、子どもを自己の従属物としてしかみていない意識が根底にあ る。子どもに対する愛情を基礎に、子どもにも一 人の人間としての尊厳をもっている。このことの 意識が希薄な側面があるとこを見逃してはならな い。
3歳以上になると、実父や継父などが感情的に反抗したから、おねしょをしたからと暴力をふるって死亡させてしまうのは、自己中心性の男性 のもっている支配欲と結びついた暴力性である。 女性の場合は、感性的に我が子意識からくる自 然的な母性からの本能による子どもを守り育てようとするものが身についている。
しかし、男性の場合 は、目的意識的にならなければ、子どもに対する 愛情意識をもてない。家族を培って、愛情で結ば れた夫婦の関係で生まれた子どもには、父親は、 その基盤のうえに愛情を注ぎ、子どもの成長への 期待をはずませていくが、その心も目的意識性がなければ、生まれてこないものである。
ところで、虐待の子どもの家庭の経済状況は、 極めて厳しい状況である。報告書では経済状況と の関係で次のようにのべている。「実父母の就労 状況について「無職」の構成割合をみると、虐待死 事例で実母が50.0%、実父が16.1%、心中事例で 実母が40.0%、実父が15.4%であった。
特に実父 の「無職」の割合は年々高くなっている。家族の経 済状況について構成割合をみると、「生活保護世 帯」ないしは「市町村民税非課税世帯」は、虐待死 事例で27.7%、心中事例で13.3%と第6次報告よ りも高くなっている。
無職ということで、経済基 盤がなかったりするなど、貧困問題が子どもの虐 待に大きく関係している現実を直視しなければな らないのである。 心中事例は、加害者が「実母」である事例が多 い。ここにも無職や非課税所得層などの貧困層の 割合が高く、貧困問題が深く関係しているのであ る。
報告書では、「心中事例について加害者が「実 母」である事例は17例(22人)、「実父」である事例 は10例(14人)であった。死亡した子どもの年齢 別に構成割合を見ると、主たる加害者が「実母」 である割合は6歳未満まで高く、1歳未満の心中 事例の60.0%、1歳以上3歳未満の75.0%、3歳以上6歳未満の61.5%であった。
6歳以上では 「実母」、「実父」がそれぞれ47.1%と同じ割合で あった。 実母が子どもの虐待の加害者となっている場合 は無職である場合やパート就労という低所得であ ることが指摘されている。このことについて、報 告書は次のように指摘している。「加害者が「実 母」である場合の「実母」の状況は、年齢は平均 36歳(26~48歳)、就労状況は無職が8事例、 パート就労が4事例、不明が5事例であった。ま た、ひとり親(離婚・未婚)は6事例で、うち5 事例は無職あるいはパート就労であった」と。
母 子世帯など、無職やパート就労などで厳しい経済 状況に置かれて、生活苦が重くのしかかって将来 の展望も描くことができず、絶望になって心中に 陥るケースが多いというのである。 「子ども虐待による死亡事例等の検証結果」の 専門委員会の第6次報告書(平成20年4月1日か ら平成21年3月31日)までの事例は、死亡事例は 心中以外が64例、67人であり、死亡した子ども (心中以外)の年齢別では、0歳児が39人(59.1 %)と最も多く、うち0か月児が26人(0か月児 の66.7%)と集中している。
この報告書では、ア ダルトチルドレンの問題や過去の虐待を悩まされ ていることがみられると次のようにのべている。
「機能不全家族で成長したと自覚するアダルトチ ルドレンの問題や過去の家庭環境における虐待の 記憶やイメージ(心像)に悩まされ続ける人の問 題にも関係してくるが、虐待による後遺症的な副 作用を簡潔にまとめると『自分の存在や行動に自 信が持てなくなり、他人を信用できなくなること によって、通常の日常生活や対人関係を送ること が極めて困難になる』ということである。・・・ ・・児童虐待とは精神的・社会的に無力な子ども から『心身の疲れを癒せる物理的な居場所(家 庭)』を奪うだけでなく、『精神的な安全基地とし ての家族関係』をも奪う行為であり、その後の子 どもの精神発達過程や対人関係の能力に好ましく ない影響を及ぼす危険が高い」と分析している。
児童虐待は、家庭の愛護のなかで子どもが豊かな 環境のなかで育つ場を奪うだけではなく、子ども の精神的発達や対人関係の成長を奪っていくことを指摘している。 虐待のなかで育った子ども、アルコール依存の なかで育った子ども、夫の家庭内暴力のなかで 育った子ども、絶えざる夫婦喧嘩のなかで育った 子どもは、大人になって虐待をする確率が高くなっていく。
子育てをしていく家庭の役割が機能不全で成長 した大人は、アダルトチルドレンとして、本来的 に人間的に成長していくことができずに、人格的 に様々な問題をもって大人になっていくのであ る。
過去の家庭環境の劣悪さは、子どもの虐待を 惹き起こす精神的な問題の確率を高くしているの である。 つまり、虐待の家庭で育った子どもが大人にな ると、虐待を起こす確立が高くなっていくという のである。虐待は子どもの人格形成に大きな影響 をあたえていく。子どもに対する深い愛情をもて ずに、感情的にしつけや教育と称する虐待は、人 間的に子どもが成長していくうえで、大きなマイ ナスになっていく。
子育ての家庭機能を奪っていく貧困化は、子ど もの人格を破壊していく要因をつくりだす。医師 で幼児教育に力を入れたイタリアのモンテッソー リは、どんなにひどい状態で逸脱して発育した子 どもでも一人の人間として成長していけるように と、虐待を受けた子どもでも人間的に成長できる 可能性をもつとしている。
地域主権国家と明治の中央集権化の再検討
霧島山系は、豊作祈願や自然を大切にする山岳信仰、神仏混合の六所権現などが古代から江戸時代まで存在していた。霧島山系は、大伽藍地域であったのである。この地域は、明治維新期に廃仏毀釈の嵐が吹き、仏教的要素の文化は消えていった。ここでの仏教と結びついていた豊作祈願や自然信仰、神仏混合の文化の偶像がことごとく破壊された。
現代の地域主権国家の構築には、日本の明治維新以来の中央集権国家体制を見直すことでもあり、1500年以上続いてきた神話の伝統文化をもつ地域から再検討することが必要である。日本の神宮などの伝統文化と称していることが、実は明治以降の祭政一致の国家神道からつくられた側面があることを見落としてはならない。明治維新によって破壊された日本の伝統文化は、偶像物としては消えたが、地域の民衆の伝統行事や心のなかに今でも深く生きている。
明治維新は、幕藩体制の自治的な村落の暮らし、藩による地方政府的しくみから、中央集権的国家のしくみに変えていった。明治維新による中央集権的国家体制は、1889(明治22)の大日本帝国憲法の成立によって確立したのである。翌年、集権的な国家の精神を教育によって成し遂げようとする教育勅語が発布された。これにさきだって、1888年(明治21)年に市制・町村制の制定がされ、地方は、中央集権的な国家体制にくみこまれていく。
明治維新の中央集権国家体制づくりは、王政復古の大号令とともに、廃仏毀釈による国家神道への道である。さらに、学制による中央集権的な学校制度の普及であった。中央集権国家による地方制度の確立過程は、廃藩置県、大区小区制、地方三新法、市制町村制までの近世行政の解体施策からはじまる。
廃仏毀釈の徹底は、地域的に大きな差があった。薩摩藩の地域では、寺の破壊が徹底して行われ、歴史的な貴重な文化財が失われていった。霧島の天孫降臨の高千穂峰にあった神仏混合の文化は、廃仏毀釈によって完全に失われた。
明治の維新政府の中央集権的な施策に対する地方からの抵抗や民衆の下からの民主主義を求める運動は、日本の近代化の中央集権の問題を考えていくうえで、大切なことである。日本の地方や地域、民衆の暮らしとの対抗関係を持ちながら、中央集権化していったのである。
下級武士から明治新政権の山形県、福島県、栃木県の県令(知事)を歴任し、警視総監になった薩摩藩出身の三島通庸は、増税や労役賦課、寄付金強要を実施した名物県令であり、批判に対しては弾圧一辺倒であった。戊辰戦争等の功績により、下級武士から新政権の重臣として、国民弾圧の官僚を直視しなければならない。
鹿児島のように明治維新を担ったところでも近代化の過程では、二つの側面があった。地方を重視する西郷隆盛のように、明治2年、3年と鹿児島に戻り、藩政改革、県治に重点をおき、また、明治6年の政変から再び鹿児島に戻り、西南戦争まで、鹿児島の地域振興、県治に力を注いだ明治のリーダーを重視することは大切である。
鹿児島では政府の家禄処分策を西南戦争後までは受け入れなかった。それは、下級武士にとって極めて厳しいものであったからである。新たな仕事を見つけない限り、土方人足の日給24銭よりもはるかに低い日給8銭の収入といわれたほど、人間的に暮らせるものではなかったのである。
明治維新政府にとって、封建的な幕藩体制や身分制度を廃止し、新たに四民平等をはかっていくうえで、武士の秩禄処分は大きな問題であった。下級武士の生活をいかにして保障していくのかという大きな課題があったのである。
もう一方は明治維新によって、中央政府に入った動きである。大久保利通のように、中央集権国家体制づくりに専念した潮流とがある。大久保は、祭政一致による絶対主義的な天皇制の官僚機構を整備し、さらに、維新に貢献した旧藩主を優遇した秩禄処分による新たな大資産家づくりをした。巨大な華族銀行の創設、政商による財閥づくりの側面とがある。
つまり、上からの維新政府の施策によって、中央集権的な体制が一方的につくられていったのではない。つまり、民衆の地域のくらしや抵抗との関係で、それを懐柔し、弾圧する過程のなかで中央集権化が進んでいったのである。
明治6年の政変で下野した板垣退助などが民撰議院設立建白書を明治7年1月に政府に提出したが、その後に板垣退助等は、維新政府のなかに、組み入れられていく。明治8年に参議に復帰し大阪での第1回地方官会議に参加する。地方民会の議論になるが、公選民会をしりぞけ、区戸長民会となり、板垣は、間もなく辞職して自由民権運動を推進する。
国家神道は、宗教概念からはずして、民族的な精神としたのである。国家神道の形成過程のなかで、廃仏毀釈の嵐が起き、さらに明治の地方改良施策のなかでは、神社の合祀が積極的に行われた。日本の伝統的な地域の暮らしの精神文化が、この過程のなかで破壊していったのである。
村の鎮守を守ったのは、地域の暮らしの文化を大切にした民衆である。村の鎮守さま、地域の氏神さま、地域の田の神信仰、山の神信仰、水神信仰などは、中央集権的な国家神道との論理とは別であり、それは、地域の暮らしの文化の論理である。
地域主権とは、伝統的に培ってきた地域の暮らしの文化を尊重することである。真に日本の伝統文化を尊重することは、決して明治の祭政一致の伝統文化と称する中央集権国家体制の文化ではない。日本の全国各地に存在する多様な地域文化を尊重していくことである。地域主権の国家の精神を豊かにしていくためには、明治維新によって、破壊された地域の伝統文化を、もう一度再興してことである。それによって、地域の暮らしの文化を豊かにしていくことができる。
地域主権国家とは、人間にとって地域で文化的に豊かに暮らせることが基本である。そこでは、地域での基本的な人権の享有、地域の災害からの安全と平和の尊重、豊かな地域文化のもとで暮らせることが求められる。豊かな暮らしの文化には、その地域で培われてきた伝統的な文化の尊重が不可欠であり、その伝統文化には、その地域の暮らしの歴史の重みがある。古代からそれぞれの地域には文化が蓄積されてきたのである。
地域主権国家とは、地域で自己完結していく地域ごとの独立政治を意味しているのではなく、地域で民主主義的に住民が参画できる政治と文化のしくみを構築していくことである。地域の暮らしや文化は、自然条件や歴史的な違いなどによって、多様性をもっている。全国一律的な基準によっては、地域の多様な暮らしの文化にはならない。
中央政府によって、国家財政の補助金の基準によって、地域の条件整備を行ってきたことは、地域主権の見方から大きく乖離してきた。地域主権とは、暮らしの範域に、住民の暮らしや文化、教育、福祉の統治権を積極的に認めていく国家を指すものである。
日本国憲法の主権在民という精神を地域のレベルまでおりて、憲法でいう基本的人権、とくに生存権・国の社会保障の義務、教育を受ける権利、教育の義務、勤労の権利、義務という国民の暮らしと文化の豊かさを地域で保障していく国家のしくみが、地域主権国家である。そこには、国民の幸福の実現を地域の暮らしのレベルで実感できるような国家の仕組みの創造である。
日本国憲法では地方自治の原則が定められている。国と地方公共団体の役割は、「住民に身近な行政はできるかぎり地方公共団体にゆだねることを基本として」としている。これが地方自治法の精神である。この精神を実現していくには、地方自治体の独自の統治権を認めていく財政的基盤の整備がある。この財政基盤の整備ということから、国家の財政制度のあり方が求められている。
自治区の事務所は、地方公共団体の長の補助機関である職員をもってあてることができる。そして、住民の意思決定や地域管理の地域協議会をおくことができるとしたのである。自治区が機能するためには、十分なる予算や適切な職員の配置を伴っていくことが求められている。
恵まれない地域を豊かに文化的暮らせるようにしていくためには地域の自立的発展が欠かせない。そのためには、学校教育や社会教育の整備という、そこに暮らす人々の自立的な諸能力の発展、創造的な地域資源や地域の人材を生かした地域づくりが求められている。教育の地域間格差は、大学の配置などに典型に現れている。
日本の大学は、東京や京都・大阪の大都市に集中している。地方大学が、極めて貧困な現状である。地域の人材養成や地域の資源の活用、地域の創造的な開発など地方大学の役割が大きい。
学校教育の体系が弱肉強食の競争主義原理をもちこみ、子ども達に画一的な偏差値教育をおしつけて、大都市志向や学校歴的学歴社会志向を強要して、地域の暮らしから遠ざかった教育になっている。
現代の央集権国家体制では、地域での国民の暮らしを豊かにしていくことが困難になっている。明治維新の地域での中央集権に対抗する様々な動きを現代的に再評価して、日本の近代化のあり方を歴史的に見直していく必要がある。明治維新によって、日本の近代化を志向した人々は、必ずしも中央集権的な国家を考えた人だけではなく、また、単一の日本の祭政一致の国家神道を求めたものだけではない。
つまり、地域の暮らしとの乖離が一層強まった。財政の側面から補助基準がより詳細になり、地域での福祉や教育行政、地域での産業や雇用など、現実の暮らしを充実させていくことよりも行政による基準に合わせての上からの指導が徹底されていく傾向が強くなっている。
ところで、地方分権の施策は、21世紀に入り、日本の国家のしくみの改革と大きな課題になっている。この地方分権の推進も全く異なる合い矛盾する視点から進められている。中央集権的な国家財政が膨大な赤字を抱えている。
その矛盾は、国家のしくみそれ自身が危機的な生み出す。このことから、効率的な行政、民営化ということで、市場原理によって、公共的な分野を転化する方法と、国民の生活の豊かさを地域の暮らしから充実させようと、地域からの主権在民、地域からの生活権の保障、地域からの基本的な人権の保障ということで地域主権国家を構築させていこうとする道とがある。
地域主権国家の道を求めていくうえでは、日本の明治以降の近代化による中央集権国家体制、官僚制度のしくみを抜本的に見直す時期にきている。この作業のなかで、明治以前の日本の伝統文化にみる多様性や地域性をみていく必要がある。多様性や地域性は、現代における価値観の多様性という個々人の利己主義に依存しての機能的な分散化、孤立化していく個人の尊重という意味では決してない。多様性を持ちながら、地域のなかで共同し、相互扶助し、地域のなかで人間の絆で結ばれていることで地域の協同
ここでは、住民の自治が最も尊重され、地域のなかで協同し、共に協力しながら働いていく社会をめざすものである。そして、伝統的に存在していた自然との共生、地域のなかで循環していく持続可能な社会を求めていくことである。
ここでは、複雑な高度に発達した市場経済による格差問題を直視しながらの地域の協同、福祉の実現をしていくことである。さらに、人類社会を破壊してしまうほどの専門的な科学技術のあり方を抜本的に巻が直す時期である。まさに、総合的に地域の人々の暮らしのなかで、持続可能な社会のしくみをつくっていくための高度な科学技術の必要性である。
平成20年5月から平成21年11月まで、地方分権改革推進委員会は、四次の勧告書をだしているが、第1 次勧告は、 生活者の視点に立つ「地方政府」の確立を提言した。ここでは、市町村自治体を地方政府として高めていく施策を積極的に、提言している。地方分権改革推進委員会は、従前の中央集権的な官僚制度に多くの矛盾が噴出しているという認識をもった。
国の行政は、国民の生活者の視点をおろそかにされてきた現実があると。政府の分権推進委員会は国民の生活をおろそこにしてきたことを認めたのである。それらが、社会保険庁の年金記録問題に典型的にあらわたという。
「社会保険庁の年金記録漏れ問題に始まり、新しくは道路特定財源の不明朗な使途や後期高齢者医療制度をめぐる混乱に対する憤懣と不満の噴出など、従来国の官僚の能力や資質に寄せられてきた国民の信頼は急速に低下している。そして、そこでの大きな問題として、これまでの行政、特に国の行政では、生活者の視点がおろそかにされていた」。
地域主権国家をめざすためには、自由に住民自治のもとに、生活を豊かにしていくための条件整備が必要である。そのための多彩な活動が求められ、それを保障していく地方財政基盤の確立が不可欠である。日本の国家が地域主権をかかげていくことは、地域での豊かな文化的な潤いをもった暮らしを保障していくためである。
国際平和の道徳教育ー日本と世界の平和観ー
神田 嘉延
人類は、古代国家から戦争を絶えず続けてきた。その都度、戦争の悲惨から人々は平和を願ってきたのである。なぜ、戦争を起こすのか。いつの時代も民衆の最大の為政者に対する疑問であった。
現代は、科学技術の発達によって大量破壊兵器が開発された。その典型が核兵器である。現代の戦争は、地球全体の破滅につながりかねない恐ろしさをもっている。核兵器の被害は、一瞬にして多くの人々を死に追いやり、何年も後遺症で苦しむことを起こす。戦争を起こさない世の中をどうしたらつくれるのか。それは、現代の人類の持続可能な社会をつくっていくうえで緊急の課題である。
戦争は国家、宗派、民族、地域の統治者によって引き起こされる。民衆は誰でも平和で暮らすことを求めてきた。
戦争は、個々の争い、憎しみの意識問題に還元できない。個々の人々の意志は、為政者、政治家の戦争動員、戦争協力のための世論づくりのなかで、本当のことをみることがおろそかにされた。
戦争は、国家、民族、宗派、地域の集団的なエゴが大きくある。民族排外主義のナショナリズムの醸成は、その典型である。
民主主義国家であるためには、戦争をしないように努力することが、基本姿勢になることが求められる。しかし、恐ろしいことに、仮想敵国を目的意識的につくり、防衛と称して、軍事力を強化してきたことが日本の現実である。戦争を誘発してきたことは何かを重視しなければならない。このことは、近代の歴史が証明した。国家として、どうしたら国際協調による共存・共栄の関係ができるか。
日本においては、道徳というと封建的な身分秩序を維持するための忠君愛国や国家に対する責務ということであった。それは、個人の尊厳を否定していく徳育思想であった。この徳育思想が、戦前に強く存在していたことを見落としてならない。それが、民族拝外の軍国主義的なイデオロギーと結びついたのが日本の歴史的事実であっ。
このような歴史的状況をもっていたことから、戦後は、道徳教育に、平和主義、基本的人権、民主主義的人格形成が大きな課題になった。
現代は、民族の伝統的な道徳文化を人類的な普遍的原理のなかで民族共生という国際主義のなかで、位置づけていくことが求められている。
学校での道徳教育の目標は、教育活動全体活動を通じて、道徳的心情、判断力、実践と態度などの道徳性を養うことである。このことは、文部科学省の学習指導要領になったのである。
学校教育の全体活動のなかでの道徳時間との関係をどのように設定していくか。道徳の時間をこなすだけではなく、各教科、特別活動、総合的学習の時間などの教育活動との関係で道徳教育を位置づけていく必要があった。
ところで、平和構築は、為政者に特別に与えられた権限と役割である。民衆はいかに為政者に平和の願いを伝え、為政者の心を動かしていくかである。
国会議員選挙は、代議員制であり、国民の求める平和主義、民主主義、基本的人権の充実が基本にある。それは、地域のエゴ、業界のエゴ、経済界のエゴ、労働組合のエゴであってはならない。エゴを乗り越えての平和主義ということが最も大切な課題である。
それぞれの国家、民族、宗派、地域は自由で自立した存在として認められ、お互いの主権、自治を尊重して共に生きていく共存・共栄の姿勢が平和の時代の要請である。
現代の戦争と平和を考えるうえで、格差や貧困を克服し、人間のもっている能力を発展させることは重要である。このことから、平和な社会を築いていく「人間の安全保障」の視点が極めて大切になっていく。
また、発展途上国の格差や貧困問題を正面から明らかにするために非同盟諸国の連帯をとりあげことが必要である。平和の問題は、先進国と発展途上国との共存・共栄という共生文明が大切なのである。貧困と格差をなくしていくことは、テロを根絶するためにも根本的なことである。
日本が平和で国際貢献していくのは、憲法9条という平和主義の国是をもっていることからである。この平和主義の憲法は世界に誇れるものであり、この日本の誇りを掘り下げる意味で、伝統的な歴史にあった平和文化と平和思想を積極的にとりあげる必要がある。憲法9条の平和主義は、決して敗戦によって戦勝国から押しつけられたものではなく、日本の伝統文化という視点から解くことが求められる。
近代以前に、日本は伝統的な平和文化をもっていたが、なぜ、大日本帝国憲法をつくったのか。なぜ、明治の近代以降に、近隣諸国を侵略し、植民地獲得の戦争をしたのか。また、世界を相手に戦争をしたのか。
世界へ戦争に突入していくことは、日本の近代化のマイナスの一面であった。しかし、そのなかでも国際機関で積極的に平和のために貢献した人々がいたことを見落としてならない。その具体的な例として、国際連盟の事務次長として活躍した新渡戸稲造や、国際司法裁判所裁判長として活躍した安達峰一郎がいた。世界平和に貢献した二人の日本人の平和思想を現代に評価する意義は大きい。
討議民主主義を篠原一「市民の政治学」から考える
エイミー・ガットマンの考える多文化共生社会での民主教育論
エイミー・ガットマンは1987年に民主教育論の著書を刊行しています。かれは、1976年にハーバート大学で政治学の博士号を取得し、アメリカで活躍した政治学者です。神山正弘訳「民主教育論」民主主義社会における教育と政治ー同時代社より。