社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

小さな自治と小学校の校区

 

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

 

 

           
 小さな自治と小学校の校区の社会教育的役割 
                      
       神田 嘉延

 (一) 小さな自治としての小学校の校区
 
 小さな自治を地域の暮らしからみていくうえで、小学校の校区自治の役割が大切である。農山漁村における小学校の校区は、歴史的に、伝統的な村落共同体に依存していた側面がある。

 小学校の校区は、明治の近代化のなかで、新たな暮らしの地域共同体となった場合もある。伝統的な村落共同体に依存している小学校の校区では、入会権による学有林をもっている場合もある。そこでは、校区自身が自主的な財源をもっている。

 鹿児島県の山間部では、小学校の校区の学有林があり、学校の施設整備などに住民の寄付行為と体育館などの学校施設整備に寄与する場合が少なくない。旧霧島町には、三つの小学校が存在している。それぞれ、学有林をもち、地域によっては、奨学制度や認定こども園を住民立でつくっている。

 永水小学校では、1992年より山村留学をしていますが、始めるときに、小学校の林野財産区から80万円、地域の奨学会から30万、町から70万の予算を山村留学実行委員会はもらっている。

 鹿児島県霧島市竹子(たかぜ)の小学校の校区は、山の共有林を中心に共生会をつくっている。山に木を植えて、子どもの教育のために積極的に利用していこうということで、明治14年に小学校ができたころから「山には木を、里には人を」と山の整備と学校の充実を一体としてとりくんできたのである。

 鹿児島県の出水市上場高原では、集落ごとの対立が水利権問題などで地域が一体でまとまっていたわけではなく、小学校の存在によって地域がまとまってきたのである。小学校のまとまりによって、2つの自治公民館が水道事業等のむらづくりに統一してとりくみ、1998年度のむらづくり日本一として表彰される。

 鹿児島県の出水地方の学校給食に上場高原牛乳を提供して、地域の銘柄牛乳の生産地になっていった。市当局と教育委員会が積極的にとりくみ、出水の都市部との交流、産直も行われていくのである。
 神田 嘉延「むらづくりと公民館」高文堂出版参照

  鹿児島県知覧の松ヶ浦高等小学校は、明治35年から明治45年まで学校統廃合に反対した住民が自ら住民よりの寄付金によって、教師を雇い学校運営をしているのである。この小学校は江戸時代から稽古場を中心に浜の住民が独自に大字行政区をつくり、小学校をつくっていくのであった。

 近世の行政村では、浜の地域は、別々の村で農業を営む地域から差別を受けていたが、明治になって、小学校の校区を中心に独自の行政村をつくりあげていくのである。

  長野県下伊那郡伊賀良村(昭和31年に飯田市に合併)は、学校存続問題で明治時代から村がゆれてきた地域である。明治31年に中村地区の分教場が独立していこうとする村当局との紛争である。自ら資金を集め、学校の建築を行い、高等科も設置するのである。

 しかし、郡長の命令によって、強引に学校の統合が大正2年に決定され、中村校区の住民は、分村の請願、児童の同盟休校がされるのである。校区住民は、訴訟運動を展開していくのである。中村区民の粘り強い地域の学校存続運動があったのである。

 中村の校区の住民が学校の設置や管理運営をできた財政的な基盤は、広大な共有林野の存在があったことを見落としてはならない。小学校の校区がむらづくりの単位になっている事例は数多くあることをみていかねばならない。「伊賀良村史」868頁~899

 学校は地域の文化センターとしての役割を歴史的にもってきた。農村において、学校の運動会は、地域の運動会であった。これは、村落共同体に依存して学校が形成されてきたという歴史的性格から、地域行事と学校行事が結びついてきたことからである。

   農林漁業を生業とする地域では、明治以来続いてきた行事である。学校は地域が支えてきたという歴史をもってきた。とくに、僻地では、国や地方自治体から教育を見放されたところが少なくない。離島地域や開拓地では、見放されたところが多い。

  1992年にむらづくり日本一になった沖永良部の国頭も小学校の校区単位で積極的に地域づくりと社会教育活動をしている。ここでの社会教育活動は国頭字の自治公民館である。土地条件も悪く、農業に不向きな土地であったが、岩に海水をたたきつけながら塩をつくって生計をたててきた地域であった。

 この地域では、自生していたゆりを商品化して豊かになったのである。自ら創意工夫して、市場を開いてきたのである。自立自興というために伝統的に教育を重視して、地域の共同の力で子育てをし、自治公民館を拠点に地域づくりをしてきたのである。学校の庭には、「潮干す母の像」を地域の教育目標のシンボルにしている。

鹿児島の沖永良部で最も貧しい地域といわれた。沖永良部の国頭では、地域で自分たちの資金を出して、学問所を設立している。明治6年頃に、十数名の子弟の教育を、二間角の粗末な家を建てて、学校と部落民がつくった。

 沖永良部は、西郷隆盛が獄中で生死をさまよったところである。牢の看守役人によって、奇跡的に助けられ、牢に入った西郷が教師になって子ども達に学問を教えたところである。ここには、社倉という助け合いの精神によって学問所がつくられていくのである。

   明治10年に、八間に四間の茅葺きの馬小屋建で、校庭20坪ほどに過ぎない学問所をつくっている。明治15年の学制変更により、小学校を初等、中等、高等の三等科としたが、国頭の校舎は、完全なる設備を有することができないため、教授に不都合であった。

   明治19年に学制の変更により、校名を簡易小学校と改称し、尋常小学校の代用をしていた。明治23年に小学校簡易科を廃して、高等尋常の二科のみの存置を布告があったが、その要求に応ずることができず、簡易科を設けて教育を継続している。

 小学校は、地域住民の子育てに対するアイデンティティ形成として大きな役割をもっている。とくに、農村においては、小学校が地域の文化センター的役割をもってきた。農村における小学校校区は、大字または、大字連合によって、歴史的に形成されてきた。

 しかし、一方で地域の生活・生産の共同体的機能という側面を校区が強くもっていたのである。ここに村の学校の2面性が歴史的にあったのである。農村における矛盾関係があっても子育ての機能は地域の大きな共同的な機能であった。小学校は、村落の人々がまとまっていくいうで大きな機能をもっていたのである。さらに、小学校は、農村の地域住民にとって、地域の文化的統合の機能をもっていたのである。

   北海道の開拓農民は、小学校をたてることが、開拓の第一歩であった。鹿児島からブラジルにわたった人たちも同じように学校建設が開拓の第一歩であった。日系人がつくった中南米最大の協同組合に発展したコチア産業組合も学校を拠点に展開したのである。

  そこでの学校は、子どもを教えることはいうまでもないが、地域の文化センターとしての役割を果たした。小学校の校区は、地域の運動会や地域の青年・大人たちの学ぶ場としての機能している。農業研修や農業開発のうえで、大きな役割を果たしたのである。コチア産業組合の現在は、倒産から、原点にかえって地域に根ざした学びを大切にしての再建運動を展開している。

  学校が地域づくりの拠点になり、地域住民の英知が学校に結集しているのである。アメリカの組織学習協会の創始者のピーター・M・センゲは、学校を教える組織から学ぶ組織に変革していくことを強調している。

 その学ぶ組織の変革では、コミュニティとの関係を重視しているのが特徴である。そして、持続可能性をもつコミュニティにとって必要なことは、教育との関係であるとのべる。
 「学校システムがコミュニティの中で一歩前に出てじっくり考える役割を果たさなければ、あるいは、教育長が他のコミュニティのリーダーとよい関係を築いていないとか、住民が学校をコミュニティに対する有力な貢献者と見なしていなかったらすれば、それはコミュニティ内のつながりの力が弱いことを意味している。

 ・・・貧困にある子どもを支援する団体は、社会サービスの関係者だけではなく、教育者ともつながれる。教育に関する活動は博物館、オーケストラ、公共図書館、ボーイ・スカウト、劇場、文化保存団体、公共サービス、宗教組織、地方の法律関係団体、ヘッド・スタート、ビジネス界などコミュニティの中の多数の機関で行われている」。

 ピーター・M・センゲ編・リヒテルズ直子訳「学習学校ー子ども・教員・地域で未来の学びを創造する」英治出版703頁~705

   ピーター・M・センゲのグループは、地域の資源や人材を生かしての地域づくりをしていくうえで、地域の自然、文化、歴史、人材を見直していこうと学際的なフィールドワークの地域学の手法を学校教育で応用している。それは、地域教材によって、カリキュラムマネージメントに利用していことすることである。

  学校教育の新しい考え方として、中央教育審議会は平成2712月に「学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策」を答申している。「学校を核とした地域力強化の観点から,全公立小・中学校において,学校と地域が連携・協働する体制を構築するために,コミュニティ・スクールや学校支援地域本部等の取組を一層促進する旨が示されている。

 地方創生の実現に向けて,これからの子供たちには,地域への愛着や誇り,地域課題を解決していく力が求められている」。この答申での開かれた学校とは、地域の将来の担い手を育てるために、地域でどのような子どもを育てるかという教育目標やビジュンを住民と共につくりあげていくことの提言である。
 それをどのように具体的に実現していくのかは、社会教育専門職員が、そこでどのような役割を果たしていくのか明確ではない。一般行政の役割や社会教育の役割を含めて検討していく課題がある。

  学校教育では、社会教育と連携して、地域の人々と共に、地域に誇りがもてるような教育をしていくことである。地域で働き、生活する人々が学校教育に出かけていくことが期待されている。また、地域の教材を積極的に授業で活用する教師の実践も求められている。

 社会教育法が改正され、平成29425日に文部科学省は、地域学校協働活動の推進にむけたガイドライインを出している。ここでは、学校を核とした地域創生を積極的に打ち出し、学校には、社会に開かれた教育課程を推奨している。地域学校協働本部が地域住民からつくられていく時代とするのである。

  例えば、宮崎県都城では様々な地域団体が積極的な活動をしている。しかし、それらが、統一的に地域振興計画や社会教育計画と結びついているわけではない。行政による地域づくりの長期的な戦略が不足している。

 都城では、盆地祭りの継続性の問題やおかげ祭りなどとの連携・各種機関や団体との横のつながりをつくる必要性と講座の開設が求められている。地域デザインの仕事としての、地域社会教育計画と策定という社会教育専門職員の役割がないのである。
 
 (二) 小学校の校区と社会教育の可能性
 
 校区公民館の設置形態は多様である。1,小学校などの区域に設置されている市町村立の条例公民館という形態、2,校区単位に条例公民館の分館を設置している形態、3,学校区を超えた地区の条例公民館の管轄のもとで、学校施設内に公民館を設置して、小学校の校区住民による運営審議会によって運営している形態、

 4,小学校の校区単位での自治会や字の自治団体による財団法人による管理運営している形態、5,小学校の空き教室などを利用しての学校施設開放と、住民の主体的な学習組織ということの学社融合の機能を行い、校区コミュニティづくりを積極的に展開している形態、6,市町村自治体が、新しい小さな自治体として校区を位置づけ、福祉と結びついて公民館活動を展開している形態など、その設置形態は多様である。

 校区公民館の設置形態は、一律ではなく、それぞれの自治体によって、位置づけが多様であり、住民の対応の形態も複雑である。多様化する校区公民館の形態で、共通していることは、校区は、住民の日常生活に密着した学習文化活動の区域としていることである。

 校区公民館は、社会教育法の公民館の目的における「実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進を図り、生活文化の振興を増進に寄与する」(第30条)ということで、歩いて行動でき、実際生活に即する地域生活の密着した学習区域として、大きな意味をもっている。

  山村留学による村の小学校の活性化は、里親による都会の子どもの受け入れ、寄宿舎の設置として対応してきたが、今日では、都会の家族受け入れていくという親子留学制をとるところが生まれている。これは、過疎化によって、空き家が増えたことの対策と、地域産業振興における都会の人材の積極的活用という対策と子どもの教育活動が結びついたものである。この地域づくりを社会教育からみていく場合に、地域の人々の人材養成、個々の諸能力形成の問題がある。

 親子留学は、従前の地域で暮らして人々ではなく、都会などの外からくる家族であり、新たな仕事探しの課題があるのである。農業などでは、新規就農支援対策事業とも積極的に結びつきながら、地域に受け入れた親の仕事の確保に努めているのである。これは、留学というよりも都会の家族を新たに農村で定住していく対策にもなっている。

 また、外国で暮らしていた子弟が祖父母と共に大都市では子どもが暮らせないということで、農村に留学してくる世帯もいる。そこには、文化的な違いをもった親子世帯が、村の人々と共存して暮らしていくという大きな課題がある。

 親子留学ということで、現役世代の親たちにとっては、地域で暮らすための職場の確保、農業技術の課題などがあるが、それらを乗り越えての親子留学である。

 ここには、従前の山村留学のような子どもだけの留学で、地域の人が里親になるということではない。そこでは、学校教育の課題が大きくあったが、親子留学は、親自身が地域で暮らして行けるのかという独自の課題がある。ここには、今までの山村留学以上に、社会教育からの大人の人材養成、地域のリーダーの育成が極めて大切になってくる。

 そこには、新たな村づくりの課題が全面的に要求されてくる。ここでの村づくりの視点は、親子留学してきた世帯と共に、従前に村で暮らしてきた人々が、共存と相互扶助によって、共に地域で生きていくための諸能力の形成が新たに求められるのである。そこでは地域全体が社会経済的に自立できることが求められる。その共に生きていく結び役が、Uターンである。

 農山漁村では、過疎化、高齢化が進行し、集落の機能さえも崩壊する危機がみられた。集落機能の崩壊は、人間的生活をおくれる社会経済基盤のない問題である。子育てをしていくために、学校の存在は不可欠である。地域に学校がなくなっていくことは、教育と文化的な側面から地域崩壊の大きな契機になっていく。

 学校は、地域住民にとって、文化の灯火であり、未来を担う子どもが地域で学んでいるということは、地域の活性化の基盤である。この意味で、地域の人々は学校教育の支援に積極的に貢献しようとするのである。学校の地域支援活動は、地域住民の村づくりの活力になっていく。学校の運動会は地域住民の運動会となっており、学校行事は地域の住民の行事となっている。

 また、学校での稲作体験学習などの地域教材のとりくみに住民が積極的に協力する。これは、地域の文化を継承していくためである。稲作が地域でなくなっても学校教育として、稲作体験学習をしているのも、その地域文化継承と食育教育のためである。

高齢化した現代では、地域福祉活動として高齢者の団体が積極的に学校施設を利用して、子どもとのふれあい活動を展開しはじめていることも最近の特徴である。学校内に高齢者学級や高齢者が自由に集まれる場所をつくり、また、学校と隣接したりする高齢者のホームなどをつくる地域も増えている。

  子どもとのふれあいによる高齢者自身の生き甲斐と、子どもも高齢者の生きてきた知恵から学ぶということで、両者にとって大いに意味のある活動が生まれている。現代的に、新たなコミュニティをつくっていくうえで、小学校や中学校が地域の複合施設化のなかで、人々が地域の様々な協同活動に参加していくセンター的役割を学校がもちはじめている。

  地域の自立発展という視点から、人材育成、地域の人々の自立のための諸能力育成の大切さを問題提起するものである。自立発展は、内発的な発展ということで、地域の資源、地域の人材、地域の伝統的な文化を生かしての生きるための経済を支えていくうえで、無視することができない重要な視点である。

 過疎化のなかで、内発的な発展論では、自立した社会経済的生活が不可能になっている。現代の都市生活の問題、情報化、教育の高度化、交通網の発展などから、都市と農村の交流による新たな人間的生活の構築が求められる時代である。
 

 また、都市と農村の経済的な生産力第一主義の不均等発展も著しく進行している。そこでは、持続可能性の問題も問われている。そのなかで、都市内部の矛盾も深刻である。日本の企業の国際化のなかで、外国で暮らす子弟も多くなっている。帰国子女の問題もある。

 大都市での厳しい学力競争の学校では、子どもが育てられないと農山漁村の学校を求める親もいる。ここには、都市での学校教育の問題がある。この矛盾を捉えながら、農山漁村の自然の中での人間的な暮らしの再評価も必要である。

 内発的な発展ということからの地域の諸能力の形成、人材育成ということを乗り越えて、都市と農村の連帯、不均等発展の矛盾から積極的な農山漁村への支援のもとに、自立的な発展の構築がある。
 

ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題

     

ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題」
 
               
神田 嘉延
               
 
(1)ベトナムの社会経済の現状をどうみるのか なぜ出稼ぎしなければならないのか

 

  ベトナムは、現在GDP成長率6.5%と高い。しかし、民族資本が育っていないのが現状です。この成長率は外国資本の投資によって成し遂げられています。
 ベトナムは、2007年にWTOに加盟しました。外国資本の投資によっての経済成長が行われたのです。ハノイホーチミン、ハイホン、ダナン等の都市に、外資系企業の進出がされたのです。外国資本は、安い労働力をあてにしているので、決してベトナム国民全体の生活を豊かにするためではないのです。むしろ、賃金を抑えるため長い期間、勤務をすることを好まない事例をみることがあります。ベトナム進出企業が働く人びとの生活を豊かにしていく社会貢献が求められるのです。


 ベトナム貿易は先進国の開発輸入と同時に、世界の最大消費国になっているアメリカへの輸出が大きな比率を占めています。日本のベトナム投資は、政府のODAと総合商社の工業団地造成の大型投資によって行われています。


 最貧国であったベトナムは、外国投資によって、2010年に最貧国から脱出したようにみえます。そして、都市部の一部に外国資本や不動産経営との関係で富裕層が生まれています。しかし、農村部では貧しく、貧富の格差が拡大しているのです。
 ベトナムは、1975年に戦争が終結して、南北の統一によって政治的に独立しました。しかし、アメリカの20年におよぶ経済封鎖で、極貧の状態に国民はつきおとされたのです。


 このような状態のなかでボートピープルや出稼ぎが増大していくのです。長い植民地と民族の独立戦争アメリカ等の先進国の経済封鎖によって、民族資本が十分に育っていかない状態が続いたのです。

 

 ところで、ベトナムには自立して発展する可能性をもっています。ベトナム識字率は高く、国民は高い能力をもっています。 また、ベトナム北部では、伝統的に手工業が農村に発展し、手先が器用なことと、工夫していく産業文化をもっています。絹織物、刺繍、米の加工食品、高度な竹加工の花器・食器・照明傘、石像づくり、盆栽、家具、伝統大工、帽子、かごなど様々にあります。また、豊かな資源もあります。  ブログ「歴史文化の旅 ベトナム」参照


 ベトナムのもっている技術や人材、地域資源を生かして、それらを現代に商品化して、十分に独立した経済の発展に活用できる場が与えられていないのです。最大の問題は、ベトナムに自立した資本がなく、国家財政も貧弱なのです。
         
 
(2)日本への出稼ぎ者のための日本語学校・斡旋業者の問題

 
 韓国への留学や出稼ぎは人気があります。留学や出稼ぎを希望する若者の間でハングル語は熱心に学ばれています。日本語は一時、人気がありましたが、日本に行くには、借金をすればいけるということで、日本語は重視されなくなっています。日本への入国について、語学はあまり重視されていなのです。日本にある日本語学校への留学も同じです。


 韓国では政府が責任をもって外国人労働者を受け入れています。日本のように中間業者が入って、借金のことの斡旋、リベートをとるしくみではありません。日本大使館の大使もベトナム人の青年に、悪徳日本語学校や悪徳斡旋業者の問題を指摘しています。借金をしても、日本に出稼ぎに行けばすぐに返せるということで、多額の借金をして日本に行くのです。日本への日本語学校でもアルバイトにおわれる語学留学生が多いのです。


 韓国では日常会話ができなければ入国することができません。政府として、きちんとした職業斡旋をするのです。日本では、国際交流基金という政府系の外郭機関が日本語検定試験を行っていますが、それ以外にも民間の団体が日本語試験をして、きちんとしたものになっていません。
 実際には、日本に入ってくる多くのベトナム人は、ホーチミンハノイなどの日本への研修機関と斡旋業者が結合したところに長期間に語学等の研修と称してとめおきがされて、出稼ぎ先の業者との面接を待つのです。


 日本の受け入れの企業も、中間の斡旋業者をとおして、受け入れをするのです。そこには、多くのミスマッチがあるのです。悪徳業者は斡旋料が中心になり、出稼ぎ労働者に対する個別の指導は、なおざなりにされるのです。日本語ができなくとも人柄が大切と豪語する斡旋業者も多いのです。


 日本語教育と称して、軍隊的な訓練の規律や言葉が横行しているのが現状です。日本への出稼ぎ労働者に対する語学教育をはじめとする教育は十分になされていません。教育学、教育心理学、日本語の構造をきちんと理解した日本語教育の教師養成などベトナムでの日本語教育の抜本的改善が急務なのです。教育学部などの教員養成などで外国人のための日本語教育の養成が求められています。


 せっかくの日本語検定試験を国際交流基金が実施しているので、それを活用して、まずは日本語教育にとりくんでいるベトナムでの良心的な日本語学校ベトナムでの大学での日本語学科・コースを支援すべきです。
 国際交流基金試験の内容には、読む・書く力を正確にみるようにするたの検討の余地がありますが、まずは、きちんとした日本語教育の制度づくりが必要なのです。また、広く使われている「みんなの日本語」も丁寧語などをはじめ日本の文化が正しく反映されていななど、これでいいのかと問題がだされています。日本語教育の教科書検討も必要です。

 
 (3)日本での出稼ぎ労働者の実体
 
 朝日新聞では「いびつな政策の犠牲者」ベトナム人実習生らの相次ぐ死亡として報道されています。東京都港区の寺院「日新窟」に2012年から実習生や留学生の位牌が81柱あります。2018年7月に「暴力やいじめがあってつらい」と言って自殺した25才の実習生。東京新聞は2018年12月7日に法務省資料として、実習生69人が2015年から17年にかけて死亡している報道しています。わかっているだけでもこれだけの数があるのです。


 失踪した技能実習生は2017年に2870人を厚生労働省は発表しています。失踪は「高い賃金を求めて」としていたが、実際は最低賃金以下で、低賃金のためと答えていたのをかってに都合よく厚生労働省は集計しているのです。
 日本では最低賃金制度は全国で決められるのではなく、地方ごとに決められ、大都市志向が賃金の面からも拍車がかけられています。経営の困難性を低賃金に求めがちなところがあり、ヨーロッパ等では、全国一律の最低賃金が設けられていることが常識です。


 最低賃金すら守っていないということが、技能実習生の失踪の原因です。失踪者は、賃金が低いという回答が3分の2ということで、最低賃金を守っていないということが野党の集計で明らかになっています。日本語ができないことから、訴えることもできず、その相談する機関もわからない状況です。日本語ができなことにより、無権利な状況におかれているのです。


 入国管理局の外国人収容所においても過酷な人権無視の状態があるのです。2017年3月に25日に1週間強い痛みをもって訴えていたベトナム人青年に、職員は医師にとりあうこともせずに死亡するという事件が起きています。
 さらに、5月に、収容所では、職員の対応が問題として、約2週間におよぶハンストに100名が参加したことが起きています。
 
 (4)日本での深刻な労働力不足

 

 日本では、介護・医療、建設関係、飲食業、農業・農産物加工、漁業・加工工場、金属・機械の等工場など様々な分野で労働力不足が深刻になっています。とくに、地方では、その問題が顕著になっています。
 4月から実施される外国人労働者の受け入れ拡大で、多くの自治体で懸念がもたれています。雇用主に求められる生活支援や日本人と同等な報酬といったことが実施されるかということです。そことは、共同通信の2月10日の全国アンケートで明らかになったのです。外国人労働者問題の矛盾は、自治体にかぶり、人件費をおさえるために外国人を受け入れる企業もあり、日本人の賃金もさげる要因になることも予想されるのです。


 地方において、安定的に外国人の労働力を確保するためには、積極的に賃金を日本人並にしていくことが求められます。それを実施して、日本人の労働者と共に働きやすい職場づくりをしている企業もあることも確かでです。企業として、日本語教育の支援をすすめ、実習がおわり、母国に帰ってから、将来の進路をじっくり考えて、大学にいくケースもいくつもみられるのです。

 
 (5)ナムディン日本語・日本文化学院の教育実践
 
 ナムディン日本語・文化学院は、 ハノイから南90キロの紅河デルタの農村地帯の中心都市のナムディン市にあります。学校の創立から12年目に入っています。昨年8月29日には、日本大使夫妻が訪れ、学校の教育の様子を観察してくれました。学校には、実習農園を設けて、学生の堆肥作りや野菜づくりの工夫を自主学習としています。二年間学んだ学生は、自分の地域についての卒業論文を日本語で書かせています。


 その内容は、プレゼンテーションをさせています。ナムディン省と宮崎県庁、南九州大学と農村の発展のための人材育成の協定を結び、宮崎県と南九州大学から専門の農業技術者、農業研究者が指導に入ってくれています。このつなぎ役にナムディン日本語・日本文化学院の教員や学生が果たしています。若者達は日本で学び、様々なアイデアを出して未来に向かっている姿があるのです。


 ナムディン日本語・日本文化学院は、農村に子ども図書館を設置しています。これは、日本の進出企業に社会貢献として、図書館をつくってほしいという願いからです。ナムディン日本語・日本文化学院を支援してくださった鹿児島出身の企業経営者からの寄付による図書館です。ハノイホーチミン日本語学校をやると斡旋業者と絡んでもうかる業種とされているところが多いのです。十分な日本語教育よりも回転率をあげということで、短期間で実際は、日本語が出来ずに日本に送り出してるのです。このような学校から決別していくためにも設立当初から非営利の理念をかかげてベトナム教育省からきちんと認可を受けて運営しています。 

 
 「ナムディン日本語・日本文化学院」はホームページをつくっていますので、その詳しい内容はホームページをみてください。また、神田の論文「ベトナム北部ナムディン省の新農村建設と公民館」を参照
 
  (6)今後の展望
 
  鹿児島や宮崎の地方は、広範に農村をかかえ、農業や農業関連産業の発展は重要な課題です。また、過疎化や高齢化が進み、深刻な労働力不足に悩んでいます。若者が残っていくたには、大都市との賃金格差を解消していくことです。外国人労働者問題についても同様です。

 鹿児島や宮崎で働いて生きがいを感たり、自分の将来にとって非常に有益であったということが必要です。鹿児島や宮崎で永住したいという希望もでてくることも大切です。政府は外国人労働者の確保で、移民政策をとらないとして、外国人に対する差別的な労働政策をとろうとしています。多様性と異文化の共生を可能とする条件づくりなどが欠落しているのです。外国人労働者を多く入れようとする施策に、家族と共に暮らすことも否定しているのです。外国人労働者に対する日本での人間的な生活の確保が必要なのです。

 

ベトナムの自立発展と生涯学習 (アジア・南太平洋の生涯学習シリーズ)

ベトナムの自立発展と生涯学習 (アジア・南太平洋の生涯学習シリーズ)

 

 

子どもの虐待問題を考える- 野田市の児童虐待問題の悲惨さ

子どもの虐待問題を考える

   野田市児童虐待問題の悲惨さ

 千葉県野田市で今年1月24日に両親の虐待による子どもの死亡事件が起きた。自宅浴室での虐待である。両親は逮捕され、その痛ましい数々の虐待が明らかになった。子どもは学校のアンケートに父親からの虐待について訴えていた。

 このアンケートを虐待している父親に教育委員会は渡すという信じられないことをしていたのである。また、児童相談所と学校との連携もせずに独断で教育委員会は父親の訴訟するという脅しにおびえて、要求にこたえるいるのである。2017年11月に学校のアンケートにより、児童相談所は、虐待の確認をして、一時保護をするが、親族のもとで暮らすことで解除する。

 その後に学校の長期欠席が目立つようになる。学校は市の児童課に連絡したが、市の児童課は児童相談所に特別に問題がないと判断して、連絡をしていない。学校は直接に児童相談所に連絡をとるのではないというルールになっているという。児相は、1月21日に小学校での連絡で長期欠席の事実を知るが、死亡する24日まで対応はなかった。

 この4日間に虐待件数が24件あり、相談も含めると77件である。一保護は28人で定員25名を超えている。直近1年の虐待受付件数1594件で非常勤を含めて児童福祉士41人、勤続年数3年未満が56%である。

 児童の虐待件数は急激に増大しているのである。児童相談所が把握する児童虐待件数は、平成29年度133778件で、平成24年66701と2倍以上の急増である。 警察庁が、2018年に児相に通知した虐待件数は8万超である。実に5年間で2.8倍である。これは、2月7日の公表である。

 子どもは家庭の愛護のもとで育つはということであるが、現代社会では、親の虐待が増大している。なぜか、統計的児童相談所の通告が急増しているが、児童福祉や家庭裁判所等の、それに対応する機関の専門職員の配置や研修が極めて不十分である。児童福祉士の専門職の養成に多くの課題をもっているのである。児童福祉士のあり方も含めて抜本的な改正が求められている。
のである。

 現代社会の親の虐待件数の急増をどうみるのか。親の子育てのなかで何が起きているのか。野田の事件にみるように、単純な一時的な親の怒りの感情で体罰を行っているということではなく、繰り返し、子どもに対してヒステリックに虐待を繰り返していることである。親の非人間的な残虐性を帯びた人格が潜んでいるとしか思えない。
人間関係では問題なくても家庭のなかでは、別人のように非人間的暴力をふるう異常者になる人格の例もある。家庭のなかは、私的な世界で、なかなかみえない。また、わがままがきく空間である。隣近所でも親が暴力をふるっててもなかなか児童福祉機関に通告をすることはない。

 国連の子どもの権利委員会の日本への児童虐待に対する勧告

 2月7日に国連子ども権利委員会は、日本の子どもの虐待の深刻性について懸念を表明している。虐待防止の包括的戦略のために、子どもを含めた教育プログラム強化を要請している。虐待の調査と加害者の厳格な刑事責任追及を要請している。
 子どもの権利条約の第19条「親による虐待・放任・搾取からの保護」あらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとること。必要な援助を与える社会計画の確立、・・・適当な場合には、司法的関与のための効果的な手続き」をのべている。

 子どもの虐待と親権喪失・停止の対応

 子どもの虐待問題では、親権に正面から向き合っていくことが必要である。民法では、こどもの虐待に対処するために、親権喪失と親権制限がある。親権は、子どもの利益第1ということから、親が監護し、教育する義務がるのです。このために、親が、その役割を果たさない状況では、子どもを保護し、子どもの成長発達のために最善の環境を提供することが求められている。家庭裁判所は、子どもの虐待に対処するために大切な役割があるのである。児童相談所家庭裁判所との関係を密接にとりながら、ときには、親権の喪失や親権の一時停止が求められるのである。子どもを親権者から離す、一時保護ということだけでは、不十分なのである。

 子どもの虐待で学校教育に求められる福祉の視点

 政府は、2月8日に子ども虐待緊急対策をまとまたが、児相や学校に緊急点検を一ケ月以内に実施するということであるが、今最も必要なことは、政府自身の児童虐待対策の包括的な戦略、教育プログラムに対する反省である。自らの反省からの出発が前提である。教育委員会がなぜ子どもの訴えのアンケートを加害者である父親に写しを渡したのか。
 学校を文書管理統制する教育委員会のあり方も含めて抜本的な改正が必要である。本来、子どもの教育の責任は学校にあり、学校は児童相談所と密接に連携し、ときには、子どもの最善の利益のために、家庭裁判所とかかわるときも大切である。
 学校には、児童福祉の専門家が配属されているニュージーランドなど多くの国で教育と福祉の連携をしている。日本の学校教育制度では、福祉とのかかわりが大きな弱点である。これは、虐待問題ばかりでなく、子どもの貧困問題、非行問題も含めてである。
 日本の学校教育では、教科指導と並んで生活指導が大きな柱になっている特徴があるが、それらは、教師だけの仕事としてされてきたが、児童福祉の専門機関との連携していくことがより一層に重要になっており、教員養成にも福祉の重要性についてカリキュラムも整備していくことが求められる。

 児童の虐待問題と社会教育

 社会教育としても学校との連携をしていくうえで、地域の教育力としての虐待防止のための活動をしていくことが求められている。子どもの虐待を知ったすべての大人は、福祉事務所、児童相談所への通告義務がある。児童福祉法25条の要保護児童発見者の通告義務が書かれている。
 また、児童虐待の防止等に関する法律第6条「児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、福祉事務所、児童相談所に通告しなければならないとしている。この地域の大人達の通告義務と、親の子育てにおける虐待防止のための大人の社会教育として、子どもは社会で育てるという視点が必要である。社会教育と児童相談所との連携も深刻化する児童虐待の増大のなかで大切である。

 児童の虐待の事例から抜本的な対策を

 少しふるい、子どもの虐待による死亡事例等の検証結果の専門委員会による第七次報告が平成23年7月にださ れている。この報告書は、平成21年4月から平成 22年3月までの事例分析を行ったものである。
 この期間に厚生労働省が把握した事例は、虐待死事 例47例、49人。心中事例(未遂も含む)30例、39 人であった。虐待死事例は、6割が身体虐待であ り、ネグレクトは4割である。

 虐待死事例で 48.9%が実母であり、心中事例は実母が56.4%で ある。 報告書では、望まない妊娠と出産の問題として 次のようにのべている。「これまでの報告におい て、主たる加害者で最も多い実母の妊娠期・周産 期の問題として、虐待死事例では「望まない妊娠 /計画していない妊娠」(以下「望まない妊娠」 という。)、「妊婦健診未受診」、「母子健康手帳未 発行」が多くみられたが、第7次報告でも同様の 傾向がみられた。
 「望まない妊娠」の問題は虐待 死事例のうち11人(22.9%)になる。そのうち5 人(45.5%)は「妊婦健診未受診」及び「母子健 康手帳未発行」の問題にも該当していた。また、 3人(27.3%)は妊婦健診を受診しており、母子 健康手帳も発行していた」。 望まない妊娠ということから、妊婦健診の受診 をしていなかったのであり、また、母子健康手帳 の未発行ということで、生まれてくる子どもにつ いて十分な心の準備がされていないのである。望 まない妊娠・出産の問題を現代にどうみていくか。

 かつても日本の歴史のなかで子どもの間引きの 問題があった。伝統的には、子どもを育てる経済的な力がなくて、間引きをしたのである。避妊の 方法や人工的な流産の方法が、発達していなかっ たために、家族計画が合理的にできなくて間引き が行われたのである。この間引きと同時に水子供 養の信仰があり、死んでいった子どもが神のもと に帰っていくということで、傷ついた女性の心を 癒やすための風習があったのである。

  虐待死事例において、1歳未満の乳児の場合と 1歳以上3歳未満と3歳以上の場合では、加害の 動機も異なっていると報告書は指摘している。かつての貧困な農村の家族で子どもを間引きしたこ とと重ねてみると、一歳未満の子どもとそれ以上 の子どもの虐待死亡の事例とは、動機が本質的に 異なるとみられる。

  報告書では「日齢0日が「子どもの存在の拒 否・否定」、日齢1日以上3歳未満では、「保護を 怠ったことによる死亡」、「泣きやまないことにい らだったため」、3歳以上では「しつけのつも り」の割合が高く、「保護を怠ったことによる死 亡」も複数みられた。 また、「保護を怠ったこと による死亡」(8人)では、自宅や車中に放置し 火災や熱中症によって子どもが死亡した事例のほか、必要な栄養を与えないなどによって死亡した 事例がみられた」。

  望まない妊娠での日齢0日の虐待では、子ども の存在それ事態を拒否する精神構造があるのであ る。3歳未満では、放任・養育放棄ということで 保護を怠ったことによる死亡事例が多い。 3歳以上になるとしつけのつもりとして、感情 的に暴力を振るうことが多くなっていく。報告書 では「「しつけのつもり」(8人)について加害者 の内訳をみると、実父3人、継父2人、両親2 人、実母の交際相手1人であり、「子どもが反抗 した」、「おねしょ(夜尿)に腹が立った」などが きっかけとなっていた。子どもの成長・発達の過 程で見られる変化についての養育者の理解が乏し い。「しつけのつもり」として、感情に任せて力で 子どもの言動を制しようとする虐待は例年複数み られる」としている。ここでは、実父や継父など の事例が目立ってくるのである。

 しつけのつもりで子どもを虐待している事例 は、子どもの人権そのものを否定し、子どもを自己の従属物としてしかみていない意識が根底にあ る。子どもに対する愛情を基礎に、子どもにも一 人の人間としての尊厳をもっている。このことの 意識が希薄な側面があるとこを見逃してはならな い。

 3歳以上になると、実父や継父などが感情的に反抗したから、おねしょをしたからと暴力をふるって死亡させてしまうのは、自己中心性の男性 のもっている支配欲と結びついた暴力性である。 女性の場合は、感性的に我が子意識からくる自 然的な母性からの本能による子どもを守り育てようとするものが身についている。
 しかし、男性の場合 は、目的意識的にならなければ、子どもに対する 愛情意識をもてない。家族を培って、愛情で結ば れた夫婦の関係で生まれた子どもには、父親は、 その基盤のうえに愛情を注ぎ、子どもの成長への 期待をはずませていくが、その心も目的意識性がなければ、生まれてこないものである。
 
 ところで、虐待の子どもの家庭の経済状況は、 極めて厳しい状況である。報告書では経済状況と の関係で次のようにのべている。「実父母の就労 状況について「無職」の構成割合をみると、虐待死 事例で実母が50.0%、実父が16.1%、心中事例で 実母が40.0%、実父が15.4%であった。

 特に実父 の「無職」の割合は年々高くなっている。家族の経 済状況について構成割合をみると、「生活保護世 帯」ないしは「市町村民税非課税世帯」は、虐待死 事例で27.7%、心中事例で13.3%と第6次報告よ りも高くなっている。
 無職ということで、経済基 盤がなかったりするなど、貧困問題が子どもの虐 待に大きく関係している現実を直視しなければな らないのである。 心中事例は、加害者が「実母」である事例が多 い。ここにも無職や非課税所得層などの貧困層の 割合が高く、貧困問題が深く関係しているのであ る。

 報告書では、「心中事例について加害者が「実 母」である事例は17例(22人)、「実父」である事例 は10例(14人)であった。死亡した子どもの年齢 別に構成割合を見ると、主たる加害者が「実母」 である割合は6歳未満まで高く、1歳未満の心中 事例の60.0%、1歳以上3歳未満の75.0%、3歳以上6歳未満の61.5%であった。
 6歳以上では 「実母」、「実父」がそれぞれ47.1%と同じ割合で あった。 実母が子どもの虐待の加害者となっている場合 は無職である場合やパート就労という低所得であ ることが指摘されている。このことについて、報 告書は次のように指摘している。「加害者が「実 母」である場合の「実母」の状況は、年齢は平均 36歳(26~48歳)、就労状況は無職が8事例、 パート就労が4事例、不明が5事例であった。ま た、ひとり親(離婚・未婚)は6事例で、うち5 事例は無職あるいはパート就労であった」と。

 母 子世帯など、無職やパート就労などで厳しい経済 状況に置かれて、生活苦が重くのしかかって将来 の展望も描くことができず、絶望になって心中に 陥るケースが多いというのである。 「子ども虐待による死亡事例等の検証結果」の 専門委員会の第6次報告書(平成20年4月1日か ら平成21年3月31日)までの事例は、死亡事例は 心中以外が64例、67人であり、死亡した子ども (心中以外)の年齢別では、0歳児が39人(59.1 %)と最も多く、うち0か月児が26人(0か月児 の66.7%)と集中している。

 この報告書では、ア ダルトチルドレンの問題や過去の虐待を悩まされ ていることがみられると次のようにのべている。
 「機能不全家族で成長したと自覚するアダルトチ ルドレンの問題や過去の家庭環境における虐待の 記憶やイメージ(心像)に悩まされ続ける人の問 題にも関係してくるが、虐待による後遺症的な副 作用を簡潔にまとめると『自分の存在や行動に自 信が持てなくなり、他人を信用できなくなること によって、通常の日常生活や対人関係を送ること が極めて困難になる』ということである。・・・ ・・児童虐待とは精神的・社会的に無力な子ども から『心身の疲れを癒せる物理的な居場所(家 庭)』を奪うだけでなく、『精神的な安全基地とし ての家族関係』をも奪う行為であり、その後の子 どもの精神発達過程や対人関係の能力に好ましく ない影響を及ぼす危険が高い」と分析している。

  児童虐待は、家庭の愛護のなかで子どもが豊かな 環境のなかで育つ場を奪うだけではなく、子ども の精神的発達や対人関係の成長を奪っていくことを指摘している。 虐待のなかで育った子ども、アルコール依存の なかで育った子ども、夫の家庭内暴力のなかで 育った子ども、絶えざる夫婦喧嘩のなかで育った 子どもは、大人になって虐待をする確率が高くなっていく。
 
 子育てをしていく家庭の役割が機能不全で成長 した大人は、アダルトチルドレンとして、本来的 に人間的に成長していくことができずに、人格的 に様々な問題をもって大人になっていくのであ る。

 過去の家庭環境の劣悪さは、子どもの虐待を 惹き起こす精神的な問題の確率を高くしているの である。 つまり、虐待の家庭で育った子どもが大人にな ると、虐待を起こす確立が高くなっていくという のである。虐待は子どもの人格形成に大きな影響 をあたえていく。子どもに対する深い愛情をもて ずに、感情的にしつけや教育と称する虐待は、人 間的に子どもが成長していくうえで、大きなマイ ナスになっていく。

  子育ての家庭機能を奪っていく貧困化は、子ど もの人格を破壊していく要因をつくりだす。医師 で幼児教育に力を入れたイタリアのモンテッソー リは、どんなにひどい状態で逸脱して発育した子 どもでも一人の人間として成長していけるように と、虐待を受けた子どもでも人間的に成長できる 可能性をもつとしている。
 そのためには特別な教育 環境や援助が必要であるとしている。 子どもは自然からの宿題をもらっている。子ど もは自然のプログラムにそって、今やらなければ ならないことに本気で向き合うことが大切である。

地域主権国家と明治の中央集権化の再検討

     地域主権国家と明治の中央集権化の再検討

    (1)明治維新廃仏毀釈と民権の対抗的精神構造

 現代日本の中央集権国家の矛盾を地域の国民の暮らしからみつめていくためには、明治維新期の中央集権への動きから日本の近代化の歴史的にみる必要がある。地域の伝統的な文化を崩壊させていく大きな契機は、廃仏毀釈であった。
 廃仏毀釈は、中央集権国家づくりのための行動でああた。国家のための神社を中心とした祭政一致の施策の手段であったのである。これに対して、自由民権運動は、地域主権からの国会開設を求めるものである。廃仏毀釈からはじまる欽定憲法と自由民権の憲法草案は、相対立国家理念である。

 霧島の神仏習合文化

 霧島山系は、豊作祈願や自然を大切にする山岳信仰、神仏混合の六所権現などが古代から江戸時代まで存在していた。霧島山系は、大伽藍地域であったのである。この地域は、明治維新期に廃仏毀釈の嵐が吹き、仏教的要素の文化は消えていった。ここでの仏教と結びついていた豊作祈願や自然信仰、神仏混合の文化の偶像がことごとく破壊された。
 天孫降臨のニニギノのミコトの神話は、高千穂の峰に降りてきたとして、霧島六所権現に祭られていた。霧島の信仰文化は、古墳時代に、地下式横穴墳墓をもって、地域の独自の文化をもって栄えていた。明治維新は、この地方の文化を破壊し、祭政一致の中央集権国家のための「文化」をあらたにつくりあげた。

中央集権から地域主権国家へー明治維新の見直しー

 現代の地域主権国家の構築には、日本の明治維新以来の中央集権国家体制を見直すことでもあり、1500年以上続いてきた神話の伝統文化をもつ地域から再検討することが必要である。日本の神宮などの伝統文化と称していることが、実は明治以降の祭政一致国家神道からつくられた側面があることを見落としてはならない。明治維新によって破壊された日本の伝統文化は、偶像物としては消えたが、地域の民衆の伝統行事や心のなかに今でも深く生きている。

 幕藩体制の村落の自治的暮らし

 明治維新は、幕藩体制自治的な村落の暮らし、藩による地方政府的しくみから、中央集権的国家のしくみに変えていった。明治維新による中央集権的国家体制は、1889(明治22)の大日本帝国憲法の成立によって確立したのである。翌年、集権的な国家の精神を教育によって成し遂げようとする教育勅語が発布された。これにさきだって、1888年(明治21)年に市制・町村制の制定がされ、地方は、中央集権的な国家体制にくみこまれていく。

 明治維新の中央集権国家体制づくりは、王政復古の大号令とともに、廃仏毀釈による国家神道への道である。さらに、学制による中央集権的な学校制度の普及であった。中央集権国家による地方制度の確立過程は、廃藩置県大区小区制、地方三新法、市制町村制までの近世行政の解体施策からはじまる。

 廃仏毀釈の問題

 廃仏毀釈の徹底は、地域的に大きな差があった。薩摩藩の地域では、寺の破壊が徹底して行われ、歴史的な貴重な文化財が失われていった。霧島の天孫降臨高千穂峰にあった神仏混合の文化は、廃仏毀釈によって完全に失われた。

下級武士の二側面

 明治の維新政府の中央集権的な施策に対する地方からの抵抗や民衆の下からの民主主義を求める運動は、日本の近代化の中央集権の問題を考えていくうえで、大切なことである。日本の地方や地域、民衆の暮らしとの対抗関係を持ちながら、中央集権化していったのである。

権力を握った下級武士の問題点

 下級武士から明治新政権の山形県福島県、栃木県の県令(知事)を歴任し、警視総監になった薩摩藩出身の三島通庸は、増税や労役賦課、寄付金強要を実施した名物県令であり、批判に対しては弾圧一辺倒であった。戊辰戦争等の功績により、下級武士から新政権の重臣として、国民弾圧の官僚を直視しなければならない。
 三島通庸の場合、福島では、不況下の農民に労役を課して道路を建設し、抵抗する農民、千数百名を弾正した。福島自由党員が根こそぎ入獄させられ、鬼の県令とよばれたのである。中央集権国家体制を確立していくなかで、日本の官僚制度もつくられていくが、このなかで、地域の暮らしを大切にしていこうとする新たな官吏のあり方が問われたのである。

下級武士の民権論

 霧島山系の霧島神宮のあった襲山郷に居住していた竹下彌平が明治8年3月に朝野新聞(東京)に発表した憲法草案にみられるように、地域のなかでも新しい自由民権の思想が根付きはじめていたのである。
 西南戦争に九州各地の多くの自由民権思想家が参加していった。竹下彌平は、自主自立と自由の理による国会開設のための憲法草案を提唱した民間人である。県治や民会の役割を重視し、国会の代表の3分の1は下級官吏からの選出すろことを提唱するなど決して、近代的な官吏組織それ自身の役割を否定していたのではない。
 下級の官吏が最も地域の暮らしの人々と直接に接触し、民衆の立場からの官吏の役割を立法化するうえで、大切と考えたのではないか。鹿児島では明治維新によって、藩政改革が抜本的に行われ、下級士族の行政の役割を重視したのである。

 近代化の二つの側面

 鹿児島のように明治維新を担ったところでも近代化の過程では、二つの側面があった。地方を重視する西郷隆盛のように、明治2年、3年と鹿児島に戻り、藩政改革、県治に重点をおき、また、明治6年の政変から再び鹿児島に戻り、西南戦争まで、鹿児島の地域振興、県治に力を注いだ明治のリーダーを重視することは大切である。

 鹿児島は、独立王国といわれるほど、中央集権体制と一線を画した潮流であった。命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして、国家の大業は成し得られぬなり(西郷遺訓の30番目)のように、新しい国家の大業を成し遂げるリーダーの側面があったのである。

 西南戦争はなんであったのか

 鹿児島では政府の家禄処分策を西南戦争後までは受け入れなかった。それは、下級武士にとって極めて厳しいものであったからである。新たな仕事を見つけない限り、土方人足の日給24銭よりもはるかに低い日給8銭の収入といわれたほど、人間的に暮らせるものではなかったのである。
 明治維新政府にとって、封建的な幕藩体制身分制度を廃止し、新たに四民平等をはかっていくうえで、武士の秩禄処分は大きな問題であった。下級武士の生活をいかにして保障していくのかという大きな課題があったのである。
 維新政府に士族の反乱が起きたのは、秩禄処分など新しい世の中を求めて幕府を倒したが、一部の出世したものを除き、多くの下級武士にとって、決して生活はよくならなかった。むしろ、厳しくなったことに対する士族の不満が爆発した。西南戦争は、その不満の爆発である。

大久保利通等の薩摩出身官僚と西南戦争

 もう一方は明治維新によって、中央政府に入った動きである。大久保利通のように、中央集権国家体制づくりに専念した潮流とがある。大久保は、祭政一致による絶対主義的な天皇制の官僚機構を整備し、さらに、維新に貢献した旧藩主を優遇した秩禄処分による新たな大資産家づくりをした。巨大な華族銀行の創設、政商による財閥づくりの側面とがある。

   (2)明治維新における地域の暮らしの論理と地域主権国家

 日本の近代化を考えていくうえでは、中央集権的な論理だけではなく、地方や地域、民衆の暮らしを重視した人々がいたのである。近代の学校制度は、地域の暮らしに根づかない画一的な普及の論理のみではない。もう一方に、地域の民衆の動きからとらえていく必要がある。義務教育の有償に対する農民の学校打ち壊し一揆の展開があった。全国各地に展開した自由民権運動は、明治維新を民衆の立場から考えていくうえで重要な要素である。
 つまり、上からの維新政府の施策によって、中央集権的な体制が一方的につくられていったのではない。つまり、民衆の地域のくらしや抵抗との関係で、それを懐柔し、弾圧する過程のなかで中央集権化が進んでいったのである。
 明治6年の政変で下野した板垣退助などが民撰議院設立建白書を明治7年1月に政府に提出したが、その後に板垣退助等は、維新政府のなかに、組み入れられていく。明治8年に参議に復帰し大阪での第1回地方官会議に参加する。地方民会の議論になるが、公選民会をしりぞけ、区戸長民会となり、板垣は、間もなく辞職して自由民権運動を推進する。 

明治近代化での小学校の役割

 小学校の存在は、学制から教育令の大きな変更にみられるように地域に根ざしてつくられていったのである。徳川時代の村落秩序を小学校の校区制度に取り入れて、国家的主義的な精神を注入していったのである。また、国家神道明治憲法で信仰の自由を認めながら、神社や万世一系天皇制の精神を骨格とした。
 国家神道は、宗教概念からはずして、民族的な精神としたのである。国家神道の形成過程のなかで、廃仏毀釈の嵐が起き、さらに明治の地方改良施策のなかでは、神社の合祀が積極的に行われた。日本の伝統的な地域の暮らしの精神文化が、この過程のなかで破壊していったのである。

 村の鎮守と民衆

 村の鎮守を守ったのは、地域の暮らしの文化を大切にした民衆である。村の鎮守さま、地域の氏神さま、地域の田の神信仰、山の神信仰、水神信仰などは、中央集権的な国家神道との論理とは別であり、それは、地域の暮らしの文化の論理である。

 地域主権とは、伝統的に培ってきた地域の暮らしの文化を尊重することである。真に日本の伝統文化を尊重することは、決して明治の祭政一致の伝統文化と称する中央集権国家体制の文化ではない。日本の全国各地に存在する多様な地域文化を尊重していくことである。地域主権の国家の精神を豊かにしていくためには、明治維新によって、破壊された地域の伝統文化を、もう一度再興してことである。それによって、地域の暮らしの文化を豊かにしていくことができる。

地域主権国家と地域文化

 地域主権国家とは、人間にとって地域で文化的に豊かに暮らせることが基本である。そこでは、地域での基本的な人権の享有、地域の災害からの安全と平和の尊重、豊かな地域文化のもとで暮らせることが求められる。豊かな暮らしの文化には、その地域で培われてきた伝統的な文化の尊重が不可欠であり、その伝統文化には、その地域の暮らしの歴史の重みがある。古代からそれぞれの地域には文化が蓄積されてきたのである。

 地域主権国家とは、地域で自己完結していく地域ごとの独立政治を意味しているのではなく、地域で民主主義的に住民が参画できる政治と文化のしくみを構築していくことである。地域の暮らしや文化は、自然条件や歴史的な違いなどによって、多様性をもっている。全国一律的な基準によっては、地域の多様な暮らしの文化にはならない。

 中央政府によって、国家財政の補助金の基準によって、地域の条件整備を行ってきたことは、地域主権の見方から大きく乖離してきた。地域主権とは、暮らしの範域に、住民の暮らしや文化、教育、福祉の統治権を積極的に認めていく国家を指すものである。


 日本国憲法主権在民という精神を地域のレベルまでおりて、憲法でいう基本的人権、とくに生存権・国の社会保障の義務、教育を受ける権利、教育の義務、勤労の権利、義務という国民の暮らしと文化の豊かさを地域で保障していく国家のしくみが、地域主権国家である。そこには、国民の幸福の実現を地域の暮らしのレベルで実感できるような国家の仕組みの創造である。

 日本国憲法では地方自治の原則が定められている。国と地方公共団体の役割は、「住民に身近な行政はできるかぎり地方公共団体にゆだねることを基本として」としている。これが地方自治法の精神である。この精神を実現していくには、地方自治体の独自の統治権を認めていく財政的基盤の整備がある。この財政基盤の整備ということから、国家の財政制度のあり方が求められている。

 地域の暮らしの充実

 地域のでの豊かな暮らしを充実していくという視点から、基礎的な自治体は、市町村自治体になる。広域合併などによって、基礎的な自治体が地域の暮らしの範域から大きく乖離している現実がある。このなかで、地方自治法202条で明記された地域自治区の役割が大切である。この充実によって、一層に地域主権国家論の内容が豊かになっていくのである。

 地方自治法では、「市町村は、市町村長の権限に属する事務を分掌させ、及び地域の住民の意見を反映させつつこれを処理させるため、条例で、その区域を分けて定める区域ごとに自治区を設けることができる」としている。

 自治区の事務所は、地方公共団体の長の補助機関である職員をもってあてることができる。そして、住民の意思決定や地域管理の地域協議会をおくことができるとしたのである。自治区が機能するためには、十分なる予算や適切な職員の配置を伴っていくことが求められている。

 地域の自立的発展と大学

 中央と地方、都市と農村、過疎化、都市の貧困地域という格差の問題が存在するなかで、地域主権国家の理念は、その格差を是正していく政治のしくみを地域から構築していくことである。従って、地域主権国家は、恵まれない地域に対して、豊かな文化的暮らしができるように特別の地域的施策を国家政策として目配りをしていく政治のしくみを求めている。

 恵まれない地域を豊かに文化的暮らせるようにしていくためには地域の自立的発展が欠かせない。そのためには、学校教育や社会教育の整備という、そこに暮らす人々の自立的な諸能力の発展、創造的な地域資源や地域の人材を生かした地域づくりが求められている。教育の地域間格差は、大学の配置などに典型に現れている。

 日本の大学は、東京や京都・大阪の大都市に集中している。地方大学が、極めて貧困な現状である。地域の人材養成や地域の資源の活用、地域の創造的な開発など地方大学の役割が大きい。
 地方大学も十分な研究施設や人材の不足から組織的に地域に根ざした教育や研究が展開できない状況である。農村地域の高等学校も過疎化や少子化のもとに統廃合が行われ、地域から高等学校が消えているのが目立って増えている。

 学校教育の体系が弱肉強食の競争主義原理をもちこみ、子ども達に画一的な偏差値教育をおしつけて、大都市志向や学校歴的学歴社会志向を強要して、地域の暮らしから遠ざかった教育になっている。

 現代の央集権国家体制では、地域での国民の暮らしを豊かにしていくことが困難になっている。明治維新の地域での中央集権に対抗する様々な動きを現代的に再評価して、日本の近代化のあり方を歴史的に見直していく必要がある。明治維新によって、日本の近代化を志向した人々は、必ずしも中央集権的な国家を考えた人だけではなく、また、単一の日本の祭政一致国家神道を求めたものだけではない。

   (3)明治維新の近代化による中央集権化と新たな地域主権国家の創造

 中央集権による画一的基準は、日本の明治以降の近代化の産物である。現代は、一層、中央集権的な画一意的な基準による行政施策が強まっている。それは、補助金行政のなかで典型的にみることができる。
 つまり、地域の暮らしとの乖離が一層強まった。財政の側面から補助基準がより詳細になり、地域での福祉や教育行政、地域での産業や雇用など、現実の暮らしを充実させていくことよりも行政による基準に合わせての上からの指導が徹底されていく傾向が強くなっている。

 地域主権国家と21世紀の課題

 ところで、地方分権の施策は、21世紀に入り、日本の国家のしくみの改革と大きな課題になっている。この地方分権の推進も全く異なる合い矛盾する視点から進められている。中央集権的な国家財政が膨大な赤字を抱えている。

 その矛盾は、国家のしくみそれ自身が危機的な生み出す。このことから、効率的な行政、民営化ということで、市場原理によって、公共的な分野を転化する方法と、国民の生活の豊かさを地域の暮らしから充実させようと、地域からの主権在民、地域からの生活権の保障、地域からの基本的な人権の保障ということで地域主権国家を構築させていこうとする道とがある。

 地域主権国家の道を求めていくうえでは、日本の明治以降の近代化による中央集権国家体制、官僚制度のしくみを抜本的に見直す時期にきている。この作業のなかで、明治以前の日本の伝統文化にみる多様性や地域性をみていく必要がある。多様性や地域性は、現代における価値観の多様性という個々人の利己主義に依存しての機能的な分散化、孤立化していく個人の尊重という意味では決してない。多様性を持ちながら、地域のなかで共同し、相互扶助し、地域のなかで人間の絆で結ばれていることで地域の協同
がつくられていく。

 ここでは、住民の自治が最も尊重され、地域のなかで協同し、共に協力しながら働いていく社会をめざすものである。そして、伝統的に存在していた自然との共生、地域のなかで循環していく持続可能な社会を求めていくことである。

 ここでは、複雑な高度に発達した市場経済による格差問題を直視しながらの地域の協同、福祉の実現をしていくことである。さらに、人類社会を破壊してしまうほどの専門的な科学技術のあり方を抜本的に巻が直す時期である。まさに、総合的に地域の人々の暮らしのなかで、持続可能な社会のしくみをつくっていくための高度な科学技術の必要性である。

 地域の自然環境

 それには、地域にこだわった自然循環による持続性が鋭く求められているのである。国際化の問題についても同様で、地域の暮らしの中から、それぞれの民族、地域の人々が豊かに、幸福に暮らせるための共存と連帯の国際化の視点が不可欠である。

 平成20年5月から平成21年11月まで、地方分権改革推進委員会は、四次の勧告書をだしているが、第1 次勧告は、 生活者の視点に立つ「地方政府」の確立を提言した。ここでは、市町村自治体を地方政府として高めていく施策を積極的に、提言している。地方分権改革推進委員会は、従前の中央集権的な官僚制度に多くの矛盾が噴出しているという認識をもった。

 国の行政は、国民の生活者の視点をおろそかにされてきた現実があると。政府の分権推進委員会は国民の生活をおろそこにしてきたことを認めたのである。それらが、社会保険庁年金記録問題に典型的にあらわたという。
 「社会保険庁年金記録漏れ問題に始まり、新しくは道路特定財源の不明朗な使途や後期高齢者医療制度をめぐる混乱に対する憤懣と不満の噴出など、従来国の官僚の能力や資質に寄せられてきた国民の信頼は急速に低下している。そして、そこでの大きな問題として、これまでの行政、特に国の行政では、生活者の視点がおろそかにされていた」。

 地域主権国家をめざすためには、自由に住民自治のもとに、生活を豊かにしていくための条件整備が必要である。そのための多彩な活動が求められ、それを保障していく地方財政基盤の確立が不可欠である。日本の国家が地域主権をかかげていくことは、地域での豊かな文化的な潤いをもった暮らしを保障していくためである。

 コミュニティの充実

 地域のコミュニティの役割を充実していくことは、地域の暮らしの伝統的な文化を尊重し、地域住民が自ら意志決定して、自治の担い手になっていくことが求めあれている。このためには、市町村レベルまで降りた地方政府の豊かな財政基盤が必要なのである。現在あるような地方交付金の制度をより充実して、地方ごととの極端な財政格差を生じないようにすることである。この財政基盤の確立によってこそ、地方の伝統的な文化、生き甲斐のもてる豊かな暮らしを充実できるのである。

国際平和の道徳教育ー日本と世界の平和観ー

国際平和の道徳教育ー日本と世界の平和観ー
                神田 嘉延
 
「平和で暮らしたい」、「戦争はいやだ」というのは、多くの人々の共通の願いである。平和の徳育は、道徳教育の大きな課題である。
 人類は、古代国家から戦争を絶えず続けてきた。その都度、戦争の悲惨から人々は平和を願ってきたのである。なぜ、戦争を起こすのか。いつの時代も民衆の最大の為政者に対する疑問であった。

 核など大量破壊兵器の開発時代

 現代は、科学技術の発達によって大量破壊兵器が開発された。その典型が核兵器である。現代の戦争は、地球全体の破滅につながりかねない恐ろしさをもっている。核兵器の被害は、一瞬にして多くの人々を死に追いやり、何年も後遺症で苦しむことを起こす。戦争を起こさない世の中をどうしたらつくれるのか。それは、現代の人類の持続可能な社会をつくっていくうえで緊急の課題である。
 この核兵器の全廃という課題に、国連は核兵器禁止条約の締結を呼び掛けた。2021年1月から50の国の批准によって条約が効力をもつようになった。
 残念ながら唯一の被爆国である日本は、この条約に賛成をしていない。もちろん賛成署名をしていない。
 本来ならば、核の唯一被爆国であるので、その恐ろしさが最もわかっているのである。率先して条約の批准の世界のリーダーシップをとる立場にいるのです。このことと、全くの反対の立場にいるという重大な問題がある。

 戦争は統治者によって

 戦争は国家、宗派、民族、地域の統治者によって引き起こされる。民衆は誰でも平和で暮らすことを求めてきた。
 戦争は、個々の人々の争いではなく、国家等の統治者の意志によって起こさてきたことを見逃してならない。この意味で為政者、政治家、教育者、経済人、言論界・マスコミ等、社会リーダーの平和に対する有徳問題は決定的に重要だ。

 戦争は、個々の争い、憎しみの意識問題に還元できない。個々の人々の意志は、為政者、政治家の戦争動員、戦争協力のための世論づくりのなかで、本当のことをみることがおろそかにされた。
 近代の立憲主義、議会主義の国家体制では、人々の意識、世論が戦争遂行を防止するうえで、極めて大きな役割をもつはずである。戦争遂行には、国民への協力体制、戦争のための秩序を要求するのが常である。


 戦争は、国家、民族、宗派、地域の集団的なエゴが大きくある。民族排外主義のナショナリズムの醸成は、その典型である。
 民族等のエゴは、国際関係での利害関係者との敵対行動へと発展する。平和には、共存・共栄、平等互恵、領土・主権の相互尊重である。そして、相互不可侵、内政不干渉が大切である。これらは、近代の国際関係の平和主義にとって極めて大切な課題である。

 民主主義国家であるためには、戦争をしないように努力することが、基本姿勢になることが求められる。しかし、恐ろしいことに、仮想敵国を目的意識的につくり、防衛と称して、軍事力を強化してきたことが日本の現実である。戦争を誘発してきたことは何かを重視しなければならない。このことは、近代の歴史が証明した。国家として、どうしたら国際協調による共存・共栄の関係ができるか。

 国際協調主義の重要性

  国際協調主義は、平和を守っていくうえで、基本的な姿勢である。国際協調主義は敵をつくることではなく、軍事力を強化することでもない。お互いが共存共栄し、相互信頼による話し合いによる国際協調の関係をつくることである。
 民族の誇りは国家間の愛他主義であり、このためには価値観の多様性を認め、多文化共生の国際関係を作っていくことである。
 世界は軍縮が求められている時代である。軍縮から戦争放棄の道が開かれていくことを忘れてはならない。戦争は国家間の争いである。為政者の有徳で最大の課題は、平和を守ることである。道徳教育として平和を積極的に取り上げていくことは学校教育、社会教育にとって、基本的な公正なる社会正義の大切な課題である。

 歴史のなかで道徳教育と平和主義を

 日本においては、道徳というと封建的な身分秩序を維持するための忠君愛国や国家に対する責務ということであった。それは、個人の尊厳を否定していく徳育思想であった。この徳育思想が、戦前に強く存在していたことを見落としてならない。それが、民族拝外の軍国主義的なイデオロギーと結びついたのが日本の歴史的事実であっ。

 このような歴史的状況をもっていたことから、戦後は、道徳教育に、平和主義、基本的人権、民主主義的人格形成が大きな課題になった。
 日本の戦後の道徳教育は、軍国主義、封建的な尊王愛国の士気や国家主義的な道徳教育との闘いからはじめなければならならなかったのである。

人類普遍原理としての異民族の共生

 現代は、民族の伝統的な道徳文化を人類的な普遍的原理のなかで民族共生という国際主義のなかで、位置づけていくことが求められている。
 平和主義の立場からみれば、民族的共生、文化的価値の多様性、基本的人権、民主主義、人間的連帯性、人間の自由という客観的な普遍的認識が求められる。そして、自己の良心に内面化する人類的な課題として、平和主義、現代ヒーマニズムの人格形成が必要になる。

学校教育の道徳教育は教育活動の全体で

 学校での道徳教育の目標は、教育活動全体活動を通じて、道徳的心情、判断力、実践と態度などの道徳性を養うことである。このことは、文部科学省の学習指導要領になったのである。
 道徳の時間は、各教科、特別活動及び総合的な学習時間との密接な関係を図りながら、補充、深化、統合し、道徳価値及び人間としての生き方の自覚を深め、道徳実践力を育成するものとした。

 学校教育の全体活動のなかでの道徳時間との関係をどのように設定していくか。道徳の時間をこなすだけではなく、各教科、特別活動、総合的学習の時間などの教育活動との関係で道徳教育を位置づけていく必要があった。

 しかし、学校教育での道徳教育は、読み物中心の道徳時間で、読み物をとおして子どもの道徳的葛藤を引き出していくということである。現代の日本の道徳教育は価値を教育のなかでおしつけてはいけないということになっている。
 そして、特設の道徳の時間の授業が行われている。教育活動全体の構造のなかで道徳教育をどう組み立てていくのかという問題意識は、極めて弱いのである。
  平成27年3月に小学校及び中学校の学習指導要領等を改正し、これまでの「道徳の時間」が新たに「特別の教科 道徳」と位置づけられることとなった。このことにより、学校教育活動全体のなかで道徳教育を実施していくことに危惧をもつようになった。読み物中心にやってきた道徳教育を教科と同じように評価するようになった。社会科学、自然科学をはじめ各教科との関係で人格を形成していくという総合的な視野から道徳を位置づけていくことがおろそかになっていくのである。
 徳育平和教育は、学校教育活動全体のなかでの話し合いの自治活動が大切である。自分で主体的に考え、みんなと議論し、自律的に参加していく人格形成は、平和教育に大きく貢献していくのである。
 道徳教育の目標に、他者とともに、よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことが強調される必要がある。多様性を尊重し、答えが一つではないが平和を守っていく融和、協調、協働という徳育的な課題を子供が自分自身の問題として、考え、議論する道徳への質的な転換を図ることが求められいく。

 つまり、平和のための道徳教育は価値観の多様性の容認、多文化共生ということで、話し合いから、合意を形成していく徳育が大切になったのである。 
 そして、「特別の教科 道徳」が、小学校で平成30年度から、中学校で平成31年度からとなっている。つまり、個々の子どもたちが主体的に考え、議論していくことが文部科学省の学習指導要領でも求められている。

 主権在民と平和の構築

 ところで、平和構築は、為政者に特別に与えられた権限と役割である。民衆はいかに為政者に平和の願いを伝え、為政者の心を動かしていくかである。
 戦争を行うのは為政者の政治施策からである。主権在民という民主主義の国家では、民衆自身が平和を愛する統治者をいかにして選ぶかである。

 国会議員選挙は、代議員制であり、国民の求める平和主義、民主主義、基本的人権の充実が基本にある。それは、地域のエゴ、業界のエゴ、経済界のエゴ、労働組合のエゴであってはならない。エゴを乗り越えての平和主義ということが最も大切な課題である。

 エゴを乗り越えて、個々の要求、地域の要求、業界の要求、団体の要求を具体的に政策化していくことが求められる時代である。この場合もいかにしてエゴを乗り越えて、利他の心、循環と小欲知足による文明・文化の持続可能性が必要である。

  代議員制と平行して、人々が自律的に地域の暮らしのなかで話し合いによって民主的に参加していく行動が不可欠な時代である。
 討議民主主義は、代議員制の国会や地方自治体ばかりではなく、様々な社会的組織、地域での構築で実現していく。孤立や無縁社会からの克服に、参加民主主義による話し合いが地域の生活や職場のレベルで必要になっている。

 それぞれの国家、民族、宗派、地域は自由で自立した存在として認められ、お互いの主権、自治を尊重して共に生きていく共存・共栄の姿勢が平和の時代の要請である。
 国益を守ることは、しばしば利害関係の相手国に対して傲慢になることがある。国際的な関係で利害関係者がそれぞれ利他主義になることが共生文明になり、平和を構築していくことにもなる。この思想は世界連邦構想である。

 現代の戦争と貧困問題ー人間の安全保障ー

 現代の戦争と平和を考えるうえで、格差や貧困を克服し、人間のもっている能力を発展させることは重要である。このことから、平和な社会を築いていく「人間の安全保障」の視点が極めて大切になっていく。

 また、発展途上国の格差や貧困問題を正面から明らかにするために非同盟諸国の連帯をとりあげことが必要である。平和の問題は、先進国と発展途上国との共存・共栄という共生文明が大切なのである。貧困と格差をなくしていくことは、テロを根絶するためにも根本的なことである。

 平和のための憲法9条の役割

 日本が平和で国際貢献していくのは、憲法9条という平和主義の国是をもっていることからである。この平和主義の憲法は世界に誇れるものであり、この日本の誇りを掘り下げる意味で、伝統的な歴史にあった平和文化と平和思想を積極的にとりあげる必要がある。憲法9条の平和主義は、決して敗戦によって戦勝国から押しつけられたものではなく、日本の伝統文化という視点から解くことが求められる。

日本の伝統的な平和思想

 日本の伝統的な平和文化や平和思想には、近代以前にも存在した。それは、神仏習合平安時代徳川時代の平和時代のなかでみることができる。
 武器の全廃を唱えた安藤昌益、世界兄弟で貿易を盛んにする日本を考えた横井小楠など江戸時代の儒学者に典型にみることができる。
 近代以前に、日本は伝統的な平和文化をもっていたが、なぜ、大日本帝国憲法をつくったのか。なぜ、明治の近代以降に、近隣諸国を侵略し、植民地獲得の戦争をしたのか。また、世界を相手に戦争をしたのか。

 戦前に日本人が活躍した国際平和機関

 世界へ戦争に突入していくことは、日本の近代化のマイナスの一面であった。しかし、そのなかでも国際機関で積極的に平和のために貢献した人々がいたことを見落としてならない。その具体的な例として国際連盟の事務次長として活躍した新渡戸稲造や、国際司法裁判所裁判長として活躍した安達峰一郎がいた。世界平和に貢献した二人の日本人の平和思想を現代に評価する意義は大きい。

  かれらの活躍は、パリ不戦条約と紛争の処理を国際法に基づいて、話し合いによって解決していくことであった。それは、戦後における憲法9条の平和主義につながっていく。
 憲法9条をマッカサーに提案しのは、戦後初代の首相であった幣原喜重郎である。彼は、戦前の外務省にあった国際協調主義の流れをくむ外交官の経験をもち、大正デモクラシーの成果のもとで、外務大臣を務めた政治家でもある。

討議民主主義を篠原一「市民の政治学」から考える

 篠原一は「市民の政治学岩波新書で、討議デモクラシーをのべています。そして、80年代後半から新しい「第2の近代化」がはじまったとするのです。

近代社会構造の捉え方

 近代の構造は、資本主義と産業主義という経済軸、近代国家と個人主義という社会軸という組み合わせがあり、共通のエートスは科学主義であり、5つの要素からなりたっていると篠原一はのべます。
 この5つの近代化の要素は、高度経済成長が頂点に達したころから、自然生態系破壊、化学薬品の毒性問題、空気・大地・河川・海岸の汚染が問題にされ、成長の限界と弊害が誰の目にもわかるようになったとするのです。ローマ・クラブは成長の限界が指摘されたのです。人類がこれまでの行動をとりつづけると100年以内に世界は破局に陥ると考えているのです。

 産業主義と資本主義の経済軸と近代国家と個人主義の社会軸という二つを座標軸において、共通要素の科学主義によって、その座標軸をみていくということです。マルクス資本論のように資本主義の矛盾を土台に、政治、国家、文化を上部構造として、作用と反作用として社会構造をみていくことと異なります。
 また、デュケムのように資本主義の近代化を社会分業として、孤立化、無政府化して、精神的病になって自殺の原因になる個人のアノミー化をとらえていく視点と異なっています。共通のエートスの科学主義によっての矛盾を座標軸にして、現実の社会問題を整理していくという方法です。
 科学主義の人々の暮らしや地域社会の自然環境との関係が大切になるのです。一般的な教養ではなく暮らしや豊かな文化をもって自然環境をもっての持続可能性の教養が求められているのです。

資本主義の矛盾と科学主義

 90年代に入ると奪われし未来として、ダイオキシンなど環境ホルモンによって、人体に生殖異常をもたらすという深刻な危機が生まれたというのです。人間がつくりだしたものが人間を滅ぼすという構図が生まれ、これに対しての新しい社会運動が起きてくると篠原氏はのべるのです。第1の近代化が追い求めてきた目標の反省が必要な時代、民主主義の資本が必要な時代になっているとするのです。

 篠原にとっての見方で、資本主義の矛盾に対する運動は、19世紀から労働運動が生まれたが、現代は、この運動は衰退期になった。社会主義体制を打倒する資本主義は生命力、生産力があるが内部矛盾も大きくなり、反資本主義の運動として、南北問題にみられる著し格差による激しい対立になったとします。
 消費者問題は、食品公害、遺伝子組み換え製品問題、破棄物処理の問題が深刻になっているのです。以上のように篠原氏は科学主義による生産力を発展させた産業主義と資本主義の現代的な矛盾をのべます。

資本主義矛盾の克服運動

 資本主義の矛盾に対する運動は、資本の生産性、利潤追求のエートスから社会的無政府性が生まれることに対する人間尊厳の民主主義的ルールを求めたことによって起きたのです。
 二〇世紀のソ連を中心とする社会主義を標榜する国家は、官僚的、価値画一的の独裁主義になり、多様な価値や文化や個性を開花していく自由主義が形骸化していったことによって、崩壊したのです。資本主義の力強さではないのです。資本主義の矛盾の克服は人々の運動によってであり、自然成長性ではないのです。

 人々の様々な矛盾克服の運動によってであるのです。資本主義社会での競争主義によって、個々が分断されて孤立化していく側面が自然成長的にはあるのです。自己に閉じこもっている限り競争主義が襲いかかり、自己利益が拡大していくのです。他者との関係が矛盾克服にとって大切ですが、労働が一層に分業化して個別化しているのも現実です。

 ソ連社会主義崩壊の理由と自由・民主主義 

 ロシアのようにツアーリズムのなかで、近代的自由や民主主義の発展が不十分で、国内の市場経済も未熟のなかで、国際的な資本主義の矛盾のなかで、社会主義が唱えられたのです。ここでは、自由と民主主義の思想的未熟が根強くあったのです。社会主義の崩壊ということよりも自由と民主主義の未成熟のなかでの独裁的体制をもった社会主義の標榜があったのです。

   ソ連の崩壊は、人類史的に、社会主義の理念の実現に、自由と民主主義が不可欠であることを示したのです。マルクス的にみるならば、高度に発達した資本主義の矛盾のなかで、それを克服していくという道筋に社会主義が実現していくということです。
 資本主義の形成していく近代社会の出現は、封建的な身分制を打破して、封建的特権をもった商人ではなく、自由な営業、生産者が活躍し、労働者も封建的な大地の縛りから自由に労働力市場に放り出されたのです。
 しかし、働く喜び、生存の自由、人間らしく生きる自由は疎外されていくことが、その後の資本主義の発展によってもたたらされていくのです。低賃金、長時間労働、不安定の労働力市場、労働災害、公害、自然破壊が襲いかかってくるのです。この矛盾の克服に人々が立ち上がっていくのです。

 資本主義の矛盾の克服には、社会権的な意味からの自由と民主主義の発展が必要なのです。資本主義の矛盾の克服の過程としての社会主義の運動があることをみる必要があります。
 社会的に自由と民主主義の発展は、その矛盾の克服の運動のなかで実っていくのです。とくに、社会権の発展によっての自由と民主主義の課題は、現代のように弱肉強食のグローバル化した資本主義の矛盾のなかで、人間尊厳の民主的ルールをつくっていくことで大切なことです。

独占的権力と分権・自治と参加民主主義

 篠原一氏は、近代国家と個人主義の社会軸では、監視権力から生かす権力として一層に独占力は強固になっくとしています。強い行政国家が国民を従属させているとみます。これに対して、福祉国家社会民主主義の政治運動があると考えるのです。強大化した政治権力を分権化し、市民自治の運動があり、分権と自治の実現は、参加民主主義、直接民主主義の運動であるとするのです。
 第二の近代化は、近代社会が生み出したリスクに対して、自省的に洞察していくことであり、食糧や空気、水という人間にとって基礎的な必需品さえ汚染されるという不安の連帯であるとしているのです。 

 篠原一氏は、自省的近代化という新しい時代の創設がはじまっていると考えるのです。従前の巨大な組織や国家に依存するのではなく、自発的な小さな結社が創造性をもっていくという。社会的機能は国家から結社に移され、個人の選択と小さな集団主義が重要視されるというのです。
 目的手段的な結社以上に人々は自発的に参加して自己実現していくことに大きな意味をもつようになっていくとするのです。貧しい人々のなかに自発的結社をつくり、市民社会の自由と民主主義を尊重するなかで、相互連携の協同行動によって社会主義をうち立てていくことが求められ時代であると考えるのです。

自由な労働と雇用問題

 人間は好きな仕事を自由に選ぶことによって、人間は意欲的に生きるというのです。これらが第二の近代化なのです。これは国家に依存したり、巨大な組織に従属しての個々人ではないのです。従前の組織もこのことによって、より活性化していくというのです。
 自発的結社は、すべての既存組織を破壊するのではなく、停滞している組織に対する補完物であるというのが、従来の結社論とは異なると篠原はのべているのです。そして、既成組織のあり方を第二次的なものにして、自発的組織を主たるものに変えていくとするのです。

 完全雇用の破綻は、第二の近代化の特質と篠原はのべるのです。雇用問題が大きな政治問題になり、これまでのモノの生産とは異なる福祉、環境、教育、保育、地域生活、文化などの分野における雇用が重視され、NPOのような非営利的企業が地域ごとに設立され、新しい雇用がつくりだされ、全産業のなかでNPOの占比率が増大することが求められるようになっているとするのです。
 また、オランダのワークシェアリング1.5人型共稼ぎによって、公共的福祉事業に自発的に働く市民労働を推奨するのです。完全雇用が不可能な時代に多様な働き方を提唱するのです。
 オランダ等のヨーロッパやベック等の社会学者の考えに、篠原は、積極的に評価して、問題提起をしています。しかし、大切なことは、弱肉強食のグローバル競争社会のなかで格差と差別構造が広がっていることです。完全雇用は、不可能な時代ということは、今の弱肉強食の競争社会を前提にする限り、その通りですが、完全雇用を社会的につくりあげていくことが大切なのです。

 まさに、人間としての生きがいを持てるのは、働く権利の保障なのです。働くことによって、人間らしく暮らせる生活の糧を得ることです。その条件のルールとその実効が大切です。これこそが自由と民主主義を保障していく近代国家の役割です。
 雇用のための経営形態は、民間企業に雇われるだけではなく、自営分野の農業労働、自営専門職労働、特技をもった職人・芸術労働、非営利団体労働、協同組合労働、公務労働と様々な形態があります。いうまでもなく、大きな部分を占める営利事業が働く場であることはいうまでもないことです。

 現代では、公務労働の場でさえ、民間営利企業から学ぶ経済性、効率性がいわれる時代です。そのことがいいのかどうかも含めて、それぞれの仕事のあり方が鋭く問われている時代です。財政のあり方と社会的に求められている公務労働や非営利事業など国家・社会全体として、制度設計をあらためてしていく必要があるのではないか。

第二の近代化の社会運動

 第二の近代化の社会運動は自発的結社をつくり、政治に対してストレートに抵抗することに眼目があるののではない。運動が発するメッセージであるとするのです。運動は個人化し自らのアイデンティティを追求する傾向が強く、自分自身の生きがいと自分自身を取り戻す能力をもとめるようになったとするのです。
 運動のネットワークは分散化しアトム化し、セクトや感情グループに分裂する可能性をもつ。集合行為を政党や政策などの政治的媒介によって代表することは難しく、日常生活に根ざしたものであるから前政治的で、政治勢力が行為を代表できないから超政治的と篠原はメッケルの論をのべながら自己実現の社会運動を第二の近代化の脈絡によって説明するのです。

 市民的公共性と日本社会

日本では、1970年代に市民運動住民運動が発展していくか、市民的公共性という概念は使われていなかった。むしろ、国家的公共性に対する対決の運動であった。この運動のなかからボランティア、介護、まちづくりなどの広範な社会参加が90年代生まれたことから市民的公共性が日本社会ではとかれるようになったと篠原はみるのです。
 90年代からはじまったボランティア運動やまちづくりは、1970年代の市民運動住民運動のなかからのポジティブな参加からのつらなっているというのです。日本では市民的公共性が説かれるのがまだ弱い社会状況があるとするのです。
 むしろ、市民的公共性よりも国家は、公共の非能率性を改革するために民営化の必要性を説き、公に対する私の必要性を強調するようになっていると篠原は、近年の中央政府や地方の地方自治体の政治状況をみるのです。
 社会の原子化と解体、それに訴えるポピリズムの台頭が、市民的公共性をつくりだす基盤を喪失させているとするのです。社会の原子化は、デュケムが問題にしてきた資本主義の分業化と競争によって、人々が孤立していくことが根本です。弱肉強食の競争と労働の専門性による分業化は、一層にひとびとを孤立化していく社会へとおいやっているのです。
 現代は、SNSや様々なマスコミ等によって、情報があふれている状況で、より情緒情的、感情的に人々の判断がなりやすい状況になっているのではないか。多様な価値観や文化、意識が流動的に変化していく傾向が強くなっているのです。また、それぞれが個々の事項に対して学習をして、真理を探究し、、自己の理念を深めていくことのが弱くなっているのです。

 第二の近代化におけるポピリズム右翼

 21世紀に入り、福祉国家政党政治に対する反発、移民等のグローバルからの多文化主義に対する反発から、民族排外主義のナショナリズムが先進国で起きているのです。篠原は、この移民排斥という新しいポピリズムは、これまでの歴史上のポピリズムと違って反動性が強いとするのです。既成体制に対する反抗が民主義の挑戦となっているのです。
 強いリーダーシップと断定的言語は、原子化されて発言力をもたない人々を共鳴させ、人気を獲得することに集中していく。政治の世界は言語の貧困におちいり、また、相互に討論するのではなく、著名な講演者からの上からのメーセージ、日本人としての誇り、謝罪外交の批判にうなずき、それで癒やされるサイレント保守市民が生まれていると篠原は考えるのです。

討議デモクラシーと他者との協同

 第二の近代化は、ポピリズム右翼・右翼的権威主義と他者の協同する自己実現する自律的市民運動との対抗関係にあると篠原はみるのです。自律した市民は、政治参加だけではなく、社会参加もあるのです。むしろ、福祉、介護、まちづくり、相互扶助に参加する人々が増えているのです。
 このなかで、討議を活発にしていくことが、討議デモクラシーの発展になっていくのです。代議員制のデモクラシーに加えて、新たなデモクラシーの時代が起きようとしていると篠原は問題提起するのです。討議デモクラシーは、意見の異なることも公平に正確な情報を提供することと、十分に討議できるような工夫が求められるのです。
 為政者が十分な情報提供なしに行われる住民投票は操作的になり、参加の過程に誰でも身近な問題として討議できるように情報を提供することが求められていると篠原はのべるのです。これらのこともどのように工夫すれば討議が活発に行われていくのかという工夫が大切なのです。討議は、参加する市民にとっての社会学習の場でもあるのです。当然ながら討議のなかで参加者が意見を変えていくことはあるのです。


エイミー・ガットマンの考える多文化共生社会での民主教育論

 

学校再生論の礎石―人間・国家・地域と学校 (現代教育学全書)

学校再生論の礎石―人間・国家・地域と学校 (現代教育学全書)

 

 

 エイミー・ガットマンは1987年に民主教育論の著書を刊行しています。かれは、1976年にハーバート大学で政治学の博士号を取得し、アメリカで活躍した政治学者です。神山正弘訳「民主教育論」民主主義社会における教育と政治ー同時代社より。
 
 ガットマンの教育理念と審議民主主義の能力形成
 
 ガットマンは、アメリカ政治において、教育の内容、教育の権力の配分を考える教育問題が重要な課題になっているという見方です。教育問題は国際化し、教育の内容は多文化になっているということです。また、学校教育における公共統制の抑制と親による統制の拡大も大きな課題になっているというのです。
 公共性による統制と親の教育要求多様性との矛盾関係、調整は現代に難しい大切な課題であります。このことを考えながらガットマンの論を読みました。公共性が多様化すると教育要求します。現代社会は、格差と貧困化が進み、グローバル化していいます。このなかで要求が複雑化しています。多文化共生の地域社会が要請されているのです。市民的公共性のあり方は、重層的、複眼的にみていくことが重要になっています。公共性を画一的にみたり、多数決原理でみることは、人間の尊厳という民主主義の原理から極めて危険であるのです。
 
 ガットマンは、親の選択擁護論から国民教育の制度構築も政治課題になっているというのです。親は学校のカリキュラムのどの部分を免除する権利をもつことができるのか。多文化主義での十分な教育とはなにかという課題があるのです。
  ガットマンの強調することは、審議民主主義社会のための能力を育成することです。その柱が教育です。このことによって、自由で平等な諸個人の相互性の責任をもつ諸個人の能力形成がされるというのです。
 
民主主義と相互尊重
 
 民主主義の重要な課題は、審議して、相互に異なる立場や価値観、意見を尊重して合意を形成していくことです。つまり、教育によって、その相互に尊重しあう能力をつくりあげていくことを考えたのです。いうまでもなく、この教育は学校教育で実践していくことは重要なことですが、生涯にわたって学習できる多様な教育の機会の保障が必要なのです。この意味で、成人教育・社会教育は民主主義社会を形成していくうえで、大きな役割を果たすのです。
 
 審議民主主義のための能力形成には、批判的思考能力、数量的推論能力、識字能力、実際的な判断能力、国民としての個性が必要です。そして、市民的な道徳としての非暴力、誠実、寛大性、正義を追求する諸個人が求められ、それらは、集団の能力を不可欠とするのです。また、審議能力において、不一致でも相互に尊敬する資質、相互に受容できる社会的協同を見いだす誠実な努力をしていく技能と資質が求められるとしています。
 
読み書き、歴史、数学、科学に力と参加能力形成
 
 ガットマンはアメリカ教育の「基礎に帰れ」運動を批判します。読み書き、歴史、数学、科学に力を集中することが、よりよい教育になるのであろうか。なぜ、審議民主主義の教育が必要とされるのか。多元主義のなかで審議し、集団的に同意し、民主的に参加していく能力形成が求められているのではないかということです。この指摘は、日本の現状からみても重要です。
 ガットマンは民主的教育論において、非抑圧、被差別の問題を積極的に提起するのです。非抑圧を教育において重視することは、異なった生き方に対する制限をしないということです。生き方の干渉から自由を保証することは、教育による誠実、宗教的寛容、人間の尊厳の熟慮の教育から大切なことです。
 
 非差別意識をもたないことは、子ども達すべてが将来わたって、よい生活、よい社会の形成の担い手になるために不可欠なことです。まずは、人種的少数派、女性、その他嫌われる子どもたちへの排除をやめていくことです。
 
 審議する能力、社会の意識的な再生産に参加する能力を民主主義的な徳とガットマンは呼んだのです。子どものいじめは、国際的にも問題になっています。いじめの問題は、先進国での共通にみられのです。その根源に、グローバル化した弱肉強食の競争からくる差別と貧困の問題があるのです。これは、決して封建的な非近代社会の差別という面からだけみれない問題があるのです。
 
初等教育の目的と民主的徳
 
 初等教育の目的として、ガットマンは、民主主的徳を強調するのです。子どもは理性的熟慮能力を持って生まれてくるのではないのです。子どもは模倣によって、よい習慣を身につけていくのです。ガットマンは民主主義的の徳を身につけていくには、権威によって行動するのではなく、権威を批判的に思考する学習によって身につけていくというのです。は最も民主主義の徳の形成に阻害要因になっているのです。教師の権威主義の克服は民主主義の教育の推進にとって大切なことです。
 
 論理的に推論することに熟達しても道徳的人格に欠ける人間は最悪の詭弁家であります。科学や数学で教えられる論理的方法、文学で教えられる解釈的方法、歴史や文学で教えられる異なった生活理解、体育で教えられるスポーツマンシップさえも国民の道徳教育に貢献できます。
 しかし、民主的人格の発達とういうことでの中心的な課題は、異なる文化や価値観のなかで、個々が意見を持って結論に至るまで、注意深い洞察力をもつ熟慮ある人格の形成ができるかどうかです。
 
ガットマンの初等教育論とコミュニティ
 
 初等学校において、民主的統制は守るに値するが、しかし、抑圧的で差別的であるならば守るに値しない。民主的な統制ということで、ガットマンは、コミュニティコントロールの概念を民主的統制に効果的であるとするのです。意志決定が民主的結果になりやすいという理由からです。小規模な地域社会は民主的意志決定や民主的統制が合理的働くということです。
 
 学区はできるだけ小さい方がよいということになります。学校のコミュニティコントロールと地方の民主的統制とは同一してはならない。学校政策を決定する正統的役割を担う団体は複数存在し、地域の多数派が保持する信条だけになってはならないとガットマンは強調するのです。
 
 教師は民主的に作り出される共通の文化に批判的になるべきであり、教育専門職として、相対的になって、民主的審議のための能力をみ身につけさせ、非抑圧的の原則を擁護すべき人になるようにするというのです。
 
 そして、ガットマンは、デューイの地域社会と学校の民主主義原則の前提は、共同の利益の確認と他者の利益を理解する立場があるというのです。教師は生徒が学校に持ち込んでくるかかわりを理解するために、地域社会と十分に結びつかねばならないというのです。また、同時に、生徒が対立するかかわりにそれぞれに批判的感覚をもって、地域社会から一歩離れてみることも必要であるとガットマンはのべるのです。
 
 ガットマンは、現代の地域社会の状況で、民主的地域社会のミニチュアとして学校をとらえる位置づけは誤りとしているのです。学校にとって民主主義の社会をつくりだすための役割は、民主的人格に必須である参加の徳性と訓練の徳性を涵養するために学校を民主化することであると考えるのです。
 
 現代日本の地域社会の状況をみていくと、個々の孤立化が進行し、格差の拡大のなかで、親と一緒にいる時間も少なく、食事も十分にとれない貧困の子どもが増えている現状です。
 また、親の価値観も多様化して、地域社会として、特定の文化的価値観でまとまっていくことも難しい現状があるのです。このような、なかで多文化共生をどのように地域社会のなかでつくりだしていくのか。学校での多文化共生を理解し、その能力を身につけていくことは大切な課題となっているのです。
 ガットマンが強調するように、多様性のなかでの孤立、無縁社会と格差をともなっての貧困のなかで、学校での審議民主主義の能力の形成は民主主義の地域社会形成に切実な課題になっているのです。
 
教師の専門能力と参加民主主義
 
 教師は、非抑圧の原則から民主的審議のための能力を身につけさせる力をもっていることが求められるのです。教師の専門主義は抑圧や差別の防波堤になるのです。この意味で学校内は民主主義でなければならないのです。参加や学習への意欲をもたない生徒は民主的学習に強く反発します。
 
 学習意欲をもたない彼らは、学校教育に否定的態度をもっているからです。教師はこのような生徒に訓練的方法を強化しがちです。ここでは、参加的方法によって生徒の興味を引き出して学習への関与を醸成することが大切になってくるのです。
 しかし、それだけでうまくいくという単純な問題でないことも事実です。知的規律の伴った感情的規律の陶冶もとりわけ学習への関与の低い生徒には求められるのです。ガットマンは参加的徳性を涵養させるために、どのような感情的規律の陶冶のための訓練方法が必要なのかを考えるのです。ここに教師の専門職能力が必要であると言うのです。
 
教育の機会均等論
 
 恵まれない子どものに対する教育の機会均等の解釈は、三つあるとガットマンはのべます。それは、将来の子どもの生活機会を最大化するために教育資源を充当せせるべきあるという最大化解釈、もっとも不利な立場にある子どもを有利な子どもの立場にあるところまで引き上げるための教育を施すという平等解釈、子ども達の自然的な能力が学習に応じて教育資源を配分するという能力主義解釈です。
 
 ガットマンは、教育機会の民主的解釈の理解に、すべての子どもに同額の教育費を使うとか、子どもの集団にに同一の効果を生み出す必要もないとして、すべての教育可能な子ども達が民主主義のプロセスに実効的に参加するのに十分なように学習を求めるだでだとするのです。
 民主的参加に十分な教育内容は、民主主義の様相とともに常に変化すると考えるのです。しかし、学校は貧困児童に対して、社会に替わって補償することができない。学校は、仕事の創出、住宅、地域サービス、子どもの世話の施策に依存するのです。
 
ガットマンの高等教育論
 
 ガットマンの考える高等教育の目的論は、真理の探究です。そのためには、大学に勤務する教員の学問と自由と大学の自律性、自由が不可欠とされるのです。大学の現状についてガットマンは、次のように批判するのです。大部分の大学の教員は、基礎的知識や職業的技能を教えるように養成されていない。多くのアメリカのカレッジは、ハイスクール卒業生に基礎的知識の機会を提供しなければならない現状です。また、民主的な人格の形成にも十分でない青年が大学に入ってくるのです。学問の自由や大学の自律性についての理解が十分でないのです。
 
 合衆国の義務教育の延長の時代が到来しているとガットマンはのべるのです。カレッジを初等教育の一部とすることは、すでに子どもでない青年に教えることになるというのです。むしろ、大切なことは、カレッジを義務教育の一部とする見方よりも義務教育をもっと早い年齢から開始することに力を入れるべきではないかとガットマンはのべるのです。現実に、カレッジは、補償教育教育プログラムを実施しなければ正規大学の学問的プログラムに参加できない状況もあるのです。
 
 現実に、初等教育の内容を習得し、民主的人格の養成を十分に受けていない青年の存在が一定程度いるなかで、具体的にどう対処していくのかという問題もあるのです。ことを見落としてならないというのです。
 この意味で、高等学校の補償教育という次元ばかりではなく、義務教育の補償教育ということが大学の大衆化のなかでつきつけられているのです。ガットマンの問題提起ばかりではなく、大学の大衆化と、同時に加熱化する日本の塾の普及、学力競争の現実の問題を大学の補習教育の必要性の現状から検討していくことも求められているのです。
 
学校外教育
 
 ガットマンは、子どもの学校外教育として、図書館とテレビジョンをあげています。公共図書館の役割として、貧困の子どもは夏休み等の学校外でも十分な学習機会を家庭によって得られることが難しいとしています。
 十分な教育を保証するために図書館の整備も必要です。つまり、貧しい子どもにとっては、公共図書館を用意することが求められるのです。低所得の地域の図書館支所には、特別の図書の整備が求められため、地域社会に地域図書館委員の選挙権を認める必要があるとしているのです。
 
 テレビジョンと民主教育について、ガットマンは、公共的な学習文化にテレビは役割を果たすとしているのです。テレビは受動的で、娯楽であり、民主主義に貢献できなという論者にもガットマンは、民主教育の可能性があると反論しています。テレビジョンの公共性から商業主義ではない子ども向けテレビ番組が求められているとするのです。
 
成人教育について
 
  ガットマンは、成人教育について、1,美術館や博物館等の文化的機会の享受、2,希望する成人への高等教育の機会の保障、3,必要とする成人の初等教育の確保についてのべています。
 国家の文化的支援施策は正義ではないとする考えを批判するのです。一部の国民が文化的価値が認められないものは、正義、公共の福祉に役にたたないということです。ローズの主張は、高度な文化の享受者は、教育された人々だけではなく、教育を十分に受けられなかった貧しい人々にも機会を与えなければならなということです。ガットマンにとって、貧困はもっとも共通する文化的差別になるので、博物館、コンサート、オペラ等の入場料は値下げしなければならなとするのです。
 
 民主主義の政府は、大学レベルの成人教育ブログラムをどのようにすれば実現できるのかを考えることが必要です。高等教育のレベルを引き下げるのではなく、オープンユニバシティーを用意することであるとするのです。ここでは、内容のレベルを下げるのではなく、入学資格を設ける必要がなく、経済的理由によって成人を差別することをしないことです。イギリスでは、この条件を整備することによって成功しているとガットマンはみるのです。
 
 成人に初等教育を提供することは、16才以上の人口に多くの非識字者がアメリカにいるのです。この現実から成人教育を考える必要もあるのです。1976年で5700万人、16才以上の38%の人々がハイスクース以下の教育しか受けていないという現実です。このなかで半数近くが機能的な非識字といわれているのです。
 
 成人の非識字の問題は、民主主義における深刻な問題であるというのです。アメリカ社会で、多くの成人非識字者がいるのです。このことは、国民に十分な教育が行われいないということばかりではなく、民主主義にとっても大きな問題であるとガットマンはみるのです。非識字者が多いことは、民主主義にとって大きな危機であるというのです。