社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

子どもの虐待問題と社会教育の役割

 
子どもの虐待問題は、警察関与強化で解決するのか
 
 南日本新聞の3月25日の記事では、虐待 警察関与強化へと大きな見出しで書いています。児相と連携、OB配置促進というしです。全国の警察が昨年摘発した児童虐する待事件は1380件、保護した子どもは約4割というのです。
 
 政府は、児童相談所への警察OB配置促進や児相との連携などの警察の役割を強める対策を打ち出した。政府は警察による一層の関与を柱の一つに据えた。威圧的な保護者を想定した警察OBの配置です。財政面などの支援拡充を打ち出し、児相との情報の共有、児相の立ち入り調査に警察の同行の役割拡大を打ち出しているのです。
 
 警察法は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的管理と運営を保障することが明記されています。警察の責務は、個人の生命、身体および財産の保護に任じ、犯罪の予防と公共の安全と秩序の維持にあたることを責務としているのです。市民警察として、国民から尊敬と感謝される存在であるのです。決して、市民の自由と権利を犯すものではないのです。
 
 専門家からは、警察が前に出すぎると保護者が態度を硬化する恐れもあるという声もでています。ある警察幹部は、釈放後、児相に怒りの矛先を向ける親もおり、児相関係者の中には摘発強化に消極的な人も多い。警察は健全育成といった福祉面の意義を十分に理解したうえで、児相や民間などの協力を模索すべきという記事です。
 
 児童虐待問題の福祉的側面、精神医療的な側面等からの独自の社会教育的側面
 
 児童虐待問題の福祉的側面、精神医療的な側面等からの独自の社会教育的側面が全く考慮されていないのです。また、社会教育においても児童虐待に対応できる子育ての学習を展開する専門性との連携も十分にされていないのが現状です。
 
 専門性をもった児童福祉司の内容的な検討と配置の充実が求められているのです。現代における児童虐待の本質的なとらえ方は、福祉的な側面、教育的な側面、現代社会の家族問題、精神的な病の側面、人間関係の孤立化などから考えることが必要なのです。
 
 子どもの虐待問題は、精神的な病や孤立化のなかで、親の子どもに対する人権感覚のないことが大きいのです。親権は、親の子どもに対する支配権であるという認識も少なくないのです。このような状況の中で、福祉の機能を充実して、子どもも親も、人間らしく生きられる場の提供のために、地域社会のなかで絆を築き、社会教育の役割は極めて大切なのです。ときには、子どもと親を離す緊急避難的な機能もあるのです。相互の信頼の関係、相互尊厳の関係が将来的に構築することは、不可欠なことなのです。
 
 現在の安倍晋三政権は、子どもの虐待問題の対策に警察との連携の強化の促進を柱にしようとしていますが、その発想は、警察国家的な治安対策的発想が根本にあります。警察からの児童相談所への派遣の増強が検討されていますが、子どもの虐待問題は、刑法的な犯罪としての治安対策的なものではないにです。
 
 親の子に対する人権意識
 
 親の虐待は、子に対する人権意識のなさが根本にあります。また、地域社会、社会全体として子どもを育てていくという状況が核家族化のなかで崩れ、ますます親の個人的意識、個人的思いで子どもが育てられる傾向が強まっているのです。
 
 核家族化、親の個人化意識のなかで、児童相談所家庭裁判所、警察、学校、社会教育機関などの関連機関の相互連携が大切になっているのです。また、子どもを育てていく社会的養護という視点が大切にななります。未成年後見人や社会的養護施設の充実があらためて求められているのです。
 
 子どもは親の思うままに育てられるのではないのです。子どもは人間的に調和のとれた発達のためには、家庭環境のもので幸福、愛情のなかで育てられることが必要です。このために、親の役割は、子どもの成長にとって大切なのです。その状況がないなかでも子どもが育っていくには、大人による家族的な愛護の環境が必要なのです。社会的養護という視点においても家族の愛護のなかで子どもは育つという原則的な見方をはずしてはならないのです。
 
国連総会の児童(子ども)の権利条約第19条
 
 国連総会で、1989年に全会一致で採択された児童(子ども)の権利条約第19条では、親による虐待・放任・搾取からの保護をうたっています。国際的な共通の認識として、その条文を紹介します。まず、子どもの虐待は、身体的な虐待だけではなく、精神的な暴力と放任・怠慢な取扱を含むものです。この内容について、次のように述べています。
 
  「1,締約国は、親、法定保護者または子どものを養育をする他の者による子どもの養育中に、あらゆる養育中に、あらゆる形態の身体的または精神的な暴力、侵害または精神的な暴力、侵害虐待、放任または怠慢な取扱い、性的虐待を含む不当な取扱または搾取から子どもを保護するためにあらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとる」。
 
子どもを虐待から保護するためには、立法上、行政上、社会上および教育上の措置

 子どもを虐待から保護するために、立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとることとの重要性を指摘しているのです。虐待を禁止していく法的な措置だけではなく、行政的に虐待から子どもを保護する措置が大切なのです。子どもの虐待を禁止していく法的事項を具体的に行政的に整備していくことが求められていくのです。児童虐待から子どもを保護していくうえで、専門職の配置での児童相談所の充実をどうしていくのか。家庭裁判所児童相談所の連携の充実をどうしていくのか。

 児童虐待を防止していくうえで、法的には、親のしつけと虐待の関係が大きな課題になっています。とくに、民法822条で親の懲戒が認められているなかで、しつけとの関係で暴力を容認していく親も少なくないのです。体罰を明確に禁止していくことが法的に求められているのです。
 
 民法では、子どもの利益のために子の監護や教育する権利としての親権者の懲戒権ですが、親権は親の子どもに対する支配権という誤った見方が根強くあるということで、しつけのために暴力を容認していく親も少なくないのです。
 
 懲戒権は、体罰を含むものではないのです。しつけによる体罰は認められていないのです。学校の現場では、教育のために懲戒は認められていますが、体罰は許されていないのです。学校教育法11条には明確に規定されています。
 
 そして、「体罰禁止に関する教師の心得」を文部科学省は指導しているのです。体罰禁止は、とかく感情的行為と区別しがたい一面を有していることと、人格の尊厳を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の根本理念に反するということからです。家庭でも同様で、子どもの成長には、親との相互信頼と尊敬のなかで健全な人格が育つものです。そして、独自性としての家庭環境のもので幸福、愛情のなかで育てられることが調和ある豊かな人格に育っていくのです。
 
子どもの虐待を防止するために社会計画の確立
 
 国連の子どもの人権条約では、子どもの虐待を防止するために社会計画の確立と実体の調査、司法的関与の重要性を次のように指摘しています。
 「2,当該保護措置は、適当な場合には、子どもおよび子どもを養育する者に必要な援助を与える社会計画の確立、およびその他の形態の予防のための効果的な手続、ならびに上記の子どもの不当な取扱いについての事例の認定、報告、照会、調査、処理および追跡調査のため、および適当な場合には、司法的関与のための効果的な手続を含む」。
 
 子育ての社会計画の確立のためには、親の子どもの人権意識の現状、子どもの体罰容認や子どもを支配する親権意識などの克服のために社会教育計画が極めて大切なのです。法的に子どもの虐待防止を制定し、行政的にも整備しても親の子どもの人権に対する意識が大切なのです。
 
 そして、子どもへの虐待によって、法的に処罰されても親子関係の円満な関係が築くことは難しいのです。むしろ、親は、児童相談所家庭裁判所に対して怨みをもつようになっていくのです。親自身の教育的な作用なくして、親子関係の信頼関係、相互の尊厳関係、関係機関の感謝の関は育っていかないのです。法的に対応では、児童相談所家庭裁判所との関係は大切ですが、教育的な側面、信頼関係などの構築が大切なのです。
 
親権制限制度や未成年後見人制度は平成23年の民法改正
 
 厳しい体罰の状況に置かれている子どもを救うためには、親から子どもを一時的に離す児童相談所の一時保護も大切です。また、ときには、親権の一時停止もやもえないこともあります。
 
 親権制限制度や未成年後見人制度は平成23年の民法改正により最長二年間の親権停止が可能になり、その請求には、子ども本人や未成年後見人などにも拡大するようになったのです。
 
子どもの申し立てたには、満10才程度であれば
 
 また、未成年後見人には、個人だけではなく、社会福祉法人も可能になったのです。子どもの申し立てたには、満10才程度であれば、意志能力があると解され、裁判所長は、弁護士を手続き代理人として選定できるようになったのです。
 
 10才程度であれば子ども本人が親権制限の申し立てができるということですので、学校教育関係者が身近に日常的な子どもとの接触がありますので、子どもの生活上の異変も気づきやすい立場にいるのです。子どもの健全な発達、命を守る立場から親の虐待について、教師は真剣に向き合うことが求められている時代です。
 
 むしろ、教師は親との関係で無理な要求をつきつけられ、クレーマーになって恫喝されて悩んでいる現実もあります。モンスターペアレントという問題です。我が子を自分の分身・所有物と錯覚して、学校に自己中心的に要求してくることです。親の孤立化、子ども発達のことを知らない大人の価値観でみてしまうことなど様々な問題の意識状況があるのです。
 
 児童相談所児童虐待相談件数は、平成28年度に12万2578件にあがっています。児童相談所家庭裁判所の役割は益々大切になっていますが、同時に子どもの人権、子どもの最善の利益などを考えていく社会教育の役割が不可欠なのです。
 
社会教育が機能していかねば
 
 社会教育が機能していかねば、社会全体が法的な処理、警察権の社会秩序のみになり、親自身の児童相談所家庭裁判所、警察への不信と怨みにつながり、かえって不信社会を助長していくことになるのです。社会全体で子どもを育てて、子どもの人間的な人格の発達につながっていかないのです。
 
  地域の身近なところから児童の虐待の防止体制を築いていくうえで、虐待を防止していく市町村の職員体制の確保・専門性の向上が不可欠です。このためには、 必要な職員の確保がなければ実施できないのです。市町村の相談担当職員の7割は兼務であるといわれます。
 
 
 また、相談担当職員の37%は一般行政職です。児童福祉司任用資格相当の職員は8%弱、社会福祉士は2%にすぎないのです。各市町村とも児童虐待の人材確保に、一般職員からの任用が多いために苦心している状況です。児童虐待が多くなるなかで児童福祉司のあり方の専門職員採用のあり方や社会教育職員のなかで子育ての専門職員の採用なども検討する段階になっています。
 
 そもそも児童福祉司は、専門資格を持つ職業ではないのです。地方公務員試験に合格して児相に配属された職員のことなのです。その職員の専門職のあり方の検討が必要なのです。
 
 現状では、多くの児童福祉司は数カ月の研修で現場に出ています。児童虐待の対応には保護者との関係構築が不可欠です。一人前になるのに10年はかかると言われています。野田市の女児のケースを担当していた柏児相は、勤務年数が3年未満の児童福祉司が非常勤職員を含めて56%、計41人中、実に23人を占めていたのです。

 親が児童福祉司を大声でどう喝したり、暴力を振るったりするケースは少なくないという。さらに、ひどいときは、刃物を持って「子供を返せ」と乗り込んできたり、鈍器のようなものを投げつけたりする親もいるというのです。ここには、明らかに親と相談機関の信頼関係がないこともあらわしています。
  政府が2022年度までに児童福祉司の数を6割増やす方針を打ち出していますが、専門性のない人や非常勤の経験のない人が配置されれても十分に機能しないのです。
 
 
 
 
 
 
 

正義論と社会教育-民主主義社会の道徳形成ー

 為政者が正義に生きることは、日本の武士道にあった!
 
  正義に生きることは、日本の武士道にとってあたりまえの徳育であったのです。民主主義の発展には、人間尊厳、相互尊重・相互扶助の人間らしく生きていくことが必要です。ここには、正義感覚をもった市民形成が要請されています。正義は、ときの為政者によって、大きく曲げられていくことがたびたびあるのです。
 権力を握った為政者は、私欲に走り、民のため、公のことを忘れがちになるのです。民主主義にとって、常に厳しく問われるのは、正義に生きる為政者です。政権をとった政治家や高官は正義の姿が求められます。そして、民はそれを見張る役割としての政治参加があるのです。選挙や直接請求、告発や訴訟は、民主主義社会の形成にとって大切な課題です。これらのために、社会教育は不可欠です。その基本に、為政者を縛る憲法の学びが大切になっているのです。
 
 権力を握る政治家は、民主主義、人間の尊厳、相互尊重の人間らしく正義に生きる。この言葉は、現代の政権において、死語になっているようにみえます。日本の伝統的武士道にとっては、民のために正義に生きることが基本であったのです。武士は、正義を持っていることが誇りになるのです。
 
 現代の日本国憲法のもとでは、法のまえに平等であります。基本的人権は犯すことの出来ない永久の権利として信託されています。日本国憲法の内容は、為政者が日本の主権在民者に対して、誠実に守る責務でもあるのです。
 今の国会での政府答弁では、様々な不正疑惑に対して、首相、大臣、高官もまともに答えない状況です。記憶にない。覚えていない。起訴されているので答えられない等という言葉が続いているのです。
 
安倍晋三政権の退廃状況
 
  国会での統計不正問題では、事実でない報告ということでグレーであるが、隠蔽は確認できなかったと、しらじらしく言う。信じられない矛盾に満ちた発言です。まともに議論を深めず、建設的に不正をなくしていく制度設計にほど遠い状況で、はぐらかしと、その場しのぎで、うそと人を騙すことがまかりとおっているのです。
 
 そして、特定のグループの私欲のために国が動かされているようにみえます。政権を握る人々や一部の財界の幹部は、日本の社会のこと、国民の生活のことを全く考えていないで私欲に走っているようにみえます。日本の社会全体がうそと人を騙すことに走っている悲しい現実があるのです。
 
 武士道の正義
 
 薩摩の郷中教育では、出水の兵児修養の掟にみるように、「偽りを言わず、身に私を構えず、心素直にして、礼儀正しく上にへつらわず下をあなどらず、人の艱難を見捨てず、温和慈愛にして、人に情けを施す」ということです。、地域社会の若者集団のなかで絶えず、これらの心構えを暗唱していたのです。身に私を構えずということで、自己利益、私欲で生きることを大きな恥としたのです。私欲を絶え間なくコントロールして、公の民として生きることを美徳にしたのです。
 
 新渡戸稲造の著書「武士道」でも正義の道理、人の上にたつ条件として、民への仁愛の心を大切にしたとしています。正義は武士道の光輝く再考の支柱なのです。正義は素直で、正直な、徳行で絶大な賞讃を与えられていたとするのです。武士の情けは、正義に対する適切な配慮です。
 
 
 武士の情けは、生かしたり、殺したりする力を背後にもっているのです。武士の慈悲は、民にとっての受益者の利益になっていくのです。武士はいつでも他者への憐れみの心をもっているのです。礼とは他人に対する思いやりを表現することです。礼は最高の姿として、ほとんで愛に近づくものです。新渡戸稲造は以上のように武士道の正義についてのべるのです。
 
 日本の商人の伝統的正道
 
 
 日本では、石田梅岩をはじめ昔から経済活動をしていくうえで、私欲をおさえること、商いは公のためと、利他の心をもつことの重要性を強調してきたのです。商人の正道は、仁愛の精神です。買ってもらう人に自分は養われているという見方です。
 
 
 飢饉があったとき、飢えた人を商人は救うのです。それは、商人の正道です。商人は買い手が満足するように身を入れて努力すれば暮らしの心配はなくなるというのです。商人の利益は公に許された俸禄と同じです。商人は利益を得て、その仕事を果たせば世間の役にたつということが石田梅岩の考えであったのです。
 
  経済的・社会的格差が広がり、自己利益、特定の派閥・仲間のための金銭欲のために為政者が動いていけば社会的退廃がはびこっていくのです。正義に生きる為政者は、民のために、貧困の人びとを救済します。自由で人間らしい暮らしの喜びをもてるように施策を工夫するのです。それらを実行していくのが正義の努めです。社会的公正さ、公共的な福祉が失われていけば、刹那的、享楽的に社会が走っていくのです。
 
 社会的退廃とファッシズム
 
 社会が退廃していくことは、民主主義の危機です。ドイツの戦前のファッシズムへの道や日本の軍国主義化でも社会の退廃が進んでいったのです。ファッシズムの社会的基盤を分析し、それと戦った社会学者のマンハイムは、近代の資本主義社会の発展は、無政府的で、多くの人びとが群衆となり、一部のエリート支配と2つの局に分断されていくと分析しました。
 
 エリートにコントロールされる群衆を形成する大衆社会は、ファッシムへの社会的基盤として、警告したのです。そして、人びとが参加していく民主的な社会計画論を強調しました。この民主的社会計画は、人間性をもった総合的な視野からの教養に裏付けられた知識社会のための教育がなければ実現しないと。
 
 民主主義のための倫理・道徳の教育があってこそ、民主的社会計画の能力が個々につくられたのです。つまり、個々の自己利益、エリートになるための競争主義の教育が出発ではないのです。

 アメリカの社会学者のミルズは、20世紀後半のアメリカを「パワーエリートは金権社会のなかで構造的に退廃する」ことを強調したのです。このなかで、官僚制を克服していくうえで、公衆の参加民主主義教育の役割に糸口をつかみました。
 
 現代社会は、ポピュリズムの蔓延するなかで、現実の金権政治が横行することで、モラルなき金銭欲に走り、オレオレ詐欺から暴力的な最も恐ろしい高齢者をねらったアポ強盗事件が起きるほどです。
 
 すべての基準が金銭欲に走る状況がみられます。正義とは何かがあいまいにされ、正義を語ることは白々しいと敬遠される時代です。正義は、どこかうとましい存在になっているのです。現代は、為政者をはじめ社会的モラルや社会的ルールがおかしくなっているのです。
 
 社会的協働の重要性
 
 本来的に人間の尊厳や社会のなかで生きていく相互尊重と協働の関係が衰退し、立身出世、権力・権威獲得と金銭欲獲得の弱肉強食競争社会の関係が幅をきかせているのです。
 
 人間らしく生きるということが鋭く問われているのです。これらの現実に向き合う社会教育をどう構築していくのか。人間らしく生きたいと思う多くの人びとの潜在意識をどう引き出していくのか。それを潜在能力として地域社会のなかで人間的な相互扶助、協働、共生の関係を作り出すが求められています。つまり、参加民主主義の学習をどのようにして作り出すかが求められているのです。
 
 震災などで多くの若者が自主的・自発的にボランティアに参加ました。そのことは、地域社会で人間的に生きていく未来をみていくうえで大切なヒントを与えてくれます。人々が窮地に陥っていることに共感を示して、自分が少しでも役にたてばと生きがいをもって活動しているのです。
 
 人間のもっている潜在的優しさ、相互扶助を開花させているのです。より、動物的な側面の競争主義から人間的になっているのです。動物は自然の掟で欲望がコントロールされていきますが、人間がより動物的に欲望を拡大していくと果てしなく拡大していきます。人間は、社会的正義という道徳力の教育によってコントロールされていくのです。
 
 ところで、世界は原発の廃止から再生可能エネルギーの方向に動いていますが、日本は原発の再稼働で莫大な費用を使っています。九州電力が再稼働のための安全対策として1兆円近く投資をしています。福島における原発事故の処理費用には、80兆円かかるといわれています。税金や電気利用者からの支出です。まさに、宇宙的な数字です。
 
 日本の経済には、国民の生活が豊かになることによって、発展します。格差社会がひろがり、非正規労働者、雇い止めの労働者などの不安定労働市場が拡大するなかでは、国民の働く意欲も減退し、摩擦が増え、経済も発展していかないのです。実に悲しい日本の現状です。うそをつかない、ひとをだまさない、弱いものをいじめないということは、あたりりまえのように昔から教えられてきたのが今鋭く問われているのです。
 
 社会的リーダー・経営者の役割
 
  社会におけるリーダーや経営者の役割は極めて大切です。もちろん、もの作りや社会的労働によって人々の生活や未来をつくりだしている労働者の役割も大切です。それぞれ、人は社会のなかで役割を果たし、相互に支援されて生きているのです。社会の相互尊重や社会的協働は、大切なことです。
 
  社会的正義をもつ経営者は、 職務上だけの利益ではなく、公的な義務をもっているのです。道徳的資本主義のためには、人類的な理想の公的な義務という崇高な目的をもつことであると、スティーブ・B・ヤング氏はのべます。彼は、道義的資本主義のために、自己中心的ではなく、高潔な目的による道義的的責任の使命感をもつことであるとして次のように述べています。

 「道義的資本主義では、人は崇高な目的に奉じることができる、人生は巨大な目的のためにある、という使命感をみつけることができる、と想定する。私たちが単に自己中心的な意欲ではなく、高潔な目的を持った代理人であることを道義的に認識していれば、相手に対する代理関係において自らの権力をいかに行使するのか、という直接的な責任を担うことになる。
 道義的資本主義は心のあり方や指南力、考え方を問う。・・・・・受託者の義務は、権力を行使する場合には他者に配慮せよ、とする道義心から生まれる。信託的思考は、意思決定における道義心、人格の倫理的規範、英知を教える。信託的思考は、私たちを信頼できる存在にする。それにより、私たちが暮らし、働く社会の道義心が良質のものへと高められていく」。スティーブ・Bヤング著経済人コー円卓会議日本委員会+原不二子(監訳)「CSR経営モラル・キャピタリズム グルーバル時代の資本主義のあり方」生産性出版。91頁~92頁
 
 権力を行使する場合に、高潔な道義心による他者の配慮、公的な義務を強調して、受託者の義務による人格の倫理的規範における暮らしと社会の道義心を良質なものへと高めていくことの重要性をのべているのです。
 
 国連のグローバルコンパクトにおける社会的退廃への警告
 
 国連グローバル・コンパクトでも腐敗は、世界最大の課題としています。腐敗は持続可能な開発にとって大きな障害となっているのです。国連グローバル・コンパクトの見方は、貧しい地域に不当な影響を及ぼすことだけでなく、社会構造そのものを腐食していくという認識からから積極的に社会的退廃の克服をとりあげています。
 
 腐敗の防止に関する国際連合条約は,すでに、2003年10月に国際連合総会において採択されています。腐敗防止に関する国際連合条約の前文では、腐敗が国際的な現象になっており、民主主義と社会的正義、並びに持続可能な社会を危うくするとしているのです。

  腐敗の防止に関する国際連合条約では、腐敗防止の闘いに、総合的に取り組むことが大切としています。このためには、国の腐敗防止の制度的な設計と管理責任と同時に、市民社会、非政府機関、地域社会の組織の参加を得て、国と相互に腐敗防止に闘っていくことの必要性を強調しているのす。

  ステークホルダー資本主義という考えは、すべての人びとが経営との関係を結びつくことができるようにするものです。そこでは、すべての人々が経済的恩恵をうけられるようになることです。ステークホルダー資本主義として、企業が関係をもつ従業員、お客様、地域社会、取引先、株主・投資家との民主主義的関係の在り方が模索される時代になっているのです。

 グローバル時代の資本主義のあり方として、道徳資本主義(モラル・キャピタリズム)、企業の社会的責任(CSR)が大きく問われるようになっています。経済人コー円卓会議(CRT)は、企業の行動指針として、獣欲的な市場を廃しての道徳的な資本主義の価値と行動を積極的に提唱しています。
 
 経済人コー円卓会議は、激化する貿易摩擦の緩和、日米欧の社会経済の健全な発展という企業の倫理や企業の社会的責任という道徳資本主義の目的のために、スイスのコーという地域に、世界の経済人が集って1986年に創設されたものです。

 企業の社会的存在価値は、国際競争のなかで、生き残りをかけているだけでは不十分です。企業は、市民の一翼として、自ら創造した富を分かち合う公平の精神による社会的責任が課せられています。人間の尊厳の見方が基本です。それぞれの人々の文化や生活様式の質の保全と向上をめざしていくことです。

 働く人々は、人間的に生きていくために、健康はもちろんのこと、品格も大切な要因です。モラル資本主義を構築していくうえで、従業員には、社会的な正義、公平、法令遵守で誠意をもって働くことを求めているのです。

 企業が従業員の人間尊厳を保障していくためには、性別、年齢、人種、宗教の差別をしないことはもちろんですが、障害者の雇用の保障のように、十分に人間的に能力を発揮できるような職場の確保をしていくことです。

 人間の尊厳、公平、正義という公益を重視する企業の存在を大切にするためには、そのための国家のきめ細かな社会制度づくり、経営者、社員や地域社会、消費者をはじめ公益性を重視する社会的な市民意識の変革が必要なのです。
 
 ステークホルダーごとの調整関係のみに力点をおいて考えていくのか、企業の批判勢力として見ていくのか、基本的な経営のフィロソフィで判断していくのか。この問題を企業の社会的責任から突き詰めていくことは経営にとって大切なことです。
 
 ロールズの正義論
 
 功利主義と弱肉強食の競争社会のなかで私欲の絶対化がはびこるなかで、公正な社会をどうつくるのかと、政治哲学者のロールズは、1970年代以降の社会福祉国家への再構成をしていくうえでの政治思想である正義論を展開するのです。
 
 個人の自由と権利の尊重と社会全体の福祉、公正ということからの社会的・経済的不平等の現実をどう克服していくかという正義論であったのです。自由と権利は自然権というのです。経済的・社会的不平等は、政治的平等を阻害するとロールズは考えるのです。社会は本来的に社会的協働によって成り立っているのです。
 
 経済的・社会的不平等の是正は、社会的最低限の生活水準を保障していくことを要求しています。また、持続可能な社会を築くために、現世代が年金資源をくいつぶさないように、天然資源を枯渇して後世代に不正をはたらかないよう。以上のようにロールズの正義論はソーシャルミニマムの考えを提起しました。また、公正な機会均等の原理を大切にしたのです。
 
 ローズは公正としての正義は、立憲デモクラシーの哲学的構想のなかでのものです。立憲デモクラシーにとって最優先しなければならないことは、自由かつ平等な人格をもった市民形成であるとしています。功利主義は、この基本的な権利・自由に対して満足できる根拠を提供できないとロールズは考えたのです。
 
 正義感覚の能力と善(幸福)の構想の能力を適切な仕方で発達させる社会的条件が必要としたのです。思想、良心、結社という自由は、この二つの道徳的能力の発達のために必要不可欠なことです。
 
 人々は自己利益の追求にとどまらない、より高次の利害関心である公共心に満ちあふれた市民に発達していく能力形成が求められているのです。公正なる正義は、財産所有のデモクラシーと福祉国家を要求します。財産所有のデモクラシーは、富と資本の集中に対して、分散を図り、一部のものが経済を支配することを防ぐことです。
 
 これには、政治の役割があるのです。公正な機会均等論から人間の能力を自由に発揮するために教育の権利がすべてに保障されるように、あらゆる機会、あらゆる場所、あらゆる時期、年齢で保障されるべきなのです。社会の相互尊重による社会的協働労働は、自由で民主主義的参加が条件になるのです。
 
 社会尊重による社会的労働が、すべての人々に享有されることにより、活力ある豊かな生きがいをもった社会の形成がされていくのです。財産所有のデモクラシーは、人間の自由で自己の能力を生きがいをもって発達させていくことと車の両輪であるのです。
 
 正義感覚をもっている人は、友情や愛情、相互信頼の絆を有しています。人類の一般的利益に役立っている制度や伝統への専心の代価としているのです。道徳的情操は、通常の人間生活の一部になるのです。
 立憲政治にとって、道徳的情操による公共的運営が必要になるのです。公共的な正義感によって統制されている社会では、内在的な安定性をもっているとロールズは考えるのです。
 
 平等な正義を要求する資格は、道徳人格をもっていることです。道徳人格は、合理的な人生計画によって表明された自分の善についての構想を抱くことができます。また、道徳人格は、正義感覚に基づいて行為したという欲求をもつことができるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

国連の小農と農村の人々の権利宣言と社会教育

国連の小農と農村の人々の権利宣言と社会教育

     神田 嘉延

 国連は2018年12月18日に小農と農村で暮らす人々の権利宣言を121国の賛成多数で総会で採決しました。日本は広範に小農と農村をかかえながらこの採択には棄権しました。残念なことす。
 国際競争力の農業、選択と集中ということで大規模農業施策をかかげる安倍晋三政権のもとで、世界の動きとは違う農業施策を推進することで受け入れることはできなっかったのです。現実の日本の農村を無視したものです。
 高齢化、過疎化した現状のなかで,国連の宣言は日本の農村活性化のためには有効な内容だと考えます。もちろん農業生産法人の動きを決して否定するものではありません。二者択一の問題ではないのです。

 日本の農業や農村は食糧生産はもちろんのこと、それだけではなく、防災の機能、子育て教育の機能、健康のための癒やしの機能をもっています。また、地域づくりにも大きな役割を果たすのです。地域の協働や協同コミュニティ機能、地域の伝統文化芸術、生きていくうえでの大切な誇り精神的機能、観光機能など様々な機能があるのです。
 国連の小農と農村で暮らす人々の権利宣言を広く日本の人々に伝えていくことは、農業や農村の役割を見直し、日本の豊かな文化と暮らしをつくりあげていくことと日本の食糧自給にとって大事なことです。さらに、日本の文化、自然災害の防波堤機能、自然景観を守っていくうえでも重要なことです。

小農と農村で働く人々の権利宣言は、人類普遍原理

 小農と農村で働く人々の権利宣言は、人類普遍原理の人権宣言を現代の世界における農村での様々な問題状況から具体化した宣言です。この小農・農村の権利宣言は27条からなるものです。
 この宣言は農村の暮らしに依存する土地、水、自然資源などを保存し、持続可能な社会を達成するために食や農村の主権を考えたものです。とりわけ農村の若者たち農村で暮らせるように農村経済の多様性、農業以外の雇用の施策を重視しているのです。これは農業ばかりでなく兼業を積極的に提起しているものです。
 締約国は本宣言の権利宣言を法的、行政的および他の適切な措置で迅速にとらなければならならないとしています

 小農と農村で働く女性について、その権利を積極的に打ちだしていることも特徴です。これは小農と農村で暮らす女性の無権利状態があるからです。農村の女性の教育や研修をとりわけ重視しているのです。そして、女性に対するコミュニティサービスや相談、自助グループと協同組合の組織の権利保障をあげています。また、女性の人権保障としての暴力を受けない施策の重要性を指摘しています。

 農村におけるさまざまことを決めていくうえで、参加の権利保障を重視しているのです。そして、結社の自由、思想信条の自由、言論表現の自由、移動の権利、生命と自由安全の権利の保障、働く権利の保障などをあげています。
 食の主権は、飢餓から逃れるため社会的公正、生態系を配慮したものです。種子と伝統的知識の維持管理継承は生態系の配慮からの持続可能な社会を維持継続するためのものです。生態系を守るアグロエコロジカルな環境の整備と教育は大切なのです。

 国連の小農と農村で働く権利宣言を社会教育から考えていくうえで第25条の教育と研修の権利と第26条の文化的権利と伝統的知識の権利は大切な内容です。

農村での教育プログラム

 教育プログラムは小農と農村で働く人びとの協力によって開発実施しなければならないとしています。上から一方的に行政や教育者が押しつけるものではないのです。参加民主主義が教育プログラムに保障されていなければならない。
 生態系を配慮しては、伝統文化を尊重してアグロエコロジカルな環境整備のもとに教育の実施されるものです。参加型の植物育種が求められ、公平かつ参加型の農業者とのパートナーシップが教育者と科学者に求められているのです。農業者の主権を考えての教育者や科学者の関係性が大切なのです。

 また、農業分野の学校の大切をあげています。日本では農業高校や農業大学校、農業系大学がありますが、ここでの地域農業の発展を考えての国連の小農と農村で働く人びとの権利宣言に基づいた教育が大切になるのです。学校教育のなかでも国民教育として、農業と農村の多面的機能の認識が大切なのです。

 小農と農村で働く人びとは自身の文化を享受し、文化の発展を自由に追求する権利を有すると国連の宣言ではしています。個人として集団として国際基準に従って地元の慣習、言語、文化、宗教、文化芸術を表現する権利を有するということです。教育においてこの課題をいかに保障していくのか。伝統文化の保障は決して人類の普遍原理である人権保障を無視した家父長制度や奴隷的、封建的な残存を認めるわけではないのです。

小さな自治と小学校の校区

 

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

 

 

           
 小さな自治と小学校の校区の社会教育的役割 
                      
       神田 嘉延

 (一) 小さな自治としての小学校の校区
 
 小さな自治を地域の暮らしからみていくうえで、小学校の校区自治の役割が大切である。農山漁村における小学校の校区は、歴史的に、伝統的な村落共同体に依存していた側面がある。

 小学校の校区は、明治の近代化のなかで、新たな暮らしの地域共同体となった場合もある。伝統的な村落共同体に依存している小学校の校区では、入会権による学有林をもっている場合もある。そこでは、校区自身が自主的な財源をもっている。

 鹿児島県の山間部では、小学校の校区の学有林があり、学校の施設整備などに住民の寄付行為と体育館などの学校施設整備に寄与する場合が少なくない。旧霧島町には、三つの小学校が存在している。それぞれ、学有林をもち、地域によっては、奨学制度や認定こども園を住民立でつくっている。

 永水小学校では、1992年より山村留学をしていますが、始めるときに、小学校の林野財産区から80万円、地域の奨学会から30万、町から70万の予算を山村留学実行委員会はもらっている。

 鹿児島県霧島市竹子(たかぜ)の小学校の校区は、山の共有林を中心に共生会をつくっている。山に木を植えて、子どもの教育のために積極的に利用していこうということで、明治14年に小学校ができたころから「山には木を、里には人を」と山の整備と学校の充実を一体としてとりくんできたのである。

 鹿児島県の出水市上場高原では、集落ごとの対立が水利権問題などで地域が一体でまとまっていたわけではなく、小学校の存在によって地域がまとまってきたのである。小学校のまとまりによって、2つの自治公民館が水道事業等のむらづくりに統一してとりくみ、1998年度のむらづくり日本一として表彰される。

 鹿児島県の出水地方の学校給食に上場高原牛乳を提供して、地域の銘柄牛乳の生産地になっていった。市当局と教育委員会が積極的にとりくみ、出水の都市部との交流、産直も行われていくのである。
 神田 嘉延「むらづくりと公民館」高文堂出版参照

  鹿児島県知覧の松ヶ浦高等小学校は、明治35年から明治45年まで学校統廃合に反対した住民が自ら住民よりの寄付金によって、教師を雇い学校運営をしているのである。この小学校は江戸時代から稽古場を中心に浜の住民が独自に大字行政区をつくり、小学校をつくっていくのであった。

 近世の行政村では、浜の地域は、別々の村で農業を営む地域から差別を受けていたが、明治になって、小学校の校区を中心に独自の行政村をつくりあげていくのである。

  長野県下伊那郡伊賀良村(昭和31年に飯田市に合併)は、学校存続問題で明治時代から村がゆれてきた地域である。明治31年に中村地区の分教場が独立していこうとする村当局との紛争である。自ら資金を集め、学校の建築を行い、高等科も設置するのである。

 しかし、郡長の命令によって、強引に学校の統合が大正2年に決定され、中村校区の住民は、分村の請願、児童の同盟休校がされるのである。校区住民は、訴訟運動を展開していくのである。中村区民の粘り強い地域の学校存続運動があったのである。

 中村の校区の住民が学校の設置や管理運営をできた財政的な基盤は、広大な共有林野の存在があったことを見落としてはならない。小学校の校区がむらづくりの単位になっている事例は数多くあることをみていかねばならない。「伊賀良村史」868頁~899

 学校は地域の文化センターとしての役割を歴史的にもってきた。農村において、学校の運動会は、地域の運動会であった。これは、村落共同体に依存して学校が形成されてきたという歴史的性格から、地域行事と学校行事が結びついてきたことからである。

   農林漁業を生業とする地域では、明治以来続いてきた行事である。学校は地域が支えてきたという歴史をもってきた。とくに、僻地では、国や地方自治体から教育を見放されたところが少なくない。離島地域や開拓地では、見放されたところが多い。

  1992年にむらづくり日本一になった沖永良部の国頭も小学校の校区単位で積極的に地域づくりと社会教育活動をしている。ここでの社会教育活動は国頭字の自治公民館である。土地条件も悪く、農業に不向きな土地であったが、岩に海水をたたきつけながら塩をつくって生計をたててきた地域であった。

 この地域では、自生していたゆりを商品化して豊かになったのである。自ら創意工夫して、市場を開いてきたのである。自立自興というために伝統的に教育を重視して、地域の共同の力で子育てをし、自治公民館を拠点に地域づくりをしてきたのである。学校の庭には、「潮干す母の像」を地域の教育目標のシンボルにしている。

鹿児島の沖永良部で最も貧しい地域といわれた。沖永良部の国頭では、地域で自分たちの資金を出して、学問所を設立している。明治6年頃に、十数名の子弟の教育を、二間角の粗末な家を建てて、学校と部落民がつくった。

 沖永良部は、西郷隆盛が獄中で生死をさまよったところである。牢の看守役人によって、奇跡的に助けられ、牢に入った西郷が教師になって子ども達に学問を教えたところである。ここには、社倉という助け合いの精神によって学問所がつくられていくのである。

   明治10年に、八間に四間の茅葺きの馬小屋建で、校庭20坪ほどに過ぎない学問所をつくっている。明治15年の学制変更により、小学校を初等、中等、高等の三等科としたが、国頭の校舎は、完全なる設備を有することができないため、教授に不都合であった。

   明治19年に学制の変更により、校名を簡易小学校と改称し、尋常小学校の代用をしていた。明治23年に小学校簡易科を廃して、高等尋常の二科のみの存置を布告があったが、その要求に応ずることができず、簡易科を設けて教育を継続している。

 小学校は、地域住民の子育てに対するアイデンティティ形成として大きな役割をもっている。とくに、農村においては、小学校が地域の文化センター的役割をもってきた。農村における小学校校区は、大字または、大字連合によって、歴史的に形成されてきた。

 しかし、一方で地域の生活・生産の共同体的機能という側面を校区が強くもっていたのである。ここに村の学校の2面性が歴史的にあったのである。農村における矛盾関係があっても子育ての機能は地域の大きな共同的な機能であった。小学校は、村落の人々がまとまっていくいうで大きな機能をもっていたのである。さらに、小学校は、農村の地域住民にとって、地域の文化的統合の機能をもっていたのである。

   北海道の開拓農民は、小学校をたてることが、開拓の第一歩であった。鹿児島からブラジルにわたった人たちも同じように学校建設が開拓の第一歩であった。日系人がつくった中南米最大の協同組合に発展したコチア産業組合も学校を拠点に展開したのである。

  そこでの学校は、子どもを教えることはいうまでもないが、地域の文化センターとしての役割を果たした。小学校の校区は、地域の運動会や地域の青年・大人たちの学ぶ場としての機能している。農業研修や農業開発のうえで、大きな役割を果たしたのである。コチア産業組合の現在は、倒産から、原点にかえって地域に根ざした学びを大切にしての再建運動を展開している。

  学校が地域づくりの拠点になり、地域住民の英知が学校に結集しているのである。アメリカの組織学習協会の創始者のピーター・M・センゲは、学校を教える組織から学ぶ組織に変革していくことを強調している。

 その学ぶ組織の変革では、コミュニティとの関係を重視しているのが特徴である。そして、持続可能性をもつコミュニティにとって必要なことは、教育との関係であるとのべる。
 「学校システムがコミュニティの中で一歩前に出てじっくり考える役割を果たさなければ、あるいは、教育長が他のコミュニティのリーダーとよい関係を築いていないとか、住民が学校をコミュニティに対する有力な貢献者と見なしていなかったらすれば、それはコミュニティ内のつながりの力が弱いことを意味している。

 ・・・貧困にある子どもを支援する団体は、社会サービスの関係者だけではなく、教育者ともつながれる。教育に関する活動は博物館、オーケストラ、公共図書館、ボーイ・スカウト、劇場、文化保存団体、公共サービス、宗教組織、地方の法律関係団体、ヘッド・スタート、ビジネス界などコミュニティの中の多数の機関で行われている」。

 ピーター・M・センゲ編・リヒテルズ直子訳「学習学校ー子ども・教員・地域で未来の学びを創造する」英治出版703頁~705

   ピーター・M・センゲのグループは、地域の資源や人材を生かしての地域づくりをしていくうえで、地域の自然、文化、歴史、人材を見直していこうと学際的なフィールドワークの地域学の手法を学校教育で応用している。それは、地域教材によって、カリキュラムマネージメントに利用していことすることである。

  学校教育の新しい考え方として、中央教育審議会は平成2712月に「学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策」を答申している。「学校を核とした地域力強化の観点から,全公立小・中学校において,学校と地域が連携・協働する体制を構築するために,コミュニティ・スクールや学校支援地域本部等の取組を一層促進する旨が示されている。

 地方創生の実現に向けて,これからの子供たちには,地域への愛着や誇り,地域課題を解決していく力が求められている」。この答申での開かれた学校とは、地域の将来の担い手を育てるために、地域でどのような子どもを育てるかという教育目標やビジュンを住民と共につくりあげていくことの提言である。
 それをどのように具体的に実現していくのかは、社会教育専門職員が、そこでどのような役割を果たしていくのか明確ではない。一般行政の役割や社会教育の役割を含めて検討していく課題がある。

  学校教育では、社会教育と連携して、地域の人々と共に、地域に誇りがもてるような教育をしていくことである。地域で働き、生活する人々が学校教育に出かけていくことが期待されている。また、地域の教材を積極的に授業で活用する教師の実践も求められている。

 社会教育法が改正され、平成29425日に文部科学省は、地域学校協働活動の推進にむけたガイドライインを出している。ここでは、学校を核とした地域創生を積極的に打ち出し、学校には、社会に開かれた教育課程を推奨している。地域学校協働本部が地域住民からつくられていく時代とするのである。

  例えば、宮崎県都城では様々な地域団体が積極的な活動をしている。しかし、それらが、統一的に地域振興計画や社会教育計画と結びついているわけではない。行政による地域づくりの長期的な戦略が不足している。

 都城では、盆地祭りの継続性の問題やおかげ祭りなどとの連携・各種機関や団体との横のつながりをつくる必要性と講座の開設が求められている。地域デザインの仕事としての、地域社会教育計画と策定という社会教育専門職員の役割がないのである。
 
 (二) 小学校の校区と社会教育の可能性
 
 校区公民館の設置形態は多様である。1,小学校などの区域に設置されている市町村立の条例公民館という形態、2,校区単位に条例公民館の分館を設置している形態、3,学校区を超えた地区の条例公民館の管轄のもとで、学校施設内に公民館を設置して、小学校の校区住民による運営審議会によって運営している形態、

 4,小学校の校区単位での自治会や字の自治団体による財団法人による管理運営している形態、5,小学校の空き教室などを利用しての学校施設開放と、住民の主体的な学習組織ということの学社融合の機能を行い、校区コミュニティづくりを積極的に展開している形態、6,市町村自治体が、新しい小さな自治体として校区を位置づけ、福祉と結びついて公民館活動を展開している形態など、その設置形態は多様である。

 校区公民館の設置形態は、一律ではなく、それぞれの自治体によって、位置づけが多様であり、住民の対応の形態も複雑である。多様化する校区公民館の形態で、共通していることは、校区は、住民の日常生活に密着した学習文化活動の区域としていることである。

 校区公民館は、社会教育法の公民館の目的における「実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進を図り、生活文化の振興を増進に寄与する」(第30条)ということで、歩いて行動でき、実際生活に即する地域生活の密着した学習区域として、大きな意味をもっている。

  山村留学による村の小学校の活性化は、里親による都会の子どもの受け入れ、寄宿舎の設置として対応してきたが、今日では、都会の家族受け入れていくという親子留学制をとるところが生まれている。これは、過疎化によって、空き家が増えたことの対策と、地域産業振興における都会の人材の積極的活用という対策と子どもの教育活動が結びついたものである。この地域づくりを社会教育からみていく場合に、地域の人々の人材養成、個々の諸能力形成の問題がある。

 親子留学は、従前の地域で暮らして人々ではなく、都会などの外からくる家族であり、新たな仕事探しの課題があるのである。農業などでは、新規就農支援対策事業とも積極的に結びつきながら、地域に受け入れた親の仕事の確保に努めているのである。これは、留学というよりも都会の家族を新たに農村で定住していく対策にもなっている。

 また、外国で暮らしていた子弟が祖父母と共に大都市では子どもが暮らせないということで、農村に留学してくる世帯もいる。そこには、文化的な違いをもった親子世帯が、村の人々と共存して暮らしていくという大きな課題がある。

 親子留学ということで、現役世代の親たちにとっては、地域で暮らすための職場の確保、農業技術の課題などがあるが、それらを乗り越えての親子留学である。

 ここには、従前の山村留学のような子どもだけの留学で、地域の人が里親になるということではない。そこでは、学校教育の課題が大きくあったが、親子留学は、親自身が地域で暮らして行けるのかという独自の課題がある。ここには、今までの山村留学以上に、社会教育からの大人の人材養成、地域のリーダーの育成が極めて大切になってくる。

 そこには、新たな村づくりの課題が全面的に要求されてくる。ここでの村づくりの視点は、親子留学してきた世帯と共に、従前に村で暮らしてきた人々が、共存と相互扶助によって、共に地域で生きていくための諸能力の形成が新たに求められるのである。そこでは地域全体が社会経済的に自立できることが求められる。その共に生きていく結び役が、Uターンである。

 農山漁村では、過疎化、高齢化が進行し、集落の機能さえも崩壊する危機がみられた。集落機能の崩壊は、人間的生活をおくれる社会経済基盤のない問題である。子育てをしていくために、学校の存在は不可欠である。地域に学校がなくなっていくことは、教育と文化的な側面から地域崩壊の大きな契機になっていく。

 学校は、地域住民にとって、文化の灯火であり、未来を担う子どもが地域で学んでいるということは、地域の活性化の基盤である。この意味で、地域の人々は学校教育の支援に積極的に貢献しようとするのである。学校の地域支援活動は、地域住民の村づくりの活力になっていく。学校の運動会は地域住民の運動会となっており、学校行事は地域の住民の行事となっている。

 また、学校での稲作体験学習などの地域教材のとりくみに住民が積極的に協力する。これは、地域の文化を継承していくためである。稲作が地域でなくなっても学校教育として、稲作体験学習をしているのも、その地域文化継承と食育教育のためである。

高齢化した現代では、地域福祉活動として高齢者の団体が積極的に学校施設を利用して、子どもとのふれあい活動を展開しはじめていることも最近の特徴である。学校内に高齢者学級や高齢者が自由に集まれる場所をつくり、また、学校と隣接したりする高齢者のホームなどをつくる地域も増えている。

  子どもとのふれあいによる高齢者自身の生き甲斐と、子どもも高齢者の生きてきた知恵から学ぶということで、両者にとって大いに意味のある活動が生まれている。現代的に、新たなコミュニティをつくっていくうえで、小学校や中学校が地域の複合施設化のなかで、人々が地域の様々な協同活動に参加していくセンター的役割を学校がもちはじめている。

  地域の自立発展という視点から、人材育成、地域の人々の自立のための諸能力育成の大切さを問題提起するものである。自立発展は、内発的な発展ということで、地域の資源、地域の人材、地域の伝統的な文化を生かしての生きるための経済を支えていくうえで、無視することができない重要な視点である。

 過疎化のなかで、内発的な発展論では、自立した社会経済的生活が不可能になっている。現代の都市生活の問題、情報化、教育の高度化、交通網の発展などから、都市と農村の交流による新たな人間的生活の構築が求められる時代である。
 

 また、都市と農村の経済的な生産力第一主義の不均等発展も著しく進行している。そこでは、持続可能性の問題も問われている。そのなかで、都市内部の矛盾も深刻である。日本の企業の国際化のなかで、外国で暮らす子弟も多くなっている。帰国子女の問題もある。

 大都市での厳しい学力競争の学校では、子どもが育てられないと農山漁村の学校を求める親もいる。ここには、都市での学校教育の問題がある。この矛盾を捉えながら、農山漁村の自然の中での人間的な暮らしの再評価も必要である。

 内発的な発展ということからの地域の諸能力の形成、人材育成ということを乗り越えて、都市と農村の連帯、不均等発展の矛盾から積極的な農山漁村への支援のもとに、自立的な発展の構築がある。
 

ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題

     

ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題」
 
               
神田 嘉延
               
 
(1)ベトナムの社会経済の現状をどうみるのか なぜ出稼ぎしなければならないのか

 

  ベトナムは、現在GDP成長率6.5%と高い。しかし、民族資本が育っていないのが現状です。この成長率は外国資本の投資によって成し遂げられています。
 ベトナムは、2007年にWTOに加盟しました。外国資本の投資によっての経済成長が行われたのです。ハノイホーチミン、ハイホン、ダナン等の都市に、外資系企業の進出がされたのです。外国資本は、安い労働力をあてにしているので、決してベトナム国民全体の生活を豊かにするためではないのです。むしろ、賃金を抑えるため長い期間、勤務をすることを好まない事例をみることがあります。ベトナム進出企業が働く人びとの生活を豊かにしていく社会貢献が求められるのです。


 ベトナム貿易は先進国の開発輸入と同時に、世界の最大消費国になっているアメリカへの輸出が大きな比率を占めています。日本のベトナム投資は、政府のODAと総合商社の工業団地造成の大型投資によって行われています。


 最貧国であったベトナムは、外国投資によって、2010年に最貧国から脱出したようにみえます。そして、都市部の一部に外国資本や不動産経営との関係で富裕層が生まれています。しかし、農村部では貧しく、貧富の格差が拡大しているのです。
 ベトナムは、1975年に戦争が終結して、南北の統一によって政治的に独立しました。しかし、アメリカの20年におよぶ経済封鎖で、極貧の状態に国民はつきおとされたのです。


 このような状態のなかでボートピープルや出稼ぎが増大していくのです。長い植民地と民族の独立戦争アメリカ等の先進国の経済封鎖によって、民族資本が十分に育っていかない状態が続いたのです。

 

 ところで、ベトナムには自立して発展する可能性をもっています。ベトナム識字率は高く、国民は高い能力をもっています。 また、ベトナム北部では、伝統的に手工業が農村に発展し、手先が器用なことと、工夫していく産業文化をもっています。絹織物、刺繍、米の加工食品、高度な竹加工の花器・食器・照明傘、石像づくり、盆栽、家具、伝統大工、帽子、かごなど様々にあります。また、豊かな資源もあります。  ブログ「歴史文化の旅 ベトナム」参照


 ベトナムのもっている技術や人材、地域資源を生かして、それらを現代に商品化して、十分に独立した経済の発展に活用できる場が与えられていないのです。最大の問題は、ベトナムに自立した資本がなく、国家財政も貧弱なのです。
         
 
(2)日本への出稼ぎ者のための日本語学校・斡旋業者の問題

 
 韓国への留学や出稼ぎは人気があります。留学や出稼ぎを希望する若者の間でハングル語は熱心に学ばれています。日本語は一時、人気がありましたが、日本に行くには、借金をすればいけるということで、日本語は重視されなくなっています。日本への入国について、語学はあまり重視されていなのです。日本にある日本語学校への留学も同じです。


 韓国では政府が責任をもって外国人労働者を受け入れています。日本のように中間業者が入って、借金のことの斡旋、リベートをとるしくみではありません。日本大使館の大使もベトナム人の青年に、悪徳日本語学校や悪徳斡旋業者の問題を指摘しています。借金をしても、日本に出稼ぎに行けばすぐに返せるということで、多額の借金をして日本に行くのです。日本への日本語学校でもアルバイトにおわれる語学留学生が多いのです。


 韓国では日常会話ができなければ入国することができません。政府として、きちんとした職業斡旋をするのです。日本では、国際交流基金という政府系の外郭機関が日本語検定試験を行っていますが、それ以外にも民間の団体が日本語試験をして、きちんとしたものになっていません。
 実際には、日本に入ってくる多くのベトナム人は、ホーチミンハノイなどの日本への研修機関と斡旋業者が結合したところに長期間に語学等の研修と称してとめおきがされて、出稼ぎ先の業者との面接を待つのです。


 日本の受け入れの企業も、中間の斡旋業者をとおして、受け入れをするのです。そこには、多くのミスマッチがあるのです。悪徳業者は斡旋料が中心になり、出稼ぎ労働者に対する個別の指導は、なおざなりにされるのです。日本語ができなくとも人柄が大切と豪語する斡旋業者も多いのです。


 日本語教育と称して、軍隊的な訓練の規律や言葉が横行しているのが現状です。日本への出稼ぎ労働者に対する語学教育をはじめとする教育は十分になされていません。教育学、教育心理学、日本語の構造をきちんと理解した日本語教育の教師養成などベトナムでの日本語教育の抜本的改善が急務なのです。教育学部などの教員養成などで外国人のための日本語教育の養成が求められています。


 せっかくの日本語検定試験を国際交流基金が実施しているので、それを活用して、まずは日本語教育にとりくんでいるベトナムでの良心的な日本語学校ベトナムでの大学での日本語学科・コースを支援すべきです。
 国際交流基金試験の内容には、読む・書く力を正確にみるようにするたの検討の余地がありますが、まずは、きちんとした日本語教育の制度づくりが必要なのです。また、広く使われている「みんなの日本語」も丁寧語などをはじめ日本の文化が正しく反映されていななど、これでいいのかと問題がだされています。日本語教育の教科書検討も必要です。

 
 (3)日本での出稼ぎ労働者の実体
 
 朝日新聞では「いびつな政策の犠牲者」ベトナム人実習生らの相次ぐ死亡として報道されています。東京都港区の寺院「日新窟」に2012年から実習生や留学生の位牌が81柱あります。2018年7月に「暴力やいじめがあってつらい」と言って自殺した25才の実習生。東京新聞は2018年12月7日に法務省資料として、実習生69人が2015年から17年にかけて死亡している報道しています。わかっているだけでもこれだけの数があるのです。


 失踪した技能実習生は2017年に2870人を厚生労働省は発表しています。失踪は「高い賃金を求めて」としていたが、実際は最低賃金以下で、低賃金のためと答えていたのをかってに都合よく厚生労働省は集計しているのです。
 日本では最低賃金制度は全国で決められるのではなく、地方ごとに決められ、大都市志向が賃金の面からも拍車がかけられています。経営の困難性を低賃金に求めがちなところがあり、ヨーロッパ等では、全国一律の最低賃金が設けられていることが常識です。


 最低賃金すら守っていないということが、技能実習生の失踪の原因です。失踪者は、賃金が低いという回答が3分の2ということで、最低賃金を守っていないということが野党の集計で明らかになっています。日本語ができないことから、訴えることもできず、その相談する機関もわからない状況です。日本語ができなことにより、無権利な状況におかれているのです。


 入国管理局の外国人収容所においても過酷な人権無視の状態があるのです。2017年3月に25日に1週間強い痛みをもって訴えていたベトナム人青年に、職員は医師にとりあうこともせずに死亡するという事件が起きています。
 さらに、5月に、収容所では、職員の対応が問題として、約2週間におよぶハンストに100名が参加したことが起きています。
 
 (4)日本での深刻な労働力不足

 

 日本では、介護・医療、建設関係、飲食業、農業・農産物加工、漁業・加工工場、金属・機械の等工場など様々な分野で労働力不足が深刻になっています。とくに、地方では、その問題が顕著になっています。
 4月から実施される外国人労働者の受け入れ拡大で、多くの自治体で懸念がもたれています。雇用主に求められる生活支援や日本人と同等な報酬といったことが実施されるかということです。そことは、共同通信の2月10日の全国アンケートで明らかになったのです。外国人労働者問題の矛盾は、自治体にかぶり、人件費をおさえるために外国人を受け入れる企業もあり、日本人の賃金もさげる要因になることも予想されるのです。


 地方において、安定的に外国人の労働力を確保するためには、積極的に賃金を日本人並にしていくことが求められます。それを実施して、日本人の労働者と共に働きやすい職場づくりをしている企業もあることも確かでです。企業として、日本語教育の支援をすすめ、実習がおわり、母国に帰ってから、将来の進路をじっくり考えて、大学にいくケースもいくつもみられるのです。

 
 (5)ナムディン日本語・日本文化学院の教育実践
 
 ナムディン日本語・文化学院は、 ハノイから南90キロの紅河デルタの農村地帯の中心都市のナムディン市にあります。学校の創立から12年目に入っています。昨年8月29日には、日本大使夫妻が訪れ、学校の教育の様子を観察してくれました。学校には、実習農園を設けて、学生の堆肥作りや野菜づくりの工夫を自主学習としています。二年間学んだ学生は、自分の地域についての卒業論文を日本語で書かせています。


 その内容は、プレゼンテーションをさせています。ナムディン省と宮崎県庁、南九州大学と農村の発展のための人材育成の協定を結び、宮崎県と南九州大学から専門の農業技術者、農業研究者が指導に入ってくれています。このつなぎ役にナムディン日本語・日本文化学院の教員や学生が果たしています。若者達は日本で学び、様々なアイデアを出して未来に向かっている姿があるのです。


 ナムディン日本語・日本文化学院は、農村に子ども図書館を設置しています。これは、日本の進出企業に社会貢献として、図書館をつくってほしいという願いからです。ナムディン日本語・日本文化学院を支援してくださった鹿児島出身の企業経営者からの寄付による図書館です。ハノイホーチミン日本語学校をやると斡旋業者と絡んでもうかる業種とされているところが多いのです。十分な日本語教育よりも回転率をあげということで、短期間で実際は、日本語が出来ずに日本に送り出してるのです。このような学校から決別していくためにも設立当初から非営利の理念をかかげてベトナム教育省からきちんと認可を受けて運営しています。 

 
 「ナムディン日本語・日本文化学院」はホームページをつくっていますので、その詳しい内容はホームページをみてください。また、神田の論文「ベトナム北部ナムディン省の新農村建設と公民館」を参照
 
  (6)今後の展望
 
  鹿児島や宮崎の地方は、広範に農村をかかえ、農業や農業関連産業の発展は重要な課題です。また、過疎化や高齢化が進み、深刻な労働力不足に悩んでいます。若者が残っていくたには、大都市との賃金格差を解消していくことです。外国人労働者問題についても同様です。

 鹿児島や宮崎で働いて生きがいを感たり、自分の将来にとって非常に有益であったということが必要です。鹿児島や宮崎で永住したいという希望もでてくることも大切です。政府は外国人労働者の確保で、移民政策をとらないとして、外国人に対する差別的な労働政策をとろうとしています。多様性と異文化の共生を可能とする条件づくりなどが欠落しているのです。外国人労働者を多く入れようとする施策に、家族と共に暮らすことも否定しているのです。外国人労働者に対する日本での人間的な生活の確保が必要なのです。

 

ベトナムの自立発展と生涯学習 (アジア・南太平洋の生涯学習シリーズ)

ベトナムの自立発展と生涯学習 (アジア・南太平洋の生涯学習シリーズ)

 

 

子どもの虐待問題を考える- 野田市の児童虐待問題の悲惨さ

子どもの虐待問題を考える

   野田市児童虐待問題の悲惨さ

 千葉県野田市で今年1月24日に両親の虐待による子どもの死亡事件が起きた。自宅浴室での虐待である。両親は逮捕され、その痛ましい数々の虐待が明らかになった。子どもは学校のアンケートに父親からの虐待について訴えていた。

 このアンケートを虐待している父親に教育委員会は渡すという信じられないことをしていたのである。また、児童相談所と学校との連携もせずに独断で教育委員会は父親の訴訟するという脅しにおびえて、要求にこたえるいるのである。2017年11月に学校のアンケートにより、児童相談所は、虐待の確認をして、一時保護をするが、親族のもとで暮らすことで解除する。

 その後に学校の長期欠席が目立つようになる。学校は市の児童課に連絡したが、市の児童課は児童相談所に特別に問題がないと判断して、連絡をしていない。学校は直接に児童相談所に連絡をとるのではないというルールになっているという。児相は、1月21日に小学校での連絡で長期欠席の事実を知るが、死亡する24日まで対応はなかった。

 この4日間に虐待件数が24件あり、相談も含めると77件である。一保護は28人で定員25名を超えている。直近1年の虐待受付件数1594件で非常勤を含めて児童福祉士41人、勤続年数3年未満が56%である。

 児童の虐待件数は急激に増大しているのである。児童相談所が把握する児童虐待件数は、平成29年度133778件で、平成24年66701と2倍以上の急増である。 警察庁が、2018年に児相に通知した虐待件数は8万超である。実に5年間で2.8倍である。これは、2月7日の公表である。

 子どもは家庭の愛護のもとで育つはということであるが、現代社会では、親の虐待が増大している。なぜか、統計的児童相談所の通告が急増しているが、児童福祉や家庭裁判所等の、それに対応する機関の専門職員の配置や研修が極めて不十分である。児童福祉士の専門職の養成に多くの課題をもっているのである。児童福祉士のあり方も含めて抜本的な改正が求められている。
のである。

 現代社会の親の虐待件数の急増をどうみるのか。親の子育てのなかで何が起きているのか。野田の事件にみるように、単純な一時的な親の怒りの感情で体罰を行っているということではなく、繰り返し、子どもに対してヒステリックに虐待を繰り返していることである。親の非人間的な残虐性を帯びた人格が潜んでいるとしか思えない。
人間関係では問題なくても家庭のなかでは、別人のように非人間的暴力をふるう異常者になる人格の例もある。家庭のなかは、私的な世界で、なかなかみえない。また、わがままがきく空間である。隣近所でも親が暴力をふるっててもなかなか児童福祉機関に通告をすることはない。

 国連の子どもの権利委員会の日本への児童虐待に対する勧告

 2月7日に国連子ども権利委員会は、日本の子どもの虐待の深刻性について懸念を表明している。虐待防止の包括的戦略のために、子どもを含めた教育プログラム強化を要請している。虐待の調査と加害者の厳格な刑事責任追及を要請している。
 子どもの権利条約の第19条「親による虐待・放任・搾取からの保護」あらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとること。必要な援助を与える社会計画の確立、・・・適当な場合には、司法的関与のための効果的な手続き」をのべている。

 子どもの虐待と親権喪失・停止の対応

 子どもの虐待問題では、親権に正面から向き合っていくことが必要である。民法では、こどもの虐待に対処するために、親権喪失と親権制限がある。親権は、子どもの利益第1ということから、親が監護し、教育する義務がるのです。このために、親が、その役割を果たさない状況では、子どもを保護し、子どもの成長発達のために最善の環境を提供することが求められている。家庭裁判所は、子どもの虐待に対処するために大切な役割があるのである。児童相談所家庭裁判所との関係を密接にとりながら、ときには、親権の喪失や親権の一時停止が求められるのである。子どもを親権者から離す、一時保護ということだけでは、不十分なのである。

 子どもの虐待で学校教育に求められる福祉の視点

 政府は、2月8日に子ども虐待緊急対策をまとまたが、児相や学校に緊急点検を一ケ月以内に実施するということであるが、今最も必要なことは、政府自身の児童虐待対策の包括的な戦略、教育プログラムに対する反省である。自らの反省からの出発が前提である。教育委員会がなぜ子どもの訴えのアンケートを加害者である父親に写しを渡したのか。
 学校を文書管理統制する教育委員会のあり方も含めて抜本的な改正が必要である。本来、子どもの教育の責任は学校にあり、学校は児童相談所と密接に連携し、ときには、子どもの最善の利益のために、家庭裁判所とかかわるときも大切である。
 学校には、児童福祉の専門家が配属されているニュージーランドなど多くの国で教育と福祉の連携をしている。日本の学校教育制度では、福祉とのかかわりが大きな弱点である。これは、虐待問題ばかりでなく、子どもの貧困問題、非行問題も含めてである。
 日本の学校教育では、教科指導と並んで生活指導が大きな柱になっている特徴があるが、それらは、教師だけの仕事としてされてきたが、児童福祉の専門機関との連携していくことがより一層に重要になっており、教員養成にも福祉の重要性についてカリキュラムも整備していくことが求められる。

 児童の虐待問題と社会教育

 社会教育としても学校との連携をしていくうえで、地域の教育力としての虐待防止のための活動をしていくことが求められている。子どもの虐待を知ったすべての大人は、福祉事務所、児童相談所への通告義務がある。児童福祉法25条の要保護児童発見者の通告義務が書かれている。
 また、児童虐待の防止等に関する法律第6条「児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、福祉事務所、児童相談所に通告しなければならないとしている。この地域の大人達の通告義務と、親の子育てにおける虐待防止のための大人の社会教育として、子どもは社会で育てるという視点が必要である。社会教育と児童相談所との連携も深刻化する児童虐待の増大のなかで大切である。

 児童の虐待の事例から抜本的な対策を

 少しふるい、子どもの虐待による死亡事例等の検証結果の専門委員会による第七次報告が平成23年7月にださ れている。この報告書は、平成21年4月から平成 22年3月までの事例分析を行ったものである。
 この期間に厚生労働省が把握した事例は、虐待死事 例47例、49人。心中事例(未遂も含む)30例、39 人であった。虐待死事例は、6割が身体虐待であ り、ネグレクトは4割である。

 虐待死事例で 48.9%が実母であり、心中事例は実母が56.4%で ある。 報告書では、望まない妊娠と出産の問題として 次のようにのべている。「これまでの報告におい て、主たる加害者で最も多い実母の妊娠期・周産 期の問題として、虐待死事例では「望まない妊娠 /計画していない妊娠」(以下「望まない妊娠」 という。)、「妊婦健診未受診」、「母子健康手帳未 発行」が多くみられたが、第7次報告でも同様の 傾向がみられた。
 「望まない妊娠」の問題は虐待 死事例のうち11人(22.9%)になる。そのうち5 人(45.5%)は「妊婦健診未受診」及び「母子健 康手帳未発行」の問題にも該当していた。また、 3人(27.3%)は妊婦健診を受診しており、母子 健康手帳も発行していた」。 望まない妊娠ということから、妊婦健診の受診 をしていなかったのであり、また、母子健康手帳 の未発行ということで、生まれてくる子どもにつ いて十分な心の準備がされていないのである。望 まない妊娠・出産の問題を現代にどうみていくか。

 かつても日本の歴史のなかで子どもの間引きの 問題があった。伝統的には、子どもを育てる経済的な力がなくて、間引きをしたのである。避妊の 方法や人工的な流産の方法が、発達していなかっ たために、家族計画が合理的にできなくて間引き が行われたのである。この間引きと同時に水子供 養の信仰があり、死んでいった子どもが神のもと に帰っていくということで、傷ついた女性の心を 癒やすための風習があったのである。

  虐待死事例において、1歳未満の乳児の場合と 1歳以上3歳未満と3歳以上の場合では、加害の 動機も異なっていると報告書は指摘している。かつての貧困な農村の家族で子どもを間引きしたこ とと重ねてみると、一歳未満の子どもとそれ以上 の子どもの虐待死亡の事例とは、動機が本質的に 異なるとみられる。

  報告書では「日齢0日が「子どもの存在の拒 否・否定」、日齢1日以上3歳未満では、「保護を 怠ったことによる死亡」、「泣きやまないことにい らだったため」、3歳以上では「しつけのつも り」の割合が高く、「保護を怠ったことによる死 亡」も複数みられた。 また、「保護を怠ったこと による死亡」(8人)では、自宅や車中に放置し 火災や熱中症によって子どもが死亡した事例のほか、必要な栄養を与えないなどによって死亡した 事例がみられた」。

  望まない妊娠での日齢0日の虐待では、子ども の存在それ事態を拒否する精神構造があるのであ る。3歳未満では、放任・養育放棄ということで 保護を怠ったことによる死亡事例が多い。 3歳以上になるとしつけのつもりとして、感情 的に暴力を振るうことが多くなっていく。報告書 では「「しつけのつもり」(8人)について加害者 の内訳をみると、実父3人、継父2人、両親2 人、実母の交際相手1人であり、「子どもが反抗 した」、「おねしょ(夜尿)に腹が立った」などが きっかけとなっていた。子どもの成長・発達の過 程で見られる変化についての養育者の理解が乏し い。「しつけのつもり」として、感情に任せて力で 子どもの言動を制しようとする虐待は例年複数み られる」としている。ここでは、実父や継父など の事例が目立ってくるのである。

 しつけのつもりで子どもを虐待している事例 は、子どもの人権そのものを否定し、子どもを自己の従属物としてしかみていない意識が根底にあ る。子どもに対する愛情を基礎に、子どもにも一 人の人間としての尊厳をもっている。このことの 意識が希薄な側面があるとこを見逃してはならな い。

 3歳以上になると、実父や継父などが感情的に反抗したから、おねしょをしたからと暴力をふるって死亡させてしまうのは、自己中心性の男性 のもっている支配欲と結びついた暴力性である。 女性の場合は、感性的に我が子意識からくる自 然的な母性からの本能による子どもを守り育てようとするものが身についている。
 しかし、男性の場合 は、目的意識的にならなければ、子どもに対する 愛情意識をもてない。家族を培って、愛情で結ば れた夫婦の関係で生まれた子どもには、父親は、 その基盤のうえに愛情を注ぎ、子どもの成長への 期待をはずませていくが、その心も目的意識性がなければ、生まれてこないものである。
 
 ところで、虐待の子どもの家庭の経済状況は、 極めて厳しい状況である。報告書では経済状況と の関係で次のようにのべている。「実父母の就労 状況について「無職」の構成割合をみると、虐待死 事例で実母が50.0%、実父が16.1%、心中事例で 実母が40.0%、実父が15.4%であった。

 特に実父 の「無職」の割合は年々高くなっている。家族の経 済状況について構成割合をみると、「生活保護世 帯」ないしは「市町村民税非課税世帯」は、虐待死 事例で27.7%、心中事例で13.3%と第6次報告よ りも高くなっている。
 無職ということで、経済基 盤がなかったりするなど、貧困問題が子どもの虐 待に大きく関係している現実を直視しなければな らないのである。 心中事例は、加害者が「実母」である事例が多 い。ここにも無職や非課税所得層などの貧困層の 割合が高く、貧困問題が深く関係しているのであ る。

 報告書では、「心中事例について加害者が「実 母」である事例は17例(22人)、「実父」である事例 は10例(14人)であった。死亡した子どもの年齢 別に構成割合を見ると、主たる加害者が「実母」 である割合は6歳未満まで高く、1歳未満の心中 事例の60.0%、1歳以上3歳未満の75.0%、3歳以上6歳未満の61.5%であった。
 6歳以上では 「実母」、「実父」がそれぞれ47.1%と同じ割合で あった。 実母が子どもの虐待の加害者となっている場合 は無職である場合やパート就労という低所得であ ることが指摘されている。このことについて、報 告書は次のように指摘している。「加害者が「実 母」である場合の「実母」の状況は、年齢は平均 36歳(26~48歳)、就労状況は無職が8事例、 パート就労が4事例、不明が5事例であった。ま た、ひとり親(離婚・未婚)は6事例で、うち5 事例は無職あるいはパート就労であった」と。

 母 子世帯など、無職やパート就労などで厳しい経済 状況に置かれて、生活苦が重くのしかかって将来 の展望も描くことができず、絶望になって心中に 陥るケースが多いというのである。 「子ども虐待による死亡事例等の検証結果」の 専門委員会の第6次報告書(平成20年4月1日か ら平成21年3月31日)までの事例は、死亡事例は 心中以外が64例、67人であり、死亡した子ども (心中以外)の年齢別では、0歳児が39人(59.1 %)と最も多く、うち0か月児が26人(0か月児 の66.7%)と集中している。

 この報告書では、ア ダルトチルドレンの問題や過去の虐待を悩まされ ていることがみられると次のようにのべている。
 「機能不全家族で成長したと自覚するアダルトチ ルドレンの問題や過去の家庭環境における虐待の 記憶やイメージ(心像)に悩まされ続ける人の問 題にも関係してくるが、虐待による後遺症的な副 作用を簡潔にまとめると『自分の存在や行動に自 信が持てなくなり、他人を信用できなくなること によって、通常の日常生活や対人関係を送ること が極めて困難になる』ということである。・・・ ・・児童虐待とは精神的・社会的に無力な子ども から『心身の疲れを癒せる物理的な居場所(家 庭)』を奪うだけでなく、『精神的な安全基地とし ての家族関係』をも奪う行為であり、その後の子 どもの精神発達過程や対人関係の能力に好ましく ない影響を及ぼす危険が高い」と分析している。

  児童虐待は、家庭の愛護のなかで子どもが豊かな 環境のなかで育つ場を奪うだけではなく、子ども の精神的発達や対人関係の成長を奪っていくことを指摘している。 虐待のなかで育った子ども、アルコール依存の なかで育った子ども、夫の家庭内暴力のなかで 育った子ども、絶えざる夫婦喧嘩のなかで育った 子どもは、大人になって虐待をする確率が高くなっていく。
 
 子育てをしていく家庭の役割が機能不全で成長 した大人は、アダルトチルドレンとして、本来的 に人間的に成長していくことができずに、人格的 に様々な問題をもって大人になっていくのであ る。

 過去の家庭環境の劣悪さは、子どもの虐待を 惹き起こす精神的な問題の確率を高くしているの である。 つまり、虐待の家庭で育った子どもが大人にな ると、虐待を起こす確立が高くなっていくという のである。虐待は子どもの人格形成に大きな影響 をあたえていく。子どもに対する深い愛情をもて ずに、感情的にしつけや教育と称する虐待は、人 間的に子どもが成長していくうえで、大きなマイ ナスになっていく。

  子育ての家庭機能を奪っていく貧困化は、子ど もの人格を破壊していく要因をつくりだす。医師 で幼児教育に力を入れたイタリアのモンテッソー リは、どんなにひどい状態で逸脱して発育した子 どもでも一人の人間として成長していけるように と、虐待を受けた子どもでも人間的に成長できる 可能性をもつとしている。
 そのためには特別な教育 環境や援助が必要であるとしている。 子どもは自然からの宿題をもらっている。子ど もは自然のプログラムにそって、今やらなければ ならないことに本気で向き合うことが大切である。

地域主権国家と明治の中央集権化の再検討

     地域主権国家と明治の中央集権化の再検討

    (1)明治維新廃仏毀釈と民権の対抗的精神構造

 現代日本の中央集権国家の矛盾を地域の国民の暮らしからみつめていくためには、明治維新期の中央集権への動きから日本の近代化の歴史的にみる必要がある。地域の伝統的な文化を崩壊させていく大きな契機は、廃仏毀釈であった。
 廃仏毀釈は、中央集権国家づくりのための行動でああた。国家のための神社を中心とした祭政一致の施策の手段であったのである。これに対して、自由民権運動は、地域主権からの国会開設を求めるものである。廃仏毀釈からはじまる欽定憲法と自由民権の憲法草案は、相対立国家理念である。

 霧島の神仏習合文化

 霧島山系は、豊作祈願や自然を大切にする山岳信仰、神仏混合の六所権現などが古代から江戸時代まで存在していた。霧島山系は、大伽藍地域であったのである。この地域は、明治維新期に廃仏毀釈の嵐が吹き、仏教的要素の文化は消えていった。ここでの仏教と結びついていた豊作祈願や自然信仰、神仏混合の文化の偶像がことごとく破壊された。
 天孫降臨のニニギノのミコトの神話は、高千穂の峰に降りてきたとして、霧島六所権現に祭られていた。霧島の信仰文化は、古墳時代に、地下式横穴墳墓をもって、地域の独自の文化をもって栄えていた。明治維新は、この地方の文化を破壊し、祭政一致の中央集権国家のための「文化」をあらたにつくりあげた。

中央集権から地域主権国家へー明治維新の見直しー

 現代の地域主権国家の構築には、日本の明治維新以来の中央集権国家体制を見直すことでもあり、1500年以上続いてきた神話の伝統文化をもつ地域から再検討することが必要である。日本の神宮などの伝統文化と称していることが、実は明治以降の祭政一致国家神道からつくられた側面があることを見落としてはならない。明治維新によって破壊された日本の伝統文化は、偶像物としては消えたが、地域の民衆の伝統行事や心のなかに今でも深く生きている。

 幕藩体制の村落の自治的暮らし

 明治維新は、幕藩体制自治的な村落の暮らし、藩による地方政府的しくみから、中央集権的国家のしくみに変えていった。明治維新による中央集権的国家体制は、1889(明治22)の大日本帝国憲法の成立によって確立したのである。翌年、集権的な国家の精神を教育によって成し遂げようとする教育勅語が発布された。これにさきだって、1888年(明治21)年に市制・町村制の制定がされ、地方は、中央集権的な国家体制にくみこまれていく。

 明治維新の中央集権国家体制づくりは、王政復古の大号令とともに、廃仏毀釈による国家神道への道である。さらに、学制による中央集権的な学校制度の普及であった。中央集権国家による地方制度の確立過程は、廃藩置県大区小区制、地方三新法、市制町村制までの近世行政の解体施策からはじまる。

 廃仏毀釈の問題

 廃仏毀釈の徹底は、地域的に大きな差があった。薩摩藩の地域では、寺の破壊が徹底して行われ、歴史的な貴重な文化財が失われていった。霧島の天孫降臨高千穂峰にあった神仏混合の文化は、廃仏毀釈によって完全に失われた。

下級武士の二側面

 明治の維新政府の中央集権的な施策に対する地方からの抵抗や民衆の下からの民主主義を求める運動は、日本の近代化の中央集権の問題を考えていくうえで、大切なことである。日本の地方や地域、民衆の暮らしとの対抗関係を持ちながら、中央集権化していったのである。

権力を握った下級武士の問題点

 下級武士から明治新政権の山形県福島県、栃木県の県令(知事)を歴任し、警視総監になった薩摩藩出身の三島通庸は、増税や労役賦課、寄付金強要を実施した名物県令であり、批判に対しては弾圧一辺倒であった。戊辰戦争等の功績により、下級武士から新政権の重臣として、国民弾圧の官僚を直視しなければならない。
 三島通庸の場合、福島では、不況下の農民に労役を課して道路を建設し、抵抗する農民、千数百名を弾正した。福島自由党員が根こそぎ入獄させられ、鬼の県令とよばれたのである。中央集権国家体制を確立していくなかで、日本の官僚制度もつくられていくが、このなかで、地域の暮らしを大切にしていこうとする新たな官吏のあり方が問われたのである。

下級武士の民権論

 霧島山系の霧島神宮のあった襲山郷に居住していた竹下彌平が明治8年3月に朝野新聞(東京)に発表した憲法草案にみられるように、地域のなかでも新しい自由民権の思想が根付きはじめていたのである。
 西南戦争に九州各地の多くの自由民権思想家が参加していった。竹下彌平は、自主自立と自由の理による国会開設のための憲法草案を提唱した民間人である。県治や民会の役割を重視し、国会の代表の3分の1は下級官吏からの選出すろことを提唱するなど決して、近代的な官吏組織それ自身の役割を否定していたのではない。
 下級の官吏が最も地域の暮らしの人々と直接に接触し、民衆の立場からの官吏の役割を立法化するうえで、大切と考えたのではないか。鹿児島では明治維新によって、藩政改革が抜本的に行われ、下級士族の行政の役割を重視したのである。

 近代化の二つの側面

 鹿児島のように明治維新を担ったところでも近代化の過程では、二つの側面があった。地方を重視する西郷隆盛のように、明治2年、3年と鹿児島に戻り、藩政改革、県治に重点をおき、また、明治6年の政変から再び鹿児島に戻り、西南戦争まで、鹿児島の地域振興、県治に力を注いだ明治のリーダーを重視することは大切である。

 鹿児島は、独立王国といわれるほど、中央集権体制と一線を画した潮流であった。命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして、国家の大業は成し得られぬなり(西郷遺訓の30番目)のように、新しい国家の大業を成し遂げるリーダーの側面があったのである。

 西南戦争はなんであったのか

 鹿児島では政府の家禄処分策を西南戦争後までは受け入れなかった。それは、下級武士にとって極めて厳しいものであったからである。新たな仕事を見つけない限り、土方人足の日給24銭よりもはるかに低い日給8銭の収入といわれたほど、人間的に暮らせるものではなかったのである。
 明治維新政府にとって、封建的な幕藩体制身分制度を廃止し、新たに四民平等をはかっていくうえで、武士の秩禄処分は大きな問題であった。下級武士の生活をいかにして保障していくのかという大きな課題があったのである。
 維新政府に士族の反乱が起きたのは、秩禄処分など新しい世の中を求めて幕府を倒したが、一部の出世したものを除き、多くの下級武士にとって、決して生活はよくならなかった。むしろ、厳しくなったことに対する士族の不満が爆発した。西南戦争は、その不満の爆発である。

大久保利通等の薩摩出身官僚と西南戦争

 もう一方は明治維新によって、中央政府に入った動きである。大久保利通のように、中央集権国家体制づくりに専念した潮流とがある。大久保は、祭政一致による絶対主義的な天皇制の官僚機構を整備し、さらに、維新に貢献した旧藩主を優遇した秩禄処分による新たな大資産家づくりをした。巨大な華族銀行の創設、政商による財閥づくりの側面とがある。

   (2)明治維新における地域の暮らしの論理と地域主権国家

 日本の近代化を考えていくうえでは、中央集権的な論理だけではなく、地方や地域、民衆の暮らしを重視した人々がいたのである。近代の学校制度は、地域の暮らしに根づかない画一的な普及の論理のみではない。もう一方に、地域の民衆の動きからとらえていく必要がある。義務教育の有償に対する農民の学校打ち壊し一揆の展開があった。全国各地に展開した自由民権運動は、明治維新を民衆の立場から考えていくうえで重要な要素である。
 つまり、上からの維新政府の施策によって、中央集権的な体制が一方的につくられていったのではない。つまり、民衆の地域のくらしや抵抗との関係で、それを懐柔し、弾圧する過程のなかで中央集権化が進んでいったのである。
 明治6年の政変で下野した板垣退助などが民撰議院設立建白書を明治7年1月に政府に提出したが、その後に板垣退助等は、維新政府のなかに、組み入れられていく。明治8年に参議に復帰し大阪での第1回地方官会議に参加する。地方民会の議論になるが、公選民会をしりぞけ、区戸長民会となり、板垣は、間もなく辞職して自由民権運動を推進する。 

明治近代化での小学校の役割

 小学校の存在は、学制から教育令の大きな変更にみられるように地域に根ざしてつくられていったのである。徳川時代の村落秩序を小学校の校区制度に取り入れて、国家的主義的な精神を注入していったのである。また、国家神道明治憲法で信仰の自由を認めながら、神社や万世一系天皇制の精神を骨格とした。
 国家神道は、宗教概念からはずして、民族的な精神としたのである。国家神道の形成過程のなかで、廃仏毀釈の嵐が起き、さらに明治の地方改良施策のなかでは、神社の合祀が積極的に行われた。日本の伝統的な地域の暮らしの精神文化が、この過程のなかで破壊していったのである。

 村の鎮守と民衆

 村の鎮守を守ったのは、地域の暮らしの文化を大切にした民衆である。村の鎮守さま、地域の氏神さま、地域の田の神信仰、山の神信仰、水神信仰などは、中央集権的な国家神道との論理とは別であり、それは、地域の暮らしの文化の論理である。

 地域主権とは、伝統的に培ってきた地域の暮らしの文化を尊重することである。真に日本の伝統文化を尊重することは、決して明治の祭政一致の伝統文化と称する中央集権国家体制の文化ではない。日本の全国各地に存在する多様な地域文化を尊重していくことである。地域主権の国家の精神を豊かにしていくためには、明治維新によって、破壊された地域の伝統文化を、もう一度再興してことである。それによって、地域の暮らしの文化を豊かにしていくことができる。

地域主権国家と地域文化

 地域主権国家とは、人間にとって地域で文化的に豊かに暮らせることが基本である。そこでは、地域での基本的な人権の享有、地域の災害からの安全と平和の尊重、豊かな地域文化のもとで暮らせることが求められる。豊かな暮らしの文化には、その地域で培われてきた伝統的な文化の尊重が不可欠であり、その伝統文化には、その地域の暮らしの歴史の重みがある。古代からそれぞれの地域には文化が蓄積されてきたのである。

 地域主権国家とは、地域で自己完結していく地域ごとの独立政治を意味しているのではなく、地域で民主主義的に住民が参画できる政治と文化のしくみを構築していくことである。地域の暮らしや文化は、自然条件や歴史的な違いなどによって、多様性をもっている。全国一律的な基準によっては、地域の多様な暮らしの文化にはならない。

 中央政府によって、国家財政の補助金の基準によって、地域の条件整備を行ってきたことは、地域主権の見方から大きく乖離してきた。地域主権とは、暮らしの範域に、住民の暮らしや文化、教育、福祉の統治権を積極的に認めていく国家を指すものである。


 日本国憲法主権在民という精神を地域のレベルまでおりて、憲法でいう基本的人権、とくに生存権・国の社会保障の義務、教育を受ける権利、教育の義務、勤労の権利、義務という国民の暮らしと文化の豊かさを地域で保障していく国家のしくみが、地域主権国家である。そこには、国民の幸福の実現を地域の暮らしのレベルで実感できるような国家の仕組みの創造である。

 日本国憲法では地方自治の原則が定められている。国と地方公共団体の役割は、「住民に身近な行政はできるかぎり地方公共団体にゆだねることを基本として」としている。これが地方自治法の精神である。この精神を実現していくには、地方自治体の独自の統治権を認めていく財政的基盤の整備がある。この財政基盤の整備ということから、国家の財政制度のあり方が求められている。

 地域の暮らしの充実

 地域のでの豊かな暮らしを充実していくという視点から、基礎的な自治体は、市町村自治体になる。広域合併などによって、基礎的な自治体が地域の暮らしの範域から大きく乖離している現実がある。このなかで、地方自治法202条で明記された地域自治区の役割が大切である。この充実によって、一層に地域主権国家論の内容が豊かになっていくのである。

 地方自治法では、「市町村は、市町村長の権限に属する事務を分掌させ、及び地域の住民の意見を反映させつつこれを処理させるため、条例で、その区域を分けて定める区域ごとに自治区を設けることができる」としている。

 自治区の事務所は、地方公共団体の長の補助機関である職員をもってあてることができる。そして、住民の意思決定や地域管理の地域協議会をおくことができるとしたのである。自治区が機能するためには、十分なる予算や適切な職員の配置を伴っていくことが求められている。

 地域の自立的発展と大学

 中央と地方、都市と農村、過疎化、都市の貧困地域という格差の問題が存在するなかで、地域主権国家の理念は、その格差を是正していく政治のしくみを地域から構築していくことである。従って、地域主権国家は、恵まれない地域に対して、豊かな文化的暮らしができるように特別の地域的施策を国家政策として目配りをしていく政治のしくみを求めている。

 恵まれない地域を豊かに文化的暮らせるようにしていくためには地域の自立的発展が欠かせない。そのためには、学校教育や社会教育の整備という、そこに暮らす人々の自立的な諸能力の発展、創造的な地域資源や地域の人材を生かした地域づくりが求められている。教育の地域間格差は、大学の配置などに典型に現れている。

 日本の大学は、東京や京都・大阪の大都市に集中している。地方大学が、極めて貧困な現状である。地域の人材養成や地域の資源の活用、地域の創造的な開発など地方大学の役割が大きい。
 地方大学も十分な研究施設や人材の不足から組織的に地域に根ざした教育や研究が展開できない状況である。農村地域の高等学校も過疎化や少子化のもとに統廃合が行われ、地域から高等学校が消えているのが目立って増えている。

 学校教育の体系が弱肉強食の競争主義原理をもちこみ、子ども達に画一的な偏差値教育をおしつけて、大都市志向や学校歴的学歴社会志向を強要して、地域の暮らしから遠ざかった教育になっている。

 現代の央集権国家体制では、地域での国民の暮らしを豊かにしていくことが困難になっている。明治維新の地域での中央集権に対抗する様々な動きを現代的に再評価して、日本の近代化のあり方を歴史的に見直していく必要がある。明治維新によって、日本の近代化を志向した人々は、必ずしも中央集権的な国家を考えた人だけではなく、また、単一の日本の祭政一致国家神道を求めたものだけではない。

   (3)明治維新の近代化による中央集権化と新たな地域主権国家の創造

 中央集権による画一的基準は、日本の明治以降の近代化の産物である。現代は、一層、中央集権的な画一意的な基準による行政施策が強まっている。それは、補助金行政のなかで典型的にみることができる。
 つまり、地域の暮らしとの乖離が一層強まった。財政の側面から補助基準がより詳細になり、地域での福祉や教育行政、地域での産業や雇用など、現実の暮らしを充実させていくことよりも行政による基準に合わせての上からの指導が徹底されていく傾向が強くなっている。

 地域主権国家と21世紀の課題

 ところで、地方分権の施策は、21世紀に入り、日本の国家のしくみの改革と大きな課題になっている。この地方分権の推進も全く異なる合い矛盾する視点から進められている。中央集権的な国家財政が膨大な赤字を抱えている。

 その矛盾は、国家のしくみそれ自身が危機的な生み出す。このことから、効率的な行政、民営化ということで、市場原理によって、公共的な分野を転化する方法と、国民の生活の豊かさを地域の暮らしから充実させようと、地域からの主権在民、地域からの生活権の保障、地域からの基本的な人権の保障ということで地域主権国家を構築させていこうとする道とがある。

 地域主権国家の道を求めていくうえでは、日本の明治以降の近代化による中央集権国家体制、官僚制度のしくみを抜本的に見直す時期にきている。この作業のなかで、明治以前の日本の伝統文化にみる多様性や地域性をみていく必要がある。多様性や地域性は、現代における価値観の多様性という個々人の利己主義に依存しての機能的な分散化、孤立化していく個人の尊重という意味では決してない。多様性を持ちながら、地域のなかで共同し、相互扶助し、地域のなかで人間の絆で結ばれていることで地域の協同
がつくられていく。

 ここでは、住民の自治が最も尊重され、地域のなかで協同し、共に協力しながら働いていく社会をめざすものである。そして、伝統的に存在していた自然との共生、地域のなかで循環していく持続可能な社会を求めていくことである。

 ここでは、複雑な高度に発達した市場経済による格差問題を直視しながらの地域の協同、福祉の実現をしていくことである。さらに、人類社会を破壊してしまうほどの専門的な科学技術のあり方を抜本的に巻が直す時期である。まさに、総合的に地域の人々の暮らしのなかで、持続可能な社会のしくみをつくっていくための高度な科学技術の必要性である。

 地域の自然環境

 それには、地域にこだわった自然循環による持続性が鋭く求められているのである。国際化の問題についても同様で、地域の暮らしの中から、それぞれの民族、地域の人々が豊かに、幸福に暮らせるための共存と連帯の国際化の視点が不可欠である。

 平成20年5月から平成21年11月まで、地方分権改革推進委員会は、四次の勧告書をだしているが、第1 次勧告は、 生活者の視点に立つ「地方政府」の確立を提言した。ここでは、市町村自治体を地方政府として高めていく施策を積極的に、提言している。地方分権改革推進委員会は、従前の中央集権的な官僚制度に多くの矛盾が噴出しているという認識をもった。

 国の行政は、国民の生活者の視点をおろそかにされてきた現実があると。政府の分権推進委員会は国民の生活をおろそこにしてきたことを認めたのである。それらが、社会保険庁年金記録問題に典型的にあらわたという。
 「社会保険庁年金記録漏れ問題に始まり、新しくは道路特定財源の不明朗な使途や後期高齢者医療制度をめぐる混乱に対する憤懣と不満の噴出など、従来国の官僚の能力や資質に寄せられてきた国民の信頼は急速に低下している。そして、そこでの大きな問題として、これまでの行政、特に国の行政では、生活者の視点がおろそかにされていた」。

 地域主権国家をめざすためには、自由に住民自治のもとに、生活を豊かにしていくための条件整備が必要である。そのための多彩な活動が求められ、それを保障していく地方財政基盤の確立が不可欠である。日本の国家が地域主権をかかげていくことは、地域での豊かな文化的な潤いをもった暮らしを保障していくためである。

 コミュニティの充実

 地域のコミュニティの役割を充実していくことは、地域の暮らしの伝統的な文化を尊重し、地域住民が自ら意志決定して、自治の担い手になっていくことが求めあれている。このためには、市町村レベルまで降りた地方政府の豊かな財政基盤が必要なのである。現在あるような地方交付金の制度をより充実して、地方ごととの極端な財政格差を生じないようにすることである。この財政基盤の確立によってこそ、地方の伝統的な文化、生き甲斐のもてる豊かな暮らしを充実できるのである。