社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

現代青少年の非行問題と遠軽家庭学校の教育農場から学ぶ

 現代青少年の非行問題と遠軽家庭学校の教育農場から学ぶ

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 はじめに

 青少年の非行問題の基本的な考えは、少年法という法によって示されています。その理念は健全育成という福祉や教育を重視しているのです。遠軽の家庭学校は、百年以上の歴史をもつ教育農場による更生教育の実践です。

 

北海道遠軽家庭学校の教育農場の実践から学ぶもの

 

 非行少年を更正させる教育福祉施設として北海道の大自然のなかでの遠軽家庭学校は、多くの更正教育の成果をあげています。現代的にも非行少年の健全育成の更生教育にとっても重要な教訓を与えています。そこでは、少年の心身の原因と環境を重視し、これを整備していくという方針のもとに1千町の大地で教育農場の実践を大正3年に創設したのです。

 留岡幸助は、大正3年50歳ののときに、家庭学校の経営に専念し、71歳まで永眠するまで、家庭学校に全身全霊をもって貢献したのです。北海道の遠軽家庭学校の教育農場実践は、今日まで続いています。

 留岡幸助の精神は、一路至白頭ということで、家庭学校の本館正面に胸像の下に書かれています。一つの路(仕事)を一心不乱に頑張って努力をつづけてきたから、大きな成果が得られた。素晴らしい仕事が成し遂げられた。ふと気がついたら、自分の頭が真っ白になっていた。白髪の老人になっていた。大きな成果が得られるまでは、それぐらい長い時間と努力が必要だ。逆に一つの目標に向かって長い間努力を続けたら、白髪になる頃にはきっと素晴らしい成果が得られる」ということで、一路白頭ということばです。

 留岡は、同志社を卒業して、刑務所で、受刑者に対して行う特性育成を目的とする教育活動に従事したのです。いわゆる教誨(きょうかい)師です。かれは、犯罪者の多くが、14歳未満で非行少年になったことを発見したのです。この発見から、犯罪者の卵である非行少年を学校組織によって、教育すればと思い立ったというのです。30歳のときに、アメリカに学びに渡るのです。マサセュセッツ州立青少年刑務所の16歳から25歳の初犯者の感化教育を学ぶのでした。基督教徒であった彼は、全米の感化監獄を訪ねて学ぶのでした。

 日本に帰国してから、すぐに自分が考えた教育施設は無理であった。日本では感化教育に対する理解がほとんどなかったのです。日本に帰国して、33歳のときに感化事業の発達を出版しますが、そのなかで感化院の骨格は、基礎学力の付与、農業を主とする労作、保健教育、宗教による霊性教育の4つをあげています。

 世間の塵によごれすぎている小少年には、自然環境の閑静のなかで感化事業をしなければならなということからの労作教育を考えたのです。地方改良運動のなかでの筋金入りの報徳精神も北海道の僻地に開拓しながら教育農場を実践しようという考えに至ったのです。家庭学校の教育農場は、青少年を更生教育するための事業なのです。教育事業であるがゆえに、開墾し、校舎、家族舎、礼拝堂を建築するのでした。従って、教育に適した土地を選んだのです。

 35歳のときに、東京の巣鴨に家庭学校を創立する。内務省地方局の嘱託として、36歳のときに、報徳組織の地方自治の影響を調査するのです。そして、再び欧米の遊学をするのでした。42歳のときに家庭学校を財団法人として、経営にあたるのです。二宮尊徳についての出版をしています。50歳のときに、本格的に自分の理想とする感化教育を実施するために、内務省の嘱託を辞して、家庭学校の経営に専念するようになるのでした。
 教育農場のなかで生産意欲と責任意欲を高めているのです。社会的訓練は農業労働をとおしての実践です。施設全体が大家族という理念のもとで、家族のもっている教育的役割を重視しているのです。教職員は、子どもたちともに寝食を共にしています。農業は人間と自然の関係を考えさせてくれのです。そして、努力することで、生産物が目にみえるというのです。牛も丁寧に手をかければかけるほどいい牛乳がとれます。
 少年にとって、農業労働をとおして生産的な人間成長をしていくのです。非行少年にとって特徴的なことは、家庭に恵まれない貧困な精神文化での生育歴です。そこからは、異常なほどの破壊性が醸成されていくのです。また、ものごとに対して忘れっぽい、満足感をもつことがないのです。常に不満をもっていることが特徴的です。これらの精神的な問題状況を克服するために、遠軽家庭学校は、教育農場を大いに活用しているのです。
 生きていくうえで自分の欲するものは、自分たちでつくっていくということを実践しています。おやつまでも自分たちでつくるということです。
 創設者の留岡幸助は「自然と児童の教養」の出版で、遠軽家庭学校創設10周年に「なぜ原生林の中に家庭学校をつくらねばならなかったか。教育の原理のなかに自然を求めただけではなく、自然のなかに誠を発見することであったのです」。「非行少年の内在する心身の特性と環境から少年を大自然の開拓のなかでよく働かしめ、よく食わせ、よく眠らせるという三要件が教育することに大切としたのです。そして、考えること。
 大自然での農業は、これらのことに最も適しているのです。留岡清男は、北海道の教育農場に赴任するまで、人間の発達は、遺伝によって決定されるということで、教育は無力と思っていたのです。遠軽の家庭学校は、教育問題に開眼のヒントを与えてくれた。牛や、豚や鶏など家畜の管理から学んだのです。
 優良品種を導入すれば生産量はあがると考えていたが、家畜を飼う人が未熟ならば生産量をあげることができないことがわかったのです。教育は胃袋からも理解することもできたのです。遠軽の家庭学校は貧乏であった。からうじて生をつなぐ粗末な住居、衣料も布団も十分ではなかったのです。学校では自然で生きる生活を喜び、遠大な教育をうちたてるために、ほど遠い現状でしたが、貧乏を克服していくたに、酪農部で牛乳の生産をし、養鶏をし、蔬菜部をつくり、学校林の運動にのりだすなどの努力をしていたのです。

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 生産意欲と責任意欲は、近代社会の柱になるこのです。創意と工夫は、性能上の柱です。遠軽の先生方は、精神的貧乏、心構えの貧困を厳しく警告していたのです。北海道の遠軽家庭は、世の中の不幸な少年たちのよき相談相手になって、引接に教護の任務にあたることと、近隣農家のよき伴侶になって明日の農村を建設する任務にあたっていたのです。
 教育農場は、少年を人間的に成長せているのです。遠軽の家庭学校をでて、多くの少年たちが社会に育っていくのでした。 遠軽家庭学校では、非行少年の前歴をもったということで、社会の偏見と差別ということに立ち向かっていかねばならないのです。
 この現実に対して、施設をでたあとでのケアも大切にしています。遠軽家庭学校では、施設を出た後でも自立して生きていけるように、子どもたちの将来をきちんと保障した教育体制をとっているのです。
 非行であった少年が、更生されて生涯にわたって生きてけるように、子どもの発達保障を社会の偏見や差別に対して、力強く生きていけるように指導しているのです。非行少年は、社会的な差別と偏見のなかで生きていかねばならないことを直視しなければならないのです。

 参考文献: 留岡清男「教育農場50年」岩波、昭和39年出版、谷昌恒「教育力の原点」岩波書店、1996年、

 

少年法の理念

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 少年法の目的は、第1条で、次のようにのべられています。「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して生活の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うことともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」。

 少年法では、健全な育成ということで、生活の矯正及び環境の調整ということで、罪を犯した少年に対する保護・刑罰という側面ではなく、特別の措置として、教育と福祉の側面から家庭裁判所の役割を重視しているのです。

 家庭裁判所の役割は、少年の健全育成ということから罪を犯した少年ばかりではないのです。14歳未満に満たないで刑罰法令に触れる少年は、性格や環境に照らして将来、罪を犯し、刑罰法令に触れる行為のあるぐ犯少年も含まれています。

 次の4つの少年の状況をぐ犯として示しています。
 1、保護者の正当な監督に服しない性癖のあること。

 2、正当な理由がなく、家庭に寄り付かないこと。

 3、犯罪性のある人もしくは不道徳な人と交際し、また、いかがわしい場所に出入りすること。   

 4、自己または他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。


 少年法は、地域、学校、家庭の教育力に期待し、保護処分、刑罰を最小限に抑制している。少年法第6条では、「家庭裁判所の審判に付すべき少年を発見した者は、これを家庭裁判所に通告しなければならない」ということです。少年法では、通告という方法による、すべての国民に少年の健全育成の教育的配慮を求めているのです。
 

 警察や市民の補導の原理は、少年法の精神である教育的福祉的側面からです。そこでは、家庭裁判所中心主義で、家庭裁判所の調査官を重要な構成員として、児童相談所、児童委員、警察、学校などの機関と連携して少年の非行の至った原因を科学的に調査をすることです。

 調査は、少年と保護者または関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他専門的知識の鑑別の結果を活用します。

 そして、社会内観察という保護観察、児童福祉施設、矯正施設などの処遇について判断し、審判するのです。

 少年事件は、家庭裁判所に送致されるしくみです。家庭裁判所は少年事件の中心的な役割を担っているのです。少年の処置決定は、家庭裁判所の調査官による科学主義が原則になります。

 少年法の保護優先主義は、教育と福祉優先主義であり、保護観察による社会的処遇の措置のケースが多いのです。

 教師の少年審判における直接的な役割ができるのは、付添人の制度を活用することです。教師は成人裁判の弁護士的な役割に匹敵するのです。それは、少年審判が、教育と福祉の優先主義をとっているためです。

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 少年事件において、調査審判にあたって学校の協力は不可欠になっていることを決して忘れてはならないのです。少年事件にあたって、少年の教育的な課題を明確にしながら保護処分をおこなっていくことが必要です。

 少年事件において、おのれの罪を内省することが弱い場合が多いのです。孤独な精神作業をとおして自己をみつめていくということが大切です。

 集団生活では、内省作用ができないのです。集団生活の無難な適応だけでは問題が解決されないのです。罪を犯した少年は、自分で自主的に、自立的に考えていくということがきわめて未発達な状況です。

 

 少年非行の防止のための国際連合指針・1990年12月採択されいます。

 

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 国際連合の指針は、「少年非行の防止を成功させるためには、合法的で社会的に有益な活動に携わり、かつ人間主義的な社会指向および人生観を身につけることにより、青少年は犯罪につながらないような態度を発達させる」ということです。社会的に有益な活動に参加させることは、青少年の社会的ルールづくりです。自分一人で生きていないということを実際の社会生活体験で自覚していくことです。

 つまり、青少年は、子どもは他者との関係をもって人間形成されていくということです。子どもたちが自由に遊びを仲間たちとしていくことも大切なことです。遊びのなかでも年少者をいたわること、それぞれに得意なこと、じょうずででないことを理解して、役割分担を自然と身につけていくのです。

 

 国際連合の指針では、「青少年の調和のとれた発達を確保するために、幼児期からの人格およびその促進を重視しながら社会全体が努力することが必要である」と、子どもたち自身や子どもと関わる人々だけではなく、社会全体として、青少年の調和ある人格の発達を見守り、援助していくことを強調しているのです。


 青少年の発達を援助していくうえで、教育教育制度は、大切なことですが、その制度のなかに、「学業活動および職業訓練活動に加えて、人間として生きていくうくうえでの基本的価値を教え、かつ、子ども自身の文化的アイデンティティおよび文化様式、子どもが暮らしている国の社会的価値観」を身につけさせていくことを国連の指針は重視しているのです。そして、独自に、教育における指導性の重要な発揮として、子ども自身の文明とは異なる文明、ならびに人権および基本的自由への尊重を発展させることを不可欠な教育事項としているのです。


 国連の指針では、いくつかの重要な教育的要件を提起しているのです。まず、第1に、青少年の人格、才能および精神的および身体的能力を最大限可能なまで促進しかつ発達させることです。そこでの教育の方法として、青少年を、啓蒙的な教え込む対象として、単なる客体としてではなく、積極的かつ効果的な参加主体として教育活動に関与させることを打ち出しているのです。

 一人一人が学ぶことに、目的意識性と計画性をもって、意欲的に参加していく学習の形態をつくりだしていくことになるのです。教育の場での主人公は、一人一人のこどもたち、青年たちなのです。少年たちは、主体的な活動の参加によって、学校および地域社会との一体感およびそれへの帰属意識をもてるように工夫していくことが教育者に求められているのです。同時に地域社会全体としても、それを促進するような活動を行うことが求められるのです。

 社会は、多様な個性をもっている人々によってなりたっています。それぞれの得意な面、素晴らしい面をもち、その内容も一律ではありません。また、だれでも不得意な面があるのは当然です。さらに、できない面も人によってはあります。好き嫌いや意見も人によって違うことがあります。

 国連の青少年の指針では、青少年に対し、多様な見解および意見ならびに文化的その他の違いを理解しかつ尊重するよう奨励することを大切にしています。さらに、人間が生きていくうえで、働くことは、基本的なことです。自給自足的な生活から人々の生活の糧は商品経済に大きく変化し、雇用は、極めて大切なことになっている時代です。このような時代的状況で、職業訓練、雇用機会およびキャリア開発に関する情報および指導を提供することも国連の指針では、特別に重視しているのです。

 国連の指針では、青少年の情緒面の支援と虐待の問題についても提起しています。「青少年に対して前向きな情緒面での支援を提供し、かつ心理的虐待を行わないこと。規律の維持のための苛酷な手段、とくに体罰を行わないこと」ということで、心理的虐待、規律維持のための過酷な手段も禁止しているのです。

 

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 知性ある愛情の喪失と粗暴な子どもの解放をどのようにすべきか。

     愛される、愛するという愛情の行為が大切です。

 

 愛は、人間の豊かな感情の表れであるが、同時に持続的に愛情の気持ちを持ち続けるのは、知性的な表現であることを見落としてならない。母性的な幼児期の親子関係は、動物の世界でも自然の世界によって与えられています。
 人間は、動物と異なって、意識的に共生するという社会的存在です。理性を伴っている愛情の力は自然界から与えられたのです。


 イタリアの教育学者のモンテッソーリは、貧しい恵まれない子どもたちに、発達を保障するための子どもの家をつくった。子どもの家で教育実践をしたモンテッソーリは、子どもの発達において、大人の子どもに対する愛情の大切さを特別に重視したのです。このことを次のように述べています。
 「子どもは愛情によって自己実現に到達することが起こります。ふつう愛情といえば感情と理解しますが、子どものへの愛情は知性から出てきて、愛情をこめてながめながら、構成します」。子どもの自己実現は愛情を受けることによって、達成するということで、大人は、愛情への知性が大切とするのです。愛情への知性は、溺愛に陥りがちな親に対する警告でもあります。子どもから一歩距離を置いて、子どもをよくみることからの愛情です。モンテッソーリは、「子どもを熟視するようにさせる入れ知恵」ということで、「ダンテの言葉でいえば「インテレート・ダモーレ(知性、愛情の視力」としています。「あの生気がすでに失われたおとなにとって、まったくつまらないと思われる環境の特徴を、生き生きと精密に観察能力は、疑いもなく愛情の一つの形」というのです。

 「ある外見について、他の人が見ず尊重せず発見もしないような特徴に気づかせる感受性こそ、愛情の特色ある目印ではないでしょうか。幼児の知性には隠れたものも見のがさいのは、まさに愛情をもってながめ、決して冷淡に見ないからです。この積極的な燃え深まる持続的な愛情への没頭は、幼児期の特色です」。

 モンテッソーリは、他の人が見ずもせず発見もしないことに注視する感性が大切としています。それは、決して冷淡にみるのではなく、燃え深める持続的な愛情によって、みつけることができるのですと強調するのです。そして、子どもの環境では、おとなは愛情の最も重要な目的物とするのです。「子どもはおとなから物質的援助を受け取り、また自分の形成に必要なものを強い愛情をもって受け取ります。子どもにとっておとなは尊敬に値する者です。その口唇からは尽きせぬ泉からのように言葉が流れ出で、それは自分の話す力のために必要なものであり、またそれからさきの行動の手引きになるものです」。
 モンテッソーリは、おとなの言葉は子どもにとって、高級な世界からくる啓発と同じ影響を与えるというのです。「おとなはその動作をもって、無から出てきた子どもに、人間はどうして動くべきかを見せます。おとなをまねることは、子どもにとって生活にはいることを意味します。おとなの言葉や動作は、子どもの心への暗示力を得させるほど、魔力や魅力があるものです」。マリーア・モンテッソーリ・鼓常良訳「幼児の秘密」国土社、121頁~122頁


 子どもは大人の愛情によって自己実現していくのです。子どもにとっての大人からの愛情は、怒りや悲しみ、快楽という感覚的な感情ではなく、知性を伴った人間的な子どもを熟視しながらの愛情です。幼児にとっては、親をはじめとする大人からの愛情が特別に重要な意味をもっていることを決して忘れてはならないことです。
 モンテッソーリは、子どもの感覚教育を幼児期に大切にしている意味は、大人の愛情に支えられて生物学的に、社会的に正常な発育を支持するという原理によって整備されていくためというのです。

 正常な感覚の発育は、知的活動の発達に先立つものであるという見方からです。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の子どもの発達は、知覚の基礎であり、認知と情操の発達、道徳の形成にとって、密接に結びついているのです。感覚の発達は、豊かな情操と、他の人を思いやり、共有していくという感覚の発達であるのです。


 人間は、未熟なまま生まれます。一人前になっていくことは長い年月がかかる。

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 生物学的にも身体的成長も長い年月がかかる。生まれたときに、人間は歩くこともできず、自立して2本足で行動するには、一年以上がかかります。食べることも自分自身でできない。親をはじめとする大人の援助によって、生存することができるのである。人間は長い未熟の期間をもたねばならない。子どもは、大人の保護によって生存することができるのです。

 子どもは、親をはじとする大人を信頼する心が自然に備わって、大人に依存し、保護されるのです。人間の発達のはじめは、基本的信頼からはじまるのであるということを社会心理学者のEH・エリクソンは、「幼児期と社会」というなかで、ライフサイクル論の九つの発達の段階にとって、最初の段階とするのです。


 「良い遺伝子と愛情深い両親から恵まれた幼児は幸せです。いつも熱心に関わり、彼の存在を心から喜び祖父母を持つ幼児は、なをさらです。基本的信頼なしには幼児は生き延びることさえできないという事実を我々は認めなければならない」というのです。まさに、愛情深い基本的な信頼こそが、子どもの発達の最初の基礎というのです。そして、人間が生きていくのは、基本的な信頼の獲得からですと。基本的な信頼関係の獲得によって、希望ということも生まれてくるというのです。

「現に生きている人は、皆、基本的信頼を獲得し、それによってある程度まで希望という強さを得ているということになる。基本的信頼は希望の証である。この世の試練と人生の苦難から我々を守る一貫した支えである」。E.H・エリクソン・J.M・エリクソン「ライフサイクル、その完結」みすず書房、153頁


 信頼のない関係は、不信ということです。不信は人生のあらゆる側面を汚染し、他者との友情や愛情を奪い取っていくのです。幼児期からの児童にかけての子どもの虐待は、信頼という人間的な本質的関係を育てていかないのです。
 
 エイーリッヒ・フロムは、愛の教育力を強調しています。10歳以前の子どもは、愛することはことはしらないし、自分自身の行為によって愛をつくる要因が入ってくるのです。母親や父親などから愛されることから、なにかを作ることをとおして愛することへの長い年月を身につけていくというのです。
「八歳半から10歳以前の年齢の児童の大部分にとって問題は、ほとんど例外なく愛されることの問題ーありのままをあいされることーである。この年齢までの児童はまだ愛することを知らない。彼は愛されることに対し、嬉しく楽しく反応する。しかしこの発達の時期の児童の心像の中に新しい要因、すなわち自分自身の行為によって愛を作る新しい感情の要因が入ってくる」。

 8歳から10歳の時期をみるうえで、大切なことは、自分自身の行為によって、愛をつくる新しい感情の要因をつくりあげていくというのです。この時期の発達の段階によって、親や大人、仲間集団のなかで、そのことが育っていかない歪な環境におかれた子どもはどうなっていくのか。貧困家庭での放任的虐待、しつけの厳しさ、学校の心理的なことも含めての体罰やいじめ問題などの現実もあるなかで、地域や学校で、どう対処していくのかという大きな問題があるのです。
 エーリッヒ・フロムは子ども自身で何かをつくることが大切としているのです。「はじめに、子どもになにかを、母親(あるいは父親)が与えること、誌、絵、あるいはその他のなんであろうと、とにかくなにかを作ることを考えるように何かを与えることからはじめることから」とのべます。そして、子どもの生活において、愛の観念は愛されることから愛することへ、創造的愛へと変えられてゆくことが必要であると力説するのです。この最初の時から成熟までには多くの年月がかかっているとしています。最後に、いまや成人になったかつての児童は、その自己中心性が克服されていくのです。子どもは、他の人は、もともと自分自身の欲求の満足のための手段以上のものではないという考えをもっているのです。その克服が子どもの長い年月をかけての克服していく発達が大切なのです。他の人の要求は自分自身のそれと同じく重要であるという見識をもっていくということです。エーリッヒ・フロム・懸田克躬訳「愛すること」紀伊國屋書店、55頁


 愛することで最も人格的形成に寄与することは、自己中心性からの克服であり、他の人の欲求を理解していくことです。

 

 エーリッヒ・フロムは愛することの重要性を強調しています。子どもはまずはじめにあるがままの事物を知覚するようになるのは、母親からの温かいぬくもりであり、自分がたべているときは微笑んで、自分が泣くときは抱いてくれるという経験をとおして自分が愛されていることを学ぶのです。
 これは、母親によるあるがままの自分の自分が愛されているという受け身の状態であり、それは無条件であるとエーリッヒ・フロムは考えます。母親は、自分のこどもであるがゆえに子どもを愛する。父親は自然的な世界を表していないのです。
 父親の愛は条件つきの愛であり、子どもを教える人であり、世界への道を示す人なのです。6歳以降の愛において、父親の条件付きの愛は人間の社会的存在としての機能から大切な機能をもっているのです。これらのの愛されることを長い年月をかけてくりかえさせることによって、子どもは、10歳以降からなにかをつくることを通して、自分自身の内発的要因から愛することにめざめ、その成長を学んでいくのです。


 無条件の母親の愛と条件づけの社会的存在としての人間的成長のための父親の愛は、人間としてそだっていくうえで重要なことです。子どもの成長にとって親をはじめとする大人の愛情は、極めて重要である。子どもへの愛情の喪失は、子ども自身の情緒不安による粗暴の原因をつくりあげていきます。
 
 現代の青少年の特徴として反抗期の喪失傾向を教師や親からみえないのです。

 

 現代の都市部の青少年には、1980~1990年代まで多く見られたような『分かりやすい不良・ヤンキー・暴走族』が大幅に減っているとも言われ、髪を染めて制服を改造したり校内外で喫煙・飲酒をしたり他校の生徒と喧嘩をしたりするような非行行為は減少傾向を示しています。

 学校の指導方針や親の教育に暴力的な反抗を示す思春期の“第二次反抗期”が余り見られなくなり、どちらかというと既存の学校生活や社会環境、大人の指導に過剰適応してしまいストレスを溜め込んでしまう問題が増えています。

 いかにも不良・ヤンキーといった外見をした生徒が、暴力を振るったり犯罪を犯したりタバコを吸ったりするというのが非行行為の典型ですが、近年は外見上は普通に見える生徒が過剰適応やメンタルヘルス悪化の反動として“窃盗・喫煙・援助交際・ドラッグ”の非行行為をしてしまう事例も多いのです。

 

 非行歴のない子どもが凶悪な犯罪を犯す時代です。青少年の非行等問題行動について、新たな特徴として挙げられるのは、非行歴等のない子どもにも凶悪・粗暴な非行など重大な問題行動がみられることです。従来、重大な問題行動を起こした子どもは、万引きな どのいわゆる「初発型非行」から段階を経てきていることが多く、凶悪・粗暴な非行に至る前段階で、子どもの問題を比較的把握しやすかったのです。

 したがって、このような子どもに対して、親や学校その他の関係機関等が協力して重点的に指導することが可能であったのです。しかしながら、近年、「初発型非行」とは異なった形での前兆はあるものの、従来のような方法では対応しきれない新たなタイプの問題行動が目立つようになったのです。


 重大な問題行動を起こした子どもたちの意識等にみられる特徴は、次に挙げられるとおり、社会の基本的なルールを遵守しようとする意識が希薄になっていることです。法律に違反する行為も他者に迷惑をかけるわけではないから構わないと考えたり、そうした行為をとがめられることを逆に恨みに思ったりという事例が増えています。そして、自己中心的で、善悪の判断に基づいて自分の欲望や衝動を抑えることができないことです。

 非行の結果として他者を傷つけたりした場合でも、自分がどうなるかばかりを考え、被害者や周囲の人々の気持ちを考えないという事例が増えています。また、言葉を通じて問題を解決する能力が十分でないことです。最近よく使われるようになった「キレる」という表現にみられるように、一見ささいなことでストレスや不満を抑制できなくなって衝動的に問題行動を起こしたと思われる事例が多く発生しています。日常生活におけるストレスや不満は、自分の内面で処理するとともに、言葉に表し、周囲の人々に理解を求めることにより、暴力に訴えることなく解決を図らなければならないのに、このような態度が身に付いていないのです。
 さらに、自分自身に価値を見いだし、自尊の感情を持つことができないでいることです。他人を尊重し思いやる気持ちは、自分がかけがえのない存在であることの自覚に根ざすものですが、問題行動を起こした子どもには、そのような感情を実感する経験が乏しい例も多く見られるます。
 
 青少年の問題行動の社会的背景を直視する必要があります。 

 

 青少年の問題は、その時々の社会全体の抱える様々な問題を反映したものです。そこで、今回青少年の非行等問題行動の背景について検討するに当たり、現代の社会一部にみられる社会的倫理欠如の風潮に目を転じることが大切です。
 特定の利益や価値に固執することによって、社会的公正や公平、諸価値相互のバランスが崩れています。社会全体の公共性の利益を省みない行動がみられます。社会的責任性が軽んじられがちです。
 経済的な自己利益の追求に熱心なあまり、子どもに対 しても、ともすれば「より良い職場」に就職するために「より良い学校」に進学することを求めるような傾向が根強くみられます。このような中で、子どもが多様な人間関係を通じて共生していくなかでの自尊の感情や社会性、人との相互に支え合っていく付き合い方を習得する機会が減少しています。
 このような社会的背景から子どもの問題行動の起きる要因があります。子どもに対する基本的なしつけがおろそかになっていることです。社会的倫理や社会的責任が軽視されがちななかで、大人が衝突やあつれきを回避しようとして、様々な行き過ぎにも許容的になり、断固とした態度をとらないため、子どもにとって偏った考え方を生活体験の中で修正する重要な機会が失われています。また、子どもたちが幼いころから多様な人間関係を経験する機会が少なくなっていることです。


 兄弟姉妹の間や地域の同年代の青少年の間など、構成員の年齢に幅のある集団における人間関係は、他者との関係で自分の位置をとらえるという経験の基礎となるべきものです。しかし、少子化や地域のつながりの希薄化で兄弟姉妹や近所の友達が減り、テレビやテレビゲーム、学習塾や稽古(けいこ)事に時間を取られるようになった。

 このため、青少年にとって、人間関係が親子、教師と生徒といった特殊な関係や、学校等限られた場所における同年齢の集団という狭い範囲に限られ、人とのつきあい方を身に付ける機会が失われてきています。
 現代の子どもたちの環境では、多様な考え方を得る機会が乏しく、自らの考えを理解してもらおうと努力しない独善的な孤立主義に陥る傾向につながっています。
 これらは、具体的には、家庭の教育機能や地域社会の青少年育成機能の低下、学校教育の問題等として現れています。


 青少年をめぐる問題は、その背景に、様々な要因が相互に複雑に絡み合っているものです。青少年のみを対象とした対策だけで解決できる問題ではないのです。 まず、大人自身が、社会の構成員として、また、親として、「個」と公共の調和、自由と規律の調和の在り方や子どもの人格形成に対する責務について自らに問い直した上で、社会の基本的なルールを次世代に伝達していくことが重要です。
 青少年が自律的個人としての自己を確立した「市民」になるためには、社会生活の中で、多様な人間関係や実体験を通じ、自分を周囲とかかわらせる活動を積み重ねていかなければならないのです。具体的には、多様な人々とお互いの意見を投げ掛け合い、相互理解に努める中で、時に摩擦も経験しながら、自分とは異なった様々な価値観に触れることです。このような経験を積む場を最も豊富に提供できるのは、地域社会にほかならない。したがって、青少年がこのような『開かれた』関係の中で社会性を培っていくための地域社会の環境づくりが必要です。
 親や教師を始めとする周囲の大人は、自らの考え方を積極的に示し、情報を提供し、意見を交換することを通じて『開かれた』関係を確立し、各自の責任を明らかにしつつ相互理解と連携を実現していかなければならないのです。


 人権尊重、個人主義自由主義、平等主義といった戦後の憲法的価値の浸透は、社会経済の変化と相互に作用を及ぼしつつ、旧来の血縁的、地縁的な社会から人々を解き放ち新たな活力の源となりました。それが、ある意味では、経済の発展、生活の向上をもたらしました。しかし、その一方で、価値観の多様化、人間関係の希薄化等を通じて、家庭や地域社会の育成機能の低下や社会的抑制力の低下や社会的倫理観の欠如をもたらしました。
 人間は社会的にしか生きることのできない存在であり、「社会」を否定したところには、個人個人が自由に個性や創造性を伸長させ、自己実現を追求していく基盤も成り立たないのです。他方で、積極的で責任ある社会の構成員をはぐくんでいくためには、子どもの権利に関する条約に規定されているような生存、保護、発達などの権利を十全に保障していくことが基本的な前提となることも忘れてはならないのです。
 


 

 

農業中心の地域循環経済と人材養成

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農業中心の地域循環経済と人材養成

         

はじめに 

 地域循環経済にとって、農業は極めて大切です。 地域循環経済とは、日常の暮らしの物質やサービスの経済を受けるときに、多くがグローバル化しているなかであらためて問われる課題です。特産物や高級品、特殊の医療やサービス、観光業などは、地域の暮らしの物質やサービスではない。地域循環経済を大切にすることは、人々が生きていくための基本的条件のためと、持続可能な社会や自然循環の環境保全のためです。

 農業は食料、繊維、日常生活品など、地域循環経済の要であったのです。つまり、農業は人間が生きていくための食糧を提供し、生存のためには不可欠な産業です。

 人間は原始時代に、狩猟、魚や植物採取依存で生きていたのです。道具を使い、仲間と知恵を出し合って、共同作業をし、生活の糧を得て、保存していたが、自然に左右される不安定な日々を過ごしていた。

 また、集落を形成して、人間集団の絆を強くもっていた。それは、自然の厳しさからの対処でした。これらのことは、全くの自然の、なるがままの動物と異なっていました。

 まさに、原始の人々は、自然に大きく左右されて、暮らしをしていたのです。原始の人々にとって、自然の恵みが生きる糧であり、自然に順応して、自然のなかで生きていたのです。

 そこでの人々は、自然の価値は絶対的なものでした。自然は、生きていくうえでの感謝そのものであったのです。日本では縄文時代の世界です。豊かな自然に対する感謝の芸術的感性が育ち、デフォロメの世界が陶器の形や絵に現れたのです。

 神は、巨石であったり、樹木であったり、大地であったりということで、自然そのものであったのです。人々は、常に自然の森に感謝し、家を建てるために、生活のため、樹木伐採をするとき、神に許しの祈りをしたのです。

 稲作など、農業を人々がすることになって、自然のなるがままから、蓄えも年単位と大きくするようになり、人口も飛躍的に増大していくのです。自然災害、飢饉、疫病などで、自然の厳しさのなかで生きてきた人々は、蓄えることができるようになったことで、持続性を考えられるようになったのです。

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 人間は、農業の形成によって、生命の維持を目的意識的にできる段階に入ったのです。そして、古代の文明が生まれ、古代の都市が形成されて、農業に直接的な日常生活を持たない都市で生活する為政者の集団が生まれたのです。

 古代都市の富は、農業そのものであった。食料源になる農業を支配することによって、富を得ることができたのです。しかし、都市の拡大によって、農業開発が行われて、人為的自然破壊ということが人類社会のなかで生まれたのです。

 古代の都市は、人口集中と農業開発によって、自然破壊が文明の誕生で生まれるのです。ところが、巨大な古代都市は、環境問題ということから滅んでいくのでした。為政者にとっては、農業の振興と自然との共生ということが極めて重要な課題になっていったのです。

 古代文明時代から都市の形成は、そのまわりとの豊かな自然との共生が求められたていたのです。近代の資本主義の到来まで、人類は文明の発展によっての都市の形成、為政者の権力巨大化ということで都市が生まれました。そこでは、農業という食糧生産と自然との共生が大きな課題として、為政者は知恵を絞ってきたのです。

 しかし、近代の資本主義の発展による巨大な生産力主義、効率的な画一的な生産性、分業の発展ということから、農業の社会的位置の低下が起きた。農村の貧困化が進行した。都市と農村の対立、農業と工業の不均衡な発展が著しくなったのです。都市の権力機能の集中ばかりではなく、交通手段、文化的機能、情報などが集中していったのです。f:id:yoshinobu44:20210626094536j:plain

 農村の地域循環的な経済の仕組みは、分業の発展による単一の効率的生産体制のなかに組み込まれていくのです。農村ですら、巨大な資本主義的な利潤のための都市の商業資本に支配されて、生活の糧の食材さえを購入していくという世界に入っていくのです。

 例えば、山村は、森林の管理が高齢化で難しくなっています。この状況で、メガソーラー開発が進んでいるのです。発電容量に対する発電量13%といわれる極めて低い非効率メガソーラーは、大規模な森林伐採を日本各地で進めているのです。開発面積という施設設置からも極めて非効率なのです。また、大規模な森林伐採は自然災害の被害も大きくなっていくのです。

 かつては自然豊かで、その恵みのもとに暮らしていた人々が過疎化のなかで、地域自立的生活が一層に困難になっているのです。人類的な歴史からもう一度、森林などの自然のもってきた意味を再評価する時代になっているのです。

 その再評価は、現代の科学技術の発展を直視しながら、あらたに都市と農村の対立ではなく、共生的関係をどのようにつくりあげていくのか。従前の有限的な資源論からではなく、循環的に持続していくという農業からの資源論が求められる時代に入っているのです。分業論的、有限的資源論から、共生的な総合的な視点からの連携からの新たな科学技術の発展が必要な時代になっているのです。

 

1,地域循環共生経済時代の農政

 

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 2020年5月に食料・農業・農村基本計画を閣議決定しました。ここでは産業政策と地域政策の両輪を積極的に打ち出した。従来から進めてきた農業と加工・販売という6次産業という農業振興策から農業と福祉、農業と観光、農業とエネルギー、農業からの工業の新素材ということで、農業のイノベーション推進を積極的に打ち出したのです。

 地域資源の活用では、鳥獣被害に悩んでいる現状のなかで、それを捕獲して、処理加工や販売方法までも含めての問題提起です。

 この基本計画が出すまでもなく、日本の伝統的な山村では、そのことが当たり前におこなわれていたのです。かつては、マタギといわれた人々が狩猟を専業にして生計をたてていたのです。このマタギの文化が滅びてきたのです。山の民の自然循環の伝統文化があったことを決して忘れてはならないのです。

 

 ところで、農業と福祉の連携として、障がい者の発達の取り組みや、新しい働きのとして、個々の能力を活かした仕事などが考えられるようになっています。自然を相手にする農業では、健常者と知的障がい者などが協同しての有機農業などの商品開発が行われている事例が生まれているのです。

 農業を活用しての「非行」少年更生教育では、北海道の遠軽家庭学校から全国的に広がっていった実践です。また、保育福祉の分野でも森を利用しての子どもの発達を自然につくりあげている実践がされているのです。

 高齢者の福祉施設や生活困窮者の福祉活動なども農業を活用した取り組みが注目されているところです。農業と福祉の連携を推進する立場から農林水産省は、平成27年度から補助事業を開始しているのです。

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 農村への関連産業の導入として、森林サービス産業の創出を提言しているも2020年の農政基本計画の特徴です。農村は、豊かな地域資源として森林を保有していることから健康、観光、バイオマス発電、小水力発電が可能であるとするのです。営農型太陽発電の推進と共に、分散型エネルギーシステムも可能であるとするのです。

 ここで、重要なことは森林資源を自然循環型にしていくことです。バイオマス発電やメガソーラーが森林を乱伐して、自然破壊にならないことが重要です。この点についての重要な指摘は、農政の基本計画にはありません。セルロースナノテク技術による鉄鋼などに替わる工業資源として森林資源が注目されているなかで、森林の自然循環の仕組みは極めて大切なのです。

 農村の活性化をしていくうえで、地域コミュニュティ機能の維持や強化は重要であるという指摘を農政の基本計画は打ち出したのです。そこでは、世代間を超えた人々による協同の地域ビジョンが求められています。そして、小さな拠点の形成や多面的な機能が発揮できるようにするしくみづくりの提案を農政の基本計画をたてています。

 

 農村を活性化していくのに、生活インフラの確保も重要であるということが農政の基本計画の提言です。その提言には、住居、情報基盤、文化交通の生活インフラ確保があるのです。また、空き地・空き家の情報提供やその取得の円滑による定住条件整備のための総合的整備をあげているのです。

 

 ところで、忘れてはならないことで、生活していくうえでの保育所、学校、郵便局、買い物、病院、公共的な集会施設、公共セービスの役場などは、重要な要件です。そして、それを支えていく交通網の整備がなければ意味がありません。自家用車のみの論理だけでは子どもや高齢者にとって、きつい面があります。

 学校や役場の統廃合、支所の職員の定員削減の公共サービス低下の問題が現実にあるのです。これらの問題は、定住条件整備という面からは大きな後退側面です。

 農政の基本計画実現には、社会教育・生涯学習が欠かせないのです。社会教育行政が一般行政と結びついて、総合的に地域づくりのための能力形成をどのようにしかけていくのかということです。ここには、農業改良普及所・生活改良、教育訓練行政、福祉行政、コミュニティ行政ともも結んで、さらに、学校教育の地域との結びつきの地域の先生、地域の教材活動と結んでいくことが大切です。 

 

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 地域資源を活かしての高付加価値をもつ 農村発のイノベーションを推進するには、人材育成の必要性と並んで地域コミュニティ機能の維持強化と新たな農村活力を支える地域組織の形成を農政の基本計画は提起しているのです。

 地域内の人材育成には、地域課題や地域活性化の学習推進が求められます。多様な人材の活躍による地域課題の解決としての人材育成が問題になってくるのです。

 農政の基本計画は「農業を支える人材育成のための農業教育の充実」を次のようにあげています。「若い人に農業の魅力を伝え、将来的に農業を職業として選択する人材を育成するため、農業高校・農業大学等の農業教育機関において、先進的な農業経営者等による出前授業、現場での実習、農業生産工程管理等(GAP)に関する教育、企業や他の教育機関、研究機関と連携したスマート農業技術研修等、実践的・発展的な教育内容の充実やそのための施設・設備を進める。

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 農政の基本計画は、地域農業のリーダーとして、活躍し、経営感覚や国際感覚を持つ農業経営者を育成するため、産業界や海外と連携した研修・教育や、農業大学校等の専門職大学化などの農業教育機関の高度化を推進すると提起しています。

 これらの課題を農村でどのようにすすめていくのか。産業界や海外の連携した研修や教育を実践的な教育のなかで地域でどう進めていくのか。

 外国人労働者が農業分野のなかで多く入っていますが、かれらを単なる労働力ではなく、国際感覚を身につけていくうえでの絶好の日常生活での学びの場であるということも大切なことです。

 このためには、日本人と同じように待遇を整備し、コミュニケーションを円滑にするための日本語教育が不可欠なのです。そこでは地域で生きていくための当たり前の、人権尊重が求められているのです。つまり、地域での外国人との共生関係が必要なのです。

 さらに、農政の基本計画は、就職氷河期世代をはじめとした幅広い世代の就農希望者に対する実践的なリカレント教育を実施するとのべています。

 青年層の新規就農と定着促進の施策として、地域の就農受け入れ体制の充実に、就農前段階の技術取得段階から就農後技術指導、農地確保、地域における生活確立まで一貫しての関係機関との連携をすすめていくことを強調しています。

 就農希望者が増えるためには、農業の働き方改革を推進して、ライフスタイルの含めての様々な農業の魅力を発信していくことが必要とするのです。

 農業の特殊性は、自然との関係をもつ労働であるがゆえに、繁忙期と農閑期という季節性をもっているのです。農業の雇用ということで、この特殊性をどう緩和していくのかという課題があります。農業や農村の多様性から6次産業化ということだけではなく、農村のイノベーションということでの雇用の在り方、働き方も求められているのです。

 農業の技術教育と農村生活の支援に利点をおいた青年の就農対策の施策も多面的な側面からみることです。農村イノベーションということからの発想を転換していく必要があります。

 青年就農者教育にイノベーションと深く結びつけていくという創造的経営の学びや農業や農村で生きていく哲学・思想の学びが重要です。そして、地域のなかでリーダーとしての役割を発揮していく人間形成の学びの構築もあるのです。伝統的に培ってきた4Hクラブ、農業青年クラブなどの活動を現代的に地域づくり活動、地域計画活動などと結びつけて、高度に学びが充実していくことが求められれます。

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 お茶の刈り取り農業機械を運転するベトナム青年

 

 農林金融誌2014年4月号で上野忠義氏は、日本の農業教育の今後の方向について、書かれていますが、六次産業の対応できる確かな経営能力の育成に、技術取得中心にとどまらず、経営戦略、経営組織、食品流通、消費者行動、マーケッティング、会計、法務、リスク管理、事業創造などをあげています。

 今後は、六次産業により加工や販売、グリンツーリズムなど多様な事業展開が予想され、経営を学ぶことなど専門職大学院ビジネススクールなどで学ぶことも必要となることを提起しています。

 基本計画での農村イノベーションの強調をするならば、農業教育の役割を実践に即して、農業技術の側面ばかりではなく、高度な経営の学びを現実に即して行っていくことが求められているのです。この意味で、専門職大学院ビジネススクール的発想を農業分野でもつくりあげていくことが高度教育としての農業教育機関に求められているのです。

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 農政の基本計画では、女性が農業で能力を発揮できる環境整備を大切としています。農業経営における女性の参画は、大きな意味をもっているという認識です。地域をリードできる女性農業経営者の育成です。女性は食品加工の開発や消費する側の立場を考え安い状況です。6次産業化や、子育て、介護などの農業の多面的機能にとっての女性の発想は大きな潜在力をもっているのです。

 

 2,環境省の地域循環共生圏構想

 

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糞尿を利用した高千穂牧場の観光農園バイオマス発電所

 

 環境省は、2018年4月に第5次環境基本計画をまとめています。これは、国連の2030年までの持続可能な社会達成のために緊急に必要なSDGsの考えを活用した概念です。地域の特性に応じて資源を補完し、支え合うことにより、地域の活力が最大限に発揮されるための概念としているのです。

 地域資源を持続可能な形で活用として自立、分散型の社会形成の提案です。そして、経済、国土、地域、暮らし、技術、国際化を示しているのです。

 各地域がその特性を生かした強みの発揮として、農山漁村では、食料、水、木材を提供して、自然エネルギー、水質浄化、自然災害防止をあげています。そして、自然資源・生態系のサービスができるとしています。地産地消再生可能エネルギーをあげるのです。

 都市は、資金・人材などの提供をします。地域産品の消費、地域ファンド等の投資可能とするのです。このような内容を概念の絵を森、里、川、海なども含めて示しているのです。

 地域循環共生圈をどのように確立していくのか。地方での都市と農山漁村との関係では地域循環共生圈を可能にしていく条件がありますがそれを具体的にどう実現していくのか。

 東京や大阪の大都市圈では、農山漁村との圈域での共生圈をどう考えていくのか。東京や大阪などの水を提供している自然条件でのつながりから共生圈を広く考えていくことは可能ですが、地理的に断絶しての共生圈をエネルギーなどでは難しくなっていくのです。

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霧島酒造のサツマイモからの焼酎かすを利用したバイオママス発電所。この施設で2000世帯相当の電力提供

 

 都市自身で再生可能エネルギーをどう創出していくのかという発想も大切です。農山漁村に膨大な自然破壊をしての非効率的メガソーラーや大規模な風力発電所の開発は、地方の収奪です。決して地域循環共生圈の再生可能な自然エネルギーではないのです。

 大都市では、個別住宅、集合住宅、ビル、スーパー施設、公共施設、スポーツ施設、高速道路、工場など、さまざまな建築物があります。この建築物からの太陽光のエネルギー創出が求められているのです。

 大都市でのゴミの排出は深刻です。ゴミをなくしていく消費物の販売形態の創出は重要です。現在のゴミや廃棄物と称されているのを発電エネルギーにできないか。ゴミや廃棄物は、大切な資源として、新たに生産物に転換していく発想の転換も必要です。石油や石炭などの化石エネルギーを克服して、地域循環経済をつくっていくうえで、再生可能エネルギーは需要であることはいうまでもないのです。

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 ガソリン車から電気自動の普及は、大きな課題ですが、都市部に再生可能エネルギーの施設の設置は極めて重要です。

 集合住宅やビルのオフィス、工場に発電所や電気自動車の充電施設の設置も不可欠です。食糧品・飲料の容器を容易にしていくために、容器を業者が回収して、なかみを購入していく消費形態も新しい試みとして実施されています。都市であるからこそ効率的に、容器を容易に回収できるのです。

 

 省エネの建築物も脱炭素化にとって、大切なことです。断熱材などを使っての省エネは、冷暖房のために電気エネルギーを使用する生活が一般的となっている現代の状況です。省エネ開発も重要な脱炭素化の事業です。

 農山漁村と大都市との共生圈の構築は広くブロック単位で地理的に連続をもつことが必要です。それは、個別に地域的連続性を持たない遠方からの特定の地域に再生可能な自然エネルギーからの電力供給ではないのです。共生圈という概念は大切です。

 都市と農村の不均等な発展は、自然を相手にする農林業が大きな要因です。それらは、土地の制約のなかから生産効率主義ではいかないのです。農林業の特殊性からの不均等の発展があるのです。その原理を無視して大規模な生産効率の農業を追及すれば、農業による自然破壊が進むのです。農山漁村は都市との経済的格差の問題も含めて、共生圈の問題と自然との循環関係もあるのです。

 

 大規模に森林を伐採して、非効率的メガソーラーの開発が日本の山村で起きているのが現実にあります。さらに、脱炭素の名のもとに大規模な森林伐採があります。自然破壊による再生可能エネルギー開発計画の推進は、メガソーラー建設の単価が大幅に下がり、利益が上がるということです。再生可能エネルギーは森林の循環という自然保護と一体となって進めていかねばならないことです。自然破壊ということを作り出していくことは、災害の経費負担の増大ということから、長期の経済発展ということから大きなマイナスになっていくのです。

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 2021年6月に森林・林業基本計画が閣議決定されましたが、そこでは再生可能エネルギー向けの林地利用の積極的推進が盛り込まれています。また、木質バイオマスの利用も重要な施策に入っているのです。

 林業作業の効率的利用の促進から重機の利用がなされるなかで、一律的に面としての森林伐採が行われ、間伐材という選択的伐採は難しい状況です。さらに重大なことは計画的に山の保全ということからの森林伐採の視点が乏しく、伐採した後の植林がなされていかないことです。

 むしろ、太陽光発電などの林地開発というの再生可能エネルギー建設ということで、大義名分が成り立っていくのです。閣議決定では木材利用や輸出を伸ばして、2030年度の供給量を2019年度の1.4倍に増やそうとするものです。

 この基本計画が循環的な森林保全ということから問題がないのか。植林、さらに林業管理を含めて、きちんと実行できるプランまで含めての検討が必要なのです。むしろ、植林や林業管理ができていない現状を直視して、具体的な対策を明らかにしていくことが急務なのです。放置されている竹林などの被害問題が端的にあらわれています。

 

 3、パリでの気候変動条約をはじめ環境保全の国際会議

 

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 2015年11月30日から12月13日にパリで国連気候変動条約の国際会議が開かれ、2016年10月に55か国、炭素ガス排出量55%をカバーする国の参加という条件が発効の条件でしたが、その条件を満たす国が批准したのでした。

 

 この条約は2020年以降の気候変動に関する国際的枠組みが決められ、21世紀後半には温室効果ガスと森林などによる炭素吸収量のバランスを取るために、炭素の排出削減の努力目標を定めたのです。日本は2050年までに炭素の排出をゼロにするということを国際的に表明したのです。

 国連環境計画と世界経済フォーラムは、世界の生態系破壊や土地の劣化の深刻な現状で、2050年までに総額8兆ドル(約880兆円)を自然に投資する必要があると報告しています。

 

 現在の自然への投資は1330億ドルです。30年度まで3倍、50年度まで4倍までという大幅な投資の必要をのべているのです。人間は自然の恵みから多くの利益を得ており、生態系破壊はビジネス上の大きなリスクになるという警告です。

 現代においても世界のGDP の半分は、自然に頼ることで経済発展を得ているのです。それは、農業や食品、飲料、建築分野で依存が高くしているのです。森林再生により地球温暖化の原因となる二酸化炭素の吸収利用を増やすということを重視することが大切です。それは、まさに自然を基盤とした地球温暖化を防止していくための解決策です。

 

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 生態系破壊は自然の恵みから人間が生きてきたことを否定していくのです。森林の破壊は自然の力のもっていた災害防止の役割を喪失させます。

 パリ協定という地球温暖化防止対策の世界的な提言は、森林の再生を大きな課題にしたのです。植林を長期な自然循環の仕組みづくりとして、積極的に位置づけていくことが求められています。

 森林地帯に非効率的メガソーラーをつくること自体が人類的な緊急課題の森林再生ということからの真逆の道であるのです。

 GDP という市場で取引された国内総生産という経済成長の見方に対して、生態系と生物多様性の経済学の国際条約国際会議は2008年に中間報告を出して、2010年に最終報告を日本の名古屋の国際会議で承認したのです。

 ここでは、現在のままで放置すれば二つの世界戦争以上の被害を人類にもたらすとしています。GDPの成長という経済発展指標は雇用創造、景気後退回避で有効であったが、しかし、この見方では健康の質の変化や教育の普及、自然資源の質と量などの国の富や国民の福祉の向上の指標にはならないとしているのです。

 生物多様性の喪失は森林資源で生きてきた人々に一層の貧困をもたらします。自給的農業で生きてきた人々に食料の危機がおしよせるのです。農山村漁村の貧困では、自給的農業は生活の糧に大きな意味をもっています。

 倫理的問題として、リスクや不確実性、将来の価値の割引は、人々の生活を不安におとしいれているのです。また、海洋や遺産的価値なども経済的価値をもつのです。

 

 自然は人間社会に食糧や繊維、淡水、健康な土曜、炭素の吸収、薬の提供、レクレーション、森林セラピーなどの心の癒し、その他広範で多様な恩恵をもたらします。これらは市場もなく、価格もない。公共財そのものです。

 そこで、経済成長には自然生態系と生物多様性の価値の適切な評価を市場に持ち込むことが必要となるのです。これらの自然による人間の恩恵からの経済的価値を生態系サービスとするのです。

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 生態系サービスの支払いを作り出す環境関係の法律や規制、それらを守るコンプライアンスの社会システムが求められるのです。そして、生態系サービスへの投資も行われる必要があるのです。そこでは、GDPの成長ということではない、経済発展の仕組みが求められています。まさに、自然共生循環の充実と人間の発展ということになるのです。人間の発展ということからの健康指数、人間と自然の教育の普及、人間的幸福、福祉などが自然との関係の指数での経済の発展のあり方が求められています。

 

 2015年に国連本部で、持続可能な開発サミットを行い、2030年までが人類的危機の地球温暖化にとって決定的に重要であるとして、持続可能な社会形成を地球規模で実現するために17項目のSDGsの目標を定めたのです。

 貧困や飢餓と健康や安全の水は地球温暖化などの環境問題と深く関わり、気候変動に具体的政策と生態系保護、海の豊かさの保護をあげているのです。

 2030年までの炭素の削減目標はEU90年度比で55%、英国68%,日本26%の目標をたてています。削減目標は五年ごとに報告して是正していくことになっています。地球全体から炭素排出量は中国23.2%,米国13.6%,EU10.0%,インド5.1%,ロシア5.1%などです。

 中国とアメリカの削減目標が地球全体からみれば大きな位置をもっています。トランプ元大統領はパリ協定の脱退を表明しましたが、バイデン大統領の政権になって、脱炭素の積極的な政策が打ち出されています。その目標値が注目されることです。

 パリ協定のもとに日本は地球温暖化対策推進法律の改正を2021年5月に行われました。この法律では地域の再生可能エネルギーを活用した脱炭素の推進が強調され、地域脱炭素化推進事業の名のもとに、規制緩和による自然環境や歴史文化が破壊されていく危惧があるのです。

 脱再生可能エネルギーは森林や歴史文化の保存によって地域自然循環のもとで実施しなければ真逆のパリ協定に反することになるのです。森林のもつ脱炭素を吸収する役割、森林のもつ災害防止、健康や文化、森林と教育・子育てなど生態系サービス経済の側面を決して見落としてならないのです。

 大規模な森林破壊の再生可能エネルギーは特定の大企業の効率主義的利潤のためにすぎない側面が大きいのです。脱炭素化を名目にした自然破壊の巨大投資が行われていくことを警戒しなければならない。

 

 年金基金や銀行などの機関投資家は、一般投資家の地球温暖化に対する善意の心を利用しての真逆の環境破壊が大規模に行われていくことが予想されるので、責任投資原則と環境問題に金融面から支援の透明化が求められるのです。

 さらに、最も重要なことは地球温暖化対策、持続可能な社会の形成、再生可能エネルギーということで、国の補助金が使われ、炭素税という仕組みがつくられていくなかで、一面的に脱炭素対策ということで、大規模な再生可能エネルギーの開発による自然破壊の心配があるのです。

 再生可能エネルギーは自然と共生していくことが原則です。その共生の工夫に科学技術が利用されていくことが必要なのです。このことを必須条件としての生態系サービス産業のなかで、再生可能エネルギーを積極的に位置付けていくことが求められているのです。

 

 

 

  

 

 

 

 

 







   

 

 

 

 

 

竹の自然循環の宝と公害

竹の自然循環の宝と公害

 

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 地域資源の開発は、持続可能性をもつ地域循環経済の創生に重要な役割をもっています。これには長期的な視点をもつことが必要です。そして、一歩一歩、それぞれの生活必需品に基づいての開発が求められるます。とくに、エネルギーや食糧は地域で自給率を高めていくことが大切です。

 長期的に地域発展をみるためには、若い人たちの未来志向の気概が不可欠です。その教育は重要なことです。若い人々を支える地域での生涯学習の構築をどう作り上げていくのか。その課題があります。

 学校の教師は地域循環型経済のために、生きる学力、地域発展の学力、未来社会を作っていく学力が求められます。それには最先端の科学・技術と同時に、新たな地域社会の仕組みを作り上げていくための歴史文化や社会科学の知識、人間的な尊厳と絆の文化・芸術性をもつ人間力が重要です。また、ここには地域の人々の連携の学びも大切です。

 人間の手が加わった自然の循環は、放っておけば大きなマイナスにななります。江戸時代に孟宗竹など中国から輸入した竹は、そのことを教えてくれます。

 日本での農山村の多くは、過疎化が進み、竹を管理していくのが厳しい状況になり、農地までにも竹が進出し、ひどいところでは宅地をあらして、竹の公害といわれるようにななります。竹は人間の生活にとって、昔からさまざまな面で利用されていたのです。

 

1、竹と古来からの日本人の暮らし

 

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 竹は人間が生きていくうえで大切な素材です。竹は、タケノコから建築材、土木材、工芸品、庭園などさまざまな用途に使われてきました。現代でも竹の新たな利用としての堆肥としての利用があります。さらに、薬品、竹の製紙、竹からのセルロースナノテクの工業素材の利用などが考えられます。

 竹の生命力、成長力はすさましいものがあります。あっという間に大きく伸びていくのです。それも節をもつことによって、丈夫に強い風にも柔軟性をもって耐えうるのです。古来から里山の竹林は人々の暮らしにさまざまな用途に使われてきたのです。

 しかし、竹のもつ生命力、成長力は放っておけば、農林業に大きな被害をもたらすのです。竹によって、畑や田んぼ、森林を侵食していくのです。竹は農林業にとって、大きなやっかいものになっているのが、現代日本の過疎化した農山村の現状です。

 現代は、素晴らしい人間の暮らしにさまざまな効用をもっている竹の積極的な利用が求められています。その評価は人材などの条件さえ整っていけば社会的に十分に高まっていきます。新たな科学技術を利用しての経済性を発揮していけば、さらに、その価値が大きくなっていきます。

 竹は子どもの遊びの道具にもなっているのです。竹馬に乗って、子どもは高くなった気持ちで歩くのです。子どもの平衡感覚を身につけていくうえでも大いに効果を発揮するものです。もともと、馬に見立てて走るということでの遊戯です。

 竹とんぼの遊びは古来から中国、ベトナムなどアジアの遊びの文化として、広く行われてきたものです。空高く遊ぶ道具として、子どもの空を飛ぶ夢として、昔から迎えられていたのです。自分から飛んでいく遊具は飛ばすということが風に乗って舞い上がっていく楽しさを教えてくれるのです。古くから空を飛ぶ夢が子どもの心を豊かにしてきたのです。凧揚げも空高くとんでいくようすを自分自身が糸で操作している喜びを感じさせるのです。

 

2、林野庁「竹の利活用推進に向けて」提言

 

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 農林水産省林野庁は、平成30年10月に竹の利活用の推進について提言をしています。林野庁の提言を要約しながら、竹の持つ性質から現代的に地域の見捨てられた貴重な資源として大いに評価してみることにします。

 林野庁の提言では、竹は古来から日本人の暮らしに積極的に利用され、文化にも大きな影響を与えてきたということから、それを現代的に積極的に利用していことすることです。それらは、竹製品をプラスチックなどの代替え品、製紙材としての見直など、竹を利活用して地域経済を活性化していこうとする提言です。

 竹は利用しないと、その成長性と地下茎という性質から他の森林や農地に公害となって現れるということで、管理しなければ大きなマイナス要因になるのです。

 竹林の整備は竹材の地域資源と食糧としてのタケノコです。竹林の管理ができていないところ、つまり放置したとろでは、周囲の森林に地下茎をとおして浸食して、竹が優占して森林のもつ多様な生態系機能が失われていくというのです。

 林野庁は、管理竹林、放置竹林、もともと竹林でなかった拡大竹林、木材になる人工林と混合の木竹混交林と、4つに分類をしています。管理されていない竹林の整備には、竹を駆逐して、次世代の樹木を造成し、継続的な見回りの管理が大きな課題となっているのです。

 竹の伐採には搬出もコストの問題も含めて大きな課題になっているといのです。現状では竹の伐採コストが高く、竹の資源を持続的に利用していくうえでの採算に大きな課題があると林野庁はみているのです。

 竹林の管理は、竹を利用していくことが大きな課題になっているというのです。竹は身近で、軽くて加工性のある素材です。古来から竹が農業や漁業の身近な素材として利用されてきたのは、そのためです。竹製のザル、竹製のカゴ、背負いカゴ、竹製のほうきや熊手、のり養殖用の浮き竹、釣り道具、灯籠、物干し竿など。

 古来から家屋の土塀の下地、外装剤、内装材などの建築材など。現代は、ビルを建てるうえでの足場などがベトナムなどの東南アジアで利用されています。ビルのなかでの暮らしで緑を取り戻すためにビルの庭園としての竹の利用もあるのです。

 現代で、日常における暮らしの製品はブラスチックなどに置き換わり、建築材は合板やセメントなどの工業製品になっているのです。大量生産できて、安くて気軽な便利な素材に変わったのです。ここでは個性をもった芸術性が消えて、職人的な熟練労働も失われていった。

 文化的には、尺八、笛などの音楽楽器、生け花用具、茶道具、庭園、弓などに利用され、様々な伝統工芸品として利用されてきました。現在でも、伝統工芸品としての素材開発が模索されています。さらに、竹炭は湿度を調整することや消臭機能として利用されたりしています。竹酢液は害虫逃避効果などにも使われています。

 近年では、科学技術の最先端を利用した竹材をパルプとして利用することで、用途を広げていこうとしています。竹の繊維を利用しての自動車の内装やヘッドライトカバー、フロントグリルなどの新素材開発が行われいるのです。竹の利用がセルロースナノファイバーによっての期待も高まるところです。

 また、竹の抽出液を利用しての抗菌、抗ウイルスの開発も行われています。竹炭を粉状にしてパウダウとして土壌改良材に利用、竹のエネルギー利用の開発などがすすめられているのです。竹の性質を利用しての様々な研究・技術開発の期待が大きくなっているのです。

 

 3,竹の民俗誌と文化

 

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 日本文化の深層を探るということから沖浦和光氏は岩波新書で、竹の民俗誌をだしています。この本から竹のもつ歴史文化的側面を深めてみたいと思うのです。

 縄文時代から竹は暮らしのなかで利用され、弥生時代になるとかごやザルとして利用され、櫛や竹玉などの装飾品として利用されていたとするのです。まさに、古来から生活用具として、また神秘的な呪術の道具に竹の利用があったとみるのです。お祝い、祭りには舞踏や歌がつきものですが、竹笛や竹の打楽器、竹管楽器などが使われたのです。

 建築や土木にも竹は大いに役にたった。軽くてバネがあり、使い勝手のよい材料であった。土器や鉄器が入らない地域では竹は役にたった。水筒などがよい例であります。

 日本の中世から近世にかけて、竹の文化は大きな変遷があなりました。古代から中世は南九州が中心であったが、近世に竹の利用が全国的に拡がったのです。

 竹のふるさとは照葉樹林文化と南太平洋であると沖浦氏はのべます。中国の竹林文化は長江の流域、江南地方の南部から雲南地方です。竹には温帯系と熱帯系があります。熱帯系は地下系で繁殖せずに密集する性質をもっていますので、竹の生態系は温帯系と異なるのです。

 東南アジアで、竹は手軽に利用され、日本のように精緻に職人的な利用はなかった。竹からみると日本文化の原郷は隼人文化にあると沖原氏は考えるのです。隼人は南方の海流民族とするのです。

 ところで、ベトナム北部のナムディンでは竹の工芸村があります。竹を素材に、3ケ月間、水につけてそして、天日で乾かして、丈夫な竹素材にして、さまざまな工芸の材料として利用しているのです。花瓶の代わりに竹からの竹を利用した花をいけるつぼを作っているのです。ヨーロッパへの工芸輸出品として生産されているのです。また、この材質から蛍光灯のかさをつくったり、部屋のインテリア製品としての工芸品になっているのです。

 神田嘉延のブログ(ベトナム歴史文化の旅・竹からつく花器、食器照明笠を参照)

 

4,現代の竹からの学び

 

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 アジアの多くの温帯、熱帯の地域で、竹は古来から人々の生活の大切なさまざまな道具の材料として使われてきたことを現代人は積極的に見直す学びからはじめることだと思います。竹は人々の身近な生活必需の材料であったからです。

 竹によって、地域の暮らしの循環型が身近につくられていたのです。それがプラスチックなどの安価で便利な素材の出現によって極端に減少したのです。それは農山村の過疎化も大きいのです。竹が利用されなくなったことによって、竹のもつ成長性が森林の破壊、農地の侵食による荒廃という公害にもなっていくのでした。

 竹には、食材、建築・工業製品の材質、消臭や農薬効果、堆肥・土壌改効果、芸術文化性、教育力などの多様な価値があるということの再発見の学びが必要なのです。それを現代の暮らしからも見直すことなのです。

 暮らしから長い歴史をもつ竹を積極的に見直すことは急務になっているのです。単に見直すだけではなく、現代的な科学・技術を利用しての製品開発が求められるのです。また、竹のもつ文化性を高めて、芸術性をもたせ、市場でも大きく評価されていくという職人的な熟練の養成も大きな課題となっているのです。

 この学びをどのようにしていくかということがなければ竹の価値を再生していくことは難しいのです。

 

 

 

 

 

 

現代社会の道徳問題と社会責任の生涯学習

現代社会の道徳問題と社会責任の生涯学習

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 はじめに

 

 現代日本は1990年の後半から経済が停滞し、社会経済の活力も大きく失われいる。若い人々が積極的に未来社会を作っていこうとするエネルギーも少なくなり、現状に対する不満が溜まり、自己保身的、利己的、手軽で拝金主義的で実現で現金収入を得る傾向もある。社会に対する不満は感情的、感覚的に、単純化した形でSNSなどのマスコミなどであおられて爆発していくのである。いわゆるポピリズムが起きるのである。

 これらは、政権を握る政治家、高級官僚、経済界のリーダーの不祥事事件が頻繁に起きる中で、社会全体の退廃現象の多くの若者の対応である。これは弱肉強食の新自由主義の激烈な競争社会で格差や差別が拡がっているなかでの現象でもある。独創的に自己の能力を大いに発揮して未来への夢や希望を描くことが難しくなっているが、そのことが教育の世界でも問題になり、教育改革の大きな柱になっているのである。

 

 現代政治の退廃問題

 

 現在、緊急に求められるのは、政権を握る政治家の退廃現象である。森友問題で総理夫人との関係をもっていた理事長が特別の利益供与を受けたのではないかと疑いが起き、公文書が改ざんされ、その任務を強制された公務員が自殺する事件が起きている。また、総理と留学生時代から親しい友人に特別に便宜供与したのではないかという膨大な公費を使った加計学園獣医学部新設問題があった。

 さらに、総理主催の公的行事に自分の選挙民を多数招待したという疑惑で公文書を破棄して証拠隠滅しのではないかと。参議院選挙で一億5千万円という特別に政権政党から資金を得て買収に使ったのではないかと議員を辞任した事件も起きた。大臣室で公的な補助の経済的利益を得るために多額の現金を渡されたのではないかということで辞職した議員。IRというカジノ推進法案可決のために業者から現金を渡されたという委員会議長が刑事事件で逮捕収監されるという事件など政治家の不祥事があとをたたないのである。

 

 現代経済界の退廃問題と問われている新しい経済課題

 

 経済界では日産を再建したカリスマ経営者が公私混同ということで多額の所得隠しと会社会計の不正ということで問題になった事件があった。日本の政治経済の腐敗現象が根深い中での経済の低迷である。政治経済の退廃の問題を根本からみるうえで、資本主義と道徳ということで、歴史的に多くの国で問題が起きて、その対処のために様々な考えの思想家が現れたのである。

 大量生産、大量消費、大量廃棄物の社会経済は、深刻な環境問題を起こした。人類は持続可能性のある社会経済を求める時代である。地球温暖化ということで、脱炭素の社会経済が求められ、プラスチックの大量生産、大量廃棄物で、海洋汚染も深刻になっている。持続可能性のある社会経済は、循環型経済が必要になる。

 循環型経済には、例えば、エネルギーなどでは再生可能性の自然エネルギーである。それは、地球上にある石炭や石油からの大量の炭素を排出するエネルギー資源ではない。また、プラスチックではなく、再生可能な、生態系もこわさず、生き物に安全な、人間の健康にも安心な自然にやさしい代替えが必要である。その素材をどのようにしてつくりだしていくのか。産業界にとって、大きな社会的責任でもある。あらたな抜本的な循環型経済構築の改革が必要な時代である。

 それには、根本的に経済をまわしていく持続可能性をもつ循環型の社会的道徳をもっての社会的に責任を果たしていく生涯学習が、まずは、それぞれの政治手、経済、教育、文化、マスコミなどの分野のリーダーから切実に求められるのである。この意味では、次世代の社会のリーダー育成、科学・技術や先進的文化の生涯学習に重要な役割を果たす高等教育の位置は大きい。

 

(1)資本主義と道徳問題

 

アダム・スミスの道徳論

 

 18世紀のイギリス資本主義の形成期に経済学を体系化して市民社会の全体認識として「国富論」(1776年)で知られるアダム・スミスは、同時に道徳感情論(1759年)の大書を書いている。アダム・スミスは、市場をとおしての労働の生産力の発展、分業を引きおこす原理、資材の性質・蓄積・使用、都市と農村の生産物交換の原理、富裕の発展、政治経済学の体系化、国家財政論などを展開した。


 アダム・スミスの国家財政論において、とりわけ社会の商業に便宜を与えるものと同時に、重視したのは、青少年の教育とあらゆる年齢の教育のための費用である。国家が教育を保障していくのは腐敗と堕落を防止するために必要であるとアダム・スミスは考えた。 

 分業が進展することによって、限定された能力で人間が単純化され、無知を促進し、理性的にならなくなり、寛大な高貴あるやさしい人間的な感情をもつことができなくなる。私生活の普通の義務についてさえ、それらの多くに関して正当な判断ができなくなる。重大で広範な利害関係についてかれはまったく判断することができなくなる。


 文明化した商業された社会では、身分と財産のある人々の教育よりも民衆のための公共の学校教育を必要とする考えが、アダム・スミスの教育論の基本である。かれの考えた公共学校は、各教区、ちいさな地区に建てることを意図した。
 市場において、人間はどんなに利己的なものと想定されても人間の本性はあわれみと同情の感情をもっているというのがアダム・スミスの見方である。肉体に起源をもつ欲求に対して人間は嫌悪をもつ。それは、獣類と共有する欲求である。さらに、慣習に起源をもつ情念と寛大・人間愛・友情などの社会的な情念とがある。


 悲哀に対する同感は、歓喜に対する同感よりも注意をひく。羨望がない歓喜に対する同感は、悲哀に対する同感よりも強い。富や権力などを求める野心の起源はどこからか。アダム・スミス道徳感情論にとって、同感の概念は基本である。

 市民社会における人間関係は、市場をとおしての交換関係である。市場をとおしての交換関係は、個々の欲望を基礎によって、なりたつものである。自己愛を近代的個人の行動原理として認めながら、そのうえに社会的秩序を求める。社会はいわば個人の分業の鏡であり、社会と交渉をもたない人間は自分の感情や行為の適宜性や欠陥について考えることができない。富裕な人を感嘆し、貧乏人を軽蔑する性向の道徳的腐敗はどこからか。アダム・スミスは、文明化された商業社会における道徳問題の難問に格闘する。
  
 マックス・ウエバーの道徳論

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マックス・ウエバーは、資本主義の精神を「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という著書で、禁欲的なプロテスタンティズムのもっていた資本主義形成における精神的な歴史役割を分析している。近代ヨーロッパ文化における資本主義の形成の精神を明らかにしている。

 近代のマニファクチャアの工場建設の合理的な産業経営者の精神が、禁欲的なエートスによって支えられていた。その担い手は中産的産業資本の禁欲主義と合理的な経営によって、産業の発展が成し遂げられていったのである。
 新興の産業資本家は、絶対主義的な王権と結びついた商人や金融業者の活動に対して敵対関係であったのである。海外などの不等価交換の取引によるぼろ儲けする商業などではなく、中産的な産業資本の生産意欲によって、生産拡大によって富を蓄積していったのである。そこには、禁欲的な精神が根底にあった。隣人たちが必要としている商品を生産して、正当価格で市場にだしていく。


 利潤は適正で貪欲の罪という意識が強くあった。投機的な暴利や高利貸しを嫌ったのである。プロテスタンティズムの資本主義の精神は、隣人愛の実践であったのである。金儲けのためではなく、仕事そのもののために献身し、利潤は隣人愛の結果であるという考えである。


 資本主義発期の小生産者経営の精神は、人格と倫理の分離はなく、自らの内面化された合理的な禁欲主義であり、封建的な抑圧された禁欲ではない。隣人愛という精神的基盤があり、それは、分業化されていく社会のなかで小生産者経営者同士が隣人愛なくして生産的活動がなりたっていかないとう手工業的分業社会の段階の精神構造である。
 ここでは、生活上の厳格な訓練を受けて成長し、生粋の市民的良心を原理を身につけ、さらに打算と冒険心とを兼ね備え、わけても誠実にして着実に業務にうちこんでいくという道徳的な資質をもっていたのである。マックス・ウエバーの分析した資本主義の精神は、産業資本の形成期の小生産者経営の生産意欲の精神である。
 高度に資本主義が発展し、グローバル化した巨大な多国籍資本の独占的な経営手法の精神ではないことはいうまでもない。独占的資本ではなく、自由な小生産者経営の初期資本主義の精神の分析である。この初期資本主義の禁欲的な精神、生産意欲は、現代の市場経済における道徳問題を考えていくうえで、学ぶべきことは多い。
 
 エーリッフ・フロムの道徳論

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 資本主義が高度に発達した大衆社会では、自由からの逃走の精神的状況が生まれていくことをエーリッフ・フロムは社会心理的手法で分析している。そこでは、資本主義における人間の自由問題(1947年)として、権威主義に対する人道主義的な倫理の問題提起を積極的にしている。

 現代社会は、一生懸命に働き、努力しながらも自分の活動は空しいものと感じている。個人的生活と社会的生活において自己を無力と感じる時代になっているというエーリッヒ・フロムの認識である。


 フロムの唱える人道主義的倫理は、人間の自律と理性による価値判断を基礎とした。人道主義的倫理は、非合理的な権威主義的倫理の対抗的な概念である。権威主義的な倫理は、子供の倫理的判断や大人の無反省な価値判断の発生過程にみられる。子供の価値判断は、自分の生活の中で重要な意味をもつ人が自分に対して示す親しげな反応によってつくりあげられる。


 子供は完全に大人の配慮と愛とに依存して生活していることを考えれば、子供に善悪の弁別を教えるには母親の承認と拒否の表情一つで十分である。学校でも社会でも同じ要因が働いている。規範を与えるものは、いつでも個人を超越した権威である。このような体系は理性と知識に基づくものではなく、権威に対する畏怖と服従を強制するとエーリッヒ・フロムは考える。


 権威主義的良心は、決して自分自身の価値の判断によって決定されるものではなく、その命令や禁止が権威者から発せられるという事実によってのみ決定される。権威主義的な人格構造は、権威に寄生することによって安心を見出している。
 かれは権威の一部を分有していると感ずる。権威主義的状況における根本的な罪は権威の支配に対する反抗である。従順とは権威の優れた力と知恵との認め、権威が自ら欲するままにが命令し、報いを与え、罰を科する権利をもつことを承認する。


 主観主義的な人道倫理は、欲望によって価値が試されるのであって、価値によって、欲望試されるのではないとする。倫理的規範は普遍的なものであるということを否定する。倫理的快楽主義は、欲望は尊いものであり、効用をもたらし、快楽と幸福は、人間自身の体験を価値の唯一の基準とする見方である。


 建築家や技師や熟練した技術家になるために大変な勉強が必要だと信じている。ところが人生などは極めて単純なもので、生きるためにはどうすべきかなどについて何の努力もいらないのだと考えている。現代人が人生の術を完全に身につけているのではなく、人生の行程のなかで純粋な喜びや幸福が一般的に失われているからである。


 現代社会は幸福と個性と自己関心とを非常に強調するにもかかわらず人間に対して人生の目的が幸福ではなく、働くという義務を果たすことであり、成功ということにあるのだということを教え込んだ。客観的な人道主義的倫理は、善とは生の肯定であり、人間の力の展開である。得とは自分自身の存在に対する責任であり、悪とは人間の力の破壊であり、悪徳とは自分自身に対する無責任さなのである。


 エーリッヒ・フロムにとって、人間にとっての真の意味の堕落は、権力に脅かされ頼りなく恐れを抱き、権力者からの弱きものを保護する約束という服従精神であるとする。力=支配権の服従によって人間は自らの力=能力を失い、人間としての一切の資格を失う。理性の活動は停止する。彼は知的であるかもしれないし、諸事物や自分自身を処理することができるかもしれない。


 かれは人間としての愛する能力を失う。今日の道徳問題は、人間の自分自身に対する無関心である。自分自身をある目的のために道具としてしまい、自分自身をある商品として体験したり、処理したりしている。結果として自分自身の無気力のために、自己の頼りなさと自己への絶望を感ずるようになる。


 フロムは、生産的性格が徳の源泉と考える。そして、かれの悪徳論とは、自分自身の欠如と無関心になる。自己放棄でも利己主義でもなく自己への愛がすなわち個人の否定ではなく、真に人間的な自己肯定が人道主義的倫理の最高の価値である。


 現代の日本の高度に発達した資本主義社会は、大量生産と大量消費、さらに、大量破棄物ということである。まさに、現代社会の経済的構造のゆがみとして、大衆を巻き込んでの大量消費社会と大量破棄物の環境問題をつくりだしているのである。
 大量消費社会によって、人間の物質的な欲望が際限なく広がり、衣食から大量のものの消費が個々で行われた。便利さと安易性、そして、早さを物質手段として求めていく時代になっていく。

 さらに、現代の大量消費社会は、商品としての新たな欲望が開発され、文化的消費の快楽もマスコミや情報革命とともに進んでいく。欲望の個人化が人間的社会性をもたない快楽集団をつくりあげていく。道徳と人間的愛や連帯性から人間の消費が遠ざかっていくのである。個人の欲望の肥大化が社会的につくられていく。


 ここには、個々の欲望が、社会的な秩序や人間的な連帯、地域や家族の絆の崩壊のなかで個人の孤立が進む。大量生産と大量消費社会が進むなかで、生産と消費が分離していく。人間が生産的ではなく、生産と分離して、より快楽対象の消費社会になっていく。豊富な消費的快楽充足社会のなかで、人間の心の飢餓状況が起きていくのである。


 この心の飢餓状況は、さらに、分業化と専門化による競争社会のなかで進み、人間が社会的な強大な官僚化された組織のなかで、一層に拍車がかけられていくのである。この状況のなかで、まさに、現代において、ヒユーマニズムの課題が人間的な連帯や絆が強く叫ばれてきているのである。現代社会の道徳教育の課題を考えていくうえで、この心の飢餓状況を無視しては教育実践を展開できないのである。


 教育者自身の教師も大量消社会と官僚化された教育機関や学校組織のなかでの競争主義のなかで欲望や権威充足をしていこうと、生きていこうとする傾向をもつのである。道徳教育を実践していく教師たちの社会的な心の飢餓状況での精神的な文化教養性の向上の生産的主体性の営みが強く求められているのである。

 

C.Wミルズ「パワーエリート」の退廃論

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 アメリカの権力構造を分析した社会学者のC.Wミルズは、「パワーエリート」という書物のなかでパワーエリート層の不道徳性について分析している。ミルズは、1950年代のアメリカのエリート層の退廃問題は、構造的な特徴であり、大衆社会の本質であるとしている。アメリカ社会は、金銭的成功者が最高の評価と名誉を享受している。

 金のある生活は支配的価値であり、その価値に比べて他の諸価値の影響力が衰退すれにつれて、道徳など度外視して、容易に手に入れる。そして、手っ取り早い財産づくりに熱中する。
 アメリカの腐敗は、金持ちになろうとするところにある。これらは、上層部の制度化された意識にあるとミルズは考える。上層部のここのメンバーの経歴をたどってみると、それは同時に、その人間の忠誠心の変動の歴史である。
 上層グループの中で成功するにはなにが必要か。上層グループは、そのメンバーを自ら選択する。成功の諸ヒエラルヒーは一枚岩のように緊密に結合している。それらは、敵対関係にたつ諸派閥の複雑な組み合わせである。そのような世界で成功しようと思うのは、成功者として選抜する基準を握って人々に結びつきをつくらねばばらない。


 アメリカのエリートに対する不信は、上層部の不道徳性から生じているのではなく、上層部の無知に対する漠然とした感情にも根ざしている。エリートの組織化された無責任性もかれらの不道徳性と無知にもとづいている。かつてのアメリカの実務家は同時に文化人であった。権力のエリートと文化のエリートとは合致していた。


 精神が自律的基礎をもち、権力から独立し、しかも権力に対して強力に働きかけうる関係に立つとき、始めて精神は、人間関係の形成にその力を及ぼしうる。民主主義的な形でこれが可能となるのは自由な知識ある公衆が存在し、知識人はその公衆に働きかけ、権力者はそれに対して真に責任を負う場合においてのみである。


 現在ではそのような公衆も、そのような権力者も知識人も、多数を制してはいない。ミルズにとって権力から自律した知識人の存在の重要性を指摘することである。知識人が公衆に働きかけ、権力者が公衆の自立的な精神に責任を負うという関係においてのみ真の民主主義の成立を意味しているのである。民主主義との関係でのパワーエリート層の不道徳性と無知をミルズは強調しているのである。


 アメリカのパワーエリート層は、支配的な権力手段、富の源泉、名声の機構によって選抜された人々であり、知識と感受性の世界と結合した純正の官吏制度によって選抜された人々ではない。

 かれらは、人類史上空前の巨大な権力の指令官であり、アメリカの組織された無責任のシステムの内部で成功を獲得した人々であるとパワーエリート層をミルズは規定する。無責任のシステムという構造的な精神的退廃構造のなかで、精神的自律のない権威主義的な人格性をもっていることこそパワーエリートになったのである。
 
 アンドレ・コント・スポンヴイル著「資本主義に徳があるか」論

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フランスの哲学者でアンドレ・コント・スポンヴイル著「資本主義に徳があるか」(2004年)で、社会における4つの秩序をあげている。
 第1秩序は、経済・技術・科学という領域であり、経済学は同時に技術であるという認識である。そこでは可能なことと不可能ということが対立軸によっているとしている。
 第2の秩序は法・政治の秩序である。現代の主権が国民あるという民主主義の内部に制限がない。
 ナチズムという恐怖はあらゆる権利をもつ人民のおそろしさである。この恐ろしさから逃れるためのどのような制限が必要なのか。法・政治秩序に制約をくわえるためには個人的自由とあらゆる権利をもつ人民の集団である。第2の秩序の外側からしか制約を加えることができない。
 第3の秩序は、道徳の秩序である。民主主義には良心のかわりも専門知識のかわりも務まらない。それと相互的に良心や専門知識に、民主主義のかわりは務まらない。真理は命令するものでもなく、服従するものでもない。それは自分のみに服従し、自分にしか服従しない。不道徳に対する抵抗、民主主義を脅かすものに対する抵抗のための理由として、真理の愛、自由の愛、人間性の愛がある。いいかえれば合理主義、政教分離人間主義である。
 科学は真理を愛さなければならないということを論証するものでもありません。自由の愛は民主主義に従属するものでもありません。大多数が全体主義的傾向をもったからといって、けっして自由を愛する自由の精神の持ち主がいなくなってしまうわけではありません。人間の愛は義務ではない。


 道徳とはなにかという問いに、アンドレ・コント・スポンヴイルは、カントにならって、道徳とは私たちの義務の総体として答える。アンドレは、道徳的あるということと道徳を説くということは異なるとのべる。道徳を説くことは、隣人の道徳に気をまわすことであり、道徳ではりません。道徳を説く強迫性はあるが、道徳には制限される必要はない。


 第4の秩序は、倫理の秩序、愛の秩序である。第の秩序は、喜びと悲しみという対立軸によって内面的に構造化されている。愛することは喜ぶことである。この倫理的秩序は、欲望そのもによって構造化されている。
 この4つの秩序は互いに独立していて、総合に作用しあっている。アンドレは、科学は道徳に無縁であり、技術にいたってはなおさらであると考える。科学であると同時に技術である経済学的には、なおさら道徳は無縁である。どんな市場にも信頼は不可欠であるが、この信頼は心理的で社会的な現象であって、道徳に服するものではない。マルクスの目的は、経済を道徳化することにあった。

 第1の秩序が第3の秩序に服することを望んだ。それらは、疎外と搾取という概念を追求した。人間とは利己主義であって、そのほとんどが集団の利害よりも個人的利害を優先する。マルクスユートピア性は、人間たちが利己主義者であることをやめ、個人的な利害よりも集団の利害を優先させる必要があるというアンドレの見方である。
 

 科学は道徳と無縁であろうか。専門的に分業化された科学の探求過程においては、科学の創造過程にいて、道徳そのものは無縁にあるように見えるが、科学への動機や問題意識、科学の結果における責任性や、それが技術化して製品化されていくのかでは、科学の道徳問題がでてくることを忘れてはならない。
 とくに、核の利用ということでの兵器開発などはその典型である。現代の環境問題を地球的規模でつくりだしている責任性としての科学の生産力的利用における環境問題を引き起こすという無関心性がないか。科学の利用における道徳問題が現存していることを忘れてはならない。科学者としての教養性の高さが科学の平和的利用、科学の持続可能社会のための利用、生命倫理の利用という問題が含んでいるのである。専門化された科学は高い教養性を求められ、道徳の課題が大きく内包しているのである。
 

 アンドレの4つの領域論は、それぞれの独自性をもっていることは認められるが、大切なことは、それぞれの相互の関係であり、倫理や道徳のことがとくに、重要性をもつことは、科学・技術・経済や法・政治がなんの目的をもって存在しているのかということで、アンドレも強調しているように真理、自由、人間性であり、平和、民主主義、基本的人権、平等という、経済、法・政治、道徳、倫理が求められているのである。


 この意味で、4つの領域における相互関係が大切であり、近代的市民社会のなかで形成されていく個人の尊厳・基本的人権、平和主義、民主主義という価値観から4つの領域を構造化していくことが求められている。第3領域の道徳や倫理の問題は、文化性を強くもっており、民族や宗教によって異なる価値観をもっている。
 

 道徳に法・政治や経済が従属するものでないことはいうまでもないが、しかし、重要なことは、道徳と法・政治の関係であり、道徳と経済の関係である。封建制においては、道徳と法が分離しておらず、道徳が法となって振舞うことは中正の教会の絶対的権威をもっていたヨーロッパでも、また、日本の江戸時代での封建的な領主に忠義の道徳と倫理が支配した。社会の秩序は、教会の経典や儒教の教えが支えたのである。
 
(2)戦後日本の企業のモラルハザート

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政治・行政と企業の癒着問題

 

 日本における戦後の企業のモラルハザートは、個々の企業自身や経済団体の自主的な努力という問題だけでは解決しえない個々の企業の構造的な体質があった。 
 戦後の企業のモラルハザート問題の焦点は、政治や行政との癒着が絡んだ事件が多く、市場の公平性の原理に反したワイロ問題などにみる企業の倫理問題があった。ここに金権支配という政治、行政の在り方が問われたのである。

 大学が企業と共同研究や連携活動をする場合に、金銭をめぐって、企業からの利益供与にならないように大学の学術の府としての公共性原則の逸脱に十分なる注意が求められている。それは、企業の社会的責任と大学の公共性が統一されるなかでの共同研究、教育の連携活動が求められていることを意味している。


 市場の自由と公平性に対して、戦後の経済民主主義として、独占禁止法が制定された意義は大きい。特許は、発明に対する特別な報酬として、知的財産としえの独占性を一定期間保障されるが、これは、市場での独占化にならないような緊張関係が一方では求められる。独占禁止法は、資本や株式の過度な集中による経済支配や談合などによる市場の独占を厳しく規制し、多くの企業や団体、個々、つまり、すべての人々に公平と自由のもとでの努力と創造性などの人間的能力の発揮によって、経済の活力をねらったものである。


 市場の独占化の禁止は、市場の自由を保障したものであり、創造的で、人間的能力の発達による経済の活力の疎外要因を排除するものである。自由市場は、対等な立場、対等な能力を有するように、私的独占の禁止、独占的状態の禁止、不公平な取引の禁止、持株会社の禁止、事業会社・金融会社の株式の制限をしたのである。自由な市場を確保するための私的独占と不公正な取引の経済活動を規制し、対等な立場の取引、対等な能力の保障という経済民主主義のルールを確立したのである。


 企業の成長は、経営規模の拡大になる。大企業は、市場での価格間競争においても有利に働き、技術開発の投資条件も中小企業と比較すれば格段に強く、市場のなかで独占化への可能性をもっていく。大企業の市場に対するモラルとして、独占禁止法の問題があることを見落としてはならない。

 

 公害問題・自然破壊問題と企業の責任

 

 公害問題や自然環境破壊など企業は、地域住民、人々の命と健康に大きな影響を与えるモラル問題がある。環境基本法における事業者としての責務は、煤煙、汚水、破棄物等の処理その他公害を防止し、又は自然環境を適正に保全するために必要な措置を講ずる責務を有することである。事業者は、環境保全上の支障を防止するため、適正な処理が図られる責務があるのである。また、製造物の欠陥においても製造物責任法として賠償責任がある。


 企業は、社会的倫理を前提としての市場との関係が求められている。企業の市民主義が言われるのも企業活動も内外に対して近代的な民主主義的なルールがあるもである。企業は、消費者に対しての詐欺行為、不当表示をして利益を得ることがあれば、消費者主権という現代の時代的状況が生まれているなかで、その企業の反社会的な行為が告発され、社会的な制裁を受ける。

 

消費者主権と企業

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 消費者主権の考えは、消費者基本法として明示され、消費者の権利の尊重及びその自立の支援が、国、地方公共団体及び事業者の責務として求められている。消費者の自主的、合理的な選択の機会は、必要な情報の提供と教育の機会の提供がなければ実現できない。

 不当な景品や不当な表示は、市場における公平性の確保ばかりではなく、消費者の正しい判断力を失うことにもなる。消費者自身が十分なる知識のないなかでの欠陥商品などの存在も少なくない。住宅などの手抜き工事や詐欺の問題もたくみになっている。

 
  現代の社会的な倫理問題として、法令違反や社会的倫理に反する金権支配をめぐる癒着問題を見落としてはならない。産学連携をめぐって、企業の社会的責任と大学の公共性の倫理問題も厳しく問われる。

 それは、金権支配をめぐる社会的退廃問題があるからである。大学人にとっても学術の府としての学問の自由のもとに、教育が行われ、学問の発展と青年や社会人が大学で学ぶことによって、社会に貢献していくという基本的な役割がある。

 
 大学と企業の金権という道と、社会的責任という倫理と大学の本来的な学術の府として、応用的な科学、実学的な分野、臨床的な分野など、大学の社会的貢献を暮らしと民主主義から進める道とがある。人類的面からの学問的貢献において、産学的な共同の分野があることを見落としてはならない。

 そこには、大学と企業の社会的責任の倫理の問題が前提にされての産学共同や連携があり、企業の社会的責任と大学の公共性の基本問題によっての矛盾の統一が基本的にあるのである。
   
 官僚のモラルハザート問題と企業

 

 1970を境に企業のモラルハザート問題は大きな転機があることを有村隆氏は次のようにのべる。

 「経済事件は主に企業人が官僚や政治家に働きかける金銭スキャンダルで、フィクサーが両者を仲介するという構造をもっている。だから、事件そのものは独立していても、登場人物は同じ顔ぶれになる。事件Aで主役を演じた人物が事件Bでは脇を固めるという図式だ。1970年代を境にして、経済事件には断層がある。事件の主役は、敗戦とそれに続く混乱期にのし上がってきた一癖も二癖もある「怪物」たちから、出世の階段を上がってきた経済界、政界、官界の「エリート」たちにとって代わった。「怪物」から「エリート」に主役はバトンタッチし、政・官・財・暴の癒着は一層ひどくなった」。有村隆「日本企業モラルハザート史」、文芸春秋、268頁。


 1970年代を境に、階段を登り詰めてつめていた立身出世主義に、企業の不祥事は、バトンタッチしたとしている。つまり、立身出世の競争に勝ち抜いたエリート層に不祥事の主役が移ったのである。そこでは、出世のためには、どんなことでもするという手段を選ばない社会的モラルを欠いた状況が生まれていく。


 出世のため権力者・権威者との人間関係を重視し、人を出世のための利用の対象としていくエリート層の人間像が浮かび上がってくる。怪物的ボス像の義理と人情的な不祥事から出世のためなら、金権的という目的合理的なエリート層の社会的モラルを欠いた非人間性の不祥事へと変化していく。


 企業は社会的責任を考えなければ企業自体の存在基盤がなくなるのが現代の社会的状況である。土屋守章氏は、現代企業論で、この問題についてつぎのようにのべている。
 「企業は社会的責任を真剣に自分のものとして考えなければ、企業外の社会にうけいれられなくなるばかりではなく、企業のなかの人びとの貢献を確保できなくなって、自滅していかざるをえなくなるであろう。新しい企業モラルを確立することは、このように企業自体の存続のために、必要不可欠な条件となっているのである」。土屋守章「現代企業論」税務経理協会、11頁。


 企業と社会の相互理解として、企業にとって対応責任問題がある。現代企業にとっての社会的責任にとって最も大きな課題であるのは対応責任であり、その責任によって企業のなかの人々と企業外の人々が同じ考えで問題に対処することができると土屋守章氏は次のように指摘する。
 「現代企業にとっての社会的責任は、基本的に対応責任である。とすればつぎに、企業が対応責任を果たす体勢が問題になる。かりに企業がこの対応責任を理想的に果たせる状態があるとすれば、それは企業外の人びとと企業のなかの人びとが、つねに同じ感覚で問題を考えることができるという状態であろう。この状態に少しでも近づく道は、一方では企業の行動の及ぼす派生的影響に対する企業の側の感受性を高めることであり、他方では企業の外の人びとが企業の行動に対する不必要な反感や偽悪を高めないようにするための、企業の側からの日常的なPR活動であろう」。土屋守章「現代企業論」税務経理協会、204頁~205頁。


 ここでは、企業の社会的責任において、企業外の人びとに対する対応や日常的なPR活動の重要性を指摘するのである。企業にとって、対応責任は大きな課題であることは否定できないが、対応責任が企業の社会的責任の基本であるかということには異論がある。企業の社会的責任は、企業の社会的な貢献と結びついて語られるものである。


 社会的貢献は、企業の経済的な市場活動をとおして、その商品などが持続可能な社会の形成のため又は、人びとの生き甲斐や福祉などの幸福など社会的な進歩として、社会的に貢献していくかということである。
 さらに、もう一方では、直接的に市場活動によらないで、利益の一部を企業の社会的貢献のために福祉、教育、文化の発展に貢献するという側面があるが、企業の社会的貢献は、企業のもつ社会的役割からの社会的責任である。

 とくに、現代は、企業のもつ社会的な影響力が大きくなっている時代であるので、その社会的な責任の意味は極めて大きい。企業市民論も企業自身のもつ社会的な役割の大きさから、企業における人間尊厳の問題、企業における私的独占や不公平や取引、人間尊厳の職場環境など民主主義的経済活動の在り方が問われているのである。


  経済人コー円卓会議グローバル・エクゼクティブ・ディレクターを2000年から勤めているスティーブ・B・ヤング氏は、グルーバル資本主義のあり方として、道義的資本主義としての企業の社会的責任性CSRを力説しているのである。グローバル化したなかでの資本主義において、より高い道徳基準をもった人格的評価の問題が重要性をもっているとしている。
 「成人には成熟した判断力、自らの情熱を抑制する能力、職務上の利益と公的義務をバランスすることが求められる。要約すれば、成人は人格によって評価される。そのような人々は商業や産業の荒波にあっては、より高い基準を追求する」(4)スティーブ・Bヤング著経済人コー円卓会議日本委員会+原不二子(監訳)「CSR経営モラル・キャピタリズム グルーバル時代の資本主義のあり方」生産性出版。87頁

 

 職務上だけの利益ではなく、公的な義務を企業の経営者はもっているのである。道徳的資本主義のためには、人類的な理想の公的な義務という崇高な目的をもつことである。スティーブ・B・ヤング氏は、道義的資本主義のために、自己中心的ではなく、高潔な目的による道義的的責任の使命感をもつことであるとして次のように述べる。
「道義的資本主義では、人は崇高な目的に奉じることができる、人生は巨大な目的のためにある、という使命感をみつけることができる、と想定する。私たちが単に自己中心的な意欲ではなく、高潔な目的を持った代理人であることを道義的に認識していれば、相手に対する代理関係において自らの権力をいかに行使するのか、という直接的な責任を担うことになる。
 道義的資本主義は心のあり方や指南力、考え方を問う。・・・・・受託者の義務は、権力を行使する場合には他者に配慮せよ、とする道義心から生まれる。信託的思考は、意思決定における道義心、人格の倫理的規範、英知を教える。信託的思考は、私たちを信頼できる存在にする。それにより、私たちが暮らし、働く社会の道義心が良質のものへと高められていく」。スティーブ・Bヤング著経済人コー円卓会議日本委員会+原不二子(監訳)「CSR経営モラル・キャピタリズム グルーバル時代の資本主義のあり方」生産性出版。91頁~92頁


 権力を行使する場合に、高潔な道義心による他者の配慮、公的な義務を強調して、受託者の義務による人格の倫理的規範における暮らしと社会の道義心を良質なものへと高めていくことの重要性をのべている。
 企業として利益をあげていくことは、企業の本質から不可欠な要素であるが、企業自身の社会的存在価値として、企業の社会的責任性というCSRが課題になっている現代である。市場において、企業のCSRが強く商品価値と求められている時代である。

 商品価値が、単に機能的な品質の側面からではなく、それを製造する企業や人が評価される時代である。商標のなかに、価値の判断として、人や企業の姿が体現されている。

現代の資本主義のモラル問題 と企業の社会的責任

現代資本主義のモラル問題 と企業の社会的責任

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 現代の資本主義のグローバル化は、生産・流通・消費と深く浸透している。この矛盾が新型コロナ禍で明らかになった。日常生活必需品、マスクなど感染対策の基本的な予防品や医療品の自国での自給生産体制がとれていない状況である。食糧品や石油などのエネルギー分野では前から言われていたが、外国からの商品が入ってこなければ生活に重大な支障をきたす状況があらゆる分野におよんでいることが国民誰でもわかるようになった。また、コロナ対策で重要なワクチン開発など国内で遅れ、外国の大手医薬品メーカーに依存せざるをえない。

 生きていくための生活消費材は、世界各地で、それぞれの細かな部品がサプライチェーという分業体制で生産されて、一国ではどうにもならないことになっている。あらためて、国際経済のあり方がコロナ禍のなかで問われる。また、外国人労働者問題や不安定な非正規雇用の矛盾もコロナ禍のなかで深刻に現れた。企業の社会的な責任と政府の経済に対するあり方も考えなければならない。

 ところで、グローバル化の中で、新自由主義の考えで、弱肉強食によって、格差が拡がっているのである。コロナ禍で膨大な利益をあげ、その貪欲を進めて、社会的還元に大きく外れている現象をみるのである。まさに、経済的腐敗現象の蔓延である。

 現在の国際的な企業の社会的に責任を考えていくうえで、腐敗の防止に関する国際連合条約、国連のグローバルコンパクトやコー会議の資本主義の道徳問題の提言などが参考になると考えられる。社会教育論からも企業経営者のあり方、企業経営者の絶えざる学習の大きな領域に、社会的責任論、社会的正義論が企業の成長の内容論として充実させていく課題がある。企業の経営幹部から多くの企業の社員に至るまでの社会的責任・社会的貢献の学習が重要な時代になっているのである。

 

(1)企業の国際化による腐敗問題と国連のグローバル・コンパクト原則

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 企業の国際化を考えていくうえで、国際的な腐敗の問題は極めて重要な課題である。そして、持続可能社会をつくっていくことは、環境破壊をはじめ腐敗の課題を解決していくことが強く求められている。国際化していく企業にとって、その課題に取り組むことは、企業自身の持続可能性につながっていくのである。


 国連グローバル・コンパクトの原則は、各企業が、持続可能な成長を実現するための世界的な枠組み作りに参加することを意味する。それは、義務的な強制による国際的な秩序ではなく、自発的な取り組みである。
 国連グローバル・コンパクトでも腐敗は、世界最大の課題の一つに数えられる。腐敗は持続可能な開発にとって大きな障害となっている。国連グローバル・コンパクトの見方は、貧しい地域に不当な影響を及ぼすことだけでなく、社会構造そのものを腐食していくという認識からから積極的にとりあげている。国連グローバル・コンパクトは、腐敗の克服のために、大切な原則をたてた。


 腐敗の防止に関する国際連合条約は,すでに、2003年10月に国際連合総会において採択されている。腐敗防止に関する国際連合条約の前文では、腐敗が国際的な現象になっており、民主主義と社会的正義、並びに持続可能な社会を危うくするとして、次のように指摘している。
 「腐敗が社会の安定及び安全に対してもたらす問題及び脅威が、民主主義の制度及び価値、倫理上の価値並びに正義を害すること並びに持続的な発展及び法の支配を危うくすることの重大性を憂慮し、また、腐敗行為とその他の形態の犯罪、特に組織犯罪及び経済犯罪(資金洗浄を含む)との結び付きを憂慮し、さらに、国の資源の相当部分を構成する巨額の財産に関連し、その国の政治的安定及び持続的な発展を脅かす腐敗行為の事案について憂慮し、腐敗がもはや地域的な問題ではなく、すべての社会及び経済に影響を及ぼす国際的な現象であり、腐敗行為を防止し、及び規制するための国際協力が不可欠であることを確信し、また、効果的に腐敗行為を防止し、及びこれと戦うために包括的かつ総合的な取組が必要であることを確信し、さらに、効果的に腐敗行為を防止し、及びこれと戦うための国の能力の向上(人的能力の強化及び制度の確立によるものを含む)に当たり、技術援助の利用が重要な役割を果たすことができることを確信し、個人的な冨を不正に取得することが、特に民主主義の制度、国の経済及び法の支配を損なう可能性があることを確信し、不正に取得された財産の国際的な移転を一層効果的な方法によって防止し、探知し、及び抑止すること並びに財産の回復における国際協力を強化することを決意し、刑事手続き及び財産権について裁判する民事上又は行政上の手続における正当な法の手続きの基本原則を確認し、腐敗行為の防止及び撲滅はすべての国の責任であること並びにこの分野における各国の努力を効果的なものとするためには、市民社会、非政府機関、地域社会の組織等の公的部門に属さない個人及び集団の支援及び参加を得て、すべての国が相互に協力しなければならない」(外務省・腐敗の防止に関する国際連合条約ホームページより)。


 腐敗の防止に関する国際連合条約では、腐敗防止の闘いに、総合的に取り組むことが大切としている。このためには、国の腐敗防止の制度的な設計と管理責任と同時に、市民社会、非政府機関、地域社会の組織の参加を得て、国と相互に腐敗防止に闘っていくことの必要性を強調しているのである。発展途上国の開発では、先進国の援助や企業進出の許認可権で賄賂や横領の問題が絶えない。とくに、その権限をもっている公務員のモラルの賄賂問題、業者の手抜き工事による横領の問題が、深刻になっている。腐敗の防止に関する国際連合条約は、2005年12月に発効している。


 国連グローバル・コンパクトは、10項目の原則をたてている。その項目は、次の通りである。
 原則1、企業は、国際的に宣言されている 人権の保護 を支持 、尊重し、
 原則2,自らが人権侵害に加担しないよう確保すべきである。この基本原則をふまえているのである。
 原則3 企業は、組合結成 の自由と 団体交渉の権利の実効的な承認を支持し、
 原則4 あらゆる形態の強制労働の撤廃を支持し、
 原則5 児童労働の実効的な廃止を支持し、
 原則6 雇用と職業における差別の撤廃を支持すべきである。
 原則7 企業は環境上の課題に対する予防原則的アプローチを支持し、
 原則8 環境に関するより大きな責任を率先して引き受け、
 原則9 環境に優しい技術の開発と普及を奨励すべきである。
 原則10 企業は、強要と贈収賄を含むあらゆる形態の腐敗の防止に取り組むべきである。


 これらの項目は、企業が国際化していくうえで、避けられない重要な課題である。人権や環境、腐敗防止という社会的正義は、地域社会の健全性を保ち、持続可能性を維持していくために避けられない。
 国連グローバル・コンパクトは、原則7から原則9まで環境に関する企業の社会的責任をとりあげている。企業は環境破壊をつくらないように予防対策を義務づけ、環境保全に対する企業の社会的責任の積極的な履行と、環境に優しい技術開発と普及を企業の社会的な責任としてうたっているのである。


 国連グローバル・コンパクトに署名する企業・団体は、人権の保護、不当な労働の排除、環境への対応、そして腐敗の防止に関わる10の原則を自らのコミットメントのもとに、その実現に向けて努力が求められるのである。
 2013年11月現在では世界で7903社、4094団体が署名をしている。国連グローバル・コンパクの参加企業・団体は、「人権」・「労働」・「環境」・「腐敗防止」の4分野・10原則を軸に活動を展開している。
 ところで、国連グローバル・コンパクトに、日本では、193の企業・団体(2015年3月1日時点)が参加している。京セラグループにとって、ステークホルダー(企業の活動による影響を受ける人々や団体などの利害関係者) とのコミュニケーションは、CSR活動として大切な役割をもっているという見方である。京セラグループにとって、ステークホルダーは、お客様、従業員、株主・投資家、取引先、地域社会をおいている。
 とくに、京セラグループの日本国内での活動では、ステークホルダーのひとつである地域社会との双方向のコミュニケーションを大切にしている。それぞれのステークホルダーとのコミュニケーションは、企業にとって大切な関係であるが、ときには、ステークホルダーごとの利害関係も異なる。
  経営学者の出見世信之は、「CSRステークホルダー」という論文で、欧米の動向を紹介している。その紹介によれば、1996年にイギリスの労働党のブレア党首は、すべてのものに機会があたえられる経済という立場をとっている。それは、ステークホルダー経済ということである。そこでは、説明責任が不可欠になっていく。企業が、ステイクホルダーとの協力関係をうちだせるように、国としての施策をうちだしている。この考えは、ステークホルダー資本主義として、フリーマンによって、整理されている。ステークホルダー資本主義は、4つの原則からなるとしている。
 それは、ステークホルダー協力の原則、複雑さの原則、持続的創造の原則、競争発生の原則である。ステークホルダー間の協力によって価値が創造される。人間は様々な価値によって行動するものであり、協力により持続的創造の価値をつくりだす。企業は、ステークホルダーの選択によって競争が起きるとしている。
 これらの原則の基底には、価値創造の過程の中心に人間が置かれている。企業の経営者は、すべてのステークホルダーの価値創造を尊重することを求めている。これらの立場を尊重する企業は、人間的制度にする可能性を有したものになる。


 ステークホルダー資本主義という考えは、すべての人びとが経営との関係を結びことができるようにするものである。そこでは、すべての人々が経済的恩恵をうけられるようになることである。企業の民主主義のあり方として、イギリスでは、ステークホルダー資本主義が人間中心の経済として、模索されているのである。このように、ステークホルダー資本主義として、企業が関係をもつ従業員、お客様、地域社会、取引先、株主・投資家との民主主義的関係の在り方が模索される時代になっているのである。

 

(2)グローバル時代と道徳資本主義の模索

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 グローバル時代の資本主義のあり方として、道徳資本主義(モラル・キャピタリズム)、企業の社会的責任(CSR)が大きく問われるようになっている。経済人コー円卓会議(CRT)は、企業の行動指針として、獣欲的な市場を廃しての道徳的な資本主義の価値と行動を積極的に提唱している。


 経済人コー円卓会議は、激化する貿易摩擦の緩和、日米欧の社会経済の健全な発展という企業の倫理や企業の社会的責任という道徳資本主義の目的のために、スイスのコーという地域に、世界の経済人が集って1986年に創設されたものである。
 1994年にコー円卓会議は、道徳心をもつ経済人のあり方として、企業の行動指針を提言したのである。この提言の基本的な原則は、共生と人間の尊厳であり、企業とステークホルダーとの関係を基本原則としたものである。ここでは、企業の道徳的なあり方として、6つのステークホルダーごとの原則を示している。
 
 コー円卓会議は、企業経営が、道徳価値をもつことによって、持続可能性をもつ企業と社会がつくりあげることができるという見方である。一般原則の第1に、コー円卓会議の企業の行動指針は、企業の責任として、全てのステークホルダに尊厳と利害を尊重することを次のようにうたっている。
 「企業の社会的存在価値は、企業が新たに生み出す富みと雇用、消費者に対して質に見合った適正な価格で提供する市場性のある商品サービスにある。そうした価値を創造するためには、企業は自らの経済的健全性と成長力を維持することが不可欠であり、単に生き残りをかけるだけでは十分とはいえない。
 企業はまた、自らが創造した富みを分かち合うことによって、あらゆる顧客、従業員並びに株主の生活向上をはかる役割を有している。仕入れ先や競争相手も、企業が自らの義務を誠実かつ公正の精神で全うすることを期待することが望まれる。さらに事業活動が行われる操業、国、地域並びにグローバル社会の「責任ある市民」として、企業はそれらの将来を決定する一翼を担っている」。 
 企業の社会的存在価値は、国際競争のなかで、生き残りをかけているだけでは不十分である。企業は、市民の一翼として、自ら創造した富を分かち合う公平の精神による社会的責任が課せられている。つまり、企業の社会的正義が強く求められているのである。企業の課せられた社会的責任を果たすためには、経済的健全性と成長力の持続性が求められる。一方で、その健全な成長力は、社会的正義がなくして達成することができないのである。そこには、社会的に絶えざる社会的貢献の点検が求められているのである。
 
 企業市民としての役割を果たすためには、顧客、従業員、株主、仕入れ先、競争相手、地域社会のすべてのステークホルダーに対して、それぞれに責任ある行動を誠実に遂行すことが不可欠である。ここには、それぞれの利害を社会性をもって、調整していく企業統治能力が必要になってくる。

  コー円卓会義は、企業の行動指針において、ステークホルダーに関する原則を顧客、従業員、株主・投資家、サプライヤー、競争相手、地域社会と、6つのステークホルダーごとに述べている。
 
 第一に、顧客について、誠意をもって接することを信条とする。その責任を果たすために、5つのことをあげている。
(1)顧客の要請に合致する高品質の商品、サービスを提供する。
(2)顧客を公平に処遇する。顧客の不満に対する補償措置を含む。
(3)顧客の健康と安全並びに環境の質が維持されるように努力すること。
(4)商品並びにマーケッティング、広告を通じて人間の尊厳を犯さないことを約束する。
(5)顧客の文化や生活様式保全を尊重する。
 顧客に対するコー円卓会議の原則は、顧客に信頼されてこそ、持続可能性をもつ事業が展開できるという見方である。顧客から継続的に信頼されるには、健康と安全、環境の保全という生活の質を保証し、向上していく商品、サービスが不可欠である。
 そこには、人間の尊厳の見方が基本的にあり、それぞれの人々の文化や生活様式の質の保全と向上をめざしていくことである。ここでは、顧客ということから、消費者主権、地域の生活文化の保証、地域の環境権、食や地域生活の安心と安全、健康、顧客を騙さない、いじめないという課題がある。
 
 第二に、従業員については、一人ひとりに尊厳があるとして、10項目をあげている。
(1)仕事と報酬を提供し、働く人々の生活条件の改善に資する。
(2)一人ひとりの従業員の健康と品格を保つことができる職場環境を提供する。
(3)従業員とのコミュニケーションについては誠実を旨とし、法的及び競争上の制約を受けない限り情報を公開して、それを共有するよう務める。
(4)従業員の提案やアイディア、要請、不満に耳を傾け、可能な限りそれを採用する。
(5)対立が生じた際には誠実に交渉を行う。
(6)性別、年齢、人種、宗教などに関する差別的な行為を防止し、処遇と機会の均等を保証する。
(7)障害者の人を真に役立つことのできる職場にして、積極的に雇用するように務める。
(8)従業員を職場において防ぎうる 傷害や病気から守る。
(9)適切で他所でも使用できる技能や知識を従業員が習得するよう奨励し支援する。
(10)企業の意思決定によってしばしば生じる深刻な失業問題に注意を払い、政府並びに被雇用者団体、その他関連機関並びに他の企業と協力して混乱を避けるようにする。
 
 働く人々の生活を保障していくためには、給料や労働条件が大切なことであることを見落としてはならない。また、職場環境の安全と健康保全は不可欠である。同時に働く人々の健康と品格を保つために、職場環境をコー円卓会議の企業の行動指針は、その重要性を大切にしているのである。
 働く人々は、人間的に生きていくために、健康はもちろんのこと、品格も大切な要因であると問題提起している。モラル資本主義を構築していくうえで、従業員には、社会的な正義、公平、法令遵守で誠意をもって働くことを求めている。

 個々人の尊厳には、個々人が人間性を高めていくための品格の向上も大切なことである。このための企業の職場環境の整備は、重要である。このことをコー円卓会議は強調している。顧客との信頼の関係を築いていくうえで、働く人々の品格の向上はなくてはならない。ここには、企業内で絶えざる人間的な向上の学習保障が求められている。それは、業務を遂行していくうえでの研修ばかりではなく、フィロソフィや一般教養も大きな学習課題になっている。
 つまり、仕事における適切で他所でも使用できる技能や知識を習得できるようにすることである。このことは、働く人々の人間的な学習権の保障が不可欠である。働く人々が、適切な技能と知識の向上がなければ、人間的に働くことへの保障がもてない。

  個々の適切な技能と知識は、極めて個性的なことであり、職業を自由に選択できるための能力的な保障でもある。仕事に対する適正な技能と知識をもつことは、個々の働く人々が、より人間的に自由になっていくことである。
 企業が従業員の人間尊厳を保障していくためには、性別、年齢、人種、宗教の差別をしないことはもちろんであるが、障害者の雇用の保障のように、十分に人間的に能力を発揮できるような職場の確保をしていくことである。企業の従業員に対する人間の尊厳の保障は、深刻な失業問題に常に気を配ることである。雇用を守っていく人事・労務対策は、従業員の品格の向上にも大切な要件である。
 ここには、単独の企業の対策だけではなく、政府や被雇用者団体、その他関連機関との協力関係がなくてはならない。つまり、失業問題は、一つの企業だけでは解決できない大きな社会的な問題であり、政府、国会、労働組合をはじめ、国民的な課題としてとりくむべき課題である。
 それは、雇用の確保のための社会的なしくみをつくりあげていくことである。企業は、そのような位置づけのなかで、企業だけの意思だけではなく、企業自身も社会的なシステムづくりに努力しながら、雇用を確保していくことが求められる。
 
 企業民主主義にとって、全従業員のそれぞれの役割を人間的に尊重しての経営参画は極めて大切なことである。従業員が言われるままに上意下達によって、競争による成果主義的な仕事をこなしていくことは、一時的によい経営業績の結果がみえることもあるが、長期的に持続可能な企業の発展にとっても大きなマイナスになる。
 企業の持続性をもった発展には、社会的に信頼されてこそ成し遂げられる。企業が社会的に信頼を獲得していくには、社会的な責任の遂行が極めて大切である。その社会的責任の大きな要素として働く人々の人間の尊厳があるのである。
 働く人々が、自分の仕事の役割を社会的な責任から深く認識して、仕事のやりがいをもって創意工夫していくことは、企業の長期的な持続可能な発展にとって、重要なことである。
 このことは、顧客の満足の質を高めていくことと、取引先との信頼を築いていくうえでも見逃してはならないことである。また、従業員は、雇用を保障されてこそ、未来へ創造的な仕事をして、企業自身を持続可能性の成長へともっていく働き方の工夫ができるものである。
 この意味で、コー円卓会議の示した企業の行動指針での従業員の提案やアイディア、要請、不満に耳を傾け、可能な限りそれを採用するということは、企業の活力を人材の質的向上からみていくうえで、意義あることである。そして、コー円卓会議は、経営者と従業員の意見の違いや対立が生じた際には、誠実に交渉を行うことを経営者に求めている。
 企業にとって、従業員の人間尊重、かれらの人間的な能力の向上を保障していくことは、企業の持続可能な成長に不可欠なことであり、企業の顧客の満足を質的に保障していくことと同じように、社会的責任の基礎的なことである。
 
 第三に、コー円卓会議の企業行動指針では、株主・投資家に対して、4つのことをあげている。
(1)株主・投資家に公正で魅力ある利益還元をあげるための経営責任に精励する。
(2)法令及び競争上の制約を受けないかぎり関連情報を公開する。
(3)株主・投資家の資産価値の保持、保護、拡大をはかる。
(4)株主・投資家の要請、提案、苦情並びに正式な決議を尊重する。
 株主・投資家と顧客との関係、株主・投資家と従業員との関係は、ときには、矛盾関係をもっていくことがある。株主・投資家は、利益の還元を求めることから、従業員の賃金や労働条件、環境保全の設備投資をおさえがちになる。株主への配当や株の値上がりのための利益率を生み出していくことを第1に考えていくのか。または、企業の人間尊重ということから社会的責任を重視していくのかは、鋭い対立問題になる。いうまでもなく、企業は利益をだしていくことがなければ社会的に存在が厳しい。
 企業は、株主と従業員との利益のどちらを優先させていくか。それは、常に経営者にとって大きな葛藤である。つまり、会社は誰のものかというテーマである。株主・投資家から資金を集めていくことは、企業経営にとって、重要な課題である。当然ながら、企業の社会的責任の理念だけでは、資金は集まってこない。株主への利益の還元が必要であることはいうまでもない。
 証券市場の国際化によって、株主は、グローバルの性格をもつようになっている。国際金融資本やヘッジファンドによって市場は、大きく左右されていくのである。ヘッジファンドの活躍する所在地は、法的な規制のない、税の負担の少ない地域に集中している。
 株主の国際化は、国際金融資本やヘッジファンドのなかで、経営を行っていく問題があるのである。株主・投資家の利益を長期にみながら、企業の内部留保のことも含めて、株主・投資家から企業経営者や社員がいかに自立した関係をもっていくのか。
 株主・投資家から資金を集められようにするための企業会計の透明性、民主義的な企業統治能力は、企業民主主義の大きな要因である。企業の民主主義的な経営は、国民大衆の一般的な株主・投資家の側面から企業の社会的な信用が求められる。法令や競争上の制約を受けない企業経営の関連情報の公開は、株主・投資家への大きな責任になっていく。
 株主・投資家との関係は、企業の粉飾決算などにみる会計不祥事から、経営の実際が見えにくくなっている側面もある。そこでは、株主・投資家の不利益の生じる問題が生まれている。株式投資が大衆化しているなかで、企業の社会的責任がより直接に株主総会などで社会的に問われるような時代になっているのである。
 株主の大衆化は、企業と社会を結びつける大きな役割を果たしていく。自らの資産の管理として、銀行貯金ばかりではなく、株による資産を形成しようとする人々が増えている。それらは、学資資金や老後の暮らしを安心しようとする庶民の株式の投資である。企業の社会的責任の行動指針としての株主との関係問題は、企業と社会を結びつけるうえで、大切な課題になっている。
 これは、短期的に売却して株価を値上がりのみを期待して、株主が企業にものを言うことではなく、長期的な視野にたっての企業の社会的責任から株主がものを言うことの企業民主主義への時代の流れである。社会的な責任のもとに中長期的経営のために株主が積極的にものを言うことは、環境保全や高齢化など人類的な課題をかかえていることを解決していく新しい市場を形成していくのである。それは、今後の新しい社会創造としての企業民主主義にとって不可欠な要素である。このためには、株主・投資家とともに顧客、従業員、サプライヤーと協力会社、地域社会など企業をめぐるステイーホルダーとの関係のもとに、企業は、中長期の意志決定、経営ガバナンスが求められているのである。
 
 第四に、サプライヤーや協力会社との関係は相互信頼に基づくものである。
(1)価格設定、ライセンシング、販売権を含めすべての企業活動において公正と正直とを旨とする。
(2)企業活動が圧力や不必要な裁判ざたによって妨げられることのないように努める。
(3)サプライヤーと長期にわたる安定的な関係を築き、見返りとして相応の価値と品質、競争力及び信頼性の維持を求める。
(4)サプライヤーとの情報の共有を努め、計画段階から参画できるように努める。
(5)サプライヤーに対する支払いは、所定の期日にあらかじめ同意した取引条件で行う。
(6)人間の尊厳を重んじる雇用政策を実践しているサプライヤーや協力会社を開拓、奨励並びに選択する。
 日本では、製造企業にとってサプライヤーとの協力関係を密にしての品質の向上に大いに役割を発揮してきたのが現実である。共存、共栄の精神のもとに、相互に企業間の連携をしながら、研究と創造をやりとげてきたのである。
 とくに、自動車や電気の部門では、日本の製造業の品質の良さをはじめ市場において、信用を勝ち取ってきた大きな理由になっていた。部品供給や原材料の購買において、企業は、取引企業との相互信頼のもとに、公正と正直を求めてきたのである。


 コー円卓会議では、サプライヤーとの関係で圧力をかけることや、裁判になるような行為を戒めている。サプライヤーの選択において、人間の尊厳を重んじる雇用政策を実施している会社を奨励しているのである。サプライヤーとの関係は、長期にわたる安定的な関係をもつことにより、品質と競争力が維持されていくとしている。
 
 第五は、経済競争のことである。自由で公平な経済競争は、国家の富を増大し、ひいては、商品とサービスの公正な分配を可能とすると、コー円卓会議の企業の行動指針は、指摘している。公平な競争のためには、5つの条件を提示する。
(1)貿易と投資に対する市場の開放を促進する。
(2)社会的にも環境保全の面においても有益な競争を促進するとともに、競争者同士の相互信頼の範を示す。
(3)競争を有利にするための疑わしい金銭の支払いや便宜を求めたり、関わったりしない。(4)有形財産に関する権利及び知的所有権を尊重する。
(5)産業スパイのような不公平あるいは非倫理的手段で取引情報を入手することを拒否する。
 企業にとって、自由で公平な競争は、従業員や地域社会の市民に生産意欲を与える。そして、その地域社会の活性化に力を与える。競争による活性化は、公平で正しい競争が前提であることはいうまでもない。政治的に、金銭的に便宜をはかって、競争に有利にすることをはかったりすることは許されないことである。また、市場を独占し、権力的に支配することもあってはならない。それは、個々の生産意欲を減退させ、社会の創造力を失わせる。

 
 さらに、嘘をついたり、相手を騙したり、社会的偽りをしたり、社会的正義を逸脱したりすることは絶対的にあってはならないことである。また、産業スパイのような非倫理的、非合法的な手段で知的財産などを奪ってはならないことはあたりまえのことである。モラルの低下は、社会進歩を大きく後退させていく要因になっていく。
 これらの公平な市場の原則に逸脱することは、企業のモラルの低下によって起きているのである。市場の正しい競争には、競争同士の相互の信頼によって、それぞれが切磋琢磨して、社会の発展に寄与していくことである。
 
 第六は、地域社会にたいする企業の社会的責任の課題がある。企業は、より積極的に市民的要素をもって地域社会と関わっていくことを要求される。企業は、事業活動が行われる地域社会でグローバルな企業市民として貢献できることを確信する必要がある。このためには、次のようなことが求められる。

(1)人権並びに民主的活動を行う団体を尊重し、可能な支援を行う。
(2)政府が社会全体に対して当然負っている義務を認識し、企業と社会各層との調和のある関係を通して人間形成を推進しようとする公的な政策や活動を支援する。
(3)保健、教育、職場の安全並びに経済的複利の水準の向上に努力する地域社会の諸団体と協力する。
(4)持続可能な発展を促進、奨励し、自然環境と地球資源の保全に主導的役割を果たす。
(5)地域社会の平和、安全、多様性及び社会的融和を支援する。
(6)地域の文化や生活様式保全を尊重する。
(7)慈善寄付、教育及び文化に対する貢献、並びに従業員に地域活動や市民活動への参加を通して良き企業市民となる。

 
 企業が地域社会に貢献していくうえで、人権並びに民主的な活動を行う団体を尊重し、支援することが最初にのべられていることは、地域社会にとって、人権や民主主義が大切であり、企業は、その役割を大きくもっていることを意味している。さらに、企業と社会各層の調和のある関係をとおして人間形成を積極的にするということで、地域社会の人材形成をあげている。


 公正なる市場との関係をもって、企業は、地域社会にも公平なる人材形成をつくりあげることが求められている。それは、地域社会での人脈による派閥的な関係、血縁的な関係、地縁的な過剰な権力的関係から自由であることが必要である。その自由性は、公平なる市場の関係による人権、企業民主主義をめざしていくものである。
 同時に、その自由性を確保するためには、保険、教育、職場の安全並びに福利向上に努力する地域の諸団体との協力が必要である。その協力によって、地域社会の平和、安全、多様性及び社会融和を支援することができる。そして、コー円卓会議の行動方針は、持続可能な発展と環境保全のために、企業の主導的な役割を強調している。
 
 さらに、地域の文化や生活様式保全尊重や多様の価値を認めていくことが必要である。その実現には、経済活動のグローバル化の中で、各民族、各地域の固有な文化的な価値からの人間の尊厳が求められる。固有な文化的価値を認めることは、人間の安全保障という側面からも大切なことである。

 
 企業の従業員は、積極的に企業市民の一員として、地域活動や市民活動に参加していけるように企業として、その環境の整備をしていくことが不可欠である。グローバル化は、個々の地域の文化の独自性を失わせ、世界共通の文化を強要する。地域に培って歴史や文化を葬りさる傾向をもつ。それは、地域や民族の文化的なアイデンティティを崩壊させ、人間的に生きる地域的絆や文化を奪い取っていく。グローバル経済の企業が意識的に地域社会の文化や生活様式保全していこうとするのは、企業の社会的な責任である。グローバル企業は、地域文化の振興に目的意識的に努力せずに、放置すれば地域の文化や生活様式を破壊する大きな要因になる。 

日本とベトナムの交流史から学ぶ共生

 日本とベトナムの交流史から学ぶ共生

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 日本とベトナムの交流史をとおして、共生で生きることを考えて行きたいと思います。日本の近代史では、大東亜共栄圏と称して、アジアへの侵略をして、多くの人びとを苦しめたことがありました。世界との交流で、自分たちの国や民族的な文化を誇りに思うことは大切なことです。
 しかし、それが自国民中心のおごりになって、他民族、他の国家を抑圧してはならないのです。このことは、共生的な人間の交流から逸脱してはならないことを教えています。つまり、慈愛的相互に尊重しあう国際交流は大切なことです。
 日本の歴史は、海上の道によって、様々な異民族との交流がありました。そこでは、さまざまな文化が伝わってきました。日本列島に住む人びとは、自らがそれらを学び創造的に発展させてきたと思います。また、他の地域からやってきて、定住した人たちもいました。

 海は文化の創造にとって歴史的な宝であったのです。日本は島国であるということは、海をとおしての多様な文化が入ってきて、広く開かれた世界をつくってきたのです。

 この海洋の国としての側面をみていくうえで、琉球王朝と南九州は大きな役割をもっていたのです。鹿児島を大航海時代のなかであらためて位置づけして、未来を探る必要もあると思います。古代から中世の交流の歴史をみていくうえで、日本の伝統的文化や固有の経済知恵にとって大切です。そこでは、季節によって動く海流、海風は大きな意味をもっているのです。空の動き、星の観察、季節の海流や風という自然に熟知した海で暮らす人々によって、日本は世界に開かれた大航海の時代があったのです。

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 江戸時代は、鎖国令によって、江戸幕府が交易の独占をはかった。長崎の出島という狭い空間に交易の中心をおき、朝鮮半島からは、対馬藩をとおしての朝鮮特使の文化でした。その他に北海道の釧路のロシアとの窓口、薩摩藩琉球をとおしての交易などがありました。しかし、日本全国の各地の港では、海外との関係は閉鎖したのです。

 このことによって、外国からの交易や文化の交流が幕府の管理のもとに統制されらのです。また、外国との摩擦を回避して、日本の平和を保つことができたことも一面ではあったことを見落としてはならないのです。そして、江戸時代は、国内における地域の特産品の創造、地域の循環的な経済の発展という積極面もありました。
 この時代は、日本の国内で、商品活動が活発に行われて、それぞれの地域ごとに特産品も生まれていったのです。日常的な生活品は、それぞれの地域で自給的に行われていたのです。しかし、幕府の独占的な特定の国との交流は、幕末になって、南から、西から、東から、北からと欧米列強の圧力によって、大きく変化していくのでした。

 鎖国令の歴史によって、日本の国際交流の見方は、島国であるから閉鎖的という観念をもたらしたのです。それは幕府という為政者によって作られたことを見落としてはならないのです。日本は海上の道をとおして、本来的に近隣ばかりではなく、広く、東南アジアまで大航海という開かれていた海洋民族、国民なのです。この意味で、積極的に海外交流をしていた時代の歴史を見直して、日本文化の国際交流の側面を再評価としていくことが必要であるのです。

 

民俗学と神話の世界から

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 柳田国男は、南方からの海上の道に、稲作をもってきた日本人の始祖を求めたのです。中国江南の稲作が海上の道である琉球奄美種子島の島々を経由して、日本列島南の鹿児島にたどり着き、日本各地に伝搬していくというのです。
 神話の世界である古事記において、ニニギノミコトの伝説が南九州の高千穂に降臨したという神話の話があります。ニニギノミコトは稲作をもってきた神様です。田植えの豊作祈願から稲穂を捧げる行事が今でも行われています。田の神は、冬に山の神にもなり、森や水の自然循環の教えが神になって今でも行事として続いているのです。
 また、神話で、山幸彦が兄の釣り針をなくして、兄から責められて浜でなき悲しんで悩んでいたところに、潮路をつかさどる神があらわれ、竹を細かに編み籠の小舟を作って、山幸彦をのせて、海の宮殿に向けて流したという話があります。悩んだときに、海の流れにのって、パラダイスの龍宮に向かったのです。山幸彦は、龍宮で、こころを癒やしたのです。竹の籠の小舟は、現在でもベトナムの中部の漁民が竹籠の細い目止めに牛と椰子の油を混合した小舟を使っているのです。

 

 古代史のベトナムとの交流から

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 古代の日本とベトナムの交流史に出てくる人物では、ベトナムチャンパ王国から日本に招かれた仏哲僧と、遣唐使であったが、中国の唐に留まり、出世して安南の都護府ベトナムの総監にあたる節度使になった阿倍仲麻呂がいます。また、その時に、鑑真は、日本の僧侶たちから強く日本へ招請されたのです。鑑真は、日本仏教の戒律を確立したのです。
 鑑真は、日本への渡航に5度失敗し、6回目の753年に、両目を失うにも屈せず、中国の南方から琉球経由で、南九州の坊津に上陸するのです。そして、太宰府から奈良へむかうのでした。鑑真の来日によって、仏教界がそれ以前に混乱していたのが、戒律の確立によって平穏になっていくのです。
 
  仏哲は、チャンパ王国であった現在のフエの出身です。南インドの僧に学び、師と共に、唐に入り、滞在していた日本僧の招きにより、736年に日本入りしました。大宰府を経て都に入り、大安寺で過ごしています。752年の東大寺大仏開眼法要では舞楽を奉納したのです。仏哲は、舞や林邑楽(仏哲らが伝えたとされるインド系雅楽の楽種の一つ)を日本に伝えたのです。それは雅楽の基礎になったとされます。
 阿倍仲麻呂は遣唐(中国)留学生でしたが、唐で科挙に合格し、日本に帰国せずに、「朝衡」と名乗り、唐の朝廷で出世していった。752年衛尉少卿に昇進し、753 年(55歳)に、皇帝の図書館を管理する秘書監、宮門を守衛する兵士を管轄する衛尉卿にまで昇進しました。753年に、藤原清河率いる第12次遣唐使一行の対応に、唐の皇帝玄宗から責任を任せられました。しかし、望郷の念から帰国許可を玄宗に申し出るのです。在唐35年を経過していた仲麻呂は、翌年秘書監・衛尉卿を授けられた上で帰国を図るのです。
 仲麻呂や清河の船は、暴風で、南方に漂流し、安南に漂着。乗船者の一部は同地で盗賊団に襲撃されて死亡しましたが、清河と仲麻呂らは逃れたました。そして、唐の影響下にあった現・ベトナムゲアン省南部・ハティン省に滞在し、2年後の755年に長安に戻っているのです。
 この年、安史の乱が起こったことから、清河の身を案じた日本の朝廷から渤海経由で迎えが到来するが、行路が危険である事を理由に清河らの帰国を認めなかった。しかたなく、仲麻呂は清河とともに唐に残ることになるのです。
 さらに、阿倍野仲麻呂は、761 年唐の皇帝から安南節度使としてベトナムの総督を務めました。中国の雲南省ベトナムに居住していた少数民族間の国境問題に関わる紛争の調停に貢献しました。767 年に都で 72 歳の生涯を閉じています。
  
 大航海の朱印船時代

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  鹿児島神宮や加世田の万之瀨川の河川、坊津で、14世紀後半から15世紀にかけてのタイやベトナムの陶器が発見されています。南九州の島津氏が琉球王朝をとおして、交易をやっていたことが考古学の発掘から明らかになっています。琉球王朝チャンパ王国における交易国家の友好関係によって、島津氏の交易も可能であったのです。そして、16世紀後半から17世紀初頭にかけて、ベトナムの交易活動は活発になるのです。

 南九州では、ベトナム産焼締陶器が、霧島市隼人町鹿児島神宮の宮内地区、南さつま市金峰町花瀬で、出土報告があります。 ベトナム産鉄絵・青花では、霧島市隼人町の菩提遺跡で、鉄絵陶器、南さつま市坊津町の泊浜では、ベトナム産鉄絵と青花の発掘報告があります。泊浜採集のベトナム産鉄絵は底部破片で、鉄絵の花文が描かれています。

 森本朝子氏の編年観によれば14世紀中葉~15世紀初葉、西村昌也・西野範子氏の編年観によれば、14世紀後半に位置付けられます。(南九州出土の東南アジア産陶磁についての一考察著者 橋口 亘より)
 ベトナムは、14・15世紀、鉄絵、青花(染付け)などの北部ベトナム陶磁器の生産・輸出が発展期を迎えます。15世紀中後期には、現在のハイズオン省北部のチューダウ、ゴイなどの窯場で生産されたものとされます。現在、鹿児島県と交流協定を結んでいるハノイ近くの省です。それは、青花を主体とする陶磁器が、ベトナムから世界に輸出されたのです。インドネシアから日本、西は、カイロやイスタンブルにまで。

 ハイズオン産陶磁器の多くは、ハノイ近くのベトナム北部産地からタイビン川水系を下り雲屯経由です。雲屯は単一の港ではなく、ヴァンハイ(雲海)島を中心にトンキン湾の周辺島嶼に分布する港湾・貿易拠点の総称とみられます。16世紀後半から17世紀初頭に、ベトナムの対外貿易相手は、明朝の衰退によって、日本との関係が強くなるのです。

 1592年、秀吉は、交易のための朱印船という許可証を発行しました。軍事的に東アジアにおける海洋交易の独占をねらったのです。朱印船外交は、中部の阮朝と良好な外交関係であったことから実施されました。北部の鄭朝とは、阮朝と対立関係であったため、朱印船制度を利用しなかったのです。
 しかし、北部の鄭朝とのトンキン湾での貿易をしていた商人がいました。彼らは、幕府に働きかけました。しかし、幕府は、鄭朝との貿易を認めなかったのです。

 日本人商人によって、北部のトンキン湾の交易は、絹織物、手工芸品、陶磁器などの交易が盛んになったのです。1600年代の30年間は、日本人商人が支配的になり、オランダの海上貿易や中国人の商人が重要な役割をもっていた。
 鎖国令によって、オランダの東インド会社が、ハノイ(東京・トンキン)から長崎というルートで、日本との交易の担い手になったのです。 

 薩摩・大隅・日向の三州を領有した島津義久は、1581年から多くの琉球渡航する商船に朱印状を発行しています。その後に、島津藩は、活発に明との貿易を琉球をとおして復活していきます。
 九州統一を目指した島津義久は、貿易を積極的に展開して、経済力をつくっていたのです。1587年に、秀吉の10万の進軍によって、島津の九州統一の夢は実現しなかった。朱印船制度は、秀吉が1592年に導入し、家康もそれを継承していくのでした。朱印船制度によって、日本の東南アジアとの交易が活発になっていくのです。

 1609年に薩摩藩琉球への3千名の兵士をのせた軍船団で侵攻したことは、南方の交易を独占しようとしたためです。薩摩の琉球侵攻は幕府の明朝貿易を琉球出合で進めていこうとする意図も含まれ、その同意を幕府からとりつけていたとみられるのです。

 薩摩の琉球侵攻の翌年の1610年に、薩摩藩主の家久と琉球王朝の尚家当主が江戸幕府に上がっています。琉球王朝は、中継貿易によって発展してきたのです。幕府は薩摩に琉球の検地と交易管理権を認めたのです。琉球を中継地として、中国や東南アジアの交易が可能になったのです。

 薩摩の琉球支配権は、東シナ海の交易に琉球王朝を利用するためで、琉球出兵についてもその目的が明確にされているのです。

 薩摩藩琉球侵攻では、王朝や民が潤うことが目的ということで、軍律を厳しく定め、不要な軍事力行使を慎むことの発令をしています。薩摩の琉球管轄権は田畑の検地をしていくが、統治のための15条の掟は、最重要施策である中継貿易の管理であったのです。

 もともと三州を統一し、九州制覇をねらった島津義久とその父親の貴久の時代から琉球渡航の朱印状を出しています。日本の商人による琉球王朝との交易を島津家は管轄をしていたのです。

 根占や山川・坊津は、その重要な港であったのです。島津家にとっての三州統一と九州制覇ということで琉球は重要な交易による経済的基盤の一つであったのです。
 鎖国令が出ても、薩摩藩は、琉球王朝をとおしての交易を独占しようとしたのです。中国の王朝と冊封体制をとっていた琉球王朝は、交易で赤字をかかえていましたが、薩摩藩との交易収入、黒糖等の産業振興によって、財政を支えることができたのです。

 鹿児島の指宿山川町は大航海時代に重要な港であったのです。山川港から朱印船交易をしていた大迫家はその貴重な文書を残しています。いわゆる大迫文書です。そこでは島津家から派遣の権利を譲渡されたばかりではなく、島原の大航海時代に活躍した有馬晴信から下府されたと思われる朱印状もあります。

 大迫家は安南国(ベトナム)との緊密な関係をもっていたとされる将令の印の旗を所有していたのです。この絹の旗は安南国に来れば間違いなく歓待されるという証のものです。(山川町史、371頁から374年、平成12年版参照)
 島津義久の甥の家久は、1616年に北部ベトナムの鄭王朝に交易のための文書を送っているのがみつかっています。鄭王朝との文書のやりとりは文面からそれ以前におこなわれていたとみられます。商船一隻を派遣して、贈り物に渡海することを書いています。

 島津家久の手紙の内容は1616年に安南国の華郡公に商船の派遣と衣類、長剣、弓、硫黄などの贈り物と一緒に渡航するということです。それ以前に、ベトナム華郡公からの手紙の返答になります。
 この時期に、徳川幕府朱印船をとして中部のホンアイに入っています。1635年に朱印船制度廃止によって、東南アジアの日本町はなくなくなります。ベトナムの日本人居住地には、北部のハノイ近くの紅河の港であったフィンエン(オランダや日本人などの外国人居住区)と中部のホンアイ(日本町)にあったのです。
 日本ではベトナム北部のトンキン絹の人気が上流層にありましたので、1635年以降は、平戸のオランダ商館から長崎に移ります。ベトナムでは、北部にオランダ東インド会社が移り、日本とベトナムの貿易を展開していくのです。ここで、実際的な琉球の中継的な役割はどうなっていったのかは興味ある問題です。
 薩摩がトンキン絹、香木、陶器などのベトナム産品を実際に、琉球をとおして行われました。公然でないので日本側から実際資料はよくわからない。ベトナム側の歴史資料から解明できるとおもしろい新しい発見がされると思います。
  

 日本のキリシタンと海外交易活動

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 南島原キリシタン大名であった有馬晴信が手厚いキリスト教の布教に積極的に協力しています。南蛮貿易朱印船貿易を展開した有馬晴信でした。彼は、西洋の文化交流も積極的に行いました。これらは、ポルトガルの世界戦略による交易活動とキリスト教の普及が密接に関係したとみられます。
  朱印船貿易や東南アジアの日本人町に居住する人々にキリスト教信者が多いこともそのことが物語っています。有馬晴信は、龍造寺家との争いで薩摩と手を組み、1584年に勝利しまた。そこには、イエズス会の経済的軍事的支援がありました。彼は、イエズス会との絆を深めてていったのです。

 そして、1599年から1604年にかけて、周囲4キロ、31メートルの断崖に三方、海に囲まれた巨大な城を築くのです。この城は、キリシタン王国をめざし、西洋文化と日本文化の融合をめざしたのでした。
 有馬晴信は、ベトナムのチャンパに渡航したといわれています。大迫家の文書から朱印状が有馬晴信から下府されていたということがわかっています。ベトナムは、薩摩との関係、日本各地の東南アジアと交易をしていた商人など、今後の深い研究が求められます。当時、ベトナムでもイエズス会によってキリスト教の普及がされていく時期でした。

 ベトナムでのキリスト教の普及の拠点は北部の紅河デルタの海岸近くのナムディン省です。チャンパへの渡航イエズス会が仲介しているかわかりませんが、日本の有馬晴信ベトナムチャンパ王国は、香木伽羅の貿易で関係をもっていたのです。有馬晴信は、1612年に幕府の重臣に領土問題で賄賂をしたということで、家康から斬首されます。有馬晴信のつくった城は廃墟になりましたが、天草四郎をはじめ、この城跡に籠城した3万7千人のキリスト教信者等と幕府軍13万人との壮絶な島原・天草乱の戦いがあったのです。
 幕府のキリスト教禁止令は1614年に発令されましたが、日本の宣教師は、極東の活動拠点のマカオに集合するのでした。ベトナムの布教活動をした拠点にマカオがなります。

 ド・ロードは、ヨーロッパにベトナムを紹介した宣教師です。彼は、1623年から20年間マカオベトナムで活動するのでした。ベトナムイエズス会の活動に日本の宣教師の果たした役割も大きなものがありました。
 

 ところで、キリシタンであった和田利左衛門(備前長崎出身)は、1638年にハノイから紅河を下って50キロのフンイエンにオランダ商館の町の建設をし、トンキンの外国人貿易の統括の責任の高官にもなっているのです。

 

長崎の平戸のオランダ商館

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 日本でもオランダ商館が交易活動に大きな役割を果たしましたが、それは17世紀初頭でした。オランダ商館を許可した松浦隆信は、1592年から1637年に生きた肥前平戸藩第3代の当主でした。父によってキリスト教の洗礼をしていました。

 1613年にに幕府の禁教令が出たことで、仏教に改宗しています。母はキリシタン大名大村純忠の娘ソニカです。両親ともキリシタンのもとに育ちました。松浦隆信の時代の平戸は、オランダ・イギリス・中国といった外国との貿易に大変に経済が栄えた時代です。隆信の他界した4年後の1641年に平戸のオランダ商館が閉鎖されています。
 平戸市街の港にオランダ商館倉庫の復元した建物やオランダ商館の関連遺跡があります。1609年にオランダ商館が平戸に設置されましたが、貿易増加によって、1639年に大きな石造倉庫がつくられるのでした。しかし、幕府の鎖国政策によって、1641年に長崎の出島に移転しました。平戸の国際貿易地の役割は消えたのです。
 この時期に、オランダはベトナムのトンキン(東京)に東インド会社の商館を建てているのです。日本との貿易をオランダが重視したのは、日本の銀や金という鉱物資源で、日本側は陶磁器や絹製品の輸入を求めたのです。
 ところで、海上の交易をとおして、航海の安全のための信仰の交流も行われて行きます。媽祖信仰像 女性神、航海安全、安産の信仰として中国南部の沿海地域を中心の民間信仰でした。交易の発達によって、東南アジアから日本にまで、この信仰がもたらされるのです。
 六角井戸は日本の平戸と明の貿易が盛んになったときの明人によって作られた飲料水のための井戸です。明の五峰王直が居を構えた1542年以降につくられたものといわれます。
 中国の海禁政策によって、中国商人は、ベトナムを積極的に利用したのでした。そして、ベトナムから日本の長崎平戸という貿易関係ができていくのでした。中国は伝統的に朝貢貿易という支配・従属関係をとおしての交易で、対等な取引をしたのではなかったのです。
 この時期に中国商人のベトナムをとおしての交易活動により大きく変化していくのでした。大挙して、華僑が東南アジアに移動していく時期です。中国商人の活動によって、ベトナムの現在のハノイのトンキン(東京)から長崎のルートができるのです。このなかで平戸の商人が大いに国際的な交易に活躍するのでした。六角井戸も十六世紀中から十六世紀後半にすでに、中国商人が平戸で活躍していた証です。そして、十七世紀前半には、貿易が大いに栄えるのでした。

 

参考文献 小倉貞男「朱印船時代の日本人中公」新書

 

 東シナ海を支配した倭寇鄭成功

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 倭寇の統領ともいわれた五峰王直は、平戸を拠点に、そこでは2千名の配下をもち、鹿児島の根占にも中継地をもっていました。彼は、東シナ海の貿易路のネットワークをつくり、航海圏を支配していたといわれます。王直の海洋ネットワークを無視して、東シナ海をとおしての貿易は不可能であったといわれるのです。

 王直は、東シナ海を支配する海洋王国をつくり、中国の明皇帝との戦いに挑んでいたのです。1543年に鉄砲の日本伝来になったポルトガル人が漂流して、種子島に着いたとき、種子島の城主に筆談で通訳したのが王直といわれています。

 1549年に鹿児島に来てキリスト教を伝えたフランシスコザビエルも東シナ海洋で交易活動で活躍していたアンジローの案内で上陸しているのです。
 平戸の王直が活躍した浦の町にある老ソテツは、オランダ、イギリスと貿易が盛んな頃に川崎屋の全盛期のときに植えられたものであるとされています。この周辺には、多くの日本の貿易商が軒を構えていたということです。

 
 ところで、東シナ海の海賊といわれた鄭成功は(鄭芝龍てい・しりゅう)は平戸で日本人女性との間で生まれた人物です。中国の南の海岸を中心に商業と軍事力をもっていました。かれは、海賊を率いただけでなく、オランダ東インド会社が関与したのです。

 鄭成功の活動を統治をできない福建当局は、1628年に彼を提督に任命しました。鄭成功は、その地位を利用して、福建に独占的支配の基盤を確立したのです。鄭成功はアモイなど福建の港から、生糸を中心とする中国産品を日本へ輸出して、日本銀を輸入しました。日本銀は中国・台湾産品の支払いに用いられています。日本製の刀や甲冑などの武具を華人商人から東南アジア各地へもたらした。

 明朝から中国の王朝となった清は、明朝政権で沿岸地域を支配していた鄭成功を滅ぼそうとした。清朝政権は、海外貿易に通じた鄭氏政権が日本をはじめとする海外勢力と連携することを危惧したのです。

 そこで清王朝は、1661年に沿海住民を強制移住させ、沿岸を無人地帯にしました。鄭成功は新たな拠点を求めて台湾に侵攻したのです。台湾からは、オランダを駆逐し、独立を果たしました。台湾では、行政を整備するために府県をおいたり、法律をつくり、開墾して農地を増やしましたのです。

 鄭氏政権は台湾を拠点として長崎と東南アジアの間で貿易を続けましたが、銀の供給源が絶たれ、一時は和睦の道を探すが、清朝との戦いに敗れるのでした。

 鄭成功記念館が彼の生まれた平戸市川内の漁港街にあります。一七世紀初頭の東アジア情勢は、オランダやイギリスなどのヨーロッパ諸国と中国国内での明朝から清朝への戦いの移行期です。明朝や清朝による海禁政策による貿易の厳しい制限がありました。日本の朱印船による民間商人による東アジアへの貿易の活発化という様々な国際的な勢力がぶつかり合う時代でした。

 

ベトナムの独立のために日本へ留学ー ファン・ボイ・チャウとドンズー運動

 

  ベトナムの独立のために日本へ留学ー ファン・ボイ・チャウとドンズー運動を現代に評価することは、日本とベトナムの友好発展にとって大切なことです。1905年から1909年にかけて、トンズー運動がありました。これは、ファン・ボイ・チャウを中心に、過酷なフランス植民地支配からベトナムの独立を勝ち取るために日本への留学運動です。

 この留学運動には、当初、大隈重信、犬飼毅、柏原文太郎の有力政治家なども協力しました。1907年の日仏協約によって日本政府は、一転してドンズー運動を弾圧するのでした。フランスは植民地政策として、徹底した愚民政策をとり、日本への青年達の留学を取り締まるように日本政府に要請したのです。
 現在、ベトナムから多くの留学生や技能実習研修生が日本に来ていますが、ファン・ボイ・チャウの時代の精神は現在でも大切です。ファン・ボイ・チャウホーチミンの父は、同郷で親しい友人で、共に漢学者でベトナムの解放を考えていた人です。同時期に、民主共制を唱えたファン・チュー・チンも日本に渡っています。トンズ-運動(東方に学べ)として、多くのベトナムの独立を求める若者が日本に渡っているのです。

 

社会教育・生涯学習研究所「住民の学習と公務労働」のシンポジュウムの感想

 

 

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社会教育・生涯学習研究所「住民の学習と公務労働」のシンポジュウムの感想 

         神田 嘉延

 4月18日にオンラインでの社会教育・生涯学習研究所のシンポジュウム「住民の学習と公務労働」に参加しました。オンラインでのシンポジュウムがどのようにして、行われるのか興味をもちながら参加しました。3名の報告者と司会者とのやりとりで、最後にオンラインの参加者に意見を聞くという方法でした。

 報告者は、市町村自治体職員の社会教育行政にかかわる人の報告でした。公務労働となっていますが、市町村自治体職員による自らの公民館活動・社会教育実践と地域住民との関わり、地域づくりなどの住民の学習の報告でした。

 第1の報告は、宮城県白石市の地区公民館のとりくみで、地域総合計画に積極的に公民館が関わったことは大変に興味をもって聞きました。白石市は、令和3年からの10年間の総合計画の新たなスタートをしています。総合計画を地区公民館の単位から計画をねりあげていったいったということです。白石市の行政職員がそれぞれの地区公民館に2名以上担当して、住民と共に学びの手法を導入して、地域総合計画をつくりあげていったという草の根を大切にしたものです。この方式はすばらしいものと思います。

 しかし、地域総合計画についての基本的な未来像の見方は、重要な課題です。地方都市にあって、農村部の人口減少は著しく、過疎化という大きな悩みをかかえています。脱炭素社会というSDGsの2030年の目標、2050年の目標という課題のなかで、人類の地球的な規模の危機のなかで、農山漁村の役割を今一度、見直す時期であると思います。

 経済の効率主義のみでは、地球温暖のなかで、莫大な損失をこうむるのです。また、自然破壊、自然災害に起きやすい大型開発では、一層に未来に向かっての地域づくりから離れていくと思います。当面のすぐにもうかるということではなく、自然循環型の地域経済づくりの課題が、農山漁であるからこそできることがたくさんあります。未来の子ども達のことを考えての地域おこしが必要な時代になっていると思います。

 社会経済のしくみとして、自然資本という考え方も生まれれる時代です。自然は大きな財産的な価値があり、その恩恵は計り知れない大きな経済的価値があるという考えです。自然を破壊すれば、莫大な損失を被るということで、地球温暖化対策としての脱炭素があるのです。脱炭素ということで、自然破壊していく大規模なメガソーラーや原子力発電ではないと思います。古来から行ってきた地域循環型の経済を現代的な科学技術の応用によって、飛躍的に発展させる必要があると思います。

 地域の条件からの自然循環型の地域経済の仕組みが求められる時代です。大都市であれば、屋根や壁の資材から等の建築構造物からソーラー発電、砂漠地帯であれば、メガソーラーも考えられると思います。日本のように自然環境の恩恵のなかで暮らす人びとにとっては、落差のある地形を利用しての用水路発電、田んぼ等の小用水路の発電利用、バイオマス発電など様々な工夫が考えられると思います。

 中央集権的な国家構造のなかから、地域主権の時代に変わっていくと思います。歴史的には、中央集権と地方・地域主権の時代が入れ替わっていると思います。日本国憲法にも規定されている地方自治のもとに住民の暮らしを保障していくのか。民主主義的に住民参加の地域づくりの実現として興味ある報告として聞きました。

 この事例のひとつとして、学校統廃合の問題があると思います。地域で子どもを育てていくということの意味から文部省基準の学校適正規模の議論よりも農山村で暮らす特殊性があると思います。

 全国的画一的な学校適正規模が、世界の農山村の学校の存在からみれば普遍性があるのか。多くの国では小規模の学校教育、僻地教育が実践されています。大都市の標準的教育方法ではなく、そこから離れた農山漁村の遠隔地教育、僻地教育から考える必要があると私は思っています。

 日本各地でも僻地教育での素晴らしい複式教育の実践が僻地教育振興法による条件整備のもとに実施されています。そこでは一斉指導の問題点を克服してのグループ学習、ペア・トリオ学習、合同学習の様々な異学年の人間教育が地域の住民の協力も含めて実施されているのです。そこでは、素晴らしい多くの地域のボランティア教師が育ち、新しい未来への学校教育の方法が生み出されているのです。

 学校教育は教師の専門性はありますが、正式に教師として雇われたものではなく、地域の先生がいることを忘れてはならないのです。地域の歴史文化や地域の人々とふれあいながらの人格の形成という本質的なことを見落としてはならないのです。

 地域づくりで協働の理念を入れて総合計画の宣言をするのであれば、僻地教育で培ってきた学びの協働を地域住民と共にしていく必要があるのではないかと思います。そのなかから新たな地域創造の息吹きが生まれてくるのです。効率論ではないはずです。

 まさに、地域づくりは人づくりということです。それは、利己主義的に競争で打ち勝つ人間形成ではなく、人間的に協働の力の総合的な能力形成なのです。

 学校統廃合の問題という難しい問題に直面したと報告がありました。統治者意識と統廃合の問題がかさなって、地域の総合計画の難しさを経験したということです。地域の感情を大切にしながら、論理だけではなく、誰が言ったということではなく、個人としての学び、公としての学びを展開したという報告でした。

 

 

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 地域住民は行政に都合のよいことを要求しない。地区公民館単位での町づくり宣言は、地域の人びとがめざす地域づくりを暮らしの単位から実施することです。そのことを真剣に考えられるように社会教育活動として実践したということです。

 8つの地区公民館の管理運営は、地域住民で組織する自治会などの町づくり振興会に指定管理制度で委託しているのです。この報告を聞きながら考えたことは、学校統廃合の問題は、住民にとって極めて大きな関心であり、矛盾も深刻なことだと思います。地域総合計画を住民自身で作り上げていくうえで、行政とのぶつかり合い、住民自身の矛盾を含むことなのです。

 学校の適正規模論、教育には競争原理が必要ということも話題になったのではと思われます。また、集団意識が身につかないと。そして、複式学級は教育効果が十分にでないなど。どこでも議論になるところです。個を中心としての現代社会の学力競争では当然起きる問題です。

 多くの農山村では、学校を中心に地域のまとまりが明治の歴史から展開されてきたことと思われます。その地域の歴史文化は重いものがあります。簡単に住民がまとまっていく課題ではないと思われます。白石市の分校は、次々と統合になり、2018年には、本校のひとつのが統合されたことを白石市の教育計画のホームページでみました。

 報告者の地域の感情も大切にしながら総合計画の学びを実施したことの難しさ、苦悩もうかがえます。地域からの総合計画づくりは、それぞれの地域の矛盾をかかえながら、どのようにして未来への地域社会をつくっていくのか。学びの結晶が矛盾を含みながらの地域総合計画のなかに反映されていることでしょう。

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 第2の報告は、飯舘村の報告でした。報告者は、鶴見という大都会での社会教育の実践と結婚で、大館村に移住して社会教育活動をしたことの自己紹介からはじめられました。

 大都市での経験と福島の飯舘村での経験と、市町村の社会教育職員として、ユニークな存在と思われます。飯舘村は、原発事故の前から住民の社会教育には地域づくりという視点から強いものがあったということです。福島大学との関係で、その活動の連携が積極的に展開されていたということです。

 報告者は飯舘村にはいろいろの分野や立場の異なる専門家がたくさん入ってきて、いろいろなことを言っているとのべました。飯舘村は歴史的に2つの村の合併によってできた経緯があることから、地域意識が長老のなかで、とくに強く、自治体としてのまとまりが薄いという弱点をもっていたという報告でした。この問題を克服するために、若手の意見を大切にしての自治体としての全体的意識からの地域づくりが大切にしているということです。社会教育職員は、その醸成の学びが重要であると強調された報告でした。

 

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 感想として、年をとった人間として、言わせてもらえば、長老支配は良くないが、高齢者が生き生きと活躍できる地域づくりは大切と思っています。とくに、自然環境保護運動や伝統的文化の継承などでは、年配者の役割が大きく、むしろ、若者に継承していく公民館活動も大きな意味をもっているのです。

 学校教育ではできないことが、社会教育の村づくり運動などでは、年寄りが主役になって、子ども達に元気よく自然の話し、昔話、工芸づくりなど楽しく教えているのが各地にみることができます。この場をつくっているのが、社会教育職員なのです。

 地域づくりは人づくりということで、地域を再生している各地の取り組みは、年配者が生き生きしているのです。山の村・海の村留学などで、地域を再生している事例などは、新しい取り組みに年配者の知恵があるところが多いのです。夜逃げの村といわれた地域が、社会教育課長が町長になり、有機農業のむらづくりとして世界的にしられ、ユネスコの自然公園として指定されて、高い所得をあげる豊かな地域になった綾町の事例や、鹿児島県で最も貧しい地域といわれた奄美の離島僻地で、鹿児島県で最も高い所得になった宇検村など。

 これらの事例は地域の歴史文化や自然を大切にしての社会教育が主役になって、新しい地域興しをしているのです。九州ではこのような社会教育を中心としての地域づくりがおこなわれているところで、地域を活性化している事例が各地にあるのです。鹿児島県の成功した村づくりでは、社会教育と村づくり活動は一体となっているのが特徴です。未来の地域づくりは社会教育があるからこそ生まれていくのです。

 

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 第3の報告は君津市の報告でした。君津市は、八幡製鉄の進出で、砂浜が工業団地になることによって、生まれた都市で、工業団地の周辺は、多くの農村部をかかえているという歴史からの報告でした。がんばって光があたるところと、がんばれないところもあるというのです。

 君津市の社会教育職員は、専門職として雇われているのが特徴です。その専門職から住民との対話を積極的にして、それを手続きとしてではなく、住民の意見を聞くという立場を大切にしているということでした。インパクトの強いところに愚痴をこぼすことで、自己存在もあるのです。自治体職員は、税金で雇われているので、住民の幸福になるために公的な仕事をするのはあたりまえのことです。

 このためには、住民の声を聞き、自由にものごとが言える役場の雰囲気が大切で、ときには、異議を申し立てられることも必要なことがあるというのです。労働組合の価値もここにあるというのです。

 3つの報告事例を聞きながら、地方自治体職員にとって、社会教育の役割の重要性が再認識されました。地域の総合計画など住民と共に学びながらつくっていくのは、今後の日本の民主主義の統治を地域からつくりあげていくうえで、極めて大切になっていくと思います。