社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

安藤昌益の互生論(異質を対等に相互依存関係に)

安藤昌益の互生論(異質を対等に相互依存関係に)

 

 はじめに

 安藤昌益は、1703年に生まれ、1762年没である。江戸の中期に、社会の平等論、環境保全論、武器全廃の平和論、直耕という労働価値の絶対性をのべた先駆的な思想家である。

 15歳のときに禅宗の修行僧として入門し、10数年の修行によって僧の資格を得るが、その後、僧では人々を救うことができないと医学の修業をする。42歳のときに東北の八戸で医療と学問塾を開く。その頃は、東北地方でイノシシの異常発生によって、作物が食べられ、イノシシ饑饉が起きていた時期である。

 安藤昌益は自然を観察して、生態系の破壊原因が江戸での絹織物の贅沢が、関東大豆が養蚕に変わり、大豆畑は、東北の山村での焼き畑開墾になる。それが、従前の生態系を破壊して、イノシシの異常の発生になったことを証明する。このようななかから贅沢になった武士の世を批判する。

 イノシシの異常発生にみられる自然生態系の破壊は、安藤昌益の環境保全思想形成にもなった。安藤昌益の思想基盤に互性という概念がある。それは、男女の関係に典型にみられるように、異質であるが、対等に相互に依存しあう共に生きていく関係をあらわす概念である。

 平和論では本ブログを安藤昌益の武器全廃の平和論参照 

https://yoshinobu44.hateblo.jp/entry/2021/02/12/112624

 

 封建社会での人間解放の思想

 農文協出版の安藤昌益全集の編集代表であった寺尾五郎は、昌益の思想の独自性を強調する。人間解放の思想体系は、まったく独自に新たな世界観の創造ということであるとしている。

 儒学国学、仏教を根底からひっくり返して、それとは、対立する世界観をつくりあげた。伝統的教学のすべてが、人間をしめつけ、抑圧し、欺瞞する思想の道具にすぎず、独自に人間解放の道を探求したとする。

 そして、もうひとつの思想の独自性は、全存在の永遠の運動過程にあるものととらえたことである。その運動は、諸行無常の変化観でもなければ、輪廻・流転の宿命観でもなく、運動を存在の肯定的な原理として、その生産性、創造性、発展性であると捉える。

 運動は事物の外側ではなく、事物の内側にある。事物の運動は本質的に自己運動であると。ひとつのもののなかに二つがあり、一気のなかに進気と退気の対立があり、その矛盾によって、自己運動が起きる。

   一つのなかに対立し、依存する二つがあり、その二つが相互に転化しあうのである。そして、万物を対立物の統一として考えるのが、安藤昌益の考える互生概念の論理である。これらのことについて安藤昌益は、次のようにのべる。

 「天地ニシテ一体、男女ニシテ一人、善悪ニシテ一物、邪正ニシテ一事、凡テニ用ニシテ真ナル自然ノ妙道」。この論理を「二用一道」「二品一行」「二別一真」とした。二つのものの相互転換のことを「性ヲ互ヒニス」と、矛盾関係を互生と名づけ、その運動を「妙道」と呼んだ。以上のように、寺尾五郎は、「互生」「妙道」を説明する。  寺尾五郎代表編集「安藤昌益全集一巻」農文協出版、9頁~11頁参照

 

土の思想家

 中央公論の日本の名著シリーズで安藤昌益の責任編集の野口武彦は、「土の思想家」安藤昌益を解説している。昌益の人間観は徹底した平等主義の主張にあるとする。昌益の人間平等の根拠は次のように野口武彦はのべる。

 安藤昌益は、「人間存在を転定(てんち)」の気行の特定の運回形態を見なすことに人間の平等性の根拠を置くのである。人間のもっとも自然的状態は、人間が自然の気行の運回のサイクルの一部になりきっているときである。

  人間の直接労働としての「直耕」について、野口武彦は安藤昌益を次のように解説する。「転定(てんち)」の生成作用に人間が自己を同一化することである。あるいはむしろ、その延長である。だから万人がひとしく「直耕」することは自然の法則に従うことだとされるのである。

 昌益の平等主義が自然にもとづいていいるとというのは、いかえれば、個々の人間は自然というつながりの気行の全体を完結させるために特定の気行(通気)をそなえた、またそのかぎりでそれぞれたがいに同等な構成分子であると主張することにほかならない」。(14)(14)責任編集の野口武彦「安藤昌益」中央公論・日本の名著シリーズ、52頁

  野口武彦は、人間存在の天定(てんち)の気行の運回のサイクルのなかに平等性を昌益が求めているというのである。人間の平等性は、自然の法則にしたがっていると。さらに、野口武彦は、昌益の道の意味することが、道徳的な規範としてではなく、万物生成に陰陽五行説道家思想のなかからみる。「万物生成の一気あるいはその運動としてとらえている。この意味で、儒学思想のコンテキストにではなく、主として道家思想のそれに属しているのである」。前掲書、61頁~62頁

  安藤昌益の自然概念は、儒教的な意味ではなく、中国古代思想にみる陰陽五行説からの自然循環というのである。道を自然気行論である土活真から木、火、金、水に運回する万物生成論の世界であり、その思想の理想型が自然世として、封建社会を批判するとする。

 そして、昌益の思考方法の欠けるものは、社会制度であれ、思想教義であれ、客観的構造の観察と分析方法をもつことができなかったと野口武彦は次のようにのべる。

 「昌益の思考方法に本質的に欠けるものは、それが社会制度であれ、思想・教義であれ、およそ「作為」されたもの中にある客観的構造の観察と分析であると評することができるであろう。そのことの完全な無視が昌益の思想の特色を与える。

 昌益の批判は、気の自己運動たる自然の全体を「作為」ない徹底性を獲得することができた。しかし、同時にまた、昌益はまさにその同じ論理によって「作為」されたものの個別的な構造に具体的に迫ってゆく方法を持つことができなかったのである」。

前掲書、70頁

 

安藤昌益の世界観の異なる評価ー既存の学問批判と社会・政治制度からの人間解放

 安藤昌益の思想に対する評価は、寺尾五郎と野口武彦とは、その本質的な世界観の見方が大きく異なる。昌益の最大の関心は政治的批判ではなく、学問的な批判であり、価値体系は、道家的思惟の思考を媒介すると野口武彦は考える。これとは全く別の論理で寺尾五郎は安藤昌益の思想を位置づける。

 安藤昌益は、一切の悪、搾取と支配、差別と抑圧、横領と戦乱などから人間解放のずばぬけた時代を超えての独創的な思想家とみるのが寺尾五郎である。また、矛盾関係を互生と名づけ、その有機的運動を「妙道」と呼んだことは、ヘーゲル弁証法の思考と同じである。

  安藤昌益は、先行思想と格闘と断絶のうえで、互生妙道というとらえ方、すべての事柄を矛盾によって転化するという独自の世界観をうち立てた。それは、洋学の流入以前の日本に自発・自生した科学思考である。それは、全東洋の諸思想を批判・揚棄することで得られた日本が世界に誇り得る独創性と変革思想をもったことである。以上が寺尾五郎の見方である。

 安藤昌益の代表的な著作の自然真営道の大序巻は、生涯における最期の作であり、絶筆であると寺尾五郎は記す。そこに思想の結晶点があると。昌益の自然観は、自然に帰れ式の自然憧憬でも天然賛美でもなく、万物生成ということをとらえている。

 

 安藤昌益の自然概念

 それは、天の恵み、自然の恩恵でもない。安藤昌益にとっての自然概念は天地が穀を生み、穀が人を生むということで、人間の労働が天地の直耕のなかで占める特別の意味をもっているのである。

 直耕とは、人が生きるための生産であり、命と生活のための生産である。消費するのは、生産するためである。労働と飲食は、生命と同じである。人間の存在は、直耕の一道であるという見方である。

 「自然とは何か。それは「互生・妙道」の呼び名である。では互生とは何か。言ってみれば「土活真」という根源的物質の始めも終わりもない永遠の自己運動であり、あるいは小さく、あるいは大きく進んだり、退いたりすることである。「土活真」が小さく進めば「木」である。大きく進めば「火」となる。小さく退けば「金」、大きく退けば「水」の四行となる。

 この四行がまたそれぞれ進んだり退いたりして「八気」となり、互いに依存し対立する関係となる。木は運動の始まりをつかさどるが、その本性は水に規定され、水は運動の終わりをつかさどるが、その本性は木に規定されている。

 したがって、木はたんなる始まりではなく、水もたんなる終わりではない。ともに永遠の運動の一過程である。火は活発な運動をつかさどるが、その本性は収容に規定され、金は収容をつかさどるが、その本性は活発な運動に規定される。

 火も金も永遠の運動の一過程としてみる。このような有機的な関連性を「妙道」という。「妙」とは対立物の統一性をさし、「道」とはその法則的な運動である。こうしたことが「土活真」の自己運動であって、まったく、自発的に、しかも一定の運動量を保ちながら「自(ひと)」りで「然(す)」る、のである。

 そこで、この運動の全体を「自然」と呼ぶ。・・・・・「自然」とは八気の相互に関連する運動であり、「活真」とは分裂もしなければ静止もしない統一的自己運動をするのであり、「営道」とは、その運動によって人間や事物がつくられる過程をいうのである」。前掲書、63頁~65頁参照

 安藤昌益の自然概念は、妙道互生という対立物の統一、八気の相互関連の運動のなかでとらえていることである。陰陽五行説の五行ではなく、根源的なこととして土の活真を基盤におき、他の四行での進・退の自己運動の八気をみるのである。

 

君主の私欲による民の搾取と自然活真

 安藤昌益は、上の私欲と民への搾取を盗乱の世とみる。そして、自然活真にかなうことを次のように探求する。「私欲に基づく盗乱の世でも自然活真によって平安を保つことができるとする。

 (盗はたんにぬすむということではなく、支配者の行うぬすみで、搾取や収奪のこと。乱は争乱、反乱でたんなるあらそいではなく、搾取に対する反抗を含む)

 私法盗乱の世という搾取と争乱が絶えることない現実でも、理想社会の自然法則ではないが、自然活真を契(かな)う、ことができるとする。それは、土活真の根源な自己運動からの互生・八気によって可能とする。

 人間社会の男女一体の互生から自然活真の世へのかなう論理を証していく。「男は外であり、天である。そのなかに女の要素がある。女は内であり、海である。女には内在している男の要素がある。

 男と女は互いに対立し、かつ依存しあうという矛盾関係にあり(男女互生)、それぞれ神と霊(心霊互生・人間の四との精神活動)、心情と知性(心知互生・人間にある八つの感情と八つの精神作用)、思念と覚悟(念覚互生)などの関連しあう八つの精神や八つの感情が通じ、横逆に運回して、精神活動を営んでいる。

 そして、互いに穀物を、耕し麻を織るという労働を通じて、人間の生産と再生産は絶えることがない。これこそ、根源的な物質である土活真が小宇宙として現れた、人間男女の生産活動であり、また人間の存在法則であると言えよう。

 ・・・・・人々がみな一様に生産労働に従事するところに、人間としての共通の営みと感情が生まれるのである。これが自然の法則そのままに生きる人々の社会であり、そこには搾取や反乱、迷いやいさかいなど存在せず、人々はそうした言葉さえ知ることがない。土活真の統一運動そのままの平安さがあるばかりである」。

  「是レガ小ニ男女ナリ。故ニ外、男内ニ女備ハリ、内、女内ニ男備ハリ、男ノ性は女、女の性ハ男ニシテ、男女互生、神霊互生、心知互生、念覚互生、八情、通横逆ニ運回シ、穀ヲ耕シ麻ヲ織リ、生生絶ユルコト無シ。是レ活真・男女ノ直耕ナリ」

 「転定ハ一体ニシテ上無ク下ナク、統(す)ベテ互生ニシテ二別無シ。故ニ男女ニシテ一人、上無ク下無ク、統ベテ互生ニシテ二別無ク、一般・直耕、一行・一情ナリ。是レガ自然活真人ノ世ニシテ、盗乱・迷争ノ名無ク、真儘(しんじん)・平安ナリ」。安藤昌益全集一巻、農文協出版、268頁~269頁参照

 男には、外、天から男の役割があるが、女を必要とする性質がある。女には、内、海からの役割があり、男を必要とする性質がある。神霊、心知、念覚、八情、穀を耕すことも麻を織ることも男女の性質の互生がある。

 それぞれ、喜、怒、驚、悲、非、意理、志と発現は男女によって異なり、男による直耕の肉体労働、女による麻を織るという精緻な家内労働は、外・天と内・海という互生関係である。双方は共に生きていく自然の役割関係として、求め合う関係で一体になっていくものである。

 「人間社会は、かつては自然法則のままに生きていたが、それが、王と民、支配する者とされる者の別を立て、それに基づいて差別的な倫理規範や身分制度を作り上げ、その維持のために賞罰による統治制度を導入したのである。

 自ら働きもせずに、楽をしようと人々の労働の成果をかすめとり、そのための社会制度や租税を取り立てるようになった。そして、宮殿、楼閣、高殿を築き上げ、山海の美味珍味を食らい、絹織物の美服で着飾り、美形の官女をはべらせ、遊び戯れ、愚にもつかない道楽に贅沢をつくすなど、その栄華のほどは何とも筆舌に尽くしがたい。・・・・・本来は天下共有の天下を、あるいは奪われ、私欲は私欲を生み、搾取は搾取を生み、反乱は反乱を呼び起こして尽きることはない」。前掲書、270頁~271頁

 人間社会の本質的な自然状態は、男女のように役割がことなっていたが、互生関係をもって、平等の関係と相互依存、相互扶助のもとで生きていた。しかし。王と民、支配する者と支配される者の社会関係、差別的な関係が生まれることによって、根本的に変わり、人為的な私欲が私欲を一層拡大していくことになる。搾取と反乱、戦争を呼び起こす社会になったと安藤昌益は考えるようになる。

遊び戯れ、贅沢の王が現れることによって、世が乱れ、精神的欲望と物質的欲望が乖離して、仏教がこの世にあらわれたとするのである。

 「遊び戯れ、贅沢をする王が現れ、搾取・収奪という支配するものが現れることによって、世が乱れていくのであると安藤昌益はのべる。この世の乱れ、私欲の増幅によって、聖人、釈迦が現れたとする。精神的な欲望と物資的な欲望とはますますはなはだしくなる。天下国家を奪う欲望と極楽往生を願う欲望とがかわるがわる起こる」。

 前掲書、271頁

 

天下国家の乱れと為政者の私欲ー搾取と反乱

 天下国家を奪う欲望と極楽往生を願う欲望が乖離していくのである。私欲に基づいて、上に立つ者が現れることによって、社会に反乱が起き、また泥棒などの様々な犯罪が蔓延していくとする。上の者が搾取を改め、私欲を捨てることが、反乱、戦乱、犯罪をなくしていく最も根本的なことであると安藤昌益は考えるのである。 

 「私欲にもとづいて上に立ち、社会を支配すること自体が、反乱を生み出す根なのであり、乱の根を支配者みずからが植えているのだから、泥棒をはじめとしたさまざまな犯罪が下々で枝葉のようにはびこって絶えるはずがない。上が、搾取・反乱の根を断ち切らないかぎり、下では枝葉の犯罪が盛んになるばかりである。

 つまり、世の中に反乱や犯罪の類が絶えないのは、すべて支配者の驕りがその原因となっているのである。支配者みずからが盗乱の根源を絶ち切らないで、いくら日ごとに下々の犯罪者をとがめ殺そうとしても、犯罪はなくなるものではない」。前掲書、272頁参照

 民の犯罪は、支配者の驕りが原因であり、上が私欲を廃して盗乱の根源を絶ちきらねばならないのである。支配者のなかに、自然界と人間社会を貫いている活真の法則を体得した正人がいるということを期待することに望みを託すのは馬鹿げたことであると安藤昌益は考える。

 しかし、搾取と反乱が渦巻いている社会にあっても理想社会に変革していく方法はあるとして、決して理想社会への道のりの「私法盗乱ノ世ニ存リナガラ自然活真ノ世ニ契(カナ)フ論」ということで、理想社会への現実的な過渡期を否定していないのである。

 「失リヲ以テ失リヲ止ムル法有リ。失リノ上下二別ヲ以テ、上下二別ニ非ザル法アリ。似タル所を以テ是ヲ立ツルニ、暫ク転定ニ二別無ク」というように、あやまりももってあやまりをなくしていく方法がある。本来はあやまりである上下の階級社会は敵対関係に陥らない方法がある。天地の場合は、上下という差別がない。前掲書、275頁参照

 それには、上下という階級社会の差別があっても、上に立つ者が家臣を多くかかえず、反乱を起きないように心をくだき、また、道楽と贅沢をせず、みずから田地を一定範囲に定め、これを耕して一族の生活をまかなうことである。

 諸侯もこれに準じて、それぞれ国主としての田地を一定範囲に定め、相応に耕すことによって一族の生活をまかなうべきであると。上下ともに耕し、下、諸侯、民衆からの収奪をする租税制度をなくすことである。最高統轄者は、みずからおのれの田地を耕作することである。上に立つ者が贅沢をしなければ、上下関係があってもへつらうものはなくなり、敵対的差別関係はなくなり、世は平安になるというのである。

 上にたつものの政治上の任務は、耕作義務を怠る諸侯や民衆を強制させることである。遊び暮らしている者をやめさせ、生活できるだけの田地を与え、耕作させることである。また、生活の必要限度を超えた田地を耕作し蓄財や贅沢に近づこうとすることもやめさせなければならない。前掲書、276頁~277頁

 

為政者の贅沢の暮らしと農業労働の価値

  金銀さえあれば物がほしいままに充足でき贅沢な暮らしができる。贅沢な暮らしこそ、戦乱を引き起こす原因である。こう考えるからこそ、金銀・貨幣の流通を廃止する。もともと人間が穀物を耕し麻を織って生活する以外に、何ごとも必要としないのは、それが天地から与えられた人間本来の姿だからである。

 手工業者や職人には、最高統轄者には、それ相応の生活必需品を与え、諸侯や民衆にはそれ相応の家屋・家具をつくらせること。豪邸や贅沢品の製作は、これを禁止する。日頃統括、管理の仕事のないときは、みな相応に耕作することが大切である。

 遊女・野良・芝居役者、道楽芸の慰芸の者には、上に立つ者が贅沢や浪費をやめさせ、かれらに田地を与えて耕作させること。僧侶・山伏・神官の遊民には、農業労働こそ天地自然における活真であると考えさせる。

 地蔵菩薩の功徳は、農業労働そのものであり、薬師如来は、天地自然における生成活動の始まりの季節、春の象徴である。不動明王は、大地が不動のままに田畑となって人々を耕作させることである。阿弥陀如来は、農業労働がまっとうされるようにということにほかならない。禅宗語録は、生産労働によって心安すらかに食い、着て暮らし、生死を活真にゆだねること、これこそ仏法の極意。神とは、太陽であり、生成活動の担い手ということで、僧侶、山伏、神官は、諭して田畑を耕作させることである。前掲書、278頁~283頁

 安藤昌益は、すべての人々に、自然の法則、命を食する生産という農業労働の大切さを説いているのである。仏への「欲心ノ迷ヒヲ足シ、心欲・行欲、益々盛ンニシテ、世ハ聖人乱シ、心ハ釈迦乱シ、転(天)下・国家ヲ盗ムノ欲」というように、人々が競って仏にすがるのは私欲であり、迷いである。

 利己的な欲望の旺盛な商人は、天地自然の真理から人々の目をそむけ、世の恨みをで、争乱をもちこむ者である。暦家・天文家とは、天体の気の運行を計画するのが生業であり、活真の生産労働というものである。易・暦・天文・陰陽を生業とするものは、古来の書物にこだわらずに、とりわけ生産労働を第一にして、易・暦・天文・陰陽の極意を極めることである。)前掲書、285頁~286頁

 「私法盗乱ノ世ニ存リナガラ自然活真ノ世ニ契(カナ)フ論」という過渡期社会をみると、最高統轄者である上も人である。下、民衆も人である。それ以外に具体的な形態を示すものは社会にないが、明らかに存在するもの、それが活真である。

 このように、活真とは目にみえないが、常に活き活きと自己運動をしているからこそ、その内部に宿るあらゆる可能性が充分に発揮されるのである。統轄するものは、過渡期社会の上である。下、諸侯・民衆のさまざまな心情・行為・生業は、上の統轄作用によって有機的連関性をもって営まれる。

 最高統轄者である上と、下、民衆も敵対しあう二つのものではなく、また、どちらか一つに帰属するものではない。最高統轄者と民衆との関係を一方で、盗乱による私欲の側面から搾取・収奪の矛盾関係ととらえながら、他方で人間本性の自然活真の側面から統一してみる。つまり、活真と万物の関係は、自然に内在する絶妙の法則である。

 

平等に生産労働と自然活真世による人間解放の道

 社会にあっては、上下の差別制度がなく、すべての人が、平等に生産労働に従事することができるならば、人間としての本来のあり方になる。現実として、やむえず、上下関係を残しながら、直耕による活真の運動法則に準じて上下関係を運用するのである。

 つまり、活真の役割である社会の統轄作用を担い、万物にあたる社会の個別機能を、下、民衆が担うのである。こうすれば、統轄作用と個別機能が不則不離の関係にあるように、上下も敵対的関係ではなくなる。直耕の自然活真を人間としてそれぞれが、社会的機能として担うことによって、上下関係の矛盾関係は、自然活真に統一されていくという。

 以上のことを十分に上の者が自覚して、統轄の社会的機能の役割を果たすならば、上下関係という人為的制度の残存する社会ではあっても、活真のつかさどる天地自然の法則に合致して、支配・反乱・搾取・盗み・迷い・苦しみといったものは無縁の社会となる。(26)(26)前掲書、298頁~300頁参照

 安藤昌益は、「私法盗乱ノ世ニ存リナガラ自然活真ノ世ニ契(カナ)フ論」の過渡期社会論で、統轄者の社会的役割と統轄者が贅沢、道楽のために搾取・収奪している側面とを区別する。上下関係があっても自然活真の機能を果たすことをのべている。そして、下、民衆が、それぞれの社会における個別機能を果たすことの重要性を強調しているのである。

 前記の商人や僧侶・神官、慰芸、学者においても、過渡期社会論から支配者の贅沢や搾取・収奪を隠蔽するまやかしの機能からではなく、また、私利私欲の盗乱欲望を増長させる機能からではなく、自然活真という視点からの個別的な社会機能を検討していくことが求められている。

 支配する上の者の私欲、贅沢、道楽ということと、それに従属して、へつらい、人を騙し、反乱を起こして支配欲を実現していこうとする側面を痛烈に人間の自然活真の本来にあらずと糾弾するのである。同時に、人間の本性から直耕することで社会的な機能の役割を果たしていけば、上下の矛盾は統一されていくのであるとする。 

 社会的矛盾を統一していくには、上にたつ者の統轄的役割ということを直耕という自然活真の立場にたつことがとくに重要であり、それぞれが社会的な個別機能を果たしていくことの基本的な条件をあげている。

 安藤昌益の痛烈な社会的矛盾に対する批判に対する側面ばかりをみるのではないとのべる。「私法盗乱ノ世ニ存リナガラ自然活真ノ世ニ契(カナ)フ論」という過渡期論として、上の統轄機能と個別機能を否定しているのでない。

生きていくための直耕は、人間にとって、自然活真であり、最も価値ある基本的なことである。盗乱による搾取・収奪されて貧しく暮らす農民は、上はもちろんのこと、社会すべての人々の生きていく糧をつくりだしているのである。

ここに、安藤昌益の社会変革をしていくことへの現実的な視点がある。人間本来の労働をせずに、支配者の上による盗乱という私欲による搾取・収奪からの民衆人間解放の現実的道筋がある。

 安藤昌益は商人については、直耕による自然活真の世という理想社会から厳しい目でみている。「商人ハ、金銀通用・売買スル故ニ、利欲心盛ンニシテ、上ニ諂ヒ、直耕ノ衆人ヲ誑(たぶら)カシ、親子・兄弟・一族ノ間モ互ヒニ誑カシ、利倍・利欲・妄惑ニシテ、真道ヲ知ラズ。上下ヲ迷ハシ、転下ノ怨ミ、転真ノ直耕ヲ昧(くら)マス大敵乱謀ナリ。速ヤカニ之停止シ、田畑ヲ与ヒテ耕サシム」。

「商人は、金銀を流通させ商売をすることから、利己的な欲望が旺盛であり、支配者にへつらい、勤労大衆をたぶらかし、親子・兄弟・親族でさえ互いに騙し騙されると、暴利をむさぼり、私欲に執着し、金銭の亡者となって、まことの道を知ることがない。支配者・民衆ともに迷い、世の怨みを買っている。つまるところ、生産労働という天地自然の真理から人々の目をそむけさせ、世の争乱をもち込むたわけ者である。ただちにこれを禁止して、田畑を与えて耕作させる」。前掲書、284頁

 安藤昌益は、元禄文化における江戸を中心とした武士や豪商の贅沢な消費生活を厳しく批判する。贅沢によって、農村経済が一部の特権層の消費生活に規定されていく。養蚕などにみられるように贅沢品の絹織物のための生産に江戸近郊の農村経済は変えられていく。生活必需品の農産物が追いやられていく。

 安藤昌益は、困窮状態におちいっていく農民の生活状況を直視したのである。東北地方は、江戸近郊の生活必需の大豆生産が行われるようになる。

それは、江戸への商業的な農業である。しかし、商品生産によりイノシシ飢饉が起きる。それは、自然生態系が破壊されていくことによっての被害である。安藤昌益は、現実をみながらの互生論の論述である。安藤昌益は、一部の支配階級の贅沢な消費生活が農民をはじめとする民衆生活の困窮状態からの解放という側面から商人に対する厳しい見方をもったのである。

 

 

石田梅岩の商人道と心を知る

 石田梅岩の商人道と心を知る

 

序・現代的に石田梅岩から学ぶ

 石田梅岩は、江戸時代の中期(1685年~1744年)に生き、商人道徳を説いた人です。京都に近い丹波の山村(現在の亀岡市)で生まれ育ち、京都に奉公に行き、働きながら独学で儒学を学び、20年間働いた呉服屋を43歳で辞め、45歳から講釈し、商人道徳確立への活動をしていくのです。

 自分が働いた実践的な経験をもとに、儒教や仏教を基礎にして、商人道徳を考えていくのです。現代的に経営者や経済の在り方を働く人びと農民など民衆との関連からみていくうえでも参考になります。

 現代は経済人の不祥事が頻繁に起きています。金儲けのためには手段を選ばず、詐欺事件、汚職や賄賂も絶えないのです。徳川中期の時代も商人たちは、儒学者から必ずしも信頼された存在ではなかったのです。石田梅岩は、仁義礼智信の徳をもつために、また、日本の伝統的な土着からの文化の神道、仏教などからの学びも大切にしました。

これらは、学問で心を知るということでの心学運動の出発点になったのです。石田梅岩は、正直に、誠実に、愛と敬、仁愛、努力する心をもって生きていくことを大切にしたのです。

 現代のスマートホーンのSNS時代では、じっくりと生き方の徳を考えることが難しくなっています。正直、誠実に、愛と敬、仁愛の心、努力をもって生きることが見えなくなっています。そこでは、作られた誇大な情報があふれています。人々は操られて真実が見えない仮想空間の多い世界になっています。

 正直に生きる、嘘をつかない、世のため人のために、未来への持続可能な循環型の社会創造のために、自由での人間的感性を活かして絆をもち、そして、喜びをもって、努力して生きるということが薄くなっています。現代は、果てしない私欲を煽っているようです。生きるための人間の食欲などの生活欲は必要なことはいうまでもない。しかし、現実ばなれした私心の大欲謳歌を憧れの的にと、競争を煽っているようです。

 

石田梅岩の生まれ育った地と京都での奉公

 京都の亀岡市の山里にある石田梅岩生誕の心学の道に行きました。奥深い山村でした。心学の道は、山道を歩いていくコースで、険しい道です。峠を超えて、1200年まえに創建された興野神社から春現寺までの道のりが心学の道です。

 梅岩は、1685年生まれ、11才まで山村で育ち、京都の商家に奉公にいきましたが、父の許しで、15歳で帰ってきて、15歳から23歳の8年間の青年期で、この山村で家業の手伝いをしたのでした。

 最も多感な青年期のときに、梅岩は、この山村で何を学び、何に将来への確信をもったのでしょうか。神仏混合の山村の心の糧を、その後の心学思想の確立に、どのような影響を、この山村の里はあたえたのでしょうか。    

  梅岩は、23歳のときに、再び京都の黒柳家の商いの奉公にいくのでした。それから1707年から1727年までの20年間にわたって、黒柳家で働くのでした。働きながら、独学で学問を学びます。 黒柳家に奉公したときは、神道を説き弘めるという志をもっていたのです。働きながら、独学で、朱子学儒教の古典、仏教を学ぶのでした。 

 本論は、石田梅岩加藤周一現代訳「都鄙問答」、日本の名著「富永仲基・石田梅岩」責任編集・加藤周一中央公論社を読んでの論述です。引用は、すべて、これからのものです。

 

 第1節 人間のそれぞれの社会的役割の仕事と商人道

 

 士農工商、それぞれの仕事の価値

 梅岩は、士農工商それぞれの仕事は、社会的に役割をもっていると考えています。農民は、天の道理を知って、無益に生き物を殺さず、神にさまざまな肉をささげ、老人を肉食で養うことを教えられた。多くの植物のなかで五穀が優れていることを知って、植える時期、人間の栄養、土の性質を見分けて田畑の仕事をしたのです。田畑を耕し、土の肥料をあげて、作物が育つように仕事をしたのです。人間が飢えないように仕事の心をもっているのが農民なのです。

 職人は、人間が生きていくうえでの住宅、道具などをつくる仕事をしているのです。桶大工が輪をけずるようにゆるすぎれば容易に入るが固定しない。小さければつきあたって入らないという削る手の加減を体で覚えていく職人技の心をもって、仕事をしているのです。

 武士は、世の中を治める君主に仕えるものです。いやしい武士は、地位を獲得するために心を使います。そして、地位を得たときは、失うことを恐れるものです。俸禄をむさぼる気持ちが不忠の行いとして、武士には起きるものです。君主に仕えるのは、自分自身の俸禄の欲を絶って、正義に向かって、臣の道を正しくすることです。臣下は政治に従うものです。人民の望みを自分の望みとしての高尚な志の仁義をもって仕事をするのが武士の心です。

 商人の起源について、昔は各人が余分にもっていたものを不足している人に交換して、相互に物を流通させることから起こったものです。商人は、精密に計算してその日その日をおくるのです。小さな利益をかさねて財産をつくるのが商人の仕事です。財産のもとになるのは国中の人びとであります。国中の人びと自分の心と同じであり、売るものを大切に扱い、少しでも粗末にしないで、買ったものに役にたつように、人びとに満足を与えるように、善に導く心をもつことが大切としているのです。

 このようにして、「財産が山のようになっても、その人が欲深いとは言えません」「十銭を川に落とし、50銭を出して人夫をやとっても、国全体のために落とした金を拾わせた気持ちを理解しなければならない。その人は天下の宝物であって、つね日ごろ国中の平和を祈願するのと同じです。商人であっても、聖人の道を知らなければ、正しくない金もうけに走るので、やがては、その家はつぶれるのです」(196頁)と、梅岩はのべているのです。

 石田梅岩は、士農工商のそれぞれの仕事の役割と、その心についてのべているのです。

 

 医の志と仕事の特別の意味

 医の志を問うということで、梅岩は、医学に専心すべきことを力説するのです。「医書の意味を理解しなくて人の命をあずかるのは恐ろしいことです。自分の生命の惜しいことを考えて他人を類推すれば、病人をあずかってひとときも安心できないはずです」264頁。

 医者は、医学の専門書の勉強をすることを梅岩は強調するのです。医者としての心を学ぶここと医学の専心ということを車の両輪としているのです。医者は人の生命を重んじるという特別の仕事をもっているのです。

「医者は人の生命を惜しみ、薬を与え、そうすることを自分の心とし、病気をなおすことを楽しみにとして、謝礼のことを思わず治療すべきです。謝礼を考えなくて生命をあずけることから、病人の家から身分相応の謝礼があります。暮らしのために医者をすれば謝礼の支払いのたまっている家には行きたくない気になります。そのうち見舞にいきましょうとひきのばし、病人が死ねば、寿命は天命であるとて、医者の私欲のために不仁を行うことにはいかない」。263頁

 医者の楽しみは、患者の病気をなおすことにあるのです。決して謝礼ではありません。謝礼のために医者を志すのなら、医者になることをやめた方がよいと梅岩は考えるのです。

 「医者は人の生死を頼まれるものです。本心から他人の生命を惜しむように病人を愛せば過ちは少ないでしょう。慈愛の心を失わないのが、医者の心が常に変わらないということになるのです」。「人間として心の常に変わらないということがなければ医者になってはいけないという孔子の言葉です。治療しがたい病人に対しては、哀れみ、愛して、いくらでも医書を読んで工夫し、博学となるでしょう」。265頁

 医者は、医術と専門的知識と同時に、患者を愛するという仁愛精神がもとめられているのです。医者は人間のもっている仁愛の心が常に変わらないようにということが、医者になるための基本的な姿勢です。治療の難しい患者には、いくらでも医書を学んで工夫し、博学になることが求められるということです。

 ところで、博学は医学に熟してから後のことです。博学は本来、医学が求めるものです。 「医書に望・聞・間・切ということがあります。まず病人に会って容体をみるのを望と言う。様子を聞いて病を知るのを聞と言う。おかしいところを患者に問うて推察するのを間と言う。脈をみて病を定めるのを切と言う。人の聞きなれないことを言えばわからないので、病人の返答も違うのです。お互いにわからなければ望・聞・間・切の結果のくいちがいが起きて、薬を選ぶことも、治療することができません」。266頁

 医者が患者をみるには、病人にあって容体をみる望、様子を聞いて病を知るという聞、おかしいところを患者に問いて推測するという切と、三つの側面があります。この三つの側面から患者をみて、総合的に治療の判断をしていくのです。梅岩の時代には、この3つの側面から医師は判断することを指摘しているのです。また、医師は、特別に仁愛の精神をもって、報酬のためなら、志すべきではないという梅岩の指摘は、現代でも通ずることである。

 

  正直の商人道と利益

 石田梅岩と問答する学者は、「商人たちは、つね日ごろ、人をだまして利益を得ることを仕事としています。それならば学問は決して成就しないはずなのに、あなたのところにはたくさんの商人が出入りしているということです。

  論語に「偽善者は徳に対する罪人」と言うのがある。あなたは学者ではなくて、時流に従い、この汚れた世の中にあうようにして、世間の人びとに媚びへつらい、人をだまし、自分の心をごまかしている小人だ。あなたの弟子たちにはそれをわかっていない。それでも学者だと言われているのは恥ずかしくないのか。

 さらに、続けて、学者はのべます。商人は欲深く、いつも貪ることを仕事としている。その商人に無欲を教えるのは、猫に鰹の番をさせるのと同じことでしょう。商人は学問を勧めるのはつじつまの合わないことです。そのできないことを知りながら、商人に教えているあなたは悪者ではないですか。

 梅岩は学者の学問をする商人に対する偏見について反論します。「道を知らない商人は、ただ貪ろうとして、家を滅ぼします。商人の道をしれば、欲を離れ、仁を心がけて努力するから、正しい道にかない、栄えることができるのです」。

  梅岩のこの答えに、学者は利益をとらない商人など聞いたことがないと次のように反論します。「物を売るのに利益をとらず、仕入れ値で売り渡すことを教えるのですか。あなたのところで習う人が、表向きは利益をとらぬことを学び、裏では利をとるとすれば、あなたは本当の教えを授けるのではなく、かえって嘘偽りを教えているということになるでしょう。本来できないことを強制しようとするので、こういうふうにつじつまの合わないことになる。利益を求める欲がなくて商人がつとまるとは聞いたことがありません」。

 梅岩は利益について明確に答えます。「ものを売って利益をとるのは、商人の道です。仕入れ値に売るのが道だというのは聞いたことがありません。利益があるように売るのを欲と言い、道ではないと言うならば、孔子はなぜ貨殖に長けた子貢を弟子にしたのでしょうか。子貢は孔子の道を売買の道に応用したのです。子貢も売買の利を求めなければ富まなかったでしょう。商人の商売の儲けは侍の俸禄と同じことです。商売の利益がなければ侍が俸禄なしで仕えるようなものです」。221頁~223頁

  大名に出入りする二人の商人の例をとって、正直に商売することを説明しています一人の商人は、納入する呉服はひどく高いという役人の言葉に、商人は、損をしても品物を納入するとあとが続かないと答えます。

 もう一人の商人は、昨年まで親父が品物を調達していました。親父が死んでわたしが御用達を命じられました。財政が苦しく納入すべき品物を調達することは難しい。納入いたしました呉服は、高い値段で売られた証拠です。高い値段は、殿様の御恩を忘れることです。一、二年のうちには屋敷・諸道具などを売り払って借金を返し、そのうえで御用を勤めさせてもらいますと答えた。

 前者の商人は、あたかも経済的に困っているかのように高利をとり、そのうえ口先で役人をごまかした罪があるということで、御用の役を免じられた。後者のもう一人の商人は、亡き父の贅沢は、本人の責任ではなく、亡き父の罪を自分の身で引き受けた孝行人、殿様の忠義ということです。正直者であるということで、御用商人の仕事をそれまでどおりに与えられたのです。

 この正直な御用商人は、殿様の高御を忘れずに、値段の高いものを納入しないという誠実さと、父の贅沢さを隠すことをしないで自分の身で責任をとる孝心、役人をごまかそうとしない正直さという三つの徳によって、商人として、幸福になったのです。

 「商人は正直に思われ、警戒心をもたれないときに成功するものです。その妙味は学問の力がなくてはわからない。それなのに、商人には学問がいらないと言って、学問を嫌い、応用しないのは理由のないことです」。「商人は正しい利益をおさめないのは商人の道ではありません。だから、正しい人は損になってもまけてこの品物を売りましょうと言われたときには、買いません。こちからが買うのは相手に利益を得させるためです。相手の助力は受けないということになります。利益をとらないのは商人の道ではない」。224頁~225頁

 商人にとって重要な人格的な特性は、正直であるということです。正直であれば信頼されて、商売がうまくいくのです。商人は信頼されることによって、利益をあげることができるのです。商人は、利益をあげることができなければ、生きていくことができないのです。商人の利益は、決して相場にうまく対応できたということではありません。相場は天が決めるので商人の個々の判断によって、自分勝手に決めるものではありません。相場は公の取引の場で決まるのです。

「相場の上がるときには商人が強気になり、下がるときには、弱気になる。これは天が決めたところで、商人が自分勝手にすることではありません。公定価格以外は時に応じて値段の違いがあります。値段の違いは当たり前のことです」。

相場の値段の違いは当たり前のことです。けっして、公定価格ではないのです。相場が高いときと安いときとがあるものですが、その価格の浮き沈みに一喜一憂するのではなく、信用の獲得が第1で、そのために商人は正直ものであれというのです。梅岩は正直ものを商人としての人間性として強調するのでした。

 

商人の売買の仕事は世の中での助け

 梅岩は商人の社会的役割として、売買すること自身が世の中に大いに役になっているというのです。

 「商人が売買するのは世の中の助けになります。細工をする人には手間賃を払うのは大工の俸禄です。農民に耕作により利益を納めさせるのはこれも侍の俸禄と同じです。すべての人がその生業を営まなくては世の中がたっていきません。

 商人の利益は公に許された俸禄です。それにあなただけが、商売の利益を欲心の現われで道に背くと言い、商人を怨んで減らそうとしています。なぜ商人を賤しいものとして嫌うのですか。今すぐにでも、商売の利益は払わないと言って利益を差し引いて支払えば、あなたは世の中の法則を破ることになるでしょう」。226

 商人の利益は公に許された俸禄です。商人の利益は、私的な欲心の現われではないと梅岩は、儒学の学者に反論するのです。なぜ、商人をいやしいものと嫌いのですか。世の中は、農民の耕作、細工する大工など生業する人びとに、それぞれ俸禄があるものです。商売を世の中で人々に、それぞれ生活に必要な品物を交換する助けをしているのです。

 ところで、今の世の中は、間違いと不正が多いと梅岩は指摘するのです。悪賢い商人は二重の利益を得たり、不正したりすることがあります。その事例も含めて、梅岩は、商人の正しい道について強調するのです。悪賢い商人は二重の利益や不正を実際にしていることがあるのです。

「今の世の中は間違いと不正が多い。だから教えと言うものがある。実際の商人は、道に従って行わないことがあります。二重の利益をとって、甘い毒を食べているような事例があります。絹と帯の長さが標準よりも一、2寸(一寸約三㎝)短いとすると呉服屋の方はその短さを指摘して、値引きをひかせる。キズモノにはなりませんので、普通の値段をつけて売ります。また、染め物などに染め違いがあれば小さなことを誇張して、値引きをして職人を苦しめます。注文した人からは問屋は、普通の染め代をとり、職人には渡さないのです。

 経済的に行きづまると、掛で品物を、買い、売り手のほうへ借金の三割・五割の支払いをして、謝ってすませることもあると言います。その債権者のなかで、売り掛けの代金の多い者や悪賢い者は、ほかの債権者には損をしたようにいせかけて、実は債務者から借金を差し引いたお礼の金を秘密に受け取り、自分だけが損をしない者がいると聞いています。こういう手のこんだ盗みをするものは不正です」。228頁

 このような悪い商人がいることによって、正直で、正しく公の俸禄としての利益を得ているものまでも悪く言われるのです。正しい仁愛の心をもった正直な商人は、飢饉などで困っている人々に、積極的に無料で米を放出することをするのです。それは、買ってもらう人がいて、商売はなりたつのです。商人は買ってもらう人々からやしなわれているのです。買ってもらうひとが飢えで苦しんでいれば、仁愛の精神から援助するのは、当然のことであると梅岩はのべるのです。

 「商人の仁愛も役にたつのです。昨年の飢饉(享保の飢饉、1732~33)に無料で米を出して人を救った商人はみなご褒美をいただきました。飢えた人を救って人を殺さないようにするのは人間の道です。買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすれば、たいていの場合に買い手の満足が得られます。買い手の満足をするように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなるでしょう」。231頁

 

 商人は取引するときも費用を倹約していくことも大切であると梅岩はのべるのです。仕入れの銀一貫の費用を900匁に、銀1貫の利益を900匁というように倹約していく努力です。不正をせずに、贅沢や遊興、道楽をやめて、倹約していくということとのべるのです。

「倹約して、従来銀一貫(現代の125万円相当)の費用も七百匁(銀一貫が1000匁・もんめ)ですませ、従来一貫あった利益を九百匁にした方がよい。銀十貫の品物を売ってその利益が百匁少なくなり、九百匁だけをとろうとすれば売り物の値段が高いと非難される心配がありません。約束した計算のほかに不正をせず、贅沢をやめ、遊具に凝らず、遊興もやめ、普請の道楽もしない。そういうことをすべて控え、止めるときは、銀一貫のかわりに九百匁の利益を得ても、安心して家は維持されます」。231頁

 商人の道は、何かと梅岩は、語っているのです。とくに、商人の社会的な役割として、社会的に困っている人々に経済的に援助することは重要なことです。飢饉のときに、困窮者に蓄えた米を放出することにあると、商人の社会的役割を梅岩は強調するのでした。

 天を知ることは個人的な考えを離れて誰でも通じることであり、太陽や月のようにあらゆるものを照らします。天は形がなくて、心のようで、地は、形があって物のようです。天地は二面があります。自分勝手な人は心の天のことをみないで、地の形だけをみているというのです。

 心が安らかなのが仁です。仁は天に備わる根本の気(一元気)です。天の一元気は、万物を生み出して養います。少しでも仁義を行い、正義に一致すれば安楽であり、自分の心が安楽の他はないです。

  日々、商人は、倹約をして、家業に精を出すことをのべます。学問は行い基本とするという。学ぶことは行うことであると。私欲を好まないということで、倹約を奨励するのでした。

 倹約とは、天下のためになることで、為政者や上にたつものに贅沢やおごりを戒めているのです。為政者が質素になって用を整えて、百姓などの年貢を抑えていけば、凶作の年に貯めておいた財産を国々に広く施すことができるということで、倹約が人民のためにあることを知らねばならないと。上にたつものもこれを手本とすべきことをのべているのです。 

 そして、私心ではなく、自然の理、天地の理を大切にしたのです。まさに、享楽主義に対立して現世では、倹約、勤勉、正直が重要になるというのです。

 天地自然の理と個々人の商人心として、仁愛という人情があったのです。買ってもらう人がいて、自分が養われている。相手を大切にして正直にすれば、買い手の満足になるという。正しい利益をおさめることで商人はたち行くのです。利益をとらないのは商人の道ではないのです。

 商人の利益も公に許された奉禄です。商人が利益を得て、その仕事を果たせば世間の役にたちます。商人の仁愛は、世のため人のためです。心学の道を学んだ商人は、飢饉のときに蓄えた米を放出にみられるように世間の役にたつのです。梅岩の天地自然の理は商家での学びだけではないのです。自然の理、天地の理という大きなものがあります。天を知ればものごとの道理がおのずとわかるという見方をもっていました。

 

 梅岩の子育て論と家業の世代的安泰

 ところで、梅岩は子育ての考えで、13歳から20歳まで奉公させて苦労させるのが、その家のため、世のためにも良いとしています。わが子と、愛に溺れては天命に背き、禍となるというのです。

 わが子なりと思い、勝ってするは人欲の私というのです。わが子と言えでも天の子にして養育するという天命の理を重んずる心から、わが子に慈愛を尽くすということです。子を教えるも約を本となすと。約というは、倹約のみにあらず、法式によって行うことに依る。

 子ども行末の善きことは、若年の13歳から20歳の時に苦労させ、よく教えることである。可愛い子には旅をさせよとよく言う。旅は修行なり。旅し修行すれば、艱難苦労して万事に堪忍せざることを学び、他を哀れむことを知り、人の仁心を喜び、不仁を憎む心になるというのです。

 一代の中人を使うにも不仁を嫌い、仁を以てするゆえに人の帰服すること多い。これ家を整えて身を修める本となる。孟子の言う、仁なる時は栄、不仁なる時は、辱められると」。359頁~361頁

 旅は修行なりということは、若いときに、様々な社会的体験を自分自身で親に頼らず判断していくということで、現代的にも通ずることです。親と共に行動をしながら疑似的な社会的体験することとは異なるのです。体験して困難にぶつからことを、自分で考えて、自分で判断できる場が必要なのです。

 梅岩の幼年のときに生まれついて理屈ものにて友達にもきらわれ、ただただいじの悪いことが多かった。14、15歳の頃にふと心つくことが有り、それを哀しく思うのです。

 30歳のころはあらましになおりたると思うに、言葉の端にみられるように思うが、40歳のころには、梅の黒焼の少し酢があるように覚えるようになったと、今に至り、意地の悪いことはあらましなきように思うのです。

  聖人の道を学ぶといえでも他の善事はこれぞと挙げて言うべき事なきは恥ずかしことなり。以上のように梅岩語録でのべています。

 現代は商人としての家業の安泰の側面は小さくなっています。しかし、後継者問題や世代継承ということがあります。家業という側面ばかりではなく、社会的に仕事をしていくうえで、人間としての正しい生き方、徳を学問によって、身に着けていくことは大切な課題です。

 わが子も必ずしも家業を継ぐとは限らない時代ですが、わが子が人生を生き抜いていくなかで、可愛い子どもには旅をさせて、苦労させ、学問することが、人格形成にとって大切であることを教えています。

 

 第2節 学問は人間としての正道の心を知ること

 

 人間と獣の違い

 人間は獣と違うということを石田梅岩は、力説します。「人の道の根本は、天に発するもので、仁義礼智の善心が源である」とみています。人の道に従わなければ、「たくさん食べて、温かい着物を着、遊んでいて」も、獣の心に近いというのです。梅岩は、すべての生き物は、天の原理からなっていることを力説するのです。

 「すべてのものが、生まれてくるときに天から授けられた原則です。松は緑に桜は花咲き、羽あるものは空を飛び、うろこあるものは水に泳ぎ、日や月が天にあるのも、みなそれぞれの天の原則。昨年の季節の変化をみて、今年も季節がうつることを知り、昨日の出来事をみて、今日の出来事がわかる」。「天の命ずるところが本性であり、本性を知るのが学問である。学問は心を知ることから始まる。万事はみな心から発する」。180頁~181頁

  人間と獣は本質的にことなるということは、梅岩の人間観についての重要な指摘です。人間は意志をもって理性的に考える力をもっています。その力によって、創造し、変革して新しいものを作り出すという特徴をもっています。自然のままに生きている動物とことなり、生きていくために、自然の恵みを創造して、変革してきたのが農林業の発展です。このことによって、人間は飢えからの解放と文明を作り出したのです。

 人間は、科学や文化の発展を絶えずしてきました。そして、喜怒哀楽愛悪欲という情といを感情もっています。感情は、豊かに人間関係のなかで発展させていきます。それが感性となって、音楽や絵画、文学などの文化芸術を作り出していくのです。豊かな感情は生きる喜びでもあります。人間は相互の扶助関係、連帯心のなかで、感情をもっている動物です。

 文化芸術は、人間の心の豊かさを蓄積して、伝統的な文化として継承していきます。自然に備わっている人間の感情は、理性と対立していくことがあり、真実、人間のもっている愛他精神、相互に扶助していくという仁義礼智信の徳という人間という絆をもった人格としての道徳心の天の原理が大切なのです。

 感覚的な情は、動物的なヒトが人間になっていくという人間の自然の原理を覆い隠して、暗くさせていくこともあるのです。ヒトがどうのようにして人間になっていったかを知ることは極めて重要なことです。

  一人では生きていくことのできない利他を尊重しての絆、相互扶助によって、情と理が統合して人間としての生きる正しい道を示すのです。

 ところで、学問は、文字によって、読書することだけではないのです。文字の学問がなくては道を知ることができないでしょうか。文字を知らないでの学問は、信用できないと、世間の学者は言うが、それとは違うと梅岩は考えますが、それは、どういうことか。

 この質問に、梅岩は、先生を求めて、各地を探し求めたが、ようやく心を知るという真実の学者に会えたというのです。「あちこち歩いて儒者の講義を聞いたが、この人こそ先生だという納得ができず長い間嘆いていた。小栗了雲(1729年60歳没)に会って、心を知ることなしに聖人の書物をみるならば、はじめは小さい誤りが、のちに大きな誤りになることを知るのでした。

 そして、みずからが考えだしたのちには、学んだものが自分の身について、誰に対しても応対することができる。そで、他人の師となることができる」。182頁~183頁

 本を読んではなく、自分自身で各地を歩いて、自分自身が行動しての体験で、真実の心を知るということが出来たのです。真実は、自らが考え出していくことであるという。誠実の書物を読むだけでは、真実をみることができないということを悟ったのです。そして、自らが実行しなければ賢人ではないと梅岩はのべます。

 「心を知ることに違いはない、けれでも、そのことによって生じる能力と実際の効果とは違います。聖人や賢人には能力があるばかりではなく、実行があります。私たちは能力も弱く、実行も少ない。努力して行わなければなりません。心を知っているから、実行できなくて苦しむのです」。

 努力して、実践することによって、賢人、聖人になることができるということです。この答えに対して、同郷の男は、「正しい道は楽しいはずなのに、苦しんで、学べとはどういうことか」と質問するのでした。

 「駕籠をかつぐ二人組があるとししょう。一人は力が強く、一人は力が弱い。強い方は苦しまず、弱い方は苦しみます。苦しんでも駕籠をかつげば、飢えることはありません。駕籠をかつげば、乞食となって道ばたに立たねばならないでしょう。正しい道を実行するのもそういうものです」。184頁

  能力が十分でない人は、努力し、苦しんで正しい道に達成することができるというのです。

 

 百姓のような学問のないものは、正しく礼儀を学ぶことは可能か

 同郷の男は、梅岩に実行と礼儀を学び、正しく威儀を整えるということでしょうか。わたしのような百姓にはできません。学者の言うように、学問のないものには及びません。

 この質問に梅岩は答えるのです。あなたの言うことは、礼儀の形式を守って誠実でないというこびることを言っているのです。

「実行というのは、百姓ならば朝は暗いうちから畑に出て、夕べには星を見て家に帰り、自ら苦労して人を使い、春は耕し、夏は雑草を取り、秋の取り入れまで、田や畑から、たとえ一粒でも穀物をたくさん作り出そうと心がけることです。税金に、不足がないようにと考え、残ったもので父母の衣食をまかない、安楽に養い、なにごとにつけても怠りなく努力すれば、みずから苦労してもまちがいがないので、心が安らぎます」。

 梅岩は、農民に対して、農作業をして、自然とつきあいながら農産物の収穫があがるように努力していく大切さを語るのです。このことが、家族を養っていくことや税の支払いなど社会的役割を果たすことができて、心が安楽になると言うのです。農民自身まさに、人間的な自然との付き合い、相互扶助、連帯心をもって生きているのです。

 再び、同郷の男が質問します。以前にあなたのところに学びにきていた者が、今では怠けて、あなたのところへ、こなくなったものをどう理解すべきか。

 梅岩は、そういう人もいることは否定しませんと。しかし、彼らは、それまでに身についていた自らの欲望と正しい道の心へということで、苦悩しているのです。「今まで遊興を好み、利欲にふけっていたものが、けがれがなく、自ら楽しくとおもっていたはずが、忠孝と家の仕事に努力せず、我が身を大切にしないから、本当に安楽になれない。

 それまで身にしみついて欲望がでてきて、道を行うことが難しくなる。自らの本心を欺くことになるので、正しい道へと向かう心と欲望へ向かう心とが身内にせめぎあって苦しいことになるのです」。

「さしあたり悪いことはしないだろう。しかし、欲望へ向かう心と正しい道へ向かう心とを、混同してはっきりわけることはできません。それでも一度道を開いて悪を憎むことを知っているから、それだけでも役にたちます。悪を憎むのはよいことです。急いで先にすすもうとしないのは、意志が薄弱だからです」。185頁~186頁

 意志が薄弱ということで、急いで先に進もうとしない。これでは、人は、自分の心が安楽になれないというのです。努力しようとする正しい道となまけたいという欲望の道がせめぎあって悩むのです。

 一度、正しい道を学んでものは、なまけるという道との葛藤はあるが、悪いことはしないと梅岩はのべるのです。なまけたい、遊興に走りたいという欲望はつきないのです。努力することの難しさを教えています。

 

学問をすると農業を粗末にして、自分は偉いと人々を見下すようになる

 ところで、息子に学問をさせて困ったことは、人柄が悪くなって心配になったと石田梅岩のところに、播州の人が来て、相談にのったのです。播州の人は語ります。学問をした人は、十人のうち7,8人も商売や農業を粗末にします。

 また、帯刀を望み、自分を偉いと思ってほかの人を見下します。そして、面と向かって親に不幸はしなくとも、場合によっては親が文盲と考えるような顔をすることがあります。親の方でも、少しでも学問をした息子には遠慮をするようです。

 この状況に対して、梅岩は答えます。「学問の道は、第一に自分を正しくし、正義に従って主君を尊び、仁と愛で父母に仕え、友人と交際するのに偽りなく、ひろく人を愛し、貧しい人をあわれみ、手柄があっても威張らず、衣類から諸道具にいたるまで、つつましくて美麗なるものを避けることです。家の仕事に精通し、財産は収入を考えて出費を決め、規則を守って家の秩序を維持します。学問の道はおよそこういうものです」。前掲書、197頁 

 学問をすることは、農民が帯刀をもって出世することではない。自分を正義によって生きることのためです。学ぶことによって、仁愛の心を持ち、貧しい人を哀れみ、威張らず、美麗なるものを避けて、つつましく、家の仕事に精通して、収入を考えて出費するときは、贅沢をせずに、徳仁義礼智信の規則を守って、生きるための学問をすることです。このように、梅岩は強調するのでした。

 梅岩を訪ねてきた播州の人は、教える儒者たちも私欲を制して礼儀に立ち戻ることをせずに、仕官で出世しようとしているから、弟子たちが学問をして、他人を見下すことをするのではないかと。

 これに対して、梅岩は、孔子の言葉を引き合いにして、答えます。「薪や牧草や材木などを集める役をなされても、その仕事を軽んじなかったので、測り方が公正で勘定がよくあったのです。どういう仕事をするかは天命にまかせる。

 また、牧畜を司る属官ともなり、それも仕事であるから、牛・羊を飼われた。牛・羊はさかんに生長し、大いに繁殖しました。そのときには、天命に満足したのです。これを原則として、士農工商すべて自分の仕事に満足することを知らなければならない」と。梅岩は、学問をすることの功徳とするのです。

 さらに、梅岩は、聖人・賢人でなければ、俸禄のことをいっさい考えないというわけにはいかないとしますが、「俸禄を望む心をおさえて、正義にかなわない給料はもらわない。今日の自分のありようが、そのまま天の命ずるところ」ということになるのです。

 「俸禄を求めて仕官をすれば、俸禄に未練があって雇い主をいさめ正すことは思いもよらぬことです」。

 高い俸禄を求めて仕官していないので、正義にかなっていない上司をいさめ正すのです。出世主義からの上司にお世辞を言って、ほめられるように、気にいられるようにすることから解放されているのです。学問をすることによって、正義の道筋がはっきりしてくるのです。

「心を知るときは志がつよくなり、正義の筋道がはっきりして向上することができる。この心をしらなければ、愚かで自分勝手であり、学問をしても正しい道を明らかにすることができません」。198頁~199頁

 まさに、学問をすることによって、志、正義の道の心を知ることができるのです。正義にかなわない俸禄はもらわないということもわかるのです。

 教師として、身をたてるということはどういうことか。志や正義の道の心を知らないと教師ではないというのです。書物を読み、文字を良く知って、辞引のように教えるのが教師ではありません。梅岩は、このことについて、次のようにのべます。

「教師として身を立てる人が、心を知らないということがある。あなたの田舎などでも、書物をよく読み、文字を知っていて人に教えれば、そういう人も儒者と思うでしょう。しかし、賢人の心を知らないで教える儒者であれば、それはつまらない人間の学問にすぎず、ただ生きた辞引きのようなものです。

 立派な人の学問は、心を正しくし、徳を実現することのほかに何があつでしょうか。自分の文学的教養を自慢せず、利益を求める欲望や名声を願う心がなくて、正しい道を志すためが学問だと」。

 教師は、志と正義の心を正しくして、仁義礼智信の徳を実現するために学問を教えるのです。それは、教師が自分の教養を自慢せず、利益を求める欲望や名声のためではないのです。

 

教師とは問答をして、悟りを中心に

 梅岩は、語ります。教師は講釈を問答中心として、悟りを各人の瞑想と実践によって体得するというのです

「一度悟りをひらき、疑いがまったくなくなるという経験をしないかぎり、正しく理解することはできません。この悟りは、信心がしっかりして初めてひらけるもので、親から伝えて子に譲り渡すということはできません。教師も弟子に伝えることはできない。ただみずから知れば、教師がそれを承認するというのです」。

 このことは、口では説明できない。心で会得しなければならないことは、桶大工が桶をつくる技術を自らが体験して学ぶのと同じであるとする。

「桶大工が輪を削るように、ゆるすぎれば、容易に入るが固定しない。小さすぎればつきあたって入らない。ゆるすぎても小さすぎても、その加減は手におぼえて思いどおりするしかない。心を知らないで法を説くのは、桶大工のことを伝え聞いて輪を削るようなものです」。201頁

 梅岩の学問の基本は悟りです。学問は文字を知ることではなく、心を知ることであるということで、心学の道を探求するのでした。 心を知ることは志が強くなり、正義の筋道がはっきりしてくるのですと。

 

人間の本性とはなにか。

 人間の性は善であるか、悪であるか、善でもない悪でもないという諸説があります。宋代の儒者は、孟子性善説を支持することが世間でも多いということから、納得して心から賛成していなのに、「性は善である」という説の学者なっているのです。この状況は、学者として正直ではないのではないかと石田梅岩に質問します。

 梅岩は、答えます。「孟子が、性が本来よいものであると正しいかどうか、自分の性にあっているのかどうかと、自分自身の中に法則を探したあとで議論すべきです」。

「道理にあうかあわないかは、説明する人が会得しているかいないかによる。あなたが同じ説明をしても、性善を知らないので、曽子の忠恕とは確かに意味が違います。かりに忠恕のことは触れないでおくとしても、それであれこれと理屈に合わないことがたくさん出てくるでしょう。人を教えるにはこの道理を説明しなければなりません」。234頁~236頁

 人間の本性を理解するのは、自分が体験して、考えなければ会得できないものです。人に教えるときに、この道理を説明しなければならないのです。自分の考えをおしつけて、機械的に暗記させることではないのです。

 性善説が正しいのであれば、世の中の人はみな善で、悪人はいないはずです。この疑問に対して、梅岩は答えます。

「性が善ならば、世の中の人はみな善人になり、悪人はないはずなのに、実際には悪人が多いから、きっと性善という言葉の実体はないだろうと、疑う人がたくさんいます。これは性善の説を味わうことのできる人が少ないからです。世間の人は目前のことについて、これは善、これは悪という意味での相対的な善を考えるので、聖人の本旨を見失い、善の解釈に大きな誤りがでてきます。

 それでは天地の道から説明しましょう。今ここに田地が二反あるとしよう。百姓の努力、こやし、植える苗、植える時も同じであるとして、一反には三石の収穫があり、一反には一石五の収穫があったとします。そのときわずか一反の中で半分の収穫しかないとしても、その田に悪心があると言うでしょうか。また、二倍の収穫がある田に善心があると言うでしょうか。上田と下田の違いがあります。

 肥えた土と痩せた土があるけれども、土の本質に違いがありません。土は同じ土であっても上田と下田とがあります。その区別があっても土に備わっている本質は同じです。本質が同じだから、次第に肥料を入れて良質の土を混ぜれば、下田は中田になり、中田は上田になります。

 これを人にたとえれば、下田は小人、中田は賢人、上田は聖人です。聖人と賢人と小人の区別はあるけれども、本来の性は善であるから、学問をすれば、次第に小人は賢人となり賢人は聖人となります。これは、性がひとつである証拠です」。238頁

 善ということは、現実の実体から相対的に考えるのではなく、天地の道から見る必要があります。同じ一反の土地に収穫の違いがあるのは、土地が肥えているかということで、土地そのもの性質ではない。土地の本来の性質は百姓が努力して、耕し、肥しをやれば収穫の違いがなくなり、豊かな土地になります。善とは土地のようなものです。

 

 学者と梅岩の性善説の問答

 学者は石田梅岩に質問します。孟子が性は善であるのと、告子が善もなければ不善もないというのは同じことではないか。孟子は形のない無の世界を性善という。告子は、そのままに、善もなく、不善もないと言っている。それなのに孟子が正しく、告子は間違っているということは、どういうことかと梅岩に質問します。

「告子が善・不善がないと言うのは、一つの考えにすぎない。自分自身の本性を探しても、善とも不善もないものであると、考えのうえで理解したのです。

 孟子性善説は、そのまま天地に一致しています。人の眠っているときにも、意識しないで動いているのは呼吸の息です。その呼吸は、自分の息ではない。天地の陰陽が自分の身体に出入りしているので、形あるものが動くのは天地に広がる気です。

 自分自身と天地とが渾然とした一体である、という道理が一貫しているので、人の性は善であると言うのです。これは自然に出合って、易経に一致しています。易経は、自然にあてはめて説明しているので、すべては無心の現象です。その無心の陰陽が、あるときは動き、あるときは静かになるのです。その動静に従うのが善であるというのです」。239頁

 梅岩は、孟子性善説の天の原理、自然のことから説明しているのです。それは、思慮によっての説明ではないのです。

 「孟子の言う性善は生死を超越した天の道です。思慮によって知ることはできません。道を信じること堅く、憤然として、孔子が斉の国に行き、音楽を学んで、三ケ月のあいだ寝食を忘れたようにして初めて知ることができる。世間の人が書物を読みながらこの性善ということを知りません。

それを知らないで書物を読むことは、たとえば病人のようなものです。健康な人は食べ物のうまい味わいを知って喜びます。熱病人はうまいものを食べても味がわからないからよろこびません。性善を知らないものもまたこのようです。書物を読んでもその意味を知らない」。

 孟子性善説は、思慮しての性善説ではなく、寝食を忘れるような体験をして、悟っていくということです。

「告子の言うように性に善・不善の区別はないと言えば、多くの人がその説に従うでしょうが、一歩退いてよく考えるべきです。性に善も不善もないという考えそのまのは出発点においてわずかな違いですが、到達するところでは千里の誤りとなるでしょう。聖人の道は天理の道理に尽きる。天地には明らかに清濁があって、天は澄み、地は濁っています。澄んだ天も濁った地も、どこを見ても物を生じ養うように見えません。

 天地に心はないけれども、あらゆるものが生まれることに、昔も今も変わりはない。その生命の延長が善である。くわしく言えば、天は形がなくて心のようで、地は形があって物のようです。物を生み出すところは生き物のようで、心のない無生物のようです。天地は生きていて同時に生きていない。

 死・活の二つを兼ね備えるので、すべてのものの本体となります。その物をかりに名づけて理とも性とも善とも言います。それにもかかわらず自分勝手な考えをする人は、天地は生き物だという一面だけを知って、死活の両面を備えた唯一の理だということを知りません。だから正しい道の理解の著しい妨げとなります」。240頁

 天地は形も心もないけれども、天は澄み、地は濁っています。天地は生きていると同時に死んでいます。自然の原理そのもので、すべての物の本体で、それを善との理とも言うので、自分勝手に思慮して、考え出すものではないということです。自己自身の心の創造物から超越したものなのです。

 

 儒学者は天人一致と性善説を心で納得しないのはなぜか

 学者は梅岩の説明で天人一致と性善のことをなるほどと思ったが、心は納得せず、少しもおもしろくないのはどうしかと梅岩になげかけるのです。梅岩は「いい質問だとして徒然草の38段を引用して「他人から伝え聞いて学び知ったことは、ほんとうに知ることではない」と。

 性を知りたいと思って修行する人は、会得できない点を苦慮し、「これはどうであろうか、この点はどうか」と朝晩苦労しているうちに、急に目がひらけることがあります。そのときのうれしさをたとえて言えば、一度死んだ親がよみがえりふたたび現れたのにも劣らないでしょう」。241頁

 梅岩は日本の古典文学の徒然草を引き合いに他人から伝え聞いた知ったことは、ほんとうに知ることではないと説明するなど学識の深さをみせています。天を知るということの学問の基本を示すのです。

 「天を知ることが学問の初めです。天を知れば物事の道理がおのずと明らかです。これは個人的な考えを離れてだれにでも通じることであり、太陽や月のようにあらゆるものを照らします。

 告子のいうことは、生まれつきの性を見失い、ひとりよがりなので、昼間、太陽の光に頼らず、戸を閉めて灯火を用いるようなものです。照らす範囲がこれほど違うので雲泥の差と言うのです。

 天地は輝かしく明らかです。無理な努力をするまえもありません。努力しなくても道が行われるので、安楽でしかも明らかです。だから人間は天地の霊となります。そういうことを知らないで、暗いところでひとりよがりの考えに頼り苦しんでいるのが告子の説です」。242頁

 天を知ることは、太陽や月のようにあらゆるものを照らすのです。天の道理を知ることではなく、個人的な主観の考えは、昼間に太陽の日を頼らず、戸を閉めて灯火に用いるようなものだと告子を批判するのです。

心を知るということは、個人的な主観的な心を思いめぐらすということではなく、自然の原理、天の原理を学問によって、知るということなのです。

「学者は、心を知ることを先にしなければなりません。心を知れば、自らの行いを慎めば礼に合致し、したがって心が安かです。心の安らかなのが仁である。仁は天に備わる根本の気・一元気です。天の一元気は万物を生み出して養います。

 この心を会得することが、学問の初めであり、終わりでもある。生きている限り、この心をもって性を養うのが、自分の仕事です。少しでも仁愛を行い、正義に一致すれば安楽であり、心の安楽のほかに教えの道はないでしょう。心に納得しないことを偽って納得した顔をしても、心がそれをうけつけようとしないから苦しむのです」。246頁

 仁に備わった根本の気である一元気は、万物を生み出す力になるのです。仁愛を実践して、正義に一致すれば、心が安楽になるというのです。その心は、鏡や静かな水に映るようなもので、相対的なものではないというのです。真実の鏡に映るような心は、人間のもっている情によって、くもり、暗くさせていくのです。

 「相対することを、そのまま写して曲げないのは、明るい鏡や静かな水にものが映るようなものです。人の心は皆同じですが、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲の七情に覆われ暗くさせられてので、聖人の知が自分の心とは違ったものであるかのように思い、わからなくなってさまざまな疑いを起こします。本来、形のあるものは形がそのまま心であると考えるべきです」。247頁

 人間のもっている情である喜怒哀楽愛悪欲は、心の鏡をくもらせていくのです。それは、聖人の心と自分の心を違っているようにみせるのです。様々な疑心暗鬼の心を生み出すというのです。

 人間は、情をもって、それに左右されて、ひとりよがりの心になっていくのです。人間は学ぶことによって、情によって覆い隠されている真実の天の原理を見つけ出していくのです。学んでいくことは、情からの天の原理を獲得していくという人間的な自然の原理への解放の過程でもあるのです。獣や鳥はひとりよがりの考えがないので、獣や鳥のもつ自然の道理のとおり動くのです。

「ただ聖人だけが形を実践することができる。形を実践することは五常の道を明らかに行うことです。形に従って行うことができないのは小人です。獣や鳥にはひとりよがりの考えがないので、かえって形に従います。これが自然の道理です。聖人はこれを知っているのです」。248頁

 人間と異なる獣や鳥の自然の道理を聖人は、知っているのです。人間は喜怒哀楽愛悪欲という感情をもつことにいよって、心の豊かさを作り出している。しかし、それは、同時に天の原理、自然の原理を曇らせていることも知る必要があるのです。

 

 儒学神道

 ある人が梅岩に質問をします。論語には、「鬼神を敬して遠ざけるのが知者のすること」と、あるので、わが国の神道では、馴れ親しみ近づく、遠ざけるのは神々を敬わないことではないか。

 わが国では、何事にも願いを望むことがあれば、祈願の内容を記して神々に祈ります。願いがかなえられたら鳥居を建て、社の修繕をするということです。儒学などを好む人はわが国の神道に背く罪人となりかもしれない。このように、厳しい質問をするのです。

 梅岩は、それは敬して遠ざけるという言葉を間違って解釈しているというのです。先祖以外の神を祀るのは、敬い気をつかうことだけをさしているのです。その道にふさわしからぬけがわらしい願いを遠ざけるということです。先祖を祀るのは、孝行をするということで、先祖を遠ざけるということではありません。

 神々を敬うというのは、鳥居をたて、社の修繕をすることではないのです。結婚の仲人に対して、礼金をあげましょうということで頼まれることと同じことです。神々に願いのとおりにしてくださるならば、鳥居や社の修繕をお礼にするということは、無理に無礼のものをささげ、神々をけがすことになるのです。

 「昔から神国日本の手助けに、儒道を朝廷が採用されたことを知らねばなりません。わが国の神の礼儀にかなわず正義にかなわない賄賂をよろこぶはずがありません。清浄潔白の源であるから、神々を神明とも言うわけです。

 およそ神信心をするのは、自分の心を清らかにするためです。それにもかかわらず、礼にかなわず正義にかなわない願いを抱いて、朝晩神社にでかけ、さまざまな賄賂をつかって祈願するのは、けがれをもって神の清らかさをよごすことであるから、そういうことをする人はまことの罪人で、罰を受けるでしょう」。前掲書、204頁

 梅岩は、賄賂の無礼さと自分の心を清浄潔白のために、天命の大切を強調するのです。聖人は天命のほか何かを望むものは、罪であるというのです。世間の願いは手前勝手なもので、手前勝手は、他人のために悪いことになり、他人を苦しめるのは大きな罪です。誰にも差別をしないのが神である。神明に賄賂をとる神々として扱い、神をけがすことはまことに情けないとことです。それらは、天命を知らないということです。

 梅岩は、鬼神について、その真実に語ります。「鬼神とは、天地陰陽の神を言うのです。すべてのものの本体となり、あますところがばいというのは、天地創造の鬼神の働きで、鬼神はすべてのものを支配しているということです。またわが国の神々も、イザナギノミコト・イザナミノミコトからうけついで、日月星辰からはじめ、あらゆるものを司り、あますところがないので、この国はひとつしかない神国であるというのです」。205頁

 日本と中国の天子に対する文化の違いについて梅岩はのべます。わが国は天皇伊勢神宮のあとをつぎ、アマテラスを天子の先祖を祀る廟として崇拝し、天子の先祖だから、人民にいたるまで参宮するのです。

 日本では、国中の人びとが天子の祖先の廟を尊ぶので、神楽や収穫を捧げるというのです。中国にも孟子が言われるように、土地の神や穀物の神は人民のためにあるということで、収穫や神楽を捧げることがあります。土地の神を祀って、そこに住む人々が不幸のないことを祈願し、我が身を祝うという意味と梅岩はのべるのです。

 梅岩は、日本書紀から学んでいます。「オオアナムチノミコトとスクナヒノミコトは力を合わせて、心を一つに天下を治め、立派な人民と獣のために、病気を癒すやり方を定めたことをのべています。鳥獣昆虫の災害を除くために、まじないによって災害をとどめる法を決めた。

 第1に、人間と畜生とは類が違うので、鳥獣は人を恐れて近づいてこないのに、中国の聖人や日本の神々は私心がないから、鳥獣の人を恐れる心を自分の心とした。牛はこれを好み、羊はあれを好む。豚の好きなのはこれで、馬の好きなものはあれだ。強いのも弱いのも、荒々しいのも静かなのも、相手の動物の心を自分の心として、相手の気質の性のありのままをよく知り、人に馴れるようにしたので、多くの獣を馴致し、のちになって鬼神にはさまざまな肉をそなえ、老人も肉食で養うことを教えたのです。

 世界中の生き物が、弱いものが強いものに従うというのが天の道理です。聖人も神々も、その徳によって無益に生き物を殺さず、道理に従って祭り、お客・老人の養いなどには、やむをえず必要に応じて殺して使いました。無用のときは虫一匹殺さない」。前掲書、248頁

 さらに、オオアナムチノミコトとスクナヒノミコトは、植物のなかで、五穀、(古事記では、米、麦、アワ、大豆、小豆、日本書紀では米、麦、アワ、ヒエ、豆になっています。それらを、いつ種をまくのがよいのか、土を見分け、何をどこに植えるのがよいのか、田や畑について教えたのです。また、人間にとってどの草木が養分になるのかを教えのです。

 「麦は夏できるものであるからいつ植えるのが、収穫が多いか、種はいつ頃まくのがよいのか、また大豆・小豆・ささげが、いつがよいかと時候を考えて五穀を植えることを教えました。そのほか草木のなかでも、食べて人間の養分になるのを教え、また土を見分けて何をどこに植えればよいか、田や畑のしかるべきところを教えたので、人間は飢えないですむ世の中になったのです」。249頁

 人間が飢えることは最大の不幸です。栄養を考えて、健康で豊かに生きていくために、オオアナムチノミコトとスクナヒノミコトは国造りの基本として人々に教えたというアマテラスに国譲りをした神話のなかにでてくる話です。

 儒教からみても、神話の話の教えは少しも疑いがないと梅岩はのべるのです。

 「儒道を学んだ立場から神社のおつげを見ても、少しも疑わしいことはない。また、仏教や老荘の教えも心を磨くための道具であるから、捨てるべきものはありません。一度心を磨いたのちは、仏教や老荘から諸子百家や多くの技芸の類まで集めてみても、心は鏡のようです」。前掲書、255頁

 梅岩は、儒道はもちろんのこと、神道を教えるばかりでなく、仏教、老荘の教えも心を磨くためには、捨てるものではないと強調しているのです。現実に存在している心を磨く儒道、仏道神道を積極的に評価しているのです。自分の信じるものを絶対化して、他の考えは排除すというのではなく、すべてにわたって、正道のために役にたつものは、尊重し、積極的に利用していくという融合していく見方をもっているのです。

 

世の中を治めるための儒道・仏道神道

 梅岩は世の中を治めるには、儒道である聖人の道であるとしています。「世の中を治めるのには聖人の道によって治めるほかありません。だから儒道・仏道老子荘子のすべても、この国の役立つように用いることを考えなければなりません。

日本の君主の祖先の廟、アマテラス皇大神宮を本拠として尊び、皇大神宮の託宣に従い、すべて煩わしいことをはらい捨て、ただ一つの心に定まっている法則を知り、アマデラス神の命令に合致することです。

この唯一の神道を助けるのに、儒・仏の法を取って用いるのがよろしい。だからどの法も捨てず、どの法にもこだわらず、天地にさからわないことが最も大切です」。256頁

 アマテラスという日本の祖先の廟や仏教と儒教の聖人の道が一体となっていることは、日本の世の中を治めるうえで、大切なことになるということです。

 

人間の本性を考える仏法と儒教

 禅僧は、婚礼のときに魚を料理して殺生戒を破ってしまいました。めでたいことに、生き物の生命をとり、これを祝い事にするとは、俗人はまったくあさましく情けないことをするものです。殺生戒は仏教で重い罪です。儒教では、仁義礼智信五常のなかで殺生は、仁のようなものと言われますが、仁を破るということはどういうことかと石田梅岩に、質問します。

 梅岩は仏教と儒教との融合も強調しているのです。「仁は慈愛の徳を備え、私心のないことを言います。あなたのように自分を大切にしていては、仁を知ることはできない。あなたは禅を学びながら、禅宗の本当の意味を知らないようです。あなたは毎日している殺生は、数えきれないほどある。まず朝から食べる米粒がいきつといって数もしれないほどあるでしょう。天地の間には生むものと殺すのと二つの作用があります。今日何をするのにも、それに従っているのです。すべてのものは同じ一つの理に従っているけれども、そこに軽重の区別があり、その秩序が狂わないことが善である。

 この理屈に従って天地が動いていることを理解しなければなりません。強いものが勝ち弱いものが負けるのは自然の道理です。身近な例を知ろうと思えば、鳥獣をごらんなさい。鷲や熊鷹はほかの鳥や畜類までとって食べます。また、鵜や鷺は魚をとって食べます。雀やそのほかの小鳥は蜘蛛や菜虫などを食べます。犬や狼は鹿や猿をとって食べます。こういうことは殺生と考えるべきか。それとも天地自然の道理の行われているさまと考えるか、戒律も天の道理を無視して守られないでしょう」。207頁

 仏教での殺生のことと儒教での天地、自然の原理を身近な鳥獣の世界から梅岩は説明しているのです。仏僧でも仏の真理を知らないものが多いと梅岩はのべています。ここでも徒然草を引用しています。

「仏の本意を知らないで、他人をそしるのは大きな罪でしょう。あなたのように仏法をしらない僧侶が多いので、徒然草にも、僧侶には仏法があり、仏法によって身を害するが、また君子には仁義によって身を害すると言われるのです。仏教でも本来は外面的な仏法というものがないはずだということを理解すれば、兼好に非難されることはないでしょう。あなたは禅宗を学んでも、根本的な真実を会得していない。だから俗人が祝い事に殺生するのはあさましいことだ、と言うのです」。209頁

 仏の外面的な作法ではなく、本質的な真実を知ることが大切というのです。そして、俗人と出家とを混同してはならないことを梅岩はのべているのです。

「俗人と出家とを混同してはならない。すべて天地の形は明らかに区別されていて、それぞれのものによって形が変わるに従って、法則があります。ものが違えば法則もちがう。それなのに、どうして僧侶の法則を俗人に混同して適用することができましょうか。

 心のけがれをとるには仏法も役にたつ。自分の身を修め、一家の秩序を正しくし、国を全体よく統治するには儒教がよいでしょう。海や川を渡るには船がよろしい。陸地をいくには馬や駕籠がよいはずです。仏法に従って世間の法則を整えようとするのは、馬や駕籠で海や川を渡ろうとするのと同じことです」。210頁

 浄土宗の僧が梅岩のところに来て、仏法では世の中が無常で移り変わるから、いつも念仏を唱えることで、極楽往生できるという大事なことがあります。仏道儒教で勧善懲悪の教えがよくしられているところです。儒教では、いたって愚かなものはどうしても賢くはならないと言うのですか。

 愚かなものは、目もみえ、耳も聞こえ、口でも言う者なので、愚かな者でも仏前や神前に向かい、これは神、これは仏であると言えば、その名前は覚えます。その程度の教えは届くものです。その罪とは、ものを見れば執着の念を起こし、ものを聞けば喜び怒り、ものを言えば他人を悪く言い、怒らせることなど。そのような罪を救い、助けようとするものです。そこには、秘伝というものがあるのでしょうか。

 これらの浄土宗の僧に質問に対して、石田梅岩は、人間は喜怒哀楽の情によって、天命に背くから、教えによって正しい道にみちびかねばなりません。聖人の教えは過ちをある人を正しくするものです。過ちのない人を正す必要はないのです。

 儒教では、教えの秘伝などありません。念仏宗では、死後、西方極楽浄土へゆき、そこで仏の説法を聞いて悟りをひらき、成仏すると教えています。あなたのように他人を導く僧となったものは、ここのところをよく考え悟るべきです。仏教風に言えば迷うから三界(欲・色・無色)に住み、悟るから十方が空であるという本来、東西もなく、南北がないというただ自分の心の中に浄土があるということなのです。

 すべての衆生の中に、心の濁り乱れたものが多く、正念の者が少ない。衆生をして仏道に専心させるために、西方の国の嘆願を特別に扱うだけである。だから極楽浄土が西方であると教えるのは、愚かなもののための説法である。知恵のすぐれた者の教えは十方仏土をみな浄土とするものです。指導者となる者は特別にこの点を、味わうことをしなくてはなりません。

 愚かなものはまず自分が行くべき道を知らない。自分の往生を知らないで他人を導くことはできません。さて仏の説法は、直接に南無阿弥陀仏そのものであると理解すべきです」。262頁

 南無阿弥陀仏の説法は、愚かなものの一般大衆に対する自分が行くべき道のためです。それは、仏僧のすることではないというのです。 人間は喜怒哀楽の情によって、天命に背くから、教えによって正しい道にみちびくのが僧侶の役割とするのです。

 僧侶は、教え導くという指導的な意味を忘れてはならないのです。これは、状況での聖人も同じ役割をもっているというのです。儒教では教えの秘伝などはありません。誠実に教え導くという聖人の役割から僧侶も学ぶ必要があるというのです。

 石田梅岩は、儒教。仏教、神道のそれぞれの役割について評価しています。神道と仏教は、対立していくものではなく、日本の朝廷は、神仏混合という文化をもっていた。朝廷は、国を治めていくうえで、仁義礼智信の徳は、大切な教えであった。同時に、神仏も社会的な役割をもっているとしたのです。

 この為政者の伝統は、武士の支配する世の中になっても継続し、神仏混合の修験道文化のなかでも盛んに山岳信仰と結んで人々の心の支えとなった。幕藩体制の江戸時代では、仏教は幕藩によって、管理された檀家制度になった。檀家制度を拒否した薩摩藩浄土真宗は、かくれ念仏になったのである。

 また、キリスト教を信仰する人々は隠れキリシタンとなったのです。幕藩体制によって、宗教が幕府や藩によって管理されていくのです。幕府や藩の宗教管理政策によって、家の継承制度と仏教の宗派が一層に強化された。神仏混合文化の修験道は、里での生活をしていくが、その文化は、深化していくのでした。石田梅岩が生きていた時代は、幕藩体制のなかでの檀家制度による宗教管理政策が実施されていたのです。

ところが、明治維新では、廃仏毀釈として、修験道文化は禁止されて、国家によって神道が絶対化されていくのでした。伝統的に日本は神仏混合文化をもっていた。それが破られていくのです。国家神道になったのです。様々な信仰を包含していく日本文化が大きく変貌したのです。なぜ、そうなったのか。

 国家神道になった歴史を、再び軍国主義の社会を繰り返さないために、そして、日本の伝統的な文化のすばらしさの平和主義、価値の多様性の尊重、相互扶助や利他主義の精神を世界への平和発信のために必要と考えるのです。

 現代社会は、新憲法の平和主義によって、再び、儒教神道、さらに仏教やキリスト教は、それぞれ尊重されて、人びとの日常生活に深くかかわるようになっているのです。日本は、戦後の憲法のもとに、天皇は象徴になり、すべての価値観を受け入れ、様々な信仰や思想が自由に存在しているのです。

 日本では、宗教による国家間、民族間の対立はなくっている社会です。他律冠婚葬祭や家の継承、祭りなどの地域の文化継承、豊作祈願、魔除け厄払いなど神社にお参りしたのです。

 

日本のヒューマニズム・仁愛を考える―江戸時代の儒学者・伊藤仁斎から

日本のヒューマニズム・仁愛を考える―江戸時代の儒学者伊藤仁斎から

           神田 嘉延



はじめに

 伊藤仁斎は、江戸時代初期(1627年から1705年)京都の商家で生まれ、ヒューマニズム儒学者として、生きた人物です。孔子孟子の原点から古学派の儒学者として、日本の仁愛思想をうちたてた人です。

  儒学は、朱子学陽明学、古学と、それぞれの考えも異なります。また、江戸時代の身分制社会のなかで、儒教の考えは、武士道、農民道、職人道、商人道として発展しました。

 伊藤仁斎の考えは、現代の弱肉強食で生きるわれわれに、仁愛の大切さを教えてくれます。現代は、競争と敵対心を煽り、多くの人々に不安や恐怖心を作り出しています。   さらに、人々を騙し、嘘が平気でまかり通る時代です。人々はマスコミやSNSによって、情報操作され、人間不信が極度に起きています。これらの苦悩のなかで、心の病も増え、人々は自暴自棄になりがちです。為政者や官吏の度重なる腐敗問題が起きる時代です。民のために尽くす仁政が鋭く問われる現代です。

  伊藤仁斎は、自暴自棄にならないように、人間の生まれながら性善説から仁愛をとらえているのです。動物と根本的に違う仁愛の心をもって、生きる欲、人間的感情を尊重して、自由自在に生きることを教えています。利他的な仁愛のことと生きる欲を統一的にとらえて、そのことから、動物的な強欲を人間的に制御していくことが絶えず求められる時代です。

  このためにも、孔子孟子の原点から儒教をみつめた伊藤仁斎から学ぶことが多いのです。これは、朱子学的な教え込みの理の側面からの徳ではないのです。多くの日本人は、儒教を教え込みの道徳ととらえています。

  伊藤仁斎の仁愛論は、生きるための私欲をどうとらえていくのか。自分の命を大切にしながら世のため、人のために尽くす生き方を探るうえでも多くのことを教えてくれます。とくに、為政者やリーダーにとっては、徳を修練させて、私欲を排して、公的に生きるために大切です。

   伊藤仁斎の考えは、人間の現実の生活や行いから物事をみていくという経験や実践を大切にした仁愛の人間学です。本稿は、責任編集貝塚茂樹伊藤仁斎中央公論社、谷沢栄一「日本人の論語童子門を読む」PHP新書の現代訳をもとに、読んだ考えたものです。

(1)人間的生き方と仁愛

 愛は真心

  伊藤仁斎は、孔子の教えをひと言で表すと「愛」であるとのべています。その愛は真心からからの親子や親族の親しみに現れているのです。親や親族への愛は人間的自然感情なのです。

「親族には特に親しみ、人民には仁、すなわち思い遣りの真心で臨み、そして物を愛す。すなわち生きとし生けるものに愛憐の気持ちを持つ。君臣の義、父子の義、夫婦の別、兄弟の叙、朋友の信、これみな根本の愛から発する。

 その愛たるや、思いの深い真心から生じる。ゆえに以上の五徳を吟味するなら、愛に根ざしている場は真情であり、底に愛のないときは偽装にすぎない。それゆえ君子たるもの慈愛の徳の及ぶところ最も広大にして、逆に残忍刻薄(ざいにんこくはく)、つまり人を甚振(いたぶ)り、貶(おとし)め、遮(さえぎ)り、萎(しお)れさせる、いじめ根性、これほど嘆かわしいものはないと知るべきである」。童子門173頁

 ここでの仁愛の徳は、教え込みの理からではなく、人間的な自然感情から、親子、夫婦、兄弟、盟友の感情をとらえていくことが必要なのです。出発点は、理からではないのです。仁斎は、思いやりは仁の近道であるとのべているのです。

  その心の育成は、恕というおもいやりがあればできるという単純なものではないと、言うのです。恕の努力が求められると仁への近道になるという言うのです。人間のもっている自然感情の熟成、生まれつきもっている善の心を開花させていくには、恕の努力が必要とするのです。また、徳を学ぶことが求められていくのです。

 「仁は徳を備えたものでなければ達しえないが、恕は強い意志力によって成し遂げることができる。・・・問題は、その努め方の方角と度合に無理がないかどうかということである。どこかに不自然な強いる心があってはならない」童子門231頁~232頁。

 思いやりを育てていくうえで、無理や強制という不自然さがあれば、逆効果になるというのです。無理や強制という不自然さをことさらに、仁斎は、徳の教育に嫌っているのです。

 常に人と接するときに、思いやりという恕の心が大切になってくるのです。恕の心がなければ人の悩みやよいところに気がつかないものです。恕のこころが薄いと他人の悪いところや、人を表面的にみて、自己中心的な見方や自己の寛大になるものです。

 「他人の悪いところは目につきやすいが、その人の悩みに気づかないものだ。自己をおさめると寛大にし、人を遇するときにはきまって過酷になる。これは人に共通する欠点だ。だから恕を心がけとするときには、きびしく人をとがめだてすることなく、よくその過ちをゆるして、その人の困っているのを救うものだ。その効用は言葉でいいつくせないほどのものがある。・・・ほめるときには、それこそしらべたうえではじめてそうするのである。実質がないのにほめることはしないだけである」。

 どんな場合にも愛の心が一貫していくというのです。その心が完成した人は、「他人を黙殺し、陥れたりしない」と伊藤仁斎はのべます。「慈愛の心が、すべての徳を融合して渾然一体となって発露し、自身の内部から外側へ、その何物に対しても遍(あまね)く、浸透し、至らぬところなく行き渡る。酷い心、冷え切った心、いじめる心、黙殺する心、おとしいれる心、そのような他人を突き放す暗い念慮は一厘一毫(いちりんいちごう)も影をみせない」。童子門189頁

 慈愛という徳の心を育ていくいくことが、すべての徳を融合していくというのです。慈愛の心を徳のなかで、特別に重視しているのです。慈愛の心が育っていかねば、酷い心、いじめる心、黙殺する心、おとしいれろ心があるということで、慈愛の心を育ててることを人間の善が開花していくことになるというのです。

 仁愛とすべての徳の融合

  仁愛の心はすべての徳を融合して、自身の内部から出たものになっていくというのです。他人を陥れる心、いじめる心などの暗い悪への非人間的な道を閉ざしていくというのです。まさに、人間的に生きる道には、慈愛の心をもつ大切さを教えているのです。そのためには、恕を常に大切にして、徳を磨いていくのです。

 思いやりをもって、相手を愛することからの心の出発は、人間が生きていくうえで大切というのです。このことは、すべての障害物から克服し、また、事業の順調な道につながるということです。仁斎は、相手に対する思いやる心をもつ大切さを強調しているのです。

 「心から愛せば、相手もこちらを愛してくれる」「世間で他人と交際するには、父母が互いに愛し合っているように、兄弟が相手を大切にして睦まじいように、まさにそのように他人との間に親しみの気分を醸しだし、さらに進んで相手への思いやりを深め、愛の心が交流するようになれば、事業なり何なり自分の仕事が、思わざる障害に遮られることなく、万事につけて順調に成功するであろう。

 不仁の者はその反対を行く。むごたらしく、いじめ傷めつける悪癖のため、人々は一斉に遠くへ逃げ、親族一同も交わりを絶ち、それでも死ぬまで非道をやめない。ゆえに、仁とは、道徳の大本であり、学問の極到である。天下のあらゆる善のなかで、仁に過ぎたるものはないのである」。童子門192頁

 思いやりのないものは、人びとから遠ざけられて、非道をやめない非人間的になっていくのです。これゆえに、仁を求めていくことは、徳にとっての根本になり、人間的に生きるうえで大切なことになるのです。

 人間は常に動物的になっていく側面があるのです。現実に、不仁の者を教育のみによって、正しくなるという側面でみてよいのでしょうか。教育だけでは不仁の者を人間的な善の道への出発にはならないのです。

 不仁の者を人間的な善の道に向ける契機は、社会的ルールの形成とそれを破った場合の社会的制裁のことも含めて考えていく必要があるのではないでしょうか。このうえに立っての教育の役割をみていくことが求められるということではないかと。徳を育てていくという側面の強調だけで良いのかという疑問は沸いてくるのです。

 日本の伝統的な共同体社会では、村掟があったのです。全戸からなる村の寄合で決まられ、用水の管理、入会地の利用、ばくちや盗人などの風俗と締まりが行われていたのです。これは、村の伝統的な自治として日本では続けられてきたのです。それを破った場合に村八分ということで、村人としての一人前の付き合いが大きく制限されたのです。

 また、商工業者は、株仲間がつくられた歴史を日本ではもっていたのです。株仲間は、商工業者の同業組織で、商品の質の維持向上と価格の安定をめざすもので、株仲間になることによって、同業での仕事が特権的に保障されたのです。ここにも掟が存在して、それを破ったものは株仲間から排除されるのです。伊藤仁斎が生きていた時代は、寄合による村の掟や株仲間の掟があったのです。江戸時代の町方奉行所が、犯罪を裁くのに、公事方御定書という法令がありました。儒教の教えと同時に、法ということで、社会を治めていたのです。

 宗時代の朱子儒学では、理を大切にしているのですが、それを積極的に導入した江戸幕府儒学者たちを伊藤仁斎は仁愛ということを機軸にして、批判するのです。伊藤仁斎は、仁愛の心を育てていくことを大切にしたのです。人を善なるなる者としての素養からとらえています。つねに、その人間のもっている善なる素養の心を育てていく視点からです。人と接するときもよいところからみることで、前向きになっていくということを次のように指摘するのです。

 「他人のよいことをみとめるのはいつも不十分で、悪い点をさがしだすときにはゆきすぎる。それはだれにでもありがちな欠点である。それで人を愛するたてまえで他人に接すると、善いことをほめすぎないし、悪いことをみて憎みすぎることもない。人を憎むのをたてまえとして他人に接すると、善いことをほめるのも十分ではなく、悪いことを憎むのは極端になる。ただ仁義を備えた人だけが他人をほめることができるわけである。

   宗の学者は仁を理としてとらえている。だから好き嫌いの判断が理に合致することを仁と解釈する。つまり一点の曇りもない鏡や静かに澄んでいる水のようなものだとする。これは感情抜きで仁をながめ、欲望抜きで仁を眺めたものです。

 人間の徳としての仁には、浅さ・深さ・大きい・小さいの、区別はあるけれども、他人を愛する心から出発しないものはないことがわかっていない。だから仁をもって他人を愛する人にしてはじめて好き嫌いが適正を失わず、薄情で不公平になるおそれがないのである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」103頁

 理を優先する宗の学者への批判

 仁の心は、人間的な感情を伴って発露していくのです。宗の学者たちがのべるように、好き嫌いという判断は、理によって合致するというのです。仁は、理によって、一点の曇りもない鏡や静かに澄んでいる水のようなものだ。伊藤仁斎は、理によって仁があるものではないと宋学の学者を判するのです。

 他人を愛する人間の感情から離れて理による道徳は、宗の儒学者たちは、生身の人間の欲望を抜きにしての仁の探究を求めているという。人間の自然的感情を大切にして、仁愛による心の形成を、仁斎は重視したのです。仁は、人間の生まれながらの善の心の素養から自然の行いで、思い遣りや愛の心を育てていくというのです。

 「愛の心が行き渡ったところでは、多くの善行が自然になされる。思うに水源となっている泉から、勢いよく尽きることなく流れ出た水が、渦となり伏流となり淵をなし早潮となって、さまざまに変わったかたちをとって、思わず、見蕩れるほどであり、とても形容しきれないけれども、すべて同じ水の流れであるようい、愛の心は時と処と人により千変万化(せんぺんばんか)するのである。

 もともと仁者は根本に愛の心を基とする。ゆえに、その気分は落ち着いている。その心は平である。心が沈着であれば、したがって心はゆったりと広く、人を毛嫌いせず包容する。度量が大きくいかなる人にも温かい。したがって常に悠然としている。腹がすわっていて物事に動じない。したがって気分が明るく万事に楽しみを見出し、自ら興じる。気持ちが生き生きして見ること聞くことが面白い。したがっていつも泰然として心にかかることが何もない。

  ・・・・・愛にせよ善にせよ、さまざまな美徳が寄り合って、自然の秩序で密接に繋がり、関連して、仁の道を支えて豊かにしているのが実相である。だから、仁といい、愛といい、それぞれが絡み合い組み合わされているのだから、それを切り離して別個に区別し、名付けることは間違っている」。童子門196頁

 愛の心は水源から流れる水の如く

 愛の心は水源から流れる水の如く、愛のこころは時と、人と処で変化していくというのです。まさに、これは、自然の秩序という。

 仁は、言葉でのお世辞からは決して、育つことがないと、仁斎は警告するのです。口先のうまいことで、人びとは、それにごまかされてしまうことが多くあるのです。口先のうまい人は、人との接触を柔らかく、感情をこめて語るのです。それを見破るのは、難しいのが現実です。このことで、伊藤仁斎は、語っているのです。口先のごまかしを見抜いていくには、現実的な生活やその人の行動のなかから仁愛をみていくことだというのです。いつの時代も口先がうまく人を騙すこが行われます。伊藤仁斎は、孔子の生きていた時代は、徳がなかったので、いたずらに口先がうまいくふるまうことが盛んに行われいたとするのです。

 「孔子の時代はほんとうの徳が毎日なくなり、お世辞が盛んとなっている。人びとはいたずらに口先がうまいことを大切とみるばかりで、仁の大切さがわからない。・・・仁は現実的な徳である。慈愛の徳がその人の心のなかにみちて、ほんの少しでも残酷で薄情な心がなく、その利益・恩恵は遠く天下後世にまでひろがってのち、初めてこれを仁と呼ぶことができる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」120頁

 お世辞や口先のうまい人に要注意ということです。残酷で、薄情な人で、口先がうまくごまかす人もいるというのです。現実な行為のなかで、仁の心をみていくことの大切さを伊藤仁斎は強調しているのです。

過ちをみて仁を知る

 過ち観て、ここに仁を知るということで、過失を責めて他人を見捨てる人のために、すべての人間の過失は、原因がなくてやみくもにできたものではないとしています。聖人(孔子)が他人の過失をきびひく追及されないのは、出直しをする道があると、仁斎はのべるのです。過失と情のことで、次のように語ります。

 「人間の過失というものは、情の冷たさから生じないで、情の温かさから生じるのは何故だろう。情が冷たいときは禍をふせぎ災害を遠ざけ、自分の一身のためにはかり、その計画は完全で、しかも他人に禍を救うためにかけつけることを急がない。だから過失を免れることができるのだ。といっても、情の冷たさで過ちをする人はときどきある。冷たさで誤ったのは、端的に悪というもので、過ちとは言えない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」107頁

 人間が過失をするのは、一般的に情の冷たさからではなく、温かい心があるがゆえに、過失を生じると述べているのです。情が冷たいときは、禍に対して、計画が完璧ですが、他人を救うためにかけつけることを急がないのです。過ちを観て、仁を知るという伊藤仁斎の見方です。

 

 

 

(2)    人間のもつ自然の欲をどう考えるのか

生きる欲は人間の活気の源

 伊藤仁斎は、人間のもっている自然の欲は、礼と義を以って自然に発揮するのが道理としています。彼は、人間のもつ欲を否定するどころか、それは、人間が生きていくうえで、活気の源になるとしているのです。欲が、なければ、人間は生ける屍(しかばね)だというのです。

 同時に、人びとの幸福を奪っていく権力・支配力を謳歌する個人の強欲制御をのべているのです。人間が生きていく欲と、権力欲、権威欲、豪勢な贅沢欲などの強欲とは区別されるものです。

 つまり、ここでは、仁愛の徳をもつ意志力と生きる欲を統一していくことの大切さを強調しているのです。人間の持っている生きていくための欲が拡大して、人びとの一般的生活から大きく遊離して、贅沢を追い求める強欲に転化していくこともあるのです。人間のもつ動物的な側面、人間だけがもっている意志的に権力欲と贅沢を求める欲の恐ろしさです。

 仁斎にとっては、広く社会との関係で仁愛の心と欲を統一していくことが不可欠になってくるのです。とくに、このことは、為政者や社会的なリーダー層に強く求められているのです。

 徳をもたない権力者、仁愛の心がないリーダーは、権力欲、人を支配する欲望、拝金欲などと結びついて、その贅沢性を謳歌しようとするのです。動物的な欲が、人間の意志力と結びついて、自然的な欲から悪魔の「人間」になっていくのです。

 動物界は自然的に規制されていますが、人間は意志力をもつことによって、目的意識的に強欲を拡大して、人間的仁愛の社会を破壊していくのです。人間の欲を生きていくための自然の活力として、その枠内で、欲を制御しながら、生きる活力を発揮することが必要なのです。

 童子門で中の巻10章で、「人情と欲望を自然に発揮するのが人間の生き方である」と次のようにのべています。「礼と義を以って心を抑制(せいぎょ)する意志力を失わぬ限り、人情はそのまま道となり、欲求はそのままで道理となる。情と欲とをいけないと斥ける理由はない。

 しかるに礼儀を以って自制する行程を踏まず、闇雲に、愛の心を断絶し、情欲を消滅させようと努めるなら、容器が曲がりすぎているのを直すのに力を入れすぎ、今度は真直(まっすぐ)に戻って使い途がなくなったような結果になる。

 すなわち穏やかな親しみのある物わかりやすいいい表情が、掻(か)き消すようになくなって、生きている感覚もどこへやら、見ること聞くことに興味なく、生ける屍(しかばね)になり果てるであろう。このような情欲消去は人間なる者の為し得るところにあらず、人間社会に通有の道ではない」。童子門(上)271頁

 愛の心と人間の情欲は、生きていくうえでの自然の活力なのです。まさに、人間として生きていることの証でもあるのです。人間らしく生きるには、愛の心などの情感をもっていることが不可欠です。しかし、その素養があっても人間は強欲をもって悪魔になることもあるのです。

 人間は、動物と違って、社会的に存在するのです。自然的には、それぞれが仁愛の心をもって、相互に支えら、共感する豊かな心によって、生きている充実感を享受するのです。

 仁愛の心をもっている人間の関係は、家畜的動物関係でもないし、自然的な野獣関係でもない。感情をもっての社会的な相互関係をもっての仁愛関係をもっている人々と、それを持ていない悪魔の強欲の人間もいるのです。それは、強欲を追い求める人と、人間としての心の豊かさと幸福感を求める人びとの違いでもあるのです。人間は仁愛という徳から離れることによって、人間のもっている意志力によって、悪魔に転化することがあることを決して見落としてはならないのです。

 ところで、為政者と民との関係も当然ながら社会的な人間関係をもっている仁愛関係なのです。為政者は、仁政ということで、民を治めていくことが人間としての務めでもあります。為政者は権力をもち、人びとを支配することができる立場であることから、人間のもつ意識力によって、恐ろしい限りの悪魔に転化していくのです。

 この悪魔をいかにして、制御していくのかということは、人類が歩んできた道のなかで戦争や植民地支配、人間の奴隷化などの形であらわれてきたのです。この制御の課題は、人びとが幸福に生きていくために極めて重要なのです。歴史の現実をみれば、為政者の仁政は、簡単なことでなかったのです。

富や地位や名誉を求める気持ちは自然

 伊藤仁斎は、「富や地位や名誉を求める気持ちは自然である」としています。「富や地位や名誉褒章や禄高は、すべての人間社会になくてはならぬ制度である。ただし、倫理的に正しく筋の通った受けかた否かを吟味せよ、という条件をつけておこう。

 富貴爵禄を排斥する見方は一見カッコいい議論を、きれいさっぱり洗い去ってしまわなければいけない。そういう形式論にこだわりながら齢をとれば、必ず人間社会にいろいろある事柄の、どれもこれも気を悪くして、世の中のすべてが厭になり嫌いになる。

 そのあげくは心が冷えて沈み、望みも願いもない心境に陥って、日常生活もおろそかになり、ついには人間関係から身を退く結果になるであろう。それははなはだよろしくない状態である」。童子門(上)124頁

 富や地位や名誉は社会制度になくてはならない。このことを出発にしています。それを求める気持ちを否定するならば、自然状態で生きていく人間の活力にならないと伊藤仁斎は言っているのです。

 それを求めていくことは、社会的倫理にそった仁義礼智心を踏み外すものではない。富や地位や名誉を得ていくには、人間的に徳が高まっていくことを前提にしています。ここでも富や地位が独り歩きしていくことが多々あるのです。徳によって、いかに制御していくかという大きな課題があるのです。

 富や地位を求めていく人間の精神は、社会に活力をもたらしていくと仁斎は述べるのです。切磋琢磨していくということは、人間のもつ本質です。新しいことに挑戦し、新しいことを作り出していくということは、人間の文明を発展してきた根源の人間力です。それらに伴って富や地位が築かれて行きます。

 富や地位はその人の社会的な役割の結果です。富や地位が独立しているわけでもないのです。その富や地位をどうのようにして、社会に還元しているのかという見方も大切なのです。個々の欲、利益ということではなく、それを社会との関係でみていくことが不可欠なのです。

 現代社会のような弱肉強食の競争社会では、勝ち組と負け組とはっきり大きな格差になって富や地位が現れていくのです。勝ち組は、豪勢な贅沢な暮らしと人を支配していく喜びを持ちます。負け組は、人間的に生きることさえも厳しい状況に立たされて、貧困と生活不安、疎外状況に追い込まれていくのです。為政者や社会的リーダー層、勝ち組の人間的な仁愛の精神の在り方が鋭く問われているのです。

 伊藤仁斎がのべるように、富や地位、名誉を得ていくことで、徳を高めていくことが切実に求められているのです。社会制度的にも、負け組ということで、絶望に陥ることなく、みんなが生きがいをもって社会で充実して、幸福に生きられるようになることです。だれでも、どんな能力のひとでも、それぞれが、社会的に力が発揮できるような仕組みが同時に求められていることを忘れてはならないのです。

 弱肉強食の自由競争主義ではないのです。仁愛の心をもって、富や地位の欲を求めていくということは難しい課題です。人は巨大な富や高い地位を得れば、おごり、たかぶるのです。人を人とみないで機械のごとく命令し、人を支配したがるのです。それが悦びになっている人もいるのです。制度の問題以上に、人間的な徳の問題が富や地位を得るうえで、重要なことなのです。

 富や地位を得たいという心は、社会を活力あるものにしていくために、決して否定されることではないという伊藤仁斎の見方は大切です。しかし、もっとみていかねばならないことは、切磋琢磨しながら、みんなが活力をもって、個々の役割を発揮してすべての人々が生きがいをもって暮らせることのできることが、仁愛の満ちた社会ということなのです。

 伊藤仁斎は、仁義礼智信という徳を踏みはずことを戒めているのです。人びとに対する仁愛の気持ちをもって、事にあたることが求められ、富と社会的地位がもったならば、その立場から、社会に還元していく礼を尽くすことになのです。 

 むしろ、富や地位、名誉を獲得していくことに、現代社会のように弱肉競争主義を煽り、徳からはずれる卑劣な手段がおかまいなしに自由に放置されることに問題があるのです。まさに、生身の人間としての自然状態が大切で、切磋琢磨して富や地位を得て、常に自己は、家族、仲間、地域、社会によって、自然の恵みを伴って生かされていることを忘れてはならないのです。

 ところで、人間は欲望が多いと義理をためらい、ちぢこまって、進もうとしなというのです。欲望が多いと心を満足させないということです。無欲になることではなく、道義をもって豊かな感情と欲をもって生きることを伊藤仁斎は推奨しているのです。

 「人間は欲望が多いと、すべて世間の味がなつかしくて忘れられない。当然果たさなければならない義理をためらい、ちぢこまって、進もうとしても進めない。これが、欲があると剛の者とはなれないわけである。欲望が多いときは心を満足させない。心が満足しないと剛気にはなれないのは、勢いそうならざるをえないのである。

 しかし、無欲で節操がかたく、頑固で一本気な性格で情がないという男を剛と考え、また、負けずきらいで人にさからっていい気になっている者を剛と自称している。気が大きくゆったりしてやさしく、道義によって自己に打ち勝つ人間が真の剛の者と言えるのである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」125頁

 欲があると剛の者ではないというのではないのです。真実の剛の者は、道義をもって自己に打ち勝って、情と欲をもって気が大きく、ゆったりとして、優しい人ということだと言っているのです。

礼とは道義の心の表し方

 礼とは道義の心の表し方です。表し方が独自にあることではない。しかし、礼に落ち度がないように人々はこころがけて、その礼の形式が独り歩きして、心の本質が忘れていくことが見られるようになるのです。

 「礼を行う人はきっと道具を十分に整えようと思う。道具を十分に整えようとすると、必然的に飾りが主になってしまう。葬式をつとめる人は必ず万事が整って落ち度のないことを望む。整って落ち度がないことを望む人は、必然的に実がなくなる。それで礼は倹約を根本とし、葬式は悲しみを根本とする」。貝塚茂樹伊藤仁斎」82頁

 礼は倹約を根本にすることが必要です。葬式は、悲しみ心が根本なのです。礼とは川にたとえれば、堤防のようなものだと伊藤仁斎はのべるのです。

 「礼は人を川にたとえると、堤防のようなものである。礼が確立すると、人びとの心は安定する。人びとの心が安定すると社会は上から下まで安定する。上から下まで安定すると、人間の道は秩序たつことができ、万事うまく治まることができる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」83頁 

 夏王朝は数百年の太平をもたらした理由は「自分自身の生活は簡単で、祭祀はつつしんで間違いはなく、朝廷の礼は手厚く、人民の生活を盛んにさせた」。貝塚茂樹伊藤仁斎」202頁

 王朝の生活や礼を節約して、人民の生活を盛んにすることによって、夏王朝は数百年の太平が続いたとするのです。社会の安定には、礼は大切だが、礼が華美になり、王朝の暮らしが贅沢になれば、社会は不安定になっていくというのです。

 

(3)仁政と政治の要諦

 

為政者は、私欲を克服

 為政者は、私欲を克服すれば民衆を広く愛することができると伊藤仁斎はみるのです。また、民衆を深く愛するには、為政者の生活節度が求められるのです。

 「自己の私欲を克服すれば、それはひろく民衆を愛することにつながる。礼をくりかえして実践すれば、生活に節度とかざりが生ずる。ひろく民衆を愛し、そのうえ節度とかざりがあるということになれば、それは仁が実現したことになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」261頁

 為政者にとっては、私欲を克服するということが民衆を愛する仁政の基本です。そこでは、為政者自身の民に対する礼をくりかえし実践することが、必要になってくるのです。

 そこでは、節度とかざりが必要になってきます。為政者にとっては、自分が権力を握っているということで、国を動かしていく権限をもっていることから、おごりをもつことが起き、権威主義と贅沢の気持ちが、ほっておけば、膨らんでいくのです。

 おごりをもつことは権力、自己の社会的地位を私物化して、自己の欲望を肥大化して強欲になって、人びとを支配していく欲望を拡大していくのです。この欲望を抑えていく仁義礼智信の徳と同時に、それを常に制御、点検していく社会制度、法が求められているのです。

 為政者は常に民衆を愛すること

 常に心掛けていくことは、民衆を愛するという仁愛の精神と生活の倹約が課題になります。為政者は、仁義礼智信ということから民を愛する徳を身に着けて、欲を抑えていくことが、特別に重要になってくるのです。為政者に徳がなければ、その国は滅びていくのです。

 「徳を身につけようと修養すれば、欲望は自然と減退し治まるもので、欲望が自分をわずらわすのを嫌悪して、無理に欲望をなくそうとばかりしていると良知・良能(生まれつきにもっている知る力と事を行う能力)をともに削りとり絶滅させて、二度と身に有することがない」貝塚茂樹伊藤仁斎」306頁

 為政者の欲望は、徳を身に着けていくうえで、自然に減退していくということです。特段に目的意識的に日ごろの欲を抑制するということではなく、徳を身に着けるように修養が特別に大事ということです。

 つまり、禁欲主義ではなく、徳を身につけ、自然に倹約をして、民の生活を潤すように国を治めるようになるのです。ここでも考えなければならないことは、どのようにして、おごりたかぶる権力者の強欲を制御していくのかということです。ここには、諫言していくしくみや民が意見や気持ちを表す社会的な制度の問題を考えていくことが求められているのです。

 為政者が、民に礼を尽くすことは、倹約

 為政者が、民に礼を尽くすことは、倹約することです。民は為政者の倹約によって、生活が保護されていくのです。

 「支出を放漫にすると財が失われ、財が失われるときっと人民に損害が及ぶ。だから人民を愛するには、まず支出を節約せねばならぬ。そのうえ、人民を徴発するのに適時でないと、国の本つまり農業精出す人がその力を十分に使いつくすことができない。人民を愛する心をもっていても、人民にその恩が及ばない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」49頁

 為政者にとっての王道の根本は、倹約であるのです。財が失われると人民に損害を及ぼすのです。つまり、為政者の贅沢を戒めているのです。

 「王道の根本は倹約である。贅沢をすれば物質が不足するけれども、倹約を旨とすれば生活必需品が余分に残る。それなら自分の余剰分を提供して、他人の飢饉を救いうる。しかし、自分自身でさえ不足の場合は、他人の難儀を助けてやれないではないか。・・・古い時代の聖王が、みな率先して倹約に努めたのは、民が飢えないで暮らせるように、その根本を固めたためである。ゆえに、王道は倹を以って本とする。」童子門17頁~18頁

 為政者が倹約している姿をどうように制御していくのか。財政の状況をどのように点検していくのか。臣下のそれぞれの立場からからの役割があるのです。為政者は自分の余剰分を積極的に人民に提供して、人民の困窮状態を起こさないことが大切なのです。いつの時代も同じことがいえるのです。為政者や国・社会のリーダー層には、贅沢な生活をもたらして、民の生活は困窮し、そのうえで過酷な労働と税で絞りとられていく姿は常に起こるのです。為政者は民を愛するという古代から孔子孟子の徳の教えからの課題は、いつの時代でも覆いかぶっているのです。

 まさに、為政者の徳は、民を中心にして、民を愛することが根本ということなのです。現代での民主主義は、ルールを大切にしますが、政治は、民を愛し、民を救うことが中心であるという徳が忘れられていることがみられるのです。

 「君主の徳は人民を愛するより大きいものはない。だから昔の君主が君主と語るときは、いつも人民を愛することを基本とし、人民を救うことを急務とした」。貝塚茂樹伊藤仁斎」97頁

 本来的に、民衆が物質的に豊かになって、生活が満足しているときに、君主は十分に物質的に足りているということなのです。

 「君主は人民あってこそ立ってゆけるのだ。人民がいなければ君主というものは生じないわけだ。だから百姓(民衆)が物資的に満足するときは、君主も十分足りることになる。逆に百姓が足りないときは君主も足りないことになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」270頁

為政者の務めは民を豊かに

 人間だれでも豊かさを求めることは当然のことです。その実現には、まず民が豊かになるということの君主の務めがあるのです。為政者自身、社会のリーダー層だけが贅沢に豊かになることではないのです。為政者や社会のリーダー層が、勝ち組として、贅沢な暮らしをして、負け組としての民衆は生活の苦悩と不安をおしつけられるものではないのです。現代社会は、社会的リーダーや為政者の贅沢な生活と一般大衆の格差の開きが大きくなっています。民の暮らしを豊かにしていくという為政者の根本が問われているのです。

 「富貴をのぞみ貧賤をいやがるのは人間の感情である。しかし君子の行動は道に基づかねばならぬ。富貴を得たとしても、そこにとどまらない。貧賤を得たとしても、そこからはなれない。ここでいって道とは仁である。君主が君主であると評価される理由は、仁をもちつづけているからである。もし仁からはなれるならば、どこに君主としての値打ちがあるだろう。・・・

 人間は危機に際して命をまとにしたり、君主の機嫌をそこなっても平気で諫言したり、ふるいたって我が身を考えないことがよくある。しかし、富貴・貧賤どちらをとるかという段になると、物質にひかれて心をうごかさぬわけにはいかない。ただ君主の心はいつも仁に安んじて、とどまっていてはいけない貧賤からははなれない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」104頁~105頁

 人間は、富貴と貧賤の道のどちらをとるかということでは、物質にひかれていくのです。為政者は、まずは我が身ではなく、民衆の貧賤から離れてはいけないということを仁斎は強調するのです。徳をもっている君主が統治するのと、小人が統治するのとは根本的に異なっているというのです。

 現代的に、仁愛の徳をもって君主として統治する為政者は極めて少なくなっているようにみえます。帝王学というように、為政者になることが運命的に定められている身分制の封建社会では、小さい時から帝王教育が行われるます。

 現代社会では、政治家や社会的リーダーになるための意識的な教育はなされていない。為政者になるには、選挙制度によって、有権者から票を得ることに集中していくのです。いわゆる選挙に勝つことが、政治家として上り詰める出発点です。現代社会のように、マスコミ、SNSの発達などによって、為政者になるには、一般大衆に演出して、人気を得ていくことが大きな条件になっていく。

 民を中心という民主の古代からの政治の徳は、現代社会の弱肉強食の勝ち組優先の自由なる競争社会では大きく欠落しているのです。民を中心にする政治には、勝ち組への社会的な秩序、ルールが求められているのです。主権在民ということが、為政者になった人たちが、いかにして民を中心にしていくのか。

 為政者自身の民主主義のルールを実施していく社会的規範が求められているのです。法的には、憲法ですが、同時に民主主義の社会的規範を守っていくうえでのマスコミの民主的な在り方や学校教育、社会教育における仁愛の精神の養成が大きく問われているのです。

 現代では、為政者自身が大衆迎合ということからの問題が常に起きます。多数主義ということで、少数や多様性を軽視することが起きがちな構造をもっているのです。選挙民の政治的な教養、選挙によって、多くの人々が学び、政治参加していくことが求められているのですが、そのことをどのように保障していくのかという大きな課題があるのです。

 また、立候補して選ばれる人たちが、徳や理念や政策を身に着けているのか。むしろ、大きな要因に人気的な要素が大きくあるのです。さらに、多くのものが、自己の権力欲や金銭欲によって、小人になって、肥大化する自己欲をコントロールできない為政者や社会的リーダーになっていく危険性をはらんでいるのです。

 ここでは、まさに、肥大化する欲望によって、社会的な混乱、退廃状況が起きていく要因が大きくあるのです。為政者や社会的リーダーによる利益だけが優先されがちです。多数決の選挙民主主義では、選挙に立候補する人びの徳の高さ、理念政策の強さ、補者を選ぶ多くの国民が、善に親しみ、社会的倫理、仁愛の精神をもって、理念や政策を理解していく学びが必要になっているのです。

 「君主が統治するのと小人を統治するのと、その道は自然に違うのだ。徳になつくものは利益でさそわれてないで善にだけ親しむ。土になつくことは、人の変わらない生業のある者が、変わらない心持をもつ。刑になつく人は聖人のつくった法式に楽しんで従う。恩恵になつく人は利益をくれる人にのみ親しむ。君子と小人は心のもち方が違うので、なつく理由も自然に違うのである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」109頁

 小人の統治では、刑になつく法式に楽しんで従い、恩恵になつく人は利益をくれる人にのみ親しむということになるのです。為政者自身が小人でありことから刑罰主義や形式主義の政治がはびこり、実際の人びとの生活、多くの困っている人々に目を向けることなく、自己の権力や事務的な権限の立場を利用して楽しんでいる為政者や官僚が多いのです。為政者や官僚は、恩恵になつく人びとに利益誘導して権力を維持していくのです。

 ここには、民の暮らしを豊かに、民を幸福にしていくという仁愛の徳はないのです。楽しんで従うということの指摘は、為政者のもとに多くの国民に法令を機械的に粗末な形式主義で国民操作を生きがいにする官僚の姿がみえてきます。かれらの権威主義を喜びにする自己存在でもあるのです。

 伊藤仁斎は、小人の為政者ではなく、善に親しむ徳をもつた為政者の大切をのべているのです。徳をもった為政者は、民衆を統治していくうえで、自己に充実という忠信をもって、他人に対して、責任を果たしていくという統治をのべているのです。

 「多数の民衆を統治するには、忠信、常に自己に充実で他人にたいして責任をもち、そのうえで才能がないと、失策をとりつくろい、形勢をとりもどすだけでも十分でない。どうして物事を仕上げることができようか。才能があっても忠信でなければ、皆の心が納得しない。きっと失敗する。だから忠信でそのうえに才能があってはじめて君子になれる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」193頁

 為政者が民衆のために尽くすには、自己に充実な徳と理念・政策という忠信と責任性が求められ、才能があっても自己に忠信でなければ、大きな面からみればきっと失敗するというのです。

 現代社会において、大衆迎合的、人気主義の選挙による多数決の主権在民の民主主義という制度のなかで、帝王学を学んでいた時代と異なります。政治家の質の問題が大きく問われているのです。

 日常的に、政治や行政に民がかかわっていく直接民主主義、住民の直接請求、住民投票などが切実に求められているのです。また、選ばれた議員自身が自ら政策をつくっての議員立法、議員による制定が求められているのです。

 行政府の意向による官僚主導の法令・条例作成から、民から選ばれた人々による議会中心へと変えていく必要があるのです。これらのことから、為政者やその官僚を民の暮らしを豊かに、民の幸福という徳と政策能力をいかにして身に着けさせていくのかという大きな課題があるのです。

 為政者・有司は民を豊かにという忠信を自己に

 どんなに才能があっても忠信の心がないと君子としての為政者にはなれないのです。才能がなければ、失策をとりつくろうことに奔走するのです。政治の要諦は、為政者自身が身を修めることからはじめなければならないのです。

 そして、責任をもって事にあるということです。ことの失策で、常に弁解に努めることが仕事として場合を多くみる現代です。まさに、責任感の欠如と、自らの為政者としての身を修めることがおろそかにされて、大衆への迎合として右往左往しているのが現実である。ポピリズムの隆盛のなかの為政者の病理です。

 「政治の要諦は為政者自身がさきに身をおさめ、自らその事につとめる、この二言に尽きる。道は本来身近なところにあり、事は本来やりやすいものである。だから道をほんとうに知っている者は、道をむやみに遠大なところに道を求める。

 むつかしいところではなく、たやすいところに求める。これが政治の要諦であって、それ以外のなにものでもないことをよく知っているからである。為政者自らが先に立って働けば、人民もつとめはげむが、そうでないとき事はうまくいかない。身をもって事につとめれば、その効果は速やかにあらわれる。・・・

 有司は下役。宰(執事)はすべての役人に見なわれる立場だ。したがって、宰が率先してよく働けば、怠慢な役人はなくなる。過失をゆるしてやれば、人はのびのびし、みんなが悦ぶ。賢才を挙げ用うれば、抜擢された人は熱心に勤務するから、政治は公明になる。宰が率先して働く、小過をゆるす、賢才を抜擢という3つの項目は、政治の大要である。

 もとじめがしっかりしていなければ、下の者も自然だらしなくなる。上の者の指導がなければ、下の者は必ず怠ける。人の過失をゆるさぬとなれば、刑罰ばかり多くなって民衆が離反する。賢才とは、いわば国家がこれに頼って運営するものだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」281頁~282頁

 為政者は自ら先頭にたって事に当たらなければならないことをのべているのです。責任ある執事の立場は、役人の見本にもあるということです。その責任性は大きなものがあるというのです。上の指導者が怠ければ人の者はなまけるというのです。

 役人の上のものが自分の地位の維持のために仕事をして、部下に自分の権力維持のために業務をおしつけていれば、下のものは、いつも上司に気に入れらるように、現実のことではなく、口先の快い言動が日常化して、民の心から遠く、むしろ民を押し付けるために上司にむかって行動が多くなるのです。上から下へと絶対的権力をもって降ろしていくという官僚主義がはびこっていくのです。そして、国民は、そのもとで煩雑な事務によって統制され、苦しむのです。煩雑な事務に適応できない多くの国民は、排除されていくのです。国家による排除は、事務の煩雑さとおごり、口先上手といいわけということになるのです。そして、困っている国民を恐怖にさせるおどしをかけるのです。

 ここでは、民への監視、刑罰が横行していく、機械的な法や制度が重視されて、現実の民の生活、様々な時代の変化などの矛盾にも気がつかず、全体として社会的混乱と社会経済の沈滞、後退になっていくのです。

 政治の要諦はごまかしではなく、身近な生活のところから

  政治の要諦は、空理空論ではなく、政治の道を遠大なところにおいて、ごまかしをはかるのではなく、身近なところの現実的に困っているところから出発すべきなのです。そして、身近に困っていることを、具体的に道筋をつけて解決していくことが政治の要諦なのです。さらに、役人の在り方についても伊藤仁斎はのべています。

 すべての役人を統括する執事の役割も重視しています。執事は率先して、物事に具体的にあたることを強調しているのです。行政的に下に命令していくのではないのです。率先して、人びとの困っていることはなにか。役人としてできることはなにかと熟慮して、実践していくのです。

 役人は上から与えられた事務的な仕事をこなしていくのではないのです。このようにすれば、多くの役人がついてきて、怠慢な役人が一掃されていくのです。とくに、役人の抜擢には、賢者を選ぶ重要性を指摘しているのです。

  賢者を選び、能力ある人を任用するのは、地位のある人の務めでもあるのです。賢い人を任用していくことは極めて大切なのです。

 「賢者を推薦し、能力のある人を任用するのは、地位にあるものの義務である。もしある人が、他人の賢いことを気がつかないで、任用しなかったときは、いうまでもなく、その人は官職にふさわしくなかったのだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」354頁

 役人にも道理ある学問を身につけていくことは不可欠です。役人としての善を求めていく志が必要なのです。役人が学問をして、善を求める志を深くしたとしても自らの職責が十分にできなければ、学問を深めたことにならないのです。善をふかめていく学問は具体的であるからです。このことについて、伊藤仁斎は次のようにのべます。

 「学問は道(道理)をきわめるものであり、役人となることは、その人の善を求める志を実行することである。だから、役人になって、その任務の効果がひろく影響するように果たすなら、たとえそれまでに学問をすることなどなかったとしても、それは学問の道筋からはずれないのだ。・・・たとえ学問をして役人となったとしても、もしその職務に十分たえうるものでなければ、学問をしなかったのと同じである」。貝塚茂樹伊藤仁斎」426頁

 仁政の確認方法としての民謡や詩

 ところで、仁政がよくやられているのかどうかをみるのに、地方の民謡や民の詩からもみることができると伊藤仁斎は語るのです。

「地方の民謡によって政治のよしあしを見てとることができる。民心が詩によってやわらぎ、温和になることができる。民は詩に託して悪性を怨むことができる。民心が高揚すると、善を好み不全をにくむ心を民におこさせることができる。

 詩によって為政者が民心を観るばあいには、民がどんなうたをつくるかによって、民の人情を推察し、事変がおこりそうなことを見てとることができる。民心がやわらぎ、極端に走らないならば、民の心に温厚な、平和な感情がおこってくる。

 民が悪政を怨む詩を作る場合には、民の上にそむく感情やがさつな感情を消すことができる。民が善を好み、不善をにくむようになれば、それは政治の根本が確立したことになる。人情を推察し、事変を予知できるようになれば、政治の実用が完成したことになる。民心が温厚に、平和になれば、はばかることなく発言することができる。人民のそむく心、がさつな心が消えるようになれば、ものごとに摩擦がおこらなくなる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」288頁

 民謡は、民の心の高揚の表れです。民の民情がわかるのが民謡なのです。民の感情は消すことができないのです。民が悪政を怨むことは、民謡や詩のなかに表現されるのです。為政者は民を観るときに、民謡や詩の表現をみることが求められるのです。

 天下を治めるのは、仁を根本的な態度として、民衆の情をみていくことは大切なのです。法や制度が根本ではないのです。時代のなりゆきによって、制度は変わっていきます。

 「天下を治めるには、仁を根本的態度とする。・・・法というものは、必ずすたれることがあるものだが、道にはすたれることはない。先王の制度は、時代のなりゆきにそって、民心にしたがって定めたものであるが、久しい期間にわたると、どうしてもすたれるものが出る」。貝塚茂樹伊藤仁斎」355頁

 政治は徳で、法が根本ではない

 王者の政治は徳で、法が根本ではないというのです。法は速く現れるが、太平には害があるというのです。覇者は法によるが、王者の政治は徳を根本にして治めるというのです。

 「王者の政治は、徳により、法によらない。その効果はまわりくどくというよだが、その影響は永久的である。覇者の政治は法により、徳によらない。その効果は速く現れるようだが、太平には害がある。そこで国を治める根本は自分の身を正しくすることにあるので、巧みな計算でできることではないことあわかる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」75頁

 伊藤仁斎は、為政者を王者と覇者と根本的に分けています。徳による政治を王者として、法によって統治しなとしています。覇者は、法によるというのです。法は、統治にすぐに効果があるとしていますが、太平には害があるというのです。

 伊藤仁斎は、法というのは、時代によってすたれていくとつぎのように述べます。「法というものは、必ずすたれることがあるものだが、道にはすたれることはない。先王の制度は、時代のなりゆきにそい、民心にしたがって定めたものではるが、久しい期間にわたると、どうしてもすたれるものが出る」。貝塚茂樹伊藤仁斎」353頁

 法というものは、人心に従って定めたものであっても、時代とともにすたれていくというのです。しかし、徳はすたれることがないというのです。

 人を法によって威圧して厳しく取り締まって、善性を行っても人々は敬服しないと仁斎はのべるのです。「民に威圧を以ておごそかに臨み法を厳しく取り締まる。もっぱら命令を下し扱き使うばかりで、哀れみ、思い遣り、同情心がない。この法式を指して民を以て民を治むという。孟子の曰く「法度も禁制もよく整っている善政も悪くないが、仁義道徳の教えによって民を導く善教のほうが、民の帰服を得るものである。人を服させようとして善を行ったのでは、本当に人を服させることはできない、善を行って自然に人を感化自覚させれば、初めて天下をも服せしめることができる」。童子門、37頁~38頁

 法や制度では、民を服せることができなということです。仁義の教えによって、民を善に導くことが、天下を治める仁政ができるというのです。法や制度で厳しく取り締まりの統治することは、民を威圧することになるというのです。もっぱら命令をするばかりで、哀れみのない、思いやりもないということで、人びとは敬服せずに、萎縮してというのです。これでは、天下を治めることができないと。

 人間のあらゆる行動は、礼を基準にしているとするのです。礼による「法則によって、これを規制しないと、過ぎたるものはますます過ぎ、及ばないものはますます及ばなくなる。ここが道がわからなくなり、実現できない理由である。人間の礼に対する関係は、ちょうど定規とすみ縄のようなものであろう。恭慎な人間は柔の徳をもっている。勇直な人間は剛の表れである。どちらも人間の善い行為である。

 しかし、礼によって、これを礼によって加減しないと、恭しい人間は鳥越苦労し、慎みん深い人間はびくびくするようになる。勇気のある人間は乱暴になり、一本気な人間はせっぱつまることにいなる。その弊害はとてもあげられないことになる。

 そこで孔子は、いつも礼を人間の定規・すみ縄とし、人をしてこれを基準とさせる。大きいところでは、国家を治め、社会指導し、近いところでは身を修め、家庭を整えるのも、みな礼によらないものはない。後世の学者礼について発信するが、その説はあまり高踏的で、一途に自分の心の中に求めて、心を法則とすることになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」189頁

 礼とは心の法則、儀式というものではなく、人間の定規・すみ縄というというもので、基準を客観的にみえるようにしたものであると。後世の儒学者による礼の見方は、高踏的で、心の中に求めているのはおかしいと、伊藤仁斎はみているのです。

 武力を用いて利益を得ることは、民心も安定せず、敵が刃物で血をもたらす

 人はみな目の前にある利益に気がとられていくが、後からそれでは、大きな害があることに気がつく。武力を用いて利益を得ることは、民心も安定せず、敵が刃物で血をもたらすことが起きるのです。武力を用いることの怖さを伊藤仁斎は指摘しているのです。

 「人はみな目の前にあるちょっとした利益に気をとられて、あとから来る大きな害に気づかないのは、天下の人々の共通した欠点である。後世の武術を学習する者は、武力を用いて、よく利益を受けるというだろう。これは、とりわけ次の点を理解していないのだ。もしかりにも、国の内で民の分け前が平等でなく、民心が安定せず、仲良くしなときは、敵がその刃を味方の血でぬらすまでもなく、変事がきわめて身近なところから発生し二度と救うことができないという」。貝塚茂樹伊藤仁斎」370頁

 武力の利益は、民の分け前が平等ではなく、血を流す事件が身近なところから起きて、救うことのできない惨事になるのです。

 言論が誠実ということで、すぐにその人を信じてはならない

 ところで、言論が誠実ということで、すぐにその人を信じてはならないと伊藤仁斎は指摘しています。誠意をこめた言論でも信じてはならにとしています。

 「その言論が誠実であるからといって、すぐにその人を信頼してしまったのでは、その人が真の君主であるのか、うわべだけでいかめしい人間なのかよくわからない。だから「、言葉や外見だけで人を判断してはならない。軽薄な言葉の信用ならないことは誰でも知っているが、誠意をこめた議論もまた、すぐには信用できないことは、人は案外知らない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」252頁

 誠意をこめた言論でも信じてはいけないということを強調しているのです。言論だけでは、信じてはいけないということで、具体的にやっていることをみていくことが大切というのです。

 ところで、大衆が示す好き嫌いは、どうしても他人の説が含まれ、正しいか誤っているかという実体は大衆が識別することができない。善でも悪と品定めするし、悪であるのに善いとすることがあるのです。自己の信念を守って衆人からぬきんでた行いをするものは、嫌われるのです。

 偽善者の振る舞いは、世人に気に入られるものだ。大衆の動向どおり好き嫌いするのでは、なく、実体を見定める必要があると伊藤仁斎はのべます。大衆迎合は、正しくなく、偽善者もみることができないのです。とかく、世人が気に入るのは、偽善者のふるまいという。

 「大衆示す好き嫌いは、公平なものであるが、他人の説に同意したものがどうしても、含まれる。正しいか誤っているかという実体は、大衆が識別できるものではない。その事柄が善であるのに、悪いと品さだめすることがあった。悪であるのに、善いととなえることがある。

 自己の信念を守って衆人からぬきんでた行いをする人物は、衆人は必ず憎みきらう。偽善者の振る舞いは、世人の気に入るものだ。だから聖人は、大衆の動向のとおり好き嫌いするのではなく、必ずその実体をよく見定めるのだ。

 ・・・人間は小さな存在だが、ものを知る力がある。かりにも学問にはげみ、徳を身につける修養をすれば、それぞれの才能にしたがって、聖人となり、賢人となり、その人の作った礼楽や制度と徳行とは、天下をおおうだけのものはもっている」。貝塚茂樹伊藤仁斎」360頁

 人間は小さい存在だが、ものを知る力があるのです。学問をして、徳をみにつければ、聖人となり、賢人となることができるというのです。

 民がわるいか善いか悪いかの判断は、上にたつものがそうさせるのが、一般的です。民を指導するのはなりわいをもつようにさせることが一番大切としています。そのうえにたって、道義を教えることだというのです。

 「一般的にみて、民が善いか悪いかは、みな上にたつ者が、そうさせるのである。だから、昔の聖徳のある王者は、どう民を指導するかをいちばん謹んだのである。思うに、民を指導する要点は、第一に民にそれぞれふさわしい生活のよりどころを得るようにさせることにあるのだ。だから昔の王者たちが民を治められたときには、きまって一定のなりわいをもつようにさせ、さらにその人民に親には孝、兄には悌という道義を教えたのである。

 このように治めていて法にそむく者が出たときには、それでもなおそうした者をあわれむ気持ちが王者にあったのである。まして民が生活できるために、なんのきまりがなく、民を教導するのに、なんの人としての道がないのでは、上に立つ者がさきに上に立つ者として守る道からはずれたことになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」429頁

 法にそむく者がいても、それでも仁愛の徳をもつ王者は、その民をあわれむのでした。徳をもつ為政者は、統治の基本的方法に徳を育てることを重視したのです。そして、上に立つ者の仁愛の徳を重視したのです。 

 徳のある君子の心は誠実でごまかしがないので、ちょっとした過失で世間は気が付くのです。君子の行動は常にみられているのです。君子は自分の行動をかくしてもみられているので、過ちは認め、改めていくことによって、民から一層、慕われていくのです。

 「君子の心は、誠実そのものでごまかしがない。それで君子の過失は、どんなちょっとした過失でも、人びとの目につくことになる。それは、太陽が月の本体があまりにも明るいので、わずかなくもりでも、世間の人びとが気づくようなものである。

 それは、君子の行動は、はっきりしているので、容易にわかるものであり、それに自分の行為をかくしだてしないことだ。しかも君子は過ちをしたときには、必ず改めるものであり、過ちを改めたときは、人びとは前にもまして、君子を尊敬し慕うようになる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」430頁

 君子は、常にみられているので、過ちは誰でもあるもので、率直に認めて改めていくことを伊藤仁斎はのべているのです。これこそ世を治めていくリーダーの在り方なのです。

 

(4)ヒューマニズム人道主義と心豊かな生き方

 

 人間としての楽しみ 

 音楽は人間らしく生きるための楽しみです。その保証は民の生活にゆとりがあることが不可欠であると仁斎はのべるのです。そして、民の暮らしを豊かにしていくためには、為政者には倹約を強調しているのです。

 人間らしい暮らしをしていくたには、音楽をはじめ文化の根を断ち切らないことであるとするのです。仁斎は、ヒューマニズム人道主義の基本に、音楽をはじめ文化をもって楽しく暮らすことを大切にしているのです。

 「音楽が盛んなのは、民の生活にゆとりがあるからだ。家庭生活が保証されており、財産に不足がなかった治世の時代では、民の心はなごやかで人間関係も親密であった」と仁斎はのべるのです。「礼が重んじられ、音楽が奏でるのは当然であった。それゆえ、孟子は王道を論ずるのに、民の経済の満ちたりた運行をさきにした」と仁斎は強調するのでした。童子門29頁~30頁

 さらに、文化の根を枯らさないために、倹約をおこたるなと仁斎はのべます。「人情の自然として、楽しんでいるときは一心不乱に熱中するが、飽いてくるとちゃらんぽらんになる。ひたすら節倹に努めたら、必ず家は富み、なし得る事柄の範囲が広くなる。ゆえに文化的な修練が楽しみとなる。この成り行きこそ、礼の興る源泉である。

 しかし、礼を重んずるあまり、それが贅沢になり、飾り物が幅をきかせるようになると、財産が尽き果てて、もはや何もできなきなる。勢い、世の中から引っ込んでしまいたいと心が萎(な)える。こうなると、礼が廃れて世の秩序が乱れる」。童子門32頁

 仁斎は、何を楽しむかが大切とみて、大学という儒学の書にある好み楽しむことがあるときは、正しく行うことができぬというのは誤りであるしています。他人のよいことをほめる楽しみは、自分一人の利を守る心が溶けていくというのです。

 「人は、好み楽しむことなしにはすまない。ただよいことを楽しみとするときは、一日一日とプラスになり、よくないことを楽しみとするときは一日一日マイナスになるだけである。それで、礼儀・音楽のきまりに行動をあわせることを楽しみとするときには、その行動は規律にしたがうことになって、徳に進む基本ができあがる。

 他人のよい点をほめる楽しみとするときは、自分一人の利を守る心がとれて、徳を大切に気持ちがあつくなる。賢明な友人が多いのを楽しみとするときは、自分に満足するとうなおとはなくなって、徳を達成する補助が多くなるのだ。だから益なりといわれるのだ。

 おごる楽しみをするときは、おそれるところがなくなり、人を見下し高ぶる心が一日一人とはげしくなる。気ままに遊ぶ楽しみをするときは、おそれ危ぶんで行いを修めるところがなくなり、心が必ずすさむものだ。宴楽を楽しみとするときは、心をうばわれてところができて、こころが熱中しがちになる。だから損なりといわれるのだ。人たるものは、好み楽しむところに気をつけなければならない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」374頁

 おごる楽しみ、気ままに遊ぶ楽しみは、人を見下し、おそれる心がなくなって、おそれ危ぶんで行いを慎むことがなくなるというのです。人たるものは好み楽しむことに気をつけなければならないと考えているのです。

 誠心誠意の学びと貧富の運

仁斎は学問するものが誠心誠意学び取って実行することは、その能力に応じて十分に社会的に活かすことができるとしているのです。「一般の多くの人びとを包容できるならば、人びとを見捨てることはない。能力のない人を気の毒に思うならば、人びとをその力に応じて十分に活かすことができる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」419頁

 多くの人々を包容できる能力は、誠心誠意、現実に即して、実践をとおしての学びを行うことによって、身についていくものです。包容力をもととは人々を見捨てることではなく、能力のないものも、その人に応じて社会的に力を活かすことができると伊藤仁斎はのべるのです。

 人には、それぞれの能力の差があったり、運もあって、富んだり、貧しかったりすることがあります。貧富の差があることのそれぞれの立場が道義にかなっているのかどうかということが、重要であると伊藤仁斎はのべます。

 「人が貧しかったり、富んだりするについて、もっとも大切なことは、それが道義にかなっているかどうかである。いやしくも道義にかなっていれば、金持ちになるのもよし、貧乏または可なりである。

 しかしながら、道義のほかに人には天命(運)といわれるものがある。貧とか富とかの表面的現象にとらわれていては、いいかえればそれらを超越し、天命に甘んずる境地に入るのでなければ、人間は心底から安心できるものではない。そもそも努力なしにもたらされるものは、いわば天命(運)によるものだ。かりそめにも努力して得たものは、たといその手段が道義的であっても、これを天命ということはできない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」254頁

 貧乏になったということや富をもったということは、表面的なことです。それは、運も強く影響するのです。道義をもって努力して得た富は、その人のもっていた運、天命でもあったのです。その得た富をどうするのかかが道義的に大きく問われていくのです。人間が心の底から安心できる境地になるのは、運、天命ということで、その分配をどう道義的にしていくかということです。

 善人の心を大切に 

 ところで、善人をよしとすることが大切と伊藤仁斎は強調するのです。悪人をあえて悪と強いても効果がないのです。善人をひきあげて育てていくことが大切になってくるのです。

 「善人をよしとしさえすれば、悪人を悪とすることは強いてやらなくてもよい。悪人も自然に善くなるものだ。もしかりに、勧善の方をやらずに、懲悪、すなわち悪人の除去だけを強行するならば、悪人をことごとく除くこともできず、善人をひきあげて育てることもできなくなる。善人を育成すれば悪人も自然に感化されるものだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」276頁

 友と交わる道においても善を導くということから交わっていくことが大切なのです。相手が、こちらの言うことを聞き入れない場合は、忠告をしても意味がないということです。自らの悟りをじっと待つしかないというのです。何度も忠告すれば、相手はかえって嫌悪感をもつものです。

 「友と交わる道は、まごころを尽くして忠告し、事をわけて説明し相手を善い方に導くのが本筋である。しかし相手がこちらのいうことを聞き入れない場合には、しばらく忠告を止めて、かれが自ら悟るのをじっと待つのがよい。そうではなく、あんまり何度も忠告すれば相手の嫌悪を招くだけだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」289頁

 人情と仁義礼智信

 仁義礼智信という五つの徳は、人情に由来しているのです。人情をはずして、人びとの徳の行いはないのです。人情をはずせば、人間は、動物のように心が狼、やまいぬ同様になっていくのです。後世の儒学者たちは、人情を忘れて、礼によって節度を保ち、義によって正しい判断をすべきということで、天の理によって、徳を考えるということを伊藤仁斎は次のように批判しているのです。

 「五常仁義礼智信)をはじめ、もろもろの行いはみな人情に由来している。人情を外にして別に天理というものがどうして存在しようか。いやしくも人情に合わないならば、たといどんなにむつかしいことをやりとげても、心は狼・やまいぬ同様ということで、決してよいこととはいえない。

 すべからく礼によって節度を保ち、義によって正しい判断をすべきである。後世の儒者は好んで公の字を持ち出すが、その弊害はついに道を妨げるまでに至っている。是を是とし、非を非とするたてまえから、親しいものと縁の遠いもの、身分の貴と賤などいっさい区別せずに批判するのを公という」。貝塚茂樹伊藤仁斎」296頁~297頁

 自分の利益よりも他人を立派に

 徳の道を求めるものは自分の利益よりも自分以外の者を立派にならせることができるとしています。仁徳のある人との交わりは大切です。すぐれた先生や友人との交わりによって、徳が完成していくと伊藤仁斎はのべます。

 「道を求める士というのは、その志を全うするためには、自分の利益になるといっても、それをしない事柄があるものだ。仁徳のある人というものは、その他によって自分以外の者を立派にならせることができるものだ」貝塚茂樹伊藤仁斎」350頁

 「人というのは、すぐれた先生や友人がいないと、その徳は完成しない。先生や友人のよい影響を受けてだんだん人格が形成してゆくということができるという利益ははなはだ大きいものがある」。貝塚茂樹伊藤仁斎」351頁

 ところで、他人の悪いところは、誰でも目につきやすい。しかし、他人が悩んでいることには、気がつかない。自分に対しては、寛大ですが、他人に対しては、過酷になりがちです。常に思いやりという恕のこころが人との交わりで大切になってくるのです。このことについて、仁斎は、次のようにのべます。

 「他人の悪いことは目につきやすいが、その人の悩みに気づきにくいものだ。自己をおさめるときには寛大にし、人を遇するときにはきまって過酷になる。これは人に共通する欠点だ。だから恕を心がけとするときには、きびしく人をとがめだてすることなく、よくその過ちをゆるして、その人の困っているのを救うものだ。その効用は言葉でいいつくせないほどのものがある。・・・ほめるときには、それこそしらべたうえではじめてそうするのである。実質がないのにほめることはひない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」358頁

 人との交わりにおいて、自己に寛大に、人には過酷になりがちな欠点を克服していくために、ほめることが大切としています。

 身近な問題の大切さ

 広く学問を修めるときは、熱心に志すことと身近な問題について、よく考えることをすれば、空理空論のことに目を向けることがなくなるというのです。

「広く学問を修めるならば、問題を追及するときに、念を入れることになる。熱心に志すならば、道を信ずることが実質的である。きびしく問うならば、ふらふらして確固としないという心配はなくなり、身近な問題についてよく考えるならば、高遠なことばかりに心を向けるという弊害はない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」421頁

 仁斎は人間性に即していない道徳は真の道徳ではないとのべます。道理は人間関係のなかにあるもので、身近な問題から離れて、天の理にあるのではないのです。

 「道理とは仁義礼智である。これらの重要な道徳のなかに、人間はしっかり閉じ込められていて、少しの間もそこから離れることができない、離れてしまえば、人間が人間でなくなってしまう。それゆえ、人間である限り道徳は必ず守られる」。「道理は人間関係のあるところにこそ行き渡って行われ、そもそも人間がいない地域か、あるいは、はなはだしく未開であるなら、道理も何もあったものではない」。童子門76頁~77頁

 人間の社会が存在することによって、道理があるのです。文明があれば徳があるのです。文明のない未開社会は、人間社会が生まれていないというのです。

 適性をのばすことの大切さと人生の自由選択

 仁斎は、自分の適性を伸ばせば、人に好かれる生活に変えられると語っています。そして、教育の環境があるのです。どのような教育に出会うか。人は様々な環境の差によって、育っていくのです。学習の様々な条件を意識的に変えていくことも必要なのです。その際に、自分が何に向くのか。何をやりたいのか。自分を見極めていくことが不可欠になってくるのです。

 「人間は生まれつき似通ったものであるが、成育や生活の習慣に差があれば隔たりができる。また、人間は教育を受けるか否か、どのような教育に出会うかによって非常に個人差が生じるもの」「学習のさまざまな条件の差が生じた事情から、学習によって自分が何に向くかを見極め、適正を伸ばすべく力のある限り努めるなら、性格のよろしくない側面を率直な、人に好かれる性質に変えることができるのだ」。童子門86頁~87頁

 仁斎は、人には自由選択の道があるとのべます。人は自分で運をえらびとる方法があると言っているのです。「天には必然性という原理があり、人には自由選択という道、つまり生き方がある。善をなせば百の幸福を降し、不善をなせばこれに百のわざわいを降す。積善の家には必ず余慶あり」。貝塚茂樹伊藤仁斎」176頁

 人を教えるのに臨機応変

 人を教えるのは、臨機応変にやり方が大切と仁斎はのべています。後世の儒学者の教育方法は、自分のできることを教え込むだけであり、これでは、生徒たちを駄目にしてしまうと伊藤仁斎は、批判しています。

 「孔子は弟子を教えるにあたって、時にははげまし、時には、抑え、それぞれ臨機応変のやり方をされる。それはあたかも、天地宇宙の原理において、陽のときには伸びひろがり、陰のときには衰えちぢみ、万物が四季陰陽の大きな流れの中で、季節、季節に応じて成長したり衰退したりするようなものである。

 ・・・後世の教育者には、自分ができることだけを世の人材におしつけがましく教え込もうとする者が多い。孔子のやり方とはたいへん違っている。真に師大たる道を知らずにやる教育は必ず生徒をだめにしてしまう。つつしむべきことではないか」。貝塚茂樹伊藤仁斎」253頁

世間に同調と自分の考え

 徳をもった君主は、自己の徳や考えの節操を守ることは大切ですが、人びとと異なった考え方を高尚ぶることはしない。自分と他人を同等で考えて、いい加減に世間に従うことはない。つまらぬ人間は自分の存在を意識しているだけであるから、争うことはしないと言うのです。

 「君子は、人としての正しい道にしたがって自己の節操を守るが、人びとと異なった考え方をして高尚ぶつものではない。だからおごそかにしていながら、人と争うことはない。

 自分と他人とを差別なく平等に扱うが、いい加減に他人に同意して世間に従うことはしない。だから人びとのなかにありながらへつらい同調することはない。つまらぬ人間は、自分の存在を意識しているだけだから、争わずにおれない。権勢と利益ばかりを考えているから、衆人にへつらい同調せずにはおれないのだ」。貝塚茂樹伊藤仁斎」357頁

 権勢と利益ばかり考えている者は、衆人に同調せずにはいられない。現代社会は、多数決主義選挙という民主主義ということで、大衆に迎合して、へつらい、世間に従う為政者が多くなっているのです。世間に同調していくことが、権勢と自己利益を得ていくことになっていく。

 それは、民のために、一般大衆のためになるとは言えないことが多いのです。むしろ、意識的に世間ということで、世論をつくりあげていくことが、SNAやマスコミの発達の情報社会の特徴です。世間の意見が必ずしみ一般大衆の現実の生活からの意識形成とは言えないのです。とくに、複雑な様々な社会的な構成などによって、現実の人びとの生活実体を把握することが難しくなっているのです。また、社会的意識も日々、流動しているのです。

 仁斎は、人が行動していくうえで、心がけることの内容について次のようにのべます。「敬とは、うやうやしく仕事についておこたらないことである。自分が敬であったかどうかを反省すれば、事にあたって失敗はない。

 いつも問いただすことを考えていれば、疑問がたまることはない。一時のあせりからおきるのちの難儀に思いをいたすなら、焦りは必ず思いとどまるようになる。いい加減な気持ちで利益を手に入れることはしない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」377頁

 和ということの大切さ

 和という課題は、現代社会のように多様な生活実体、様々な職業、暮らしなりあい、生活様式の複雑性から、極めて大切な課題とあっています。伊藤仁斎が生きていた時代と比べれば、和を保つことが一層に難しくなっているのです。

 和は人間関係において、美徳ということすら、消えているのではないか。徳の道がすたれていくのは、和を大切にしていくけじめをつけていくという仁斎の言葉を確認していくことも重要ではないかと。

 「礼はこれ和を以て、貴としと、為す。和とは反抗がないことである。礼が行きすぎる、人民ははなれる。だから礼を実行するにあたっては和を大切にするのである。和を知って和すれども、礼を以ってこれに接せざれば、また行なわれべからざるなり。

 ・・・礼は、和のみを専一にしてはおれぬ。その意味はひたすら和を大切にすることを知っても、礼によってこれを調節しない、活気がなくなり病的になって、また実行できなくなる。

 和とは美徳で、礼において大切にされているものである。人びとはだれでも和を大切にすることは心得ているが、礼のけじめがくずれことになるのも、その和にかかっていることを心得ない。そもそも道がすたれるのは、けじめがくずれることからはじまり、けじめがくずれるのはきっとあまり和を大切にすることからおこる。貝塚茂樹伊藤仁斎」55頁~56頁

 深く修養している徳のある人物は、仁義の道理をもって、幅広く物事をみることができるというのです。自分の深い道理から他人と同じくしない、基本姿勢をもって、とくに小人の徳の不十分な人たちに迎合していくということが、和ということでは決してないことを伊藤仁斎は力説しているのです。

 現代的には、決して大衆迎合主義というポピリズムになっていくことが和ということではないのです。そして、自分たちの基本的な理念を投げ捨てて、妥協していくということではないのです。和とは、深い幅の広い徳をもって、現実的な生活や状況に即しての、お互いが道理を、理念をもって、行動の内容においての和なのです。

 「君子は和して同ぜず。小人は同じで和せず。君子(徳のある人物)は、心が調和しているので、他人とさからうことはないが、一方で正しい道に従っているので、いつも他人といっしょにするというわけにはいかないのだ。小人は反対である。君子がこころがけるのは、仁と義につきる。調和すれば、他人とはなればなれにはならないし、他人に、同じなければ自分の心を失うことはない」。貝塚茂樹伊藤仁斎」300頁

 伊藤仁斎の和についての考えは単に自分の考えを放棄して、他人の意見に合わせていくということではないのです。自分自身の道理、考えの基本を失わず、他人といっしょにするということになるのです。ここでは仁と義の道理が大切にされるということです。

  学問するうえでの統一と専一と人間の暮らしの知恵

 学問を進めていくうえで、多学ではなく、様々な分野の総合的な側面からの統一した視点の重要性を伊藤仁斎は強調するのです。

 「思うに、統一と多学とは反対である。統一されていれば、得るところがあり、二つ三つに分ければ、失うおとになる。統一されていれば、成功し、二つ三つになれば失敗する。だから、学問をしようとするものは、わき道に心を向けたり、多方面に進むことを求めたりせずに、統一に統一を積み重ねて、最高の統一に境地に達したときには、君臣・父子・夫婦・長幼・盟友の5つの道やあらゆる人間の行為、礼儀や音楽、その他の文化行為はすべて一つに統合され、それ以外のものを求める必要がなくなる」。貝塚茂樹伊藤仁斎」346頁

 学問は、多学ではなく、統一という視点を力説するのです。様々な考えがあるということで、それを一つの道理をもって、統一していく大切を指摘するのです。人間が生きていくには、いろいろの分野があります。人間の行為、礼儀、音楽、文化的行為など様々な側面からの現実と行動の方法を総合化していくという統一の探究があるのです。

 伊藤仁斎は学問をしていくうで、最高の統一の境地に達することを推奨しています。そして、専一することと、熟達の努力を強調しているのです。様々の分野について、いろいろの考えを統一して、総合的にみていくことと、自分の社会から与えあれた役割分担、専門を熟達していくということも求められるということです。一見、矛盾するようですが、統一と専一・熟達ということは大切なことなのです。

 専一と熟達の心をもっている人は、道理を心がけているので、皆、誠心で行為が誠実にでるとしているのです。学問をする人は誠実であることを基本としているのです。しかし、後世の儒者は、高遠高尚な真理の探究はそれではないと自らの一つの教義をたてていると批判しているのです。後世の儒者の高遠高尚の真理の理論は、実際に役立つ道理や実地の行動を忘れているというのです。

 「学問をするのに大切な点は、専一であること、熟達することになる。専一でなければ成功しあいし、熟達しなければ効果があがらない。そもそも、道理に通じることを心がけている人はみな、言葉に誠心があり、行為が誠実でつつしみ深いということが、立派なことであることを知っている。

 しかしながら、それだけの効果があるものを見たことがないのは、専一ではなく、熟達しない結果である。必ず専一を心がけ、熟達するように努力してはじめて、自分が相手の目前に立ったり、目につく場所によりかかるようにして近くを通るのを見せたりするときに、相手はその人の考えを無視できないで、広くさかんにその考えのとおりに行うようになり、だれもさえぎることはできなくなる。

 ・・・誠実であるということは、学問をする基本であり、ねんごろでつつしみ深いのは、学問をする素地である。昔の学問をする者は始めから終わりまで、あらゆることにこの二つをつくしてきた。

 後の世の儒者は、誠実であり、ねんごろでつつしみ深くすることは、日々いつも務めることであり、深遠高尚な真理に到達するための理論ではないと考え、とくに一つの教義をたてた。これはとりわけ次のことを理解していないのだ。すなわち道というのは、実際に役立つ道理であり、学問というのは、実地に行うつとめであるということを」。貝塚茂樹伊藤仁斎」348頁~349頁

 学問をする根本姿勢について、伊藤仁斎は、専一で、熟達していくことを重視しています。専一して、熟達しなければ学問の効果はないというのです。そして、道理に通じている人は、誠実であるということで、この誠実さを強調するのですが、後世の儒学者は、誠実さを否定しないが、それだけでは、深遠高尚な真理に到達することができないとしていると伊藤仁斎は批判するのです。仁斎にとって、様々な分野の統一、専一と熟達、誠実をことさら重視しているのです。

人間が生きていくうえで、祭り

 人間が生きていくうえで、祭りという行事は、人間の原初に帰る感情として大切な礼の心であると仁斎は考えるのです。人間の原初は祖先に帰ることだというのです。万物は天であるということで、生きていることの感謝のお返しとしての祭りの礼ということです。

 「祭りの礼は、人間の道の根本であり、祭りに誠意をつくさないと、人間の道が不十分になることは、いまさらいうまでもない。およそ、人間は祖先が根本であり、万物は天が根本である。やまいぬやかわうそのような賤しいものでも根本にお返しすることを知っている。根本にお返しする心は人間のお自然の感情である。聖人はやむにやまれぬ自然感情にもとづいて祖先のみたまを建て、いけにえを供え、ふたものとたかつきをならべて、根本にお返しをし、原初にかえる感情をあらわした」。貝塚茂樹伊藤仁斎」89頁

 祭りは、根本に祖先にお返しをする人間の礼と、自然の恵みに感謝するということです。祭りは、原初への厳粛な礼と自然の恵みに祝う行事を、盛大に熱気を込めた行動で感謝の念を表すことです。

 ここには、人間であるがゆえにもっていた感謝に対する自然感情の発露でもあるのです。人間のもっている感情の自然性、人間が自然の恵みに感謝することからも大切なことです。日本では、正月の初もうでから四季をとおして、節々に年中行事があります。節分、ひな祭り、端午の節句、お田植祭、七夕祭り、お盆、十五夜、収穫祭・新嘗祭など地域ぐるみで行われ、現代では、地方の観光にもなっています。

 祭りには厳粛な祖先に対する儀礼の要素と自然の恵みに感謝する人間の発露があることを忘れてはならないのです。祭りには神輿や山車だでて、熱気あふれる祝いの行事として、観光的要素も加わり、多くの人々があつまるのも現代の祭りです。

 また、現代は、人工的に作られていくことがあまりも多く、自然的な人間の感情ということすら気がつかない時代になっているのです。人間の暮らしと自然という根本の問題する忘れてしまうことがあるのです。つまり、人間は自然によって生かされているのです。自然がなければ人間は生きていくことができないのです。そして、人間自身が自然なのです。人間のもつ豊かな感情、意識、思考を自然のなかで再考されることが求められているのです。

 

 本論では、ヒューマニズム・仁愛、人間の欲、仁政、ヒューマニズと人間の生き方という4つの視点から、それぞれにわけて伊藤仁斎ヒューマニズム・仁愛についてのべてきました。江戸の元禄時代に活躍した儒学者ですが、現代での通じる徳の問題があります。徳ということとりも人間の生き方を哲学的にみていくうえで、大いに参考になる考えだと思いました。

 

 

孟子の仁政論から現代的な民主主義を考える

 孟子の仁政論から現代的な民主主義を考える

 

はじめに

 

 欧米のデモクラシーの訳として、民主主義が一般的につかわれています。民主主義の考えは欧米のデモクラシーから学ぶこと必要といわれます。それだけでよい未来が描けるのか疑問です。欧米民主主義の利己を中心とした価値観を見直す時代です。

 欧米の議会制民主主義も様々な問題が出ています。自己利益、特権的利益集団,汚職問題など為政者の社会的倫理が鋭く問われているのです。

  現代は、人類の歴史の多様な思想文化の視点から未来を考える必要があります。文明の衝突ということではなく、文明の対話からヒューマニズム、民主主義の内容を深めていく課題があります。そのひとつとして、孟子の仁政論から未来を探究する新たな民主主義を考えることにしたい。

 

序 現代の議会制民主主義で、民衆の暮らしと幸福の政治は機能しているのか

 

  欧米のデモクラシーは、議会制民主主義です。それは、多数決の原理になります。人民主権による選挙からです。政権を握る選ばれた人々は、自己利益的集団をつくり、その効用を徹底してはかることによって、民衆の暮らしからの政治、民衆の幸福、平和を求める政治から遠ざかっている現象がみられるのです。

 ここには、為政者の社会的倫理の問題があるのです。選ばれたものは、多数決によって、国民からの信託として、権力を絶対的に握るのです。

  しかし、その選挙は、国の未来を描くための政策中心で、自立自尊による理性的な議論のもとでの民意をつくるための徹底した議論の場になっていない。そこでは、金力や組織力、情報操作の力、人気力という選挙という権力構図によって、選ばれていくのです。

 選挙は、国民にとっての政治的な学習の場にもなるはずです。それは、国民個々が民主主義能力を発展していくうえで大切なことです。国民が愚民にならずに、良識をもっていく大きな機会でもあるのです。実際は、選挙の権力構造によって、それは、潰されているのです。

  現実は、自由と称して、社会的な倫理や秩序なしに、知名度アップ、人気上昇の手段、世論操、利益誘導、感情的なデマ宣伝が行われるのです。そして、白か黒かと単純化して、大衆を扇動し、愚民政治を作り上げていくことがあるのです。選挙に勝つことが至上命題で、手段を選ばずに、政策本位ではなく、自分を売り込むための活動が行われていく。そこには、為政者になるはずの政治家の社会的倫理が鋭くとわれているのです。

 敵対的な感情手法を使っての民衆から選ばれた多数派は、民衆の意志の代弁者として、少数の価値観、少数の宗教、少数の民族を迫害して、ときには、残酷な虐殺政治を行うことがあるのです。

 第二次世界大戦のドイツで生まれたヒトラーナチス政権は、選挙によって生まれ、ユダヤ人を大量虐殺したのです。そして、ヨーロッパ全体をナチズムの恐怖政治と、強力な軍事力で人々を支配したのです。

  日本の軍国主義国家総動員体制も男子のみであったが普通選挙制のなかで生まれたのです。国家総動員体制によって、近隣諸国の軍事侵略をし、アジア諸国に多大な犠牲をもたらしたのです。そして、日本国民も沖縄の地上戦、日本各地の空爆、広島・長崎の原爆投下によって、大きな犠牲を受けたのです。

  第2次世界大戦後のアメリカのベトナム戦争イラク戦争など数々の戦争も選挙で選ばれた大統領によって、行われてきたのです。現在のウクライナ戦争も選挙で選ばれた大統領によって起こされているのです。

 民主主義の国といわれる欧米では、大富豪が大手ををふるい、社会を主導し、政治を動かしているのです。金権政治といわれる現象がうまれています。汚職や横領など不祥事問題も後を絶たないのです。

 民主主義といわれる欧米諸国では、新自由主義経済が謳歌して巨額な世界を支配する宇宙的な数字の富をもつ超富豪が生まれ、他方では、貧困の格差が拡大して、移民排斥運動や人種差別が深刻で、社会の混乱を招いているのです。そこでは、人間の尊厳が必ずしま実現していないのです。

 また、ウクライナを軍事支援する欧米諸国も選挙で選ばれた政権が行っているのです。民主主義にとって、異なる価値観、異なる政治体制との共存・共栄の包摂として、平和を構築していくことがいかにして可能であるのか。その構築は、世界的に求められているのです。

 それれの多様な価値を包摂して、寛容の精神が、本来的に鋭くとわれているのですが、国益と称して、自らの軍事力拡大活動、ウクライナ支援にと奔走し、その宣伝を大々的に行っているのです。そこでは、社会的正義は、話し合いによる国際平和への構築が忘れているのです。まさに、欧米の民主主義の価値観の衝突です。

  平和は、人類にとって極めて重要な課題です。ここには、多様な価値観の寛容性、民族間の共存、異なる宗教や文化の容認、異なる国や民族の経済的格差の是正が必要です。これらの実現には、話し合いの政治による様々な矛盾の平和的解決手段が求められているのです。世界の平和のためには、人類的普遍の立場を探究する国連の役割が大きくあるのです。

  憲法は、その国にとって、為政者を縛っていく基本的原理です。日本国憲法は、平和主義を国是にして、憲法9条をもっている国です。国連も紛争の解決に平和的手段をのべています。ここには、異なる国家間、民族間の価値観の共存性と寛容性の社会的倫理が為政者に強く求められているのです。それが、為政者の現代における社会的倫理です。

 民主主義は、民衆の平和や暮らしとどのように関係しているのか。民が主人公に、民の暮らしが豊かに、民の幸福のためになる政策をどのように実現していくのか。現代の欧米的な議会制民主主義では、これらのことがみえてこないのです。

 新たに、民主主義の価値を人類史的な視点から、様々な価値観、政治的な文化を取り入れて構築していくことが必要になっている時代です。とくに、為政者の社会的倫理という難しい問題をどう作り上げていくのかということです。

  現代の日本では、主権在民として選挙が実施されますが、投票にいかない人々が数多くいるのです。つまり投票率が低く、全住民から選ばれた議員が、その地域の民意の代表者といえるのであろうか。大いに検討が必要です。

  政党をどのように考えていくのか。政党として日常的に地域住民の意見をどのようにくみあげていくのか。代表者が議員として政策化していくことにどのように合理的に判断していくのか。

 議会 選挙では、それぞれの立候補が政策を出しています。本来的に、議会選挙は、候補者や政党の選択ということが中心です。選挙は、民意を吸い上げる直接の行為ではないのです。民意を吸い上げたり、専門的な意見を聞いたりしていくしくみの日常化も大切です。公聴会や各種の専門家による委員会の役割も大切です。

  地域の政策課題を住民投票ということで、住民の意志を問うことは、自治体なので実施することがあります。一般的には、政策決定では、行政側の提案から議会による議員の投票による意思決定が多く、必ずしも住民投票は一般的ではありません。

 また、議院自身による政策提案によって、議院立法や条例制定をすることは極めて少ないのです。この意味において、政策づくりにおいて、行政の役割が極めて大きいのです。行政職員も、民主主義の内容を考えていくうえで、大きな意味をもっているのです。

  選挙投票には、マスコミ、SNS、地域の有力者からの依頼、組織からの推薦という指示、利益誘導的関係など、有権者一人一人が主権在民ということから、国の政策、将来をみつめながらの判断がされているとは限らいない現状です。

  投票の対象となる政治家も自己利益がみえて、民を主とする政策やその遂行のために尽くしていくことがみえてこないのです。むしろ自己利益の側面が浮き彫りになって、不祥事が絶えないのです。選挙によって、選ばれた為政者の社会的倫理が強く求められているのです。

  現代において、どのように民の暮らしを豊かにしていくのか。民の幸福を実現していくのか。民あってこそ、国の役割があるのです。個々は一人でいきていくことはできないことはいうまでもありません。地域でのインフラ整備、教育、福祉、病院の機関、治安や警察機関、法的な機関、税務機関、安心して暮らせる様々な公的な社会的装置が必要なことはいうまでもありません。

  これらを整備していくには、政治の役割、為政者として、国を治めていく人々が必要なのです。為政者自身の国民から選挙によって選ばれたということで、自己の社会的倫理や反省意識の欠落があるのではないか。

  どの社会でも為政者の役割があったのです。古代社会、封建社会、現代の社会と、その為政者の選出方法は異なっていますが、常に為政者としては、権力や金力等の私益ではなく、公益の役割という社会的な倫理が求められていたのです。

 歴史的に身分制の時代では、為政者としての公益性としての民のために尽くすという倫理の教育や修練が求められてきたのです。東アジアの国々では儒教や仏教の影響によって、そのモラルが為政者に強く求められてきました。

 現代では、社会的モラルとして、政治家や行政職員に公益性へのモラル、国民全体に奉仕していくというモラルが強く求められているのです。とくに、恵まれない人々に政治や行政が援助していくという民に奉仕していくモラルが不可欠なのです。

 しかし、その社会的な倫理性をどのように保障していくのか。公務員は行政職員になるための試験制度があるが、その社会的な倫理や修練の場がどうなっているのか。政治家の議員は、国民からの選挙という方法によって問われるのみです。法律ということで、社会制度的に保障していく以前に、社会的モラルがあるのです。法と実際的な乖離が数多くみられる現象があります。

  東アジアの文化圏では、儒教や仏教のなかで古代から教育され、修練が為政者に行われ来ました。古代の2300年前の中国に生きた孟子は、為政者の統治方法として民への仁愛の精神、人としての義の心をもって民に尽くすということで、仁政を強調したのです。

  この時代と現代は、政治制度、経済や交通の発展規模、科学技術の発達、マスコミ・情報機関の発達、教育の普及、国家機関の巨大化と複雑化なども大きく異なっています。具体的な政治的政策や国家間の問題は、比較にならないほど複雑になっています。

  為政者としての根本的な仁義の精神、仁政の在り方として、学ぶことがあるのではないかということです。この意味から孟子の仁政の精神を現代的に見直すことにしました。 本論は、世界の名著「孔子孟子中央公論社貝塚茂樹の現代訳を参考にしてのべます。

 

(1)仁政とは民の暮らしを第1に

 

 孟子は第一巻で政治における仁義の重要性に次のようにのべています。「王様はただ仁義のことだけを気にかけたらよい。王様がどうしたらわが国に利益になるかと言われたら、大夫たちはどうしたらわが家に利益になるかといい、役人や庶民たちはどうしたらわが身に利益になるかといい、上も下もかってに利益を求めると、国家は危機に陥るでしょう。もしも、仁義をあと回しにして利益を真っ先にするならば、主君の財産を奪い取らねばあき足りないことになります」。1(1)

 利益を第1に考えたら、為政者は仁政ができないということです。孟子は、為政者にとって、最も大切なことは、気候のせいで作物が取れなくなって餓死する状態の人民をほっておくことができないとしているのです。それが、できないことは、政治ではないとしているのです。積極的に救済していくことや、天候不順で作物がとれないようにするのではなく、普段から食糧の安定の施策をすべきことを政治の責任としてのべているのです。為政者は自己の利ではなく、民のために尽くすという社会的倫理が強く求められたのです。そのために、自己の役割があるということで、自己充実感があるのです。

 「人民が凶年に道ばたに餓死した死体がころがっているのに救済することを忘れて、これは気候のせいで自分の責任ではないというのは、他人を刺し殺して、自分の責任ではない、刃物のせいだというのと同じです。

 政治の責任として、鶏、豚の繁殖の時期を失わないように注意すること、田畑の耕作に支障のないように課役の季節を制限すること、村里の教育に注意をすることなどは政治の仕事です。政治の責任を果たせば天下の民はお国に集まってくるにちがいない」。2(2)

 仁政の基本は、困ってい民をすくうことであるのです。そのことを行えば、多くの民が信頼し、国が豊かになっていくということです。そして、孟子は、民に対する仁徳あふれる政治の基本的理念をのべるのです。それは、刑罰を軽くして、租税を少なくすることであると。その政治はもっとも国を強くするものだというのです。

 「王様がその領土の国民に仁徳にあふれた政治を行なわれ、刑罰を寛大にし、租税を少なくし、農民には土地を深く耕し、早く草刈りさせ、壮年のものには暇をつくり、徳をみがくことです。

 王様がみてきたように、敵国が国民を季節かまわず使役し、農業によって父母を養うことを不可能にし、父母が飢え寒がり、一家の兄弟・妻子が分散している状況で、だれが王様に抵抗することがあるでしょう。仁徳にあふれる政治に敵するものはないということです」。4(5)

 国民を季節かまわず酷使すれば、国民が飢え、国民の一家が離散して、国が亡ぶとしているのです。敵国から守ることは、国民のために、為政者が暮らしを保障して、豊かにしていくことだというのです。

 孟子の14巻の最後では、仁政にとって、最も重要なことが民を貴い人たちとみるかである。君子は仁政にとって、軽い位置であるということです。仁政は、民を中心として政治を行うことになるのです。君主は政治において最も軽い立場ということです。

 「政治にとって、もっとも重要なことが人民ということで、土地や穀物の神が次で、君主はもっとも軽いとうのです。だから、君主は、衆民の人望を得るために努力することだというのです。諸侯や大夫ではないとするのです」。3(14)

 君主は民衆から人望をえることに努力し、諸侯や大夫ではないという指摘も興味あることです。為政者は、まず自分の側近や自分を支えてくれる有力から信頼されるようにするのが、現代ではみられます。民衆への距離はずっと遠くにあるのです。民衆と接触するのは、選挙のときだけです。

 

(2)仁政は国を豊かに強くする

 

 孟子は、仁政を実施することによって、士官する人が増え、大様の領土で耕作を希望する農民も増え、商売人は、大様の市で商売をするものが増え、旅人も大様の領土の道筋を通る人が増えていくというのです。まさに、仁政が国が豊かにするというのです。

  「王様が法令を発布して仁政民に仕事を与える政治をすることを強調するのです。そのことが国を強くするということです。軍事力ではなく、仁政による王道を歩むことが多くの民が集まり、国を強くを実施すると、士官するものが王様の朝廷に立ってつとめたいと希望します。農耕に従事するものは、王様の田畑で耕そうと希望し、商売人はみな王様の市場に商品を納めるように希望し、旅人はみな王様の領内の道筋を通ろうと希望し、天下の君主に不平をいだくものが、みな王様のもとに訴えを出すように希望します。

 決まった生業がなくて、決まった心をもち続けるのは学問のある士だけです。一般の人民になると決まった生業がないと、決まった心がなく、すぐにぐらぐらする。こころがぐらつくと、気まま、かたより、道をはずす、身分にすぎた贅沢など、なんでもやりないことがないほどになります。

 このように罪を犯すようになってから追っかけて刑罰に処するということではなく、名君は人民の生業を整え、父母につかえ、妻子を養うに充分に豊年には腹いっぱい食べ、凶年には死亡を免れるようにすることです。これが仁政の根本です。

  農家各戸に5畝に桑をうえて、老人に暖かい絹をきせられるように。鶏・豚・犬の飼育にあたって繁殖の時期を失わせないように注意すれば老人に肉を食わせることができるのです。農家各戸に百畝の田畑の耕作に支障のないように課役の季節を制限すれば8人の家族の食糧に困ることはないのです。

  軍事力だけで中国を統一することは困難である。王道によって、人民の生活を安定させ、その善政を聞き伝えて、外国の人民・学者・商人が移住してきて、国力が増大して、自然に敵国に優位にたって、天下を統一することができるというのです」。6(7)

 孟子は、民に仕事を与えることは仁政として重要であるとするのです。様々な仕事が国を治めていくうえで必要とするのです。それを積極的に安定的に作り出すことが大切としているのです。仕事がなければ心がぐらつき、きままになり、道をはずすし、罪を犯すようになるのです。刑罰を処することを重視する前に、仕事を積極的に与え、作り出すこととのべるのです。

 

(3)仁政における社会的役割分業と農村共同による井田制の提案

 

  孟子は第5巻でも人民が仕事をもつことの重要性を指摘しているのです。仁政を進めるうえで、農地改革として具体的な井田制を提案しているのです。それは、農村共同体のもとに、田地の区画で、9つの区画をつくり、中央の公田と8つの区画の私田です。

 8家族が公田を共同耕すというしくみづくりです。そして、統治する大人の統治される小人の仕事も区別し、さらに、あらゆる職人の仕事を分業させてすることを大切にしていくことを提案しているのです。

 「人民の生き方として、すべて一定の生業をもたないものは一定不変の精神をもてません。一定不変の精神をもてないと無類放蕩、悪事のかぎりをつくし、犯罪をおかすようになります。賢君は、必ずまじめに仕事をし、むだ使いをせずに、臣下に対して礼を失わず、人民から税を徴収するのに定めによって限度を超えることがあってはなりません。

 仁政の実行は田地の区画から手をつけなければなりません。区画が正確でないと井田が大小等しくなく、禄の上りが公平でなくなります。そこで、暴君は心きたない欲ばりの役人たちは必ず区画をいいかげんにするでしょう。区画がいったん正確になると田地を割り当て、禄を決める仕事がすわったままたやくでき上るでしょう。

 都に住む貴族つまり君子がいなければ、野に住む百姓を治めるものがいなくなり、百姓がいなければ、君子の食物を供給するものがいなくなります。野の地区は九分の1の税を納める助法によらせる。都市に住む者は十分の1の税を自ら申告させて納める。

 大臣以下の官吏はみな佳田(けいだん)を供せられる。佳田はひとり50畝、未成年25畝。郷の田で同じ井に属する者は、平時には出る人も入る人も仲間となる。戦時は互いに助け合って、百姓とみな親しみ合い団結する。

 百姓は、900畝の井田に9つの区画で、中央に公田と8つの家族にそれぞれ100畝の私田を設けて、公田は、共同で耕すように提言であった。孟子の井田制の農地改革案は、大地主の反対もあり、簡単なものではなかったのです」。1(3)

 孟子は積極的に農地改革の理想を提言するのでした。しかし、当時の中国では大地主のこともあり、難しいことであった。孟子は農村共同を基礎にしての民の農民を中心とした理想社会を描くことになったのです。

 孟子は、理想社会を積極的に為政者に提示して、その仁義をもって努力することを強調したのです。まずは、理想社会を具体的に描きながら仁政を具体的に進めていくということです。当面の実利から、それも自分を支ええくれる利益集団から施策をねろうとする現代の政治家は、孟子からも大いに学ぶ必要があるのではないか。

 孟子は統治する君主の役割を重視しているのです。統治者は社会にとって重要な役割を果たすとしているのです。また、民の中心としての農民ばかりではなく、官吏や職人の社会的機能も大切にしているのです。

「天下を統治する大人の仕事もあれば、統治される小人の仕事もある。一個人が生きてゆくにはあらゆる職人の製品が必要である。もしすべて自分で製造して使用すれば、それは天下の人をつねに道路に走り回るように疲労させてしまう。

 頭脳を動かすものもあれば、肉体を動かす者もある。頭脳を動かす者は他人を統治し、肉体を動かす者は他人に統治される。人に統治されるものは、他人を食べさせ、他人を統治されるものは、他人に食べさせられる。これが天下の道理である。

 昔の堯帝の世に、洪水が川筋を超えて、いたるところにあふれ、草木はのび茂り、鳥獣は繁殖して、穀物は実らず、鳥獣の足跡が中国の地に入り混じった。このために治山治水事業をした。草木に放火して鳥獣をはらった。

 9つの河の水を通しやすくして、海にそそぐように、汝水や漢水の河を開き、排水をよくして河の流れをよくしたのです。揚子江一帯の河川での灌漑用水の開発をしたのです。これでやっと中国の民が穀物を植え、食物が得られるようになったのです。

 そこでは、人民に農業を教え、穀物を栽培させ、穀物が実るようになったから人民が長生きできるようになったのです。人間の人間たるゆえんはどこにあるのか。腹いっぱい食べ、暖かい衣服を着て、快適な家に住んでいても、教育がなければ鳥獣にかなわない。

人間の間には倫理を教え、父母の間に親愛があり、君臣の間には道義があり、夫婦の間には男女の差別があり、長幼の間には順序があり、盟友の間には、信義があるようになった。帝は、どこに耕作する暇があろうか。百畝の田地の憂いとするのは農夫である。

 他人に財物を分け与えることを恵といい、他人に善を教えるのを忠といい、天下のために人材をみつけるのを仁という。天下を他人に譲ることはむしろたやすく、天下のために人材を見つけ出すほうがむずかしい」。2(4)

 農民は農耕をして食糧生産をして国の人々が食物に困らないようにするのが仕事です。君主は国を統治するのが仕事です。食糧生産を安定に確保するために灌漑用水事業をすることも君主の仕事です。職人は、それぞれの商品をつくるのが仕事です。人は、それぞれの役割があるというのが孟子の見方です。

 矢をつくる職人と鎧をつくる職人とは、どちから非人情的なのか。矢はひとを殺傷することがあります。しかし、矢をつくる職人は人を殺傷することには、心配しているのです。鎧をつくり職人も同じように殺傷されないか心配しているのです。この問題について、孟子は、職業選びは注意しないといけないとのべているのです。

 「矢を作る職人が鎧を作る職人よりも非人情なわけではない。それに矢を作る職人は、作った矢が人間を負傷させれば大変だと心配し、鎧を作る人は、鎧を着る人が負傷しては大変だと心配する。人の命を助けようとする巫と、死人の棺桶を作る大工との関係もこれと同じである。だから人間が職業を選ぶときは、よほど注意しないといけない」。第3巻3(7)

 就職について、孟子は語ります。貧乏のため、生活を得るためはしかたのないことだ。生活のための職は、高い役を辞退して待遇の悪いところにつくことがよいことだと。低い職で高遠議論をするのは越権行為になるが、高官は、自己の主張を実行できなくて、職務怠慢があるのです。

 「就職は貧乏のためにするものではないが、時々貧乏のために就職することがある。妻をめとるのは父母に孝養をつくしてもらうためではないが、時々は父母に孝養をつくすためということがある。これと同じである。

 貧乏のために就職するものは、高い役を辞退して低い役につき、待遇のよい職を辞退して待遇の悪い職につくのがよい。低い職について高遠な議論をすれば越権であるといわれ、高官として一国の朝廷に、ありがちな、自己の主張を実行できないものは羞恥になる」。10巻2(5)

 貧乏のために職業につくときに、誰でも高い給料、待遇のいい職場、安定している地位を求めるのが一般的ですが、孟子は、あえて、高い役や待遇のよい仕事を辞退せよと言っているのは興味深いことです。人間の欲を抑え、仏教的な小欲知足を求めているのか。むしろ、食べていくということに中心においた方がいい結果を生むということを意味しているのか。

 近代社会では、立身出世ということで、個々が高い給料や地位を求めて努力することが奨励される社会風土になっています。立身出世の競争を強いているのが現代です。そこに、国民のなかに、少数の勝ちぐむと多数の負け組をつくりだすのです。

 孟子の「高い役を辞退して低い役につき、待遇のよい職を辞退して待遇の悪い職につくのがよい」という言葉をどう現代に生きるものとして理解していくか。それぞれの社会的役割を大切にしている孟子ですので、貧しい人々が、低い役につきながら、日々、努力して、その仕事を立派なに行い、それが社会的に役割をしていると評価されて、一歩一歩大きな仕事についていくということになっていくのか。

 

(4)仁政と反省

 

 第7巻で仁政を行っていくうえでの人がついてこないとき、仁愛にいたらぬことがなかったか、知恵がどうであったか、敬意の表し方、自分の行為すべて反省をすることの重要性を孟子は次のようにのべています。

 「他人を愛しているのに親しまれないときは、自分の仁愛にいたらぬ点がなかったかと反省する。人を治めて、治まらないことは、その知恵を反省せよ。他人に敬意を表しているのに、答礼されないときは、敬意の表し方にいたらぬ点がなかったかと反省する。すべて自分の行為が思いどおりにゆかなかったときは、いつも自分のやり方を反省する。自分の行いが正しければ、天下の人がみなついてくる」。2(4)

 自分が仁政をしているから、人々から信頼されるということは当然だという感覚では為政者としてのリーダーの役割を果たせない。人がついてこないのは、相手に問題があるということからではなく、自分自身に問題があるという反省が常に必要であるということを孟子はのべるのです。

 為政者が天下を失うことは人民から信頼されないことによって起こるというのです。天下を手にいれるのは、人民の心を手にいれることだと孟子はのべるのです。天下を失ったのは、人民の心がついてこないということです。

 「天下を失ったのは、人民を失ったからである。人民を失ったとは、人民の心を失ったことを意味する。人民の心を手に入れる方法は人民の希望するものを集めて、人民のいやがるものをおしつけないことである。」。4(9)

 人間としての善なる行いをしていく保障は、常に反省することであるとうのが孟子の見方です。まごころは、何が善であるかをしることからはじめることと孟子はのべます。

「自分で反省してまごころがこもっているようになるには、何が善であるかを知ることである。まごころこそ、自然の原理、天の道である。まごころをこめようと努力することは、人間の原理、人の道である」。6(12)

 何が善であるのかということを常に求めていくことは、自分のまごころの鏡になることになるのです。孟子はいつわりのない真実の誠の心を仁政にとって大切としているのです。

 

(5)臣下の君主への仁徳と人の和

 

 君主の過ちをそのまま実行する臣下は、まだ小さいと孟子は語ります。君主にこびる方が、罪がずっと重いということです。

 「君主の過ちをそのまま実行に移すのは、罪としてまだ小さい。君主にこびて過ちをさせるように仕向けるほうが、罪はずっと大きい。現在の大夫はみな君主にこびて過ちをさせるように仕向ける。だから今の大夫は、今の諸侯の罪人だというのである」。12巻1(7)

 君主にこびるのは最も悪いことであるという孟子の指摘は重要なことです。君主自身も臣下がこびるだけでは、客観的に助言をもらうこともできず、実行したことの真実も見えなくなるからです。君主自身が臣下がこびっているのかどうか常に判断が求められているのです。つまり、よい部下とはこびることではないという自覚が必要なのです。 

 さらに、君主に仕える臣下は、主君のために領土や国庫を広げるためではない。人民の賊といわれる臣下であってはならないと孟子はのべるのです。戦えば必ず勝つという臣下は、暴君の手助けをするものだと孟子は言うのです。

 「現在の君主につかえる者はみな、「私は主君のために領土をひろげ、国庫を充実します」という。これが現在のよい臣下なのだろうが、昔はこれを人民の賊とよんでいた。君主は道徳をもととする道に向かわず、仁徳を志さずに、ただ財貨を求める。その君主を富ますのだから、かれらは夏の暴君の桀(けつ)をふまそうとするようなものだ。

 かれらは、私は主君のために同盟国をつくり、戦えば必ず勝ってみせますという。現在のよい臣下を昔は賊とよんでいた。現在の君主は道徳をもとうとする道に向かわず、仁徳を志さずに、ただ戦力に力を注いでいる。かれらはそれを助けるのだから夏の桀王の手助けをしているようなものだ」。12巻、2(9)

 臣下は、君主に仁義に向かわせるように補助することが本来の仕事なのです。最も大切な力は人の和であるということを次のように孟子は語ります。

「天の時は地の利に及ばない、地の利は人の和におよばない。「国民を国境によって制限することは不可能であり、国家を山川の険しさで守ることは不可能であり、天下を武器の精鋭さによって威圧することも不可能だ。道理にかなったものには援助するものが多数で、道理にそむいたものには援助するのが少数である。極度に援助の少ないものからは、親戚さえもそむきされる。極度に援助の多いものには、天下もこれにしたがう」。第四巻、1(1)

 道理にあっていない君主には人々はつかないし、国は衰えていくのです。国を守っていく大きな力は、人の和ということです。孟子は、人の和を最も大切にしていることも特徴です。

 

(6)仁政の為政者は民と共に楽しむ

 

 孟子は第2巻で、王に一人で音楽を楽しむよりも人民と一緒に、みんなで楽しむことを奨励しているのです。その心で政治をやれば、仁政ができるというのです。

王にむかって、「ひとりで音楽を楽しまれるのと、他人といっしょう音楽を楽しまれるのとどちらが楽しいでしょうか」。「少数の人と音楽を楽しむのと多数の人と音楽を楽しむのとどちらが楽しいでしょうか」。「人民は鐘、太鼓の音、笙(しょう)・簫(しょう)の音を聞いて、いっせいに頭をいため、顔をしかめて「われわれの王様は、音楽を好まれるあまり、どうしてわれわれをこんな羽目に陥しられるのか。

親子が互いに会うこともできずに、兄弟・妻子も分散することになるのか」れるのか」と語り合う。一緒に人民と楽しまれないから言われるのです。王様が人民と一緒に楽しまれたら、真の王様になれるのです」。1(1)

 人民と一緒に楽しむことができる君主が、民の心を知っての仁政を行うために、必要なことです。人間だれでも生きていく余暇の楽しをもつことが幸福感を充実させるひとつです。音楽などもそのひとつです。この楽しみを民と共に行って、民の心を知り、民とともに喜ぶ合うことが仁政にとっても必要としているのです。

 ところで、才能のすぐれた臣下をとりたてるのも民の意見が大切と孟子はのべるのです。そして、王自ら調べて、判断していくことの重要性を指摘するのです。

 「才能のすぐれた臣下をとりたてるときに、側近のものがその男をすぐれているから、また、高官たちがその男がすぐれているかではなく、都の市民たちが口をそろえてすぐれているからといい、しかもその男をよく調べて王様さまが、その男をすぐれているとみきわめて、任用するがよいとしているのです」。2(7)

  ところで、君主の本当の楽しみとはなにか。それには、天下の王になることではないとしているのです。その楽しみは父母が元気、兄弟が息災であること、恥じる行いをしていないこと、英才を集めて教育をすることであるとしているのです。

 「君子には三つの楽しみがあるが、天下の王になることは、その中に含まれない。父母が二人とも存命で、兄弟が息災で暮らしていること、それが第1の楽しみである。上を向いて天に恥じる行いをしないこと、それが第二の楽しみである。天下の英才を集めて教育すること、これが第三の楽しみであるが、天下の王となることは、その中に含まれないのだ」。13巻6(20)

 君主の楽しみは領土を拡げ、天下をとっていくことでは決してないという孟子の指摘は、実に見事な意見です。果てしなく拡大していく企業規模の拡大を夢として、世界を越権する現代の多国籍企業から大企業から中小企業までの経営者にとっての野心は、大きくなっていくということに幸福感、達成感をもつようにみれます。

 政治家もトップになること、首相になることが夢ということの野心をもつものです。大事なことは政治家であれば、国民のために何をしたいのか。どんな未来像をもっているのか。どのような政策を実現したいのかという夢が求められているのです。

 君主の楽しみはなにかということでの孟子ののべる三つの楽しということは現代的にも通じることです。人は、それぞれ社会での役割分担がります。自分に課せられたことは天命と思って、その社会的役割を果たしていくことではないかと。

 

(7)為政者の民への同情心

 

 孟子は、第3巻で、民の悲しみに同情する心をもって、政治を行うことをのべています。

 「人間だれでも、他人の悲しみを見すごすことのできない同情心をもっている。他人の悲しみに同情する政治を実行できれば、天下を治めるのは、まるで手のひらの上でころがすようなように自在にできる。

 今かりに、子供が井戸に落ちかけているのを見かけたら、人はだれでも驚きあわて、いたたまれない感情になる。子供の父母に懇意になろうという底意があるわけではない。地方団地や仲間で、人命救助の名誉と評判を得たいからではない。これを見すごすとしたら、無情な人間だという悪名をたてられはしないかと思うからではない。

 いたたまれない感情をもたぬ者は人間ではない。羞恥の感情をもたぬ者も、人間ではない。謙遜の感情をもたぬ者も人間ではない。善いことを善いとし、悪いことを悪いとする是非の感情をもたぬ者も、人間ではない。このいたたまれない感情は、仁の端緒である。

 羞恥の感情は義の端緒である。謙遜の感情は、礼の端緒である。是非の感情は、智の端緒である。この四つの端緒をもちながら、自分で仁義礼智を実行できぬというのは、自殺者である。自分の君主が仁義礼智を実行できないという人は、自分の君主の殺害者である。すべて、この四つの端緒を自分の内にそなえた者は、だれでもこれを拡大し充実することができる」。第3巻2(6)

 孟子は人間の持っている意志を重要と考えたのです。とくに、志を大切にしたのです。孟子は浩然という概念ということで、意志を保って乱れないように、気をむやみにはたらかせて傷つけないように考えたのです。意志と気の関係で、浩然の気として、孟子は次のようにのべるのです。

 

(8)仁政と法

 

 孟子は第7巻で仁政と法の関係についてのべています。仁政によって天下を治めていくには、政治制度、法律が必要というのです。ここでの法律とは、昔の聖王の仁政の道を法としたものです。

 仁政というのは、歴史的に積み重ねられて、後世の模範の道となっていくのです。現在の為政者の仁義ということの社会的な倫理感だけではなく、仁義と法律の両輪を孟子はのべているのです。

 「仁をもととする政治制度によらなければ、天下を泰平に治めることができない。現在、仁愛の心をもち、世間に仁愛のある君主という評判がありながら、人民がそのおかげをうけられず、後世に模範となるまでにゆかない。

 これは、昔の聖王の道、つまり仁政を実行しないからである。だから善意だけによって政治を行うことはできない、だだ、法律だけによって法律自体が実施されることはありえない。

 政治を行うのに、昔の聖王の道に従わない人は、知恵者とはいえないではないか。そこで、仁者こそ高位にいるべきだといわれる。もし、不仁の者が君位にいると、その悪徳を大衆にまき散らすからだ。上位にある者が道理にそむき、下位の者が法律を守らないと、朝廷に仕えるものは道理に疑いをもち、職人は尺度に疑いをもち、貴族は正義にはずれ、人民は刑罰にかかる行いをする」。1(1)

 

(9)孟子の人間論

 

 孟子は人間の欲望を肯定し、その欲望が個人主義の枠から脱して、広い社会的立場にたっていくことをみているのです。第2巻での「音楽は一人で楽しむより、衆とともに楽しむのがまっさて、その気持ちで政治をやっていけばうまくいく」ということや、第3巻6での他人の悲しをもたぬもの、羞恥心をもたにもの、謙遜の感情をもたぬもの、ざるいことの是非がわkらぬという、これら仁義礼智のもたぬもんは、人間としての自殺者であると強調するのです。つまり、人間ではないということになるのです。

 人間と鳥獣との違いは、ほんとわずばかりであるが、一般人はこの違いがよくわからないのです。君主はこの違っている点を保って、道義心、仁義の道をもっていると孟子は第8巻19でのべているのです。君主は、その道理を獲得して、仁政を施すのです。人間は生まれながら、良知良能をもって、それを自覚して、育てていくのです。

 8巻28では、君主は、仁義礼智をもって行い、自ら、それに反省していても無理難題を続けてもってくる人を「この人は狂人にすぎないだろう。こんなことをするのは鳥獣とまったく変わりないではないか。相手が鳥獣ならば腹をたてることはない」と。このような気持ちであれば、ある日偶然に起こる難儀も苦にしなくなるのです。それぞれが人間としての自覚があれば、天下の模範になっていくのです。

  孟子の人間論では、志をもつことの大切を浩然の気として重視しています。この気は、仁義からはなれるものではないとしていいます。それは、義の積み重ねによって形成されていくとするのです。さらに、浩然の気は養うことにつとめるのであるが、専念してはならないとします。それは、自然の理ではなく、外から手をかすからであるとするのです。

 「浩然の気というのは、何物よりも大きく、どこまでもひろがり、何物よりも強く、ちっともたわみかがむことなく、まっすぐに育ててじゃまをしないと、天地の間にいっぱいになる。また、この気というのは、義と道とから離れることはできない。

 もし分離すると飢えて気は死んでしまう。浩然の気は、義をおこなったのが積み重なって発生したものであり、義が浩然の気を突発的に取り込んだのではないのである。人間の行いが義にかなわず、心を満足させないと、浩然の気が飢えて消えてしまう。

 浩然の気を養うことにつとめなければならないが、それだけに専心してもいけない。そのことを心から忘れてもいけない。外から手を貸して、無理に生長させてはいけない」。3巻1(2) 

 人間は本性的に善であるというのが孟子の考えです。なにが善でるかを知らないとまごころが生まれないと次のようにのべるのです。

 「なにが善であるかをあきらかに知らないとまごころがこめることができない。そこから生まれるまごころは自然の原理、つまり、天の道である。まごころがほんとうにこもっていれば、道の道である。まごころがほんとうにもっていれば、動かされない人がないはずがない」。7巻、6(12)

 孟子は人間は生まれながらにして、危機に瀕した人や困っている人に同情心なおの気持ちをもっているということで、性善説をのべるのです。孟子の人間論の根本です。さらに、孟子は、人間は学問しないのにできることがあるということで、生まれながらにしてもつ能力として良能をあげます。そして、親を愛する気持ちなど生まれながらもつ知っていることを良知とのべるのです。 

 君子の本心を守り継続していくには、仁と礼であると孟子はのべます。そして、そこには、君主の反省があるとしているのです。

 「君子は仁によって本心を保ち、礼によって本心を保つのである。仁ある人は他人を愛するし、礼ある人は他人を敬う。他人を愛する人は、他人もいつもその人を愛する。他人を敬う人は、他人もいつまでも敬うであろう。

 今ここに、自分にたいして無理なことをしかけてきた人があるとしよう。君主はきっと自分に反省してみる。自分が不仁であったのではないか。自分が無礼であったのではないか。こんな無理なことをどうしてしかけてきたのであろう。反省してみるとやはり仁であった。反省してみるとやはり礼を失っていなかった」。8巻10(28)

 君主は、無理なことをしかけられても、常に反省することをとおして、民にこたえていくのが孟子の考えです。

 人間の本性は善なるものであり、仁義礼智は生まれながらに素質ともっているのです。その自覚と、それを育てていくことの自覚がないことに悪の行動に走るというのです。孟子はこのことを次のようにのべています。

 「人の生まれつきの情からすると、たしかに善とすることができる。それがわたしのいう人の性は善ということである。悪をなすものがあっても、それは素質のせいではない。なぜならば、同情心は人間だれでももっている。

 羞恥心も人間だれでももっている。尊敬心も人間だれでももっている。同情心は仁であり、羞恥心は義であり、尊敬心は礼であり、是非の分別は智である。仁義礼智は、外部から自分に飾りつけたものではなく、自分が本来もっているものでありながら、ただ自覚しないために、悪を行うようになるのである」11巻、5(6)。

 人の心は本来的に一致していくというのが孟子の考えです。それが、できなのは、心の考える力を働かせないからです。

 「口は料理に関して同一の嗜好をする。耳は音楽について同一の鑑賞をする。目は人間の顔について同一の美感を感じる。人間の心にしても一致しないはずがない。では、こころが一致する点はどこか。それが理であり、義である」。11巻、6(7)

 心の役割として、考えることをしなければ、感覚器官が、動き出して、混乱していくというのです。理性的に判断していくということが感覚器官による人間の混乱から解放されていくのです。

 「耳と目の器官は考える能力をもたないので、外部にくらまされる。外部と外部が混ざり合って、耳目の器官を引き付けて混乱させる。心の器官は考える能力を備えており、考えれば対象をつかまえるが、考えないと対象をつかまえることができない。天がわれわれ人間に与えてくれた肉体のうちで、まずその大なるものこころのうえによって立つと、ちいさなものつまり耳目は、心を引き離すことができなくなる」。11巻、7(15)

 孟子の人間論は、生まれながらにして、素質として本来的に善であるということからの出発です。仁義礼智という社会的道徳も生まれながらにして、その素性はもっているというのです。人間はもともと人道主義的なものをもっているというのです。西洋的にみるヒューマニズムの思想は生まれながらにして、その素性があるというのです。

 人間は、本性的にもっている仁義礼智の素性を自覚しながら、理性を働かせていくことが求められるというのです。考える心の働きによって、人間は人間となっていくのです。感覚器官による混乱がおきるという孟子の指摘は、現代のように、マスコミやSNSの発達での大量の興味本位の情報があふれるなかで、複雑化した高度の組織化されている社会を理性的に判断していくことは難しくなっています。感覚器官という五感による混乱が一層に大きくなっているおではないかと考えられるのです。

日本の話し合い文化と人類的合意の知恵

日本の話し合い文化と人類的合意の知恵

 

 日本では、都会や農村での地域の意思決定で話し合の寄合いの慣行がおこなわれてきました。その伝統は、地縁組織の衰退によって、現代では、大きくその機能は崩れているのが現状です。今でも地域の伝統的な行事などでは、その慣行が残っているところもあります。地域組織の衰退は、日本の地域の意識決定での話し合いの文化が見えなくなっているのです。

 

 中澤美依が、「村の寄り合いの「話し合い」の技法―日本的コミュニュケーション文化の原形を探る」という論文を書いています。(平安女学院大学年報2000年)

 そこでは西洋の社会の議論ということと対比して日本の話し合い文化の特徴を探っているのです。中澤は、この話し合いの文化は、江戸時代の農村社会で編み出されたもので、戦後に日本の戦後の高度経済成長を可能にした日本的経営を支える独自のコミュニケーションであったとしています。それが、1990年代の国際化の対応のなかで、日本の独自の話し合いの文化が西洋的な議論に移されていったとするのです。

 

 日本の話し合いの文化を時代遅れのものとして捨て去っていいのであるのか。コミュニュケーションの本来の在り方と見直すべきではないかということが、中澤の問題意識です。江戸時代の農村社会は、村請制度として、年貢や諸役を村単位で責任をもって履行するように定められていたのです。

 村請制度での役割を遂行する限りにおいて、村の自治が保障されていたのです。そこでは、寄り合いの話し合いによる全員一致主義が行われていたのです。年貢が払えない百姓が生まれれば村全体として責任をはたさなければならないのです。

 村では、議定書として、村の決まりも決められていたのです。全員一致主義は、村全体の連帯責任をもっていることから、徹底した話し合いが行われたのです。村には村方三役として、名主・庄屋、組頭・年寄、百姓総代が村をしきっていたのです。名主・庄屋が没落して、その職務ができなくなったときは、村全体で入り札による選出がおこなわれていたのです。

 中澤は、民俗学の研究の成果をもとに、封建社会全体の身分制のタテ社会の関係ではなく、村の共同体の側面からの生活と生産の相互扶助の関係からの話し合の文化を強調しているのです。

 村の共同体としての相互扶助として生活面からは、道路補修、用水整備、公共施設の建物、村祭りの準備、個々の家屋建築、屋根替、婚礼や葬儀の手伝い、災害のときの援助や見舞、生活資材の共同備蓄などがあります。

 生産面からは、用水管理、灌漑施設の管理、田植え、収穫、田畑の共同管理、山林の共同管理、仕事と休日の取り決めなどがあったのです。この相互扶助の側面があったことを中澤は指摘しますが、他方で、商品経済の発展などからの矛盾も生まれ、村のなかでの対立や抗争の存在があり、その平和的な協力関係維持の話し合いの機能を重視するのです。

 商品経済の発展に伴う稲作中心の農村の共同労働の側面から個々の農家の商品作物や農村の家内工業的なことに現金所得などから生産の一律性から多様性への変化していくのです。収入によっての生活様式も個々に違いが生まれていくのです。

 しかし、農村の共同体側面は稲作労働や日本のもっている自然的な条件からの水管理、山管理、災害からの共同対策など日本の農村生活の共同性が根底的に崩れていくものでなかったのです。

 共同性が崩壊しない限り、相互扶助の機能が必要な限り、村の矛盾が生まれてくればくるほど、共同体的な話し合いの必要性が一層に強く存在するのです。

 中澤は、日本と違って、西洋における議論という意思決定の仕方を問題提起するのです。「勝つか」「負けるか」個人の名誉を賭けた直接対決というのが、ギリシャ時代からの西洋の「議論」コミュニケーションの基本的スタイルで、勝敗を左右する一番重要な要因がロゴスとあると中澤はみるのです。中澤がみるのに、西洋の「議論」とは、いかにあいての主張を攻撃し、自分の主張を守り抜くかという言葉の戦争というのです。日本では相手の名誉を傷つけることをしない。勝った、負けたという議論は恨みをかうのでしなとするのです。勝った、負けたという議論では、相手との合意を思考する方向にむかわないとするのです。

 西洋では、議論によって対立の形をとり、日本では、徹底的に話し合って対立を回避する合意をめざすものであるとするのです。日本では日常的な生活を共にし、互いに協力なしには生きていけない共同体社会で、日本の村人はまわりの人々の感情の動きに神経を使うとしています。

 ギリシャなどの古代都市国家は、生活を支える労働は奴隷で、市民は貴族であるので、対立しても直接に困らないというのです。強烈な自己主張して、相手を負かして対立しても生きていけるというのです。

 日本では話し合いによって長時間かけることによって、集団のリズムと共調ができるというのです。これが日本の村人の共同体の相互扶助での生活の知恵でもあったということです。

 日本の村人は相互扶助の共同体のなかで、感情優位の人間観によって、長い時間と多くの場を共有することで、成員の合意形成の文化です。西洋の議論は、理性優先の人間観で、一つの場で、できるだけ短い時間で論理的優劣を基準に意思決定していき、リーダーの条件は雄弁であることが条件になります。日本の村の場合は相手の話をよく聞くがリーダーの条件になると中澤はみるのです。

 西洋の議論では多数決の原理によって意思決定がはかられ、話し合による合意形成はやられないというのです。西洋的な民主主義は多数決の原理ということで、論理的に言葉を使って、雄弁に語ることになるのです。

 

服部英二鶴見和子の対談集「対話の文化」から異なる文明観の対話

 この対談集では、南方マンダラの世界が未来の科学として、精密な自然観察と実証にもとづいて因果の連鎖が他の連鎖と複雑に絡み、相互作用を起こしていくという文化の大切さを強調しているのです。

 そこでは、相互作用により引き合いが起こり、一点に収斂していく現象が現れるというのです。文明の酒類がすくなくなると文明は崩壊する。文明も生物と同じでいろいろの文明が共に生きる場合に、生きのこることができるという。

 言葉ができるからお互いに理解できるということはほんとうなのか。相手の民族の言葉がわからなくとも理解し合えることがあるという。心が通じるということがコミュニュケーションであるとのべるのです。人間のジェスチャーという体のコミュニケーションは、人の全人格が出るというのです。

 直接のアリストテレス形式論理学曼荼羅の循環の論理学という文化の対話があるという。Aと非Aは間がないというのがアリストテレス。しかし、その間にはたくさんのあいまいな論理があると理論物理学者はのべているという。文明間の対話が必要になっていく。

 ハチントンの文明の衝突論ではなく、文明の対話が世界に今、切実に求められているのです。国連は2001年に文明の対話国際年にしたのです。ハチントンは宗教無理解というのです。宗教は寛容宗教と非寛容宗教に分かれるのです。

 曼荼羅というのは、仏教思想ですが、仏教以前からインドの古代思想のなかにあった。近代のエコロジーという欧米からの十種的研究の結果と古代インドに発祥した曼荼羅の思想とが結論において一致するということなのです。

 東洋と西洋を超えての多様性のなかの統一が現代的にもとめられていると鶴見は強調するのです。民主主義も自由も全部享受している最高の形態になっている人々は、本当に漠然とそう思っているだけで、その実体がないのです。これが実際の無知です。

 南方熊楠の可能性は、大いにあるのです。多文化に出会ったときにそれを受け入れる開かれた心をもっていることです。一番よくないのは根無し草です。日本の文化を知って、国際人になることです。

 日本の循環思想を身につけて、異なるものが異なるままに、お互いに補い合い、助け合って、地球上で共生していくために、世界と対話していくというのです。

対話力を育む民主主義教育

対話力を育む民主主義教育

 はじめに

 

 工藤雄一・苫野一徳「子どもたちに民主主義を教えよう」―対立から合意を導く力を育むという本を読んだ感想です。平和に暮らしたいという目標に合意して、暴力に頼らず対話の力によって、対立を解消するのが民主主義の基本です。対話の訓練を、学校教育で実践していることには、敬意を表しながら、本を読みました。

 自律した人たちが積極的に社会参画して、対話を通して平和や公平性を実現していく社会づくりのための教育実践は素晴らしい。対話で合意を導きだすという工藤雄一の提起には、勉強させられました。

 対話力は、個々の国民の日常的なことからが大切です。そして、地域、さらに、国家のレベル、国家間の平和のレベルまであるのです。平和は、国民一人一人が多様な価値観、文化を包摂して、それぞれが自覚し、自律した判断力をもって考える国民運動が大切なのです。それに支えられた国民たちのさまざまな団体、機関による国際的交流運動が不可欠です。これに支えられた政府の外交努力ることが求められているのです。

 民主主義をどのように考えていくのか。これは、大きな課題です。国民選挙の手段による議会制民主主義、個々の住民が参加していく直接民主主義三権分立、情報公開、公聴会など民主主義への多面的なアプローチがあります。

 欧米や日本などのいわゆる先進国といわれる国では、選挙が重視されています。国民の投票率の低下が目立っている現実です。これは、多くの国民が選挙投票にいかないということで、政治的無関心になっていくのか。政治そのものに不信があるのか。選挙による国民の意志で最も高いのは、無投票です。選挙による当選者は、一部の意見に過ぎなくなっているのです。議会での法律制定や政策決定は、多数派によって決定されていくのが多いのです。議会選挙は、多数派による権力の独占ということになるのです。

  選挙期間による国民的な議論や対話などの活動が極めて不十分になっているのが現実です。国会や地方議会でも国民や住民が議員の政策議論についても多くが知られていない。

 マスコミやSNSの役割も絶大です。理性的にではなく、感覚的、情緒的なことで、じっくり政策を思考することも苦手になっている国民も多くなっています。世論操作という側面も大きくなっています。日常の暮らしの場で、それぞれが政策について話し合うことは極めて少なくなっているのが日本の現状です。

 

 1,対話民主主義と平和の現代的課題

 

  欧米諸国は、民主主義国家と独裁・権威主義国家という対立軸で、世界の緊張関係がつくられている現状です。さらに、欧米流の民主主義という価値観の共有化がいわゆる先進国で行われています。そこでは、国家の軍事同盟の強化なども叫ばれています。そして、軍備の大幅な増大も生まれています。とくに、ロシアのウクライナの軍事侵略によって、その動きが活発になっているのです。世界は欧米や日本などが脅威としているロシアや中国ばかりではなく、多くのグローバルサウスといわれる発展途上国の非軍事同盟の国々が多くなっているのです。

 なぜ、どの国も合意できるはずの国連憲章国際紛争の平和的手段の解決ができないのか。国家の平和のための交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関などによる話し合いができないのか。

 そして、例えば、ロシアとウクライナは、戦争になったのか。また、欧米諸国や日本などは、ウクライナの軍事的な支援をするのか。単純に民主主義諸国と独裁・権威主義国家の対立では問題の解決ができないと思います。

 ソ連崩壊後のヨーロッパの安全保障の問題としてのNATOの拡大や欧州安全保障会議の機能不全の問題なども含めて、話し合いが十分に行われてこなかったことを明らかにすることがあったのです。

 つまり、対立する課題の問題の話し合いの掘り下げがされてない。このようなことを素通りして、ウクライナのロシア侵略戦争の軍事的な戦況が大きく報道されている状況です。さらに、日本では、対話によって、平和を考えていく思考方法から大きく後退して、中国とアメリカの対立問題から軍事力強化が独り歩きしています。

 

 2,日本の話し合い文化の見直し

 

  工藤雄一は、日本の民主主義がしっかり根づいていない。対話をしながら利害関係を調整していく社会をつくる経験をしたことがないとしています。民主主義の概念は欧米から輸入したもので日本文化には存在してこなかったという見方です。デモクラシーという欧米の民主主義の概念とアジアの儒教圏に古代からあった武力ではなく、民への仁愛の精神をもって国を治めるという民本主義ということも含めて検討する必要があります。

 日本文化は、対話の精神がないということの歴史的認識は誤っていると思います。戦前の一時期に日本は軍国主義という国家体制をもったことは事実です。日本は伝統的に話し合いの文化をもってきたのが特徴です。また、国を治める者は民への仁愛の精神をもって学問をして人徳を高めていくことを強調してきたのです。

 中世における郷村制など自治組織として農民が話し合って、郷村行政を司ってこと、近世農村になっても領主から年貢取り立ての請負制の連帯責任と村落の自治的機能による寄合が活発に行われていた。

 村の年中行事や共同作業などは、全員参加の自治的な寄合によって、決められていたのです。意見が合わなければ徹底した話し合いによって全員一致の合意形成であった。また、村のなかには、様々な講があったのです。

 お伊勢参り講、霧島参り講などの村の仲間同士の信仰的なお参り行事、頼母子講などの共同体内での金融の貸し借りの話し合いの集まり、念仏講などの信仰的に村人が集まって、祈りや本願寺との組織的連絡網の話し合いなどがあったのです。稲作労働の慣行に対応させての田の神講などの行事とその話し合い、若者組などの会合や集団的な鍛錬など。

 村のなかでは、様々な寄合が伝統的に行われてきた。話し合って、全員で一致すれまで徹底して話し合うことが日本文化の基本です。対話や話し合いによって、合意形成をはかっていくことが民主主義の基本として、考えるのであれば、日本文化こそ、まさに民主主義の文化を伝統的に継承してきたといえるのです。

 日本の伝統的な社会では、寄合が行われてきた。それは、共同体のなかでの文化です。そこでは、共有地や水の管理、防災や疫病のための共同の対策、灌漑用水の広い範囲の共同労働、田植えの近隣での共同労働など同一目的のために話し合ったのです。

 これらは、共同体という枠内での話し合いで、異なる文化での異界での話し合いではなかた。海洋民族として、航海をとおして交易活動をしてきた人々でも違うのです。日本でも農閑期に旅が盛んに行われていたのも事実であった。共同体の枠を超えての人々の交流があったのです。旅は道ずれ、よわ情けということで、旅を通して見知らぬ人々と仲良くなることがあるのです。また、修験道などをとおして、他の世界の情報を得たり、知識を授かったこともあったことを見落としてならないのです。

 政治的な支配機構の朝廷、鎌倉幕府室町幕府江戸幕府というなかでも合議のための会合が行われていた。

 村の寄合のなかでは、村の掟をつくっていったのも大きな特徴です。村の寄合で決められた議定は、村の法律となったのです。村八分は、村の法を破ったものに罰則として課すものです。葬儀や消火活動以外の村人の共同生活以外からはずされるという村八分がされたのです。

 村の議定、村の掟という法は、自分たちの寄合によってつくってきた。そして、その違反者にも村人の寄合によって裁いた。まさに、自分たちで法はつくるものとして、日本の文化は機能してきた。

 ここに、日本の農村の伝統は、自治的な機能を持って存在してきたことを重視する必要があります。これらの機能はどうして、日本の近代過程で崩されていったのか。話し合いの文化の崩壊は、中央集権的な絶対主義的な国家体制というなかでつくられたのです。

 それは、明治以降の欧米の帝国主義や植民地獲得競争という影響のなかで、日本の近代化があったのです。つまり、欧米列強との関係で、日本の軍国主義が形成されてきたことを見落としてはならないのです。

 とくに、日本は、鎖国政策のなかで、外国との貿易港が長崎出島、対馬、北海道釧路に限定されて、また、沖縄を中継基地としての薩摩の交易があったのですが、それは、広範な国民が、海外との関係が意識的に閉ざされた関係であった。

 このことは、明治以降の近代化において、外国との付き合い方が十分に育ってこなかったのです。近隣のアジア諸国との関係は、植民または、植民地されていく状況で、アジア諸国の人々に対する蔑視思想と欧米への劣等意識が形成されていったということです。

 

3,選挙民主主義での衆愚政治と心の教育の問題

 

 苫野一徳も、指摘するようにデモクラシーは、衆愚政治に陥りやすい、指導者に簡単に扇動されたり、感情的になったりすることがあると。そこでは、理性的に判断できなることがあるのです。

 また、議会などで選らばれた党派による多数の専制をいかにして防ぐかということです。議会制民主主義では、それぞれが哲学的価値をもつ自律性や他者を尊重する民主主義が大切になっているのです。まさに、大乗仏教でいう利他主義という概念が大切になるのです。

 それは、布施の心、愛語の心、利行の心、同事の心という他者への発願利正になっていくのです。自分が救われようとすることより、一切を衆生を救うことに努力しようと利他に徹すということが公の政治に求められるのです。

 欧米的には、ヘーゲル流の他者の自由を侵害しないという「自由の相互承認」やルソーの「みんなの意志という一般的意志」ということになるのです。

 「思いやり」「無償の愛」「仲良くしよう」という心の教育では対立は解消しなという苫野や工藤の指摘は大切なことです。現実的に対立する課題があり、多様性のなかで矛盾があって、対立することはいっぱいあるのです。それを共通の目的を見出して合意形成していくことが重要という苫野や工藤の指摘は大いに学ぶべきことです。

 

 4,学校は対話で変わる

 

 学校運営を子どもに託すということで、民主主義を学ぶうえで、その視点を大切にしたという苫野と工藤の問題提起です。とくに、特別活動を学校教育の基本ということから、自律させるための活動、対話を経験させるための活動、自分たちで仕組みをつくる活動としたというのです。

 子ども主体の活動を増やして、対立を乗り越える体験を積んでいくことで、一番に驚くのは教員であったというのです。子どもたちが成長していく姿を教員は実感していくというのです。また、子どもが変われば保護者も変わるということになるのです。

騙し謳歌の新自由主義社会

騙し謳歌新自由主義社会

 

 (1)現代社会の騙しの構造

 

 新自由主義社会の問題点

 現代日本では、生活していくうえでのコミュニティー、絆や連帯の社会が崩れ、マスコミの力が人々の意識を左右する大きな力になっています。とくにSNSによる偽ニュースや詐欺も起き、アルバイト感覚での強盗や詐欺行為など、社会的なモラルの低下、退廃状況も生まれています。

 また、自然との関係では、温暖化なので地球環境問題も大きく問われています。天から授かった自然に対する循環性が大きく壊されているのです。人間の欲望が天に対して、自然を欺いています。

 この背景には、新自由主義的な弱肉強食の競争社会や拝金主義があります。この状況での絶え間ない人間の欲望拡大があるのです。新自由主義は、現実に格差拡大が進む中で、貧困化の層が増大していています。

  民の生活を豊かに、幸福実現をにするために、現実には、国家による富の再分配です。新自由主義は、それを否定し、福祉や・公共サービスを切り捨て、自己責任や民営化を推し進めることを特徴とします。

  ここでは、緊縮財政や労働法制、独占禁止法の法制の大幅な規制緩和をしたのです。そして、グローバルな市場万能主義で、経済の国際分業化を推進したのです。食糧やエネルギーの自給率の著しい低下のなかで、国家や地域としての経済的自立も大きく損なっていくのです。とくに、農山漁村の過疎化は限界集落の激増として深刻です。

 本来ならば、国家や地域としての循環的な自立経済にとって、農山漁村の役割が重要なのです。農山漁村での新たなバイオマスや薄膜素材による太陽光の再生可能エネルギーセルロースナノテクの新素材の開発など未来への大きな潜在的な地域能力をもっているのです。

  現実の新自由主義の国際的な進行は、経済の国際分業化をもたらして、サプライチェーンなど円滑な資材や部品の提供など問題を起こしたのです。効率的には、一層の大量生産・大量消費・大量廃棄物の国際分業の経済構造になったのです。

 そして、拝金主的な欲望拡大を煽ったのです。一攫千金をねらう風潮からの競争激化、詐欺などの社会的退廃もつくりだした。ごく少数の成功者に多くの若者があこがれていく社会的風潮をつくりだしたのです。誰でも努力すればなれるかのように、煽っているのです。その欲望は、人間が生きるためのことからはるかに超えた際限なきものです。まさに、天から与えられている自然の恵みを大きく逸脱していくのです。

 ごく少数の勝ち組と多くの負け組に社会は分かれて、挫折への連続へと突き落とされていくのです。多くの人々に未来への希望をもてる社会から遠ざかっていき、騙すことをしての手っ取り速さに飛びつくのです。

 新自由主義社会は、人間として、分かち合って、自律的に主体的に自由な生き方とははるかに違って、格差社会のなかでの一部の経済的な富を築いた特権層の欲望が拡大しただけの歪な自由にすぎないのです。

 騙しや自然に対する欺きが自由に行われる社会的な状況に対する秩序、市民的モラルの形成が必要になっているのです。社会的存在としての人間は、動物と違って分かち合うことによって、愛他精神を基本にもっと、慈愛と相互依存の精神を形成したのです。  そこには、社会的ルールをつくり、相互にコミュニュケーションをしてきたのです。

 言語の発達も、文化の発達も、科学・技術の発展も、このようななかで生まれてきたのです。個人として、自律的に考えていく人間は、基本的に社会のんかで、相互依存と協働によって、人間的に精神が開花していったのです。学び、自律して自己判断できるという自由はこのなかで位置づいていくのです。

 さらに、自律的に判断できる自由を保障していくには、偽情報や騙しの情報をチェック、規制する社会的な法や教育、インフラ整備が急がれているのです。偽情報があふれるなかで、正しい真実の情報を選択していくのは大変なことです。

 

新自由主義社会からの新たな共生社会への展望と学習

 国民の暮らしを守る権利や人間と自然との共生という課題に対して、人類は新たな知恵と工夫が求められているのです。このために、人間のもっている本質的な考える創造的な学びが求められています。学びは、今までの文化や科学・技術の伝達はもちろんのこと、新たな課題に対する創造的な側面をもっています。

 このためには、行政機関はもちろんのこと、企業などでの社員や株主、協同組合での徹底した情報公開と、自由に意見をのべていく機会が必要です。参加していく民主主義や多様な機関によるチェック制度が求められているのです。

 図書館や公的機関によるSNSの情報発信、様々な機関の情報公開の徹底化から情報を正確に認識でき、個々が自由に判断できる生涯学習も大切になっているのです。また、気軽に自分の入手した情報の案件で相談できる機関も大切になっています。参加民主主義は学び必要なのです。それを保障していく社会教育の役割は極めて大切なのです。

  一方で、騙しの精神から誠や信義の精神への構築も大切な課題です。人間と自然の共生、自然循環、持続可能性をどのように作り出していくのか。人はなぜ騙すのか。または騙されるのか。人間はなぜ、自然を破棄するのか。開発とはなにか。

 人間の生身の姿をみたときに、欲望は誰でももっているものです。それは、善的に利他主義的に誠と信義、共生をもって生きたいということから大切なことです。生きるための必要な小欲知足であったり、世のため、人のためにつくしたいという公欲であったりするのです。    

 人間は、自然との付き合いのなかで自然との共生と循環を工夫して生きてきたのです。本来的に天から与えられた自然の掟を守りながら人間は生きてきたのですが、科学技術の分業的な狭い専門性の発展は、持続可能性や循環性という総合的な視点を欠いています。

 それは、目先の自己欲望拡大ということであったのです。自然を破壊してきたことは、大都市の形成、大規模開発、無秩序の資源開発、化学肥料、遺伝子組み換えなどであった。

  人間は、意識的に考える力をもって、利己的に自己欲望の拡大をしたいという姿をもっているのです。しかし、もう一方で、人間のもっている絆や慈愛、分かち合いの精神によって、善的に生きたい心は、大なり、小なりもっているのです。

 人間は、本質的に動物と異なるのは、自然のなかで、自然そのものの一体のなかで生きているのではなく、自然と付き合って、考える力をもって、工夫や創造する力をもっているのです。

 そして、人間同士は、分かち合って、協力して、相互依存のなかで生きていくという特徴をもっていることが動物と本質的な違いのです。人間は、動物的な個体の自己欲望と分かち合いの二つの側面からの葛藤のなかで生きているのが現実です。

 現代社会は、人間のもっている考える力や創造工夫する力が、特に強くあり、自己欲望の際限なき獲得になっているのです。このことから、現実的に利益をあげるために、考えてなければならないことや工夫創造しなければならない課題の達成が自己中心的な利益と結びついているのです。

 個々の課題を達成していく喜びは誰でももっているものです。その課題達成の個人的な貢献に対して、人々は分かち合いのなかで尊敬心になっていくのです。しかし、現実の現代の新自由主義的な競争社会では、分かち合いがなく、個人的な独占欲になったりするのです。

 これは、拝金主義による自己の欲望の拡大であったり、金銭や財産の蓄蔵による享楽的世界と権力支配への強欲であったりするのです。ここには、争いがつきものですし、ときには、戦争へとも発展することもあります。また、騙しや策略もつきまとっていくのです。

 21世紀に生きる現代社会は、騙しの世界や策略、SNSやAIということで、マスメディアの役割が極めて大きく、真実が映像などのAI操作によって、偽りがまかり通っているのです。真実がみえにくい社会です。感覚的な映像操作や二者選択な印象判断の横行は、人々の意識や行為に大きな影響を与える時代なのです。

 まさに、真実よりも嘘の方が広まりやすい社会です。SNSの社会での人々がとびつくのは、嘘の極端な目新しいことなのです。さらに、極端なことに、怒りや不安の感情を煽る方が拡散しやすいのです。

 

偽ニュースに弱い日本と詐欺集団の手口

 2023年6月4日の日経新聞の一面では、偽ニュースに弱い日本としての記事がのっています。日本は情報の真意を確認するファクトチェックを知る人の割合が日本は19%とベトナムの81%の四分の1です。韓国は34%です。アジアの主要国で最下位としています。

 偽ニュースは、選挙での世論操作や安全保障の脅威にもなります。犯罪を誘う闇サイトや差別をあおるメセージもあふれているとして、日経新聞は信頼できる情報のインフラの構築を提言しています。 

 日本社会全体が、地域、職場、学園での絆や連帯が薄れています。一人暮らしの無縁社会状況とSNSによる偽装社会形成が蔓延しているのです。そして、孤独な私的な金銭欲による拝金主義が横行しているのです。ここには、自由に騙しの世界の傾向が強くなっているようです。

 一人暮らしの寂しい高齢者に対して、親切に話してくれる詐欺師集団が、かつて豊田商事事件として話題になってから、高齢者に対する詐欺被害は、後を絶たないのです。オレオレ詐欺などは、親が子に対する愛情を利用しての詐欺です。

 新興宗教団体や健康食品会社のマルチ商法による詐欺、新興宗教団体の霊感商法によるマインドコントロールの現実も見落としてならないのです。マインドコントロールでは、先祖の悪徳からの清浄などと称して、多額な商品販売や寄付を何度も要求されるのです。それは自らの信仰からのマインドコントロール状況での行為なのです。

 第三者からみれば、悪徳手段による多額な財貨の蓄蔵の事件とわかります。この事件は、自己の犠牲ばかりではなく、家族や親族をも巻き込んで行きます。しかし、本人は、真剣そのものなのです。

 高齢者に典型的にみられるように、孤独、さみしさ、子に対する愛情、健康に対する心配はつきものです。それを利用しての詐欺が起きているのです。被害者は、詐欺を働く人に、人間的信頼を持っているからこそ、ひっかかるのです。

 また、孤独や不安などを巧みに利用していることも特徴です。人々の人間的な信頼関係、相互の依存精神、社会的貢献精神を巧みに利用しての詐欺行為であるのです。マインドコントロールは、決して、一方的な強制的な手段や脅迫によることではないのです。

 社会的な精神的な不安状況があって、それを相談し、励ましてくれる社会的な絆や連帯がないなかでの精神的な空白が、多くの人々が社会的な詐欺の犠牲にあっているのです。絆をつくり、連帯していく暮らしの基盤が多くの人々に奪われているなかで起きているのです。

 社会的な詐欺やマインドコントロールを積極的に推進する人たちの拡大は、現代の社会的絆や連帯、人々の生活のなかでの寂しさや空白、様々な苦悩を巧みに社会心理的に利用している腐敗の側面があるのです。

 さらに、若者に、アルバイト感覚で誘ったという、16歳から19歳の若者が白昼に堂々と東京銀座繁華街の高額な腕時計店での強盗事件などは、その典型事例です。多くの若者がSNSをとおして、詐欺事件にアルバイト感覚で動員されているのです。

 

(2)人間の欲を考えるー井原隆一「言志四録を読む」から学ぶ、プレジデント社から

 

欲には善悪がある

 言志四録は、江戸末期の儒学者の佐藤一斉の著作であります。西郷隆盛をはじめ明治維新に活躍した志士に大きな影響を与えた思想家でもあります。

人間の欲について、言志四録はどうのべているのか。わかりやすい現代的な訳と解説を含めて、井原隆一「言志録を読む」から学ぶという著作を出しています。その著作は、大変に参考になるものです。

 ここでは、人間の欲を自然界の生物のように考えているのです。そして、欲には善悪があるというのです。つまり、欲の善悪ということで、人身の生気は、すなわち地気の精なり、故に生物必ず欲あるとういうのです。

 人間の生身は、善悪を兼ね、故に欲もまた善悪というのです。欲は人身の生気にして、これがあって生き、これがなくしては死すというのです。人間として、欲をもつことは、発展する原動力になるものです。

 つまり、欲を出すことは決して悪いことではなく、人間的に発展していこうとする原動力であるというのです。しかし、欲は善用のためであり、悪用してはならないということです。利は天下公共のものなれば、利益を得ることは決して悪いことではない。だだ、利益を独り占めすることは、人から怨まれるので、善ではないというのです。

 

足るを知る

 分を知り、然るのちに足るを知るということで、自分のおかれている立場を知れば、過分なことは望めないし、天が自分に与えた器量がわかれば、現在に満足するものです。

 中国の韓非子から井原隆一氏は、水の限界は水のなくなるところ、富の限界は、それに満足するところがありますが、人間は、これで満足することは知りません。それで、富も自分を失ってします。

 自然のわざ、たとえば、平和を守り助けるために努力する人は賞し、それをさまたげる者は罰す。この賞罰を司る人君は、これに私心をさしはさんではならない。

 私心の害ということで、事の処理に当たっては、たとえ自分が道理に叶っていても、少しでも自分に有利になるような私心があっては、それが道理上の邪魔になって、道理が通じなくなるものです。

 

欲の公

 欲にも公有があるのです。理性にかなっているのが公欲です。理性にかなっていないものが私欲です。この公使を判別するのは心の霊妙であるのです。財産は天下公共のものであるから、私物化することはできないというのです。

 財産を尊重するのはよいが、これを浪費してはならないというのです。ものおしみはいけない。おしむことを大切にするのはよいが、惜しみ過ぎてはいけないということです。さらに、天下がよく治めるか、治まらないかは公平であるか、公平でないかによるのです。

 民を裕福にするには、税を免除してやることに越したことはない。利益になる事業を起こすよりも害に除いた方がよいというのです。人が自分に背くときは、自分が背かれるのかわけを自己反省し、それによって、向上するための不断の努力の基礎とすべきであるのです。だいたい背かれ原因の多くは、自分にあるのです。

 志が固まれば欲望は赤くも燃える炉の上の一片の雪を置いたようにすぐに消えていくのです。それゆえに志をたてる道理の解明が大切というのです。志を解明して、日常の詳細まで徹底して工夫することであると語るのです。

 志は高い見識と明晰の知恵のあることが必要であるし、実際の努力は適切であることを要して、行う場合の考えは緻密でなければならないし、期待することは遠大でなければならないと。

 志が人よりも上回っているからと傲慢ということではない。どのような志を立てるべきか。自分のよくない点を恥、他人のよくない点を憎むという気持ちから出発すべきであるというのです。恥ずべきことは恥じなければならない。佐藤一斉は以上のように志について、強調するのです。

 

 教育について

 教育については、次のように語ります。子弟のそばにいて助けて教えるのは常識です。子弟が横道に入ろうとするのを戒め、諭すのは時を得た教えです。教育の術は自分が先に立って実行し、何も言わずに子弟を教えるのは教育の霊妙の最上のものです。このことは、人を率いていく基本です。権力によって押さえつけて、それからほめて、激励して導くのは臨機応変の方法です。

 少年時代に学んでおけば、壮年になって役にたつ。何事を成すことができるというのです。壮年のときに学んでおけば老人になっても気力が衰えることはない。

 人は大きなことに着眼して学問すれば大人物になれます。小さなことばかり目をつけていれば小人物しかなれない。いつでも人をみる場合は、その人の長所をみるべきである。短所をみるべきではない。短所をみると自分が勝てない。自分には何の役にもたたないのです。

 公職にあるものは、望ましい字があるのです。その一つは、公です。公平無私ということです。私をもって公事をすることは害になるのです。正ということで、正しいということです。

 清いことは、精練潔白ということです。敬は己を慎み、人を敬うということです。敬すれば即ち心清明なり。つまらぬ考えを起こさないのが即ち敬であり、つまらない考えがおこらないのが誠です。

 邪ということはよこしまなこと、不正なことです。濁は不品行です。傲は傲慢なことです。人生の大病はただこれ一字の傲の字なりというのです。

 人相で占う法は、道理に叶わないということではないが、人を惑わすことも少なくない。そのために道理を知っている人は、人相を見ることはしない。

 名誉利益は悪いものではない。だだし、これを私物化してはいけない。誰も名利を愛し好むものだが、自分に適した中位のところを得るようにすべきだ。それが無理のない、自然に定まった筋道である。人として人情を愛好するには限界というものがない。しかし、それには大小があり、軽重もある。これらの均衡をとって半ば得れば、天理に叶うことになる。

 佐藤一斉は、傲慢になることを人生の大病として常に心の病から取り去ることに努めるように語ったのです。

 

(3)騙すことの多面性・

山本幸司「狡智の文化史―人はなぜ騙すのか」岩波を読んで

 

ずる賢い知恵吐いう狡智

 山本幸司は、詐欺とか嘘つきを考えるときに、ずる賢い知恵吐いう狡智とみるのです。これはひとつの知性であるとするのです。ときには、狡智は、臨機応変や知恵が回る、機転きくという称賛される知性の働きと同一物ということで、必ずしも嫌うべき存在ではないとするのです。歴史的にみると狡さはさまざまな局面で必要とされてきたとみるのです。

 振込詐欺や投資詐欺などの悪質の側面からみれば狡い、人を騙すというのは否定されるべきです。欺くというのは、神話の話のヤマトタケルの話や、中世や戦国時代の戦いのなかで華々しく話されていたとするのです。

 うそ教室の勧めの紹介で、山本幸司は、嘘をつくことによって、実害と無害、詐欺と暴露、虚構と真実との間のすれ違いを歩くことによって、活き活きとした頭の働き、知恵を磨くことになるというのです。

 

正直教育の問題点

 そして、正直教育をすすめた近代日本は、小民の小さな悪は許さなかったが、大物の悪はお目こぼしにしたと山本は神島二郎の説をひきあいにして、のべていくのです。小さな悪の習練をつかんでいなければ、大きな悪のからくりは見破れない。

 正直教育は、悪の悪のからくりを見抜く眼力を育てぬばかりか、悪のからくりを見破る者がなければ、監視されないから、大手をふって大物の悪がまかりとおっていくというのです。

 騙すということは他人の行動パターンを理解し、他人の行動を予測して、意図的に他者の聞き手を自分自身の目的に合うように行動させるのです。そもそも騙したり、嘘をついたりすることが人間社会で禁じられるのは、社会が相互の正しいコミュニュケーションを前提として成り立っているからです。この山本幸司の指摘は示唆にとんでいるものです。

 相手を信用させることから騙しははじまるのです。騙すことは、結果として、コミュニュケーションが乱され、社会が混乱に陥るのです。ところが、信用を悪用することは、社会関係では決してやってはいけないことという通念があるからこそ、それだけに騙すときにはもっとも有効な方法となると山本幸司はのべるのです。

 

騙すときの他者の感情移入・愛他的行動

 他者に感情移入して、他者の心を読み取ることができるのは、意図的に他者を騙すことが可能となるのです。他者の理解は、他者の苦痛や悩みを理解し、共感することです。他者をいたわったりする愛他的な行動は、他者の理解にとって大切なことです。この他者への共感的な感情移入は、他者を騙すときに有力な方法となるのです。

 人間の同情や博愛という義務を果たすための手助けという大義名分をかかげて堂々と自己の欲望を実現することができるのが詐欺師です。詐欺師になれるのは、人の共感をそそるタイプでなければなれないのです。

 騙すということは、他者の苦痛や悩みの理解や共感する力、信用させる力が巧みに働いているのです。つまり、騙す相手の性格や信条なども含めて、共感して巧みに共感しながら騙していくのです。

 

 まとめにかえてー騙しの世界の克服

 

 アダム・スミス(1723年から1790年)の国富論は、自由主義経済の古典になっていなす。それは、自己利益の自由な探究であった。同時に、道徳感情論として、人間社会の適合性の感覚に、他人の運命、他人の幸福にに関心をもっての共感が大切にしたのです。

 「人間本姓のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがいのないものにするいくつかの推進力がふくまれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他になにもない。憐みや同情がこの種のもので、他人の苦悩や目のあたりにして、事態をくっきりと認識したときに感じる情動にほかならない」。(アダム・スミス道徳感情論、高哲夫訳、講談社学術文庫、30頁)

 この感情は、人間本性の根源的なものとして、他人の窮状の苦悩に心が動かされ、憐みの感情をもって自分の痛みとして一体感になるというのです。相互の共感が持つ喜びは、人間を活気づけ、悲嘆を軽減するものですと。知性的な徳が、共感を是認して称賛していくというのです。

 人間の競争心はどこから生まれるのであるか。それは、虚栄心です。安楽や快楽ではない。虚栄心の基礎は、注目や是認です。金持ちの人間が自分の富を誇りに思うのは世間から注目をあびたいということですとスミスはのべるのです。

  新渡戸稲造は武士道で義は、武士道の光り輝く最高の支柱としています。正義の道理こそ無条件の絶対命令ということになるのです。ところが、義理はしばしば詭弁に屈服しまい、非難されることを恐れる臆病まで堕落してしてしまったとのべています。武士にとって、嘘をつくことは、臆病とみなされた。武士の言葉は重みをもっていた。

 嘘という日本語は、真実、誠でないことを意味した。産業が発展すると誠は実践しやさい、むしろ実益のある徳行です。偽りの証言をすることはなんら積極的な戒めがないなかで、嘘をつくことは、むしろ弱さととして批判された。弱さは大いに不名誉であった。武士にとって、名誉は、この世で最高の善です。不名誉は、大きな恥になるというのです。以上が新渡戸稲造の嘘と誠の見方です。

  江戸時代に活躍した儒学者伊藤仁斎(1627年から1705年)は、誠を人との関係における仁愛の精神においたのです。童子門では、私欲の克服を強調して、人間の関係における愛の重要性を大切にするのです。

 39「父子の親、夫婦のけじめ、兄弟の順序、盟友の信・誠実。愛は実体のある心情から発したものである。愛から発しないときは、いつわりのものしかすぎない。徳のある人は慈愛の心をもって大切にし、残酷酷薄の心をいちばんかなしんだ」。43「慈愛の心があらゆるものにまじああってゆきわたり、残忍で薄情な心が少しもない、これこそ仁というのである」、46「仁の徳をそなえた人は、愛を自分の心としている。それで、その心は自然とおだやかである。心が広くゆったりとして、人を包容するので、落ち着いてあわてない。落ち着いているので、楽しんで心配がない」。

 300年以上前の江戸時代の儒学者伊藤仁斎は、仁愛の精神から偽りの心を持たずに誠実に生きることの重要性を指摘していたのです。残酷酷薄の偽りは仁愛の心が人間関係において失われることから生じているとしているのです。

 現代社会での道徳心理学を研究したウイリアム・デイモンとアン・コルビーは「モラルを育む理想の力」で、誠実の重要性について、次のようにのべています。

 「不誠実の伝染は、腐敗が根を張め始める社会で起こります。腐敗を抑えようとする明確な手段や強いリーダーシップがなければ、腐敗から立ち直ることは難しいことです。現代社会を混乱させてしまう背景には、実際のところ知性あるエリートのオピニオンリーダーが、自己欺瞞から利益を吹聴し、ほかの不誠実な形を正当化しているところにあります。

 不誠実な文化がはびこる腐敗を予防するするために声をあげるのではなく、むしろ、彼らは自己利益を増すようなタイプに、また量的に偽善を主張し、悪徳ではなく、美徳として繕うとしてきたのです」「誠実が公共で賛辞されるのは普遍的認識です。不誠実なコミュニケーションが長期に予期されると市民化は破綻します。人間関係は、そのルールとして、真実を話すという誠実さを必要としているのです」。

 社会的リーダー層の自己欺瞞からの利益、悪徳を美徳として繕うこのの腐敗構造についてのべているのです。それは、まさに市民社会の破壊としてふるまうというのです。社会的なリーダーの役割が騙しの謳歌からの克服としえ重要性をもっているというのです。

   騙されることによって、生死にかかわる重大な被害を受けることも少なくない。騙すことは、不誠実とうことの次元ではなく、詐欺行為などにみられるように大きな犯罪てす。

 正直に生きることは、常に求められますが、絶対的なものではないことも時にはあります。死を覚悟しなければならない重大な病気が診断によって判明したときにどうするのか。難しい問題があるのも事実です。

 子どもは成長過程で、自分の失敗したことや、親に知られたくないときに嘘を自己防衛的、または親に心配かけないように嘘をつくことがります。相手をきずつけないように思いやりのなかから、嘘をつくことが人間関係のなかであります。

 しかし、それは頻度の多い嘘ではありません。嘘を謳歌の新自由社会で問題にするのは、社会的退廃状況での詐欺行為などの他者の生きる糧や生きがいを奪うことなどの苦境においやる行為のことです。

 人間は欲望のなかで生きています。小欲知足という考えも自己欲望を生きていくために必要なこととみることも大きな意味があります。限りない自己欲望の肥大化によって他者を悲劇的に落とし込めることが多々あります。利他主義的に慈愛の精神の形成ということが問われているのです。本来的に平和的に民族間や国家間の関係では重要な課題です。

 民族的、国家的な自己欲もつきまとうのです。お互いに欲からではなく、共生的な関係で理解していく話し合いは平和にとって不可欠なことです。しかし、ときには戦争になってきたことは人類の歴史でした。外交的に一歩距離をおいて考えることもい聴なときもあります。それが策略としてとらえられることもあります。

 モラル問題は、人間の道徳的な問題です。決して、制度的に二度と起きないように考えても難しいのです。モラルの問題は、社会的制裁ということで、抑制力をもつものです。犯罪的に行為については、厳しく取り締まって、制裁ということからも社会的に公開あれていくことも大切です。