社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

ベトナム・ナムディン地方の文化の特徴と公民館

ベトナム・ナムディン地方の文化の特徴と公民館

日本の公民館は、戦後の敗戦のなかで、新しい地域づくりのために、住民学習運動の支えによって生まれた。その住民の学習運動は、生活や文化に根ざした形で発展した。このような住民の学習と公民館は、コミュニティラーニングセンター、地域共同学習センターなどと呼ばれて、現在、世界の発展途上国で拡がっている。

 1985年のユネスコ国際成人会議の学習権宣言にあるように、学習権は、生存にとって不可欠な手段であるということから発展途上国に公民館の運動が拡がっているのである。

  ベトナム紅河デルタ地方では、自然生態系に依存した食と健康の自給自足生活を伝統的に続けてきた。VAC運動は、このベトナム北部の伝統的生活を現代に再評価して、市場経済に対応した新しいむらづくり運動をすすめている。

 ベトナム政府は、2020年までに工業国を目標にしているが、この経済発展戦略のなかで、農村に暮らしていても豊かな生活と文化を保障される新農村建設を2010年度からはじめている。

 この新農村建設においては、住民自身が地域発展をめざして学習していくことが大切とされ、地域共同学習センターを全土に組織していった。本論では、その典型の自立していこうとする地域づくり運動をナムディンに探りあてて実証した。

 ベトナムでは、豊かさを獲得していくためには、学習することを教えている。それは、自立の力を養っていくことである。現代では、日本の町村にあたる社という行政の末端に、共同学習センターをつくり、地縁組織を基盤に新農村建設運動を展開しているのである。

 ナムディン省の中心都市は、ハノイから90キロである。ナムディン市は、紅河デルタ田園の中心に位置する。ナムディン省の隣接は、ハーナム省、ニンビン省タイビン省であり、ナムディン市は、それらの省の中心に位置する。

 ナムディン省は、人口約200万人で、紅河デルタ地帯の中心地域である。海岸線は、とくに貧しい地域が多く、カソリック教徒と仏教徒ベトナムの伝統的信仰のディン(神社)、一族の廟が混在している。また、伝統工芸が盛んな農村地域も多い。

  紅河デルタは、ベトナム人の文化の多様性、独立心、共同性のこころを強くもっているところである。ベトナムが歴史的に中国から独立していくうえで、紅河デルタは大きな役割を果たした。

 ハノイを中心とするベトナム北部は、紅河デルタ地域に覆われていた。ベトナム人にとっての河川との闘いは、食料生産を豊かにしてきた。それは、開墾と独立のための歴史であった。1200キロの河川の長さと流域面積が12万平方キロメートルという巨大な紅河は、洪水の歴史を繰り返してきた。北部ベトナム中流域には、平原をもたず、山地とデルタが直接に接している特殊性をもっている。

 このため、北部のベトナム人は、雨期に荒れ狂う紅河と闘わなければならない歴史であった。紅河デルタの北部のベトナム農民は、経済的基盤をつくるために、広範囲に網の目のように、大小の防波堤を築くことで、荒れる河川と闘ってきた。

 中国からは、侵略の歴史であった。ベトナムは、中国の植民地支配の脅威にたたされてきた歴史である。中国からの独立のためには、農業生産を向上し、安定させることであった。そこでは、輪中をつくり、紅河の氾濫地域を防波堤で防ぎ、田庄とよばれる荘園をつくっていった。この荘園には私兵をもち、中国の侵略にたいしての強力な抵抗勢力となった。

 今でも、ナムディンの中心街の公園には、3度による元朝の侵略を打ち破った指導者の陳興道チャンフンダオ)の銅像がそびえている。それは、ベトナムの人々のあつい独立の精神的支柱になっている。

 この紅河デルタには小さな運河がはりめぐらせて交通手段と灌漑とを兼ねている。中国軍を追い払ったのも紅河を利用しての戦法である。水位の日ごとの差と時間差を利用して、敵を河川に閉じ込めたのである。河にくいをうちこみ、水がひいたときに船が閉じ込めゲリラ戦法である。今では、ナムディンの海岸では1千トン未満の船舶の造船が盛んにおこなわれている。河を利用した交通の要衝であったため、造船業が発達した。

 紅河は、輪中による強固な共同体をもっていた。しかし、交通手段が発達して、外に開かれていたことも重視しなければならない。紅河デルタ地帯の共同体は、集落それ自身が、輪中化して、塀をつくり、ひとつの大きな家族共同体となっていた。そのうえには、皇帝の指揮のもとに派遣されている郡単位規模の上位の地方共同体がある。上位の共同体は、広域のふるさと意識が存在し、国家・民族意識と繋がっていくのである。

 ベトナムが強い独立意識をもっていたという国民性は、この共同体的な郷土意識を基盤としている。絶対主義的な封建時代の集権制や、近代化のなかでつくられた中央集権的な関係からの絶対服従による上意下達的な強制的関係による共同体的意識ではない。

 北部ベトナム人の強い郷土意識は、紅河デルタの生産と生活基盤からの共同性によって、歴史的な構造のなかでつくられてきたのである。それは、歴史的に北部を中心として発展してきたベトナム人の意識であり、中部や南部とは、違った歴史的展開がある。

 また、ベトナムは、山岳地方を中心に多くの少数民族を抱えている。このために、ベトナム全土は、決して同じとはいえない。北部の基層的文化は紅河デルタを中心とした上位と生活単位の層をもつアジア的な共同体文化が基本的に根強くあるのである。

 紅河デルタの李・陳朝時代に創建された寺院や皇帝廟などは、今も農民をはじめベトナム人にとってあつい信仰の対象になっている。神仏混合文化は、日本の近代以前と同じである。ナムディンにある陳朝廟やとなりにある普明寺には、旧正月・テトのときは、全国から人々が訪れる。 ベトナムのナムディン地方は、仏教寺院やカソリックの教会、また、祖先崇拝の祠堂や村の守護神の廟・亭など複合的な神仏混合の信仰生活が深く根付いている。

 また、儒教道教と結合した浄土教禅宗仏教徒カソリックが共に暮らしていたのである。村落の守護は、それぞれの信仰を認め合う価値が共有していたのである。

 旧暦の12月23日は、料理の神様が天に昇る日で、コイをもっていかせるために授けるという儀式がある。テトの正月まえに帰ってくるという。このように、ベトナム人の日常生活のなかで、昔話にある世界が日常生活の儀式として残っている。

 ところで、近代に至る過程では、フランス植民地化とグエン王朝体制のなかで、仏教・儒教道教カソリックとの敵対関係がつくられた。このことは植民地文明と近代化ということで重視すべきである。異なる信仰が一時的にせよ、敵対的関係に利用されたことがある。しかし、これは、ベトナムの民族的伝統の歴史ではない。

 ナムディン地方の伝統的な寺院であるCO LE、KEO HANH THIEN、KEO THAIBINEは、神光寺として、李王朝の安泰と百姓人民太平ということで、11世紀に設立されたものである。3つの神光寺は、相互に関係し、祈願と、こころの悩み、易をしてくれるところで、王の病もこの寺に祈願したことによって、回復した言い伝えが残っている。

 今でも祈願や祈祷し、僧侶に悩みを話すために多くの人々が訪れる。1262年の陳朝時代にベトナム式座禅の寺として晋明寺が建設される。14の段の棟が農村の風景にそびえたち、寺はコイと竜の彫刻物が屋根のうえに飾られている。この寺院の村落にカソリックの教会が併存しているのである。

 李朝・陳朝時代は、仏教の手厚い保護のもとに、仏教、道教儒教が結合していった。仏教の学校は、長い伝統を持ってきたのである。ベトナムキリスト教の普及は、フランスの植民地以前のずっと前に、ナムディン地方に1538年にフランシスコ派によってはじめて布教された。そして、1614年以降は、イエズ会によって本格的に普及していく。ベトナムキリスト教は、植民地支配以前にも存在していたという長い歴史をもっていたのである。

 ベトナムの文化は、異なる信仰的価値を互いに認め合ってきた寛容性をもっている。これは、民族の伝統性としてつくられてきたのである。従って、為政者による廃仏毀釈という特定の信仰を弾圧する歴史をもたなかったのである。科挙試験の内容も中国や朝鮮半島と異なっており、儒教の内容ばかりではなく、仏教や道教の内容も試験として課していたのである。これが、ベトナム的な科挙試験の3教試である。

 すでに、15世紀の中国の明を撃退したあとの科挙試験は、軍民に限らず、能力のある者すべてが、認められたのである。その試験は3年ごとの3段階の試験であった。このようななかでベトナムでは、学問をすることが広くいきわたっていく。士夫、文士、文神、文人は、人々に尊敬される対象になっていく。日本では科挙制度がなく多様な儒教の考えをもった学者を輩出していくが、ベトナムでは多様な信仰心と異なる価値観を容認しながら学問をするものに対しての尊敬が生まれたのである。

ナムディンの伝統的な自然循環的生活と地域組織

 ナムディンの新農村運動は、VACというベトナムの伝統的な自然循環的な自給自足生活を現代に、生態系を維持しての地域経済発展の商品生産を行っていくものである。この運動にとっては、地域住民の学びがなければ達成することができない。

 まさに、持続可能な発展のための教育が基本的な条件である。つまり、ESDの組織化である。この課題を考えていくうえで、以上のような伝統的な多様性を認め合う寛容性と学問を尊重する文化と歴史をおさえておく必要がある。そして、ベトナム北部農村は、強い絆をもった地縁組織のもつ共同性をもっていたことを見落としてはならないのである。

 小学校は、この地域のもつ共同性を基盤にして、存在しており、地域組織の活動に学校の施設の果たす役割が大きくある。また、ベトナムでは、行政的に整備されているのは、県(日本の郡)段階であり、日常的な生活の単位や小学校のまとまりの社(日本の町村)の人民委員会は、日本の町村行政のように、部門ごとの担当行政職員が配置されているわけではない。

 社の下に集落があり、ディン(神社)は、集落のまとまりの象徴でもあった。この集落単位に、文化会館という集会所があり、そこに、青年会、婦人会、農民会、在郷軍人会などの地縁組織があるのである。

 文化会館は、すべての集落にあるわけではない。しかし、どこの集落でも伝統的なディン(神社)の施設は存在し、そこは、村人のこころがまとまっていくシンボル的施設である。ディンは、紅河デルタの農民が日常生活のレベルで共同のこころの結束をはかっていく施設である。

 ディンには、長老による村の伝統的な文化を継承していくのである。村を創設した英雄が村のディンに祀られている。また、村の文化や儒教の教えを子ども達に教える場としてもディンが機能していた。村人はディンを中心にまとまってきた歴史があり、ディンは、村人の集会場の役割をもっていたのである。

 社は、いくつかの集落が集まった自治的な性格を強くもった行政組織である。そこでは、人民委員会が存在し、行政の政策を浸透させていく役割を果たしている。日本の町村にあたるのが社である。基礎的な地方自治として整備されているわけではないことを見落としてはならない。社には、トタン屋根によって雨露をしのぐ程度の文化ホール的なものである。それは、社の村人の集会施設である。

 生涯学習教育機関として、職員と施設が整備されているのは、県(日本の郡)段階にある継続教育センターである。地方自治体として、行政職員が、部門ごとに整備されているのは、県(日本の郡の範囲)である。

 ベトナムで2005年の教育法で整備されるようになった共同学習センター(公民館)は、社の段階の組織内でつくられている。それは、いままで使っていた人民委員会の集会所を兼務しての共同学習センターにすぎない。少数民族を対象に日本のユネスコが支援してつくった共同学習センターは、独自に建物が作られているが、ベトナム全体からみれば特殊な位置にすぎない。

 社の人民委員会の村長を中心に、農民会、婦人会、青年会、退役軍人会、協同組合の地域の組織が、共同学習センターの運営や企画の担い手になっている。そこには、特別に生涯学習の専門職員が配置されているわけではない。

 今後は、県(日本の郡の範域)の継続教育センターに配置されている生涯学習の専門職員が社の段階における共同学習センターとの学習の連携が求められる。そして、このことは、地域の生産や生活、さらに文化と結びついた極めの細かい生涯学習の充実がはかられていくとみられる。

 2020年までに、ベトナムは、工業国としての目標をたてたが、その工業国の目標は、均衡ある国土発展のである。このためには、工業化と同時に、農村の豊かさを保障する新農村建設運動を進める必要がある。新農村建設は、地域での学習がなくして達成できない。とくに、緑の経済発展として、伝統的な文化や地域の資源を守って、自然循環的な生態系を基礎とした農村開発は住民の学習なくして達成することは出来ない。

 さらに、ベトナムの自然循環的な生態系を基礎としたVACシステムの運動を現代的に再評価していくことも必要である。工業国にしていくという新しい段階で、市場に対応して、農村での快適なる生活環境を整備して、均衡ある国土の新農村建設をどう構築していくかは、極めて複雑で、難しい問題がある。環境保全の緑の経済発展と、伝統的な農村文化、地域資源を守って自然循環を大切にしていくことには、住民の学習を基礎にしての住民参加の地域づくりが不可欠である。

 ベトナムでは、2010年から全国的に新農村建設運動がはじまったが、工業化に伴う都市と農村の不均衡な発展を是正するために、豊かな農村生活のための地域づくり運動がはじまった。2010年に一人当たりの国内総生産は1168米ドルに達したが、2020年には、国内総生産は3000米ドル以上を目標にしている。工業とサービス業は、国内総生産の85%としている。

 ベトナムは、後発開発途上国( Least developed country、略語:LDC)という国連が定めた特に開発が遅れている国々基準のひとつの1,086米ドルを超え、後発開発途上国から脱したのである。

 しかし、2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満の貧困層は3333万人と推定されている。実に、国民のおよそ4割を占める。ベトナムでは、農村部を中心に多くの貧困の現実がある。

 ベトナムは、社会経済開発戦略において、2020年までに、工業国にしていく計画であるが、ベトナム人アイデンティティになってきた伝統的な農村生活を失わずに、また、農業の発展、伝統的な農村文化を維持しての工業化を模索しているのである。このなかで、注目されるのが、伝統的な生活を見直しながら、農村の近代化を行っていくというVAC運動である。

農村女性の地域興しの学び勢

 社の婦人会の会長は、村全体どうしたら幸福な家庭ができるのか。婦人たち自身も家庭の経済を向上していこうと、豚の飼育に力を入れている。豚は1頭につき100万ドンで売れる。婦人部として、専門の豚飼育の勉強をして、近所同士で情報交換をして学んでいる。

 ここには、農業技術者の専門家も派遣されて、豚の出産や飼育管理を農家の女性たちが熱心に学んでいるのである。農家では2頭くらい飼育するのが一般であるけれども専門的に豚の飼育を家族全員でとりくんでいる農家も生まれている。50頭または100頭という飼育農家で豚専業農家が生まれているのである。婦人部のなかに農業専門の勉強会も豚を中心に定着しているのである。

 婦人部は学習を中心に活動を展開している。社の村には地域共同学習センター・コミュニティラーニングセンター(公民館)があり、社の副村長が責任者になり、9名のスタッフで農業技術の勉強、文化・芸能の継承、演劇活動、栄養や保健衛生活動、子育て活動などの勉強をしている。

 婦人部はよく学び、良く働き、よい家庭をつくるということで活動をしている。そして、男女平等をすることが農村の婦人部の活動で大切として、家庭の幸福になるための経済をどうしたら確保できるのか、子どもの権利を保障し、婦人や子どもの健康を維持し、増進していくために教師を招いて学習を積極的に展開している。毎月1回は社全体の婦人会の活動を実施して、11の集落ごとに独自の活動を行っている。3月8日は国際婦人デーであり、女性の権利の問題について考える日を設けている。ベトナム婦人連盟の日として、10月20日に女性の権利問題について、独自に設定している。3ケ月に1回は夫も同伴して学ぶことを習慣づけている。

 以上にように、この社の村では家庭の幸福をどうしたら確保できるのか、子どもの未来をどのようにして保障していくのかという課題を積極的にとりあげているのである。このなかで、村の経済の問題が大きな位置を占めているのである。

 婦人会の活動は、地域のなかで大きな役割を果たしている。同じ海岸線の紅河デルタにおけるのザオスァン村の婦人会活動も活発に地域の貧困者などの援助をしている。 

 ザオスァン村は、紅河デルタ地域の海岸線にある村で、10キロ以上にわたって 広大にひろがる砂浜にはまぐりの養殖をしているところである。その面積は、1300ヘクタールにおよぶ。はまぐり養殖世帯は700世帯(1グループ3世帯が平均的姿)をかぞえているが、すべてが安定した生活をしているとは限らない。はまぐりの稚貝を拾って生計をたてている農家も少なくない。

 実際に、成功者は少数にすぎないが、はまぐりや海老の養殖によって、村のなかに立派な住宅がたっている。はまぐりや海老の養殖に対する村人の期待は大きい。村のなかでは、貝の養殖技術の研究を盛んにやっている水産業者もいる。

 ここは、 1万人の人口を有する社である。村あげてはまぐりや海老の養殖に地域経済の活路を開こうとしているところである。従前は、水田地帯で海岸線があることから、塩害も多く、地力もよくない。農業生産力も低く、昔から貧しい地域であった。
村には立派なカソリックの教会があり、信仰のあつい地域でもある。カソリックと仏教が村のなかに共存している。貧しい地域であることから、お互いに助け合う習慣が強くあるところである。人工的な運河や堤防をつくって、不毛な土地を開墾して人が移り住んできたところで、村の歴史も浅くディンなどの文化も弱い地域である。

 ベトナムの紅川デルタ地帯のナムディン地方は、フランスの植民地形成がいち早くされたところである。フランスが入ってくる以前からカソリックの普及がある地域である。現在では、立派な教会が農村に多い地域である。ここでは、教会とお寺、ディン、媽祖信仰が共存しているところである。多様な文化的価値観が地域に包含している貧しい地域である。

 ここでの婦人会活動は、貧困者の支援に力点を置きながら活動を展開している。婦人会の組織は、集落ごとにあるが、全員が入っているわけではない。10集落全体で70名ほどである。1年間6千ドン、入会金5万ドンをとっている。若い人は出稼ぎが多い。農閑期に短期間でハノイに働きにいくものも多い。なかなか、婦人会の会員に入ってもらうのも難しい。女性は、農業とはまぐりの養殖の仕事についている。

 貧しい家族への支援は、2000ドン、3000千ドン、5000千ドンと各世帯から寄付金を集めている。子どもの祭りは村としての大切な行事であるので、貧しい世帯を除き、各世帯から現金2000ドンまたは、お米の寄付によって資金にしている。

 町村行政の社の段階で、地域発展の勉強をしているが、はまぐりと伝統工芸の竹細工に期待をかけている。はまぐり経営で成功している世帯は、20世帯程度で多くは、そのはまぐり経営に雇われたり、はまぐりの稚貝をとったりして農業収入の補完をしている。村の運河は、泥が堆積しているが、それを取り除くことは現在していない。運河改造計画はあるが、具体化していない状況である。

 マングロープを有する国立公園が近くにあることもあり、グリーンツーリズムとしての実験が一部の農家でとりくんでいる。しかし、村のグリーンツーリズムの環境整備はこれからである。グリーンツーリズムをとりくむ個々の農家がトイレなどを改造して外国人が泊まれるようにしているが、家全体は昔ながらで、そのままである。このことが昔ながら村の生活を楽しむことになっている。ところが、グリーンツーリズムは、集落ぐるみのとりくみになっていない。

 大家族の家が多く、兄弟家族が同じ屋敷のなかで生活しており、家族共同体の屋敷を基礎に地縁としての集落が形成されている。集落は、婦人会なども全世帯が加入している状況ではなく、集落の構成員からすれば、婦人会の地縁的活動をしているのは、一部でる。海岸線の開墾地域であることから、強い共同体的な絆も弱く、貧しいということによって、カソリックの教会の活動は活発に行われているが、地縁組織の加入も極めて少なくなっているのが現状である。

 貧しい地域であったので、自給自足的に生活できるVACの運動は、盛んであった。自分の家の庭には、池を掘り、自給的な魚を飼って、庭には、果樹を植え、自宅の近くの畑には、自給的な野菜を植えて生活してきたのである。

 ベトナム農山村漁村の経済発展と教育の質の向上

 1994年のアメリカの経済封鎖が解かれることによって、急速にベトナムは経済発展を遂げていく。最貧国の脱出は、いち早く達成して、今日、東南アジアでも有数の経済発展の国として、日本をはじめ先進国の外資から導入が期待されている。識字教育の普及のときに、大きな役割を果たした農村文化補習施設は、その役割を終えて、末端の行政村の規模も拡大して、新たに、共同学習センター(公民館)としての機能に変わっている。

 この公民館機能は、日本の村づくり運動と学習運動から学びとろうとしている。2005年の教育法改正によって、生涯学習の施設として、共同学習センターが入ったのである。しかし、日本などの先進国のODA援助によって、また、専門の活動の指導がJAICAなどによって、共同学習センター(公民館・コミュニティラーニングセンター)の施設が利用されているが、それらは、ごく少数である。

 日本の戦後初期の村づくり運動は、公民館の施設が整備されていなくても青空公民館といわれた。施設ではなく、村人が集まって学習して、新しい村をつくっていこうとする努力が各地にみられた。ベトナムの共同学習センターの活動の動きは、戦後日本の農村における公民館運動に似ているところがある。

 第11回共産党大会の「2011年から2020年の社会経済開発戦略」のなかで、教育を第1の国策として発展させることが次のように述べられている。
 「人材特に優秀な人材を育成し、その質を高めることは、経済構造の再編、成長形態の変化を促進するための決定的な要素及び長期的な競争の利点であり、経済社会の速くて効果的で持続可能な発展を保障する。
 ・・・教育、訓練の質の向上に集中し、道徳、ライフスタイル、創造能力、実践スキル、起業能力の教育を重視する。標準化、近代化、社会化及び国際統合の指向でベトナムの教育を根本的かつ全面的に改善する。・・・幼稚園教育を拡大し、5歳までの幼児教育の普及を実施する。より高質で初等教育及び中等教育の普及を実施する。職業訓練及び専門教育を発展させ、その質を向上させる。全国の大学、短期大学のネットワークの計画を見直し、完成し、それを実現する。大学教育の質向上のため、各対策を同時に実施し、教育訓練機関の社会的責任の向上に伴って、その自主体制を保障する。質の高い最先端技術の学校、学部の設立に投資を優先する。

 すべての学級における教育内容・プログラム、教育方法を改革する。2015年以降新しい中等教育プログラムを実施できるように積極的に準備を進める。外国語の教育を拡大し、その質を向上させる。政府は、投資を増加すると共に社会化を進め、社会全体に対し教育の発展に努めるように呼びかける。

 貧困な地域、山岳地、少数民族の地域における教育を迅速に発展させ、その質を向上させる。奨学を促進し、能力を重視し、学習社会を構築する、遠隔地教育及びコミュニティ学習センターのシステムを拡大する。学習機会及び教育に関する社会政策をよく実現する」JETORA訳)。

 人材養成の質を高めていくことは、長期的な面からの社会経済戦略の基本である持続可能性の発展を保障していくというベトナム共産党の見方である。このために教育・訓練の質を集中して、創造能力、起業能力育成をはかるとしている。さらに、重要なことは、すべての国民、すべての地域で教育の質を高める施策を実施していくということである。このために、貧困な地域、山岳地、少数民族の教育の質を迅速に向上させることは急務としている。

 ベトナム政府の教育の施策は、経済の成長、持続発展のための人材養成という視点が強くでている。この人材養成は、単に経済発展のための適応主義的能力養成ではなく、創造力と起業能力をもった実践的なスキルや、新しいライフスタイルを求めているのである。

 ベトナムは、環境保護のための緑の経済を発展させていくには、地域の自然生態系や自然循環型の最先端の技術習得と地域創造性、ライフスタイルのあり方、道徳性が不可欠である。このため、地域の自立の教育は、一般的な科学技術の習得、教科の学力ではなく、現実の生活や地域に即して、創造性をもてる科学的能力が求められているのである。

 まさに、個人主義的な拝金主義や社会的な地位のみの出世第一主義の教育ではなく、ベトナムや地域の未来、そして、それが人類的に貢献するということでの道徳性を兼ね備えた科学的な能力の習得が必要とおうことを強調したのである。そこには、創造的な能力、実践的なスキル、起業家精神が強く求められていく。

 遠隔地教育やコミュニティ学習センターのシステムを拡大していく方策は、貧困な山岳地少数民族の自立のための教育の保障にとって極めて大切なことである。この教育には、経済的、文化的、社会的な地域の発展のための新農村建設やVACシステムの運動と結びついて、はじめて地域の豊かな暮らしのための学習になっていくのである。

 2005年のベトナム教育法では、国民教育制度は、正規の教育と生涯教育からなるとしている(第4)。そして、少数民族の教育を重視しているも特徴である。「国は、少数民族少数民族が民族文化のアイデンティティを維持・発展させ、少数民族の生徒が学校およびその他の教育機関で容易に知識を身につけられるように、自らの話法と書法を学ぶ環境を整備する。少数民族の話法と書法の教育および学習は、政府の規定に基づいて実現される(第7条)。

 少数民族の教育の保障は、ユネスコ万人のための教育の精神からであり、すべての国民に等しく学習権を保障されているという理念から積極的に、特別に、少数民族、貧しい人々の学習援助の整備を法的に位置づけたのである。

 「すべての公民は、民族、宗教、信仰、性別、出自、家庭、社会的地位あるいは経済状況によって差別されることなく、学習機会が等しく与えられる。国は教育において社会的公正を実現し、万人が学習できる状況づくりを行う。国と地方政府は、貧しい人々が学習できるように援助し、優秀な人材が才能を伸ばすため国は少数民族の子女、および特別に困難な経済・社会状況にある地域の子女、優遇政策の対象者、身体障害者、傷病者、その他の社会政策の対象者に対し、優先的な教育条件を与えることにより、彼らが自ら学習する権利と義務を保障する」(第11条)。

 ベトナムの教育法は、国民すべてに平等な学習権の保障をしているのである。社会的、経済的に学習機会が等しく保障されるように、国は社会的公正ということから特別の援助をする義務があることを強調しているのである。
 そして、教育実施においては、国民的な参加ということから教育事業の社会化を強調しているも特徴である。このために、地域のあらゆる組織と学校との連携がうたわれているのである。

 「国は教育事業の発展に重要な役割を果たし、学校の形態と教育の方式を多様化させ、公民の動員や組織化、および個人が教育活動の発展に参加することを奨励する。あらゆる組織、家庭、公民は、教育活動に配慮し、教育目標を達成するために学校と連携し、健全かつ安全な教育環境を作る責任を有する」(第12条)。

 教育の実施における社会の役割を積極的に提起しているのである。とくに、教育実施における国民の参加の大切を強調しているのである。とくに、あらゆる組織、家庭と学校との連携の重要性をあげている。学校は、社会との関係、地域での様々な組織との連携のもとに教育実践がされていくことを重視しているのである。

  公民館等生涯学習の充実と農山漁村の経済発展

 学校教育と並んで、生涯学習を万人の学習権として大切にしているのが、ベトナム教育法の特徴である。2005年の教育法では、生涯学習ということから、知識を広げて人格を高め、生活の質の改善、仕事をみつけ、仕事をつくりだすことをうたっている。

 「学習生涯教育は、仕事をもつ人が誰でも、生涯にわたって教育を受けられるようにし、人格を完成させ、知識を広げ、学問・専門・職業上の水準を高めることを支援する。これにより、生活の質を改善し、仕事を見つけ、自分で仕事を創り出し、社会生活に適応することが求められる。政府は生涯教育を発展させ、万人が教育を受けられるようにし、学習社会を築く政策をとる(第44条)。

 生涯学習を推進していくうえで、従前の学校教育機関が行うだけではなく、積極的に独自の生涯学習機関の役割を重視したことである。とくに、社レベルの共同学習センターを新たにベトナムの地域での生涯教育機関として位置づけたのである。

 「生涯教育の機関は次のように構成される。 省レベルおよび県レベルで組織される生涯教育センター。 村落単位で行われる共同学習センター。生涯教育のプログラムは、普通教育機関、職業教育機関、大学教育機関、マスメディアによっても実行される。大学教育機関が短大課程や大学の卒業証書を授与される生涯教育プログラムを実施するのは、地方の教育組織すなわち、大学・短大・中級職業学校・県レベルの生涯教育センターなどと連携する場合のみに認められる。また、地方の教育組織が短大・大学水準の教育を行うには、施設・設備・管理職に関する必要条件を満たさなければならない(第46条)」。ベトナム教育法2005年・訳 近田 政博


 社の行政範域レベルの生涯学習機関に、共同学習センターが積極的に位置づけられたのである。このことは、地域づくりと学習の役割を結びつけるうえでも重要なことである。

 ベトナムでは、VACシステム運動や新農村建設運動でも、それぞれの村人が地縁組織や協同組合、農民会、婦人会、青年会、在郷軍人会などに集まって、村づくりをはじめているのが特徴である。それをリードしているのが、社の人民委員会であり、人民評議会であるのである。ここに、多くの住民が自発的に自らの地域の暮らしと文化を豊かにしたいと参加していくには、学習が欠かせないのである。

 現実的に、独自に共同学習センター(公民館)の施設をもっているのは、ベトナム全土からみるならば、ごく少数であり、多くは、社(町村範囲)の人民委員会の役所事務所の会議室やホール、学校施設などを利用して、社の段階の、農民会、婦人会、青年会などの地縁組織の活動が行われているのが実態である。

 とくに、小学校の施設などを利用して地縁組織の活動が活発に行われている地域もめずらしくない。集落の段階では、文化会館などの集会施設があり、社の段階におけるの共同学習センターにとって、地縁組織の活動基礎をつくっている。

 とくに、婦人会の活動は、集落段階の活動が重要性をもっている。さらに、教育の専門の職員が配属されているのは、日本の郡段階にあたる県行政の枠組みである継続教育センターの教育施設である。このセンターは、日本でいわれるような青年教育、成人教育が活発に行われている。ベトナムの成人教育は、継続教育センターの役割が大きいのである。

 ドイモイ政策を中心に実施したナムディン省出身のチュオン・チン(レズアン書記長死亡後の暫定書記長1986年12月第6回共産党大会新書記長グエン・バン・リンによって、正式にドイモイ政策宣言、1992年ドイモイ憲法制定・三権分立ホーチミン思想の明確化)のふるさとであるスンチョン県スアンホン村では、村の図書館づくりや共同学習センターが必要であると、地域組織あげて、その建設運動にのりだしている。住民自身が自ら労働力を提供して、経費を施設の充実のために使おうとしているのである。

 学びがあることに豊かな農村振興計画がつくられいくという確信からである。さらに、その振興計画を実践していくには、多くの人材が必要であるという認識からである。図書館建設と共同学習センター建設計画は、地域ぐるみで労働力を提供し、自分たちの考えで建設していくということである。

 従前の共同学習センターは、日本のODAの援助でモデル的に建物が作られたものであるが、ここでは、自分たちの力で、自分の考えで施設を作り上げていくという基本姿勢である。先進国から学ぶべきことは学ぶが村の幹部の主体性が重要であるという認識である。

 この社は、人口2万人と五千の世帯をかかえ、3つの小学校とひとつの中学校からなっている。また、幼稚園を建設したばかりである。1100ヘクタールの水田で、副業として養蚕をしていた。。しかし、これだけでは、生活がなりたっていかず、多くは、ハノイやナムディン市に出稼ぎに行っている。かつては、麻の民芸品や麻のジュータンをつくり、東欧諸国に輸出していた。東欧諸国の社会主義体制の崩壊により、輸出先が激減し、1990年代の終わり頃に産業としてなりたたなくなった。

 養蚕業は、川沿いなどで畑が豊かで、どこの農家もカイコを飼っていた。製糸工場はナムディン市にあったので、そこまでもっていった。1000世帯がカイコの農家であったが、今は、100戸に激減している。これは、中国の影響で、安い中国製品によって、成り立たなくなっている。中国人がやってきて、今でもかいこをつくらないかという誘いがあるが、中国人との商売は、過去の歴史から難しい状況である。

 国際市場に対応できる資金と技術を独自につくっていかねばならない。原料をつくるだけでは、今の時代では、産業としてなりたっていかない。売れるかどうかの見通しがないかぎりなかなか地域の産業奨励施策にならない。村としてもいろいろの産業づくりを考えた。ユーカリも植えたが、五年間しかもたなかった。マラリヤのくすりになる植物をうえたが、三年間でだめになった。

 どうすれば、出稼ぎをしなくて、村で生きていけるのか。真剣に考えていかねばならない時期である。このままでは、人口が減っていくばかりである。新農村建設運動は、村の産業づくりと教育に重点をおいて、展開していく予定である。

 新たに280ヘクタールの土地を造成する計画である。大河川の地域なので、堤防をつくって整理すればできる。村全体の区画整理事業も上から打診されているが、道路幅などで各世帯に与えられている農地の一部を公用にしなければならないので、集落段階でまとまっていかねば難しい。

 新農村建設の計画は、社を基礎単位とした農村振興のプログラムである。豊かな農村で人々が暮らせるように幅広い分野で総合的な農村建設運動が必要である。区画整理事業で道路幅が拡がり、住宅地や役場関係の公用地が確保できるが、それだけでは、住民個々の収入が増えない。いまのままの農業生産形態では、村の個々の収入は増えない。1990年代の終わりまでは、麻の工芸品、ジュウタン作りで輸出商品が、この村にもあったが、現在では、全く消えて、再び農村工場を蘇る抜本的な村づくりが求められているのである。

 新農村建設運動は、それぞれの分野で達成すべき国家の基準を定めて、その目標にそっていくものである。農村道路の建設、水利施設の補修、学校の改修、 電気網、雇用の創出、職業訓練の重視の施策である。都市と農村の経済格差をなくしていくには、農村での雇用促進であり、そのための教育訓練や技術普及の重要性をうたっているのである。

 つまり、新農村建設運動では、従前の農業生産力向上と貧困撲滅ということだけではなく、積極的に農村での非農業部門の産業振興による雇用促進施策や農村住民の生活向上をうちだしていることである。そこでは、とりわけ、環境問題が起きないように配慮しながらの緑の経済という開発を考えている。

 そして、緑の経済は、地域の資源や特徴を大切にした農村開発を提起していくことが大切である。また、緑の経済による農村での労働者の定住、都市への人口流入を抑制するたには、豊かな文化的生活を送れるようにすることである。このために、ベトナムの農村文化を保持していく施策も欠かせない。

 これらは、ESDという考えが大切であり、地域の環境教育と開発のための教育が不可欠である。新農村建設運動の理念を実現していくには、ESDの視点が大切なのである。そして、貧困克服や福利厚生は、特別に重視している。台風や洪水のためのプログラムを確実にしていくことが必要である。ベトナム北部のデルタ地域や海岸線は、その影響が特に受けやすいからである。