地域おこしと学校教育ー都城笛水地区の実践を事例に
日本の学校教育は、伝統に地域の文化センターの機能を果たしてきた。学校は、地域の住民の文化的よりどころとして発展してきたのである。とくに、農村の学校は、地域づくりに積極的な役割を果たしてきた。優れた多くの教師の教育実践は、地域の暮らしとの関係を考えてきたことを見落としてはならない。
過疎化が進行していく地域では、小学校や中学校に対する住民の関心が極めて高い。地域のまとまりにとって、小学校の果たす役割は大きなものがある。現代社会においては、地域から学校が消えていくことは、過疎化に拍車をかけていく。過疎化していく中山間の地域おこしに、学校の存在は大きい。
アメリカの組織学習協会の創始者のピーター・M・センゲは、学校を教える組織から学ぶ組織に変革していくことを強調しているが、その学ぶ組織の変革で、コミュニティとの関係を重視しているのが特徴である。そして、持続可能性をもつコミュニティにとって必要なことは、教育との関係であると次のようにのべる。
「もし学校システムがコミュニティの中で一歩前に出てじっくり考える役割を果たさなければ、あるいは、教育長が他のコミュニティのリーダーとよい関係を築ていなかったり、住民が学校をコミュニティに対する有力な貢献者と見なしていなかったらすれば、それはコミュニティ内のつながりの力が弱いことを意味している。
逆に、学校が子どもの人生に影響を及ぼす他の集団の価値を認め、その価値を理解しようとし、他の集団も学校がもつ価値やつながりの力を理解すれば、いくつもの新しい可能性が生まれる。貧困にある子どもを支援する団体は、社会サービスの関係者だけではなく、教育者ともつながれる。教育に関する活動は博物館、オーケストラ、公共図書館、ボーイ・スカウト、劇場、文化保存団体、公共サービス、宗教組織、地方の法律関係団体、ヘッド・スタート、ビジネス界などコミュニティの中の多数の機関で行われている。
世代間の交流が生まれれば、例えば引退した大人の中から、何らかの指導者や模範となる人々と出会うようになるだろう。コミュニティのリーダーは学校から提供される資源について話題にするだろう。学校のリーダーは、自分たちだけではこの取組みをできないことに気づくが、同時にかれらだけでやる必要はないことにも気づく。
・・・・・持続可能性の高いコミュニティは長期的視点をもち、教育とのもちつもたれつの関係を理解している。コミュニティのメンバーは、子どもの成長は子どもたち一人ひとりがどのような関心を払われるかにかかていることを知っている。コミュニティのメンバーたちが自分自身の時間を割いて子どもを育てようとするのは、それこそが彼らが望んでいるからだ」。ピーター・M・センゲ編・リヒテルズ直子訳「学習学校ー子ども・教員・地域で未来の学びを創造する」英治出版、703頁~705頁
ピーター・M・センゲのグループは、地域の資源や人材を生かしての地域おこしにをしていくうえで、地域の自然、文化、歴史、人材を見直していこうと学際的なフィールドワークの地域学の手法を学校教育で応用している。それは、地域教材によって、カリキュラムマネージメントに利用していことすることである。
例えば、鹿児島県喜界島のように、小学校、中学校、高校と一貫教育の軸に「喜界学」の設定をして、総合的な学習時間と各教科をクロスしたりする試みが行われている。 神田 嘉延「校区コミュニティと地域教育実践 : 喜界島荒木小学校と校区住民の教育実践を中心に」鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要16巻.37頁 - 49 頁, 2006年 神田嘉延「中高一貫教育と地域の自立発展--鹿児島県喜界島の事例を中心にして」鹿児島大学生涯学習教育研究センター年報・掲載号3巻18頁~34頁、2006年
宮崎県串間市は、「くしま学」として、地域学の考え方にそって、教科を新設している事例などをみることができる。この実践は、市役所・教育委員会のとりくみとして全市的に網羅したものである。
また、各学校で創意工夫し、地域住民の積極的な協力のもとに、地域おこしと絡みながらの教育実践をみることができる。学校と地域住民の連携により、過疎化のなかでも学校を存続させ、豊かな地域おこしと子どもの未来をみつめている地域も少なくない。過疎化のなかにある学校は、大都市の学校とは異なり、少人数教育が徹底しており、人間関係も温かみのあるなかで、山村留学や特認制度で、学校にいけなかった子どもがのびのびと教育を受けている事例がみられるのである。
ところで、地域や社会と結びづいてない学校教師は、子どもに対して、緊密であるがゆえに知らず、知らずのうちに暴力的な性格をもっていく。集権化する学校では、弱肉強食の競争を強要する偏差値教育、子どもの集団的心理を巧みに利用して、人形のごとく操る教育技術がはばをきかせていく。また、体罰で子どもにおどしをかける「生徒指導」もまかりとおっていく。これらは、大規模校の効率的教育と職務の分業、集権的学校管理運営のなかで起きている。
学校の閉鎖性と管理的排他性は、子どもの人権と学習を大きく脅かしていく。地域の暮らしと社会と結ぶ開放的な学校運営は、子どもの人権尊重と真に子どもを発達させていく視点が不可欠である。学校と地域の結びつきは、コミュニティスクール・学校運営協議会によって、その可能性は広がっている。しかし、住民を学校の行事や地域施策の動員のために利用されていることが少なくない。
学校の集権化は、教育長をはじめとする教育行政による管理統制の問題が大きくある。学校教育の排他性は、父母や地域住民との関係が薄くなる教育長・教育行政に拍車がかけられていく。一般行政からの教育の中立性の原理は、教育の排他性をつくりだすためではない。
地域の暮らしと結びついた教育内容には、一般行政の市町村との連携も求められれている。住民の暮らしの向上と結びつく学習保障には、社会教育の役割が大きい。社会教育が暮らしと結びついた学習を展開していけば、一般行政との連携は必然的になっていく。学校教育の実践には、社会教育との連携が不可欠なのである。社会教育との関係のない学校教育の施策は、学校の閉鎖性・排他性をみるうえで、大事な指標である。
学習権の格差をなくさないように、すべての子どもの発達の保障をするためにも、住民自治のもとでの学習の充実が大切である。このことは、住民自治による社会教育の充実が求められている。学校と地域・父母との連携は、社会教育の果たす役割があることを見落としてはならない。
デュルケームは、閉鎖・排他的な性格をもっている学校において、暴力的になりやすいことを次のように指摘している。
「自己の優越を誇示しようとして、ともかく彼は目的も理由もなしに、ただそれが面白いばかりに凶暴なまでにこれを振りまわすのだ。教師と生徒との関係も同様であり、しかも、他に例をみないほどの距離がある。
なぜなら、一方の生徒が文明に未知であるのにたいして、他方の教師は文明に精通しているのである。加うるに、そもそも学校とは、教師と生徒との緊密に結びつき、恒常に的に話し合う場所だからである。そうしたなかで教師は知らず知らずのうちに誇大妄想感情を抱いてしまい、これをおのずから素振りや態度、言葉使いなどに示してしまうのであるが、この感情はたちどころに暴力となって外に現れる。これが体罰にほかならないが、このように考えれば、悪の源はじつは学校の組織自体ということになる」。(1)デュルケーム・麻生誠・山村健訳「道徳教育論」明治図書、103頁
学校には家族的感情によって体罰が過度に走ることはないようになると、デュルケームは考える。「学校には、このような有効な拮抗作用は存在しない。それゆえ学校生活の条件自体の中に、暴力的訓練を助長する何者かが潜んでいる。
そして、それを妨げる逆の力が介入しないかぎり、学校が発達し、組織化されるにつれて、明らかにこの原因はますます強力なものになっていく。すなわち、教師が社会的に重要な存在となり、その専門職業的性格が強まるにつれて、かような教師感情はますます強固にならざるをえない」。(2)前掲書、77頁
教師は、誇大妄想感情として、道徳にも知識の上でも自分より劣っている人間として、生徒に接するようになる。この感情はたちどころに暴力となって外にあらわれる。この教師の誇大妄想感情をおさえていく力が道徳与論であるとデュルケームは次のようにのべる。
「道徳与論こそは、教師の過度の権威から子どもを守り、かつ、子どもの内部に少なくとも萌芽的なかたちで存在している道徳的性格を想起させ、これを大事に扱うように仕向けられるにふさわしい唯一のものといわねばならない。劣等民族に接する文明人が陥りがちな権力の乱用が防止され始めたのも、良識ある与論が遠く国外でなされていることに眼を離さず、これに正しい判断を下すことができるようになってからのことである」。(3)前掲書、77頁~78頁
道徳的性格を想起される良識ある与論こそが、教師の誇大妄想感情による権力の乱用を防止する役割をもつとデュルケームは考えたのである。さらに、学校が専制君主主義におちりやすい側面をもっているが、それを克服していくことは、学校の閉鎖的排他的な職業上性格を未然に阻止することであると次のようにのべる。
「本来、学校という社会は君主制的なかたちをとるものであるため、ややもすれば専制主義に陥りやすい。この危険を免れるには、われわれは常に監視の眼を怠ってはならない。そして、教師と生徒間の隔たりがおおきければ大きいほど、生徒の年齢が低ければ低いほどこの専制主義の危険はいよいよ増大する。この危険を真に阻止する方法は、学校があまりにも閉鎖的排他的になり、あまりにも狭隘な職業的性格に終始するのを未然に防ぐことである。それには、学校が外部との接触の機会をより多くもつよりほかに道はない」。(4)前掲書、78頁 学校は、地域や社会から開かれていなければ君主制になるとのデュルケームの指摘である。
現代日本での学校システムは、地域や社会との関係が一層に閉ざされている傾向が強い。現代の学校は、いじめ、体罰、学校の荒れで、大きな問題をかかえている。学校の専制は、父母や住民、社会がなにもしなければは現実のもとになる。学校は父母や住民、社会が常に監視していく必要がある。学校の閉鎖性をつくりだすうえで、学習指導要領や教科書を絶対化し、社会や地域と直接にかかわった学習内容をもたないことも大きくある。
学習指導要領は、時代の科学発達、社会的要請、子どもの発達状況による学習課題の重要な目安である。子どもや地域の状況を踏まえて、子どもの学びたい要求や発達の状況を重視していくことが求められている。学習指導要領・解説、教科書・指導書は、画一的に教え込むためではない。
しかし、学習指導解説や指導書によって、または、全国的な教科書によって、一般的に教え込む場合が多い。現代の学校は、学習指導要領や教科書を地域や社会との暮らしの関係で関係でカリキュラムを自主編成していく学校教師のカリキュラムマネージメントも大切な課題である。
この意味で、ふるさと学習や地域学のもとにカリキュラムを独自に編成している取組は、学校の閉鎖性を地域から学習内容として開放していくうえで、大きな役割をもっている。しかし、この学習内容が、地域の将来との関係、子どもが地域に将来どのように関わっていくかということでも大切なことである。農山村の地方がますます過疎化が進んでいくなかで、子ども自身が将来の職業選択として、さらに、地域の産業振興にどのように関わっていくのか。
また、そのために、今の学びが、それとどのような関係をもっているのか。新しい持続可能な地域発展をしていくために、未来志向的に科学的な力を大いに発揮しての創造力をどのように身につけていくのか。これらの課題を実現していくには、現代の学校教育の発想転換が求められている。
それには、学校教育が地域の暮らしを基礎にして、未来志向的に、科学の力を身につけて、豊かな暮らしを展望できるカリキュラムの開発が望まれる。子どもの学習権は、豊かに文化的に人間的な暮らしを保障する人間的能力の発達の権利であり、幸福権でもあり、未来への生存権でもある。
学校教育は、民主主義のための能力を子どもに身につけていくうえで、大切な役割をもっている。民主主義はそれぞれの文化や暮らしを理解し、それぞれの人権と立場を尊重していくことであり、共通の感情である協働、協力の公共性の育成が求められている。これは、地域に根づき、地域に開かれた父母や住民との連携のもとに実現できるものである。
社会学者のクーリーは、社会組織論で個人能力の最大限の開発だけが学校の人間性の回復に、大切としている。そのことは、学校の野蛮な条件とか学校の機械的条件にかわって、学校の集合的な生活を人間化していくとする。
学校は、個人の能力の最大限の開発によって、人間性のもった制度に表現させることができるとしている。それには、民主主義の精神が大きく効用するとする。真の民主主義は、各人がその能力におうじて奉仕するという共同の精神で動機づけられた自由な協力のもとに正しいと感じられる原理を大規模に適用するほかにないとする。クーリー・大橋幸・菊池美代志訳「社会組織論」青木書店100頁~111頁参照。
クーリーは人間の個性には、2つの異なるタイプがあるとしている。都市の選択によるアイデアの競争を無限に拡大する特殊な能力をもつ個性と、農村での性格の成長にとって完全なやりかたで個性を育てる自立性をもった個性とがあるとしている。農村では、直接的環境に対するコントロール、自然との直接的闘争の習慣、経済的比較的安定性という農民の自尊心を支えている個性がある。前掲書、82頁~83頁
19世紀以来の人々は、民主主義よりも近代的運動により広範囲にあてはめようとするとクーリーはのべる。さらにクーリーは学校教育の問題を次のように指摘する。近代の普通教育の発達は、あらゆる人間に特殊訓練をあたえようと努力する。
相互の理性を欠いた個人、もしくは共同相互の関係は、親切な情緒をはぐくむ共通性の意識をまったく存在しなくなる。真の人間的仲間感情は、かつて部族に限定され、外部の者は共通の全体における一員とは思われていなかった。よそ者は、危険な動物として、殺されるか、略奪されるか、奴隷化されるかであった。現代においても詳しく知りえない生活を送っている人びとにはほとんど考慮を払っていないとする。したがって、近代社会では、共通性をいたるところで期待される。全世界に親切さと正義についての共通理解のためには、民主主義のための訓練を必要とするのである。前掲書、76頁~78頁参照
現代は、競争による特殊訓練のための教育か、または、民主主義のための親切と正義についての全人格を尊重する自立した人間性の教育が求められている。この意味でも地域の暮らしに根ざした学校教育のあり方が問われている。ここには、地域や父母との連携、地域の暮らしや、すべての子どもに個性による未来を求める学校教育が期待されている。
クーリーは顔と顔とをつきあわせる親しい結びつき、協力と親切さに特徴づけられる人間関係とする第一次集団を重視する。第1次集団の形成には、地域の地縁組織の役割が大きい。
この第一次集団の観念は、教育と博愛主義によって拡大していくとする。学校は、個人的性格の源泉としての集団的条件をつくりあげていく役割を果たす。個人が実際に生活している関係の網の目をとおす働きをする。博愛主義のもとに子どもの集団が育成される場としての学校の期待は大きいのであるとクーリーは考える。前掲書、46頁
へき地学校の校区は、伝統的な地縁組織のなかに包含される場合が多い。従って、へき地の学校管理運営、教育内容も地域の暮らしとの関係がとりやすい。地域に根ざした学校になりやすい条件をもっている。
へき地に小学校と中学校が同じ校区である場合は、いっそうに、その条件を可能にする条件があり、学校のPTA組織は、地区の公民館との関係を強く持ちやすい条件をもっている。
宮崎大学では、へき地学校での小中一貫・連携教育の実践研究をして、その研究成果を発表している。この研究は、へき地の学校を残し、人口減少の離島・山間部の地域社会における基礎的な学習環境の改善、特色ある学校づくり、教育の質の保証ということからの研究として、積極的に評価できるものである。
しかし、義務教育地域の暮らしからの未来志向的に新しい持続可能な地域発展をめざす地域おこしをとの関係にはいたっていない。それぞれ、市町村自治体単位の地域学に基づく、カリキュラムをめざしているが、学校教育と社会教育を結び、地域おこしをしていく論理までになっていない。 宮崎大学小中一貫教育支援研究編「小中一貫・連携教育の理念と実践・美郷科カリキュラムの実践」東洋館出版(2013年)、「小中一貫・連携教育の実践的研究ーこれからの義務教育の創造をめざして」東洋館出版(2014年)
文部科学省の小中連携 、一貫教育の推進についての平成24年9月登録のホームページによれば、中1ギャップに焦点が置かれ、小中連携、一貫教育が提起されているのである。教育課程の編成では中学校と小学校の系統性確保の重要性を指摘し、地域の実情を踏まえた小中一貫教育を行うためには、学校教育活動全体を視野にいれることの大切さを次のように指摘している。
「学校教育活動全体を視野に入れ、小中一貫教育の取組を計画していくことが重要である。また、地域において育てたい子ども像について関係者が議論し、それを実現するための一貫した教育課程を小中学校が協働して編成し、教材を連携して開発することが、教員自身が教育課程の見通しをもって主体的に取り組むことにつながり、効果的な取組となるものと考えられる」としている。
ここでは、学校教育全活動の視野と基礎的、普遍性を尊重した系統性の確保の強調をしていることである。この立場にたっての地域教材、地域の人材の活用が求められている。
また、地域において育てたい子ども像を明確にすることを提起している。地域で小中一貫教育による地域教材や地域人材の活用は、文部科学省が指摘する前記の2つの視点は学校教育の役割として、極めて大切なことである。小中一貫教育が中学校の校区にあわせての小学校の統廃合をすすめるためのものであれば、歴史的に農山漁村の小学校における地域の文化センター的役割が大きく崩れ、地域において育てたい子ども像の明確も暮らしとの関係で明らかにならない。
学校の閉鎖性や排他性の現代における学校教育の問題的を意識しながら、それを克服していく論理のひとつとして、「地域おこしと学校教育」の関係の視点は大切である。都城笛水の事例は、その典型である。この地域は、都城市教育委員会が20名以下の児童・生徒数の学校は廃校にするということで、学校を残したいという住民の努力によって、同じ笛水の地域にあった中学校と小学校をひとつの学校として、小中一貫学校として発足したものである。
宮崎県、都城市の教育員会は、ふるさと教育を積極的に提唱している。このふるさと教育は、ふるさとに誇りをもつ教育の展開をうたっている。この笛水の小中一貫学校もふるさと教育の研究校に指定され、総合学習や道徳教育で地域に誇りをもてる教育の実践をしているのである。また、元気なむらづくり運動の宮崎県のモデルとして指定されている地域でもある。
この村づくりの特徴は、行政からの補助金頼りではなく、自分たちの手作りを基本にしていることである。その典型が地域の農産物販売所・茅葺きの里を行政からの補助金はいっさいもらわず、住民自身の手作りで完成させていることである。この手作りの茅葺きの里の建築は、校区公民館の下部組織に地域活性委員会をつくり、校区のPTAの担い手層が中核になっているのであった。
都城笛水地区の概要
笛水は、河川と国有林に囲まれた山間地地域で農業と林業で生計をたててきた地域である。この地域の学校は、市役所のある中心街から役30キロあるへき地の小中一貫教育を実践している。笛水地区は、平成21年度に宮崎県での元気な村・いきいき集落に認定されている。この中心となっているのが地区の公民館である。
笛水小学校は、明治6年に野尻小学校の分校として民家を借家として創設している。明治14年に借家は違う人に変えたが、借家の形態は、明治33年に校舎が建築されるまで続いている。この間、明治25年に分校から笛水尋常小学校になっている。尋常小学校発足当時の児童数は、25名であった。地域住民の教育に対する強い熱意が明治初期頃からの借家形式の小学校発足であったのである。
笛水小学校は、1960年に、児童数248名であったが、2009年(平成21年)には、児童数21名となり、廃校に追い込まれる寸前であった。このために、小学校と中学校をひとつにして、9年間の小中一貫学校にしたのである。2010(平成22)4月に小中一貫学校として校舎を改築して開校する。
笛水小中一貫学校における教育の特徴
2010(平成22)年4月に小中一貫教育の学校としてスタートした。これは、父母や住民にとって、地域に学校を残すというひとつの選択であった。そして、2011年(平成23年)から都城市教育委員会・宮崎県南部教育事務所指定を受けた研究協力校として、「ふるさと教育」を展開していく。また、平成23年には、みどりの少年団による植樹活動を実施している。指定研究のテーマは、ふるさとにほこりをもち、心豊かにたくましい児童生徒の育成ということである。ふるさと教育では、地域社会に信頼される学校づくりとして、地域の人材や地域の素材を積極的に活用していくことにある。子どもたちが自分の生まれ育った地域に誇りをもち、それとの関係で具体的な教育実践を展開していくことがねらいである。
小学校では、3年、4年に地域探検として身の回りの土地の様子や生活を知り、地域の人々に直接にインタビユーにでかけ、仕事のきっかけ、仕事の苦労、これからの夢について聞いている。子ども達は、地域で仕事している人々を名人として調べる。直接に農家に出かけて、地域の人々との接触を積極的にしている。この集めたものを文化祭で報告するとりくみをしている。
5年、6年は、ふるさとの歴史と文化として、地域行事の十柱神社の秋祈念に参加し、地域の歴史や文化を宮司さんから聞いている。そして、田の神や馬頭観音の実態調査をしている。また、笛水川とダム湖の実態調査を実施している。地域の人と積極的にかかわるために、歴史や文化についてのインタビユーをしている。また、水質やそこに生きる水生生物を学んでいる。
中学部では、地域行事である笛水夏祭りを学校のふるさと教育のなかで位置づけ、それに生徒として、主体的に参加しようと、夏祭りプロジェクトを立ち上げる。地域で夏祭りを積極的に取り組んでいる人をゲストティーチャーとしていている。将来を展望する力の習得として、ふるさとを紹介するビデオつくりに挑んでいる。
これらの体験活動は、確かな学力・生きる力をつけるための地域教材・地域人材の活用としてすばらしい教育実践である。それらを体験活動の枠におさめないで、学校教育活動の全体活動に結びつけたことは、多面的な能力の発展と理性的な力をつけるふるさと教育にとって大切なことである。独善的な地域の誇りや排他的な地域愛にならないためも、確かな学力ということからの他の地域での比較や社会とのかかわりのなかで、科学的な理解のもとにふるさとを愛し、ふるさとに誇りをもつ子どもを育てることが憲法・教育基本法の民主主義理念のもとで求められていることである。
これらの教育実践は、総合的な学習時間の活用としているのが特徴である。体験的活動を通して、ふるさとを見つめ直し、他と比較する力を育て、ふるさとのよさをみつける力と表現力の育成、課題解決の探求心をねらいとしている。
総合的な学習時間を通して、ふるさと教育を実践していくことは、ふるさとを愛し、ふるさとにほこりをもつ子どもに育てることであるが、このふるさと教育の実践が、社会や理科等における科学的な知識や科学的な課題探求と、どうつながっていくのかという今後の課題も残されている。いわゆるクロスカリキュラムの方法による地域教材や地域の人材の積極的な活用である。学校としてのカリキュラムマネージメントをふるさと教育のなかで、どう発揮していくのかという課題が残されているのである。
ふるさとを愛し、ふるさとに誇りをもつ子どもになってもらうには、子ども自身の内発的な興味関心を地域の暮らしや歴史文化と、自然のなかから科学的な探求心をもたせていくことが求められている。教師側からのそのしかけが必要になっている。科学的な探求心とふるさと教育を結びつけるという子ども自身が理性を基礎にしてのふるさとの誇りの形成が不可欠なのである。ふるさとを愛し、ふるさとに誇りをもつということは、子どもの自信の内面に形成されていく共同的感情をもつアイデンティティ形成という文化的権利のひとつである。それは、科学的な理性によって、人間的に生きる力になっていく。確かな学力との関係で、ふるさとを愛し、ふるさとに誇りをもつ子どもの形成が求められているのではないか。
ところで、研究指定校の課題研究のふるさと教育実践とは別に、理科の自由研究に、グループごとの研究課題の教育実践は地域の素材をとおして科学的なものの見方を形成していくうえで、極めてユニークなとりくみである。
その児童・生徒たちの報告書から、そのユニークさを紹介しよう。中学校2年の生徒が2名で、「かやぶき屋根の家は快適なのか」として、かやぶき構造の快適さを証明したいとして、地域の人々にインタビユー調査と検証実験をしている。
検証実験では、かやぶき屋根の通気性として、氷が溶ける早さから探ると、お湯が冷める早さから探るとして、囲み無し、かや、段ボール、新聞紙、発泡スチロールと比較した。180分6回測定した。茅葺きの屋根の通気性を実験とおして検証している。さらに、保湿性、保湿性、遮音性についても科学的な方法を用いて検証している。
小学部6年の5名で「ヒヨコの行動をコントロールしたい」と、ヒヨコの5感を徹底検証している。子どもたちの関心は、笛水の農業のひとつである養鶏である。今までは、ヒヨコからニワトリになっていく過程についてくわしく知る機会がなかった。子ども達は自由研究に、ニワトリの研究をすることに決める。具体的にどのようなテーマにするかはなかなか決まらなかった。子どもは実態調査からヒヨコの行動は、均一に拡がらず、1カ所に集まることがあり、圧迫死してしまうことを知っていた。どうやってヒヨコの行動をコントロールすることができるのかということであった。子ども達のユニーク性は、視覚の光の色で検証したことである。青、緑、白、黒、黄、黒、赤の餌箱を各二個準備して、ヒヨコの好む色を検証しようとしたことである。地域の素材を活用し、子どもの興味関心を大切にしながらの科学的な知識と方法を子ども達に自由研究させているのである。
9学年の異年齢集団を生かした学習と地域との関わりを積極的に生かしたふるさと教育の実践をしているのが笛水の小中一貫教育の特徴である。笛水のよさ、自分のよさに気づき、人・自然・地域とのつながりを大切にする教育目標を学校全体にしている。学校教育の実践において、地域の良さを生かして、地域住民とかかわってきたこの実践を平成25年11月に他校の教職員、教育関係者に公開発表している。
笛水の小中一貫の学校行事では、4月に歓迎として、みんなで地区内の遠足。6月には田植えと地域と人々とのふれあい会、9月には小中合同の運動会を地域ぐるみで実践している。12月には、餅つき大会をしている。田植えから稲刈り、脱穀を経験し、保育所の子どもたちも一緒になって、地域ぐるみの協力で、子ども達みんなで楽しんでいる。
2月にはそばうちである。子どもたちはそばの種をまき、かりとり、そして、そばをうつという体験をしている。これらの学校行事には、地域住民の積極的な協力と、地区公民館、地域活性化委員会等、それぞれの関係機関との密接な連携なしにはできないことである。この他に、地域との関わりの教育実践は、家庭科では、地元の食材を利用しての郷土料理をしており、食育の実践を地域と結んで行っている。また、音楽では、地元に伝わる踊り、ベブ踊りをしており、夏祭りで発表している。子ども達には、牛がいなければ農業がなりたっていかなかった昔の話もしている。
笛水の地域おこしの特徴
平成14年から平成15年度は、県の過疎地域活性化事業のモデル地区として指定を受ける。そして、平成16年度に地域活性化委員会をつくり、地区の役員、女性部など総勢28名で笛水のいいところはなにか。どうしたら地域の活性化ができるのかという話し合いがはじまり、農産物直売所の茅葺きの里をつくることを決定し、その建設の準備をはじめる。
笛水の校区は、地区公民館があった。地区内の4つの集落活動をひとつにしたのである。地区の活性化委員会を地区公民館の下部組織に平成16年にする。平成7年から校区の小学校・中学校のPTAと地区公民館活動の大きな行事であった夏祭りを地域活性委員会と地区のPTA共催で実施するようになる。さらに、それぞれの集落単位で行っていた十五夜祭りを笛水地区という校区単位で実施するようになる。
笛水の活性化委員会が地域おこしに大きな役割を果たしていくのは、農産物直売所の建設である。地域住民による自立した農産物直売所の建設ということで、建築の経費は、地域住民の出資と笛水の出身者のみの寄付金のみで建てるということで計画をする。笛水地区住民総出の協力体制のもとに、地域活性委員会の産業振興部を中心に農産物直売所の茅葺きの里の建設建設が行われていく。資材、労働力提供、茅切り等は、地域住民の無償ボランティアで、住民による手作り農産物直売所の茅葺きの里つくりであった。屋根を茅葺きにし、地域の材木を利用しての自分たちの手作り農産物直売所である。平成19年11月に完成し、笛水地区のシンボル的な建築物になる。
地区の活性化は、行政からの補助金の依存ではなく、地域住民の自主努力でしていくことがほんものの永続きできる地域おこしになるということで、手作りによる農産物直売所の茅葺きの里をつくったのである。
農産物直売所の茅葺きの里は、笛水で採れた野菜や山菜、加工食品の販売と共に、来訪者を伴う地域の様々なイベント事業の拠点施設になっている。笛水の地域住民と来訪者の交流斡旋の場にもなっている。
笛水活性化委員会は、地域おこしの担い手層が中心である。この委員会は、平成16年度に新しい世代を中心に設立されたのが特徴である。教育文化・文化振興部、産業振興部、生活環境部の3つの組織からなり、やれることから実践していこということではじめている。農産物直売所の茅葺き里の施設完成によって、地区内外の来訪者の交流が一層に深まる。活性化委員会は、夏祭りや十五夜の校区単位の行事活動と共に、農産物直売所の茅葺き里の完成によって、校区としての連帯が強まっていったのである。さらに、自主財源の確保としては、公園の草刈り作業、市で実施される選挙の看板設置・撤去の作業の受託、地区住民の協力による澱粉直売所等の収入など。
恒例の夏祭りは、夏休みのはじまった土曜日の7月20日に学校の運動場で行っている。ここでは、地区の実行委員会と学校の教職員が一体となって、小学校児童部のだしもの、中学校生徒のだしものが披露させる。とくに、地域の芸能が大切にされている。花火もうちあげられる。
都城盆地全体のイベント事業として、それぞれの団体、機関、地域、グループによる地域めぐり、歴史・文化めぐり、食べめぐり、趣味お稽古めぐるイベント事業が毎年、夏休みの子ども向け、一般むけに、10月から11月に開催されるが、笛水の地域活性化委員会も、このイベント事業に積極的に参加している。
子ども向けのイベント事業では一泊2日の宿泊で、小中学生を対象にグランドゴルフ交流、うなぎのつかみ取り、竹とんぼ作り、水鉄砲つくりなどの体験を実施している。これは、PTAと合同の企画である。これは笛水林間学校として、学校も違う、学年も違う子ども達が、テントを貼り、キャンプなどをして、笛水以外の子どもを招き、子ども同士の積極的な交流活動をしているのである。
一般向けは、笛水ウォークで森林浴の気持ちよさの体験と土鶏の炭火焼き、そばの振る舞いということで、笛水以外の人々を積極的に受け入れ、交流活動をしている。とくに、地域作りの活性化委員会は、訪れた人の目で地域の宝を発掘してもらいたいということで、この交流会では、外部の意見を積極的に求めているのである。
笛水地区として学校をなくさない取組として、平成16年度から小学校と中学校の一貫教育を要望してきたが、平成22年4月から開校の実現になった。しかし、平成24年に保育園は閉鎖に追い込まれたのである。地域の子ども向けの事業は、一五夜活動で綱引きや相撲など地域あげて盛大にやられている。以前は小学校の授業として、PTAの協力のもとにやっていた米作り体験活動は、地域活性化委員会がPTAと合同で実施するようになっている。6月に田植え、11月に刈り取り・脱穀、年末に農産物直売所の茅葺きの里え餅つき大会をしている。
笛水地区の夏祭りは、小中一貫校の運動場で実施する地域行事である。夏休みに入った土曜日の6時から21時30分である。ここには、地域の実行委員長の挨拶とともに学校長の挨拶からはじまる。出し物は小学部から北原白秋の群読として作品内容を情感豊かお克服に、芸術的な読み声となって表現することを披露し、踊りはやっさ節、合奏ゲバゲバ90。中学部は、篠笛で山桜の歌、歌・中島みゆきの糸、小中合同の合唱ふるさとの道、地域芸能のべぶ踊り、地つき歌、さだめ川を披露。地域の住民による新柳流、エイサー、バンド演奏、歌、踊り、ダンスパフォーマンス、笛水星流太鼓が行われ、PTAと公民館長による閉会行事で、最後に花火大会で夏祭りは終わる。この夏祭りは地域住民にとっての共同連帯感情の場になり、子どもにとっても日頃の練習を披露する場にもなる楽しい夏の夜のひとときである。
社会教育としての住民の学習は外からと子どもを大切に
笛水地区の公民館長は、地域を変える高齢者パワーを宮崎県都城中央公民館での平成二四年度の自治公民館大会で力説している。活性化委員会は、地区公民館の下部組織として、生活環境部会、教育・文化振興部会・産業振興部会と、3つの部会からなっている。加入は自由、脱退も自由という原則のもとに50名が活動に参加している。よりよい地域にするためにみんなで協力ということを合い言葉に地区の意見をとりまとめ、関係機関との協議と、ときには陳情をしている。また、他の地域づくりの成功事例を積極的に学ぶために、学校教育では山村へき地の視察をし、集落活動のモデル地域との交流をしている。鹿児島県の大隅のやねだん視察では土着菌の学習や芸術家を地域によびこんだ方法やその芸術作品を鑑賞したりしている。椎葉村では、みんで学び、共に成長するということで、綾心塾で研修している。
笛水の良さを地域外の人々に知ってもらい、共に学ぶということで、都城の盆地博覧会のイベントに地域として積極的に参加し、笛水ウォーク、子ども対処の林間学校を実施し、そこで、地域の人々が外からやってくる人々との交流で積極的に学んでいることである。この学びは笛水地区の再発見を地域の住民がしていることである。
そして、農産物直売所の茅葺きの里に誇りをもって自分で栽培した有機野菜、コボウ、山菜、タケノコ、栗などの産物や木工などの民芸品をだしているのである。笛水の学びの特徴は、外との交流をとおして、自分たちのむらのよさ発見をしていることである。
ここでは、行政の補助金に依存するのではなく、自分たちの自立的な努力で地域おこしを学ぶという姿勢である。さらに、最も強調しなければならないことは、地域の小中学校教育や子どもの未来を大切にした地域活動に力を注ぎ、かれらの学びに地区公民館・地域活性化委員会が力を出しているいることである。
まとめ
学校教育の閉鎖性を克服していくうえで、校区住民の自治による地域おこしが重要であることを都城の笛水地区の事例で明らかにした。学校の統廃合の危機を住民の運動によって、小中一環学校という方式でのりこえたのである。
この住民の意見をまとめるうえで大きな役割をしたのが地区公民館である。地区公民館のもとに地域活性化委員会を地域の次世代を中心に、小学校と中学校のPTAと一緒になって新しい地域おこしを実践していったのが特徴である。また、元気な高齢者も、地域おこしや学校教育実践の協力に積極的に参加している。活性化委員会のリーダーと高齢者が共に活動した象徴が農産物直売所・茅葺きの里を住民総出によるボランティアでつくりあげたことである。
また、広く笛水の地域を理解してもらい、地域外の人たちから笛水の地域おこしのヒントをもらおうと、都城の盆地の人々に広くよびかけてのウオーキングを兼ねての交流会や親子を対象にした林間学校や花火も兼ねた地域の祭りを実施していることである。
社会教育的事業に学校も積極的に協力して、学校も独自にふるさと教育の実践をして、地域をもりあげていることであった。このような実践をとおして、大規模学校では通えなかった子どもを特認校という制度のもとに受け入れている。ふるさと教育のなかで、子どもたちが楽しく学校に行っているのも特記すべきことである。ふるさと教育の学校と地域おこしの公民館活動を中心に、地域の文化的な共同感情、連帯心がつくられていることである。
