社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

森の循環と共生への社会教育

  山神の祠 霧島山麓の高千穂リゾートV街区から吉之元集落にある森林組合の原生林の尾根にあるものです。
  
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森の 循環 と共生への社会教育
現代社会は、大量生産と大量消費で、弱肉強食の競争社会により、格差の拡大が進んでいます。人々の生活様式もゆがみが、自己本位の欲望拡大によって、社会的病理現象が大きく現れています。他者と分かち合い、慈しみの感情が衰え、地域の協働、人々が歩んできた自然との共生が大きくゆらいでいます。
  人類は古来から自然を神として、自然の恵みからの感謝と自然災害からの恐れをもっていたのです。自然の神は、山の神、水の神、森の神、神が宿る木々、神が宿る天然石を祈りの対象としてきたのです。
 これは、アニミズムと原始宗教の形態が現代でも民俗信仰などに深く残っているのです。水田農耕の発展によって、田の神さまが現れていくが、この神は山の神となって、森や水の恩恵によって栄えてきた人々にとって一層に信仰が強まっていったのです
 

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 近代社会になっての科学技術の革命は、生産性が一層に発展していった。しかし、これは、弱肉強食の価格競争を作り出した。そして、生産の発展が持続可能性、循環性をもっていくことから離れていったのです。資源の略奪、自然破壊が行われ行くのです。科学・技術の発展した先進国は、決して循環性、持続可能性という側面からみるならば、野蛮性をもって生産力の発展を遂げてきたことをみなければならないのです。

  先進国における利益優先と便利優先の大量消費は、ゴミの処理すら自国で解決できずにいます。ゴミの輸出が行われているのです。また、金権による乱開発と天然資源の略奪を伴って、環境破壊が起きています。

 このままでは、新自由主義による弱肉強食の資本主義によって、社会的矛盾と同時に、環境問題から地球全体の環境破滅が起きかねない状況です。世界各地で、プラスチックの海洋汚染、排気ガスの大気汚染、地球温暖化の問題が生まれています。自然災害にもろい土地の出現は、森の破壊によってです。市場絶対主義の価格競争や金銭欲絶対の価値から人間が自然と共生し、持続可能性をもって、自然循環に責任をもつ人々の生き方が大きく求められているのです。

 現代社会は、発展途上国と先進国の矛盾も深まっています。あらためて自然生態系を生かした開発、自然との共生が国際的に求められ時代になっています。この達成には、生涯にわたっての持続可能な社会のための環境教育が必要になっているのです。

 金権の支配する大量消費社会、便利さ優先の社会では、人間尊厳から歪んだ欲望が生み出され、不信感と孤立化がされます。そして、平気で嘘とだます状況が作られています。人間が自然と共生し、自然循環のなかで生きてきた精神から自然を征服、略奪する弱肉強食の競争社会に変わっているのです。

 弱肉強食的資本主義の市場は、ゴミ問題処理や循環性を含めた状況の解決が難しくなっているのです。資本主義の初期の自由競争ではなく、独占的な国家と結びつき、官僚機構も動員しての非民主性の現象もみられているのです。
 自然との共生と自然循環を人間の暮らしのモラル、暮らしの精神の確立が必要になっているのです。つまり、市場絶対主義の新自由主義的な金銭欲・金権の絶対主義からの人間尊重の社会経済のしくみ、人々のモラル形成が急務になっているのです。消費者自身の目先の便利性や欲望の実現だけではなく、環境問題の意識形成が主権者教育として必要なのです。

 現代は、人類的な課題である自然と共生、循環性のある社会のしくみの創造が求められているのです。深刻な世界的な環境問題のなかで、社会的にゴミ問題の処理や循環性をルールとしてしていかねばならない時代です。

 発展途上国に先進国のゴミが輸出されていることや、発展途上国の森林の乱開発、資源の略奪も行われていることも現実です。ゴミ問題や循環性の社会的ルールをつくっていくうえで、国家の役割が重要性ですが、同時に国民的な教育も大切な課題です。
 生涯にわたっての教育として、時代の変化とともに社会教育は極めて大切です。しかし、社会教育行政としての関わりの現実は極めてうすい状況です。
 
 また、石油等の化石燃料から持続可能な開発が大切な時代になっています。資源も自然略奪ではなく、自然と共生し、循環できる科学・技術の研究開発が大きなテーマになっているのです。
 ここには、効率的な生産性を重視していくことではなく、林業や農業のあり方が、自然災害や温暖化ということも視野に入れていくことです。それは、持続可能の経済性を考えていくことです。つまり、自然との共生ということの循環経済性を問うことが必要になっているのです。
 
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 原子力発電についても果たして経済性であるのか。核のゴミをどのように処理していくのか。その経費はどれほどかかるのか。安全性のことを考えるときに、事故の起きる確率からではなく、想定されないことが起きて、重大な惨事になるのです。
 さらに、重大事故が起きたときには、どれほどの経費がかかるのか。この問題は、東日本大震災の福島の原発事故を経験して、その恐ろしさと莫大な経費のかかることを経験しているのです。原発ゼロを求めるのが、東日本大震災による福島原発大惨事後の要請です。

 東日本大震災福島原発事故20113月から鹿児島県の川内原発2015年の9月の再稼働まで、日本は、原発ゼロであったのです。まさに、四年半の間、原発がなくても国民は乗り越えてきたのです。しかし、安倍内閣は、国の定めた安全基準に達すればということで、原発を再稼働していくのです。

 原発事故の恐ろしさは、福島が教えているのです。どんなことがあっても原発事故を起こさないことことは、原発がないことです。極めて危険なものはつくらないことです。ふたたび、御用学者を動員しての原発安全神話が復活するのです。

 原発ゴミの処理経費、古くなった原発廃炉の経費を無視しての経済性が強調されていくのです。自然への循環ということからは、膨大な経費と日数がかかるのです。
 そして、未来への再生可能エネルーギーを抑制しての原発の再稼働です。未来への循環と共生への経済への模索に対する思考停止が現実に起きているのです。

 経済には、生産から消費、そして、ゴミの処理という循環性があるのです。ゴミがリサイクルされることによって、自然循環性のある経済になっていくのです。
 しかし、資本主義的な弱肉強食の市場経済は、ゴミの問題までを考えての市場価値が想定されていなのです。社会的な安全性の確保のために、社会的リスクをできるだけ少なくするための循環性と持続可能性という経済のしくみが求められるのです。

 消費者自身が主権者として、持続可能性や自然との共生を社会的価値として、入れていく運動が必要になっているのです。生産と消費との関係で市場がなりたち、そこで価格競争による取引関係が起きますが、ゴミ問題、安全性、暮らしの尊重ということから、循環性と持続可能性の経済のしくみが求められているのです。
 それは、社会的規制を撤廃していく新自由主義的な経済のしくみではなく、社会的ルールを民主的に確立しての創造の自由性の尊重です。

 循環性ということは、新自由主義的発想の市場価格競争にとって、大きなマイナス要因の思考になります。資本主義的な根本矛盾から循環性の破壊を考えていかねばならないのです。社会的な環境保護という人類的な課題の規制がなければ、経費の削減としてカットされていくのです。
 
 人間らしく生きていくうえで、環境の保護は、不可欠な条件です。
 そのためには、自然生態系を守り、自然との共生で、自然循環性を維持していくことです。生産の条件には、この社会的な整備が必要になるコストです。

 この社会的コストは、弱肉強食的資本主義的な市場の価格競争のなかでは、経費の削減としてカットされていく傾向をもつのです。ここには、一国だけではなく、国際的な社会的規制が求められているのです。

 日本の原子力政策は、生産と消費という価格競争の市場絶対主義で、核のゴミをどのようにして、処理するのか。これは答えのでない問題です。

 核のゴミの処理に、全く見通しがないなかで、原子力発電を行っているという根本的な欠陥があるのです。核のゴミは、ほっとおけば自然界の秩序に大きな影響があり、生態系を大きく崩していくのです。人体にとっても極めて危険なものになるのです。

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  「森の思想が人類を救う」を書いた哲学書梅原猛は、日本の縄文文化から続いてきた森の信仰が現代の混迷した人類を救うとしているのです。
 鎮守の森の文化のなかにあらわれ、沖縄とアイヌの文化が強くあらわれているというのです。日本の縄文時代からの森の文化の基層が、日本独自の仏教思想である自然中心主義に変容させたとするのです。

 それは、天台本学論「山川草木悉皆成仏」という生命の本来的同一性の思想になったとするのです。
 親鸞の往相廻向(おうそうえこう)とい思想のなかには、南無阿弥陀仏と唱えて極楽浄土に行くことと、極楽浄土から、この世に苦しんでいる多くの人々の救済のための考えがあるのです。
 そして、この世に帰ってという大乗仏教の菩薩道としての利他行を徹底する教えがあるのです。
 この世とあの世をたえず往復して、人間救済に努力するのが弥勒に等しい菩薩の位にたっている念仏行者のあり方とすることを梅原猛はのべるのです。

 21世紀の最大の危機は、環境の破壊にあると梅原猛は強調します。現代は金儲けに一辺倒に凝り固まって自然破壊が進んでいます。ゴルフやリゾート施設の乱開発、木材や紙の浪費、熱帯雨林の破壊、酸性雨、オゾンの破壊、地球の砂漠化など人類の生存をおびやかす現象が起きているのです。

 この危機から人類が救われる道は、まずは、近代文明の自然征服の思想の克服であるとするのです。
 つまり、人間と自然を峻別して、自然科学を飛躍しての自然征服の科学・技術の思想から、自然と共生し、循環していく思想の転換です。森を食いつぶしてきた文明からの脱皮であると梅原猛はのべるのです。この意味で、日本の縄文文化の森の思想は、現代の人類的危機を救うというのです。
     梅原猛「森の思想が人類を救う」小学館 梅原猛「人類を救う哲学」岩波新書 参照
 
 
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 富山和子「水と緑と土」中公新書で、自然を愛し、自然と共に生きてきた日本の人々が自然を工業的な発想による自己の都合のよいように解釈して、自然破壊するようになっているとしています。
 自然環境の破壊は、人間の耐えうる限界を超えています。水と土壌と大気に加えられた汚染は、何を食べれば安全か、どこで呼吸すれば安全かの疑問さえ解答を与えていない。

 治水革命は、明治の中期に堤防技術の開発によって、日本人の河川観が根本的に変わった。
 川はときには大暴れるものであり、大洪水の氾濫は忍ばねばならないものであり、水害防備林や遊水池をたくみにつくって、その備えが甚大な被害がもたらさないようにするためのものでした。

 川は人間の生活に密接に結びついた。
 決して堤防を築いて断絶するものではなかったのです。交通手段は、川によての船の運行であったのです。
 また、川は自然の恵みである豊かな土壌を運んできたのです。明治29年の河川法の制定は、川と川以外の土地を明確に区分したのです。浸水を絶対に許さないということで、高い堤防をつくって、洪水を川におし止め、海に一刻も早く流すという方式です。
 
 川の自然的機能を大切にする遊水池や水害防備林は、河の暴れを緩和していくのです。 
 この考えは、明治29年の河川法の設定で、捨て去られていくのです。水量調整機能をする遊水池、曲がりくねった河川、川原の森林などよりも高位堤防による効率的に海に最もはやく流す河川工事になっていくのです。

 このことは、かえって洪水の水量が増大したことにより、水害は増えていくのです。高い堤防をつくり、川と分離した土地に資産を投資することが可能になりました。
 川のなかの自然の機能である水と緑、土は切り離されて、河道になったのです。河川の自然的防御機能を少なくした結果、水量の増大によって、河川の堤防機能をより強化にしていくのです。一度の決壊による被害規模は甚大になるのです。

 日本の川との伝統的なつきあい方が、高水位の堤防万能主義に大きく転換していくのです。日本の伝統的治水は、森林の機能を大切にしたのです。
 下流で土地を耕すことは、上流の森林が土地を守ってくれることから、下流の住民は、森を大切にすることに気遣っていたのです。
 
 そして、森林の機能を大切にした治水は、低水位工事で、つねに川の交通とともに発達してきたのです。米や木材が輸送されたのは、川の交通機能です。
 洪水を防御することと、交通を維持していくことは、一体であったという日本水系の一貫思想があったのです。この伝統的治水思想は、明治の近代的な堤防万能主義によって葬り去られたのです。

 日本の都市は、川を捨て場としてきた。都市は森林を払い、地表を建造物で覆い、堤防で川との交わりを絶って、土地の利用効率を高めたのです。
 都市は足下から水を捨てた。降った雨の自然水は、堤防で川との交わりを絶ったのです。都市の水需要が発生する以前から、水田が洪水を調整する機能をもつ一方で、地下水を川に徐々に流す機能を果たしたのです。
 水田の農業は、ため池をつくり、かんがい用水をつくり、堰によって、水を集め、水を排水して利用することをしてきたのです。水を無駄使いせずに有効に使ってきたのです。
 
 都市の経済活動によって増大していく水の需要は、水を土地から切り離して、足下水を捨てて、遠くのダムに求めたのです。そのダム建設も上流へと求めたのです。日本は急傾斜の多い地形で、上流に、ダムをつくっても土砂の堆積が早く、耐用年数が短いという特徴をもっています。
 
 ダムに依存した都市の水の供給は、限界を持っているのです。ダムの建設は、コンクリート技術の依存です。森林を活用した水資源の確保という発想が薄いのです。森林は水を蓄え、水源を涵養していくのです。また、森林は、土砂の流出を防ぎ、山崩れを防止する機能をもつのです。 
 
 そして、森林は大気中の二酸化炭素を吸収して、酸素を吐き出し、気温も調節してくれまし、風の強いときは、防風林の役割を果たします。
 森林は森羅万象ということで、自然生態系を維持して、人々に心の潤いを与えてくれるのです。森林は、人々の生活にとって、様々な機能を果たしているのです。森林は木材を提供してくれるという狭い意味だけではない。
 下記の写真は霧島市の重久地域の水田です。山から流れてきた豊富な水をもった扇状地の水田です。
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 富山和子は「日本の米」中公新書で古代から日本の水田発達を論じています。
日本の原風景は、水田が山深くいきわったということで、堰堤によって、粘土を石を積み上げていったということです。山の文化が水を治めることになりました。

 山村では、木地屋が工芸をし、燃料の炭焼きをして、狩猟などをしていました。さらに鉱物のあったところでは、製鉄業や金塊の生産が行われていたのです。船乗りにとっても造船にとって山から木材を探すことは極めて大切であったのです。これらの産業が山にあることによって、水田の水が守られてきたのです。

 山は神のいるところで、水の神、田の神は神は山から降りてくるというのです。木を植える文化は米を増産させるためのものです。木を植えることによって、水を蓄える文化をつくり、豊かな水田をつくっていったのです。稲を育てる水の文化は水田の発達によってつくられたのです。

 阿蘇は、今日、水の豊かなところとして知られます。それは、けっして、自然条件のみではなく、人間の木を植えてきた歴史がつくりだしたものです。
 阿蘇の水の歴史は、木を植える長い歴史のなかから生まれたと富山は指摘しているのです。阿蘇山麓は、水系に恵まれ、豊富な水田地帯を形成していますが、それらは、人々の木を植えてきた歴史がつくりだしたものです。
 日本の各地には棚田があります。この棚田は、農民の水とともに生きてきた水田技術の結晶です。石垣によって、水田が天にそびえているのです。

 現代日本の社会では、鎮守の森プロジェクト運動が起きています。この運動は、宮脇昭横浜大学名誉をはじめ多くの著名人が提唱している運動です。
 地域の暮らしを守る森づくりとして、ドングリを拾ってきて、苗を育て、それぞれの地域の防災からを命を守るために植林していくものです。
 沿岸部、河川、建物のまわりなどに森をつくっていくことです。防災と同時に森と親しみながら心の潤いの生活にもなるものです。
 また、鎮守の森コミュニティ研究所は、自然エネルギーコミュニティ構想、森林療法、祭りと地域活性化の調査研究と実践をしています。これらの動きがどのようにして、国民的な運動になっていくのか大変に興味ある課題です。
 日本人の精神構造には、深く鎮守が存在しています。森林に囲まれて、山の多い国土に暮らして、そのを恩恵を古来から受けてきたことからの鎮守のなのです。
 
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