社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

再生可能エネルギーとコミュニティでのESD

再生可能エネルギーとコミュニティでのESD
      神田 嘉延
 
 再生可能エネルギーは、集中型で大規模な発電からの脱皮
 
 再生可能エネルギーは、石油・石炭、原子力から分散型で自然と共生のためのものです。大量エネルギー創出生産に終止符をうつものであります。人々が暮らす地域で分散的エネルギーを創出するもので、メガソーラーを山間地に大規模に開発するものでもありません。
 
メガソーラーは再生可能エネルギーではない
 
 メガソーラーは、森林を伐採して、水源を破壊し、土地を造成して、森林や水田など自然と共生していた人間の暮らしのもつ防災機能をなくし、電磁波や発光の人体被害をもたらします。また、自然景観や生態系を破壊し、歴史文化遺跡を消滅させます。
 
 メガソーラーには、膨大な設備投資が必要となります。そして、大規模な発電ということから地域でのエネルギーをまかなうということではなく、広い範囲での電気利用のために送配電網が必要となります。送配電ということで、途中で電気が消耗していくのです。また、配電の需要と供給のバランスがくずれることにより、広い範囲で停電が起きるのです。大規模な発電網では、発電量のロスが大きく働きます。
 
  エネルギーの地産地消・コミュニティ単位で発電
 
 
  コミュニティ単位で発電をして、それを蓄電し、コミュニティで利用していく新しいエネルギーのしくみが社会的課題になっているのです。つまり、スマートコミュニティの創出です。また、各家庭でのスマートハウスや工場やオフイスでのスマートビルなどが課題になります。
 
 それらは、集中的な大規模なエネルギー創出ではなく、日常的な暮らしや仕事の場で作られます。そして、エネルーギー創出施設と日常の暮らしや仕事が矛盾しないように工夫されます。つまり、共生の配慮が意識的にされるのです。
 
 再生可能エネルギーでも技術方法に伴う、様々な弊害が起きます。万能ではないのです。それを除去していく科学技術の発展や住民参加が必要です。再生可能エネルーの施設設備には、目的意識的に環境共生や人命・身体被害を想定する開発が要求されます。大規模な発電システムは、住民参加がなく、とかく僻地などにつくらえることが多いのです。そして、自然破壊や人々の生活に大きなマイナスをもたらすことがあります。
 
 スマートコミュニティ、スマートハウス、スマートビル等では、住民が日常的に電気の使用や設備など管理をしながら問題点を自ら発見していくようになるのです。そこでは、エネルギー創出の参加が必要になり、地域やビルに蓄電していくしくみに変わります。
 
  地域での蓄電によって、大規模な発電方法や電気の送配電網や広域的調整は、必要なくなるのです。膨大なロスがなくなり電気の効率的な製造のしくみに変わるのです。電気は、照明や家電製品を動かし、暖房等の熱に転換するばかりではなく、電気自動車の普及によりガソリンに変わる時代がくるのです。
 
 マイホームやビルでの発電によって、台風や大雨で住宅被害があれば自ら専門家の工務店等に依頼して修理をしてもらうのと同じように、再生可能エネルギーの施設のトラブルを即時に専門家に依頼することができるのです。そのための基礎的知識や訓練は、将来的に学校教育でのリテラシーの課題になっていきます。
 
 再生可能エネルギーと称してのメガソーラーや大型風力発電などは、開発による自然破壊、電磁波問題、反射光、風による倒壊被害など多くの問題が起きます。再生可能エネルギーは、技術的な発電方法の問題ではなく、自然循環のエネルーギーとしてとらえることが必要で、自然と共生していく人間の知恵からのエネルギー創出です。再生可能可能エネルギーは、自然破壊するメガソーラーや大型の風力発電の開発設置ではないのです。
 
エイモリー・B・ロビンス・山藤泰訳「新しい火の創造」
 
 エイモリー・B・ロビンス・山藤泰訳「新しい火の創造」ダイヤモンド社出版は、再生可能なエネルギーの理念やビジネスで未来社会を考えていくうえで大いに参考になります。
 
 本書では、集中型火力発電や原子力からもっとも安い分散型再生可能エネルギー創出をあげています。また、同時にエネルギー消費の効率をあげていくことを提案しているのです。福島の原発事故で世界のエネルギー創出のあり方が根本的に変わったとしています。世界中で原発を止めて、新しい再生可能エネルギー創出とエネルギー消費の節約に向かっていくことが新しい人類的課題となったとしているのです。
 
 また、化石燃料依存からの脱皮は、世界の安全保障の面から、その構造が変わっていくとしています。エネルギーは、世界の紛争、汚染、リスクの源であるというのです。石油をめぐっての争いが軍事衝突につながっていくのです。石油依存の経済コストとして、中東をめぐる安全保障のコストの問題が大きくあります。
 
 中東での安全保障の軍事費用は、石油採掘現場で支払う金額以上に、大きいというのです。その軍事費用は、米国人が支払うエネルギー代金総額をはるかに上回っているのです。また、石油の施設もテロに対して脆弱です。
 
 燃料の非化石は新しい時代をつくりあげるのです。デンマークは、2008年に建てられた住宅は、1977年以前の住宅の半分以下のエネルーギー消費の構造になっています。新規に建設された発電設備も再生可能エネルギーが電力と熱利用に同時に利用できる発電機です。デンマークは2050年までに完全な脱化石燃料の脱却を計画しているのです。
 
 エネルギー需要を広汎な技術供給によって、精密、かつ得になるように合わせることができるようになっているのです。電力を得ることは、もっとも安いときに、もっとも高価なときには停電して、不便なしに電力を利用することができるようになっている時代が現実的に可能なのです。
 
 分散型の再生可能なエネルギーの時代には、これまでとは違う車の設計が必要です。超軽量の素材によっての車の製造という技術革新です。燃料タンク、車体、車輪に至るあらゆるところで軽量化の開発が求められるのです。
 
 そして、ガソンリンエンジンから電気自動車の時代となるのです。つまり、自動車の製造方法が抜本的に変わっていくのです。さらに、また、新たなバイオ燃料としての藻類の開発を次世代の開発技術になるのです。
 
 住宅、学校、高層オフイス、工場をはじめとする建物をどのようにすればエネルギー削減になるのかを考えていく必要があります。建物の省エネルギー化には、スマートウインドウの開発、改良型蒸発式冷房の開発、高度強化断熱材の利用があります。さらに、温度が上がると溶けることで熱を吸収する相変化素材の利用、LEDの利用など様々な工夫によってのエネルギー利用削減が可能になるのです。
 
 ものづくりの工業の再構築では、無駄な大量の廃棄物の工場生産からの脱皮です。典型的に鉱石を掘り出してわずかしか使わず、全部すててしまうプロセスの現代工業とは正反対に、空気、太陽光、水、土壌など以前に作られた有機物の原材料から製品をつくる工業への発送転換です。
 
 自然循環型の工業資源と未来へのエネルギー設計

 くもは繊維より強い絹織りの網に変えます。樹木はステンレスのスチールよりも強い繊維になります。また、貴重な香木、良くきく薬や無数の製品に交換されれます。自然循環型生産の発想は、希少な資源を使い尽くしたり、自分の出した廃棄物で窒息したりすることなく、わずかなエネルギーを使って、自分たちのニーズに応えるのをどのようにすれば可能になるか示してくれます。ロビンス氏は以上のように新たな自然循環型の素材を利用した全く新しい工業の構築をのべているのです。
 
 自然がもつ無尽蔵なエネルギー源は、分散型再生可能なエネルギーを可能にするのです。再生可能エネルギーは、コストが高いと言われます。しかし、風力発電太陽光発電、水路等小型水力発電バイオマス発電は、コスト削減が行われています。
 
 工場のゼロエミッションなどは持続可能な循環型生産システムとして注目されることです。南九州は焼酎生産が活発な地域です。例えば、霧島酒造では焼酎粕が一日あたり約650トンといわれます。それを発酵させ、メタンガスにして、それを工場内の焼酎製造工程のボイラー燃焼に44%利用し、56%をバイオガスによる発電に利用しています。3基の合計で850万KWH/年の発電電力量です。バイオガスを蒸留設備の燃料と乾燥設備の燃料に利用して、それを飼料にしているのです。現状は、2000世帯分の電力を売電していると会社はのべているのです。
 
 ところで、電力を貯蔵する技術開発が進んでいるのです。分散型発電は地域に設置されるため、基本的な電力供給需要に対応するのに、大規模な電力系統に頼る必要がないのです。分散型発電は、送配電系統に起因する停電のリスクはないのです。電力システムを変える大きな力は、電力需要家であるとロビンス氏の強調する意見です。
 
 ロビンスは、選択肢は多いが未来はひとつであるとのべています。2050年の未来から今を振り返る思考方法をとっています。電気自動車は40年前の重さの3分の1になっています。
 
 コミュニティは、自動車ではなく、人の周辺につくられています。遊びや買い物は、歩いて行ける場所になるのです。食料の大部分は、10マイル半径の顔見知りの農家で仕入れる人が多くなります。人々は、カーシェアリング、超軽量鉄道、小型バスでの移動が行われます。働く人は、オフイスへ行くが、3日ないし、4日になるというのです。
 
 2050年の目標の6つの課題
 
 2050年の目標にたどりつくには、教育、イノベーション、リーダーシップです。そして、政策と規制の変更が必要です。目標の達成には、6つの課題があるとしています。1つは、自動車産業の転換です。2つは、自動車の走行距離、荷物の異相・重量の大幅な削減です。
 
 3つは、エネルギー消費の効率の高い建物を大規模につくりあげていく。4つは、再生可能エネリギーからの熱と電力の供給を増やすための国家経済を推進すること。5つは、再生可能エネルギーコストの削減をしていくこと。6つは、分散型再生エネルギーの電力系統の販売量を増やす方策をしていくこと。以上の6点を目標を達成するための課題としているのです。
 
 正しいリーダーシップが発揮されるのであれば、新しい火の創造が可能であるとするのです。新しい火の創造は、命令的なものではなく、寛容なものだというのです。誠実な価格で公正に競争しながら火の創造を行うことを要請するのです。他人に賛成を強要するように求めるのではなく、共に力を合わせ、共有することから仲良く火を創造するのです。
 
 新しい火の創造の著者は、ビジネスの視点を含めて、誠実な価格で公正に競争しながら、コミュニティを基礎とした分散型の再生可能なエネルギーを創出するのです。それは、未来社会創造を展望しくのです。この創出には、共に力を合わせて実現していくことを指摘しています。そこでは、寛容の精神が必要です。教育の力も加味しながら実現していくものです。
 
 貧困な国のエネルギーの課題
 
  貧困な国では、エネルギーの消費効率は極めて悪いのです。電力供給から切り離された時代遅れのエネルギーを使っています。この世界での対象者は16億人にあがるとされます。さらに、10億人が高くて使えないというのです。世界の5分の2は、エネルギー貧困状態にあるのです。
 
 これらの人々に、灯油から蛍光灯の照明にするために、太陽光発電が利用されるような教育運動が起きています。それはベアフットカレッジという名称をつけた運動です。文字の読めない女性たちを教育して、太陽光発電のエンジニアに育成します。その技術を自分の村で使います。自分達で、太陽光発電を建設して維持管理をしているのです。太陽光発電で効率のよいLED照明を使い、娘達が夜に読書して勉強できるようにしているのです。
 
 簡易なソーラー発電は、ランプを使用していたときよりもお金の余裕ができました。そこでは、蚊帳のネット、清潔な水など貧困化から立ち上がることができたとしています。まさに、地域での分散型の簡易なソーラー発電によって、再生可能なエネルギーの転換によって、自立的な経済発展の展望が生まれているのです。ここで、まず大切なことは、どのように教育を提供するということではなく、どのように優れたコミュニティをつくるかです。教育は、そのうえで達成されていくという考え方です。

 

環境問題と地域の自立的発展―離島・へき地を中心にして

環境問題と地域の自立的発展―離島・へき地を中心にして

 

 

 
 
 
 
 

霧島山麓の大規模メガソーラー建設問題と歴史文化の破壊

霧島山麓の大規模メガソーラー建設問題と歴史文化の破壊
             神田 嘉延
 
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    1,大規模な自然破壊の恐れ

 185ヘクタールに80メガを上回る出力の大規模な太陽光発電霧島神宮周辺の山間部で計画されています。この開発地域の周辺には、別荘や介護施設、温泉を利用した病院など余生の憩いの場にもなっているところです。鹿児島市には、7ツ島に、70メガの大規模な太陽光発電所があります。それを上回る規模です。中国系資本等の外国資本を含む事業者が、霧島神宮周辺の土地で、メガソーラーを計画しているために、現在は測量を実施しています。ここは、次々に土地所有者が変わり、事業計画者の転売などによって変わっているのです。
 
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 しかし、固定価格買取制度によって、1キロワット時当たりの買取価格を36円のときの契約なのです。その後、どんどん下がって、現在は、2019年まで14円ということです。従って、もうかるということで、土地も含めて、売買が盛んに行われているのです。この固定価格買取制度は、二〇年間の期間で国民が電気料の形で支払っていくのです。契約のときと、事業実施の時期が大きくづれても容認しているのが、固定価格制度の問題点なのです。
 
 固定価格買取制度によって、霧島神宮の巨大なメガソーラー開発は、仲介業者や管理業者が間に入って、土地の所有権、事業者の売買がされているのです。そして、背後に莫大な建設費がかかるということから、融資する金融資本がかかわって値上がりが行われてマネーゲームがされているです。
 
 
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 ここは、霧島の水源地でもあります。保安林にもなっている地域もありります。全体として、膨大な森林地帯です。さらに、急傾斜が多く、自然災害の警戒地域にもなっています。霧島神宮周辺は、天孫降臨の神話伝説があり、古くから修験道の聖なる地でもあったのです。まさに、自然と歴史文化の観光地です。
 
 霧島神宮周辺のメガソーラー開発は、急傾斜の地域が多いところですが、そこの森林を伐採して、山を削り、 造成して、大規模なメガソーラー設置を計画しています。このメガソーラー開発は、自然破壊による大規模な災害の恐れがあります。さらに、霧島神宮を中心としての自然文化の歴史を破壊するのです。
 
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 霧島市議会は、メガソーラー反対の請願書を委員会で全員一致で採択しました。そして、3月28日の市議会本会議で全員一致でメガソーラー反対の陳情を採択しました。前市長が、メガソーラー・大規模地熱発電促進(霧島市再生可能可能エネルギー事業者協議会)を設置していて、霧島市内の山間部のいたるところでメガソーラーの建設が進んでいったのです。その自然破壊の問題が生まれています。また、温泉枯渇問題で大型地熱発電も地域との摩擦を起こしていました。現在の市長は、霧島神宮周辺の80メガのメガソーラー開発に反対表明をして、その趣旨を開発業者に通達したのです。
 
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 それでも業者は、メガソーラー開発の測量を強行しています。許認可権は県にあると法律に即してやっていると豪語しているのです。3月31日に管理・斡旋業者の霧島神宮周辺のメガソーラーの執行役員の人に住民の反対の意志と開発事業体制のそれぞれの立場と役割、5月より、事業者の環境影響調査実施に県との協議をどのようにされているのか等の質問状を手渡しました。
 
 管理事業者は、盛んに霧島周辺のメガソーラー促進に賛成する自民党の県会議員のいること、土地を売った人々はメガソーラー促進に賛成であって、地域住民は全員反対ではないことを強調したのです。県のメガソーラー設置のための担当者から認可をうけられるようにたびたび指導をうけていると発言されていました。
 
 かれらの考えは、「われわれは、地域にお金がおちることを社会貢献と思っています。土地を持っているいる人たちにも高い値段で買ってやっています。積極的に買ってくれというひとたちもいるのです。メガソーラーは企業誘致として、積極的に促進する人々がいる」ということを強調したのです。
 
 市議会でのメガーソーラー反対陳情に全一致の採決、市長が反対表明しているにもかかわらず、自民党の有力政治家が賛成していることを理由に社会貢献をする事業であると豪語するのでした。今の時代は自民党の力を使えばなんでもできるという姿勢で恐ろしい気がしました。
 
 県の態度は法律に即して、書類の審査を行うとしています。前鹿児島知事は、原発廃止をかかげて前知事の自民・公明推薦の知事を破り、当選しました。しかし、その後変質して、川内原発の再稼働を鹿児島大学の教授を座長とする委員会に委嘱して、その委員会の安全性の確認をしたということで、原発の再稼働を承認したのです。このように県民を裏切っであった知事ですので、メガソーラーについても心配であったのです。あいまいな態度を示している前知事でした。現在の知事は前知事の自民党推薦を破りました。県民運動として、知事を支え、態度を明確にさせう必要があります。つまり、知事に自然環境を破壊するメガソーラー反対の態度表明をさせなければなりません。
 
 霧島神宮周辺のメガソーラー反対協議会は、原発を廃止して、再生可能なエネルギーを開発していくことは大切という立場です。前知事は、再生可能エネルギー開発を盛んに言っていたのです。
 
 しかし、再生可能なエネルギーの開発が乱開発によって、自然破壊をして、森林のもっていた防災機能や自然景観を破壊することとは全く違うのです。この地域は、自然災害警戒地域です。再生可能エネルギーは自然からの恵みという視点が大切なのです。自然循環がなくなっていけば、恵みをもらうことはできないのです。
 
 まさに自然における神の恵みとして、霧島山麓があるのです。この自然の恵みから、おいしいミネラルを豊富に含んだ水が販売され、名酒の焼酎がうまれ、最も価値ある米が生まれていくのです。そして、景観と歴史文化を求めて多くの観光客が訪れ、様々な産業が生まれているのです。
 
 また、霧島山麓の新燃岳、高千穂の火山の爆発危険のある地域です。火山と共に生きてきた地域の歴史です。たびたびの噴火によって、霧島六社権現の御神体は移動したのです。豪雨や台風の被害も多く、多量のソーラーパネルが豪雨や強風によって破壊される心配があります。
 
 ソーラーパネルが老朽したとき、災害などでのパネルの残骸物をどのように処理していくのか。ソーラーパネルには、腐食剤のために水酸化ナトリユム、フッ化水素など、鉛やセレンなどを含む有害化学物質が使われていたりすることがあります。さらに、パネルを支える架台をどうするのか。除草対策をどうするのか。除草剤を使うのか、除草シートを使うのか。いずれもその膨大な処理の問題が起きるのです。
 
 また、パネルによる反射光の問題もあるのです。ソーラーパネルは、火災が起きても発電はやめてくれないのです。消火活動の支障をきたすのです。メガーソーラーの安全・安心対策には、様々な課題があるのです。
 
 
 再生可能エネルギーは自然環境です。自然環境は地域の自然との共生で、地産地消が基本です。自然破壊のメガソーラーは、再生可能エネルギー開発の趣旨に全く反することです。乱開発の自然破壊は、再生エネルギーではありません。さらに、現在霧島神宮周辺で行われているメガーソーラーの開発は、貴重な文化財や生態系をも破壊していくのです。
 
 再生可能なエネルギーは一人一人が参加していくエネルギー開発の視点が大切です。参加民主主義の開発が再生可能なエネルギーを実質的に作りあげていくのです。それは、小規模な多くの人びとが参加する分散型エネルギーシステムです。
 
 このシステムは、大容量集中型エネルギーシステムからの転換であります。地域の様々な資源を利用して、多様な小規模の再生可能のエネルギーを最大限に生かしてのコミュニティによるエネルギーのしくみなのです。小規模分散型エネルギー開発を住民参加方式をとることによって、開発によって起きる問題を未然に適切に、短期間で処理することができるのです。
 
 それぞれの地域資源を有効に活用して、さまざまな工夫をすることです。それは、地域住民の理解と協力によって成り立っていくものです。さらに、重要なことは、住民のそれぞれの総意と工夫が求められていくのです。そこでは、地域で住民参加型のエネルギーを開発していくことです。
 
 住民参加型は、未来型の再生可能エネルギーのしくみづくりなのです。それは、住民生活不在の自然破壊の大規模な乱開発ではなく、大規模な経済性効率を最優先しての大容量集中型のエネルギーしくみからの転換なのです。
 
 分散型エネルギーのしくみは、小規模であっても多くの人々が参加していくことによって、大きな力になり、地域のなかで完結していくことにより送電の非効率を克服していくエネルギー開発です。つまり、大規模な大容量集中型は、送電等によるエネルーギーの消耗も大きいのです。無駄なく地域でエネルギーを自己完結していく地産地消型のエネルギーのしくみなのです。
 
 都市では、工場でエネルギーを創出していく工夫、屋上にソーラーパネルをとりつけるなど自分たちで少しでもエネルギーをまかなっていことすることが行われています。企業のなかには、スマートコミュニティのしくみづくりを模索しようとする動きを生まれています。スマートハウスやスマートビル、地域でのエネルギー管理システムの開発などの模索が行われているのです。断熱、床熱貯蔵暖房、LEDの普及など様々な省エネ対策も行われているのです。
 
 山間部では用水路開発や循環式の貯水池方式によるエネルギー開発、温泉熱を利用したホテルの発電、焼酎かすを利用したバイオガス発電、牛の糞尿を利用してのバイオガス発電などがあります。霧島山麓では霧島酒造の焼酎工場で実施しています。この発電で4工場の動力になっているのです。
 年間100万人以上訪れる高千穂観光牧場では牛のふんを利用しての発電をしています。さらに、今後は、海流、潮力を利用した発電、海の上下温度差利用の発電工夫が行われていくと思います。
 
 これらで大切なことは、住民や働いている人が参加しての地域、職場、学校でのとりくみが必要なのです。科学技術の発展をどのようにして再生可能なエネルギーに結びつけていくのか。科学者や技術者の役割も大切です。
 
 分散型エネルギーのしくみをつくっていくうえで、市町村自治体のエネルギー施策も大切です。長期計画のなかに再生可能な分散型エネルギーの施策が求めれるのです。
 
 この長期計画に結びついて、社会教育計画のなかでの住民参加型のエネルギーのしくみづくりの学習運動も不可欠になってくるのです。社会教育計画を基礎にしての学校との連携も求められいます。学校教育での再生可能なエネルギーの教育は地域計画と結びついていきます。そのことが具体的に子どもたちに未来の夢を与えていく教育になっていくのです。学校の施設へ教育的立場からも積極的に再生可能なエネルギーの設備を導入していくことが求められるのです。

2,霧島山麓の貴重な歴史文化の破壊

(1)霧島古道の破壊

 メガソーラーの開発地域は、霧島神宮のサルタヒコ巡行の地域です。そして、山の神、水の神が至るところに存在しています。昔から自然と共に生きてきたところです。霧島神宮宮司はメガソーラーの開発に不同意書を県知事・県議会、霧島市・霧島議会に申し出ています。反対協議会として訪問したときに、自然を尊敬する心が現代人は必要であると力説していました。神は自然のなかに宿っているというのです。
 
  霧島神宮周辺の別荘の自治会や周辺の集落の自治公民館もメガソーラー反対をしています。地域では、反対協議会を結成して、運動をしています。
   ところで、霧島神宮の行事として、猿田彦命巡行祭りが行われています。メンドンマワリといわれ、春と秋に各二回行われています。霧島神宮の周辺集落、神が宿る場をお祓いするという行事です。東巡り7ヶ所と西巡り8ヶ所を廻っていくのです。東巡りの一部は荒襲街道・小林街道とも重なっています。メガソーラー建設計画の区域です。
 
  この街道は、古代から重要な交通網で、南北朝時代の南九州の戦乱、戦国時代の伊藤家と島津家との争い、西南戦争での人吉から宮崎方面に逃走する街道のひとつでした。この街道筋で、西郷軍と政府軍の戦いもありました。

   荒襲街道・小林街道は、江戸時代に小林の地域の年貢米を運ぶ街道でした。霧島町の大窪には、その年貢米の蔵があったところです。また、霧島六社権現のそれぞれの神社にいく街道でもありました。この六社権現の道を霧島古道と名付けたのです。

 メガソーラー開発の入り口である霧島古道は、霧島中学校や霧島太田小学校があります。太田小学校には、学校林野があります。その近くにある待世神社は、現在の霧島神宮ができる以前の霧島六社権現が250年間存在していました。霧島山麓を治める税所家が島津家に滅ばされることによって、現在の霧島神宮のところに御神体が移動したのです。
 ブログ「歴史文化の旅」霧島古道と猿田彦の巡行を参考にしてください。
 
 (2)霧島神宮周辺の山麓隠れ念仏の里の破壊
 
   霧島神宮の周辺には、多数の隠れ念仏洞のありました。その事実を知った人々は、驚きと、霧島神宮のもっていた文化の複合性、包容力の豊かさを感じ、共生という未来への文化遺産であると思うのです。お寺の住職と檀家役員の案内で、地域の人々と念仏巡りをしたときに、共通の語らいでした。

  高千穂念仏洞の近くには、桂久武が慶応3年より開墾のための灌漑用水工事をしていますが、当時に工事をしていたときに、この高千穂洞の存在は、気づいていたと思われます。開墾地に入植してきた人々は、隠れ門徒の信者が多く、桂内という集落群には念仏講があったといわれます。桂久武自身が知っていたがどうかわかりませんが、薩摩藩の家老という重責であったことから興味あるところです。
 
   高千穂念仏洞は、桂内地区の戸崎原(とさきばる)」にあります。小学校の前の橋は「戸崎原橋」です。 霧島小学校を旧霧島東中方面へ200m程上っていったところで車を止め歩く必要があります。田んぼを降りて竹林を2分ほど歩くと洞窟が現れます。この洞窟は既に全て崩れ落ちています。中には、一間の高さの絵象が三幅掛けられいたという。目の前に用水路があり、地元の方によると150年前に造られたものと言われます。

  土質は、桜島の白砂ではなく昔発生した新燃岳噴火による火砕流で出来た赤茶けたものでありました。入口からの長さは10m程。高さは入口は2m程奥の一番高いところで5m程ではなかろうかと推測できます。幅は入口が1m程。奥の方は分からない。西を向いてガマが掘られています。

  三会講(さんえこう)は、吉松・霧島・溝辺(竹子)からなるお講です。地元の方々は地蔵原(じぞうばる)門徒と呼称しています。この講を中心とする方々がお参りしていたと言われるガマです。

   臼原(うすきばる)念仏洞は、霧島神宮の旧参道沿いの谷間にあります。野上神社から下って1キロほどの旧参道の近くです。谷間を降りていくには険しい急坂で、道はありません。念仏洞のあるところは平面であり、田んぼがあったといわれていますが、どのようにして下ったのか、または、下から別の道があったのかといろいろと推測するところです。
 
   臼原(うすきばる)念仏洞は、田口1779の地番です。野上地区の臼原(うすきばる)にあります。民家の道路を隔てた林の急斜面を200mほど下りて行ったところにあります。澤沿いにあるのです。この林では数年前まで(いつまでかは、わからない)は田んぼがあったらしい。近隣の方の話では、ここで最近までは「おやしガマ」と呼ばれ、おやし豆が作られていたそうです。

  狭名田(さなだ)の念仏洞は、地番、田口1624-8です。薩州御鏡講(さっしゅうみかがみこう)を中心とする方々の念仏洞と思われます。狭名田地区の公民館から大通り(野辺田から枦田の県道に突き抜ける道)に出て、その向かい側の田んぼ道にそのまま行きます。車で途中まではいけます。道路から約1キロぐらい歩いたところにあります。川沿いに上っていけば左手にガマが見えます。入口付近白砂が落ちていて狭くなっています。

  薩州御鏡講は宮崎高原町(たかはるちょう)、小林市、えびの市、京町、輝北町百引や栗野、霧島方面のお講で、近年までお講同士のやりとりがなされ、ご法義相続されていました。近くの野辺田というところでは、「ゲンナメさんと言う念仏者の処刑場跡があった」と昭和63年当時の古老の聞き伝えによる証言が残っています。

  鍋窪(なべんくぼ)の念仏洞は、湯之迫集落から山道を上がった鍋窪集落にあります。林野の生活が貴重な価値をもたらしていた時代まで繁栄していた集落です。現在は過疎化が進行して空き家が多くなっています。
 念仏洞にいく途中、山道の渓流が流れる反対側の巌に、南無阿弥陀仏の文字を彫ったものがありました。険しい渓流があります。なかなかみつかるものでありません。仏像や梵字らしいものがあるのです。よくわかりません。今後の調べる課題です。山神の祠ではないかと思われますが、南無阿弥陀仏の書かれた巌の反対側の山道にありました。

 鍋窪(なべんくぼ)の念仏洞は、鍋窪の菅谷(すげんたに)になるのです。道路に車を止めて山を200m程下り川沿いに50m程下っていくと右手に洞窟が見えます。昔、使僧が現在の隼人町ある浜之市から来てこの洞窟で過ごしたとのことです。湯之宮地区の御鏡講の方々が集う念仏洞でした。現在70歳近くになられる方が「小学生の時分にオムロを担いでここまで来て、地域の人たちがお参りをしていた。」と話されました。
 ブログ「歴史文化の旅」霧島神宮周辺にある多数の隠れ念仏洞と未来への遺産を参照。

子どもの虐待問題と社会教育の役割

 
子どもの虐待問題は、警察関与強化で解決するのか
 
 南日本新聞の3月25日の記事では、虐待 警察関与強化へと大きな見出しで書いています。児相と連携、OB配置促進というしです。全国の警察が昨年摘発した児童虐する待事件は1380件、保護した子どもは約4割というのです。
 
 政府は、児童相談所への警察OB配置促進や児相との連携などの警察の役割を強める対策を打ち出した。政府は警察による一層の関与を柱の一つに据えた。威圧的な保護者を想定した警察OBの配置です。財政面などの支援拡充を打ち出し、児相との情報の共有、児相の立ち入り調査に警察の同行の役割拡大を打ち出しているのです。
 
 警察法は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的管理と運営を保障することが明記されています。警察の責務は、個人の生命、身体および財産の保護に任じ、犯罪の予防と公共の安全と秩序の維持にあたることを責務としているのです。市民警察として、国民から尊敬と感謝される存在であるのです。決して、市民の自由と権利を犯すものではないのです。
 
 専門家からは、警察が前に出すぎると保護者が態度を硬化する恐れもあるという声もでています。ある警察幹部は、釈放後、児相に怒りの矛先を向ける親もおり、児相関係者の中には摘発強化に消極的な人も多い。警察は健全育成といった福祉面の意義を十分に理解したうえで、児相や民間などの協力を模索すべきという記事です。
 
 児童虐待問題の福祉的側面、精神医療的な側面等からの独自の社会教育的側面
 
 児童虐待問題の福祉的側面、精神医療的な側面等からの独自の社会教育的側面が全く考慮されていないのです。また、社会教育においても児童虐待に対応できる子育ての学習を展開する専門性との連携も十分にされていないのが現状です。
 
 専門性をもった児童福祉司の内容的な検討と配置の充実が求められているのです。現代における児童虐待の本質的なとらえ方は、福祉的な側面、教育的な側面、現代社会の家族問題、精神的な病の側面、人間関係の孤立化などから考えることが必要なのです。
 
 子どもの虐待問題は、精神的な病や孤立化のなかで、親の子どもに対する人権感覚のないことが大きいのです。親権は、親の子どもに対する支配権であるという認識も少なくないのです。このような状況の中で、福祉の機能を充実して、子どもも親も、人間らしく生きられる場の提供のために、地域社会のなかで絆を築き、社会教育の役割は極めて大切なのです。ときには、子どもと親を離す緊急避難的な機能もあるのです。相互の信頼の関係、相互尊厳の関係が将来的に構築することは、不可欠なことなのです。
 
 現在の安倍晋三政権は、子どもの虐待問題の対策に警察との連携の強化の促進を柱にしようとしていますが、その発想は、警察国家的な治安対策的発想が根本にあります。警察からの児童相談所への派遣の増強が検討されていますが、子どもの虐待問題は、刑法的な犯罪としての治安対策的なものではないにです。
 
 親の子に対する人権意識
 
 親の虐待は、子に対する人権意識のなさが根本にあります。また、地域社会、社会全体として子どもを育てていくという状況が核家族化のなかで崩れ、ますます親の個人的意識、個人的思いで子どもが育てられる傾向が強まっているのです。
 
 核家族化、親の個人化意識のなかで、児童相談所家庭裁判所、警察、学校、社会教育機関などの関連機関の相互連携が大切になっているのです。また、子どもを育てていく社会的養護という視点が大切にななります。未成年後見人や社会的養護施設の充実があらためて求められているのです。
 
 子どもは親の思うままに育てられるのではないのです。子どもは人間的に調和のとれた発達のためには、家庭環境のもので幸福、愛情のなかで育てられることが必要です。このために、親の役割は、子どもの成長にとって大切なのです。その状況がないなかでも子どもが育っていくには、大人による家族的な愛護の環境が必要なのです。社会的養護という視点においても家族の愛護のなかで子どもは育つという原則的な見方をはずしてはならないのです。
 
国連総会の児童(子ども)の権利条約第19条
 
 国連総会で、1989年に全会一致で採択された児童(子ども)の権利条約第19条では、親による虐待・放任・搾取からの保護をうたっています。国際的な共通の認識として、その条文を紹介します。まず、子どもの虐待は、身体的な虐待だけではなく、精神的な暴力と放任・怠慢な取扱を含むものです。この内容について、次のように述べています。
 
  「1,締約国は、親、法定保護者または子どものを養育をする他の者による子どもの養育中に、あらゆる養育中に、あらゆる形態の身体的または精神的な暴力、侵害または精神的な暴力、侵害虐待、放任または怠慢な取扱い、性的虐待を含む不当な取扱または搾取から子どもを保護するためにあらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとる」。
 
子どもを虐待から保護するためには、立法上、行政上、社会上および教育上の措置

 子どもを虐待から保護するために、立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとることとの重要性を指摘しているのです。虐待を禁止していく法的な措置だけではなく、行政的に虐待から子どもを保護する措置が大切なのです。子どもの虐待を禁止していく法的事項を具体的に行政的に整備していくことが求められていくのです。児童虐待から子どもを保護していくうえで、専門職の配置での児童相談所の充実をどうしていくのか。家庭裁判所児童相談所の連携の充実をどうしていくのか。

 児童虐待を防止していくうえで、法的には、親のしつけと虐待の関係が大きな課題になっています。とくに、民法822条で親の懲戒が認められているなかで、しつけとの関係で暴力を容認していく親も少なくないのです。体罰を明確に禁止していくことが法的に求められているのです。
 
 民法では、子どもの利益のために子の監護や教育する権利としての親権者の懲戒権ですが、親権は親の子どもに対する支配権という誤った見方が根強くあるということで、しつけのために暴力を容認していく親も少なくないのです。
 
 懲戒権は、体罰を含むものではないのです。しつけによる体罰は認められていないのです。学校の現場では、教育のために懲戒は認められていますが、体罰は許されていないのです。学校教育法11条には明確に規定されています。
 
 そして、「体罰禁止に関する教師の心得」を文部科学省は指導しているのです。体罰禁止は、とかく感情的行為と区別しがたい一面を有していることと、人格の尊厳を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の根本理念に反するということからです。家庭でも同様で、子どもの成長には、親との相互信頼と尊敬のなかで健全な人格が育つものです。そして、独自性としての家庭環境のもので幸福、愛情のなかで育てられることが調和ある豊かな人格に育っていくのです。
 
子どもの虐待を防止するために社会計画の確立
 
 国連の子どもの人権条約では、子どもの虐待を防止するために社会計画の確立と実体の調査、司法的関与の重要性を次のように指摘しています。
 「2,当該保護措置は、適当な場合には、子どもおよび子どもを養育する者に必要な援助を与える社会計画の確立、およびその他の形態の予防のための効果的な手続、ならびに上記の子どもの不当な取扱いについての事例の認定、報告、照会、調査、処理および追跡調査のため、および適当な場合には、司法的関与のための効果的な手続を含む」。
 
 子育ての社会計画の確立のためには、親の子どもの人権意識の現状、子どもの体罰容認や子どもを支配する親権意識などの克服のために社会教育計画が極めて大切なのです。法的に子どもの虐待防止を制定し、行政的にも整備しても親の子どもの人権に対する意識が大切なのです。
 
 そして、子どもへの虐待によって、法的に処罰されても親子関係の円満な関係が築くことは難しいのです。むしろ、親は、児童相談所家庭裁判所に対して怨みをもつようになっていくのです。親自身の教育的な作用なくして、親子関係の信頼関係、相互の尊厳関係、関係機関の感謝の関は育っていかないのです。法的に対応では、児童相談所家庭裁判所との関係は大切ですが、教育的な側面、信頼関係などの構築が大切なのです。
 
親権制限制度や未成年後見人制度は平成23年の民法改正
 
 厳しい体罰の状況に置かれている子どもを救うためには、親から子どもを一時的に離す児童相談所の一時保護も大切です。また、ときには、親権の一時停止もやもえないこともあります。
 
 親権制限制度や未成年後見人制度は平成23年の民法改正により最長二年間の親権停止が可能になり、その請求には、子ども本人や未成年後見人などにも拡大するようになったのです。
 
子どもの申し立てたには、満10才程度であれば
 
 また、未成年後見人には、個人だけではなく、社会福祉法人も可能になったのです。子どもの申し立てたには、満10才程度であれば、意志能力があると解され、裁判所長は、弁護士を手続き代理人として選定できるようになったのです。
 
 10才程度であれば子ども本人が親権制限の申し立てができるということですので、学校教育関係者が身近に日常的な子どもとの接触がありますので、子どもの生活上の異変も気づきやすい立場にいるのです。子どもの健全な発達、命を守る立場から親の虐待について、教師は真剣に向き合うことが求められている時代です。
 
 むしろ、教師は親との関係で無理な要求をつきつけられ、クレーマーになって恫喝されて悩んでいる現実もあります。モンスターペアレントという問題です。我が子を自分の分身・所有物と錯覚して、学校に自己中心的に要求してくることです。親の孤立化、子ども発達のことを知らない大人の価値観でみてしまうことなど様々な問題の意識状況があるのです。
 
 児童相談所児童虐待相談件数は、平成28年度に12万2578件にあがっています。児童相談所家庭裁判所の役割は益々大切になっていますが、同時に子どもの人権、子どもの最善の利益などを考えていく社会教育の役割が不可欠なのです。
 
社会教育が機能していかねば
 
 社会教育が機能していかねば、社会全体が法的な処理、警察権の社会秩序のみになり、親自身の児童相談所家庭裁判所、警察への不信と怨みにつながり、かえって不信社会を助長していくことになるのです。社会全体で子どもを育てて、子どもの人間的な人格の発達につながっていかないのです。
 
  地域の身近なところから児童の虐待の防止体制を築いていくうえで、虐待を防止していく市町村の職員体制の確保・専門性の向上が不可欠です。このためには、 必要な職員の確保がなければ実施できないのです。市町村の相談担当職員の7割は兼務であるといわれます。
 
 
 また、相談担当職員の37%は一般行政職です。児童福祉司任用資格相当の職員は8%弱、社会福祉士は2%にすぎないのです。各市町村とも児童虐待の人材確保に、一般職員からの任用が多いために苦心している状況です。児童虐待が多くなるなかで児童福祉司のあり方の専門職員採用のあり方や社会教育職員のなかで子育ての専門職員の採用なども検討する段階になっています。
 
 そもそも児童福祉司は、専門資格を持つ職業ではないのです。地方公務員試験に合格して児相に配属された職員のことなのです。その職員の専門職のあり方の検討が必要なのです。
 
 現状では、多くの児童福祉司は数カ月の研修で現場に出ています。児童虐待の対応には保護者との関係構築が不可欠です。一人前になるのに10年はかかると言われています。野田市の女児のケースを担当していた柏児相は、勤務年数が3年未満の児童福祉司が非常勤職員を含めて56%、計41人中、実に23人を占めていたのです。

 親が児童福祉司を大声でどう喝したり、暴力を振るったりするケースは少なくないという。さらに、ひどいときは、刃物を持って「子供を返せ」と乗り込んできたり、鈍器のようなものを投げつけたりする親もいるというのです。ここには、明らかに親と相談機関の信頼関係がないこともあらわしています。
  政府が2022年度までに児童福祉司の数を6割増やす方針を打ち出していますが、専門性のない人や非常勤の経験のない人が配置されれても十分に機能しないのです。
 
 
 
 
 
 
 

正義論と社会教育-民主主義社会の道徳形成ー

 為政者が正義に生きることは、日本の武士道にあった!
 
  正義に生きることは、日本の武士道にとってあたりまえの徳育であったのです。民主主義の発展には、人間尊厳、相互尊重・相互扶助の人間らしく生きていくことが必要です。ここには、正義感覚をもった市民形成が要請されています。正義は、ときの為政者によって、大きく曲げられていくことがたびたびあるのです。
 権力を握った為政者は、私欲に走り、民のため、公のことを忘れがちになるのです。民主主義にとって、常に厳しく問われるのは、正義に生きる為政者です。政権をとった政治家や高官は正義の姿が求められます。そして、民はそれを見張る役割としての政治参加があるのです。選挙や直接請求、告発や訴訟は、民主主義社会の形成にとって大切な課題です。これらのために、社会教育は不可欠です。その基本に、為政者を縛る憲法の学びが大切になっているのです。
 
 権力を握る政治家は、民主主義、人間の尊厳、相互尊重の人間らしく正義に生きる。この言葉は、現代の政権において、死語になっているようにみえます。日本の伝統的武士道にとっては、民のために正義に生きることが基本であったのです。武士は、正義を持っていることが誇りになるのです。
 
 現代の日本国憲法のもとでは、法のまえに平等であります。基本的人権は犯すことの出来ない永久の権利として信託されています。日本国憲法の内容は、為政者が日本の主権在民者に対して、誠実に守る責務でもあるのです。
 今の国会での政府答弁では、様々な不正疑惑に対して、首相、大臣、高官もまともに答えない状況です。記憶にない。覚えていない。起訴されているので答えられない等という言葉が続いているのです。
 
安倍晋三政権の退廃状況
 
  国会での統計不正問題では、事実でない報告ということでグレーであるが、隠蔽は確認できなかったと、しらじらしく言う。信じられない矛盾に満ちた発言です。まともに議論を深めず、建設的に不正をなくしていく制度設計にほど遠い状況で、はぐらかしと、その場しのぎで、うそと人を騙すことがまかりとおっているのです。
 
 そして、特定のグループの私欲のために国が動かされているようにみえます。政権を握る人々や一部の財界の幹部は、日本の社会のこと、国民の生活のことを全く考えていないで私欲に走っているようにみえます。日本の社会全体がうそと人を騙すことに走っている悲しい現実があるのです。
 
 武士道の正義
 
 薩摩の郷中教育では、出水の兵児修養の掟にみるように、「偽りを言わず、身に私を構えず、心素直にして、礼儀正しく上にへつらわず下をあなどらず、人の艱難を見捨てず、温和慈愛にして、人に情けを施す」ということです。、地域社会の若者集団のなかで絶えず、これらの心構えを暗唱していたのです。身に私を構えずということで、自己利益、私欲で生きることを大きな恥としたのです。私欲を絶え間なくコントロールして、公の民として生きることを美徳にしたのです。
 
 新渡戸稲造の著書「武士道」でも正義の道理、人の上にたつ条件として、民への仁愛の心を大切にしたとしています。正義は武士道の光輝く再考の支柱なのです。正義は素直で、正直な、徳行で絶大な賞讃を与えられていたとするのです。武士の情けは、正義に対する適切な配慮です。
 
 
 武士の情けは、生かしたり、殺したりする力を背後にもっているのです。武士の慈悲は、民にとっての受益者の利益になっていくのです。武士はいつでも他者への憐れみの心をもっているのです。礼とは他人に対する思いやりを表現することです。礼は最高の姿として、ほとんで愛に近づくものです。新渡戸稲造は以上のように武士道の正義についてのべるのです。
 
 日本の商人の伝統的正道
 
 
 日本では、石田梅岩をはじめ昔から経済活動をしていくうえで、私欲をおさえること、商いは公のためと、利他の心をもつことの重要性を強調してきたのです。商人の正道は、仁愛の精神です。買ってもらう人に自分は養われているという見方です。
 
 
 飢饉があったとき、飢えた人を商人は救うのです。それは、商人の正道です。商人は買い手が満足するように身を入れて努力すれば暮らしの心配はなくなるというのです。商人の利益は公に許された俸禄と同じです。商人は利益を得て、その仕事を果たせば世間の役にたつということが石田梅岩の考えであったのです。
 
  経済的・社会的格差が広がり、自己利益、特定の派閥・仲間のための金銭欲のために為政者が動いていけば社会的退廃がはびこっていくのです。正義に生きる為政者は、民のために、貧困の人びとを救済します。自由で人間らしい暮らしの喜びをもてるように施策を工夫するのです。それらを実行していくのが正義の努めです。社会的公正さ、公共的な福祉が失われていけば、刹那的、享楽的に社会が走っていくのです。
 
 社会的退廃とファッシズム
 
 社会が退廃していくことは、民主主義の危機です。ドイツの戦前のファッシズムへの道や日本の軍国主義化でも社会の退廃が進んでいったのです。ファッシズムの社会的基盤を分析し、それと戦った社会学者のマンハイムは、近代の資本主義社会の発展は、無政府的で、多くの人びとが群衆となり、一部のエリート支配と2つの局に分断されていくと分析しました。
 
 エリートにコントロールされる群衆を形成する大衆社会は、ファッシムへの社会的基盤として、警告したのです。そして、人びとが参加していく民主的な社会計画論を強調しました。この民主的社会計画は、人間性をもった総合的な視野からの教養に裏付けられた知識社会のための教育がなければ実現しないと。
 
 民主主義のための倫理・道徳の教育があってこそ、民主的社会計画の能力が個々につくられたのです。つまり、個々の自己利益、エリートになるための競争主義の教育が出発ではないのです。

 アメリカの社会学者のミルズは、20世紀後半のアメリカを「パワーエリートは金権社会のなかで構造的に退廃する」ことを強調したのです。このなかで、官僚制を克服していくうえで、公衆の参加民主主義教育の役割に糸口をつかみました。
 
 現代社会は、ポピュリズムの蔓延するなかで、現実の金権政治が横行することで、モラルなき金銭欲に走り、オレオレ詐欺から暴力的な最も恐ろしい高齢者をねらったアポ強盗事件が起きるほどです。
 
 すべての基準が金銭欲に走る状況がみられます。正義とは何かがあいまいにされ、正義を語ることは白々しいと敬遠される時代です。正義は、どこかうとましい存在になっているのです。現代は、為政者をはじめ社会的モラルや社会的ルールがおかしくなっているのです。
 
 社会的協働の重要性
 
 本来的に人間の尊厳や社会のなかで生きていく相互尊重と協働の関係が衰退し、立身出世、権力・権威獲得と金銭欲獲得の弱肉強食競争社会の関係が幅をきかせているのです。
 
 人間らしく生きるということが鋭く問われているのです。これらの現実に向き合う社会教育をどう構築していくのか。人間らしく生きたいと思う多くの人びとの潜在意識をどう引き出していくのか。それを潜在能力として地域社会のなかで人間的な相互扶助、協働、共生の関係を作り出すが求められています。つまり、参加民主主義の学習をどのようにして作り出すかが求められているのです。
 
 震災などで多くの若者が自主的・自発的にボランティアに参加ました。そのことは、地域社会で人間的に生きていく未来をみていくうえで大切なヒントを与えてくれます。人々が窮地に陥っていることに共感を示して、自分が少しでも役にたてばと生きがいをもって活動しているのです。
 
 人間のもっている潜在的優しさ、相互扶助を開花させているのです。より、動物的な側面の競争主義から人間的になっているのです。動物は自然の掟で欲望がコントロールされていきますが、人間がより動物的に欲望を拡大していくと果てしなく拡大していきます。人間は、社会的正義という道徳力の教育によってコントロールされていくのです。
 
 ところで、世界は原発の廃止から再生可能エネルギーの方向に動いていますが、日本は原発の再稼働で莫大な費用を使っています。九州電力が再稼働のための安全対策として1兆円近く投資をしています。福島における原発事故の処理費用には、80兆円かかるといわれています。税金や電気利用者からの支出です。まさに、宇宙的な数字です。
 
 日本の経済には、国民の生活が豊かになることによって、発展します。格差社会がひろがり、非正規労働者、雇い止めの労働者などの不安定労働市場が拡大するなかでは、国民の働く意欲も減退し、摩擦が増え、経済も発展していかないのです。実に悲しい日本の現状です。うそをつかない、ひとをだまさない、弱いものをいじめないということは、あたりりまえのように昔から教えられてきたのが今鋭く問われているのです。
 
 社会的リーダー・経営者の役割
 
  社会におけるリーダーや経営者の役割は極めて大切です。もちろん、もの作りや社会的労働によって人々の生活や未来をつくりだしている労働者の役割も大切です。それぞれ、人は社会のなかで役割を果たし、相互に支援されて生きているのです。社会の相互尊重や社会的協働は、大切なことです。
 
  社会的正義をもつ経営者は、 職務上だけの利益ではなく、公的な義務をもっているのです。道徳的資本主義のためには、人類的な理想の公的な義務という崇高な目的をもつことであると、スティーブ・B・ヤング氏はのべます。彼は、道義的資本主義のために、自己中心的ではなく、高潔な目的による道義的的責任の使命感をもつことであるとして次のように述べています。

 「道義的資本主義では、人は崇高な目的に奉じることができる、人生は巨大な目的のためにある、という使命感をみつけることができる、と想定する。私たちが単に自己中心的な意欲ではなく、高潔な目的を持った代理人であることを道義的に認識していれば、相手に対する代理関係において自らの権力をいかに行使するのか、という直接的な責任を担うことになる。
 道義的資本主義は心のあり方や指南力、考え方を問う。・・・・・受託者の義務は、権力を行使する場合には他者に配慮せよ、とする道義心から生まれる。信託的思考は、意思決定における道義心、人格の倫理的規範、英知を教える。信託的思考は、私たちを信頼できる存在にする。それにより、私たちが暮らし、働く社会の道義心が良質のものへと高められていく」。スティーブ・Bヤング著経済人コー円卓会議日本委員会+原不二子(監訳)「CSR経営モラル・キャピタリズム グルーバル時代の資本主義のあり方」生産性出版。91頁~92頁
 
 権力を行使する場合に、高潔な道義心による他者の配慮、公的な義務を強調して、受託者の義務による人格の倫理的規範における暮らしと社会の道義心を良質なものへと高めていくことの重要性をのべているのです。
 
 国連のグローバルコンパクトにおける社会的退廃への警告
 
 国連グローバル・コンパクトでも腐敗は、世界最大の課題としています。腐敗は持続可能な開発にとって大きな障害となっているのです。国連グローバル・コンパクトの見方は、貧しい地域に不当な影響を及ぼすことだけでなく、社会構造そのものを腐食していくという認識からから積極的に社会的退廃の克服をとりあげています。
 
 腐敗の防止に関する国際連合条約は,すでに、2003年10月に国際連合総会において採択されています。腐敗防止に関する国際連合条約の前文では、腐敗が国際的な現象になっており、民主主義と社会的正義、並びに持続可能な社会を危うくするとしているのです。

  腐敗の防止に関する国際連合条約では、腐敗防止の闘いに、総合的に取り組むことが大切としています。このためには、国の腐敗防止の制度的な設計と管理責任と同時に、市民社会、非政府機関、地域社会の組織の参加を得て、国と相互に腐敗防止に闘っていくことの必要性を強調しているのす。

  ステークホルダー資本主義という考えは、すべての人びとが経営との関係を結びつくことができるようにするものです。そこでは、すべての人々が経済的恩恵をうけられるようになることです。ステークホルダー資本主義として、企業が関係をもつ従業員、お客様、地域社会、取引先、株主・投資家との民主主義的関係の在り方が模索される時代になっているのです。

 グローバル時代の資本主義のあり方として、道徳資本主義(モラル・キャピタリズム)、企業の社会的責任(CSR)が大きく問われるようになっています。経済人コー円卓会議(CRT)は、企業の行動指針として、獣欲的な市場を廃しての道徳的な資本主義の価値と行動を積極的に提唱しています。
 
 経済人コー円卓会議は、激化する貿易摩擦の緩和、日米欧の社会経済の健全な発展という企業の倫理や企業の社会的責任という道徳資本主義の目的のために、スイスのコーという地域に、世界の経済人が集って1986年に創設されたものです。

 企業の社会的存在価値は、国際競争のなかで、生き残りをかけているだけでは不十分です。企業は、市民の一翼として、自ら創造した富を分かち合う公平の精神による社会的責任が課せられています。人間の尊厳の見方が基本です。それぞれの人々の文化や生活様式の質の保全と向上をめざしていくことです。

 働く人々は、人間的に生きていくために、健康はもちろんのこと、品格も大切な要因です。モラル資本主義を構築していくうえで、従業員には、社会的な正義、公平、法令遵守で誠意をもって働くことを求めているのです。

 企業が従業員の人間尊厳を保障していくためには、性別、年齢、人種、宗教の差別をしないことはもちろんですが、障害者の雇用の保障のように、十分に人間的に能力を発揮できるような職場の確保をしていくことです。

 人間の尊厳、公平、正義という公益を重視する企業の存在を大切にするためには、そのための国家のきめ細かな社会制度づくり、経営者、社員や地域社会、消費者をはじめ公益性を重視する社会的な市民意識の変革が必要なのです。
 
 ステークホルダーごとの調整関係のみに力点をおいて考えていくのか、企業の批判勢力として見ていくのか、基本的な経営のフィロソフィで判断していくのか。この問題を企業の社会的責任から突き詰めていくことは経営にとって大切なことです。
 
 ロールズの正義論
 
 功利主義と弱肉強食の競争社会のなかで私欲の絶対化がはびこるなかで、公正な社会をどうつくるのかと、政治哲学者のロールズは、1970年代以降の社会福祉国家への再構成をしていくうえでの政治思想である正義論を展開するのです。
 
 個人の自由と権利の尊重と社会全体の福祉、公正ということからの社会的・経済的不平等の現実をどう克服していくかという正義論であったのです。自由と権利は自然権というのです。経済的・社会的不平等は、政治的平等を阻害するとロールズは考えるのです。社会は本来的に社会的協働によって成り立っているのです。
 
 経済的・社会的不平等の是正は、社会的最低限の生活水準を保障していくことを要求しています。また、持続可能な社会を築くために、現世代が年金資源をくいつぶさないように、天然資源を枯渇して後世代に不正をはたらかないよう。以上のようにロールズの正義論はソーシャルミニマムの考えを提起しました。また、公正な機会均等の原理を大切にしたのです。
 
 ローズは公正としての正義は、立憲デモクラシーの哲学的構想のなかでのものです。立憲デモクラシーにとって最優先しなければならないことは、自由かつ平等な人格をもった市民形成であるとしています。功利主義は、この基本的な権利・自由に対して満足できる根拠を提供できないとロールズは考えたのです。
 
 正義感覚の能力と善(幸福)の構想の能力を適切な仕方で発達させる社会的条件が必要としたのです。思想、良心、結社という自由は、この二つの道徳的能力の発達のために必要不可欠なことです。
 
 人々は自己利益の追求にとどまらない、より高次の利害関心である公共心に満ちあふれた市民に発達していく能力形成が求められているのです。公正なる正義は、財産所有のデモクラシーと福祉国家を要求します。財産所有のデモクラシーは、富と資本の集中に対して、分散を図り、一部のものが経済を支配することを防ぐことです。
 
 これには、政治の役割があるのです。公正な機会均等論から人間の能力を自由に発揮するために教育の権利がすべてに保障されるように、あらゆる機会、あらゆる場所、あらゆる時期、年齢で保障されるべきなのです。社会の相互尊重による社会的協働労働は、自由で民主主義的参加が条件になるのです。
 
 社会尊重による社会的労働が、すべての人々に享有されることにより、活力ある豊かな生きがいをもった社会の形成がされていくのです。財産所有のデモクラシーは、人間の自由で自己の能力を生きがいをもって発達させていくことと車の両輪であるのです。
 
 正義感覚をもっている人は、友情や愛情、相互信頼の絆を有しています。人類の一般的利益に役立っている制度や伝統への専心の代価としているのです。道徳的情操は、通常の人間生活の一部になるのです。
 立憲政治にとって、道徳的情操による公共的運営が必要になるのです。公共的な正義感によって統制されている社会では、内在的な安定性をもっているとロールズは考えるのです。
 
 平等な正義を要求する資格は、道徳人格をもっていることです。道徳人格は、合理的な人生計画によって表明された自分の善についての構想を抱くことができます。また、道徳人格は、正義感覚に基づいて行為したという欲求をもつことができるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

国連の小農と農村の人々の権利宣言と社会教育

国連の小農と農村の人々の権利宣言と社会教育

     神田 嘉延

 国連は2018年12月18日に小農と農村で暮らす人々の権利宣言を121国の賛成多数で総会で採決しました。日本は広範に小農と農村をかかえながらこの採択には棄権しました。残念なことす。
 国際競争力の農業、選択と集中ということで大規模農業施策をかかげる安倍晋三政権のもとで、世界の動きとは違う農業施策を推進することで受け入れることはできなっかったのです。現実の日本の農村を無視したものです。
 高齢化、過疎化した現状のなかで,国連の宣言は日本の農村活性化のためには有効な内容だと考えます。もちろん農業生産法人の動きを決して否定するものではありません。二者択一の問題ではないのです。

 日本の農業や農村は食糧生産はもちろんのこと、それだけではなく、防災の機能、子育て教育の機能、健康のための癒やしの機能をもっています。また、地域づくりにも大きな役割を果たすのです。地域の協働や協同コミュニティ機能、地域の伝統文化芸術、生きていくうえでの大切な誇り精神的機能、観光機能など様々な機能があるのです。
 国連の小農と農村で暮らす人々の権利宣言を広く日本の人々に伝えていくことは、農業や農村の役割を見直し、日本の豊かな文化と暮らしをつくりあげていくことと日本の食糧自給にとって大事なことです。さらに、日本の文化、自然災害の防波堤機能、自然景観を守っていくうえでも重要なことです。

小農と農村で働く人々の権利宣言は、人類普遍原理

 小農と農村で働く人々の権利宣言は、人類普遍原理の人権宣言を現代の世界における農村での様々な問題状況から具体化した宣言です。この小農・農村の権利宣言は27条からなるものです。
 この宣言は農村の暮らしに依存する土地、水、自然資源などを保存し、持続可能な社会を達成するために食や農村の主権を考えたものです。とりわけ農村の若者たち農村で暮らせるように農村経済の多様性、農業以外の雇用の施策を重視しているのです。これは農業ばかりでなく兼業を積極的に提起しているものです。
 締約国は本宣言の権利宣言を法的、行政的および他の適切な措置で迅速にとらなければならならないとしています

 小農と農村で働く女性について、その権利を積極的に打ちだしていることも特徴です。これは小農と農村で暮らす女性の無権利状態があるからです。農村の女性の教育や研修をとりわけ重視しているのです。そして、女性に対するコミュニティサービスや相談、自助グループと協同組合の組織の権利保障をあげています。また、女性の人権保障としての暴力を受けない施策の重要性を指摘しています。

 農村におけるさまざまことを決めていくうえで、参加の権利保障を重視しているのです。そして、結社の自由、思想信条の自由、言論表現の自由、移動の権利、生命と自由安全の権利の保障、働く権利の保障などをあげています。
 食の主権は、飢餓から逃れるため社会的公正、生態系を配慮したものです。種子と伝統的知識の維持管理継承は生態系の配慮からの持続可能な社会を維持継続するためのものです。生態系を守るアグロエコロジカルな環境の整備と教育は大切なのです。

 国連の小農と農村で働く権利宣言を社会教育から考えていくうえで第25条の教育と研修の権利と第26条の文化的権利と伝統的知識の権利は大切な内容です。

農村での教育プログラム

 教育プログラムは小農と農村で働く人びとの協力によって開発実施しなければならないとしています。上から一方的に行政や教育者が押しつけるものではないのです。参加民主主義が教育プログラムに保障されていなければならない。
 生態系を配慮しては、伝統文化を尊重してアグロエコロジカルな環境整備のもとに教育の実施されるものです。参加型の植物育種が求められ、公平かつ参加型の農業者とのパートナーシップが教育者と科学者に求められているのです。農業者の主権を考えての教育者や科学者の関係性が大切なのです。

 また、農業分野の学校の大切をあげています。日本では農業高校や農業大学校、農業系大学がありますが、ここでの地域農業の発展を考えての国連の小農と農村で働く人びとの権利宣言に基づいた教育が大切になるのです。学校教育のなかでも国民教育として、農業と農村の多面的機能の認識が大切なのです。

 小農と農村で働く人びとは自身の文化を享受し、文化の発展を自由に追求する権利を有すると国連の宣言ではしています。個人として集団として国際基準に従って地元の慣習、言語、文化、宗教、文化芸術を表現する権利を有するということです。教育においてこの課題をいかに保障していくのか。伝統文化の保障は決して人類の普遍原理である人権保障を無視した家父長制度や奴隷的、封建的な残存を認めるわけではないのです。

小さな自治と小学校の校区

 

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

農は脳と人をよくする ―子どもの発達と地域― 改訂版

 

 

           
 小さな自治と小学校の校区の社会教育的役割 
                      
       神田 嘉延

 (一) 小さな自治としての小学校の校区
 
 小さな自治を地域の暮らしからみていくうえで、小学校の校区自治の役割が大切である。農山漁村における小学校の校区は、歴史的に、伝統的な村落共同体に依存していた側面がある。

 小学校の校区は、明治の近代化のなかで、新たな暮らしの地域共同体となった場合もある。伝統的な村落共同体に依存している小学校の校区では、入会権による学有林をもっている場合もある。そこでは、校区自身が自主的な財源をもっている。

 鹿児島県の山間部では、小学校の校区の学有林があり、学校の施設整備などに住民の寄付行為と体育館などの学校施設整備に寄与する場合が少なくない。旧霧島町には、三つの小学校が存在している。それぞれ、学有林をもち、地域によっては、奨学制度や認定こども園を住民立でつくっている。

 永水小学校では、1992年より山村留学をしていますが、始めるときに、小学校の林野財産区から80万円、地域の奨学会から30万、町から70万の予算を山村留学実行委員会はもらっている。

 鹿児島県霧島市竹子(たかぜ)の小学校の校区は、山の共有林を中心に共生会をつくっている。山に木を植えて、子どもの教育のために積極的に利用していこうということで、明治14年に小学校ができたころから「山には木を、里には人を」と山の整備と学校の充実を一体としてとりくんできたのである。

 鹿児島県の出水市上場高原では、集落ごとの対立が水利権問題などで地域が一体でまとまっていたわけではなく、小学校の存在によって地域がまとまってきたのである。小学校のまとまりによって、2つの自治公民館が水道事業等のむらづくりに統一してとりくみ、1998年度のむらづくり日本一として表彰される。

 鹿児島県の出水地方の学校給食に上場高原牛乳を提供して、地域の銘柄牛乳の生産地になっていった。市当局と教育委員会が積極的にとりくみ、出水の都市部との交流、産直も行われていくのである。
 神田 嘉延「むらづくりと公民館」高文堂出版参照

  鹿児島県知覧の松ヶ浦高等小学校は、明治35年から明治45年まで学校統廃合に反対した住民が自ら住民よりの寄付金によって、教師を雇い学校運営をしているのである。この小学校は江戸時代から稽古場を中心に浜の住民が独自に大字行政区をつくり、小学校をつくっていくのであった。

 近世の行政村では、浜の地域は、別々の村で農業を営む地域から差別を受けていたが、明治になって、小学校の校区を中心に独自の行政村をつくりあげていくのである。

  長野県下伊那郡伊賀良村(昭和31年に飯田市に合併)は、学校存続問題で明治時代から村がゆれてきた地域である。明治31年に中村地区の分教場が独立していこうとする村当局との紛争である。自ら資金を集め、学校の建築を行い、高等科も設置するのである。

 しかし、郡長の命令によって、強引に学校の統合が大正2年に決定され、中村校区の住民は、分村の請願、児童の同盟休校がされるのである。校区住民は、訴訟運動を展開していくのである。中村区民の粘り強い地域の学校存続運動があったのである。

 中村の校区の住民が学校の設置や管理運営をできた財政的な基盤は、広大な共有林野の存在があったことを見落としてはならない。小学校の校区がむらづくりの単位になっている事例は数多くあることをみていかねばならない。「伊賀良村史」868頁~899

 学校は地域の文化センターとしての役割を歴史的にもってきた。農村において、学校の運動会は、地域の運動会であった。これは、村落共同体に依存して学校が形成されてきたという歴史的性格から、地域行事と学校行事が結びついてきたことからである。

   農林漁業を生業とする地域では、明治以来続いてきた行事である。学校は地域が支えてきたという歴史をもってきた。とくに、僻地では、国や地方自治体から教育を見放されたところが少なくない。離島地域や開拓地では、見放されたところが多い。

  1992年にむらづくり日本一になった沖永良部の国頭も小学校の校区単位で積極的に地域づくりと社会教育活動をしている。ここでの社会教育活動は国頭字の自治公民館である。土地条件も悪く、農業に不向きな土地であったが、岩に海水をたたきつけながら塩をつくって生計をたててきた地域であった。

 この地域では、自生していたゆりを商品化して豊かになったのである。自ら創意工夫して、市場を開いてきたのである。自立自興というために伝統的に教育を重視して、地域の共同の力で子育てをし、自治公民館を拠点に地域づくりをしてきたのである。学校の庭には、「潮干す母の像」を地域の教育目標のシンボルにしている。

鹿児島の沖永良部で最も貧しい地域といわれた。沖永良部の国頭では、地域で自分たちの資金を出して、学問所を設立している。明治6年頃に、十数名の子弟の教育を、二間角の粗末な家を建てて、学校と部落民がつくった。

 沖永良部は、西郷隆盛が獄中で生死をさまよったところである。牢の看守役人によって、奇跡的に助けられ、牢に入った西郷が教師になって子ども達に学問を教えたところである。ここには、社倉という助け合いの精神によって学問所がつくられていくのである。

   明治10年に、八間に四間の茅葺きの馬小屋建で、校庭20坪ほどに過ぎない学問所をつくっている。明治15年の学制変更により、小学校を初等、中等、高等の三等科としたが、国頭の校舎は、完全なる設備を有することができないため、教授に不都合であった。

   明治19年に学制の変更により、校名を簡易小学校と改称し、尋常小学校の代用をしていた。明治23年に小学校簡易科を廃して、高等尋常の二科のみの存置を布告があったが、その要求に応ずることができず、簡易科を設けて教育を継続している。

 小学校は、地域住民の子育てに対するアイデンティティ形成として大きな役割をもっている。とくに、農村においては、小学校が地域の文化センター的役割をもってきた。農村における小学校校区は、大字または、大字連合によって、歴史的に形成されてきた。

 しかし、一方で地域の生活・生産の共同体的機能という側面を校区が強くもっていたのである。ここに村の学校の2面性が歴史的にあったのである。農村における矛盾関係があっても子育ての機能は地域の大きな共同的な機能であった。小学校は、村落の人々がまとまっていくいうで大きな機能をもっていたのである。さらに、小学校は、農村の地域住民にとって、地域の文化的統合の機能をもっていたのである。

   北海道の開拓農民は、小学校をたてることが、開拓の第一歩であった。鹿児島からブラジルにわたった人たちも同じように学校建設が開拓の第一歩であった。日系人がつくった中南米最大の協同組合に発展したコチア産業組合も学校を拠点に展開したのである。

  そこでの学校は、子どもを教えることはいうまでもないが、地域の文化センターとしての役割を果たした。小学校の校区は、地域の運動会や地域の青年・大人たちの学ぶ場としての機能している。農業研修や農業開発のうえで、大きな役割を果たしたのである。コチア産業組合の現在は、倒産から、原点にかえって地域に根ざした学びを大切にしての再建運動を展開している。

  学校が地域づくりの拠点になり、地域住民の英知が学校に結集しているのである。アメリカの組織学習協会の創始者のピーター・M・センゲは、学校を教える組織から学ぶ組織に変革していくことを強調している。

 その学ぶ組織の変革では、コミュニティとの関係を重視しているのが特徴である。そして、持続可能性をもつコミュニティにとって必要なことは、教育との関係であるとのべる。
 「学校システムがコミュニティの中で一歩前に出てじっくり考える役割を果たさなければ、あるいは、教育長が他のコミュニティのリーダーとよい関係を築いていないとか、住民が学校をコミュニティに対する有力な貢献者と見なしていなかったらすれば、それはコミュニティ内のつながりの力が弱いことを意味している。

 ・・・貧困にある子どもを支援する団体は、社会サービスの関係者だけではなく、教育者ともつながれる。教育に関する活動は博物館、オーケストラ、公共図書館、ボーイ・スカウト、劇場、文化保存団体、公共サービス、宗教組織、地方の法律関係団体、ヘッド・スタート、ビジネス界などコミュニティの中の多数の機関で行われている」。

 ピーター・M・センゲ編・リヒテルズ直子訳「学習学校ー子ども・教員・地域で未来の学びを創造する」英治出版703頁~705

   ピーター・M・センゲのグループは、地域の資源や人材を生かしての地域づくりをしていくうえで、地域の自然、文化、歴史、人材を見直していこうと学際的なフィールドワークの地域学の手法を学校教育で応用している。それは、地域教材によって、カリキュラムマネージメントに利用していことすることである。

  学校教育の新しい考え方として、中央教育審議会は平成2712月に「学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策」を答申している。「学校を核とした地域力強化の観点から,全公立小・中学校において,学校と地域が連携・協働する体制を構築するために,コミュニティ・スクールや学校支援地域本部等の取組を一層促進する旨が示されている。

 地方創生の実現に向けて,これからの子供たちには,地域への愛着や誇り,地域課題を解決していく力が求められている」。この答申での開かれた学校とは、地域の将来の担い手を育てるために、地域でどのような子どもを育てるかという教育目標やビジュンを住民と共につくりあげていくことの提言である。
 それをどのように具体的に実現していくのかは、社会教育専門職員が、そこでどのような役割を果たしていくのか明確ではない。一般行政の役割や社会教育の役割を含めて検討していく課題がある。

  学校教育では、社会教育と連携して、地域の人々と共に、地域に誇りがもてるような教育をしていくことである。地域で働き、生活する人々が学校教育に出かけていくことが期待されている。また、地域の教材を積極的に授業で活用する教師の実践も求められている。

 社会教育法が改正され、平成29425日に文部科学省は、地域学校協働活動の推進にむけたガイドライインを出している。ここでは、学校を核とした地域創生を積極的に打ち出し、学校には、社会に開かれた教育課程を推奨している。地域学校協働本部が地域住民からつくられていく時代とするのである。

  例えば、宮崎県都城では様々な地域団体が積極的な活動をしている。しかし、それらが、統一的に地域振興計画や社会教育計画と結びついているわけではない。行政による地域づくりの長期的な戦略が不足している。

 都城では、盆地祭りの継続性の問題やおかげ祭りなどとの連携・各種機関や団体との横のつながりをつくる必要性と講座の開設が求められている。地域デザインの仕事としての、地域社会教育計画と策定という社会教育専門職員の役割がないのである。
 
 (二) 小学校の校区と社会教育の可能性
 
 校区公民館の設置形態は多様である。1,小学校などの区域に設置されている市町村立の条例公民館という形態、2,校区単位に条例公民館の分館を設置している形態、3,学校区を超えた地区の条例公民館の管轄のもとで、学校施設内に公民館を設置して、小学校の校区住民による運営審議会によって運営している形態、

 4,小学校の校区単位での自治会や字の自治団体による財団法人による管理運営している形態、5,小学校の空き教室などを利用しての学校施設開放と、住民の主体的な学習組織ということの学社融合の機能を行い、校区コミュニティづくりを積極的に展開している形態、6,市町村自治体が、新しい小さな自治体として校区を位置づけ、福祉と結びついて公民館活動を展開している形態など、その設置形態は多様である。

 校区公民館の設置形態は、一律ではなく、それぞれの自治体によって、位置づけが多様であり、住民の対応の形態も複雑である。多様化する校区公民館の形態で、共通していることは、校区は、住民の日常生活に密着した学習文化活動の区域としていることである。

 校区公民館は、社会教育法の公民館の目的における「実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進を図り、生活文化の振興を増進に寄与する」(第30条)ということで、歩いて行動でき、実際生活に即する地域生活の密着した学習区域として、大きな意味をもっている。

  山村留学による村の小学校の活性化は、里親による都会の子どもの受け入れ、寄宿舎の設置として対応してきたが、今日では、都会の家族受け入れていくという親子留学制をとるところが生まれている。これは、過疎化によって、空き家が増えたことの対策と、地域産業振興における都会の人材の積極的活用という対策と子どもの教育活動が結びついたものである。この地域づくりを社会教育からみていく場合に、地域の人々の人材養成、個々の諸能力形成の問題がある。

 親子留学は、従前の地域で暮らして人々ではなく、都会などの外からくる家族であり、新たな仕事探しの課題があるのである。農業などでは、新規就農支援対策事業とも積極的に結びつきながら、地域に受け入れた親の仕事の確保に努めているのである。これは、留学というよりも都会の家族を新たに農村で定住していく対策にもなっている。

 また、外国で暮らしていた子弟が祖父母と共に大都市では子どもが暮らせないということで、農村に留学してくる世帯もいる。そこには、文化的な違いをもった親子世帯が、村の人々と共存して暮らしていくという大きな課題がある。

 親子留学ということで、現役世代の親たちにとっては、地域で暮らすための職場の確保、農業技術の課題などがあるが、それらを乗り越えての親子留学である。

 ここには、従前の山村留学のような子どもだけの留学で、地域の人が里親になるということではない。そこでは、学校教育の課題が大きくあったが、親子留学は、親自身が地域で暮らして行けるのかという独自の課題がある。ここには、今までの山村留学以上に、社会教育からの大人の人材養成、地域のリーダーの育成が極めて大切になってくる。

 そこには、新たな村づくりの課題が全面的に要求されてくる。ここでの村づくりの視点は、親子留学してきた世帯と共に、従前に村で暮らしてきた人々が、共存と相互扶助によって、共に地域で生きていくための諸能力の形成が新たに求められるのである。そこでは地域全体が社会経済的に自立できることが求められる。その共に生きていく結び役が、Uターンである。

 農山漁村では、過疎化、高齢化が進行し、集落の機能さえも崩壊する危機がみられた。集落機能の崩壊は、人間的生活をおくれる社会経済基盤のない問題である。子育てをしていくために、学校の存在は不可欠である。地域に学校がなくなっていくことは、教育と文化的な側面から地域崩壊の大きな契機になっていく。

 学校は、地域住民にとって、文化の灯火であり、未来を担う子どもが地域で学んでいるということは、地域の活性化の基盤である。この意味で、地域の人々は学校教育の支援に積極的に貢献しようとするのである。学校の地域支援活動は、地域住民の村づくりの活力になっていく。学校の運動会は地域住民の運動会となっており、学校行事は地域の住民の行事となっている。

 また、学校での稲作体験学習などの地域教材のとりくみに住民が積極的に協力する。これは、地域の文化を継承していくためである。稲作が地域でなくなっても学校教育として、稲作体験学習をしているのも、その地域文化継承と食育教育のためである。

高齢化した現代では、地域福祉活動として高齢者の団体が積極的に学校施設を利用して、子どもとのふれあい活動を展開しはじめていることも最近の特徴である。学校内に高齢者学級や高齢者が自由に集まれる場所をつくり、また、学校と隣接したりする高齢者のホームなどをつくる地域も増えている。

  子どもとのふれあいによる高齢者自身の生き甲斐と、子どもも高齢者の生きてきた知恵から学ぶということで、両者にとって大いに意味のある活動が生まれている。現代的に、新たなコミュニティをつくっていくうえで、小学校や中学校が地域の複合施設化のなかで、人々が地域の様々な協同活動に参加していくセンター的役割を学校がもちはじめている。

  地域の自立発展という視点から、人材育成、地域の人々の自立のための諸能力育成の大切さを問題提起するものである。自立発展は、内発的な発展ということで、地域の資源、地域の人材、地域の伝統的な文化を生かしての生きるための経済を支えていくうえで、無視することができない重要な視点である。

 過疎化のなかで、内発的な発展論では、自立した社会経済的生活が不可能になっている。現代の都市生活の問題、情報化、教育の高度化、交通網の発展などから、都市と農村の交流による新たな人間的生活の構築が求められる時代である。
 

 また、都市と農村の経済的な生産力第一主義の不均等発展も著しく進行している。そこでは、持続可能性の問題も問われている。そのなかで、都市内部の矛盾も深刻である。日本の企業の国際化のなかで、外国で暮らす子弟も多くなっている。帰国子女の問題もある。

 大都市での厳しい学力競争の学校では、子どもが育てられないと農山漁村の学校を求める親もいる。ここには、都市での学校教育の問題がある。この矛盾を捉えながら、農山漁村の自然の中での人間的な暮らしの再評価も必要である。

 内発的な発展ということからの地域の諸能力の形成、人材育成ということを乗り越えて、都市と農村の連帯、不均等発展の矛盾から積極的な農山漁村への支援のもとに、自立的な発展の構築がある。
 

ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題

     

ベトナム人の外国労働者問題と教育・生活課題」
 
               
神田 嘉延
               
 
(1)ベトナムの社会経済の現状をどうみるのか なぜ出稼ぎしなければならないのか

 

  ベトナムは、現在GDP成長率6.5%と高い。しかし、民族資本が育っていないのが現状です。この成長率は外国資本の投資によって成し遂げられています。
 ベトナムは、2007年にWTOに加盟しました。外国資本の投資によっての経済成長が行われたのです。ハノイホーチミン、ハイホン、ダナン等の都市に、外資系企業の進出がされたのです。外国資本は、安い労働力をあてにしているので、決してベトナム国民全体の生活を豊かにするためではないのです。むしろ、賃金を抑えるため長い期間、勤務をすることを好まない事例をみることがあります。ベトナム進出企業が働く人びとの生活を豊かにしていく社会貢献が求められるのです。


 ベトナム貿易は先進国の開発輸入と同時に、世界の最大消費国になっているアメリカへの輸出が大きな比率を占めています。日本のベトナム投資は、政府のODAと総合商社の工業団地造成の大型投資によって行われています。


 最貧国であったベトナムは、外国投資によって、2010年に最貧国から脱出したようにみえます。そして、都市部の一部に外国資本や不動産経営との関係で富裕層が生まれています。しかし、農村部では貧しく、貧富の格差が拡大しているのです。
 ベトナムは、1975年に戦争が終結して、南北の統一によって政治的に独立しました。しかし、アメリカの20年におよぶ経済封鎖で、極貧の状態に国民はつきおとされたのです。


 このような状態のなかでボートピープルや出稼ぎが増大していくのです。長い植民地と民族の独立戦争アメリカ等の先進国の経済封鎖によって、民族資本が十分に育っていかない状態が続いたのです。

 

 ところで、ベトナムには自立して発展する可能性をもっています。ベトナム識字率は高く、国民は高い能力をもっています。 また、ベトナム北部では、伝統的に手工業が農村に発展し、手先が器用なことと、工夫していく産業文化をもっています。絹織物、刺繍、米の加工食品、高度な竹加工の花器・食器・照明傘、石像づくり、盆栽、家具、伝統大工、帽子、かごなど様々にあります。また、豊かな資源もあります。  ブログ「歴史文化の旅 ベトナム」参照


 ベトナムのもっている技術や人材、地域資源を生かして、それらを現代に商品化して、十分に独立した経済の発展に活用できる場が与えられていないのです。最大の問題は、ベトナムに自立した資本がなく、国家財政も貧弱なのです。
         
 
(2)日本への出稼ぎ者のための日本語学校・斡旋業者の問題

 
 韓国への留学や出稼ぎは人気があります。留学や出稼ぎを希望する若者の間でハングル語は熱心に学ばれています。日本語は一時、人気がありましたが、日本に行くには、借金をすればいけるということで、日本語は重視されなくなっています。日本への入国について、語学はあまり重視されていなのです。日本にある日本語学校への留学も同じです。


 韓国では政府が責任をもって外国人労働者を受け入れています。日本のように中間業者が入って、借金のことの斡旋、リベートをとるしくみではありません。日本大使館の大使もベトナム人の青年に、悪徳日本語学校や悪徳斡旋業者の問題を指摘しています。借金をしても、日本に出稼ぎに行けばすぐに返せるということで、多額の借金をして日本に行くのです。日本への日本語学校でもアルバイトにおわれる語学留学生が多いのです。


 韓国では日常会話ができなければ入国することができません。政府として、きちんとした職業斡旋をするのです。日本では、国際交流基金という政府系の外郭機関が日本語検定試験を行っていますが、それ以外にも民間の団体が日本語試験をして、きちんとしたものになっていません。
 実際には、日本に入ってくる多くのベトナム人は、ホーチミンハノイなどの日本への研修機関と斡旋業者が結合したところに長期間に語学等の研修と称してとめおきがされて、出稼ぎ先の業者との面接を待つのです。


 日本の受け入れの企業も、中間の斡旋業者をとおして、受け入れをするのです。そこには、多くのミスマッチがあるのです。悪徳業者は斡旋料が中心になり、出稼ぎ労働者に対する個別の指導は、なおざなりにされるのです。日本語ができなくとも人柄が大切と豪語する斡旋業者も多いのです。


 日本語教育と称して、軍隊的な訓練の規律や言葉が横行しているのが現状です。日本への出稼ぎ労働者に対する語学教育をはじめとする教育は十分になされていません。教育学、教育心理学、日本語の構造をきちんと理解した日本語教育の教師養成などベトナムでの日本語教育の抜本的改善が急務なのです。教育学部などの教員養成などで外国人のための日本語教育の養成が求められています。


 せっかくの日本語検定試験を国際交流基金が実施しているので、それを活用して、まずは日本語教育にとりくんでいるベトナムでの良心的な日本語学校ベトナムでの大学での日本語学科・コースを支援すべきです。
 国際交流基金試験の内容には、読む・書く力を正確にみるようにするたの検討の余地がありますが、まずは、きちんとした日本語教育の制度づくりが必要なのです。また、広く使われている「みんなの日本語」も丁寧語などをはじめ日本の文化が正しく反映されていななど、これでいいのかと問題がだされています。日本語教育の教科書検討も必要です。

 
 (3)日本での出稼ぎ労働者の実体
 
 朝日新聞では「いびつな政策の犠牲者」ベトナム人実習生らの相次ぐ死亡として報道されています。東京都港区の寺院「日新窟」に2012年から実習生や留学生の位牌が81柱あります。2018年7月に「暴力やいじめがあってつらい」と言って自殺した25才の実習生。東京新聞は2018年12月7日に法務省資料として、実習生69人が2015年から17年にかけて死亡している報道しています。わかっているだけでもこれだけの数があるのです。


 失踪した技能実習生は2017年に2870人を厚生労働省は発表しています。失踪は「高い賃金を求めて」としていたが、実際は最低賃金以下で、低賃金のためと答えていたのをかってに都合よく厚生労働省は集計しているのです。
 日本では最低賃金制度は全国で決められるのではなく、地方ごとに決められ、大都市志向が賃金の面からも拍車がかけられています。経営の困難性を低賃金に求めがちなところがあり、ヨーロッパ等では、全国一律の最低賃金が設けられていることが常識です。


 最低賃金すら守っていないということが、技能実習生の失踪の原因です。失踪者は、賃金が低いという回答が3分の2ということで、最低賃金を守っていないということが野党の集計で明らかになっています。日本語ができないことから、訴えることもできず、その相談する機関もわからない状況です。日本語ができなことにより、無権利な状況におかれているのです。


 入国管理局の外国人収容所においても過酷な人権無視の状態があるのです。2017年3月に25日に1週間強い痛みをもって訴えていたベトナム人青年に、職員は医師にとりあうこともせずに死亡するという事件が起きています。
 さらに、5月に、収容所では、職員の対応が問題として、約2週間におよぶハンストに100名が参加したことが起きています。
 
 (4)日本での深刻な労働力不足

 

 日本では、介護・医療、建設関係、飲食業、農業・農産物加工、漁業・加工工場、金属・機械の等工場など様々な分野で労働力不足が深刻になっています。とくに、地方では、その問題が顕著になっています。
 4月から実施される外国人労働者の受け入れ拡大で、多くの自治体で懸念がもたれています。雇用主に求められる生活支援や日本人と同等な報酬といったことが実施されるかということです。そことは、共同通信の2月10日の全国アンケートで明らかになったのです。外国人労働者問題の矛盾は、自治体にかぶり、人件費をおさえるために外国人を受け入れる企業もあり、日本人の賃金もさげる要因になることも予想されるのです。


 地方において、安定的に外国人の労働力を確保するためには、積極的に賃金を日本人並にしていくことが求められます。それを実施して、日本人の労働者と共に働きやすい職場づくりをしている企業もあることも確かでです。企業として、日本語教育の支援をすすめ、実習がおわり、母国に帰ってから、将来の進路をじっくり考えて、大学にいくケースもいくつもみられるのです。

 
 (5)ナムディン日本語・日本文化学院の教育実践
 
 ナムディン日本語・文化学院は、 ハノイから南90キロの紅河デルタの農村地帯の中心都市のナムディン市にあります。学校の創立から12年目に入っています。昨年8月29日には、日本大使夫妻が訪れ、学校の教育の様子を観察してくれました。学校には、実習農園を設けて、学生の堆肥作りや野菜づくりの工夫を自主学習としています。二年間学んだ学生は、自分の地域についての卒業論文を日本語で書かせています。


 その内容は、プレゼンテーションをさせています。ナムディン省と宮崎県庁、南九州大学と農村の発展のための人材育成の協定を結び、宮崎県と南九州大学から専門の農業技術者、農業研究者が指導に入ってくれています。このつなぎ役にナムディン日本語・日本文化学院の教員や学生が果たしています。若者達は日本で学び、様々なアイデアを出して未来に向かっている姿があるのです。


 ナムディン日本語・日本文化学院は、農村に子ども図書館を設置しています。これは、日本の進出企業に社会貢献として、図書館をつくってほしいという願いからです。ナムディン日本語・日本文化学院を支援してくださった鹿児島出身の企業経営者からの寄付による図書館です。ハノイホーチミン日本語学校をやると斡旋業者と絡んでもうかる業種とされているところが多いのです。十分な日本語教育よりも回転率をあげということで、短期間で実際は、日本語が出来ずに日本に送り出してるのです。このような学校から決別していくためにも設立当初から非営利の理念をかかげてベトナム教育省からきちんと認可を受けて運営しています。 

 
 「ナムディン日本語・日本文化学院」はホームページをつくっていますので、その詳しい内容はホームページをみてください。また、神田の論文「ベトナム北部ナムディン省の新農村建設と公民館」を参照
 
  (6)今後の展望
 
  鹿児島や宮崎の地方は、広範に農村をかかえ、農業や農業関連産業の発展は重要な課題です。また、過疎化や高齢化が進み、深刻な労働力不足に悩んでいます。若者が残っていくたには、大都市との賃金格差を解消していくことです。外国人労働者問題についても同様です。

 鹿児島や宮崎で働いて生きがいを感たり、自分の将来にとって非常に有益であったということが必要です。鹿児島や宮崎で永住したいという希望もでてくることも大切です。政府は外国人労働者の確保で、移民政策をとらないとして、外国人に対する差別的な労働政策をとろうとしています。多様性と異文化の共生を可能とする条件づくりなどが欠落しているのです。外国人労働者を多く入れようとする施策に、家族と共に暮らすことも否定しているのです。外国人労働者に対する日本での人間的な生活の確保が必要なのです。

 

ベトナムの自立発展と生涯学習 (アジア・南太平洋の生涯学習シリーズ)

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