社会教育評論

人間の尊厳、自由、民主的社会主義と共生・循環性を求める社会教育評論です。

霧島山麓の大規模メガソーラー建設問題と歴史文化の破壊

霧島山麓の大規模メガソーラー建設問題と歴史文化の破壊
             神田 嘉延
 
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    1,大規模な自然破壊の恐れ

 185ヘクタールに80メガを上回る出力の大規模な太陽光発電霧島神宮周辺の山間部で計画されています。この開発地域の周辺には、別荘や介護施設、温泉を利用した病院など余生の憩いの場にもなっているところです。鹿児島市には、7ツ島に、70メガの大規模な太陽光発電所があります。それを上回る規模です。中国系資本等の外国資本を含む事業者が、霧島神宮周辺の土地で、メガソーラーを計画しているために、現在は測量を実施しています。ここは、次々に土地所有者が変わり、事業計画者の転売などによって変わっているのです。
 
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 しかし、固定価格買取制度によって、1キロワット時当たりの買取価格を36円のときの契約なのです。その後、どんどん下がって、現在は、2019年まで14円ということです。従って、もうかるということで、土地も含めて、売買が盛んに行われているのです。この固定価格買取制度は、二〇年間の期間で国民が電気料の形で支払っていくのです。契約のときと、事業実施の時期が大きくづれても容認しているのが、固定価格制度の問題点なのです。
 
 固定価格買取制度によって、霧島神宮の巨大なメガソーラー開発は、仲介業者や管理業者が間に入って、土地の所有権、事業者の売買がされているのです。そして、背後に莫大な建設費がかかるということから、融資する金融資本がかかわって値上がりが行われてマネーゲームがされているです。
 
 
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 ここは、霧島の水源地でもあります。保安林にもなっている地域もありります。全体として、膨大な森林地帯です。さらに、急傾斜が多く、自然災害の警戒地域にもなっています。霧島神宮周辺は、天孫降臨の神話伝説があり、古くから修験道の聖なる地でもあったのです。まさに、自然と歴史文化の観光地です。
 
 霧島神宮周辺のメガソーラー開発は、急傾斜の地域が多いところですが、そこの森林を伐採して、山を削り、 造成して、大規模なメガソーラー設置を計画しています。このメガソーラー開発は、自然破壊による大規模な災害の恐れがあります。さらに、霧島神宮を中心としての自然文化の歴史を破壊するのです。
 
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 霧島市議会は、メガソーラー反対の請願書を委員会で全員一致で採択しました。そして、3月28日の市議会本会議で全員一致でメガソーラー反対の陳情を採択しました。前市長が、メガソーラー・大規模地熱発電促進(霧島市再生可能可能エネルギー事業者協議会)を設置していて、霧島市内の山間部のいたるところでメガソーラーの建設が進んでいったのです。その自然破壊の問題が生まれています。また、温泉枯渇問題で大型地熱発電も地域との摩擦を起こしていました。現在の市長は、霧島神宮周辺の80メガのメガソーラー開発に反対表明をして、その趣旨を開発業者に通達したのです。
 
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 それでも業者は、メガソーラー開発の測量を強行しています。許認可権は県にあると法律に即してやっていると豪語しているのです。3月31日に管理・斡旋業者の霧島神宮周辺のメガソーラーの執行役員の人に住民の反対の意志と開発事業体制のそれぞれの立場と役割、5月より、事業者の環境影響調査実施に県との協議をどのようにされているのか等の質問状を手渡しました。
 
 管理事業者は、盛んに霧島周辺のメガソーラー促進に賛成する自民党の県会議員のいること、土地を売った人々はメガソーラー促進に賛成であって、地域住民は全員反対ではないことを強調したのです。県のメガソーラー設置のための担当者から認可をうけられるようにたびたび指導をうけていると発言されていました。
 
 かれらの考えは、「われわれは、地域にお金がおちることを社会貢献と思っています。土地を持っているいる人たちにも高い値段で買ってやっています。積極的に買ってくれというひとたちもいるのです。メガソーラーは企業誘致として、積極的に促進する人々がいる」ということを強調したのです。
 
 市議会でのメガーソーラー反対陳情に全一致の採決、市長が反対表明しているにもかかわらず、自民党の有力政治家が賛成していることを理由に社会貢献をする事業であると豪語するのでした。今の時代は自民党の力を使えばなんでもできるという姿勢で恐ろしい気がしました。
 
 県の態度は法律に即して、書類の審査を行うとしています。前鹿児島知事は、原発廃止をかかげて前知事の自民・公明推薦の知事を破り、当選しました。しかし、その後変質して、川内原発の再稼働を鹿児島大学の教授を座長とする委員会に委嘱して、その委員会の安全性の確認をしたということで、原発の再稼働を承認したのです。このように県民を裏切っであった知事ですので、メガソーラーについても心配であったのです。あいまいな態度を示している前知事でした。現在の知事は前知事の自民党推薦を破りました。県民運動として、知事を支え、態度を明確にさせう必要があります。つまり、知事に自然環境を破壊するメガソーラー反対の態度表明をさせなければなりません。
 
 霧島神宮周辺のメガソーラー反対協議会は、原発を廃止して、再生可能なエネルギーを開発していくことは大切という立場です。前知事は、再生可能エネルギー開発を盛んに言っていたのです。
 
 しかし、再生可能なエネルギーの開発が乱開発によって、自然破壊をして、森林のもっていた防災機能や自然景観を破壊することとは全く違うのです。この地域は、自然災害警戒地域です。再生可能エネルギーは自然からの恵みという視点が大切なのです。自然循環がなくなっていけば、恵みをもらうことはできないのです。
 
 まさに自然における神の恵みとして、霧島山麓があるのです。この自然の恵みから、おいしいミネラルを豊富に含んだ水が販売され、名酒の焼酎がうまれ、最も価値ある米が生まれていくのです。そして、景観と歴史文化を求めて多くの観光客が訪れ、様々な産業が生まれているのです。
 
 また、霧島山麓の新燃岳、高千穂の火山の爆発危険のある地域です。火山と共に生きてきた地域の歴史です。たびたびの噴火によって、霧島六社権現の御神体は移動したのです。豪雨や台風の被害も多く、多量のソーラーパネルが豪雨や強風によって破壊される心配があります。
 
 ソーラーパネルが老朽したとき、災害などでのパネルの残骸物をどのように処理していくのか。ソーラーパネルには、腐食剤のために水酸化ナトリユム、フッ化水素など、鉛やセレンなどを含む有害化学物質が使われていたりすることがあります。さらに、パネルを支える架台をどうするのか。除草対策をどうするのか。除草剤を使うのか、除草シートを使うのか。いずれもその膨大な処理の問題が起きるのです。
 
 また、パネルによる反射光の問題もあるのです。ソーラーパネルは、火災が起きても発電はやめてくれないのです。消火活動の支障をきたすのです。メガーソーラーの安全・安心対策には、様々な課題があるのです。
 
 
 再生可能エネルギーは自然環境です。自然環境は地域の自然との共生で、地産地消が基本です。自然破壊のメガソーラーは、再生可能エネルギー開発の趣旨に全く反することです。乱開発の自然破壊は、再生エネルギーではありません。さらに、現在霧島神宮周辺で行われているメガーソーラーの開発は、貴重な文化財や生態系をも破壊していくのです。
 
 再生可能なエネルギーは一人一人が参加していくエネルギー開発の視点が大切です。参加民主主義の開発が再生可能なエネルギーを実質的に作りあげていくのです。それは、小規模な多くの人びとが参加する分散型エネルギーシステムです。
 
 このシステムは、大容量集中型エネルギーシステムからの転換であります。地域の様々な資源を利用して、多様な小規模の再生可能のエネルギーを最大限に生かしてのコミュニティによるエネルギーのしくみなのです。小規模分散型エネルギー開発を住民参加方式をとることによって、開発によって起きる問題を未然に適切に、短期間で処理することができるのです。
 
 それぞれの地域資源を有効に活用して、さまざまな工夫をすることです。それは、地域住民の理解と協力によって成り立っていくものです。さらに、重要なことは、住民のそれぞれの総意と工夫が求められていくのです。そこでは、地域で住民参加型のエネルギーを開発していくことです。
 
 住民参加型は、未来型の再生可能エネルギーのしくみづくりなのです。それは、住民生活不在の自然破壊の大規模な乱開発ではなく、大規模な経済性効率を最優先しての大容量集中型のエネルギーしくみからの転換なのです。
 
 分散型エネルギーのしくみは、小規模であっても多くの人々が参加していくことによって、大きな力になり、地域のなかで完結していくことにより送電の非効率を克服していくエネルギー開発です。つまり、大規模な大容量集中型は、送電等によるエネルーギーの消耗も大きいのです。無駄なく地域でエネルギーを自己完結していく地産地消型のエネルギーのしくみなのです。
 
 都市では、工場でエネルギーを創出していく工夫、屋上にソーラーパネルをとりつけるなど自分たちで少しでもエネルギーをまかなっていことすることが行われています。企業のなかには、スマートコミュニティのしくみづくりを模索しようとする動きを生まれています。スマートハウスやスマートビル、地域でのエネルギー管理システムの開発などの模索が行われているのです。断熱、床熱貯蔵暖房、LEDの普及など様々な省エネ対策も行われているのです。
 
 山間部では用水路開発や循環式の貯水池方式によるエネルギー開発、温泉熱を利用したホテルの発電、焼酎かすを利用したバイオガス発電、牛の糞尿を利用してのバイオガス発電などがあります。霧島山麓では霧島酒造の焼酎工場で実施しています。この発電で4工場の動力になっているのです。
 年間100万人以上訪れる高千穂観光牧場では牛のふんを利用しての発電をしています。さらに、今後は、海流、潮力を利用した発電、海の上下温度差利用の発電工夫が行われていくと思います。
 
 これらで大切なことは、住民や働いている人が参加しての地域、職場、学校でのとりくみが必要なのです。科学技術の発展をどのようにして再生可能なエネルギーに結びつけていくのか。科学者や技術者の役割も大切です。
 
 分散型エネルギーのしくみをつくっていくうえで、市町村自治体のエネルギー施策も大切です。長期計画のなかに再生可能な分散型エネルギーの施策が求めれるのです。
 
 この長期計画に結びついて、社会教育計画のなかでの住民参加型のエネルギーのしくみづくりの学習運動も不可欠になってくるのです。社会教育計画を基礎にしての学校との連携も求められいます。学校教育での再生可能なエネルギーの教育は地域計画と結びついていきます。そのことが具体的に子どもたちに未来の夢を与えていく教育になっていくのです。学校の施設へ教育的立場からも積極的に再生可能なエネルギーの設備を導入していくことが求められるのです。

2,霧島山麓の貴重な歴史文化の破壊

(1)霧島古道の破壊

 メガソーラーの開発地域は、霧島神宮のサルタヒコ巡行の地域です。そして、山の神、水の神が至るところに存在しています。昔から自然と共に生きてきたところです。霧島神宮宮司はメガソーラーの開発に不同意書を県知事・県議会、霧島市・霧島議会に申し出ています。反対協議会として訪問したときに、自然を尊敬する心が現代人は必要であると力説していました。神は自然のなかに宿っているというのです。
 
  霧島神宮周辺の別荘の自治会や周辺の集落の自治公民館もメガソーラー反対をしています。地域では、反対協議会を結成して、運動をしています。
   ところで、霧島神宮の行事として、猿田彦命巡行祭りが行われています。メンドンマワリといわれ、春と秋に各二回行われています。霧島神宮の周辺集落、神が宿る場をお祓いするという行事です。東巡り7ヶ所と西巡り8ヶ所を廻っていくのです。東巡りの一部は荒襲街道・小林街道とも重なっています。メガソーラー建設計画の区域です。
 
  この街道は、古代から重要な交通網で、南北朝時代の南九州の戦乱、戦国時代の伊藤家と島津家との争い、西南戦争での人吉から宮崎方面に逃走する街道のひとつでした。この街道筋で、西郷軍と政府軍の戦いもありました。

   荒襲街道・小林街道は、江戸時代に小林の地域の年貢米を運ぶ街道でした。霧島町の大窪には、その年貢米の蔵があったところです。また、霧島六社権現のそれぞれの神社にいく街道でもありました。この六社権現の道を霧島古道と名付けたのです。

 メガソーラー開発の入り口である霧島古道は、霧島中学校や霧島太田小学校があります。太田小学校には、学校林野があります。その近くにある待世神社は、現在の霧島神宮ができる以前の霧島六社権現が250年間存在していました。霧島山麓を治める税所家が島津家に滅ばされることによって、現在の霧島神宮のところに御神体が移動したのです。
 ブログ「歴史文化の旅」霧島古道と猿田彦の巡行を参考にしてください。
 
 (2)霧島神宮周辺の山麓隠れ念仏の里の破壊
 
   霧島神宮の周辺には、多数の隠れ念仏洞のありました。その事実を知った人々は、驚きと、霧島神宮のもっていた文化の複合性、包容力の豊かさを感じ、共生という未来への文化遺産であると思うのです。お寺の住職と檀家役員の案内で、地域の人々と念仏巡りをしたときに、共通の語らいでした。

  高千穂念仏洞の近くには、桂久武が慶応3年より開墾のための灌漑用水工事をしていますが、当時に工事をしていたときに、この高千穂洞の存在は、気づいていたと思われます。開墾地に入植してきた人々は、隠れ門徒の信者が多く、桂内という集落群には念仏講があったといわれます。桂久武自身が知っていたがどうかわかりませんが、薩摩藩の家老という重責であったことから興味あるところです。
 
   高千穂念仏洞は、桂内地区の戸崎原(とさきばる)」にあります。小学校の前の橋は「戸崎原橋」です。 霧島小学校を旧霧島東中方面へ200m程上っていったところで車を止め歩く必要があります。田んぼを降りて竹林を2分ほど歩くと洞窟が現れます。この洞窟は既に全て崩れ落ちています。中には、一間の高さの絵象が三幅掛けられいたという。目の前に用水路があり、地元の方によると150年前に造られたものと言われます。

  土質は、桜島の白砂ではなく昔発生した新燃岳噴火による火砕流で出来た赤茶けたものでありました。入口からの長さは10m程。高さは入口は2m程奥の一番高いところで5m程ではなかろうかと推測できます。幅は入口が1m程。奥の方は分からない。西を向いてガマが掘られています。

  三会講(さんえこう)は、吉松・霧島・溝辺(竹子)からなるお講です。地元の方々は地蔵原(じぞうばる)門徒と呼称しています。この講を中心とする方々がお参りしていたと言われるガマです。

   臼原(うすきばる)念仏洞は、霧島神宮の旧参道沿いの谷間にあります。野上神社から下って1キロほどの旧参道の近くです。谷間を降りていくには険しい急坂で、道はありません。念仏洞のあるところは平面であり、田んぼがあったといわれていますが、どのようにして下ったのか、または、下から別の道があったのかといろいろと推測するところです。
 
   臼原(うすきばる)念仏洞は、田口1779の地番です。野上地区の臼原(うすきばる)にあります。民家の道路を隔てた林の急斜面を200mほど下りて行ったところにあります。澤沿いにあるのです。この林では数年前まで(いつまでかは、わからない)は田んぼがあったらしい。近隣の方の話では、ここで最近までは「おやしガマ」と呼ばれ、おやし豆が作られていたそうです。

  狭名田(さなだ)の念仏洞は、地番、田口1624-8です。薩州御鏡講(さっしゅうみかがみこう)を中心とする方々の念仏洞と思われます。狭名田地区の公民館から大通り(野辺田から枦田の県道に突き抜ける道)に出て、その向かい側の田んぼ道にそのまま行きます。車で途中まではいけます。道路から約1キロぐらい歩いたところにあります。川沿いに上っていけば左手にガマが見えます。入口付近白砂が落ちていて狭くなっています。

  薩州御鏡講は宮崎高原町(たかはるちょう)、小林市、えびの市、京町、輝北町百引や栗野、霧島方面のお講で、近年までお講同士のやりとりがなされ、ご法義相続されていました。近くの野辺田というところでは、「ゲンナメさんと言う念仏者の処刑場跡があった」と昭和63年当時の古老の聞き伝えによる証言が残っています。

  鍋窪(なべんくぼ)の念仏洞は、湯之迫集落から山道を上がった鍋窪集落にあります。林野の生活が貴重な価値をもたらしていた時代まで繁栄していた集落です。現在は過疎化が進行して空き家が多くなっています。
 念仏洞にいく途中、山道の渓流が流れる反対側の巌に、南無阿弥陀仏の文字を彫ったものがありました。険しい渓流があります。なかなかみつかるものでありません。仏像や梵字らしいものがあるのです。よくわかりません。今後の調べる課題です。山神の祠ではないかと思われますが、南無阿弥陀仏の書かれた巌の反対側の山道にありました。

 鍋窪(なべんくぼ)の念仏洞は、鍋窪の菅谷(すげんたに)になるのです。道路に車を止めて山を200m程下り川沿いに50m程下っていくと右手に洞窟が見えます。昔、使僧が現在の隼人町ある浜之市から来てこの洞窟で過ごしたとのことです。湯之宮地区の御鏡講の方々が集う念仏洞でした。現在70歳近くになられる方が「小学生の時分にオムロを担いでここまで来て、地域の人たちがお参りをしていた。」と話されました。
 ブログ「歴史文化の旅」霧島神宮周辺にある多数の隠れ念仏洞と未来への遺産を参照。